99d16692.jpgワールドカップ・ドイツ大会もベスト16が出揃い、いよいよ今夜から一発勝負のトーナメント戦に突入。われらがセレソンの初戦の相手はガーナ。キックオフは日本時間27日(火)の24時。ベルリンとケルンでのライヴを終えて来日するMDK+2(モレーノ、ドメニコ、カシン+2)東京公演初日の直後だ。既成のレールに乗らない、常識を打ち破る痛快なライヴに続いて、常識を打ち破る痛快なサッカーを見せて(魅せて)くれる2カ国、ブラジルとガーナの一戦。なんてゼイタクな一夜!

モレーノ、ドメニコ、カシン+2の来日を記念して、これまでの彼らとのエピソードを時代を追ってまとめておこう。CDのライナーノーツに書いたこととダブる箇所もありますが、一気に放出します。ライヴ・インヴォはこちら

●EPISODE-1 モレーノ・ヴェローゾ

モレーノが初来日したのは96年12月。アート・リンゼイの来日公演のサポート・メンバーとして、ギターとパーカッションを担当していた。当時24歳。溌剌としたヤング・ガイかと思いきや、ヒッピーみたいな格好しててボヘミアンのたたずまいだった。

ライヴ後のパーティー会場。モレーノは談話の輪から離れ、会場の片隅に置かれた壊れたパソコンの前にあぐらをかいて座り、動くはずのないキーボードをカタカタと叩いていた。なんだか人を寄せつけないバリアーを張っているようにも見えたが、会場にいた女性ライターの方々から「モレーノ君のお話を聞いて下さいよお〜」と頼まれ、思いきって声をかける。案の定、モレーノはとてもシャイな青年。ブラジル人には珍しく、あまりこっちの目を見ずにボソボソと話し出した。

「どんな音楽活動をしてるの?」
「グッドナイト・ヴァルソーヴィアというバンドに入っている」
「それって、どんな音楽?」
「エキスペリメンタル・ミュージック」
「他には?」
「いろんなミュージシャンとやってるよ。エキスペリメンタル・ミュージックもやるけど、
 正統的なブラジリアン・ミュージックもやってる」

あとでアート・リンゼイにその話をしたら「グッドナイト・ヴァルソーヴィアは面白いバンドだ。アルバムはまだ出てないけど、僕もリオで共演したことがある」。

この翌年、モレーノは父カエターノ・ヴェローゾの名盤『リーヴロ』に自作のサンバ・ヂ・ホーダ「How beautiful Could A Being Be」を提供、父とデュエットした。

●EPISODE-2 カシン

2000年7月、リオ。ガヴェアでCD&レコード・ショップを経営する友人と一緒にランチをしていたら、2人のブラジル人が入ってきて友人と親しげに話を始めた。「紹介しよう、カシンとベルナ・セッパスだよ」。

「カシンって、アカボウ・ラ・テキーラの?」
「えー? 日本人なのにアカボウ・ラ・テキーラを知ってるの?」
「知ってるさ。君たち(カシンとベルナ)はフェルナンダ・アブレウの『RAIO X』で
 リミックスやってたよね。マリーザの新作でもプログラミングやってた」
「わ!詳しい! ところで今、モレーノと一緒にバンドをやってて、
 ちょうどレコーディング中なんだ。僕たちのスタジオがすぐ近くにあるから、
 時間があったら遊びに来てよ」

モレーノとは対照的に、DJ青年ぽい風貌のカシンは根っから明るいキャラの典型的なカリオカ。あとで友人が言うには「カシンはビニール・ジャンキーでね、うちの店の得意客なんだよ」。残念ながら時間がなくてスタジオには遊びに行けなかったのだが・・・。

●EPISODE-3 モレーノ+2

2000年の晩秋。当時、ジャンルにこだわらずブラジル音楽の日本盤を幅広くリリースしていたクラウンレコードの長澤さんから電話があった。

「モレーノのアルバムを出すことになりました!発売は2001年1月1日です!」
「わ!もちろんライナー書きます!」
「実は "モレーノ+2" というユニット名義なんですよ」
「へえ・・・」

喜び勇んでライナーを書き、しばらくすると、また長澤さんから電話が。

「正月にモレーノが日本に来ることになったんです!」
「わ!最高のタイミング。でも、何でまた?」
「カシンが日本人の女性と大阪で結婚式をあげることになって、
 友人代表として同行するんだそうです。
 モレーノとカシンを東京に呼ぶことにしたので、ぜひインタビューして下さい」
「もちろん、喜んで!」

ん?でもなあ、数カ月前にカシンに会ったときには、そんなこと一言も話してなかったのに・・、などといぶかりながら、カシンの結婚相手はブラジルに住んでいる日系人女性なんだろうと勝手に思いこんでいたら、そうではなかった。どうも、この数カ月の間に電撃的な出会いがあったようなのだ。

ともあれ2001年の正月、都内のホテルで2人と再会。グッドナイト・ヴァルソーヴィア時代のこと、カシンとモレーノを結びつけたのがカシンのハイスクールの同級生、ペドロ・サーだったこと、+2のドメニコがサンバ・カンサォンやボレロの作曲家イヴォール・ランセロッチの息子であることなどを知った。モレーノも初対面のときとは比べ物にならないぐらい「明るい青年」に様変わりしていて、あ〜本当に良い仲間たちと出会ったんだなあ、と感慨しきり。

その席で彼らから「これを日本のユニバーサル・ミュージックの人に渡して」と頼まれ預かったCD-Rが、カエターノの『ノイチス・ド・ノルチ』の日本盤にボーナス・トラックとして収録されることになる「ZUMBI - MONOAURAL MIX」の音源だった。

●EPISODE-4 MONOAURAL

東京でモレーノ、カシンと再会してから2カ月後の2001年3月、ジャキス・モレレンバウンのプロデュースによるショーロ・クラブの『マリチマ』のレコーディングでリオに向かった。ちょうど同時期に、宮沢和史さんがアート・リンゼイのプロデュースによる『MIYAZAWA-SICK』のレコーディングで、カシンとベルナ・セッパスが所有するスタジオ、MONOAURAL(モノアウラル)にこもっていた。

ショーロ・クラブのレコーディングが順調に終わったので、ある日、モノアウラル・スタジオを初訪問。古い大きな一軒家の一部がスタジオになっていて、聞けば家主は『EU,TU ELES(私の小さな楽園)』にも主演した有名な女優、ヘジーナ・カゼーだという。

夜、家(スタジオ)の屋上で暗闇に浮かぶコルコヴァードのキリスト像を眺めながらワインでミニ・パーティー。カシンがギターを弾き始めた。

「ねえ、この曲、知ってる?大好きなんだけど途中までしか覚えてなくて、
 だれの曲だか、わかんないんだ」
「ああ、アウミール・ギネトが歌ってヒットした "Conselho" だ。
 えーと、サビの歌詞はこんな感じ・・・。セカンド・アルバムに入ってるよ」
「やった! よし、さっそくアルバムを探すよ」

この年、モレーノ+2が来日し、今は亡きお台場のTLGで2日間のライヴを行った。初対面したドメニコは、モレーノともカシンとも一味違うファンキー・ガイ。で、このときのアンコールでモレーノとカシンとドメニコがフロントに並んで唐突に歌い出した曲が、「Conselho」だった。

すっかり長くなってしまった。まだまだエピソードがあるので、この続きは明日。