外国語スクール日記

広島の小さな外国語スクール経営者のブログです。 。

2017年01月

「道」で学ぶイタリア語(第19回)

(場面)
田舎のある家での結婚式。
子供たちがジェルソミーナを家の二階に連れて行く。
少年か一人ベッドに寝ている。

(セリフ)
◎少女:ナタリーノ、あんたもおいで。オズヴァルド、見てごらん。この子を笑わせてよ(Fallo ridere.)
◎ジェルソミーナ:誰なの?
◎少女:オズヴァルドよ、いとこの。病気なの。いつもベッドに寝ているの。人には見せないようにしているのよ。あなた、この子を笑わせてみてよ。
◎ジェルソミーナ:でも、どうすればいいの?(Ma che devo fare?)
◎少女:さっきみたいにやってよ!(Fa come prima!)
◎ジェルソミーナ:小鳥よ!
◎少女:小鳥よ!
◎修道女:
・悪い子たちだよ(Canaglie che non siete altro.)
・足をぶつよ
・すぐに出ていきなさい。下に行くんだよ!(subito di sotto!)
・あんた、誰がここに入れたの?すぐに出てお行き

(ちょっと一言)
1957年のキネマ旬報五月上旬号から。
文芸評論家であり、後に中央大学教授となった佐々木基一氏の「道」についての評論より。
前回の続き
「フランス映画“ヘッドライト”のような、慰めのない人世の淡い抒情でもない。「道」にも別離の哀しさといったものがたびたび描かれている。最初の出発の際のジェルソミーナと家族の別れ、ついで「キ印」とジェルソミーナの別れ、最後に路傍のくずれた石壁の下の陽だまりに眠っているジェルソミーナを棄ててザンパノがオート三輪を押しながら逃げて行く場面など、いずれをサワリの場面であって、深い哀愁がただよっている」(続く)


「道」で学ぶイタリア語(第18回)

(場面)
田舎のある家での結婚式。
ザンパノとジェルソミーナは雇われて庭の披露宴で踊りや芸を披露している。
家の主婦が二人に声をかける。

(セリフ)
◎主婦:ねえ!
◎ジェルソミーナ:ザンパノ、呼んでるよ(Ci chiamano.)
◎主婦:中で何かお食べなさいよ
◎ザンパノ:有難う。すぐ行きますよ(Grazie, veniamo subito.)
◎客:お坐りなさいよ。ちょっと食べて。
◎主婦:いいえ、時間がないのよ(non c'ho tempo.)
◎女の子:こっちへ来て
◎ジェルソミーナ:私、食べなくちゃ
◎女の子:後でお食べよ
◎ジェルソミーナ:押さないでよ。ぶつよ!(ti do uno schiaffo!)

(ちょっと一言)
1957年のキネマ旬報五月上旬号から。
文芸評論家であり、後に中央大学教授となった佐々木基一氏の「道」についての評論より。
前回の続き
「映画の面白さを多少とも心得た映画人なら、誰でも食指を動かすにちがいない主題である。ところが、フェリーニはそのような設定をうまく利用しながら、まったく別の主題をめざしている。では、フェリーニがめざしている主題は何か。もちろん、それはしがない大道芸人の哀愁を描くことではない」
記事検索
最新コメント
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ