2005年04月

2005年04月25日

俺様の歌を聴け!!

「シンデレラ」の公演が無事(?)終わり、息つく暇も無く俺様達は次の公演のリハーサルに取り掛かっている。 
今回は珍しくカンパニーを、「A」と「B」に分けて別々の演目をそれぞれのスケジュールで行うことになった。「Aカンパニー」は主にプリンシパル(主席舞踊手)とソリスト(上級舞踊手)で構成され、「題名未定」の新作をもって、6月上旬、イタリア・ヴェネツィアの芸術祭「ビエンナーレ」に参加する。 俺様は長くイタリアで過ごし、多くの知人や先生方が向こうに居られるので、自分の成長(自分で言うな?)を見てもらう意味でも是非この「Aカンパニー」に参加したいとひそかに思っていたが、その願いはかなわなかった。
と言う訳で、俺様は若手で構成される「Bカンパニー」の一員として、モーリス・ベジャール振り付け、「マザー・テレサ」を5月5日からサンティアゴ市立劇場で踊ることになった。  第二の故郷、イタリアでの公演はお預けとなったが、その代わりに現代バレエ界最高の振付家の作品を踊る幸運に巡り合った。


モーリス・ベジャールとは・・・
男性ダンサーが中心となる踊りの迫力、両性具有のエロティシズム、祭儀にも通じる観客との共振性で、二十世紀半ばの舞踏界に大きな衝撃を与え、まだ女性中心であったバレエ界を震撼させ、その後の流れを変えた。多くの民族舞踊から着想を得た、それまでには無かった舞踊を構築した。全裸を思わせる、男女同数の群舞が豊穣な性の力を誇示し観客に大きな衝撃を与えたが、それはまた同時に、舞踊がほんらい持っていた根源的な力を告げ知らせることでもあった。舞台芸術としてのバレエを、思想を表現しうる器にまで高めると同時に、長い間見失われていた舞踊の始原的な力を一挙に回復せしめ、舞踊のみならず、他の芸術はもとより、文学、思想の世界にまで影響を及ぼしている20世紀を代表するコリオグラファー(振付家)である。日本文化への関心は深く、来日公演も数多い。東京バレエ団のために仮名手本忠臣蔵を題材にした 『ザ・カブキ』、三島由紀夫の生涯に想を得た『M』などを振付けている 
現存する振付家のなかで最も偉大な足跡を残しているこのモーリス・ベジャール氏は、俺様の師匠、ミーシャ・ヴァン・ヌックの師でもあり、現在の俺様のバレエ思想の源流を辿っていくと、おそらく彼から流れ出している。(恐れ多いか?) といっても、これまでは身近に思うことの無かった巨匠の作品を踊れることになったのだから、「運命とは不思議なものだなぁ」と感じる。


俺様歌手デビュー??

この作品は15人のダンサーによって踊られる。  踊られるだけでなく、台詞を話したり歌を歌ったりしなければならない部分も多くある。台詞を言うことには全く問題が無い。 問題は・・・歌である・・・。
はっきり言っておく。 俺様は音痴である。それも、相当の音痴である。 日本で友人達とカラオケに行ったりして、歌うこと自体は別に嫌いではないし、どちらかと言えば好きかもしれない。ただ、続けて一緒にカラオケに行ってくれる友人はあまり居ない。俺様の歌を聴くのが苦痛らしい・・・他の奴らも別に上手くもなんとも無いと思うのだけど、俺様はちょっと特別な存在らしい。(俺様は気持ち良くしてるのに失礼な奴らだぜ全くっ!)
そんな俺様が、今回は多くの観客の前で歌うはめになった。もちろん、ソロで歌うことは無い。(フ〜!汗)15人で合唱する。曲はシューベルトの「ハレルヤ」で、あの有名なヘンデルのものとは違う。俺様に割り当てられたパートはバリトンだ。 15人で歌うのだから、一人音痴が居ても分からないだろう、と思うのだが、うちの劇場は歌劇場なので音響が良く、誰かが音を外すと全部聞こえるらしい。それじゃぁ、口パクでお願いします・・・といっても当然却下された。と言う訳で、先週はじめから一日一時間、声楽の先生と歌のリハーサルを始めることになった。もちろん、俺様一人じゃなく出演者全員で。
歌の練習など、中学せいの頃以来やったことが無い。そもそも中学時代も音楽の時間は「落書き」もしくは「休憩」の時間と言う認識で居たので、まじめに発声練習をしたり、リズム打ちをしたりするのは生まれて始めてかも・・・。今回は昔と違い真剣に取り組まざるをえない状況なので、俺様も必死だ。

俺様     「の〜の〜の〜の〜の〜〜♪♪」
声楽の先生  「NO〜!NO〜!!」
俺様     「え?音ずれてますか?」
声楽の先生  「はぁ〜・・・・」
他の出演者  「うぇ〜っはっはっはっはぁぁ!!音痴だ音痴だ」
俺様     「の〜の〜の〜・・・」
声楽の先生  「NOぉぉぉぉ!!!!!」

こんな感じで、まず発声練習からつまずいている。 
本番までそれほど多く時間は残されていないが、やらなければいけないことはとても多い。今、正直言ってちょっと疲れ意味である。普段なら全幕物のクラシックバレエをやっているわけだから、50人前後でリハーサルをする。自分のリハーサルの割り当ての無い時間も有るのだが、今回はフルにリハーサルのスケジュールが詰まっている。その間踊りっぱなしで、もう秋だというのに発汗する量が尋常じゃない。普段、あまり食べたくならない甘いものが無性に欲しくなったりするし、朝の寝起きの血圧がいつもにも増して低いような気もする・・・。その上、リハーサルの後に声楽の稽古だ。
まぁ、いつもと違うリズムで、いつも違う質の生活をすることも重要なのかもしれない。

さて、今日もこれから「トメ」と一緒に風呂にでも浸かって心と身体をリセットすることにしようかな・・・。






arterrorist001 at 04:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年04月19日

想定の範囲内・・・じゃないですからぁぁ!何見てんだゴルァ!

昨日、(4月17日)今シーズンのオープニングアクト、「シンデレラ」の公演が終了した。 一週間で10公演はさすがに厳しかった。(だって、俺様のセカンドキャスト居なかったんだもん。)  無事?千秋楽を終えて、ほっとしたところで今回の公演を振り返ってみよう。


人生初の大失敗・・・俺様、衣装を破損し流血する。

そのハプニングは、まさに初日に起こった。 一幕が終わり、20分の休憩の後の第二幕、シンデレラが魔法使いのオバサン(うちのバージョンではオバサンは、死んだシンデレラの実の母親の霊、と言う設定)につれられて王宮の舞踏会にやってくる場面。 俺様は王宮の道化師として舞踏会に招待客を招き入れると言う幕開きのシーンで、舞台下手奥(客席から見て左側の一番後ろ)からダッシュでパートナーと舞台に登場するのだが、その際に身に着けていた衣装の右側の袖が・・・???・・・!!!舞台セットに引っかかり千切れてしまった・・・ノォォォォォォ!!! ちょっと右手を引っ張られる抵抗感があって、「ヤヴぇ、何か引っかかった?」と思ったのだけど、立ち止まるわけには行かずそのまま行ったら、「ザク、バリバリバリィィ」って音がして無残にも袖が根元から千切れてヒラヒラしているではないかぁ!(キレイに肩口からすっぽり外れていた)横目で後ろを見ると、パートナーは無事のようだけど、引っ掛けた舞台セットが凄い勢いで揺れている・・・メトロノームのようにバウンドする装置の動きに、古いオフコースの歌がBGMとしてかぶる・・・「もう、終わりぃだねぇ♪君が小さく見ぃえるぅ♪」・・・こんなアフォな失敗はこれまで14年間の舞台経験の中で始めてのことだった。というか、そんな間抜けな奴を見たことも無いし、聞いた事さえあまり無い。 「何たる糞だ、この俺様は!」
色々な感情が複雑に交じり合ったものに精神をかきむしられたが、「Show Must Go On!!」何が起きても舞台は進行しなければならない。文章にしてみるとなんだか長い時間のように思えるが、この間わずか2・3秒だった。(死に際の一瞬に人生をスローモーションで振り返る、と言う奴を俺様は信じるね。)起こってしまったことは仕方が無い。もう、無かったことには出来ない。ここからどう立て直すかがプロとしてこの道で飯を食う俺様の根性の見せ所だ。
見に来てくれている観客の皆さんの為に、一緒にリハーサルを頑張ってきたパートナーの為に、そして自分自身のプライドの為に、踊らなければならない・・・千切れてヒラヒラになった袖と共に。(袖がヒラヒラ揺れる度に笑っているように見える。怒!)
そこで、迷いが頭をもたげてきた。 「千切れた袖をはずしてしまうべきか?それともそのままにしておくか?」袖口についているボタンとホックを外せば袖は取ることが出来る状態だけど、そうすると、素の右腕がモロに露出してしまう。ヒラヒラさせておくよりはマシか?でも、外した袖をどうするのだ?普通なら、衣装や小道具に不具合が起きたらそれを観客にばれないように、外すなり何なりしてさりげなくその存在を無かった事にするのが舞台上の決りなのだが・・・どうしたらそれが可能か、俺様にはそれを0・何秒かで判断することが出来なかった。(未熟者!戦場だったら貴様は命をなくしている!by鬼軍曹)
だから、結局その一曲の最後まで千切れた袖と一緒に踊った。
回転する度に、パートナーをリフトする度に、腕を肩より高い位置で動かす度に、視界を遮られ、やりにくい事この上なかった。客席からはどの様に見えて居るのかも気になった。とりあえず舞台袖(舞台の外側にある客席からは見えないスペース)に居る仲間達は爆笑しているようだ。(何笑ってんだゴルァ!!) 人の不幸は蜜の味ってか? 

しかし、何でこんな失敗をしてしまったのだろう?
集中力が十分でなかったからだろうか?・・・たぶんそうだ。
二幕の開始前に舞台袖で何があったのかをちょっと紹介したい。

舞台が始まると、出演者は舞台袖にスタンバイする。そこではウォーミングアップをしたりストレッチをしたりして舞台に登場するまでを過ごすのだ。
さて、二幕が始まった。俺様の登場の前に一曲ある。で、それが終わった瞬間に俺様とパートナーは猛ダッシュで舞台上に駆け込まなければなら無い。(舞台下手から中央までのスロープを駆け上がる)だから、下手の一番後ろのスペースは空けておいてもらうようにリハーサルのときから決まって居た。なのに、そこで堂々とストレッチをしている奴が1人居た。

俺様 「俺様達、走ってここから出るから、そこ空けてよ。」
ヴァカ 「まだ、時間有るだろ?」
俺様 「いや、時間はない」
ヴァカ 「ウルセーなぁ・・・」
パートナー(女) 「ウルセーじゃねぇよ!さっさとどけ!」
ヴァカ 「何だとこの野郎!調子に乗ってんじゃねぇ」
俺様 「いや、マジで時間無いから。どいてくれたらそれで良いんだって」
パートナー(しつこいようだが女) 「舐めんじゃねぇぞコラァ!てめぇにイライラさせられたせいでなんか失敗したらどう落とし前つけるんだ?このオカマ野朗!」(放送禁止用語多数)
ここで、出番直前の曲が終わり拍手が起こる。この拍手がやまないうちに駆け込まなければならない・・・
俺様 「ゴメンね!」
と言い、そこに居たヴァカを突き飛ばして舞台上へ・・・そして・・・

アクシデントの責任は全く俺様にあるのは分かっている。 言い訳はしない。
ただ、舞台袖ではこんなことがありましたとさ・・・。

出番の曲が終わり、今度は舞台上手(客席から見て右側)の一番前から舞台の外へ。
パートナー 「やっちゃったね。でも、踊りは上手く行ったからOKだよ。って言うか、アナタおでこが切れて血が出てるよ。大丈夫?」
俺様 「エッ?まじっすか?」
そういわれて見ると確かにおでこがひりひりするような感じがする・・・。
汗かと思っていた生暖かい感触は、実は流血だった。
俺様 「おっ俺様のカッコ良過ぎる顔に傷ガァァ!!」
パートナー 「カッコ良過ぎるんだから少しくらい良いじゃない(苦笑)」
と言い、消毒液を探しに行ってくれた。 いやぁ、持つべきものは心優しいパートナーだなぁ。
で、消毒液と脱脂綿を持ってきてくれたパートナーが
パートナー 「しみるけど我慢しなさいよ。」
と俺様のオデコの傷を消毒してくれた。ううっ沁みるぅっ・・・痛い・・・痛いけど痛くないぃぃ・・・。 その後、自分の手のひらをなにやら消毒して居る。
俺様 「どうしたの?」
パートナー 「セットが跳ね返ってアナタに当たりそうだったから抑えたんだ。そしたら、私もちょっと切っちゃった。へへへ。」
申し訳無い・・・心から申し訳ない・・・そして、言われるまで気がつかなかった、自分のことばかり考ええ居た自分が情けなくなった。
俺様はこのパートナーの為に何でもしてあげようと心に決めた。

これは初日の出来事だった。
初日には各界の著名人や政府の要人、そしてバレエ評論家が招待されている。1500ほどの客席はもちろん満席だった。 その前でとんだ醜態をさらしてしまった俺様だが、有名人やらがどうのこうのというのはあまり関係ない気がした。  問題は少しのことで集中力を欠いてしまい、失敗をしてしまった俺様の未熟さをこれからどうするかだ。 色々な修養をしてもっと強くならなければならない。


番外編
以前募集したキャンドルホルダーの名前ですが、
「サンチア子」と「トメ」の二つで決戦投票をする事にとなりました。
ここを読んでくださった方は是非是非投票してください!

それ以外でも、ご意見・ご感想などの書き込みをしていただけると、本当に嬉しいです。これからは書き込みに対するご返事も返していきます。どうか宜しくお願いします!!!

arterrorist001 at 04:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年04月11日

新たな挑戦はいつも  桜咲く季節  

日本は今、まさに桜の花が一年の眠りから覚めて、その存在を強烈にアピールしていることだろう。 俺様は地球の裏側に居るので、残念ながらこの目にその生命力のほとばしりを実感として捉えることは出来ない。 でも、幼い頃に住んでいた家の近所の桜咲き乱れる風景は、今でも心の中で生き生きとし、俺様に一服の清涼感と、力を与えてくれる。忍耐・慈愛・情熱・探求・純潔・・・物心つく前から桜と共に生活してきた俺様に、桜はその哲学を、持って生きるための行動の規範を教えてくれたのではないかと思っている。 そんな俺様の愛する桜が、年に一度、わが世を謳歌する季節に、俺様も新しいシーズンの始まりを迎える。

「個にして全 全にして個」


サンティアゴ市立劇場バレエ団の新シーズンは、4月11日月曜日に幕を上げる。 最初の演目は「シンデレラ」(セルゲイ・プロコフィエフ作曲 マリシア・ハイデ演出・振り付け)だ。 バレエ「シンデレラ」と言えば、英国ロイヤルバレエ団のサー・ケネス・マクミラン版や、パリオペラ座バレエ団のルドルフ・ヌレイエフ版が世界中で上演される定番となっているが、俺様達のカンパニーは今回、マリシア・ハイデによる新解釈バージョンに取り組む。 出演する側から今回の公演の見所を敢えて言う事はしまい。 ただ、演出的なことで言えば、衣装の製作を今回は「クリスティアン・ディオール」のアトリエに依頼した事は一つの売りだ。デザインは、チリのアーティスト(名前忘れちゃいました・・・)が手掛け、パターン、モンタージュ、をディオールの工場が担当したらしい。若干暗めで無彩色っぽいのプロコフィエフの楽曲とは裏腹に、衣装は非常に彩り豊かで、両者のコントラストが効いている。デザインもバレエのコスチュームとしてはなかなか独創的で、一言で言えば「熱帯の海」のような印象を与える。

色々なジャンルの最高のアーティストたちのコラボレーションが、最終的に成功となるかどうかは・・・俺様たちの仕事次第のようだ。沢山の人間のアートが詰め込まれた今回の公演も、自分に負けることなく最大限の力を発揮できれば、と思う。

今回の公演で俺様は初めてコミカルな役柄に挑戦する。
二幕に登場する「ピエロ」の役をやらせえもらう事になった。 この役は、ストーリーの進行に影響するリーディングキャラクターではないが、一応、パートナーと二人のデュオだ。 刺身の皿に例えれば、大根以上・マグロ未満・・・さしずめワサビと言ったところだろうか。脇役では有るが、俺様達がパンチを効かせられるかどうかで、また主役達の方の味もまた変わってくるだろう。だから、俺様はチューブ入りの練りワサビでは無く、鮫肌で削って食べる本ワサビでありたい。
さっきも言ったが、コミカルな役柄は今回が初めてな上、元来俺様は根暗なところがある。役作りはまるで、有るか無いか分からない金鉱を掘り当てるような、手探りの連続だった。滑稽な動きと表現は奥が深い。素早く、細かく、しかも正確なステップをこなすことも要求される。俺様の持ち味である流れの途切れない踊りをこの要求を満たした上ですることは、俺様にとってそれほど簡単なことではなかった。怪我とは全く無縁の俺様も、今回は不安になる場面に出くわした。それでも、コーチングスタッフの指導の宜しきを得て、何とか舞台に出られる水準には達しえたと思う。何回か本番を経験してより良くなっていけるだろうとも思う。後は「あたって砕けろ」と言ったところだろうか。
尊敬するキャラクターダンサー、イタリアのルイジ・ボニーノ、フランスのエリック・キエレ張りにきめに行くぜ!!


新しいシーズンの幕が上がるにあたって、日々思っていることをこの場を借りて申し上げたい。
俺様を応援しえくれる全ての人に感謝の気持ちを伝えたい。
舞台に立つ、と言うことはその準備の段階でも、そして観客の前に出ると言うこと自体も、ある意味非常な苦痛を伴う事だ。1500人の3000の視線に身をさらすのは容易ではない。舞台に立つ人間の力と観客の持っている力が共鳴しなければ、想定外のアートは生まれ無い。その最低条件は3000の矢に射抜かれてなお折れない自己を持つこと。観客の意思を反射する、自己主張する鏡であること。 心身共に大きな試練となる。
一人では何一つ出来ないし、立ち向かえない。
支えになるのはいつも、応援してくれる人が一緒に居てくれること。
両親、お世話になった先生方、先輩、同僚、後輩他のジャンルで頑張る仲間達、メールで応援してくれる人、ここのコメント欄に書き込んでくれる人、などなどほんの少しの気持ちさえ、俺様にとっては大きな勇気に繋がる。
舞台に立つとき俺様は一人ではないと感じることが、最近できるようになってきた。もう、1500対1じゃない。 1500対大勢だ。 
大きな拍手をもぎ取ろうと思う。 それは俺様だけに向けられた拍手ではない。 少なくとも俺様にとってそれは、俺の人生にかかわる全ての人に向けられたものだ。だからこそ大きな拍手をもぎ取りたい。
明日、俺様はみんなと一緒に舞台に立つ!!

arterrorist001 at 07:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年04月03日

日本人で在ると言う事

先日、2004年のK−1GP決勝ラウンドのビデオを見た。(俺様、格闘技大好き!) いつもは、「アーネスト・ホースト」や今はPRIDEに行ってしまった「ステファン・レコ」など、実力と華やかさを備えた外国人選手に注目していたが・・・今回は、最も華の無い「武蔵」と言う日本人選手に目を奪われた。と言うより、不埒にも感情移入してしまった。 この「武蔵」と言う選手はデビューして10年、未だ日本人相手に負けを経験していない、ずっと唯一人の日本代表としてK−1のリングで闘ってきた。名実共に正真正銘の日本のエースだ。それなのに、なぜか彼は世界の舞台ではまったく華の無い選手で、地元日本でさえ人気は高くない。理由は、強くないから。勝ったとしてもいつも判定勝利ばかりで、試合スタイルも「打っては逃げ」を繰り返すヒット・アンド・アウェーでアグレッシブに打ち合いに行くことは全く無い。
しかし、そんな彼を悪し様に批判するのはあまりにも酷な事だ。
彼は10年間、恵まれない身体能力で日陰の道を一人で歩き続けてきたのだから・・・。
「武蔵」10年の苦闘。それは1995年9月3日当時85Kgで、まだベビー級で闘う身体が出来ていなかったにもかかわらず、強豪ファイター(パトリック・スミス)から奇跡のKO勝利を挙げた瞬間から始まった。人々はニューヒーロー誕生と大きな期待をこの新人によせた。だがその後、100kgを越すヘビー級ファイター達の手荒い洗礼をの前に、まだ身体の出来ていなかった「武蔵」は翻弄され、連敗が続く。しかし、「武蔵」の代わりとなる日本人ファイターも現れない。「たった一人の日本代表」その責任を感じながら、世界のトップファイターに挑み続け、そして痛めつけられる「武蔵」。人々の期待はやがて失望へと変わり、マスコミはたった一人で闘う日本代表の彼に対して、容赦なく厳しい批判を浴びせかけた。そして外国人ファイターにもなめられ続けた。築き上げられるOK負けの山。彼は何を思い闘い続けたのか? 彼は言う「日本人じゃ勝てないんじゃないかと、思われていることが一番辛かった。日本代表と呼ばれているので、絶対に覆してやろうと思う」と。 日本が舐められない様に、強い日本代表になる為に、10年間、様々なトレーニングや海外での修行に励み続け、命を削り己の肉体を鍛え上げてきた。その努力が実を結び、今ではようやく100Kgの肉体と、外国人には到底及ばないパワーを補うスピードとテクニックを身に付けた。
昨年のGPでは見事に準優勝。ようやく世界のレベルに這い上がってきた。
スーパーヘビー級、K−1のリングで、いつからか日本は舐められ続けてきた。その中で、たった一人で日本を背負い、世界に挑み続けた武蔵。倒されても、倒されても、絶対あきらめなかった彼は言う。 「勝って、勝って、日本人は強いんだ、とでかい声で叫びたい」と・・・


目標を立て、自らの道を国際舞台で歩き始めた人は、程度の差は有れ同じようなドラマを経験している事だろう。俺様だってそんな人間の一人だと思っている。

1998年8月25日、俺様は、単身ミラノへ渡り「スカラ座バレエ学校」の門をくぐった。ヨーロッパ留学は、この業界ではそれほど特別な事ではないのだけれど、俺様の場合は少し事情が違った。 俺様の入学以前に「スカラ座バレエ学校」は、欧米の生徒以外を受け入れたことは無かったからだ。俺様は東洋系として、190年の歴史の中で初めての生徒となった(偶然だよ。偶然)。 そのことで有形無形の重圧を受けることになる。 入学当初、周りは「こんな東洋人がバレエを踊れるのか?」という目で俺様を見ていた。悔しかったが、それはある意味仕方の無い事だった。ルックスがぜんぜん違う。日本に居れば、俺様は体格の相当恵まれた部類に入るが、ヨーロッパではただの胴長短足に過ぎない。顔のつくりももちろん違うし、何よりバレエを踊る上で必要な股関節の旋回範囲や筋肉の伸縮性が全く劣っていた。生まれた瞬間に、設定されたスタートラインが遥か後方に引かれているのだから、並大抵のことでは追い抜くことはおろか追いつくことさえ難しい状態だった。ビハインドを取り返すために、朝は人より一時間早く学校に行き、柔軟性を高めるストレッチや筋力トレーニングをした。夜は夜で、その日の疲れを持ち越さないためにボディーコンディショニングに励んだ。人がやらない事を人がやらない時間にまでやらなければついて行けなかった。抱いた枕が涙に濡れた事は一度や二度じゃない。ただ、「努力は人を裏切らない」の言葉だけを支えに過ごす日々が続いた。
踊り以外の部分でも何かと周りの目は気になった。
たった一人の日本人。学校の奴らは俺様以外の日本人と接した事など無いのだから、俺様が彼らの一生に渡る日本人観の基本を作ることになる。
恥ずかしい行いや、言動は絶対に慎まなければならなかった。
頭の弱い人間は世界中どこにでも居るもので、「何でお前らアジア人は目が線なんだ?」とか、「日本人の観光客は・・・」とか言ってフザケタ寸劇を俺様の前でする奴が居た。 正直、殴り倒してやりたかったが、どんなに悔しくてもそれは許されない。問題を起こして日本人の評判を悪くしてしまったら、後からここを目指してくる人たちに迷惑をかけてしまうかも知れないから・・・。  出来ることは、踊りの実力と、日ごろの言動で周りの尊敬を勝ち取ることだけ。海外に出ると、急に卑屈になってしまい媚びを売る人も居るが俺様はそうはしたくなかった。堂々と日本人として彼らと渡り合いたかった。 話し方には注意が必要だった。外国でまず何よりも早く耳に馴染んでくるのは、その国のスラングだ。面白がって教えて来るので、嫌でも覚えてしまう。 だから気を付けていないと、不用意に使ってしまうかもしれない。それで大恥をかかされるかも知れないのだ。 
食事の仕方にも気配りが要る。 学食で食べているときも気が抜けなかった。テーブルマナーなど日本に居たときはお構いなしだったが、イタリアに着てからは注意するようになった。本を買って勉強した。イタリアでは麺系のパスタを食べる機会が多いのだが、これを日本の麺を食べる感覚で、ズルズルとやってしまうと、いっかんの終わりだ。 (ズルズルと立てた音で、ガラガラと世界が崩れ落ちる) きちんとフォークで巻き上げてから口に運ぶ。吸い込むと絶対に音が立ってしまうので、巻ききれなかった分はテクニックを駆使して、たくし上げ無ければならない。(これが意外と難しい)

努力はその辛さの分だけの結果を約束してくれるもので、何ヶ月も生活しているうちに、次第に俺様を馬鹿にする奴は学校の中には居なくなっていた。
本業の方の成績も、ゆっくりと上がってきていた。物理的に変化のしようの無い足の長さ等はどうしようもなかったが、筋肉のつき方や身体の動かし方で欠点をカバーできるようになってきた。 見た目のボディーラインも決して劣らない。
もともと条件の良い奴は考える事をしない。だけど、そうでない奴は頭を使ってハンディを克服しなければならない。それは、一見不条理に見えるが、実は逆かもしれない。 勝手に何でも出来てしまう人は壁にぶち当たった時弱い。それまで「考える」ということをしてこなかったから、問題を客観的に分析することが出来ないからだ。悩み事が少ないと精神的にも鍛えられないから簡単にへこたれたりする。 その点、もともと不利な人間は全く強い。しょっちゅう壁にぶち当たり、そのたびに乗り越えることを余儀なくされるのだから、常に問題を解決する方法を考えている。悔しさをバネに這い上がって行く分、精神的にも強くなり、ちょっとやそっとじゃ負けない。それどころか、不利な状況を逆に楽しむ「マゾヒスティック」さも身に付いてくる。 幾つもの壁を征服してきた自信がそうさせる。オタク魂のような、雑草魂のようなしたたかさを持っている。

今現在、俺様はラテンアメリカで、またしても唯一人の日本人男性バレエダンサーである。
優秀な日本人が多く居るヨーロッパとは状況が違う。
俺様以外の日本人ダンサーを知らない人々対して、俺様はある意味日本のバレエ界の象徴であると言える。「武蔵」のように日本を背負う俺様は毎日思う。俺様のせいで日本のバレエ界を馬鹿にされる訳には行かない、と。 俺様は一人目だから、次に来る人のために道を作っておかなければならない。 俺様だって先輩達が苦労して作ってきた道を歩かせてもらったのだから。


開くれど閉ざす 雲暗く
すすき刈る萱 そよがせて
嵐はさっと 吹き渡り
万馬嘶く 声高し
銃雷と 轟けば
太刀稲妻と 閃きつ
天下分け目の 戦いは
今や開けぬ 関ヶ原
戦い今や たけなわの
踏み拉かれぬ 草も無く
精鋭一千 我一人
猛虎負隅の 威を振るう
運命いずれ 生か死か
ここを先途と 鞭振るい
奮迅敵の 直中に
道を求めて 攻めかかる

俺様の意思である。


あぁぁぁぁ! 何か今回は面白くない文章になってしまったではないか!!
次回は、何かもっと愉快な文にしたいと思います。 そういえば、送ってもらったビデオの中に「PRIDE・男祭り2004・SADAME 」があったなぁ・・・これを見た後に書くとどうなるだろう??
 
前回募集した、キャンドルホルダーの名前、一週間足らずで11人の人が応募してくださいました。ありがとうございました!どれもユーモア溢れる名前で甲乙つけ難いです(汗)。 
その中で特に気に入った(笑った)ものが三点あります。
1・「サンチア子」
2・「トメ」
3・「お銀」
この中から選びたいのですが、自分では決めかねます・・・。そこで、今回は読者の皆様に投票していただきたいと思います!3つの中からひとつを選んで、その理由を添えてコメント欄に投票してください!皆様のご応募、お待ちしております!!

arterrorist001 at 08:57|PermalinkComments(1)TrackBack(0)