反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

2016年02月

いつもの時系列から

▼2016.2.15
はてな匿名ダイアリー『保育園落ちた日本死ね!!』
http://anond.hatelabo.jp/20160215171759 

▼2016.2.16
音喜多駿都議『「保育園落ちた日本死ね!!!」って言われたけど、むしろ東京都は保育園をつくるべきではない理由』
http://otokitashun.com/blog/daily/10445/

▼2016.2.17
駒崎弘樹氏『「保育園落ちた日本死ね」と叫んだ人に伝えたい、保育園が増えない理由』
http://blogos.com/article/161128/

JapanTimes
http://www.japantimes.co.jp/news/2016/02/17/national/viral-anonymous-blogger-rails-abe-failure-alleviate-chronic-day-care-shortage/


TBS・NEWS23で放送
保育園落ちた日本死ね駒崎音喜多

http://www.honmotakeshi.com/archives/47851685.html 

▼2016.2.18
保育園落ちた人(@hoikuenochita) ツイート開始

▼2016.2.29
民主党山尾しおり議員が国会で質問
http://www.honmotakeshi.com/archives/47957529.html


追記2016.3.5
充実したまとめが作られていた(/・ω・)/
『手際が良すぎる「保育園落ちた 日本死ね!!!」日本ヘイトブログ騒動の全時系列』
http://matome.naver.jp/odai/2145698275289219601?&page=1

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
保育園落ちた人SHINE

https://twitter.com/hoikuenochita/status/700195100450664448 

ふふふ
このSHINE!!!だけど
「全ての女性が、輝く日本へ」
http://togetter.com/li/685757
への当てつけって分かる人がどんだけいるのかね

自分はよく覚えてるんだわ
吉松育美氏ストーカーゼロ請願文にも
塩村文夏都議やじ騒動批判記事にもあったから

特に思い出すのはこの画像

アンジェラエリカクボの記事

→ アメリカの悪意が動かす女性達 

ジェイク・エーデルスタイン氏のサイトに載ってた
記事書いたのはアンジェラ・エリカ・クボ氏
angela kubo2 

今回もジャパンタイムズが記事にしてますね
保育園落ちた音喜多ジャパンタイムズ
https://twitter.com/otokita/status/700965930411528192

ジャパンタイムズの記事は2016.2.17
http://www.japantimes.co.jp/news/2016/02/17/national/viral-anonymous-blogger-rails-abe-failure-alleviate-chronic-day-care-shortage/

この記事を書いたTOMOHIRO OSAKI氏は
JKビジネスを書いた記者だったりしますね
http://www.japantimes.co.jp/news/2014/11/04/national/social-issues/notorious-jk-business-exploits-troubled-high-school-girls-sex/#.VsgUOCmWws0

この記事を仁藤夢乃氏がRTしていて
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/658871796452601856

音喜多駿都議は仁藤夢乃氏に会ってブログにも書いていますね
http://www.huffingtonpost.jp/shun-otokita/refugee-high-school-student_b_7709816.html


そして今日質問した山尾しおり議員
 山尾しおり駒崎弘樹
https://www.facebook.com/yamaoshiori/photos/a.305250503001390.1073741828.300749886784785/429215533938219/?type=3&theater

いちいちこういう手口使うと信用落とすだけじゃないかって思いますけどねぇ

余談
育休で話題になった宮崎謙介議員

宮崎謙介駒崎弘樹
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=7905 

追記2016.3.7
山尾しおりchange保育園
https://twitter.com/ShioriYamao/status/705581823800160256

またchange.orgですか。
法的根拠のない署名、しかもどこの国籍の人だかも分からない署名を
仮にも国会議員がツイッターで広めていいのか
国民主権って知ってる?
内政干渉ツールとしてのchange.org
それをさて置いても
アンタは一体何のために立法府におるんや、と言いたいですね 

【新・悪韓論】
殺人犯を「反日の義士」化 静かに始まった“捏造加嘘”による創史

金嬉老

 韓国には「日本の韓国人差別と闘った義士」が、どうしても必要なのだろう。そのためには、真相を隠し、新たな伝説をつくることぐらい朝飯前。どうやら、殺人犯の金嬉老(キム・ヒロ、2011年3月死去)を「反日の英雄」から「反日の義士」に格上げするための“捏造加嘘”(ねつぞうかきょ=筆者の造語)が静かに始まったようだ。

 48年前の事件といえば、60歳以上の人でなければ、はっきりとした記憶がないだろう。事件の当事者たちも次々と鬼籍に入っていく。捏造加嘘による創史には、ちょうどいい頃合いだ。

 「殺人犯の金嬉老」と聞いても、若い読者は知らないだろう。

 事件は1968年2月20日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)のクラブで発生した。暴力団員から借金の返済を迫られた日本生まれの在日韓国人、金嬉老が、猟銃で暴力団員2人(うち1人は未成年者)を射殺した。そのまま、同県榛原郡本川根町の寸又峡温泉の旅館に逃げ、旅館の経営者や宿泊客ら13人を人質にして、猟銃とダイナマイトを武器に88時間、立て籠もった末に逮捕された。

 彼は裁判で「朝鮮人差別」が事件の背景と主張した。無期懲役になったが、99年に仮釈放されると同時に、韓国に出国した。その際、彼のために32坪のマンションを提供したのが、現代財閥の一族で、元国際サッカー連盟(FIFA)副会長の鄭夢準(チョン・モンジュン)だ。

 「反日の英雄」には多額の義援金が集まった。2001年には、韓国で結婚した妻が6000万ウォン(現在のレートで約550万円)を持ち逃げする事件が起きたほどだから。

 彼は、小学校5年で退学処分を受け、終戦の時は少年院にいた。その後も窃盗や横領で服役している。韓国に住みついてからも、愛人の夫を殺害しようと暴力を振るい有罪判決を受けた。

 今年2月20日の中央日報に「48年前の『金の戦争』と日本のヘイトスピーチ」というコラムが載った。

 「借りた金を返せと脅迫していたヤクザが『朝鮮人、汚い豚野郎』と言って悪口を浴びせたことから怒りが爆発した。金嬉老の人生を押さえ付けていた差別と暴力、日本の警察の不当な待遇など苦い記憶が一気に胸を駆け上がったのだろう」として、殺人事件までの金の前歴にも、韓国での振る舞いにも触れないまま、今日の日本の「ヘイト」に結びつけている。

 経済メディアのマネートゥデイも同じ日に「日本最長期囚キム・ヒロ事件」という記事をアップしている。

 こちらは「歴史の中の今日」というシリーズ物だが、「50年前」ならともかく、なぜ「48年前」という半端な回顧なのか。マネートゥデイの記事も、前歴や、韓国に渡ってからの事件には何も触れないまま、「日本の差別と闘った英雄」物語になっている。

 韓国の高年層なら「あの男のことを…」と思うかもしれない。が、若い世代の中には「そんな英雄がいたのか」と胸をときめかす者もいるだろう。この先、どんな捏造加嘘が進み「事件から50年」にはどんな記事が載ることか。 (敬称略)

 ■室谷克実(むろたに・かつみ) 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。主な著書に「韓国人の経済学」(ダイヤモンド社)、「悪韓論」(新潮新書)、「呆韓論」(産経新聞出版)、「ディス・イズ・コリア」(同)などがある。
zakzak2016.2.25
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160225/frn1602251140002-n1.htm



【グローバルアイ】48年前の「金の戦争」と日本のヘイトスピーチ

 1968年2月20日、ぴったり48年前だ。日本・静岡県清水市のあるクラブで銃声が鳴り響いた。ヤクザの親分と組織員ら2人が殺された。猟銃を発射した犯人は在日韓国人2世の金嬉老〔キム・ヒロ、実名・権禧老(クォン・ヒロ)、当時41歳〕。借りた金を返せと脅迫していたヤクザが「朝鮮人、汚い豚野郎」と言って悪口を浴びせたことから怒りが爆発した。金嬉老の人生を押さえ付けていた差別と暴力、日本の警察の不当な待遇など苦い記憶が一気に胸を駆け上がったのだろう。 

 銃とダイナマイトで武装した金嬉老は警察の追撃を避けて45キロ離れた寸又峡「ふじみや旅館」に逃れた。旅館主人の家族と宿泊客をとらえて88時間の人質劇を繰り広げた。記者を呼び入れて会見をしたり生放送電話インタビューもしたりした。放送局のヘリコプターは山奥の人質劇をリアルタイムで中継した。日本人の目と耳がすべてテレビに集中した。当時の事件が日本初の「劇場型犯罪」と記憶されている理由だ。92年、韓国では『金の戦争』という映画が製作されて劇場で上映された。 

 金嬉老は「朝鮮人の差別を告発するために事件を起こした」とし「朝鮮民族を侮辱した警察は謝罪しろ」と声を高めた。結局、静岡県警察本部長が公開謝罪した。人質劇は報道関係者の間に混ざって進入した警察の逮捕作戦で幕を下ろした。無期懲役を宣告されて金嬉老は31年間の獄中生活を経て99年に仮釈放された。釜山(プサン)に居を移し、2010年81歳で亡くなった。 

 人質としてとらわれた旅館おかみの望月英子さん(77)は38年ぶりである2006年にソウルで金嬉老に会った。「今はすべて許せる」と話した。「殺人犯ではあったが私たち家族に被害を及ぼさなかった」とし「子供3人には申し訳ないと言って2000円ずつお小遣もくれた」とした。望月さんは2010年旅館の一角に「金嬉老事件資料館」を開いた。だが、宿泊客が次第に減り、結局2012年に廃業した。最近は建物も売却された。 

 日本社会に警鐘を鳴らした「金の戦争」以降、半世紀が流れた。事件現場は消え、目につく差別は大幅に減った。問題は在日韓国人を依然として威嚇するヘイトスピーチ(特定民族・人種に対する嫌悪発言)。東京新宿などでは「朝鮮人は朝鮮に戻れ」とする極右団体デモが常時開かれている。先月、日本を訪問した国連の少数者問題特別報告官のリタ・イザック氏は「ヘイトスピーチが危険な理由はジェノサイド(集団虐殺)に変わりうるため」としながら「差別禁止法の制定が急務」と指摘した。 

 3年以上ヘイトスピーチ反対運動を主導してきた「差別反対東京アクション」の日本人広報担当者の植田祐介氏は「差別を趣味活動ぐらいに考えている右翼がいるが、これに相対して戦う日本人も少なくない」と話した。あわせて「差別を絶対に許さない社会をつくらなければならない」と強調した。金嬉老の不幸な人生はこれ以上繰り返されてはいけない。差別は怒りを生む。和合の新しい時代を期待する。 

イ・ジョンホン東京特派員
中央日報2016.2.20
http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=212289&servcode=100&sectcode=140


(´・ω・`)金を取り立てるヤクザの言葉遣いがヘイトスピーチって無理やりすぐる
ジェノサイドに変わるって殺されてんの日本人なんだけど

追記2016.3.2



p183
【金嬉老】寸又峡温泉籠城事件
 別名金嬉老事件。1968年2月20日夜、静岡県清水市のバーで借金返済を迫る暴力団3人のうち2人をいきなりライフルで撃ち殺した無職・金嬉老(39)が、車を奪って逃走、翌早朝、寸又峡温泉の旅館ふじみやに押し入り宿泊客ら16人を人質に88時間に及んで籠城した事件である。金はライフルの他、ダイナマイト13本を携帯していた。ここで金は持ち前の自己顕示欲を発揮、旅館から「モーニングショー」(NET・現テレビ朝日)の本番中に電話出演して、子供時代から受けてきた差別の現状を訴えたりした。巡査2人が金に面会したが、その際に、以前、彼に差別的発言を浴びせたというK巡査の謝罪を要求。自作の短歌2首をしたためた遺書(日記帳)を公開した。さらに実弾十発、ダイナマイト2本を爆発させ自殺を仄めかす。3日目に入ると記者団を招き入れ堂々の記者会見。カメラマンに「この角度の方がいい写真が撮れるよ」と指示するなどすっかりタレント気取りだったという。K巡査の謝罪会見がTV放送されるが、「謝罪が不十分」と激高。作家・金達仁の説得にも耳を貸さなかった。4日目も記者会見と威嚇乱射が続く。事件が解決したのは籠城から5日目で、記者に紛れた警察官が金に飛びかかり、これを取り押さえた。

 朝鮮人差別が生んだ犯罪ということで、当時のインテリの論調はこぞって彼に擁護的だった。金は無期懲役で服役したが、面会は自由、差し入れに制限はなく、房内に金品、ラジオ、カメラ、さらには脱走用にも転用できる包丁、ヤスリになんとエロ写真まで所持していたという。世間の金擁護の風潮に怖じけた刑務官による特別待遇が問題になった。

 1999年、70才で仮釈放された金は支援者に導かれ故郷釜山へ。本国では「差別と闘った在日英雄」として迎えられ、高級マンションがあてがわれたという。

 その後、日本に彼の名前が聞こえてきたのは、不倫相手の女性の夫への殺人未遂と放火の罪で逮捕されたというニュースだった。金嬉老事件こそまさに劇場型犯罪と偏向報道の元祖であった。
 

『進撃の巨人』は
戦いを前にした人間の葛藤がうまく描かれていて

例えば
「人類が一つになれるとすれば、人類外の敵が出来た時と言われているが」
「それはあまりに現実を知らない人の言葉ですね・・実際には人間同士が争ってばかりで・・」

というようなやりとりがあったりして

あぁ
左巻き諸氏の世界観ってアニメより幼稚
と思った

そもそもが「壁の中の偽りの平和」という設定が今の日本に似てますね
(参考→【youtube】第13回後編 進撃の巨人とサファリパークと日本【CGS西田昌司】

マンガが原作でアニメにも映画にもゲームにもなるくらいだから小学生だって見てるだろう
それ以下のリアリティしかない9条教ってどうなのよ
どこかの国の利益を代弁してる方は仕方ないんだろうけどお粗末でへそで茶を沸かしたくなるね

   ∧_∧ 
  ( ・ω・) へそで沸かしたお茶どうぞ
  (o旦o)
   u-u′

ironna見てたら
『総力特集!田原総一朗とは何者か』
http://ironna.jp/theme/506

各記事割と好意的なんで驚いた
そもそも自分は個人的に朝生が大嫌い
俎上に上がりにくい話題でも色々言える場を作ったということでは意味はあっただろうが
(でも人選が人選だから結局タブーありあり)
「解決させない」ための不毛な言い合い(討論ですらない)にしか見えないんだわ
(参考→朝鮮論法とは

コメントにも
「古色蒼然、アナログで凝り固まった老人にしか見えない」と書かれてますね

全く同感でございます
アナログ自体が問題ってわけじゃなくあまりに紋切型で

「常識を疑え!」田原総一朗の原点

 また8月がやってきた。69年前、僕は11歳だった。学校の教師は、あの戦争を「聖戦」だといった。「お前たちはお国のために死ぬのだ」ともいっていた。もちろん僕もそう信じていた。将来は海軍に入って、みごとお国のために死ぬのだと思っていた。だが、それは「夢」だった。

 69年前の8月のあの日。正午から天皇陛下のラジオ放送があるという。当時は、すべての家庭にラジオがあるわけではなかった。だから、ラジオのあるわが家に近所の人たちが集まり、あの放送を聞いたのだ。あのころのラジオは性能が悪く、雑音が多かった。それでも、ときどき明瞭になる陛下の声を必死で聞いた。

 意味はよくわからなかった。放送が終えると、みんなの間で意見が分かれた。「まだがんばって戦え」ということだろうという人もいた。「戦争は終わった。日本は負けたんだ」という人もいた。その後、役所から連絡がきた。そこで、よくやく日本が負けたのだ、ということがはっきりした。

 僕は悲しくなって、自分の部屋にこもって泣きに泣いた。海軍に入って、日本のために死ぬという、「夢」がかなえられなくなったからだ。いつの間にか、寝てしまっていたようだ。気がつくと、すっかり暗くなっていた。窓から外を見た僕は、とても驚いた。家々に灯がともっているのである。それまでは、灯火管制のため、夜は真っ暗になっていた。空襲に備えなければならなかったからだ。そのときになってやっと、僕は何か開放されたような、不思議な高揚感を覚えた。

 9月になり新学期が始まると、あらゆることが逆転していた。「この戦争は聖戦だ」といっていた先生が、「間違った戦争だった」といい始めたのだ。「鬼畜米英」といっていたアメリカが、「いい国」となっていた。総理大臣だった東条英機などは、一転して大悪人になった。教科書を墨で塗りつぶす作業も続いた。

 いったい何なのだ、と僕は思った。あの日を境に、自分が正しいと信じていたことが、すべてひっくり返されたのだ。それから僕は、「国、そして偉い人というのは嘘をつく」と肝に銘じ、疑うようになった。

 そのときの想いを、僕はずっと持ち続けた。この「常識を疑う」という気持ちは、その後、僕のジャーナリスト人生の原点になった。僕のエネルギーの源となったのだ。

 多くの人びとが、あの戦争で亡くなった。僕の大好きだったいとこも、戦死した。戦争が終わって、69年。戦争を知る人間が、どんどん少なくなっている。だからこそ、このことを僕は、何度でも書くし、いっておきたい。二度と戦争をしてはいけない、と。
(「田原総一朗 公式ブログ」2014.08.15) 

敗戦トラウマを引きずってるのは分かるのね
それを体験してない自分はその世代は理解できないのかもしれない
だけど
それWGIPのせいってもう事実として分かってるでしょ?
自分の思考のどの部分がそうなのか何で検証しないの?思考停止で怠慢でしょ?
老害田原総一朗 カビの生えたGHQプレスコードは捨てろ 
市井の人が複雑な気持ちを抱えたままというなら分かるんだけど「常識を疑え」とか掲げるジャーナリストでそれはないぜ

最近朝生でのアンケートで
番組の意図したのと違う結果が出るってことがよくあるみたいだけど

それはリアリティでアニメに負けてるからだよ(´・ω・`)

進撃の巨人大型巨人待ち受け

巨人と話合ってみろよ~~オラオラ(´・ω・`) 

余談
最近おすすめされてるねずさん(小名木善行氏)の動画
【youtube】第28話 ウシハク政治で壊れた国 〜歴史を学ぶ〜【CGS ねずさん】 
『入唐求法巡礼行記』に書かれている話

反乱軍を討伐せよと命じられた将軍は、強い反乱軍と戦いたくないんで避けていたところ帝から討伐の催促されたんで一般民をとらえてこれが反乱軍だと偽って引き渡す
弁解しても聞き入れられず反乱軍として処刑される
処刑した近衛兵は目玉を取ってむしゃむしゃ食べた(目玉は栄養があるから、らしい・・)

この世の地獄かよ と仰天したんだけど
もしかして
中国人には進撃の巨人ってあんまり恐ろしくないんじゃ・・?

「差別」言い出す人のウラ 
鮨屋の予約で差別を受けたと言い出した人がどうも妙な気がして記事を書いたんだけど
記事書いたことで「何でも疑うな」的な批判までされたんだけど

女性国際戦犯法廷にも関わってるし

読んでた本にも出て来た
今話題の岸井成格氏も丁度出て来た




p136・137
ネット新聞より悪質

 TBSの『朝ズバッ!』も凄まじい。小泉首相が平服で靖国神社を参拝(2005年10月17日)したのを受けたこの番組で、解説の岸井成格・毎日新聞特別編集委員ののっけの言葉が、「中国、韓国がどう思うか」だった。しょせん派閥がどうのだけの政治記者で、国際感覚などゼロということか。それなら黙っていたほうがいい。

 この番組では翌日、自称中国人ジャーナリスト、莫邦富を呼んだ。莫は『朝日新聞』に寄稿し、今は同紙に連載も書いている。それだけでも胡散臭い人物だ。

 実際、彼の昔のコラムを読むと悪辣な中国人の典型だということがよく分かる。

 彼は、北九州で子供2人を含めた1家4人を皆殺しにして海に捨てたり、熊本で中国人留学生を親代わりになって面倒見てきた老夫婦を殺害したり、あるいは中国から海賊版を持ち込んで日本で売りさばいたりと、中国人留学生の犯罪が激増している現状について、「日本側の受け入れ態勢が悪いからだ」と反省もなく日本に責任をなすりつける。

 その昔、日本は魯迅や周恩来、蒋介石ら中国人を受け入れて学ぶ場を与えた。留学に来られない貧しい江沢民などのために上海や南京でも大学を開いてやった。

 アジア解放のために日中が手を携えようという思いからだったが、蒋介石も江沢民も結局はカネのため、権力のために日本を裏切った。本当は御免なさいというべきなのにまだ「日本が悪い」と言い募る。
(日本の侵略のせいって言う日本人がいるくらいだからねぇ→
  騙され続ける日本人 お先真っ暗

 莫邦富ははるかに小者だが、言い分は恥知らずの江沢民らと変わらない。そんな人物と知りながらTBSはスタジオに呼んだ。

 莫は案の定、自衛隊の海外派遣を引き合いに出し、「日本はインド洋に軍艦を送っているが、中国はどこにも軍を出していない」。日本は海外に野望を持つ軍国主義復帰を狙っているといいたい、とやる。
(もしかしてチャイニーズジョークなんじゃ・・)

 盗っ人猛々しい。中国はウイグルを侵し、チベットを武力で奪った。その少し前はベトナムを一方的に侵略した。最近は日本の領海に潜水艦を送り込んでもいる。

 そんなあくどい中国の行状には知らんふりを決め込んで日本を非難する莫に、臆病な岸井は「ごもっとも」と一言もない。

 むしろ、みのもんたが、「中国は(核兵器を含め)日本の何倍もの軍備を持っているのに何で日本が怖いのですかねえ」と突っ込んで莫邦富が答えに窮したのがおかしかった。

(´・ω・`)もしもし高山さん歯から衣がとれてますよ

とはいえ
岸井成格氏が「しょせん派閥がどうのだけの政治記者」といわれてしまうのもしょうがないというか

”TBSの顔”「岸井成格」とは何者か
月刊WILL 2016年1月号

(一部抜粋)

 新聞「記者」、それも論説委員長や主筆まで務めた毎日の“顔”にしては著書が少ない。単著は『大転換──瓦解へのシナリオ』(毎日新聞社)だけ。対談本を含めた共著が三冊。編著を入れても合計七冊しかない(国立国会図書館サイト検索)。
http://ironna.jp/article/2859?p=1

何だってそんなに著作少ないのかな。ジャーナリストとして何か追及したいことないのかな。
もちろん量より質なのは言うまでもなくて質の方の検証も沢山書かれているんだけども
読むと想像以上にひどくて引いた(´・ω・`) 


追記2016.3.6
こんな記事見つけたけど
『外国人差別でミシュラン寿司店が炎上?!日本には“建て前力”が不足している(高口)』
http://kinbricksnow.com/archives/51936975.html
莫氏がどういう人なのか、には触れないんだよねぇ。

旧満州出身の鳴霞さんの本から



p14~17
はじめに

 私は、中国の藩陽で生まれた。藩陽は「宝地」と言って、宝のような土地と言われるほどで、美しい山もあるし水も綺麗、食べ物も昔から豊富だ。国家主席の胡錦濤が取り寄せて食べるほどおいしい米もできる。

 藩陽は昔で言う満州国の奉天市である。いまは開発によってだいぶ少なくなったのだろうが、戦争の後でも日本人の家は沢山残っていた。かつて日本が建てた、日本にも無いような立派な建築も沢山あり、子供の頃はその近くでよく遊んだりもしていたものだ。

奉天郵便局
【wiki】奉天市 
(張作霖のお屋敷に比べたら見劣りするよね・・w)

 また私の叔母は看護婦で日本語をよくしゃべっていた。満州国時代に勤務していた病院には日本の医師が沢山いて、よく日本語で会話をしていたそうだ。日本人についての話は子どもの頃から祖父母にもよく聞いていたものだ。

 祖父は戦争中は関東軍に野菜を売りに行ったりしていたそうだが、日本兵は真面目で礼儀正しかったといつも言っていた。お金が少し足りない時など、また今度でいいと言っても「いやすぐに払うから、ちょっと待ってくれ」と言ってお金を用意してきたという話だ。それに比べて蒋介石の国民党軍は乱暴で、自分たちのために民間人や中国共産党員を殺したり酷かったという。同じ中国人でも八路軍(華北方面で活動した中国共産党軍の通称)はそれより礼儀正しかったとも聞いている。いずれにしても、祖父は日本が大好きだった。

 そのようなこものあって、私は高校卒業後、農村に下放された三年後に父母の仕事の軍企業に入り、会社育成の人材派遣で藩陽市内の藩陽市科技日本語学院に入学することにした。日本に来る直前には、中国航天部藩陽市軍工起業で情報課日本語担当勤務だった。ここは地域では一番重要な軍事会社で、宇宙開発や戦闘機エンジンなども担当する国家直轄の軍企である。

 実は私は中国を出てアメリカに行くつもりだったのだが、縁があって日本に来ることになった。私の主人の母は満州に残留した日本人孤児なのである。私は写真でしか見たことがない。主人は日本に来た時に和歌山に遺骨を運んだが、本当に苦労して可哀相な人だったと聞いている。

 日本に来て思うのは、日本には満州のような良さがあるということだ。満州国の発展は当時の日本のおかげだった。今の日本は不景気と言うが、それでも豊かで世界中から人が来る。当時の満州国も同じような状態だったそうだ。祖父はよく、満州に大陸中の各省、とくに南方の貧窮した者からどんどん人が集まって来たと言っていたものだ。ロシア人も、朝鮮人も、南方からも、多くの人が集まって来たそうだ。そして、ずいぶん平和だったとも聞いている。しかし、戦争が終わる1945年頃には、ソ連軍が入って来て滅茶苦茶になった。祖父の働いていた工場も機械どころかカーテンまで一枚残らずソ連に持って行かれたそうだ。だから、私の父などはソ連が一番悪者だと言っているくらいだ。

 かつて、満州が発展したのは、日本が力を入れたからだ。日本人のおかげで満州は発展したと言ってよい。年配で満州国時代を知っている人は、いまでもあの時代は幸せだったと皆言うのだ。現在と比べても、やはり満州国の時代が良いという。

 今も日本は中国を援助しているが、あのような援助は百害あって一利なしである。北京空港は日本のODAでできたものだが、普通の中国人はそんなことは知らないし、ましてや感謝もしていない。新幹線の技術供与など感謝どころか自分たちが作ったと言い張っているくらいだ。今は、ODAが空母やミサイルの建造などに使われている。中国の貧しい地方にODAが入ればいいと思うのだが、そのようなところにはほとんど使われないのが実態だ。日本はODAなどやめた方がいいのだ。中国の本当に困っている人民のためにはならず、また日本のためにもならない。

 満州国を作った当時の日本人は素晴らしかった。しかし、今の日本人は平和ボケだ。日本の資金で中国軍(民民解放軍)はどんどん増強されている。このままでは日本はいつか、自分のせいで中国に呑みこまれることになるだろう。満州にソ連軍がやって来た時には本当に悲惨な状況だったそうだ。それと同じことが日本に起こるかもしれない。
(ソ連軍がやって来た時→娘の首に刀を…「ごめんね、母さんもすぐに逝くからね」

 私の故郷の満州では満州語を話す人も少なくなった。いまの高齢の人がいなくなれば全滅だろう。新疆もチベットも弾圧され、文化は無くなり民族は滅びようとしている。日本はこの現実を認識しないといけない。ただ「日中友好」と言えば平和が来ると思っていたら大間違いだ。
(→少数民族「絶滅」を企む中国の漢化政策
 
日本一国が平和ボケで滅びるならまだしも
中共の歴史観をそのまま正しいとしてしまうと
同時に少数民族()弾圧は正しいとなってしまう
どうだ日本だって認めてるんだぞと
自己正当化に最大限利用されるわけだよ

嘘は嘘だって言わなきゃいけない
嘘の犠牲になってる人達はどうなってもいいの 

以前コメントで紹介してもらった稲垣武氏の本をまた読んでたんだけど
朝日新聞の変わらぬ(-@Д@)ウリは悪くないニダ体質 
「慰安婦強制連行」に疑問を持つと朝日報道テロの標的に 
旭丘中学事件

個人的に見逃せないことが書いてあったんで抜粋



p136~138

北朝鮮ベタ褒め派の学者

 72年4月の金日成誕生六十周年に訪朝した日朝社会科学者連帯委員会のメンバーは、74年9月に前出の『チュチェの国 朝鮮を訪ねて』を刊行したが、これは北朝鮮ベタ褒め派のアンソロジーともいうべきものであった。

 たとえば訪問団長だった安井郁法政大学教授は、北朝鮮の政治は、「抑圧的な権力政治ではなく、愛情の政治です」として、こう書いている。

「現在のチョソン民主主義人民共和国の歴史的条件のもとでは、人民が”個人崇拝”とも見えるほどの敬愛の念をいだいて偉大な首領のもとにかたく統一・団結することが必要だということです。その統一・団結が社会主義・共産主義をめざす困難な闘争の勝利を保証します。チョンリマ・チョソンと呼ばれるほどのすばらしい躍進の原動力はそこにある、とわたしは見ています」

 そして安いは、日本にはまだまだ北朝鮮に対する誤解と偏見が満ち満ちていると嘆き、「われわれは曇りのない眼でこの近くて遠い国の真のすがたを直視しなければなりません」と説く。

 さらに、「『個人崇拝』であるかないかというような議論は、わたしにとってはどうでもよいことなのです。わたしに興味のあるのは、キム・イルソン主席の唯一的指導のもとにチョソンの社会主義革命と社会主義建設はいかに進行しているか、チョソンの社会科学はいかに発展しているか、それらはチョソン人民に幸せをもたらすものであるかどうか、それらは人類史の前身に寄与するものであるかどうか、というような問題であります」と極言している。

 しかしこの文言は、「個人崇拝」を「独裁」と、「キム・イルソン主席」を「朴大統領」と、「社会主義革命・建設」を「維新革命・経済成長」と言い換えれば、そっくりそのまま朴正煕政権の弁護になってしまうのではないか。

 ところが、安いら進歩的文化人は、こと「南」に対しては原則的な自由・民主主義を振りかざして非難攻撃し、「北」に対しては結果がよければ手段は問わないとするのが常であった。

「曇りのない眼」どころか、「社会主義」という色眼鏡をかければ何でも薔薇色に見えるという典型だろう。その安井が78年に「主体思想国際研究所」を創立したのも当然だった。


【wiki】安井郁
安井 郁(やすい かおる、1907年4月25日 - 1980年3月2日)は日本の国際法学者。平和運動家である。法政大学名誉教授、国際法学会幹事長。

人物
国際法専攻。戦前期はモーゲンソーの影響を受ける。第二次世界大戦中には東京帝国大学法学部教授として、田畑茂二郎(京都帝大)とともに、「大東亜国際法」を提唱した。しかしこのことをもって1947年占領軍により戦争協力とみなされ、1948年に東大を公職追放となる。神奈川大学教授を経て法政大学教授に就任した。

1954年3月1日のビキニ水爆実験による第五福竜丸被爆事件を契機に原水爆禁止運動を組織化し、水爆禁止署名運動杉並協議会議長を務めた。同年8月8日、原水爆禁止署名運動全国協議会事務局長に就任。1955年8月6日、広島で第1回原水爆禁止世界大会を開催した。9月19日に署名運動全国協議会と世界大会が統合して原水爆禁止日本協議会(原水協)が発足すると、その初代理事長に就任した。しかし、原水爆禁止運動での政党間の対立が激しくなり、1963年に原水協から社会党系が離脱したときには原水協の役員を辞任した。原水爆禁止運動の表舞台に現れることはなくなったが、朝日新聞の投書欄に繰り返し投稿し、運動の統一を訴えた。

その後、1970年、朝鮮民主主義人民共和国のチュチェ思想を研究し、日朝社会科学者連帯委員会の議長に就任した[要出典]。晩年は金日成主義を「独創的思想」と絶賛している[要出典]。チュチェ思想国際研究所初代理事長を務める[要出典]。

妻の安井田鶴子も安井の活動を支え、女性たちの読書会「杉の子会」(東京都杉並区)の反核署名運動や大石武一、新村猛と共に「草の根平和の集い」(1985年-1991年)などで平和・人道主義の活動をした。娘はロシア文学者の安井侑子。

チュチェ思想研あたりは[要出典]になってるのね
一応ソースはあるってことで 

チュチェ思想国際研究所といえばこの人ですね
エセ人権活動家 武者小路公秀 

よど号グループの妻数人がチュチェ思想研メンバーだったのを知っていますか?
日本の中の北朝鮮 チュチェ思想研究会 

平和運動家って何でいちいち北朝鮮と関わってるのかホント理解できない。
あと、大東亜共栄圏・大アジア主義=右翼 が戦後になると
アジア共同体=左翼 になるこのねじれ感がうまく自分の中で整理できないんだなぁ。。

チョンリマ【千里馬】
《〈朝鮮語〉》朝鮮の伝説で、翼をもち1日に千里をかけるという竜馬。朝鮮民主主義人民共和国において社会主義建設を促進するためのスローガンとされた。「―運動」
https://kotobank.jp/word/%E5%8D%83%E9%87%8C%E9%A6%AC-569633

. ,,,,,,,,,,,,,,,   ビビビビ
ミ,,,,,,,,★,,ミ  。))))))))   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<丶`∀´>/          (-@∀@)< 地上の楽園、ばく進する馬、国交正常化を急げ。
(  つ二/0          .(φ朝 )  \_________

http://l15.chip.jp/asahisinbun/ 

追記2016.2.27
p115
 朝日の入江徳郎特派員は12月25日付で「『ばく進する馬』北朝鮮」との見出しの下、「北朝鮮の経済建設のテンポはものすごい」「鉄、電力、セメント、化学肥料や穀物の人口一人当たりの生産高は日本をしのぐと北朝鮮政府はいっている」「深夜の町で酔っ払いなど一人もみることができない。真夜中雪の道を行くのは後退の労働者だ」と絶賛している。労働後に軽く一杯をやる自由も北にないことに気づかなかったようだ。
 

朝日新聞は「韓国の研究によると遊郭で働いていた遊女とキーセンは区別されていた」
という苦しい言い訳をしているのだが
朝日新聞は「キーセン=売春婦」と知られるのを恐れている
 

丁度宮脇淳子さんの本を読んでいたら出て来たのでご紹介



平壌妓生学校
平壌にあった妓生学校 【wiki】妓生

p204~206
 妓生というのは、宮中の宴会や催しで歌舞音曲を披露する芸妓で、同時に宴会で男性の側にはべるホステスでもあります。妓生たちの身分は官有の奴婢である官婢で、一牌、二牌、三牌の三つのランクに分けられていました。ファン・ジニのように名妓と呼ばれる妓生はほとんど一牌で、奴婢の身分に変わりはありませんが、両班たちと会話できるだけの知性と教養が必要とされました。当時の朝鮮半島では、上流階級を除けば字が読める女性はほとんど皆無だったので、かなりのインテリであったことは確かでしょう。

 しかしながら、公式には芸を披露する官婢であった彼女たちも、実際には両班を相手にする高級娼婦だったのです。また、宗主国であるシナから使節が来ればその宴席にはべり、基本的に性接待を命じられました。妓生は「人間の言葉を解する美しい花」という意味で”解語花”とも呼ばれたそうで、聞こえはいいですが、要は儒教社会では人間扱いされていなかったということでもあります。古田博司先生の言葉を借りれば、「李朝の宮廷の官妓(一般の妓生とは違います)は、ちょうど現代の北朝鮮の”喜び組”のようなもの」ということです。これは私が直接聞いた話で、今回、問い合わせましたら、さすがにどこにも書いたことはないと言われました。

解語花:「解語花」は、『大漢和辞典』によれば、唐の玄宗皇帝が楊貴妃を称した語で、美人を指す言葉だったから、本来は悪い意味はなかったとみられる)

 妓生は建前上はあくまでも芸妓であって、単に売春行為を行う女性はキーセンとは呼ばれませんでした。ところが、李朝末期になると十把ひとからげで妓生と呼ばれるようになり、さらに開国後は日本の遊郭制度やロシア人の外娼が入ってきて、ますます区別がなくなっていきました。それらを管轄するために、日韓併合後は妓生は公娼制度に組み込まれました。

公娼制度:公権力が売春業者を管理・監督する形態。日本では遊郭がこれにあたる。)

 戦後、日本人がいなくなると売春産業は犯罪組織が仕切るようになり、駐留米軍向けの風俗店で荒稼ぎしていましたが、朴正煕大統領はそれを取り締まり、新たに国営の娼館制度をつくりました。これが国営キーセンと呼ばれる制度で、外貨獲得のために国がバックアップして、ベトナム戦争時などには海外にも派遣されたそうです。日本が復興して海外旅行に行けるようになると、日本からの観光客に対しても国営キーセンが使われ、年配の人は聞き覚えがあると思いますが、韓国旅行は別名”キーセン旅行”と呼ばれ、一種の売春ツアーのようなイメージがありました。2004年に、韓国議会は売春を違法行為とする法改正を行い、これによって妓生という歴史上の制度は事実上なくなりました。以後、売春は非合法の下で行われるようになります。

p218
 妓生についても、李氏朝鮮時代は平気で初潮前の少女が妓生にされていました。日韓併合後になってようやく、日本が「そんなひどいことはやめろ」と規制して、朝鮮総督府が管理して、日本の花柳界のように、妓生にも検番所ができ、秩序を持たせたわけです。おそらく朴正煕大統領も、その時代に上手くいっていたことを思い出して、国営キーセンという制度を始めたのでしょう。ところが、いまの韓国人は李氏朝鮮時代に行われていた悪習を、全部日本がやったことにすり替えるのです。世界で評価される日本文化は剽窃しようとしますが、反対に後ろ暗い過去は全部日本の仕業として押し付ける。手柄は自分、失敗は他人に押し付ける。会社でこういう上司が一番嫌われるというのも、やはり相場が決まっています。

日本が「そんなひどいことはやめろ」と規制 1916年に公布された法令で、最低年齢を17歳とした。川村湊『妓生「もの言う花」の文化誌』参照)


妓生学習院東洋文化
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/rioc/vm/c05_koshashin/c0502_huzoku_list_9.html
画像はこのへんに

ええと、結論としては妓生と売春婦は区別されていませんでした
今更みんな知ってるようなことを堂々と違うと主張する朝日新聞ってステキ。

参考
古田博司先生
非韓三原則 
非韓三原則(古田博司教授)


朴正煕大統領の基地村浄化計画
米軍慰安婦「洋公主」と基地村 

下條正男教授「ドラマに出演している人達は独島基金に寄付をしているが、つまり日本はお金を払ってドラマを買い求め敵に塩を送り韓国は傷口に塩を塗りこんでいることになる。」
竹島と韓流 

『革命をプロデュースした日本人』という本への違和感から突然中国近現代史を調べ出すワタクシ
騙され続ける日本人 お先真っ暗

それで今読んでるのが
岩田温氏の本の中に出て来たこれ
中国のチベット侵略

中国はいかにチベットを侵略したか
マイケル・ダナム
講談社インターナショナル
2006-02-17


中国がひどいことをしたあれこれ
は既によく知られているし分かりやすいんだけども

今更知って驚いたのがCIAが介入してたことだ

自分は四面楚歌なチベットを救う唯一の希望の光のように思って読んだのだが
(まぁそういう本なんだろうね)
後からググってみると、ダライ・ラマはCIAの傀儡とか否定的な文脈で捉えているブログが目についた

確かにアメリカの介入が必ずしも良い結果をもたらすわけでもないし
正義の米 vs 悪の中共 と単純化しすぎるのも問題だろう

だけど
あの時のチベットはじゃぁどうすりゃ良かったの
黙って滅びたら良かったの?

結局これは日本と重なる
じゃぁあの時日本は黙って滅びたら良かったの?

p78
 非常に有能かつ聡明なシャカパなる人物が、インドのカリンポンからアピールを国連に郵送する任務を託された。

 1950年11月13日、文書は国連に届き、事務総長室は、チベットが国際社会の一員として承認されているのかどうかも分からずその扱いに当惑した。議題に上程するかどうかを決めるのに不可欠とされる国連加盟国の指示がないアピールだったことがまず一つ、しかもチベット本国からでなくインドから発送されていたため、それが本当かどうかも確認できなかったことがもう一つあった。しかも差出人は非政府組織からである。インドかイギリスなら、その気になりさえすればこの文書の出所をはっきりさせることができたであろう。チベットからの公式メッセージはすべてカリンポンからなのを彼らはつとに知っていたのだ。チベットには国際通信手段がなかったのである。しかし、中国と波風を立てまいとして、インドもイギリスもこのチベットの生死がかかったメッセージを無視してしまった。

p79
 この成り行きは、中共にとっては諸外国の反対に遭わずにどこまでチベットに侵入できるかを見定める一つの目安となった。アボ・ジグメとチャムドを掌中にしてからは、ラサ占領のため西進をつづけるのに軍事的抵抗はまったくなくなっていた。ただ冬が近づいており、チベットの高度と積雪を考えれば兵站上それ以上群を進めるのは無理であった。それに四万の軍隊をさらに前進させたくない理由が他にもあった。外見上、チベット政府を交渉の場につかせたかったのである。中共の軍事的占領がチベットの”平和的解放”だと国際メディアには思わせておきたかったのだ。案の定、メディアはチベットのことで騒ぎ立てることなく宣伝工作は順調に進んだ。

 国連は再度チベットからアピールを受け取ったが、依然としてその扱いに戸惑っていた。

 ダライ・ラマは国際政治を理解しようとしたが、理屈でどうなるものではなかった。チベットのような無力な国を守ろうとしない国連なんか何のためにあるのだ?若い君主は国連の奇妙な機構に幻滅を感じた。

「正義の支えとして国連を信頼していたのに、我々の問題がイギリスによって棚上げにされたと聞いた時には驚いた。インド代表の態度にも同様に落胆した。インド代表はこういった。”平和的解決がなされるものと確信している。そしてチベットの独立は守られよう。これを確かとする最良の方策は国連総会でチベット問題を議論しないことだ”これには、誰も我々を武力で助けてはくれないということを知った前回以上の無力感を感じた。今や、友人たちは我々の正義への訴えを代弁しようとさえしてくれないのだ。中共軍の大群の中に置き去りにされたように感じた」(『チベットわが祖国ーダライ・ラマ自叙伝』

 
強制労働所、死刑執行隊、拷問、家族皆殺し、ラマ僧の虐殺・・
こうした中抗中ゲリラがCIAの支援で組織される
【wiki】チュシ・ガンドゥク 

その後
 
CIA ダライ・ラマ側に対中闘争の資金と武器の援助していた

 中国人民解放軍が1949年にチベットに侵攻し、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を事実上の軟禁状態にし、監視下においていた際、米中央情報局(CIA)がチベット支援のため、ダライ・ラマ側に年間18万ドル(当時のレートで約6480万円)と軽火器を提供するとともに、チベット兵に軍事訓練などの支援を行なっていたことが分かった。米ニューヨークを拠点とする中国専門情報Webサイト「多維新聞網」が報じた。

 米政府が1959年3月のダライ・ラマのインド亡命後、資金援助などを行なっていたことは知られているが、それ以前にもCIAが資金とともに軽火器などを提供していたとの事実が明らかになるのは初めてだ。

 それによると、ダライ・ラマの密使が1951年、ニューデリーの米国大使館とカルカッタ(現在のコルカタ)の米国領事館を訪れ、当時独立国だったチベットが中国共産党に対抗するために、ダライ・ラマへの支援提供や武器の援助を要請した。

 これに対して、東西冷戦下で、共産主義のアジア各地への波及を恐れていた米政府はダライ・ラマへの資金援助などを了承するとともに、機関銃などの軽火器を提供することを決めた。さらに、チベット国内のほか、米国の米軍基地でチベット兵に軍事訓練を行なうことも約束した。

 これらの交渉はダライ・ラマの2番目の兄、ギャロ・トンドゥプ氏が担当していたが、ダライ・ラマにとって交渉結果は事後承諾の形で報告されており、いまでも平和主義者で、非暴力主義で知られるダライ・ラマが当時、軍事闘争路線を承認したというわけではなさそうだ。

 CIAがチベット軍を援助し、中国人民解放軍相手のゲリラ戦を支援する作戦は「セイント・サーカス(St. Circus)」とのコードネームで呼ばれ、チベット内の2か所の基地で3000人のチベット兵を武装させて軍事訓練を実施し、活動資金も提供したという。

 1959年にダライ・ラマがインド亡命した後も、軍事的支援は続けられ、訓練は中国国境に近いネパール北西部の拠点を中心に行われた。また、CIAはゲリラ戦を行なうチベット人兵士259人を米コロラド州の基地に連れて行って軍事訓練を実施したという。訓練のプログラムは殺人、射撃、誘拐、爆撃、爆弾製造などで、訓練を受けたチベット兵は神出鬼没に中国領内に現れ、人民解放軍部隊を相手にかなりのダメージを与えたとされる。

 ところが、これらの資金提供や軍事援助は1969年に突然中止となる。当時のニクソン政権の大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャー氏が対中関係改善を模索していた時期と符合しており、ニクソン大統領の決断だったとみられる。
NEWSポストセブン2012.7.15
http://www.news-postseven.com/archives/20120715_129207.html
 

この本にはこんなことが書かれている
p250
 ジョン・ケネス・ガルブレイス。新任の駐インドアメリカ大使で、ケネディの最も信頼する顧問の一人であり、チベット問題に公然と反対する人物であった。数々の肩書を持ち、明らかに無視できない相手であった。即ちハーバード大学教授にして、経済学者、作家、テレビコメンテーター、雑誌「フォーチュン」編集委員、そしてケネディ一族と親交がある、といった具合だ。さらに重要なのは、アイゼンハウアー時代に培ってきたパキスタンとの友好関係を犠牲にしてでも、インドとより友好的な関係を結ぶのがアメリカのアジア政策に欠くことのできない必須条件だとするケネディ自身の意向を彼が反映していたという点である。ガルブレイスのチベット計画への反対は、チベットに対する個人的嫌悪感にまで達していた。曰く「チベット人は不愉快で野蛮であり、恐ろしく非衛生的人種だ」とまで決めつけていた。

【wiki】ジョン・ケネス・ガルブレイス

検索しようとしたらグーグル先生が予測ワードに挙げてきたんで
こんな著作があると知る

人間主義の大世紀を―わが人生を飾れ
J.K.ガルブレイス
潮出版社
2005-09-01


( 一一)・・・・

参考
【wiki】CIAチベット計画

『When Heaven Shed Blood』
MELINDA LIU

(部分抜粋)

Then the airdrops hit a snag. When a U.S. U-2 spy plane was shot down over the Soviet Union in May 1960, Eisenhower halted intrusions into communist airspace, including Tibet. Some drops continued under the Kennedy administration, but the Tibetans' days of riding the "sky ships" were numbered. Washington's new ambassador to New Delhi, economist John Kenneth Galbraith, considered the Khampas "deeply unhygienic tribesmen" and the aerial transport and support efforts "a particularly insane enterprise," as he told Washington.
NEWSWEEK1999.4.18
http://www.newsweek.com/when-heaven-shed-blood-164864 

北朝鮮に不正輸出の疑いで社長逮捕、総連傘下を家宅捜索 シンガポール経由で日用品

日用品密輸総連


 政府が科している経済制裁の一環で、輸出が全面的に禁止されている北朝鮮に日本国内の日用品を不正輸出していたとして、京都府警と神奈川、島根、山口県警の合同捜査本部は18日、外為法違反(無承認輸出)の疑いで、韓国籍で貿易会社「聖亮商事」(東京都台東区)社長、金賢哲容疑者(48)=東京都足立区=を逮捕した。合同捜査本部は同日、関係先として同社のほか、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)傘下の経済団体「在日朝鮮合営経済交流協会」も家宅捜索した。

 合同捜査本部は昨年5月、朝鮮総連トップ、許(ホ)宗(ジョン)萬(マン)議長の次男を逮捕し、このとき関係先として聖亮商事も家宅捜索。同社の事務所から取引文書などを押収し、不正輸出の実態について裏付け捜査を進めていた。

 逮捕容疑は、平成26年1月2日、制裁で輸出が禁止されている段ボール187箱分の日用品をシンガポール経由で北朝鮮に輸出したとしている。

 北朝鮮国内の富裕層向けに、日本で流通する食器や食料品、衣類などを輸出していたとみられる。この輸出で約640万円の収益を得ていたという。

 日本政府は北朝鮮の核実験などを理由に独自の経済制裁を科し、21年6月には輸出を全面禁止とした。昨年3月、拉致被害者の調査の報告がないことなどを受けて、制裁を2年延長した。

 合同捜査本部は、21年から26年までの約6年間に10数回にわたって、不正な輸出を行っていた形跡を確認しており、常態的に不正な輸出を続けていたとみて、詳しい実態解明を進める。
産経ニュース2016.2.18
http://www.sankei.com/west/news/160218/wst1602180049-n1.html
(あらためて韓国系だからって繋がりがないってわけじゃないのね~)


余談
有田芳生朝鮮学校総連一体は妄言
 https://twitter.com/aritayoshifu/status/700085879889526784

「朝鮮学校は、朝鮮総連=在日本朝鮮人総連合会の影響を受けて一体化している」
これが妄言とおっしゃるわけですが

東京都の朝鮮学校報告書によると
 東京都朝鮮学校調査
ww.seikatubunka.metro.tokyo.jp/shigaku/chosen/gaiyou.pdf
(調査報告書 http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/shigaku/chosen/honbun.pdf)

「朝鮮学校は朝鮮総連と密接な関係にあり、教育内容や学校運営について、強い影響を受ける状況にある」
と書かれておりますね

(´・ω・`)ちょっと~これ知ってた?
水間政憲氏の動画でようやく知ったんだけども


【ニコニコ動画】【無料公開】歴史問題の元凶 教科書採択と東京書籍 やまと新聞 水間政憲「国益最前線レポート」#50前編《2/14公開》 

教育委員会、教員に対し教科書会社が接待していたという問題
神奈川県の歴史教科書は東京書籍が90%の占有率
南京大虐殺があった等一番ひどいこと書いてるのが東京書籍
(´・ω・`)だそうですよ

発端は多分これ
ここから全国問題に発展したみたい


【youtube】三省堂が現金渡した21人 教科書採択に関与 NHKニュース 

教科書採択三省堂
教科書採択三省堂2
教科書採択三省堂3


三省堂の検定中教科書謝礼問題で長野県教育長「処分の行為なし」

 大手出版社の三省堂(東京都)が昨年8月に長野を含む11府県の公立小中学校長らを集め、検定中だった英語の教科書を見せて謝礼を支払っていた問題で、県教育委員会の伊藤学司教育長は5日、「(本県から出席した)校長自身に問題はなく、懲戒処分に該当する行為はなかった」との見解を示した。

 伊藤教育長は同日の県教委定例会後の記者会見で「検定中の教科書を見た本人を責めるのは酷だ。見せた三省堂側の問題」と指摘。謝礼の受け取りについても「本人は教育実践発表への対価だと思っており、何の問題もない」とした。

 伊藤教育長によると、校長は三省堂が都内のホテルで開いた会議に出席した際、5万円の謝礼を受け取ったが、直後に宿泊代や懇親会費を実費分として2万5千円を返還した。問題発覚後に残りの2万5千円を返し、さらに2万5千円を上乗せして計7万5千円を同社に支払ったという。
産経ニュース2015.11.6
http://www.sankei.com/region/news/151106/rgn1511060057-n1.html 

【教科書謝礼問題】
業界最大手の東京書籍も教員に謝礼 文科省、虚偽報告には指定取り消しも 

 教科書を発行する「三省堂」などが検定中の教科書を教員らに見せて謝礼を渡していた問題で、業界最大手「東京書籍」(東京)が西日本の教員約30人に検定中の教科書などを見せ、謝礼として現金1万円を渡していたことが8日、文部科学省への取材で分かった。

 文科省によると、東京書籍は平成22年9月に名古屋市内のホテルで、「拡大編集会議」と称して教員を集め、検定中だった中学英語の教科書を見せて意見を聴いた。謝礼として一人当たり現金1万円を渡したほか、遠方から来た教員の交通費や宿泊費も負担していた。

 8日午前に同社の営業担当者が文科省を訪れ、不正の事実を報告。同社担当者は「採択を勧誘する目的だったのではなく意見を聴いただけだったが、疑わしい行為をやったのは確かです」と謝罪した。

 文科省の担当者は「業界最大手も同様のことをやっていたのは遺憾だ」としている。同社の来年度から使用される中学英語教科書のシェアは33.8%でトップ。

 一方、教科書会社による教員への謝礼問題が相次いでいることを受け、義家弘介文部科学副大臣は8日、教科書会社でつくる教科書協会(東京)が都内で開いた臨時会合で、「報告漏れなどが発覚したような場合は、指定の取り消しも含めて必要な措置を講ずることも辞さない。徹底的な調査を行っていただきたい」と適正な報告を促した。

 これを受け、同協会会長の佐々木秀樹日本文教出版社長は「編集段階から子供たちの手に渡る供給までの過程をつぶさに見直し、全社、詳細な報告書を提出させていただく」と応じた。

 文科省は昨年12月、三省堂以外の教科書会社にも自己点検を要請し、今月20日までに文書で報告するよう求めている。
産経ニュース2016.1.8
http://www.sankei.com/affairs/news/160108/afr1601080017-n1.html


【教科書謝礼問題】
《視点》悪弊断ち切れるか 教員側の意識改革も急務

 平成21年度以降の小中学校用教科書検定で、多くの教科書会社が教員らに検定中の教科書を見せ、延べ約4000人に謝礼を渡していた。文部科学省幹部も「想定以上の規模」と驚くように、その実情はルール違反の常態化というほかない。

 問題の根は深い。少子化に伴い、教科書市場はピーク時の昭和33年に比べ約47%も減少。そうした中、原則4年に1度の教科書採択でシェア(占有率)を落としたくない各社の営業は過熱傾向にあり、水面下で採択に影響力を持つ有力教員らに接近し、「意見聴取」の大義名分で囲い込みを図る流れは強まっている。

 実際、ある教科書会社幹部は「日ごろからアドバイスをもらっている先生方に検定中の教科書を見せるのはお礼の範囲であり、謝礼も当然」と漏らし、教員をつなぎ止めるためにはルール違反もやむを得ないとの考えを示唆する。別会社の幹部は「教科書内容はどこも大差はない。他社と差がつくのは営業力ぐらい」と言い切る。「不適切行為はなかった」と文科省に報告した10社の対応を疑問視する向きすらある。

 一方で、教員側の規範意識の希薄さも懸念される。地元の教育委員会に届け出をしないまま、謝礼を受け取ったケースは少なくないとみられるからだ。既に三省堂の問題では関与した教員らが処分されている。

 教科書が無償配布される義務教育は公教育の根幹だ。今回の事態はその制度を揺るがす背信行為にほかならない。教科書業界と教育現場には教科書を手にする児童・生徒に恥じない行為が求められている。(花房壮)
産経ニュース2016.1.20
http://www.sankei.com/life/news/160122/lif1601220029-n1.html

連日甘利疑惑ガー金銭授受ガーと騒いでたのに
こんなとんでもないことが起こってた
教科書は内容で採択されてるのかと思ったら何と
「営業」で採択されてた!?

ご存じの方いると思うんですが、教科書展示会といって一定期間全社教科書が展示されて市民が意見提出出来るというのがあります
(例・東京都
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/shidou/27tenjikai.html)
ところがこういうニュースを聞いてしまうと
意見聞きましたっていうアリバイ作るだけの儀式だったんじゃないかって疑惑すら出てくるわけで 

水間政憲氏はポストカードを学校OBとして送付することを提案されていますが
(ポストカードについて→http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/)
そうでなくても気になる方は「うちの学校は(自治体は)大丈夫ですか!?」と問い合わせ等するといいと思います

「だって教科書に書いてあるよ!?」
これがどれだけ重大なことになるか・・ 

【歴史戦 第11部 もうひとつの慰安婦問題(5)】
「教訓」選別する馬総統

 台北市内で8月14日に「AMAミュージアム」と呼ばれる新施設の看板掛けが行われる。「AMA」とは中国語の「阿媽(アマ)(おばあちゃん)」のアルファベット表記。台湾で初となる慰安婦記念館だ。韓国で元慰安婦を「ハルモニ」と呼ぶのに似ている。

 韓国や中国などの元慰安婦支援団体はこの日を「慰安婦メモリアルデー」としている。韓国人の金学順(キム・ハクスン)が慰安婦だったと名乗り出た日を記念したものだ。

 元台湾人慰安婦を支援してきた台北市の女性人権団体「婦女救援基金会」(婦援会)によると、正式オープンは世界人権デーの12月10日を予定している。

 婦援会が1994年に行った調査で36人いた元慰安婦は4人になった。婦援会執行長、康淑華は看板掛けを先行することで「おばあちゃんたちを安心させたい」と話す。

 記念館は商業施設の一部を改装。約360平方メートルのうち半分を慰安婦関連の展示場とし、残りは家庭内暴力(DV)被害者女性の作業場などにする。

 開館日をめぐってはちょっとした騒動があった。6月3日夜、総統、馬英九は台北市内で開かれた「抗日戦争勝利70周年」の学術討論会で「慰安婦記念館を10月25日の台湾光復節に開館する」と唐突に発表した。慌てたのは事務方だ。内政部(内務省に相当)などの当局者は「聞いていない」と繰り返した。

 結局、馬が開設時期を誤って発表していたことが判明し、総統府は4日夜、発表文を差し替え、馬が「12月に開館する」と発言していたことにした。

 馬が日付を間違えた理由は分からない。だが、10月25日は45年、台北で台湾方面の旧日本軍の降伏式典が行われた日だ。馬が記念館の開館をこの日に重ねることで、慰安婦と「抗日戦争」を結びつけようとしたとの推測は成り立つ。

  ■ ■ ■ 

 婦援会と馬との関係は、馬が法務部長(法相)に就任した93年に遡(さかのぼ)る。死刑制度を批判するなど「人権派」として知られた馬は、そのころ台湾でも活動が始まった慰安婦問題に高い関心を示した。総統就任後も、元慰安婦を訪ねたり総統府の食事会に招いたりした。康によると馬は「一貫して阿媽の最大の支持者だった」という。

 今年5月20日の就任7周年の記念演説では貴賓席に元慰安婦の陳蓮花を招待。演説の冒頭、「蓮花おばあちゃん」と声をかけた。任期最後の記念演説でのパフォーマンスに、日本側関係者は「日台関係が過去最良だというなら、演説の冒頭に慰安婦はないだろう」と不快感を隠さない。

 12月の開幕式典には、日本だけでなく韓国、中国の関係者も招待するが、康は「過去から何を学ぶかを大切にする施設で、抗日の意図はない。展示を見れば私たちの気持ちが分かるはずだ」と強調する。

 もっとも婦援会は日本政府に慰安婦問題での謝罪を求めている。昨年の8月14日には台北市内の日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所前で抗議活動を行った。首相、安倍晋三の退陣を求めるプラカードもあり「過去」を振り返るだけの団体ではない。

 活動には中国での慰安婦問題の研究者を自称する中国人男性も参加していたが、最後まで報道陣に身元を明かさなかった。

    ■ ■ ■ 

 台湾独立派の研究者でつくる台湾教授協会秘書長の許文堂は、馬が慰安婦問題を強調するのは、天安門事件への批判など、人権派が訴えるべき主張を「中国に配慮して言えないからだ」と見る。その上で、台湾で戦後、長く続いた慰安所を挙げ「もし慰安婦が問題だというなら『軍中楽園』にも向き合うべきで、(日本だけを)選択的に取り上げるべきではない」と話す。

 「軍中楽園」とは、49年の中台分断以降、台湾各地に設けられた中国国民党軍向けの「慰安所」の通称で、多くの台湾人女性が働いた。昨年には同名の映画も上映されたが、女性の人権問題としての認識は広まっていない。

 馬は先の戦争に触れるたびに「歴史の過ちは許せても歴史の教訓は忘れてはならない」と繰り返す。だが、その「歴史」を自ら選別しているとの自覚はないようだ。(敬称略) 
産経ニュース2015.7.8
http://www.sankei.com/premium/news/150708/prm1507080006-n1.html


【歴史戦】台湾の慰安婦記念館「おばあちゃんの家」概要を公表、9月開館へ 商店跡を改修、費用の一部確保

台湾慰安婦記念館2

 【台北=田中靖人】元台湾人慰安婦を支援している台北市の女性人権団体「婦女救援基金会」は17日、台湾初となる慰安婦記念館の予定地を確保したとして、施設の概要を公表した。台北市内の歴史的建築物の一部を改修し、9月に「おばあちゃんの家 平和・女性人権館」として正式に開館する見通し。

 予定地は、2階建ての建物2棟が中庭でつながった築80年以上の商店跡で、約500平方メートル。韓国や日本の関連施設も参考にし、約半分のスペースで元慰安婦の写真や経歴などの文献、元慰安婦が参加した人権運動などの資料を展示。残る部分は、性暴力の被害に関する教育の場などに充てる。入場は無料で、英語名は「AMAミュージアム」とする。

 改修費など初年度の費用約1200万台湾元(約4千万円)のうち、約200万台湾元は確保しており、残りも募金でまかなう。

 同基金会の康淑華執行長は「慰安婦という女性の人権問題を若い世代に伝えると同時に、戦時の性暴力問題などの省察につなげたい」としている。

 予定地は、清朝以降の歴史建築が集まる問屋街「迪化街」。一部は飲食店などに改修され、日本からの観光客も多い。
産経ニュース2016.2.17
http://www.sankei.com/world/news/160217/wor1602170041-n1.html

多分ここに繋がるであろう人に心当たりがあるんだけど・・
あんまりこの基金自体の情報がないみたいな

何か出てきたら追っていきます


参考
最近中国関連の記事書いてきてつくづく思うのは
彼らは「1対1で正々堂々と」 ぶつかると負けるので
必ず他国を巻き込んで包囲網を作るという手法を使うんですね

変容する「抗日」
台湾人冷ややか中国「抗日共闘の誘い」
 

河添恵子さんが言ってた連戦氏と台北市長選に出て落選したその息子・連勝文氏について
抗日のための第三次国共合作!? 

ググったら面白い記事が出てきた

台湾選挙を揺るがした「日本皇民論争」とは - 野嶋 剛

台北市長柯文哲
http://www.sankei.com/world/photos/150203/wor1502030055-p1.html

 台湾の統一地方選が11月29日投開票され、与党の国民党が歴史的とも言える大敗を喫し、馬英九政権は極めて大きなダメージを受けた。12月2日に馬総統は敗戦の責を負って党主席を退いている。その概要についてはすでに分析記事を書いたが(「台湾『国民党歴史的惨敗』の衝撃:『筆頭戦犯は馬総統』」2014年12月1日)、ここでは今回の選挙で「日本」が隠れた争点となった現象について考えてみたい。
(→http://www.fsight.jp/30947)

台北市長「当選の理由」
 台北市長に当選した無所属候補の柯文哲氏は「異変」の立役者となった人物だ。その柯文哲氏が当選後、メディアに「当選の理由」を問われたとき、「日本皇民論は確かに(国民党の敗北にとって)大きかった。あれで本土の藍(国民党陣営)の票がそっくり逃げてしまった」と語っていたことに驚いた。

 選挙期間中に起きた「日本皇民」論争は、日本のメディアではほとんど報じられていないので、まず簡単に説明しておきたい。

 台北市は本来、国民党が強い地盤である。今回、国民党の長老・連戦氏の息子で、企業経営の経験がある連勝文氏が国民党から立候補した。野党の民進党には勝てそうな候補が見当たらず、外科医で政治素人の無所属候補・柯文哲氏に相乗りする形を取るしかなく、誰もが連勝文氏の楽勝を予想した。

 ところが選挙戦は思いも寄らぬ方向に展開した。柯文哲氏が予想外に愛されるキャラだったことと、連勝文氏が予想外に憎まれるキャラだったことなどで大接戦となり、やがて連勝文氏陣営のまとまりの悪さや失言なども重なって、投票1カ月前には柯文哲氏が各種世論調査で10%以上のリードを稼ぎ出した。その事態に慌てた国民党が繰り出したのが、柯文哲氏に対する「日本皇民」批判だったのである。

 元行政院長で、台湾軍長老である郝柏村氏は、テレビに出演して「柯文哲の祖父は李登輝と同じで皇民の子孫である。皇民は日本統治時代、特権階級だった。(柯文哲が)日本統治時代を懐かしむのは自然な感情だろう」と述べ、柯文哲氏の「出自」を持ち出して市長になる資質を問題視した。

 もっと激烈だったのは、連勝文氏の父親・連戦氏だ。連家は外省人ではないが、戦前に台湾から中国に渡って国民党と協力していた「半山」と呼ばれる一族だった。日本統治時代に柯文哲の祖父が「青山」姓だったので柯文哲氏のことを「青山文哲」と呼び、「青山文哲が市長になるなんて耐えられない」「柯文哲は日本の役人になった家庭の出身で、当時の日本植民政府に協力したことは疑いない。こんなことをしていた人間を我々は何と呼べばいいだろうか」などと語り、「漢奸(売国奴)」ではないかと示唆した。

国民党内からもあきれる声が
 戦前の台湾における皇民化運動は日中戦争の開始と共に本格化し、それまでは台湾土着の文化との共存を求めてきた統治方針を転換し、天皇への忠誠、日本姓の使用、神社神道の定着などが図られた。

 しかし、柯文哲氏の祖父は確かに日本の姓を持っていたが、地方教師に過ぎず、それだけで「特権階級」と言い切るのは事実に即していない。

 この2人の日本皇民批判に、柯文哲氏の両親は「当時の台湾は日本に統治されていた。台湾人にどんな選択肢があるのか」と反論。柯文哲氏自身にも「台湾人は異なる過去を持っている。しかし、いまは一緒にいる。日本人であったことは祖父の過ちではない」と、まっとうな理屈で言い返された。

 結局、世論は柯文哲氏の側につき、国民党内からも2人の「差別」発言にあきれる声が上がった。連戦氏と郝柏村氏は釈明や謝罪に追い込まれ、連勝文氏も「父はいささか感情的になってしまった」と火消しに追われた。

2つの歴史観
 この問題は、台湾において、2つの異なる歴史観が存在していることと関係している。

 台湾のかつての「支配階級」である国民党の外省人の老幹部たちは一般的に、抗日戦争を戦って台湾を「解放」したという革命史観を持つ。一方、もともと台湾にいた本省人は、総じて、清朝も日本も国民党も「外来政権」に過ぎないという相対化された歴史観を持っていると言える。

 ただ、いずれの立場でも、戦後の台湾では「省籍矛盾」(外省・本省間の対立)を引き起こすような言動はタブー扱いされてきた。

 連戦氏らの発言は、外省人やその子孫を中心とする人々が今回、あまり投票に行かないと見られていたため、その票の掘り起こしを狙ってのものだったと思われる。しかし、こうした「日本皇民」批判は外省人二世、三世の間にも共感を得ないどころか時代遅れの印象を広げ、結局、国民党自身の得票にも負の影響を与えた可能性がある。

 外省人は国民党の中枢を握ってはいたが人口的には少数派であり、多数派である本省人の国民党支持層との協力関係によって台湾をコントロールしていた。いまも国民党内の権力構図は、馬英九総統のような外省系エリートと、王金平立法院長のような本土派実力者との間でバランスを取っている。
(震災後に観光訪問団で来てくれた人ですね→台湾総統選を受け中国が「観光客激減」の報復措置

 本土派の人々は日本統治時代には日本教育を受け、日本へのいろいろな感情や思い出を持っている人々である。「皇民の子孫だから市長にはふさわしくない」と言い切ってしまうのは、そうした人々をすべてひとまとめに批判することに等しく、失望と反発を招いたようである。

日台の微妙な関係
 今回の問題がどこまで実際の投票行動に影響を与えたかはより科学的な論証を待たねばならないが、大事な選挙戦終盤に数日間、台湾内の話題を独占し、国民党の挽回に向けた勢いを著しく削いだことは確かだろう。

 台湾政治において、日本というファクターは歴史と絡んでしばしば「争点」のになる。以前は、総統候補の馬英九氏に「反日」のレッテルが貼られそうになり、馬氏は「自分は知日派だ」とアピールすることに懸命だった。今回の日本皇民論争は、図らずも、台湾政治と日本との微妙な関係を改めて強く印象づけるものになった。
(野嶋 剛)
新潮社フォーサイト2014.12.4
http://blogos.com/article/100493/
 
韓国だと親日派=売国奴=財産まで取り上げられる
しかも親日派と非難されることまで日本のせいニダと言う→趙甲済(チョガブジェ)氏の本を読んでみた
それとは違う台湾の反応が興味深い


日本じゃありえない!? 台湾の選挙活動がすごいことに…

(何書いてあるのかよく分かんないけど不人気でこんな目にあったらしい)
連戦息子連勝文
http://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/1155161
http://matome.naver.jp/odai/2141602306330621401
(そもそもこういうバスは嫌だなぁ・・・日本でいえば例えば舛添バスとか走るんでしょ?・・おええええ)


野嶋剛氏って初めて知ったんだけども

終わらぬ冷戦、終わらぬ蒋介石

(一部抜粋)

筆者は、蒋介石と旧日本軍人の関係に焦点を当てた『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)という本を2014年に日本で上梓した。この本は、「白団」と呼ばれた約80人の旧日本陸軍の参謀たちを中心とした軍事顧問団が戦後、非合法の形で台湾に渡り、蒋介石の大陸反攻計画の立案、国軍再建のための軍事教育、日本の戦時を参考にした国民総動員体制の確立などに参画し、1969年までの20年にわたって活動した歴史をノンフィクションとして掘り下げたものだ。
nippon.com2016.2.16
http://www.nippon.com/ja/column/g00343/?pnum=1

(´・ω・`)何それそんなん初耳
すげぇ読みたい

参考
苦し紛れの「反日カード」? 台北市長選で「皇民化教育推進の子孫」与党陣営が対立候補に
http://www.sankei.com/world/news/141117/wor1411170040-n1.html 

「連勝文氏が「官二代」(高級幹部子弟)と批判されていることへの反論」
河添恵子さんも、台湾では苦労人が喝采浴びる素地があると言ってましたね 

以前から書いてたことが遂に
吉松育美さん騒動7 移民・亡国への道

【国家を哲学する施光恒の一筆両断】
「外国人家政婦」は日本人の倫理観に合うのか?

 みなさんは最近の女子大生が一番欲しいものをご存知ですか?

 小泉純一郎内閣で経済財政担当相などを歴任し、今も政府の複数の役職を務める経済学者、竹中平蔵氏によれば「外国人のメイドさん」らしいのです。キャリア志向の強い女子大生は、自分の代わりに家事をしてくれる外国人の家政婦さんを雇えるよう、国の政策を変えてほしいと願っているということです。昨年7月の対談記事で竹中氏はそう発言していました。

 私は職業柄、女子大生や大学院生と話す機会は多いですが、「メイドさんが欲しい」という声は寡聞にして存じません。竹中氏が教授をなさっている慶應義塾大は都会っ子が多いので九州とは違うのでしょうか。私も慶應義塾大卒なので同窓生らに確認しましたが、やはりそんな声は聞いたことがないと言います。竹中氏の周囲にはよほど変わった学生が集まっているのでしょうか。竹中氏はパソナグループ取締役会長も務めておられますから、むしろビジネス上の関心に基づく発言なのかもしれませんね…。

 しかしながら、この件は「竹中氏の奇妙な発言」というだけではすまなくなりつつあります。竹中氏が委員を務める政府の国家戦略特区諮問会議は5月12日、福岡市など戦略特区に指定された地域に限り、外国人の在留資格を緩め、外国人家政婦の入国を認める方向で検討に入ると発表しました。外国人家政婦を雇用しやすくすることで日本人女性や共働き世帯が仕事をしやすい環境を作るのが狙いだそうです。実現すれば、福岡市でも家事や育児はフィリピンなどから来たメイドさんに任せ、働こうとする女性が続々と出現するのでしょうか。

 私はこのような政策提言が、安倍晋三首相の諮問機関から発せられること自体に大きな懸念を抱いています。「自分が社会で働きたいから貧しい外国人女性をつれてきて家事をやらせる」という発想が、果たして日本人の倫理観に合うでしょうか。「貧しさ」に付け込むのは道義上許されない嫌悪すべき発想だと考えるべきだと思います。

 教育上もよいこととは思えません。家事を外国人に任せる両親のもとに生まれ、外国人家政婦に世話をされた子供が、日本人らしい道徳観を身に付けることができるとは到底思えないからです。

 そもそも外国人家政婦に関する規制緩和は、昨年6月に在日米国商工会議所が日本政府に提案したものなのです。このようにアベノミクスの「第3の矢」と言われる規制緩和に関わる政策の多くは、日本国民ではなく、外国人投資家の目をもっぱら気にしているように見えてなりません。労働時間規制や解雇規制の緩和もそうです。日本の政策を考える際に、日本人の常識的感覚に合わせるのではなく、外国人投資家の歓心を買うことに重きを置くとすれば「民主主義」の観点からも望ましくないと言えます。

 懸念は他にもあります。福岡市の国家戦略特区構想の提案には「クルーズ船内のカジノ営業の緩和」という項目も含まれています。言い方は悪いですが、「賭場」に群がる外国人を呼び寄せて福岡市民に一体何のメリットがあると言うのでしょうか。理解に苦しみます。

 その一方で、安倍政権は、道徳教育を重視し、小中学校での道徳の教科化を目指しています。これは正しい教育改革だとは思いますが、いくら学校で子供に熱心に道徳を説いたところで、その裏で大人たちが貧しい外国人をこき使い、ギャンブルなどの背徳に浸っていては社会に道徳観が根付くはずもありません。「経済」と「教育」は別物ではなく、密接に絡み合っています。安倍首相が「保守」を自認するのであれば、経済政策も日本人の常識に基づいたものを追求すべきではないでしょうか。 
産経ニュース2014.6.5
http://www.sankei.com/economy/news/140605/ecn1406050001-n1.html


在日米国商工会議所(ACCJ) 

USJAPANcouncilACCJウィメノミクスキャシー松井


家事代行 外国人受け入れ 年内にも特区 神奈川、大阪で 女性の負担減 普及へ公的補助必要

 家事代行サービスへの外国人労働者の受け入れが国家戦略特区の神奈川県と大阪府で年内にも解禁される。家庭内の家事負担を軽くすることで女性の経済的自立と社会進出を後押しするのが狙い。国は先行事例を検証しながら将来的には全国へ広げたい考えだが、共働き世帯を中心に歓迎の声がある一方、外国人労働者の搾取や人権侵害につながらないか懸念する意見もある。

 外国人労働をめぐっては、国はこれまで家事労働者の在留資格を原則として認めてこなかった。例外だったのが、外交官や外国人富裕層の家庭で働く場合と日本人と結婚するなどして、もともと在留資格を持っている場合だ。

 「女性の活躍推進」を掲げる政府は、2014年初頭から家事代行サービスでの外国人受け入れを打ち出してきた。9月1日には国家戦略特区改正法が施行され、特区内の日本人家庭で外国人家政婦が働くことができるようになった。

 改正法に基づく指針では、外国人の活用はフルタイムの直接雇用に限定。期間は最長3年で日本人と同等以上の報酬を支払う。勤め先での住み込みを禁止し、受け入れ企業が住居を確保するほか、必要な研修を行うことなどを盛り込んでいる。

    §    §  

 家事代行大手の「ベアーズ」(東京)は、年内にもフィリピンで現地法人を立ち上げ、来日前に日本語の研修などを行った上、年明けから家事ヘルパーのスタッフ派遣を計画している。

 同社専務の高橋ゆきさん(46)は、20年前に香港で働いていたとき、フィリピン人家政婦のおかげで仕事と子育てを両立できた経験がある。「日本で共働き世帯が増える中、家事代行の需要はどんどん伸びている。今後暮らしのインフラになれば、必ず人材が足りなくなる」と指摘する。

 経済産業省が設置した「家事支援サービス推進協議会」が1月に取りまとめた報告書によると、家事代行サービスの既存利用率は3%だった。同省は12年度の市場規模は約980億円だが、今後利用増が見込めるとして将来は6倍の6千億円に成長すると試算する。

 ただ、教育費や渡航費を負担し、給料の水準を保つとなれば、利用価格に転嫁しない限り、事業として成り立たせるのは難しい。高橋さんは「家事代行サービスが普及するためには、(子育て世帯が利用費に充てられる)クーポン券の支給や税控除など国の支援が必要」と訴える。

    §    §  

 1970年代から外国人の家事労働者を受け入れている香港。国際家事労働者連盟アジア地域コーディネーターの葉沛渝(イプピュイユ)さんによると、労働人口の1割を占める33万人がフィリピンやインドネシアなどからの家事労働者で、8世帯に1世帯が雇っている計算になるという。

 賃金や休暇が保障されるなどアジアの他国と比べて待遇はいいが、住み込みのため雇い主から暴力を受けたり、仲介業者から法外な手数料を取られたりする被害が後を絶たないという。葉さんは「家庭という密室の中だけに目が届きにくい。早期発見や防ぐための監視の仕組みが必要だ」と訴える。

 葉さんは、今回の日本の取り組みについて「特区という形で行われるため、労働環境などについての国の責任があいまいになるのでは」と懸念。導入にあたっては、国際労働機関の家事労働者の権利を守る条約を批准すべきだと指摘している。
=2015/10/10付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/feature/life_topics/article/200345

男女共同参画で税金を湯水のように使い
更に外国人家政婦使うのに国が支援しろと
こんなに税金かけて女性の社会進出っていうのは採算合ってんの? つまり
本当にこれ成長戦略として正しいのか?

それで記事書こうと思ったのは
最近こんなネット広告を見たからなんですが

フィリピン人家事代行サービス2

上記記事には出てこないことを書いておきましょう

フィリンピン慰安婦の背後にいたのはフィリピン共産党
フィリピン慰安婦の背後にいるのは 

フィリピン・カルデロンCPP・NPA・ミグランテ
CPP(新人民軍)
NPA(比共産党)

BAYAN連盟 
 ミグランテ(海外労働者人権団体)
 比女性人権団体
 学校教職員人権団体

このミグランテという団体がカルデロン騒動に関わっていたわけですね
なので
とんでもない訴訟リスクがついて回るということ
人権屋が鵜の目鷹の目で騒動起そうとしているのをお忘れなく
人権屋の餌食にはなりたくないですよね。。

よく分かる満州
長いので抜粋

満州の歴史に見る「破壊者」支那の流儀

小名木善行

p1
 (清の)康熙帝が行った重要な命令に「封禁令」というものがあります。どういう命令かといいますと、「漢人は清国皇帝の聖地である満洲国に入るべからず」としたのです。

 要するに康熙帝は、自らの出身地である満州地方を聖地とし、漢人の立ち入りを禁じたのです。これが今日のお話の最大のポイントです。

 康熙帝は、漢人(支那人)の立ち入りを禁じただけでなく、支那と満洲の国境である山海関に、関所を設け、支那人の入国を規制しました。

 要するに明代末期に支那の治世が乱れ、漢人に平和と安定を脅かされた女真族が、ついには漢人の本拠地を占領して皇帝となり、自らの出身地である満州を聖地化して、漢人の立ち入りを禁じて、故郷の平和と安定を図ったわけです。

 逆にいえば、女真族(満洲人)が、自国の平和と安定を図るためには、暴虐極まりない支那(漢人)たちの本拠地を制圧し、そこに首都を移転して漢人たちに君臨し、自国(満洲)の平和と安寧を図るしかなかったということです。

p4
 支那全土が軍閥や共産主義者、窃盗団等によって、好き放題荒らされ、農地が荒廃し、建物が破壊され、惚れた女房は強姦され、旦那や息子が虐殺されるという無法地帯と化した中にあって、多くの人々が、治安が良くて仕事があり、安心して暮らせる土地を目指したというのは、ごく自然な行動です。

 その結果、昭和になると、なんと毎年100万人規模で、支那人達が満洲に流入しました。満州事変勃発前の昭和5(1930)年には、ついに全人口の9割が支那人になりました。支那人が増えるとどうなるか。これも昨今の日本の各所でみることができるけれど、彼らは彼らだけのコミュニティを作り、平気で暴行を働き、治安を乱します。

 そしてついに、満洲国内で、支那人たちによる主権をも主張するようになりました。

 これは支那人のいわば習い性のようなもので、彼らの行動は、時代が変わってもまるで変化しない。

 いまでも支那共産党が、チベット、東トルキスタン、南モンゴルなどで異民族を統治するに至る方程式は、まるで同じです。これからはアメリカが危ないかもです。
(その前に沖縄だわね)

1 まず漢人が入植する。はじめは少数で。次第に大人数になる。
2 漢民族との混血化を進めようとする。はじめは現地の人との婚姻で。次第に大胆になり、果ては異民族の若い女性を数万人規模で拉致し、妊娠を強要する。
3 現地の文化財を破壊する。
4 天然資源を盗掘し、収奪する。
5 漢人だけの自治を要求し、国家を乗っ取る。

 昭和のはじめの満洲がそうでした。人口の9割が漢人になると、自分たちで軍閥を営み、満洲の自治を奪いました。これをやったのが、張作霖(ちょうさくりん)です。

 張作霖は、もともと匪賊(ひぞく・盗賊集団)の頭で、勢力を伸ばして軍閥となり、ついには、満洲国に軍事独裁政権を打ち立てました。

 昭和4年、全満洲の歳入は、1億2千万元だった。そのうち、1億2百万元を、張作霖は自己の利益と軍事費に遣っています。なんと歳入の8割を軍事費にしたのです。

 いまで言ったら、汚沢一郎が支那の人民解放軍を率いて日本の政府を乗っ取り、95兆円の歳費の8割にあたる76兆円を軍事費に振り向けた、というに等しいことです。しかもその軍事力の矛先は、なんと自国に住む満州人です。ありえないお馬鹿な話です。

 要するに、せっかく都市インフラが進み、みんなが豊かに生活できるようになったと思ったら、その富を横から出てきた漢人で、まるごと横取りしたのです。

p5
 張作霖は、満洲国を軍事制圧すると、国民から税金として金銭をむしりとり、自身は老虎庁と呼ばれる豪邸に住み、贅沢の限りを尽くしました。

張作霖の公邸老虎庁

 そしてついに張作霖は、日本を追い出して満州を完全に自己の支配下に置こうとしたのみならず、支那までも征服し、支那皇帝にまでのぼりつめようと画策しました。

 そんな折に起こったのが、張作霖の爆殺です。この張作霖爆殺は、長く日本の河本大佐の仕業と言われ続けていたけれど、公開された旧ソ連の外交文書には、ソ連の陰謀であったと書かれているともいいます。

 すなわち、張作霖を爆死させ、それを日本軍のせいにすることによって、日本を糾弾し、さらに日本と支那最大の軍閥である蒋介石を戦わせることで、両国を疲弊させ、最後にソ連が、支那と日本の両方をいただく・・・というシナリオであったという説ですが、実態は藪の中です。

 張作霖が爆死したとき、満洲の一般市民がどういう反応を示したかというと、これが拍手喝采して喜んでいます。当然です。むごい税金の取り立てで、国内を泥沼のような混乱に陥れたのです。その張本人がいなくなれば、みんな大喜びになる。ごく自然なことです。

 張作霖が死ぬと、その息子の張学良が後継者として奉天軍閥を掌握し、蒋介石を頼って反日政策を進めました。ところが張学良は、満州事変で満洲から追い出されます。すると支那共産党と結び、蒋介石との国共合作に引き入れる西安事件を起こしています。

 朝鮮半島でも、支那、満洲でも同じなのだけれど、いわゆる反日・侮日政策を採った者たちには、「民衆の幸せ」という観念がないという共通点があります。。どこの国にも、多くの民衆がいて、誰もが家族の幸せ、生活の安定を求めて生きているのです。それは昔も今もなんら変わることのない、人々のごく普通な、普遍的な思いです。

おなぎ・ぜんこう 1956年生まれ。大手信販会社にて債権管理、法務を担当し、本社経営企画部のあと、営業店支店長として全国一の成績を連続して達成。その後独立して食品会社経営者となり、2009年より保守系徳育団体「日本の心をつたえる会」を主催、代表を勤める。ブログ「ねずさんのひとりごと」は、政治部門で常に全国ベスト10に入る人気ブログとなっている。

ironna
http://ironna.jp/article/2697

日本が侵略したっていうんだったら
(満州は中華民国じゃないんで少なくとも中華民国、まして中華人民共和国が抗議する権利はないんだわ~)
満州人でもない張作霖・張学良親子って
満洲国とは何だったのか? 宮脇淳子 
満州人から見たら侵略者って言わない??
時代とか王朝・政権によって異なる民族と版図のものをひっくるめて全部「中国」「中国人」と総称するからワケワカランことになるんでね
その史観に従うことは現在の少数民族()弾圧正当化に手を貸すことになるでしょ
北京抗日記念館2
少数民族「絶滅」を企む中国の漢化政策

善悪で語ること自体何か意味あるんかって思うけど
もし善悪で語るなら一方のやったことだけを悪とするんじゃなくて
同じことやったらそれも悪って言うべきだけど絶対言わないんだよね
左巻き史観がケッタイなのはそこだよ 

侵略だ謝罪しろって言われても「あぁ?」としか思えなくなった 
日韓併合before afterって動画とか画像とかあるけど満州バージョンも作るといいと思うな。

5ステップで侵略完了!漢人支配の法則
                    byねずさん

1 漢人が入植。少数→大人数
2 漢民族との混血化。現地の人との婚姻→異民族の女性を拉致し、妊娠を強要。
3 現地の文化財を破壊する。
4 天然資源を盗掘し、収奪する。
5 漢人だけの自治を要求し、国家を乗っ取る。

これは覚えておこう(´・ω・`)

侵略者の手先 宮本エリアナ その目的は民族浄化 
手口がそっくり 

追記2016.2.28
 
【youtube】 「そうだ 満州、行こう。」 
この動画いいですね 

宮脇淳子さんの文を読んで
「中共プロパガンダの「対華21カ条=日本の侵略」にそのまま乗っかるのは少数民族弾圧の正当化にもつながるわけだね」
と書いたのだが
少数民族「絶滅」を企む中国の漢化政策 

 【阿比留瑠比の極言御免】
第三者・モンゴルから見た「慰安婦問題」

 中国・内モンゴル自治区出身の文化人類学者で、現在は日本に帰化して静岡大の教壇に立つ大野旭(ペンネーム・楊海英)教授から近著が送られてきた。書名は『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(5)』(風響社)といい、モンゴル人女性たちが中国人から受けた性的被害を記した記録である。 添えられた手紙にはこうしたためられていた。
 「朝日新聞による(慰安婦報道の)でっちあげとは異なり、私は長年にわたって調査研究してきております」「戦時ではなく、平時における中国政府と中国人による性犯罪をこれから、国際社会は裁くべきだ」

 大野氏が調べた中国政府の公式見解によると、文化大革命時に内モンゴル自治区では34万人が逮捕され、2万7000人が殺害されたほか、12万人が身体に障害が残る傷を負った。当時、自治区で暮らしていたモンゴル人の実に50人に1人が殺された計算となる

 そしてその過程で、「(妊娠中の女性に対し)手を陰部から入れて子宮から4カ月になる胎児を引き出した」「女性の下着を脱がせて、水に漬かった麻縄で会陰部を前後に鋸(のこぎり)のように引く」(ともに同書から引用)などの残虐行為が繰り返されたのだという。

 こうした原体験を持つモンゴルでは、韓国などが非難する慰安婦問題はどう映るのか。大野氏に聞くと、こんな答えが返ってきた。

 「先の大戦では、戦勝国側も日本と似たシステムで女性の性を利用していた。韓国もベトナム戦争時に戦場の性の問題を起こしており、それを封印して慰安婦問題で日本批判のキャンペーンをするのは国際的に公正ではない」

 「中国はモンゴルだけでなくチベット、ウイグルでも平時に性的犯罪を行っている。それに対して謝罪も賠償もされていない。それを省みず、日本だけを批判するのは問題だ」

 物事は第三者の立場でみると理解しやすい。韓国の朴槿恵大統領はバイデン米副大統領と6日に会談した際、「安倍晋三首相の歴史認識が変わらない限り、会っても成果がない」と述べたとされる。もっと謙虚に歴史を直視すべきだろう。

 慰安婦問題では、日本の軍・官憲が組織的に韓国人女性を強制連行した資料・証拠は何も見つかっていない。この点について大野氏は「かなりいいかげんな話だ。一方、私の本は被害者、加害者双方の名前入りの中国政府に事実認定された1次資料だ」と語った。

 また、大野氏は「戦後、満州などから引き揚げた日本人居留民が朝鮮半島や中国で受けた犯罪を、日本はずっと不問にしてきた」と指摘し、日本のメディアのあり方にも矛先を向けた。

 「慰安婦問題が政治問題化したのは朝日の偏向報道がきっかけであり、それに一部の左派研究者もくみした。彼らは中国が私たちマイノリティー(少数民族)に対してやったことは正面から取り上げない。それはフェアじゃない」

 大野氏の労作は、現在進行形の犯罪には頬かむりし、事実関係の怪しい過去の掘り起こしに血道をあげることの愚かさを教えてくれる。(政治部編集委員)
産経ニュース2013.12.19
http://www.sankei.com/politics/news/131219/plt1312190015-n1.html

日本は過去に悪いことをしました~~と謝罪して気持ちよくなるのは勝手なんだけども
何より現在進行形の犯罪を黙殺することになる

それがどう平和に繋がるのか教えてよ
救い難い人権侵害組織=✖国連 〇連合国
チベット侵略も黙殺した
中国のチベット侵略 

当時の中国軍もとんでもなかったんでさもありなんという感じ
じゃぁ中国軍ってどんなだったの?

最近孫文を軸に中国のことを調べているのでここでも出てきた
中国の謀略宣伝工作 
フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズの著書を今更読んでみた 

中国の戦争宣伝の内幕―日中戦争の真実
フレデリック・ヴィンセント ウイリアムズ
芙蓉書房出版
2009-11


p39~43
第三章 第二次上海事変の内幕
(要約)

■「アメリカをひきずり込め!」

ドイツ人が訓練した50万を数える軍隊を率いる蒋介石は、
「アメリカを干渉者として引き込め」と囁かれる。

■蒋介石の上海攻撃
 ドイツ軍事顧問に干渉を引き起こすよう言われ、蒋介石は国際租界があり外国人の目のある上海に着目した。

 条約で租界には武装した中国軍は入れないため
「蒋介石は上海の混雑した地域に10万を超える粒よりの部下をもぐりこませたーー軍服は着ず、苦力みたいにむさくるしい格好で、武器は隠していた。」

「日本は在留民の生命と資産を守るために陸戦隊を上陸させた。それが合図だった。南京からやって来ていた粒よりの十万人が攻撃をしかけてきた。日本人は突然直面したのだーー2000対10万、黄埔江を背にし、全滅の危機に瀕した。」

■上海事変の開始 

 「世界では、統一されて目覚めた中国が侵略者に直面しているのだと報道されていた。」 

 「戦いが始まり、一握りの日本人たちが川に追い落とされないように、南京からの圧倒的な兵力を持った正規兵の攻撃に対抗して絶望的に戦っていた。」

 「日本兵にとっては驚愕としか言いようがなかったのだが、すべての地域がひそかに要塞化されており、数万の訓練された飛び切り上等の武器を持った中国兵と自分たちは直面し、罠を仕掛けられたことを理解したのだ。一週間夜も昼もなく、ほとんど食うものもなく、弾薬は不足していた。しかし王手をかけられながらも、彼らは数十倍の敵を持ちこたえた」
 

【wiki】第二次上海事変 

(一部抜粋)

第二次上海事変

第二次上海事変(だいにじシャンハイじへん)は、1937年(昭和12年)8月13日から始まる中華民国軍の「日本租界」への攻撃とそれに続く日本軍の反撃である。上海戦(シャンハイせん)とも。中国側の呼称は淞滬會戰(淞沪会战)。

評価と解説
東中野修道は、日中戦争は日本が土足で侵略したのでなく、第二次上海事変で中国が先に日本人居住の租界地を襲撃した事で全面戦争となった事についてあまり知られていない事を批判した。

北村稔は中独合作でドイツは国民党に多くの軍事顧問を入れ中国は自国のタングステンなど希少金属を提供しているような緊密な中独武器貿易があった事があまり知られていない事実を指摘している。

参謀本部第二部の欧米班にいた杉田一次少佐は、「ドイツが早くより有力な軍事顧問団を中国に派遣し、長期に亙って軍事援助を行い、日本を相手とする国防充実に手を貸していたことに日本は無知であった」と述べている。

同盟通信の松本重治上海支社長が「上海の戦いは日独戦争である」と月刊誌『改造』に書いた記事は、その部分は削除されて掲載された。 

これで何で侵略と言われなきゃいけないのか
自分には理解できないんだが・・

日中戦争 一体どこが「侵略」 だというのか
『歴史通』2015年3月号増刊

(抜粋)

石平氏
 いまの中国は「暴支」どころか「暴走」していますね。シナ事変、つまり日中戦争について、私は中国でこういう教育を受けました。

 日露戦争当時からすでに、日本は中国をほろぼして大陸を我が物にする計画を立て、着々と対中侵略を進めてきた。その過程に満洲事変があって、盧溝橋事件があり、そうして全面的な侵略が始まったと。

 そう教えられて、私は「日本人はすごいな」と感心した。何しろ、百年の計を立てて、そのとおり実行していたというのですから。

 しかし、日本に来て歴史の本を読むと、全然話が違うのでとても驚きました。いったいどこに侵略計画があったのか。ズルズルと戦争に巻き込まれていっただけではないのか。 
http://ironna.jp/article/1072

戦争に引きずり込もうと虎視眈々と狙われて囲まれてる時に
日本がどうやってそれに抗うことが出来たのか
侵略だ侵略だっていう人はそれを教えて欲しいよ

前掲書p63
「私は心に残る別の画像を消し去ることができなかった。金持の政治家と軍閥とそのずる賢い妻、片手で麻薬中毒者を殺害しながら片手で同胞に麻薬を売っている将軍、立派なスピーチをして国民の改善を約束しながら、その軍隊を維持するために貧弱な稼ぎの中から貢物を取り立てて人々を飢え死にさせ、彼の家族と取り巻きは豪華な宮殿に住んでいる一人の軍閥の画像を。」
(これは蒋介石のことだけど・・反腐敗キャンペーンやってる今も同じだね)

当時も今も中国は何も変わってないよね
なぜそんなに目が曇っているの 

さてこれらのことを踏まえて
ラーベの日記が信用に足るものか考えたらどうかと思うよね
映画まで作ってホント後々の恥になるだろうね 

ジョン・ラーベ映画HP
http://johnrabe.jp/
シーメンス南京支社長 ジョン・ラーベ (大爆笑 

孫文がクソミソに書かれててちょっとびっくりしたんで本を読んでみた
→ 近代中国の争乱の元凶は孫文 黄文雄 




p188~194
③孫文の「満州売却計画」

■孫文の歴史的評価は不当に高すぎる
 辛亥革命と中華民国建国については、中国人だけでなく、日本人の学者にも誤解と曲かいがしばしば見られる。たとえば、維新派よりも革命派に対する評価が高く、革命派の中でも孫文一派がいっそう高く持ち上げられている。反対に、北洋軍閥はあたかも中華民国騒乱の元凶のように扱われている。

 しかし、こうした見方は、ほとんど北伐後の蒋介石一派の宣伝によるものである。これも中国近現代史の大きな歴史歪曲といえよう。

 清朝末期の維新派は、たいていが科挙に合格したエリート、どちらかというと伝統的知識人のグループであった。また、北洋軍閥の首領たちは、たとえば曹錕(そうこん)大統領のような無学である者もいたが、士官学校出身のエリートたちも多かった。

 一方、革命派は、ほとんどが科挙の落第生や社会の落ちこぼれであり、王朝の主流から遠い存在である。

 革命派は、黄埔軍官学校が設立される前は、どちらかというと南方の幇会(パンフェイ)組織(秘密結社)匪賊集団出身者からなる烏合の衆であった。こういう人々を指導していたのが孫文である。

 だから革命をめざして十回も蜂起したのであるが、すべてに失敗した。孫文の関知しなかった辛亥革命だけが成功をおさめたのだ。孫文は、また広州で政府を三回樹立したのであるが、いくら全中国を代表すると主張しても、毎回内部抗争によって崩壊した。政府を作る能力が足りなかったとしか思えない。
(袁世凱≒北洋軍閥との対立は南北対立っていうのはこういうことだったのね)

■空手形を乱発して革命資金を集めた孫文
 孫文革命の最大の特色の一つは、中国の鉱山や鉄路建設の利権を、列強諸国に抵当や譲与という空手形で約束し、革命資金を集めたところにある。しかも、こうした鉱山や鉄路は、たいていまだ革命派が手に入れていない地域のものだった。

 孫文は、この手段で辛亥革命前に第四代台湾総督児玉源太郎に対して軍隊と軍資金支援の工作をしている。さらにロシア革命後にはソ連へ、自分たち南方革命派への資金援助を乞い、自らの革命に賭けた。

 そして孫文は日本に満州譲渡の交渉も展開している。「満州を買ってくれませんか?」というわけだ。この事実を日本人はもっと重視すべきである。

 日本からの袁世凱初代中華民国大統領に向けて出された「対華二十一カ条要求」は、日中対立を決定的にした要員であるとされている。しかし、その「二十一カ条」の原案は、孫文が1913年に半袁世凱の第二次革命失敗後、日本に亡命して、革命支援を得るために日本政府と秘密協定を結んださいの利権譲渡の条件であった。もとはといえば孫文が作ったようなものなのだ。

 孫文と日本政府との秘密協定については、NHKテレビ番組『現代史スクープ/孫文亡命933日の記録ー発見された孫文の日中盟約』(平成3年4月20日放送)でも明らかにされた。専門家以外にもよく知られるようになったのは、このときが最初であろう。

 孫文は、革命団体・興中会をつくった当初、すでに「韃虜(満州人)を駆逐し、中華を回復する」という政治綱領を揚げていた。辛亥革命の当初にも、孫文ら中国革命同盟会の大勢は、種族革命を揚げ、満州人を「東胡の賤種」「満奴」「韃虜」だと罵倒、”神州中国の地を簒奪し、炎黄の子孫である漢民族を専制淫威の下に抑圧、蹂躙した”と非難していた。

 この言い方でよくわかるように、そもそも孫文は、満州を中国の一部とは考えていなかったのである。
(考えてもいなかったし、事実そうではなかったわけだし
少数民族「絶滅」を企む中国の漢化政策


■”満州売却”の秘密文書があった
 孫文は満州を売却するべく日本と秘密交渉を持ったが、実力者の山形有朋からはきっぱりと拒否された。北一輝の『支那革命外史』は、孫文を「売国奴」とまで批判しているが、それは、このように中国の利権を日・米・ソに次々と切り売りしていたからである。

 孫文は第二次革命失敗後、日本に亡命して玄洋社の頭山満や黒龍会の内田良平らに保護を求めた。そして再起をはかり、当時北京政権を握っていた北洋軍閥に対抗するには、巨額の革命資金がなければ次の武力対決が行えないと考えた。そこで孫文一派は、日本政府から革命資金と兵器支援を引き出すために、政権奪取後の見返りとして、日本政府に数多くの利権提供を約束しなければならなかった。

 孫文は1914年3月14日、日本の加藤高明外相(当時)の代理、外務省の小池張造政務局長と秘密交渉に及んだ。

 孫文らは満州、満鉄に関する日本権益の拡張、ドイツから得た青島を含む山東半島の権益の継承など十一カ条に及ぶ権益供与という条件を提案した。

 孫文と陳其美は、この秘密文書の末尾に署名と捺印をした。日本側の署名は、犬塚信太郎(満鉄理事)と山田純三郎(満鉄上海駐在員)であった。

 この「日中盟約(秘密文書)」調印は、1915年2月5日、孫文の隠れ家であった頭山満邸の孫文居室で行われた。孫文以外のメンバーは陳其美、王統一(革命党海軍総司令)と山田純三郎らで、彼らが討論して署名したのであった。その筆跡は、第三次革命の熱心な支援者の一人であった日露戦争当時の名将、秋山真之海軍提督と推定されている。

 台湾の国民党政府関係者は、いまでも孫文と日本との「日中盟約」を否定している。日本が中国侵略のために孫文を利用した陰謀であるとして、その存在さえ認めない。

 しかし、山中峯太郎の回想録によれば、孫文は彼の紹介で、王統一の私邸において上原勇作元帥と秘密会談をしたとき、日本の予備将兵と平気三個師団分の支援と引き換えに、満州の特殊権益を譲渡するという交換条件を提示している(『夢いまだ成らずー評伝山中峯太郎』尾崎秀樹著、中央公論社、167~178ページ)。

 日本政府は北京実権派を支援するか、広州革命派を支援すべきかを考慮した。日本政府としてはまだ政権を譲っていない孫文の空手形を選ばず、孫文が提示した条件に修正を加え、袁世凱総統に「二十一カ条の要求」を通告したわけだ。

孫文と山田純三郎
【wiki】山田純三郎


■米人ジャーナリストの辛辣な孫文評
 孫文が死去するまで交際していたアメリカ人ジャーナリスト、ジョージ・ブロンソン・レーはかつて孫文の顧問を務めたこともある。彼は、自著『満州国出現の合理性』で、革命利権空売りの常習犯である孫文についてこう書いている。

「辛亥革命当時、南京に於ける孫逸仙(孫文のこと)は外債を起こして袁世凱に対抗せんと死力を尽くしたものである。孫は彼の政府に対し直接に援助を与て呉れるもののないことを知り、間接の方法に依って資金を得んと試みたのである。中部及南部支那に於いて重要なる公益事業及彼の共和国をして危機を乗り切らしめんとしたのである。即ち江蘇及浙江の両鉄道会社、支那招商局汽船会社、漢陽鉄鋼会社並に付属の大冶の鉄山及萍郷の湛山は何れもその財産を借款の担保に提供したのである。・・・・」(72ページ)

「米国国務省が之を否認するや支那人は欧羅巴(ヨーロッパ)に於いて其の金を調達せんと試みたのである。夫れにも亦失敗するや今度は日本に赴き漢冶萍の財産を担保に250万円の借款を得たのである。而(しか)して其の契約条件たるや支那に於ける商業借款中恐らくもっとも好条件のものであったのである」(72ページ)

 孫文は、まだ孫文自らの手に入っていなかった中国の利権を、あちらこちらに切り売り、空売りした。そのことがよくわかる一文であろう。最終的には欧米に拒否されたものまで日本人に空売りしたのだ。

 レーは、孫文の人物像について、こう述べている。

「孫逸仙はどちらかというと空想家の一種であって行政上の実際には疎く実行上の才能には乏しく社会主義的傾向の強い人であって、就中(なかんずく)正直で愛国者たることは其の特色であったけれど支那統一の大偉業を遂ぐるには全く不適当の人物であった」(95ページ)

革命に金を出せ
でも干渉するな侵略だ!って変な話だなぁと内心思っていたんだが
空手形で金を引っ張っていたというのでようやく腑に落ちた
そもそも勢力圏でもない満州を買いませんかってとんでもねぇw

宮脇淳子中華民国1912
黄色いとこの人がピンクのとこ買いませんかって何言っとん!?

参考
日中盟約についてググると
富山国際大学の藤井昇三教授が資料を発掘したらしい
http://politics.ntu.edu.tw/RAEC/comm2/10InterviewJ.pdf
国父孫文がそんなことをするわけがないと特に台湾国民党から強い反発があったと
まぁそうでしょうね

もっと知られてもいいことのような気がするけど

中国、ロシア、韓国で、【反日統一共同戦線】を作ろうと画策しているという記事
日中和解はホンモノか?~豪で進む驚愕の反日プロジェクト 
なんだけど、既に2005年にこんなことが

【噴水台】国共合作

「私は誰とでも手を組む」。

  中国の国父・孫文が1924年、第1次国共合作に取り組みながら述べた言葉だ。 国民党と共産党の合作スローガンは「打倒帝国主義、討伐軍閥」だった。 第1次合作は3年で終わった。 共産党の勢力拡張を憂慮した蒋介石が、27年、共産党に白色テロを加えたのだ。 しかし9年後、蒋介石は寝巻姿で捕まえられ、第2次国共合作を強要された。 西安へ共産党討伐を督励しに行ったが、部下の張学良に逮捕されたのだ。 「西安事件」である。 張学良は共産党よりも日帝と戦うのが先だと考えた。 第2次合作は、45年の日帝の敗亡とともに、翌年に国共内乱が起こり、幕を閉じた。 

 今日は第3次国共合作の門を開く日だ。 国民党主席の連戦が、共産党総書記の胡錦濤と会談するのだ。両党の指導者が向い合って座るのは、1945年、毛沢東と蒋介石の重慶会談以来60年ぶりとなる。 もちろん第1・2次合作時とは状況が大きく変わった。 衰落した国民党の立場が最も大きな変化だ。 一時は大陸の覇権を争った国民党が、いまや追われた台湾ですら押されている。 民進党に政権を奪われてから5年が経った。 しかし共産党は、26日から始まった連戦の大陸行きを輝かせようと必死だ。 孫文の墓である中山陵を参拝、西安事件が起きた年に西安で生まれた連戦の故郷訪問周旋など。 胡錦濤との今日の会談はそのハイライトだ。 

 第1・2・3次国共合作の闘争対象に指される外勢がある。 日本だ。 第1・2次合作当時、「打倒」と「戦争」の相手だった。 第3次合作の背景にも日本がある。 日本と米国はさる2月、外務・国防閣僚の「2+2会談」を行い、「台湾問題を平和的に解決する」という内容の声明を発表した。 台湾問題への介入を示唆したのだ。 統一を至上課題と考える共産党は大きな衝撃を受けた。 怒った。 そして友軍を増やそうという伝統的な統戦術の一つに、国共合作というカードをまた取り出した。 第3次合作の本当の理由だ。 このように国共合作による克日はいまだ進行形である。 「革命はまだ成功していない。続けて努力しなければならない」という孫文の遺言は、今でも有効であるようだ。
中央日報2005.4.28
http://japanese.joins.com/article/016/63016.html?servcode=100&sectcode=100

あちらは「克日」と言っててそれが韓国メディアの目にも明らかだというのに
日中友好一辺倒な日本のメディアにあらためて多大な疑問が

胡錦濤総書記と連戦主席の会談、世界で報道相次ぐ
胡錦濤・中国共産党中央委員会総書記は29日、中国国民党の連戦主席と北京の人民大会堂で会見した。両氏は、両党党首60年振りの歴史的な握手を交わした。 

世界3大通信社(ロイター通信、AFP通信、AP通信)は30日、胡総書記と連主席の会談について報道し、「台湾海峡両岸の歴史的会談だ」と伝えた。米紙「ニューヨークタイムズ」などマスコミは、3大通信社の情報を引用して次々に報道を行った。 

▽AP通信 

現場から中継された会見では、大陸部と台湾の両党首の握手が、数十年にわたる対峙の終了への希望を表していた。これはかつて大陸部を統治した国民党が数十年ぶりに中国共産党と行う最高レベルの会談だ。 

▽ロイター通信 

胡総書記と連主席の会談は、双方の敵対状態の正式な終結をもたらす可能性がある。 

▽AFP通信 

台湾の野党である国民党の指導者と、大陸部で執政する中国共産党が60年間で初の会談を行った。海峡両岸(中国大陸部と台湾)の緊張緩和のために努力している。 

(編集SN) 

「人民網日本語版」2005年4月30日 
http://j.people.com.cn/2005/04/30/jp20050430_49738.html


共産党と国民党、「92年の共通の認識」と「台湾独立」反対で一致

胡錦濤・連戦会談1

 中国共産党の胡錦涛総書記と中国国民党の連戦主席は29日北京で、60年来初めての両党のトップ会談を行い、双方は、一つの中国の原則を表す「92年の共通の認識」【wiki】九二共識)を堅持し、「台湾独立」に反対することで一致に達した。

 両党のトップ会談後発表発表された『共同コミュニケ』は、「『92年の共通の認識』を堅持し、『台湾独立』に反対し、台湾海峡情勢の平和と安定を求め、海峡両岸関係の発展を促し、両岸同胞の利益を維持することは両党の主張である。両党は、両岸が『92年の共通の認識」を踏まえ、平等な協商をいち早く回復し、双方が共に関心を寄せる問題とそれぞれが関心を持つ問題について討議を行うこと、両岸はこれまでの敵対状態を正式に終わらせ、平和協議に達すること、両岸の経済分野の全面的交流を促し、両岸の経済協力メカニズムを構築すること、台湾民衆が関心を持つ台湾のWHO・世界保健機関活動への参加問題を含む国際活動への参与問題についての協議を促していく。また両党は双方の定期的疎通に必要なメカニズム確立を決めた」としている。
「CRI」より2005年4月30日 
http://japanese.china.org.cn/japanese/213850.htm

(´・ω・`)つい最近連戦の名前を聞いたなぁ


【youtube】【河添恵子】 翁長雄志の中国人的 エ◯さ 2016年1月29日 【マット安川のずばり勝負】 

4:31~
(台湾総統選の結果について)
河添恵子氏「中国共産党はそんなにバカではないですからこの結果予測してシミュレーションしてると思うんです。馬英九さんは去年の11月かな、習会談をしたわけですけど、彼はこれから前総統の肩書になるわけです。前総統になって俺に中台関係をもっと密接にすることをもっとやらせてくれっていうプレゼンをしたんであろうって言われてるんですね。今までそれを誰がやっていたかというと、連戦という方です。連戦のファミリーがやってたんですが、連戦はもうおじいちゃんです。連戦の息子は台北の市長選に出たけどもうダメでした。で、もうやはりそいつは無理だということで馬英九さんが手足をするんではないかと。早速南シナ海の島に行ったりとか、はじめてるわけですよ。あと日本の戦前はホロコーストみたいなことやったと。南京のこと言ったり。要するに中国共産党の手足をやってるわけですね。ある意味去年の会談は就職活動です(笑)
 
(賢明にもNOと言う台湾)
台湾人冷ややか中国「抗日共闘の誘い」


【youtube】3/3【討論!】台湾W選挙の結果とアジアの未来[桜H28/1/23]

17:22~
謝恵芝氏「70年前に台湾は日本だったんですね。私の父親も日本人として生まれて、死ぬまで日本人でいました。その後に国民党が乗り込んできて、台湾という表札を無理やり中華民国に替えさせられて、私達も無理やり、自分の言葉あったのにそれもしゃべっちゃいけない、として中国語を国の言葉として使っていきました。

この長い70年間、台湾人が台湾に対する思い、それはきっと日本人は分からないと思うんですね。私の父が私を日本に留学に送り出した時に、日本が世界で一番血統が優秀な民族で素晴らしい国で、是非行って、いい人がいたら結婚して帰って来なくていいからとまで言ってくれました。

それ位ね、父の一生見ると中国人は嫌、中華民国人ではなく日本人として一生を全うしましたね。その父の思いを背負って今の日本を見るとちょっと悲しいっていうか、悔しいっていうか、残念に思っています。

中国っていう国は、中国人も、中華民国人もそうですが、一歩私達が引くと、向こうは遠慮するんじゃなくて一歩踏み込んで来るんですね。だから日本が弱く見えると、これは攻めていいんだと思って無理やり押してくるんですね。私達の家を盗るように来るんですね。沖縄の問題もそうですが。

だから日本がこれから台湾とどういう関係築いていくか、台湾人が一番信頼している国は近くにあって、日本ですよ。50年間も歴史共有して台湾人気質の中にも日本精神も混ざり合っているので、日本が台湾に力を下さったら台湾も立ち直っていけると思っています。特に今の時期はベストの時期だと思います。

中国も韓国も日本が一生懸命支援していても向こうは足で蹴ってくるだけ。だけど、台湾は、変な言い方ですが、日本に片思いしてきたんですよ。是非ここで少しでも応えてくれると台湾人は満足すると思います。うちの父の片思いも、もういないですが、是非叶えてあげたいと思います。」

黄文雄さんは戦前の中国情勢を「日中共同防共戦略vs東アジア赤化戦略」と分析したけども
近代中国の争乱の元凶は孫文 黄文雄
結局今もそれが続いているのね

このまま東アジアが赤化、というか華夷秩序に組み込まれるのが平和に繋がる わけがないよね? 

日本は何かとんでもない目くらましをされて敵が何かすらも分からない錯乱状態じゃないかって思う

【コラム】米国に押し寄せるジャパン・マネー、「実は味方」という親韓派の育成を急げ

 旧日本軍の慰安婦問題の解決に向け、韓日両国政府が合意したが、米国では相変わらず、日本によるロビー活動が行われている。日本側は最近、カリフォルニア州で「慰安婦は給与のいい売春婦だった」という内容を教科書に記載するよう求める署名運動を始めた。元慰安婦たちの名誉を傷つけたことが認められ、損害賠償を命じる判決を受けた『帝国の慰安婦』の著者は最近、米国の代表的なシンクタンクに招かれ、見解を表明した。連邦議会は2007年、日本が責任を認め謝罪するよう求める決議を行ったが、「ジャパン・マネー」の力は強大だ。普遍的な女性の人権問題という点で韓国に分があるにもかかわらず、いつの間にか日本の刃(やいば)が韓国に向けられるようになった。

 最近、ワシントンで活動するシンクタンクのアジア専門家は、著述作業を支援するという韓国のある財団からの提案を断った。外国からのカネを受け取れば、専門家として認められ得る議会の聴聞会の証人などの任務を十分に遂行できなくなるからだ。連邦議会下院は最近、議会で証言する場合、外国からの支援金をどれだけ受け取ったのかを1週間以内に報告するよう義務付ける法律を成立させた。時刻に好意的な専門家を精一杯支援するのも難しくなった。最もハイレベルなシンクタンクとして知られるブルッキングス研究所は、ニューヨーク・タイムズが外国政府からの支援金の明細を公開した後、慎重な姿勢を見せるようになった。支援金の額と、シンクタンクの研究成果に相関関係がないかを調べ上げるメディアを意識せざるを得ないのだ。

 カネがあるからといって、支援の対象者を意のままに操るのは難しい上、資金や人脈を見ると、日本と韓国は雲泥の差だ。対米外交を担当する組織からして比べ物にならない。国際交流基金(JF)は、社会科学分野の人的交流のための資金だけで500億円も保有している。民間団体の笹川平和財団USAは、自己資金が300万ドル(約3億5600万円)に達する。日本からの支援金はまた別だ。一方、韓国では、韓国国際交流財団(KF)の予算15億ウォン(約1億4800万円)しかない。担当者の数も、JFは18人、笹川平和財団USAは13人なのに対し、KFは2人しかいない。

 このような状況で、安倍晋三首相は米国を訪問した際、270億ウォン(約26億5700万円)を投じて、米国の主なシンクタンクに勤務する若手研究員を毎年250人ずる招待する方針を打ち出した。外務省はこれとは別に、約2億ウォン(約2000万円)を投じて、米国の学部生まで日本に招くという。このような中でも、KFが韓国の専門家でない人たちを韓国に招くプログラムを50-60人規模に拡大しているのは幸いだ。日本を訪れた米国の「次世代の安全保障リーダー」たちの韓国訪問も実現させた。一たび韓国に来た人は、多くが「親韓派」になる。中途半端なセミナーを大々的にやるよりも、このような形で外国人を迎える方が、友好的な韓国専門家を育成する上でプラスになる。マーク・リッパート駐韓米国大使も、米国議会で活動していたときに韓国を訪問し、すっかり韓国好きになったとされる。

 問題は、いわば一部を切り取って全体を眺める「1件主義」的アプローチだ。一部の国会議員は「韓国からカネを受け取れば、韓国に有利な発言だけしなければならいのになぜそうしないのか」と、日本の数百分の一にも満たない予算すら削減しようとしている。露骨な肩入れは最悪の手だ。韓国にとっても、米国にとってもプラスになる論理で武装した親韓派の専門家を密かに育成するのが切実な課題だ。敵だと思っていたが、実は味方だったという、いわゆる「ミスターX」の育成プロジェクトが必要な時期だ。

ワシントン=ユン・ジョンホ特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版2016.2.7
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/02/05/2016020501660.html
 

日本が金使って慰安婦問題でロビーやってるとは思えないんだが
国際交流基金(JF=ジャパンファウンデーション)といえばこんなとこだし
国際交流基金・徳留絹枝 産経新聞の記事から

「連邦議会下院は最近、議会で証言する場合、外国からの支援金をどれだけ受け取ったのかを1週間以内に報告するよう義務付ける法律を成立させた」
うーん
これはどの国であっても露骨に金つかませるのが難しくなったという話だから
それで何で「ジャパンマネーがー <ヽ`д´>」っていう記事になるのか全然分からんね

外国勢力の金は日本でももっと問題視して欲しいですわね
例えば
旧ポラリスプロジェクト・現ライトハウスが米商工会議所から金を受け取って
とんでもないレポートを上げてそれが米国務省報告書に反映されて外圧になるとか
ポラリスプロジェクトを立ち上げたのは韓国系女性
こんなあからさまなマッチポンプがまかり通る現状っておかしいと思うわ

参考
NYT "Foreign Powers Buy Influence at Think Tanks" 2014.9.6
http://www.nytimes.com/2014/09/07/us/politics/foreign-powers-buy-influence-at-think-tanks.html?_r=0 
一応これ読んだ
日本が多額の献金をしていると書かれているのがTPPとか経済に関することで
歴史認識問題は関係なさそうなんだけど・・ 

動画を見て本を読んでどうにも釈然としなかったところから孫文を軸に手繰っているところであるが
騙され続ける日本人 お先真っ暗

ironna(産経のサイト)に何か書いてあるかなと思ったところ孫文がクソミソに書かれていて
一体誰がここまで書いたんかと思ったら黄文雄氏だった

台湾の人にはクソミソに書く権利があるだろう

国共合作・内戦の背後で蠢いた「赤色謀略」 
『月刊正論』 2006年8月号

日中共同防共戦略vs東アジア赤化戦略
(前段省略)

 もともと開国維新以前から、日本にとっての最大の脅威の一つは、東アジアへ南下しようとするロシアだった。だから維新後の大日本帝国の歴史は恐露から出発し、日露戦争で一度はクライマックスを迎えた。その後ロシア革命が起こり、再びロシア(ソ連)は南下の勢いを見せた。これが東アジア赤化の脅威である。かくして日本では軍事とイデオロギーが一体となった脅威論が醸成され、「防共」と言うソ連との軍事的対立が国防上の至上の課題となった。

 日露戦争以降の日本の国家戦略は、主に対ソ戦を想定しており、陸軍は主力を関東軍に投入してソ連軍の侵攻に備えた。そして日独防共協定、日独伊三国同盟も締結したものの、そのために米英との対立が深まり、日本は突如、北守から南進へと戦略転換し、支那事変から大東亜戦争へと戦火は拡大した。アメリカが対日戦争を決意した背景には、スターリン指導のコミンテルンによる策謀があった。また日本の側でも共産主義者の開戦誘導の謀略があったことは、三田村武氏の『大東亜戦争とスターリンの謀略』に詳しい。

 さてその間、日本が立てた目標は中国との「共同防共」だった。満州事変、支那事変が始まっても、日本によるこの日中連帯の呼びかけは続けられた。つまり「共同防共」の実現が日本の最も望むところであって、ソ連の脅威を前に、中国などと戦っている余裕などなかったと言うのが実情だった。

 つまり「日中戦争」なるものの実態は、日本が中国の挑発に振り回され続けていたと言うものだ。だからこそ日本の政府も軍部もあれほど、いかに戦争を回避するか、いかに戦争を終結させるか(和平を結ぶか)で悩み続けていたのである。

 もちろん日本だけでなく、それと近いような悩みは蒋介石も汪兆銘も抱いていた。ことに汪兆銘は日中全面戦争の最中、最も憂慮したのは戦争に乗じて共産党が勢力を拡大することだった。だから彼は重慶政府と袂を分かち、南京政府を樹立して日本と和平を結び、「共同防共」に乗り出したのだった。実際汪兆銘の憂慮は的中し、蒋介石は日本には勝利したものの、それですっかり戦力を消耗し、他方「全力の七分を党の発展に、二分を国民党との対抗に、一部を抗日に」との毛沢東戦略でやってきた共産党は、それとは逆に勢力を広げたのだった。もちろんこの共産党とは、東アジア赤化のためのソ連の傀儡である。

コミンテルンの陰謀に対処できなかった日本
 中国人は偽書「田中上奏文」を日本の中国侵略の証拠とし、日本の「野心」「陰謀」だけに日中戦争の原因を求めようとする。こうした日本侵略史観は日本でも横行したが、いまでは教科書に名残をとどめている以外には、ほとんど退潮しているようだ。

 支那事変にまで至る民国以降の日中間の齟齬の背景に、日中を離間させようとした米英の国家戦略、世界戦略があり、日本がそれに乗せられたとする説は、とくに保守派学者の間でよく見られるが、日中戦争の原因については、少なくとも次の三つを挙げなければ何も語れないだろう。

 時間的順序に従って言えば、(1)民国の内戦、(2)コミンテルンの陰謀、(3)日本の対応の不得手だ。

 (1)については、辛亥革命(1911から12年)で中華民国が樹立されて清帝国は崩壊したものの、孫文の南京臨時政府も、それに次ぐ袁世凱の北京政府も国家統治に失敗し、そのため南北対立、各省、各地の対立が深まって多政府状態となり、中国史上空前のカオス状態に陥った。それらの対立は北京政権を巡る北洋軍閥の内戦、南方の広州政権を巡る革命派、軍閥の内戦、湖南・湖北間での連省自治派と統一派との内戦、広西・広東間での内戦、北方軍閥と南方革命派との間の北伐と南征、さらには国民党内での軍の実力者同士の抗争、戦争があり、そして西安事件まで続いた熾烈きわまりない第一次国共内戦もあった。

 各派武装集団の抗争は、省レベル、県レベル、村レベルにまで及び、たとえば辛亥革命以降の約20年間で、四川の一省だけで軍閥内戦は五百回も発生した。そのほか匪賊が跋扈し、その数は2000万人にも達していたと推定されている。国民党の内部諸勢力間の内戦である中原大戦では、百五十万人もの兵力が動員され、30万人もの死者を出している。

 たしかに蒋介石は1928年、北京政府を打倒して北伐を完了し、国家権力を掌握しつつあったが、なお蒋介石系以外の各武装勢力に号令するまでの力はなかった。

 このような中華民国内の混乱こそ、日中戦争を醸成した温床と言うことができるだろう。

 (2)のコミンテルンの工作については、戦後の日本ではあまり語られていない部分だが、1921年のコミンテルン指導下における中国共産党の創立から、国共合作、国共内戦、そしてコミンテルンの解散に至るまで、中国の排日、侮日の運動、事件の背後には、コミンテルン=スターリンの謀略が見え隠れしていた。もちろんコミンテルンは中国だけに限らず、日本、アメリカ等各国の政界で暗躍をしていた。

 (3)については、たとえば盧溝橋事件から終戦に至るまで、日本はあらゆる手を使って和平交渉を試みたものの、すべてに失敗している。

近代中国の争乱の元凶は孫文
 近代中国の争乱と悲劇の元凶のすべては「中華民国建国の父」「中国近代革命の父」などと讃えられている孫文だと指摘する人は実に少ない。しかしこうした認識がない限り、近代の中国史、日中関係史は正しく語れない。

 もともと日本人の支持、支援、援助、指導あってこその孫文の革命運動だったが、辛亥革命後は自分中心の政権を樹立するまではと、延々と革命闘争を続け、そのおかげでこの国の争乱は拡大し、挙句の果てには日本を裏切ってコミンテルン幕下に入り、その指導の下で国共合作を行い、やがてそれが元で国共内戦が発生したと同時に、排日、侮日の嵐が巻き起こったのだ。
(→「コミンテルン」という厄災を招き入れた孫文の誤謬

 孫文が革命を指導して中華民国を樹立したと言うのは国民党のデッチ上げである。孫文が指導したと言う華興会、光復会、興中会三派の連合体である革命同盟会は、宮崎滔天、内田良平ら日本のアジア主義者の斡旋、支援の下、東京で発足したものだったが、発足後は孫文の革命路線、革命資金濫用の問題で空中分解した。(資金濫用ってなんだろう!?)

 そして辛亥革命は反孫文系の人々により偶発的に始まった。当時孫文は追放の身としてアメリカで隠居生活を送っており、まったく関与していなかった。ただ革命後の臨時政府の発足にあたり、臨時大総統には国際的に知られていた孫文以外に適任者がいなかったため、帰国した彼が一時的にその地位には就いた。だが財政資金は集まらず、各省の革命基地も維持できず、そして列強からの政府承認もえられないので、それから3ケ月未満で孫文は、周囲からの反対を押し切り、革命の敵である北京政府最大実力者、袁世凱を「中国のワシントン」と讃え、政権を譲渡し、自らは袁世凱初代大総統の下の鉄道部長となり、美女を連れて西太后の特別列車に乗り、全国周遊の旅に出ている。

 やがて袁世凱による国民党党首の宋教仁の暗殺や帝制復活を受けての反袁気運が高まると、孫文はそれに乗じて第二革命(1913年)に参加したものの、敗れて東京へ亡命。第三革命(1915年)の雲南蜂起ではまったく蚊帳の外。第三革命は袁世凱の死去で終焉したが、孫文はまったく自分の出番がないため、南方の地方軍閥を誘っては内戦を引き起こし、三度にもわたって広州軍政府を作り、北京政府に対抗した。かくして中国は五代十国以上に混乱した多政府状態となった。

 孫文は軍事力もなければ政治資金もない一介の「革命浪人」だから、日本など外国以外には、いつも軍閥頼みだった。たとえば広東で3度目の軍政府を作るにあたっては、「客軍」と言われた全国各地の軍閥、匪賊などの武装集団を誘い込んでいる。そのため現地の政府各機関は軍閥に占領され、住民は略奪を受け、理不尽な重税を課せられた。孫文は抵抗した広州の商団の武装組織との抗争で、住民大虐殺も行っている。

 私は魯迅の『阿Q正伝』の愚かな主人公阿Qは、孫文がモデルではないかと考えている。それについては拙著『中国が葬った歴史の新・真実』(青春出版社)で詳述している。

国共合作が行われた裏の理由
 中華帝国建国の父である始皇帝と、中華人民共和国の父である毛沢東は、いずれも実力で天下を統一し、国造りに成功した。しかし孫文はそれらとまったく逆だ。彼が中華民国の「国父」と呼ばれるのはなぜか。それは日中戦争中に汪兆銘が、もう一つの中華民国政府を南京に作る政略に危機感を抱いた蒋介石が、自らの正統性を裏付けるため、勝手にそのような祭り上げをしたからだ。

 孫文は辛亥革命以前、十回蜂起を行ってすべてに失敗し、その後の第二革命も三度の革命軍政府もみな失敗している。そのため「失敗の英雄」と呼ばれ、彼自身も遺言の中で「革命未だ成功せず」と言い残して死んでいる。彼が参加しなかった辛亥革命や第三革命だけが成功したことから見ても、結局は疫病神のような存在だったのだ。

 この孫文が晩年、いかにしてソ連に接近したのだろうか。孫文は北京政府を不満として広東政府を作り、「こちらが正統な中華民国政府だ」と主張したものの、辛亥革命前のように日本の官民や欧米からの支援も受けられず、孤立無援の状態に陥った。レーニンに抱きついたのはそのためだ。

 当時孫文は、「仏、米の共和国は旧式であり、ただロシアだけが新しい。吾人は本日より最新の共和国を作る」とまで表明している。

 もちろんこのソ連への接近には、ロシア革命からの影響もあった。1917年にその革命が成功すると、「新しい共和国は中国のよき隣人となった」「ロシアは専制から共和国に代わったのは、中国の影響だ」と勝手に思い込んでいる。

 中国に反帝国主義の親ソ政府を築きたかったソ連にとっても、北方の最大実力者である呉佩孚、あるいは軍の実力者である馮玉祥よりも、孫文が一番手懐けやすかった。かくして工作対象は孫文に絞られた。

 1921年、レーニンの秘書マリーンの指導の下、上海で中国共産党が発足した。同党の当時の二大指導者は陳独秀と李大ショウだった。この年12月、マリーンは広西省桂林で孫文と会って工作を行った。これを受け孫文は「中国革命はソ連を鏡にするべきだ」と主張し始めた。22年8月にはマリーンから国共合作を提案され、孫文はソ連からの武器援助を交換条件に、それを受け入れた。12月、孫文とソ連の代表ヨッフェとの間で、ソ連と国民党の提携が決まり、その結果出されたのが23年1月の「孫文・ヨッフェ宣言」である。

 中国共産党が強調する孫文の「連ソ・容共・扶助工農」への路線転換が行われたのはこのときだ。

 23年12月、国民党政治顧問として派遣されたボロディンから孫文は、「国民党は組織と規律が不完全で、大衆組織を持たず、官僚、投機主義者だらけだ」と指摘された上で、「全革命勢力を国民党に参加させよ」と勧告された。そこで孫文は国民党を改組し、反帝国主義、反軍閥の主張をより明確化させた。

 もともと国民党の組織はきわめて杜撰で、党首の孫文ですら党員数を把握していなかった。党費もなく、架空に近いマフィア組織だったが、このようにして革命政党として再生したのである。

国民党に寄生して拡大した共産党

 1923年1月、孫文とヨッフェの間で取り決められた「連ソ・容共」という国共合作の党策に対し、国民党内では大勢の幹部が反対し、党首の独断が非難された。しかし孫文は「党を解散しても、一人でも共産党に入る」と怪気炎を上げ、恫喝した。

 発足したばかりだった共産党にしても、国共合作には反対だった。総書記の陳独秀などは、「共産党を創設したのは、孫文の旧式革命を否定するためだ」とし、「コミンテルンの指導は受けない」とまで言って激怒した。反対意見はその後の党全国代表大会でも続出、孫文が北方軍閥の張作霖、段祺瑞らと軍事同盟を結び、日本帝国主義の援助を求めたことに激しい非難が集まった。だが最終的には国共合作を受忍した。党の経費はすべてコミンテルンから提供されていたから、その指示には従わざるを得なかったのだ。

 国民党が国共合作によって得たものは少くない。その一つは従来の伝統的チャイナ・マフィア組織から、ソ連式の近代的革命政党にのし上がることができたこと。もう一つは武力と言えば地方軍閥、匪賊、マフィアを頼みにするばかりだったのが、ソ連の赤軍制度が導入されて黄埔軍官学校が作られ、自前の軍隊が持てるようになったことだ。

 蒋介石は軍官学校校長を経て武装集団のボスとなり、孫文死後は党内の群雄との抗争を勝ち抜き、実力者として擡頭している。

 一方、共産党も大きな利益を得た。なぜなら国民党に寄生しながら革命勢力として発展することができたからだ。共産党は国民党に寄生しながらも国民党と抗争し、国民党が二つに分裂すれば、それらと三つ巴の戦いを演じた。混迷した情勢の中で、国民党左派の廖仲凱の暗殺、汪兆銘を首班とする武漢政府と蒋介石を主席とする南京政府の対立など、さまざまな事件が起こっている。

(この先孫文は出てこないので略)

黄文雄
昭和13年(1938年)、台湾高雄県生まれ。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。同61年に台湾で地下出版された『中国之没落』(新台政論社)は大反響を呼び、反体制運動家の必読書に。中国を批判し日本を激励する言論を展開。著書は『中国・韓国が死んでも教えない近現代史』(徳間書店)『大日本帝国の真実』(扶桑社)『満州国は日本の植民地ではなかった』(ワック)『日本人なら知っておきたい中国の侵略の歴史』(宝島社)『終韓論』(ベストセラーズ)など多数。
ironna
http://ironna.jp/article/1064 

(´・ω・`)あぁもう何て言っていいか
悪いところはぜーんぶ見えなかったことにした本と動画にものすごい疑問が出て来てしまう

余談
個人的に気になってしょうがない黄埔軍官学校であるが
関東大震災で日本人10万人を虐殺した朝鮮人の黒幕

【wiki】黄埔軍官学校 

(一部抜粋)
広州が1928年に軍閥の攻撃を受けたため、南京に移り、1938年日本軍の南京占領後は成都に移転した。第二次世界大戦後、国共内戦により、共産党が勝利し、国民党は台湾に逃れた。1950年黄埔軍官学校は台湾高雄県鳳山市で陸軍軍官学校として再建された。黄埔軍官学校の跡地 (zh:黄埔军校旧址) は1988年に中華人民共和国の全国重点文物保護単位に指定された。 

何と台湾に再建されたんですね(´・ω・`)

それでこんな記事が
台湾「黄埔軍官学校」で90周年式典

 【高雄=田中靖人】中国の革命家・孫文が1924年に設立した士官学校「黄埔軍官学校」の開校式から90周年となる16日、同校に由来する台湾の「陸軍軍官学校」で記念式典が行われた。馬英九総統は「国軍は死を恐れず国家と民衆を愛する(設立当時の)黄埔精神を発揮することによってこそ平和と安定を築くことができる」と訓示した。

 黄埔軍官学校は中国広東省広州市郊外に設立され、蒋介石が初代校長、周恩来が校長を補佐する政治部主任に就任。抗日戦争や国共内戦の影響で四川省成都市への移転を経て50年、台湾の高雄市で再建された。

 この日は馬総統や退役軍人らが見守る中、航空機の展示飛行や陸海空軍の士官候補生の観閲行進などが行われた。

 一方、広州にある同校の旧跡でも12日、記念式典が行われ、蒋介石のひ孫らが出席。台湾の電子メディアは「両岸(中台)が歴史の正当性を奪い合っている」と報じている。
産経ニュース2014.6.16
http://www.sankei.com/world/news/140616/wor1406160010-n1.html
 

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