反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

カテゴリ : 日本共産党

https://twitter.com/ithirdeyei/status/841693491042304000

以前から問題視していた新日本婦人の会が
お似合いの夫婦 共産党・笠井亮
築地女将さん会を支援しているようなのでこのようなツイートをしたところ
築地女将さん会の会長は笠井亮議員の妻ではない、豊洲移転推進派は悪質なデマを飛ばしているとデマを飛ばされ困惑している。

添付した画像見ても分かるように自分は新日本婦人の会のことを言ってるんやで。

新日本婦人の会は日本共産党と関係ない、と言う人まで現れ驚く。
関係ないってかーーーーー( ̄д ̄)

杉田水脈氏が国会で新日本婦人の会を「共産党女性組織」と発言したところ、共産党からヤジが飛び、議事録から削除しろと抗議されたそうで。
→『「新日本婦人の会」と日本共産党』
http://blogos.com/article/179969/

共産党と関係があるというのはそんなに隠したいことなのですね。

だけどねぇ・・・

動画にもこうして仲良く映っているし。
ツイッター内で「築地女将」で検索すると

築地女将さん会河野ゆりえ共産党
河野ゆりえ都議(共産党)仲良く画像にも写ってますね

築地女将さん会里吉ゆみ共産党
里吉ゆみ都議(共産党)

築地女将さん会宮本栄共産党
宮本栄氏(共産党)

築地女将さん会佐藤直樹共産党
佐藤直樹氏(共産党)

築地女将さん会赤旗
赤旗政治記者氏

(´・ω・`)ちょっくら数日遡っただけでこれですわ。
自分が見た範囲ではこの間に他の政党の公式アカウントはツイートしてなかった。

それで更にちょっくら検索してみたところこんな記事を見つけた。

汚染の残る豊洲新市場問題「ここで働くって、人体実験じゃないですか!」

池上正樹 | 心と街を追うジャーナリスト

元築地女将さん会2

 11月7日の豊洲新市場(江東区)開場を間近に控え、築地市場(中央区)の水産仲卸業者ら有志が8月10日、市場の移転延期を求める小池百合子都知事宛て要請書を都の秘書課職員に手渡した。

 移転先を巡っては、豊洲新市場予定地が東京ガスの製造工場跡地だったことから、発がん性物質のベンゼンやシアンなどによる土壌や地下水の汚染が次々に表面化。いまも残存するベンゼンが新施設内の空気中でも検出されるなど、市場関係者の不安は拭えていない。

 また、2020年の東京五輪に間に合わせるための環状2号線工事を優先させ、繁盛期の11月に開場日が設定されたことから、6月には半数以上の319社の仲卸業者が延期を求める請願に署名。ここにきて、新市場施設の床積載荷重の不足や物流上の不備などの構造的な欠陥も次々明らかにされ、施設そのものも魚河岸仕様にはなく市場機能を果たせないことが指摘されている。

 1メートル40の幅では、とても商売ができない10日に要請書を出したのは、市場で仕事する水産仲卸業者らでつくる「築地市場・有志の会」(代表呼びかけ人・和知幹夫氏ら6人)などの団体。

「これから新市場で働くと、どうなるのか、病気になるのではないかという不安を感じる。気持ちよく移転できるのなら移転します。でも、おかしいと思うから、おかしいと言っている。都は“安心”とか“業界の皆さんの意見を聞いた”とか言いながら“(新市場では)海水は流せない”などと言っている。体裁だけは整えているが、メッキがはがれた場合、都は本気で守ってくれるのか。役人は2~3年で異動になるから関係ないと思うかもしれないが、私たちは20年、30年と新市場で生きていかなければならない。ベンゼンなどの公害を知らないうちに吸ってガンになったら、何年後に病気になったという資料にされる。ここで働くって、人体実験じゃないですか!

 会見に臨んだ仲卸の1人、戸田水産の戸田開太郎氏は、実際、問題の多い現場の新市場で働かされること自体、「人柱」ではないかと訴える。

 「東京五輪が決まったことによって、どんどん工事が進められて、仲卸には使い勝手の悪くお金もかかるような市場をつくられてしまった。1店舗で1メートル40の幅では、とても商売ができない。結局、借金をしてでも、もう1店舗を買わざるを得なかった。90年近く営業して来て、代々続いてきたこの店をつぶしたくなかった。どこのお店もお金を借り入れて、豊洲に行かなければならない。汚染された土地でやっていかなければならないという不安もあって、辞めていかれた人たちもたくさんいる。知事は、業界の代表だけでなく、現場の個々の人たちの思いも確認してほしい」(瀬古商店・瀬古知佐子氏

 都知事としては初めて現場の仲卸らにヒアリング「3・11のとき、豊洲の用地は100カ所以上で液状化していました。でも、都は“噴砂”という言い回しに変えて、市場の建設工事を進めてきた。あのときから、おかしいと思った。止めたかった。都の職員の方も、誰も本当のことを言えなかったのでしょうか?」(堀江チヨ氏)

 「皇室の方々にもここからお魚が出ている。こんな汚染の疑わしい新市場から、お魚を出してもいいのか?」(山口タイ氏

 会見した市場で働く人たちからは、豊洲市場への疑問や不満が次々に噴き出した。

 団体の関係者によると、今年2月、都の中央卸売市場の職員に提出した公開質問状が当時の舛添知事に渡らず、知事は存在すらも知らなかったようだという。

 小池知事は、都知事選の期間、豊洲への移転について「一旦、立ち止まって考える」などと訴えてきた。

 12日午後には、都知事としては初めて、小池知事が直接、現場で働く仲卸ら3人に面会し、ヒアリングを行うことになっている。
2016.8.12
https://news.yahoo.co.jp/byline/masakiikegami/20160812-00061028/

2016.8.12「築地市場・有志の会」だった山口タイ氏瀬古知佐子氏
に注目して下さいねー

都知事に共鳴、豊洲移転食い止める「築地女将さん会」発足
築地女将さん会発足女性自身

「想定を超えている。あまりいい数値が出ないだろうという不安もあったが、その不安を超える数値が出てきて、驚いている……」

 1月14日、築地からの移転が延期となっている豊洲市場の最新の地下水調査結果が公表され、有害物質のベンゼンとヒ素が検出された。なかでもベンゼンは、環境基準の79倍という驚くべき数値。これを受け、小池百合子東京都知事(64)が厳しい表情で冒頭のようにコメントした。
 食の安全をはじめ、さまざまな方面で再調査され、都民のみならず、国民の関心を呼んでいる市場移転問題。都知事は夏の東京都議選の争点に「市場移転問題の究明」を前面に打ち出すことを宣言。「移転中止」に一歩近づいたのではという見方も。これに勢いづけられたかのように、築地市場の魚河岸の女将さんたちが結集し、市場移転を食い止めるため、動き出した。「築地女将さん会」を結成したのだ。
移転に反対で築地改築が持論だったのが小池さん。彼女が移転を延期したからこそ、今回の調査結果も公表された。そうでなければ昨年11月に豊洲は開場し、有害物質も隠蔽されたままだったかと思うと、ゾッとする。小池さんの決断力に感動した私たちも『悪いことはハッキリ言わなきゃ!』と、行動することに決めたんです」(「築地女将さん会」代表で鮮魚仲卸「樋徳商店」女将の山口タイさん・74)
 1月20日現在、会のメンバーは30人。今後は、《豊洲新市場への移転計画の中止を求める請願書名》を、各店の代表者のみならず従業員、お客さんもふくめて大規模に展開していくという。「世間知らずだった小娘の私が、この家に嫁いで50年になりました。仲卸は漁師が取った新鮮な魚を少しでも高値で買って、お客さんには少しでも安くお売りするのが役目。その築地の文化を心から愛していますし、息子たちも頑張ってくれている。私たちの思いを、築地女将さん会の署名活動などを通じて、小池都知事に直接届けていきたいですね」(山口タイさん)
 食の安全、そして築地の未来を守るため、女将さんたちの闘いは続く。
女性自身2017.1.26
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170126-00010000-jisin-soci


築地女将の会、自民のネガティブキャンペーンは陰湿
築地女将さん会自民ネガキャン

 築地市場で働く女性46人で構成される「築地女将(おかみ)の会」は30日、都庁で会見を開き、同市場の豊洲移転を中止し、築地市場を再整備して継続使用していくことを要求した。

 山口タイ会長(74)らが出席。豊洲市場の安全性が確保されていないことを指摘し、築地市場の土壌汚染などを強調するような一部の意見に強く反発した。

 19日の「豊洲市場における土壌汚染対策等に関する専門家会議」の発表内容を受け、山口会長は「一部メディアで豊洲市場の安全が確保されたかのように報じられました、資料をよく精査すれば、それが限定された安全であることが分かります」と主張。「同会議が無条件に(豊洲市場の)安全を宣言したものではない」と訴えた。「築地市場の土壌も汚染されている」などという一部の指摘については、「憤慨している」と強調した。

 瀬古知佐子副会長(73)は「都議会最大勢力の自民党によるネガティブキャンペーンは執拗(しつよう)かつ陰湿で、これ以上看過できるものではない」と力を込めた。自民党が築地市場を訪れ、施設の破損箇所などを撮影していたことにも触れ、「あえてそういうところだけを写して、消費者に知らせている。明白な営業妨害」と反発した。

 山口会長は「こういうことを続けられると、いずれ商売にも差し支えが出てくる。これが世界に発信されたら恥ずかしい」と声を震わせた。同会は築地市場内の米軍クリーニング施設跡の土壌汚染や、老朽化などについては認めつつ、「汚染が心配される箇所は局所的で、法に基づいて処理・対策がされれば、問題が生じるとは思えない」と指摘。豊洲市場については「世界一の石炭ガス工場の跡地で、その汚染の濃度、規模からも、普通の土壌汚染ではない」と分析した。

 小池百合子東京都知事への期待を問われると、「ぜひ築地で再整備を行ってほしい。世界に誇る市場です。豊洲に行ったら、日本国民として恥ずかしい。皆さんも再整備を求める声を上げてほしい」と希望した。
日刊スポーツ2017.3.30 
http://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/1800022.html
 
両氏は「築地女将さん会」以前から豊洲移転反対活動しているんですね。

共産党とは関係ない!と言いいつつ共産党議員が一緒に動画に映るとか、赤旗に大々的に載せるとか、新日本婦人の会公式でツイートするとか公式HPに載せるとか、、、、

きっと偶然なんですね(棒)


追記2017.5.27
無関係無関係・・・・w
https://twitter.com/shiikazuo/status/868020065257508864

追記2017.6.28
偶然偶然www
https://twitter.com/shiikazuo/status/879613821106638848



【コメント下さってる皆さまへ】
今余裕がなくて返信できません。本当にすいませんm(__)m
頂いたコメントには目を通しております。   

(´・ω・`)とりま女の子使っとけという安易なオルグ

【メガプレミアム】
共産党が「反安倍」アイドルの制服向上委員会を招いた“勉強会”の中身とは… 「過激すぎる」党勢拡大にプラス?マイナス?
制服向上委員会@FCCJ

 さる7月18日午後、東京・千駄ケ谷の共産党本部大会議場で開かれた、志位和夫委員長による党創立93周年記念講演会。いつにもまして「反安倍政権」のボルテージを上げる志位氏の言葉に真剣に耳を傾ける党員・支持者約500人の中に、あの筋金入りの左派アイドルグループ「制服向上委員会」のメンバー5人の姿があった。もともと“相思相愛”とみられる両者ゆえに「ありふれた光景」かもしれないが、かくして10代の彼女たちは名実ともに「共産党御用アイドル」となった。党勢拡大に向け利用できるものはとことん利用する同党の戦略は見逃せない。

 記念講演会は当初、党創立記念日である7月15日の夜に東京・中野の施設で開催される予定だった。しかし、共産党が「戦争法案」とおどろおどろしく名付け、廃案を叫ぶ安全保障関連法案の衆院平和安全法制特別委員会での採決とくしくも重なり、急きょ日時、会場ともに変更された。

 党広報部が各方面に配布した「ご案内」には、この記念講演会の趣旨について、こう記してあった。

 「安倍政権が『海外で戦争する国』づくりへの暴走を強める中、日本は今、戦争か平和かの歴史的岐路に立っています。日本共産党は戦前から反戦平和を貫く党の存在意義をかけて、戦争法案阻止に全力をあげています。記念講演会は、この党の歴史をふりかえり、現在における党の役割と値打ち、戦争阻止の展望と日本の未来を語る格好の機会になると考えています」 

 つまり、共産党が言う「戦争法案」の廃案に向けて志位委員長が改めて党内外に“決意”を発信し、気勢を上げる舞台に据えられていたのだ。講演のタイトルは「戦争法案阻止へ-空前の国民的たたかいを」だった。

 会場の党本部に足を運んだのはコアな共産党員と支持者がほとんどだが、制服向上委員会のメンバーも党からの招待に応じたのである。

 「日本共産党創立93周年記念講演会、始まります。制服向上委員会の皆さんも参加されています!」

 同党の小池晃副委員長(政策委員長)は講演会開始直前に自身のツイッターでそう宣伝し、机に座って壇上を見据えるメンバーたちの写真を添えた。

 そして小池氏は講演会終了後には、こうツイッターでつぶやいた。

 「制服向上委員会の皆さん。党創立記念講演会のご案内を送ったら、レッスン前に来てくださいました。志位委員長の1時間半近い講演を、しっかりノートとって聞いて。『難しい言葉もあったけど、歴史の流れがわかって、勉強になりました』と」

 ここで披露できないのが残念だが、小池氏が笑みをたたえながら制服向上委員会のメンバー5人とともに党本部で記念撮影した写真も掲載されていた。

 10代の少女たちが、あまたの共産党員に混じって志位氏の記念講演で“学習”したわけである。ならば彼女たちがこの日、何を学んだのか-。やみくもに安倍政権攻撃を繰り広げるその講演内容をここで紹介するのは気が引けるが、やむをえず一部を書く。

 講演で志位氏は、安保関連法案が衆院を通過したことについて「政府・与党が数の暴力で強行採決した。国民主権の大原則に反する許し難い歴史暴挙であり断固抗議の声を突きつける」と安倍政権を批判した。その上で「法案は憲法9条を蹂躙する最悪の違憲立法であり、強行採決は空前の規模で発展しつつある国民の(反対の)世論と運動に政府・与党が追い詰められた結果だ」と指摘。「条約、予算と違って法案に自然成立はない。国民的な運動を広げに広げて圧倒的世論で安倍政権をさらに追い詰めるなら、参院で採決不能の立ち往生に追い込むことが可能だ。戦いはこれからだ」と強調した。

 また「日本共産党の93年の歴史に思いをはせ、歴史の進歩への大局的確信をもつことが大切だ」と切り出し、「天皇制の専制政治を倒し、国民主権の日本を築くことを命懸けで主張し戦い抜いてきた日本共産党。日本共産党が掲げた国民主権の旗は、戦後、日本国憲法の中に刻み込まれた」と力説。「平和と民主主義を希求する国民な巨大なエネルギーに自信をもち、必ず廃案に追い込むよう頑張ろう」「安倍政権の存在こそ日本にとって最大のリスクだ。戦後最悪の安倍政権をみんなの力で打ち倒そう」と呼びかけたのである。

 小池氏によれば、制服向上委員会のメンバーはそんな講演を聞いて「勉強になりました」というのだから、共産党としても招いた甲斐があっただろう。

 制服向上委員会といえば、制服・ハイソックス姿をトレードマークに23年の活動歴を誇り、現存するアイドルグループでは最古の集団だ。現役のメンバー総勢10人は15~18歳で、中学生もいる。次々とメンバーを入れ替えながら活動を続ける「モーニング娘。」方式をとっている。

 近年は、「脱原発」「反安倍」をテーマにキュートな振り付けと過激な歌詞を売りとして「諸悪の根源、自民党~♪」「本気で自民党を倒しましょう~♪」などと歌い踊ることが注目を集めている。6月には神奈川県大和市が後援する「憲法九条やまとの会」主催イベントで常軌を逸するような安倍批判の曲を披露し、市が事後に後援を取り消す騒動に発展した。

 その“話題性”から「特定勢力」の陣営にとっては利用価値がさらに高まっているとみられ、ここにきて連日各地で開かれている「安保関連法案反対集会」に引っ張りだこのようである。

 7月28日には日本外国特派員協会の記者会見に招かれた。出席したメンバーたちは「他人のけんかに首を突っ込むことを美しいと思う人が、国を動かしている」「『子供のくせに』と批判されるが、何も言わないことは賛成意見と同じ」「悪いことを悪いと言うのに、子供もアイドルもない」「平和な日本を持続させるために、アクティブに行動したい」などと言いたい放題の様子だった。

 もともと制服向上委員会と共産党には“接点”があった。

 平成25年7月の参院選で制服向上委員会の当時のメンバーが「私初めて共産党に入れました」とフェイスブックに書き込んだ後、「赤旗」が本人の了解を得た上で顔写真付きで、その内容を大きく紹介した。同年9月の「生誕21年祭」には、前出の小池氏が祝電をおくった。

 それが今回の党創立記念行事への参加に結びついた形だが、こんな使い勝手がいい“旬のアイドル”に共産党が目をつけないわけがないのだ。

 制服向上委員会の曲の大半を作詞し、彼女たちの“黒幕”とも言われる所属会社「アイドルジャパンレコード」高橋廣行社長は、「週刊新潮」(7月9日発売)で「私たちは社会の出来事を見て自分の主張を発信しているだけ。どこかの(政治)団体に迎合しようとも思っていません」と話していたが、特定政党たる共産党の色がベッタリとついてしまったようだ。

 しかし高橋氏は筆者の電話取材にこう語った。

 「彼女たちは戦争法案を勉強するために共産党の記念講演会に参加した。普段から映画を観に行ったり、講演会に行ったりして勉強しているし、今後も共産党さんだけでなく、社民党さんなど他の政党、団体のイベントに招かれて行くことになるだろう。彼女たちの思いは、さまざまな人の話を聞いて自分たちの主張、意見に反映させていきたいということだ」

 ともあれ、共産党指導部は6月9日の党中央委員会幹部会の決定を受け、全党に「戦争法案阻止・党勢拡大運動」の大号令をかけている。安保法案廃案に向けた国民的運動と連動させて、党員と「赤旗」読者を一気に増やせ-ということだが、むろん制服向上委員会への“接近”の背景には、若い無党派層を共産党に振り向かせる戦略がある。

 共産党は「赤旗」日曜版(昨年9月28日号)で、当代きっての人気アイドルグループ「AKB48」の「憲法キャラ」と言われる内山奈月(なつき)さんのインタビュー記事を丸々1ページ割いて掲載した。同11月に東京・夢の島公園で開いた「第40回赤旗まつり」には、『なみだ恋』や『舟唄』『雨の慕情』などの大ヒット曲で知られる大物演歌歌手、八代亜紀さんを呼んだ。

 最近では、志位委員長が意外や意外、「週刊女性」(主婦と生活社)7月14日号に“登場”した。安保法案をめぐる特集記事でのインタビューだったが、志位氏にとって女性誌デビューで、掲載も1ページという“破格の扱い”をされるサプライズだった。

 共産党はこのところ、自前の「女性アイドル議員」の発掘・育成と合わせて、いかにも距離がありそうなタレントとの“接点”を見いだすことで、党の堅いイメージを打破することに躍起だ。同党幹部によれば、ターゲットとするのは「若い人」「女性」だが、「制服向上委員会のメンバーとの共闘のアピールもその戦略の延長線上にある」と党関係者はいう。

 選挙権年齢を20歳以上から18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が今国会で成立し、来夏の参院選から「18歳以上」が投票できるようになった事情も見逃せない。新たに選挙権を得る約240万人の争奪戦に各党が血道を上げることになるが、共産党が制服向上委員会を事実上の「公認アイドル」に仕立てようとする背景には、彼女たちのファン層とみられる若い世代を自陣に引き寄せる狙いもあるようだ。

 むろん、どれだけの若者があの過激な左派アイドルグループに共鳴しているのか、あずかり知らないが…。

 しかし、小池氏がツイッターで制服向上委員会のメンバーを党の記念講演会に招いたことを披露した後、ネット上に以下のような批判や皮肉の声が出ているのも事実である。

 「大人相手に選挙勝てないからって子供だましていいのか!?」「子供にウソ教えて何が政治家だよ!!」「若者にウソの歴史教えてどうすんねん(笑笑)」「無知な少女たちにウソを教え込むとは共産党も酷いし取り巻きの大人も酷いな」…。

 書き込んだのは「反共主義者」や「ネトウヨ」とされる人物かもしれないため、ここでは論評は避けるが、政治色クッキリの制服向上委員会が、共産党がこれまでに“活用”した八代亜紀やAKB48とは明らかに毛色が異なることは言うまでもない。 

 ある共産党の古参党員はこう警鐘を鳴らす。

 「制服向上委員会とかいうグループは、アイドルといっても言動が過激すぎる。党としては付き合いをほどほどにしておかないと、ターゲットとすべき穏健な若い無党派層が逃げてしまう。むしろソフトイメージ戦略の逆効果だろう」
(政治部編集委員 高木桂一)
(8月5日掲載)

  ◇

 産経ニュースが日々お届けするウェブ独自コンテンツの「プレミアム」。人気のあった記事を厳選し、【メガプレミアム】として再掲します。人物の年齢や肩書き、呼称などは原則として掲載時のままとなっております。
産経ニュース2015.9.24
http://www.sankei.com/premium/news/150924/prm1509240006-n1.html



「反安倍」に活路を見つけたアイドル「制服向上委員会」の採算計画

 その昔、共産党候補にバンザイ!とやってしまいテレビから干されたのは司会者の前田武彦氏だった。時代は移り、共産党本部で志位和夫委員長の話に聞き入るのはアイドルグループ『制服向上委員会』(SKi)である。テレビに背を向け「反安倍」を叫ぶ彼女たちのビジネスモデルとは。

 *** 
制服向上委員会@新潮

 7月18日、東京・代々木にある日本共産党本部では、党創立93周年の記念講演会が開かれていた。会場を埋めた党幹部や古参党員を前に熱弁を振るう志位委員長。そこに交じって熱心にメモを取る5人の少女たちがいる。アイドルグループ『制服向上委員会』のメンバーだ。

 出席したアイドルの1人、木梨夏菜さんが言う。

「私たちが座ったのは関係者席みたいな……よく分からないんですが、すごく前の席でした。志位さんが言っていたことで印象的だったのは、集団的自衛権にしても、安保法案にしても違憲だといっぱい言っていたことです!」

「反安倍」「反原発」を歌う彼女たちだけに、共産党もこれは使えると踏んだのだろうか。メンバーが講演に聞き入る様子は小池晃副委員長のツイッターに掲載され、「赤旗」にも紹介されたのである。

 彼女たちのマネージャーによると、

「共産党をはじめ色んな団体からよく招待状が来るのですが、その中からスケジュールが合うものだけ行っています。9人いるメンバーのうち5人が参加したのは、当日集まれたのが彼女たちだったから。この日は講演会の後、レッスンをやって『SEALDs(反安保法案のデモを行う学生団体)の勉強会にも参加しています

 こんな調子だから、AKB48のようにアイドル番組に呼ばれることもないし、もちろんCMの話もあるはずがない。どうやって稼いでいるのだろうか。

■与党にも呼ばれたい
 彼女たちが所属する「アイドルジャパンレコード」高橋廣行社長が言う。

「(SKiの)収入としては、コンサートやCDなどいろいろあります。『制服の日』というコンサートは月4公演やることもあり、1日に2~3回やる。このほかにファンクラブのイベントとしてメンバー個人のバースデーイベントや、浴衣撮影会、制服撮影会もあります」

 テレビやCMの仕事がないこと以外は、最近のアイドルがやっていそうなことばかりだが、高いチケットだと8500円とそれなりのお値段である。話題になったこともあって、最近はどのイベントも満杯なのだとか。だから、政治団体からのギャラはあてにしていない。

「憲法九条の集会などにゲストとして呼ばれたときは報酬がありますが、デモに参加したり講演会を聞きに行くのはボランティアですね」(同)

 ちなみに、この日の講演会もノーギャラ。

 アイドル評論家の堀越日出夫氏が言う。

「テレビに出ないアイドルにとっては、ファンといかにビジネスするのかが大事です。たとえば『ももクロ』も、テレビの露出は少ないけど国立競技場を満杯に出来る。今のところSKiは他の芸能人がマネしないところで話題をさらっている。競争のないニッチなマーケットを狙っているのです」

 ところで彼女たち、「反安倍」を歌っていても「反体制」ではないのだとか。講演会に参加していたもう1人のメンバー・西野莉奈さんが言うのだ。

「私たちは共産党のイベントに出たから左だと言われるんですけど、与党の方が招待してくださったらぜひ行きたい。勉強になりますから!」

 どうします? 安倍総理。
「ワイド特集 女たちは荒野をめざす」より
2015年8月13・20日夏季特大号 掲載 
http://www.gruri.jp/article/2015/08180815/

 学生ハンスト実行委員会制服向上委員会
https://twitter.com/hansutojitsu/status/642380857341120512

【共産党研究(上)】
党勢拡大狙う「赤いカメレオン」 「戦争前夜」あおり自公支持層に接近
共産党志位官邸前デモ

 7月18日、共産党本部で開かれた党創立93周年記念講演会。同党が「戦争法案」と連呼する、安全保障関連法案の衆院通過から2日後のことだ。志位和夫委員長はいつにも増して「安倍政権打倒」のボルテージを上げた。

 「憲法9条を破壊する最悪の違憲立法だ。戦後最悪の安倍政権を打ち倒そう!」

 志位氏は5月26日の衆院本会議代表質問と27、28両日の衆院特別委員会で安倍晋三首相を波状攻撃した。

 党の内部文書たる6月1日付の常任幹部会報告(通称「常幹メモ」)には、こう記されている。

 「質疑直後から大きな反響を呼び、有権者から電話やメール、ファクスの激励が党本部に多数寄せられた。知識人、著名人からの反応も強い。志位委員長の質問内容を全党がつかみ、戦争法案阻止のたたかいの発展に生かしていく」

 常幹メモの「指令」は即座に党都道府県委員会を通じて全党に徹底された。6月9日には党中央委員会幹部会の決定で「戦争法案阻止・党勢拡大大運動」の大号令がかけられた。

二大政党切り崩し
 共産党は昨年1月の第26回党大会で「自共対決の本格的な幕開けだ」と宣言していた。しかし、政府が同年7月1日に集団的自衛権容認を閣議決定した後は、自民党を攻撃の標的とはせず「安倍政権打倒」を前面に据える戦略に転換。それから2週間後の党創立92周年記念日に、志位氏は「安倍政権打倒の国民的大運動」を打ち出した。その狙いを共産党幹部が説明する。

 「自民党を支持してきた保守層にも安倍政権の暴走に強い危機感を抱く人が増えている。そういう人たちと共闘の輪を広げていこうということだ」

 「自民か、民主か」という二大政党体制を完全に切り崩し、有権者に「安倍政権は是か非か」の選択を迫る構図に変えていく-。

 党指導部は今、その戦略に間違いはなかったとみている。昨年末の衆院選で公示前の8議席から21議席へと総選挙では18年ぶりの躍進を遂げた。今春の統一地方選でも勢いを持続した。

 実は共産党が「戦争法案」と名付けた法案は初めてではない。平成11年に成立した周辺事態法など関連3法や13年成立のテロ対策特別措置法も国会審議の過程で同党議員は「戦争法案」と呼んでいた。“使い回し”の常套(じょうとう)句なのだ。 

 背景には、安倍政権の現実路線を奇貨として「戦争前夜」のムードをあおり立て、無党派層だけでなく自民党の穏健的な支持層をも取り込む思惑がある。

 共産党は今年6月9日の党幹部会決定で「戦争法案を阻止するたたかいは、侵略戦争に命がけで反対し、反戦平和を訴え続けた党としての存在意義が問われる」と党員を鼓舞した。

かつては9条反対
 「平和の党だ」「護憲だ」と声高に叫ぶが素顔は違う。戦後、現憲法制定の際に9条に反対し「自衛戦争」を容認した唯一の政党だ。旧社会党の「非武装・中立論」も批判していた。

 昭和48年11月の第12回党大会で発表した「民主連合政府綱領案の提案」などでも、当面は現憲法擁護の立場で自衛隊を違憲の軍隊として解散し、将来的に憲法廃止のうえ社会主義憲法下で自衛軍を創設する-という「自衛・中立」路線を確たる安保政策としてきた。

 「改憲政党」だった“本性”を隠しつつ標的に同化し入り込む-。安保法案をめぐる真夏の攻防戦で見えてくる共産党の姿はまさに「赤いカメレオン」(同党ウオッチャー)といえる。

 関係者によれば、志位氏は7月上旬、自ら乗り出して民主党の岡田克也、生活の党の小沢一郎両代表と個別に都内で極秘会談し、安保法案をめぐる国会内外での連携方針を確認した。

 他党と統一戦線を張ることで「異質の野党」の色を薄めたい党指導部の思惑が透けてみえる。党幹部は「志位氏自ら他党の折衝に動くのは異例だ。右から左まで抱えて対応が揺れていた民主党も世論に押され、共闘に傾いた」と話す。

自衛隊にも“触手”
 一方で、共産党は「違憲」の存在と位置付ける自衛隊にも“接近”を強めている。

 「被災者救援に頑張った自衛隊員。戦死させるな! 市民の力で戦争法案ストップ」

 8月2日投開票の仙台市議選ではそんなスローガンのビラを配り、「自衛隊の応援団」をアピールした。機関紙「赤旗」は「『元自衛隊員の人が(私たちに)敬礼する』『自衛隊員の母親から心配との声が寄せられる』など反響が広がっている」と書いた。 

 自衛隊内の潜在的な安保法案反対者を取り込むばかりか、自衛隊との“近さ”を偽装して無党派層を引き寄せる狙いが浮かび上がる。

 触手は公明党の支持母体の創価学会内にも伸びている。「赤旗」で安保法制反対デモに参加する創価学会員を「公明党に怒る創価学会員」と積極的に紹介する。山下芳生(よしき)書記局長は8月3日の記者会見で「公明党支持者の皆さんの気持ちを酌んだ運動を発展させたい」と述べ、安保法案に反対する創価学会員との連携を強める考えを示した。

 公明党の山口那津男代表は翌4日の記者会見で不快感をあらわにした。

 「共産党は今の憲法制定時に『肯定される戦争がある』との立場で9条に唯一反対した政党だ。自らの主張を省みていただきたい」

 中国や北朝鮮の軍事的脅威にさらされる日本の「備え」に猶予はない。だが、志位氏は今も「“軍事対軍事”の悪循環に陥ることが最も危険だ。どんな問題も外交的解決に徹すべきだ」と繰り返している。

 「共産党が国民の支持を広げている現状こそ、日本の危機だ」。自民党閣僚経験者はそう天を仰いだ。

    ◇

 平成25年参院選、26年衆院選と連続で「躍進」を果たし、野党で唯一気を吐く共産党。さらなる党勢拡大に向けた「革命政党」の戦略と動きを追い、今後を展望する。
産経ニュース2015.8.10
http://www.sankei.com/premium/news/150810/prm1508100014-n1.html



安保法制反対のデモに創価学会の三色旗 「参院選で自民、公明は応援しない」

 日増しに勢いを増す「安保法制反対」の国会デモ行進の渦。その中に創価学会のシンボル「三色旗」が掲げられていることをご存じだろうか。「平和の党」でありながら、安倍自民党に屈服した公明党への怒りが学会員の間で鬱積。そのマグマはやがて安倍首相をも直撃するのか。

「安倍晋三は、今すぐやめろ! 集団的自衛権なんていらない!」

 7月31日、夕闇迫る国会議事堂前を、安保法制に反対する無数のデモ隊が埋め尽くした。学生らでつくる団体「SEALDs(シールズ)」がシュプレヒコールを上げる中、さまざまな年齢層の参加者が「憲法9条死守」など、思い思いのプラカードを持って国会周辺を練り歩く。

 その中に、赤、黄、青の3色の上に「SGI AGAINST FASCISM」と記されたプラカードを持った男性の姿があった。

「SGI」とは言うまでもなく「創価学会インタナショナル」の略称。そう、プラカードは与党の一角を担う公明党の支持母体である宗教団体・創価学会のシンボルの「三色旗」なのである。男性は神奈川県在住の30代の創価学会員。デモに参加した気持ちを本誌にこう訴えた。

「今の公明党は自民党の子分みたいになってしまった。平和の党として言うべきことを言ってほしいと、デモに参加しました。私の周りにも、学会本部に投書をするなど同じ考えの人が出てきている。今はバラバラの点と点ですが、デモをきっかけにして線や面になっていければと思います」

 男性の言葉どおり、「平和の党」を自負する公明党が自民党とともに安保法制を推し進めていることに不満を持つ学会員が、じわじわと声を上げ始めている。

 ネット上でも、新たな動きが出てきた。

 愛知県在住の創価学会員・天野達志さん(51)は、7月30日から安保法制の白紙撤回を公明党の山口那津男代表に請願する署名活動を始めた。

「ひとりの学会員」として署名を呼びかけているが、対象は学会員だけに限っていない。フェイスブックなどのソーシャルメディアを駆使し、同調者を集めている。天野さんがこう語る。

「学会の幹部には『組織の会合で声を上げることは会員を動揺させるから、よく考えていただきたい』と言われましたが、知人を通じてやるのはかまわないというので署名活動をすることにしました。すでに十数件の問い合わせが来ています。私も組織を惑わせたくはなく悩ましいですが、池田大作名誉会長らの教えに倣って『戦争をするのは違う』と声を上げたいという思いが根本にあります」

 天野さんも東京都内のデモに参加し、他の学会員の参加者と少しずつ交流を深めている。

 こうした草の根の動きは議員の間でも広まりつつある。愛知県武豊町議の本村強氏(62)は昨年6月、集団的自衛権行使容認の閣議決定に反対する意見書を町議会で可決させたことをきっかけに、同9月に公明党を離党した。

「1990年代のPKO問題の時は世界への貢献のためと自分を納得させてきましたが、今回の安保法制は黙っていられなかった。池田名誉会長の著書『人間革命』の冒頭に『戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない』とある。学会員なら誰でも読んでいます。戦争を引き起こしかねない法案に公明党が賛成するのは、矛盾している」(本村氏)

 28歳で入信し長年の会員だという本村氏だが、公明党の政策を公然と批判することには、大きな負担がともなった。

「党内からは私を除名しろという声も上がった。離党する時には、『あなた個人の票は得票の2%だ』と言われ、離党すれば組織票がなくなり次の選挙では勝てないと示唆された。しかし、私の動きに賛同し、陰で応援を続けてくれる会員もおり、春の統一地方選では何とか無所属で当選することができたのです」(同)
(本誌・小泉耕平、牧野めぐみ/今西憲之)

※週刊朝日 2015年8月14日号より抜粋
http://news.livedoor.com/article/detail/10431986/
 
(´・ω・`)AGAINST FACISMっていうなら支那様に言うてくれや
戦争反対って中国大使館前で言わんの?

習近平山口那津夫
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/china/9834638/China-will-never-compromise-on-security-says-Xi-Jinping.html

【高木桂一の『ここだけ』の話】
共産党が皇室に急接近した瞬間を激写!! 「次の狙いは佳子さまだ」 
でも国歌斉唱では口を閉ざしたまま…

共産党小池晃千鳥ヶ淵

 さる5月25日に開かれた千鳥ケ淵戦没者墓苑拝礼式で、共産党の小池晃副委員長が秋篠宮ご夫妻と同席した。皇室への“接近”をはかる革命政党の戦略を示すものだが、産経新聞は拝礼式での「歴史的瞬間」をカメラに収めた。そこで見えたのは、共産党の隠しきれない“本性”だった。

 厚生労働省が主催する拝礼式は昭和40年から皇室の方々が臨席されて毎年開かれている。各政党は欠かさず代表者を出席させてきたが、共産党は昨年5月26日の拝礼式に初めて参列し、小池氏が代表として秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまと同席した。

 共産党は皇族の方々が臨席されるため約50年の長きにわたって拝礼式への参列を見送ってきたが、昨年、ついに「禁」を破ったのだ。これまで皇室と距離を置いてきた共産党にとっては史上初めて能動的に皇室の方々と同じ舞台に立つという歴史的な出来事だった。厚労省の担当者も事前に共産党から「出席」を伝えられ、耳を疑ったほどの“事件”だった。

 このところ国政選挙で「躍進」を続けて意気上がる共産党だが、志位和夫委員長ら指導部がさらなる党勢拡大に向け「共産党イコール天皇制打倒」のイメージを抱く多数の国民の“共産党アレルギー”をやわらげることが不可欠だと判断していることは言うまでもない。

 「機関紙『しんぶん赤旗』の部数は増えていないのに、選挙の得票は増えている」と共産党関係者はいう。従来のコアな支持層以外の有権者が共産党になびいてきているという分析だが、“ゆるい支持層”をさらに引き寄せるには「普通の政党」「大衆政党」といったイメージを拡散していくことがこの党の重要な戦略になっている。皇室との距離を縮める路線はまさにその戦略に沿ったものだ。

 ところが昨年5月の歴史的な出来事に関して当時は産経新聞を含めて、どのマスコミも報じることがなく、見逃してしまった。共産党幹部に後日、「拝礼式に取材に来ていた記者さんたちもみんな気がつかなかったねぇ…」と皮肉を言われたほどだ。

 ならば“1年遅れ”ででも歴史的な現場に立ち会うしかない。筆者は、2年連続で千鳥ケ淵戦没者墓苑拝礼式に出席した小池氏の姿を追った。

 5月25日正午すぎ、安倍晋三首相のほか、塩崎恭久厚労相や岸田文雄外相ら閣僚、自民党の棚橋泰文幹事長代理、公明党の山口那津男代表、民主党の岡田克也代表、維新の党の松野頼久代表、次世代の党の平沼赳夫党首、社民党の吉田忠智党首ら各党代表の中に小池氏がいた。総勢約600人の参列者が、秋篠宮ご夫妻が到着されるのを待っていた。

 やがて秋篠宮ご夫妻をお迎えし、式典が始まる。ご夫妻と数メートル離れた位置に立った小池氏。冒頭の国歌斉唱の際には起立していたものの、口はしっかり閉ざしたままだった。周囲がみな「君が代」を斉唱するなか、ただ一人「われ関せず」の模様はやはり異様だった。

 小池氏は拝礼式後、「君が代」斉唱を拒否した理由について「内心の自由だから」と筆者に語った。むろん「君が代」を国歌とすることに強硬に反対し続けている共産党の幹部としては文字通り“レッド・ライン”なのである。

 政府・与党が「日の丸」を国旗に、「君が代」を国歌にそれぞれ法制化する方針を決めた平成11年3月のことだ。いずれも容認しない共産党の不破哲三委員長(当時)は、「君が代」反対の理由を党の見解としてこう表明した。

 「『君が代』という歌は、千年以上前の作者の意に反して、明治以後、天皇の統治をたたえる歌という意味づけを与えられてきた。『君が代は千代に八千代に』、つまり“天皇統治は永久であれ”という歌だから、今の憲法の国民主権の原則と全く両立することはできない」

 この不破見解は現在も共産党の公式な立場となっているというから、さすがに党幹部が歌うわけにはいかない。最近も『赤旗』の「主張」(一般の新聞の社説に相当)で「『君が代』の強制 いったい誰のための式なのか」(今年3月1日付)、「大学と国旗・国歌 許されぬ学問と自治への介入」(同5月4日付)と、「君が代」への拒絶を叫び続けている。

 共産党の皇室戦略転換の大きな胎動となったのは、平成16年1月の第23回党大会だ。昭和36年の第8回党大会で採択した党の基本的文書である綱領(いわゆる「宮本綱領」)を全面改定し、天皇制について「民主主義及び人間の平等の原則と両立しない」と反対姿勢を堅持しつつも、「君主制を廃止」というそれまでの表現を削除した。天皇が「憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきもの」と明記し、天皇制との共存を容認した。当時、不破氏が議長として主導したソフト・イメージ路線の象徴だった。ある共産党関係者はこう漏らす。

 「佳子さまとの“接点”がもてれば党の大きなイメージアップになる。次の狙いは佳子さまだ」

 つまり国民的人気のある秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまの公務で党幹部が同席する機会がつくれれば、共産党にとってはメガトン級の得点になると皮算用しているのだ。

 しかし計算ずくで皇室にじわじわと近寄りながら、一方で「天皇統治体制が永久に続くことはまかりならぬ」「君が代」をかたくなに拒否する、この党の二重基準は何なのか。

 5月25日の千鳥ケ淵戦没者墓苑拝礼式で明確になったのは、皇室を事実上利用してどれだけ「普通の政党」を偽装しようが、革命政党の本質は変わらないということである。

 ちなみに「赤旗」は翌5月26日付で「千鳥ケ淵で戦没者拝礼式 小池副委員長が献花」という見出しで記事を掲載したが、記事では秋篠宮ご夫妻が臨席されたことには一切触れていない。

 「実は『赤旗』編集局も昨年5月に小池氏が拝礼式に参列したことを後日知ったため記事にならなかった。今年初めて取材し記事にした」(共産党関係者)という。

 党内には「天皇制打破」を強硬に主張し続けている古参党員も少なくないと聞く。“皇室への接近”は、多くの党員が目にする機関紙への掲載をはばかる「不都合な真実」なのかもしれない。
(政治部編集委員 高木桂一) 
産経ニュース2015.6.16
http://www.sankei.com/politics/news/150616/plt1506160002-n1.html

日本国憲法 
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 

天皇制廃止を目指すのは容認するとして、改憲するまではこれを遵守する義務を負ってますよね

憲法守る気なんかさらさらないじゃないですか

∴共産党=違憲政党

集団的自衛権が違憲か合憲かという議論にほとんど意味がない
だってみんな憲法守ってないし守る気もないやん(嘲 


余談
左巻きの方々は旧日本軍の戦争犯罪についてすぐ戦時国際法を持ち出して違法だとか言ってますが
国連憲章を承認してるのに集団的自衛権は認められない!とか
日韓請求権協定で「最終かつ完全に解決されたこととなることを確認する」 と締結しておきながら
慰安婦問題でこれを踏みにじって覆そうとしたり
(共産党笠井亮は朝鮮王室儀軌でこれを踏みにじった=二度と国際法を持ち出す資格はない)
 →お似合いの夫婦 共産党・笠井亮

都合の良い時には国際法ガー
都合が悪い時には無視

ヘリクツに付き合うだけ時間の無駄

先日米共産党に協力した在米日系人のことを書いたところ
アメリカ共産党に属した在米日本人グループ
コメント欄で教えてもらった

47newsTBS吉田清治報道特集
http://www.47news.jp/CN/201410/CN2014100101001916.html

このうちの91年の動画
TBS報道特集:1991年12月「証言 従軍慰安婦」
カールヨネダミッチナ慰安婦尋問2
最近で言うとテキサス親父さんが慰安婦像に紙袋かぶせたことで有名になったビルマのレポート
【wiki】日本人戦争捕虜尋問レポート No.49
これがカール・ヨネダ氏だった

ちなみにこれが写真の裏
カールヨネダミッチナ慰安婦尋問2写真裏
韓国国史編纂委員会電子資料館
http://archive.history.go.kr/viewer/?cogId=000000905086
→http://japanese.joins.com/article/566/172566.html

TBS吉田清治報道特集カール・ヨネダ

カール・ヨネダ氏の証言
「結局売春なんかを強いられるとは思ってなかったんです。船に乗せられて、それで戦地に送られて。結局自分がこう危険だと思ってて、逃げる方法ないわけです。兵隊にいつもカンシャされているからね(と聞こえるが監視されて、だろうか:筆者)朝鮮は長いこと日本の植民地として弾圧されてきたからね。」

(´・ω・`)弾圧って・・・

ちなみに動画には清水澄子氏も出てくる→河野談話の立役者 清水澄子
TBS吉田清治報道特集清水澄子
「ホントにあの政府が人間としての良心をもってこの問題に誠意をもって当たるならばですね、やっぱ自らの手で事実を解明すべきだと思いますが」

(´・ω・`)良心・・・どんだけ厚い面の皮

米共産党に関わっていた一人、宮崎与徳
ソ連の勲章45年ぶりに授与 ゾルゲ事件の宮城の遺族に
宮崎与徳のめいソ連勲章

 太平洋戦争直前に発覚したゾルゲ事件に連座し獄死した沖縄県出身の画家、宮城与徳(1903~43年)に対しソ連が65年に授与を決めた勲章がロシアで保管されていたことが分かり、ベールイ駐日ロシア大使が13日、都内のロシア大使館で45年ぶりに遺族に勲章を授与した。
 遺族は、宮城のめいで米ロサンゼルス在住の徳山敏子さん(81)で、授与されたのはソ連の2等祖国戦争勲章。
 米国で共産党に入党した宮城は帰国後、ソ連スパイ網の中心人物リヒャルト・ゾルゲの組織に入り、近衛文麿首相のブレーンだった尾崎秀実とゾルゲの間で連絡役を務めたとされる。戦後になって、ゾルゲらの活動は反戦平和活動だったと再評価する見方も出ている。
 授与式でベールイ大使は「世界をファシズムから解放するのに貢献した一人」とたたえた。65年に授与しなかった理由については当時は遺族を見つけることができなかったと説明した。
 沖縄県在住のフリーライターを通じて勲章を探していた徳山さんは「勲章を両手に取るまで半信半疑だった。名誉回復につながったと思う」と話した。
47NEWS2010.1.13
http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011301000710.html

(´・ω・`)またロサンゼルス・・・・

なぜグレンデールに慰安婦像が立ったのか
繋がってる話じゃないかと思えてくるわけですよ
つまり基本的には日韓関係の話がなぜ米側に飛び火したのか
それは米在住の協力者がいなければ不可能なわけで

吉田清治氏は上海臨時政府に関わっていた
→ 吉田清治の正体は? 

そこで気になるのが
「後に右翼の大物として名を馳せた田中清玄らが、秘密機関的性格を持つ技術部を新設、武器の収集をはじめるようになる。そして1929(昭和4)年10月、軍事委員会を設置、党の自己防衛のための武器、将来の武装蜂起のための軍事内細胞の確立および武器の収集と貯蔵を決定した。
 田中清玄が上海に渡航、武装革命のための特別行動隊の組織、武器輸送の組織について話を進めたという。」
日本共産党 幾多の粛清を経て、生き残る公明なる秘密結社

【wiki】田中清玄
オットー大公とハイエクとの親交田中は池田成彬の紹介で、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーと鹿島守之助と親交をむすび、ハプスブルク=ロートリンゲン家家長のオットー大公を紹介された。オットー大公は戦前にオーストリア皇位継承権を放棄して、反ファシズムを表明、戦後は欧州統合運動の推進役となった。経済学者フリードリヒ・ハイエクにはオットー大公から紹介された。田中はオットーに勧められ、1961年自由主義運動を推進するためにハイエクが組織したモンペルラン・ソサイエティーに入会した。ハイエクは社会主義とケインズ経済学の両方を批判していて、田中は、とくに人為的な信用によって一時的に景気を上昇させても、それによっておこる相対的な価格体系の混乱はやがて景気を反転させるという思想に共感していた。1974年2月10日、ハイエクのノーベル賞授賞式ではパートナー役をつとめる。メインテーブルに招かれた日本人は田中清玄だけだった。1978年、田中は来日したハイエクを伊豆の自宅に招き、奈良に付き添って刀工の月山貞一のところを訪れたり、ハイエクと人類学者・今西錦司の対談を企画。1991年12月4日にはオットーと宮沢喜一首相の会談を実現させた。


カレルギー伯といえば
創価学会池田大作カレルギー
「友愛」を手繰ったら恐ろしい箱が出て来た 
サイモン・ウィーゼンタール・センターと仲良しな某宗教団体・・・
【拡散希望】サイモン・ウィーゼンタール・センターと創価学会と中国共産党


参考
しばやんの日々 さん
『アメリカまでのびていたゾルゲ諜報組織の「赤い糸」』 
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-236.html 

この糸を手繰り寄せて作ったのが「従軍慰安婦強制連行」ではないのだろうか 

余談
カリフォルニアって言っても広いじゃん
とお思いでしょうが実はこの3カ所はとても近い
SGIサイモンウィーゼンタールグレンデール
マークしてある場所 SGI international
赤い星 simon wiesenthal center 
そしてグレンデール

普段一括りにして批判しておるのでそれぞれの違いをば

【高木桂一の『ここだけ』の話】
共産党「赤旗」に、はためく“敵対”革マルの真っ赤な旗
革マル派系全学連の旗「赤旗写真ニュース」

 日本共産党が機関誌「赤旗写真ニュース」で、敵対関係にある「革マル派」(日本革命的共産主義者同盟・革命的マルクス主義派)の旗が写った写真を掲載するハプニングがあった。同党はかつて「しんぶん赤旗」紙上で、やはり敵対する「中核派」(革命的共産主義者同盟全国委員会)メンバーの“勇姿”を写真付きで紹介してしまったことがある。どうもこの党、最近はチェック体制が緩んでいるようで…。

 問題の写真は、共産党が毎月2回発行する「赤旗写真ニュース」の2月第3週号に掲載された。

 1月27日に東京・日比谷野外音楽堂で開かれた「ノー オスプレイ東京集会」のもようを、「オスプレイ配備やめよ」の大見出しで伝えているのだが、写真には、集会でシュプレヒコールをあげる参加者たちの写真に、赤地の旗に白い文字で「全学連 ZENGAKUREN」と書かれた革マル派系全学連の真っ赤な旗が写ってしまっているのだ。写真には多くの横断幕や旗が写っているが、「全学連」の旗は大きく、ひときわ目立っている。

 全学連は各大学にある学生自治会の全国組織で、学費値上げ反対闘争を背景に昭和23年に約150大学、20万人以上で結成された。しかし徐々に対立を深め、分裂を繰り返してきた経緯により、現在(1)民青系(日本共産党系)(2)中核派系(3)革マル派系(4)革労協現代社派系(5)革労協赤砦社派系ーの5つの団体が「全学連」を名乗り、それぞれが自らの正当性を主張している。

 くだんの赤旗写真ニュースの写真に入っていた旗は革マル派系全学連のもので、共産党も認めている。赤旗写真ニュースはその名の通り、写真が“売り”のニュースだが、革マル派の旗が写ったものを使用するとは、同党にとっては「大失態」である。

 「気づいていれば革マル派の旗の部分をカットするなり、ぼかすなりできたのだが、後の祭りだった。こういった集会でわが党と革マル派が呉越同舟となることは頻繁にあるが、連中は会場で『日本共産党を潰せ』というビラを配っているぐらいだ。まさか彼らのシンボルでもある旗を写真ニュースの写真に載せてしまうとは…」と共産党関係者はいう。つまり、「過失」により革マル派の旗が入った写真を使用してしまったということらしい。

 共産党は昨年7月15日付「赤旗」日曜版で、首相官邸前での反原発デモに参加する中核派の活動家、富田翔子氏①をコメント、写真付きで紹介してしまった。中核派系全学連の斉藤郁真委員長②(法政大学文化連盟委員長)も掲載写真に写っていた。

 富田氏はアーティストの顔ももつが、正体は中核派の反原発運動の前線たる「すべての原発いますぐなくそう全国会議(NAZEN)」の事務局次長である。中核派の拠点だった法政大学に対する警察当局の「弾圧」への抗議活動でも先頭に立っている有名人なのだ。しかし、取材した記者も編集部も富田、斉藤両氏の“素性”を知らなかったというから驚きだ。

 公安当局者も「信じられないことが起きた」「一昔前の共産党なら考えられないボーンヘッドだ」と絶句する椿事だったが、こうして共産党は、「反社会的暴力・殺人者集団」と厳しく糾弾してきた革マル派、中核派を機関紙に登場させてしまうのだから何とも“寛容”だ。

 警察庁の「警察白書」は革マル派、中核派を「極左暴力集団」と呼んでいるが、共産党の革マル派、中核派に関する公式な立場、見解は以下の通りである。

 
「革マル派」とか「中核派」などと名乗る団体は、凄惨(せいさん)な「内ゲバ」事件などをおこしてきた反社会的な暴力・殺人者集団であり、日本共産党とはまったく関係がありません。最近の彼らの言動をみると、国際的な無差別テロを賛美し、テロリストへの支持・連帯という主張をさけんでいます。

 2001年にアメリカでおこった3千人近くの人命を奪った9・11同時多発テロについて、「画歴史的行為」(「革マル派」機関紙「解放」01年9月24日号)などとほめたたえ、テロ勢力との「連帯」までかかげてきました。

 日本共産党にたいしては、「テロ根絶」の主張について、口ぎたない悪口を投げつけてきました。

 彼らは、「革命」や「共産主義」などの言葉をかかげています。しかし、実際の役割は、国民の要求実現のたたかいと政治革新のとりくみを、暴力によって混乱させ、妨害することにあります。 

 国民の期待と支持が日本共産党に集まることを恐れる支配勢力は、「共産主義」を掲げ、暴力行為をおこなう集団を、日本共産党とかかわりがあるかのように、反共宣伝に利用してきました。

 それは、反共右翼や警察がこうした集団に資金を提供してきたことや、警察が彼らの暴力行為を本気で取り締まろうとせず、「泳がせ」政策をとってきたことにも表れています。

 日本共産党は、彼らの暴力行為を、一貫してきびしく糾弾してきました。

 これらの集団が、「改憲阻止」などのスローガンをかかげて、憲法を守る人たちの運動の内部に入り込む策動をしていますが、民主勢力のなかでは、「統一行動の妨害団体」として、「共闘にくわえない」となっています。》(2010年3月27日、党ホームページ掲載)

 革マル派、中核派が機関誌に相次いで“登場”させてしまったことについて、共産党関係者は「赤旗編集部内のチェック体制がずさんであることを浮き彫りにした」と話す。二度あることは三度あるのか…。(政治部編集委員)
産経ニュース2013.2.4
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130224/stt13022407010000-n1.htm
(´・ω・`)ご思想に合わせて赤枠にしてみたよ

①富田翔子さん
NAZEN富田翔子
ツイッターを見ると共産党候補を批判してるので確かに対立はしてるのだろう

②斎藤郁真氏
全学連斎藤郁真
ああ~ツイッターでこの画像出回ってたけどこの人だったのか
ハングルはちまき(どん引き

共産党は暴力とか内ゲバやってる団体と一緒にしないでっキイと言ってるけど
あ?どの口が?と
日本共産党 幾多の粛清を経て、生き残る公明なる秘密結社


それでそれぞれの違いだけど
(´・ω・`)やっぱわかんね
おいおい勉強致します・・・気が向いたら・・・ 




p194~201
共産党のエライ人だったという「宮本顕治」さんって、どんな人だったの?

拷問に屈しない伝説の闘士でしたが、現在の硬直化した党の体質を作った人でもあります。

2007年7月18日、98歳で亡くなった宮本顕治さんは、戦後の日本共産党を担ってきた代表的幹部で、レッド・パージの弾圧と路線対立で分裂した党を再建した立役者でした。80年代いっぱいまでは絶大な権勢を誇っていました。
 しかし、実際のところ共産党に関わった人、特に党を去っていった人からは毀誉褒貶がさまざまに論じられる人物でもあります。党内運営がとても強権的だったのですね。自分の意に沿わない幹部や党員には、屈辱的な”自己批判”をもとめ、それに従わなければ追放もいとわなかったのです。
 まあ、宮本さんについては70年代半ばから「スパイリンチ殺人疑惑①」などが取りざたされ、「真相はどうなんだ」といまだに言われているのですが、こうした問題の真偽を語るには、私の見聞は足りません。立花隆さんによる『日本共産党の研究』のような立派な研究書がありますので、興味ある方はそちらをお読みいただきたいと思います(私がこれをお勧めすることで、心中を察してくださいね。)
 まあ、そんなことより専従生活の中でかいま見た宮本さんの君臨ぶりや、人となり何かを紹介するほうが、私からの材料提供としては相応しいと思います。

宮本議長の言葉は特別の重みがあるとされた
 ともかく、党内では宮本顕治という名が出ると、上は中央委員会から下は地区委員会まで、まるで”神”のような扱いだったことがありました。80年代中ごろの話です。
 また、このころまでの日本共産党の「中央委員会決定」の文書というものは、『赤旗』に掲載されると全体紙面の半分を占めるほど長かったです。それは、宮本議長の冒頭発言、不破哲三委員会の幹部会報告、金子満広書記局長の専門分野についての捕捉報告、宮本議長の中間発言、不破委員長の討論のまとめ(結語)といった具合に長文の文章が続いたからです(肩書はいずれも80年代半ば頃の代表的なもの)。
 党の地方組織である地区委員会の専従職員は、各地にある党支部で党員に「決定」を読んでもらったり討議してもらったりするために、手分けして指導援助に入るのですが、時には新聞で15ページ前後にもなる長くて何回な中央委員会決定の全文を、党員すべてに呼んでもらうのは困難でしたね。
 だから、内容をかいつまんで説明することになるんですが、その際、他のどの部分よりも重要視してはならないと考えられていたのが、宮本議長が述べている部分です。

失敗しても、失敗の責任は”理解不足”の末端にある
 支部へ始動に入る前に専従職員は自分たちが党員の誰よりもよく理解していなくてはならない建前です。だから、次善によく読み込んだ上で機関としては一級上の委員会(地区委員会の上なら都道府県委員会)の会議で説明を受け、討議してきた地区委員長からよく説明を受け、時間をかけて討議しました。
 もちろん、討議といっても「不破さんの言っているところの、ここは^違うと思います」「自分はこう思います」なんて自由に報告や発言を批判したり、自分の考えを対比したりする、世間一般で行われているような「討議」ではありません。
「ここの部分は、こうこうの意味が込められて述べられている」とか、「不破さんは、ここでこういう意味のことを言っているのだと思う」みたいな、中央委員会決定はすべて正しいという前提での解釈論議をするに過ぎません。だから、その後の活動でなにか失敗が起きると、これらの中央委員会決定を振り返りながらもそれを批判することはなく、「われわれの中央委員会決定に対する理解が〇〇の点で足りなかった」「地区委員会がよく理解しなかったから、支部の認識にすることもできなかった」というような”自己批判”と呼ばれる、もっぱら自分を責める、中身のない反省ばかりすることになります。

「ミヤケン」と聞いたら直立不動になる雰囲気
 そんな批判の対象や失敗の原因になることはあり得ない「決定」の中でも、宮本さんの発言を取り上げるときは、他よりさらに特別扱いといった感じでしたね。いまでも私は、地区委員会が一瞬、全身を緊張させるように「(宮本)議長が・・・・」といった言い出しで宮本さんの発言について説明を始める場面が何度もあったこと思い出します。
 若い読者の方にわかるかなァ、日本の戦争映画なんかで軍人を演じている俳優が「畏れ多くも(天皇)陛下が・・・・」というと画面の中の登場人物が突然、直立不動の姿勢となる、あの感じに似ています。「神聖にして冒すべからず」というような。
 また、50年代くらいから入党し、党分裂の苦難期を超えてきたようなベテラン党員たち(専従ではないか、専従は退職していまったOBたち)には、公然と「風雪に耐えたミヤケンさん(宮本さんの愛称)に比べれば、不破なんかまだ青い」「不破は頭でっかちなことばかり言う」と宮本さんを天まで持ち上げながら、不破さんについてはケチョンケチョンといった発言をする人もいました。最近の不破さんの君臨ぶりからは考えられない状況ですね(笑)。

共産党史の生き証人だから特別の重みがある
 ともかく、宮本さんが党内で絶大な権威を誇った背景には、戦前期からプロレタリア文学の立場から文芸評論で優れた業績を残した著名な女流作家、宮本百合子さんと結婚し②、そしてなにより獄中でも非転向を貫いたことが挙げられます。
 「非転向」とは権力側に屈服して懺悔したり、思想の放棄を表明せず、党員としての初志を取り調べや圧力、拷問などに負けずに貫くことです。言うはたやすいですが、戦前期に逮捕・入獄③した共産党員で非転向を貫けた党員はほとんどいなかったんです。
 そして獄中から百合子さんと心のこもった書簡のやりとりをして、戦争や日本の行く末をゆるぎない信念で語り合ったというエピソードがあります。宮本夫妻のこのやりとりは、『十二年の手紙』として当初は青木書店、後に共産党直系書店の新日本出版社から刊行されています。
 実際、スパイリンチ事件で逮捕された後の宮本さんは凄まじい拷問を特高警察によって加えられたんです。学生時代、柔道で体を鍛えられていたので耐えられたそうですが、『蟹工船』の作家、小林多喜二なんて捕まって数時間でショック死してしまったほどの凄まじい拷問です。
 手を縛って天井からつるしあげ、太ももを木刀でガンガン叩きのめしたり、柔道の締め技をかけて何度も仮死状態にさせたりし、その都度蘇生させるというようなひどい拷問です。
 宮本さんはこれに耐え抜いたんですが、拷問の後遺症で両腕は肩までしか上がらなくなっていましたし、足の筋肉細胞が壊されてしまって、戦後もずっとリハビリが欠かせなかったそうです。これらは、宮本さんの秘書や側近だった人から直接、聞いた話です。
 これほどの過酷な体験をした、まさに共産党史の生き証人の口から出る言葉は特別の重みがあるように感じられましたね。
 だから「あんなこと、自分は耐えられないなあ。でも信念を守るために頑張った宮本さんはスゴイ」なんて、たいていの党員はこうしたエピソードに感じ入っていたわけです。

猜疑心や人間不信は強い。不破・上田兄弟への仕打ち
 でも、こうした凄まじい体験は、宮本さんの心中に負の遺産を残していたんじゃないでしょうか。私は、数度した傍に近寄ったことがなく(一種の臨時ボディガードをやったんです)、会話なんか交わしたことはありませんが、目つきが異様に鋭く、猜疑心がつよそうでした。極度の人間不信というか・・・・。
 実際、宮本さんと数十年にわたって一緒に活動してきた老党幹部(今は故人です)から詳しく聞きましたが、宮本さんは常に、身近な党員でも「いつか裏切るんじゃないか」という目で見ていて、少しでも自分と違う意見を述べたり、まして批判めいたことを述べたりしたら近くから遠ざけたり、ひどい時は左遷・更迭したそうです。
 それは不破哲三さんに対する態度にも如実で、しょっちゅう頭から批判を加え、70年代はじめには不破さんと兄の上田耕一郎さんが十数年前に書いた著作の”誤り”を自己批判させ、それを党の理論政治誌である『前衛』に発表させるような異常な措置をとりました。

(文中太青字は原文ママ)

① スパイリンチ殺人疑惑
 戦前、特高警察が共産党内に送り込んだスパイと目された小畑達夫を宮本さんら当時の党指導部メンバーがアジトに監禁し、暴力的な査問を行った結果、小畑を市に至らしめたとされる1939年の事件。戦前の法廷で殺人・死体遺棄で審理されました。共産党は暴力的な査問の存在を否定しています。宮本さんは無期懲役の判決を受け入獄しましたが、日本の敗戦による政治犯釈放で45年10月に解放されました。

②宮本百合子さんと結婚し
 当初は事実婚で、33年にスパイリンチ事件で宮本氏が入獄後に入籍してから獄中結婚しました。宮本百合子さんは1899年生まれ。戦前から共産党員としてもプロレタリア作家としても活躍しました。1951年没。

③戦前期に逮捕・入獄
 治安維持法下の戦前では共産党員は国家転覆を企てるテロリストあつかいでしたから取り調べは過酷で、刑務所でも通常の衆人より政治犯の待遇は劣悪でした。また当局は転向を申し出たものには待遇を楽にして、思想の放棄を促しました。

参考
日本共産党 幾多の粛清を経て、生き残る公明なる秘密結社
 

たまたま読んでた本に唐突に有田芳生先生が出て来たのでびっくり



共産党の謎24 党員だったり共産シンパの芸能人や文化人はいますか?

p224・225
宮本顕治の逆鱗に触れ除籍された有田芳生さん

 すでに党籍から離れた元共産党員ならば、明確にされている著名人が何人かいらっしゃいます。いわば”ヤメ共”著名人ですね。
 ヤメ共リストのトップに挙げたいのが、高齢にもかかわらず言論界そしてプロ野球界で大活躍されている渡邉恒雄さん。読売新聞グループの本社代表会長で主筆ですね。東京大学に在学中、共産党に所属していたと自ら語っています。
 『突破者』で有名な作家の宮崎学さんも、早稲田大学時代には日本共産党のゲバ部隊(これについても詳しく書きたいのですが、紙数がない!)の指揮官をしていました。

 あと、外せないのが現在、新党日本で活躍されているジャーナリストの有田芳生さん。オウム真理教などカルト教団問題の追及では、右に出る人がいませんでしたね。日本テレビの人気番組「ザ・ワイド」(終了)の常連コメンテーターでもありました。

 お父上が共産党の大幹部でご自身も党中央委員会勤務後、共産党直系出版社である新日本出版社に勤務されました。80年代に小田実さんと上田耕一郎党副委員長の対談企画を雑誌でやったことが宮本顕治党委員長(当時)の逆鱗にふれ、有田さんは査問されたあげく、党を除籍になったそうです。それくらい宮本さんは小田実さんが嫌いだったんですよ。でも小田さんなんて、晩年は『赤旗』にも登場して「憲法九条」だの「平和」だのについて語っているんですから、有田さんに対する措置は是正されるべきであるのに、共産党って本当に身勝手この上ないですね(笑)。

 有田さんのように、トラブルで共産党を去った著名人はたくさんいます。

 これが、共産党がどんなにいいことを語っても、心底からは共産党を信用したくないような雰囲気を世に作っている気がしてなりません。


(宮本顕治氏は何で小田実が嫌いだったんだろう?) 




p230~239
日本共産党 幾多の粛清を経て、生き残る公明なる秘密結社

マルクス主義を標榜して設立され、熾烈な弾圧に耐え忍んできた日本共産党。
労働者政党という認識が強いが、意外なことに過去の指導者は東大卒が目立つ。
また共産党員から転向した、大物実業家も多数見受けられる。
鉄の規律と団結で知られ、水面下でいまだ革命を志向しているといわれるこの党は、
謎が多い、日本最大の秘密結社といえる。


徳田球一志賀義雄
出獄する共産党員(昭和20年10月10日)左:徳田球一、右:共産党再建に力を尽くした志賀義雄


コミンテルンの指導で設立、解党と再建を繰り返す


1921(大正11)年、日本共産党はコミンテルン日本支部として設立された。創立メンバーは、境利彦、山川均、荒畑寒村ら日本社会党の元党員と、徳田球一、野坂参三らである。
 日本共産党綱領によると、「一 戦前の日本社会と日本共産党」のなかで、
「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受け継ぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された」とある。
 そして、ロシア共産党を中心とするコミンテルン(共産主義インターナショナル)の日本支部として、モスクワで開かれた第4回大会で承認されている。翌年、臨時党大会を開催し、コミンテルンから通達された「君主制の廃止」について議論し、天皇制廃止が原則的に承認された。その後、早稲田大学内で左右学生の衝突をきっかけに、警視庁が治安警察法違反で共産党幹部を一斉検挙後、起訴したことにより、壊滅状態に陥った。その後、「大逆罪」が適用されることを恐れ、翌1924年、解党を決定した。しかし、コミンテルンの援助により、翌年、再建党大会を開いたのである。
 というように、設立当初から弾圧を受け続けて、解党と再建を繰り返した共産党は、非合法的な活動をせざるを得なかったのだ。
 1925(大正14)年、治安維持法が設立され、「国体の変革」「私有財産制度を否認」する目的を持つ結社が禁止された。これにより、共産党の活動は全面的に禁止されたも同然だったのである。さらに相次ぐ一斉検挙で、昭和4年には壊滅状態に陥ったのだ。
 そのころ、後に右翼の大物として名を馳せた田中清玄らが、秘密機関的性格を持つ技術部を新設、武器の収集をはじめるようになる。そして1929(昭和4)年10月、軍事委員会を設置、党の自己防衛のための武器、将来の武装蜂起のための軍事内細胞の確立および武器の収集と貯蔵を決定した。
 田中清玄が上海に渡航、武装革命のための特別行動隊の組織、武器輸送の組織について話を進めたという。この武装指令は、5年の総選挙の際に出され、兵庫県下で行動隊員がジャックナイフやあいくちで重傷を負わせる事件が起きた。そして和歌山県和歌浦では党幹部が拳銃を乱射して警察官3人が重傷、その後、幹部が次々と逮捕された。
 さらに武装メーデー事件が起きる。共産党は武装闘争を方針に掲げ、石油タンク破壊、デモ隊を国会に向かわせるなどの指令を発した。そして、川崎で「即時、革命政権を樹立しよう」と扇動演説をしたが、警官隊に検挙された。その後、資金に窮した共産党は、株券偽造事件などを起こしたが、なんと銀行襲撃までしている。
 これは、昭和7年10月、拳銃を発射して川崎第百銀行大森支店を襲撃し、3万1755円を強奪したのだ。事件後、犯人3人は逮捕され、共産党は犯行を否定する声明を出したが、そんななか、獄中で幹部たちが次々に転向、壊滅的な打撃をこうむるようになる。
 組織の存続に危機感を感じた党幹部は、査問委員会を設置、昭和8年12月、中央委員2人、大泉兼蔵と小畑達夫をアジトに監禁のうえ、査問することを決定。両手両足を縛り、猿ぐつわをし、押入れに監禁した。そのうち大泉は査問の肉体的苦痛に耐えかね、スパイであることを自白、小畑は逃走を企てたが捕まり、宮本顕治、袴田里見らに押さえつけられ、死亡した。遺体はアジトの床下に埋められ、大泉は監禁され続けたが、逃亡を図ったところ、警察官に検挙され、かろうじて命はまぬがれた。これが「共産党リンチ事件」である。


山村工作隊結成と相次ぐ権力闘争、粛清の嵐

 これまで見たように、平和と民主主義を唱える今日の共産党の歴史は、すこぶる血なまぐさいものであった。そして権力闘争が勃発する。
 戦後すぐ合法化された日本共産党は、昭和26(1951)年、「遊撃隊の結成」 を呼びかける。これは、人民解放軍への発展を目指して行われ、中国共産党の「農村から都市を包囲する」戦術の焼き直しであることはいうまでもない。そして、都市の労働者を山村に移住させて、武装革命の根拠地をつくるという山村工作隊を結成するのだ。
 この主たる活動は、東京都多摩地区の小河内ダム開発計画阻止や、奈良県吉野郡の水害救援活動や機関誌購読などのオルグなどであったが、武装襲撃も起こしている。これは、山梨県南巨摩軍で起きた、山林地主を10人の山村工作員が襲い、本人だけでなく、妻子も竹やりや棍棒でめった打ちにし、有罪判決を受けた事件である。
 また、北京の「徳田機関」が日本から「人民艦隊」を呼び寄せ、幹部養成や軍事教練を行っていた。まさに、暴力装置による共産主義革命の輸出を図ったのだ。
 これと相前後して、党は分派闘争の時代を迎えることになる。
 大きく分けると中国に渡り、武装革命輸出を図る徳田球一ら主流派と、志賀義雄・宮本顕治ら国際派の争いである。そして徳田ら主流派の主導した武装闘争路線は、国民の支持を得られずして衰退し、宮本が書記長に就任、自主独立路線に踏み切る。それからは現在まで、平和と民主主義路線が続いている。


政党助成金をもらわないのは「プロ結社」集団の証拠

 日本共産党は、国民一人当たり年間250円負担に当たる、国庫から交付される政党交付金受け取りを拒否する唯一の政党である。ちなみに2010年の政党交付金支給額は、トップが民主党の172億9700万円、最下位が改革クラブの1億2000万円である。格闘の得票率や所属議員の割合で配分されるが、「企業団体献金廃止を目的に助成制度をつくったのにもかかわらず、現在も残している」「思想良心の自由に反し、憲法違反である」というのが受け取らない理由である。
 票数を金に換算するのは民主主義の精神に反する、という清廉潔白さが身上の政党だが、裏を返せば、受け取らなくてもいいほど、資金力が潤沢だという証左でもある。
 その活動資金は、機関紙収入、党費、個人寄付によって成り立っている。企業献金、団体献金は受け取っていない。党員40万人のうち、党費納入者(推定)26万2000人、機関紙・しんぶん赤旗発行部数約173万部、支部が2005年現在で約2万4000と、根の張り方は、政党随一ともいえる。5000人近くにいる議員のほかに、専従職員数も約4000人いるといわれ、いわゆる職業活動家が党の中核を占めている、プロ政治家、いや言葉を換えれば「プロ結社集団」なのだ。しかも、彼らに本音を語らせれば、「マルクス主義者」であることは一目瞭然。選挙ごとに離合集散を繰り返す、議席目当ての烏合集団とは年季の入れ方が違うのである。
 現中央委員会委員長・志位和夫、元委員長・志位和夫のように、最近の共産党指導者は、その柔和さが際立っている。志位は、祖父が日本陸軍中将で、東大工学部物理工学科卒業。「代々木のプリンス」と呼ばれた不破は、実兄とともに国会議員、共産党の要職を務め、東大理学部物理学科卒業。ほかの党幹部も、東大、京大卒が多い。かつての指導者にも志賀義雄はじめ、東大京大など旧帝大卒業者がひしめいていた。
 その謎解きをすると、彼らのなかには、名門高校の民主青年同盟出身者が数多くいる。すなわち、十代のころから、生粋の共産党シンパで、幹部候補生。将来を約束されているエリートで、これも「共産党が秘密結社である」一例といえよう。ところで、1970年前後、学園紛争時の民青といえば、これも表面は健康的でさわやかな好青年ぞろいの集団だが、ひとたびゲバ棒を持つと、『暁の部隊』と恐れられ、そのパワーには、新左翼も恐れおののいていたという。作家・宮崎学氏も、その一員であったと著書で明らかにしている。
 また、戦前の学生党員は、将来の実業家の宝庫でもあった。
 ざっと列挙しても、セゾングループの創始者であり、作家・辻井喬としても著名な堤清二はじめ、その東大時代の同級生で、元日本テレビ会長・氏家斉一郎。一年先輩で氏家を読売に勧誘した読売新聞グループの総帥・渡辺恒雄など超大物ばかりである。


平和と民主主義とはそぐわない?共産党綱領に隠されたもの

 政治はきれいごとではない。日常の経済活動だって、騙し騙されの連続なのだから、当然である。しかし、共産党の場合は、結党以来の弾圧に耐え続けた歴史と、現在の主張の隔たりに違和感を感じるのではないだろうか。
 そこで、2004年1月17日、第23回党大会で改定された日本共産党綱領を要約すると、
「日本共産党は、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として創立され、天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権を勝ちとるために戦った。日本はアメリカの事実上の従属国で、日本自衛隊は事実上、アメリカ軍の掌握と指揮の下に置かれている。現在、日本社会が必要としている革命は、社会主義革命でなく、対米従属と大企業の横暴な支配打破に向けた民主主義革命である。そして民主連合政府を樹立し、社会主義、共産主義の社会への前進を図る」
 ということになる。 いまだに科学的社会主義を理論的基礎とするマルクス主義政党であることは変わらず、暴力革命とはひと言も謳っていないが、究極的には共産主義革命を志向しているのだ。ひとたび警察の弾圧があれば、また地下に潜ることも考えられる、不屈の集団なのである。


警察・公安との100年戦争

 戦後、日本がアメリカからの支配を脱却しつつあったとき、二つの事件が起こった。札幌で公安捜査官の警部が拳銃で撃たれ死亡した「白鳥事件」と、大分県菅生村(すごうむら 現・竹田市)の駐在所が爆破された「菅生事件」である。
 「白鳥事件」では、共産党の武装革命派数人が逮捕されたが、被告は無罪を主張し、不可解な部分も多い。また「菅生事件」では、共産党員数人が逮捕され実刑判決を受けたが、公安警察官がオトリ捜査をして、この犯行グループにかかわっていたことが判明し、被告が無罪になった。
 また、警察庁は『警備警察50年』のなかで、「暴力革命の方針を堅持する共産党」と警告し、「綱領改定の結果、革命色を薄めソフトイメージを強調したものとなったが、二段階革命論、統一戦線術といった基本路線には変更がなく、動向に重大な関心を払っている」と断言している
 戦前の結党時から現在まで至る、共産党と公安は永遠の宿敵であり、言い方を換えれば、日本政治史上、最高のライバルであるのだ。
 以上、述べてきたことをまとめると、日本共産党は路線変更を繰り返したものの、その革命路線を一貫して掲げ、しかもロシアや中国とも一線を画す、日本で最大最長の政治結社であるといえよう。
 また、警察や自衛隊とも一戦交えることを辞さないのは、歴史が雄弁に物語っている。
 近年、次々に誕生した新左翼も、元は共産党が分派して結成されたものだし、それが内ゲバを繰り返して今は見る影もないのはご存じの通りである。
 そして一貫して天皇制を否定しているものの、過去の指導者の独裁制や、マルクス主義への絶対の信仰を見ると、実は、メビウスの輪のように、天皇制そのものを体現しているとも見て取れるのだ。
 ところで、地域社会で困ったことがあれば、いちばん身近で相談に乗り、動いてくれるのは、共産党系の民商と創価学会というくらい、きめ細かい活動をしているのをご存じか。それも含めて、この不屈の精神を持つ、インテリ指導者が揃う政党に政権を委ねたら、混迷日本が救われるのではないか?そんな逆説さえ考えられるほどなのだ。


治安維持法が天下の悪法みたいなこと言われてますが、
これ見る限り必要だったとしか言いようがないわけで
むしろ復活させた方がいいんじゃないか 

田中上奏文という偽書があるのだがたまたま読んでいた本にとんでもないことが書いてあったので紹介したい
(とんでもないというか今更というか)

まず田中上奏文の概要から

【wiki】田中上奏文
田中上奏文(たなかじょうそうぶん)は、昭和初期にアメリカ合衆国で発表され、中国を中心として流布した文書で、第26代内閣総理大臣田中義一が1927年(昭和2年)に昭和天皇へ極秘に行った上奏文とされ、内容は中国侵略・世界征服の手がかりとして満蒙(満州・蒙古)を征服する手順が説明されている。日本では偽書とされ、当時中国で流布していることに対して中国政府に抗議したところ、中国政府は機関紙で真実の文書ではないと報じたが、その後の日中関係悪化にともない1930年代に中国は反日プロパガンダにこの文書を利用し、日本は国連などでも答弁を求められるが各国は中国を支持し、日本は国際社会で孤立し外交的に敗北することになった。日本の歴史家のほとんどは上奏文としては怪文書・偽書としているが、作者については諸説あり不明である。また、田中上奏文を本物と考える人は現在でも特に日本国外に存在している。
田中メモリアル・田中メモランダム・田中覚書とも呼ばれ、中国では田中奏摺、田中奏折と呼ばれる。英語表記はTanaka Memorial。

英語版、コミンテルンによる流布
田中上奏文は10種類もの中国語版が出版され、組織的に中国で流布され、また1931年には上海の英語雑誌『チャイナ・クリティク』に英語版「タナカ・メモリアル」が掲載され、同内容の小冊子が欧米や東南アジアに配布された。ソ連のコミンテルン本部も同1931年『コミュニスト・インターナショナル』に全文掲載し、ロシア語、ドイツ語、フランス語で発行し「日本による世界征服構想」のイメージを宣伝した。フランス国会では、1931年11月26日にジャック・ドリオが文章を引用しながら演説をおこなった。


別冊正論15号
『アメリカを巻き込んだコミンテルンの東アジア赤化戦略』 日本会議専任研究員 江崎道朗
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/War-responsibility.pdf

この文章はソ連・コミンテルンの対米工作を七段階に分けて説明している

ソ連・コミンテルンの対米工作
第一段階 アメリカ共産党の創立
第二段階 人民統一戦線の構築
第三段階 シンクタンクIPR(太平洋問題調査会)の乗っ取り
第四段階 中国共産党を支持する雑誌「アメラジア」を創刊
第五段階 「ルーズベルト大統領一族を取り込む」
第六段階 スティムソン元国務長官を利用したロビー活動
第七段階 政権内部のスパイたちが対日圧迫政策を強行

このうち
第三段階のシンクタンクIPR(太平洋問題調査会)はYMCAロックフェラー財団の資金援助を受けて設立していることがずっと気になっているのだが田中上奏文流布にも関与していた
反日ネットワークの正体 

p85
 IPRは1939年になると、冀朝鼎、陳翰笙ら共産党員の手で、ハーバート・ノーマン著『日本における近代国家の成立』など日本の中国「侵略」を批判する「調査シリーズ」というブックレット集を次々と刊行し、欧米諸国の外交政策に多大な影響を発揮したばかりか、アメリカの対日占領政策の骨格を決定することになった。
 なぜならIPRは戦時中、太平洋方面に派遣される陸海軍の将校向けの教育プログラム作成に関与するとともに、『汝の敵、日本を知れ』といった啓蒙用反日パンフレットを軍や政府に大量に供給したからである。
 特にIPRが製作に協力したフランク・キャプラ監督の宣伝映画『汝の敵を知れ』は、日本が世界征服を目論んでいたとする田中メモランダムや「国家神道による洗脳」、「南京大虐殺」などが毒々しく紹介され、神道指令や東京裁判における「南京大虐殺」追及へとつながることになった。


長くなったけどここから本題



p138~139
コミンテルンと中国共産党
 「田中上奏文」の流布にコミンテルンが果たした役割も大きい。コミンテルンとは第三インターナショナルの別称であり、各国の共産党を指導した国際組織のことである。その雑誌『コミュニスト・インターナショナル』は、1931年12月に「田中メモランダム」の全文を紹介し、「ソ連を擁護する全世界の労働者はこの文書を知るべきである」と論じた。『コミュニスト・インターナショナル』は、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語、中国語で刊行されていた。
 『コミュニスト・インターナショナル』の記事を和訳したのが、日本共産党であった。日本共産党中央委員会は1932年6月、この記事を小冊子『赤旗パンフレット 第二五号 一切の暴慢をさらけ出した赤裸の日本帝国主義』に訳して配布した。
 コミンテルンは、アメリカ共産党を通じて日本語の機関紙『労働新聞』をサンフランシスコで発行してもいた。1935年3月1日の『労働新聞』は、日本の対中政策を田中大将覚書の中にかかれている『プラン』と一致するものである」と断じた。そのことは富井周サンフランシスコ総領事から広田外相に伝えられた。
 他方で中国共産党は、1931年11月に中華ソビエト共和国臨時中央政府を瑞金に樹立していた。江西省南部の瑞金が、革命の根拠地と位置づけられたのである。1934年10月になると中国共産党は、国民党軍によって瑞金を追われた長征を開始した。毛沢東が率いる紅軍第一方面軍は、1935年10月に陝西省北部に到着して長征を終えた。この間にコミンテルン駐在の中国共産党代表団は、同年8月1日に「抗日救国のため全国同胞に告げる書」を発した。いわゆる八一宣言である。
 八一宣言を起草したのは、コミンテルン駐在員としてモスクワに滞在していた王明らであった。八一宣言の冒頭では、「わが国に対する日本帝国主義の侵攻は急テンポとなり、南京の売国政府は一歩一歩と投降し、わが北方の各省も東北四省に次いで、事実上滅亡してしまった」と論じられた。この下りは、日本陸軍による華北分離工作を批判したものであろう。日本陸軍は、梅津、何応欽協定や土肥原・秦徳純協定を中国に押し付け、河北省や察哈爾(チャハル)省などの華北で国民政府の影響を排除しようとしたからである。
 さらに八一宣言は、「田中メモランダムによって予定された、完全にわが国を滅亡しようという悪辣な計画は、まさに着々と実行されつつある」と危機感を煽った。つまり中国共産党は、日本の中国滅亡計画として「田中上奏文」を引用したのである。
 1936年11月には張学良が、中国共産党に対する討伐を進めていた蒋介石を西安で軟禁した。西安事件である。解放された蒋介石は、共産党との内戦を停止して抗日に転じた。このため中国には、抗日民族統一戦線が築かれようとしていた。日本と中国が盧溝橋で衝突し、そこから全面戦争に拡大していくのは、まさにそのような時期であった。


反戦平和を唱える九条教徒日本共産党は
本当に反戦平和を望んでいるのか甚だ疑問と言わざるを得ない
「過去の侵略戦争の反省」とことあるごとに言うその歴史観が当時のコミンテルンそのままのプロパガンダというね

そして今も
竹島の漁師と引き換えに多額の賠償金を払って締結した日韓基本条約を覆そうと画策しているのである
共産党笠井亮朝鮮王室儀軌返還オークラ
お似合いの夫婦 共産党・笠井亮 


再び『アメリカを巻き込んだコミンテルンの東アジア赤化戦略』から
p82
第一段階 アメリカ共産党の創設
 ソ連の指導者レーニンは1919年、世界共産化を目指してコミンテルンを創設した。
 世界共産化とは、全世界の資本主義国家すべてを転覆・崩壊させ、共産党一党独裁政権を樹立することである。ではどうやって世界共産化を成功させるのか。レーニンは、「敗戦革命論」を唱えた。敗戦革命論とは、資本主義国家間の矛盾対立を煽って複数の資本主義国家が戦争をするよう仕向けると共に、その戦争において自分の国を敗戦に追い込み、その混乱に乗じて共産党が権力を掌握するという革命戦略だ。
 要するに、共産主義革命のため、国家間の対立を煽って戦争を引き起こし、自国を敗戦に追い込もうというのだ。なんとひどい発想だろうか。日本にとって不幸だったのは、この謀略の重点対象国が、日露戦争を戦ったわが日本と、世界最大の資本主義国家アメリカだったということだ。日米二つの資本主義国の対立を煽って日米戦争へと誘導することは、コミンテルンにとって最重要課題であった。現にレーニンは1920年、世界共産化を進めるためアメリカを利用して日本に対抗し、日米両国の対立を煽るべきだと主張している。


戦争に突き進んでいったのはいったい誰のせいなのか
嘘をついてきたツケが自らに向かう時がじわじわ迫っていますね 

日本共産党・笠井亮議員といえば

▼朝鮮王室儀軌返還
朝鮮王室儀軌共産党笠井
仏像はほんの始まり 
ユネスコ規約に従って返還したというならユネスコ規約違反の対馬の仏像を取り返すべきだが
終戦のゴタゴタで日本が半島に残して来た文献全て取り返すべきだが

▼ナヌムの家訪問
笠井亮ナヌムの家訪問
韓国の伝統を受け継ぐナヌムの家 

▼めまいがするような東京裁判史観
憲法前文はパクリ!その目的は日本精神の破壊 

その妻もまたとんでもなかった 

日本の若者、慰安婦がなぜ問題か知らない

笠井貴代美(笠井亮妻)
新日本婦人の会の笠井会長が、「どこの国にも(慰安婦問題は)あった」と妄言を吐いた籾井NHK会長に送った抗議の書簡を見せている。


  「日本軍慰安婦がなかったと考える日本の国民はいない。しかしその実状があまり知られていない。私たちがするべきことは日本国民に慰安婦の惨状を知らせることだ」。 

 先月8日、東京文京区にある新日本婦人の会を訪問した。同団体の笠井貴美代会長(60)は日本で慰安婦問題の公論化に率先している。笠井会長はまず自ら作成した抗議の書簡を見せた。1月に「どこの国にも(慰安婦問題は)あった」という妄言を吐いた籾井勝人NHK新会長に送ったものだった。妄言をやめて謝罪すべきだという内容が書かれている。笠井会長は「とんでもない発言を聞き、許せなかった」と籾井新会長を非難した。 

1952年に設立された新日本婦人の会は日本の女性団体のうち最も長い歴史を持つ。規模も最も大きい。月900円の会費を出す会員が15万人にのぼる。財政に余裕があるため団体の「独立性」が保障される。 

2011年に笠井会長が在任してから新日本婦人の会は慰安婦被害者問題を知らせるのに積極的に取り組んでいる。「慰安婦は日本が解決すべき問題であるうえ、女性の人権と関係があるので、日本の女性団体の私たちが率先しなければいけない」と述べた。

笠井会長が韓国の慰安婦問題にさらに関心を持つことになったのは夫のためだ。2007年から韓国を何度も訪問し、朝鮮王室儀軌の韓国返還を主張した日本共産党所属、笠井亮衆院議員(62)が笠井会長の夫だ。その後、笠井議員は2012年と2013年に韓国を訪問し、慰安婦被害女性が居住する「ナヌムの家」にも行った。笠井会長は「夫婦ともに日本政府が慰安婦問題について謝罪するよう力を注いでいる」と述べた。

 笠井会長は日本国内での慰安婦妄言に深い懸念を表した。笠井会長は「安倍首相の家門が先代からあまりにも保守的なので、こうした発言は終わらないだろう」としながらも「安倍首相と側近が強硬発言をするほど、多くの日本国民が慰安婦問題に関心を持つことになるはず」と述べた。 

 しかし日本で慰安婦被害の実状があまり知られていないというのが問題だ。現在の日本の教科書は、慰安婦問題が「終結した」と記述したり、全く触れていないケースがほとんどだ。笠井会長は「若い人たちであるほど慰安婦がなぜ問題なのか分かっていない」と述べた。 

 このため笠井会長は非政府組織(NGO)として新日本婦人の会の役割を強調している。昨年9月、同団体は韓国人慰安婦被害者の姜日出(カン・イルチュル)さん(86)、李玉善(イ・オクソン)さん(87)、パク・オクソンさん(90)を日本に招待した。戦時に慰安婦として経験した惨状と被害状況を日本国民に知らせるためだった。東京と京都で2度行われた証言は現在DVDに制作されている。笠井会長は「日本の若者がいろいろと質問をし、感激した」と語った。22日にも名古屋で姜さんが学生を対象に被害証言をする。 

 237人のうち55人。笠井会長は現在生存している韓国慰安婦被害者の数を正確に知っている。笠井会長は「慰安婦問題は日本政府が公式謝罪するのはもちろん、生存する方々に賠償までしてこそ“解決”できる」と強調した。中央日報2014.3.5
http://japanese.joins.com/article/555/182555.html?servcode=A00&sectcode=A10

新日本婦人の会HP
新日本夫人の会(共産党
http://www.shinfujin.gr.jp/genre/report_category/gender-sexslaves 

こんなだった(ゲンナリ 

朝鮮王室儀軌返還にもナヌムの家にも韓国の仏教団体曹渓宗が関わっているが
日本共産党と親しい仏教団体というのがあらためて不自然だと思う
韓国の反日の裏にいる仏教団体・曹渓宗 

日本共産党衆議院議員 笠井亮HP
笠井亮曹渓宗ヘムン
 http://www.kasai-akira.jp/kokkai/070820-112425.html
手で指しているのが慧門僧侶→盗人僧侶 

こんな画像をHPに掲載して恥と思わない神経がよく分からない

共産党笠井亮朝鮮王室儀軌返還オークラ
http://www.yonhapnews.co.kr/international/2011/05/13/0602000000AKR20110513218000073.HTML
朝鮮王室の子孫と日本共産党笠井議員@オークラ

彼らが何をやらかそうとしているのかというと
日韓基本条約に基づく戦後処理を覆すことである

【youtube】映画 『利休にたずねよ』に疑問を感じた人が見る動画 【韓国問題】 
ぜひ見てください
日本を大切に思う人ならこういう反応になるはずです 

脱北女性が問う帰還事業の責任
(東京新聞2009.9.7)
 「飢饉(ききん)に洗脳教育、そして差別に拷問。どこが『地上の楽園』だ。楽園でなく地獄だった」。大阪府八尾市在住の脱北女性、高政美(コジョンミ)さん(49)は、怒りの矛先を帰還事業を支援した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に向けた。大阪地裁で慰謝料など約千百万円の損害賠償を求めて係争中。「うそで人生を狂わせ、それで許されるのか」 (鈴木伸幸)

 高さんの左肩には大きな刺し傷がある。拷問で受けたのではない。「自らの右手ではさみを握り、刺したあと」 という。高さんは、2000年11月に中朝国境の鴨緑江を渡って脱北。しかし、中国から日本への渡航に失敗。 2003年1月に北朝鮮に強制送還され、その途中に「抗議の自殺」を図った。 

 「血が噴き出て、もうろうとしたところまでは覚えている。だけど死ねなかった。留置所に入れられ、殴る蹴る されて、脱北計画について取り調べられた。何度も気絶した」と高さん。「顔かたちは変わってしまい、昔の顔では ない。歯は抜かれて、これは全部、入れ歯」と前歯を指さした。 

 肉体的にも精神的にも、極限まで痛めつけられた影響か、眠れない毎日が続く。眠れても、悪夢にうなされる。 「でも私はまだ幸せな方。生きて脱北できたのだから」 

 訴状によると、高さんは3歳だった1963年に一家で北朝鮮へ。両親は韓国・済州島出身①だったが、父親は早世。 3人の子どもを抱えて経済的に困窮していた母親が、「北朝鮮に行けば心配なく生活できる。食料は十分あるし、 仕事も住宅も与えられる」と繰り返し説得され、帰国を決心した。 

 ところが、連れて行かれた北西部の新義州で、母親を待っていたのは朝から深夜までの労働奉仕。兄は 「日本に帰りたい」と口にして、精神科病院に収容され、栄養失調と、床は汚物だらけの劣悪な環境に耐え 切れずに亡くなった。 

 高さんが人民学校に通うようになると「チョッパリ」と日本人の蔑称で呼ばれて差別され、服を脱がされたり、 破られたりといじめられた。(中略) 
引用はこちらから
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/asia/1252495439/l50
 

「帰還事業は在日朝鮮人を『労働者』や『金づる』として利用しようとした北朝鮮による誘拐事件。朝鮮総連は虚偽の説明でそれを実行した。まだ、北朝鮮に残っている人がいる。人の命がかかっている問題なんです」と高さん。「裁判は脱北に成功した者の使命。死ぬまで戦います」 

帰還事業とは一体、何だったのか。非政府組織(NGO)「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の幹部で大阪経済大学准教授の山田文明氏は「北朝鮮は労働力を欲し、在日朝鮮人に目を付けた。日本でも在日の問題が顕在化していて、日本政府はそれに応じた、という経緯がある」と話す。 

実際、在日朝鮮人は差別の対象で生活は苦しく、公的援助の受給者も多かった。また、左翼的思想を持ちがちで、東西冷戦下では、半ば厄介払いでもするかのように「在日を追い出そう」という空気があった②という。一方、朝鮮総連はこの裁判について「同じような訴えを棄却した判例がすでにある。訴えは同胞社会と日朝関係に害を与える以外のなにものでもない」とコメントした。 

その裁判は、62年に脱北したソウル在住の男性が01年6月に、朝鮮総連に損害賠償を求めて東京地裁に起こした。だが、脱北してから39年が経過して「損害賠償請求権が10年の時効で消滅している」と棄却、敗訴が確定している。だが、高さん側は「日本の在外公館に保護されたのは05年3月で、この提訴では時効は成立しない」との立場だ。 

また、朝鮮総連は在日朝鮮人に帰国を促すと同時に、帰国の準備のために朝鮮語教育などを実施していた。また、日本に残した資産は朝鮮総連が管理、処分していた実態から、高さん側は「帰国者と朝鮮総連の間には何らかの契約があったとみなされる」と主張する。ただ、この裁判の難しさは、帰国事業が始まった当時、日朝両国の思惑に加え「在日朝鮮人は人道上、北朝鮮に帰すべきだ」という理屈に、多くの政治家や文化人、さらにはメディアまでもが疑問を持たず、帰国者の背中を押した、という事実があることだ。
引用はこちらから
http://blog.livedoor.jp/newskorea/archives/990435.html 

個人的には困っている人は助けてあげたいと思うし脱北者のもたらす情報は貴重で
なぜかチュチェ思想研究会の者などがはびこっている国連の組織を動かすには脱北者支援は必要なことなのかもしれないが....
国連人権委員会における攻防

②「在日朝鮮人は差別の対象で生活は苦しく、公的援助の受給者も多かった。また、左翼的思想を持ちがちで、東西冷戦下では、半ば厄介払いでもするかのように「在日を追い出そう」という空気があった
この日本が悪いと言わんばかりの書き方は何だろう(さすが東京新聞
吉田茂=マッカーサー往復書簡 

①済州島出身ということはそもそもが密入国者ではないのか
呪いの島済州島 
なぜこの人が日本に帰ってくるのか?


高政美さん韓国語授業
http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=3&newsid=12098
支援者に恩返し 脱北元同胞の高政美さん 2009.11.25民団新聞
(でも民団は一方でヘイトスピーチ反対などという北朝鮮主導の言論弾圧活動を共にやっているわけで:右矢印)

高政美さん民団講演
http://www.mindan-tokyo.org/bbs/board.php?board=board04&page=4&sort=hit&command=body&no=59
北韓の実態を語るー脱北者講演会(民団東京地方本部2009.7.6)
 「父親は日本では朝総連の活動家で帰国事業(北送)にも携わった人だった」「北韓に渡って労働党入党を拒んだことでスパイ扱いされ、厳しい拷問も受けた。また、95年には新義州地区での餓死者死体処理に動員されるなどした」と語る高さんの目からは大粒の涙が零れ落ちた。
 また、「父は北韓に行ってから総連のため働いたことを反省し、自分の責任だったといつも言っていた」と語った。


かと言って北送阻止隊というテロ工作員(元は在日朝鮮人)を送り込んだ韓国側も
どちらも同様に日本にとっては迷惑で不要な人達であることに変わりはない
北送阻止隊 

北朝鮮は「地上の楽園」でも「凍土の地獄」でもそのどちらでもない
元々の朝鮮半島はこうだったというだけの話
今も昔も
もし朝鮮総督府で働けと言われたら 
「日帝」を否定するならここから自力でリスタートして下さいな
どうしても日本が支援する必要があるなら「日帝」肯定が最低条件ではないか

韓国は日本の代わりに分断され犠牲になった(→呪いの島済州島)などと言う韓国人がいるのだから
脱北者が「 <;`д´>日本のせいニダ」という訴訟を起こすのは時間の問題
必ず将来の禍根となる

脱北者は既に約200人日本にいるそうだ

参考
【wiki】怒羅権 中国残留孤児2世3世による暴走族  

追記2013.11.24
脱北者だまし秘密警察などへ引き渡す、工作員出身の脱北者男を起訴 韓国検察
 韓国検察は15日、2004年に中国で北朝鮮脱出住民(脱北者)5人をだまして北朝鮮の秘密警察、国家安全保衛部に引き渡したとして保衛部工作員出身の脱北者の男(48)を国家保安法違反罪で起訴した。

 北朝鮮に引き渡された被害者の女性(34)が、政治犯収容所での6年間の服役生活を終えて再び脱北し韓国入り。男が自分の家族を北朝鮮から呼び寄せ韓国で暮らしているのを知り、9年前の恨みを晴らそうと韓国当局に通報した。聯合ニュースが伝えた。

 男は工作員時代に中国で脱北者の摘発に当たっていたが、密貿易への関与が発覚したため、北朝鮮当局の手を逃れ03年に韓国入りし定着。脱北の手引きと密貿易をしていたが、北朝鮮に残した家族が心配で保衛部幹部に連絡を取り、再び同部の指示で活動するようになった。(共同)msn産経ニュース2013.7.15 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130715/kor13071518590002-n1.htm 

短い記事だけどカオスすぐる
安易な同情が何をもたらすかよく分かりますね 

北朝鮮帰国問題の背景1 帰国運動の目的
北朝鮮帰国問題の背景2 「人質」になった帰国者 続き


序文・北朝鮮帰国問題の背景ー青山健煕はなぜ北朝鮮に帰ったのか
 佐藤勝巳(現代コリア研究所所長)

p17~23
4.「帰国事業」 に日本はどう関わったか
 さて、この「帰国事業」に日本がどう関わったかである。当時、岸内閣で、1959年1月29日藤山外相は「在日朝鮮人で北朝鮮に帰国を望む者には許可する所存」との声明を発表した(政府が外相声明を了解したのは同年2月13日)。総聯が、北朝鮮への帰国運動を始めた1958年(昭和33年)8月から約5カ月後である。
 
 韓国政府は、この藤山外相声明に抗議して2月13日「日韓会談打ち切り、李ライン監視強化・北朝鮮帰国阻止」を通告してきた。日本政府が第二次世界大戦後、分断国家朝鮮半島政策の難しさに初めて直面したときである。

 当時の私は、日韓会議反対、在日朝鮮人の帰国推進という運動の渦中にいたのでよく分からなかったが、岸内閣は、二月に在日朝鮮人の北朝鮮への帰国を決定。八月にはいち早く第四次日韓会談を再開し、韓国との関係修復を図っている。
 この分野は、調べていないので何とも言えないが、金日成の在日朝鮮人の北朝鮮への帰国提起そのものが、日韓会談阻止という政治的狙いがあったのではないかということである。
 もしそうだとすれば、岸内閣の在日朝鮮人の帰国容認(韓国政府が何といおうと本人たちが北に帰りたいというのを政治的理由で阻止することはできないし、してはならない)、他方、日韓会談再開という選択は正しかったといえる。

 政府とは別にいま流行りの言葉で言えば、非政府組織で在日朝鮮人の北朝鮮への帰国を支持し、協力した日本人の存在が何であったのかに言及しなければ公平さをかく。

 帰国第一船が新潟に入港する直前の1948年11月17日、「在日朝鮮人帰国協力会」が東京で設立された。役員の顔ぶれは代表委員は、自民党岩本信行衆議院議員、同小泉純也衆議院議員、日朝協会山本熊一会長の三名である。
 顧問は、鳩山一郎元首相、日本社会党浅沼稲次郎委員長、日本共産党宮本顕治書記長の三人。役員には、学界、文学界、経済界の有名人を配した。幹事長は社会党の帆足計(ほあしけい)衆議院議員、事務局長には日朝協会印南広志常任理事。幹事長は社会党、事務局長は共産党という陣容である。
 
 主要都道府県に中央と類似の役員構成の「〇〇県在日朝鮮人帰国協力会」が設立された。当時このような役員構成の組織が出現するなど、実は、私にとっては信じがたいことであった。

 若干、当時の社会状況を紹介しておく。当時、北朝鮮に関心を持っていたのは、共産党の一部、一般の日本人では北朝鮮から引き揚げてきた人、一部の宗教関係者などで、総評系労働組合といえども関心などなかった。
 確か、1959年末と記憶しているが、国鉄労働組合新潟地方本部参加の某支部で実際あった話である。講師である私が到着する前に組合員から「韓国は朝鮮の北か南か」との質問が執行部になされたが、「われわれ(支部役員)も自身がないのでまずそれから教えてほしい」という状況であった。

 同じ頃、全電通労働組合内の日朝協会班で日韓会談の学習会がもたれた。集まったのは活動家4人。私は、この4人に対して2時間にわたって日韓会談の「危険性」を訴えた。日韓会談は勝(すぐ)れて政治問題であるにもかかわらず労働組合の活動家の間でもこの調子であった。笛を吹いても、太鼓をたたいても踊るものはいなかったのだ。
 いわんや北朝鮮問題などに関心を示す日本人に、共産党員を除き新潟では会ったことがなかった。それなのに前述のような役員構成で突然「在日朝鮮人帰国協力会」が出現したのである。私は、自分の経験から「変だ」という思いは消せなかった。

「新潟県在日朝鮮人帰国協力会」結成に当たって共産党某新潟県委員と私との間で次のようなやりとりがあった。私は「日頃反動呼ばわりしてきた自民党政治家を協力会の役員に迎えるのは誤りだ」といって反対した。
 すると県委員は、「『人道と人権』の問題であるから超党派的組織が必要だ。統一戦線組織と考えればよい」と答えた。なお反対する私に対して「君は統一戦線というものを理解していない。党の決定だ。決定に従え」といって私の発言を封じた。
 この発言からも分かるように日本共産党にとって「在日朝鮮人帰国協力会」は、敵を倒すための「統一戦線」であったのだ。共産党は、このような運動が提起されるときは、友党である朝鮮労働党と事前に協議が行われる。
 具体的には総聯と協議がなされたと思われる。しかるのちに党の方針が決められ、関係団体の党員で役員をしているものに「グループ会議」を通じて周知徹底される。
 当時、私は東京にいなかったから日本共産党と総聯中央との間で具体的に何が話合われたかは知らないが、在日朝鮮人が日本と北朝鮮の間を移動するのに共産党同志に連絡なしで行われるなどということは百パーセントありえない。

 はっきりいうなら、在日朝鮮人の北朝鮮への帰国を「人道と人権」の名で、保守派、ノンポリ学者・文化人、社会民主主義者などを巻き込んで、社会主義朝鮮の優位性を宣伝し、韓国の「傀儡政権」を窮地に追い込む統一戦線をつくることに目的があったのだ。
 私は、ここまでは共産党員として容易に理解できたが、理解できなかったのは、当時の日本共産党の力量からいって前述の帰国協力会の役員に就任を働きかける力などなかったはずだ。
 長年の疑問だったのであるとき、総聯の老幹部に「具体的には鳩山一郎氏などは誰がお願いにいったのですか」と尋ねたら「全部われわれ(総聯)がお願いしたものです」との答えが返ってきた。

 前にも触れたように圧倒的多くの日本人は北朝鮮などに関心など持っていなかった。「在日朝鮮人帰国協力会」が出来る社会的基盤は皆無であった。
 それなのに「帰国協力会」が結成された背後に総聯の存在があった。総聯は一度、目標を設定すると、あらゆる手段を使って目的実現に向かって突っ走る。
 
 話は横道にそれるが、この行動力が一旦間違うと、1948年4月下旬の民族学校閉鎖の反対闘争で兵庫県庁を選挙したような「暴挙」に発展する。米軍は神戸地区に「非常事態宣言」を発し、1973名の在日朝鮮人を逮捕した、この「阪神教育事件」のように彼我の力関係を無視し、米軍相手に暴走する「極左冒険主義」に陥る危険性をもっていた。
 そして1949年9月8日、朝鮮人連盟などに対して、日本政府から団体等規制令が適用され、解散と財産没収がなされたが、この法令適用は阪神教育事件が重要な理由とされている。

 以上を見れば分かるように、在日朝鮮人の北朝鮮への帰国に決定的な役割を果たしたのは総聯と日本共産党である。日本共産党は、在日朝鮮人の北朝鮮への帰国問題に「敵」を打倒するための統一戦線を作るのに積極的に関与したのである。
 帰国問題の関与が正しかったのか、間違っていたのか。日本共産党が在日朝鮮人の帰国問題を総括したという話を耳にしない。なぜ、黙しているのか。説明する義務がある。

 また、在日朝鮮人の帰国問題に関与した日本人は共産党だけではなく、日教組を始めとする総評系労働組合の幹部や文化人・学者など、団体・個人とも例外なく日本共産党と同じくだんまりを決め込んでいる。
 「だんまり」は左右を問わず日本人の普遍的現象というのだろうか。もしそうなら自分の勝手な思い込みや不勉強で人さまの人生を目茶苦茶にして知らん顔をしている誠意のかけらもない無責任な態度ということになろう。だからこんなけじめがなくなった出鱈目な国家に日本は成り下がったのだと私は思っている。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「だんまり」ならまだよくて拉致問題を隠蔽するために従軍慰安婦問題をでっちあげ「日本は差別国家」というキャンペーンをやっているのでございます
従軍慰安婦問題は北朝鮮の工作
その嘘がバレそうになったので人権擁護法案という人権弾圧法を作り過去を覆い隠そうとしているのでございます
韓国民主化運動という赤化運動 

彼らの言うところの「人権」って一体何でしょうね
赤いイデオロギストの言う「人権」って? 人権擁護法案

しばき隊プラカパロ
慌てて取り繕おうとしてももう手遅れです

参考
北朝鮮問題に関する共産党の見解 

個人的に大変興味深かったのでしんぶん赤旗(2002.11.23)よりコピペ

北朝鮮問題

「反省」すべきは公明党ではないのか

 北朝鮮による拉致事件という重大問題を利用した、公明党の党略的な反共攻撃にたいしては、本紙10月19日付の見開き特集で、事実にそくして反論しました。これにたいして、公明新聞10月29日付が「なぜ日本共産党は過去の過ちを認めないのか 拉致、帰国事業などで見苦しい自己弁護」と題する見開き特集をのせています。そこで、「過去」の北朝鮮との関係で真に「反省」すべきはどちらの党か、あらためて事実に照らして検証しておきます。(肩書はいずれも当時)

問題は、北朝鮮が国際的な無法行為をすすめた時期にどういう立場をとったか、にある
 今回の公明新聞特集は、本紙の特集が一九七〇年代以降の公明党と北朝鮮との関係を問題にしたのにたいして、六〇年代の日本共産党と朝鮮労働党との友好関係を問題にすることで相打ちにしようとしています。

 しかし、問われているのは、それぞれの党と朝鮮労働党との友好関係がどういう時期におこなわれたかです。北朝鮮が国際的に問題になっている無法行為を犯したときに、その問題には抗議せず、「友好関係」を続けていたとすれば、それは無法への「迎合」にほかなりません。

日本共産党--
道理があれば共同に努力
無法行為はきびしく批判
 日本共産党についていえば、北朝鮮との関係は、一九五九年二月の日本共産党代表団(宮本顕治書記長)の初訪朝以来一九六〇年代後半まで、友好関係が続いていました。この時期は、問題になるような北朝鮮による国際的無法行為があらわれていなかった時期です。朝鮮労働党も国際活動の分野では、比較的まともな態度をとっていました。

 本紙十月十九日付特集でも明らかにしたように、朝鮮労働党は、ソ連が一九六〇年代前半、日本共産党を破壊するために、ソ連追従の志賀一派を手先として乱暴な干渉をおこなったときには、この干渉に公然と反対する立場を鮮明にした数少ない党の一つでした。六六年、日本共産党の代表団が、中国、ベトナム、北朝鮮の三カ国を訪問したときも、アメリカのベトナム侵略反対の国際統一戦線を推進する点で、共通の立場を確認しました。六七年、中国で毛沢東派が「文化大革命」をとなえ、当時、北京にいた二人の日本共産党員に暴行を加えたとき、両氏の帰国のさい、迎え入れて援助したのも、朝鮮労働党でした。

 ところが北朝鮮は、六七年の終わりごろ、北から南に武力介入する「南進」のくわだてを露骨にし、六八年一月には韓国の大統領官邸のある青瓦台を「武装遊撃隊」に襲撃させました。こうした下で日本共産党は、自主独立の立場から、六八年八月~九月、宮本顕治書記長を団長とする五人の代表団を北朝鮮に送り、「南進」の企ての危険性と有害性を率直に指摘、金日成指導部の対外政策の誤りを正す努力をつくしたのです。

 この時、金日成は、両党会談で、北朝鮮には「南進」の意図はないことを言明し、それ以後、韓国での「遊撃隊」活動も下火になって、問題は一応解決されました。しかし、この時期以後、北朝鮮の国際舞台での活動には、異常な問題が目立つようになりました。その一つが、七〇年代の初頭に始まった、金日成個人崇拝を国際的に押しつけようとする企てでした。日本共産党は、金日成個人崇拝の押しつけに反対したのをはじめ、八〇年代に入ってからのラングーン爆弾テロ事件、公海上の日本漁船銃撃事件、大韓航空機爆破テロ事件など、北朝鮮のかかわった国際的な無法行為にたいして、きびしい批判をくわえてきました。そのために、日本共産党と北朝鮮の関係は、八三年から今日まで、断絶したままです。

 拉致事件も、この時期に起きたことでした。北朝鮮とのかかわりは最初の段階では明らかでありませんでしたが、日本共産党国会議員団は、一九八八年、大韓航空機爆破事件に関連して拉致被害者の存在が問題になってきたことを契機に、各地での行方不明事件そのものの調査をおこない、北朝鮮による拉致事件という疑惑があることを明らかにして、国会で取り上げ、政府にその疑惑を認めさせました。

 このように、日本共産党は、自主独立の立場にたって、北朝鮮にたいしても、共同すべき道理のあるときには共同の態度をとり、間違いをおかせば堂々とそれを批判し、無法行為にたいしてはこれを追及する、こういう活動をすすめてきたのです。

公明党--
金日成個人崇拝に迎合
無法行為の批判も回避

 これにたいして公明党は、北朝鮮が金日成崇拝を顕著につよめた七〇年代以降、北朝鮮との関係をつよめ、無法行為への批判もできるだけ回避する態度をとってきました。

 その出発点となったのが、竹入委員長を団長とする一九七二年の公明党訪朝団です。このときの北朝鮮との共同声明では、「公明党代表団は朝鮮人民が敬愛する金日成(キム・イルソン)首相のチュチェ思想を指針として、千里馬(チョンリマ)の勢いで駆け社会主義建設で大きな進歩をとげたことに対し祝賀した」と、金日成個人崇拝体制を礼賛しました。この共同声明はその後の公明党と北朝鮮との関係の基調となりました。

 八〇年代のラングーン爆弾テロ事件や大韓機爆破テロ事件では、事件からほぼ一年や二年たってから「批判」を口にしたり、北朝鮮の犯行をやっと認めたりといった回避ぶりです。日本漁船銃撃事件では事実上北朝鮮の立場を弁護する国会質問をおこなっています。

 拉致問題でも、公明党は日本共産党の橋本議員の質問で拉致実行犯容疑者であることが明らかになっている辛光洙をふくむ韓国大統領あて釈放要望書に公明党議員六人が署名するなど、拉致疑惑追及に逆行することまでおこなっています。

 このように公明党は、一九七二年から金日成個人崇拝に迎合し、無法行為への批判も回避してきたのです。

公明党の日本共産党非難のこっけいさ
在日朝鮮人の帰国事業への支援は「犯罪」だったか
 公明党が持ち出している日本共産党非難は、こっけいきわまるものです。
 それは、日本共産党が在日朝鮮人の「帰国事業」に協力し、北朝鮮の「犯罪」を擁護した、というものです。これほど、ばかげた非難はありません。

赤十字国際委員会の勧告で始まった帰国事業
 第一に、在日朝鮮人の帰国問題は、一九五六年に赤十字国際委員会が日本、北朝鮮、韓国の赤十字と政府に送ったよびかけの覚書から始まったもので、基本的人権と人道にかかわる問題です。

 もともと在日朝鮮人の多くは、戦前の日本の植民地時代に強制的に朝鮮半島から日本に連れてこられた人たちです①。日本の敗戦によって朝鮮半島は三十八度線を境に南北に分断され、在日朝鮮人は韓国とは往来ができても、北朝鮮には行くことができませんでした。当時、韓国は軍事独裁政権下でひどい経済的混乱と圧制にあり、在日朝鮮人は帰国を見送ることを余儀なくされていました。

 朝鮮戦争後、日本政府の北朝鮮敵視政策によって、帰国がますます困難となるなかで、一九五六年には、赤十字国際委員会の帰国事業についての勧告があり、一九五八年八月には、在日朝鮮人の間で、北朝鮮への帰国運動が展開されるようになりました。九月には北朝鮮政府も受け入れを表明しました。

 日本国民も世界人権宣言の「自国に帰る権利」を支持する立場から超党派で在日朝鮮人帰国協力会を十一月十七日に結成。この会には、岩本信行・自民党衆院議員、小泉純也・自民党衆院議員(小泉首相の実父)、山本熊一・日朝協会会長、鳩山一郎元首相、浅沼稲次郎・社会党委員長、宮本顕治・日本共産党書記長なども参加していました。日本共産党も在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業を「人道上の立場」(一九五八年十一月二十三日第三回中央委員会総会での「在日朝鮮人の帰国を支持する決議」)からその実現を支援。

 こうした運動の前に、帰国事業は五九年十二月から、日本政府の了解のもと、日朝両国の赤十字が主体となって実施の運びとなったのです。

 公明党は、この帰国事業の支援活動にくわわったということで、日本共産党を「犯罪」者よばわりしようというのです。いったい、帰国事業を最初に呼びかけた赤十字国際委員会も、帰国事業の主体となった日本赤十字社も、在日朝鮮人帰国協力会に参加した、自民党の鳩山一郎氏、小泉純也氏ら多くの保守政治家なども在日朝鮮人を「凍土の地獄」へ送った“主役”だというのでしょうか。

 第二にこっけいなことは、公明新聞が、公明党や創価学会自身が、この帰国事業の賛成者であった事実を、どう説明するのでしょうか。

創価学会、公明党の帰国事業賛成をどう説明
 帰国事業が最初に問題になった一九五〇年代には、公明党はまだ生まれていませんでしたが、創価学会の幹部は、東京都議会に参加していました。そして、五八年十二月に都議会が決議した「在日朝鮮人帰国促進に関する意見書」では、当時、創価学会理事長だった小泉隆都議も提出者の一人となっていました。

 また、帰国事業がいったん打ち切られ、その再開が問題になった一九七〇年には、国会で、公明党議員が「人道的立場」から帰国事業の促進を要請する質問をおこなっています(沖本泰幸衆院議員、七〇年四月十三日、衆院運輸委、内閣委、地方行政委、法務委連合審査会)。

 公明党の言い分によれば、一九五八年に都議会で創価学会がとった行動も、一九七〇年に国会で公明党がとった行動も、すべて北朝鮮の「犯罪」に加担して、在日朝鮮人を「凍土の地獄」に送りこむ行動だということになるではありませんか。ありもしない「罪」を日本共産党になすりつけようとして、帰国事業への協力を「犯罪」呼ばわりした結果、自分で自分をぶんなぐるというこっけいなことになってしまったのです。

 今の北朝鮮と一九六〇年代の北朝鮮を同じ状態に見立てて、人道的な事業を「犯罪」扱いするようなばかげたことは、もうやめたらどうでしょうか。

金日成個人崇拝への迎合が出発点(72年)

 北朝鮮では、一九七〇年代にはいると、金日成個人崇拝が顕著に強められました。それと同時に、元北朝鮮外交官・高英煥氏の証言(九二年)で明らかにされたように、七〇年代はじめごろから、金日成の指示によって“日本共産党は、マルクス・レーニン主義の道からはずれ、時代の流れに反する、国際的に受け入れられない組織になった。今後は、日本共産党との関係を清算して、日本社会党との提携に転換しなければならない”という外交方針を採用しました。

 公明党の北朝鮮訪問は、金日成個人崇拝の強まりのなかで、それに迎合しない日本共産党を排除して、社会党などをとりこもうという動きにそうかたちでおこなわれたのです。

訪問団を派遣
 公明党は七二年五~六月、北朝鮮訪問団(団長・竹入義勝委員長②)をはじめて派遣しましたが、この訪問自体が金日成礼賛への迎合を一貫した基調としたものでした。

歓迎集会で
 七二年六月二日、平壌でおこなわれた「公明党訪朝団歓迎市民集会」では、竹入委員長があいさつ。「私たちは昨夜、この国を解放し、この国を本当に廃虚の中から革命思想によって立ち上がらせた、皆さまの敬愛する金日成首相にお目にかかり、対日友好にあふれた雰囲気の中で親しく懇談することができました」とのべました(公明新聞七二年六月四日付)。

共同声明で
 さらに七二年六月六日、公明党代表団が北朝鮮の「朝鮮対外文化連絡協会」とむすんだ「共同声明」には「公明党代表団は朝鮮人民が敬愛する金日成(キム・イルソン)首相のチュチェ思想を指針として、千里馬(チョンリマ)の勢いで駆け社会主義建設で大きな進歩をとげたことに対し祝賀した」と、はっきり書かれています(七二年六月七日付)。

 公明新聞は最近の特集(十月二十九日付)で、「だいたい、公明党が『金日成の個人崇拝に迎合する共同声明』など、出すわけがない」「『朝鮮人民が敬愛する金日成首相』と、あくまでも『朝鮮人民が』とことわっている」などといっていますが、言い訳にもなっていません。金日成に「朝鮮人民が敬愛する」というまくら言葉をつけたこと自体、金日成個人崇拝への迎合そのものです。しかも「チュチェ思想」とは、金日成の言動を唯一絶対のものとし、それへの無条件服従を人民に強要する思想体系です。それを持ち上げた「共同声明」が、金日成個人崇拝への迎合以外のなにものでもないことは明白です。

 これにたいして日本共産党は、北朝鮮が金日成個人崇拝を他国に押しつける動きを顕著に強めた七二年当時、いち早く相手国の指導者の崇拝運動、指導者の誕生日などにかんする行事への協賛や礼賛などの日本へのもちこみを批判していました。

ラングーン事件(83年)
日本漁船銃撃事件(84年)にたいして
 一九八〇年代にはいると、北朝鮮は国際的な無法行為を相次いでひきおこしました。

ラングーン
 八三年十月九日、ビルマの首都ラングーンで韓国全斗煥大統領一行が爆弾テロにあい、韓国とビルマの高官二十一人が死亡しました。ビルマ政府は十一月四日、テロが北朝鮮の工作員三名のしわざだと発表。日本共産党は、その日のうちに「テロは断じて共産主義運動の態度ではない」(宮本顕治議長)と批判し、以後、一連の見解を発表しました。

 これにたいして在日本朝鮮人総連合会傘下の日本語新聞「朝鮮時報」(十一月二十八日付)は、「謀略に同調する行為」だとして日本共産党に非難をくわえました。党は、論文「『朝鮮時報』の日本共産党非難に反論する」(「赤旗」十二月八日付)を発表し、北朝鮮の司令官や参事官の氏名まで具体的にあげた供述調書を「噴飯もの」とする「朝鮮時報」の主張をきびしく批判しました。この事件以降、日本共産党と朝鮮労働党との関係は断絶しました。

「不幸な事件」というだけ(公明党委員長)
 一方、公明党は、公明新聞八三年十月十六日付「主張」で「ビルマ政府は…犯人の国籍については朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)であるか否かも含め、明確にしていない」「事件の真相は、まだ今後の捜査を待つしかないであろう」とのべていました。

 しかしその後、ラングーン地方裁判所は十二月九日、実行犯である北朝鮮の二人の軍人に死刑判決を言い渡しましたが、公明党は「不幸な事件」(八四年一月二十五日、竹入委員長)とよぶだけでした。

 事件からほぼ一年たって、公明新聞は「われわれもこれを、平和統一を妨害する有害なものとして批判したことはいうまでもない」(八四年十月二十一日付)とか「国際的な政治犯罪に対してはわれわれも強い批判を加えてきた」(八四年十一月三日付)と最初から批判していたかのようです。

北朝鮮が一方的に設定した「軍事境界線」
漁船銃撃
 八四年七月二十八日、公海上で操業していた石川県のイカ釣り漁船「第36八千代丸」が北朝鮮警備艇の銃撃をうけて拿捕(だほ)され、船長が死亡しました。これは、北朝鮮が国際法を無視して一方的に設定した「軍事境界線」内に漁船が侵入したとして、銃撃・拿捕したものでした。

 日本共産党は八月三日、立木洋国際部長が「朝鮮の漁船銃撃事件は国際法上も不法行為である」と題する党見解を発表して北朝鮮を批判、「軍事境界線」の不当性を指摘しました。これにたいして朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は、日本共産党の見解を「不当ないいがかり」「内政干渉」などと中傷し、日本漁船銃撃を当然視する態度をとりました。党は、論文「人道も国際法も無視する立場の自己暴露―『労働新聞』の日本共産党攻撃にたいして」(「赤旗」八月十六日付)、「『労働新聞』の乱暴な覇権主義の論法」(同九月二十七日付)で、北朝鮮側の主張を全面的に論破しました。

国会でも日本の責任だけを追及
 一方、公明党・国民会議の和田教美参院議員は、国会質問で「(北朝鮮の)経済水域ですけれども、……現在は漁業協定が失効しておりますから、当然法律的に見ると向こうの方に分があるといいますか、そういうことだろうというふうに言われておる」とのべ、北朝鮮の無法を事実上弁護しました(八四年七月三十一日、参院外務委)。

 武田一夫衆院議員も、日朝民間漁業協定の失効後、北朝鮮当局による拿捕・銃撃事件が増えていると指摘したうえで、「軍事境界線」は不問に付したまま、「民間協定が失効している、その間の対応について、私はやはり関係漁船あるいは組合等々にしかるべききちっとした指導やあるいはまた監督、警戒の態勢を十分にやっておくべきでなかったのか」と、日本政府の責任だけを追及しています(八四年八月二日、衆院農水委)。

北朝鮮を「安定した発展」と(公明党副書記長)
 八七年十二月十五日、朝日友好促進親善協会の金寿萬書記長ら同協会代表団が公明党を訪問。公明党からは、塩出啓典副書記長(参院議員)、神崎武法副書記長・国際局長(衆院議員)らが出席して懇談しました。

 席上、塩出氏は、北朝鮮と公明党との友好関係を語った上で、「(北朝鮮が)安定した発展を遂げてきたことをうれしく思うとともに、朝鮮半島が平和的統一を果たすよう心から願っている」と強調しています(公明新聞八七年十二月十六日付)。

 公明党は、八〇年代後半、北朝鮮を「凍土の地獄」どころか、「安定した発展」と評価していたのです。

公明新聞北朝鮮外交
1972年に訪朝した公明党代表団と北朝鮮の対外文化連絡協会との共同声明を報じる公明新聞72年6月7日付

大韓航空機爆破事件(87年)
拉致問題・辛光洙事件(88・89年)にたいして

 八七年十一月二十九日、韓国の大韓航空機がビルマ上空で、時限爆弾によって爆破されました。翌八八年一月十五日、韓国当局から、事件の実行犯は北朝鮮の秘密工作員だったという衝撃的な事実が発表され、記者会見に同席した北朝鮮工作員・金賢姫は、金正日の指示をうけて爆発物をしかけたことを具体的に証言しました。

 日本共産党の宮本顕治議長は、一月二十二日、韓国当局の発表や生き残った金賢姫の犯行告白などをふまえ、北朝鮮による犯行は明らかだときびしく批判しました。

政府の断定後も「重大疑惑」というだけ(公明党国際局長)
 日本政府も一月二十六日に北朝鮮の犯行と断定します。公明党も同じ日に神崎武法国際局長の談話を発表しますが、北朝鮮の犯行を「重大な疑惑」というだけでした(公明新聞一月二十七日付)。公明新聞が大韓機爆破事件を「北朝鮮工作員」の犯行と書くようになるのは、金賢姫証言から二年半もたってからでした(九〇年十月十二日付)。 

赤旗大韓機爆破事件
大韓機爆破事件は北朝鮮の犯行であることは明らかだと言明した宮本議長(当時)の発言(1月22日)を報じる1988年1月24日付の「赤旗」 
 拉致釈放署名公明党2拉致釈放署名公明1
「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」と題する韓国大統領あて要望書の公明党議員6人の署名

六人の公明党議員が拉致実行者の釈放を要望
 北朝鮮による日本人拉致事件が問題になったのも、この時期のことです。

 八八年三月、日本共産党の橋本敦参院議員③は、七八年に福井、新潟、鹿児島で相次いで発生した男女失踪事件を国会質問でとりあげ、大韓機爆破事件の実行犯の金賢姫証言などを示して追及。これにたいし梶山静六国家公安委員長は「一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます」と答弁し、日本政府として初めて北朝鮮による拉致疑惑を公式に認めました。

 橋本質問では「辛光洙(シン・グァンス)事件」もとりあげました。これは、行方不明になった大阪の中華料理店員・原敕晁(はら・ただあき)さんになりすまして韓国に潜入した、北朝鮮の工作員・辛光洙が八五年に韓国政府に摘発された事件です。橋本質問に日本政府は「不法に侵入した北朝鮮の工作員であろう」(城内康光・警察庁警備局長)と認め、共犯者の金吉旭が「四十五歳から五十歳の独身日本人男性と二十歳代の未婚の日本人女性を北朝鮮へ連れてくるようにという指示を受けていた」(同)と答弁。橋本議員は「事実とするならば、恐るべき許しがたい国際的謀略」と批判しました(八八年三月二十六日、参院予算委)。

 驚くべきことに、八九年七月、公明党・国民会議の国会議員六人は、来日する韓国の盧泰愚大統領あてに提出された「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」と題する要望書に署名しています。その政治犯のなかには、辛光洙容疑者と金吉旭容疑者がふくまれていました。「辛光洙事件」が国会で問題になってわずか一年後に、公明党は、日本人拉致実行容疑者の釈放を「要望」していたことになります。署名した六人とは、鳥居一雄、小川新一郎、西中清(以上衆院議員)、猪熊重二、和田教美、塩出啓典(以上参院議員)の各氏です。

91年にも「両党関係を一層深める」ことを確認
 大韓機爆破事件や「辛光洙事件」への北朝鮮工作員の関与が明らかになった後も、公明党はこれらの問題を不問に付したまま、朝鮮労働党との友好をすすめます。

 八九年一月二十七日、朝鮮労働党代表団の金養建団長(党中央委副部長)ら一行が社会党の招待で来日したさい、公明党本部を表敬訪問。応対した大久保直彦書記長は、朝鮮労働党が「自主的、平和的な朝鮮統一に努力していることに深く敬意」を表明しましたが、大韓機爆破事件への言及はみられません(公明新聞八九年一月二十八日付)。

 九一年二月二十六日には、自民・社会両党の招へいで来日した朝鮮労働党代表団(代表・金容淳書記)④が公明党を訪問し、石田幸四郎委員長(衆院議員)と会談。会談では「両党間の関係を一層深めていくことで一致した」と報じ、北朝鮮側は公明党代表団の訪朝を招請しました(九一年二月二十七日付)。

 会談直後の公明新聞の「主張」はこうのべています。「公明党と北朝鮮との関係は、十九年前の七二年(昭和四十七年)五月、竹入義勝委員長(当時)を団長とする代表団が初めて北朝鮮を訪問したことに始まる。訪朝団は金日成主席とも会談し、相互の人民の間の理解・友好関係を深めることに大きな役割を果たしたのである」(九一年三月二日付)。

 九四年七月八日、北朝鮮の金日成主席(朝鮮労働党総書記)が死去しました。公明党の石田幸四郎委員長は九日、金正日書記あてに次のような弔電を送りました。

 「金日成閣下の突然のご逝去の報に接し、深い悲しみに堪え難く存じます。日本国公明党を代表し金正日閣下をはじめ朝鮮民主主義人民共和国の全人民に衷心より深甚の哀悼の意をささげるものであります。私ならびに公明党は変わらぬ両国関係の発展を目指し微力を尽くす所存であります」(九四年七月十日付) 

公明新聞金正日祝電
公明新聞1997年10月10日付

最近5年間でも同じ態度(97年以降)
 九七年二月、北朝鮮から亡命した元工作員・安明進(アン・ミョンジン)⑤の証言から、七七年に新潟で失踪(しっそう)した女子中学生の横田めぐみさんは北朝鮮に拉致されたのではないか、とマスコミで大きく報道されました。これをきっかけに、三月二十五日に「『北朝鮮による拉致』被害者家族連絡会」が結成され、翌日の記者会見で公表されました。四月十五日には日本共産党をふくむ超党派国会議員による「北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟」が結成され、政府も北朝鮮に拉致された疑いのある日本人は「七件十人」(九七年五月一日、参院予算委)と発表するに至ります。

「金正日閣下の指導体制の下でのご繁栄」と「公明」代表祝電
 北朝鮮による日本人拉致疑惑に国民の関心が高まるなか、公明党は北朝鮮との友好関係をいっそう強めていきます。

 九七年十月九日、金正日の朝鮮労働党総書記就任にあたっては、「公明」の藤井富雄代表(現・公明党常任顧問)が次のような祝電を送りました。

 「建国の父、故金日成閣下の《を継承され、金正日閣下の指導体制の下でのご繁栄が、極東アジアひいては国際の平和と安寧に寄与されんことを願います」(公明新聞九七年十月十日付)。

 公明新聞は、最近この藤井代表の祝電について「個人崇拝でも何でもない」(二〇〇二年十一月十四日付)などといっていますが、肝心の「建国の父、故金日成閣下の《を継承され、金正日閣下の指導体制の下でのご」までの部分は引用せずに、「(北朝鮮の)繁栄が、極東アジアひいては国際の平和と安寧に寄与されんことを願います」と改ざんしたうえでいっていることです。

 北朝鮮が金日成時代の一九七〇年代から異常な個人崇拝の「指導体制」下にあり、金正日総書記就任はまさにその個人崇拝の「指導体制」を継承したものです。それでもあえて「金正日閣下の指導体制」とうたったこの祝電が就任祝いの「儀礼」をもこえて、金正日個人崇拝の「指導体制」をたたえたものであることは明白です。

00年8月「公式訪問団を派遣したい」と神崎代表
 二〇〇〇年八月には、東順治衆院議員(現・国会対策委員長)を団長とする「公明党有志訪朝団」が北朝鮮を訪問しました。この時の福岡県議の北原氏の手記には、「十一日、平壌の人民文化宮殿で行われた会談の席上、東団長が『近い将来、公明党の公式訪問団を派遣したい』とする神崎武法代表の伝言を伝えたところ、宋会長は即座に反応した。『公明党の公式訪問を心から歓迎する。訪朝はいつになるのか』」と記されています(二〇〇〇年八月十八日付)。

 ことし八月三十日、小泉首相の北朝鮮訪問決定について、神崎武法代表は、「首相の訪朝を歓迎したい。公明党は独自の訪朝団(二〇〇〇年八月)を派遣して、(国交正常化に向けた)環境づくりに努めてきたので大変うれしく思っている」と評価しました(八月三十一日付)。

三十年間一貫する北朝鮮への迎合姿勢
 公明新聞の特集記事は、「共産党は……公明党としては公式のたった一度の72年訪朝団が北朝鮮と交わした共同声明を鬼の首でもとったように取り上げ」と非難しています。しかし、これまで見てきたように公明党は七二年の訪朝団いらい三十年間にわたり、北朝鮮の個人崇拝体制に一貫して迎合してきたのが実際です。

 そして公明党は、日朝首脳会談の直前までは、二〇〇〇年の「独自の訪朝団」派遣などの同党と北朝鮮との関係を、国交正常化に向けた「環境づくり」として“手柄話”にしようとしていたことがわかります。

 ところが、九月十七日の日朝首脳会談で拉致事件の衝撃的な事実が明らかになると、公明党は、手のひらを返したように北朝鮮を「凍土の地獄」とよびだし、帰国事業や拉致事件を利用して党略的な日本共産党攻撃をくりひろげはじめたのです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-11-23/14_0401.html 

①「もともと在日朝鮮人の多くは、戦前の日本の植民地時代に強制的に朝鮮半島から日本に連れてこられた人たち」と言ってる時点で事実誤認もはなはだしく、自分から見ると共産党も公明党もどっちもどっちなのだが、
公明党がこんなに北朝鮮擁護とは率直に意外に思う

②竹入義勝氏といえば日中国交正常化
中南海の100日p83
 『中南海の100日:秘録・日中国交正常化と周恩来』
p83
 野党の中では社会党に続いて、代表団を送って日中国交正常化に積極的に取り組んだのは、公明党であった。特に、委員長である竹入義勝がいち早く日台条約の破棄を打ち出したことを、中国は高く評価していた。

③日本共産党の橋本敦参院議員
橋本敦参院議員がはじめて国会で拉致問題を取り上げてくれた

④朝鮮労働党代表団(代表・金容淳書記) 
金容淳書記のこと 

⑤元工作員・安明進(アン・ミョンジン) 
亡命工作員の語る対南工作1 
 亡命工作員の語る対南工作2 

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