反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

カテゴリ : 台湾・Taiwan

李登輝元総統が来日した
李登輝来日外国特派員協会
「台湾の主体性を確立する道」〜李登輝・元台湾総統が会見(講演編)
BLOGOS2015.7.23
http://blogos.com/article/124234/

自分は日中平和友好条約に伴い台湾と国交断絶したことを大変な間違いではないかと思って
(国交正常化なんて間違った言葉は使わないというプロテスト)
青嵐会のことを書こうとしていたのであるが
青嵐会

数年が経過(゚∀゚)アハハハ

・・・気を取り直していってみよう


(筆者=河内孝氏 自分が補足した部分は緑文字
(引用は抜粋)

中国ブームとインフレ
p31~33
 1971年7月15日、突然、しかも日本の頭越しにニクソン米大統領の訪中が発表された。元駐米大使の牛場信彦は、これを「日米関係、最悪の悪夢」と嘆いたが、国民感情にもまた大きな衝撃を与えた。

 アメリカにはアメリカの国益があり、それにしたがって行動する。日本とアメリカの国益がすべて合致することはあり得ない。あたりまえの理屈なのだが、このとき日本人の多くが感じたのは、ショックというより、名情しがたい怒りだった。

「(日本人の)ペリー来航以来存在し、内にこもった西洋への憤りはまことに強いものがあった。それが主としてアメリカに向けられたのは一見奇妙なことだが、理由がある」(高坂正堯『世界史の中から考える』、新潮社)。それに火がついたのだ。

 戦後史には何回か、日米安保体制化で抑圧されたナショナリズムが噴出する瞬間がある。『アメリカに裏切られた』 というニクソン・ショックへの反動は、国を挙げての日中友好へと振れた。

 田中首相の行動も素早かった。1972年7月に新首相に選出された直後、ハワイでの日米首脳会談で米側に通告すると、9月には訪中して一気に国交樹立に突き進んだ。

 この年2月にニクソンが訪中したとき、米国は両国の基本的立場を両論併記した「上海コミュニケ」の調印にとどめ、正式の国交回復までには以後7年間を費やした。相互防衛条約をむすんでいた台湾のとの関係処理に、それだけの時間が必要だったのだ。

 宮城大蔵上智大准教授は、「これをみても日本の対中接近が、いかに急激なものであったかがうかがいしれよう」(『「海洋国家」日本の戦後史』、筑摩書房)という。同時に、田中の急激なアジア政策の変更が、東南アジア、特にインドネシアの警戒感を招き、これが2年後、田中訪問の際の反日暴動につながったとの見方を示している。(→【wiki】マラリ事件

 無論、日本の対中接近は田中の個人プレーではない。「それはもちろん、長らくアメリカによって抑えられてきた対中接近の欲求が一挙に表面化したものであったが、同時に、『対中国交樹立ではアメリカを抜き返して見返してやろう』という心理があった(同前)」というのだ。

 それにしても、手のひらを反すような田中外交を憂慮する人もいた。

 財界の御意見番であり、後に日経連会長をつとめる桜田武はこの頃、外相大平正芳の側近、伊藤昌哉に「日華条約破棄は前代未聞のことだ。敗戦国民が戦勝国民との条約を一方的に破棄することなど聞いたことがない。溝に落ちた人に石を投げるな、と台湾の人々は私に話している」(伊藤昌哉 『自民党戦国史』、朝日ソノラマ)と語った。


国交断絶一周年記念の台湾訪問団
p99~101
 9月29日、青嵐会は日中国交回復の日に合わせて「中華民国国交断絶一周年大訪問団」を台北に送り込む。

 日華議員懇談会(灘尾弘吉会長)、日韓議員連盟(宇野宗佑幹事長)も参加した一行は衆参議員80人を超え、秘書や関係者を入れると百数十人にもなり、日本航空のチャーター機が仕立てられた。

 その幹事を務めた宮崎正弘は、「このときが、その勢いにおいて国内の北京派を凌駕したピークだったかもしれない」(前出、『三島由紀夫「以後」』」と記している。

 この頃、日華懇は日韓議連、そして青嵐会の助けを必要としていた。国交断絶後の日台関係で唯一残された航空路を、何としても現状に近い形で守ることが最大の目標だった。そのためには、あらゆる政治勢力を結集する必要があったからだ。

 こうして親台と親韓のベクトルが合致した。衆参80人を超える議員を背景にしたエネルギーが、この年暮れの「青嵐会を励ます会」を成功させ、翌年1月の国民集会を盛り上げ、日中航空協定の締結に反対する運動を支えていくことになる。

 訪問団(灘尾弘吉団長)を、台湾側は精一杯もてなした。10月1日には蒋経国首相が歓迎の宴を開き、翌日には蒋介石総統が一行と接見した。主要紙はどこも同行記者をつけなかったため詳報はないが、AP通信によると、蒋経国首相は歓迎晩餐会で「台湾との国交断絶は日中戦争、真珠湾攻撃と並ぶ日本の三大ミステイクだ」と述べたという。

 一行が帰国した10月4日、日華懇は総会を開いて「日台空路の現状を維持する。伝えられる中国の要求は、わが国への内政干渉であり反対する」と決議した。「伝えられる中国の要求」とは、「中華航空機の(機体に描かれた)青天白日旗は認められない、中国民航との同一の空港利用は認めない」などの主張を指している。


全国紙への意見広告
p103・104
 首相が訪ねた アジアの国で
 日本の心 日の丸が
 焼かれた その日を忘れない
 道義をなくし 思想なき
 日本をかれらは 許さない
 自由の台湾切り捨て
 共産主義の中国に
 おもねる日本を許さない
 エコノミックなアニマルと
 怒る心が 日の丸焼いた
 青嵐会こそ 日の丸を
 力の限り 守り抜く
 風のまにまに 目先をかえる
 魂忘れた 政治なら
 青嵐会は許さない

 (青嵐会意見広告より、「産経新聞」1974年1月26日)

(日中航空協定は協議が難行)

殺された警官の遺族に
p125
 激論の最中、千葉県選出の浜田(幸一)が出席者に語りかけた。
「もし、私が成田で殉職した警察官(1971年9月16日成田空港建設現場付近で起きた「三警官殺害事件」を指す=筆者注)の遺族にこう聞かれたらどうするか。--私の父、私の兄を殺した人たちを表彰までした中国が、今度はうってかわって新空港を自分だけが使うという。その一方では、日本と同じ自由主義を標榜する台湾には使わせないといい、政府がそれをそのまま認めたのはなぜなのかーーそう問われたとき、私は与党自民党の議員として、なんと説明したらいいのか? どうか教えていただきたい」

 はじめはいつになくしんみりと、だが語るうちに激した浜田の握りしめたグラスが音を立てて砕け、掌から鮮血がしたたり落ちた。

 浜田の発言を著書にとどめた石原は、「上席に並んだ幹部たちはみんな下を向いて満場寂として声がなかった」(前掲書:『国家なる幻影』)と記している。


最後の抵抗、公電漏えい事件
p128・129
 経済交渉としての日中航空協定は、まちがいなく不平等だった。中国は東京経由で念願の北米航路、アメリカ経由の中南米航路を得(た。これに対して「日本側が強く主張した北京ーイスラマバード(パキスタン)-欧州路線を北京が認めなかった」(「朝日新聞」同年4月27日)。

 官民挙げての日中友好ムードの中で、こうした冷静な分析記事はごく限られていた。

 27日の記者会見で大平外相は、「(中華航空の)青天白日旗は国旗とはみなさない。日本側当局者が『中華航空』に言及する場合は、『中華航空(台湾)』とする」と述べた。

 5月7日の衆議院本会議、15日の参議院本会議をへて、青嵐会と日華懇の抵抗で遅れに遅れた日中航空協定はようやく承認された。

 4年後、福田内閣がまとめた日中平和友好条約の国会批准で衆議院本会議に出席して反対したのは、やはり浜田(幸一)と中山(正暉)、林(大幹)、参議院で反対したのは源田実と玉置和郎の二人に過ぎなかった。


田中退陣への三段跳び
p130
 今日の日台関係はじつに順調である。日台航路は毎日、ビジネスマンと観光客でにぎわっている。30数年前に、青嵐会や日華議員懇談会が「台湾を切り捨てるな!」と絶叫して、机を蹴倒さなかったとしても、経済的利害が合致すれば良好な関係が維持できたという見方もあるだろう。

 しかし、「日台関係のために汗をかいた、苦しいとき水に落ちた犬を打たなかった」日本の議員たち、日本人がいたことを台湾の人たちは何らかの形で心に刻んでいるようだ。すくなくとも筆者の知る何人かはそう言っている。

最後にちょっとだけ救い・・


【youtube】【河内孝】検証「青嵐会」~今の政治家が失ったもの[桜H21/9/15]  

話題になっている台湾映画『KANO』
kano予告編
公式サイト→http://kano1931.com/

脚本/プロデューサー魏徳聖氏インタビュー字幕書き起こし
kano魏徳聖
【youtube】【台湾チャンネル】第76回、「KANO」の魏徳聖プロデュ―サーが語る台湾の心・台湾のAIIB参加問題・他[桜H27/4/11]
(なぜか動画埋め込みが出来ない)

22:28~
今日は本当に嬉しいです
「KANO」の日本上映は
公開期間が長く反響も良かった
そして今日もここに招かれた訳ですから
作品が評価されたということでしょう
そこで今日はもっと深い話ができるかも知れません
台湾人の内面的な話などです

ーー「海角七号」に次いで「KANO」も日本人を感動させました
ーー台湾や日本での反響をどう受け取りますか?
もともと期待はしていました
日本公開がうまく行けば
大きな注目を集められるかと
日本の皆さんに台湾史を伝え日本と台湾の間には
共通の思い出があるのが理解されると期待していました
現在 台湾と日本はそれぞれ危機に直面していますが
今後もお互い色々な形で励まし合うことができるでしょう

ーー日本時代をどう評価しますか?
好いか悪いかは断定しにくいですね
あの時代は台湾人が中心ではありませんでした
つまり二等国民だった訳です
ただ 台湾の近代化建設の過程で
日本は大きなものを与えてくれました
特に衛生やインフラ建設の面においてです
そうした事もまたこれらの映画を作った理由なのです
もう一度 歴史の好い面と悪い面を考えてみたいと思ったのです
そうしたことが理解できてはじめて
自分自身と和解できるのです
大切なのは他人とではなく
自分自身と和解すること

少しわかりにくいですが
たとえば私があなたの土地に侵入しながら
あなたに一番好い物を与えたとします
それが好い事か悪い事かは判断が難しい
ただ少なくとも現在の台湾から言えば
それもかつての歴史の一部なのです
あの時代の歴史には悲しい面があると同時に
美しい面もあったはずです

ーーたくさんの日本人が「KANO」に涙しました
ーー台日間に横たわる情感を直視することになった訳ですが、これは予想されましたか

それは予想外でした
しかし誰でも一つの物語から
得る物がそれぞれあるものです
スポーツの好きな人はスポーツの精神を吸収し
ビジネス志向の人はチームワークを学ぼうとしたかも知れません
政治 民主や歴史に関心がある人は
更に歴史や文化的な情感の融合を感じ取ったのではないでしょうか
同じ物語から角度次第で色々な思考を得られるのです
これが映画の魅力でしょう
我々はただ一つの物語を組み立てるだけで
作品の色々な効果はその後の自然な発酵を待つのです

ーー次回作が期待されていますがまた台日関連のテーマを扱いますか
次は台日とは直接関係ありません
少しは触れますが直接とは言えません
舞台は400年前のオランダ時代の台湾で
オランダと台湾へ来始めた漢人と
沿海部の原住民平埔族(へいほぞく)との物語です
当時は日本人も台湾に渡航していたので
物語に関係はしますがしかしその程度になりそうです

ーー台湾に対する思いをお聞かせ下さい
台湾は私の家です
私が育った場所であり守って行くべき場所です

ーー台湾人としての誇りは?
辛いですね
誇りはありますが 辛い 本当に辛い
自分ではわかっていてもはっきり物を言えない事が多い
はっきりと言う力に欠けているのです
多くの台湾人は独立自主の思考を持てずにいる
何のせいかと言えば・・・・
とにかくとてもやるせない
自分自身が何者であるかはっきりしないまま
他人から支持を得られますか?
自分自身を助けられない人を誰が助けてくれるのか
”天は自ら助くる者を助く”です
先ず自分を助けないと
しかし私たちはそうした面がとても弱く
いつも他人の支援を待ってしまう
または他人にすり寄ろうとしたがる
相手にすり寄れば他の人を敵に回すことになるのに
これはとてもおかしなことです
そこでいつも言うのです
「孤児も大人になれば孤児ではない」と
大きくなっても孤児のままではみじめ過ぎます
孤児も大きくなれば家庭を築かなくてはいけない
そして自分の子を孤児にしてはいけない
そうすることが今の私達の使命です
すっかり大人なのにまだ孤児と自称して
周りに援助を求めることが使命ではない

ーー自分自身で立ち上がれということですね
そうです
先ず自分が立ち上がること
他人に養ってもらおうと考えていてはだめなのです

ーー「KANO」は広い支持と同時に圧力も受けました
今後も理想を貫き圧力には屈しませんね
屈する屈しないではなく
ただやりたい事を続けるだけです
圧力などは感じません
あちら(政府)も映画を撮るなとは言っていません

ーー今後もあなたの表現方法で撮るのですね
私がやりたい事は幾つもありません
それらさえ成し遂げればそれで完了です
それ以上語るべき物語もありません
つまり自分が構想している物語を撮り終えたら
それで満足だということ
映画作りの目的は自分が語りたい話を語ること
他人に語れと言われて語ることではありません
そんなことをさせられるなら今の仕事は止めます
もっと儲かる仕事はいくらでもあるのですから

ーーあなたの台湾への貢献にはとても大きいものがあります
そのような事まで考えていません
好い題材があればそれを書いて撮る
それだけの単純な話です
映画を学んだ者としては
好い題材があれば撮らないと後悔しますから

ーーファンの皆さんに最も伝えたいメッセージは?
「海角七号」「セデックバレ」「KANO」の三作品が
伝えたいのはただ一つ
それは台湾のつまり私たち自身の
歴史や文化とは何かを
根本から正しく理解しようということ
そしてその上で それらを受け容れ 自分の体の一部にしようということです
そこでぜひ これらの作品を見てほしいのです
悲しい話もエキサイティングな話もありますが
台湾人には誇りある過去が
あったということをお分かりいただけるでしょう
過去を誇りにして未来へ向かいましょう

ーーあなたや台湾を応援する日本の皆さんにも一言
皆さんのご支持に感謝しています
私達の作品からもお分かりのように
私達はただの友人ではなく親友なのです
今後台湾を巡り何が起こるかわかりませんが
どんな時でも強く支持して下さい



とても穏やかに語る魏徳聖氏
本土の人の話す中国語と同じとは思えない(失礼)
台湾の誇りは、と問われて
「很辛苦」(とても辛い)と答えた

偶然にもこの中に「和解」という言葉があった
「歴史和解」「対話」「記憶」「謝罪と賠償」
どこかの国のお得意の言葉だが
災厄をもたらした「歴史の和解」
魏氏はそのような文脈ではなく「自分自身との和解」と言った

歴史の和解と声高に言う人達に問いたい
これほど差しのべられた手を見て見ぬふりする理由は?

在日台湾同郷会会長 岡山文章氏
kano在日台湾同郷会会長2
今後台湾人は孤立感を味わなくていいでしょう

kano在日台湾同郷会会長3
すでに友人の存在を知ったのですから

我々にはまだ友人たる資格があるだろうか・・・・



李登輝氏「尖閣は日本の領土」…中国で改めて非難の声


 中国大陸では、「尖閣諸島は日本の領土」との持論をしばしば表明する台湾の李登輝元総統に対する批判・非難が高まった。台湾当局(中華民国政府)も尖閣諸島の領有権を主張しているが、李元総統は特に中国大陸を「中華帝国覇権主義の領土観」、「美人を見れば他人の妻でも自分の妻と主張するようなもの」などと批判している。石原慎太郎都知事が都による尖閣諸島購入を表明したことで、中国では同諸島に対する関心が改めて高まった。 インターネットサービスで中国大手の騰訊(テンセント)は、自社ポータルサイト内に「李登輝はなぜ、釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)は日本のものと言うのか」という特集ページを設け、李登輝元総統を批判・非難した。

 同ページは、李元総統を「媚日売国」と決めつけた。「釣魚島を日本に売り渡す思想的根源」と題した文章は、植民地時代の台湾に生まれ育ち、京都大学に学ぶなど、李元総統は思想形成の上で日本の影響を強く受けており、「(日本の境域を受けなかったら)今の私はおそらく、自分の命と魂の基本的な考えを救うことができなかっただろう」とも述べていると紹介した。

 李元総統が、「日本は、植民地統治した台湾の発展に貢献した」との考えを持つことを紹介。農地開発に献身した日本人や現代化のプランを策定して実行した後藤新平などを李元総統が大いに尊敬していると論じた。

 「日本の植民地になってから台湾が近代化の道を歩みはじめたのは、ある程度の事実」、「同じ植民地といっても朝鮮や中国内地とは異なり、掠奪や圧迫ではなかった」との考えを紹介し「李登輝のように台湾生まれの者にとって、植民地支配者を恨む意識が比較的薄かったりなかったりすることは不思議ではない」と論評した。

 李元総統が「釣魚島を日本に売りたいと考えている」背景には、台湾を中国から分離したいとの思いがあると主張。「釣魚島は台湾のに属し、中国のものではない」との考えが込められていると推測した。 尖閣諸島にまつわる李元総統の考えは台湾でも主流ではないと論じた上で、「90歳になる李登輝は、一部台湾人の精神的指導者だ」、「売国的言論と影響力をみくびってはならない」などと、李元総統に対する警戒を示した。 結論として、李元総統の「“釣魚島売却”は“植民地主義の洗脳”によるもの、あるいは“媚日売国”と言うことができる」と論じた。(編集担当:如月隼人)サーチナ2012.2.25
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120425-00000027-scn-cn 


「善意あれば解決できる」=尖閣問題で日本に注文-中国副主席

 【北京時事】中国の習近平国家副主席は24日、日本国際貿易促進協会会長として代表団を率いて訪中した河野洋平前衆院議長と北京の人民大会堂で会談した。代表団によると、習副主席は日中関係について「相手にとって核心的な問題は適切に処理すべきだ。善意と友好の気持ちがあれば、問題を解決できる」と述べた。

 石原慎太郎東京都知事が尖閣諸島を都で買い取る方針を示したことを念頭に置いた発言とみられる。習氏は「コントロールできないようになってはならない。双方が努力すべきだ」と述べ、問題をエスカレートさせないよう注文を付けた。

 河野氏は「野田佳彦首相が昨年末の訪中で、東シナ海を平和、協力、友好の海にすることで合意した。日本政府はこの方針を守り、努力していくだろう」と応じた。

 河野氏はまた、習氏が秋の共産党大会で総書記を引き継ぐことや、重慶市トップだった薄熙来氏の失脚を念頭に「今年は世界の主要国のリーダーが交代する。こういう時期は政治の安定が求められる。そのことが経済・社会の発展につながってほしい」と言及したが、返答はなかったという。時事ドットコム2012.4.24
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012042400911 


「尖閣購入」構想を批判=自民・加藤氏

 自民党の加藤紘一元幹事長は25日、都内で開かれた会合であいさつし、石原慎太郎東京都知事が沖縄県の尖閣諸島を都で買い取る意向を表明していることについて、「石原氏は一国の首相をビジョンに入れた大政治家だ。その方が面白い、おかしいということでやっていいテーマではない」と批判、日中関係への影響を考慮すべきだとの認識を示した。時事ドットコム2012.4.25
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012042501042  


ヘリテージ財団でのスピーチでは
占領憲法破棄、核武装を視野に入れた日本再軍備を語っている
石原氏は現在都知事という立場だから当然日本政府の意向とはならないが
これは石原ドクトリンと言ってもいいのではないだろうか
もっとも以前からずっと繰り返し語ってきたことなのだが

スピーチ終了後に司会者が「(石原都知事が尖閣に灯台を建てたことを受け)あなたが灯台なんですよ」と言っていたのが印象深かった

そして44:26あたりからが例の購入発言だがその後に
本当は国が買うべきだけど何か外務省はビクビクしてる
と言っている
マスコミはそこはなかったことにしたいらしい
尖閣購入についてbyフジ
国が買うべきだがという言葉をカットしこういう声を流している
税金云々なら中国へのODAやADBは問題ないのか(ADB:【wiki】アジア開発銀行 なぜかODAほど騒がれないが多額の資金がここから中国に渡っている)

 自らの国土を自ら守ろうとしない者のために、一体他の誰が手を添えようとするであろうか。くり返しいってきたことだが、天は自ら助くる者をのみ助くという歴史の原理を、本気で悟りなおすいい機会ではなかろうか。
石原都知事と尖閣諸島2 

日本にはその覚悟のない人々がいるようだ


 

台湾新幹線を貶めたい人々

 2006年に台湾の台北と高雄の間を結ぶ日本製の新幹線のお披露目が行われた。台湾新幹線は、もともとはフランスTGVが採用される予定だった。それで軌道敷設も列車制御や通信施設もすべてフランス人が入って進められていた。

 台湾には産経新聞の支局があるだけでその他新聞社は北京に遠慮して支局を持っていなかったが、中国が産経新聞北京支局を出すことを認めたため1999年各社はそれならと台北に支局を開いた。そしてその年に台湾大地震が起きた。

 開設したばかりの日本のマスコミが一斉にそれを報じた。そして日本政府も国民もすぐに反応して救援隊や医師団を送り民間救助物資も後を追った。「一つの中国」を言う北京より早かった。中国系外省人のくびきにひしがれた台湾の人々は久しぶりの「日本」に感激した、と李登輝氏が後に語っていた。

 日本も台湾に対する理解が進み、同時に中国の性悪さを知った。北京政府は最も悪いタイミングで産経新聞北京支局開設を認めてしまったことになる。

 その3ヶ月後、台湾政府は高速鉄道を日本の新幹線にするという逆転決定をした。これに腹を立てたのがフランスだった。契約上、フランスが運転業務と列車制御を行うことになっていたが、2006年に保線用車両が脱線事故を起こし、さらにフランス人が運転する新幹線の試験車両が脱線事故を起こした。そのため台湾新幹線の営業運転は3度の延期をする羽目になった。

 地元ではフランス人の嫌がらせの事故と語られている。過去にもそうしたサボタージュをやっているからだ。

 フランスと並んで日本と台湾との絆を不快に思っているのが中国で、その中国にかしずいているのが朝日新聞だ。だから時速300キロでの走行を報じる他紙と朝日新聞の報道内容は大きく違っていた。

 見出しは「いつ開業?台湾新幹線延期3回目、迷走続く」となり主題の300キロ走行お披露目にはほとんど触れていない。ひたすら危険であるように書く。なんとしてでも新幹線は失敗して欲しいという朝日新聞の願いがにじんでいる。日本を貶めることだけを考え、ここまで悪意をむき出しにした記事も珍しい。執筆した永持裕紀特派員はこう書くと胡錦濤に褒めてもらえるとでも思っているようだ。
『モンスター新聞が日本を滅ぼす』高山正之p64~66要約


台湾高速鉄道に 初めての黒字


 (台北 1日 中央社)日本の新幹線の車両と技術を導入し、2007年1月から運営している台湾高速鉄道は今年上半期の営業高が約20億台湾ドル(約53億2千万円)の純益を計上したことを発表し、四年あまりの運営に初めての黒字を記録した。

 高鉄の発表によると、上半期の営業高が157億9000万台湾ドルで、前年同期より約28億台湾ドルの増加、支出などを引いた後純益が19億8000万台湾ドルとなっている。

 今年1月から6月の乗客総数は延べ2002万8000人、前年同期より10.39パーセントの上昇、一日あたりの乗客数は延べ11万人を超えている。

 台北と高雄を結ぶ高鉄は、台北市の台北駅から高雄市の左営までの345キロメートルを最高時速度300キロメートルで運行し、ノンストップ便では所要時間約1時間30分である。フォーカス台湾2011.9.1
http://japan.cna.com.tw/Detail.aspx?Type=Classify&NewsID=201109010005  


台湾新幹線、日本から車輌を新規購入の予定


 (台北 20日 中央社)日本の新幹線の車両・技術を導入した台湾高速鉄道(高鉄)の取締役会が19日、日本から車輛を新規購入する案を採択した。

 高鉄は総経費66億2112万台湾ドル(約183億円)を使って従来と同様の700T型を12両編成4本(48輌)購入する予定だ。

 第1弾は来年導入され、2014年初頭に営業運転開始する見通し。車輛の引き渡し終了は遅くとも2016年までにと見込まれている。

 高鉄の利用者数はこの2年間、増えつつあり、1日平均では平日の場合は延べ12万人、休日には14万人に達している。休日ラッシュ時の運行計画が立てにくいのに加え、2015年には南港、苗栗、彰化、雲林の四駅が新設され、それに伴う深刻な車輛不足が予想されることから新車両を購入する運びとなった。フォーカス台湾2012.4.20
http://japan.cna.com.tw/Detail.aspx?Type=Classify&NewsID=201204200007 


雑音をよそに台湾は自らの道を自力で歩んでいるようだ
台湾新幹線
台湾高速鉄道2

戦後戦闘機を作れなくなった日本の技術者が意地で作りだしたのが新幹線
と石原さんは書いていた

<調査>「自分は中国人」は台湾市民のわずか4%、改定教科書が“中国離れ”加速―中国紙

 2012年2月28日、中国共産党中央委員会の機関紙・人民日報によれば、近年、中国本土と台湾の間で緊張が解け、官民での往来が活発となっている中、台湾の一般市民が「自分は中国人だ」と考えている人の割合が下降していることが意識調査で判明した。

 2011年に行われた意識調査では、自分は中国人だと考えている台湾市民はわずか4.1%。一方、自分は台湾人だと考えている人は54.2%に達し、過去最も高い割合となった。台湾大学政治学部の張亜中(ジャン・ヤージョン)教授は、様々な要因が考えられるが、教育が大きく影響しているのではないかと指摘している。

 李登輝(リー・デンフイ)、陳水扁(チェン・シュイビエン)時代に教科書の“去中国化”(中国離れ)がすすめられ、「抗戦勝利」は「終戦」、「日本が占領した」は「日本が統治した」と改められ、南京大虐殺も教科書から姿を消すなど、5000項目の語句が不適当として修正された。

 世新大学の王暁波(ワン・シャオボー)教授によれば、台湾の教科書では「中国で最大の島は海南島」、「我が国(台湾)で最も高い山は玉山(旧称:新高山)」などと記載されており、中国本土と台湾はまったく異なる国のように扱われている。また、台湾佛光大学文学部の謝大寧(シエ・ダーニン)教授は「台湾では現在、30歳以下の人は中国と台湾は別々の国だと認識している」と指摘している。(翻訳・編集/岡田)レコードチャイナ2012.2.29 


【netosoku】「たかじんのそこまで言って委員会」の南京事件検証動画が秀逸すぎる。
(追記2015.2.5 このサイト自体がなくなっていた(゚∀゚)) 
金美麗さん
「中国人と日本人は全然生命に対する考え方が違うんですよ。台湾は日本に50年も統治されたんです。日本軍が入ってきたときに戦闘があって一万人くらいの人が命を失ってるんです。ただしその後政治犯として処刑された人は一人もいない」
「日本の統治後、中国国民党軍の蒋介石が入ってきました。反政府運動が起こって2~3万人も殺したんです。たった2年足らずで。それも実際の運動に関わった人だけではなく今後台湾人のリーダーになり得るだろうインテリはみんな捕まって殺された。そういうことを中国人はやるんですよ。」 
日本人には虐殺をするような習慣も伝統もメンタリティーもないんです。そこを総合的に考えなくてはならない。」 


【youtube】4/5【台湾取材レポート】龍山寺前広場でのインタビュー・後半 
「日本のみなさんね、日本にお帰りになったら宣伝して下さい。台湾の独立に協力して下さい。」
「我々はね、日本のために戦ったんですよ。命をかけてね。」

 【wiki】高砂義勇隊 
高砂義勇隊(たかさごぎゆうたい)は太平洋戦争末期、台湾原住民により編成された日本軍の部隊。フィリピン、ニューギニアなど密林地帯の戦場に投入するために創設された。隊員は軍属であり軍人ではないが戦闘に参加し、戦死者の割合が作戦を共にした軍人よりも多かったといわれている。高砂義勇軍とも。
第三回高砂義勇隊訓練時の記念写真と思われる

このページのトップヘ