狭山の観光スポット稲荷山公園の、桜の芽吹きから花吹雪まで、そして、
茶処狭山の、ういういしい茶娘の頃から、昔乙女のおしゃべりお母さんを経て、
やがて新米娘に茶摘みを教えるようになるまで、を表現した民謡2曲。
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現在の狭山市駅から、旧299を通り、飯能まで走っていた入間馬車鉄道。
馬車鉄唱歌に載せて、池原昭治作の背景画の中、影絵の馬車が走る。
狭山に伝わる天道山の「二つの太陽伝説」と全国に伝わる「ダイダラボッチ伝説」を合わせて、
狭山にでっかい創作民話が誕生した。 富士山と筑波山に住むと言うダイダラ坊…。
しかし狭山を救った3人目のダイダラ坊は、大きな足跡を残して、秩父のお山に帰って行った。
事の発端は、笹井の観音堂に祭られている観音様だった……。
10 天国手まり唄
ゴンスケ爺さん崖のぼり、小手をかざして眺むれば、こりゃまた絶景おらが村。そこで爺さん考えた。天国までも登ったら、唐・天竺まで丸見えじゃあ。物知り婆さんに、漸く天国へ行く道を教わったゴンスケ爺さんは……。
狭山の七夕は、雨乞いのお祭。
広瀬の里の牛飼い弥吉に助けられ、夫婦になった奈々児が織った織物は、ビックリするほど高い値で売れ、
「奈々児織り」と名がついて村中の評判になった。
日照り続きのある日、奈々児は、娘のキクに「おっ父に言うんじゃないよ」と言いおいたまま姿を消した。
夜の内に降った雨で、朝もやの煙る岸辺に出て、キクは必死におっ母を探す。ふと見ると、葦の葉陰に揺れる
小笹1本。そこには、まぎれもない母の文字で書かれた、別れの句の短冊がくくられていた。
ああ わたしのふるさと
天の神 地の神 水の神が 生んだ街
田の神 道の神 井戸の神が 見守る街
ああ 美しい狭山よ
いま 新しい時代の 神話がはじまる
監修:仲川幸成 広沢一岐 池原昭治 今坂柳二
狭山市史検証協力:?橋光昭
作・脚色・構成・演出:さねとうあきら
一部 原作・作詞:今坂柳二
基本舞台原画・スライド原画・印刷物原画:池原昭治 面制作・スライド原画:伊藤亘
作曲・編曲:苫米地英一 いしだまゆみ 砂田弘行 民謡作曲・編曲:大友竹邦
プロローグ 昔ばなし讃歌
ここ狭山は 200万年前 メタセコイアのジャングルだった 「何年前には何があって、何年にはこう言う状態で……」人はこれを歴史という
なにやら淋しい 歴史の中では蝉の声がしない ゴサクさん達が話し掛ける事をしない
人が優しい言葉で話し合うのは 昔ばなしの中でだけ
1景 狐獅子舞
秋の夕暮れ、南入曽の甚兵衛さんが野中の一本道を歩いてたら、
草むらの奥からにぎやかな笛や太鼓の音が流れてきた。その正体は……
2景 ごしん山の化け汽車
入曽のごしん山はたぬきの名所。そのごしん山に鉄道が敷かれる事になり、木々が次々に切り倒されていく。
さあ、大変!!たぬき達は長老だぬきに懇願した。長老様よ、あんとかしてくれ!
11月10日の夜は亥の子様という畑の神様がお山に戻られる日。
おみやげにボタ餅をたくさんお供えするが、子ども達はおこぼれのボタ餅を
たらふく詰め込んだ上に、わらでっぽうで近所の家の庭をたたいて回る。
するとどっさりお菓子がもらえるという、柏原や入曽にも伝わる行事。
4景 かまどの神さん縁結び
狭山には古くから、かまどに神様をお祭りする慣わしがあった。神無月のころ、ある名主屋敷に身分の高いお武家さんから、何と、いつもかまどの番をして顔が真っ黒になっている、
女中のトクを嫁にもらいたいとの不思議なお召しがあった……。
5景 なぜなぜ子守唄
ふるさと狭山の風景を…、死者も出た笹井の空襲を…、狭山にたくさんおわす地藏さんを…
そんな狭山の原風景や記憶を子守唄に編み上げた。
北入曽水押し地区の井戸山には、小豆ばあさんが住んでいるから近寄らないように…という言い伝えがある。
大晦日の晩、父親から酒を買って来いと寒空に放り出されたミノは、この井戸山に足を踏み入れてしまった!!
そこで見たものは……。やがて、あちらこちらで除夜の鐘が鳴り響き、狭山にお正月がやってきた。