映画で学ぶイタリア語

広島の小さな外国語スクール経営者のブログです。 イタリア語クラスのユニークなレジュメなどを紹介しています。

映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第10回)

(場面)
長男のマルチェッロ、ジュリアの恋人のレナートに、うまい儲け話を持ちかける。


◎MARCELLO :
Io conosco la strada buona, sai? Potremmo sdoganare in blocco per un pezzo di pane.
◎RENATO:
“Potremmo”! A chi? Marcello... Lascia perdere, va’!
◎MARCELLO :
Ma come!


◎マルチェッロ:
いいツテを知ってるんだ。タダみたいな値段で手に入るんだ
◎レナート:
手に入る? いったい誰がそれをやるんだ? マルチェッロ、そんな事はやめたまえよ
◎マルチェッロ:
でも、どうして!

「道」で学ぶイタリア語(第24回)

(場面)
結婚式が行われた農家の納屋。
ジェルソミーナはザンパノに話しかける。
ザンパノは主婦にもらった背広を着て喜んでいる。
前回の続き

(セリフ)
◎ザンパノ:
・ほら、どうだい?(Beh, come sto?)
・女ときたら…ここでたばこを吸ってはまずいな(non si può fumare qui)…どうしたんだ?
◎ジェルソミーナ:
・なにも
◎ザンパノ:
・じゃあ、何で泣いているんだ?
◎ジェルソミーナ:
・だって…ああ
◎ザンパノ:
・さあ、上がってこい!(Dai, monta.)
◎ジェルソミーナ:
・いや!
◎ザンパノ:
・来い。一晩中そこにいるのか?(vuoi stare qui tutta la notte?)
◎ジェルソミーナ:
・そうよ、ここにいるわ


(ちょっと一言)
1957年のキネマ旬報五月上旬号から。
文芸評論家であり、後に中央大学教授となった佐々木基一氏の「道」についての評論より。前回の続き
「このように書くと、「道」はいかにも観念的な映画のように思われるかも知れないが、フェリーニの作風は決して観念的ではない。ロッセリーニの「ドイツ零年」「ヨーロッパ1951年」「ストロンボリ」ばどは、観念性があらわにすぎたため失敗した。日常的デテールの積み重ねの中に、おのずから観念的主題をうあかび上がらせるとき、映画による思想や観念の表現は説得力を持つものだが、ロッセリーニのこれらの作品では、観念の強引さが目立ちすぎた」(続く)


映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第9回)

(場面)
父とその友人のリベラーニを酒場に残して一人で帰宅したサンドロを母親のサラは叱る。
父親のアンドレアの帰りを待っていたのは娘のジュリアと恋人のレナート。
ジュリアは妊娠している
恐縮するサラにレナートが言う。

・RENATO :
No... È che Giulia... Il dottore ha detto che dal 24 in poi tutti i giorni potevano essere buoni... Eh, Giulia? Tu adesso come ti senti?

・レナート
「いえ…僕よりもジュリアなんです…医者は24日以降だと言ったんですが…ねえ、ジュリア、気分はどう?」

「道」で学ぶイタリア語(第23回)

(場面)

結婚式が行われた農家の納屋。
ザンパノとジェルソミーナは納屋で寝ている。
ジェルソミーナはザンパノに話しかける。
前回の続き


(セリフ)

◎ジェルソミーナ
・覚えてる。きれいな歌だったわね、ザンパノ?
・あの雨の日よ(Quel giorno sotto la pioggia) 窓から雨の降るのが見えた。
・どうしてトランペットを教えてくれないの(Perché non mi insegnate a suonare la tromba,)ザンパノ?
・すぐに覚えるわ
・ローザには教えたの?
・ローザは何をしていたの(Cosa faceva la Rosa) 同じ仕事?

(ちょっと一言)
・この場面でジェルソミーナはこの映画のテーマ曲を「ティーリリリリー、ティーリリリリー、」と口ずさむシーンがある。
ちなみに「口ずさむ」はイタリア語ではcanticchiare

映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第8回)

三人は酒場の前を通りかかる。
鉄道員たちの溜り場であるウーゴの店だ。
アンドレアとリベラーニの目と目が合う。
アンドレアはサンドロに荷物を渡す。


・ANDREA Tieni, Sandrino, il pacco... il fiasco... To’, va’ da mamma e dille che vengo subito.
・SANDRINO Ma Giulia ci aspetta!
・ANDREA Un bicchiere e vengo, uno solo. Ciao Sandrino!
・LIVERANI Va’, che adesso te lo mando io. Saluta mamma, ciao!


・アンドレア:「サンドリーノ、持って行ってくれ。包みと…ビンと…母さんのところに行ってすぐ帰るからと言っておくれ」
・サンドロ:「でも、ジュリアが待ってるんだよ」
・アンドレア:「一杯だけで帰るよ、一杯だけだ。じゃあな、サンドリーノ」
・リベラーニ:「お行き。お父さんは俺が早く返すから。お母さんによろしく、じゃあな」

「道」で学ぶイタリア語(第22回)

(場面)
田舎のある家での結婚式。
女あるじとザンパノは二人で家の中に入っていく。
ひとり残されたジェルソミーナの顔に、フッと不安がよぎる。
前回の続き

(セリフ)
◎女あるじ:
・さあ、食べなさい
・ワインの大瓶(la damigiana)を上に運ぶのを手伝ってくれないかい。上にはもうワインがないんだよ
◎ザンパノ:
・あのよう、その服は本当に要らないのかい?(Davvero che i vestiti non vi servono ?)
◎女あるじ:
・誰が着るっていうんだい?あんたみたいに大きい人はそんなにいないからね(Non ci sono tanti uomini come voi al mondo).
◎ザンパノ:
・で、帽子はあるかい?帽子があると有難いんだがな(mi farebbe comodo un cappello)
◎女あるじ:
・あるよ。おいで…ちょっと見てごらんよ(venite a vedere un po’ voi)

(ちょっと一言)
1957年のキネマ旬報五月上旬号から。
文芸評論家であり、後に中央大学教授となった佐々木基一氏の「道」についての評論より。前回の続き
「ジェルソミーナの好きだった哀しいメロディをもう一度ききとろうとするかのように、顔をもちあげるが、何もきこえないのである。あの空の沈黙の深さは、そのままザンパノの罪の深さを暗示している。実にすばらしい場面であった。普通ならあとでかすかに懐かしいメロディの響きを聞かせるところだが、何もきかせないことによって、かえって魂の深淵をのぞきみさせている。」(続く)

映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第7回)

三人で家路を急ぐ途中、サンドロは母親の伝言「明日のクリスマスはうちに来るように」をリベラーニに伝える。

・LIVERANI Ma no, Andrea, che c’entro io! Il Natale è una festa di famiglia.
・ANDREA E beh! E che c’entra! Tu non ce l’hai, vieni da noi, no?
Ma fesso io che gli do retta! Tanto poi lo sai, no, come va a finire? Prima tanti complimenti...

・リベラーニ:「とんでもない、アンドレア…俺に何の関係があるんだい。クリスマスは家族で祝うもんだよ」

・アンドレア:「それで?…それがどうしたんだ…君には家族がないじゃないか。うちへ来いよ。まあ、そんなことを心配するのも馬鹿げているかな?どうせしまいにはやって来るんだから。初めは遠慮していてもね」

「道」で学ぶイタリア語(第21回)

(場面)
田舎のある家での結婚式。
家の女あるじが立ったままマカロニ料理を食べている。
それを見てザンパノが声をかける。
前回の続き

(セリフ)
◎女あるじ:
・どうしてかって?私だって肉体があるんだよ?(Non sono di carne pure io?)
・甘いものはだれでも好きだろう?(Il dolce piace a tutti, no?)
・お前、何をしてるんだい?早くお行き!ぶつよ!
・最初の亭主(Il primo marito mio)は、あんたみたいに大男だったよ!
・服が全部残っているんだよ。
・誰にも合わないんだよ。(Non vanno bene a nessuno).
◎ジェルソミーナ:ザンパノ、ザンパノ、上に…
◎女あるじ:あんたにも持ってきてあげるよ
◎ジェルソミーナ:上にこんな変な顔をした男の子がいるのよ…


(ちょっと一言)
1957年のキネマ旬報五月上旬号から。
文芸評論家であり、後に中央大学教授となった佐々木基一氏の「道」についての評論より。前回の続き
「そして最後にこの孤独を意識しないことによっていっそう深い野獣の孤独に生きているザンパノの魂にはげしい不安と悔恨と恐怖の戦慄を与えて、救済の道を暗示する。とくに最後に波打際の砂の上をのた打ち回るザンパノが、ふと何かをもとめて空を見上げる場面は圧巻だった」(続く)

映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第6回)

(場面)

乗務を終えたアンドレアの所に、仲間のリヴェラーニがやって来る。
両手には大きな包みを抱えている。
場面は前回の場面の続き。

◎アンドレア: 「白biancoかい?」
◎リヴェラーニ:「赤rossoさ」
◎アンドレア: 「辛口asciuttoか?」
◎リヴェラーニ:「いや…甘口dolceさ」
◎アンドレア: 「じゃあ、いらないね」(Te lo regalo)


(ちょっと一言)

・「じゃあ、いらないね」(Te lo regalo)は直訳すると「おまえにやるよ」ということ。

・アンドレアとリヴェラーニは仕事の相棒であり、飲み友達。
とりわけアンドレアはいったん飲み始めるととことん飲まないではいられない人。
この場面の会話ではアンドレアは赤と白のどちらが好きかははっきりしない。
辛口か甘口に関しては辛口好みということだろう。

早朝イタリア語レッスン

・時間:午前6時~10時の間

・レッスン形態:個人レッスン

・レッスン時間:1時間~

・開講日:毎日

・入会金:4,500円

・レッスン料:1時間につき4,500円

・レッスン内容:入門レベル、映画で学ぶイタリア語、星の王子様で学ぶイタリア語など

・お問い合わせ:
エバンス外語スクール
〒732-0067:  広島市東区牛田旭2丁目4―10
Tel:082-221-9720
e-mail :info@evans-gaigo.jp

「道」で学ぶイタリア語(第20回)

(場面)
田舎のある家での結婚式。
家の女あるじが立ったままマカロニ料理を食べている。
それを見てザンパノが声をかける。

(セリフ)
◎ザンパノ:立って食うのかい。馬みてえに(come i cavalli)
◎女あるじ:
・いつもそうだよ
・でなきゃあ、誰が家の事をやるんだい?
・二度亭主を持ったけど、二人とも死んじまったよ
・料理の準備で三日間夜の一時起きだよ(E’ tre notti che mi alzo all'una per cucina’,)
・疲れているとお思いかい?
・その気になれば一晩中だって踊れるさ
・若い娘には負けないよ(Siamo meglio delle ragazze noi.)
◎ザンパノ:どうして結婚しないんだい?
◎女あるじ:
・え?また旦那を持つのかい?
・うちの中で命令するのは私一人で十分だよ(Ci basto io a comandare qua)
◎ザンパノ:何故だい?旦那の役目っていうのは(vi serve solo a questo il marito)・・何ていうか…命令することだけかい?

(ちょっと一言)
1957年のキネマ旬報五月上旬号から。
文芸評論家であり、後に中央大学教授となった佐々木基一氏の「道」についての評論より。
前回の続き
「しかし、この作品の主題はそこにはない。主題はザンパノによって代表される獣性と気のふれた無知な女ジェルソミーナの献身にみられる霊性の対立にある。飲み食い欲情する野獣のようなザンパノの生き方の中に、作者は何か原罪的なものを見ている」(続く)


映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第5回)

場面は前回の場面の続き。
乗務を終えたアンドレアの所に、仲間のリヴェラーニがやって来る。
両手には大きな包みを抱えている。

・リヴェラーニ:道をあけてくれ(Largo)…サンタクロース(Baddo Natale)]がやって来るよ!
・アンドレア:ほう…今年は軽そうだな
・リヴェラーニ:ああ、だが酒は上等だよ(il vino è di marca)

(ちょっと一言)
・道をあけてくれ(Largo)について。
largoは辞書には「幅が広い」と書いてある。このリヴェラーニのセリフにあるように「通してくれ」「道をあけてくれ」という意味でも使われる。

・酒は上等だよ(il vino è di marca)について。
Marcaは「商標、ブランド」の意。
Prodotto di marcaで「ブランド商品」

「道」で学ぶイタリア語(第19回)

(場面)
田舎のある家での結婚式。
子供たちがジェルソミーナを家の二階に連れて行く。
少年か一人ベッドに寝ている。

(セリフ)
◎少女:ナタリーノ、あんたもおいで。オズヴァルド、見てごらん。この子を笑わせてよ(Fallo ridere.)
◎ジェルソミーナ:誰なの?
◎少女:オズヴァルドよ、いとこの。病気なの。いつもベッドに寝ているの。人には見せないようにしているのよ。あなた、この子を笑わせてみてよ。
◎ジェルソミーナ:でも、どうすればいいの?(Ma che devo fare?)
◎少女:さっきみたいにやってよ!(Fa come prima!)
◎ジェルソミーナ:小鳥よ!
◎少女:小鳥よ!
◎修道女:
・悪い子たちだよ(Canaglie che non siete altro.)
・足をぶつよ
・すぐに出ていきなさい。下に行くんだよ!(subito di sotto!)
・あんた、誰がここに入れたの?すぐに出てお行き

(ちょっと一言)
1957年のキネマ旬報五月上旬号から。
文芸評論家であり、後に中央大学教授となった佐々木基一氏の「道」についての評論より。
前回の続き
「フランス映画“ヘッドライト”のような、慰めのない人世の淡い抒情でもない。「道」にも別離の哀しさといったものがたびたび描かれている。最初の出発の際のジェルソミーナと家族の別れ、ついで「キ印」とジェルソミーナの別れ、最後に路傍のくずれた石壁の下の陽だまりに眠っているジェルソミーナを棄ててザンパノがオート三輪を押しながら逃げて行く場面など、いずれをサワリの場面であって、深い哀愁がただよっている」(続く)


映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第4回)

前回の場面の続き。

息子のサンドロを
“Ah, sei stato in gamba!”
「よくやった」
と褒めた後で、父アンドレアはこう続ける。

“Ma un’altra volta ricordati, Sandrino, tu devi dire così; “Sono il figlio di Andrea Marcocci, il macchinista dell’R48” eh?”
「だが、今度からはこう言うんだぞ、サンドロ。“R48号の機関首アンドレア・マルコッチの息子だよって…”」
そう言うと、父と息子は愉快そうに笑い合う。

男の子にとって自分の父親がこの世で一番偉い人に思える時期がある。
父親にとってそんな息子の賛辞ほど誇らしく、嬉しいものはない。
この息子のために、その思いを裏切らないために頑張らなくてはと思う。
そのような父と息子の黄金時代をかつて持った男たちにとって、このシーンは時の流れの速さを切なくも感じさせる。

「道」で学ぶイタリア語(第18回)

(場面)
田舎のある家での結婚式。
ザンパノとジェルソミーナは雇われて庭の披露宴で踊りや芸を披露している。
家の主婦が二人に声をかける。

(セリフ)
◎主婦:ねえ!
◎ジェルソミーナ:ザンパノ、呼んでるよ(Ci chiamano.)
◎主婦:中で何かお食べなさいよ
◎ザンパノ:有難う。すぐ行きますよ(Grazie, veniamo subito.)
◎客:お坐りなさいよ。ちょっと食べて。
◎主婦:いいえ、時間がないのよ(non c'ho tempo.)
◎女の子:こっちへ来て
◎ジェルソミーナ:私、食べなくちゃ
◎女の子:後でお食べよ
◎ジェルソミーナ:押さないでよ。ぶつよ!(ti do uno schiaffo!)

(ちょっと一言)
1957年のキネマ旬報五月上旬号から。
文芸評論家であり、後に中央大学教授となった佐々木基一氏の「道」についての評論より。
前回の続き
「映画の面白さを多少とも心得た映画人なら、誰でも食指を動かすにちがいない主題である。ところが、フェリーニはそのような設定をうまく利用しながら、まったく別の主題をめざしている。では、フェリーニがめざしている主題は何か。もちろん、それはしがない大道芸人の哀愁を描くことではない」

映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第3回)

前回の場面の続き。

電車の機関士の仕事を終えたアンドレアは、駅に迎えにきた息子のサンドロと一緒に家路をたどる。
父親の口真似をして
「乗務だよ」
と言って改札口を抜けてきたと自慢する息子に、父のアンドレアは満足そうにこう答える。
“Ah, sei stato in gamba!”
「よくやった」

essere in gambaまたはstare in gambaは「有能である」とか「したたかである」という意味の熟語。

「道」で学ぶイタリア語(第17回)

(場面)
オート三輪の中。
ジェルソミーナは後ろからザンパノの肩をつつく。

(セリフ)
◎ザンパノ:何だ!
◎ジェルソミーナ:ローザともこんな風だったの?(Facevate così anche con la Rosa?)
◎ザンパノ:何?
◎ジェルソミーナ:ローザとはどうだったの?
◎ザンパノ:何を言ってるんだ?
◎ジェルソミーナ:あの女と寝たからよ。(Perché siete andato con quella?)
ローザともこうだったの?
◎ザンパノ:やめろ。(Ah! piantala.)なんだってんだ?
◎ジェルソミーナ:女ならだれでもいいの?
◎ザンパノ:何?
◎ジェルソミーナ:女ならだれとでもよ!
◎ザンパノ:
・いいか。俺と一緒にいたいのなら、余計なことは言うな(devi imparare una cosa: a tenere la bocca chiusa.)
・何がトマトだ。何を考えているんだ。
・ほらよ!(Toh!)

(ちょっと一言)
1957年のキネマ旬報五月上旬号から。
文芸評論家であり、後に中央大学教授となった佐々木基一氏の「道」についての評論より。
前回の続き。
「ピエトロ・ジェルミの「越境者」では、シシリア島の失業杭夫たちがイタリア半島を北に向かって縦断し、フランス国境を越えるまでに遭遇する様々な事件があの作品の大きな部分を占めていた。「道」はそのような風俗描写や社会描写をほとんど意図していない。オート三輪に乗って全国を遍歴する大道芸人の生活、これは映画にとってうってつけの主題である」

映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第2回)

初めのシーン。
クリスマスの晩。

電車の機関士の仕事を終えたアンドレアは、駅に迎えにきた息子のサンドロと一緒に家路をたどる。
出会った父の同僚であるリベラーニがサンドロに
「クリスマスおめでとう、サンドリーノ」
と声をかける。
それに答えてサンドロは
Auguri, sor Liverani!(おめでとう、リベラーニさん)
と返事をする。

ここの
sor Liveraniはsignor Liverani
と同じ意味。
Sorは中部、北部イタリアにおいて親密語で使われる敬称。

「道」で学ぶイタリア語(第16回)

(場面)
村はずれに走るジェルソミーナ。
空き地で酔いつぶれて眠っているザンパノ。
ジェルソミーナは彼を眠らせておいて、原っぱに歩いていく。
一軒の家の前に少年が一人ぽつんといる。

(セリフ)
◎ジェルソミーナ:ザンパノ、ザンパノ
◎少年:あそこの奥で(Lì dentro)、犬が死んでいる
◎ジェルソミーナ:目が覚めた。トマトを植えたのよ(Ho piantato i pomodori).
◎ザンパノ:トマトだって?
◎ジェルソミーナ:畑で大きな種(certi semi grossi),を見つけたの。だからあそこに植えたのよ。
◎ザンパノ:さあ、行くぞ
◎ジェルソミーナ:どうして? もう行くの?
◎ザンパノ:トマトがなるまで待つつもりか?(Che crescano i pomodori?)
さあ、押すんだ。

(ちょっと一言)

1957年のキネマ旬報五月上旬号から。
文芸評論家であり、後に中央大学教授となった佐々木基一氏の「道」についての評論より。
前回の続き。
「作者はもっぱらこの三人に焦点をしぼって描いている。ほかの人物はみな背景に退き輪郭がぼやけている。ザンパノとジェルソミーナはオート三輪で町や村を経めぐるので、当然、いろいろな場面やいろいろな人物に遭遇するわけだが、それらの場面や人物は本筋には何ら関係しない。たとえば「自転車泥棒」では、盗まれた自転車を探してローマの街を歩き廻る失業者の哀しみと対比させつつ、様々な街の風俗が描き出され、主人公をとりまく周囲の生活があの作品の主要な内容をなしていた」

映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第1回)

「鉄道員」Il Ferroviereは1956年のイタリア映画。

監督は「わらの男」「刑事」などの作品で知られるピエトロ・ジェルミ。
父と息子が主題の作品で、父親を演じるのがピエトロ・ジェルミ、息子はエドアルド・ネボラ少年が好演した。
カルロ・ルスティケッリ作曲のテーマ曲が日本でも大ヒットしたことでも知られる。

「鉄道員」Il Ferroviereの関連語句を列挙すると、
・Ferro:鉄
・Ferroso:鉄の
・Ferrovia:鉄道
・Ferroviario:鉄道の

鉄に関連した表現では、このブログでも紹介している映画「道」ではザンパノにこんなセリフがある。

Questo qui è un pezzo di catena dello spessore di mezzo centimetro, in ferro crudo… è più forte dell'acciaio.
「これは純粋な鉄で出来た五ミリの鎖です。鋼鉄よりも硬いんですぞ。」
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