2010年12月29日
<アート>信濃橋画廊の閉廊
年末にお別れの記事ばかり書くのはつらいのですが、大阪・西本町の
信濃橋画廊が12月27日をもって閉廊しました。下の画像は最終日に
一日だけ行われたフェアウェル企画「ハガキ」展の会場風景です。
私が訪れたのは午後5時台ですが、ご覧のとおりの大盛況でした。
お昼からずっとこんな感じで、画廊ゆかりの作家や関係者が老若男女
問わず訪れていたそうです。
信濃橋画廊は昭和40年(1965)の開廊です。もっぱら現代美術を扱う
画廊で45年間も第一線で活動してきたのだから、大したものです。
私が仕事でお伺いするようになったのは1990年代以降です。つまり
画廊の歴史の半分弱で、それもほんの表面しか知りません。それでも
約20年間の間に非常に多くのアーティストと出会い、取材等でも大変
お世話になりました。
仕事を始めるまで美術のど素人だった私にとって、画廊は道場のような
存在でした。美術大学出身ではなく、専門の教育を受けていない分、
現場で恥をかきながら一つ一つ知識を学びました。特に最初の数年は
とんでもない失敗や勘違いを繰り返したのですが、信濃橋画廊には
そんな若輩者を見捨てることなく、長い目で見守っていただきました。
本当に、心より感謝しております。
それにしても、今回の一件を通じて、一つの時代の終わりを感じずには
おれません。それは、関西の現代美術界において、もっぱら貸し画廊が
主役だった時代の終わりです。(それは既に始まっていましたが、
より明らかになったということです)
こう書くと、他の貸し画廊の方からお叱りを受けるかもしれません。
「ウチはまだまだ現役だぞ」、「勝手に終わらせるな」と。
それはもちろん承知しています。私は来年も画廊回りを続けますし、
貸し画廊は現代美術の世界において必要な場所だと思っています。
特に若手が経験を積む場として大切です。
しかしその一方で、若手アーティストの間では、共同でオープンスタジオを
行ったり、自主運営のスペース(アーティスト・ランと称されます)を開設
する動きが起こっています。また、作品の売買やプロデュース能力を持つ
画廊が関西でも増加し、アートフェアも行われるようになりました。NPOや
地域型アートフェスの話題もありますし、インターネットが普及したことで、
アーティストが地域や国境を越えた活動をうのも容易になりました。
貸し画廊のポジションが相対化されると同時に、こうした様々な活動が
勃興することにより、関西ではしばらくの間過渡期が続くかもしれません。
私としてはその混沌をネガティブに捉えるのではなく、むしろ前向きに
つき合いたいと思っています。
5年後、10年後に関西の現代美術界がどのような形になっているのか
わかりませんが、アーティストや画廊、美術館と並走してその時々の
状況を伝え続けることができれば、少しは信濃橋画廊への恩返しに
なるのではないか。今はそんな気持ちです。
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