2015年4月2日、名古屋戦でのできごと。
下のプレーについて思ったことがあるので一言。





【2:46から観れます。】


86分に森重が田口に対して著しく不正なファウルプレーとしてレッドカードを貰った場面。
この時、FC東京は3-2でリードしていて、76分に永井に一度追いつかれたのだが、81分に森重の素晴らしいヘディングでもう一度突き放したという状況だ。

無論、ファウルはよくないのだが、残念ながら現代サッカーでは”戦術的ファウル”といった、ファウルを肯定するようなプレーが散見される。それは海外だけでなくJリーグでもそうだ。
競技規則では、決定的な得点機会を阻止した場合は退場となり、また反スポーツ的行為等を行うと警告が提示されるとある。
いわゆる”戦術的ファウル”というのは、サイドを攻撃されている際、守備に当たっているDFがドリブルで抜かれると大きなピンチを招いてしまうような状況で、相手競技者を意図的にファウルで止めるようなことを言う。

”戦術的”を謳いファウルを肯定するようなプレーは決して賛同することはできない。
勢い余って相手を突き飛ばしてしまったとか、ボール奪取を目的としたスライディングのスペアフットが相手に絡まってしまったというようなプレーで起こるファウルであればサッカーの一部であり、「あぁ、しょうがないね」とできるのだが、”戦術的ファウル”のような意図したファウルや、シミュレーション、上の森重のレッドとなったスライディングのような未必の故意があるファウルは、サッカーから無くすことができる。つまり普通にプレーすれば起きるはずがない。それはサッカーのプレーではないのだ。


サッカーの醍醐味はボールがネットを揺らす場面や、相手DFを崩す魅力的な攻撃にある。ファウルのほとんどは、守備側競技者が起こす。攻撃側競技者が起こすファウルは、よくあるのはオフサイドくらいではないか。
ファウルというのは、サッカーでやってはいけませんよというプレーのことを言う。そういう禁止されているプレーでサッカーの醍醐味を消すというのは実に反スポーツ的で、観衆も冷めてしまう。確かに現行の競技規則では”戦術的ファウル”のやり得になってしまうのだが、それでもフェアプレー宣言をしている選手たちがファウルを肯定するのは矛盾している。


「勝つためには手段を選ばない」という手段は、自身の能力のなさや、チームの守備が機能していない、または相手の攻撃が上回っていることを露呈している。チームの守備がハマっていれば、ファウルをせずにボールを奪取できるはず。自分より相手選手が劣っていれば、自分のポジショニングとテクニックで簡単にボールを奪取できるはずだ。相手からボールを奪う選択肢がファウルしかないというのは、相手より劣っているからだ。
しかし、サッカーは格下が勝利することもある。それはサッカー史上、一度や二度ではない。数え切れないほどある。果たして、その格下のチームはファウルをたくさんして勝利しただろうか?もちろんそのようなゲームもあったかもしれないが、ドン引きサッカーをしてカウンターで1点先取、そのまま逃げ切りという試合もあっただろう。ドン引きカウンターサッカーだって立派な戦術だ。

勝つために手段を選ばないというのは、勝つための手段を選べない状況にあると同義であり、そのような状況になってしまった場合は手遅れなのである。クロスを上げられるなり、失点されるがいい。それは、相手が一歩上手であった証拠であり、また別の視点で見ればサッカーの一番おもしろいところなのである。
それを、ファウルというもので阻止するのは、非常にナンセンスで、反スポーツ的で、スポーツ選手としてやってはいけないことなのである。


今回の森重のスライディングは、悪意はないかもしれない。しかし、あのスライディングは相手選手をケガさせてしまうかもしれない可能性が十分に含まれており、それでもなおスライディングをするという選択をしたのは、未必の故意が多分にある。繰り返すが、そういったプレーをプロの選手、ましてや代表選手が勝つための手段として選択するのは容認できない。

個人的には、楢崎正剛も言ったように、清々しく勝ちたいし、清々しく負けたい。それは、フェアプレー宣言をしている選手たちならば清々しく戦う義務がある。決してきれい事だとは思わない。もう一度選手たちは初心に帰って戦ってほしい。それは試合を見る観客が気持ちよく試合を見るためだけでなく、プロの選手として。