反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

2013年11月

【国益より憲法-検証・内閣法制局(上)】
首相に逆らう法の番人「憲法守って国滅ぶ」

 19日夕、東京・霞が関の中央合同庁舎4号館。最上階の会議室に、内閣法制局長官経験者らが集まった。

 現役幹部を交えて意見交換を行う恒例の「参与会」のためで、この日のテーマは「携帯電話のクーリングオフ」。クーリングオフとは契約書を受け取った日から一定期間は契約を無条件で解除できる制度のことだが、首相の安倍晋三が8月に駐仏大使から抜擢(ばってき)したばかりの長官、小松一郎は目立った発言をしなかった。

 「(法律の)技術的な話がほとんどで、小松氏は議論についていけていないようだった」

 出席者の一人は、そのときの小松の様子を“上から目線”で振り返った。

 内閣法制局は、法務、財務、総務、経済産業の4省から寄せ集めた官僚を中心に組織された内閣の一部局でしかない。それが、わが国の安全保障のあり方や行方を左右している。「法の番人」と呼ばれ、時に首相の政策判断にも逆らってきた。

 安倍は、伏魔殿とさえいわれている法制局の長官に、外務省出身で法制局勤務の経験がない小松を起用した。第1次政権からの悲願である集団的自衛権の行使容認に向けた解釈変更を見据え、ナンバー2の内閣法制次長が昇格する長官人事の慣例と法制局の既得権益を打ち破り、国際法に精通する小松を据える必要があると判断したのだ。

 一方、歴代長官は自分たちが積み上げてきた憲法解釈に強い自負心がある。法制局関係者は「参与会から小松氏に『法解釈を変えるな』と相当な圧力があるようだ」と明かす。

 法制局の圧力は集団的自衛権だけではない。時計の針を平成24年7月に戻す。

 同年の通常国会の一つの焦点は、自衛隊の「駆けつけ警護」の扱いだった。自衛隊の宿営地外にいる国際機関職員や非政府組織(NGO)の民間人らが襲撃された場合に自衛隊が駆けつけて行う任務である。

 7月12日の衆院予算委員会で、当時の首相、野田佳彦はこう明言した。

 「駆けつけ警護(を可能にすること)も含めて政府内で最終調整している」

 「駆けつけ警護」は国際的には常識的な任務であり、首相自らが発言した意味も重い。ところがわずか13日後、政府・民主三役会議は法案提出見送りを確認した。法制局の徹底的な抵抗で断念したのだ。

 「あなたたちが守ろうとする国益って、一体何なんですか!」

 内閣法制局幹部と向かい合った首相補佐官の長島昭久は、こんな疑問をぶつけた。幹部は平然とこう言ってのけたという。

 「憲法ですよ」

 首相の意向も国際的な要請も一顧だにしない相手に、長島の脳裏には「憲法を守って国滅ぶ。長官の首を切るしかないのか」との思いがよぎった。

 内閣法制局の実態は、定員77人と極めて小さな組織だ。長官をトップに次長、第1~4部と長官総務室がある。だが、政府が国会に提出する全法案、国会承認を必要とする条約は法制局の審査を経なければならず、隠然たる力を持つ。

 4部のうち筆頭格が第1部で、憲法や法律の解釈など「意見事務」を担う。2~4部は「審査事務」といわれ、各省庁を分担して法令審査に当たる。各部長は各省庁の局長級に相当し、部長の下には課長級の「参事官」が置かれている。

 内閣法制局の勤務経験者は過酷な業務に「もう二度と行きたくない」と口をそろえる。審査を受ける各省庁の法令審査担当サイドも、思いは同じだ。

 みんなの党の前幹事長、江田憲司も通産(現経産)官僚時代に法令審査担当を経験した。法令審査の作業は午前10時から日をまたいで翌日午前2、3時まで及ぶことはざら。そのまま役所に帰って法制局に指摘された“宿題”に取りかかり、午前10時に再び法制局に持っていく。

 江田は朝、窓がない役所の書庫で目覚めると「一瞬、おれは死んだんだと思った」と振り返る。

 法令審査では、担当参事官と各省庁の法案担当者が集まり、「読会(どっかい)」という作業が行われる。担当者が読み上げる法案に、参事官が指摘を加えていく。

 法令用語一つをとっても名詞を列挙する際の「及び」「又は」「等」などの使い方に始まり、句読点の打ち方といった独特の決まりがある。他の法律や過去の解釈との整合性などの見地からもチェックされる。

 内閣法制局の存在で法体系が一体的に保たれているといえる半面、法制局の硬直的な憲法解釈は日本の安全保障政策を極度に縛り、現実との乖離(かいり)を広げていった。(敬称略)
    
         ◇

 外交・安全保障政策の司令塔となる国家安全保障会議(日本版NSC)を創設するための関連法案は27日、成立する見通しだ。日本を取り巻く安保環境が厳しさを増す中で、安保政策をめぐる法制度整備は避けられない。安保政策の柱になる集団的自衛権について「保有はしているが行使はできない」としてきた内閣法制局の実態について、3回にわたり検証する。 msn産経ニュース2013.11.26
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131126/plc13112608490006-n1.htm 


「憲法起草者に来日してもらって直接話を聞いた憲法調査会」
ベアテの赤い贈りもの 
この時に護憲派(ただし守るのは9条のみ)の方々はまるで神にお伺いを立てるかの如くだった

憲法起草者は国民ではないので外からの参考意見に過ぎないのにも関わらずである

はじめに憲法ありき
彼らは本気でそう思っているようだ

いみじくも土屋正忠議員(自民)が
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、同時にまた、米軍の力によって我らの安全と生存を保持しようと決意したというのが、戦後の歴史の実態」と喝破した通りで
彼らはその忠実な番人達なのである
憲法前文はパクリ!その目的は日本精神の破壊 
(その彼らが反米を唱えているので支離滅裂も甚だしいわけだが)

揚句こんな人が国会議員に
憲法クイズ小西洋之

憲法起草したGHQは
「日本の精神的な背骨をへし折る」 ことを目的としていたのに
彼らを神とあがめる人達の何と愚かなことか
捜神 

世も末でございます

追記2015.2.16
タイトル変更

東郷茂徳=朴茂徳 続き

こちらの本を読んでいたら思わぬ名前に遭遇

開戦前夜 ゴーマニズム宣言RISING
小林 よしのり
幻冬舎
2013-04-25

第6章 慰安婦問題は「内弁慶」には解決できない

(前略)
p150~155
「世界」2012年12月号で元外交官・東郷和彦が、自称保守たちが目をそむけている現状を報告している。東郷和彦といえば、外務省時代には鈴木宗男と密月で、北方領土二島先行返還論を主張したことなどでとかく保守派には評判の悪い人物だが、このレポートは決して軽視できないものである。
 東郷はこう警告している。

 自民党新政権ができた場合の対応如何によっては、この問題は日韓二国間関係を越え、米国を始めとする欧米諸国と日本との間に計り知れない深刻な対立を引き起こす可能性がある。
 万一そのような対立に至った場合には、日本は完全な国際的孤立に陥り、戦後日本外交の中でも最大の外交敗北を引き起こしかねない。
 しかも、この問題が国際的に如何に大きな火種を有しているかが、日本国内ではまったくと言っていいほど、報道されていない。

 東郷は「慰安婦の奴隷狩り的な強制連行はなかった」ということ自体は「必ずしも誤りでない」ものの、それを議論するのは「日本国内でしか通用しないガラパゴス化現象」であり、国際的には通用しないと指摘する。
 「ガラパゴス化」とは不愉快な表現だが、事実なのだから仕方ない。
 サヨクは「従軍慰安婦問題」をでっち上げる際、最初は最もインパクトの強い吉田清治の証言を使って「奴隷狩り敵強制連行」のイメージを流布した。
 そして、それがウソだとばれ始めると、「売春業者が甘言を弄して騙すなどして、本人の意志に反して性を売らされた『広義の強制』があった」と話をすり替え、「強制連行があったかなかったかは、問題ではない」と言いだした。
 サヨクたちは海外でも全く同じことをやり、すっかり「強制連行があったかなかったかは、問題ではない」ということにしてしまったのだ。
 海外ではとっくに完全に問題がすり帰られてしまっているのに、安倍晋三は今なお「強制連行はなかった」ということだけを繰り返し、それさえ言えば問題が解決すると思いこんでいる。まさにガラパゴスなのである。

 安倍晋三が総理在任中だった2007年5月、東郷が米国人から言われたことを紹介しているが、これは衝撃的な内容である。

 日本人の中で、「強制連行」があったか、なかったかについて繰り広げられてる議論は、この問題の本質にとって、まったく無意味である。世界の大勢は、だれも関心を持っていない。
 性、ジェンダー、女性の権利問題について、アメリカ人はかつてとはまったく違った考えになっている。慰安婦の話を聞いた時彼らが考えるのは、「自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか」という一点のみである。そしてゾッとする。これがこの問題の本質である。
 ましてや、慰安婦が「甘言をもって」つまり騙されてきたという事例があっただけで、完全アウトである。「強制連行」と「甘言でだまされて」気がついた時には逃げられないのと、どこがちがうのか。
 これは非歴史的(ahistoric)な議論なのである。現在の価値観で過去を振り返って議論しているのだ。もしもそういう制度を「昔は仕方がなかった」と言って肯定しようものなら、女性の権利の「否定者」(denier)となり、同盟の担い手として受け入れることなど問題外の国ということになる。
 解りやすい例でいえば、「建国の頃アメリカは奴隷制を受け入れられていたのだから、歴史的には奴隷制は当然の制度」という議論が、今のアメリカでは全く受け入れられないことは、日本人にも理解できるのではないか。「慰安婦制度は歴史的にはやむをえなかった」という議論は、全くそれと同じに聞こえる。

 もちろん、偽善の極みのような発言である。そんなことを言うのなら、白人は全員アメリカ大陸から出ていくべきだという話になるはずだが、とにかくこれが米国人の慰安婦問題に対する感覚なのであり、これを説得しなければどうにもならないのだ。
 2007年に安倍首相が「狭義の強制はなかった」と言った時、その発言は「安倍総理が、慰安婦に対する(いっさいの)強制性を否定し、河野談話の修正を企図している」としてAP電とニューヨーク・タイムズで報ぜられ、それ以降米国内の事態は一変したという。東郷は次のように記している。

 安倍総理を慰安婦問題の「否定者」(denier)として糾弾する米国マスコミの論調は想像を絶してすさまじいものがあった。日本語の活字にするとどうしても表現できない、肌で感ずる不気味な「日本否定論」が突如として噴出した。
 安倍総理は、この状況に素早く対応した。

 この「素早い対応」こそが、河野談話の継承明言、そして「慰安婦」を「性奴隷」として定着させてしまった、訪米時のブッシュ大統領への謝罪である。

 結局、国内だけでいくら内弁慶になっていても、海外に向かった途端にこうなってしまうのだ。
 とはいえ東郷によれば、この「謝罪」で事態はとりあえず沈静化したという。にも拘わらずこのあと、米下院で「慰安婦決議案」が採択されるという最悪の事態が起こるのだが、それは別の原因が引き起こしたものだったのだ。
 それは、2007年6月14日のワシントン・ポストに載った「強制連行はなかった」という一面意見広告である。
 これは、すぎやまこういち、屋山太郎、櫻井よしこ、花岡信昭、西村幸祐の5人が出したもので、国会議員44名、有識者13名が賛同者として名を連ねていた。
 これにより「広告作成者の意図いかんにかかわらず、この広告は、日本人は、慰安婦の人権に対する否定者(denier)であるという破滅的な印象をまき散らすことになった」といい、その結果、かえって決議案に対する賛成者を増やして採択に至ってしまい、さらに同年秋には同様の決議案がオランダ、カナダ、EUの議会で採択されていったのである。

 それから5年、現在は韓国系アメリカ人団体がユダヤ社会との連携を強める動きを見せ、慰安婦をホロコーストと同等の「人道に対する罪」にしようと画策しているという。2012年7月にはヒラリー・クリントン国務長官が韓国で、非公式ながら「(慰安婦問題は)『性奴隷』の話であり、自分が非常な関心をもっている女性の権利と国際的に承認された『人道に対する罪』の文脈で考えなければならない」と発言したと報じられた。
 東郷は日本の名誉を守るための方法の一つとして、ユダヤ・ロビーとの連携強化を唱え、次のように記している。

 ニュルンベルク裁判の対象として、「人道に対する罪」そのものを産み出したホロコースト(ユダヤ民族の絶滅)と、性・戦争・貧困という複雑極まりない要素の中から徐々に表れてきた「女性の人権」の遡及的な適用としての慰安婦問題に、同一には扱えない側面があることは、他ならぬホロコーストの対象にあったユダヤ・ロビー自体が最もよく理解することであるにちがいない。そのユダヤ・ロビー説得の唯一の途が、河野談話を基礎とする被害者に対する日本人の謙虚な姿勢にあるのである。

 今や国際的には、河野談話を基礎にして、ひたすらに低姿勢にふるまって、慰安婦をホロコーストと同じ「人道に対する罪」にすることだけは阻止しなければならないというのが、偽らざる現状のようなのだ。
(後略)


小林よしのり氏が岩波書店『世界』を引用していることがまず驚き
金日成主席安江良介岩波社長(91年9月26日)
金日成主席と会見する安江良介・岩波書店 社長(91年9月26日)
http://jp.korea-np.co.jp/article.php?action=detail&pid=53069

安倍叩きのためならなりふり構わずというところか

この文章全体的に首をかしげてしまうのだが、決定的に間違っている点
”それから5年、現在は韓国系アメリカ人団体がユダヤ社会との連携を強める動きを見せ”
これは話が逆で、中共と組んで対日戦後賠償訴訟を仕掛けたのがサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)
731部隊を追及する二つの団体 (1999年の記事)
韓国が主体で後からSWCが連携するようになったのではなく
SWCは最初から関わっている

そして従軍慰安婦問題には日本国際交流センター・山本正氏が関わっている
従軍慰安婦問題の黒幕
山本正氏が小和田恒氏を見込んだそうだが

【wiki】東郷和彦
東郷 和彦(とうごう かずひこ、1945年(昭和20年)1月10日 - )は、日本の元外交官。京都産業大学法学部教授(専門は国際関係論)、ライデン大学人文科学博士。
第二次世界大戦終戦時に外務大臣を務めた元外交官の東郷茂徳は祖父。元外交官の東郷文彦は父、元ワシントンポスト記者の東郷茂彦は双子の兄。

人物
先祖は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に島津義弘の帰国に同行した朝鮮人陶工で、姓を朴(パク、ぼく)としていた。陶工達が集められた「苗代川」(現在の日置市東市来町美山)と呼ばれる地域では幕末まで朝鮮語が使われていたという。曽祖父の朴寿勝は優れた陶工で、横浜や神戸にも積極的に出かけ、外国人にも焼き物を売り込む実業家としての手腕にも長けていた。

東郷姓は祖父の代に買い受けたものだが、同じ薩摩出身の海軍元帥・伯爵東郷平八郎と血縁関係はない。

父の東郷文彦、祖父の東郷茂徳も職業外交官であり、自身を含めて親子三代で日本の外交官を務めた。

双子の兄として生まれたジャーナリストの東郷茂彦は、1993年に外務次官小和田恒の長女小和田雅子が皇太子妃に決定したことをワシントン・ポスト紙で報道したスクープ記事で名高いが、1976年に国会見学に来ていた少女に対する痴漢行為、1998年と2001年にも成人女性に対する痴漢行為での逮捕歴がある。2002年には有罪判決を受けて懲役刑に処された。

父方の祖母エディ・ド・ラランド(東郷エヂ)はユダヤ系ドイツ人であった
 

小林よしのり氏が女系天皇論者で敬宮内親王殿下をやけに擁護しているのもこれらのことと何か関係があるのかと勘繰りたくなるが
いずれにしろこの文章は問題を見誤っている

阿修羅さんに東郷和彦氏の記事の紹介文があった
慰安婦問題でガラパゴス化東郷和彦
http://www.asyura2.com/12/senkyo139/msg/818.html

【まとめ】
▼東郷和彦氏の祖父東郷茂徳=朴茂徳は真珠湾攻撃が”sneak attack(卑怯な攻撃)”と呼ばれる汚点を作った
▼双子の兄東郷茂彦氏は雅子妃決定のスクープで有名
▼父方の祖母はユダヤ系ドイツ人
▼対日戦後賠償訴訟を仕掛けたユダヤロビーにひたすら恭順するべしとトンデモ主張

追記2014.4.25

余談
【wiki】安江良介
石川県金沢市の東山出身。実家は金箔職人。石川県立金沢桜丘高等学校卒。金沢大学法文学部法学科卒業する。

1958年に岩波書店へ入社。「世界」編集部を経て、1967年から1970年まで美濃部亮吉東京都知事の特別秘書としてブレーンを務めた。1971年「世界」編集部へ戻り、翌年(1972年)から1988年まで編集長を務める傍ら、1984年に取締役、1988年に常務取締役となる。

1990年に、岩波書店4代目社長へ就任する。1997年に病に倒れ、相談役へ退く。この間、左派のいわゆる進歩的知識人に対して、陰に陽にサポートし続けた。また、岩波ブックレットの発行などを通して、岩波書店の大衆化にも努力した。作家の大江健三郎とは岩波新書「ヒロシマ・ノート」執筆のために取材し、同行した長年の友人だった。

【wiki】美濃部亮吉
韓国・北朝鮮との関係
対南北朝鮮、在日韓国・朝鮮人の関連では全国の都道府県の中で先駆けて朝鮮総連など、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に近い立場の関連施設の固定資産税を免税にしているほか、朝鮮大学校を各種学校として認可している。美濃部は「都市外交の一環」を名目に1971年(昭和46年)に、現職知事としては唯一の北朝鮮訪問を行っている。
(美濃部元知事が朝鮮大学校を認可したのは知っていたがその裏に岩波書店・安江良介氏がいたのか..)

更に余談
そういえば岩波は『紫禁城の黄昏』の恣意的な翻訳をしたんでしたね(怒
【wiki紫禁城の黄昏

参考
パチンコマネーという毒を飲んだ小林よしのり
視界に入るノイズ:SWC 
世界抗日戦争史実維護連合会(Global Alliance)  

北朝鮮の覚醒剤2 元工作員の証言 続き

北朝鮮 拉致工作員
安 明進
徳間書店
1998-03


p213~220
18 巨大な偽造紙幣製作所「414連絡所」

 私が知るかぎりでも現在、日本国内には北朝鮮の三号庁舎と取引している秘密の違法団体が少なからず存在している。
 なぜなら北朝鮮当局は、偽ドル紙幣も製造しているからである。
 北朝鮮で最初に偽造紙幣を作って、海外で密売した部署は中央党三党庁舎である。三号庁舎ではすでに1970年代中頃から、この偽造紙幣を製造しはじめたと聞いている。彼らはヨーロッパのある国から、高度の精密機械と薬品を数十回にわたって持ち込んできて、数百回、数千回の実験を繰り返しながら偽造ドル紙幣を作りだした。
 偽造紙幣を製造している場所は他にもあるのだろうが、中央党三号庁舎の隣にある414連絡所をあず取り上げねばならない。行政区域としては平壌市牡丹峰(モランボン)区域戦勝(チョンスン)洞に位置している中央党三号庁舎の作戦部所属414連絡所は、北朝鮮で最も精密な偽造紙幣を製造しているからだ。
 この414連絡所は平壌市内だけでなく、平安南道平城(ピョンアンナムドピョンソン)市、開城(ケソン)市、江原道法洞(カンウォンドポプトン)郡 、黄海南道長淵(ファンヘナムドチョンヤン)郡、平安南道文徳(ムンドク)郡など北朝鮮全域に分所を置いている。こうした分所では、韓国や日本など世界各地域から発信されてくる電波を分析したり、北朝鮮スパイと交信連絡をしたりしている。
 414連絡所は北朝鮮で最も規模の大きい連絡所であるが、スパイを待機させて送りだすところではなく、多くのスパイ装備の製作及び交信連絡、偽造紙幣製造などを担当しているのだ。形式上では中央党三号庁舎通信連絡所となっているが、そこでは北朝鮮で一番優秀な人材を別途に募集し、彼らを偽造紙幣生産に従事させているのである。
 414連絡所には北朝鮮の最高レベルの学者はもちろん、海外で教育を受けた600名以上の技術者が勤務している。彼らは徹底した保安体制のもとに置かれており、中央党三号庁舎の隣にある414連絡所のアパートに集団で生活している。もちろん、彼らに自由行動などは許されていない。
 私たちが韓国人化教育会館で訓練を受けた時、100ドル紙幣を偽造しているところを見せられたことがあるが、当時、教官は私たちにこの紙幣がどんなに精密に偽造されているかをこの目で確認させようと、ヨーロッパと東南アジアから持ち込んだ偽造紙幣鑑別機にかけてみせたことがある。当局は偽造紙幣の精巧さを増すため、海外から偽造紙幣鑑別機を数十台も持ち込んでいたのだ。
 教官は本物の死ヘイト偽造紙幣、そして偽造紙幣の中でも最も成功に造られた紙幣など三枚を鑑別機に入れてみたが一枚も引っかからず、そのままきれいに通貨したのであった。それを目の当たりにした私たちは、開いた口がふさがらなかった。教官は、これさえあれば外貨の心配などしなくてすむと豪語していた。
 教官はさらに、この偽造紙幣を東南アジアや他の資本主義諸国に売って、本物の紙幣を手に入れていること、各地域の貨幣とも両替していること、またココム製品(対共産圏輸出統制品)もひそかに持ち込んでいることなどを語った。そして
「いろいろな国には、北朝鮮の偽造紙幣を専門的に取り引している団体があるが、私たちはその組織を保護しながらよく利用している」
 と付け加えたのである。
「私たちはすでに数十億ドルを他国の非合法団体と売買した」
「これからは数百億ドルを取引するよう計画されている」
 とも教官は話していた。
「そんな組織からは偽造紙幣だけでなく、麻薬、武器までも要求されている」
「私たちは何種類かの武器も、アメリカや他の国の製品と偽って密売している」
 と続け、偽造紙幣は勿論のこと、偽造紙幣を製造する装備(紙幣原版)までも日本や香港、東南アジアの国々に密売する計画があると言ったのだった。
 私は偽ドルに関する説明を受けながら、北朝鮮当局の思惑がどのような段階にまで進んでしまっているのかがわかるような気がした。

 以前、私は日本人ジャーナリストから、あるビデオテープを見せてもらったことがある。そのビデオは日航機「よど号」をハイジャックして北朝鮮へ渡った赤軍派メンバーの一人、田中義三(よしみ)①という男が、東南アジアで偽札取引の疑いで逮捕された事件を追ったものだった(編集部駐・田中義三は偽米ドルをタイで使った疑いで逮捕、タイへ連行された)。私はかつて金正日政治軍事大学で田中義三と思われる男を数回目撃したことがあったが、その時彼はいつも対外情報調査部員と一緒だったし、彼の乗ってきたベンツも対外情報調査部の車両だった。しかし、ビデオではなぜか作戦部要員と一緒に行動していた。
 ビデオに出ていた田中義三と一緒だった二人の北朝鮮男性は金正日政治軍事大学の第23期生で、私の二年先輩だった。
 彼ら二人は通信を特技として教育を受けたが、一人は李(仮名)であり、もう一人の名前はよく思いだせない。李は一方で武術が得意だったが、おそらく田中のボディガードか業務の助手として同行したのではないかと思われる。
 金正日政治軍事大学では武術だけでなく、いろいろな射撃術も教わるが、射撃の腕前はどこにも負けないくらいに磨かれる。銃というものは射撃経験が豊富な者ほど上手になるのは当たり前で、大学では各種戦闘射撃、テロ射撃などの射撃訓練ですさまじい量の銃弾を使って実習したから、学生の腕前は上がる一方だった。
 李は、卒業後は作戦部所属の対南侵入機関である南浦連絡所に配置されたが、なぜか田中義三とカンボジアで行動をともにしていた。おそらく北朝鮮に亡命した「よど号」の田中義三は北朝鮮当局の指令で東南アジアに出かけて謀略行為を実行したのだろうと私は思っている。

 最近になって、国際社会において北朝鮮船籍の船舶からの麻薬類の摘発や、偽造紙幣問題が騒がれているが、これはそれなりに原因があった。
 1992年当時、金正日は中央党各部署の責任者を集めて、三号庁舎を特別に褒め上げた。そして三号庁舎では偽造紙幣、麻薬、武器輸出などで多くの党資金を稼いでいるが、他の部署は与えられた外資集めの目標も達成できないでいる。何をしているのか、とひどく叱りつけたというのである。
 そのため北朝鮮の人民武力部、国家保衛部、社会安全部等が遅れを取り戻そうと、偽造紙幣、麻薬、武器密売などに改めて着手したが、急いだあまりやり方がずさんで、結果、海外での摘発につながったという。
 結局、三号庁舎は人民武力部や社会安全部、国家保衛部のような他の機関のせいで、海外への警戒心が強められ、打撃を受けた結果となってしまった。金正日のいらぬ言葉によって、三号庁舎の資金集めのルートが遮断されてしまったのである。といっても、三号庁舎は今後も決してあきらめることはないだろう。彼らはもっと知能的かつ巧妙な方法を使い、今まで通りの工作活動を続けるはずだ。
 北朝鮮は長い間、申告な外貨不足に苦しんでおり、可能な限りの手段を使って外貨稼ぎに血眼になっているのだ。
 北朝鮮が日本から中古自動車や中古の電気製品を輸入しているのは、おそらく多くの日本の人々もご存知だろう。これを担当しているのは中央党38号室で、彼らは日本との公式ルートを使ってこれら中古製品を輸出している。これはすべて金正日個人の外貨資金集めー蓄財ーのためであり、中央党38号室では日本から中古製品を輸入してきては、中国やほかの東南アジア諸国に再び輸出して利益を上げているのである。
 また中央党39号室も、北朝鮮全域から強制的に集められた金や松茸、北朝鮮の特産物あんどを日本に輸出して外貨を稼ぎ、金正日に献金している。
 彼らの外貨稼ぎはこれにとどまらない。中央党38号室と39号室、そして三号庁舎の統一戦線部では、在日同胞に金正日へ献金するよう強要しているのだ。金正日は多く献金した人に勲章まで与えているという。
 1991年頃だったと思う画、金正日は外貨集めに必死なあまり、中央党幹部の前でこのように宣言したという。
「50万ドル以上献金した人には、無条件で英雄称号を与えなさい。そうすれば彼らはもっと頑張るだろうし、私も彼らに面目が立つから」
 それだけでなく、砂金を集めようと、北朝鮮全域の河川をさらっている。洪水の被害が拡大した背景には、こうした行為もあるのではないだろうか。
 党は多くの山々を削り畑を作ろうとして森林を破壊したが、その被害は決して小さくはない。北朝鮮国民を直撃した洪水などの災害は、体制が意図的に自然を破壊してみずから招いた人災と同じだと私は思う。
 北朝鮮は三号庁舎と中央党38号室、39号室だけでなく、世界各地に派遣されている外交官をフルに利用して外貨稼ぎに躍気となっているが、その外交官が犯罪事件で摘発された例もある。偽造ドル紙幣を大量に海外に持ち出して、現地の銀行で両替しようとしたり、換金しようとして発覚したケースは数多い。
 それだけではない。ロシアで国際保護動物をやたらに捕獲して、ロシアの警察に捉えられたり、酒類の持ち込みが禁止されている中東アラブ諸国で酒を密売しようとしたことが発覚したりしている。北朝鮮の2300万の国民に困難な生活を強いているのもかえりみず、金正日体制は一体、どこへ進もうとしているのだろうか。


【wiki】田中義三
田中の3人の娘は、2001年5月に長女が、2004年1月に次女と三女が日本に帰国している。
田中の妻は2004年10月に帰国時に旅券法違反で逮捕され、2005年5月に懲役1年6ヶ月執行猶予4年が確定した。柴田泰弘の妻だった八尾恵の証言によると、田中の妻は北朝鮮に拉致された有本恵子の教育係であった。

参考
謎の住所 新橋2-8-16石田ビル ←よど号犯帰国事業に関わっている

北朝鮮の覚醒剤 続き

北朝鮮 拉致工作員
安 明進
徳間書店
1998-03

p205~212
17 麻薬製造工場と外貨稼ぎ

 以前、私は韓国の新聞を通じて、日本に入港した北朝鮮の貿易船から大量の覚醒剤と乱数表が発見されたという記事を読んだことがあった。日本の国民がこの記事を読んでどれほど驚いたかはわからないが、北朝鮮当局は清津(チョンジン)連絡所のスパイ船を利用して、日本に麻薬はもちろん偽造紙幣、各種武器まで持ち込んでいたのである。
 これは清津連絡所だけでなく、各侵入連絡所で働いていた先輩スパイが一様に口にする話だった。南浦(ナムポ)連絡所、海州(ヘジュ)連絡所、元山(ウォンサン)連絡所の貿易船ーといっても、貿易船に偽装したスパイ船だが、それらは日本や東南アジア、中東などに麻薬及び覚醒剤、武器、偽造ドル紙幣などを密売していた。特に南浦連絡所所属の貿易船である「東建(トンゴン)愛国号」神戸の実業家だった文東建①が北朝鮮に寄贈したことから命名された)は、一時大っぴらに違法な物資を運送する船舶として利用されたりしたという。
 私は金正日政治軍事大学で教育を受けていた時、三号庁舎所属の915病院研究所で研究・政策された麻薬類を直接、この目で見ながら説明を受けたりもした。
(略)

 三号庁舎で製造している麻薬にはさまざまな種類があった。
 まずアヘンである。
 三号庁舎は国内で多くのアヘンを製造する一方で、農民にもケシ栽培を奨励したりしている。北朝鮮の咸鏡南道長津(ハムギョンナムドチャンジン)郡と赴戦(プチョン)郡一帯には大規模なケシ農園があちこちにあるが、北朝鮮当局は国際社会の疑念の目を避けるべく、この農園は「白桔梗農園②」であると偽っている。
 私たちは訓練中にその地域を通過したことがあるが、あちこちに小さな小屋が散在していた。その小屋にはいずれも4~5名の青年が寝起きして働いており、自分たちはケシの栽培に従事していると言っていた。
 しばらく一緒に話していると、彼らは自分が栽培しているケシからエキスを絞り出して、アヘンや麻薬が作られるのだろうと一様に語っていた。しかし北朝鮮当局はケシ農園で働いている人々に、誰かから仕事の内容を聞かれたら、
「ケシではなく白桔梗を栽培している」
 と必ず答えるよう強要していたという。
 こうした農場で働く人々は咸鏡南道地域の工場、企業所から選抜された青年たちで、金日成・金正日体制への忠誠心の篤い者ばかりだったが、ケシ栽培に対しては否定的な考えを持っていた。彼らは自分たちが栽培したケシだから、自分たちもこっそり家族や親戚にケシのエキスを抽出して送ったことがあるとも話していた。
 彼ら農民たちでさえも、自分たちの農園で生産されたケシのエキス(アヘンの原料)が海外に密輸されていることを知っているようだった。収穫されたケシはどんな理由があっても、すべて国に納めなければならなかった。
 しかし医療水準が低く、医薬品が圧倒的に不足している北朝鮮では、多く人々が腹痛、頭痛、大怪我を負った場合の痛み止めとして、個人的にケシを栽培して抽出いたエキス(粘っこい液体)や、石のように固めたアヘンを緊急用の薬として代用している。これでは、北朝鮮の多くの人々がいまにアヘンに毒されてしまうかもしれない③。当局は全国からアヘンを収集して、一時加工して密輸したり、ヨーロッパのある国から輸入してきた薬品と交ぜ合わせて、二次加工して他の種類の麻薬を作ったりしている。
 またヒロポンも製造している。
 授業では、どんな方法で作っているか簡単に説明されたが、くわしくは思い出せない。さらに私たちはいろいろな形態の製品を見た。内容物が透けて見えないように二重になったビニールパックに入れられた麻薬の粉末や、注射器用のアンプルに入れられたヒロポン、使い捨て注射器に入れられたヒロポン、そして直径5ミリほどの錠剤の覚醒剤など、さまざまな種類があった。
 教官の説明によると、このようなすべてのものは、咸鏡北道羅南製薬工場と龍城(ヨンソン)にある某製薬工場で一次加工を済ませた後、平壌のスパイ専用病院である915病院に持ち込まれて製品化されているということだった。
 915病院は前述したように、病気の治療だけではなく麻薬及び毒薬・劇薬、各種テロ装備を生産する場所でもあるからだ。拉致を行う時にスパイが使用する麻酔剤のほとんどは、915病院で作られた製品だと私は確信している。

 915病院(朝鮮労働党915連絡所ともいう)では麻薬などの製造に携わっている人々だけでも250名にのぼり、厳しい監視下に置かれていた。彼らが勤務している地域は915内部でも武装した兵士が警備にあたり、特に警戒の厳しい区域であった。
 当時、大学に在籍していた車(チャ)教官は、915病院で製造した麻薬は日本をはじめ東南アジアやラテンアエリカまでひそかに渡っていると話していた。そして、そう言いながら私たちに、
「訓練で怪我をして痛みがひどくなった時などは、少しずつ使用してみなさい」
 と、ビニールパックに葉い合った麻薬を分けてくれたのである。
 私たちは車教官からもらった麻薬を一日の日課が終わったあと、夜になって少しずつ匂いを嗅いでみたりした。ある同級生は少しなめてみたりしたが、初めはただ吐き気を催すばかりだったという。
 しかし、ある同級生は体が地面に沈みそうだとか、また周囲がぐるぐる回っているとか言っていた。その当時、私たちは麻薬の害をあまり知らなかったのである。私たちは、ただ外貨を稼ぐためのよい手段なのだろうと簡単に考えていたのだ。現在、日本など自由主義国家では麻薬・覚醒剤類を違法な物資として扱っているが、北朝鮮では緊急医薬品の一つと思われているのだ。
 金正日政治軍事大学で過酷な訓練を受けていた私たちが、訓練で北朝鮮全域を回りながら、時にひもじい思いをしたり、寒い冬に外で体を丸めて眠ったりした。時に暑くて耐え切れない夏の夜などは、水であれば雨水でもかまわず飲んでしまい、腹痛を起こすとケシから出る汁を集めて飲んで痛みに耐えたりした。また、山で転落して外傷を負った時も、ケシの汁を塗るとすぐに傷口が固まったものだった。

 それはともかく金日成は死亡する直前まで、外貨が稼げるなら麻薬や武器でもかまわず最大限に生産して売りさばくよう指示していたという。金日成と金日正の支持によって、中央三号庁舎と中央党財政経理部所属の38号室と39号室などは、国際的に麻薬や武器の密売に手を染めているのである。
 資本主義は滅亡するだろうと錯覚した金日成は、その資本主義の滅亡の前にあらゆる手段を使い、売れるものはすべて打って、外貨を稼がなければならないと、事あるごとに強調していたらしい。これが事実なら、一刻の最高権力者が手段を選ばず違法な麻薬を売りさばくように指示する国は、おそらく北朝鮮だけではないだろうか。

 こうした麻薬類は、その代価として外貨を得るか、ココム製品(対共産圏輸出統制品)を持ち込むことものある。ちなみに三号庁舎作戦部所属の海上連絡所(清津、元山、南浦、海州連絡所)が保有している数百隻のスパイ船も、日本や東南アジア、中東地域などへ漁船に偽装して頻繁に出入りしながら、麻薬密売や武器売買を行っていると言っていい。
 こうしたスパイ船はさまざまな海外工作に動員されている。
 例えば1983年、韓国の全斗煥(チョンドウファン)前大統領を暗殺するために、ビルマの首都ラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)のアウンサン廟を爆破した北朝鮮スパイも、やはり南浦連絡所の貿易船に乗って侵入したのだった。
 爆破事件後、南浦貿易船はビルマに長い間抑留されたが、確たる証拠が見つからなかったためビルマ側は仕方なく送還するしかなかったが、彼らは北朝鮮の人民武力部(国防省)偵察局の爆破専門家を同船させてビルマに入っていたのである。
 さらに金正日政治軍事大学も貿易船を一隻持っている。
 貿易船の名前は「勝利号」だが、おそらく日本の警察や日本人には見慣れている名前だろう。その勝利号は外見上は貿易船として日本に出入りしているが、一時は金正日政治軍事大学の卒業生を数十名ずつ乗せて、日本まで遠距離航海をしたり、日本見物に利用されたりした。
 将来、日本にスパイとして入っていく予備スパイたちを堂々と船に乗せて、日本の港に入港していたのである。彼らはいずれ自分たちが作戦行動をとる日本をあちこち歩き回りながら、見物していたのだ。
 スパイ学校の卒業生が、いつ頃からその勝利号に乗って日本を行き来していたのかは判然としないが、私が大学に通っていた88年、89年、90年までは卒業生を乗せて日本に行き来していた。もちろん、勝利号の選任であるかのように偽り、すべての証明書も偽造されていたのだが....。

①神戸の実業家だった文東建が北朝鮮に寄贈した「東建(トンゴン)愛国号」
文東建氏の息子が「INAC神戸レオネッサ」の会長・文弘宣氏
なでしこ優勝の陰の功労者、在日企業家・文弘宣氏 

②白桔梗農園
白桔梗
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%AD%E3%83%A7%E3%82%A6
白桔梗
ケシ(トルコ種)
http://www.tokyo-eiken.go.jp/lb_iyaku/plant/tokyo-keshi/
ケシ
(ごまかすには無理があるような)

北朝鮮の多くの人々がいまにアヘンに毒されてしまうかもしれない
北朝鮮で深刻な覚醒剤蔓延かという記事が
北朝鮮の覚醒剤 
(記事を読んだ時はなぜそんなに高いものが蔓延するのか?と思ったがよく考えたら生産者なのだから現物は目の前にあるわけだ)

なでしこ優勝の陰の功労者、在日企業家・文弘宣氏
【神戸聯合ニュース】日本全域が先月、サッカー女子代表「なでしこジャパン」のワールドカップ(W杯)優勝に沸いたが、その陰に在日同胞の企業家の功労があったことはあまり知られていない。

 その企業家とは、日本女子サッカークラブ「INAC神戸レオネッサ」の会長、文弘宣(ムン・ホンソン)さん(60)だ。慶尚南道・昌寧を故郷とする在日2世の文会長が創立し、育てたこのクラブは、日本女子代表チームの主将でW杯の得点王(5点)、最優秀選手(MVP)を獲得した沢穂希(32)をはじめ、代表選手7人が所属している。1月の全日本女子サッカー選手権大会で優勝し、1チーム当たり年間16試合を戦う日本女子サッカー1部リーグ(なでしこリーグ)で前半期8連勝を達成した最強チームだ。韓国代表のチ・ソヨン(20)、クォン・ウンソム(20)も所属している。
文弘宣
 現在、不動産、情報通信(IT)、外食産業などを手掛けるアスコホールディングスの会長を務める文会長は、2001年にスポーツビジネスの一環として女子サッカークラブを作った。

 最初は男子のサッカークラブを作ろうとしたが、選手集めが難しいため女子サッカーに目を向けたところ、運動したくても行き場がなく、困っていた選手らが集まったという。

 創立翌年の2002年に地域の3部リーグで優勝したのを皮切りに、2003年には地域2部リーグ、2004年には地域1部リーグでそれぞれ優勝を果たした。2005年には日本女子サッカー2部リーグで優勝し、翌年に1部リーグに昇格した。

 文会長は2006年から、大胆な「実験」を始めた。選手がサッカーに打ち込めるよう、全員をグループ企業で雇用して社業を免除し、月給を支払うというものだ。アマチュアリーグの日本女子サッカーリーグでは、こうしたシステムを取っているのは今でもINAC神戸だけだ。

 「女子サッカーにつぎ込んだ金額が10年間でどれほどになるのかと聞かれたことがありますが、およそ15億円になると思います」と、文会長。だからといって、慈善事業をしているわけではない。目先の利益を見るのではなく、長期目標を立てて投資しただけだ。

 文会長は「いつかINAC神戸を独立採算制で運営したい」とし、W杯の優勝でその芽が見えてきたと話した。それまでは女子サッカーの後援要請を門前払いしていた日本の大企業が、国民のヒロインとなった選手らのユニフォームに自社の名前を入れようと、列をなすようになったという。昨年は1試合当たり800人だった観客数は、今月6日のリーグ第8戦では2万4500人に増えた。

 文会長は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の朝鮮学校、朝鮮大学校を卒業し、北朝鮮と合営事業を行っていた。だが、1990年代初めに事実上、これを奪われたことから、北朝鮮に幻滅し5~6年前に韓国国籍を取得した。そんな同氏の願いは、祖国の女子サッカー発展にも寄与することだ。

 イ・ジンファ(24)、チ・ソヨン、クォン・ウンソムらを相次ぎスカウトしたり、費用を負担して韓国の女子中高生3人を日本に呼び、トレーニングに参加させたりしたのもそのためだ。10~14日には、韓国で開かれる韓国、中国、日本、ガーナによるサッカー親善大会に参加する予定だ。

 「韓国の女子サッカー代表も、五輪やW杯で優勝する日が必ず来る」と、文会長は明言する。どんな分野であれ、10年以上先を見越して投資する在日事業家の目は、いつしか韓国と日本が競い合い、世界の女子サッカーを率いていく未来に向けられていた。聯合ニュース2011.8.8
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/08/08/0200000000AJP20110808002500882.HTML 


<在日社会>在日新世紀・新たな座標軸を求めて①       
新しい民族学校建設にかける 文 弘宣さん
文弘宣2
 世代交代が加速し、個人、組織とも大きく変化しつつある在日社会。そんな中、在日の新たな座標軸をどこに見出せばよいのだろうか。今号から「在日の新たな座標軸を求めて」と題して、各界の在日インタビューを掲載する。第1回目は、大阪に新しく出来るコリア国際学園の常務理事を務める文弘宣さんに、同校の目指すものなど聞いた。

 これまでの民族学校の枠を超えた、国際化社会に役立つ人材を育てる新しい国際学校、「境界をまたぐ越境人の育成」がコリア国際学園(KIS)①の理念だ。在日の詩人、金時鐘さんが学園長、姜尚中・東京大学教授が理事長を務めるなど、在日の識者・文化人が学校運営に多数加わっている。そのKISの運営面を担当するのが文弘宣さんで、資金援助を行う在日企業人をまとめる役割も担っている。

 「KISは21世紀型の人材育成を目指している。経済人の立場から言うと、世界に通じる経済人を育成することになるだろうか。ソフトバンクの孫正義さんのような企業家や文化人、知識人など世界で活躍する人材を育てたい。それが一番の願いだ。コリア語、英語、数学には特に力を入れる。学校は明るく楽しく、授業は厳しくを基本にしたい。遠方からの入園希望者のために30~40人前後の寮も用意したい。既存の民族学校とは対抗するわけではない。いい意味で棲み分けができればと思っている。将来的には民族学校の統合があるかもしれないが、どんな形になるにしても、在日の優秀な人材輩出に貢献したいと願っている」

 学校設立の話が具体化したのは2004年。文さんら在日の識者、経済人有志の集まりで、3、4世向けの新しい学校教育の必要性が論議されたのがきっかけだ。

 「在日の新しい未来に向けどんなチャレンジが必要かという中で、学校設立の話になり、次第に賛同者が増えていった。学校運営には莫大な経費がかかると危惧する声もあったが、企業運営のノウハウを取り入れれば大丈夫と確信していたので、自ら運営を受け持つことにした。賛同してくれる在日企業1社あたり、設立資金として2000万円、運営費として年間100~200万円のカンパを目標にしている。そういう企業を30社ほど集めれば大丈夫だ。いま14社が集まっている。学生数は最終的には420人を目標にしているが、経費が年間1億8000万円かかるとして、3年間は赤字でも4年目に黒字を見込んでいる」

 「一条校になれば日本政府の補助が出るが、カリキュラムが制限を受ける。『韓国政府に支援を頼んでは』との助言もあったが、それも自主性を失う可能性がある。まず在日の力だけで運営をしたいと考えている」

 文さんの父は朝鮮総連系の大物商工人だった文東建②さん。日朝合作の学術映画『騎馬民族国家』の製作に貢献したことでも知られているが、87年に亡くなった。文さんは会社経営を引き継ぐ一方、総連系の商工会に所属し積極的に活動していたが、次第に意見の違いが鮮明化していく。

 「中国は改革・開放政策を成功させたが、その初期段階は華僑が95%投資していた。北朝鮮でも80年代半ばに経済改革の動きがあり、合弁法を作り、在日経済人の投資を受け入れた。私は他の在日商工人と一緒に合弁法設立に協力し、87年には北朝鮮に約2万6000平方㍍の生糸工場を建設した。生糸は韓国経由で日本に輸出され、利益をあげたが、工場の運営などで北に多くの問題が生じ、94年に放棄することになってしまった。在日商工人を華僑のように迎え入れ、改革を本格化していれば、今ごろは経済が順調だったかもしれないのに残念だ」

 「また兵庫朝鮮商工会の副会長をしていたが、ここでも納得できないことが多く、2003年に脱会し、新たに設立された中間法人兵庫商工協同組合(税務相談などを行う民族系商工会、現在は80社ほど加盟している)に加盟した。情報公開をきちんと行わないと、いまの在日商工人は納得しない。組織の活動家はそれを肝に銘じてほしい」

 学校設立に奔走する一方で、神戸の女子サッカーチーム「アイナック レオネッサ」の会長も務めている。同チームは2004年関西1部リーグで優勝。2006年からLリーグ1部に所属した。今期は現在まで5位。8月下旬には上海で韓国、中国の女子チームとの合同キャンプも行った。

 「チームを持ったのは2001年。日本社会への恩返しのため、そしてスポーツ文化への貢献を考えて活動してきた。NPO法人アイナックを立ち上げて、関西地域の企業100社の共同運営にしたことで、各企業のスポーツへの関心も高まってきた。今後は東アジアのスポーツ交流にも尽力したい。上海での合同キャンプはその一環だ」

 在日の若者にどう生きてほしいか、最後に伺った。

 「どこの国に住み、どんな国籍を取っても、常にコリアンであることを自覚してほしい。21世紀に入り、在日社会も変化している中、在日の世界にこもらず、活動領域を広めて、大きな夢を持ってもらいたい。民族的アイデンティティーを保ちながら、世界で活躍する人材になる。これが私、そしてKISの願いだ」東洋経済日報2007.9.7
http://www.toyo-keizai.co.jp/news/society/2007/post_528.php 

①コリア国際学園
ゆとり教育の寺脇研と朝鮮 
ワンコリアフェスティバル、コリアNGOセンターと繋がってるということですか

朝鮮総連系の大物商工人だった文東建
この人がなでしこジャパンに関わっているのはとんでもない話だ
というのも北朝鮮の密輸の話から文弘宣氏に辿りついたから
北朝鮮の覚醒剤2 元工作員の証言
陰の功労者どころか陰そのものではないのか


【連載】総連のメディア攻撃4―元・現代コリア研究所所長 佐藤勝巳 回想記53 
北朝鮮の悲惨な現実を報道 直後に総連関係者から出版社に抗議殺到

 総聯は、日本の民主主義の根幹をなす「言論の自由」に攻撃を加えてきた。「週刊朝日」はラングーン事件③に関連し、工作員3名を運んだ船が総聯傘下の朝鮮商工会兵庫県の文東建会長(後の総聯副議長)が寄贈したものであることを1983年11月4日号で報道した。文氏は「そんな事実はない」と週刊朝日を名誉毀損で神戸地裁に訴えた。

 訴えられた週刊朝日は、証拠固めのため朝研に取材にきた。「朝鮮商工新聞」を倉庫の中から引き出し、文氏の手記を見つけた。文氏は「文建愛国号」という船の名付け親が金日成と知って、感激のあまり涙を流したと書いていた。それに対して文氏は、朝鮮商工新聞の記者が勝手に書いたものと法廷で答えた直後、病気で死亡した。

 話はそれるが、文氏は船舶寄贈直後、金日成と2人で写真を撮ることが許された。その写真が日本語宣伝誌『今日の朝鮮』(1976年4月号と記憶している)に掲載された。

 総聯社会に衝撃が走った。当時総聯のトップだった韓徳銖議長④も金日成と2人で写真を撮ることはできなかった。文氏は写真を等身大に引き伸ばし、自宅の玄関内に、兵庫県商工会の事務所に、権威誇示のために展示していた(当時の総聯活動家の話)。総聯大衆は、思想性よりカネの方が重視されることを知った。これを契機に、総聯大衆は北にカンパをして、自分の肉親らを平壌に住まわせ、または有利な地位につかせるため、労働党幹部との取り引きを始めた歴史的事件であった。

 1984年4月10日発売の『週刊朝日』は、「感動のドラマ25年後の現実 ついに在日肉親が語り始めた北朝鮮帰国者10万人の“絶望"」というタイトルで6ページにわたり、北朝鮮の悲惨な現実を大々的に報道した。発売翌日の4月11日午後3時を期して、朝日新聞東京、西日本、大阪、名古屋各本社に電話抗議が始まった。他方、4月12日から19日までの8日間、東京本社には多い時で200人、平均100人の抗議団が押しかけた

 抗議の中身は、報道が著しく「事実と相違する」ということと、記事の中で金元祚著『凍土の共和国』を一部引用したが、同書は韓国情報部(KCIA)のでっち上げであるから、記事を取り消し、謝罪せよ、という不埒な言論干渉であった。

 思想が相対的に右の人たちの中には、朝日新聞というと「北の手先」のように言う人がいるが、84年春の段階で、6ページにわたって北と総聯のでたらめさ加減を報道したメディアは、週刊朝日以外なかった。しかしどこの報道機関も総聯の抗議に恐れをなして、週刊朝日が総聯から不当な抗議を受けているという事実を、「現代コリア」を例外として報じなかった。朝日新聞も黙った。

 私は、当時の週刊朝日を高く評価している。担当記者たちは体を張って取材をしていた。あのころの記者たちには志があった。われわれが瞳のように守らなければならない「言論の自由」が抗議という名の「暴力」に脅かされているとき、日本の報道機関は戦おうとしなかった。極めて深刻な問題である。

 その頃『凍土の共和国』の著者が「解説」を書いた私に会いたいといってきたが断った。理由は、会うとどこかで著者のことを話してしまうかもしれないという懸念からだった。もし私の言葉から著者が特定されたら、彼は間違いなく消されていた。

 だが、金元祚氏の著書は日本のメディア(週刊朝日)を動かした。その一方で、家庭内では金元祚氏の目の前で朝鮮高校に通う孫娘が、「韓国情報部のでっち上げだ」と朝日新聞に抗議の電話を掛けていたという。著者は耐えられず外に出て耳を塞ぐという悲劇に直面した。

 韓半島は、日本に最も近い国であるが、歴史と置かれている環境が違えば想像さえできない現実があることを『凍土の共和国』の出版に関与して改めて教えられた。日本の価値観で量ってはならないのだ。統一日報2013.4.10
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=72884


総連のメディア攻撃5―元・現代コリア研究所所長 佐藤勝巳 回想記54 

国家予算上回る額を集めた金日成

 この原稿を書くためインターネットを調べていたら、佐藤勝巳がとんでもない「反共・反朝鮮」として描かれていることを知った。核戦争も辞さずと話す北朝鮮やそれに同調する総聯を批判し、悪口をいわれている私の言動は、間違いでなかったと思っている。

 総聯中央本部の土地建物を落札した池口恵観氏は、北から勲章をもらっているそうだが、彼は日本国民から危険視、警戒されることは間違いない。他方、総聯はあの建物を借りずに、東京文京区白山の出版会館に移転すると下部組織に通達したという。私と北朝鮮・総聯との戦いは核、拉致などをめぐって、延々と続くのである。

 前に触れた兵庫の文東建氏だが、どんなに愛国心や金日成を崇拝してもカネがなかったら5000トンの貨客船を寄付することはできない。1987年には東海商事の社長で、不動産業を営んでいた安商宅氏が50億円を北に寄付し、平壌の牡丹峰に「安商宅通り」ができた。

 確かに当時はバブルの最中であったが、どうして50億円という天文学的数字のカンパが可能なのかという疑問を持ち、総聯関係者を取材した。文東建氏が船をカンパしてから、「彼が北から輸入する蟹や松茸などの価格は、ほかの業者より2割ほど安い。その利益の一部を金日成などにカンパする。カンパがビジネスなのだ」と兵庫県の総聯役員から聞いた。北の党幹部は、国家の財産を安く文氏に売って、文氏は儲けの一部を党幹部に還元する。これは泥棒の山分けだ。あの国は潰れると確信した。

 税金について別の商工人にたずねた。「信用組合は都道府県知事の許認可事項である(今は違う)から、異なる県に預金を転がすとカネの流れが分からなくなるという。全国の朝鮮信用組合(朝銀)は、独立した金融機関に見えるが、すべてオーナーは総聯(経済局)である。各県の朝銀を使えば、収入を隠し脱税できる。朝銀は脱税のためにあるのだ」と驚くべき事実が分かった。

 総聯系在日商工人は税金を納めず、それを北へのカンパに充てたのである。朝銀は大口カンパ者に対し優先的に融資をする。 南北とも儒教精神の残滓から労働を蔑視する。特に、パチンコや金融など商業に携わる者は蔑視される。それが、カンパによって神様金日成と2人で写真を撮ることが許される。金日成は、商工人の劣等感を利用して在日からカネを集めたのである。

 私がこの送金問題を取り上げたのは1992年の「現代コリア」1月号。タイトルは「金日成政権に核保有を許してはならない」―日本政府への提言―という、原稿用紙26枚の記事の中である。

 在日朝鮮人が北朝鮮に持ち込むカネは、当時年間600億円。北の1万ウォンが7500円として仮算すると、450億ウォンとなる。1990年の北朝鮮の国家予算は350億ウォン。在日朝鮮人の持ち込む円の方がはるかに多い。日本政府は、核開発を止めるため総聯系在日朝鮮人の北への渡航を止めるべきだ、と提案した。その後「文藝春秋」(93年5月号)から原稿依頼があり、その中でも送金問題に触れた。

 しかし、日本国内からは反応がなかった。香港の「ファーイースタンエコノミーレビュー」(93年7月29日)が送金の箇所だけ翻訳掲載した。それがアメリカ人の目に触れた。

 まず、ウォールストリートジャーナルが、核開発をやっている北に、アメリカの同盟国日本から年間600億円もの資金が流れている。こんな日本をアメリカの青年が血を流して護る必要があるのか、という趣旨の厳しい指摘がなされた。

 米国の行政機関は、日本のカウンターパートに数字の確認を一斉に求めてきた。それで初めて送金問題が日本政府内で問題化した。米国が問題にしないと自らの判断で対処できない政府とメデァの体質は深刻で、頭上で原爆がさく裂しないと騒ぎにはならないのかと、私は当時本気で思った。統一日報2013.4.17
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=72937

【wiki】ラングーン事件
ラングーン事件(ラングーンじけん)は、1983年にビルマのラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)で発生したテロ事件。「ラングーン爆破テロ事件」、「アウン・サン廟爆破事件」などとも呼ばれる。

東健号(東建愛国号)問題 
北朝鮮軍特殊工作員兵士3名をビルマに送り込んだ東健号は朝鮮総連に所属する兵庫県商工会会長文東建が日本の高知県で建造し昭和51年(1976年)に北朝鮮本国に寄贈し、金日成から直接に「東建愛国号」と名付けられた貨物船である。 この寄贈により文東建は北朝鮮最高勲章の一つである金日成勲章を授章し、後に全演植(モランボン創業者)と共に在日商工人から初の朝鮮総連副議長となった。当時、朝鮮総連議長ですら成し得なかった金日成と文東建のツーショット写真が北朝鮮の日本語宣伝雑誌に掲載され在日朝鮮人社会に大きな衝撃を与えると共に、それが金の力で地位を買えるという事実を知らしめる結果となって日本国内から北朝鮮の軍事独裁体制を支え続ける送金の始まりとなった。 ラングーン事件が起きた後に『週刊朝日』1983年11月4日号が兵士をビルマに運んだ船が文東建の寄贈船と報じると、文東建は「そんな事実は無い」と否定し、週刊朝日を名誉毀損で神戸地裁に訴えたが、裁判開始直後に文は死亡し裁判はうやむやになった。 

韓徳銖議長
北朝鮮帰国問題の背景1 帰国運動の目的 

ラングーン事件1
http://www.chosunonline.com/svc/view.html?contid=2012102100042&no=0

参考
モランボンは北朝鮮企業 
ジンギスカンだるま 脱税&不正送金&北朝鮮から勲章 

多極化する時代に凋落する「三極委員会」(前)

SNSI(副島国家戦略研究所)研究員 中田 安彦 

 台頭する中国、多極化する世界構造という実態をますます見せつけられたイベントが、4月21日、22日の2日間、この東京で開催されていたので、それを報告したい。
 3年か4年おきに、東京・霊南坂のアメリカ大使館前にある老舗ホテル「ホテルオークラ別館」では、日本、アメリカ、欧州の政治家、財界人、知的エリートが一堂に会する「日米欧三極委員会(トライラテラル・コミッション)」というイベントが開催される。日米欧の先進経済国の三極が世界の今後の秩序を話し合おうということで、1973年から開催されている国際会合だ。
 このイベントは、75年に始まった先進国首脳会議(サミット)にも大きなインスピレーションを与えたと言われ、80年代には中曽根康弘首相、90年代に入ると細川護煕首相、野党であった新生党の羽田孜元首相、現在も自民党のリベラル派のご意見番的存在となっている加藤紘一元外務大臣らが発言し、その発言内容は時折、記事になってきた。

1973日米欧三極委員会 (2)2012日米欧三極委員会

 私が知る限り、この会合についていちはやく記事にしたのは、あのジャーナリストの田原総一朗氏で、『日本のパワーエリート』(光文社・カッパ)である。この本のなかでは当時若手ジャーナリストだった田原氏は、「世界を動かす経済マフィアの組織」としてこの三極委員会を取り上げている。時は大平内閣の時代、現在のTPP(環太平洋経済連携協定)のひな形とも言われる「環太平洋経済構想」が打ち出され、オイルショック後の新しい世界秩序に日本が主体的に関与していくべきという声も上がっていた時代だ。
 田原氏は、三極委員会(当時は日米欧委員会と呼ばれていた)と並び、「ビルダーバーグ会議」を経済・金融マフィアの集う2大会合と呼んでいる。今ではこれに、スイスで開催される「世界経済フォーラム(ダヴォス会議)」を加えてもいいだろう。
 世界のパワーエリートたちは、ダヴォス会議、三極委員会、ビルダーバーグ会議と3つの会合を日米欧のいずれかの都市にあるホテルや避暑地で繰り返し、「世界経営」のブレインストーミングを行なってきた。これが1945年から2000年くらいまでの世界の動きをある程度実質的に決めていたと言っていい。

デビッドロックフェラー
 これらの会合のうち、ダヴォス会議以外の2つの会合に共に深く関与してきたのが、"世界金融マフィアの総帥"とも一時は呼ばれた、デイヴィッド・ロックフェラー元チェース・マンハッタン銀行頭取であり、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官やズビグネフ・ブレジンスキー元大統領補佐官といった人々であった。
 3つの会議のうち、もともと一番最初に開催されていたのがビルダーバーグ会議で、これはオランダの開催地のホテルの名称からこう呼ばれるようになった。主催者はオランダのベアトリックス女王の一族であり、米国財界の名家であったロックフェラー家や、イタリアの自動車メーカーのフィアットを率いてきたアニェリ家が主体的に関与し、時にロスチャイルド家なども巻き込んで、戦後ヨーロッパ復興と欧州共同体の礎を築いたわけである。
 ビルダーバーグは白人・キリスト教という共通項を持ち、ヨーロッパ統合運動という共通目標を抱いた財界人や政治家の集まりで、冗談ではなく本当にここからヨーロッパ経済共同体(現在の欧州連合)が生まれたのである。ソ連という異なる政治・経済体制の浸食から西側世界を守るために、アメリカが欧州統合を支援したということである。
 日本も、当初はロックフェラーの計らいでこのビルダーバーグ会議に参加するはずだったが、戦争のわだかまわりもあって欧州側が難色を示したため、ロックフェラーが欧州の有志と日本の政財界を抱き込んで新しく始めたのが三極委員会であるが、そのためにビルダーバーグとメンバーは大きくかぶっている。

 日本側で創設に携わったのは、政治家では宮沢喜一元蔵相であり、大平内閣の大来佐武郎外務大臣といった政治家、そしてこの三極委員会の開催日の一週間前にガンで死去した山本正・日本国際交流センター理事長である。近年は明石康氏、小和田恒氏、緒方貞子氏といったソフトな「人間の安全保障」という外務省系の元官僚やNGOトップや、外務省の田中均・外務事務次官、川口順子元外相らが参加者である。この人々は皆、"山本正"という人に見込まれた人たちだ。

 今年はちょうど前回の09年から3年目ということもあり、東京で年次総会が開催されることになっていた。ただ、基本的にマスコミはここ最近はこの三極委員会について大きく報じたりはしない。ただ、ホテルオークラの別館の地下で開催されることは恒例になっていたので、私は数回前から独自に会場での取材を行なっていた。今回は、ジャーナリストの岩上安身氏が率いるメディア集団IWJの協力を得て、実際に会合の一部をカメラで撮影する取材に成功した。
 とはいえ、"マフィアの会合"といっても田原氏が言うようなおどろおどろしいものではないし、ましてや一部の陰謀論者が言うような世界支配の密謀をめぐらせている組織ではない。ただ、言えることは、参加者の顔ぶれが一線で活躍する次のリーダーたちであり、欧米の多国籍企業のCEOたちやシンクタンクの研究員たちであるということだ。

 そのような意思決定の現場に近い人々が「三人寄れば文殊の知恵」どころか、120人も集まり数日にわたって、安全保障、経済、金融の分野で議論を行なう。その議論は一部を除いては非公開であり、会場では英語のみで議論が行なわれる。しかも、参加者の座席割は毎回異なっており、何度も参加する参加者は毎回別の分野のエキスパートと席を共にする。そのような状況であれば、日米欧の先進国の勢いが新興国よりもあった時には、当然、政策や企業方針にその議論の中身は反映される。その意味では、世界の秩序に確実に影響を与えていたのである。

 学術会議ではあるが、過去には2000年に、当時、新生銀行買収が話題になっていたハゲタカファンドのリップルウッドのオーナーであるティモシー・コリンズ氏が参加し、その新生銀行の株主には三極委員会メンバーが多数参加していた。今回の会合でも、セッションのなかには、経済同友会代表幹事の長谷川閑史氏(武田薬品代表取締役)ほか、TPPを熱心に推進する新浪剛史氏(ローソン社長)や、山本正氏との縁戚関係にある投資家の渋澤健氏が参加するものもあった。渋沢栄一一族は戦前から米国との人的交流が深かった。

 会合のイメージを掴みやすくするために、今年の三極委員会の日程について、当日配布の資料から抜書きしてみる。

 まず、現役大臣の古川元久・国家戦略担当大臣と自民党の次期首相候補とも言われる林芳正・参議院議員が日本の政治について議論するセッションが初日の一番最初にあり、その司会を務めたのが、小泉進次郎氏をコロンビア大学留学時に指導したほか、自民党や旧社会党にも人脈を持つ、ジェラルド・カーティス教授であった。田中角栄失脚後、カーティスは日本の政界に保守・左翼を問わずに人脈を持っており、CIAにも情報を提供していたことはよく知られている。

 また、初日にはゴールドマン・サックス証券副会長の杉崎重光氏が北山禎介・三井住友銀行会長(同友会副代表幹事)、2日目には前出の新浪、長谷川といった財界人が登壇しているが、経歴を見ると同友会系が多く、いずれもTPP推進によって利益を得る立場にある。TPPはアメリカ財界と日本の財界の合作であり、こういった国際会議で非公式に浸透するように進んでいることがよくわかる人選だと言えるだろう。ゴールドマンというと、竹中平蔵氏、西川善文氏といった郵政民営化の際に名前が挙がった人々とのつながりがどうしても連想される。

 その他、尖閣諸島問題とも密接に関わる、東南アジアと中国が関わる南シナ海の領有権問題のセッションもあった。アメリカとしてはオバマ政権も共和党のロムニー候補もアフガニスタンに割いていた米軍資源を、今度は東アジア、東南アジアに配分するという「アジア回帰」の宣言を昨年秋のAPECで行なったばかりである。このソフトな対中牽制は、TPPとあわせて、アメリカの超党派のアジア戦略のコンセンサスであると言える。
NETIBNEWS2012.4.24
http://www.data-max.co.jp/2012/04/24/post_16445_nkt_1.html

この記事をなぜコピペしたのかというとこのリストを見つけたから
アジア女性基金呼びかけ人(首相官邸)
 http://www.kantei.go.jp/jp/murayamasouri/danwa/asia-yuu.html 
首相官邸HP
「女性のためのアジア平和国民基金」呼びかけ人・役員・運営審議会委員リスト
95(平成7)年7月18日現在
呼びかけ人の下から2番目
山本正 日本国際交流センター理事長

つまり
従軍慰安婦問題の黒幕は
あ、誰か来た
david rockefeller tadashi yamamoto
http://www.jcie.or.jp/photos/yamamoto.html

参考
サッカーWC日韓共同開催の黒幕  ←サッカーWC日韓共同開催にも関わっている
反日ネットワークの正体 ←戦前からロックフェラーが関わっている
有田芳生の広げる波紋 ←呼びかけ人・下村満子氏
火のないところに火をつけて回る高木健一弁護士 

続き
日本を敗戦国のままにしておく装置 

一つ一つは素っ気ない記事だが時系列に並べてみると
何とクソ左翼の巣窟(失礼)国連人権委員会で日本が北朝鮮相手に戦っていた

脱北者送還 中国が加担否定「9人は合法的に北に戻った」

 北朝鮮からの脱北者9人がラオスで拘束され中国経由で北朝鮮に送還された問題をめぐり、中国外務省の洪磊報道官は3日の記者会見で「中国はいかなる国からも送還するよう求められていない」と述べ、北朝鮮の要請で強制送還に加担したとの見方を否定した。

 洪氏は9人が合法的な査証を持って5月27日に中国入りし、翌日に北京から北朝鮮に戻ったと説明。中国の対応への国際社会の批判を念頭に「中国は国内法、国際法および人道主義の原則に従って関連の問題を処理している」と強調した。(共同)msn産経ニュース2013.6.3
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130603/chn13060322250014-n1.htm


脱北者9人、平壌の遊園地に連れて行き撮影 北朝鮮、韓国の拉致と主張

 聯合ニュースは11日、ラオスで拘束され北朝鮮に送還された同国脱出住民(脱北者)の9人の若者を、北朝鮮当局が最近、平壌の大城山遊園地などの娯楽施設に連れて行き、国営メディアが撮影したと伝えた。9人に「自由」があると強調し、安全に対する国際社会の憂慮を払拭する狙いとみられる。

 北朝鮮消息筋の話としており、近く撮影された映像を放映したり、9人に記者会見をさせたりして、北朝鮮へ戻ったことが本人の意思に基づくものだったと主張するとの見方が出ている。

 9人は5月下旬、拘束していたラオス当局が北朝鮮政府関係者に引き渡し、中国を経由し北朝鮮へ送還された。北朝鮮の朝鮮赤十字会は今月5日、9人の脱北は韓国側の拉致によるものだったと主張した。(共同)msn産経ニュース2013.6.11
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130611/kor13061114150003-n1.htm
 

脱北者らの聞き取り開始 ソウルで国連人権調査委

国連人権理事会申東赫
国連人権理事会の調査委員会に政治犯収容所の実態を証言する申東赫氏=20日、ソウル(共同)

 北朝鮮による人権侵害の実態を把握するため国連人権理事会が新設した調査委員会は20日、ソウルで北朝鮮脱出住民(脱北者)や韓国人拉致被害者らからの聞き取り調査を開始した。24日までの日程。調査内容は来年3月にまとめる最終報告に反映される。

 20日は北朝鮮の政治犯収容所で生まれた申東赫氏(30)ら脱北者2人の聞き取りをした。申氏は収容所で1年に2度、公開処刑が行われていたと証言。母親と兄が収容所脱走を企てたとして自身と父親の目の前で処刑されたことを明かした。別の脱北女性は、中国で公安当局に拘束され、北朝鮮に送還された妊婦らが強制的に堕胎させられていたと証言。脱北者の強制送還をやめさせるべきだと訴えた。調査委は日本政府などが提起し、今年3月に設置。カービー委員長ら専門家3人は27日、日本を訪問する。(共同)msn産経ニュース2013.8.20
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130820/kor13082019580006-n1.htm 


脱北者の証言は「ウソ」人権侵害批判に北朝鮮が主張 国連調査委

 北朝鮮の人権問題を調査するため、国連人権理事会が新設した委員会のカービー委員長(オーストラリア)は27日、北朝鮮当局が先週、北朝鮮脱出住民(脱北者)らによる人権侵害の証言は「全て(北朝鮮)政権に対する中傷であり、うそだ」との主張を伝えてきたと明らかにした。

 ソウルでの記者会見で述べた。調査委の一行は韓国で10日間、脱北者や韓国の拉致被害者家族らから聞き取り調査を行った。

 カービー氏は「調査委は北朝鮮当局に書簡を送り、人権侵害の主張について弁明するよう求めてきた」と述べた。(共同)msn産経ニュース2013.8.27
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130827/kor13082714180005-n1.htm 


脱北者送還の中止要請 国連の北朝鮮人権報告書

 国連は19日までに、北朝鮮人権問題を担当するダルスマン特別報告者(インドネシア)の報告書を公表した。今年5月、北朝鮮を脱出した住民9人がラオス入りした後、北朝鮮に強制送還された後の状況に懸念を表明。各国に迫害が予想される場合は強制送還を禁じる国際法を守り、脱北者を北朝鮮に送還しないよう求めた。北朝鮮当局は国連人権高等弁務官に対し、ラオスから送還された9人がテレビの座談会に出たことを通知。ダルスマン氏は「9人(の安否に対する疑問)について十分な回答をしておらず、帰国後に刑罰を受ける可能性などを懸念している」とした。

 国際人権団体などの調査を基に、金正恩第1書記の体制になって以後国境管理が強まり、中国へ密出国しようとする人は発見次第射殺する指令が出ていると指摘。最近の韓国への脱北者減少は国境管理強化の影響と分析した。(共同)msn産経ニュース2013.10.19 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131019/kor13101916480002-n1.htm 


北人権違反「衝撃的な証言だった」 国連調査委が英で会見
国連人権委員会マイケル・カービー委員長
会見する国連調査委員会のマイケル・カービー委員長=24日、ロンドン(AP)

 【ロンドン=内藤泰朗】北朝鮮による人権侵害の実態を調査する国連調査委員会のマイケル・カービー委員長は24日、ロンドンで会見し、前日の公聴会で証言した英国在住の北朝鮮脱出住民(脱北者)たちの体験は「衝撃的なものだった」と述べ、この事実を世界に知ってもらう必要があると強調した。

 カービー氏らは、23日の公聴会で男女4人の脱北者たちから聞き取り調査を実施。脱北者の証言によると、脱北に失敗した者は尋問所や刑務所に連行されて、男女関係なく、看守たちに手足を縛られたうえで裸にさせられ、隠し持っている金品を没収するための「身体検査」を受ける。

 さらに、脱北者たちは常に、看守たちによる拷問や性的な暴行といった屈辱的な扱いの標的となり、高さが50センチしかない入り口の独房に動物のようにはって入るなど「耐え難い生活」を強いられているという。

 聞き取り調査では、脱北者の強制送還を続けている中国の対応も指摘された。

 カービー委員長は「北朝鮮での人権違反の全容を知り、その解決に向けた動きは始まったばかりだ」と述べ、北朝鮮当局にも調査に協力するよう呼びかけた。

 調査委は今年3月、日本などが提起して国連人権理事会が設置。これまでにソウルや東京などで調査を実施し、約65人の脱北者らから直接聞き取り調査を行ったほか、約200人の情報を収集。今月30、31両日にはワシントンでも公聴会を実施する。来年3月には最終報告書をまとめる予定。msn産経ニュース2013.10.25 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131025/kor13102523120004-n1.htm 


「北朝鮮での人権侵害深刻」-国連報告、韓国への脱北者数は減少傾向
 【ニューヨーク=黒沢潤】北朝鮮の人権問題を調査している国連調査委員会のカービー委員長と、ダルスマン特別報告者は29日、国連総会第3委員会(人権)で、北朝鮮での人権侵害は深刻だと指摘した。

 カービー氏は3月に調査委員会が設置されて以降、拉致被害者の家族や脱北者ら約200人に対して行った聞き取り調査をもとに、「(北朝鮮で)組織的かつ重大な人権侵害があるようだ」と強調した。また、実態を調査しようとしても入国を阻まれているとして、北朝鮮政府を厳しく批判した。

 同氏は、横田めぐみさんの拉致事件も取り上げ、家族の苦しみに言及した。

 一方、ダルスマン氏は1998年以降、脱北して韓国入りする住民の数がここ数年、減少傾向にあると指摘。2011年に2706人だった脱北者数は、12年に1509人、13年(1~9月)は1041人にとどまっているという。

 同氏は「国境管理が厳しくなったのに加え、送還件数が増えたことが原因」との見方を示した。

 調査委は来年3月、最終報告書を国連人権理事会に提出する予定。2013.10.30msn産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131030/kor13103011100001-n1.htm 


必死でクソ左翼が「ヘイトスピーチ」を持ち出す裏にこういう攻防があったわけですね
安倍首相が河野談話見直しを持ち出さないのはこのせいかな(憶測
それにしても北朝鮮の言い訳がヒドイ( ̄□ ̄;) 

続き 古屋圭司拉致担当相談

大統領訪朝で注目のモンゴルと北朝鮮の複雑怪奇な関係
金永南・エルベグドルジ
平壌に到着し、金永南最高人民会議常任委員長(左)の出迎えを受けるモンゴルのエルベグドルジ大統領=10月28日(共同)

 エルベグドルジ・モンゴル大統領訪朝の内幕に熱い視線が集まっている。日本の安倍晋三首相と大統領の親密な関係を背景に日本人拉致問題に関する仲介に期待や、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の土地・建物再入札で登場したモンゴル企業の存在で、日本→モンゴル→北朝鮮の「点と線」が急浮上したがその実態はナゾが多い。一体、モンゴルと北朝鮮はどんな関係なのか?(久保田るり子)
 
モンゴルは密輸基地? 工作員指令やマネーロンダリング疑惑も
 9月中旬にモンゴル入りして北朝鮮との関係を調査した宮塚利雄・山梨学院大教授によると「今夏も今秋もモンゴルは対北食糧援助を行った。ウランバートル市内の建設現場に北朝鮮の労働者が急増中だ。北朝鮮は経済関係の強化を求めているようだがモンゴル側は『あえて貿易というようなモノもない』としており彼らには政治的な意味合いが大きいようだ」という。

 モンゴルと北朝鮮は今年9月で国交樹立65周年を迎えた。北朝鮮によっては建国(1948年)直後に国交を結んだ旧ソ連に次いで古い友人、正確にはスターリン時代の衛星国だったという兄弟関係だ。

 冷戦崩壊でモンゴルは1990年に民主化し韓国と修好したため、北朝鮮との関係は悪化した時期もあるが、11年前に修復し友好協力議定書を交わしている。首都ウランバートルには韓国、北朝鮮の大使館があり、モンゴルでの“南北接触”も多い。

 大統領の訪朝は9年ぶりだが、昨年は崔泰福最高人民会議議長がモンゴルを訪問し、海のない同国に対して北朝鮮・羅津港の賃貸を持ちかけたとされる。

 公式往来とは別に、北朝鮮にとってモンゴルは、中国経由で陸路、外部につながる“人、モノ、カネの密輸ルート”としても知られている。

 北朝鮮からの脱北者ルートとして有名なほか、韓国に入国した元北朝鮮要人の暗殺計画の実行犯が実はモンゴルで北朝鮮の工作部署、偵察総局から指令を受けていた-などという事件も発生している。

 また、北朝鮮はウランバートル-北京を往来する列車を使って漢方薬などの密輸を企て、モンゴル当局によって摘発①されることも少なくない。さらに、北朝鮮外交官がモンゴルに米ドルや日本円を持ち込もうとして発覚するケースもある。これは偽札疑惑やマネーロンダリング(資金洗浄)疑惑が持たれている。両国関係はこうした暗部を抱えて拡大しているのだ。
 
モンゴルの狙いは?北朝鮮の思惑は?拉致問題は動き出す?
  一方で、日本は対モンゴルODAの最大ドナー国だ。民主化以降の約20年間の日本によるモンゴル支援は円借款だけで780億円、無償資金援助は990億円に上る。同国はレアメタル、レアアースなど豊富な鉱物資源を持つため、日本はモンゴルとの関係を、『互恵的、補完的な資源エネルギー外交』の相手国と位置づけているからだ。

 現在、日本のODAによる資源開発の人材教育プロジェクトが進んでいるほか、都市機能の整備事業として新ウランバートル空港建設計画なども日本の有償資金で進んでおり、近年は建設ラッシュである。その活況のウランバートル市内に北朝鮮の労働者が駆り出されているという構図だ。宮塚教授によると、ウランバートル市内には日本の無償援助で建てられたカシミヤ工場があるが、ここにも北朝鮮労働者が入っている。

 日本モンゴル関係に詳しい貿易関係者はこう話す。

 「北朝鮮はこうした日本とモンゴルの関係をみてきた。北朝鮮関係者が『われわれも新空港建設を日本に期待したい』などとムシのいいことを言っているようだ。いずれにしてもモンゴルとしては、北朝鮮との深い関係を今後の対日政策に生かそうと考えているようなのだ」

 エルベクドルジ大統領と安倍首相は、今年3月の安倍氏のモンゴル訪問に次いで9月末の大統領訪日では安倍氏私邸訪問で親交を深めた。その間に拉致対策本部幹部と古屋圭司担当相のモンゴル訪問が続いた。大統領は拉致問題の解決に一役買うことにも前向きだと伝えられている。

 金正恩第一書記にとって指導者就任(昨年4月)以来、初の外国元首訪朝にもかかわらず北朝鮮は首脳外交を発表していない。北朝鮮側の何らかの不満の表れとも取れる。

 韓国メディアは一連の動きを『モンゴル・日本・北朝鮮の三角コネクション』などと名付けているが、金正恩政権を取り巻く国際環境は厳しい。北朝鮮は対中、対米外交で行き詰まり経済制裁の国際包囲網できゅうきゅうとしている。日本としてはじっくりと好機到来を見定める必要がある。産経新聞2013.11.3 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131103/kor13110307000000-n1.htm 

①ウランバートル-北京を往来する列車を使って漢方薬などの密輸を企て、モンゴル当局によって摘発 
筒井商店の田中公男氏はくすりのヒグチの樋口俊一元議員の秘書だった
池口恵観法主も関わっている
今更筒井商店1
池口恵観法主はモンゴルで切手になっている
モンゴルの切手になった池口恵観法主

つまり

あ、誰か来た 

魚介類消費を柱に ロックフェラーJr.の団体が食育プログラム発表
デビットロックフェラー夫妻と安倍昭恵
夕食会で乾杯するロックフェラーJr.夫妻と安倍晋三首相夫人の昭恵さん=7日、横浜市西区

 海洋保全を目的に米ロックフェラー財団のデイビッド・ロックフェラーJr.会長が平成16年に設立した米の団体「セイラーズフォーザシー」の日本支局(横浜市西区)は7日、同区内のホテルで、豊富に獲れる魚介類を「ブルーシーフード」として登録し、積極的に消費していくことを柱とした食育プログラムを発表した。

 ブルーシーフードに登録されたのはヒラメやマダイ、近畿大学が世界で初めて完全養殖に成功した近大マグロなど19種。今後、これらの魚種を消費者向けに推奨していくという。

 世界文化賞の名誉顧問でもあるロックフェラーJr.会長は「100年後も同じように魚を楽しめるようにしたい」と述べた。

 夕食会には安倍晋三首相夫人の昭恵さんも出席。東京・銀座のすし店「銀座久兵衛」の今田洋介社長が、ブルーシーフードを使ったすしを振る舞った。産経新聞2013.11.7
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131107/trd13110721370016-n1.htm 


首相夫人、棚田視察 米ロックフェラー氏と和歌山へ
棚田視察ロックフェラー安倍昭恵
和歌山県有田川町の棚田「あらぎ島」を視察する安倍昭恵首相夫人(中央左)と米国のロックフェラー夫妻(右)

 安倍昭恵首相夫人が9日、和歌山県有田川町の棚田を視察し、棚田の文化的意義や、農家の高齢化が進み全国的に活用が難しくなっている現状の説明を受けた。昭恵夫人は「中山間地域を諦めるのではなく、本当に豊かな暮らしの見本になってほしい」と述べた。

 視察したのは、江戸時代に開墾された棚田「あらぎ島」。有田川町で作られたサバのすしなどに舌鼓を打った。米ロックフェラー財団会長のデービッド・ロックフェラー・ジュニア氏と妻スーザンさんが同行した。産経新聞2013.11.9
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131109/plc13110916540006-n1.htm 

キャロラインケネディ駐日米国大使ツイ馬車
https://twitter.com/CarolineKennedy/status/402725082239209472/photo/1 

ケネディ大使馬車で皇居に 天皇陛下に信任状
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131119/k10013177971000.html 

追記2014.1.31
この時何だか嫌な予感があったのだがやっぱり的中してしまった(-_-)というか予感以上に悪かった
不吉な使者 キャロライン・ケネディ 

参考
従軍慰安婦問題の黒幕 

脱北女性が問う帰還事業の責任
(東京新聞2009.9.7)
 「飢饉(ききん)に洗脳教育、そして差別に拷問。どこが『地上の楽園』だ。楽園でなく地獄だった」。大阪府八尾市在住の脱北女性、高政美(コジョンミ)さん(49)は、怒りの矛先を帰還事業を支援した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に向けた。大阪地裁で慰謝料など約千百万円の損害賠償を求めて係争中。「うそで人生を狂わせ、それで許されるのか」 (鈴木伸幸)

 高さんの左肩には大きな刺し傷がある。拷問で受けたのではない。「自らの右手ではさみを握り、刺したあと」 という。高さんは、2000年11月に中朝国境の鴨緑江を渡って脱北。しかし、中国から日本への渡航に失敗。 2003年1月に北朝鮮に強制送還され、その途中に「抗議の自殺」を図った。 

 「血が噴き出て、もうろうとしたところまでは覚えている。だけど死ねなかった。留置所に入れられ、殴る蹴る されて、脱北計画について取り調べられた。何度も気絶した」と高さん。「顔かたちは変わってしまい、昔の顔では ない。歯は抜かれて、これは全部、入れ歯」と前歯を指さした。 

 肉体的にも精神的にも、極限まで痛めつけられた影響か、眠れない毎日が続く。眠れても、悪夢にうなされる。 「でも私はまだ幸せな方。生きて脱北できたのだから」 

 訴状によると、高さんは3歳だった1963年に一家で北朝鮮へ。両親は韓国・済州島出身①だったが、父親は早世。 3人の子どもを抱えて経済的に困窮していた母親が、「北朝鮮に行けば心配なく生活できる。食料は十分あるし、 仕事も住宅も与えられる」と繰り返し説得され、帰国を決心した。 

 ところが、連れて行かれた北西部の新義州で、母親を待っていたのは朝から深夜までの労働奉仕。兄は 「日本に帰りたい」と口にして、精神科病院に収容され、栄養失調と、床は汚物だらけの劣悪な環境に耐え 切れずに亡くなった。 

 高さんが人民学校に通うようになると「チョッパリ」と日本人の蔑称で呼ばれて差別され、服を脱がされたり、 破られたりといじめられた。(中略) 
引用はこちらから
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/asia/1252495439/l50
 

「帰還事業は在日朝鮮人を『労働者』や『金づる』として利用しようとした北朝鮮による誘拐事件。朝鮮総連は虚偽の説明でそれを実行した。まだ、北朝鮮に残っている人がいる。人の命がかかっている問題なんです」と高さん。「裁判は脱北に成功した者の使命。死ぬまで戦います」 

帰還事業とは一体、何だったのか。非政府組織(NGO)「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の幹部で大阪経済大学准教授の山田文明氏は「北朝鮮は労働力を欲し、在日朝鮮人に目を付けた。日本でも在日の問題が顕在化していて、日本政府はそれに応じた、という経緯がある」と話す。 

実際、在日朝鮮人は差別の対象で生活は苦しく、公的援助の受給者も多かった。また、左翼的思想を持ちがちで、東西冷戦下では、半ば厄介払いでもするかのように「在日を追い出そう」という空気があった②という。一方、朝鮮総連はこの裁判について「同じような訴えを棄却した判例がすでにある。訴えは同胞社会と日朝関係に害を与える以外のなにものでもない」とコメントした。 

その裁判は、62年に脱北したソウル在住の男性が01年6月に、朝鮮総連に損害賠償を求めて東京地裁に起こした。だが、脱北してから39年が経過して「損害賠償請求権が10年の時効で消滅している」と棄却、敗訴が確定している。だが、高さん側は「日本の在外公館に保護されたのは05年3月で、この提訴では時効は成立しない」との立場だ。 

また、朝鮮総連は在日朝鮮人に帰国を促すと同時に、帰国の準備のために朝鮮語教育などを実施していた。また、日本に残した資産は朝鮮総連が管理、処分していた実態から、高さん側は「帰国者と朝鮮総連の間には何らかの契約があったとみなされる」と主張する。ただ、この裁判の難しさは、帰国事業が始まった当時、日朝両国の思惑に加え「在日朝鮮人は人道上、北朝鮮に帰すべきだ」という理屈に、多くの政治家や文化人、さらにはメディアまでもが疑問を持たず、帰国者の背中を押した、という事実があることだ。
引用はこちらから
http://blog.livedoor.jp/newskorea/archives/990435.html 

個人的には困っている人は助けてあげたいと思うし脱北者のもたらす情報は貴重で
なぜかチュチェ思想研究会の者などがはびこっている国連の組織を動かすには脱北者支援は必要なことなのかもしれないが....
国連人権委員会における攻防

②「在日朝鮮人は差別の対象で生活は苦しく、公的援助の受給者も多かった。また、左翼的思想を持ちがちで、東西冷戦下では、半ば厄介払いでもするかのように「在日を追い出そう」という空気があった
この日本が悪いと言わんばかりの書き方は何だろう(さすが東京新聞
吉田茂=マッカーサー往復書簡 

①済州島出身ということはそもそもが密入国者ではないのか
呪いの島済州島 
なぜこの人が日本に帰ってくるのか?


高政美さん韓国語授業
http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=3&newsid=12098
支援者に恩返し 脱北元同胞の高政美さん 2009.11.25民団新聞
(でも民団は一方でヘイトスピーチ反対などという北朝鮮主導の言論弾圧活動を共にやっているわけで:右矢印)

高政美さん民団講演
http://www.mindan-tokyo.org/bbs/board.php?board=board04&page=4&sort=hit&command=body&no=59
北韓の実態を語るー脱北者講演会(民団東京地方本部2009.7.6)
 「父親は日本では朝総連の活動家で帰国事業(北送)にも携わった人だった」「北韓に渡って労働党入党を拒んだことでスパイ扱いされ、厳しい拷問も受けた。また、95年には新義州地区での餓死者死体処理に動員されるなどした」と語る高さんの目からは大粒の涙が零れ落ちた。
 また、「父は北韓に行ってから総連のため働いたことを反省し、自分の責任だったといつも言っていた」と語った。


かと言って北送阻止隊というテロ工作員(元は在日朝鮮人)を送り込んだ韓国側も
どちらも同様に日本にとっては迷惑で不要な人達であることに変わりはない
北送阻止隊 

北朝鮮は「地上の楽園」でも「凍土の地獄」でもそのどちらでもない
元々の朝鮮半島はこうだったというだけの話
今も昔も
もし朝鮮総督府で働けと言われたら 
「日帝」を否定するならここから自力でリスタートして下さいな
どうしても日本が支援する必要があるなら「日帝」肯定が最低条件ではないか

韓国は日本の代わりに分断され犠牲になった(→呪いの島済州島)などと言う韓国人がいるのだから
脱北者が「 <;`д´>日本のせいニダ」という訴訟を起こすのは時間の問題
必ず将来の禍根となる

脱北者は既に約200人日本にいるそうだ

参考
【wiki】怒羅権 中国残留孤児2世3世による暴走族  

追記2013.11.24
脱北者だまし秘密警察などへ引き渡す、工作員出身の脱北者男を起訴 韓国検察
 韓国検察は15日、2004年に中国で北朝鮮脱出住民(脱北者)5人をだまして北朝鮮の秘密警察、国家安全保衛部に引き渡したとして保衛部工作員出身の脱北者の男(48)を国家保安法違反罪で起訴した。

 北朝鮮に引き渡された被害者の女性(34)が、政治犯収容所での6年間の服役生活を終えて再び脱北し韓国入り。男が自分の家族を北朝鮮から呼び寄せ韓国で暮らしているのを知り、9年前の恨みを晴らそうと韓国当局に通報した。聯合ニュースが伝えた。

 男は工作員時代に中国で脱北者の摘発に当たっていたが、密貿易への関与が発覚したため、北朝鮮当局の手を逃れ03年に韓国入りし定着。脱北の手引きと密貿易をしていたが、北朝鮮に残した家族が心配で保衛部幹部に連絡を取り、再び同部の指示で活動するようになった。(共同)msn産経ニュース2013.7.15 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130715/kor13071518590002-n1.htm 

短い記事だけどカオスすぐる
安易な同情が何をもたらすかよく分かりますね 

北朝鮮帰国問題の背景1 帰国運動の目的
北朝鮮帰国問題の背景2 「人質」になった帰国者 続き


序文・北朝鮮帰国問題の背景ー青山健煕はなぜ北朝鮮に帰ったのか
 佐藤勝巳(現代コリア研究所所長)

p17~23
4.「帰国事業」 に日本はどう関わったか
 さて、この「帰国事業」に日本がどう関わったかである。当時、岸内閣で、1959年1月29日藤山外相は「在日朝鮮人で北朝鮮に帰国を望む者には許可する所存」との声明を発表した(政府が外相声明を了解したのは同年2月13日)。総聯が、北朝鮮への帰国運動を始めた1958年(昭和33年)8月から約5カ月後である。
 
 韓国政府は、この藤山外相声明に抗議して2月13日「日韓会談打ち切り、李ライン監視強化・北朝鮮帰国阻止」を通告してきた。日本政府が第二次世界大戦後、分断国家朝鮮半島政策の難しさに初めて直面したときである。

 当時の私は、日韓会議反対、在日朝鮮人の帰国推進という運動の渦中にいたのでよく分からなかったが、岸内閣は、二月に在日朝鮮人の北朝鮮への帰国を決定。八月にはいち早く第四次日韓会談を再開し、韓国との関係修復を図っている。
 この分野は、調べていないので何とも言えないが、金日成の在日朝鮮人の北朝鮮への帰国提起そのものが、日韓会談阻止という政治的狙いがあったのではないかということである。
 もしそうだとすれば、岸内閣の在日朝鮮人の帰国容認(韓国政府が何といおうと本人たちが北に帰りたいというのを政治的理由で阻止することはできないし、してはならない)、他方、日韓会談再開という選択は正しかったといえる。

 政府とは別にいま流行りの言葉で言えば、非政府組織で在日朝鮮人の北朝鮮への帰国を支持し、協力した日本人の存在が何であったのかに言及しなければ公平さをかく。

 帰国第一船が新潟に入港する直前の1948年11月17日、「在日朝鮮人帰国協力会」が東京で設立された。役員の顔ぶれは代表委員は、自民党岩本信行衆議院議員、同小泉純也衆議院議員、日朝協会山本熊一会長の三名である。
 顧問は、鳩山一郎元首相、日本社会党浅沼稲次郎委員長、日本共産党宮本顕治書記長の三人。役員には、学界、文学界、経済界の有名人を配した。幹事長は社会党の帆足計(ほあしけい)衆議院議員、事務局長には日朝協会印南広志常任理事。幹事長は社会党、事務局長は共産党という陣容である。
 
 主要都道府県に中央と類似の役員構成の「〇〇県在日朝鮮人帰国協力会」が設立された。当時このような役員構成の組織が出現するなど、実は、私にとっては信じがたいことであった。

 若干、当時の社会状況を紹介しておく。当時、北朝鮮に関心を持っていたのは、共産党の一部、一般の日本人では北朝鮮から引き揚げてきた人、一部の宗教関係者などで、総評系労働組合といえども関心などなかった。
 確か、1959年末と記憶しているが、国鉄労働組合新潟地方本部参加の某支部で実際あった話である。講師である私が到着する前に組合員から「韓国は朝鮮の北か南か」との質問が執行部になされたが、「われわれ(支部役員)も自身がないのでまずそれから教えてほしい」という状況であった。

 同じ頃、全電通労働組合内の日朝協会班で日韓会談の学習会がもたれた。集まったのは活動家4人。私は、この4人に対して2時間にわたって日韓会談の「危険性」を訴えた。日韓会談は勝(すぐ)れて政治問題であるにもかかわらず労働組合の活動家の間でもこの調子であった。笛を吹いても、太鼓をたたいても踊るものはいなかったのだ。
 いわんや北朝鮮問題などに関心を示す日本人に、共産党員を除き新潟では会ったことがなかった。それなのに前述のような役員構成で突然「在日朝鮮人帰国協力会」が出現したのである。私は、自分の経験から「変だ」という思いは消せなかった。

「新潟県在日朝鮮人帰国協力会」結成に当たって共産党某新潟県委員と私との間で次のようなやりとりがあった。私は「日頃反動呼ばわりしてきた自民党政治家を協力会の役員に迎えるのは誤りだ」といって反対した。
 すると県委員は、「『人道と人権』の問題であるから超党派的組織が必要だ。統一戦線組織と考えればよい」と答えた。なお反対する私に対して「君は統一戦線というものを理解していない。党の決定だ。決定に従え」といって私の発言を封じた。
 この発言からも分かるように日本共産党にとって「在日朝鮮人帰国協力会」は、敵を倒すための「統一戦線」であったのだ。共産党は、このような運動が提起されるときは、友党である朝鮮労働党と事前に協議が行われる。
 具体的には総聯と協議がなされたと思われる。しかるのちに党の方針が決められ、関係団体の党員で役員をしているものに「グループ会議」を通じて周知徹底される。
 当時、私は東京にいなかったから日本共産党と総聯中央との間で具体的に何が話合われたかは知らないが、在日朝鮮人が日本と北朝鮮の間を移動するのに共産党同志に連絡なしで行われるなどということは百パーセントありえない。

 はっきりいうなら、在日朝鮮人の北朝鮮への帰国を「人道と人権」の名で、保守派、ノンポリ学者・文化人、社会民主主義者などを巻き込んで、社会主義朝鮮の優位性を宣伝し、韓国の「傀儡政権」を窮地に追い込む統一戦線をつくることに目的があったのだ。
 私は、ここまでは共産党員として容易に理解できたが、理解できなかったのは、当時の日本共産党の力量からいって前述の帰国協力会の役員に就任を働きかける力などなかったはずだ。
 長年の疑問だったのであるとき、総聯の老幹部に「具体的には鳩山一郎氏などは誰がお願いにいったのですか」と尋ねたら「全部われわれ(総聯)がお願いしたものです」との答えが返ってきた。

 前にも触れたように圧倒的多くの日本人は北朝鮮などに関心など持っていなかった。「在日朝鮮人帰国協力会」が出来る社会的基盤は皆無であった。
 それなのに「帰国協力会」が結成された背後に総聯の存在があった。総聯は一度、目標を設定すると、あらゆる手段を使って目的実現に向かって突っ走る。
 
 話は横道にそれるが、この行動力が一旦間違うと、1948年4月下旬の民族学校閉鎖の反対闘争で兵庫県庁を選挙したような「暴挙」に発展する。米軍は神戸地区に「非常事態宣言」を発し、1973名の在日朝鮮人を逮捕した、この「阪神教育事件」のように彼我の力関係を無視し、米軍相手に暴走する「極左冒険主義」に陥る危険性をもっていた。
 そして1949年9月8日、朝鮮人連盟などに対して、日本政府から団体等規制令が適用され、解散と財産没収がなされたが、この法令適用は阪神教育事件が重要な理由とされている。

 以上を見れば分かるように、在日朝鮮人の北朝鮮への帰国に決定的な役割を果たしたのは総聯と日本共産党である。日本共産党は、在日朝鮮人の北朝鮮への帰国問題に「敵」を打倒するための統一戦線を作るのに積極的に関与したのである。
 帰国問題の関与が正しかったのか、間違っていたのか。日本共産党が在日朝鮮人の帰国問題を総括したという話を耳にしない。なぜ、黙しているのか。説明する義務がある。

 また、在日朝鮮人の帰国問題に関与した日本人は共産党だけではなく、日教組を始めとする総評系労働組合の幹部や文化人・学者など、団体・個人とも例外なく日本共産党と同じくだんまりを決め込んでいる。
 「だんまり」は左右を問わず日本人の普遍的現象というのだろうか。もしそうなら自分の勝手な思い込みや不勉強で人さまの人生を目茶苦茶にして知らん顔をしている誠意のかけらもない無責任な態度ということになろう。だからこんなけじめがなくなった出鱈目な国家に日本は成り下がったのだと私は思っている。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「だんまり」ならまだよくて拉致問題を隠蔽するために従軍慰安婦問題をでっちあげ「日本は差別国家」というキャンペーンをやっているのでございます
従軍慰安婦問題は北朝鮮の工作
その嘘がバレそうになったので人権擁護法案という人権弾圧法を作り過去を覆い隠そうとしているのでございます
韓国民主化運動という赤化運動 

彼らの言うところの「人権」って一体何でしょうね
赤いイデオロギストの言う「人権」って? 人権擁護法案

しばき隊プラカパロ
慌てて取り繕おうとしてももう手遅れです

参考
北朝鮮問題に関する共産党の見解 

北朝鮮帰国問題の背景1 帰国運動の目的 続き


序文・北朝鮮帰国問題の背景ー青山健煕はなぜ北朝鮮に帰ったのか 佐藤勝巳(現代コリア研究所所長)
p13~17
3.「人質」になった帰国者

 再度いうが、新潟港から北朝鮮への帰国第一船が清津港に向けて出港したのは1959年12月14日である。
 当時の時代的背景は、日本では60年安保闘争の前夜であり、戦後の日本社会党・日本共産党を軸とする反体制運動の絶頂期を迎えたときである。
 国際共産主義運動は水面下でソ・中の主導権争いが発生していたが一応表面的には一枚岩ということで押せ押せムードであった。

 今では信じられないことであるが、岩波書店の雑誌『世界』が、言論界で支配的な地位を占めていた「進歩派にあらずば人にあらず」という社会的雰囲気のあった時代である。
 したがって在日朝鮮人も日本のこのような雰囲気に強い影響を受けていた。総聯は朝鮮労働党・金日成に指導されてできた団体であるから、幹部はいうまでもなく「社会主義こそわが命」と思っていた人たちである。北朝鮮「地上の楽園」説を容易に信用する(騙される)思想状況にあったのだ。

 朝鮮半島の分化は、個人・国家を問わず対等の関係はなく、必ず上か下かである。共産主義者は、社会主義は資本主義よりはるかに進んだ社会と位置づけていた。だから北朝鮮に永住帰国すると日本の上になれる。統一後は韓国の指導者にもなれるという思惑が一部の人にあったと思う。

 今一つ、1960年3月、韓国では大統領選挙の不正投票など李承晩政権に対する学生などの不満が頂点に達し、大規模なデモがソウルに発生、4月下旬李承晩大統領を辞任に追い込んでいた。
 日本の進歩派も、在日朝鮮人たちも北朝鮮のイニシアチブで「朝鮮統一近し」と思うようになっていた。

 しかし、冷静に考えれば、北朝鮮は、朝鮮戦争で都市も農村も米軍の爆撃で瓦礫と化し、全ての面で大きなダメージを受けていた。戦争が終わって僅か6年しか経っていないのに帰国する在日朝鮮人は北朝鮮に「楽園」が出現したという宣伝を信じたのである。
 もちろん少数ではあるが、困難を覚悟して社会主義国家建設に参加した帰国者もいたと思われる。しかし、圧倒的多くは本当に彼の地に「楽園」があると思って帰国したのだ。私は、新潟で日朝協会新潟県連事務局長としてこの目で4年間それを見てきた。
 共産主義というマインドコントロールがいかに恐ろしいものかということであろう。

 当時の在日韓国・朝鮮人人口は約60万。外国人登録を見ると、1955年頃で、韓国籍は13万人程度で残りの50万弱は「朝鮮」である。
 外国人登録証国籍欄に「朝鮮」と記載されている人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではないが、それにしても韓国支持は、在日韓国・朝鮮人中の20%程度であった。
 だが、圧倒的多数であった北朝鮮支持と目される在日朝鮮人50万人のなかで北朝鮮に永住帰国した人数は9万3千人。約20%に過ぎなかったのだ。

 時々帰国理由を日本に朝鮮人差別があったからだと書く人を見かけるが、この数字からすると、帰国の原因を民族差別に求めることは明らかな間違いである。
 また、私は、今まで総聯系在日朝鮮人は社会主義幻想にとらわれ、北朝鮮に永住帰国したと書いたが、正確にいうと幻想に冒されていたのは、帰国者だけであって、帰国しなかった40万人の人たちは北朝鮮「地上の楽園」説に疑問を持っていたと思われる。
 
 以上のことからいえることは、在日朝鮮人の北朝鮮への永住帰国は、同じ在日という環境にありながら、帰国した人とそうでない人がいたということである。民族差別のせいでも、社会主義幻想のせいでもない。帰国した人たちの主体的選択であって、人のせいにはできない問題である。
 騙したものが一番悪いのだが、騙される方にも責任はあることを明白に指摘しておかなければならない。

 とはいっても事態はそれほど単純ではない。関係者周知のように、北朝鮮の金日成父子政権は、帰国した朝鮮人を「人質」として、帰国しなかった在日朝鮮人から「祖国統一事業」だとか、「金日成60歳誕生祝い」とかいろいろな理由をつけてカンパという名の収奪を始めた。

 問題は、この金父子政権の要求するカンパに諾々と応じて来た在日朝鮮人をどう評価するかである。帰国した朝鮮人は、本書を見てもわかるように人生を目茶目茶にされ、文句を言った帰国者は間違っても生きては帰れない政治犯強制収容所にぶち込まれた。
 それなのに在日の商工人たちは、バブル期には毎日のようにゴルフ三昧に耽っていた。他方、日本に税金を納めないでそのカネを金父子にカンパし、肉親がピョンヤンに住めるようにしたりもしている。

 それだけではなく、金父子政権は在日朝鮮人のカンパで核ミサイル開発をし、1998年8月には三陸沖にミサイルを撃ち込んできた。
 それを見た総聯の商工人の一部から「自分たちがカンパしたカネでミサイルができたら在日の頭の上に打ち込んできた。冗談ではない」という話が伝わってきたが、ミサイルを撃ち込まれるまで気がつかなかったということらしいが、「冗談ではない」というのは日本人である私のいう台詞である。

 金日正政権が倒れて、国民から糾弾されるようになれば総聯の幹部及び商工人たちは、金日正政権と同じく北朝鮮全国民から糾弾されることは免れない。その責任は極めて重大であることをいまからはっきりと指摘しておく。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

お互いがお互いを毟りあうおぞましい人達

という感想を抱いてしまうがお許しいただきたい....
数年前にこの本を読んでも「どこまで本当なのか」と半信半疑だっただろうが
民主党政権を経た今となってはこれは本当だと思わざるを得ない
赤松口蹄疫
これを民族性に帰結していいのか思想性に帰結していいのか自分にはよく分からないが
こんな人達が「 <;`д´>日本軍の過去の侵略の謝罪と賠償ー」「 <;`д´>日本人の差別ガー」と言ってるのだからどんなブラックジョークなのかと
ジュネーブ・オモニ代表団2
http://chosonsinbo.com/jp/2013/05/0501sy/
前に置く空き缶をお忘れでは
人権侵害者達 

続き 
北朝鮮帰国問題の背景3 「帰国事業」に日本はどう関わったか

参考
北朝鮮帰国事業 
モランボンは北朝鮮企業 
ジンギスカンだるま 脱税&不正送金&北朝鮮から勲章 

ジンギスカンだるま不正送金

ススキノ超人気ジンギスカン店 経営者逮捕 本当の理由


北海道にある北朝鮮関連施設が、相次いで警察や検察の捜索を受けている。脱税などの所得税法違反の容疑だ。日朝間の緊張が高まるなか、北朝鮮関連の捜索が行われることは、もはや珍しくもないが、今回の捜索で異例なのは、捜索対象がグルメ雑誌にも紹介された有名ジンギスカン店で、経営者も逮捕されてしまったことだ。一体、どんな店だったのか。

札幌地検などは2007年2月5日午前、札幌の繁華街、ススキノにあるジンギスカン店「だるま」本店など約10ヶ所に対して所得税法違反の疑いで家宅捜索を行い、同店経営者の金和秀(66)、徐澄子(61)、李正愛(34)の各容疑者を同容疑で逮捕した。

脱税したカネが北朝鮮に送金された?
03年から05年にかけて、売り上げを過少申告し、所得税約1億7,000万円を脱税した疑い。さらに、金、徐両容疑者が、かつて在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)北海道本部の幹部を務めていたことから、地検は脱税分が北朝鮮に送金された可能性も視野に入れて捜査を進めている、とされている。

家宅捜索・逮捕を報じる各紙とも、「だるま」のことを一様に「雑誌に頻繁に紹介され、ジンギスカンブームの草分け」などと報じている。スポーツ報知は「U字形のカウンター約20席は、夕方の開店直後から客で埋まり、夜遅くまで行列が途絶えない」と、普段の店の様子を報じているほか、夕刊フジは、フードライターの話として「未明までやっているので、『これから一発』と精を付けたい好事家に人気だった」と伝えている。とは言っても、北海道関係者か「北海道通」でもないと、耳にしたことがない店名であるのも確かだ。

有名旅行ガイドブック「るるぶ札幌小樽 ‘07」の「札幌グルメ総覧」というコーナーの「ジンギスカン~マトン編」というページを開くと、この店が一番目立つ位置に出てくる。「1954年創業の人気店で締めスープをご堪能あれ」という見出しで、「食べ終わると、肉汁と野菜のエキスがたっぷりと染み込んだタレに、お茶を入れてスープにしてくれるのがこの店の楽しみ」と紹介している。ママさんの「並んで待っても食べて良かったと思ってもらえる店です。ぜひ来てくださいね」というコメントも添えられている(写真から、コメントしているのは、今回逮捕された容疑者と見られる)。

過去の報道を見てみても、同店の人気ぶりがうかがえる。

03年1月には、地元紙の北海道新聞が「探偵団がたどるジンギスカン物語」という連載を掲載、同店のことを「『札幌のジンギスカンならまずあの店』とだれもが口をそろえる老舗」と表現、人気の秘密は「創業から変わらないたれ」なのだと紹介されている。

客足は「多分、普段と変わらない」
さらに、デイリースポーツが03年に掲載した「懲りない編集長・安部譲二の なんだかんだ」というコラムでは、安部さんがデスクと会話する形で、
「札幌で食べるなら生ジンギスカンの店へ行きなさい」
「たいていはニュージーランド産の冷凍なの。でも『だるま』っていう店では生を食べさせるんだ」
「おう、一皿200グラムのを水戸泉は17皿食べたそうだ」
と、力士のエピソードも交えながら、「だるま」を絶賛している。

だるまが「名店」だとなると、捜索後、ちゃんと営業を続けてくれるかが気になるところだ。電話で聞いてみた。そうすると、返ってきたのは
「現在も、元々の(「るるぶ」に記載の)営業時間のとおり営業しておりますし、今後も変わる予定はありません」
との答えで、背後からは、なにやら忙しそうな厨房の音も聞こえていた。当分は、「美味しいマトン」を楽しめそうだ。客足については、
「多分、普段と変わらないと思います。ちょっとこっちでは、詳しいことは分かりませんけど…」 と、とまどった様子で話していた。

ちなみに同店、営業時間は17時~午前3時(金・土曜は17時~午前5時、日曜日は16時30分~午前1時)、肉がなくなり次第終了だそうだ。
j-castニュース2007.2.6
http://news.livedoor.com/article/detail/3016831/ 

総連系商工会幹部が否認 札幌、ジンギスカン店脱税事件
 札幌市の有名ジンギスカン店「だるま」を舞台にした脱税事件で、無資格で確定申告書を作成したとして税理士法違反の罪に問われた在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の在日本朝鮮北海道札幌商工会幹部・河栄学被告(34)の初公判が24日、札幌地裁(坂田威一郎裁判官)であり、河被告は「作成を補助しただけで、違法行為ではない」と起訴事実を否認した。  検察側は冒頭陳述で「素人には運用困難な税務処理用コンピューターシステムを使って自ら所得税を計算し、確定申告書などを作成した。手数料1万円を徴収していた」と指摘した。  起訴状によると、河被告は2005年1月から06年3月にかけ、朝鮮総連北海道本部元幹部でジンギスカン店「だるま」の経営者金和秀被告(66)=所得税法違反罪で起訴=らに頼まれ、確定申告書6通を無資格で作成した。共同通信2007.4.24
http://www.47news.jp/CN/200704/CN2007042401000497.html 

【wiki】土台人 
不正輸出案件
北海道のジンギスカン店「だるま」経営者で朝鮮総連構成員の金和秀(金子秀和)とその妻による脱税事件。金和秀夫妻は、多額の金を北朝鮮に献金して祖国に貢献したと認められ、特別永住者としては異例の、北朝鮮の勲章「国旗勲章一級」を二度にわたり授与された

ジンギスカンだるまHP
http://best.miru-kuru.com/daruma/contents/history/ 
昭和29年=1954年 

モランボンもそうだけど
この人達はなぜ平気な顔をして日本にいるのだろう
北海道は特定失踪者が一番多い


安明進氏が書いた本の中に、めぐみさんは工作船の真っ暗な船倉に40時間以上閉じ込められ「お母さん、お母さん」と泣き叫びつづけ、北朝鮮に着いて出してみると壁を引っかきつづけたため指の爪が裂けて血だらけだった、という記述がある。それを読んだめぐみさんのお母さんは、悲しみではなく怒りがわいてきたと語っている。
「悪」に対する怒りを忘れた国は滅びるしかない。

西岡力『「拉致かコメか」売国の政治家列伝』文藝春秋2000年12月号

参考
モランボンは北朝鮮企業 脱税&不正送金&北朝鮮から勲章 
北朝鮮帰国事業 

6
【youtube】「総連北海道元幹部ら逮捕」産経(H19.2.6) 



こちらの本の序文から一部引用

北朝鮮帰国問題の背景ー青山健煕はなぜ北朝鮮に帰ったのか 佐藤勝巳(現代コリア研究所所長)

2.金日成が考え出した「帰国運動」のねらい
(略)
p9~13
 日本が朝鮮半島を併合したのは、1910年(明治43年)であり、以来1945年(昭和20年)8月までの35年間植民地支配が続いた。
 日本敗戦の時日本にいた朝鮮人は大体210万人と推定されている。在日朝鮮人の出身地は、地理的関係からほとんどが朝鮮の南部(後の韓国)で、北朝鮮出身者は一割にも満たなかった。
 日本敗戦と同時に現在の韓国出身者、特に、徴兵・徴用など単身で日本に居住していた人たちは、家族がいる南朝鮮に先を争って帰国していった。
 1949年(昭和24年)末、韓国政府発表によると1945年から49年末までに、日本から韓国に引き上げた韓国人は141万4258名である。約4年間で140万人が南朝鮮に帰国したのである。
 当時、日本に残った在日朝鮮人は、1920年代、30年代に日本に渡航し、韓国には生活の基盤がなく、逆に、日本社会に生活の基盤を持っていた人たちである。これは法務省入管局が発行している『入管白書』などですでに明らかなことである。

 さて、北朝鮮への帰還であるが、日本政府は、敗戦1年半後の1947年(昭和22)1月に北朝鮮帰還希望者を調査している。希望者は1413名に過ぎなかった。しかし、実際北朝鮮に引き揚げたものは、さらに少なく同年3月15日の大安丸で233名、同年6月26日の信洋丸で118名、合計351名である。
 この数字は、在日朝鮮人のなかで北朝鮮出身者が少ないという表れであるが、当時の在日朝鮮人の圧倒的多数の人は、共産主義者が指導していた「朝鮮人連盟」に加盟していた。
 当時の国際共産主義運動は、「一国一党の原則」というものがあって、共産主義者で国籍が違った場合、当該国の共産党に入党し、活動することになっていた。在日朝鮮人の共産主義者は、日本共産党に入党、日本の革命運動に参加していた。このような背景もあって、当時北朝鮮への帰国者が少なかったものと推定される。
 実は、冒頭で紹介した在日朝鮮人の北朝鮮への「永住帰国」問題は、当時の「一国一党の原則」と密接不可分の関係があったのである。

 日本共産党の中で活動していた在日朝鮮人党員から、1950年頃、在日朝鮮人は、日本革命よりも朝鮮革命に参加するのが筋ではないかという問題提起をしたのが「白秀論文」である。当時も現在もこの論文は前総聯議長、故韓徳銖(ハンドクス)氏が書いたものと思われているが、真実は朝鮮労働党から送られてきたものである。
 韓徳銖氏がやったことは東京都板橋区の某旅館に仲間数名を集めて「白秀」というペンネームを付し、金日成の指導下で日本共産党内でフラクション(分派)活動をすることを決めたことである。
 この問題については私が最近出版した『日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか』(草思社刊)のなかで触れているが、この事実は、当時韓徳銖議長と行動を共にしていたある幹部から私が直接取材して得た情報である。

 日本敗戦直後の「朝鮮人連盟」時代の5年間は、日本共産党の支配下にあった。後の「民戦」時代の5年間は、日共に従うか、朝鮮労働党に従うかという在日朝鮮人社会での路線を巡る論争分裂の時代である。
 紆余曲折を経て、結局1955年(昭和30年)5月在日朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)結成2カ月の同年7月、在日朝鮮人党員は、全員日本共産党から離脱、朝鮮労働党(金日成)の支配下に組み込まれたのである。
 しかし、総聯結成前も後も、故韓徳銖議長を中心とする「民族派」(当時「ピョンヤンコネクション」と呼ばれていた)は少数で、朴恩哲(パクウオンチヨリ)をキャップとする「民対派」(日共派)が多数を占めていた。
 両派は代表を「工作船」で平壌に派遣し、対立の調停を朝鮮労働党に求めた。北に行った「民対派」の代表朴恩哲は、北朝鮮に足止めされて日本に帰れなくなった(私は、これを金日成・韓徳銖の謀略と見ている)。キャップを失った「民対派」はこれを契機に力を失っていくのだが、分裂の後遺症は大きかった。

 そこで考え出されたのが、在日朝鮮人の「帰国運動」である。前記『日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか』にも記しているが、この帰国運動を考えだしたのは金日成その人である。
 金日成は、在日朝鮮人を北朝鮮に帰国させれば、それを人質として在日朝鮮人60万人を影響下におさめることが出来ると見通していたという。韓議長はこの話を聞いて金日成は「頭の良い人だ」といたく感心していたという。
 その後の経過を見れば分かるように、
「帰国者」という「人質」をとって、全てではないにしても在日朝鮮人を北朝鮮の政治的影響下におくことが出来た。何よりも在日朝鮮人からカネを収奪する道が開かれたのである。
朝鮮戦争によって青年壮年者が失われて労働力が決定的に不足していたが、十万人近い帰国者によって、労働力の不足を補うことが出来た。
総聯は、傘下同胞の北朝鮮への帰国に際して持ち出し可能な金額は1人4万円とし、余ったカネは全て総聯にカンパをさせた。総聯中央本部を始め、各地の民族学校は帰国者のカンパによって作られたものである。つまり総聯が財政的に潤ったのである。
総聯はこのカネで、日本の政界工作をより活発に始めた。
さらに韓議長ら「民族派」は、帰国運動によって、反主流の「民対派」を押さえ込みパージに成功、韓徳銖体制をより強固なものにした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆

これに対して韓国のやったことは
「北送阻止隊」というテロ工作員を送り込み、新潟日赤センター爆破未遂事件を起こし北朝鮮帰還事業を妨害しようとした
北送阻止隊 (残念ながら動画は消されてしまっているが...
正にどっちもどっち
日本としては在日朝鮮人が国内に存在すること自体が災禍に他ならない
脱北者支援は将来の禍根にしかならないのでやめて頂きたい
例)密入国の済州島難民の息子が反日活動家に
辻褄が合わないのは仕様です 

「日本の植民地支配」など気になる表現があるが
【wiki】佐藤勝巳  
新潟県出身。元日本共産党員。旧制中学を卒業後、新潟県立巻高等学校を中退し、川崎汽船に勤務するが、1950年、労働組合専従だったためにレッドパージを受け失職。在日朝鮮人の帰還事業に参加し、北朝鮮から2度(1962年11月10日、1964年9月23日)にわたり勲章(「朝鮮民主主義人民共和国赤十字栄誉徽章」)を授与される。在日韓国・朝鮮人差別反対運動にも大きくかかわった。
その後、北朝鮮の実態に失望し、日本共産党を脱党、反北朝鮮的立場へと転向した。

参考
北朝鮮問題に関する共産党の見解 
北朝鮮帰国事業 

【特集】北送から50年―対談 坂中英徳・姜昌萬 (上)
9万3340人が「地上の楽園」を夢見て海を渡った

 1959年12月14日、新潟港から在日朝鮮人238世帯・975人を乗せたクリリオン号とトボルスク号が、北朝鮮・清津に向け出港した。世に言う北送事業(帰国事業)の第1便だった。その後、84年までの25年間で9万3340人が「地上の楽園」と呼ばれていた北朝鮮に渡った。第1便の出港から50年。北送事業とは何であったのか。坂中英徳・移民政策研究所所長と姜昌萬・本紙発行人が北朝鮮帰国者問題の本質に迫る。
坂中英徳(移民政策研究所所長)姜昌萬(統一日報社社長)


【北朝鮮帰国事業とは】
―北朝鮮帰国者問題とは何だったのか。
 坂中 北朝鮮帰国事業は東西冷戦時代の産物だった。帰国した在日コリアンの97%は南(韓国)出身者と日本生まれだが、北朝鮮を「祖国」ということにして彼らを拉致・連行したものだ。在日韓国人は韓国に自由に帰国できたが、それを金日成指示の帰国運動で北朝鮮に「帰国」するように仕向けた。1958年7月、金日成はソ連の臨時代理大使との会談で、「日本在住のすべての同胞が自ら祖国に帰ってくるよう勧めている」と語っている。朝鮮戦争の最中、ソウルを占拠した北朝鮮軍は、韓国人研究者や技術者9万6000人を北朝鮮に連行した。

 姜 それと同じことを8年後に在日コリアンにした。

 坂中 しかし、約200人の帰国者が日本に舞い戻っているという事実は、まやかしの帰国運動に起因する問題が現在に至るまで存在していることの何よりの証拠。それによって、帰国者問題は日朝間の現在進行形の人道移民問題に発展した。このことの持つ意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。

 姜 11月16日付の朝鮮新報によると、朝鮮赤十字会中央委員会のキム・ヨンホ部長は、北送が金日成の指示だったことを認めている。「帰国実現は首領様が創始なさった主体的な海外僑胞史上の輝かしい具現だ」と。南北対立や日本の朝鮮人差別など、帰国理由を挙げればきりがない。しかし、金日成の意図は明白。「韓国」が祖国の韓国人を「帰国の形」を装って北朝鮮に連れ出すことだった。

【日本人教師も薦めた】
 坂中 おっしゃるとおりです。東西冷戦で資本主義の韓国と共産主義の北朝鮮の対立が激化する中、北朝鮮は本来韓国に帰るべき韓国人を獲得しようとしたのだ。北朝鮮に連行した。金日成はこれによって北朝鮮の政治的立場が強まると考えていた。

 姜 私は当時、大阪の市立中学校の3年生だった。朝鮮人の担任であった先生は毎日朝から「北朝鮮は素晴らしい」と話していた。

 坂中 ぼくの田舎の中学校でも日教組の先生が在日コリアンの生徒を呼んで「北朝鮮に帰るように」と勧めていた。当時、ジャーナリストも文化人も共産主義シンパが多かったから、「韓国はダメだが、北朝鮮はいい国だ①」と言っていた。

 姜 「南朝鮮は米国の支配下で貧しい国。北朝鮮は工場がたくさんあって発展した国」という宣伝の大合唱だった。

 坂中 日本人の先生に感化された子どもが親を説得する。「北朝鮮に帰ろう、帰ろう」と。

 姜 先生に勧められて帰った人はかなりいる。

 坂中 学校の先生が帰国運動に荷担した事実は、確認しておきたい。

 姜 日本に生活基盤をしっかり築いていた人たちも帰った。資産を売った人は一部いるが、ほとんどの人は朝総連に寄付した。

 坂中 祖国愛という一面もあったのでしょうね。

 姜 それもあったでしょう。ただ、7割ほどの人はよりよい生活を求めて帰って行ったのだと思う。残りの3割は祖国再建のために身を捧げようと思って帰ったのではないか。それに、しばらくすれば日本に帰れると信じていた。

坂中 英徳=1945年生まれ。元東京入国管理局長(05年退職)。現在、移民政策研究所②所長兼人道移民支援センター代表。著書『今後の出入国管理行政のあり方について』(1989年、日本加除出版)ほか、『脱北帰国者支援は私の使命』、『日本型移民国家の構想』などの小冊子で、今後50年で1000万人の移民受け入れなどを提言。
(聞き手=溝口恭平)統一日報2009.12.11
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=50570&thread=08 


【特集】北送から50年―対談 坂中英徳・姜昌萬 (下) 

帰国事業に対する総括の時

【「身代金」を脅し取られて】
 坂中 日本人妻も3年すれば里帰りできると朝鮮総連に言われたから北朝鮮に渡った。北朝鮮主導の統一が近いことも盛んに言われていた。そうなれば韓国と自由に往来できると。

 姜 実は今日、帰国運動を金日成による「壮大な拉致・監禁」と看破されたうえ、脱北帰国者の定住支援や活動③をされる坂中代表に感謝を申し上げたかった。また、代表は近く新潟港において帰国運動の犠牲者を慰霊する追悼法要を営まれる。われわれ在日韓国人がすべきことであるのに。

 坂中 私が行っている支援の原点は、75年の「坂中論文」にある。その中で帰国者問題について「在日朝鮮人は特別な理由がない限り地縁・血縁関係が希薄で社会・経済体制が異なる本国に帰る可能性は少ない」と指摘した。それから今日まで関心を持ち続けてきた。

 姜 当時は「在日コリアンの同化政策だ」と憤った一人だった。今になると、その内容はことごとく当たっていた。

 坂中 1980年代後半には、在日コリアンも帰国運動の被害者であると認識していた。家族や友人が強制収容所に入れられたり、処刑されたりしたばかりか、肉親を人質にとられ、北朝鮮政府から多額の賄賂を要求された。工作員の手先になるように脅迫されたりもした。法的地位や表面的な生活レベルが向上しても、帰国者問題を解決しなければ在日コリアンが心から幸せになることはない。そのように考えていた。13日のフォーラムと14日の「『あの日を忘れない』新潟港追悼集会」は、これまで北朝鮮帰国者問題に取り組んできた私の集大成だ。

 姜 北に渡った帰国者の実態が明らかになった今でも、総連は祖国が犯した大きな過ちを総括していないし、本国との関係も正していない。自由に物が言える日本に住んでいながら、在日コリアンは帰国運動を糾弾する声を上げていない。恥ずかしいかぎりだ。

 坂中 70年代後半になると、北朝鮮当局の指示で帰国者から50万~100万円単位の現金を送ってほしいという手紙が日本の家族に届くようになる。金を送ればいいところに住まわせてやるが、送らなければ収容所行きだと。そのときに家族が団結して「そんな理不尽な金は送らない」という態度を示さなかったから、在日コリアンは北朝鮮政府に「身代金」を脅し取られる存在に変わり果てた。

 姜 総連の支部単位で○○支部はいくら、○○支部はいくらという割り当てがあった。

 坂中 金正日に「人質政策はカネになる」と印象づけることになった。政府首脳に億単位の金を送る人まで現れた。

 姜 今も北朝鮮の人質政策に唯々諾々と従って巨額の身代金を送っている商工人がいる④

【同胞を人質にする北】
 坂中 在日朝鮮人を厄介者と見ていた日本政府も「北朝鮮に帰りたければどうぞ」と、帰国を容認した。在日コリアンの中には生活保護受給者や共産主義者が多かったから渡りに船だった。もっとも国際法上、帰国を止めようとしても止められなかった⑤のだが。

 姜 とにかく、在日コリアンから身代金に反対する動きは出なかった。その点、日本人拉致被害者家族は違う。

 坂中 拉致被害者家族は全員の救出を目指し、団結して問題の解決に当たっている。一部の人は帰ってきたが、全員の帰国まで活動を続けることで一致している。

 姜 在日社会でも当初は民団の有志による反対運動があった。しかし、肝心の総連側からは、帰国運動の悲劇を知っていても何の動きもない。身内の帰国者だけがよければいいという考えで、黙って送金を続けている。

― 在日韓国・朝鮮人の運動で大きなものとして指紋押捺反対運動地方参政権獲得運動がある。
 姜 それらとは比較にならないほど、北送の総括と北朝鮮の責任追及は重要な問題だ。自らの親類・縁者が拉致され、帰ってこられないのだから。地球上にこんな国がほかにあるのか。民族の恥だ。

 坂中 祖国に帰って迫害され、かつて差別を受けた国に帰ってくる。このような国際人口移動の例は現代史にない。同胞を人質にして、海外の家族から身代金を取るような政府も聞いたことがない。

【一致して帰国者の解放を】
 坂中 脅迫すれば大金が転がり込むことを知った北朝鮮は、国民の福祉に何ら関心を示さず、産業基盤の整備にも輸出の振興にもつとめようとはしなかった。国家主義まで不法行為をエスカレートさせて国際社会から援助を取り付ける対外政策と、「脅し」を駆使して海外から金品を調達する政策の基本は今も変わっていない。

 姜 金日成指示の帰国運動から北朝鮮のとんでもない国家体質が形成されたのだが、総連系の同胞はその事実を知りながら陰では反対の声はあったが、北朝鮮の言いなりになってきた。

―北朝鮮の全体主義体制を糾弾しなかったマスコミや、北送を後押しした日本政府の責任は。
 坂中 日本政府や日本のマスコミの責任は小さなものだ。金日成に騙されたのだ。朝鮮総連すら本国政府に騙されていた。子供を「帰国」という形で金日成に差し出すよう強要された朝総連幹部たちは被害者の一面もある。問題の本質は、北朝鮮に渡った人たちに対して北朝鮮政府が行った残酷きわまる仕打ちだ。貧しくても平等に扱い、ある程度の自由が与えられていれば、日本に戻ってくる人はいなかったはずだ。

 姜 同感だ。北送されるまでのプロセスも指摘すべきだが、一番の問題は入国後に北朝鮮政府がやったことだ。

 坂中 姜社長は「地上の楽園」の話に騙されて北に渡った人が7割ほどだったというが、彼らにも責任がなかったわけではない。将来のこととかいろいろな思惑があって帰国を決めたのだから。

 姜 そう。自己責任はある。

 坂中 しかし、責任論をいくら言っても問題の本質は明らかにされない。帰国者が北朝鮮で受けた前代未聞の処遇、世界に例のない迫害を加えた北朝鮮政府の所業を直視するべきだ。北朝鮮の現住民も帰国者を眼の敵にして排斥した。それも問題だ。

 姜 最も悪いのは金日成・金正日政権だ。北送50年の節目を期して、心ある在日コリアンは帰国者全員の解放を目指して立ち上がらなければならない。また、帰国者問題の本質を日本の内外に知らせることも課題だ。
統一日報2009.12.11
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=50571&thread=08 

①韓国はダメだが、北朝鮮はいい国だ
韓国民主化運動という赤化運動

②移民政策研究所
移民政策研究所
http://jipi.or.jp/
一般社団法人 移民政策研究所
人口崩壊の迫る日本は、移民革命に国運を賭けるしかない。(←破綻済の人口デフレ論ですか呆
「観光立国は移民立国につながる」(←対馬は仏像盗まれたんですが責任とっていただけます?
「観光立国」から脱却しよう

③脱北帰国者の支援は将来の禍根にしかならないので即刻やめるべきである
例)密入国の済州島難民の息子が反日活動家に
辻褄が合わないのは仕様です 
日本は日韓基本条約において韓国を「朝鮮半島唯一の合法政府」として締結したのであって彼らの処遇は韓国政府の責任であり日本には一切ない

④巨額の身代金を送っている商工人
北朝鮮から勲章をもらったモランボン創業者全演植氏
モランボンは北朝鮮企業 
市民の党が事務所にしていた龍伸ビル所有の具次龍氏などが典型例であろう
「東アジア共同体」と斎藤まさし
ジンギスカンだるま 脱税&不正送金&北朝鮮から勲章 

⑤在日コリアンの中には生活保護受給者や共産主義者が多かった
吉田茂=マッカーサー往復書簡 
60余年前にとうに結論は出ていたわけである

参考
北送阻止隊 (残念ながら動画は削除されている(/_;) 
北朝鮮帰国問題の背景1 帰国運動の目的 
北朝鮮帰国問題の背景2 「人質」になった帰国者 
北朝鮮帰国問題の背景3 「帰国事業」に日本はどう関わったか 

個人的に大変興味深かったのでしんぶん赤旗(2002.11.23)よりコピペ

北朝鮮問題

「反省」すべきは公明党ではないのか

 北朝鮮による拉致事件という重大問題を利用した、公明党の党略的な反共攻撃にたいしては、本紙10月19日付の見開き特集で、事実にそくして反論しました。これにたいして、公明新聞10月29日付が「なぜ日本共産党は過去の過ちを認めないのか 拉致、帰国事業などで見苦しい自己弁護」と題する見開き特集をのせています。そこで、「過去」の北朝鮮との関係で真に「反省」すべきはどちらの党か、あらためて事実に照らして検証しておきます。(肩書はいずれも当時)

問題は、北朝鮮が国際的な無法行為をすすめた時期にどういう立場をとったか、にある
 今回の公明新聞特集は、本紙の特集が一九七〇年代以降の公明党と北朝鮮との関係を問題にしたのにたいして、六〇年代の日本共産党と朝鮮労働党との友好関係を問題にすることで相打ちにしようとしています。

 しかし、問われているのは、それぞれの党と朝鮮労働党との友好関係がどういう時期におこなわれたかです。北朝鮮が国際的に問題になっている無法行為を犯したときに、その問題には抗議せず、「友好関係」を続けていたとすれば、それは無法への「迎合」にほかなりません。

日本共産党--
道理があれば共同に努力
無法行為はきびしく批判
 日本共産党についていえば、北朝鮮との関係は、一九五九年二月の日本共産党代表団(宮本顕治書記長)の初訪朝以来一九六〇年代後半まで、友好関係が続いていました。この時期は、問題になるような北朝鮮による国際的無法行為があらわれていなかった時期です。朝鮮労働党も国際活動の分野では、比較的まともな態度をとっていました。

 本紙十月十九日付特集でも明らかにしたように、朝鮮労働党は、ソ連が一九六〇年代前半、日本共産党を破壊するために、ソ連追従の志賀一派を手先として乱暴な干渉をおこなったときには、この干渉に公然と反対する立場を鮮明にした数少ない党の一つでした。六六年、日本共産党の代表団が、中国、ベトナム、北朝鮮の三カ国を訪問したときも、アメリカのベトナム侵略反対の国際統一戦線を推進する点で、共通の立場を確認しました。六七年、中国で毛沢東派が「文化大革命」をとなえ、当時、北京にいた二人の日本共産党員に暴行を加えたとき、両氏の帰国のさい、迎え入れて援助したのも、朝鮮労働党でした。

 ところが北朝鮮は、六七年の終わりごろ、北から南に武力介入する「南進」のくわだてを露骨にし、六八年一月には韓国の大統領官邸のある青瓦台を「武装遊撃隊」に襲撃させました。こうした下で日本共産党は、自主独立の立場から、六八年八月~九月、宮本顕治書記長を団長とする五人の代表団を北朝鮮に送り、「南進」の企ての危険性と有害性を率直に指摘、金日成指導部の対外政策の誤りを正す努力をつくしたのです。

 この時、金日成は、両党会談で、北朝鮮には「南進」の意図はないことを言明し、それ以後、韓国での「遊撃隊」活動も下火になって、問題は一応解決されました。しかし、この時期以後、北朝鮮の国際舞台での活動には、異常な問題が目立つようになりました。その一つが、七〇年代の初頭に始まった、金日成個人崇拝を国際的に押しつけようとする企てでした。日本共産党は、金日成個人崇拝の押しつけに反対したのをはじめ、八〇年代に入ってからのラングーン爆弾テロ事件、公海上の日本漁船銃撃事件、大韓航空機爆破テロ事件など、北朝鮮のかかわった国際的な無法行為にたいして、きびしい批判をくわえてきました。そのために、日本共産党と北朝鮮の関係は、八三年から今日まで、断絶したままです。

 拉致事件も、この時期に起きたことでした。北朝鮮とのかかわりは最初の段階では明らかでありませんでしたが、日本共産党国会議員団は、一九八八年、大韓航空機爆破事件に関連して拉致被害者の存在が問題になってきたことを契機に、各地での行方不明事件そのものの調査をおこない、北朝鮮による拉致事件という疑惑があることを明らかにして、国会で取り上げ、政府にその疑惑を認めさせました。

 このように、日本共産党は、自主独立の立場にたって、北朝鮮にたいしても、共同すべき道理のあるときには共同の態度をとり、間違いをおかせば堂々とそれを批判し、無法行為にたいしてはこれを追及する、こういう活動をすすめてきたのです。

公明党--
金日成個人崇拝に迎合
無法行為の批判も回避

 これにたいして公明党は、北朝鮮が金日成崇拝を顕著につよめた七〇年代以降、北朝鮮との関係をつよめ、無法行為への批判もできるだけ回避する態度をとってきました。

 その出発点となったのが、竹入委員長を団長とする一九七二年の公明党訪朝団です。このときの北朝鮮との共同声明では、「公明党代表団は朝鮮人民が敬愛する金日成(キム・イルソン)首相のチュチェ思想を指針として、千里馬(チョンリマ)の勢いで駆け社会主義建設で大きな進歩をとげたことに対し祝賀した」と、金日成個人崇拝体制を礼賛しました。この共同声明はその後の公明党と北朝鮮との関係の基調となりました。

 八〇年代のラングーン爆弾テロ事件や大韓機爆破テロ事件では、事件からほぼ一年や二年たってから「批判」を口にしたり、北朝鮮の犯行をやっと認めたりといった回避ぶりです。日本漁船銃撃事件では事実上北朝鮮の立場を弁護する国会質問をおこなっています。

 拉致問題でも、公明党は日本共産党の橋本議員の質問で拉致実行犯容疑者であることが明らかになっている辛光洙をふくむ韓国大統領あて釈放要望書に公明党議員六人が署名するなど、拉致疑惑追及に逆行することまでおこなっています。

 このように公明党は、一九七二年から金日成個人崇拝に迎合し、無法行為への批判も回避してきたのです。

公明党の日本共産党非難のこっけいさ
在日朝鮮人の帰国事業への支援は「犯罪」だったか
 公明党が持ち出している日本共産党非難は、こっけいきわまるものです。
 それは、日本共産党が在日朝鮮人の「帰国事業」に協力し、北朝鮮の「犯罪」を擁護した、というものです。これほど、ばかげた非難はありません。

赤十字国際委員会の勧告で始まった帰国事業
 第一に、在日朝鮮人の帰国問題は、一九五六年に赤十字国際委員会が日本、北朝鮮、韓国の赤十字と政府に送ったよびかけの覚書から始まったもので、基本的人権と人道にかかわる問題です。

 もともと在日朝鮮人の多くは、戦前の日本の植民地時代に強制的に朝鮮半島から日本に連れてこられた人たちです①。日本の敗戦によって朝鮮半島は三十八度線を境に南北に分断され、在日朝鮮人は韓国とは往来ができても、北朝鮮には行くことができませんでした。当時、韓国は軍事独裁政権下でひどい経済的混乱と圧制にあり、在日朝鮮人は帰国を見送ることを余儀なくされていました。

 朝鮮戦争後、日本政府の北朝鮮敵視政策によって、帰国がますます困難となるなかで、一九五六年には、赤十字国際委員会の帰国事業についての勧告があり、一九五八年八月には、在日朝鮮人の間で、北朝鮮への帰国運動が展開されるようになりました。九月には北朝鮮政府も受け入れを表明しました。

 日本国民も世界人権宣言の「自国に帰る権利」を支持する立場から超党派で在日朝鮮人帰国協力会を十一月十七日に結成。この会には、岩本信行・自民党衆院議員、小泉純也・自民党衆院議員(小泉首相の実父)、山本熊一・日朝協会会長、鳩山一郎元首相、浅沼稲次郎・社会党委員長、宮本顕治・日本共産党書記長なども参加していました。日本共産党も在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業を「人道上の立場」(一九五八年十一月二十三日第三回中央委員会総会での「在日朝鮮人の帰国を支持する決議」)からその実現を支援。

 こうした運動の前に、帰国事業は五九年十二月から、日本政府の了解のもと、日朝両国の赤十字が主体となって実施の運びとなったのです。

 公明党は、この帰国事業の支援活動にくわわったということで、日本共産党を「犯罪」者よばわりしようというのです。いったい、帰国事業を最初に呼びかけた赤十字国際委員会も、帰国事業の主体となった日本赤十字社も、在日朝鮮人帰国協力会に参加した、自民党の鳩山一郎氏、小泉純也氏ら多くの保守政治家なども在日朝鮮人を「凍土の地獄」へ送った“主役”だというのでしょうか。

 第二にこっけいなことは、公明新聞が、公明党や創価学会自身が、この帰国事業の賛成者であった事実を、どう説明するのでしょうか。

創価学会、公明党の帰国事業賛成をどう説明
 帰国事業が最初に問題になった一九五〇年代には、公明党はまだ生まれていませんでしたが、創価学会の幹部は、東京都議会に参加していました。そして、五八年十二月に都議会が決議した「在日朝鮮人帰国促進に関する意見書」では、当時、創価学会理事長だった小泉隆都議も提出者の一人となっていました。

 また、帰国事業がいったん打ち切られ、その再開が問題になった一九七〇年には、国会で、公明党議員が「人道的立場」から帰国事業の促進を要請する質問をおこなっています(沖本泰幸衆院議員、七〇年四月十三日、衆院運輸委、内閣委、地方行政委、法務委連合審査会)。

 公明党の言い分によれば、一九五八年に都議会で創価学会がとった行動も、一九七〇年に国会で公明党がとった行動も、すべて北朝鮮の「犯罪」に加担して、在日朝鮮人を「凍土の地獄」に送りこむ行動だということになるではありませんか。ありもしない「罪」を日本共産党になすりつけようとして、帰国事業への協力を「犯罪」呼ばわりした結果、自分で自分をぶんなぐるというこっけいなことになってしまったのです。

 今の北朝鮮と一九六〇年代の北朝鮮を同じ状態に見立てて、人道的な事業を「犯罪」扱いするようなばかげたことは、もうやめたらどうでしょうか。

金日成個人崇拝への迎合が出発点(72年)

 北朝鮮では、一九七〇年代にはいると、金日成個人崇拝が顕著に強められました。それと同時に、元北朝鮮外交官・高英煥氏の証言(九二年)で明らかにされたように、七〇年代はじめごろから、金日成の指示によって“日本共産党は、マルクス・レーニン主義の道からはずれ、時代の流れに反する、国際的に受け入れられない組織になった。今後は、日本共産党との関係を清算して、日本社会党との提携に転換しなければならない”という外交方針を採用しました。

 公明党の北朝鮮訪問は、金日成個人崇拝の強まりのなかで、それに迎合しない日本共産党を排除して、社会党などをとりこもうという動きにそうかたちでおこなわれたのです。

訪問団を派遣
 公明党は七二年五~六月、北朝鮮訪問団(団長・竹入義勝委員長②)をはじめて派遣しましたが、この訪問自体が金日成礼賛への迎合を一貫した基調としたものでした。

歓迎集会で
 七二年六月二日、平壌でおこなわれた「公明党訪朝団歓迎市民集会」では、竹入委員長があいさつ。「私たちは昨夜、この国を解放し、この国を本当に廃虚の中から革命思想によって立ち上がらせた、皆さまの敬愛する金日成首相にお目にかかり、対日友好にあふれた雰囲気の中で親しく懇談することができました」とのべました(公明新聞七二年六月四日付)。

共同声明で
 さらに七二年六月六日、公明党代表団が北朝鮮の「朝鮮対外文化連絡協会」とむすんだ「共同声明」には「公明党代表団は朝鮮人民が敬愛する金日成(キム・イルソン)首相のチュチェ思想を指針として、千里馬(チョンリマ)の勢いで駆け社会主義建設で大きな進歩をとげたことに対し祝賀した」と、はっきり書かれています(七二年六月七日付)。

 公明新聞は最近の特集(十月二十九日付)で、「だいたい、公明党が『金日成の個人崇拝に迎合する共同声明』など、出すわけがない」「『朝鮮人民が敬愛する金日成首相』と、あくまでも『朝鮮人民が』とことわっている」などといっていますが、言い訳にもなっていません。金日成に「朝鮮人民が敬愛する」というまくら言葉をつけたこと自体、金日成個人崇拝への迎合そのものです。しかも「チュチェ思想」とは、金日成の言動を唯一絶対のものとし、それへの無条件服従を人民に強要する思想体系です。それを持ち上げた「共同声明」が、金日成個人崇拝への迎合以外のなにものでもないことは明白です。

 これにたいして日本共産党は、北朝鮮が金日成個人崇拝を他国に押しつける動きを顕著に強めた七二年当時、いち早く相手国の指導者の崇拝運動、指導者の誕生日などにかんする行事への協賛や礼賛などの日本へのもちこみを批判していました。

ラングーン事件(83年)
日本漁船銃撃事件(84年)にたいして
 一九八〇年代にはいると、北朝鮮は国際的な無法行為を相次いでひきおこしました。

ラングーン
 八三年十月九日、ビルマの首都ラングーンで韓国全斗煥大統領一行が爆弾テロにあい、韓国とビルマの高官二十一人が死亡しました。ビルマ政府は十一月四日、テロが北朝鮮の工作員三名のしわざだと発表。日本共産党は、その日のうちに「テロは断じて共産主義運動の態度ではない」(宮本顕治議長)と批判し、以後、一連の見解を発表しました。

 これにたいして在日本朝鮮人総連合会傘下の日本語新聞「朝鮮時報」(十一月二十八日付)は、「謀略に同調する行為」だとして日本共産党に非難をくわえました。党は、論文「『朝鮮時報』の日本共産党非難に反論する」(「赤旗」十二月八日付)を発表し、北朝鮮の司令官や参事官の氏名まで具体的にあげた供述調書を「噴飯もの」とする「朝鮮時報」の主張をきびしく批判しました。この事件以降、日本共産党と朝鮮労働党との関係は断絶しました。

「不幸な事件」というだけ(公明党委員長)
 一方、公明党は、公明新聞八三年十月十六日付「主張」で「ビルマ政府は…犯人の国籍については朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)であるか否かも含め、明確にしていない」「事件の真相は、まだ今後の捜査を待つしかないであろう」とのべていました。

 しかしその後、ラングーン地方裁判所は十二月九日、実行犯である北朝鮮の二人の軍人に死刑判決を言い渡しましたが、公明党は「不幸な事件」(八四年一月二十五日、竹入委員長)とよぶだけでした。

 事件からほぼ一年たって、公明新聞は「われわれもこれを、平和統一を妨害する有害なものとして批判したことはいうまでもない」(八四年十月二十一日付)とか「国際的な政治犯罪に対してはわれわれも強い批判を加えてきた」(八四年十一月三日付)と最初から批判していたかのようです。

北朝鮮が一方的に設定した「軍事境界線」
漁船銃撃
 八四年七月二十八日、公海上で操業していた石川県のイカ釣り漁船「第36八千代丸」が北朝鮮警備艇の銃撃をうけて拿捕(だほ)され、船長が死亡しました。これは、北朝鮮が国際法を無視して一方的に設定した「軍事境界線」内に漁船が侵入したとして、銃撃・拿捕したものでした。

 日本共産党は八月三日、立木洋国際部長が「朝鮮の漁船銃撃事件は国際法上も不法行為である」と題する党見解を発表して北朝鮮を批判、「軍事境界線」の不当性を指摘しました。これにたいして朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は、日本共産党の見解を「不当ないいがかり」「内政干渉」などと中傷し、日本漁船銃撃を当然視する態度をとりました。党は、論文「人道も国際法も無視する立場の自己暴露―『労働新聞』の日本共産党攻撃にたいして」(「赤旗」八月十六日付)、「『労働新聞』の乱暴な覇権主義の論法」(同九月二十七日付)で、北朝鮮側の主張を全面的に論破しました。

国会でも日本の責任だけを追及
 一方、公明党・国民会議の和田教美参院議員は、国会質問で「(北朝鮮の)経済水域ですけれども、……現在は漁業協定が失効しておりますから、当然法律的に見ると向こうの方に分があるといいますか、そういうことだろうというふうに言われておる」とのべ、北朝鮮の無法を事実上弁護しました(八四年七月三十一日、参院外務委)。

 武田一夫衆院議員も、日朝民間漁業協定の失効後、北朝鮮当局による拿捕・銃撃事件が増えていると指摘したうえで、「軍事境界線」は不問に付したまま、「民間協定が失効している、その間の対応について、私はやはり関係漁船あるいは組合等々にしかるべききちっとした指導やあるいはまた監督、警戒の態勢を十分にやっておくべきでなかったのか」と、日本政府の責任だけを追及しています(八四年八月二日、衆院農水委)。

北朝鮮を「安定した発展」と(公明党副書記長)
 八七年十二月十五日、朝日友好促進親善協会の金寿萬書記長ら同協会代表団が公明党を訪問。公明党からは、塩出啓典副書記長(参院議員)、神崎武法副書記長・国際局長(衆院議員)らが出席して懇談しました。

 席上、塩出氏は、北朝鮮と公明党との友好関係を語った上で、「(北朝鮮が)安定した発展を遂げてきたことをうれしく思うとともに、朝鮮半島が平和的統一を果たすよう心から願っている」と強調しています(公明新聞八七年十二月十六日付)。

 公明党は、八〇年代後半、北朝鮮を「凍土の地獄」どころか、「安定した発展」と評価していたのです。

公明新聞北朝鮮外交
1972年に訪朝した公明党代表団と北朝鮮の対外文化連絡協会との共同声明を報じる公明新聞72年6月7日付

大韓航空機爆破事件(87年)
拉致問題・辛光洙事件(88・89年)にたいして

 八七年十一月二十九日、韓国の大韓航空機がビルマ上空で、時限爆弾によって爆破されました。翌八八年一月十五日、韓国当局から、事件の実行犯は北朝鮮の秘密工作員だったという衝撃的な事実が発表され、記者会見に同席した北朝鮮工作員・金賢姫は、金正日の指示をうけて爆発物をしかけたことを具体的に証言しました。

 日本共産党の宮本顕治議長は、一月二十二日、韓国当局の発表や生き残った金賢姫の犯行告白などをふまえ、北朝鮮による犯行は明らかだときびしく批判しました。

政府の断定後も「重大疑惑」というだけ(公明党国際局長)
 日本政府も一月二十六日に北朝鮮の犯行と断定します。公明党も同じ日に神崎武法国際局長の談話を発表しますが、北朝鮮の犯行を「重大な疑惑」というだけでした(公明新聞一月二十七日付)。公明新聞が大韓機爆破事件を「北朝鮮工作員」の犯行と書くようになるのは、金賢姫証言から二年半もたってからでした(九〇年十月十二日付)。 

赤旗大韓機爆破事件
大韓機爆破事件は北朝鮮の犯行であることは明らかだと言明した宮本議長(当時)の発言(1月22日)を報じる1988年1月24日付の「赤旗」 
 拉致釈放署名公明党2拉致釈放署名公明1
「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」と題する韓国大統領あて要望書の公明党議員6人の署名

六人の公明党議員が拉致実行者の釈放を要望
 北朝鮮による日本人拉致事件が問題になったのも、この時期のことです。

 八八年三月、日本共産党の橋本敦参院議員③は、七八年に福井、新潟、鹿児島で相次いで発生した男女失踪事件を国会質問でとりあげ、大韓機爆破事件の実行犯の金賢姫証言などを示して追及。これにたいし梶山静六国家公安委員長は「一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます」と答弁し、日本政府として初めて北朝鮮による拉致疑惑を公式に認めました。

 橋本質問では「辛光洙(シン・グァンス)事件」もとりあげました。これは、行方不明になった大阪の中華料理店員・原敕晁(はら・ただあき)さんになりすまして韓国に潜入した、北朝鮮の工作員・辛光洙が八五年に韓国政府に摘発された事件です。橋本質問に日本政府は「不法に侵入した北朝鮮の工作員であろう」(城内康光・警察庁警備局長)と認め、共犯者の金吉旭が「四十五歳から五十歳の独身日本人男性と二十歳代の未婚の日本人女性を北朝鮮へ連れてくるようにという指示を受けていた」(同)と答弁。橋本議員は「事実とするならば、恐るべき許しがたい国際的謀略」と批判しました(八八年三月二十六日、参院予算委)。

 驚くべきことに、八九年七月、公明党・国民会議の国会議員六人は、来日する韓国の盧泰愚大統領あてに提出された「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」と題する要望書に署名しています。その政治犯のなかには、辛光洙容疑者と金吉旭容疑者がふくまれていました。「辛光洙事件」が国会で問題になってわずか一年後に、公明党は、日本人拉致実行容疑者の釈放を「要望」していたことになります。署名した六人とは、鳥居一雄、小川新一郎、西中清(以上衆院議員)、猪熊重二、和田教美、塩出啓典(以上参院議員)の各氏です。

91年にも「両党関係を一層深める」ことを確認
 大韓機爆破事件や「辛光洙事件」への北朝鮮工作員の関与が明らかになった後も、公明党はこれらの問題を不問に付したまま、朝鮮労働党との友好をすすめます。

 八九年一月二十七日、朝鮮労働党代表団の金養建団長(党中央委副部長)ら一行が社会党の招待で来日したさい、公明党本部を表敬訪問。応対した大久保直彦書記長は、朝鮮労働党が「自主的、平和的な朝鮮統一に努力していることに深く敬意」を表明しましたが、大韓機爆破事件への言及はみられません(公明新聞八九年一月二十八日付)。

 九一年二月二十六日には、自民・社会両党の招へいで来日した朝鮮労働党代表団(代表・金容淳書記)④が公明党を訪問し、石田幸四郎委員長(衆院議員)と会談。会談では「両党間の関係を一層深めていくことで一致した」と報じ、北朝鮮側は公明党代表団の訪朝を招請しました(九一年二月二十七日付)。

 会談直後の公明新聞の「主張」はこうのべています。「公明党と北朝鮮との関係は、十九年前の七二年(昭和四十七年)五月、竹入義勝委員長(当時)を団長とする代表団が初めて北朝鮮を訪問したことに始まる。訪朝団は金日成主席とも会談し、相互の人民の間の理解・友好関係を深めることに大きな役割を果たしたのである」(九一年三月二日付)。

 九四年七月八日、北朝鮮の金日成主席(朝鮮労働党総書記)が死去しました。公明党の石田幸四郎委員長は九日、金正日書記あてに次のような弔電を送りました。

 「金日成閣下の突然のご逝去の報に接し、深い悲しみに堪え難く存じます。日本国公明党を代表し金正日閣下をはじめ朝鮮民主主義人民共和国の全人民に衷心より深甚の哀悼の意をささげるものであります。私ならびに公明党は変わらぬ両国関係の発展を目指し微力を尽くす所存であります」(九四年七月十日付) 

公明新聞金正日祝電
公明新聞1997年10月10日付

最近5年間でも同じ態度(97年以降)
 九七年二月、北朝鮮から亡命した元工作員・安明進(アン・ミョンジン)⑤の証言から、七七年に新潟で失踪(しっそう)した女子中学生の横田めぐみさんは北朝鮮に拉致されたのではないか、とマスコミで大きく報道されました。これをきっかけに、三月二十五日に「『北朝鮮による拉致』被害者家族連絡会」が結成され、翌日の記者会見で公表されました。四月十五日には日本共産党をふくむ超党派国会議員による「北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟」が結成され、政府も北朝鮮に拉致された疑いのある日本人は「七件十人」(九七年五月一日、参院予算委)と発表するに至ります。

「金正日閣下の指導体制の下でのご繁栄」と「公明」代表祝電
 北朝鮮による日本人拉致疑惑に国民の関心が高まるなか、公明党は北朝鮮との友好関係をいっそう強めていきます。

 九七年十月九日、金正日の朝鮮労働党総書記就任にあたっては、「公明」の藤井富雄代表(現・公明党常任顧問)が次のような祝電を送りました。

 「建国の父、故金日成閣下の《を継承され、金正日閣下の指導体制の下でのご繁栄が、極東アジアひいては国際の平和と安寧に寄与されんことを願います」(公明新聞九七年十月十日付)。

 公明新聞は、最近この藤井代表の祝電について「個人崇拝でも何でもない」(二〇〇二年十一月十四日付)などといっていますが、肝心の「建国の父、故金日成閣下の《を継承され、金正日閣下の指導体制の下でのご」までの部分は引用せずに、「(北朝鮮の)繁栄が、極東アジアひいては国際の平和と安寧に寄与されんことを願います」と改ざんしたうえでいっていることです。

 北朝鮮が金日成時代の一九七〇年代から異常な個人崇拝の「指導体制」下にあり、金正日総書記就任はまさにその個人崇拝の「指導体制」を継承したものです。それでもあえて「金正日閣下の指導体制」とうたったこの祝電が就任祝いの「儀礼」をもこえて、金正日個人崇拝の「指導体制」をたたえたものであることは明白です。

00年8月「公式訪問団を派遣したい」と神崎代表
 二〇〇〇年八月には、東順治衆院議員(現・国会対策委員長)を団長とする「公明党有志訪朝団」が北朝鮮を訪問しました。この時の福岡県議の北原氏の手記には、「十一日、平壌の人民文化宮殿で行われた会談の席上、東団長が『近い将来、公明党の公式訪問団を派遣したい』とする神崎武法代表の伝言を伝えたところ、宋会長は即座に反応した。『公明党の公式訪問を心から歓迎する。訪朝はいつになるのか』」と記されています(二〇〇〇年八月十八日付)。

 ことし八月三十日、小泉首相の北朝鮮訪問決定について、神崎武法代表は、「首相の訪朝を歓迎したい。公明党は独自の訪朝団(二〇〇〇年八月)を派遣して、(国交正常化に向けた)環境づくりに努めてきたので大変うれしく思っている」と評価しました(八月三十一日付)。

三十年間一貫する北朝鮮への迎合姿勢
 公明新聞の特集記事は、「共産党は……公明党としては公式のたった一度の72年訪朝団が北朝鮮と交わした共同声明を鬼の首でもとったように取り上げ」と非難しています。しかし、これまで見てきたように公明党は七二年の訪朝団いらい三十年間にわたり、北朝鮮の個人崇拝体制に一貫して迎合してきたのが実際です。

 そして公明党は、日朝首脳会談の直前までは、二〇〇〇年の「独自の訪朝団」派遣などの同党と北朝鮮との関係を、国交正常化に向けた「環境づくり」として“手柄話”にしようとしていたことがわかります。

 ところが、九月十七日の日朝首脳会談で拉致事件の衝撃的な事実が明らかになると、公明党は、手のひらを返したように北朝鮮を「凍土の地獄」とよびだし、帰国事業や拉致事件を利用して党略的な日本共産党攻撃をくりひろげはじめたのです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-11-23/14_0401.html 

①「もともと在日朝鮮人の多くは、戦前の日本の植民地時代に強制的に朝鮮半島から日本に連れてこられた人たち」と言ってる時点で事実誤認もはなはだしく、自分から見ると共産党も公明党もどっちもどっちなのだが、
公明党がこんなに北朝鮮擁護とは率直に意外に思う

②竹入義勝氏といえば日中国交正常化
中南海の100日p83
 『中南海の100日:秘録・日中国交正常化と周恩来』
p83
 野党の中では社会党に続いて、代表団を送って日中国交正常化に積極的に取り組んだのは、公明党であった。特に、委員長である竹入義勝がいち早く日台条約の破棄を打ち出したことを、中国は高く評価していた。

③日本共産党の橋本敦参院議員
橋本敦参院議員がはじめて国会で拉致問題を取り上げてくれた

④朝鮮労働党代表団(代表・金容淳書記) 
金容淳書記のこと 

⑤元工作員・安明進(アン・ミョンジン) 
亡命工作員の語る対南工作1 
 亡命工作員の語る対南工作2 

有田芳生ツイッター韓国観光公社
https://twitter.com/aritayoshifu/status/401500864214355968

有田先生には批判的な拙ブログのリンクをよく貼ったなあとお思いになるでしょうけど実は

統一協会食口ブログ画面
http://ameblo.jp/w-kazoku/entry-11695340136.html
(ブログ主さん取り上げて下さってありがとうございます(ー人ー))

こちらのブログからのアクセスが
有田先生のツイートより早い時間から始まっているので
こちらが元ネタでリンク先の拙ブログは適当にしか確認せず貼った(あるいはコピペした)のではないかと
拝察する次第でございます

有田芳生先生のツイート内容はどこかに元ネタが存在する疑惑が出てまいりました

小野寺まさるユニセフツイート1
小野寺まさるユニセフツイート2
小野寺まさるユニセフツイート3
今日は何故か「日本ユニセフ協会」に関するメールが幾つも来たが、どうしたのだろう?僕が道議会でこの団体を追及してきたからか?その中で団体に「杜撰な決算処理」や「外国に運ばれていた“東日本大震災時の企業からの援助物資”の存在」等々も認めさせた。この団体は「偽善の募金ビジネス集団」だ!
https://twitter.com/onoderamasaru/status/400639869870821376

羽根系を含め“募金”でマトモなものは殆ど無い!見るからに怪しげな方々が良く街角で募金活動をしていますが、多くはあれと似たり寄ったり…本当は「募金ビジネス」では無く「募金サギ」と言いたい位です… 
https://twitter.com/onoderamasaru/status/400681990896111616

日本ユニセフ協会は「募金の8割を国連のユニセフに送る」との契約でマーク等の使用許可を得た“単なる任意団体”だが、国連のユニセフであるかの様に振る舞い年間150億円以上の募金を集める。約2割の30億円の泡銭を懐にし、企業の支援物資と購入物資を明らかにしない等…不思議過ぎる団体だ!
https://twitter.com/onoderamasaru/status/400756426689114112

国は一度、全“募金団体”を調査すべきである。十字マークも羽根系も国連風味の団体も全てだ。ある団体の募金の使途先は自らの関連組織のことがあり、別の募金は天下り公務員の給与になり、キックバックのある募金もある。使途先が中国の募金もあり、不明朗な決算の団体も…これは上記の団体の話だ。
https://twitter.com/onoderamasaru/status/400765867824144384

単なる任意団体に政治家や色々な方々が群がり公益財団法人になってしまった団体です。
https://twitter.com/onoderamasaru/status/400766794664652801

実は募金目的の為なら、どう散財しても良いのです…例えば、日本ユニセフ協会は東日本大震災時、物資は殆ど生協から買い、また仕入単価も異常でした(牛乳1L 170円) 
https://twitter.com/onoderamasaru/status/400769880661561345

東日本大震災の募金では、日本ユニセフ協会は生活支援物資の殆どを“生協”から調達をしていた。しかも仕入価格は異常に高く、又「可能な限り被災地に近い業者から物資を購入する」との意図は欠片も無かった。因みに、日本ユニセフ協会の各地区の支部の事務所はその殆どが全国各地の“生協”内にある
https://twitter.com/onoderamasaru/status/400778471367901184

日本ユニセフ協会の役員には“某宗教法人”の幹部の方々の名前がある。この団体の性格上、そもそも“一つの宗教”の幹部が何名も役員に名を連ねていること事態が不自然だ。団体は…皇室を巻き込み、皇室に近い者を利用し、政治家を取り込み 、経済界に擦り寄り、メディアを手懐け…と、かなり手強い。
https://twitter.com/onoderamasaru/status/400791145195638785

憲法にある思想信条の自由だけを叫び、政教分離にはダンマリ…では、都合が良すぎると思いませんか?宗教法人への課税等、国が宗教法人に対し毅然とした姿勢を示す時期に来ていると思います。
https://twitter.com/onoderamasaru/status/400796472242749440 

日本ユニセフ協会は、東日本大震災時に複数の企業から相当な量のミネラルウォーターを支援物資として受けとりながら、何故か震災の募金からも相当なミネラルウォーターを購入していた。そこで「支援物資の量と購入量、その配布先は?」と公式に質したが団体の答えは「お教え出来ない」…僕は驚愕した。
https://twitter.com/onoderamasaru/status/400801353053650945

日産は日本ユニセフ協会に東日本大震災の支援物資として作業車を提供した。しかし震災の報告書にはその車についての記載が無く、この点を質した際の団体の答えは「当該車両は日本の公道を走行出来ない特殊車両であり、外国で使用している」…日産が国内で走れない車両を支援物資にしたというのか…。
https://twitter.com/onoderamasaru/status/400807942540128256

日本において“思想・信条の自由”や“個人の権利”は保障されて然るべきだ。しかし、それが日本国や国民の不利益になる様な思想や権利であれば話は変わってくる。昨今はこの部分の認識を曖昧にしたまま議論が行われている。そもそも、日本国憲法が「国益の損失」を是として存在する筈は無いのだ。
https://twitter.com/onoderamasaru/status/400818551268716544

参考
鳩山・ユニセフ・創価・中共 
石橋昌子(鳩山祖母)

日本を貶めようとする悪意 映画「闇の子供たち」 ←実話風侮日映画(原作は梁石日氏の小説)
子どもの権利条約と朝鮮学校無償化 ←日教組と批准キャンペーンしたのは朝鮮学校無償化のため
孫正義氏の義援金1 

追記2013.11.19 
ぴろり2ちゃんねるさんから
http://pirori2ch.com/archives/1785592.html
日本ユニセフ協会と黒柳徹子
457:名無し募集中。。。:2013/11/18(月) 20:50:18.56 ID:0
>>446
日本ユニセフの活動は1977年からだったが、まともに機能してなかった。
1979年でせいぜい1億の募金程度。
1984年に黒柳徹子がユニセフ本家の大使になってから巨額の金が動くようになった。
これまでにお世話になった方々もいるし、途中で消えてゆく経費もあるから、それはできません、
って黒柳徹子が断ると「我々を舐めない方がいい」って脅したのは有名は話だよ。

そのあとに「日本ユニセフ」が親善大使だかって、珍妙な立場と名称で担ぎだしたのがアグネス。

一時は完全に日本ユニセフに押されてな。本家本元で自腹切って活動続けてきた黒柳徹子が
「最近、募金は全部、あっちに行っちゃってね」って自分の番組で寂しそうに話したのが印象的だった。

ネットがなかったら、今もアグネスとその夫(在日朝鮮系)フジの関係者はやりたい放題だっただろう。 

これはコメントなので真偽のほどは定かではないのだが
後から出てきて元ある団体に便乗するのがあしなが育英会によく似ているので気になった
胡散臭いあしなが育英会  

追記2013.12.30
日本ユニセフ協会 協定地域組織一覧(一部)
日本ユニセフ協会・地方組織
http://www.unicef.or.jp/partner/partner_ichi.html 
確かに生協の住所が並んでいますね 

参考
日本ユニセフ協会『闇の子供たち』の背後 



13.同胞見捨てた金大中政権と始まった救出運動

より一部引用 
p240~244
北朝鮮による拉致の目的
 日本政府は2002年現在、北朝鮮が8件11人の日本人を拉致し帰さずにいると認定し、北朝鮮政府に交渉している。一体北朝鮮は何のために日本人を拉致したのか。元北朝鮮工作員の安明進氏は1998年7月31日、次のような証言をした。
 
 拉致は1960年代からであったが、本格化するのは70年代中ごろからだ。74年金正日が後継者に選ばれた後まず手を伸ばしたのが資金、人事のすべてが優先的に回されている対南工作部門、三号庁舎だ。金正日は三号庁舎を掌握するために、74~75年にそれまでの工作活動を検閲し、その成果はゼロだったと批判した。そして、「工作員の現地人化教育を徹底して行え。そのために現地人を連れて来て教育にあたらせよ」という指示を出したのだ。その指示により、日本人をはじめとして韓国人、アラブ人、中国人、ヨーロッパ人が組織的に拉致された。自分はこのことを金正日政治軍事大学の「主体哲学」という科目の中で、金正日のおかげでいかに対南工作がうまくいくようになったかという例として学ばされた。

 ここで安明進氏が語っている「三号庁舎」とは朝鮮労働党の中央委員会直属の対南工作部署の総称である。「三号庁舎」は統一戦線部、35号室(対外情報調査部が改称)、対外連絡部(社会文化部が改称)、作戦部という朝鮮労働党の中央委員会直属の4つの部からなる。
 金日成は金日成の後継者としての地位を固めるとすぐ「三号庁舎」を完全に掌握し、1967年初めに開かれた対南工作部門幹部会議で自分の対南戦略について体系的に演説した。その金日正演説の中身を入手した。「三号庁舎」で長年勤務したあと韓国に亡命した元労働党幹部シン・ピョンギル氏が、ソウルで出版した『金正日の対南工作』の中で詳しく紹介しているのだ。
 その中で拉致に関係する部分を見ておこう。

 金正日は工作員の育成体系も変えなければならないと主張した。(略)特に南朝鮮などの資本主義社会に適応できるよう技術・生活習慣・言語風習をおしえなければならないというのだ。金正日は「工作員が現地化、敵区化されるよう教養体系を変えねばならない」と釘を刺した。

 ここで言う、「現地化、敵区化」には、外国人化と韓国人化の含まれていた。そして前者については次のように語られる。

 金正日は第三国迂回工作においては、工作員が外国人の身分で合法化しなければならないと主張した。日本に行けば日本人に、中国に行けば中国人に、カンボジアに行けばカンボジア人になり、言語・習慣・職業問題を合法的に解決できなければならないと強調した。金正日は現地人と同化できたならば、工作はいくらでも自由にできると付け加えた。

 また後者についてはこう語られる。

(直接韓国に侵入する工作員は)合法的な身分と職業を持ち、南朝鮮の人になりすまさなければならないという。(略)そのためには彼らに多様な職業技術を教え、南朝鮮化・現地化されることに努めなくてはならないと強調した。南朝鮮の歌を歌い、南朝鮮の喫茶店と飲食店・料理店にも自由に出入りし、旅館・ホテルの利用にも不自然さがないだけでなく、商売をしても難のないように現地適応教育を行うべきだと主張した。このような教育は短期間内に済む性質のものでないので、1~2年以上の長期教育を実施するべきというのだ。

 北朝鮮が1976年の金正日指示に従い進めた工作員の現地人化には、日本人化だけでなく、他の外国人に化ける活動もあった。78年にはレバノンで4人の女性が日本企業に就職させてやるとだまされて北朝鮮に拉致された。翌79年家族が便りがないことでおかしく思い騒ぎだした。するとそれを安心させるため監視付きでユーゴスラビアに出国した2人がすきを見て逃げ出し拉致の実態が明らかになった。レバノン政府は北朝鮮に残り2人の解放を強く求め、具体的経緯は不明だが残り2人もレバノンに帰国が許された。

 1996年、韓国情報部はフィリピン人に化けて韓国に入り長期間、「外国人」大学教授をしながら工作員活動を続けていた「三号庁舎」対外情報調査部工作員ガンスを逮捕した。また、98年12月韓国軍によって沈没された北朝鮮の半線背浮いていにはやはり長期間韓国でマレーシア人として活動してきた工作員が載っていたことが、船体を海中から引き揚げて調べた結果、判明した。

韓国人化教育の実態
 外国人化だけでなく、韓国人化のための工作員教育も着々と進んでいる。
 1996年韓国東海岸で座礁して発見された潜水艦に乗っていた乗務員と工作員らは、韓国軍軍服か韓国の若者が着るジーンズにスニーカーという服装で韓国に上陸した。彼らが身につけていた一部は、何と韓国が水害援助物資として北朝鮮に送ったモノだった。
 亡命した北朝鮮の大幹部、黄長燁元労働党書記は金正日が戦争を仕掛ける場合、韓国軍人に偽装した工作員を上陸させて彼らに軍事境界線を北上させて北朝鮮への軍事攻撃を行わせ、韓国が侵略してきたと国際社会に宣伝して開戦するというシナリオがあると暴露した。韓国人化教育を受けた多数の工作員の存在があってこその作戦だと言える。

p246
「以南化環境館」に関して、安明進氏は著書『北朝鮮拉致工作員』(徳間書店、1998年)の中で次のように実態を明らかにしている。
 
 当時、韓国の実情を教え込む教育会館は龍城区域新美里10号洞(「10号棟」と訳されているが、北朝鮮の地名であるため「洞」が正しいと思われる・西岡補)という場所にあったが、それはまさに巨大な一つの韓国社会だった。この教育会館は、またの名を「環境会館」とも言われていた。龍城区域の山野地下に10キロ以上もトンネルを掘って、そこに作られた巨大なセット(略)、そこは本当に華やかな宮殿のようだった。(略)その教育会館は長さ10キロ以上、幅30~40メートル、高さ4メートルにもなる巨大な洞窟で、中には韓国の街並みがそのまま再現されていたのである。(略)
 ちなみに韓国にあるものはほとんどそろっており、韓国社会そのものと言ってもよかった。警察署から小学校、中学校はもちろん銀行、スーパー、高級ホテル、ひいては退廃的な歓楽街までそのまま再現されていた。そこで学生の韓国人化教育に携わっている人々は、私が接してきた限りでも80名以上はいたと思うが、彼らはほとんどが韓国人化教育のために拉致されてきた韓国の人々だった。
 当初、そうした人たちがどういう経緯で北朝鮮にやって来たのかわからなかったが、やがて私はその経緯を耳にするようになる。すなわち北朝鮮当局は、必要と思えば手当たりしだいに韓国から人々を拉致してきたということだった。  

p265
 現在、対南工作担当の党中央委員会書記は金容淳①だが、彼は4部のうち統一戦線部のみを統括しており、他の三部は金正日が直接管轄している。
 統一戦線部は韓国で革命を起こすために各界各層への浸透工作を担当している。朝鮮基督教連盟などの北朝鮮内の宗教組織はこの部の傘下にあり韓国の宗教界への浸透工作を受け持っている
 35号室(対外情報調査部)は外国での情報収集とテロ活動を担当している。1987年11月にソウルオリンピックを阻止するために行われた大韓航空機爆破事件はこの部によるものだ。
 対外連絡部は韓国内への工作員の派遣や地下党建設など非合法活動を担当する。作戦部は他の部の工作員が韓国や日本に侵入する際の送り迎えを担当する。また、拉致もこの部の担当だ。安明進氏は作戦部所属だった。
 高英煥「朝鮮労働党の対南工作機関」 『現代コリア』1995年8・9月号参照

参考
よど号犯と拉致 
亡命工作員の語る対南工作1 
韓国の反日の裏にいる仏教団体・曹渓宗 ←朝鮮基督教連盟
金容淳書記のこと ←①

金容淳書記のこと朝日

【ワールドウオッチ】 
金容淳書記のこと

小菅 幸一(論説委員)

 朝鮮労働党の金容淳(キム・ヨンスン)書記が69歳で死亡したという朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の報道を聞いて、すぐに92年3月31日の光景が思い浮かんだ。

 平壌郊外の、現地では「招待所」と言っている瀟洒な迎賓館である。取材団の一員として、筆者は当時の金日成(キム・イルソン)主席との会見の末席にいた。

 「わが国は今や『水の持ち主』になった。大同江の上流部を合わせると80億トンの貯水量となる。農業用水として十分だ」

 話は水不足対策の取り組みに及び、主席は野太くしゃがれた声で冗舌にしゃべり続けた。

 「このほかにも、全国に大小合わせて、貯水池を、えー……」と、主席が少し言いよどんだ瞬間、
「1700でありますっ」という、素っ頓狂に大きな声が響き渡った。

 驚いて、メモの手を止めて声の方に目を向けると、主席の横の椅子に腰掛けていた金容淳書記が直立不動の姿勢をとっているではないか。すかさず数字を代弁したのだ。

 キムチの話が出てきた時も、書記は「家で漬けたキムチは春には酸っぱくなりましたが、今は工場で科学的に作るので、酸っぱくなりません」と、これも突っ立ってしゃべった。
主席は、そんな光景は当たり前、といった風である。「金王朝」の一端を見た思いがした。

 その頃の金容淳氏は、というと、84年に党書記になり、程なく解任されたと推測されるが、90年5月に国際担当の党書記に選出された。その年の9月、日朝関係の大きな転機となった金丸・田辺両氏による自民・社会両党訪朝団との会談を労働党側代表としてこなし、国交正常化交渉開始を両国政府に勧告するとともに、日本の植民地支配についてだけでなく「戦後の償い」をも盛った3党共同宣言に署名した

 翌91年に党代表団を率いて来日、さらに92年1月には訪米してカンター米国務次官とニューヨークで会い、初の米朝高官会談をしきる。この年12月には対南担当書記となり、統一戦線部門が主体になるにつれてますます、金正日総書記(当時書記)の側近として振る舞っていく。
そんな当時の、いわば昇竜の勢いにあった金容淳書記だから、主席会見時のあの直立不動が意外に思えたのだ。極めて精悍な顔つきだった。小柄な人の多い北朝鮮にあって、身長はたぶん180センチを超える大柄で、「イノシシ」とのあだ名もあったらしい。

 こわもてぶりが日本の反感をかったこともある。

 95年当時の村山政権が北朝鮮へのコメ50万トン支援を決めた後、書記は韓国誌との会見で「日本が謝罪の意味でコメを送るというのに、受け入れないことはない」と語ったと報じられ、日本の世論は急に冷めた。99年の超党派による「村山訪朝団」に対して、その反省からか、書記は「過去の日本の食糧支援には感謝している」と表明した一方で、「拉致という言葉を使うこと自体が敵対的だ」と言い、同行の日本記者団には「わが国が日本との国交正常化を望んでいると書いた社はいるか? 望んでいるのは日本の方じゃないか」と声を荒げたという。

 その書記は、筆者がソウル勤務をしていた2000年9月、今度は金正日総書記の特使として韓国にやって来た。随行の人民軍高官が運び役となり、総書記が贈ると約束した天然物の最高級マツタケ3トンも一緒だった。同年6月の史上初の南北朝鮮首脳会談で金容淳氏は始終、総書記に付き添っていた。この会談を機に、表面的には交流は進み、当時クリントン政権の米朝関係もうまく運びつつあった。

 青瓦台に金大中大統領を訪ねた書記には、落ち着きが感じられた。6月の首脳同士の共同宣言で「適切な時期に」と表現された総書記のソウル訪問について、書記がその時、韓国側と交わした共同報道文では「近い時期に」とうたって一歩踏み込んだ。しかし、具体的な言質は与えない。

 一時の飛ぶ鳥を落とす勢いよりも、書記のしたたかさ、老獪さ、といったものを筆者はソウルで感じた。

 金容淳書記を最後に直接見たのは、昨年8月下旬のロシア極東ウラジオストクである。

 この地方を訪れた金正日総書記を追って、筆者はソウルから出張した。書記もやはり同行していた。
帝政期の面影をも残す駅舎のホームで総書記は専用のリムジンに乗り換えて駅頭にすべり出た。そのまま大通りを進む。書記ら随行員は駅頭まで歩いて出て、バスに乗って街に消えた。現代的なショッピングモールでは、書記らはショールやマトリョーシカなどを見て回る総書記の後をただ黙って付き従う。
 「あれーっ、年とったなあ……」。書記の10年前の姿と重ね合わせ、少し驚いた。顔つきに精彩さを欠き、足取りに力ない。疲れているようだった。

 北朝鮮の発表によると、金容淳書記は今年6月16日に交通事故に遭って入院治療を続け、10月26日に死亡した。

 平壌北西の平安南道平原で34年に生まれ、金日成総合大学を出てモスクワ大に留学した。90年から対外的に目立つ存在になり、現代財閥など韓国との事業窓口であり、外貨資金も扱うアジア太平洋平和委員会の委員長なども務めた。北朝鮮指導部に入る人間の多くがそうであるように、失脚説や重病説などの対象に何回もなったりした。

 書記は、昨年9月の日朝首脳会談で日本人拉致の事実を認めて謝罪したほうがよい、と事前に進言したひとりだろう、という話が日本国内の関係筋などに出ている。北朝鮮からすればその後の予想以上に強硬な日本の反応、日朝関係の閉塞状況と、今回の死亡をからめて見ようとする向きもないではない。

 書記は6月13日に総書記に同行して黄海北道のヤギ種畜場を訪れ、これ以降、死亡まで書記の動静報道は途絶えていた。ラヂオプレス(RP)によると、視察翌々日の15日は同じ種畜場を各地方指導者らが訪れており、書記はそれにも参加したと思われる。17日には黄海南道の牧場視察予定があり、事故当日の16日はまさに移動日と見るのが自然だ。交通事故の話は韓国政府を含めて複数ルートから出てもいた。
 「とすれば、この事故が要因になっての死亡はたぶん本当だろう」と、ある北朝鮮ウォッチャーは言う。

 その裏付けにもなるだろうか、北朝鮮の国会に当たる最高人民会議の常任委員会(金永南委員長)は10月27日、金容淳書記に英雄称号を与える政令を出した。「金容淳同志は朝鮮労働党中央委員会の重要な職責に長く従事し、党の対外的権威を高め、祖国統一の偉業に貢献した」としている。

 このところ、書記が日本との関係を仕切っている形跡は見えず、北朝鮮の核問題を左右する6者協議などでは外務省が前面に立ち、韓国との会談でも内閣責任参事がこなしてくるなど、書記が表に出ることはなく、時代はすでに流れつつあった。彼の死は、ひとつの時代の終わりをさらに実感させる。 (03/10/30 17:59)asahi.com
http://www.asahi.com/international/w-watch/TKY200310300293.html 

3北朝鮮訪朝菅・金容淳党国際本部長

参考
南北統一は日本のカネで ←金丸訪朝団&田辺誠
統一協会と小沢一郎  

このページのトップヘ