映画で学ぶイタリア語

広島の小さな外国語スクール経営者のブログです。 イタリア語クラスのユニークなレジュメなどを紹介しています。

イタリア語の小さな発見 その2

◎Ho potuto prendere un giorno di fiere(私は一日の休暇を取ることが出来た)

Fiereは勤務先から与えられた休暇
Vacanzaは余暇として楽しむ休暇

◎Quello è sempre in ritardo.(あいつはいつも遅れる)

Luiを使わないことで、皮肉を込めた「あいつ」のニュアンス。

映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第3回)

(前回の続き)

☆乗務員控室
アンドレア達乗務員が、顔を洗ったり着替えたりしている。
リヴェラーニが入って来て、アンドレアの所に来る。
両手に抱えた大きな荷物。

◎リヴェラーニ:「道をあけてくれLargo…サンタクロースがやって来るよ」
◎アンドレア:「ほう…今年は軽そうだな」
◎リヴェラーニ:「ああ、だが酒は上等だよil vino è di marca」
◎アンドレア:「白かい?」
◎リヴェラーニ:「赤さ」
◎アンドレア:「辛口かい?Asciutto?」
◎リヴェラーニ:「いや、甘口だ」
◎アンドレア:「じゃあ、いらないね」
リヴェラーニ、鏡に向かって、一生懸命、薄くなった頭髪をなでつける。
◎アンドレア:「そんな毛quei quattro peliはほっとけよ…(さわって)おや、少し生えてきたのかな?ti sono ricresciuti, eh?」
◎リヴェラーニ:「よせよ」
二人は愉快そうに笑う。サンドロもおかしそうに笑う。

(ちょっと一言)
・道をあけてくれ(Largo)について。
largoは辞書には「幅が広い」と書いてある。このリヴェラーニのセリフにあるように「通してくれ」「道をあけてくれ」という意味でも使われる。
音楽用語としては「ゆるやかに」

・酒は上等だよ(il vino è di marca)]について。
Marcaは「商標、ブランド」の意。
Prodotto di marcaで「ブランド商品」

・「じゃあ、いらないね」(Te lo regalo)は直訳すると「おまえにやるよ」ということ。
アンドレアとリヴェラーニは仕事の相棒であり、飲み友達。とりわけアンドレアはいったん飲み始めるととことん飲まないではいられない人。この場面の会話ではアンドレアは赤と白のどちらが好きかははっきりしない。辛口か甘口に関しては辛口好みということだろう。

・「そんな毛quei quattro peliはほっとけよ」のquattro peliは「四本の髪の毛」と言う意味。
「四本しか残っていない髪の毛なんぞほっとけよ」が直訳だ。
イタリア語のQuattro「四つ」には「わずかの」という意味がある。
日本語だと「3」にあたるだろうか。「サルは人に比べて毛が3本少ない」と昔から言い習わすが、サルはどう見ても人間より毛が多いからこの言い回しは面白く、かつ不思議だ。
おばけのキュー太郎も毛が三本だった。

イタリア語の質問 その1

Il mio appartamento è in un palazzo dell’Ottocento.

「私の部屋は1800年代の建物にある」という意味。

dell’Ottocento.はottocentescoとも表現できる。

それでは「1800年代」ではなく「800年代の建物」と言う時はどう表現すればいいのだろう?

映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第2回)

(前回の続き)

☆プラットホーム
◎アンドレア:「ほう、母さんは知っているのかいma lo sa la mamma、お前がこんなところまで来たのを?」
機関室から同僚のジジ・リヴェラーニが首を出して
◎リヴェラーニ:「クリスマスおめでとう、サンドリーノ!」
◎サンドロ:「おめでとう、リヴェラーニさんAuguri, sor Liverani!」
◎アンドレア:「(リヴェラーニに)おい、君は購買部cooperativaに行くかい?」
◎リヴェラーニ:「ああ、行くよ」
◎サンドロ:「(得意そうに)ねえ、パパ…僕、改札口の小父さんの鼻の下il naso di quello della portaを通ってきちゃった。僕の事引き留めようとしたんだよ。だけど僕、パパがいつもやるようにio ho fatto come te, “乗務だよ”って言って通っちゃったんだ」
◎アンドレア:「ほう、うまくやったなsei stato in gamba…だが、今度からはこう言うんだぞtu devi dire cosi;、サンドロ。“R48号の機関手il macchinista dell’R48アンドレア・マルコッチの息子だよ”って…」
愉快そうに笑いあう。


(ちょっと一言)

・サンドロは「おめでとう、リヴェラーニさんAuguri, sor Liverani!」と言うセリフ。
ここのsor Liveraniはsignor Liveraniと同じ意味。
Sorは中部、北部イタリアにおいて親密語で使われる敬称。

・男の子にとって自分の父親がこの世で一番偉い人に思える時期がある。
父親にとってそんな息子の賛辞ほど誇らしく、嬉しいものはない。
この息子のために、その思いを裏切らないために頑張らなくてはと思う。
そのような父と息子の黄金時代をかつて持った男たちにとって、このシーンは時の流れの速さを切なくも感じさせる。

・映画の半ばでわかる事だがアンドレアの年齢は50歳を過ぎている。一方、息子のサンドロは小学校の低学年という設定。つまりサンドロはアンドレアが40歳の半ばを過ぎて出来た子供。彼はサンドロが可愛くて仕方がなく、長女や長男に対する厳しく無愛想な態度とは全く違っている。上記のシーンでもサンドロを抱上げ、抱きしめるしぐさ、表情に愛おしさがこもっている。
父親を演じたピエトロ・ジェルミはこの作品の監督でもあり、ジェルミはサンドロ役のエドアルド・ネボラ少年がよほど気に入ったらしく、彼の次作「わらの男」L'Uomo di Pagliaでもエドアルド・ネボラ少年を子供役に起用している。

イタリア語の小さな発見 その1

◎Dov’è Mario?(マリオはどこ?)

・Sarà a casa.(家じゃないかな―推量)
・Sarebbe a casa.(家にいるみたい―伝聞)


◎建物について

・edificio 建物(規模にかかわらず)
・palazzo 建物(一般的に規模の大きな建物)

映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第1回)

「鉄道員」Il Ferroviereは1956年のイタリア映画。
監督は「わらの男」「刑事」などの作品で知られるピエトロ・ジェルミ。
父と息子が主題の作品で、父親を演じるのがピエトロ・ジェルミ、息子はエドアルド・ネボラ少年が好演した。
カルロ・ルスティケッリ作曲のテーマ曲(タイトルロールに流れる)が日本でも大ヒットしたことでも知られる。

◎キャスト
・アンドレア・マルコッチ(父親) ピエトロ・ジェルミ
・サンドロ・マルコッチ(次男) エドアルド・ネボラ
・サラ・マルコッチ(母親) ルイザ・デラ・ノーチェ
・ジュリア・マルコッチ(長女) シルヴァ・コシナ
・ジジ(マルコッチの職場の同僚) サロ・ウルツィ
・マルチェロ(長男) レナート・スペツィアリ
・レナート(サラの夫) カルロ・ジュフレ

☆改札口
サンドロが駆け込んでくる。
◎サンドロ:(とがめようとする改札係に)「乗務だよ」Servizio!
と言って通り抜ける。呆れて見送る改札係。

☆プラットホーム
到着している最新型の電気機関車。
サンドロが先頭車両に走ってくる。
◎サンドロ:「パパ、パパ!」
機関室から父のアンドレアが顔を出す。
◎アンドレア:「やあ、サンドリーノ!」
◎サンドロ:「パパ!」
◎アンドレア:(飛び降りて)「やあ、これは驚いたな」Questa sì che è una bella sorpresa!
サンドロを抱上げる。

(次回に続く)

旅情

・1955(昭和30)年イギリス・アメリカ合作映画
・出演
ジェーン(キャサリン・ヘプバーン)
レナート(ロッサノ・ブラッツィ)
フィオリーニ夫人(イザ・ミランダ)

アメリカの地方都市で秘書をしている38歳の独身女、ジェーン・ハドソン(キャサリン・ヘップバーン)は長期休暇を取り、念願であったヨーロッパ旅行の夢を実現させ、この旅行の最終目的地であるヴェニスを訪れる。
ジェーンは駅から船でフィオリーニ夫人(イザ・ミランダ)が経営するペンシオーネに到着する。
その後観光に出かけたヴェニスの街で一人のイタリア人男性レナート(ロッサノ・ブラッツィ)と出会うことになる。

・フィオリーニ夫人を演じるイザ・ミランダは大人のイタリア女の魅力を存分に感じさせてくれる。
「イタリアでは年齢は財産です」とジェーンに言うセリフはフィオリーニ夫人の生き方を象徴している。
季節は夏とあって、彼女は夏のドレスを着ているが、アーウィン・ショーの名作「夏服を着た女たち」 (常盤新平訳)の原題はThe Girls in Their Summer Dresses。
サマードレスというといつもこの映画のイザ・ミランダを思い出す。

・ペンシオーネ・フィオリーニのバルコニーでジェーンは他の客たちと談笑する。木漏れ日がジェーンたちの服の上で揺れ、まるでルノアールの絵の様だ。このシーンに限らず、「旅情」は美しいシーンがふんだんにあって見る者を楽しませてくれる。
この作品の撮影はジャック・ヒルドヤード。
彼は後に「戦場にかける橋」でアカデミー撮影賞を受賞している。
監督のデビッド・リーンが主演女優のキャサリン・ヘプバーンについて「彼女は皺だらけで…」とこぼしたのを、みごとに撮影して見せたのがジャック・ヒルドヤードだった。

・サンマルコ広場のカフェで、レナートの息子から、レナートに妻がいる事を知らされたジェーンは、失望と怒りに駆られて、ペンションに帰る。
レナートはジェーンを追ってペンシオーネ・フィオリーニにやって来る。
そしてジェーンをこう言ってなじる。
「君はまるで、空腹なのにラビオリはいやだ、ビフテキが食べたいんだ、と言っている様なものだ。空腹だったら、目の前のラビオリを食べたらどうなんだ」
ラビオリは、肉や野菜、チーズなどの詰め物をしたパスタで、餃子のようなものと言えばいいだろうか。
普通はゆでて、トマトソースやチーズと和えて食べるが、この映画が日本で公開されたのは昭和30年。その当時、このレナートのいうラビオリを知っていた人はほとんどいなかったのではなかろうか。
私は2018年の今でさえラビオリを食べたことがない。
そして、ジェーンもいったんはその気になるものの、結局は「目の前のラビオリ」を食べなかった。
食べなかったからこそ、最後の印象的な別れのシーンがある。


「星の王子様」で学ぶイタリア語 その7

(イタリア語版)


・Mostrai il mio capolavoro alle persone grandi, domandando se il disegno li spaventava.

・Ma mi risposero: Spaventare? Perché mai uno dovrebbe essere spaventato da un cappello?

・Il mio disegno non era il disegno di un cappello.

・Era il disegno di una boa che digeriva un elefante.

(私訳)


・僕はその傑作を大人の人たちに見せ、怖くないかと尋ねました

・でも、大人の人たちはこう答えました。「どうして帽子なんかを怖がらなくちゃあいけないんだい?」

・ぼくの描いたのは帽子の絵ではありませんでした

・それは象を消化しているボアの絵でした

「星の王子様」で学ぶイタリア語 その6


(イタリア語版)


・Dopo di che non riescono più a muoversi e dormono durante i sei mesi che la digestione richiede.

・Meditai a lungo sulle avventure della giungla.

・E a mia volta riuscii a tracciare il mio primo disegno.

・Il mio disegno numero uno. Era così.

(私訳)


・そうすると、もう動くことが出来なくなって、消化するまで六か月の間、眠っているのです

・僕はジャングルの冒険について、長いこと考えました

・その挙句、初めての絵を何とか描きあげました

・僕の一番最初の絵は、こんな具合でした


「星の王子様」で学ぶイタリア語 その5


(イタリア語版)

・Rappresentava un serpente boa nell'atto di inghiottire un animale.

・Eccovi la copia del disegno.

・C'era scritto:"I boa ingoiano la loro preda tutta intera, senza masticarla"


(私訳)

・それは一匹の動物を飲み込もうとしているボアの絵でした

・お見せするのがその絵のコピーです

・そこにはこう書いてありました。「ボアは獲物を、かまずに丸まま飲み込みます」

(ちょっと一言)

・今回でてきた二つの単語、inghiottireとingoiare。いずれも「飲み込む」という意味だが、ingoiareには「がぶっと飲み込む」「丸まま飲み込む」のニュアンスがある。

・ボアは主に南北アメリカに生息する大蛇のこと。ボアではないが、私はブラジル人の知り合いから幸運を呼ぶおまじないだと言って、ガラガラヘビのしっぽをもらったことがある。

「星の王子様」で学ぶイタリア語 その4

(イタリア語版)

・Perciò correggo la mia dedica.

・A LEONE WERTH Quando era un bambino

・Un tempo lontano, quando avevo sei anni, in un libro sulle foreste primordiali, intitolato Storie vissute della natura, vidi un magnifico disegno.

(私訳)

・だから私は献辞をこのように書き直す

・子どもの時のレオン・ウェルトへ

・昔、六歳の時、「自然界の本当にあった話」という題の、原始林の事を書いた本の中で、僕は素晴らしい絵を見たことがあります

「星の王子様」で学ぶイタリア語 その3

(イタリア語版)

・E se tutte queste scuse non bastano, dedicherò questo libro al bambino che questa grande persona è stato.

・Tutti i grandi sono stati bambini una volta.

・(Ma pochi di essi se ne ricordano)


(私訳)

・これだけ言ってもまだ足りないなら、私はこの大人の人がまだ小さかったころの、その子供にこの本をささげたい。

・大人はだれも、最初は子供だった

・でも、それを覚えている大人は少ない

「星の王子様」で学ぶイタリア語 その2

(イタリア語版)

・Questa persona grande è il miglior amico che abbia al mondo.

・Ho una seconda scusa: questa persona grande può capire tutto, anche i libri per bambini.

・e ne ho una terza: questa persona grande abita in Francia, ha fame, ha freddo e ha molto bisogno di essere consolata.

(私訳)

・その大人の人はこの世で一番の親友だからだ

・二つ目の理由は、その大人の人は何でも分かる人だからだ。子供の本だってわかるんだ。

・三つ目の理由としては、この大人の人は今フランスに住んでいて、お腹をすかせ、寒い思いをしていて、どうしても慰めてもらわなければならない人だからだ。

(ちょっと一言)

サン=テグジュベリは別の作品の中でこう書いている。
「友人とは、第一にあれやこれやと品定めせぬ人の事である。浮浪人に家の戸を開いてやる人の事だ」

「星の王子様」で学ぶイタリア語 その1

(イタリア語版)

・A LEONE WERTH

・Domando perdono ai bambini di aver dedicato quest libro a un persona grande.

・Ho una scusa seria.

(私訳)

・レオン・ウェルトへ

・子供たちには許してほしいのだが、私はこの本をある大人の人にささげた

・それには真面目な理由がある

(ちょっと一言)

サン=テグジュベリがこの作品をささげたレオン・ヴェルトは実在の人物である。
サン=テグジュベリよりも22歳年上のジャーナリストだった。
彼はユダヤ人であったため、ナチスによる弾圧を避け、1943年当時フランス東部のジュラ県サンタムールにあった別荘に隠れ住んでいた。
サン=テグジュベリは当時北アフリカの戦線にいたが、遠く離れた親友を慰めるためにこの作品を書いた。

ローマのタコ料理

小説家の志賀直哉が昭和33年に、梅原龍三郎や里見弴と雑誌の座談会で「旅と食べ物」について語っている。
そこで
「ローマで食ったスペイン料理ふうのタコがうまかった」
と語っている。

今から60年以上前に志賀直哉がローマで食べた「スペイン料理風のタコ」とはどんなものだったのか?

晩年の一時期、ポルトガルの海辺の町、サンタクルスで一人暮らしをした作家に壇一雄がいる。
彼の著書「壇流クッキング」にスペイン風酢だこが紹介されている。
作り方はこうだ。

「ゆでたタコを1センチくらいにぶつ切りにする。それをサラダボウルに入れ、キュウリ、セロリ、トマト、玉ねぎのみじん切りを混ぜる。コリアンダー、それがなければパセリのみじん切りも混ぜる。
この中にオリーブ油と酢を半々、にんにくをすりおろし、塩こしょうで味を調える」

これには冷やした白ワインとフランスパンがよく合う。

ラジオイタリア語講座 9月13日

フランス皇帝ナポレオンは1814年にエルバ島に追放され、「ムリーニ小宮殿」Palazzina_dei_Muliniと呼ばれる邸宅で約9か月を過ごしたことはよく知られている。

昨日のラジオ講座で知ったことはナポレオンの読書について。
ムリーニ小宮殿にはナポレオンの蔵書が大量に展示されており、特に歴史書が多いそうな。
若い頃からのナポレオンの愛読書は「プルターク英雄伝」


ムリーニ小宮殿のウィキペディア(イタリア語版)は
https://it.wikipedia.org/wiki/Palazzina_dei_Mulini

ラジオイタリア語講座

昨日のラジオイタリア語講座で「輝ける青春」(La meglio gioventù )というイタリア映画について少し触れられていた。

この映画は初耳であった私は早速ネットで調べてみた。

2003年公開のマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督作品。
1960年代から21世紀の幕開けまでを、イタリアを舞台にある一家の37年間の年代記を描き切った大河ドラマ、と紹介文にある。
上映時間はなんと6時間を超えるそうな。

映画館に座っての6時間は耐えられそうにないので、DVDで小分けにして観てみたい。

ラジオイタリア語講座

先日のラジオイタリア語講座のテキストで紹介されていた和食のイタリア語表現。

・すし:il sushi
・刺身:il sashimi
・かつ丼:il katsudon
・おにぎり:l'onigiri
・お好み焼き:l'okonomiyaki
・おでん:l'oden
・雑炊:lo zosui
・しゃぶしゃぶ:lo shabushabu
・ラーメン:i ramen
・そば:i soba
・うどん:gli udon
・餃子:i gyoza
・焼き鳥:gli yakitori

「道」で学ぶイタリア語(第24回)

(場面)
結婚式が行われた農家の納屋。
ジェルソミーナはザンパノに話しかける。
ザンパノは主婦にもらった背広を着て喜んでいる。
前回の続き

(セリフ)
◎ザンパノ:
・ほら、どうだい?(Beh, come sto?)
・女ときたら…ここでたばこを吸ってはまずいな(non si può fumare qui)…どうしたんだ?
◎ジェルソミーナ:
・なにも
◎ザンパノ:
・じゃあ、何で泣いているんだ?
◎ジェルソミーナ:
・だって…ああ
◎ザンパノ:
・さあ、上がってこい!(Dai, monta.)
◎ジェルソミーナ:
・いや!
◎ザンパノ:
・来い。一晩中そこにいるのか?(vuoi stare qui tutta la notte?)
◎ジェルソミーナ:
・そうよ、ここにいるわ


(ちょっと一言)
1957年のキネマ旬報五月上旬号から。
文芸評論家であり、後に中央大学教授となった佐々木基一氏の「道」についての評論より。前回の続き
「このように書くと、「道」はいかにも観念的な映画のように思われるかも知れないが、フェリーニの作風は決して観念的ではない。ロッセリーニの「ドイツ零年」「ヨーロッパ1951年」「ストロンボリ」ばどは、観念性があらわにすぎたため失敗した。日常的デテールの積み重ねの中に、おのずから観念的主題をうあかび上がらせるとき、映画による思想や観念の表現は説得力を持つものだが、ロッセリーニのこれらの作品では、観念の強引さが目立ちすぎた」(続く)


「道」で学ぶイタリア語(第23回)

(場面)

結婚式が行われた農家の納屋。
ザンパノとジェルソミーナは納屋で寝ている。
ジェルソミーナはザンパノに話しかける。
前回の続き


(セリフ)

◎ジェルソミーナ
・覚えてる。きれいな歌だったわね、ザンパノ?
・あの雨の日よ(Quel giorno sotto la pioggia) 窓から雨の降るのが見えた。
・どうしてトランペットを教えてくれないの(Perché non mi insegnate a suonare la tromba,)ザンパノ?
・すぐに覚えるわ
・ローザには教えたの?
・ローザは何をしていたの(Cosa faceva la Rosa) 同じ仕事?

(ちょっと一言)
・この場面でジェルソミーナはこの映画のテーマ曲を「ティーリリリリー、ティーリリリリー、」と口ずさむシーンがある。
ちなみに「口ずさむ」はイタリア語ではcanticchiare
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