JAPANISM 06 2012.2発刊
オウム真理教村井幹部刺殺犯の
「在日、そしてわが祖国」
在日韓国人3世 徐裕行
聞き手・編集部
 
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 1995年4月24日、当時日本中を騒然とさせたオウム真理教事件の渦中で、「科学技術省大臣」村井秀夫幹部が在日韓国人に刺殺されるという事件が起きた。犯人の徐裕行氏は12年の刑期を刑務所で過ごし、2007年出所。以後、沈黙を保ち続けてきたが、今その思いを少しずつ世に語り始めている。オウム教祖・麻原彰晃に死刑判決が下り、北朝鮮の金正日総書記が死んだ今、徐氏がこの日本で新たになそうとしていることとはー。

ーオウム事件もだんだん風化していこうとしていますが、今年の元旦には長く指名手配されていた元信者の平田信が出頭。再び世間の耳目を集めています。
徐 空しいですね。麻原彰晃の死刑が確定したときにも思いましたが、あらためてそう強く感じます。サリン事件から17年もたって、でも麻原らの死刑が執行されたとしても、犠牲者の遺族の方々が喜ばれるわけではないと思う。そう考えると、ただ空しさがつのります。
ー村井幹部を殺害したことを振り返り、どうですか。
徐 僕は当時、オウムに大きな怒りを覚えていたんです。あのころの日本は、バブルが崩壊し、世紀末も近いという中で、何か不安定な状況にありました。麻原はそこに付け込む形で若者にオカルトな言説を振りまき、彼らを洗脳してサリン事件を引き起こした。そんな連中が大量殺人を犯し、社会を乱している。それが許せなかった。
ー村井事件直後、あなたを「右翼団体構成員」とする報道がありました。
徐 僕は在日韓国人で、朝鮮学校で反日教育もう受けてきた人間です。ただ10代後半のころから、そうした反日思想に疑問を抱くようになった。そこで右翼と呼ばれる方々とお付き合いが生まれていたんです。だからそういう報道になったのかもしれません。ただそこから発展して暴力団の指示だとか、どこかのスパイだとか、そんな報道はどうかと思う。根底はあくまで個人的な義憤です。

在日社会はごまかしだらけ
ー在日社会の反日思想に疑問を持ったきっかけは。
徐 在日社会の主張する歴史認識と現実が、食い違っているからです。たとえば徐家は朝鮮半島南部にルーツのある家計で、祖父の代に「日本人」として、自分の意志で東京に来ました。戦前の日本は、白人国家と唯一肩を並べる有色人種の国として、全アジアの希望だったんです。そこにあこがれて日本本土へ渡りたいと思っていた朝鮮人は山のようにいて、祖父もその一人だった。徐家だけじゃなく、多くの在日のルーツはそうですよ。
 祖父は日本で成功し、最終的に東京市深川区(現・東京都江東区)の区議会議員になっています。当時は朝鮮半島出身者にも参政権が与えられていたんです。「在日は強制連行され、差別されてきた」などという話は事実にそぐわないと思います。
ー徐家は朝鮮半島南部の一族とのことですが、なぜあなたは朝鮮学校(北朝鮮系民族学校)へ?
徐 確かに僕は韓国籍です。ただそれは歴史的経緯があるんですよ。終戦直後、韓国政府は在日にあまり関心を持たず冷たかった。しかし北朝鮮は工作員養成や資金源確保などの観点もあり、在日の取り込み、教育に熱心だった。だから北朝鮮系の「朝鮮学校」はたくさんあるんですが、韓国系の「韓国学校」はほんの少ししかない。
 僕の父親は北朝鮮支持ではないんですが、息子にはハングルを覚えてほしいという願望があった。朝鮮学校では言語教育をやってくれますからね。朝鮮学校側も在日の取り込みという意味から、韓国籍の子供の入学を許可しているんです。小学校に当たる初級学校から朝鮮学校に通いました。いわゆる反日教育もしっかり受けました。もう35年ほども前の話ですが、「金日成将軍の革命活動」という授業があって。金日成を神格化した子供時代の話や、日本軍を戦った英雄物語など、反日的な思想教育が行われていました。
ーその反日思想と明確に決別したきっかけは?
徐 思い出深いのは姓に関わることです。在日のほとんどは「通名」といって、日本的な姓を名乗って暮らしています。たとえばかつて僕は「田中裕行」と名乗っていました。朝鮮総連自体は「朝鮮人ならば朝鮮の姓を名乗るべきだ」と若い世代に教えていましてね。僕自身、若い学生を捕まえて「君は本名を名乗るべきだ」なんて行っていました。でもそう言ってる本人は普段、日本の姓を名乗っているんですよ。強制連行や差別の話も含め、このうそ、ごまかしは何なんだろうという思いが、十代後半ごろになると抑えられなくなった。そこで日本人としての生き方を探し求めるようになったんです。

あこがれは野村秋介
ー「日本人としての生き方」を探す上で、特に影響を受けたのは?
徐 戦後新右翼の代表的論客とされる、野村秋介さんですね。面識はありませんが、著書やテレビ出演されている姿に本当に感銘を受けた。
ー野村氏は村井事件の二年前、朝日新聞の報道姿勢に抗議する形で、同社社屋にて拳銃自決しています。
徐 僕のしたことに影響がないといえばうそになります。この世に生をうけて、何か事が起きたら身を捨ててそれに当たる。そういう考えを野村さんから学んだと思っているし、今もその覚悟は持っているつもりです。
ー村井事件から7カ月後、懲役12年の実刑判決を受け、北海道の旭川刑務所に収監されます。
徐 刑務所での12年は、一言で言えば「変化のない生活」でした。ただ新聞や雑誌、テレビはかなり自由に見ることができて、特に北朝鮮拉致問題の進展には大きな関心を持っていました。
ーいよいよ北朝鮮から完全に裏切られたという感じですか?
徐 いや、1993年のノドンミサイル発射事件の時から、北朝鮮には愛想が尽きていました。多くの在日同胞が済んでいる日本にミサイルを向ける国なんて、絶対に信用できない。だから拉致問題関連の報道では、「ああ、やっぱりそうか」という思いの連続でした。ただ拉致被害者家族の皆さんがかわいそうでならなかった。
 僕は刑務所まで行ってしまった人間ですが、家族との関係はずっと良好なんですよ。逮捕された後に面会に来た親からも、怒られはしたけれど、人格を否定されるようなことはなかった。だから刑務所で一番つらかったのは、家族と会えないことでした。
 ただ家族に会えないと言っても、僕の場合は自分のしたことの結果ですから、自業自得です。でも拉致被害者の方々はまったく理不尽に家族を奪われたわけです。本当にかわいそうだと。何か僕にできることはないだろうかと、真剣に考えるようになった。
 2007年に刑務所を出てすぐ、僕は「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)を訪れました。そして活動を手伝わせてほしいと訴えたんです。対応に出てくれた方は僕の長い話をじっと聞いた後、「気持ちは分かりました。しかしわれわれは北朝鮮というテロ国家と戦う組織。あなたのようなテロリストと手を組むことはできません」と、丁寧な口調でおっしゃいました。仕方ないと思いました。だから、拉致問題には自分なりのやり方で関わろうと決意したんです。

拉致の罪は在日も背負うべきだ
ー「救う会」のような組織とも連携せず、どのように拉致問題に関わっていくのですか?
徐 やりたいのは、僕自身も含めた在日に、自分たちの罪を問う活動です。終戦直後の北朝鮮への帰国事業では、多くの在日が母国に裏切られ、失望したはずです。北朝鮮にいる親類や知人からの手紙はグチばかり。そして相次ぐ送金の要求。「地上の楽園」とはかけ離れた国なんだろうというのは、戦後一貫して在日が感じていたことです。なのに在日は、そういう抑圧国家の出先機関である朝鮮総連を盲目的に支え続けてきた。
 こうした在日の姿勢が北朝鮮の暴走を招き、拉致事件にまでつながっていった。日本にいるわれわれは、冷静な立場から北朝鮮に物申すべきだった。でも何もしなかった。だから拉致問題というのは、在日が背負うべき罪だと思っているんです。僕はそういう主張を在日社会に向かって叫びたい。そして朝鮮総連を、本当の「在日のための組織」として奪い返し、そこを拠点に北朝鮮へ変革を迫っていきたいんです。
 ただ僕は、「救う会」の方がおっしゃったことを実にまっとうな意見だと感じています。僕のような前科者が、政治運動の先頭に立っていいのか。その悩みがあって、僕はこの運動において自分の上に立ってくれる人を探し続けていたんです。でも見つからなかった。そうこうしているうちに、出所から4年以上の時間がまったく無為に過ぎてしまった。こうなれば、あえて自分が先頭に立ってみようと覚悟を決めたんです。
 もちろん、僕のような者の下に多くの人が集まってくれるとは思いません。でも遠巻きでもいいから、僕の言葉を来てくれる人がいればいい。僕の考えに共感して、同じような運動を始めてくれる人がいたっていい。手始めにインターネットのブログを開設しました。ここに僕の考えを掲載して、共感して下さった方には、朝鮮総連へ改革を訴える署名もお願いしたいと思っています。

在日は全員日本に帰化せよ
ー在日社会の将来像をどのように描いていますか?
徐 まず在日は全員日本に帰化すべきです。在日一世、二世はともかく、僕ら日本で生まれ育った三世以降はもう精神的には日本人です。言語や生活習慣も完全に日本人だし、今さら朝鮮半島には帰れない。生まれ育った国に尽くすのは当然のことで、これ以上、特別永住者のようなあいまいな制度はいりません。僕は今のところ韓国籍ですが、時期を見て必ず帰化申請するつもりです。
ー日本と韓国の間には、従軍慰安婦問題や竹島問題などもあります。
徐 そうした問題は感情的に話しても解決しません。本当に謝罪や賠償を求めるのならば、冷静に法的手続きや金額に関する議論をしていかねばならないはずです。日本政府は「弱腰外交」と言われながらも、そういした態度で韓国に対応しようとしている。しかし韓国の人たちは感情論一辺倒。これで話しが進展するはずはありません。
ーどんな問題に対しても、感情を熱く爆発させるのが韓国のお国柄とも聞きますが。
徐 そういう面はあるかもしれませんね。在日の中にも、論理的な対話から感情的な対話へ陥りやすい人たちが確かにいます。しかし日本人が、そういった感情論に付き合う必要はないと思うんですよ。向こうが感情的にまくし立てるからといって、こちらも感情的に反発することはない。やはり日本はサムライの国、武士道の国でしょう。向こうがどんな態度だろうと、紳士的な態度を崩さないところに突破口があると思います。
ー実に日本人らしいご意見です。
徐 これまで韓国には観光で二度行ったことがあります。僕は朝鮮学校教育のお陰で、片言ながらハングルを話せる。すると韓国の人たちは僕のハングルを聞いて、「日本人なのに上手だ」と褒めるんですよ。しかし僕が「いや、在日なんです」と明かすと「下手だね」と言ってんして馬鹿にする。もう最後は面倒くさくなって、「僕は日本人です」で通していました。今の韓国に親類がいるわけでもないし、韓国への旅は、「僕はやはり日本人なんだな」とますます思わせてくれるものでした。
ー「日本人・徐裕行」としての生き方を貫きたいと。
徐 二年半前に結婚しまして、今はリサイクル関係の自営業を営んでいます。子供ができたら在日4世ですが、僕の世代以上に日本人として生まれ育つことになります。その子には、生まれ育った祖国である日本に尽くす人生を送ってほしい。そのためにも、今のおかしな在日社会は変えていかねばならないんです。

じょ・ひろゆき
1965年東京生まれ。在日韓国人3世。地元の朝鮮初級学校(小学校)に通い、公立中学を卒業後、社会人に。95年4月23日、オウム真理教の村井秀夫幹部を殺害し現行犯逮捕、旭川刑務所で12年服役する。現在は自営業を営むからわら、北朝鮮拉致問題に取り組むためのブログを運営中。


徐裕行氏の場合12年服役なので明らかに退去強制事由に該当する

永住者に対する退去強制事由
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/A-S40-335.pdf(pdf注意)
第三条
(d)日本国の法令に違反して無期又は七年をこえる懲役又は禁錮に処せられた者
 
日韓地位協定退去強制自由

在日特権を許さない市民の会(在特会)は入管特例法による「特別永住許可」を取り消せと主張しているわけだが
徐裕行氏の場合はその資格すらないわけだ

在日朝鮮人のことであるから退去を行使しない日本政府のせいで自分は悪くないニダ、あるいは退去を行使するのは不当ニダとか差別ニダとか言うのであろうが
これを良いことに日本に居座っている人間が信用されることはない

これで帰化申請が下りるようなら日本という国はどうかしている

救う会の人が協力を断ったのは正しい判断だった