その他

勝つための手段を選ぶための準備をしろ。


2015年4月2日、名古屋戦でのできごと。
下のプレーについて思ったことがあるので一言。





【2:46から観れます。】


86分に森重が田口に対して著しく不正なファウルプレーとしてレッドカードを貰った場面。
この時、FC東京は3-2でリードしていて、76分に永井に一度追いつかれたのだが、81分に森重の素晴らしいヘディングでもう一度突き放したという状況だ。

無論、ファウルはよくないのだが、残念ながら現代サッカーでは”戦術的ファウル”といった、ファウルを肯定するようなプレーが散見される。それは海外だけでなくJリーグでもそうだ。
競技規則では、決定的な得点機会を阻止した場合は退場となり、また反スポーツ的行為等を行うと警告が提示されるとある。
いわゆる”戦術的ファウル”というのは、サイドを攻撃されている際、守備に当たっているDFがドリブルで抜かれると大きなピンチを招いてしまうような状況で、相手競技者を意図的にファウルで止めるようなことを言う。

”戦術的”を謳いファウルを肯定するようなプレーは決して賛同することはできない。
勢い余って相手を突き飛ばしてしまったとか、ボール奪取を目的としたスライディングのスペアフットが相手に絡まってしまったというようなプレーで起こるファウルであればサッカーの一部であり、「あぁ、しょうがないね」とできるのだが、”戦術的ファウル”のような意図したファウルや、シミュレーション、上の森重のレッドとなったスライディングのような未必の故意があるファウルは、サッカーから無くすことができる。つまり普通にプレーすれば起きるはずがない。それはサッカーのプレーではないのだ。


サッカーの醍醐味はボールがネットを揺らす場面や、相手DFを崩す魅力的な攻撃にある。ファウルのほとんどは、守備側競技者が起こす。攻撃側競技者が起こすファウルは、よくあるのはオフサイドくらいではないか。
ファウルというのは、サッカーでやってはいけませんよというプレーのことを言う。そういう禁止されているプレーでサッカーの醍醐味を消すというのは実に反スポーツ的で、観衆も冷めてしまう。確かに現行の競技規則では”戦術的ファウル”のやり得になってしまうのだが、それでもフェアプレー宣言をしている選手たちがファウルを肯定するのは矛盾している。


「勝つためには手段を選ばない」という手段は、自身の能力のなさや、チームの守備が機能していない、または相手の攻撃が上回っていることを露呈している。チームの守備がハマっていれば、ファウルをせずにボールを奪取できるはず。自分より相手選手が劣っていれば、自分のポジショニングとテクニックで簡単にボールを奪取できるはずだ。相手からボールを奪う選択肢がファウルしかないというのは、相手より劣っているからだ。
しかし、サッカーは格下が勝利することもある。それはサッカー史上、一度や二度ではない。数え切れないほどある。果たして、その格下のチームはファウルをたくさんして勝利しただろうか?もちろんそのようなゲームもあったかもしれないが、ドン引きサッカーをしてカウンターで1点先取、そのまま逃げ切りという試合もあっただろう。ドン引きカウンターサッカーだって立派な戦術だ。

勝つために手段を選ばないというのは、勝つための手段を選べない状況にあると同義であり、そのような状況になってしまった場合は手遅れなのである。クロスを上げられるなり、失点されるがいい。それは、相手が一歩上手であった証拠であり、また別の視点で見ればサッカーの一番おもしろいところなのである。
それを、ファウルというもので阻止するのは、非常にナンセンスで、反スポーツ的で、スポーツ選手としてやってはいけないことなのである。


今回の森重のスライディングは、悪意はないかもしれない。しかし、あのスライディングは相手選手をケガさせてしまうかもしれない可能性が十分に含まれており、それでもなおスライディングをするという選択をしたのは、未必の故意が多分にある。繰り返すが、そういったプレーをプロの選手、ましてや代表選手が勝つための手段として選択するのは容認できない。

個人的には、楢崎正剛も言ったように、清々しく勝ちたいし、清々しく負けたい。それは、フェアプレー宣言をしている選手たちならば清々しく戦う義務がある。決してきれい事だとは思わない。もう一度選手たちは初心に帰って戦ってほしい。それは試合を見る観客が気持ちよく試合を見るためだけでなく、プロの選手として。


サポーターは歩く広告塔である。


サポーターは歩く広告塔である、または、別の言い方でよく言われるのは「サポーターはクラブの顔である。」という言葉。


よく遠足や修学旅行で先生に言われたであろう。
「その制服を着ているうちは、学校の代表だと思って行動しなさい」と。その制服を着て何か悪いことをすると、自身だけでなく学校全体にも悪影響を及ぼしてしまうという、よくある”一部は全体に影響する”というワケだ。

無論、学校の制服だけが当てはまるわけではない。自らの愛するクラブのユニフォームを着た選手たちもそう。ユニフォームを着て試合をする以上、クラブの名に恥じないプレーをしなければならない。また、ユニフォームを身に纏ったサポーターも同じで、地元やアウェイの地で節度ある行動をしなければクラブの評価が落ちてしまう。ポイ捨て、歩きタバコ等の行為が見られてしまえば、当然そのクラブのサポーターはそういうことをするのだ、と悪い評価をされてしまう。

サポーターというのは、ユニフォームやマフラーを身に纏い電車やバスに乗りスタジアムへ向かう。それだけでなく、その戦闘服のままご飯を食べに行ったり、地方のアウェイの試合に行った日には観光したりもする。多くの人がそうであろう。平日の試合で、仕事がある日はそうはいかないだろうが。
ではなぜ悪影響を及ぼしてしまうかもしれないような格好で、外を出歩くのか。完全な私服でスタジアムに向かえば、何か起きてもクラブに迷惑がかかることはない。昔、FC東京が横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)での試合の際、大勢のサポーターが渋谷駅に集結し、その集団のまま横国へと向かうようなイベントを行ったことがある。そりゃあもう東急の渋谷駅をFC東京サポーターでジャックし、電車内もジャックした。新横浜駅から横国へはチャントを歌いながらの行進。そりゃあもう楽しかったけれども、傍から見ればとんだ迷惑モノだったであろう。クラブにも迷惑をかけたあろう。

じゃあクラブのグッズを身に纏い試合へ向かうのがダメなのかというと、そうではない。むしろ、それはどんどん推奨されるべきであると思うのだ。無論、迷惑行為はクラブの損害につながるのでNGではあるが、クラブのグッズを身に着けて試合へ向かうというのは別の視点から見れば広告塔のような役割も果たしている。駅でたくさんの人がユニフォームを着ていれば、一般人はこれから何かあるのか気になるだろう。街のあらゆる場所でサッカーのグッズを身に着けた人がいれば、それは商店街に貼られたポスターなんかよりも絶大な効果があるではないか。

街にたくさんのユニフォームの人がいれば、そのクラブの認知度はその街でどんどん上がっていく。仮に試合のある日に、大きな街の狭い抜け道にでさえユニフォーム姿のサポーターが歩いているようになれば、その街はそのクラブ一色に染まっているであろう。


良くも悪くもサポーターは広告塔である。サポーターに変な人が多くいるクラブは少なからずイメージは低下するだろうし、その逆もそうだ。なら、電車やバスに乗る際はどんどんクラブをアピールしていこう。それはイメージ向上だけでなく観客動員数も増える一因になるかもしれない。

親しみを持つこととリスペクトを捨てることは全く別物。


昨日は湘南戦。

前節、広島を撃破したFC東京はこの試合に勝てば年間順位、2ndステージの順位でも優位につけることができる大事な試合。

この試合、是が非でも勝ち点3が欲しかったのだが、内容でも相手に上回られ1-2で負けた。

思うようにシュートまで運べずに消化不良で終わった感じだが、限りある決定機を湘南がキッチリ決めたというだけである。今までレギュラーだった選手がスタメンから外れると途端に満足のいく結果が出せなくなったりとか、ブラダとDF陣の連携がまだまだだとか、いろいろ言いたいことはあるけれどもそれは今回は置いといて・・・


スタジアムで試合を見るとどうしても野次が聞こえてきてしまう。
今日は後ろにいた中学生くらいのサポーターたちが終始選手や審判に野次を飛ばしていた。「シュート決めろよ~」とかなら全然構わないのだが、「前にパス出せよオラァ!」とか「ファウルだろどこ見てんだよ!」とか、だれに影響されて中学生がこんなことが言えるのだろう・・・ 
だれに影響されてといっても、そりゃあ周りの大人のサポーターが似たような野次を飛ばせば、こうもなるのかと推測。
多かれ少なかれ同じようなことを思ってるサポーターはたくさんいる。俺だって、今日何個かおかしいだろそれって判定や不甲斐ないプレーをした選手に愚痴を垂れそうにもなった。だけど、それを口にするのとしないのとでは全く違う。

それを口にすることで自分の気は済むかも知れないが周りのサポーターが不快になったりする時もあるし、スタジアムはストレスの吐き捨て場ではない。
「てめぇこの野郎」と思うのならば後楽園ホールに行ってヒールのレスラーがボコボコにされるのを見れば十分に気が済むだろうしそれでも満足しないならレスラーになろう。


たとえ自分の好きな選手であろうと高圧的な態度で文句を言いたいなら100歩譲って周りに誰もいない自宅で観ていただきたい。先述した野次は、愛と親しみを込めて言われる「前俊を諦めない」とは紙の裏と表の存在ではあるが、その紙をひっくり返してしまう人は人としてまだ未熟だ。

それは審判団に対しても全く同じことが言えるわけで、見ず知らずの他人をリスペクトしろとまでは言わないが、少なくとも審判団は見ず知らずの他人ではないわけで、彼らのおかげでサッカーの試合が円滑に進められている。
スタンドから試合を見ればそりゃあもうピッチ全体を俯瞰することができて、どこでなにがあったか大略は一目で分かるが、詳細までは分からないだろう。
プレーの争点から100mほど離れたスタンドから、「ハンドだ!」とか「押してる!」とか、視力が5.0くらいないとたぶん分かるはずがないのだが、大略は見れてるので分かった気になってしまう。
そういった細かいファウルを、日々トレーニングを積んだ審判団は2つの視点からだいたい10mほど離れた場所から監視しているので、今記したことをある程度理解している人からすればどっちがクソ判定をしているかといったら、いちいち審判の判定にイチャモン付けている人たちの自分の贔屓チームが得をすればどんな判定でもいいと思っている自己中心的なサポーターの方である。


例えスタジアムで愛と親しみのない野次が飛ばされたとしても、「俺はこうはならないぞ」と自分で自分を言い聞かせ、できることならもうそのような大人を減らすこと、そしていつか大人になる子どもにそんな野次を飛ばさせないことができればいいなと切に願う。

岩下のシミュレーションか、舞行龍のホールディングか。






結果的にこのプレーは舞行龍に警告が出され、ガンバ大阪にPKが与えられました。

スクリーンショット (154)
※反スポーツ的行為で警告・・・相手のユニフォームを引っ張る「ホールディング」、相手に唾を吐く「スピティング」、ボールを意図的に手または腕で扱う「ハンドリング」の反則を犯したということ。


この判定、果たして家本主審は正しかったのか。答えはYESです。
ポイントは2つ。一つは舞行龍が先にホールディングをしていたことです。
昨年のW杯以来、何度も目にしていますが、ホールディングは行為自体が反則」ということ。
(直接FKとなる)反則は10個ありますが、その中のうち先述した「ホールディング」、「スピティング」、「ハンドリング」は行為自体に笛が吹かれます。それは、その行為に”意図”がなければ起きないからです。
残りの7個の「キッキング」、「トリッピング」、「ジャンピングアット」、「チャージング」、「ストライキング」、「プッシング」、「チャージング」は”偶然”起きてしまったということがあり得るという点で、先の3点と区別されます。

ちなみに、前者3つに対する警告は「反スポーツ的行為」、後者7つの反則に対する警告は「ラフプレー」となります。

舞行龍が岩下をペナルティエリア内でホールディングした時点で、舞行龍はPKの判定に抗議することはできません。


次に、大げさに見せることはシミュレーションの対象ではないということです。
いい例として、やはりホールディングに対する意識をガラッと変えたプレーで有名なブラジルW杯開幕戦でのクロアチアDFロヴレンの反則です。


当時、このプレーを見たほとんどの人がフレッヂのシミュレーションではないか、という意見が多く出ましたが、シミュレーションには2つポイントがあります。1つ目が、接触がないにも関わらずファールを装って倒れる。もう1つが、接触を自ら作り出してそれをファールに見せかけて倒れる。この2つにこのシーンは該当しません。後ろにいる競技者がつかまれているということで、そのあと大袈裟に倒れてはいるけれどそれはシミュレーションと判断しません。

今回のシーンもそうで、まず最初に舞行龍が岩下をホールディングする。その後に岩下が倒れる。
言ってしまえば、岩下はヘタクソな演技をしなくても家本主審はちゃんとPKを取ってくれるし、岩下はただ自分の評価を下げただけです。まったくのやり損。




90分通してこの試合を見たわけではないのでこの試合の家本主審の総評はできませんが、あくまでこのシーンだけを切り取ってみると、よく見ていた判定だと思いました。
岩下が倒れたのを見て家本主審がPKの確信を得たと思っている人もいるでしょうが、あくまで決定打となったのは舞行龍のホールディングであり、岩下の演技は関係ありません。

まぁ、クラブからなんとか言っておかないといけないとは思いますが(笑)


気持ちよくサッカーをみるために。


1stステージが終わってはや1週間、様々な媒体で総括が行われているが久々に当ブログでも総括をしてみたいと思う。何はともあれ、お久しぶりです笑 ここ数ヵ月は大学生ライフで手一杯でした。なかなか更新できず申し訳ありません。

総括といっても、なぜ浦和が無敗優勝できたのかや、清水の不振についてではなく、審判関係です。
僕の知り合いの方が良いまとめをしてくださっているので、時間があればそちらも見てみて下さい。

前半まとめ 審判編 - LAWSの森




まず初めに言っておきたいのは、やはりレフェリーの判定は大方正しいということである。
スタジアムで生でプレーを見て、「えぇ~!?」と思う判定もしばしばあるが、再度録画したものをテレビで観てみると自分が間違っていることが多い。そりゃあ、主審のほうが近くでプレーを監視しているので当たり前のことなのだが、我々サポーターとしては納得のいかない判定が下されると主審に文句を言いたくなるものだ。
ここで言う”納得のいく判定”とは、公平な判定ではなく贔屓チームに有利な判定である。

サポーター心理的には至極当然なのだが、それでは公平な判定をしている審判への批判は見当違いということになる。
例えば、ガンバ大阪のDF岩下が川崎FのFW大久保を倒したシーン。一時期話題となったプレーだが、岩下は警告で済んだ。結論からすると、警告で妥当な判定なのだが、川崎フロンターレサポーターは岩下に退場してほしかったであろう。確かに、あのシーンはシュートまで持ち込む可能性が大きくあったシーンであるが、競技規則的にはどうしても退場、つまりレッドカードは出せないのだ。
冷静にサッカーをみれるサポーターならば判定に納得するであろうが、普通のサポーターなら怒るだろう。
公平な判定が下されても、なかなか納得できない。

そして、誤審も起こってしまった。誤審は起こって当然なのだが、見逃せないものも多々あった。
第1節でFC東京の武藤が相手選手を踏みつけて警告を受けたシーンは退場に値するプレーであったし、そのおかげでと言ってしまってはなんなのだが、その試合、東京は勝ち点1を拾った。逆にいえば対戦相手であるガンバ大阪は勝ち点2を落とした。というか、2点のビハインドから同点に追いつけたのはその武藤の2得点のおかげであり、ガンバ大阪は本来勝ち点3を手にするはずであったかもしれない。

また、前半戦はゴールラインテクノロジーでしか判定を下せないケースが多発した。これに関してはゴールラインを割った割らないの水掛け論である。
審判団がゴールラインを割ってないという判定を下したのなら得点にはならないし、その逆もまたそうである。
対策は検討しているのだろうが、ゴールラインテクノロジーを導入するにも、追加副審を置くのもコストがかかるらしい。


もう一つ思ったことは、審判に対しての印象が少しずつではあるが向上しているのではないか、ということである。
審判団の紹介で西村さんが紹介されたとき、ちらほらと拍手の音が聞こえた。少し前なら、西村さんでさえブーイングされていたような気がするが、今年はそうでもなかった。これは西村さんに限らず、家本さん等でもブーイングが聞こえなかった。もちろん全員が黙って見ているとは思っていないが、少しずつ改善の方向へ向かっている気がする。今後、審判系のテレビチャンネルが始まる予感もあるし、もっと審判へのイメージが向上すればいいと思う。

審判に対して試合前から殺伐な雰囲気を出すと、審判団はリラックスして90分仕事をすることができない。
また、先ほど言ったが審判は公平な判定を目指しているが、サポーターは贔屓チームに有利な判定を求めているので、そこですれ違いが生じてしまいどうしても摩擦は起きてしまう。
もっと審判に対して理解を深めることができれば、更に気持ちよくサッカーを見ることができる。
そのためには審判をもっと知ることもそうだが、己の納得のいく判定を有利な判定から公平な判定へとシフトチェンジすること、また、審判も見ている人が納得するようなボディランゲージ等をしてどういう訳でファウルを取ったのか、またしっかり注意をしているのか、選手は納得しているのかなどをピッチにいる人だけでなくスタンドにいるサポーターにまで伝えることができれば、ストレスなく試合を見ることができるだろう。


とまぁ、ざっくりとではあるが、こんな感じです。
シーズン序盤には毎節誤審騒ぎでしたが、1stステージが終わるにつれてだんだん誤審が減ってきたような気がします。2ndシーズンはすぐ始まります。チームも審判団もそれほど準備期間はないですがお互いいい準備をして素晴らしいプレー、素晴らしいジャッジを出せるといいですね。


ボールボーイは13番目の選手たりうるのか







サッカーは11人で行うスポーツで、12人目の選手はサポーターであると言われている。
そして、ボールボーイは13人目の選手となるのか。

この「12人目の選手」という言い方は、ピッチで戦う選手だけでなく、サポーターも一緒に戦っているんだという意味が込められている。しかし、ボールボーイは果たしてともに戦うことができるのだろうか。

Jリーグでは、円滑に試合を進めるために、アウトオブプレーになったあとすぐピッチにボールが戻せるようピッチサイドにボールを持った人たちがいる。これがいわゆるボールボーイである。
サッカーの試合は、「任命された試合に関して競技規則を施行する一切の権限を持つ主審によってコントロールされる」とある。蛇足であるが、主審の立場は、憲法と法律の関係になぞらえるとわかりやすいだろう。憲法は競技規則であって、主審は法なのだ。主審は競技規則に反する行動はできないし、選手は主審の判定に対して素直にならなければならない。

競技規則2条のガイドラインに「試合中に、追加的に使用されるボールはフィールドの外に配置することができるが、それらは第2条の要件を満たしており、その使用は主審のコントロール下にあるものとする。」とある。第2条の要件というのはここではどうでもいいので省略するが、重要なのは、「ボールの使用は主審のコントロール下にある」というところである。

そうすると、果たして主審の管理下にあるボールを扱うボールボーイが果たしてホームチームの味方ができるのか。

問題なのは、ボールボーイを担当する人たちが、そのほとんどがユースの選手たちや、地元の学校のサッカー部が担当しているということである。
これって結構おかしなことなのかもしれない。極論になってしまうかもしれないが、主審の傘下に属するボールボーイが遅延行為をするなんてあってはいけない。


Jリーグという素晴らしいリーグを、自らの手でなんでもかんでも欧州に染めるのは反対である。
CLでボールボーイが遅延行為をしていたからJリーグでも、なんて意見は絶対におかしい。
何が本当に良くて、何がダメなのか、山雅のボールボーイだけでなく、ほかのボールボーイも自分で問い直してもらいたい。

ゴール裏のサポーターは邪魔者なのか、はたまた…


「応援とは本来、楽しいものです。ゴール裏から雰囲気を変えていきましょう!」(2015年4月25日 川崎vs甲府 試合前決起集会での言葉)

この日ヴァンフォーレは、阿部翔平のフリーキックで名古屋に勝って以来勝ちなし。4連敗で迎えた試合であった。
結果は0-3。正直、今シーズンは本当に降格もあり得ると思った。川崎相手に3失点を喫し試合終了の笛が鳴ったあとの甲府のゴール裏は、あちこちからため息と、(降格する)”覚悟”も垣間見えた。

そんな時、甲府のコアサポーター、HINCHASのコールリーダーがトラメガを握った。
俺がいた場所からはコールリーダーの話をハッキリ聞くことは難しかったが、「今はつらいけど信じるしかない」といった内容のことが話されたようだ。もちろん、試合終了の笛とともにブーイングや監督に対する罵声も聞こえた。しかしそれ以上に選手を鼓舞する声が多かった。言葉が悪いかもしれないが、”降格争い慣れ”しているチームのサポーターは、その辺の中位をうろちょろしているチームたちと一味違う。彼らは、J2にチームと共に降格することを覚悟している。その覚悟の上でJ1という厳しい舞台を戦い、そして歓喜に舞い、いつか散っていく。

この日ともに観戦した甲府サポの友人は、「財政破たんした時の甲府を知っているから、今J1でこの戦力で戦えることが奇跡のよう」と語っていた。彼とJリーグの話をするときに何度もこの話を聞かされるのだが、確かにうなづける話である。
今シーズン、3年連続J1残留の功績者である城福監督が勇退し、前横浜FM監督の樋口監督が後任に就任した。昨シーズンまでの甲府は守って守ってワンチャンスをものにするというサッカーであったが、今年は佐々木や柏、青山など主力が移籍。戦力が大幅に減ったことも今の不調の一因であるのは明らかである。

川崎戦までの甲府を見ると、ハッキリ言ってダントツで降格候補である。そんなチームを後押しできるのはサポーターだけである。降格する覚悟はあっても、現実にしたくないのが本音であろう。降格させないためにサポーターは90分声を出し選手を後押ししなければならない。川崎戦でのゴール裏はとても雰囲気がよかった。あれだけのサポーターがいるなら、選手は恥ずかしいプレーはできない。試合終了間際、自陣でボールを奪われレナトに3失点目を奪われたシーン。とても情けない。せっかく川崎まで駆けつけたのに、90分声がかれるまで応援しているのに、あのような失点はサポーターからすれば眉間にしわが寄っても仕方がない。

目の前でホーム100勝を挙げられた甲府サポの心の中はいったいどんなものだったのだろうか。友人は、最後の笛が鳴ってからずっと悔しいと言っていたし、やはりみんな悔しいのか。
どんなに内容が悪い試合を見せられても、たとえ19連敗を喫しても、そのあとには24試合無敗のようなパラダイスが待っているから応援できるのだろうか。

「怒られるうちが華である」という言葉があるように、応援されるうちが華であるのか。浦和レッズはサポーターが掲げたあの横断幕で1試合の無観客試合という処分が下された。その害は億単位という推測が出ている。サポーターというのは時に害を及ぼすが、なくてはならない存在だ。無論、選手はサポーターの声援を力に変えている。サポーターというのは不思議なもので、負けても負けてもスタジアムに足を運ぶ。それはクラブを愛しているから足を運び、選手にパワーを送り、いつか勝利する日を待っている。害を及ぼしても、返ってくる利は大きいのだ。

25日の川崎戦、甲府のゴール裏にお邪魔して気づいたこと、再確認できたこと、たくさんあった。
甲府のゴール裏はまだまだ戦える。彼らがついている限り、たとえ甲府が降格したとしてもまたJ1の舞台に帰ってくるだろう。いや、まだ今シーズンは終わっていない。まだ降格も決まったわけではない。また機会があれば、小瀬にもお邪魔してみようと思う。 その時は、ぜったい勝ちましょう。FC東京戦以外で(笑)

不正行為はマリーシアではない。


日本人にはマリーシアが足りないとよく言われる。
マリーシアとは、諸説あるが一般には「ずる賢さ」などと訳されるポルトガル語だ。FWが相手DFの重心をずらして1人、GKとDFのスペースに抜け出し、フリーでスルーパスを受けるようなプレーなどがマリーシアであろう。また、アギーレ体制時に戦ったブラジル戦での一面。ネイマールが靴ひもを結んで日本DFを油断させているうちにいつの間にかネイマールに裏に抜け出されていたというプレーが印象的だった。これもマリーシアなのだろう。

しかし、俺はサッカーの魅力を削ぐようなプレーは好きではない。AFCやJリーグが推進しているAPT(アクチュアルプレーイングタイム)を増やそうとするスローガンに反するプレー、例えばゴールキック時や交代時に必要以上の時間をかけるような行為は淘汰すべきものであると思う。また、主審に見えないようにこっそり相手のシャツを掴んだりするようなプレーは言語道断。もちろんそういうプレーは通常のファウルプレーよりも基準が厳しくなる。こういうプレーはマリーシアではない。
主審に見えなければ何をしてもいいわけではない。それは言わなくてもわかるだろうが、残念ながらそういったプレーはよく目にする。主審としては見えなかったプレーに対して笛を吹くことはできないからどうすることもできない。そういう時に限って「審判よく見て!」と言われてしまう。そうなんだが、一番は姑息なプレーをする選手を咎めてほしい。リーグ戦第3節の神戸vsFC東京の一戦で、カズマが接触もなしに倒れたプレーがあった。本来ならば”接触がないにも関わらず、ファウルを装って倒れた”ということでシミュレーションが適当なのだが、FC東京GK権田のファウルを取られてしまった。無論、PKの判定を下した吉田主審も問題なのだが、倒れたカズマにも問題である。シミュレーションは反スポーツ的であり、スポーツ選手としての弱さというのが垣間見えた瞬間でもあった。

不正行為はマリーシアではない。
カズマは、そのプレーの直後に「GKと接触していない」と主審に申告したそうだが、競技規則的には”選手からの申告”で判定は覆ることはない(ケースバイケースではあるが)。いくら接触を否定しても、そのプレーをしたことには変わりはないし、身体が勝手に倒れるなんてこともない。ほんの一瞬であっただろうが、そういうプレーをしようと決めたのも自分自身だし、結果的に思いとどまることもなかった。そんなことを考えてはいないだろうが、身体が反応してしまった。そこが選手としての弱さである。


一連のプレーだけに、カズマのこのプレーと吉田主審の誤審を一緒くたにして考えてしまうが、問題は別個にあって、我々は吉田主審の誤審ばかりに目が行きがちだが、カズマのこのような悪質なプレーにも追求すべきだと思う。
これは余談だが、西村主審の言葉を借りるならば、よく「審判が裁いた」と言われるが、決してそんなことはなく、審判はただ事象と競技規則をつなぐだけなんだ、と。だから誤審があったときのモノの見方というのは、”なぜ間違った判定をしてしまったのか”という審判への疑問と”どういうプレーであったのか”という選手への疑問の2つの目線から見ることが大事だったりする。


脱線した話を戻すと、マリーシアは「ずる賢さ」と訳される。ある意味では、「ずる賢さ」は「レフェリーを騙す」という意味にもなるかもしれない。しかし、レフェリーを騙すことは反スポーツ的行為である。許されるものではない。選手を騙すのがマリーシアであり、審判を騙すのは不正行為なのだ。同じようで同じではない。そして、決して勘違いをしてはいけない一線でもある。

僕もJリーグが大好きだ


(便乗した記事です…)


みんなJリーグが大好きなんだ。
スタジアムで味わう”非日常”を求めてサポーターは毎週スタジアムに足を運ぶ。





この本はそんな”非日常”に吸い込まれていく著者の数か月間を記したものである。
先日行われたサッカー本大賞で大賞を受賞した作品であり、この本の著者もJリーグが大好きなんだな、とひしひしと伝わってくる。


でもJリーグは好きなのだが、考え方は人それぞれ違う。どの考えが素晴らしいとか、クソみたいな考えとかはない。そこに優劣をつけた時点で終わりなき論争が繰り広げられる。あえていうならどの考えも素晴らしいのだ。
ゴール裏で立って応援するのも素晴らしいし、バックスタンドでビールを飲みながら応援するのも素晴らしい。指定席でサッカーをじっくり見るのも素晴らしいし、スカパー!で遠い地で戦う贔屓チームをTVで観るのも素晴らしい。

Jリーグがもっとサポーターが増えるようになるには、サポーターも変わっていかなけれないけないのではないかと思う節がある。時代に取り残されているのは本当はいろんなことに口を出すサポーターなのではないか、と。もちろん議論することや指摘することは大事なことではあるが、それをしたって何か変わるわけではないということはこの数年で実感したことでもある。
改革は常に犠牲を伴う。悪役が言うセリフのようではあるが、Jリーグは今まさにそんな時期ではないであろうか。2ステージ制が失敗すればまた1ステージ制にもどせばいい。我々サポーターが後押ししなければ誰がやるのだ。決まったことはしょうがない。そのくらい寛大になる必要がある。


今週からまたあの”非日常”が帰ってくるのだ。みんなが待ちくたびれたJリーグが。どうでもいい戯言は一回リセットして、もう一度初心に帰ってみよう。この胸の高まりと共に、歓喜するのか落胆するのかは分からない。でもそんなことはどうだっていいのだ。本当に怖いのは、この”非日常”が帰ってくることなく日常が未来永劫続くことだ。もうどっぷりJリーグの沼にはまってしまった…


踊る大捜査線の聖地?巡礼してきました。


サッカーの話題ではないです。

今日は自転車でお台場まで行ってみようと、先日ふと思ったので行ってみました。だいたい自宅から2時間半くらいで着きました。お台場には実寸大ガンダム立像や踊る大捜査線に登場する湾岸署など俺の好きなものがたくさんあるのでって単純な理由です。

レインボーブリッジを歩いてみたかったので1.7km歩きましたとも。
DSC00910

DSC00912

常人ならレインボーブリッジを歩いて渡ろうなんて思う人いないんでしょうね。ほとんど人がいませんでした。
通るのはタダですので是非皆さんも一度足を運んでみてください。ただもう俺は二度と行かないでしょう。

DSC00914

DSC00916

DSC00918

DSC00919

なんてったって風が強い!橋が揺れる!対向車がすごい勢いで走ってくる!長い!
いやぁね、死ぬかと思いました。二度と来ません。

自転車は橋内を走ることができないので後輪に台車を付けて走れないようにします。
DSC00921

ただ、眺めはよかったです。それだけ。
DSC00925

DSC00926

そしてついにお台場上陸!
DSC00928

といってもこの時もう15:00で滞在時間があまりない…
パっと用事を済ませて帰ろう。そう思っていたんですが…

DSC00932

おぉこれは!

DSC00939

まさか!

DSC00949

ガンダム!!!!!!



って、お台場のガンダムは有名ですよね…
そんなガンダムの写真を撮っていたらもうすでに16:00ではないか…

今回お台場に来たのはガンダムではなくてこっちが本命!

DSC00971

ドラマ踊る大捜査線のED


もうすっかり様変わりしてますね・・・

そして湾岸署!

DSC00975

DSC00976

DSC00977

このビル、「The SOHO」という名で1階部分ならだれでもはいれるんじゃないですかね?
とにかく、この湾岸署を生で見れたことに感激!

新湾岸署を見たなら次はやっぱり…

DSC00982

昔の湾岸署も!!
こっちは潮見にあるので少し時間がかかりました…

DSC00980DSC00981


そんな感じで50kmくらい自転車で走りっぱなしな日でした!(あれ…体重が減っていないorz)

最後、潮見から東京駅に出るまでかなり迷ってしまったんですが…

DSC00992

東京駅舎を見れてそんなことは忘れました!

DSC00989



おしまい。
アクセスカウンター