2005年01月30日
追悼:ルイザォン・マイア氏
1月28日(金)、ベーシストのルイザォン・マイア氏(Luizao Maia)が東京都内で永眠されました。享年55歳。謹んで哀悼の意を表します。
ルイザォン氏は、ブラジル音楽におけるエレクトリック・ベースの奏法を確立したイノヴェーターであり、氏が70年代以降のMPBの音楽的な進化に寄与した功績は、とても一口では説明できません。
1949年、リオ生まれのルイザォン氏は、ウッドベース奏者として12歳でプロ・デビューし、間もなくエレクトリック・ベースに転向。15歳で偉大なサンバ人ネルソン・カヴァキーニョのバックをつとめ、60年代末にはアントニオ・アドルフォのグループ、ブラズーカに参加。『アントニオ・アドルフォ&ブラズーカ』のCDは日本盤で入手できます。
70年代初め、ルイザォン氏はエリス・レジーナのバンドに参加。以来、氏はエリスが世を去るまで彼女のバックをつとめ、大多数のアルバムでベースを弾いています。日本でも人気の高い、エリスとジョビンの一期一会の共演盤『エリス&トム』も、そうです。1979年にはエリスのバンドでモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演、その足で来日し「LIVE UNDER THE SKY」のブラジル・ナイトに出演しました。
ルイザォン氏は70年代以降のMPBにおけるファースト・コールのベーシストとして、膨大な数のレコーディングに参加しています。手元にあるMPBのCDを何枚か見ていけば、必ず<baixo:Luizao>のクレジットを発見できるはずです(Luisaoとクレジットされていることもあります)。サンバ歌手ベッチ・カルヴァーリョの出世作『ムンド・メリョール』のベースも彼です。ルイザォン氏は、サンバのリズムのグルーヴ感をエレクトリック・ベースに注入し、周囲のいかなるサウンドとも溶けあえる画期的なスタイルを作りあげたのでした。
ルイザォン氏は80年代に日本人のヨーコさんと再婚。89年から90年代初頭にかけてデビュー当時の小野リサのレコーディングやコンサートに参加、来日を重ねました、また、リオで率いていたバンド、その名もルイザォン・マイア&バンザイで、ベベウ・ジルベルトがポルトガル語で歌うユーミン・カヴァー集のレコーディングをバックアップ、共同プロデュースも行うなど、日本との縁が深まってきました。
しかし1993年、病に倒れ、右半身が不自由になってしまいます。90年代中盤以降は奥様の実家がある東京に居を移し、健康状態の快復に応じてライヴ活動も再開しました。再開直後のライヴを聴いたときの驚きは、今も忘れることができません。右手が不自由なため、ネックを押さえる左手だけで演奏しているにもかわらず、リズムもノートも完璧だったのです。
ルイザォン氏がブラジルの音楽家たちに、どれほど愛され尊敬されているか。そのことが伺い知れるシーンを何度も目撃してきました。ブルーノート東京やサバス東京(現COPA TOKYO)で行われるブラジル人アーティストのライヴにルイザォン氏が現れると、ステージ上にいるアーティストが必ず「今日は客席に私たちブラジル人が誇る偉大なベーシストが来ている」と、オーディエンスに向かってルイザォン氏を紹介するのです。
昨年後半から体調が悪化したルイザォン氏は、ここ東京の地で帰らぬ人となってしまいました。しかし、彼のDNAを受け継いだ息子のジョゼ・ルイス・マイアがベーシストとして活動を始め、小野リサの『NAIMA〜meu anjo』に参加しています。現代のブラジルを代表するベーシストのアルトゥール・マイアはルイザォン氏の甥にあたります。
ブラジル音楽の歴史に永遠に名を残す偉大なベーシストが、その晩年の日々を日本で送り、私たち日本人と身近な場所にいたことの縁を、今一度かみしめたいと思います。
ルイザォン・マイア氏を送る1曲。
本来ならばエリス・レジーナとのレコーディングから選ぶところですが、今週末からカルナヴァルでもありますので、ルイザォン氏のゴキゲンなベースから始まるカーニヴァル・ソング、
ベッチ・カルヴァーリョの「フィルミ・イ・フォルチ(Filme e Forte)」。
この曲を歌いながら旅立ちを見送ります。
ルイザォン氏は、ブラジル音楽におけるエレクトリック・ベースの奏法を確立したイノヴェーターであり、氏が70年代以降のMPBの音楽的な進化に寄与した功績は、とても一口では説明できません。
1949年、リオ生まれのルイザォン氏は、ウッドベース奏者として12歳でプロ・デビューし、間もなくエレクトリック・ベースに転向。15歳で偉大なサンバ人ネルソン・カヴァキーニョのバックをつとめ、60年代末にはアントニオ・アドルフォのグループ、ブラズーカに参加。『アントニオ・アドルフォ&ブラズーカ』のCDは日本盤で入手できます。
70年代初め、ルイザォン氏はエリス・レジーナのバンドに参加。以来、氏はエリスが世を去るまで彼女のバックをつとめ、大多数のアルバムでベースを弾いています。日本でも人気の高い、エリスとジョビンの一期一会の共演盤『エリス&トム』も、そうです。1979年にはエリスのバンドでモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演、その足で来日し「LIVE UNDER THE SKY」のブラジル・ナイトに出演しました。
ルイザォン氏は70年代以降のMPBにおけるファースト・コールのベーシストとして、膨大な数のレコーディングに参加しています。手元にあるMPBのCDを何枚か見ていけば、必ず<baixo:Luizao>のクレジットを発見できるはずです(Luisaoとクレジットされていることもあります)。サンバ歌手ベッチ・カルヴァーリョの出世作『ムンド・メリョール』のベースも彼です。ルイザォン氏は、サンバのリズムのグルーヴ感をエレクトリック・ベースに注入し、周囲のいかなるサウンドとも溶けあえる画期的なスタイルを作りあげたのでした。
ルイザォン氏は80年代に日本人のヨーコさんと再婚。89年から90年代初頭にかけてデビュー当時の小野リサのレコーディングやコンサートに参加、来日を重ねました、また、リオで率いていたバンド、その名もルイザォン・マイア&バンザイで、ベベウ・ジルベルトがポルトガル語で歌うユーミン・カヴァー集のレコーディングをバックアップ、共同プロデュースも行うなど、日本との縁が深まってきました。
しかし1993年、病に倒れ、右半身が不自由になってしまいます。90年代中盤以降は奥様の実家がある東京に居を移し、健康状態の快復に応じてライヴ活動も再開しました。再開直後のライヴを聴いたときの驚きは、今も忘れることができません。右手が不自由なため、ネックを押さえる左手だけで演奏しているにもかわらず、リズムもノートも完璧だったのです。
ルイザォン氏がブラジルの音楽家たちに、どれほど愛され尊敬されているか。そのことが伺い知れるシーンを何度も目撃してきました。ブルーノート東京やサバス東京(現COPA TOKYO)で行われるブラジル人アーティストのライヴにルイザォン氏が現れると、ステージ上にいるアーティストが必ず「今日は客席に私たちブラジル人が誇る偉大なベーシストが来ている」と、オーディエンスに向かってルイザォン氏を紹介するのです。
昨年後半から体調が悪化したルイザォン氏は、ここ東京の地で帰らぬ人となってしまいました。しかし、彼のDNAを受け継いだ息子のジョゼ・ルイス・マイアがベーシストとして活動を始め、小野リサの『NAIMA〜meu anjo』に参加しています。現代のブラジルを代表するベーシストのアルトゥール・マイアはルイザォン氏の甥にあたります。
ブラジル音楽の歴史に永遠に名を残す偉大なベーシストが、その晩年の日々を日本で送り、私たち日本人と身近な場所にいたことの縁を、今一度かみしめたいと思います。
ルイザォン・マイア氏を送る1曲。
本来ならばエリス・レジーナとのレコーディングから選ぶところですが、今週末からカルナヴァルでもありますので、ルイザォン氏のゴキゲンなベースから始まるカーニヴァル・ソング、
ベッチ・カルヴァーリョの「フィルミ・イ・フォルチ(Filme e Forte)」。
この曲を歌いながら旅立ちを見送ります。
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1. ルイザン・マイアをブラジルに送るためのカンパ募集中です [ ブラジル音楽の小ネタ [ALO,ALO,BRASIL] ] 2005年02月01日 13:17
Luizaoをブラジルに送るためのカンパ用口座
先日亡くなった、ベーシストルイザン・マイア(Luiz?o Maia)をブラジルに送るための資金カンパを行っています。詳細は上記ページで。
中原仁さんの追悼文がこちらで読めます。http://blog.livedoor.jp/artenia/archives/133
2. 悲しいおしらせ [ vida da tropicalista ] 2005年02月01日 21:07
musicaの最初のニュウスがこれでは、悲しいです。
ルイザォン・マイアさんが亡くなりました。はやく元気に
なるのを願っていたのに。あっちの世界にも、素敵な人
たくさん待ってるよ、て思っても、やっぱり悲しいです。
中原仁さんの追悼文です。
http://blog.livedoo
3. 悲しいおしらせ [ vida da tropicalista ] 2005年02月01日 21:11
musicaの最初のニュウスがこれでは、悲しいです。
ルイザォン・マイアさんが亡くなりました。はやく元気に
なるのを願っていたのに。あっちの世界にも、素敵な人
たくさん待ってるよ、て思っても、やっぱり悲しいです。
中原仁さんの追悼文です。
http://blog.livedoo
この記事へのコメント
1. Posted by matsumonica 2005年01月31日 02:16
心に染みる最高の追悼文です。
たとえほんの少しの間だったとしても、彼のような空前絶後の偉大なミュージシャンと一緒に時間を過ごせたのは幸せ過ぎることだった。
俺に出来るのは、より良い音楽を少しでも長く演奏して行くこと。
そうすれば彼にサヨナラを言わずにいられる。
そんな風に思うんです。
たとえほんの少しの間だったとしても、彼のような空前絶後の偉大なミュージシャンと一緒に時間を過ごせたのは幸せ過ぎることだった。
俺に出来るのは、より良い音楽を少しでも長く演奏して行くこと。
そうすれば彼にサヨナラを言わずにいられる。
そんな風に思うんです。
2. Posted by 仁 2005年01月31日 18:19
matsumonicaさん、ありがとうございます。
>俺に出来るのは、より良い音楽を少しでも長く演奏して行くこと。
>そうすれば彼にサヨナラを言わずにいられる。
そのとおりだと思います。志は人から人へリレーするものですからね。
ミュージシャンではない私たちとて、思いは同じです。
追伸:昨日はお疲れさまでした!
>俺に出来るのは、より良い音楽を少しでも長く演奏して行くこと。
>そうすれば彼にサヨナラを言わずにいられる。
そのとおりだと思います。志は人から人へリレーするものですからね。
ミュージシャンではない私たちとて、思いは同じです。
追伸:昨日はお疲れさまでした!
3. Posted by kiku 2005年02月09日 20:53
初めまして。kikuと申します。
先日、トラックバックさせていただきました。
(方法を間違えて、二回やってしまったようで、大変失礼
いたしました。)
ルイザォン氏のご冥福をお祈りします。
先日、トラックバックさせていただきました。
(方法を間違えて、二回やってしまったようで、大変失礼
いたしました。)
ルイザォン氏のご冥福をお祈りします。