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日本共産党 幾多の粛清を経て、生き残る公明なる秘密結社

マルクス主義を標榜して設立され、熾烈な弾圧に耐え忍んできた日本共産党。
労働者政党という認識が強いが、意外なことに過去の指導者は東大卒が目立つ。
また共産党員から転向した、大物実業家も多数見受けられる。
鉄の規律と団結で知られ、水面下でいまだ革命を志向しているといわれるこの党は、
謎が多い、日本最大の秘密結社といえる。


徳田球一志賀義雄
出獄する共産党員(昭和20年10月10日)左:徳田球一、右:共産党再建に力を尽くした志賀義雄


コミンテルンの指導で設立、解党と再建を繰り返す


1921(大正11)年、日本共産党はコミンテルン日本支部として設立された。創立メンバーは、境利彦、山川均、荒畑寒村ら日本社会党の元党員と、徳田球一、野坂参三らである。
 日本共産党綱領によると、「一 戦前の日本社会と日本共産党」のなかで、
「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受け継ぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された」とある。
 そして、ロシア共産党を中心とするコミンテルン(共産主義インターナショナル)の日本支部として、モスクワで開かれた第4回大会で承認されている。翌年、臨時党大会を開催し、コミンテルンから通達された「君主制の廃止」について議論し、天皇制廃止が原則的に承認された。その後、早稲田大学内で左右学生の衝突をきっかけに、警視庁が治安警察法違反で共産党幹部を一斉検挙後、起訴したことにより、壊滅状態に陥った。その後、「大逆罪」が適用されることを恐れ、翌1924年、解党を決定した。しかし、コミンテルンの援助により、翌年、再建党大会を開いたのである。
 というように、設立当初から弾圧を受け続けて、解党と再建を繰り返した共産党は、非合法的な活動をせざるを得なかったのだ。
 1925(大正14)年、治安維持法が設立され、「国体の変革」「私有財産制度を否認」する目的を持つ結社が禁止された。これにより、共産党の活動は全面的に禁止されたも同然だったのである。さらに相次ぐ一斉検挙で、昭和4年には壊滅状態に陥ったのだ。
 そのころ、後に右翼の大物として名を馳せた田中清玄らが、秘密機関的性格を持つ技術部を新設、武器の収集をはじめるようになる。そして1929(昭和4)年10月、軍事委員会を設置、党の自己防衛のための武器、将来の武装蜂起のための軍事内細胞の確立および武器の収集と貯蔵を決定した。
 田中清玄が上海に渡航、武装革命のための特別行動隊の組織、武器輸送の組織について話を進めたという。この武装指令は、5年の総選挙の際に出され、兵庫県下で行動隊員がジャックナイフやあいくちで重傷を負わせる事件が起きた。そして和歌山県和歌浦では党幹部が拳銃を乱射して警察官3人が重傷、その後、幹部が次々と逮捕された。
 さらに武装メーデー事件が起きる。共産党は武装闘争を方針に掲げ、石油タンク破壊、デモ隊を国会に向かわせるなどの指令を発した。そして、川崎で「即時、革命政権を樹立しよう」と扇動演説をしたが、警官隊に検挙された。その後、資金に窮した共産党は、株券偽造事件などを起こしたが、なんと銀行襲撃までしている。
 これは、昭和7年10月、拳銃を発射して川崎第百銀行大森支店を襲撃し、3万1755円を強奪したのだ。事件後、犯人3人は逮捕され、共産党は犯行を否定する声明を出したが、そんななか、獄中で幹部たちが次々に転向、壊滅的な打撃をこうむるようになる。
 組織の存続に危機感を感じた党幹部は、査問委員会を設置、昭和8年12月、中央委員2人、大泉兼蔵と小畑達夫をアジトに監禁のうえ、査問することを決定。両手両足を縛り、猿ぐつわをし、押入れに監禁した。そのうち大泉は査問の肉体的苦痛に耐えかね、スパイであることを自白、小畑は逃走を企てたが捕まり、宮本顕治、袴田里見らに押さえつけられ、死亡した。遺体はアジトの床下に埋められ、大泉は監禁され続けたが、逃亡を図ったところ、警察官に検挙され、かろうじて命はまぬがれた。これが「共産党リンチ事件」である。


山村工作隊結成と相次ぐ権力闘争、粛清の嵐

 これまで見たように、平和と民主主義を唱える今日の共産党の歴史は、すこぶる血なまぐさいものであった。そして権力闘争が勃発する。
 戦後すぐ合法化された日本共産党は、昭和26(1951)年、「遊撃隊の結成」 を呼びかける。これは、人民解放軍への発展を目指して行われ、中国共産党の「農村から都市を包囲する」戦術の焼き直しであることはいうまでもない。そして、都市の労働者を山村に移住させて、武装革命の根拠地をつくるという山村工作隊を結成するのだ。
 この主たる活動は、東京都多摩地区の小河内ダム開発計画阻止や、奈良県吉野郡の水害救援活動や機関誌購読などのオルグなどであったが、武装襲撃も起こしている。これは、山梨県南巨摩軍で起きた、山林地主を10人の山村工作員が襲い、本人だけでなく、妻子も竹やりや棍棒でめった打ちにし、有罪判決を受けた事件である。
 また、北京の「徳田機関」が日本から「人民艦隊」を呼び寄せ、幹部養成や軍事教練を行っていた。まさに、暴力装置による共産主義革命の輸出を図ったのだ。
 これと相前後して、党は分派闘争の時代を迎えることになる。
 大きく分けると中国に渡り、武装革命輸出を図る徳田球一ら主流派と、志賀義雄・宮本顕治ら国際派の争いである。そして徳田ら主流派の主導した武装闘争路線は、国民の支持を得られずして衰退し、宮本が書記長に就任、自主独立路線に踏み切る。それからは現在まで、平和と民主主義路線が続いている。


政党助成金をもらわないのは「プロ結社」集団の証拠

 日本共産党は、国民一人当たり年間250円負担に当たる、国庫から交付される政党交付金受け取りを拒否する唯一の政党である。ちなみに2010年の政党交付金支給額は、トップが民主党の172億9700万円、最下位が改革クラブの1億2000万円である。格闘の得票率や所属議員の割合で配分されるが、「企業団体献金廃止を目的に助成制度をつくったのにもかかわらず、現在も残している」「思想良心の自由に反し、憲法違反である」というのが受け取らない理由である。
 票数を金に換算するのは民主主義の精神に反する、という清廉潔白さが身上の政党だが、裏を返せば、受け取らなくてもいいほど、資金力が潤沢だという証左でもある。
 その活動資金は、機関紙収入、党費、個人寄付によって成り立っている。企業献金、団体献金は受け取っていない。党員40万人のうち、党費納入者(推定)26万2000人、機関紙・しんぶん赤旗発行部数約173万部、支部が2005年現在で約2万4000と、根の張り方は、政党随一ともいえる。5000人近くにいる議員のほかに、専従職員数も約4000人いるといわれ、いわゆる職業活動家が党の中核を占めている、プロ政治家、いや言葉を換えれば「プロ結社集団」なのだ。しかも、彼らに本音を語らせれば、「マルクス主義者」であることは一目瞭然。選挙ごとに離合集散を繰り返す、議席目当ての烏合集団とは年季の入れ方が違うのである。
 現中央委員会委員長・志位和夫、元委員長・志位和夫のように、最近の共産党指導者は、その柔和さが際立っている。志位は、祖父が日本陸軍中将で、東大工学部物理工学科卒業。「代々木のプリンス」と呼ばれた不破は、実兄とともに国会議員、共産党の要職を務め、東大理学部物理学科卒業。ほかの党幹部も、東大、京大卒が多い。かつての指導者にも志賀義雄はじめ、東大京大など旧帝大卒業者がひしめいていた。
 その謎解きをすると、彼らのなかには、名門高校の民主青年同盟出身者が数多くいる。すなわち、十代のころから、生粋の共産党シンパで、幹部候補生。将来を約束されているエリートで、これも「共産党が秘密結社である」一例といえよう。ところで、1970年前後、学園紛争時の民青といえば、これも表面は健康的でさわやかな好青年ぞろいの集団だが、ひとたびゲバ棒を持つと、『暁の部隊』と恐れられ、そのパワーには、新左翼も恐れおののいていたという。作家・宮崎学氏も、その一員であったと著書で明らかにしている。
 また、戦前の学生党員は、将来の実業家の宝庫でもあった。
 ざっと列挙しても、セゾングループの創始者であり、作家・辻井喬としても著名な堤清二はじめ、その東大時代の同級生で、元日本テレビ会長・氏家斉一郎。一年先輩で氏家を読売に勧誘した読売新聞グループの総帥・渡辺恒雄など超大物ばかりである。


平和と民主主義とはそぐわない?共産党綱領に隠されたもの

 政治はきれいごとではない。日常の経済活動だって、騙し騙されの連続なのだから、当然である。しかし、共産党の場合は、結党以来の弾圧に耐え続けた歴史と、現在の主張の隔たりに違和感を感じるのではないだろうか。
 そこで、2004年1月17日、第23回党大会で改定された日本共産党綱領を要約すると、
「日本共産党は、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として創立され、天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権を勝ちとるために戦った。日本はアメリカの事実上の従属国で、日本自衛隊は事実上、アメリカ軍の掌握と指揮の下に置かれている。現在、日本社会が必要としている革命は、社会主義革命でなく、対米従属と大企業の横暴な支配打破に向けた民主主義革命である。そして民主連合政府を樹立し、社会主義、共産主義の社会への前進を図る」
 ということになる。 いまだに科学的社会主義を理論的基礎とするマルクス主義政党であることは変わらず、暴力革命とはひと言も謳っていないが、究極的には共産主義革命を志向しているのだ。ひとたび警察の弾圧があれば、また地下に潜ることも考えられる、不屈の集団なのである。


警察・公安との100年戦争

 戦後、日本がアメリカからの支配を脱却しつつあったとき、二つの事件が起こった。札幌で公安捜査官の警部が拳銃で撃たれ死亡した「白鳥事件」と、大分県菅生村(すごうむら 現・竹田市)の駐在所が爆破された「菅生事件」である。
 「白鳥事件」では、共産党の武装革命派数人が逮捕されたが、被告は無罪を主張し、不可解な部分も多い。また「菅生事件」では、共産党員数人が逮捕され実刑判決を受けたが、公安警察官がオトリ捜査をして、この犯行グループにかかわっていたことが判明し、被告が無罪になった。
 また、警察庁は『警備警察50年』のなかで、「暴力革命の方針を堅持する共産党」と警告し、「綱領改定の結果、革命色を薄めソフトイメージを強調したものとなったが、二段階革命論、統一戦線術といった基本路線には変更がなく、動向に重大な関心を払っている」と断言している
 戦前の結党時から現在まで至る、共産党と公安は永遠の宿敵であり、言い方を換えれば、日本政治史上、最高のライバルであるのだ。
 以上、述べてきたことをまとめると、日本共産党は路線変更を繰り返したものの、その革命路線を一貫して掲げ、しかもロシアや中国とも一線を画す、日本で最大最長の政治結社であるといえよう。
 また、警察や自衛隊とも一戦交えることを辞さないのは、歴史が雄弁に物語っている。
 近年、次々に誕生した新左翼も、元は共産党が分派して結成されたものだし、それが内ゲバを繰り返して今は見る影もないのはご存じの通りである。
 そして一貫して天皇制を否定しているものの、過去の指導者の独裁制や、マルクス主義への絶対の信仰を見ると、実は、メビウスの輪のように、天皇制そのものを体現しているとも見て取れるのだ。
 ところで、地域社会で困ったことがあれば、いちばん身近で相談に乗り、動いてくれるのは、共産党系の民商と創価学会というくらい、きめ細かい活動をしているのをご存じか。それも含めて、この不屈の精神を持つ、インテリ指導者が揃う政党に政権を委ねたら、混迷日本が救われるのではないか?そんな逆説さえ考えられるほどなのだ。


治安維持法が天下の悪法みたいなこと言われてますが、
これ見る限り必要だったとしか言いようがないわけで
むしろ復活させた方がいいんじゃないか