2005年09月12日

長期ツアーのためしばらくご無沙汰っす!

相変わらず更新が滞っておりますが、皆様におかれましては毎度のご来場、まことに有難う御座います。 実は、本日より南米ツアーに参ります。 その為、更新が更に滞ります。 次回の更新は、9月27日、10月9日、10月29日あたりを予定しております。 で、ツアーから戻るのは11月1日です。 先週はケネス・マクミランの「マノン」を公演しておりました。 自分は一幕の「乞食の首領」をやらせて頂きました。 何だかなぁ・・・。 ちなみにゲストとして元シュトゥットガルドバレエ団・英ロイヤルバレエ団のプリンシパル、ロバート・テューズリーが来て居りました。 色々と書くネタはあるのですが、残念ながら今はかけない状態です。 それでは皆様、ご無沙汰してしまいますが、変わらずのご贔屓、宜しくお願いいたします!!!!!!!


舞士

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2005年08月29日

ツアれぽ最終回とおまけ

昨夜、毎週土曜の夜の楽しみだった「遊幽白書」が終わってしまった。 アニメでもゲームでも小説でも・・・エンディングを迎える時の切なさは、俺様の心に一陣の冷たい風を吹かせる。 それは決して俺様の部屋の窓枠が傷んでいるせいではないのだ。 去り行く南半球の冬を名残惜しむように、外は雨が降り続けている。 雨音とセッションするボサノヴァを友として、我がツアれぽの最終回を綴るとしよう。


情熱?高熱!勝負はアドレナリン☆

テレビの前での「一人なりきり大会(るろ剣ばぁじょん)」のせいか、野朗とムードの有る部屋に居るせいか、はたまた美人薄命の宿命か、俺様はアントファガスタでの5回公演を前に病魔に犯されていた。 カンパニー付き整体士兼ドクター(ターバン巻いてオーム○理教のサマナ服みたいなのを着ている変なチリ人)から貰った怪しげな粉薬の効き目で熱は一時的に抑えては居るが、どう贔屓目に見ても俺様の肉体はモヤシ並に落ちていた。 粘膜が炎症を起こしているので呼吸も苦しい。 このコンディションで心臓破りの高速アントルシャ・シス16連が2箇所ある兵士を踊りこなせるのか!? 俺様、血吐いて舞台上で倒れるんじゃないか?? ・・・舞台に生きる芸人である以上、例えそんな運命が待っていたとしてもそれは本懐である。 しかしながら、命を懸けるにはあまりにもその他大勢な今回の配役。 どうせ燃え尽きるなら、「ロミジュリ」とか「マノン」のような作品でピンを張って劇中に・・・そう、だからこんな世界の果てのつまらない場所で雰囲気を醸し出している場合ではない。 思い起こせば、俺様が高熱を押して舞台に上がるのは今回が初めてではない。 14年間の舞台経験(学生・アマチュア時代含む)の中で、何度か死線を越えてきたのだ。 全てのエピソードを書くと長くなるので、初体験の時の思い出を書く事にする。

17歳の冬、日本バレエ協会中国地方支部の公演(参加者の実名は伏せるがバレエ関係者なら誰でも知ってる様なそうそうたる面子だった。場所は広島厚生年金会館)に参加させてもらった。 年に一度必ずインフルエンザに苦しめられる俺様は、その年も例に漏れず流行に乗り、公演2日前にぶっ倒れた。 38〜40℃の間を行ったり来たり・・・点滴をうって前日のゲネプロに何とか参加し・・・その後色白の俺様が更に白くなっているにも拘らず、優しい先輩達に連れられて夜の繁華街へ。 生牡蠣・広島焼き・・・死ぬほど広島名物をご馳走になった(と便宜上表現する。本音で言うと喰わされたが正しいのだが・・・)。 姿勢を正して席に付いていること事態が奇跡だった。 サイケデリックな模様が見えてしまうほど訳の判らない状態で何も食べたくない俺様に、「おい!これ喰え!!旨いで!?」と言って色々勧めてくれる優しい先輩達。  肺炎になりかねない状態の俺様の近くでパッカパカ煙草をくゆらせる優しい先輩達。 いわく、「煙草の煙で殺菌じゃぁ!」。 マジっすか?? 夜も更けて宴もたけなわ、「さぁ、二件目いくでぇ!!」優しい先輩達の死刑宣告にも似た陽気な声・・・俺様は覚悟を決めたね・・・さすがに。 そんな時、立ち込める雲を突き抜けてさした一条の光。「あぁ、俺はこいつ連れてホテル戻るわ」一人の心ある先輩が、三途の河原三歩手前に居た俺様を現世に引き止めてくれなかったら、あのまま向こう岸まで行っていたかも知れない。 捨てる神あれば拾う神あり。 タクシーに乗ってホテルへ。 「どうも、すんませんでした。」俺様は心から頭を下げたね。 「おお気にすんな。風呂でも入っとけ。俺、これからコンビニ寄ってからオマエの部屋に行くから」 はぁ??? 何だぁ??????? って言うか先輩まさかその筋の方ではないですよねぇ?????????  どうするんだよ・・・俺様ここで貞操を失う事になるのか・・・・。助け舟と思ったものが実は堵殺場への直行便だったというオチか? 笑えねぇ・・・ドナドナ・・・。 淡き青春の日々よ! そして全世界のまだ見ぬ美女達よさらば!!・・・・いろんな意味で死にかねない状態の俺様は、さっとシャワーを浴びて温かい格好に着替えて先輩がドアをノックするのを待った。 何分かごドアをノックする音がした。 審判の時は来たれり! 「はいぃ・・・」ドアを開ける俺様。 「オマエ、明日の舞台ヘマすんなよ!」と言ってずっしり重い袋を手渡してくれる先輩。  ぽかぁぁぁんな俺様。 「冷蔵庫の飲み物、高いからな。 それと明日はここから劇場へ直行しろよ。 明日の飲み物と弁当も買っておいた。 あぁ、栄養ドリンクは今飲むなよ。 寝れなくなるで。 じゃ、オヤスミ」 そう言うが早いか背を向けて、何処へとも無く去る先輩・・・飲みに戻ったのか部屋に帰ったのか、俺様は知らない。 ただ俺様は自分の妄想を恥、先輩の暖かい好意に感謝し、明日の舞台で死力を尽くす覚悟を決めた・・・。 


地の果てに居ても、目を閉じるとまぶたの裏に去来する走馬灯。 幾つもの死線を越えて生きた証。 俺様は一度も膝を屈しなかった。 「オマエ、舞台キャンセルしなよ!?」南米の友は言った。 しかし、俺は北半球で「舞士」として育てられた身。 その意地に掛けても目に物見せてくれる! 自己管理を徹底できずに自らコンディションを乱した恥は、舞台上で雪ぐ。 誰もが「こいつ仮病だったのか?」と思うほどのアートを見せて、名誉を挽回する。 大丈夫、これは不本意ながら何度も通った道だから。 要領は心得ているから。 腹に気合を入れて、脳内物質をハンパ無く分泌させると、不思議と湧き上がる糞力。 開幕の時間は刻一刻と迫り来る。 ウォーミングアップを済ませ衣装に着替えると、俺様の全身を駆け巡るアドレナリンは臨界2歩手前。 舞台監督のスタンバイが掛かる。 深呼吸をして心を鎮め、はやる気持ちの手綱を引く。 呼吸は大事だ。 ゆっくり深く息をして、体全体に酸素が行渡るようにし、筋肉を活性化させる。 炭水化物が糖に変換され、爆発前のくすぶりを始めた。 オーケストラの演奏が始まり、緞帳が飛ぶ。 キャプテン翼ばりに、体のいたる部分に声をかける。 誰にも見られない所で静かに祈りを捧げる。 いよいよ出番だ! 舞台に上がった瞬間、2800対1の視線戦。 ここで喰われたらもう終わり。 0・何秒かで全員ぶっ殺して踊り始める。 初っ端のステップ・・・プリエ無しの二番ソテ3連から五番スートニュ、極ドゥミ・プリエでアントゥルシャ・シス着地と同時に左トゥール・アン・レール・・・・熱のせいで筋肉が緩んでいるから腰砕けになりかけるのを、根性で引き上げて次のステップへ。 いつもよりも心なしか照明が目に沁みる。 急激に息を吸うと喉が切れるのか、変な味がする。 並のヴァリエーションに換算すると4曲分に相当するであろう兵士のコール・ド。 心肺機能は喘ぎ、脹脛とハムストリングスが絶叫する。 後半部分は、もう訳判らん状態。 俺様はヤクなんて死んでもやらないけど、きっとキメればこんな感じになるんだろうなぁ・・・って思った。  マリシア・ハイデ!貴方は鬼だ。 何で最後の最後にアントゥルシャ・シス16連から右ドゥーブル・シソンヌ膝降り何て入れるんですか!? 膝が笑ってプリエが効かないから右の膝小僧と足の甲は傷だらけです。 で、踊り終わったと思ったらドン・ホセを牢獄にぶち込んで、舞台袖へ。 速攻で早替えして密輸人に変身。 っていうかこの踊り、何でジャンプのアクセントが全部下なんですか? 誰か答えてチョウダイぃ!! マリシア・ハイデ!貴方はSですか? 途中のリフト、かがんで起き上がる瞬間に軽く貧血起こしましたよ!? 運が悪ければ、パートナーにバックドロップかけるところでしたよ?(PRIDEのヒョ−ドル対ランデルマンの時並の直下型) 踊り終わって袖にはける時、舞台装置で頭打ちましたよ・・・今年は舞台装置との相性が悪う御座いますよ? ・・・・まぁ色々有ったけど、一幕は人に判るミスも無く無事に終えた。 二幕は幕開きで飲み屋の酔っ払いの踊りがある。 まぁ、これは楽勝だったね。 何せ演技無しですでに千鳥足だったからね。 最後の36カウントほど頭をぶんぶん振り回すところは、気持ちよくなってました。 


文章にしてみても、我ながら意味が良く判ら無いが、こんな感じでツアーの幕は閉じられた。 皆さん!健康管理には十分気を付けましょうね!!!


おまけ
こんなバトンが回ってきました。

フェチバトン

■Q1■あなたは何フェチ?
横顔の表情。
夕焼けの海辺で、ふと会話が途切れた瞬間、そこにある表情。
言葉にならない言葉を饒舌に物語っているような、色々な感情が一つになったその表情が探究心をかき立てる。 そのミステリー、俺様は絶対に解き明かします!

■Q2■異性を見る時、まず何処を見る?
全身のプロポーションとそこから発せられる存在感の属性。
これは最早職業病。 ぱっと一目で全身を嘗め回すように見てしまいます。
お宝鑑定団の鑑定師並の目利きとなりました。 一瞥しただけでどんな厚着をしていてもプロポーションを見抜けてしまいます。 大体の体重やスリーサイズも判りますよ。 マジで。 後、やっぱり観てしまうのは存在感ですね。 その人の価値観や哲学がオーラになって出ますので、そこを見ます。  

■Q3■最近プッシュ出来る部位
全身。
だって、そう言う職業ですから。 体売って飯食ってますから。 プッシュできない体なら、舞台には上がってはいけません! その為の日々の精進ですから!(いや、調子乗ってすんません!)

■Q4■異性の好きな部位5つ
目元・口元・うなじ・腰周り・足元。
って言うか、好きな部位とか言われても、そんなもん前もって設定するか?
ビビット来たら、そこが好き!
 

■Q5■フェチを感じる衣装は?
機能美を追求した制服。
学生服はあんまり惹かれないけど。
無駄な虚飾を一切しない目的の為に研ぎ澄まされたセンスに魅力を感じる。
外道な事を言わせてもらえるとするなら、制服とは違うけど「巫女さん」の衣装も好きです。



  



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2005年08月15日

ツアれぽ3 長いぜ!?

「ツアれぽ」も三回目。 さて、今回もぬる〜くヌル〜ク行くとしようか。


イキケでの千秋楽、終演後に俺様は飯も食いに行かずにホテルに直行した。 晩飯に誘ってくれる同僚の声を振り切り、ステージドア前で出待ちをしているファン達(と言っても俺様のではない)を横目に走りながら、すでに俺様の右手にはホテルの部屋のカードキーが握られていた。 おそらく、その時の俺様を見たものは「必死たな」の印象を持った事だろう。 まるで、下痢と格闘する戦士の表情をたたえて居たに違いない。 刹那に脳裏をかすめる羞恥心。 乙女のように頬が紅潮しそうだった。 それなのに、二回公演の疲労と空腹を抱えた俺様が、何故夜のイキケの街を猛然とダッシュしたのか? 別に、女を部屋に待たせていたからではない。(え?そんな事は当然判ってる?) 一部の馬鹿者が妄想するように、男を待たせていたわけでも断じてない! なのに何故?? ふっふっふ・・・それはねぇ・・・ずばり、土曜の夜12時から2時までのお楽しみ「SAMURAI X」(邦題「るろうに剣心」え?逆?)を鑑賞するためで御座るよ。 公演がなければ、10時からの幽遊白書も見るところだったのだが、それには間に合わなかった。 だからこそ、何としてもジュディマリの歌う「そばかす」(るろ剣のオープニングテーマ)が始まる前にはテレビの前に正座して居たかったのだ。 「走れメロス」ばりに駆け抜けた甲斐もあって、11時45分にテレビの電源を入れ、チャンネルを「カルトゥーン・ネットワーク」に合わせる。 まだ幽白が放送中で、ちょうど仙水に幽助が入魔洞窟で一旦殺されるシーンをやっていた。 境界トンネル編の一大佳境なのだが、まぁ、こちらはコミックが日本の家に全巻あるから(俺様が所有する数少ない漫画本。大人買いした。)見逃しても良い。 途中から見ても、なんだか胸糞悪い感じがするので、幽白が終わる前にシャワーして、着替えて、さっぱりする事にした。 ・・・これが後日俺様を苦しめる要因になろうとはこの時は想像だにしなかったのだが・・・。 シャワーから上がると、CM開けで「そばかす」が流れはじめると言う、絶好のナイスタイミング。 と言う訳で俺様も一緒に歌った。 その週の放送は28〜31話「新たなる血戦への序曲・迫り来る狼の影!」 「史上最強の宿敵!襲いかかる非情の牙」 「復讐の悪鬼・志々雄真実の謀略」 「届かぬ想い……剣心の旅立ち!」(こちらでは、当然格話スペイン語タイトル。そのセンス無さと言ったら・・・) の4本立てだ。 先週までの生ヌル〜イ話から突然にシリアスかつフィロソフィックにストーリー展開が変化する、まさに重要な部分。 俺様としては、史実の人物であり「るろ剣」人気ナンバーワンキャラでもある、新撰組三番隊組長・斉藤一の登場に血沸き肉踊る想いだ。 ストーリの解説はよそで腐るほどあるので、ここでは割愛する。 俺様は格話を興奮と共に鑑賞した。 時より台詞を真似たり(もちろんスペイン語で)登場人物達が繰り出す技の数々のフォームを真似たり、一人で盛り上がりまくった。(傍から見るとかなり・・・な感じだっただろう。しかしながら俺様は変人ではない!・・・筈。) まぁ、何と言っても、「斉藤一」イカシマス。 「中途半端な強さなど無きに等しい。来い!!貴様の全てを否定してやる!!」と言いながら必殺技、「牙突・一式」を放つ。(史実の斉藤も突きを得意とする剣客だった) 俺様も真似てみる。 さすがに台詞は全く似合わないが、俺様も舞士の端くれ、「牙突」のフォームはなかなか決まっているではないか!?(部屋の鏡でチェック!) 巷の人にはちょっと出来ない、ダンサーとしての役得で御座る。 「どんな仕掛けがあるか知らんが、牙突で貫けぬものなど無い!」(西語・ノン セ ケ クラッセ デ トゥルッコス テンガス エスゴンディード アイ デントロ 。 ペロ ノナイ ナーダ ケ ウン 牙突 ノン ポエダ アルトラベルサール!!) とかマジでクールだ。・・・・・
唯一つ、気に喰わなかったのが、斉藤の座右の銘「悪・即・斬」(史実)が西語では何故か、「モルテ・ラピド・サングリエンテ」(速やかなる血塗られた死、とでも言うのか?)となっていたことだ。 何だこれは?? 

そんなこんなで、公演の後味を感じる事など無くアホ夜は更けていった。
風邪のウイルスが体を蝕んでいる事にも気付かずに・・・。


「アントファガスタ」へ
イキケからチャーターバスに乗って約6時間。(と言っても、チリの長距離バスは飛行機のビジネスクラスの座席を少し狭くしたような感じのシートなので快適そのもの!) 見渡す限りの褐色の大地。世界一の乾燥地帯「アタカマ砂漠」の単調な景色と太平洋の広大な蒼にはさまれた海岸沿いの国道を抜けると、第二の公演地「アントファガスタ」に着く。 背後にそびえ立つ、一滴の水分の存在さえ感じさせない台地から海へと続く狭い裾野にへばりつくように広がる港町、それがチリ北部最大の都市「アントファガスタ」だ。 北はアリカから南はラ・セレナまでどちらに向かっても延々と続く砂漠の荒野。 その中にあって、ここは都会的な居心地の良さを感じさせてくれる、いわばオアシス。 とは言え、日差しは強く緑も少ないためか、乾燥している印象を与える。 それでも、沿岸を流れる南氷洋からの寒流が運ぶ冷たい風のお陰で気温はそれほど高くなかった。 雨は年間を通じてほとんど降らず、季節も無いらしい。  19世紀半ば、鉱山技師フアン・ロペスによる最初の殖民以来、この街は内陸部からの硝石、銅、銀を外国に運び出す港として発展してきた。 当初はボリビア領であったが、ペルー・ボリビア、チリの三国戦争の結果により、1879年にチリ領に編入された。そして、この地方の豊かな鉱物資源は今日までチリの経済を支えてきた。

ご一行様は海に面して立つホテルにチェックイン。 オーシャンビューの部屋からの日没が最高の絶景との触れ込みであったが、野朗と一緒に眺めてもねぇ・・・と言う訳で、その日はリハーサルも無いオフの日なのでルームメイトと二人で夕暮れの街を、近くのショッピングセンターへと歩いた。 海沿いの遊歩道・・・可愛い女の子とだったら、どれ程良い雰囲気をかもし出せた事だろうか・・・。 妄想は良くない。「むさくるしい野朗が隣を歩いている」と言う現実と向き合い、闘った。 潮風の道を20分程歩くと大きなショッピングモールに着いた。 中にはフードアミューズメント、ゲームセンター・シネマコンプレックス・フィットネスジムなどなかなかの設備だ。 昨日の晩飯を抜いていて腹ペコだったので、とりあえず飯を食った。 その後映画を見ようと思っていたら、お目当ての「宇宙戦争」の上演時間までかなり時間があるので、それまでボーリングをして楽しむ事にした。 二人っきりで・・・。 ゲームの進むペースの速いこと速い事。 で、4ゲーム程した。 久々のボーリングだったがすこぶる絶好調でハイスコア(185)をたたき出してしまった上、生まれて初めてターキーと言うモノを体験した。(俺様ルールとして、ストライクもしくはガーターの場合はトゥール、アン、レールやソ・デ・バスクなどのバレエのテクニックを披露しなければならないという罰ゲーム?つき。周りの視線は気にするな。俺様達アーティスト。) ゲームは俺様の4勝で、ボーリング代と映画のチケットおよびドリンク&ポップコーン代も野朗が払ってくれることとなった。 勝利の後の束の間の幸福感が、引きつる右腕の筋肉の異変も忘れさせてくれた。(明日公演だぞ!?まぁ、Pas de doux無いから良いけど) で、その後キャラメルポップコーンをバリバリ喰いながら「宇宙戦争」鑑賞。 感想は・・・ポカ〜ン・・・だ。 エフェクトは素晴らしいが、俺には全く内容が理解できず、子役のダコダ・ファニングの叫び声だけが、印象に残った。 全ての代金を支払った哀れな野朗君はちょっとお怒り気味だった。 仕方ない。 俺様が晩飯を驕ってやるからな。 と言って、デリバリーのチリ料理を仕入れてホテルへ。 ん? んんんん?? モールを出ると何故か悪寒がする。 夜のせいじゃない。 何だ個の嫌な感覚はぁ??

ホテルに帰ると、仕入れた晩飯を食い始めた。 だが、味を感じない。 おかしい!! 俺のおかずは、牛肉を辛くいためたものなのに全然匂いも味もしない。 野朗に試食させると「辛いぜ!」と言う。 ということは?俺様の体がおかしいという事だ。 なんだか視界の端っこが暗いし、関節が痛む。 どうやらボーリングの疲れではない。 俺様は幼少の頃良く高熱を出すモヤシだったから、体調によっての体温変化を覚えていた。 体温計が無くても38・5度以上あることは明らかに判った。 俺様テラヤヴァス!! 明日からまだ5回も公演があるのだぞ?? とにかく、飯をかけ込んで、温かい格好でベットに潜り込み(人肌恋し・・・)消化を待って、熱い風呂に入り汗を出した。 そして速攻で就寝。 夜中に何度も目が覚めてその度に体調の降下を感じた。 これはワロせない状況だ。 翌朝、朝食を喰いにサロンに下りようとしたが、無理だった。 この日は4時からウォーミングアップ、その後若干のリハーサルの後、8時半から公演だ。 どうする? 俺様は薬は大嫌いだがこの場合、飲まないわけにはいかない様だ。 カンパニーつきの整体士兼ドクターに相談し、薬を頂く。 糞まずい粉薬だったが、普段薬品をほとんど摂取しない俺様の体には効き目が良く出た。 と言っても、以前体温は38度以上あり、コンディションは最悪さて、どうなります事やら・・・・

続く
 
        
  

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2005年08月08日

ツアーレポート2

毎度!! ご無沙汰かましておりました。 
自分本来の「怠け癖」が出てしまって、更新が滞っていたが今週から通常のペースで再開したいと思う。 

「10日間で10公演」
前出の通り、我々「サンティアゴ市立歌劇場バレエ団」ご一行様は、チリ共和国の空の護り、「チリ空軍第十航空群(通称FACH10)」の輸送機で公演の街に飛んだ。 フライトアテンダント無し、機内サービス無し、ただひたすら「武骨一辺倒」な輸送機での飛行は、一見無味乾燥なものを想像するかもしれない。 しかしながらそれは、京都山崎の気候に育まれたピュアモルトウイスキーのような「何も足さない・何も引かない」、まさに純粋なホスピタリティを不思議と感じさせる快適な空の旅だった。 「偽りの結晶」とも思える「合コン大好き高飛車破廉恥スッチ〜」の偽善に満ちたサービスなどなくても、機長の「3時間半の飛行を経て皆様を無事に目的にまでお送りします。」の台詞と、その言葉を実証させる確かな飛行技術があれば十分に空を満喫できるものなのだ。 機長の言葉通り、三時間半後には五体満足で(当然か?)最初の公演地「イキケ」に到着。 タラップを降り、男と男の約束を見事に果してくれた機長と副操縦士が、任務終了を喜び合っているであろうコクピットに向かい敬礼ッ・・・は、しなかったが・・・。 

太平洋岸の港町「イキケ」はチリ北端のタラパか州の州都であり、19世紀に内陸から産出する硝酸塩の積み出港(チリは世界有数の鉱物資源大国)として繁栄を誇った。その名残は今も、街の中心広場に建つ時計台やオペラハウス、バルコニーが施されたイギリス・ジョージアン様式の家並みに色濃く残っている。 現在は漁業が主要産業となっているが、近郊にあるZOFRIと呼ばれる自由貿易圏が、街に今も活気を与えている。 長大な砂浜を歩けば、さも当然のことのように「アザラシ」や「ペリカン」の群れが見られて驚いた。地名の「イキケ」とは先住民アイマラ族の言語マプチェ語で「嘘つき」の意味なのだとか(汗)・・・。 ちっちっち! 観光客狙いの商売人どもよ!! 俺様をだまそうと思っても無駄だぜ!? 何せこの俺様は、関西人様なのだからなぁ!! ウェ〜ッはっはっはっはぁぁ!!!

ご一行の宿舎は海岸に程近い小奇麗な4ッ星ホテル(組合協定でツアーの宿舎は最低4ッ星と決まっている。リッチな俺様達ご一行!)で、しかも公演する劇場まで歩いて0分45秒と言う絶好の立地で、しかも部屋はダブルのベットが二つの部屋で、うぅ〜〜ん朕は満足じゃ!! これで、一緒に居るのがむさくるしい「野朗」でさえなければぁ(怒)・・・。 まぁ、贅沢を言っては罰が当たるというもんだ。 欲望は出世した時の楽しみとして取って置くとしよう。 というわけで、到着早々荷物を解いたら劇場へ。 広場を睥睨するようにその劇場は鎮座していた。 かつて、街が華やかなりし頃の残影のように、一際豪華な概観。 こじんまりとしているが、イタリアルネッサンス様式を模した白亜のファサードが威厳を感じさせる。 内装はシンプルだが、壁は木目と白漆喰を調和させ、床面はやはり木目を基調としてアカのカーペットを敷いた上品な雰囲気。 客席内も馬蹄形のプラテアと三層のパルコ、その上に天井桟敷で、イタリアのオペラハウスを髣髴とさせる。 で、俺様達出演者にとって重要な舞台だが、こちらも本場イタリアを模した傾斜床だった。 舞台の床が、奥から客席側に3%傾斜している。 床が傾斜していると重心の移動が全く変わるので、他のメンバーは皆「半泣き」だった。 普段調子に乗っている奴まで心配顔。 「床が硬い」「すべる」と文句を受ける奴も・・・。フンッ! 温室育ちのモヤシどもめ!! 修行時代、イタリアのありとあらゆるタイプの劇場で躍らせてもらった俺様にとっては、こんなもの屁でもないぜ!!スカラ座の舞台は3.5%傾斜していたし、カターニャのギリシャ劇場は石の床だったし、ナポリの海辺の舞台なんぞ、夜露に濡れてツルッツルだったわ!もっと酷いのはヴェネツィアの運河に浮かべたフロートの上で踊った時。 カナルグランデを動力付きのフロートで流れながら踊った。 動力の振動は鬱陶しかったし、運河の水は汚くて臭かったし、浮き沈みする不安定な舞台は踊りにくい事この上なかった。 たかが3%の傾斜と、硬いとは言え木造の床と、少々古めのリノリウム敷きだからと言って泣き言をこぼすようでは、生き残れないぜ? 坊やたち??
まぁ、内心そう思っても顔に出したり、ましてや口に出そうもんなら、この俺様が抹殺されかねないので黙っていたが・・・。

演目は去年から散々踊っているマルシア・ハイデ版の「カルメン」だった。
俺様は、一幕では街の警備隊(ドン・ホセの部下)と密輸組織のメンバー(警官が夜に強盗になるのは発展途上国では良くあること。笑) 二幕では酒場の酔っ払い店員、と言ったストーリーには直接からまない、いわば端役だ。 まぁ、スペイン風の「愛・情熱・そして憎悪」を語るのに、日本人丸出しの俺様が主要キャストを占めるのは無理のある話だからなぁ。 まぁ、もっと芸術家としてのレベルが上がればそういう壁も越えられるのだろうから、日々精進あるのみ。 俺様は、これまで教育を授けてくれた人のお陰で、どんな役だろうが絶対に不平不満は持たないし、手抜きすることも無い。 ストーリーの雰囲気を壊さない範囲でメインキャストを喰ってやろうといつも企んでいる。(まぁ、なかなかだけど・・・) そもそも、端役がビシっとしていないと舞台が成立しないのだから、俺様達の責任も重大だ。 しかも、意外にも端役の踊りは、体力と精神力を主役達とはまた違った形で消耗するので、気を抜くと危ない。 群舞のフォーメーションを乱さないためには、自分の動きの呼吸を無視して全員の空気に合わせなければならないし、ステップの幅・ジャンプの高さ・回転の速度までもメンバーと同一化しなければならない。 音楽の誓約のの中とは言え、自分の呼吸と動きを自由に出来るピン芸人とはその部分での重圧が違う。 と言うわけで、観客の皆様には、地味に徹する端役の「縁の下の力持ちアート」にも目を向けてもらいたい。 

イキケでの5回公演は大盛況のうちに幕を閉じた。
ただし、4回目の公演の最中に「停電」と言う珍事に見舞われたのだが・・・。 この地方は、俺様達の公演の数週間前に大地震(と言ってもイキケは震源地から100KM以上離れているのだが・・・) があったためライフラインがまだ完全に復旧しておらず、その作業中の送電チェックで停電したらしい。 それにしても、公演中に停電とは、俺様にとっては始めての経験であり、貴重な思い出となった。 なんせ、踊っている最中に何の前触れも無く真っ暗になってしまったのだから。 それこそ自分の手を顔の前に持っていっても見えないくらいの完全な暗闇だ。 驚いた。 意味が判らなかった。 人間、想定しない状況に突然放り込まれた時、しばらく思考が停止してしまうものなのだ、と身をもって体験した。 
それで、電源の復旧を待って最初からやり直し・・・。
と言うことは・・・何だ? 俺様達は5回半公演をしたと言うことになるのでしょうか???

次回へ

  


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2005年07月21日

北チリツアーから帰って来たのですが・・・1

集団行動、特に他人と寝食を共にすることが大嫌いな俺様にとっては、楽しみに欠けまくる国内ツアーから先日帰還した。 行き先は、去年のこの時期のツアーと同じで、北部の「イキケ」と「アントファガスタ」の二箇所で、日程は10日間、公演回数も10回となかなかハードなスケジュールだった。 移動と休息日を除いて公演日は6日間。 つまり二回公演の日が週に4日有ったわけで、なかなか挑戦的な内容に俺様は疲れ果てて、最後の2日間は39度の熱を出しながらの4回公演となった。 我々にとっては体調管理も重要な仕事の一部なので、コンディションを保てなかったことに反省し、今後に繋げたい。 さて、今回は北チリツアーの内容がどのようなものであったか、かいつまんで紹介していくことにしたい。

「初日」
出発日の朝、俺様は朝5時半に起きた。 夜行性である俺様にとって、早朝に起床することは身を切るような辛さがあるのだが、前日に荷造りなどこの俺様に出来るはずも無く、断腸の思いで暖かい布団に背を向けた。 カーテンを開けてもまだ真っ暗な外の世界の中、俺様の部屋のハロゲンライトは一際明るく輝いた。 完全には開かないまぶたに叱咤激励しながら、必要なものを鞄に詰め込み、その後軽く朝飯を食った後シャワーへ。 風呂場に充満する湯気が寒い朝には一層濃いく、蝋燭の光を点けたならさぞ幽玄の雰囲気をかもし出したことだろうが、残念ながらこのときは備え付けの電気を使っていたのが心残りとなった。 シズカちゃんバリに体中泡だらけにしながら鼻歌を歌っていると、突然「ぶ〜ぶ〜ぶぶ〜〜〜〜」と朝の静寂を突き抜けて、大音響のインターフォンが鳴り響いた。 迎の車が予定よりも10分早く来てしまったようだ。 「ぶ〜〜ぶ〜〜ぶぶぶぶぶ〜〜〜〜!!!!」糞ッ!! 愚か者の管理人め! こんな朝早くに近所迷惑になるのが判らないのか!? 泡だらけのまま返事をしに走る俺様。 「シヴァクゾ!?ゴルァ!!」と言ってみるも、家のインターフォンはぶっ壊れているので、俺様の声はアフォ管理人には聞こえない。 仕方が無いので狂ったように鳴り響く大音響を無視してシャワーに戻り、悠々と体を洗い、乾かし、着替えてロビーに下りた。すると迎の車の運転手が「旦那、急いでもらわないと困りますぜ・・・」とぬかす。 「済みません。でも、貴様の会社のオペレーターは昨日の確認の電話で7時5分に来ると言っていた。貴様が着たのは6時55分だ。ちなみに今は、7時3分であり、俺様はこれでも予定より早く行動している!!」と怒鳴りつけてやった。 なんせ嫌いなツアーで気が立っている上に早朝、寝不足、インターフォンの大音響で完全に切れまくりモードだったもんでね。 それから、カツカツと管理人のカウンターに歩み寄った俺様。管理人が「何やってんだ?」みたいなことをぬかしたので、俺様「インターフォンが壊れているのは前から言ってあるだろうが?今何時だと思っている!?」と一喝。 管理人「はbshjsb」 俺様「黙れ!今何時だ??」 ぶちきれた俺様を止めれるものは居ない。 管理人にはきっちりと謝罪させた。それから、近所の人の迷惑になってしまったので、そちらにも謝罪するようにさせた。 そんなこんなで迎のヴァンへ。 するとドアが開かない。 「??」 運転手と顔を見合わせる。 「!!」何とキーが車内に残ったままドアがロックされて居るではないか! 何たる間抜け! このヴァンで俺様以下8人を空港まで連れて行かねばならんというのに・・・。 緊急措置として、車上荒らしが使うこそ泥テクニックで窓を開け、そこから俺様が(オッサン、デブ過ぎ)車内に潜り込んでロックを解除した。時計を見るとすでに7時10分。次の人をピックアップする時間になっている。 急がなければならんというのに、「次の人の家まで、旦那が案内してくれますか?」と言う運転手。「??信じられん。」 と言うか、俺様は誰が何処に住んで居るかなんて知らんし。 先の思いやられる出発となった。 こんな感じで全員をピックアップし、空港に付いたのは予定より35分も遅い9時10分。 ちなみに飛行機の出発は9時40分。当然他のメンバーはとっくに到着していて、搭乗手続きを終えていた。 俺様たちは普通のエアラインなら間に合っていないところだった・・・だった、と言うのは、俺様達は国内をツアーで移動する時は旅客エアラインは使わずに、チリ空軍の輸送機で移動するのだ!!!(信じられますか??) だから空港も国際空港に隣接した空軍の基地飛行場だ。俺様達も搭乗手続き。 と言っても、身分証明書を提示して荷物を預けるだけ! ボーディングパスや荷物の引換証なんて無い。 手荷物検査も、金属探知機も無い。 まさかここでハイジャックが起こるなんて事は無いのだろう。 なんせここは空軍の基地であり、本来なら、民間人なんて一人も居ないのだから。 ここは男児なら涎が垂れまくるであろう夢のような光景が広がっている場所。 戦闘ヘリや戦闘機・爆撃機なんかが普通にハンガーに駐機されている。 これを見て俺様は一気にご機嫌を回復したね。 まぁ、軍の基地なので当然写真は撮影できないが、心にしっかと焼き付けておいた。 今回、俺達を目的地まで輸送してくれるのはチリ空軍第十航空群(Fuerza Aerea de Chile Gruppo10) 略称FACH10だ! ファック10(ちなみに10はスペイン語でディエスと言う。と言うことはファックディエスとなり・・・クレイジーだぜ!Yo)とは素晴らしい!! まさに男達の集団だ。  俺様達が乗り込むのはボーイング737型を改造した機体。塗装はチリ空軍色に染められて精悍な感じだ。 通常のものよりも床が高く、胴体の下にたくさん積み込めるようになっているタイプだからキャビンの天井がとても低かった。 通路もサービスカートなんか通らないので狭かった。闘う男達の仕様だ。 操縦も一味違う。 普通ならタラップを外してからランウェー(滑走路)までのタキシング(地上滑走)はエンジンを絞りながらゆっくり行うものだが、ここではいきなりフラップ(補助翼)を出しながら高出力でがんがん行く。 ランウェーに付いたら一旦停止して管制塔の指示待ちをするのだが、ここではハンガーからタクシーウェー(誘導路)を一気にランウェーまで走っていって、一旦停止などせずに一気に滑走を始める。 乱暴な奴等め! さすがはファック10だ! そして離陸。 旅客機よりも幾分上昇角度がキツイのか、Gを感じる。 翼に目をやると、早くも雲を引いている。 気流を乱している証拠だ。 心の中でトップガンのテーマが流れた。 まさに危険な空へとまっしぐら! 俺様の内部は闘う兵士の心境に変化していった。 まぁ、いいじゃないか!? だって今回の演目は「カルメン」で、俺様が踊るのは兵士の役なんだから。

次回へ!! 

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2005年07月04日

巡り巡って

いやいやいやいや、電網の世界は無限に広がっているようで、以外に狭いものなのかもしれない。 こんな、世の中の一番端っこのブログにも最近流行の○○バトンが回って来ましたぞ。 しかも2つも。 一発目は、我が肉兄弟「たつや」兄貴から渡されたミュージックバトン。 二発目は、徳島系サンティアゴ人「ちりっこ」さんからのブックバトンだ。 この○○バトンって、仕組み的には明らかに「ねずみ講」だよな!? さて、前置きはこれくらいにしておいて早速行ってみようか。

1.Total volume of music files on my computer
(今コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)

0です。 ハイ。 俺様は、1980年生まれ最後のアナログ人間。 ネット上で音楽をダウンロードする、といった高等な先進情報技術は全く持ち合わせておりません。 せいぜい、○ビデオをダウンロードするくらいが関の山です。 申し訳ない。

2.Song playing right now
(今聞いている曲)

ただいま、俺様へヴィーローテーション中の曲は、I'M GETTING SENTIMENTAL OVER YOU と言うジャズナンバー。 Bill EvansとJim Hallのディスク、UNDERCURRENTの8曲目に収録されている。 これを聞きながらストレッチすると、筋肉も筋も伸び〜る伸び〜る。 インド人もビックリ! 一言でこの曲を表現するとしたら・・・シットリスベスベ!!

3.The last CD I bought
(最後に買ったCD)

Takashi STORM ZONE と言うディスク。 我が地元神戸(実際は彼は芦屋市民)が誇る新進気鋭のジャズピアニストTakashi Matsunaga君のアルバム。 ほとばしる若さが素晴らしい。 音に艶はまだ全然ないけど、とにかく力でがんがん迫ってくる感じが心地よい。 音楽学校で教育を受けたわけではないのに、このテクニック。 もしかしたら、学校で学んだものでないからこその枠にはまらない疾走感なのだろうか? 

4.Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me
(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

質問が微妙だなぁ。 その時の気分で感性が変わるから、どれ? と書きかれても普通答えられないでしょ?? まぁ、しょうがないから今の感覚で行くと・・・
1. 亜麻色の髪の乙女 作曲ドビュッシー
こびり付いた疲労感を洗い流してくれるような、清涼感のある一曲。 一人の少女が大人への壁を越えようとする一時期を描いたこの曲は、色々な感情表現に満ちている。 クラシックは演奏者によって全く違った顔を見せるもの。 俺様の特に気に入っている亜麻色・・・はPascal Rogeの演奏。 中性な感じが良い。 Benedetto Michelangeliの演奏も良いが、こちらは俺様の感性から言えば少し男っぽい演奏かも。 テクニックは凄いんだけどね。 この人は爺さんになってからもフェラーリ乗り回して女をブイブイ言わせてた方らしいのでやっぱその辺りが出ているのか? ロジェのほうがテンポも音の質もふさわしいように思う。

2. Le Quattoro Stagioni(四季) 作曲ヴィヴァルディ
一般に聞く四季は俺様にとってとても「タルイ」曲。 しかしながら、IL Giardino Armonicoと言うイタリアのオーケストラが演奏する四季に俺様は脳天から股間をまっすぐに貫かれた。 純粋なバロック音楽であるにも拘らず、プログレッシブロックを聴いているかのような錯覚に陥らせる、このミスマッチアイデンティティー!! まるで音が質量を持っているかのように迫ってくる迫力。 そして、目を閉じればありありと浮かんでくる季節の情景。 ヤヴァい。 薬をやったかのように飛ばされること間違いなし!! 読者必聴の作品。 TELDECと言うレーベルから出てます。 

3. 組曲惑星から火星 作曲ホルスト
パワーが不足している時、いつも充電してくれるのがこの曲。 朝の目覚めにこれをかませば、一日乗り越えられる。 近所迷惑になるギリギリの音量で聞けば、俺様の魂に戦の神がフュージョンする。 闘えメイドインジャパン! そんな気持ちにしてくれる存在。 俺様が特にお勧めするのは、Karajanが指揮するベルリンフィルかMehtaが指揮するロンドン響の演奏。 我が尊敬する世界の佐渡裕氏の師匠であるBernsteinの指揮も良いのだけど、未だに良い音源に出会えずに居る。

4. 鏡の中の鏡(チェロとピアノによる) 作曲ペルト
テーマをひたすらひたすら繰り返していく曲だが、その中に色々な表情が隠れている一曲。 北欧の港町の夜、しんしんと降り積もる雪に昼間の喧騒がかき消されていくような哀愁。 風呂場で聞いていると、完全な孤独の世界に入り込める。ヴァイオリンとピアノによるヴァージョンもあるが、俺様はチェロとピアノによるヴァージョンの方が好き。 この曲は、スウェーデンの振付家、マッツ・エックがシルビー・ギエムに振付けた「スモーク」と言う作品に使用されている。 

5.Come Back to Me M-flo
最後に失恋した時・・・その節は随分とお世話になりました。
俺様のあの時の気持ちを、声に出来なかった感情を、完全に代弁してくれました。 幸運にもこの曲が隣に居てくれたお陰で、惨めにも涙に暮れることはなかった。 思い出を汚す事無く箱にしまえ込めたのもこいつのお陰。 傷の舐めあいなんて糞食らえと思っているけど、舐められていたかも・・・。
ポップスで俺様に干渉するほどのパワーを持った曲は、多分後にも先にもこいつだけ。 


続いていってみよう「ブックバトン」

1.持っている本の冊数

これは、どういう意味かな? 今、チリの家にある本棚に収まっている奴の数を言えばいいのかそれとも、所有している全てを数えるのか・・・とりあえず今ここの本棚には100冊チョイあるねぇ。ほとんど、歴史ノンフィクションか、伝記ばかり。 普通の人が見てもツマラヌものばかり。 後、日本とイタリアのに置いて来た奴を入れれば、まぁ大体900前後有るのではないだろうか。 昔は結構サブカルチャー系何かも目を通していたし、後いろんな地方の郷土史なんかも興味が有って読んでいたよ。 それも、戦国武将の事をより理解するためにだけど・・・。

2.今読みかけの本

「指揮官とは何か 日本海軍四人の名指導者」 吉田俊雄 著
組織が活気を帯び、士気が高揚し、皆がやる気を出す指揮官は、如何にして生まれるのか。 山本五十六・米内光政・井上成美・小沢治三郎ら四人の海軍軍人に見る指導者の研究。 彼らが如何に心を砕いて事態に対処し、現場の指導を実践したかを具体的に示し、その大きな魅力となった人間形成のありようを伝えてくれる一冊。

3. 最後に買った本(既読、未読問わず)

最後に買った本は、この間日本に帰った時に買った40冊ほど。海外に出てこの八年、本を買うときはいつもガバッと一気に纏め買いするもんだから、この質問には答えられないね。 大体、光人社・PHP・新潮社・三笠書房のものが多いです。 岩波とかは絶対に買いません。 たまに学研のも買うかな。

4. 特別な思い入れのある本、心に残っている本5冊

って言うか、本をたくさん読む人間には酷な質問じゃねぇのか?? 音楽の奴もそう思ったけど、質問を考案した野朗の感性と品位を疑うね俺様は。 昔の女の中かでどいつが一番良かったか? って質問と同じレベルじゃないか?
とか言いつつ答えますけど・・・

1. 「武士道」 新渡戸稲造 著
この本は、俺様が自分の人生を生きていく上で、骨格とも言える様な何かを形成してくれた本。 地に脚をつけてまっすぐ立つ拠り所。 世界の主要なほとんどの言語に翻訳された日本が誇る不朽の名著。 日露戦争時、金子堅太郎が伊藤博文の命を受け、単身アメリカでその世論を日本の側につけるべく活動した際に唯一日本から持ち込んだ本。(と言っても原版は英語にて出版された)
我が人生はかくて淘汰された!

2. 「大空のサムライ」 坂井三郎 著
出撃、二百数十回・大小敵機撃墜64以上・その間、列機を一機も失う事無く自信も撃墜される事無く死闘に勝ちを収め続けた、日本海軍が誇る屈指のエースパイロットがその体験を描いた一冊。 世界47カ国で出版された。内なる戦い、外なる戦い、逆境に決して屈しない折れない心をどう養うか?死中に活を見出す闘魂。 俺様はその魂をいつの日にか手に入れたい。

3. 「孫子」 孫武・孫濱 著
中国最古の兵法書。 その説く戦略は現在の社会でも、そして個人の人生の中にも応用しうる普遍の術。 行間に込められた教えにもどんどん目を通していけば、本当に驚くほどの実用書であることが判る。 今なお全世界の士官が必読書とし、ビジネスマン達にも愛読される名著。 俺様が迷ったとき紐解く一冊。

4. 「英霊の言の葉」
この本は続けて一ページ以上読めたことがない。 

5. 「DEEP LOVE」 YOSHI 著
俺が人生の中でであった最悪の本。 今も日本からテープを送ってもらって聞いている深夜ラジオでぼろ糞にこき下ろされていたので、逆に興味がわいてしまって買ってしまった本。 フォアグラと大トロとキャビアとカラスミと・・・それらをミキサーにかけてペースト状にしたかのような文体とストーリー。 これを読んだ人間300万人のうち何人がこの本を床に叩き付けたことだろう。 それとも俺様の感性がひねくれているのか?? 逆の意味で心に残る一冊。

次にバトンを渡す人は・・・・
始まり有れば終焉あり! 俺様は誰にもバトンは渡さない。 もし引き継ぎたい人が居れば、どうか自主的に引き継いでください。 見に行きますので、コメント欄に一言残してくれれば幸いです。

さて、今回はムダに長くなってしまった。
今週は他にも書くネタがあったんだけど、また次回にします。
あぁ、今週末から、チョックラ国内ツアーに10日ほど出ますのでその間更新が滞りますが、どうか変わらずご愛顧下さい。 俺様は皆様の声援を燃料として活動する生き物です!! どうぞ宜しく!!!!

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2005年06月27日

繰り返す葛藤もしくはHedgehog`s Dilemma

毎朝、決まった時間に鳴り出す目覚まし時計。 その後に続くお決まりになった一連の動作。 もう何百年繰り返してきたのだろう? そんな錯覚に多少しか感じない違和感。 心の隙間に取り付いた、灰色の泡が、その回数を数えることすらやめてしまった、お馴染みの思考をフラッシュバックさせる。「昨日をコピーしながら生きている」と。 この世界の渦の中で、いつ果てるともないこの毎日を、疑問符無しで歩いていくには余りにも氾濫しすぎた情報の流れ。 ただでさえ見えてこない「道」が更に曖昧になって行く。 情報はすでに、進歩の為の道具ではなくなってしまっているのだ。 そう、この世の中は、「解明する」と言う動詞は「謎に堕ちる」と同意語になったしまった。  限られた空間に可能な限り凝縮された人々と情報。 実像を結ばせるには余りにも近くなりすぎた視点が、誤作動して見せる虚像が、自分を虚しい存在にしてしまう。 自分の歩く速さより、周りの風景の移り変わりが速く感じられてしまうばかりに、後退していく「自我」を、どうやって護ればいいのだろう? 

誰かに質問してみたくて、近くに居る誰かの側へ駆け寄った。 その刹那、何かが刺さる感触・・・「痛ぇ!!」・・・突き抜ける激痛。 目に映る、突き刺さったトゲ。 「なんちゅ〜事しよる??」帰ってくる「何が?」と言う返答。 そうか・・・自ずと導き出された質問に対する解答。 人は自分を護るために、無自覚のうちにハリネズミのようにトゲを心にまとっているのか。 自分の世界に他人が入り込めないように、武装した心。 余りにもナイーブな「何か」を盗まれたくなくて張り巡らされた、攻撃的予防線。 「知る」事が「謎」であるばかりに閉ざしあう心と心。 過剰な情報に対する過剰な拒絶反応は、他人の存在さえも情報として認識してしまうのか? 異物を寄せ付けない聖域。 それはきっと、情報が氾濫する以前から皆が持っていた物。
それが、現在ではその結界の範囲を設定し、「良し」「悪し」をシミュレートする前頭葉が「情報の海の過負荷」に耐え切れず暴走させられた事によって、肥大してしまったのだろう。 

トゲの内側に閉じこもっている限りは絶対の安心が得られる。 誰も覗くことさえできないし、誰の声も届かない。 競争も無い。比較する対象がここにはやって来ないから。 ・・・しかしながら・・・同時にそこは完全に孤独な世界。 「自我」以外には何も無いばかりに、絶え間なく感じる喪失感に支配される場所。 怪我をしない代償はまるで懲役刑・・・引きこもって居ても幸せにはなれない部屋。 差し入れを持って面会に来る者は居ない。  
やがて「自我」が自ら招いた飢えと乾きに苛まれた時、恐怖心に耐えかねて誰かに助けを求める。 誰かの側に駆け寄る、そして「痛ぇぇ!!」突き抜ける激痛・・・・。所詮、ハリネズミ同士では抱き合うことは出来ない。 
他人を傷つけた、その同じトゲで今度は自分が傷つけられた。  その時、人は過ちを省みてトゲの変わりに思いやりを芽生えさせるのだろうか? それとも更なる恐怖と憎悪にトゲを強化するのだろうか? ただ、確かなのはどんなに望んでも、矛盾を抱えたままでは、温もりを分かち合うことは出来ないと言う事。 

何日も降り続いて、俺様をこの上なく不愉快にしていた雨がにわかに止んだ。
劇場に出かけようとする俺様のタイミングを見計らったかのように。  精密機械の様に、毎日決まったスケジュールをこなす俺様が家を出る時間を、空が知っていたとしても別に不思議には思わない。 「ガチャ・ガチャ」と二つある鍵を厳重にロックした瞬間、俺様の前頭葉の電源が切れて、俺様は猿に戻った。 間違いなく、今現在も情報の奔流は俺様を流し続けている筈なのに、猿に戻った俺様はもう何もその影響を受けていない。 そして見えてくるもの。 濁流の中に見出せずにいた、小さな光。 「そうか」 これを拾ってつなぎ合わせていけば、きっと毎日は「昨日のコピー」ではなくなるはずなんだ。
そう思えた瞬間の俺様に、誰かが抱きついてきたとしても、多分怪我はしないだろう。 さっきまで有ったトゲはどこかに消えてしまったから。 世の中の美女達よ!さぁ、遠慮なく俺様に抱きついていらっしゃい!!・・・無駄な雑念がよぎって、再び前頭葉の電源が入ってしまった。 いつの間にかトゲも復活している。 「ポーン」と鳴ってエレベーターの扉が開く。 そこから流れ出す情報の波。 また今日も、ハリネズミ男として生活しなければならない。 あぁ、いつか猿のように惑わされずに生きていくことが出来る日は来るのだろうか? 大好きな人と、傷つけ合わずに抱き合える日は来るのだろうか? 毎日色を変えていく木の葉のに目をやる余裕が持てるだろうか? 多分、その日に、俺様は真の「ARTERRORIST」になっているだろう。 舞台の上で自分を偽らずに、言葉の無い言葉を発信できるモノになっているだろう。 

世界を蹂躙し続ける情報。だけど、その中に人を幸せにしうるメッセージは限られている。 情報が皆無だった太古の昔から、その量に変化は無い!!


土曜の夜のお楽しみ
土曜の夜は、アニメ専門チャンネルで「幽遊白書」(タイトル同じ)と「るろうに剣心」(スペイン語版タイトル/SAMURAI・X/これからしてヤヴァくない?)を、各二時間ずつ放送しているので、それを見て楽しんでいる。 スペイン語の勉強にもなって一挙両得だ。 しかしながら、時折頭を抱えざるを得ない事態が訪れる。 「るろうに剣心」を見ていると特にその頻度が高い。 原因はスペイン語の発音にあるのだ。 まず主人公の緋村剣心がイムラ・ケンチン。(Hは発音しない。SHIはチと発音する)神谷道場の門下生、明神弥彦がミョウヒン・ジャヒコ(JIはヒと発音。YAはジャ。)変わった発音をされるからだ。アクセントも変だから、これは悲劇的に笑える。昨日の夜の一番のヒットは新古流と言う部分の発音が日本人視聴者に対しては放送禁止用語と化していた事。 悪党(名前失念)が「我が新古流は最強の剣術なり」と言う台詞の部分。 皆さんSHIはチと発音するのですよ?? さぁ、大きな声で発音してください!! 「我が新古流は最強の剣術なり」と!!! 


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2005年06月20日

静止しない灯に心重ねて

一滴一滴、若干緩んだ蛇口から雫がこぼれ落ちて、その度に水面に幾重もの波紋を広げていく。 俺様の心臓の鼓動が規則正しく刻まれるように、まだ熱を失っていない蛇口が流した涙が伝えるリズムも等間隔で広がって行く。 存在を声高に主張しない淡色の女声ヴォーカルと、こぼれ墜ちた「それ」の奏でる和声以外、俺様の鼓膜には何も響いてこない風呂場は、まさに優しい母胎。 さしずめ「魂の座」。 「トメ」の中で揺らぐ火を眺めていると、いつの間にか俺様の「肌」と「水」の境界線が曖昧になって、体が溶けてしまったかのような感覚がリアリティを持つ。 一日中、酷使された心身が初期化されて行く。 「明日こそ、彼女は俺様の名前を覚えてくれるだろうか?」 ドイツからやって来た振付家が「ミスター・ジャパン!」って俺様を呼ぶ事に多少感じる怒りも、ここに来れば違う感情に置き換えられる。 「ミスター・」ジャパン。そうや!俺様はここじゃ日本代表や!!」 俺様じゃない人が、就寝前のひと時を覗き見したら、「鬱病なの?」と思われかれない一幕は、実は+思考の源泉。 たまに「名湯の素」を入れた温泉。 相変わらず波打つ波紋は、途切れる事無く語りかける。 言葉の無いメッセージ。 俺様が手に入れたいモノ。 それがこれ程までに饒舌だったなんて、気が付いたのはいつだったのだろう。 

イタリアで働いていた頃、風呂桶の有る家にはまだ住めなかったあの頃・・・やっぱり俺様は揺らぐ灯と無限に広がる波紋と優しい和声に心を重ねていた。 家から歩いて一分以内の海岸。 昼間の賑わいが幻だったかのように静まり返った地中海のふち。 リグリアの終点、トスカーナ・エトルスキ海岸。 波の砕け落ちる音以外、虫の声さえも届かない、怖いほどの沈黙。 寝静まった田舎町の街灯よりも直に染み込んで来る「満天の星」と「柔らかい月」。 そして、それに共鳴する夜光虫の青白い光。 航海灯の後に続くか細いウェーキーが、かろうじてそこに母港へ急ぐ船の存在が有ることを伝える以外には、まるで墨を流し込んだかのような、引力を持った水面。 太陽がこの世を謳歌する時間帯に、それはエメラルド色だったのに・・・。 同じ時間に俺様自身はどうだったのかと言うと、師の教えを理解できずに悶え、貧乏に喘ぎ、不安に身をやつす一匹の哀れな小猿だった。 何も、何も持っていなかった。 唯、崩壊寸前の精神を支えてくれた「海」と「星空」と「静寂」があった。 空っぽの器は、それに何の拒絶反応も起こさず、受け入れることが出来た。 俺様の中に不協和音を出す要素は無かった。 大きな「何か」の前に余りにも小さな自分。 俺様の感じていたモノは、世界の状況に影響を与えない。・・・「それがどうした!?」 宇宙最強の箴言を授かったにはこの時だったのだろう。 この一語は他の百万語をもってしてもう打ち破ることが出来ない、魔法の言の葉。 無限の波動の中で、ちっぽけな自分の震えなんて何ほどの意味も持たない。 感情は、立ち位置を変えることによって表情を変えるモノ。 だから・・・。 俺様は嘘つきじゃないつもりだから、痛みを感じないなんて言わない。 でも、不思議な呪文を唱えると、闘牛士のようにヒラリヒラリと身をかわすことが出来る。 それが・・・。まず、一番初めに言葉の無いメッセージが教えてくれた言葉。 

それより更に以前、俺様は世界一素敵な街「神戸」に居た。 海と山に挟まれた、洋の東西が出会う終着駅。 高い場所から見下ろすと、そこには1000万ドルの輝き。 一杯に詰まった宝石箱なんて持たなくても、ここでは誰もが億万長者。 栄枯盛衰が織り成す怪しい光。 低い場所に行けば、そこはかつての世界四大港。 栄光と挫折の積み下ろし場所。 その香りに誘われて、集まる男や女。 そこに、ぽつんと場違いな俺様が一人。 幾つもの、下心と下心の駆け引きには耳を貸さずに、俺様は一人の世界にトリップしていた。 俺様の座っている場所を基点として「あの世」と「この世」が縁を切る。 その境目から発信される言葉の無いメッセージ。 その頃、俺様の感性はそれを受信できるほどには成熟していなかった。 それでも、何か波紋が伝わってくるのは本能的に理解できた。 そして、そのときはきっとそれだけで十分だったのだろう。 光と波が奏でる旋律の戦慄。 あるいは華麗なる残酷。 

物心付いた頃から、俺様はそれらのものと自然に会話する環境の中に居た。 「幼い」と言われるには少しばかり歳をとった今日の俺様。 しかしながら、未だに母の胎内に安らぎを求め続けている。 水と光とその波動に、静止しない灯に心を重ねて生きている。


近況報告!
俺様、生まれて初めて「全幕作品」の中でストーリー進行にかかわる役を頂きました。 シェイクスピアの作品「じゃじゃ馬馴らし」を南アフリカ人振付師、伝説のジョン・クランコがバレエ化した喜劇。その中で、「オルテンスィオ」と言うエレガントになりきれない、おっちょこちょい偽リュート弾きの役です。と言っても、俺様はセカンドキャストですが・・・それでも結構!この役の初代は、ジョン・ノイマイヤーが、そしてその時のセカンドキャストはイリ・キリアンが勤めたものです。この二人は20・21世紀を代表するバレエ界の巨匠となりました。俺様も少しはあやかりたいッ!!!
皆様がいつも応援してくれるお陰で、不肖俺様、とうとうここまで歩いてこれました。 新たなスタートラインに皆様と共に立つ喜びを今かみ締めております!!

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2005年06月13日

雨、見慣れた天井、大人へ至る裁き、そして・・・

人の心は、同一の事象に対しても、その時の感性のコンディションによって、幾通りもの受け止め方をするものだ。 冷静な自分が「爪の垢」程でも心象風景の中に残って居れば、ある出来事に対応する感性を尺度に、自分の精神的欠乏を知ることが出来る。 名前は忘れてしまったが、何とか言う心理学上の法則が有るらしい。 それに今の自分を当てはめてみて分析すると、どうやら俺様の精神は「哀愁」を感じることを欲しているようだ。

 地球のケツに住んでいる俺様は、「冬」の季節を向かえ、青空を見上げる機会がめっきり減った。 少し前の俺様は、「抜けるような蒼空」か「澄みきった星空」の時以外、空を見上げることは無かった。 乾いた土壌に、水が素早く染み込んで行くように、何の抵抗も無くその陽性の力を受け入れられた。  逆に、「曇り空」はもちろん「夕焼け空」も俺様は大嫌いだった。心が少し痛むような、あの何かを切り取られるような感じがたまらなく嫌だったから。
陰性の力が例外なく俺様の中の全ての人格を下向きにさせた。 それが今、変わってきている・・・。 細い雨が降りしきる中でも・・・そして日暮れ前、それが上がったほんの瞬間に、雲間から差し込む日の残光が、アンデスを茜色に染める幽玄の中でも、嫌いだったあの空を見上げるようになった・・・。 心をざわつかせる、あの感じは変わらない。 その感覚から逃げ出したい自分もあの頃となんら変わらない。 ただ、一点違うことは、サディスティックなもう一人の自分が心象風景の住人に加わって来た事。彼が、逃げ出そうとするもう一人の自分を羽交い絞めにして、それをゆるしてくれない。 何の変哲も無い、俺様にとってただ鬱陶しいだけの、過去のアルバムの中にも収められて居る一コマ。 そこに、彼によって今までは写らなかった「モノ」までも付け加えられて行く。 まるで、陵辱されたような嫌悪感。 そして、今までの風景を護ろうとする抵抗。 しかし、それと同時に存在する、カタルシスを得たもう一人の自分。 静止した一瞬の闇。

仕事を終えて家路を急ぐ俺様は、地下鉄のトンネルを出た瞬間に白昼夢の虜にされて、駅から部屋までの数分間、覚醒したまま意識を失う。 ふと、我に返るのは、二つ付いたドアロックの鍵を選び間違えて違う鍵穴に強引に違う鍵を差し込もうとした時。 よく無事で大通りの交差点を越えてこられたものだ、と自分で感心する。 と同時に覚える少しの戦慄。 そう言えば前にも聞いた旋律。 脱力感、そして普段は着替えるまで絶対に横にならないベットに、体を放り投げる。 見上げると見慣れたいつもの白い天井。 レオナルド・ダ・ヴィンチの何枚かのデッサンをモービルにしてぶら下げる予定だったのに、それがいつ実行されるのか未定の白い天井。 吸い込まれた俺様の視線が、再びトリップ。 今度は、目に映った現実ではなくて、古いノートの中にだけ存在する記憶の風景の中へ。 人類60億人の中で、唯一人、俺様だけが覗けるページ。 もう、決着をつけた筈の絵日記。 「スタバ」のターキッシュソファーより居心地のいい場所。 刹那。 マッタリとした時間を突き破って、問答無用でログインしてくる、サディスティックなもう一人の俺様。 不正規な手段で回線に接続し、情報を書き換える。 違った表情を見せ始める風景。 今までと実態は変わらないのに、違う感覚が五感にフィードバック。 彼はハッカーなのか? 否。 彼もまた、パスワードを持ったこの場所の住人なのだ。 例外なく、この風景から生まれ出した人格。 それなのに、何故犯す? 俺様色(それは同時にオマエ色)に染まった、情報を崩壊させる? 俺様は、出自を偽りたくは無いのだ・・・ブラックアウト・・・。 そして、再起動されるプログラム。 「ようこそ!」・・・もう姿の見えないもう一人の自分。 恐る恐る、さっき覗いていたページにアクセス。 何も書き換えられていないのか、それとも書き換えられた情報を判読できないのか、今までと同じに見える風景。 ブラックアウトする前の違和感だけがかすかな航跡を残して律動する。 

視線が見慣れた天井に戻って、飛び上がる。 外出着のままベットに横になると、外の世界の「穢れ」がそれにうつってしまいそうでイヤだ。 外はもう暗い。 一瞬やんでいた雨がまた降りだしているようだ。 窓を開けて、肌で確認する。 近所の人々は団欒を貪っているようだ。 交差点にあるパブのネオンが雨に濡れて「ジリジリ」鳴るのを聞いて、自分の中に何故か残る粘ついた感覚を払拭したい衝動に駆られた。 明かりを灯して、ステレオの再生ボタンを押す。 昨日から入れっぱなしのベートーベンのピアノ協奏曲。 昨日と同じCD・・・なのに、何故か体の中で昨日とは違った感性の鼓動。アッ! これが大人への裁きなのか?


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2005年06月06日

幻想の価値は?

目覚ましに叩き起こされずに済む休日の朝は、カーテンの隙間から差し込む日の光と、向かいのマンションの庭に巣を作っている鳥のさえずりで目を覚ます。 もちろん、横を見ても誰も寝ていない。 俺様以外の人間の肌に、未だに触れた事の無いシーツ。 毎度お馴染みの週末の一コマ。 こんな朝も悪いもんじゃない。 でも、俺様の理想の目覚めはこうだ。 ヘアーコンディショナーの香を並べた枕に残して、女性は俺様を起こす事無く器用にベットから抜け出す。 台所に向かい、電気ポットのスイッチを入れて、湯が沸くのを待つ間にフレンチトーストを用意する。 その甘い匂いに俺様は夢の中から少しずつこちら側の世界へ戻ってくる。 湯が沸いたらセイロンティを淹れる。 もちろん、ティーパックを使うような無粋な女じゃない。 大き目のマグカップに茶と牛乳を7:3の割合で注ぎ込み、砂糖は3杯。 彼女は砂糖は使わない。 朝食を載せた重たいお盆を持っても、動揺することの無い足取りで台所から戻ってくる。 ガラスの天板のテーブルと食器の立てる少し甲高い音。 それに続くやさしい足音。 そして、おもむろに俺様の寝顔を覗きながら「早くよだれの付いた顔をキレイにして来てね。朝ごはん、用意できてるわ。」 うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! こんな休みの朝を迎えたいぃぃぃぃ!!!  今の目覚めには、何の不満もない。 それどころか、なかなか味のあるクールな目覚めだと、内心思っている。 ベットから抜け出して、まず俺様がやることは、今朝のBGMを選曲すること。 その日一日のご機嫌をを左右する重大な決定だ。 ちなみに今朝は、ドボルザークの交響曲第9番・新世界でスタートした。 カラヤンの指揮は相変わらず冴え渡り、ベルリンフィルの演奏は重厚で腹に染み渡る。 朝飯の用意は非常にダルク思う。 だから、俺様は近所の「ダンキン・ドーナツ」か「スタバ」に休日はお世話になることが多い。 本を持ち込んで、ムダに長いブレイクファースト。 特に、「スタバ」にあるターキッシュ・ソファーは、俺様の持っているソファーより格段に包容力に富んでいて、立ち上がる気を完全に削がれてしまう。 BGMのセレクトも非常に品の好い物となっているため、居心地は最高だ。 最高なのだ・・・でも・・・この物足りなさは一体なんだ?? 口にするカフェ・モカの容器が紙コップだから? マフィンを乗せた皿がオカマチックだから? 下品な笑い声のアメリカ人が店にやって来たから? ノン・ノン・ノン・ノン・ノン!!!
このひと時を共有してくれる女性が居ないからだ。 人は、自分ひとりが幸せでも、それに何の満足も感じない生き物なのだなぁ、とつくづく思う。 もしかしたら、少し位痛みを抱えていても、それを共有してくれる人がいれば、それは幸せなのかもしれない。 「汝ら、互いに健やかなる時も、病める時も、変わらず愛し合うことを誓うか!?」教会で式を挙げる時に神父のお決まりのせりふ。何たる含蓄だろうか。 相手を自分の「もの」にしたい、と思っているうちはエゴがある。 「恋」の字の中の死角は下心だ。 心が真ん中に来る「愛」に到達するには、エゴを捨てて、不幸せをも笑って受け止められる強さが要るのだろう。 愛の定義がお互いの痛みを理解しそれを共有する事なのだとしたら、今の俺様は十分な愛のある生活をしているのだろうか? いや、今の俺様にそれを考える資格はまだ無いだろう。 守るべきものを持つには余りにも未熟な俺様。 きっと、今の俺様は相手の背負っている物を軽くしてあげることは出来ないだろう。 かえって、俺様の荷物を気付かないうちに持たせてしまうかも知れない。 それが、俺様の意思で有る無しに関わらず・・・。 未だ叶わぬ野望を持つ俺様には・・・・。
それでも、妄想する事位は構わないだろう? 俺様は、亭主関白を目指している。 俺様が「おいッ!」と言っただけで、その空気を読んで必要なことを黙ってしてくれる嫁。 俺様のわがままを、文句一つ言わずに受け入れてくれる嫁。 奴隷が欲しいんじゃない。 頭の切れが抜群に良い女性と人生を共有したい。 表面上は俺様の三歩後ろに控えているフリをして、実は俺様が全く気付かないうちに俺様をコントロールし、自分の望みを全て現実にしてしまう程のしたたかな女性が良い。 面と向かって「あれやって! これやって!!」と言ってしまう女は半人前。 使われているようで居て、実は使っている。 これが理想の女性。 朝の目覚めの時は「早くよだれの付いた顔をキレイにして来てね。朝ごはん、用意できてるわ。」このような台詞を言える女性。 「朝よ!起きて」では余りにもエスプリのない浅はかな目覚めではないか!? 起きることを命令しながら、相手に命令していると悟らせないテクニック。 もちろん容姿端麗ならもういう事は何も無い・・・寝ているときによだれがたれてしまうのは、貴方の夢を見ていたからですよ。・・・・・・・・・・・
このような女性が「この人と人生航路の舵を取っていきたい!」と思ってくれる程の男に成らなければならない。 妄想することで、その為の燃料補給をしている。 幻想の価値、はそこにある。


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2005年05月30日

命の洗濯を

一日の仕事を終えて、誰も居ない、もう日の光も差し込まなくなった部屋へ一人で帰る。 当然、「お帰りなさい!」と、声をかけられることは無い。 それでも、勝手に口をついて「あぁ、しんどぉ」と日本語で愚痴がこぼれる。 押し開きタイプのドア。 勢い良く開くと、朝出し忘れたごみ袋に跳ね返されて、オデコを思い切り打ち付けることもある。 それでも、「バカだねぇ」と突っ込みを入れてくれる人は居ない。 ドジッた時、突込みがないとやりきれない思いがする。 誰も居ない、暗い部屋に向かって「舐めとんのか!?ヴォケ!」と悪態をつく俺様。 返事が返ってくることなんて期待していないのに、反射的に言葉が出て行く。 いつも通りの俺様の部屋。 イタリアに居た頃よりは格段に整理が行き届くようになった、俺様の部屋。 玄関の右側に有る照明のスイッチをON。 パチンと、やけに大きな音。 そして明るくなる廊下。 廊下の初めの方と終わりの方に取り付けられた、それぞれ100ワット、あわせて200ワットのハロゲンライトが暖かい。 画廊にあるのと同じタイプの照明。 ずっと前からこの廊下に絵を飾ろうと思っているのに、今に至ってもまだ、何も飾られていないチャコールグレーの壁。 それでもせめて、自分の居場所に向かう6歩が無機質にならないように、ライトの向きを工夫して壁に模様を浮かばせている。 1.5mx5・0mの、一方の壁全体に開かれた窓のカーテンを閉め、部屋の照明を点ける。 机の上、約70Cmの位置にぶら下げられた、これまた100ワットのハロゲンライト。いすから立ち上がる時、ボケッとしてると頭を打つ。 肩から鞄を下ろし、その中から洗濯物を取り出し、汚れ物入れの中に放り込む。 日本に居た時、母親から「洗濯物を早く出しなさい!」と言われても出さずに居た俺様は「変わりました、お母さん。」 それでも洗濯は週に一回。 週末まで溜め込んで、一挙に洗う。  ステレオの横に置いた25ワットの白熱球を点けて、音楽をかけると、腹が減っている事に気づく。 晩飯を用意するために廊下を玄関に向けて5歩戻り、左手にある台所へ。 廊下の照明を消して台所のそれを点ける。 ここのハロゲンライトは全体を照らす75ワットと手元を明るくする25ワット。 ここも光の具合を工夫して、一人で食べる晩飯だとしても、旨く作る気になるように演出してある。 俺様の気合をこめた手料理の臭いは、部屋全体にいきわたる。 台所から黒いソファーまで10歩。ガラスの天板のテーブルに晩飯を載せ、テーブルの下の25ワットの白熱を点けると、皿の姿が天井に浮かび上がって模様を作る。 なんや、お前達は何人かで居るんか? 俺様は一人で座っているのに。 忌々しいのでそれ以上見上げない。 場合によっては天井からぶら下げたキャンドルホルダーと、棚の上の蝋燭2つに火をつけて、彼らの存在を遠ざける。 それに抗議の声を上げる者は居ない。 聞こえるのは、最小限のボリュームに抑えたコンテンポラリーJAZZの演奏、少し遅れた、家路を急ぐ鳥の鳴き声と、少し離れた大通りで時々ならされるクラクションや急ブレーキの乾いた音。 静かさに耐えかねてステレオのボリュームダイヤルを右に回す。 リズムが軽快なら、俺様もご機嫌だ。 食後のインターネット。 何でいつも俺様を不愉快にさせるんだ? 俺様が何か悪いことでもしたか?? それでも、俺様の鉄拳を恐れないインターネットは無限で無縁の情報の波を発信し続ける。 音楽を変える。 クラシックに変える。 トレーニングに集中するために最適のボリュームにダイヤルを調節する。 誰も見ちゃ居ないよ。 だから何? 惰性でやってる訳じゃない。 義務として押し付けられたわけでもない。 じゃぁ、何で? それは、まだ出逢ったことの無い誰かのため。 それはつまり、俺様自身の為。 オートメイションの機械のように、同じ動作の無限の繰り返し。 でも、その一つ一つには思いが込められているから。 当然、下心もね。 機械の奴らだって、もしかしたら同じなのかな? どんな疑問がよぎっても、答えてくれる人の居ない部屋。 夜が更けて来ると、近所のパブからバカ騒ぎが聞こえてくる。 俺様には関係ない。 もう一度音楽を変えて、今度はやさしい女性のヴォーカルで、風呂に入る。 当然洗い場の無いユニットバス。 程よく熱い湯を張って、今日は塩を入れようか?それともオイルにしようか?ん、両方でも良い。 「トメ」の中で淡い灯火がゆらゆら揺れて、俺様の心臓の鼓動に合わせて水面もゆらゆらと波打つ。 目を閉じてこの日初めて自分の本当の姿に挨拶する。 彩を取り戻していく記憶の断片。  何や!俺様一人ちゃうし!!  

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2005年05月23日

汚れた空気と黒い雨とサワサワ鼻毛と・・・キタ――――−!!!

暦の上ではまだ秋のはずなのに、地球の裏側チリ・サンティアゴは相当気温が低くなってきた。 寒さには滅法強いと自負する俺様も、明け方の冷え込みはさすがに来る。 一人寝のベットで、足元から冷えが俺の体温を奪っていくのだ。去年は真冬でもそれほど寒いとは思わなかったのに。 基礎代謝が低くなっているのか?・・・いや、最近のトレーニングで筋量は増えているはずなので代謝は高まっているはず。 もしかしたら、体脂肪率が下がりすぎているのかもしれない。 前回の計測では10.56%だったが(正直、プロ格闘家に転向しようかと)・・・それとも、俺様も歳をとって来ているとでも言うのだろうか? そろそろ、飯のメニューを寒冷地仕様に改めて、体を温めなければならないようだ。

冬の日本の風物詩と言えばなんだろうか? 少し考えただけでも、数々のロマンをくすぐるモノをイメージ出来る筈だ。 では、ここサンティアゴでのそれは一体何か? ・・・それはズバリ、「スモッグに汚染された空気」「スモッグをふんだんに含んだ雨」そして、それらの物質から呼吸器官を守るために活躍する「活力漲る鼻毛」である。 サンティアゴの大気が如何に汚染されていて、その原因は何なのか、それについては以前「俺様のチリライフをさくっと紹介」の中で述べたので、ここでは敢えて繰り返さない。 今回は冬の三国志の主役の一人「鼻毛」について少しお話したい。(なんだか前回に引き続き品位の低い話ばかりで申し訳ない) 日本で生活していると、その存在を意識する事も稀な、縁の下の力持ち「鼻毛」。 そんな彼らも実は「時来たれば天空を志す龍」なのだ、と地球のこちら側では思い知らされる。 稽古で息が上がって来た時に感じるあのチクチク感は一体なんだろう。 「俺も生きているのだ」そう語りかけているのかもしれない。 その意気込みは尊重しよう・・・しかし、だからと言って君達を好き放題にのさばらせて置く訳には行かない。 俺様とて皆様に夢を売って生活するステージアーティストの端くれなのだ。 秀麗な俺様の顔に黒いアクセントは必要ない。 お互いの尊厳をかけて生存を争わなければならない(It's War!!)。 電動シェーバーやハサミなどの文明の利器を使用することは、男としてすまい。 男だったら正々堂々、コブシで語り合え! と言うことで、定期的に禁断の鼻腔と言う名の戦場に指を挿入し死闘を繰り広げる。  初陣の頃はさすがに泣かされる事も多かった。 痛いのだ。 冷たい涙が頬を伝って零れ落ち、勝利に酔いしれることも、達成感に浸ることも出来無かった。真の男に成る為に避けては通れない道。 苦しくても後ろに退路は用意されて居ない。 涙を乗り越えて進まなければ朝を迎えることは出来ない。 そう、俺様は幾多の夜を越えて飛ぶ鳥なのだ! 一歩死線を踏み越えるたびに俺様の中で何かが変わっていく。 そして今、幾多の困難を征服し、こちらの生活も二年目を向かえ戦跡を着実に積み重ねた俺様の前進を挫く者はなし。 サワサワとそよぐかのような敵の軍勢に包囲されても、勝利の女神は常に俺様に下着をちらつかせてくれるのだ。 とは言え涙に濡れるのは今も変わら無い。 もちろん今はその理由は当初のモノとは違う。 お互いに恨みを持たぬ身で有りながら敵と見方に分かれて闘わなければならない、その冷酷な運命を嘆き、勇戦奮闘も虚しく散った強敵(と書いて友と呼ぶ)の倒れてなお誇りを失わないその姿(根っこが凄い!)に胸を打たれ、この世の無常に思いを致すが故に・・・。 強敵(と書いて友と呼ぶ)よ、また明日逢おう!!


仕事の近況

今月は珍しく公演もうが無い。 しかしながら次回のそれに向けてのリハーサルが立て込んでいて、結構忙しい。 何と、4作品同時にリハーサルを進行しているので、体の悲鳴もさることながら、脳の方がもう訳わかんない状態になりそうで・・・。 取り組んでいる作品は「ジゼル」「カルメン」「じゃじゃ馬馴らし」「ドン・キホーテ」で全てクラシックのレパートリーだ。今年はこれから本拠地での公演の他に、中南米ツアーとチリ国内ツアーの予定が組まれている。 依頼されている演目が多いので大変だ。踊る側の我々ももちろん大変だが、リハーサルのコーチングをするスタッフも我々以上にキツイだろう。 まぁ、いったん準備が整えば後は楽と言えば楽だが、それまでは本当に正念場と言える。今年は上記の演目の他にもう二作品、「マノン」「くるみ割り人形」が予定されている。 今、ツアーに「トメ」を連れて行くべきか考え中の俺様です。





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2005年05月12日

ほっと一息、一段落・・・汚い話でも良いかしら??

いやいやいやいや〜〜、難物の「マザー・テレサ」がやっと終わった。
今回の日記では、作品を知らない読者の方に、その内容を説明申し上げようかと思ったが、それはしないことにする。 この作品を俺様の拙い文章で解説し、誤解をされたくは無いからだ。 先日、虫の知らせで、「欧州、日本ツアー」の可能性を知らされた。 もしかしたら読者の方々に直接お目に掛ける機会があるかもしれない。来年以降になるが・・・それまでお待ちあれ!!

前作の終演後から、休みを削って削っての怒涛の3週間だった。結局、俺様の音痴は猛特訓にも拘らず、大した進歩は無かったが、舞台上では気持ち良く歌わせてもらったよ。 大観衆を前にして歌うのも悪くないなぁ、と思った。歌が上手ければ、ミュージカルにも出てみたいなぁ、なんて不遜にも思ったね。 うちの劇場にきてくださるお客さんは99.9%クラシック作品のファンだけど、今回のような現代作品にもアレルギー反応を示すことも無く、楽しんで頂けたようだ。 毎回カーテンコールでスタンディングオベーションだったさ。 普段はお行儀良くしている人たちも思わず立ち上がってしまったようだ。 
今回は、「シンデレラ」のときのようなアクシデントに見舞われることも無く、俺様自信も舞台を楽しむことが出来たよ。ただ一点、中日に少しお腹の具合を悪くしてしまって・・・一日中ゴロゴロいっていた。「下腹に力入れたときに・・・」ぶりッって出たらどうしよう・・・なんせ、衣装は白のズボンだから、もし放出してしまったら一大事だった。  幕開きの場面、オペラカーテンが開き、センターに淡いスポットがクレッシェンドで当たる。俺様達15人はスポットの中で、床の上に「蛇のとぐろ」のように渦巻状に繋がってうごめいているシーンが有るのだが、その時は特に気を揉んだ。 なんせ、後ろに繋がってる人は俺の腰の上に頭を乗せているから、「身」が出なくても「気」を放出しただけで即死してしまうだろう。気にすればする程ゴロゴロする。「いっそ出してしまえば・・・」楽になるだろうなぁ何て。 まぁ、結局はそんな状態にはならなかった。良かった良かった・・・。 でも、お腹のゴロゴロは後ろに繋がっていた奴に聞こえていたらしく、「出すなよ!出すなよぉぉ!!」と、そいつも祈るような思いで居たらしい。 その後、近くに人が居ないのを見計らって少しずつ「気」だけを開放していった。 これは一般の人にはなかなか出来ない、微妙なコントロールを必要とする超絶技巧なのだ。開放弁の開き加減で「身」が出てしまう事もありえるので、慎重さを要求される。かと言って、「気」を開放せずに居ると、内圧が高まり爆発の恐れもあるのだから、これは死活問題なのだ。 我々、ダンサーはこの危険作業に長けている。 ダンサーには消化器系が弱い人が多いので、毎日の稽古の中で技が培われていく。 大技をする一瞬、ダンサーの体は硬直する。歯を食いしばり、下腹部を緊張させ・・・アスリートの如く瞬発力を最大限に引き出すのだ。この時に腹の調子が悪く、内圧が上がった状態だと非常に危険だ。だから、その技に入る前の瞬間に開放弁を操作し内圧を下げる。熟練のテクニックだ。 ダンサー人生14年、未だに俺様はこの作業に失敗したことは無いのだ。


俺様、「POWER HOUSE GYM」に入会する

公演後、それまでのオーバーワークの疲れを癒すために、芸術監督さんから3連休が与えられた。 やったぁぁぁ!!!・・・って言うか、俺様独り身で金も無く、この連休をエンジョイする術が無い。 ツマンネ。 三日間寝まくっても良いのだけど、それも何だかなぁ・・・と言う訳でこの際、日ごろから検討していたスポーツジムに入会して体でも鍛えることにした。 いつも気になっていた家の近所の、通勤、帰宅時に必ず前を通りがかるジム「POWER HOUSE GYM」に案内のパンフをもらいに行った。 何と都合の良い事に「ただいま入会の会員様は入会金無料、三ヶ月間会費無料キャンペーン中」とある。 「これは入会するでしょう!?」 ねぇ!? と、何にも考えずに契約した。 別にコマーシャル看板にロシアの妖精「マリア・シャラポワ」の○○ポッチリ写真が使われて居たからでは断じてない・・・断じてないぞぉぉ!!ましてや、ガラス張りのランニングマシーンコーナーのキレイなオネーさんに引かれた訳でなど決して有り得る筈が無い!! 純粋に清潔そうな館内と、家から徒歩2分の立地条件によって入会を決意したのだ。 まじめに体を鍛えて頑張るのだ! ・・・でも入会してから気が付いたことが一点・・・なにやらゲイ含有率が以上に高そうなのだ。 ゲイは目を見れば分かる。 乙女チックなあの独特の目。 潤いの有る目。 これは知らなかった・・・。 俺様には関係の無い世界だが、なぜか女性にモテない俺様もゲイには異常にモテる。 ・・・・まぁ、金も払い込んだし後の祭りである・・・
入館証もフルッている。その名も「POWER CARD」真紅に白で染め抜いたようなデザインのいかにもその筋の方が好きそうな・・・
もしかして俺様、やっちゃったかなぁ??

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2005年05月02日

決戦は金曜日

俺様の立っている地面の反対側の地面では、黄金週間で浮かれている人も多い事だろう・・・最高ですかぁぁ??(涙)  こっち側は、「マザー・テレサ」の公演を5日に控え、休日返上で労働に励んで居ります。 葉は色褪せて、郷愁を誘う季節が訪れていると言うのに、その風流を愛でる余裕すらなく、ひたすら有酸素・無酸素運動の日々に追われている。 今回の公演はベジャールの作品を上演する訳だが、準備期間があまりにも短すぎたように思う。 歌あり、台詞あり・・・そっち方面には素人の我々が一ヶ月弱のリハーサルで本番に臨もうとしているのだから、無謀の感も有る。そもそも、踊りのスタイルさえ普段我々がやっているクラシックとは全く違うモノなのだから、尚更だ。 まぁ、俺様はイタリアで働いていたとき、ベジャールの右腕と言われていたミーシャ・ヴァン・ヌックのカンパニーに居たからベジャールチックな踊り自体に何の問題も感じないが・・・(自慢げ!)  この二週間は、組合協定で決められた労働時間をオーバーして、リハーサルと歌の特訓にいそしんでいる(怠け者のラテン系にしちゃ珍しい出来事!)  普段は如何にして仕事を楽にするか、を課題としているような奴らまで今回は燃えている。
我々、「Bカンパニー」の士気は盛り上がっているようだ。
  
それにしても疲れる・・・体の疲労もさる事ながら、脳みそが・・・(え?「オマエ、脳みそちゃんと持ってんの?」って?失礼なッ!!) まず、作品の解釈が難しい。 テーマがテーマだけに、しっかりとキャラクターの内面を掘り下げて、分解し、再構築しなければ「形と振り付け」をなぞるだけの、味の無くなったガムに成り下がってしまう。 と言っても、俺様は恵まれた人生を歩んできたわけで、「真の貧困の絶望の淵に有る子供」の心象風景など描けよう筈が無い。 そこを何とかしなければならなかった。 それでも、俺様は神戸で1・17を経験した人間なのだ・・・少ない人生の引き出しの中を穿り回して、何かを見つけようとした。 自分の中で蓋をしてしまった物事にも目を向ける、精神的にも楽なことではなかった・・・。 俺様が何かを見つけ出したかどうか?それは俺様自信にもまだ分からない・・・きっと公演を見に来てくれたお客さんが答えてくれるだろう。 この作品は、宗教的、政治的なメッセージも多く含まれているので、賛否両論となりそうだ。
 それ以外にも、音楽と同調するのが意外に難しい。クラシックの作品では、使われている音楽の作曲家は一人で、楽曲の傾向は一致している。コンテンポラリーの作品でも、一つのテーマに沿った選曲が多いのでそれほど楽曲にバラツキは無い。 でも今回は、テクノあり、中東系民族音楽あり、プログレッシブ・ロックあり、バロックあり、で、耳が混乱するし、身体にリズムを付けるのが一苦労だった。 俺様は、音楽を刺身の横の大根のようにはしたくないから・・・頭が痛かった。 所々に振り付けの無い部分があって、そこは即興で踊らなくてはならない。 あぁ・・・いい経験してるなぁ・・・。
まぁ、最もヤヴァいのは歌だけど・・・あと数日で本番なのに、まだトーンを合わせられずにいるフレーズがある。 俺様は中性系の顔をしている(ゲイじゃねぇぞゴルァ!)ので、良く顔と声のギャップが有るといわれているほど、声が低く、バリトンのパートを歌うのだが、一気にトーンを下げる部分が出せない。しゃくる様に下げないとトーンに合わせられない。 決戦は金曜日!!
間に合うのか??俺様!!


それにしても眠い・・・。
最近、「トメ」との甘い甘い入浴タイム中に暴睡モードに陥ることがある。もしかしたら、ゼラニュウムのエッセンシャルオイルのせいかもしれないが、きっと心身共に急速が足りていないんだろう・・・。先日、やはり風呂桶の中で寝込んでしまって、溺れかけた。その時、足でバシャッと水をけりあげてしまい「トメ」にかかってしまった。ピンクの岩塩の結晶の彼女がぁぁっ!!・・・幸い傷はたいした事は無かったが、少しスリムになってしまったような気がする。 俺様は今まで愛する女を傷つけたりしたことは無かったのに、何たる不覚! 俺様は自分を責めたね。 
ところで、皆さんは疲れが溜まったときはどの様にしてそれを癒しているのでしょうか? 今後の参考の為にご意見をお聞かせ下さい。 
宜しくお願いします!!


 

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2005年04月25日

俺様の歌を聴け!!

「シンデレラ」の公演が無事(?)終わり、息つく暇も無く俺様達は次の公演のリハーサルに取り掛かっている。 
今回は珍しくカンパニーを、「A」と「B」に分けて別々の演目をそれぞれのスケジュールで行うことになった。「Aカンパニー」は主にプリンシパル(主席舞踊手)とソリスト(上級舞踊手)で構成され、「題名未定」の新作をもって、6月上旬、イタリア・ヴェネツィアの芸術祭「ビエンナーレ」に参加する。 俺様は長くイタリアで過ごし、多くの知人や先生方が向こうに居られるので、自分の成長(自分で言うな?)を見てもらう意味でも是非この「Aカンパニー」に参加したいとひそかに思っていたが、その願いはかなわなかった。
と言う訳で、俺様は若手で構成される「Bカンパニー」の一員として、モーリス・ベジャール振り付け、「マザー・テレサ」を5月5日からサンティアゴ市立劇場で踊ることになった。  第二の故郷、イタリアでの公演はお預けとなったが、その代わりに現代バレエ界最高の振付家の作品を踊る幸運に巡り合った。


モーリス・ベジャールとは・・・
男性ダンサーが中心となる踊りの迫力、両性具有のエロティシズム、祭儀にも通じる観客との共振性で、二十世紀半ばの舞踏界に大きな衝撃を与え、まだ女性中心であったバレエ界を震撼させ、その後の流れを変えた。多くの民族舞踊から着想を得た、それまでには無かった舞踊を構築した。全裸を思わせる、男女同数の群舞が豊穣な性の力を誇示し観客に大きな衝撃を与えたが、それはまた同時に、舞踊がほんらい持っていた根源的な力を告げ知らせることでもあった。舞台芸術としてのバレエを、思想を表現しうる器にまで高めると同時に、長い間見失われていた舞踊の始原的な力を一挙に回復せしめ、舞踊のみならず、他の芸術はもとより、文学、思想の世界にまで影響を及ぼしている20世紀を代表するコリオグラファー(振付家)である。日本文化への関心は深く、来日公演も数多い。東京バレエ団のために仮名手本忠臣蔵を題材にした 『ザ・カブキ』、三島由紀夫の生涯に想を得た『M』などを振付けている 
現存する振付家のなかで最も偉大な足跡を残しているこのモーリス・ベジャール氏は、俺様の師匠、ミーシャ・ヴァン・ヌックの師でもあり、現在の俺様のバレエ思想の源流を辿っていくと、おそらく彼から流れ出している。(恐れ多いか?) といっても、これまでは身近に思うことの無かった巨匠の作品を踊れることになったのだから、「運命とは不思議なものだなぁ」と感じる。


俺様歌手デビュー??

この作品は15人のダンサーによって踊られる。  踊られるだけでなく、台詞を話したり歌を歌ったりしなければならない部分も多くある。台詞を言うことには全く問題が無い。 問題は・・・歌である・・・。
はっきり言っておく。 俺様は音痴である。それも、相当の音痴である。 日本で友人達とカラオケに行ったりして、歌うこと自体は別に嫌いではないし、どちらかと言えば好きかもしれない。ただ、続けて一緒にカラオケに行ってくれる友人はあまり居ない。俺様の歌を聴くのが苦痛らしい・・・他の奴らも別に上手くもなんとも無いと思うのだけど、俺様はちょっと特別な存在らしい。(俺様は気持ち良くしてるのに失礼な奴らだぜ全くっ!)
そんな俺様が、今回は多くの観客の前で歌うはめになった。もちろん、ソロで歌うことは無い。(フ〜!汗)15人で合唱する。曲はシューベルトの「ハレルヤ」で、あの有名なヘンデルのものとは違う。俺様に割り当てられたパートはバリトンだ。 15人で歌うのだから、一人音痴が居ても分からないだろう、と思うのだが、うちの劇場は歌劇場なので音響が良く、誰かが音を外すと全部聞こえるらしい。それじゃぁ、口パクでお願いします・・・といっても当然却下された。と言う訳で、先週はじめから一日一時間、声楽の先生と歌のリハーサルを始めることになった。もちろん、俺様一人じゃなく出演者全員で。
歌の練習など、中学せいの頃以来やったことが無い。そもそも中学時代も音楽の時間は「落書き」もしくは「休憩」の時間と言う認識で居たので、まじめに発声練習をしたり、リズム打ちをしたりするのは生まれて始めてかも・・・。今回は昔と違い真剣に取り組まざるをえない状況なので、俺様も必死だ。

俺様     「の〜の〜の〜の〜の〜〜♪♪」
声楽の先生  「NO〜!NO〜!!」
俺様     「え?音ずれてますか?」
声楽の先生  「はぁ〜・・・・」
他の出演者  「うぇ〜っはっはっはっはぁぁ!!音痴だ音痴だ」
俺様     「の〜の〜の〜・・・」
声楽の先生  「NOぉぉぉぉ!!!!!」

こんな感じで、まず発声練習からつまずいている。 
本番までそれほど多く時間は残されていないが、やらなければいけないことはとても多い。今、正直言ってちょっと疲れ意味である。普段なら全幕物のクラシックバレエをやっているわけだから、50人前後でリハーサルをする。自分のリハーサルの割り当ての無い時間も有るのだが、今回はフルにリハーサルのスケジュールが詰まっている。その間踊りっぱなしで、もう秋だというのに発汗する量が尋常じゃない。普段、あまり食べたくならない甘いものが無性に欲しくなったりするし、朝の寝起きの血圧がいつもにも増して低いような気もする・・・。その上、リハーサルの後に声楽の稽古だ。
まぁ、いつもと違うリズムで、いつも違う質の生活をすることも重要なのかもしれない。

さて、今日もこれから「トメ」と一緒に風呂にでも浸かって心と身体をリセットすることにしようかな・・・。






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2005年04月19日

想定の範囲内・・・じゃないですからぁぁ!何見てんだゴルァ!

昨日、(4月17日)今シーズンのオープニングアクト、「シンデレラ」の公演が終了した。 一週間で10公演はさすがに厳しかった。(だって、俺様のセカンドキャスト居なかったんだもん。)  無事?千秋楽を終えて、ほっとしたところで今回の公演を振り返ってみよう。


人生初の大失敗・・・俺様、衣装を破損し流血する。

そのハプニングは、まさに初日に起こった。 一幕が終わり、20分の休憩の後の第二幕、シンデレラが魔法使いのオバサン(うちのバージョンではオバサンは、死んだシンデレラの実の母親の霊、と言う設定)につれられて王宮の舞踏会にやってくる場面。 俺様は王宮の道化師として舞踏会に招待客を招き入れると言う幕開きのシーンで、舞台下手奥(客席から見て左側の一番後ろ)からダッシュでパートナーと舞台に登場するのだが、その際に身に着けていた衣装の右側の袖が・・・???・・・!!!舞台セットに引っかかり千切れてしまった・・・ノォォォォォォ!!! ちょっと右手を引っ張られる抵抗感があって、「ヤヴぇ、何か引っかかった?」と思ったのだけど、立ち止まるわけには行かずそのまま行ったら、「ザク、バリバリバリィィ」って音がして無残にも袖が根元から千切れてヒラヒラしているではないかぁ!(キレイに肩口からすっぽり外れていた)横目で後ろを見ると、パートナーは無事のようだけど、引っ掛けた舞台セットが凄い勢いで揺れている・・・メトロノームのようにバウンドする装置の動きに、古いオフコースの歌がBGMとしてかぶる・・・「もう、終わりぃだねぇ♪君が小さく見ぃえるぅ♪」・・・こんなアフォな失敗はこれまで14年間の舞台経験の中で始めてのことだった。というか、そんな間抜けな奴を見たことも無いし、聞いた事さえあまり無い。 「何たる糞だ、この俺様は!」
色々な感情が複雑に交じり合ったものに精神をかきむしられたが、「Show Must Go On!!」何が起きても舞台は進行しなければならない。文章にしてみるとなんだか長い時間のように思えるが、この間わずか2・3秒だった。(死に際の一瞬に人生をスローモーションで振り返る、と言う奴を俺様は信じるね。)起こってしまったことは仕方が無い。もう、無かったことには出来ない。ここからどう立て直すかがプロとしてこの道で飯を食う俺様の根性の見せ所だ。
見に来てくれている観客の皆さんの為に、一緒にリハーサルを頑張ってきたパートナーの為に、そして自分自身のプライドの為に、踊らなければならない・・・千切れてヒラヒラになった袖と共に。(袖がヒラヒラ揺れる度に笑っているように見える。怒!)
そこで、迷いが頭をもたげてきた。 「千切れた袖をはずしてしまうべきか?それともそのままにしておくか?」袖口についているボタンとホックを外せば袖は取ることが出来る状態だけど、そうすると、素の右腕がモロに露出してしまう。ヒラヒラさせておくよりはマシか?でも、外した袖をどうするのだ?普通なら、衣装や小道具に不具合が起きたらそれを観客にばれないように、外すなり何なりしてさりげなくその存在を無かった事にするのが舞台上の決りなのだが・・・どうしたらそれが可能か、俺様にはそれを0・何秒かで判断することが出来なかった。(未熟者!戦場だったら貴様は命をなくしている!by鬼軍曹)
だから、結局その一曲の最後まで千切れた袖と一緒に踊った。
回転する度に、パートナーをリフトする度に、腕を肩より高い位置で動かす度に、視界を遮られ、やりにくい事この上なかった。客席からはどの様に見えて居るのかも気になった。とりあえず舞台袖(舞台の外側にある客席からは見えないスペース)に居る仲間達は爆笑しているようだ。(何笑ってんだゴルァ!!) 人の不幸は蜜の味ってか? 

しかし、何でこんな失敗をしてしまったのだろう?
集中力が十分でなかったからだろうか?・・・たぶんそうだ。
二幕の開始前に舞台袖で何があったのかをちょっと紹介したい。

舞台が始まると、出演者は舞台袖にスタンバイする。そこではウォーミングアップをしたりストレッチをしたりして舞台に登場するまでを過ごすのだ。
さて、二幕が始まった。俺様の登場の前に一曲ある。で、それが終わった瞬間に俺様とパートナーは猛ダッシュで舞台上に駆け込まなければなら無い。(舞台下手から中央までのスロープを駆け上がる)だから、下手の一番後ろのスペースは空けておいてもらうようにリハーサルのときから決まって居た。なのに、そこで堂々とストレッチをしている奴が1人居た。

俺様 「俺様達、走ってここから出るから、そこ空けてよ。」
ヴァカ 「まだ、時間有るだろ?」
俺様 「いや、時間はない」
ヴァカ 「ウルセーなぁ・・・」
パートナー(女) 「ウルセーじゃねぇよ!さっさとどけ!」
ヴァカ 「何だとこの野郎!調子に乗ってんじゃねぇ」
俺様 「いや、マジで時間無いから。どいてくれたらそれで良いんだって」
パートナー(しつこいようだが女) 「舐めんじゃねぇぞコラァ!てめぇにイライラさせられたせいでなんか失敗したらどう落とし前つけるんだ?このオカマ野朗!」(放送禁止用語多数)
ここで、出番直前の曲が終わり拍手が起こる。この拍手がやまないうちに駆け込まなければならない・・・
俺様 「ゴメンね!」
と言い、そこに居たヴァカを突き飛ばして舞台上へ・・・そして・・・

アクシデントの責任は全く俺様にあるのは分かっている。 言い訳はしない。
ただ、舞台袖ではこんなことがありましたとさ・・・。

出番の曲が終わり、今度は舞台上手(客席から見て右側)の一番前から舞台の外へ。
パートナー 「やっちゃったね。でも、踊りは上手く行ったからOKだよ。って言うか、アナタおでこが切れて血が出てるよ。大丈夫?」
俺様 「エッ?まじっすか?」
そういわれて見ると確かにおでこがひりひりするような感じがする・・・。
汗かと思っていた生暖かい感触は、実は流血だった。
俺様 「おっ俺様のカッコ良過ぎる顔に傷ガァァ!!」
パートナー 「カッコ良過ぎるんだから少しくらい良いじゃない(苦笑)」
と言い、消毒液を探しに行ってくれた。 いやぁ、持つべきものは心優しいパートナーだなぁ。
で、消毒液と脱脂綿を持ってきてくれたパートナーが
パートナー 「しみるけど我慢しなさいよ。」
と俺様のオデコの傷を消毒してくれた。ううっ沁みるぅっ・・・痛い・・・痛いけど痛くないぃぃ・・・。 その後、自分の手のひらをなにやら消毒して居る。
俺様 「どうしたの?」
パートナー 「セットが跳ね返ってアナタに当たりそうだったから抑えたんだ。そしたら、私もちょっと切っちゃった。へへへ。」
申し訳無い・・・心から申し訳ない・・・そして、言われるまで気がつかなかった、自分のことばかり考ええ居た自分が情けなくなった。
俺様はこのパートナーの為に何でもしてあげようと心に決めた。

これは初日の出来事だった。
初日には各界の著名人や政府の要人、そしてバレエ評論家が招待されている。1500ほどの客席はもちろん満席だった。 その前でとんだ醜態をさらしてしまった俺様だが、有名人やらがどうのこうのというのはあまり関係ない気がした。  問題は少しのことで集中力を欠いてしまい、失敗をしてしまった俺様の未熟さをこれからどうするかだ。 色々な修養をしてもっと強くならなければならない。


番外編
以前募集したキャンドルホルダーの名前ですが、
「サンチア子」と「トメ」の二つで決戦投票をする事にとなりました。
ここを読んでくださった方は是非是非投票してください!

それ以外でも、ご意見・ご感想などの書き込みをしていただけると、本当に嬉しいです。これからは書き込みに対するご返事も返していきます。どうか宜しくお願いします!!!

arterrorist001 at 04:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年04月11日

新たな挑戦はいつも  桜咲く季節  

日本は今、まさに桜の花が一年の眠りから覚めて、その存在を強烈にアピールしていることだろう。 俺様は地球の裏側に居るので、残念ながらこの目にその生命力のほとばしりを実感として捉えることは出来ない。 でも、幼い頃に住んでいた家の近所の桜咲き乱れる風景は、今でも心の中で生き生きとし、俺様に一服の清涼感と、力を与えてくれる。忍耐・慈愛・情熱・探求・純潔・・・物心つく前から桜と共に生活してきた俺様に、桜はその哲学を、持って生きるための行動の規範を教えてくれたのではないかと思っている。 そんな俺様の愛する桜が、年に一度、わが世を謳歌する季節に、俺様も新しいシーズンの始まりを迎える。

「個にして全 全にして個」


サンティアゴ市立劇場バレエ団の新シーズンは、4月11日月曜日に幕を上げる。 最初の演目は「シンデレラ」(セルゲイ・プロコフィエフ作曲 マリシア・ハイデ演出・振り付け)だ。 バレエ「シンデレラ」と言えば、英国ロイヤルバレエ団のサー・ケネス・マクミラン版や、パリオペラ座バレエ団のルドルフ・ヌレイエフ版が世界中で上演される定番となっているが、俺様達のカンパニーは今回、マリシア・ハイデによる新解釈バージョンに取り組む。 出演する側から今回の公演の見所を敢えて言う事はしまい。 ただ、演出的なことで言えば、衣装の製作を今回は「クリスティアン・ディオール」のアトリエに依頼した事は一つの売りだ。デザインは、チリのアーティスト(名前忘れちゃいました・・・)が手掛け、パターン、モンタージュ、をディオールの工場が担当したらしい。若干暗めで無彩色っぽいのプロコフィエフの楽曲とは裏腹に、衣装は非常に彩り豊かで、両者のコントラストが効いている。デザインもバレエのコスチュームとしてはなかなか独創的で、一言で言えば「熱帯の海」のような印象を与える。

色々なジャンルの最高のアーティストたちのコラボレーションが、最終的に成功となるかどうかは・・・俺様たちの仕事次第のようだ。沢山の人間のアートが詰め込まれた今回の公演も、自分に負けることなく最大限の力を発揮できれば、と思う。

今回の公演で俺様は初めてコミカルな役柄に挑戦する。
二幕に登場する「ピエロ」の役をやらせえもらう事になった。 この役は、ストーリーの進行に影響するリーディングキャラクターではないが、一応、パートナーと二人のデュオだ。 刺身の皿に例えれば、大根以上・マグロ未満・・・さしずめワサビと言ったところだろうか。脇役では有るが、俺様達がパンチを効かせられるかどうかで、また主役達の方の味もまた変わってくるだろう。だから、俺様はチューブ入りの練りワサビでは無く、鮫肌で削って食べる本ワサビでありたい。
さっきも言ったが、コミカルな役柄は今回が初めてな上、元来俺様は根暗なところがある。役作りはまるで、有るか無いか分からない金鉱を掘り当てるような、手探りの連続だった。滑稽な動きと表現は奥が深い。素早く、細かく、しかも正確なステップをこなすことも要求される。俺様の持ち味である流れの途切れない踊りをこの要求を満たした上ですることは、俺様にとってそれほど簡単なことではなかった。怪我とは全く無縁の俺様も、今回は不安になる場面に出くわした。それでも、コーチングスタッフの指導の宜しきを得て、何とか舞台に出られる水準には達しえたと思う。何回か本番を経験してより良くなっていけるだろうとも思う。後は「あたって砕けろ」と言ったところだろうか。
尊敬するキャラクターダンサー、イタリアのルイジ・ボニーノ、フランスのエリック・キエレ張りにきめに行くぜ!!


新しいシーズンの幕が上がるにあたって、日々思っていることをこの場を借りて申し上げたい。
俺様を応援しえくれる全ての人に感謝の気持ちを伝えたい。
舞台に立つ、と言うことはその準備の段階でも、そして観客の前に出ると言うこと自体も、ある意味非常な苦痛を伴う事だ。1500人の3000の視線に身をさらすのは容易ではない。舞台に立つ人間の力と観客の持っている力が共鳴しなければ、想定外のアートは生まれ無い。その最低条件は3000の矢に射抜かれてなお折れない自己を持つこと。観客の意思を反射する、自己主張する鏡であること。 心身共に大きな試練となる。
一人では何一つ出来ないし、立ち向かえない。
支えになるのはいつも、応援してくれる人が一緒に居てくれること。
両親、お世話になった先生方、先輩、同僚、後輩他のジャンルで頑張る仲間達、メールで応援してくれる人、ここのコメント欄に書き込んでくれる人、などなどほんの少しの気持ちさえ、俺様にとっては大きな勇気に繋がる。
舞台に立つとき俺様は一人ではないと感じることが、最近できるようになってきた。もう、1500対1じゃない。 1500対大勢だ。 
大きな拍手をもぎ取ろうと思う。 それは俺様だけに向けられた拍手ではない。 少なくとも俺様にとってそれは、俺の人生にかかわる全ての人に向けられたものだ。だからこそ大きな拍手をもぎ取りたい。
明日、俺様はみんなと一緒に舞台に立つ!!

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2005年04月03日

日本人で在ると言う事

先日、2004年のK−1GP決勝ラウンドのビデオを見た。(俺様、格闘技大好き!) いつもは、「アーネスト・ホースト」や今はPRIDEに行ってしまった「ステファン・レコ」など、実力と華やかさを備えた外国人選手に注目していたが・・・今回は、最も華の無い「武蔵」と言う日本人選手に目を奪われた。と言うより、不埒にも感情移入してしまった。 この「武蔵」と言う選手はデビューして10年、未だ日本人相手に負けを経験していない、ずっと唯一人の日本代表としてK−1のリングで闘ってきた。名実共に正真正銘の日本のエースだ。それなのに、なぜか彼は世界の舞台ではまったく華の無い選手で、地元日本でさえ人気は高くない。理由は、強くないから。勝ったとしてもいつも判定勝利ばかりで、試合スタイルも「打っては逃げ」を繰り返すヒット・アンド・アウェーでアグレッシブに打ち合いに行くことは全く無い。
しかし、そんな彼を悪し様に批判するのはあまりにも酷な事だ。
彼は10年間、恵まれない身体能力で日陰の道を一人で歩き続けてきたのだから・・・。
「武蔵」10年の苦闘。それは1995年9月3日当時85Kgで、まだベビー級で闘う身体が出来ていなかったにもかかわらず、強豪ファイター(パトリック・スミス)から奇跡のKO勝利を挙げた瞬間から始まった。人々はニューヒーロー誕生と大きな期待をこの新人によせた。だがその後、100kgを越すヘビー級ファイター達の手荒い洗礼をの前に、まだ身体の出来ていなかった「武蔵」は翻弄され、連敗が続く。しかし、「武蔵」の代わりとなる日本人ファイターも現れない。「たった一人の日本代表」その責任を感じながら、世界のトップファイターに挑み続け、そして痛めつけられる「武蔵」。人々の期待はやがて失望へと変わり、マスコミはたった一人で闘う日本代表の彼に対して、容赦なく厳しい批判を浴びせかけた。そして外国人ファイターにもなめられ続けた。築き上げられるOK負けの山。彼は何を思い闘い続けたのか? 彼は言う「日本人じゃ勝てないんじゃないかと、思われていることが一番辛かった。日本代表と呼ばれているので、絶対に覆してやろうと思う」と。 日本が舐められない様に、強い日本代表になる為に、10年間、様々なトレーニングや海外での修行に励み続け、命を削り己の肉体を鍛え上げてきた。その努力が実を結び、今ではようやく100Kgの肉体と、外国人には到底及ばないパワーを補うスピードとテクニックを身に付けた。
昨年のGPでは見事に準優勝。ようやく世界のレベルに這い上がってきた。
スーパーヘビー級、K−1のリングで、いつからか日本は舐められ続けてきた。その中で、たった一人で日本を背負い、世界に挑み続けた武蔵。倒されても、倒されても、絶対あきらめなかった彼は言う。 「勝って、勝って、日本人は強いんだ、とでかい声で叫びたい」と・・・


目標を立て、自らの道を国際舞台で歩き始めた人は、程度の差は有れ同じようなドラマを経験している事だろう。俺様だってそんな人間の一人だと思っている。

1998年8月25日、俺様は、単身ミラノへ渡り「スカラ座バレエ学校」の門をくぐった。ヨーロッパ留学は、この業界ではそれほど特別な事ではないのだけれど、俺様の場合は少し事情が違った。 俺様の入学以前に「スカラ座バレエ学校」は、欧米の生徒以外を受け入れたことは無かったからだ。俺様は東洋系として、190年の歴史の中で初めての生徒となった(偶然だよ。偶然)。 そのことで有形無形の重圧を受けることになる。 入学当初、周りは「こんな東洋人がバレエを踊れるのか?」という目で俺様を見ていた。悔しかったが、それはある意味仕方の無い事だった。ルックスがぜんぜん違う。日本に居れば、俺様は体格の相当恵まれた部類に入るが、ヨーロッパではただの胴長短足に過ぎない。顔のつくりももちろん違うし、何よりバレエを踊る上で必要な股関節の旋回範囲や筋肉の伸縮性が全く劣っていた。生まれた瞬間に、設定されたスタートラインが遥か後方に引かれているのだから、並大抵のことでは追い抜くことはおろか追いつくことさえ難しい状態だった。ビハインドを取り返すために、朝は人より一時間早く学校に行き、柔軟性を高めるストレッチや筋力トレーニングをした。夜は夜で、その日の疲れを持ち越さないためにボディーコンディショニングに励んだ。人がやらない事を人がやらない時間にまでやらなければついて行けなかった。抱いた枕が涙に濡れた事は一度や二度じゃない。ただ、「努力は人を裏切らない」の言葉だけを支えに過ごす日々が続いた。
踊り以外の部分でも何かと周りの目は気になった。
たった一人の日本人。学校の奴らは俺様以外の日本人と接した事など無いのだから、俺様が彼らの一生に渡る日本人観の基本を作ることになる。
恥ずかしい行いや、言動は絶対に慎まなければならなかった。
頭の弱い人間は世界中どこにでも居るもので、「何でお前らアジア人は目が線なんだ?」とか、「日本人の観光客は・・・」とか言ってフザケタ寸劇を俺様の前でする奴が居た。 正直、殴り倒してやりたかったが、どんなに悔しくてもそれは許されない。問題を起こして日本人の評判を悪くしてしまったら、後からここを目指してくる人たちに迷惑をかけてしまうかも知れないから・・・。  出来ることは、踊りの実力と、日ごろの言動で周りの尊敬を勝ち取ることだけ。海外に出ると、急に卑屈になってしまい媚びを売る人も居るが俺様はそうはしたくなかった。堂々と日本人として彼らと渡り合いたかった。 話し方には注意が必要だった。外国でまず何よりも早く耳に馴染んでくるのは、その国のスラングだ。面白がって教えて来るので、嫌でも覚えてしまう。 だから気を付けていないと、不用意に使ってしまうかもしれない。それで大恥をかかされるかも知れないのだ。 
食事の仕方にも気配りが要る。 学食で食べているときも気が抜けなかった。テーブルマナーなど日本に居たときはお構いなしだったが、イタリアに着てからは注意するようになった。本を買って勉強した。イタリアでは麺系のパスタを食べる機会が多いのだが、これを日本の麺を食べる感覚で、ズルズルとやってしまうと、いっかんの終わりだ。 (ズルズルと立てた音で、ガラガラと世界が崩れ落ちる) きちんとフォークで巻き上げてから口に運ぶ。吸い込むと絶対に音が立ってしまうので、巻ききれなかった分はテクニックを駆使して、たくし上げ無ければならない。(これが意外と難しい)

努力はその辛さの分だけの結果を約束してくれるもので、何ヶ月も生活しているうちに、次第に俺様を馬鹿にする奴は学校の中には居なくなっていた。
本業の方の成績も、ゆっくりと上がってきていた。物理的に変化のしようの無い足の長さ等はどうしようもなかったが、筋肉のつき方や身体の動かし方で欠点をカバーできるようになってきた。 見た目のボディーラインも決して劣らない。
もともと条件の良い奴は考える事をしない。だけど、そうでない奴は頭を使ってハンディを克服しなければならない。それは、一見不条理に見えるが、実は逆かもしれない。 勝手に何でも出来てしまう人は壁にぶち当たった時弱い。それまで「考える」ということをしてこなかったから、問題を客観的に分析することが出来ないからだ。悩み事が少ないと精神的にも鍛えられないから簡単にへこたれたりする。 その点、もともと不利な人間は全く強い。しょっちゅう壁にぶち当たり、そのたびに乗り越えることを余儀なくされるのだから、常に問題を解決する方法を考えている。悔しさをバネに這い上がって行く分、精神的にも強くなり、ちょっとやそっとじゃ負けない。それどころか、不利な状況を逆に楽しむ「マゾヒスティック」さも身に付いてくる。 幾つもの壁を征服してきた自信がそうさせる。オタク魂のような、雑草魂のようなしたたかさを持っている。

今現在、俺様はラテンアメリカで、またしても唯一人の日本人男性バレエダンサーである。
優秀な日本人が多く居るヨーロッパとは状況が違う。
俺様以外の日本人ダンサーを知らない人々対して、俺様はある意味日本のバレエ界の象徴であると言える。「武蔵」のように日本を背負う俺様は毎日思う。俺様のせいで日本のバレエ界を馬鹿にされる訳には行かない、と。 俺様は一人目だから、次に来る人のために道を作っておかなければならない。 俺様だって先輩達が苦労して作ってきた道を歩かせてもらったのだから。


開くれど閉ざす 雲暗く
すすき刈る萱 そよがせて
嵐はさっと 吹き渡り
万馬嘶く 声高し
銃雷と 轟けば
太刀稲妻と 閃きつ
天下分け目の 戦いは
今や開けぬ 関ヶ原
戦い今や たけなわの
踏み拉かれぬ 草も無く
精鋭一千 我一人
猛虎負隅の 威を振るう
運命いずれ 生か死か
ここを先途と 鞭振るい
奮迅敵の 直中に
道を求めて 攻めかかる

俺様の意思である。


あぁぁぁぁ! 何か今回は面白くない文章になってしまったではないか!!
次回は、何かもっと愉快な文にしたいと思います。 そういえば、送ってもらったビデオの中に「PRIDE・男祭り2004・SADAME 」があったなぁ・・・これを見た後に書くとどうなるだろう??
 
前回募集した、キャンドルホルダーの名前、一週間足らずで11人の人が応募してくださいました。ありがとうございました!どれもユーモア溢れる名前で甲乙つけ難いです(汗)。 
その中で特に気に入った(笑った)ものが三点あります。
1・「サンチア子」
2・「トメ」
3・「お銀」
この中から選びたいのですが、自分では決めかねます・・・。そこで、今回は読者の皆様に投票していただきたいと思います!3つの中からひとつを選んで、その理由を添えてコメント欄に投票してください!皆様のご応募、お待ちしております!!

arterrorist001 at 08:57|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2005年03月27日

言うに事欠いて・・・俺様のチリライフをサクッと紹介!

今回は、俺様のチリでの生活がどの様な感じかを少し紹介させてもらおう。

今回は特に長文だ!!

*大気汚染と交通事情*
サンティアゴ市の大気汚染は最早殺人的レベルに達しており、特に風の少ない冬場など、晴れた日でさえ空が灰色な程だ。三十分も外を歩けば、鼻糞が黒く染まる、と言えばどれ程の事か実感を持ってもらえるだろう。鼻毛の伸びる早さも異常に早くなる・・・。喫煙者の肺の写真はグロテスクだが、この汚染された空気を毎日吸い続ける人間のそれは一体どうなっているのだろう??
考えただけで・・・・shdbjsdjnkzmslm,zmklzmkdnzjnkmsnkjnjkn・・・・
これはひとえに道路を埋め尽くすポンコツバス(道路上の50%がバス。信じられるか??)のせいである。日本ならば旧石器時代に廃車にされたであろう代物がモクモクと黒い排気ガスと異常なエンジン音をとどろかせ、時速70キロ以上で疾走する。急発進、急停車はもちろん奇襲的割り込みも当たり前。ウィンカー??何だそれ。車間距離数十センチ。どこまでも己の反射神経と愛車のブレーキの性能(一応ベンツやボルボだが・・・)を信じてやまない。そう、道路は戦場なのだ!トロイ奴、間抜けな奴は生き残れない野生の世界。ここでは一台一台が個人経営なので、みんな生き残りに必死だ。車検なんて存在しない。整備?何のことだ??先進国の住民では想像もできない光景が、ここでは日常的に展開されている。俺様は一年ほどの間に4件この目でバスの事故を見た。幸い、どれも死亡事故には至らなかったようだが、一件は酷かった。信号の無い横断歩道を渡っていたオッサンがバスに弾き飛ばされ、すぐ横にあった植え込みに投げ出された。大した怪我はないのか、オッサンはすぐに立ち上がったが・・・「ヴォケっとしてんじゃねぇ!ジジイ!!」とバスの運転手は言い残し去っていった。チリのバス運転手組合は政界と強く癒着していて、どんな裁判になっても決して負けないらしい。それを良い事にやりたい放題である。バス関連の事故に逢うとほぼ間違いなく泣き寝入りを余儀なくされる・・・らしい。恐るべしチリのポンコツバス!!まさに血に飢えた鋼鉄の肉食獣!!!


*住まいの環境*
俺様は、サンティアゴ市のラス・コンデスという地区に住んでいる。ここは、外資系企業、各国の大使館などが集まるところだ。各種レストラン、ブティックなども多い。その為、治安も非常に良く、衛生的である。新市街でなので、他の地域に比べ道路もよく整備されており、騒音もかなり少ない。マイカー率も高いためここには悪名高いバスもあまり走っていない。その為に、空気が比較的キレイなのが何より嬉しい。健康生活のためにこれは重要なことだ。在チリ日本人のほとんど全てがこの地域より郊外の高級住宅街に住んでいる。
チリのマンションは素晴らしい!
ロビーには24時、間門番兼お手伝いさんが常駐していて、色々役立ってくれる。しかも基本的に無料だ。(管理費の中に含まれている)
重たい荷物があるときは部屋まで運んでくれるし、郵便物の受け取りもやってくれる。留守でも安心だ。そのほかに、チリのマンションには贅沢な設備がある。プール、サウナ、スポーツジム、映画館(?)、コインランドリー等だ。
住人ならコインランドリー以外は無料で使える(これも管理費に含まれる)
これらは別に高級マンションに限らず、ごく当たり前の設備なのだ。
チリのマンションはホテル並み。俺様の場合、ワンルームで月の家賃が三万円弱+管理費五千円。日本でこの環境ならいったいいくらするだろうか??

*俺様の一日、平日の場合*
目覚めから出勤
俺様の目覚めは毎日8時と決まっている。かたぎの仕事の人からすればうらやましいほどの遅い朝だ。ベットからいやいや抜け出し、まず最初にPCの電源を入れる。PCが起動するまでの間に、相田みつをの日めくりカレンダーを更新する。そしてメールをチェックする。この時、受信しているメールの数とその内容でその日の調子が決まる。少なかったり、どうでも良いようなものばかりだとはっきり言って鬱だ。朝食のシリアルが必要以上にふやけてしまうのと同等に鬱だ。そんな時は紅茶の熱さまでが忌々しくなる・・・俺様は猫舌だ。
で、朝飯を頂きながら、インターネットで世界の状況を把握し、9時ごろに出勤する。スターズ・アンド・ストライプスとユニオンジャックが毎朝、信号待ちをしている俺様に敬礼する。(アメリカとイギリスの大使館の旗が交差点から見える。)信号を渡れば今度はダビデの星が頭を下げる(イスラエル大使館の旗)それにしても、日の丸が見えないのは非常に残念だ。
ポプラ並木を五分ほど行くと、最寄の地下鉄の駅に辿り付く。(俺様は死んでもバスには乗りません!!)駅舎はいつもきれいに掃除が行届き、日本のそれに匹敵する清潔さだ。いや、まだ新しい分こちのほうが良い位かも知れない。電子改札(関西で言うIKOKA。関東のSUIKAに相当)を抜けると「おフランス製」の車両が一分半の間隔で次々に滑り込む。ノォォォ〜乗り過ごしたぁ!!と言う事は絶対に有り得ない。インド人もびっくりのサービスの良さが、サンティアゴ人の鼻を高くしている。インフラ世界最高を自他共に認める日本男児の俺様ですら頭が下がる・・・。「おフランス製」の車両に乗り込み7駅、約18分で職場の最寄駅に到着。地上に出る時、空気の壁を通り抜ける。ブワッ!っとスモッグ濃度臨界の空気がまとわりついて来て、旧市街に来たことを実感させられるのだ。旧市街はありとあらゆる騒音の巷で、激しく五感をかきむしられる。大体この辺りで俺様の体が完全に眠りから覚めるのだ。4分ほど歩いて「サンティアゴ市立劇場」へ。1857年に立てられた白亜のフレンチネオクラシックが周囲を睥睨する。この劇場は南米屈指の伝統と格式を誇る、チリの舞台芸術の殿堂である。

仕事の時間
9時半、更衣室で着替えてスタジオへ。そこで、ウォーミングUPを始める前に、仲間たちとの朝の挨拶・・・これに5分以上を費やす。無駄に思えるかもしれないこの挨拶が意外と重要なのだ。
その後10時からクラス(基本稽古)。うちは変わっていて、男女別別でクラスを受ける。専属のコーチが三人いて、毎日入れ替わる。スタジオも大小二つなので毎日男女交代で使う。一時間半のクラスでしっかり体をリハーサルに持って行ける状態に仕上げる。一日の中で、ある意味もっとも重要な一時間半だ。この毎日の一時間半の心構えしだいで自分の5年後10年後が左右される。スキルアップはこの一時間半にかかっている。
その後リハーサルに入る。組合によって決められた基本のスケジュールは、A/Bスタジオそれぞれ、一時間半、一時間半、45分の休憩を挟んで更に、一時間半、一時間。合計8リハーサル。割り当てのパートのリハーサルが無ければその時間は自由に使える。飯を食う、マッサージを受ける、本を読むなどなど、思い思いに空いている時間を使う。まじめな奴はその時間もストレッチやトレーニングに当てるが、ちなみに俺様は劇場ではトレーニング等はしない。(企業秘密なのさ!)で、公演が無い日は6時に仕事が終わる。公演が有る日は少しスケジュールが変わる。3時半に出勤し、クラスの後少しばかり「駄目だし」をしてその後休憩を取り、5時半頃からメイクや衣装の着付けをし、7時に開演する。終演は大体9時半を過ぎる。その後、メイクを落とし、衣装を整理して帰る準備が出来たら最終の地下鉄に駆け込み乗車する。サンティアゴの地下鉄の最終便は10時半だ。

晩飯
俺様はまっすぐ、誰も待っていない家に帰る。(寂しい・・・)帰りにその日の晩飯の食材を、近所のスーパーで仕入れる。棚に並んだ食材との睨み合いは真剣勝負だ。俺様は料理に凝る!間違いなくそこら辺のお嬢さん方よりも凝りに凝る。だから、色合い、香り、等徹底的に吟味する。その日の献立は食材との鍔迫り合いの中で決まるのだ。何を作るか、前もって決めてスーパーに行くことは滅多に無い。うまいものを食う、このこだわりに妥協は無い!良い食材がそろった日は、鼻歌交じりに家路を急ぐ。玄関を入ってすぐ右の台所に直行する。どんなに疲れていても、きちんと料理する!食材を洗ったり切ったり、なんとも無いことかもしれないが、ココに人間性が現れる。料理を通して自分の精神のコンディションを知る事が出来る。料理もアートなのだから、ARTERRORIST俺様は手抜きをしたくないのだ。
俺様が自炊を始めたのは、イタリアなので、作るものは大体イタリアンだったが、最近はその他の料理にも手を出し始め、韓国料理「ビビンバ」も習得した。はっきり言って、俺様の料理は美味である。ただ、惜しむらくはその料理を共に楽しむ女性が居ない事だ・・・。
間接照明とテーブルの上に釣った蝋燭で光と影を演出(う〜んロマンチック)した少し暗めの部屋で一人寂しく晩飯を食う俺様・・・。

食後のひと時
一人で優雅な夕食を食した後、PCに向かう。朝と同じくインターネットで世界の状況を把握する。メールには期待しない。なぜならこの時間帯日本は朝であり、誰も面白いメールを送ってきてくれないと分かっているからだ・・・。そんなこんなしてるうちに夕食が消化され、俺様の夜の生活が始まる。
小一時間ほど筋力トレーニングをする。といっても俺様はマシーンを使ったトレーニングは基本的にはしない。俺様が実践しているのは、先だって日本に帰国した際に習得した最新のトレーニング技術「コアビリティ・トレーニング」だ。はじめてからまだ日は浅いが、すでに目に見えて効果が出ている。胴体力が付き動きの安定が増し、脚にかかる負担が減った。その分ジャンプの高さも大きくなったし、疲れが減った。仲間たちが「どうしたんだ??」と怪しむほどに・・・うぇ〜っはっはっはっはぁ〜!!これは企業秘密なのでココでは紹介できません。悪しからず・・・。
その後更に小一時間、今度は整体ストレッチを行う。これは、イタリアで6年間お世話になった、ある日本人の師匠から教わった独自のボディーコンディショニングである。これも残念ながら企業秘密。これのお陰で随分と俺様の体のラインは変わり、怪我も全く経験しないで済んだ。有難う、ムッチ〜!!
トレーニングを終えるとおよそ11時半になっている。

オ〜 マイ バスタイム!
俺様は風呂が大好きだ。 一時間は最低でも風呂に浸かる。風呂場では電気はつけないで蝋燭を二本燈す。バスタブには、その日の気分に合わせたアロマオイルをたらす。好きな音楽をバスタブに浸かりながらイージーリスニング。頭と体をリセットする。BGMはクラシック、ジャズ、コンテンポラリー等ジャンルを選ばないが、ホップスだけは御法度だ。ちなみに、最近のへヴィーローテーションは、アルヴォ・ペルト、鈴木重子、ビル・エバンス、アストル・ピアッソーラ。
入浴中、もし喉が渇けば特性ミックスジュースで潤す。ワインが飲めればもっと完璧だが、俺様は下戸なので残念ながら蝋燭の光にグラスを傾ける事は出来ない。
不可侵の空間で、視覚、嗅覚、味覚、触覚、聴覚の全てを開放する。まさに至福のひと時。生きているのか、死んでいるのか、それさえも分からない程にただひたすらヴォケェ〜と過ごす。幸せ、これに勝るものなしである。
こうして午前一時、俺様は眠りにつく。

これが俺様の平日の過ごし方だ。
かなりマニアックでカマチックだが・・・繰り返し言う。俺様はゲイじゃない!!と。たまに俺様のこのような生活を知った人に、「カズ・・・やばくない?」って言われる事があるが、俺様はこんな生活が大好きだ。一緒に満喫してくれる女性がいればなおさら完璧なんだが・・・。

あぁ、ココで緊急企画!!
俺様のお気に入りのキャンドルホルダーの名前を大募集したいと思います!!
ピンク色の岩塩に丸い穴が開いていて、その中に蝋燭を入れると、揺れる淡い光が空間を演出してくれます。 ちなみにこのキャンドルホルダーは女性です。(俺様の希望)
素敵な名前をくれた貴方には豪華景品を差し上げたいと思います!(マジで)
どしどしご応募お持ちしております!!(コメント欄に投書して下さい)










arterrorist001 at 10:26|PermalinkComments(0)TrackBack(1)

2005年03月20日

バレエ芸術 その表現についての考察

前回の冒頭でダンサーの生態についてご紹介すると予告していたが、今回は内容を変更しようと思う。


今回は、俺様の独断と偏見による表現講座ダァ!


「プロは舞台の上で違う人格になれる」って言う人、居るやろ?
俺様、それは全然違うと思います。舞台の上って自分が装ってる虚飾が全部暴かれて裸にされてしまうところやと思ってる。嘘ついてカッコつけても、「王様は裸」ってバレバレみたいな!?  
毎日の生活態度、哲学、経験・・・何でも見ず知らずの赤の他人に見透かされる。(はっきり言って、日記で私生活を下手な文章で明かすより恥ずかしい。) 見る眼のある観客の心を欺く事はできないのさ。
ちょうど、勘の良い女性が相手の浮気を意図も簡単に見抜いてしまうように、舞台の上では、そこに登場する人物は赤裸々にされてしまう。

だから、見られても恥ずかしくないような「素の自分」を毎日、生きている中で磨いていくのが俺らの仕事ちゃいますか?と思う。 
ごてごて着飾ってアクセでギラギラになってるよりも、裸の俺様が一番美しいぜッ!みたいな?これ位言える自分でありたい。 これはギャグじゃなくて真剣に言ってます。俺様達は、舞台の上でバーチャルな見世物を売りにしてる訳じゃない。例えば「ロミオとジュリエット」を踊るんやったらその「ロミオ」なり「ジュリエット」と言うキャラクター、その媒体を通して自分自身の人生で経験してきた事をみせる。それは既に作り物を越えた現実だ。
そこが、文化ではあっても芸術ではない「アニメ」と芸術を自称する「バレエ」との境目だ。(最近のアニメは糞なバレエよりよっぽど芸術的であるが・・・) 舞台で進行しているリアルな状況に、観客は感情移入し、その心の中で追体験する。観客自身もその感情移入の対象にしたキャラクターになりきる。これが、生で舞台を鑑賞する醍醐味だ! 時間つぶしのためならテレビドラマが相手になてくれる。これはただで見られるから・・・。 高いジャンプや、すさまじい回転が見たければ「フィギュア・スケート」を見に行けばいい。バレエダンサーでは見せることの出来ない次元の動きをしているから・・・。

俺様、昔よく先生から「カズが踊ってる」(役になりきってないと言う意味)って注意されてた。でも今では、その注意はある意味間違いだと思っている。素の俺様が踊ってて良いネン。俺様が例えばロミオをやるとする。役柄の設定はシェ−クスピアが決めてる。決められた形がある。でも、俺様が踊るロミオはどう考えても俺自身でしか在り様が無いからね。俺様のロミオは、リアルの人生の中で経験した感情を表現する事でしかあり得ない。ロミオが経験した感情と同じものを俺様も経験していなければ、どうしようもない。言い換えれば、素の状態で「ロミオ」でいられるような一面をもてるほどの人生を送らなければいけないと言う事。せこせこと稽古場に引き篭もって技術の練習ばかりしている暇は無い。
俺様が、もし誰にも恋をしたことが無かったら、シェークスピアのオッサンが決めた基本の役柄すら表現できんわな。顔の筋肉をいくら動かしてもそれは無理。(よく顔の筋肉が動く奴を表現力のある奴と勘違いしてる人のいかに多いことか・・・)
想像して欲しい。貴方は嬉しいとき自然にそう言う表情になっているはずだ。
誰も、意識して表情を作る馬鹿は居ない。
舞台の上で感情を復元し、それが勝手に顔の表情、動きの表情となって現れなければならない。
我々は表現に言葉を用いない。顔の表情(決して筋肉の動きのことではない)と体の動きの表情で物語を紡ぎ出し、それをもって言葉よりも饒舌に語らなけれならない。しかも説得力を備えていなければ、感情の発信源とはなりえないのだ。説得力はつまり「リアル」さだ。

総合芸術といわれるバレエは、踊り以外の芸術の参加があって初めて完成する。衣装・舞台セット・照明・・・それらの中で最も重要なのは音楽であろう。(これについても持論があるのでそのうち紹介したい)腕のいい指揮者によって演奏された音楽は情景の描写を補完してくれる。(糞バレエに運悪く出会ってしまったなら眼をつぶって音楽を聴きましょう。)しかし、やはり主体は踊りを通した表現だ。
だから、自分の人生、日常の過ごし方がマジで、これはマジで大事!!と思う。素直に生きる。好きなら好き。嫌いなら嫌い。綺麗な感情汚い感情、全部ひっくるめて俺の宝。みたいな?それを赤の他人に売ってます。(売るって売春見たいやね・・・。)

もし、本当に一人一人のアーティストがそれぞれ異なる個性を持っているとするなら、それは人生において経験した事象の違いに根源が有るのだと思う。
(育ってきた〜環境がぁ違うから〜好きぃ嫌いは否めないぁ〜♪)
生まれながらに持った個性があるなど俺様は信じない!(一部の天才の事は知らん!)

しかし、俺様のこのような主張は日本のバレエ界では少数派だ。
多くの人は「ダンサーは舞台上で別の人格になりえる」と主張している。
だが、いずれ俺様の、ARTERRORISTの思想を日本に逆上陸させて、バレエ界を席捲する日が来るであろう!(うぇ〜っはっはっはっは!)

人類が言葉を獲得する以前、全てのコミニュケーションは身振り手振りで行われていた。それは既に踊りであった。その頃人類は、まだ音楽や絵画さえも手に入れていなかったのだ。
つまり極論すれば、踊りを踊ったか踊らなかったかが、類人猿と人類を隔てる壁だったんじゃないか?


今回は取り留めの無い文章になってしまって申し訳ない。
所詮俺様は言葉の表現者ではないのだ・・・と言い訳する事をお許しください。 俺様の主張が正しい事を、今後の活動を通して証明していきたいと思います。応援宜しく!!


arterrorist001 at 03:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)