外国語スクール日記

広島の小さな外国語スクール経営者のブログです。 。

山頭火の豆腐  その2―2

(前回の続き)

もう一つ気づいたことがある。
上掲の13句の中から次の三つの句を並べてみよう。
・豆腐屋の笛で夕餉にする(昭和6年2月3日の日記)
・朝がひろがる豆腐屋のラッパがあちらでもこちらでも(昭和8年9月19日の日記)
・小春日和の豆腐屋の笛がもうおひるどき(昭和9年12月17日の日記)
ご覧の通り豆腐屋は夕方にも、朝にも、更には昼間にも行商にやって来ていたのだ。
ただし三つの句は詠まれた場所がそれぞれ異なっている。
一番目の句は熊本、二番目の句は広島市牛田の朝の情景、三番目の句は山口県小郡の彼の住まい「其中庵」でである。
ひょっとして昭和初期には豆腐屋の行商する時間は、熊本では夕方、広島では朝、山口では昼間となっていたのかもしれないが、ここのところは調べていないので単なる私の想像だ。
ちなみに私は二番目の句が詠まれた広島市牛田在住で、山頭火がこの地を訪れるたびに宿泊していた句友の大山澄太の家があった所からほど近いところに住んでいる。
しかし今や豆腐はスーパーで買うものと決まっており、牛田で「あちらでもこちらでも」山頭火が耳にしていた豆腐屋のラッパは、いくら耳を澄ましてももう聞こえて来ない。

更にもう一つの気付き。
・花ざかり豆腐屋で豆腐がおいしい
は唯一「豆腐の味」に言及している句だと述べたが、別の意味でも異色である。
他の句は全て山頭火の住まいの近所にやって来た豆腐屋の行商であるが、この句だけは豆腐屋の店先で山頭火は豆腐を食べたようだ。
どこの豆腐屋かというと長崎だ。
そう断定する理由はこの句が書かれているのが昭和7年4月6日の日記だからである。当時山頭火は長崎県、佐賀県を旅している。
句の「花ざかり」というのはこういうことだ。
『今日は県界を越えた、長崎から佐賀へ。どこも花ざかりである、杏、梨、桜もちらほら咲いてゐる、草花は道べりに咲きつゞいてゐる』(昭和7年4月7日の日記)

この時の旅での九州の食べ物にまつわる山頭火の印象を少しばかり列挙しておこう。
『夕食後、市街を観て歩く、食べもの店の多いのと、その安いのに驚く、軍港街の色と音とがそこにもあつた。』(佐世保について 昭和7年3月22日の日記)
『佐賀市はたしかに、食べ物飲み物は安い、酒は八銭、一合五勺買へば十分二合くれる、大バカモリうどんが五銭、カレーライス十銭、小鉢物五銭』(昭和7年3月5日の日記)
「大盛うどん」は食べたことがあるが「大バカモリうどん」とはいったいどれほどの「バカモリ」なのか?
佐賀の人に会ったら聞いてみたい。

『下物は嬉野温泉独特の湯豆腐(温泉の湯で煮るのである、汁が牛乳のやうになる、あつさりしてゐてうまい)、これがホントウのユドウフだ!』(昭和7年3月20日の日記)
ここに出てくる「嬉野温泉独特の湯豆腐」、今も嬉野温泉の名物である。
ここの温泉水の成分が豆腐のたんぱく質を分解し、独特のとろりとした湯豆腐をしあげる。醤油だれも良いが、胡麻だれで食べるとこたえられないそうな。
随分と前のことになるが、私はインターネットでこれを注文した。
豆腐断ちして豆腐ひでりを最高レベルにまで高めた私のもとへ、藤川豆腐店から嬉野温泉湯豆腐「ごまだれバージョンセット」が送られてきた。
山頭火が身元保証人となっている由緒正しい湯豆腐がその夜のメインディッシュであることを私は家族に告げた。家族は皆一様に(湯豆腐だけ?)という落胆の色を隠そうともしなかった。
ヒグラシの鳴きしきる夕暮れ、一人高揚感に包まれた私は、佐賀県からはるばるやって来た温泉水と2丁の豆腐を鍋に入れた。そのままでは格別変わったところの無い、鍋の中の風景である。
しかし、火にかけて10分ほどしたろうか、鍋の中は白さを増し、20分もする頃には豆腐はトロッとして汁はポタージュスープのように白濁した。
添付のこってりした胡麻だれで食べた豆腐はとろけるような舌ざわりでありながら深いこくがあり、山頭火が約70年前に日記に書いた通りだった。

マスターズ陸上日記2021 その5

7月20日(火)

・練習時間:午前7時30分~10時10分
・場所:公民館裏の空き地(臨時駐車場)
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朝からギラギラの油照りで、太陽はやる気十分だ。
裏山からはこちらもやる気いっぱいのセミの声。

8月22日の岡山マスターズ、29日の島根マスターズが近づいてきたので、約二か月ぶりに屋外での投擲練習を再開した。
この二か月間、下半身を中心にしっかり体作りをしてきたが、さて実際の投擲にどう出るか。

円盤投げ(1K)から練習開始。
本練習に入って12回投げるが、腰の回転が鈍い。これから一か月で切れを出していくことだ。
35mが今日のベスト。
首筋に当たる太陽がひりひりするほど強い。
「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンになった気分になる。

9時からは砲丸投げ(5K)。
こちらも腰が思うように回転しない。
最後にはやけくそになって「飛ぶ気がないなら飛ばしてやろうじゃないか」とばかりにやけくそになって投げるので、ますます飛ばず。
飛ばないといつもこのような投げやりな投擲練習になってしまい、自宅に帰っていつも反省するが、同じ過ちを何度も繰り返す。
今日のベストは10m。
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ここは河川敷と違ってわずかに木陰があるのがせめてもの慰めだ。
暑さにへとへとになって帰宅。

山頭火の豆腐  その2-1

その2  山頭火の好きな豆腐屋

山頭火の日記が存在する昭和5年から昭和15年の11年間で、山頭火が豆腐を詠ったのは28句ある。
それぞれの句で使われているキーワードを見ていくと4つに分類できることが分かった。
多い順に並べると次の通り。
・豆腐屋 13句
・豆腐(おとうふ) 10句(豆腐屋の句とダブり1句)
・ヤツコ 3句
・湯豆腐 2句

一番多かった「豆腐屋」の13句を列挙してみよう。
・夕ざれは豆腐屋の笛もなつかしく
・豆腐やさんがかちあつた寒い四ツ角
・豆腐屋の笛で夕餉にする
・花ざかり豆腐屋で豆腐がおいしい
・朝がひろがる豆腐屋のラッパがあちらでもこちらでも
・落葉ならして豆腐やさんがきたので豆腐を
・小春日和の豆腐屋の笛がもうおひるどき
・豆腐屋の笛が、郵便もくるころの落葉
・落葉ふんで豆腐やさんがきたので豆腐を
・椿ぽとり豆腐やの笛がちかづく
・豆腐やの笛がきこえる御飯にしよう
・とうふやさんの笛が、もう郵便やさんがくるころの秋草
・豆腐屋のラッパも寄らない青葉若葉

こう並べてみて気が付いたことがある。
山頭火は豆腐が大好物ではあったが、13句の中で豆腐のうまさを表現しているのは
・花ざかり豆腐屋で豆腐がおいしい
のただ一句である。
つまり彼は、豆腐の味、うまさを表現するのではなく、行商にやって来た豆腐屋のラッパを耳にして心に浮かんだ思いを句に詠んだのだ。
山頭火は「音」を詠んだ俳人でもあったが、私には次の句が思い浮かぶ。
・鴉啼いてわたしも一人
・雨だれの音も年とつた
・わたしひとりの音させてゐる

(次回に続く)


山頭火の豆腐  その1

  (一) 草にも風が出てきた豆腐も冷えただろ

この句は昭和9年7月20日の山頭火の日記に書かれている。
この時期、山頭火は彼の宿痾ともいうべき自己嫌悪に加え、夏の暑さと心臓の不調、不眠に悩まされている。
「一切が過ぎてしまつた、といふやうに私は感じつゝある」(6月24日)
「水はともかく、ビールのやうな句も出来ない、出来るのは濁酒のやうな句だ、ウソはないけれど」(6月30日)
「野菜に水をやる、いかに私の身心が弱つてゐるかを知る」(7月5日)
「暑い、暑い、ぢつとしてゐて、雑草の風がふくのにこんなに暑い」(7月6日)
「ちよつと街まで出かける、心臓の弱さがハツキリ解る、ぽつくり徃生こそ望ましい」(7月7日)
「まづ、消極的禁酒を実行しなければならない」(7月15日)

しかし日照りが続いた後、7月20日にやっと雨が降ったのをきっかけに山頭火の気分は徐々に晴れてくる。
「曇、――后晴か! と思つてゐたら降りだした!(略)とにもかくにもよい雨だつた。ねむれた、十時から五時まで、夢が夢につゞいたが」(7月20日)
「曇、夕立、身心やゝよろし、豪雨こゝろよし」(7月22日)
「朝酒三(ママ)三杯ひつかける、これで先日来、不眠と疲労からくる、イラ/\クヨ/\がとんでしまつた、ほがらかな気分でラツキヨウを買うて戻つて漬けた」(7月23日)
「夏の夜の散歩はよいね、方々で夏祭。めづらしい熟睡快眠だつた」(7月24日)

冒頭の句は、豆腐を詠んだ彼の少なからぬ句の中でも上出来のものだ。「上出来」と言うのは私の意見ではなく山頭火自らが彼の自選句集「草木搭」にこの句を選んでいるからである。
山頭火はこの句がよほどのお気に入りであったらしく、句友の木村緑平宛ての昭和9年7月24日付の葉書にもこう書いている。
『お手紙まことにかたじけなし、やつと、うまい豆腐をこしらえる店を先日見つけました、御来庵の時はそれを味わつていたゞきませう、みんなで豆腐の句を作つていますが、
草にも風が出てきた豆腐も冷えただろ』

私はこの句をこう味わった。
山頭火の住む其中庵は雑草が生え放題。山頭火が無精だからそうなっているのではなく、彼が「雑草風景」を好んだからだ。
7月下旬の暑い一日、夕方になって気持ちのいい風が出てきたのが雑草のそよぎでそれと知れる。
井戸水で冷やしてある豆腐も冷えたことだろう。
山頭火はいそいそと井戸へと向かう。
(さて、冷ややっこで一杯といくか…)

ちなみに山頭火はヤッコには木綿豆腐を好んだ。
昭和14年8月10日の日記にはこうある。
『豆腐は昔風なのがよい、絹漉は嫌ひだ、ことにヤツコでたべるときには』


山頭火の茄子 その3

(三)居酒屋山頭火―本日のおすすめ


山頭火の日記を読むと、彼が自分の畑からもいできてこしらえた茄子の料理は三種類。
まずは味噌汁。
『手作りの初茄子一つもいできて味噌汁の実にする、とてもうまかつた、珍重々々』(昭和8年7月6日)
次に焼き茄子。
『昼食のおかずは焼茄子、おいしかつた』(昭和8年7月11日)
そして茄子の浅漬け。
『胡瓜の味噌煮、茄子の浅漬うまし』(昭和8年7月18日)

旅先で食べた茄子料理は上記の他に茄子の煮込がある。
『二時から六時まで、宮野仁保を行乞して仁保上郷の河内屋といふ安宿へ泊つた、山村のしづかな家でうれしかつた、行程五里。
木賃 三十銭。
夕飯(鯖の煮付、茄子の煮込、沢庵漬) 朝食(味噌汁、煮豆、沢庵漬)』
(昭和8年7月28日)

また、日記には食べたという記述はないものの、ほぼ確実に食べただろうと思われるものがある。
茄子の辛子漬。
『樹明さんからの贈物、――辛子漬用の長茄子、ニンヂンのまびき菜、酒と罐詰』
(昭和7年9月7日)
高校三年の時、私は下関の関門海峡にほど近い農家に下宿していた。
そこで生まれて初めて食べた茄子の辛子漬の味が今でも忘れられない。あれはうまかった。飯が何杯でも食べられた。
からしと米麹を混ぜ合わせて茄子を漬け込むのだということを最近になってやっと知った。

さて、居酒屋山頭火の「本日のおすすめ」はこうしよう。
突き出しは「茄子の辛子漬」
黒板に書く本日のおすすめはまずは「焼き茄子」。
もう一つは山頭火の生まれ故郷,山口県周防南部の郷土料理である「なすのがんぜきあえ」にしよう。

そろそろ「なすのがんぜきあえ」に使ういりこを炒らなくては。
今日は酢味噌で和えてみようか。

山頭火の茄子 その2-3

(前回の続き)

(二)茄子の句、いろいろ

 さて、上に挙げた13句の中で一つだけ意味の分かりにくい句がある。
昭和5年の
・茄子を鰯に代へてみんなでうまがつている
である。
「茄子を鰯に代へて」
とはどういう事だろうか。
私は山頭火の日記を読み直してみた。
この句は昭和5年10月19日の日記にあった。
 この年の9月9日から山頭火は九州の旅に出ている。
そして10月には鹿児島県の志布志を経て宮崎県に入るが、酒好きの彼は焼酎しか飲めない不満を日記にこう書いている。
『此地方では酒といへば焼酎だ、なるほど、焼酎は銭に於ても、また酔ふことに於ても経済だ、同時に何といふうまくないことだらう、焼酎が好きなどゝいふのは――彼がほんたうにさう感じてゐるならば――彼は間違なく変質者だ、私は呼吸せずにしか焼酎は飲めない、清酒は味へるけれど、焼酎は呻る外ない』
焼酎メーカーからすれば迷惑極まりない意見ではあるが、山頭火は焼酎をあおった日にはしばしば「脱線」し、「虎」になり、時には泥酔の挙句、田んぼの中で泥まみれになりさえした。

 件の句を詠んだ10月19日は山中の村から村へと「行程5里」(約20キロ)を行乞し、妻町の藤屋という宿に泊まっている。
昭和5年当時、宮崎県山間部の道は舗装されてはいないはずで、その上り下りの道を、足にはウオーキングシューズではなく草鞋を履いて20キロも、時にはもっと長い距離を彼は来る日も来る日も歩いて旅をした。
「歩く旅人」山頭火の脚力と体力は大したものだった。

 さて、この句の「茄子を鰯に代へて」だが、私はこう解した。
一軒の農家の前に立ってお経をあげていると、食事をしているその家の食卓が彼の目に入った。
見ればひとりひとりのお膳の前には鰯。
海辺の町からはるばる山の中まで売りに来た鰯を、収穫した茄子と物々交換したのだ。久しぶりに新鮮な鰯を口にした、山の小さな村で貧しく、つつましく暮らしている一家の喜びをうたった句と私は読んだ。
山頭火が生きていれば短編小説にしてもらいたいようなエピソードだ。

 ちなみに翌10月20日の日記には山頭火その人を表すキーワード「さみしさ」にあふれた次のような独白がある。
『歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでゐることはさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作つてゐることはさみしくない』

山頭火の茄子 その2-2

(前回の続き)

(二)茄子の句、いろいろ

 前年の昭和7年9月20日、山頭火は山口県の小郡町(当時)矢足に一軒家を借り、それを其中庵(ごちゅうあん)と名付けて、念願の一人暮らしを始めた。その日の喜びを彼は日記にこう書き記している。
『昭和七年九月廿日其中庵主となる、――この事実は大満洲国承認よりも私には重大事実である』。
満州事変が起こったのは昭和6年(1931年)で、山頭火が其中庵主となる一年前のことだ。

 その後間もなく、山頭火は其中庵の庭を開墾し、野菜を作り始めた。
昭和7年9月8日、入居前のまだ改築中であった其中庵を訪れた際の日記にはこうある。
『こゝの人々――家主の方々、殊に隣家の主人――は畑作りが好きで、閑さへあれば土いぢりをしてゐる、見てゐて、いかにも幸福らしく、事実また幸福であるに違ひない、趣味即仕事といふよりも仕事即趣味だから一層好ましい。
けさ播いてゆふべ芽をふく野菜もある、昨日播いたのに明日でなければ芽ふかないのもあるといふ、しよつちゆう、畑をのぞいて土をいぢつて、もう生えた、まだ生えないとうれしがつてゐる、私までうれしくなる。』

これと同じ喜びを翌昭和8年の夏、山頭火は存分に味わうことになり、それが7月、8月に句として結実したのだ。
このことから分かるように山頭火の茄子の句は、書斎の中で生まれたのではなく、畑で額に汗して野菜を育てる中から生まれたものである。
また翌昭和9年以降は、山頭火が茄子を育てることに初年度程のフレッシュな喜びを感じなくなっていることが、茄子の句がぐっと少なくなっていることでそれと分かる。

(続く)

山頭火の茄子 その2-1

(二)茄子の句、いろいろ(その1)


山頭火が茄子を詠んだ句は、山頭火の日記から私が数えた上げた限りでは13句ある。
列挙してみる。

・茄子を鰯に代へてみんなでうまがつている(昭和5年)
・うれしい雨の紫蘇や胡麻や茄子や胡瓜や(昭和7年)
・もいでもたべても茄子がトマトがなんぼでも(昭和8年)
・茄子胡瓜胡瓜茄子ばかり食べる涼しさ(昭和8年)
・昼しづかな焼茄子も焼けたにほひ(昭和8年)
・風が落ちて雨となつた茄子や胡瓜や(昭和8年)
・きのふもけふも茄子と胡瓜と夏ふかし(昭和8年)
・夕立が洗つていつた茄子をもぐ(昭和8年)
・ひとりでだまつてにがい茄子をたべることも(昭和8年)
・かたづけてまだ明るい茄子に肥水(コエ)をやる(昭和9年)
・ふるさとや茄子も胡瓜も茗荷もトマトも(昭和10年)
・ほどよう住みついて鮮人長屋の茄子や胡瓜や唐がらし(昭和12年)
・どうやら雨になりさうな茄子苗も二三(昭和15年)


気が付くのは13句のうち7句が昭和8年に詠まれており、しかもその7句のうち6句は7月、8月の二か月に集中しているということだ。
昭和8年の7月、8月に山頭火は突然茄子のうまさに開眼したのだろうか?
それとも料理上手に茄子の調理法を教わり、それをきっかけに茄子好きになったのだろうか?
そうではあるまい。
茄子好きの彼は勿論、毎年茄子を食べていたのである。
では何故、この二か月間に茄子の句が多く生まれたのだろうか?
それには理由がある。

(続く)

映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第8回)

(前回の続き)

★イタリア語シナリオ

・MARCELLO: Hai ripensato a quell’affare delle sardine spagnole?
・RENATO: Che sardine?
・MARCELLO : Io conosco la strada buona, sai? Potremmo sdoganare in blocco per un pezzo di pane.
・RENATO: “Potremmo”! A chi? Marcello... Lascia perdere, va’!
・MARCELLO: Ma come!
・SARA: Io ho fatto tutto celeste. Così deve essere maschio per forza.
・RENATO: Beh, ma qui si fa tardi, eh?
・SARA: Sandrino, corri giù. Di’ a papà che Renato e Giulia non possono aspettare più, che si sbrighi!
・SANDRINO: Sì!

★日本語説明

・マルチェッロ:ねえ、例のスペインの鰯の件だけど、考えてみた?
・レナート:何の鰯だって?
・マルチェッロ:いいツテを知ってるんだ。タダみたいな値段で手に入るんだ
・レナート:手に入る?いったい誰がそれをやるんだ?マルチェッロ、そんなことはやめたまえよ!
・マルチェッロ:でも、どうして!

(一方、サラは手編みの赤ん坊の着物を娘に渡して)

・サラ:着るものはみんな青にしちゃったわ…だからどうしても男の子でなくては
・レナート:そんなこと言っても、今からじゃもう手遅れですよ
・サラ:サンドリーノ、走って行って、レナートとジュリアがもう待ってはいられないといっておくれ…急いでくれってね!
・サンドロ:うん!

★ちょっと一言

・マルチェッロのセリフに「スペインの鰯」が出てくる。
スペインのバルのタパス(つまみ)では鰯は主役の一つ。
代表的なタパスは「イワシの酢漬け」「イワシのパン粉焼き」「イワシのトマトソース焼き」。
どれも日本人にはこたえられない。

・サーラは産まれてくる赤ん坊に男の子を期待しているが、これは夫のアンドレアも同じで、この事は今後のシーンでサンドロの独白でも語られる。
日本でも昔はその傾向が強かったような記憶がある。

山頭火の茄子  その1

(一)夕立が洗つていつた茄子をもぐ


この句は昭和8年8月22日の山頭火の日記に書かれている。
日記はこうだ。

『晴、宿酔気分、焼酎一杯。
逸郎さんから見事な葡萄を一籠貰つたので、冬村君、呂竹さんへお裾分する。
私の貧乏はよい貧乏だとしみじみ思ふ、裸木さんの貧乏だつたことを聞くにつけても。
蛙の子がやたらにそこらあたりを飛びまはつてゐる。
すつかり無くなつた、――米も薪も、無論、銭も! 明日はどうでもかうでも行乞しなければならない。
夕方、学校の宿直室に樹明君を訪ねて暫らく話した、十一銭のお辨当を頂戴した、庵ほど御馳走のないところはないから、何を食べてもうまい。
どうも飲みすぎる食べすぎる、禁酒絶食はとても出来ないが、せめて節酒節食したい、しなければならない。
いかなる場合でもいかなる事物でも、過ぎたるは及ばざるに如かず、好物に対して殊に然り』

これに続いて10句が書かれているが、そのうちの一句が
・夕立が洗つていつた茄子をもぐ
である。
この句は自信作であったようで、山頭火は自選句集「草木搭」にこれを収録している。

八月も末、午後の夕立が過ぎて行った山頭火の畑の野菜は雨に洗われて生き生きしている。
熟れた茄子は夕立に洗われてつやつやとし、茄子に残った雨のしずくも夕日に光っている。
夕日に照らされた雨上がりの野菜畑に立つ山頭火の姿は一服の絵のようだ。
自ら育てた茄子をいつくしみながら鋏を入れている山頭火の喜びに満ちた一句である、と私は読んだ。
自由律俳句の山頭火にしては珍しく、五七五の調べの俳句である。

さて、その日の夕立が洗っていったのは茄子だけではない。
日記には次の句もある。
・夕立晴れたトマト畑に出て食べる
山頭火の庵はいつもながらの「すつかり無くなつた、――米も薪も、無論、銭も!」状態。
しかし貧洗うがごとき山頭火の住まいにも唯一豊かなものがある。
野菜だ。
山頭火が自ら丹精している畑にはいろいろな野菜が今まさに食べごろだ。
雨上がりの畑に出た山頭火は、夕立が洗っていったトマトをもぎ、立ったまま、歯がほとんどなくなった口でかぶりつくのだ。
実にうまそうではないか。
昭和8年8月4日の日記に、彼は野菜についてこう書いている。
『野菜はうまい、そのほんとうのうまさはもぎたてにある』
この極意を山頭火は自ら野菜を育てることで会得したのだ。
山頭火は野菜のエキスパートだったのである。

映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第7回)

(前回の続き)

★イタリア語シナリオ

・SARA: Sarà qui a momenti... Si è fermato giù.   Ehi, non buttare il paltò sulla credenza!
・SANDRINO: Uffa!
・SARA: Sai com’è... Una chiacchiera con gli amici...
・MARCELLO E: magari qualche fiasco di vino!
・SARA: Sta’ zitto, tu!  Guarda quello! Voi c’avete fretta?
・RENATO: No... È che Giulia... Il dottore ha detto che dal 24 in poi tutti i giorni potevano essere buoni... Eh, Giulia? Tu adesso come ti senti?
・GIULIA: Io sto bene


★日本語説明

☆居間
長男のマルチェッロ、娘のジュリア、その夫のレナートの三人がテーブルに座って所在無げにトランプをやっている。
何か暗い空気が漂っている。

・サラ:(入ってきて気兼ねしたように)すぐに来るわ…ちょっと寄っているの…(サンドロに)オーバーを箪笥の上に投げてはダメよ!
・サンドロ:あーあ
・サラ:いつもこれなのよ…仲間の人とおしゃべりして
・マルチェッロ:酒もいい加減で済めばいいんだけどね
・サラ:お前は黙ってなさい! (レナートに)あなたはお急ぎなんでしょう?
・レナート:いえ…僕よりもジュリアなんです…医者は24日以降だといったんですが…ジュリア、気分はどう?
・ジュリア:私は大丈夫よ


(ちょっと一言)
この場面で初めて娘のジュリアを演じるシルヴァ・コシナが登場する。
彼女はクロアチア(旧ユーゴスラビア王国)出身でこの映画の製作当時23歳。
ピエトロ・ジェルミ監督にジュリア役に抜擢されて、彼女の映画女優人生が始まった。
ジャクリーヌ・ササールのデビュー作となった「芽生え」にも出演している。
シルヴァ・コシナは61歳の若さで亡くなった。



映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第6回)

(前回の続き)

★イタリア語シナリオ

・INQUILINO: Ciao Sandrino, Buon Natale!
・SANDRINO: Buon Natale!:

・SARA (SARA MARCOCCI) : Ma che ti suoni? Ma come, sei solo?
・SANDRINO : Papà viene subito... Si è fermato dal sor Ugo un momento ma... viene subito.
・SARA : Ma come, m’ero tanto raccomandata! Gliel’hai detto che c’è anche Giulia e Renato?
・SANDRINO: Eeeh, gliel’ho detto!

★日本語説明

階段を駆け上がる途中でアパートの住人とすれ違う。

・住人:よお、サンドリーノ、メリー・クリスマス
・サンドロ:メリー・クリスマス

自分の家のベルを押す。

☆家の中
母のサーラが出て来て、戸を開ける
 
・サーラ:まあ、どうしたの…お前ひとりなのかい?
・サンドロ:パパはすぐ来るよ、ちょっとウーゴさんのところに寄ったの。でも、すぐ帰るってさ」
・サーラ:いったいどうしたの?あんなによく頼んどいたのに。ジュリアとレナートが来てるっていったかい?」
・サンドロ:うん…勿論言ったよ

★ちょっと一言

妻のサーラを演じるルイザ・デッラ・ノーチェはファッションモデルをしていたところをルイジ・ザンバの目に留まり「処世術」に彼女の写真が使われた。それから「鉄道員」の制作にかかる前年の夏に、監督のジェルミが直接会って彼女の魅力にすっかりひきつけられた

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大学入試英語レッスン その3

私のスクールで大学受験英語の個人レッスンでメインテキストとして使っているのがNHKの「高校生から始める現代英語」。
以下はある日のテキストに出てきた単語のいくつか。

・veterinarian: 獣医
・conduct: 処理する
・rare: 珍しい
・cataract: 白内障
・operation: 手術
・enable: 可能にする
・regain: 回復する
・Asian black bear: ツキノワグマ
・eyesight: 視力
・northernmost: 最北端の
・show: 展示
・successful: 成功した
・complication: 合併症
・lively: 生き生きと
・brown bear: ヒグマ
・undergo: 経験する


(ちょっと一言)
今回の記事のタイトルは
Bear has eye surgery(熊が目の手術を受ける)

手術を受けたのは北海道ののぼりべつクマ牧場で飼育されていたツキノワグマのノビタ(20歳)。
世界初の熊の白内障の手術は成功した。

熊が主人公の映画で私が人から勧められたのは「子熊物語」The Bear。
1988年制作のフランス映画、ジャン・ジャック・アノ―監督。

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映画「鉄道員」で学ぶイタリア語(第5回)

(前回の続き)

★イタリア語シナリオ

・SANDRINO: Ah, sor Liverani, mi dimenticavo! Ha detto così mamma che domani Lei sta da noi!
・LIVERANI: Ma no, Andrea, che c’entro io! Il Natale è una festa di famiglia.
・ANDREA: E beh! E che c’entra! Tu non ce l’hai, vieni da noi, no?
・ANDREA: Ma fesso io che gli do retta! Tanto poi lo sai, no, come va a finire? Prima tanti complimenti...
・SANDRINO :.e poi la coscia del pollo se la becca sempre lui!

・ANDREA: Oh, Gigi!
・LIVERANI: Eh!
・ANDREA: Tieni, Sandrino, il pacco... il fiasco... To’, va’ da mamma e dille che vengo subito.
・SANDRINO: Ma Giulia ci aspetta!
・ANDREA: Un bicchiere e vengo, uno solo. Ciao Sandrino!
・LIVERANI: Va’, che adesso te lo mando io. Saluta mamma, ciao!
・ANDREA: Ciao!
・LIVERANI: Addio Sandrino!
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★日本語説明

・サンドロ: ああ、リベラーニさん、僕忘れてた。母さんが明日家に来てくれって言ってたよ
・リベラーニ: とんでもない、アンドレア。俺に何の関係があるんだい!クリスマスは家族で祝うもんだよ
・アンドレア: それで?それがどうしたんだい。君には家族がないじゃないか。ダメだよ。
・アンドレア: まあそんなことを心配するのはばかげてるな。どうせしまいにはやって来るんだから。初めは遠慮しててもね!
・サンドロ: しまいには鳥の一番おいしいところまで食べちゃうんだ!

話しながら酒場の前を通りかかる。店の中から歌声が聞こえる。
みんなのたまり場のウーゴの店だ。
アンドレア、立ち止まってリベラーニと顔を合わせる。

・アンドレア: おい,ジジ!
・リベラーニ: うん…
・アンドレア: サンドリーノ、持って行ってくれ。包みと、ビンと…母さんのところに行ってすぐ帰るからと言ってくれ
・サンドロ: でも、ジュリアが待ってるんだよ!
・アンドレア: 一杯だけで帰るよ、一杯だけだ。じゃあな、サンドリーノ
・リベラーニ: お行き、父さんは俺が返すから…お母さんによろしくな、あばよ!
・アンドレア: じゃあ
・リベラーニ: さよなら、サンドリーノ
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★ちょっと一言

・サンドロのセリフの日本語字幕「鶏の一番おいしいところ」はイタリア語のオリジナルのセリフではla coscia del polloで「鳥のもも」と言う意味。
クリスマスの御馳走の定番は鶏の丸焼きか鶏のもも焼き。
サンドロの意を体してこの映画が日本公開された昭和33年の字幕翻訳者は「鶏の一番おいしいところ」と訳したのだと推測する。
昭和33年当時、鶏の丸焼きは大変なごちそうだった。

・この場面でアンドレアとリヴェラーニが手にしているのはワインのキャンティ フィアスコ。
胴体部分が丸く膨らんだビンの下半身がトウモロコシの皮に包まれているのが特徴だ。
かつては手ごろな値段で広く愛飲されていた。
私も初めて飲んだワインがこのキャンティ フィアスコだったが、今ではこの形はすっかり見かけなくなってしまった。
イタリア映画「道」のザンパノが映画の中で飲んでいたのがこのワインだ。


大学入試英語レッスン その2

私のスクールで大学受験英語の個人レッスンを受けている生徒の一人がB君。彼のレッスンでメインテキストとして使ってるのがNHKの「高校生から始める現代英語」。以下はある日のテキストに出てきた単語のいくつか。

・two-way: 両方向の
・sensation: 大評判(の人)
・come off: (~という結果で)終える
・remarkable: 素晴らしい、注目すべき
・crown: (栄誉を)授ける、王冠
・conference: 会議
・fulfilling: 充実した
・identify: 確認する、特定する
・issue: 問題、問題点
・move: 進む
・productive: 生産的な
・tear: 裂く、破る
・ligament: じん帯
・undergo: 経験する、(手術などを)受ける
・surgery: 外科手術
・concern: 不安、心配
・perform: 演じる
・option: 選択


(ちょっと一言)
今回の記事のタイトルは2-way star speaks in Tokyo(二刀流のスターが東京で記者会見)

今シーズン大活躍を見せているロサンゼルス・エンジェルス大谷翔平選手がメジャーデビューした2018年の記事である。
大谷選手が二刀流で好成績を収める中、しばしば引き合いに出されるのが1920~30年代にかけて大リーグで活躍し、今もその人気が衰えを見せない伝説のスターベーブ・ルースだ。
彼はニューヨーク・ヤンキース時代のチームメイトであったルー・ゲーリッグの一生を描いた伝記映画である『打撃王』(The Pride of the Yankees)に本人役で出演している。

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イタリア語講座

この秋から中央公民館で私の「イタリアンポップスで学ぶイタリア語」講座が始まることが決まった。

詳細は8月ごろから決めていくが、次のような1970年代のイタリアンポップスを主に使っていく予定でいる。

・ガラスの部屋
・砂に消えた涙
・君に涙とほほ笑みを
・ラノビア
・アリべデルチ・ローマ
など。

イタリア映画「鉄道員」のセリフから  その1

父アンドレアのセリフ

Questa sì che è una bella sorpresa!

(こいつは驚いた!)

イタリア短歌 6(コロッセオ)

・題:コロッセオ

・着飾った紳士淑女の観覧席 血のサーカスの叫びとささやき

(ミニエッセイ)
ローマのコロッセオ。
2000年前のローマ帝国はパンとサーカスの時代。
この闘技場では動物同士、剣闘士同士、動物と剣闘士が命がけで戦った。
キリスト教徒を餓えたライオンに食い殺させもした。

スタジアムをいっぱいに埋めているのはローマ市民たち。
紳士淑女たちは目の前で繰り広げられる惨劇に眉をひそめつつも、何よりの見世物として楽しんでいた。
人間がひそかに持っている残酷さを、コロッセオは今も訪れる人々に見せている。

イタリア短歌 5(トレビの泉)

・題:トレビの泉

・再来を願って投げた背中越し 泉のどこにあの五円玉

(ミニエッセイ)
ローマの代表的観光スポットであるトレビの泉は、映画「ローマの休日」(1953年)でも一瞬だが姿を見せる。
アン王女がジョーのアパートを出てローマの街をさまようが、理髪店で髪をショートカットにするあの有名なシーンの直前、チラッとトレビの泉が映る。
そのシーンでは泉の周辺が人だかりしている様子はない。
私がローマに行ったのは1976年、その時でも泉のふちに腰かけて写真を撮っている観光客はいたが混雑はしていなかった。
ところが最近見たニュースではトレビの泉の周りは大変な人だかりで、年末の渋谷交差点もかくやと思うほどだった。

不思議なことが一つある。
泉に向けて背中越しにコインを投げ入れると再びローマを訪れることが出来ると昔から言い習わす。
私も「ご縁がありますように」と5円玉を投げ入れた。
あれは何故背中越しなのだろう?
後ろ向きに投げても泉から外れる可能性はまず無いのにもかかわらず。
いずれにしろ5円では「しぶちん」と思われて泉に満足してもらえなかったのか、ローマを再訪する機会は巡ってこない。

「ローマの休日」(1953年)の翌年1954年、Three coins in the fountain(
邦題は「愛の泉」)というアメリカ映画が公開された。この映画ではトレビの泉がふんだんに登場する。「旅情」のロッサノ・ブラッツイがイタリアの伊達男にふんしている。この映画のテーマ曲は同名のThree coins in the fountainで大変なヒット曲になり、後年フランク・シナトラもよく歌った。

イタリア短歌 4(ピッツァ)

・題:ピッツァ

・地中海右手に眺め食べた午後 太陽が焼くナポリのピッツァ

(ミニエッセイ)
ナポリの街中で切り売りのピッツァを買った。
丸くない、四角に切り取られたそれを片手に、左右から走って来て止まってくれない車に怯えながら道路を渡り、海岸通りに出、海に突き出た卵城までやって来た。
城の屋上の手すりのもたれ、地中海を眺めながら食べた冷えたピッツァ。
ピッツァこそ冷えてはいたが、そこから見える世界はまさに「太陽がいっぱい」の午後だった。

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