2017年08月17日

「金融工学」への憂い

Uzawa 盆休みが終わって仕事が始まった。348号の発行へ向かってまた、取材が始まる。

 新聞の発送作業をしていル時だった。友人が唐突に現れ、宇沢博文さんの著書『人間の経済』(岩波新書)を置いていった。そこには「多くの人たちに読んで欲しくて…」という短文が添えられていた。帯には「経済思想の巨人、未来へのラストメッセージ」とある。宇沢さんの講演やインタビューをもとにまとめられたものだという。
 
 宇沢さんは東日本大震災直後の2011年3月21日に脳梗塞で倒れ、その3年半後の14年9月18日に肺炎のために亡くなった。パソコンには「東日本大震災」というタイトルのフォルダーがあったという。あらゆるものを金に換えようとする市場原理主義を厳しく批判していただけに、震災・原発事故を目の当たりにし、何を思ったかを知りたかった。
 この本では、医療、教育、環境を三大社会的共通資本という自説を軸に、自らの人生やエピソードが語られている。そこには人間の心を忘れ、利益だけを追求していく経済への憤りとジレンマがある。
 宇沢さんが言う「社会的共通資本」とは、利潤追求の対象にせず、守っていくべきもののこと。にもかかわらず、医療は採算が問われ、教育も利益を出すために生徒や学生集めに奔走する。さらに自然を破壊して工場を建て、水俣病が起こった。「経済学とは何のためにあるのか。人間が人間らしい生活を送るためにあるのではないのか。儲けるためなら何をしてもいいというのは、人間がすることではない」。そんな声が聞こえてくる。

 医学部を志望していた青年が悩んだ挙げ句に数学の道に入り、経済学に転じた。そのきっかけになったのが「富を求めるのは、道を開くためである」という言葉との出会いだった。だからこそ、金儲けのためには手段を選ばず、という市場原理主義に対抗して、社会的共通資本という考え方を提示した。
 市場原理主義が生んだもの、それは戦争であり、核兵器や原発だった。利益を得るために悪魔の領域に進出し、利益を得る。郵政民営化もそのひとつで、その裏にはアメリカの圧力があり、小泉政権が踊らされた。政権を支えた竹中平蔵という経済学者は、まさに市場原理主義を進めた張本人であり、子供たちに株取引を勉強させた。宇沢さんは怒りを持って、それを暴露している。
 
 いまの時代を見てみる。「アベノミクス」はまさに、市場原理主義をベースにしていて、原発を海外に売ろうとしている。心を置き去りにした「金融工学」ばかりが跋扈するこの世界に未来はあるのか。その答えがあるとしたら、宇沢さんの著作を読み解くことなのかも知れない。

   

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2017年07月03日

おそろい

AS20140712002253_comm 「あれは幼稚園のお遊戯会の世界ですよ」。ある高校野球の監督が苦笑いしながら言った。
 夏の大会で、試合終了後に球場の外で行われる千羽鶴の引き渡し式。「ぼくたちの分まで頑張ってください」と負けたチームが勝ったチームに託し、勝ち続けると千羽鶴がどんどん増えていく。それも含めて、高校野球には流行り廃りの儀式のようなものが多い。すごい感染力だ。

 取材をしていて「おやっ」と感じるものを列記してみる。まず保護者によるお茶のサービス、そろいの帽子、Tシャツ、メガホンによる応援。これはいつ、どこから始まったのだろうか。最初はどこかが始めて、「あれいいね、うちもやらない」と真似するところが出て、どんどん広がり、そろえなければだめなムードになり、それが当然になったのだろう。ここまで恒例化してしまうと、どこもやめる勇気がなくなり、保護者の応援スタイルとして一般化してしまった。
 選手たちもそうで、トレーニングウエア、バッグなどがおそろいになり、ゲーム前の声出しや応援などが画一化されている。さらに不思議なのが、正捕手がシートノックに加わらないこと。どこのチームの正捕手もエースの投球練習を受け、控えがノックに参加している。一度、ある監督に尋ねてみたら「どうしてなんでしょうね」と言われ、開いた口が塞がらなかった。

 この「なんとなくみんなと一緒」という傾向は、近年とみに強くなっている。高校の校門周辺には部活動で活躍したチームや選手の看板がべたべたと貼られている。それをみながら「どこか、この流れに逆らって看板を立てない学校が出てこないものだろうか」と思う。

 部活動を保護者が手伝うということは指導者との距離が近くなるという利点がある半面、近づきすぎて節度がなくなる、というデメリットもある。保護者がチームの決めごとに介入するようになり、収拾がつかなくなったケースを何度か見た。いまの時代、指導者にとって保護者とどう一線を画すかが、大きな課題になっている。
 
 高校野球について考えてみる。学校、保護者、監督、部長の役割とは何か。部員もそうでベンチ入り、ベンチ外、マネージャ−。それぞれがすべきことが理解できず、レクリエーションの一環のようになっている。「目標を決めたら、それぞれがすべきことを考える。そして行動する」。それがきちんとわかっていれば、それぞれの立場ですべきことが見えてくる。

写真は朝日新聞のサイトから。

  
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2017年06月30日

「男はつらいよ」を旅する

otoko_main_img 敬愛する川本三郎さんが『「男はつらいよ」を旅する』(新潮選書)を出した。待望の一冊と言える。
 「男はつらいよ」ファンにはうんちくを語る人が多いが、寅さんの世界を純粋に愛して楽しみ、実際にロケ地に足を運んでいる川本さんは別格だ。この本には随所に川本流の眼差し、こだわりがあふれている。

 雑誌連載の打ち上げで編集者に「男がつらいよ」が好きでロケ地の大半を旅した、という話をしたら「ロケ地めぐりの旅をしたらどうですか」と勧められ、新たな連載に発展したという。川本さんは「願ってもないこと」と引き受け、新たな視点で「寅さんの旅」を追体験することになる。その連載が終わり、本としてまとまった。

 川本さんは寅さんを「寅」と呼び捨てにする。それは初代おいちゃん役の森川信の「ばかだねぇ」と同じで、そこには、そこはかとなく愛情がこもっている。寅さんの人格をきちんと認め、「あんな風に生きたい」という嫉妬も含めた「寅」なので、他人行儀の「寅さん」よりも親身で、身内的な感覚だ。

  目次を眺めて、好きな作品や行ってみたい場所の項目があるかどうかを確認する。そこから川本さんの旅の追体験が始まる。「夕焼け小焼け」の播州龍野、「寅次郎恋歌」「口笛を吹く寅次郎」の備中高梁、「あじさいの恋」の丹後伊根、「寅次郎と殿様」の愛媛県・大洲…。どの作品も好きで、町もしっとりとしている。いつか時間をつくって訪ねたいと思っている。そして、時を隔て、映画の世界とどのくらい変わっているのかほとんどそのままなのか、それを確かめるのも、楽しみの一つになる。

  川本さんの興味はただ一点、寅の旅にあるのだという。 「寅がどんな町を歩き、どんな鉄道に乗り、どんな風景を見たか」を丹念に確かめる。とはいっても、単に「男はつらいよのロケ地を訪ねて」というだけではなく、そこに映画、鉄道、文学、音楽などをクロスさせる。当然、自分の人生も含まれている。ロケ地と永井荷風がつながったり、「週刊朝日」の記者時代の思い出やエピソードが出てきたり…。読み手は大きくて深い川本ワールドの湖でボートを漕いでいる気分に浸れる。

 個人的な思い出で恐縮だが、高校時代に映画同好会に所属していて「男はつらいよ フーテンの寅」を上映したことがある。「男はつらいよ」には山田洋次以外の監督が撮っているものが二本だけあって、そのなかの一本。森崎東がメガホンを執った。マドンナは新珠三千代だった。川本さんにとっても縁がある作品らしく、「週刊朝日」の記者時代に森崎監督をインタビューしたことを思い出すという。

 講釈も解説もなく、「男はつらいよ」と自分をクロスさせ、その世界を愛し続けている川本さん。その純なところが、読む側に真っ直ぐ迫ってきて。なんだかいい。

  
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2017年06月28日

新たな晩友

ku366 黒田征太郎さんから突然電話がかかってきた。中村敦夫さんが朗読劇「線量計が鳴る」のいわき公演をすることを知り、居ても立ってもいられなくなって携帯電話を手に取ったのだという。「朗読劇のチラシを見て中村さんの思いに魂が揺さぶられましてね。現場で絵を描かせてもらえませんか」とも言った。北九州からだった。
 黒田さん78歳、中村さん77歳。同世代人同士なのだが、親しく話したことはない。すぐ中村さんに伝えると「いいですよ」と快諾してくれた。ただ観客には、黒田さんが来ていることは伏せ、朗読劇が終わってから舞台に上がってもらうことにした。「絵もそのときに披露しよう」ということになった。

  中村さんと「日々の新聞」との交流は創刊のころからだから約15年、黒田さんとは震災がきっかけで、6年のおつき合いになる。2人とも名前が広く知られているのだが決して権威的でなく、自分の立ち位置を外さない。いわゆる女々しくない男前で、群れないところも同じだ。ともに体制とは距離を置き、一本どっこの精神を貫いているので、ひとり姿がよく似合う。

 今回始めて知ったのだが、「山頭火」という共通点もあった。中村さんは「線量計が鳴る」の前に、「山頭火物語―鴉啼いてわたしも一人」という自作自演の朗読劇を全国で公演している。山頭火の自由旋律句や人生を読み解き、舞台化した。そのときの演出は作家の窪島誠一郎さんだった。
 「線量計が鳴る」の打ち上げで中村さんが、「山頭火の句はほとんどが駄作だけれど100ぐらいはいいのものがある。『鉄鉢の中へも霰』なんていう句は、雲水行脚での厳しい寒さが目に浮かぶ」と話すと、黒田さんが少し照れながら「山頭火のことも句のこともほとんど知らずに『黒田征太郎 山頭火を描く』という本を出したことがあります。ペンキを使ったりしました」と、苦笑いをしながら応じた。
 その場で中村さんが「最近、窪島誠一郎さんと話をする機会があるのだけれど、晩年になって面倒くさくないつきあいをする晩友をつくろう、と言われましてね。晩友会です。疲れるやつは抜きですよ」と話し、みんな「いいですね」と賛同した。

  さて朗読劇「線量計が鳴る」の現場。黒田さんは「中村さんの邪魔にならないように」と客席の左後ろに陣取り、35枚の絵を描いた。近藤等則さんのトランペットに呼応してライブペインティングをするときのように、中村さんの気迫にあふれた方言の台詞回しを全身に受け、ぐいぐいと手を動かした。そして「中村さんに描かせてもらいました」と感謝した。黒田・中村1

  「これはもう、業としか言いようがないよ」と中村さんが舞台に立つ自分について言い、黒田さんも絵を描き続ける自分に置き換えて、心のなかで頷いた。
 6月16日夜、いわきアリオス小劇場。業と向き合う新たな晩友同士が輝いていた。



  
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2017年06月20日

「続・深夜食堂」を観た

シネマ帖  映画を見逃した「続・深夜食堂」がDVDになxったので、見た。そもそもは漫画が原作でTVドラマ(すでに4部)になり、映画も2本作られた。でもそのトーンは、まったく変わらない。深夜食堂こと「めしや」を舞台にいくつもの人間ドラマが連なっていく。

 この映画は、3つの物語から構成されている。テーマは例によって料理で、今回は「焼き肉定食」「焼きうどん」「豚汁定食」。どれもお気どりなしのB級グルメばかり。庶民の味だ。そしてカウンター越しに悲喜こもごもの人間ドラマが展開されていく。
 お気に入りは、渡辺美佐子が老婆を演じる「豚汁定食」。東京にいるという息子のためにお金を持って九州から上京した老婆。それは詐欺に引っかかってのことなのだが、どうも様子がおかしい。何かわけがありそうだ。実は若いころ、小さな息子を置いて駆け落ちしたという事情も持つ女性だった。
 渡辺美佐子は味わい深い博多弁を使って、息子を思う老婆を好演している。「息子の姿をひと目でも見たい」という一途な思いが、「めしや」の常連客たちに、お節介心を起こさせる。老婆の身の上話を教える義弟役の井川比佐志もいい。
 
 この「続・深夜食堂」を見たことがきっかけになって、ドラマ版の4部10作も見た。いつも思うのだが配役がいい。決して飾らず等身大の自分を役にぶつけている。だからしっくりくる。
 花園神社界隈の路地にある、深夜零時にならないと開かない「めしや」。そこで交錯する、さまざまな人生。ほとんどが情けなく、ぶざまでほろ苦いのだが、最後にはなんとか前を向いて、生きていこうとする。そんな市井の渋い人情ドラマが心に沁みる、今日このごろだ。  
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2017年06月15日

明智さんの死

明智さん3 それは突然の訃報だった。体調を崩して磐城共立病院に入院していることは聞いていた。「そのうち顔を見に」と考えていたら、「退院した」という。「よかった」と思ったのもつかの間、その2日後に「亡くなった」との知らせが届いた。死因は大動脈瘤破裂だった。明智孝夫さん、5月26日没。享年68。
 
  正体不明で神出鬼没な人だった。最近知ったのだが、大学では理学部で生物学を学んだという。祝詞をあげたりしていたから、てっきり神主関係の学校を出たものだとばかり思っていた。コンピューター関係の仕事をしていたことも、今回初めて知った。

 30年以上前から顔見知りではあったが、深くつきあうようになったのは平にあったバー「エミール」を経営するようになってからだと思う。カウンターだけの小さなバーで、マスターの明智さんを慕って個性豊かな客が集まっていた。置く酒にもこだわっていて、その黒づくめの古い店には、不思議な空気が漂っていた。
 読書家で議論好き。でも相手を論破するようなことはせず、険悪なムードになりそうになると、「にこっ」と笑って、その場を収めた。その笑顔が実にチャーミングだった。

  コンサートのためにいわきにやってきた長谷川きよしさんと一緒に店に入ったときのことだ。「ここは?」といぶかしがるきよしさんに「ここは地獄の出口です」と言って笑わせた。そしてすっかり意気投合した。

 明智さんは震災後、夫人の香代子さんと五年にわたって東京に自主避難していた。ときどきいわきに帰ってくると、放射能が身体にどんな影響を与えるかを、真剣に話していた。その関心の高さと知識の深さに驚かされた。
 短歌も詠んだ。しかもパソコンを使って文字と映像を組み合わせるという独特の表現で、作品ができると編集室に来てそれを披露し、熱心に説明してくれた。

 いわきに戻ってきてからは、内郷駅前にある喫茶店「ラヂオドール」を手直しして夫婦で営むようになった。店が開いていることを知った常連が少しずつ来るようになり、忌憚のない「明智節」が復活した。それは穏やかでいい空間であり、時間といえた。収まるところに収まった、という感じに見えた。

 明智さんの病気は「乖離性大動脈」だった。東京でも一度、心停止状態になったことがあり、「血管がかなり痛んでいる。タバコをやめないと命の保障はできない」と医師に言われていた。
  手術そのものにリスクがあったこともあって、「手術はしない。タバコもやめない」と言い張り、最後まで医師とぶつかった。それは「最期まで明智孝夫らしい人生を貫く」という、明智さんならではの美学であり、生きざまだったのかもしれない。

 亡くなった日の昼、明智さんは4人で、インド料理店に行った。食欲がなかったので粥を作ってもらい、インドの話などをして楽しい時間を過ごした。そして午後3時ごろ解散した。明智さんの様子がおかしくなったのはその一時間後。苦しむことのない静かな最期だった。
 夫人の香代子さんは「退院したときに死は覚悟していたと思うけれど、こんなに早くやってくるとは思っていなかったのでは。でも、とてもいい顔でした」と話す。
 本人の遺志で通夜も葬儀もやらず、その死を知っていた人だけが、思い出話をしながら火葬場で見送った。

  
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2017年06月01日

浅川マキの「さかみち」

index   かつて使っていた部屋を片づけたらレコードが出てきた。ほとんどが学生時代に聴いていたもので、感慨深い。ただレコードプレーヤーを処分してしまったので、聴くことができない。早速、注文して聴くことができるようになった。レコード(アナログ)の音質がこんなに優しかったのか。CD(デジタル)に慣れてしまったので、そのマイルドな音質が身体に沁みる。レコードを出してほこりを取ってターンテーブルに載せる一連の動きもなんだかいい。

 見つかったレコードの中に浅川マキのものが結構あった。ロングヘアーに長いつけまつげ、そして黒いドレスを着てジャズやブルースを歌う。池袋文芸座と新宿蠍座でコンサートを聴いたことがあるが、独特の雰囲気、世界観があった。
 その浅川マキがライブの貯めに訪れた名古屋のホテルで倒れ、あっさり逝ってしまってから、早いもので7年半が経つ。

 初期のものは「かもめ」「ふしあわせという名の猫」(寺山修司)など本人以外の作詩・作曲もあるが、途中から浅川自身の作詩・作曲が増え、独自の世界ができあがっていく。なかでもお気に入りが「さかみち」。「MAKI LIVE」に入っている。
 浅川本人かどうかはわからないが、歌の主人公は坂の途中にあるアパートに住んでいる。ある夜遅く坂を戻ってくると、部屋に明かりが点いている。うれしくなって立ち止まってみたのだが、消し忘れだとうことはわかっている、という内容だ。  情景描写が巧みで、映像が浮かんでくる。しかも伴奏はピアノだけ。しっとりとしていて、実にいい曲だ。

  実は学生時代に新宿区の小滝橋交差点近くの古いアパートに住んでいた。それが坂の途中にあって、落葉樹の街路樹が植わっていた。最寄り駅は高田馬場なのだが、神田川沿いの公園を歩いて東中野にもよく行っていた。そういう意味で、「さかみち」は、わが青春の曲、ということができる。
 
 もう1つ、そのころふらっと入ってみた映画に「さかみち」が効果的に使われていて、感動したことがある。記憶にあるのは宮下順子が出ていたことぐらいだ。加藤彰監督の「OL日記」で使われているそうだが、主役は中川梨絵。宮下も出ていることはでているのだが、結局のところよくわからない。

https://www.youtube.com/watch?v=nGqNKU4T1zw  
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2017年05月31日

田中真理さんのプライド

95 「共謀罪」が衆議院を通過し、参議院で審議されている。「テロ対策」を錦の御旗にしているが、実行しなくても計画段階で摘発されてしまう法律。これが成立すれば、運用段階でどんどんエスカレートし、国のやり方に異議を唱えただけで捜査の手が及ぶことが、考えられる。でも国民は、わが身に降りかからないと実感がわかない。それがなんとも歯がゆい。

 NHKBSで「日活ロマンポルノ」を扱ったアナザーストーリーが再放送された。経営難の日活が起死回生のためにポルノ路線に舵を切り、大当たりしたが、「わいせつ」を理由に3作品が摘発されてしまう。ときは1972年(昭和48)。学生運動が下火になり、反権力の思いが行き場を失っていた時代だ。
 当時、「わいせつ」を巡って闘ったのが、「ラブ・ハンター 恋の狩人」の監督・山口清一郎さんと主演女優の田中真理さん。8年半にわたって裁判をして無罪を勝ち取ったが、山口さんは途中で日活を追われ、田中さんは28歳で女優を引退した。
  その田中さんがブラウン管に登場し、「わいせつ裁判」を語った。65歳になったという。「反権力のアイドル・田中真理」は毅然としていて、そのころのままだった。
 「わいせつかどうかは人の心の問題。その心の中に国家が土足で踏み込んできて裁くなんてことは、ナンセンスです。『わたしの心の中にまで、お上が入ってくるの』って思ってましたね」。田中さんはきっぱりと言った。
 当時の山口監督のコメントもふるっている。「わいせつ罪に問われながら、およそわいせつとは距離のあるものを撮って恥じている」。ただ、その後は撮る機会には恵まれず、2007年に69歳で亡くなった。一方の田中さんも、裁判をしたことで使う側が自己規制するようになり、出演機会が激減していく。
 「だれも何も怨んではいません。あえて言えば感謝ですかね。挑んで、受けて立って勝ちを取った。しかも作品が残ったじゃないですか」
 実に潔い。その言葉から、プライドと意地を感じた。
 
 さて共謀罪。自分の生き方や信念を貫き通して国家にあらがうことができるのか。自分も、それが問われている。
 

  
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2017年05月13日

「笑う101歳×2」のこと

むのさん特集1 「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」(河邑厚徳監督)の試写を東京・渋谷で見た。映画は6月3日から公開される。
 
   笹本恒子、日本初の女性報道写真家。むのたけじ、信念のジャーナリスト。大正生まれで百年生きた2人の生き方を、カメラが少し距離を置いて静かに見つめている。

 2014年4月、横浜で二人の対談が行われると知った河邑はカメラ2台を用意して会場へと向かう。そこからすべてが始まった。おしゃれでキュートな東京生まれの笹本と、武骨だがチャーミングな秋田出身のむの。この対照的な2人が、お互いの人生をクロスさせる。映画はそうして進み、大正、昭和、平成という時代がくっきりと映し出されていく。

 最初のシーン。笹本は初対面のむのに深紅のバラの花束をプレゼントし、胸元に一輪挿す。むのはそれを喜び「一番好きな花が赤いバラなんです。嬉しいなぁ。死んだときは真っ赤なバラを一輪胸元に置いて送ってくれ、なんて言っているんですよ」と、豪快に笑う。

 ふと、この映画のタイトル「笑う101歳×2」を思う。2人の笑いを表現するとすれば、笹本は知的なほほえみ、むのは屈託のない少年のような笑顔だろうか。
  2人の人生で共通しているのは、安定に背を向ける独立独歩の精神だ。あっさりと組織を離れ、自分がすべきことを追い求めていく。笹本は報道写真家にこだわりながらもオーダーサロンを開き、絵やフラワーデザインを学ぶ。一方のむのは大新聞を辞めて秋田の横手で「たいまつ」という小さな新聞を創刊し、ジャーナリストとして地方から発言を続ける。そこには、束縛されずに自由に生きたいという精神が満ちあふれている。

 「たいまつ」に書かれていた言葉「あなたは自由を守れ 新聞はあなたを守る」。自由がなくなったら生きていけないということを骨身にしみている2人のドキュメンタリーだ。

 公式サイト・予告編 http://www.warau101.com/


  
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2017年04月28日

憲法を考える日

むのたけじ24 あしたから連休に入る。29日は「昭和の日」、5月3日が「憲法記念日」、4日は「みどりの日」、5日は「こどもの日」。それを確認しながら、昨年8月21日に101歳で亡くなった、むのたけじさんのことを思っていた。

 ちょうど1年前の5月3日、むのさんは5万人の聴衆をを前にして「憲法を守れ」と訴えていた。場所は東京臨海広域防災公園(江東区有明)。「それは破れ鐘のような、熱気がほとばしるスピーチだった」。ジャーナリストの鎌田彗さんが、そう話していた。
 よほど印象深かったのだろう。俳人の黒田杏子さんはその時の様子を「大晩年 大音声の 野分星」と詠んだ。むのさんは、その数日後に入院し、夏に帰らぬ人となった。

 むのさんの主張は一貫していて、しかもシンプルだった。それは「戦争をしないこと」と「憲法9条を守ること」。自ら従軍記者として戦争の悲惨さや愚かさを目の当たりにし、その体験が血肉となって怒りのマグマに変わっていったのだろう。その言葉はいつも真剣で、ごまかしがなかった。
 「戦争は始まったら止められません。国に逆らえば国賊と言われ、抵抗できません。だから戦争をしてはいけないのです。それには憲法9条を守らなければなりません。この押しつけられた憲法のおかげで、この70年間、一人の戦死者も出していないんですから」  むのさんは、こう言い続け、若者たちに希望を託した。

 冷静に、いまの時代を見る。小選挙区制で時の政権に抵抗できなくなり、独裁が加速した。多様な価値観は封じ込まれ、秘密保護法、安保法制、共謀罪と、憲法改正のための階段を着実にのぼっている。そしてその先には、戦争が待っている。
  「飛躍しすぎだよ」と言う人がいる。でも、自分も含めて七十歳以下の人たちは戦争を知らないのだ。だからこそ、戦争を皮膚感覚で知っている、むのさんや野坂昭如さんの言葉を信じたい。共産党以外が手を結び大政翼賛会に参加した戦前の歴史を紐解きたい。おそらくさまざまな符号が精神をざわつかせることになるのだと思う。
 「憲法記念日」の3日は「平和憲法」について考える特別な日にしたい。そして押しつけの経緯も含めて学び、向き合う日にするつもりだ。

  
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2017年04月27日

意識のずれと温度差

吉野 問題発言を繰り返した今村雅弘復興大臣が辞任し、後任に福島5区選出の吉野正芳衆議院議員(いわき市植田町)が起用された。
 舌禍騒動のあとだけに、なんとも複雑な心境だ。「ここは被災者でもある地元議員で乗り切るしかない」という官邸サイドの思惑も見える。
 吉野さんは情に厚く義を重んじる人だが、はたして国の手先ではなく県民側に立てるのか。正直なところ、なんとも心もとなく、心配だ。

 今村前大臣は東日本大震災の被害に関して「まだ東北で良かった。もっと首都圈に近かったら甚大な被害が出た」と口が滑り、ひんしゅくを買った。間違いではないが、被災者にとっては、デリカシーがなく、気持ちを逆撫でする言葉といえる。
 先日の自主避難者の自己責任論のときもそうだったが、被災地で暮らすものとしてはそこに、決定的な意識のすれ違いと温度差を感じてしまう。

 今回の発言は「原発は過疎地域に」という立地の前提とも重なり合っている。電気を供給する側と使う側、中央と地方、そして原発事故後の福島と福島以外。そこには現状認識と皮膚感覚という点で決定的なズレがある。この大きく熱い壁を取り払うには国会や官庁、東電本社を、原発事故の被災地に持ってくるしかない。まずは復興庁からだろうか。   
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2017年04月13日

人生フルーツ

シネマ帖 「人生フルーツ」という記録映画がある。高校の同級生から「いい映画」だと教えられた。ポレポレ東中野で2回観たのだという。上京する用事があったので、3連休の日曜日の夕方、ポレポレに行ってみた。立ち見が出るほどの盛況だった。そして心が洗われた。

 風が吹けば、枯葉が落ちる。
 枯葉が落ちれば、土が肥える。
 土が肥えれば、果実が実る。
 こつこつ、ゆっくり。
 人生フルーツ。

 このフレーズが、樹木希林さんのナレーションで繰り返される。名古屋のベッドタウン、高蔵寺ニュータウンで暮らす90歳と87歳の老夫婦の物語だ。夫の津端修一さんは建築家で、奥さんの英子さんは素材にこだわる料理上手の主婦。300坪の敷地に雑木林を作り、野菜や果物を育てている。
 修一さんは建築家と煎って家を設計するのではなく、日本住宅公団で新興住宅団地を設計していた都市計画の専門家。阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などをつくった。高蔵寺ニュータウンも自らの設計だが、高度経済成長時代で思い通りにならなかった。山は削られ、緑が少ない、無味乾燥な団地になった。そこで自らがそこに住むことを決意し、家を建てて敷地内に樹木を増やしていく。
 家はワンルームで、師であるントニン・レーモンドの家を、ほぼ復元した。そして50年。家の周りは雑木林になり、畑ができた。開発ではげ山になってしまった場所は、修一さんが「どんぐり計画」を提案し、周りの人も巻き込んで立派な山に再生させた。

  この淡々とした映画にこれほどまでに惹かれるのは、肩肘張らない2人の人生哲学とライフスタイルだろうか。それが生活の空気になり、こちらにも伝わってくる。それは歳月が育んだものでもあり、自分が変われば周りも変わる、という教えでもある。
 英子さんは、人で買い物をする。長年つきあい培った人間関係によって育まれた信頼は、決して裏切らないから。なじみの店に行き、話をしながら材料を選ぶ。
 修一さんは頭だけでなく、体と手を動かす。せっせと自筆の手紙を書き、孫のためにシルバニアファミリーの家を作る。理由は「プラスチックはだめ、木じゃないと」。自分が使うスプーンなどの食器も木製と決めている。

 撮影は2年に及んだ。そして修一さんは「人生最後の仕事」という空間設計を楽しみ、昼寝をしたまま帰らぬ人になった。残された英子さんは二人三脚の日常が壊れ、呆然自失の日々を送っていたが、いまはテレビに凝っている。お気に入りは「酒場放浪記」で、それを聞いた樹木希林さんが英子さんを誘って、居酒屋に行ったという。

 「人生フルーツ」か。温かくて静かで、優しい風や日だまりを感じさせてくれる、いい映画だった。

 

  
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2017年03月31日

2017年いわき市人事

1面−1   いわき市の定期人事異動が発表された。清水市政1期目としては最後の人事で、あとは9月の選挙へと向かっていくことになる。外向きのアピールポイントとしては、まず女性職員の登用。市始まって以来の女性部長(教育部長)を誕生させ、昇格も積極的に行った。もう一つは、公民連携とシティセールスの強化。創生推進課のなかに推進組織(グループ制)を設けた。

 人事の意味について、考えてみる。基本は、市長の思いや政策を体現するための人的配置ということなのだろうが、そこに市民の姿がなくてはならない。それは市民本位の市政にするために、どういう人的配置が必要なのか、ということで、グローバルな視点による適材適所が求められる。今回の人事、はたしてどうだろうか。
 女性登用については、「ポストや機会を与えて育てる」ということだろうか。この姿勢は就任当時から一貫している。きちんとした仕事をすればきちんと評価されるという雰囲気ができれば、意識も変わってくるからいい方向にいくのは間違いない。ただ機会を与えることと、きちんとした評価の兼ね合いが難しい。女性登用で市長のイメージアップにする、という思惑も見え隠れする。

 もう一つ気になるのが、退職職員の再就職。市が斡旋するかたちで、公共的な意味合いが強い団体や施設で何年か働く。慣例化しているのでとやかく言うつもりはないが、要は責任のある立場にいて、きちんと職務を果たしているのか、ということだろう。教育文化事業団や草野心平記念文学館、ほるるなどに、市職員OBのポストが用意されているのだが、仕事の取り組み方に温度差が見える。

 今回、いわき市立美術館長が退職し、引き続き館長職にとどまることになった。異例の人事のうえに、宇都宮市立美術館の館長を兼ねるという。きちんと職務を全うできるのだろうか。昨年からアリオス館長を兼ねている美術館の副館長がそのまま、というのも腑に落ちない。このほかにも教育文化事業団の常務理事が4年目に入り、総合政策部長が部内の創生推進課に引き続きとどまるなど、首をかしげることが多い。どんな意図や目的でこうなったのか、問いたい。市執行部は何を考えているのだろう。

 一番は客観的に見た仕事ぶりであり、市民の評価だろう。美術館や教育文化事業団関連の施設(伝承郷、心平記念館など)の運営は市民に寄り添っているのか、今回の継続人事は市民感情からいって支持されるものなのか。それをしっかりと考えるべきだと思う。 
  
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2017年03月29日

舞台版「あさま山荘への道程」

あさま山荘 舞台版「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」を観てきた。新宿三丁目のSPACE雑遊。原田芳雄が書いたという看板を目印に狭い階段を降りていく。80人も入ればいっぱいになってしまう、小さな劇場。そこで、アジトでの惨劇やあさま山荘内部のやりとりが再現される。休みなしのぶっ通し2時間。それが長く感じられないほど、緊張感にあふれていた。あらためて「芝居というのは、その場限りの一期一会。ライブなんだ」と実感した。

 いまは亡き若松孝二さんがメガホンを執った同名映画の舞台化なのだが、正直なところ、延々と続く血の粛清シーンが蘇ってきて、気が進まなかった。若松さんの映画には、つい目をそらしたくなるようなリアル感があり、「どんな舞台を見せられるのだろう」という不安のようなものがあった。さらに理屈っぽく退屈な舞台の姿が浮かんで頭から離れず、二の足を踏ませていた。でもそんな思いは、最初のシーンで打ち消された。観衆の目を釘付けにさせる、圧倒的な幕開けだった。

  台本と演出はシライケイタさん(42)。蜷川幸雄演出の「ロミオとジュリエット」で役者デビューし、演出も手がけるようになった若手の注目株で、オーディションで出演者を決めた。240人のなかから選ばれた、ほとんど無名の20人。演出家も含め全員が連合赤軍事件のあとに生まれた世代だ。45年前に革命をめざした過激な若者たちを、現代の若者が年齢という唯一の共通項を拠り所に、悩みながら思いをぶつける。そのひたむきさが、いい空気を生み出していたのかもしれない。 

 シライ演出は、メリハリが効いていてテンポがいい。学生運動や事件の複雑な背景を、出演者によるナレーションを中心にシーンや台詞でかみ砕き、青春群像という調味料をふりかける。死人が出るたびにマッチでろうそくを点し、映画にはなかった幻想シーンを組み入れた。
 遠山美枝子が死んだシーンではレバノンにいるはずの友人、重信房子が現れて会話する。バックにはけだるい浜田真理子の「アカシアの雨がやむとき」が流れ、「ふー(重信房子の愛称)、わたしの方が早く死んじゃったね」という台詞に、会場の若者たちが涙した。この舞台は日を追うごとに話題になって評判を呼び、終日近くには満員札止めの回が続いた。

  あれから何日も経っているのに、舞台のことが頭から離れず、さまざまなシーンがが浮かんでくる。これは何なのか。一つは狭い空間での臨場感であり、観衆が天空から若者たちを見守るような演出の巧みさなのだろう。そして役者たちの、手抜きのない一途さが心を揺り動かす原動力になったのだと思う。
 「いわきでも上演してもらえたら」と思うのだが、いまのところ再演も巡回公演の予定もない。

 浜田真理子「アカシアの雨がやむとき」https://www.youtube.com/watch?v=6FvCwu4XVDs

 「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」= 写真C 若松プロダクション・スコーレ

 

  
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2017年03月14日

3.11の海

 3月11日は、少薄磯し寒かったが空がきれいだった。必ず行くことにしているのは、大きな津波被害に見舞われた薄磯地区。新たに慰霊碑が建てられ、その中に小学四年生で帰らぬ人となった鈴木姫花さんの名前も刻まれた。午前中から多くの人が訪れ、海を眺めながらありし日の記憶をたどった。

 7日、久之浜から海岸線を南下した。四倉から新舞子に入り、薄磯、豊間と回った。どの地区も防潮堤の建設とかさ上げによる区画整理、高台移転が急ピッチで進んでいて、小さな黒松の苗も植えられている。それは驚くほどの変わり様で、かつてのまちの姿は影もかたちもない。

 久之浜も薄磯も豊間も小さな漁師町で、細い路地が網の目のように走っていた。そこに家がへばりついていたからひとたまりもなかった。巨大な波の力で家が山側に押され、瓦礫の山になった。
  趣のあった豊間の細いクランク道路は太い直線道路になり、まるで新興団地のようだ。それは薄磯や久之浜も同じで、時が育んできた歴史や文化がすべて失われてしまった。薄磯では道路わきに桜が植えられる。何年か先に桜の下に集って、遠い日の話ができるようになれば、と思う。  
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2017年02月28日

いのちのひかりが

野の草も、木も、花も
かつての美しさは色褪せてしまって
いのちの気配すら
もう、ここには、ないのかもしれない。

ひとが住めない土地に、芽生えるのは
ガラス細工のように巧妙な
偽物のひかり。
優しいことばが
むしろ、苦役で。
たくさんの、こころを
傷つけていることにも、気づかない。

警戒区域は、立ち入りが禁じられているので
霧のように、ひとの視界は
けぶっている。
ひとの未来も、けぶっている。

放射能の薄い皮膜で、覆い尽くされてしまった土地。
廃墟のような
ふるさと。

無言の山河に
いくら呼びかけても、だれも応えないだろう。
目を凝らしても
ひとのこころが、見えることはないだろう。

それは
ひとが住めない土地のさだめ。
ひとは、傷みと
苦行のような日常を、自らに強いている。

そこを
歩いているのは、薄い紙のようなひとだろうか。
ペラペラとした肉体で、
いのちの影が、とても薄くなったひと。

しかし、それは
かすかないのちのひかりが
雑草のように、ここでははじけ散ったからにすぎない。

だから、ひとよ。
虚飾の舌で
優しく、希望を歌うな。
偽りの声で、声高に、愛を叫ぶな。

こころが
震えているだろう。
いまも、小刻みに、震えているだろう。

DSCF1348 この詩は、いわき市に住む斎藤貢さん(62)の詩「いのちのひかりが」。『汝は、塵なれば』(思潮社刊・2500円+税)のなかに入っている。昨年11月、『チェルノブイリの祈り』の著者で、ノーベル文学賞ジャーナリスト、スベトラーナ・アレクシェービッチさん(68)と会い、この詩を自ら朗読した。

 斎藤さんは震災・原発事故当時、小高商業高校(原町市小高区)の校長で、その渦中にいた。教員生活を送りながら詩を書き続けた斎藤さんの人生にとって、それは想像を絶する出来事だったと思う。同じ福島に住む者として、この詩は真っ直ぐ心に届く。

 アレクシェービッチさんは「福島を訪ねたい。事故に翻弄された小さき人々の話を聞きたい」との思いを抱き続け、5年越しに思いが実現した。その様子がNHKBS1スペシャル「アレクシェービッチの旅路」(2月19日放映)によって紹介された。そのなかで斎藤さんや取材をしたことがある長谷川健一さん(飯舘村から伊達市の仮設住宅に避難)などがアレクシェービッチさんと会っている。

 アレクシェービッチさんはベラールーシ在住。ソ連の崩壊後、独立したがロシア寄りのルカシェンコ独裁政権になり、厳しい言論統制が続いている。アレクシェービッチさんは、チェルノブイリ原発事故から5年後、原発の近くで働いていた医師の妹を癌で亡くし、その娘である姪を引き取って育てている。当局の弾圧が厳しく、一時西欧に逃れたこともあったが、いまはベラルーシで暮らしている。
 
 東京外語大で行われた講演会で、アレクシェービッチさんは険しい表情で若者たちにメッセージを送った。
 「私は過去を見ているのではなく未来を見ているのです。はっきりしていることがあります。国家は人間の命に対して完全な責任を負わないということ。一時的な補償ですべてを終わらせてしまいます。だからこそ、新しい知や哲学で抵抗の文化を創る必要があるのです。チェルノブイリと福島でこれほどのことが起こったというのに、抵抗の文化がないのは、なぜなのでしょう。全体主義が色濃い私たちの国はともかく、日本ではなぜなのでしょう。それを考えなければいけません。若い世代に言いたいのは、孤独でも人間であり続けること。それ以外にあなたをこの世界で守ってくれるものはありません」
 
 また3.11がやってくる。


  
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2017年02月27日

「なお吉」で一杯

DSCF8366 フォーク者・イサジ式(ツトム・イサジさん)は月1回、いわきにやってくる。時間があるときは連絡を取り合って街に繰り出す。「うまいものをいい気分で飲んで食べたい。しかも贅沢せずに」というのがモットーだから、いい居酒屋を探す楽しみもある。 
 
 先日はまず、「さわきや」での試飲からスタートした。ひとつの銘柄を冷やと燗で飲むと150円。「磐城壽」に狙いを絞り、二種類試した。印象に残ったのは「アカガネ山廃純米」。雑誌「dancyu」で一番魚に合う酒として紹介されたという。個性的だが飲み口がいい。お薦めだ。

 ほろ酔い気分で「てとらぽっと」へぶらぶら向かった。ところが看板が消えている。「家庭的な雰囲気で料理もうまい」と聞いていたのだが仕方ない。そこで「なお吉」にすることにした。「二人ですが空いてますか」と尋ねると「座敷を準備します。どうぞ」という。カウンターはすべて埋まっていて、奥に通された。
  実は、ここの店主は富岡からの避難者で、以前取材したことがある。「安くてうまい」と評判だが、前を通るたびにいつも混んでいる。バタバタ飲むのが苦手なので、様子を見ながら通り過ぎることが多く、入ったことがなかった。 
 定番の焼き鳥セットは5本盛りで6百円ちょっと。ボリュームがあって、とてもうまい。おねえさんが「枝豆豆腐おいしいですよ」と言うので注文すると、これもいける。瓶ビールのあとグラス生を注文したのだが、コップのサイズが大きく得した気分になった。

  いい店の条件は安くてうまいのはもちろんだが、客にストレスを与えないこと。注文しても忘れられたりなかなか来なかったり、声をかけにくかったり、常連とそうでない客の待遇が明らかに違ったりすると、気分がいいものではない。ところがこの店は、そういうことがまったくない。反応が早いし、料理もすぐ出るし、味や見せ方も工夫されている。しかもきれいだ。 勘定をお願いしたら2人で4400円。きれいに割り勘にして気分よく店を出た。


 これは追伸。そのあと「なお吉」の前を通ったら、「てとらぽっと」が隣に移ってきていた。「玉乃湯」があった場所で、びっくり。こんど行ってみようと思う。

  
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2017年02月26日

若松孝二さんの連合赤軍

0094_02 いまは亡き若松孝二さんが監督した映画「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」の舞台版が3月9日から、新宿の「SPACE雑遊」で上演される。「若松孝二生誕80年特別企画」と銘打たれていて、若松さんの映画上映やゲストによるトークも予定されている。事件から四十五年。あの映画がどんな舞台になるのか、興味深い。

 9年前の3月14日だった。春を思わせるような雨が降っていた。若松さんが知り合いに連れられて編集室にやってきた。その日の夜、ポレポレいわきで「実録・連合赤軍」を上映してトークショーを開くことになっていて、あいさつにきたのだった。「話を聞きたいのですが」と水を向けると「どうぞ」と言う。おそるおそる取材が始まった。「若松孝二」という人間そのものにぶつかりたかったので、あえて予備知識は入れなかった。若松さんは面倒くさがらずに自らの生い立ちを話し、「なぜ連合赤軍の映画を撮ったのか」を静かに語り始めた。

 あさま山荘での銃撃戦で連合赤軍のメンバーが逮捕されたあと、。「血の粛清」と呼ばれたなリンチ殺人が公になる。その事実が明らかになればなるほど、その仕打ちの残酷さにだれもが身震いをして目を覆った。でも若松さんは、若者たちの行為を切って捨てるようなことはせず、冷静に見ようとした。
 「声を大きくして、いやなものはいやだと言っていた若者たちが、閉ざされた空間に入り、猜疑心と嫉妬で犯罪を犯した。こういう問題は相撲部屋や軍隊にもあり、権力を守ろうとすると、いじめというかたちで必ず出る。それは日本人が持っている闇だと思う」
 若松さんはそう言った。

 それまでに何度か映画化された「連赤もの」。どれ一つとして納得いくものがなくて、もやもやが募っていた若松さんは「自分で撮るしかない」と決意する。オーディションを行い、「もし自分が赤軍の一人だったらどうする」と、それぞれに問いかける。そして「あのなかでどういう会話があって何が行われていたのか。事実にこだわりたい」と強く思うことになる。フィルムは5時間にも及び、うち粛正のシーンが3時間。おそらく若松さんは撮影を通して若者たちの行動を再現し、魂で本質をつかみたかったのだろう。最終的には半分にカットされた。

 「若者たちには自分たちのために自分の国のことを考えてほしい。オブラートに包んで隠そうとするものの本質をつかみとってほしい。飼い慣らされてはいけない」と言っていた若松さん。あの映画では「臭いものに蓋をしてはいけない。現実から目をそむけず直視しろ」と言いたかったのかも知れない。

 2012年の秋、新宿を歩いていた若松さんはタクシーにはねられ、帰らぬ人となった。編集室で会ってから3年半後で、あっけない最期だった。でも若松プロダクションは存続し、その公式ホームページには「俺が死んでも映画は残る。映画に時効はない」というメッセージが掲げられている。闇の正体を追い続けた75年の生涯だった。


  
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2017年02月14日

アイビー道

VANブランドタグ NHK朝の連続ドラマ「べっぴんさん」を事実と重ね合わせてみる。「キアリス」は「ファミリア」、「オライオン」は「レナウン」、そして「エース」は「ヴァンヂャケット」。昭和30年代にアイビーブームを巻き起こし、53年に倒産した「ヴァンヂャケット」の創業者・石津謙介は、ドラマと同じように、戦後「レナウン」で仕事をしていた。

  「VAN」「Kent」「Wrangler」…。これらのブランドを身につけることが若者のステータスになり、ファッションとデザインと雑貨が組み合わさった文化が生まれた。ボタンダウンのシャツにレジメンタルタイ、コットンパンツ、デザートブーツ…。スマートで清潔で、だれもが魅せられた。

 いわきのVANショップは平の西村屋横丁にあった「メンズショップSUN」。喫茶店もやっていたから、たちまち若者たちのたまり場になった。そこには、いまは亡き鈴木延枝さんがいて、個性豊かな常連がたむろしていた。それはミステリアスな店だった。そういえばいま、街でおしゃれな男を見かけることがめっきり減った。

 もう還暦を過ぎたというのに、「アイビー小僧」が抜けない。でもデパートのないいわきで手に入るのはユニクロかヨーカドーブランドになったKent、そしてレナウンの「シンプルライフ」ぐらい。悲しい。でも一応、アイビー道を貫いている。
   
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2017年02月13日

映画「沈黙」のこと

沈黙 遠藤周作の『沈黙』を読んだのは高校生の時だった。ロドリゴが踏み絵に足を置いて棄教する場面が、よみがえってくる。「アリスの恋」「タクシードライバー」「ラストワルツ」のマーティン・スコセッシ監督が30年近く温め映画化を実現させた。悲しいけれど静かで美しい。

 溝口健二の「雨月物語」が好きだというスコセッシ。江戸初期の長崎の雰囲気を出すのに台湾をロケ地に選んだ。長崎奉行・井上筑後守役のイッセー尾形が濃霧の中、馬に乗って近づいて来るシーンがある。目を凝らすと少しずつ輪郭が見え始める。霧と雨、日本特有の湿った気候が見事に表現されていて効果的だ。そういえば「タクシードライバーでも濃い霧の中から黄色いニューヨークのタクシーが現れるシーンがあった。

 日本で布教活動をしているはずの師が拷問を受けて棄教した、との情報を得た若き宣教師・ロドリゴが、日本に密航する。着いたのは長崎。そこで隠れキリシタンたちと出会い、弾圧の中での葛藤が始まる。
 ロドリゴのモデルとなったのはイタリア出身の実在の神父ジュゼッペ・キアラ。棄教後に岡田三右衛門の名と日本人妻を与えられ、江戸小石川の切支丹屋敷に40年住んで、80年の生涯を終えた。遠藤周作は「岡田三右衛門」の存在を知って小説の着想を得た。映画では、熱湯を浴びせかけられたり逆さ吊りさせられるなどの拷問が、再現されている。
 映画はに江戸初期の日本が舞台なので、ほとんどが日本人俳優。オーディションで配役が決められた。なかでも一番印象深いのがキチジロー役の窪塚洋介だろうか。マカオから手引きをしてロドリゴを日本に潜入させたにもかかわらず、長崎奉行所にその居場所を知らせる。この弱さの象徴で情けないキチジローを窪塚が好演している。さらに隠れキリシタン役の塚本晋也、笈田ヨシの演技が実にけなげだ。

 この映画を見て思い出したのはかつてノルウェーの宣教師から聞いた、「ジャングルに布教に入って首苅り族に殺されてしまった歴史がある」という話。井上筑後守が「この国にキリスト教は根づかない。あきらめろ」と言い放つ場面も記憶に残る。
 宗教による分断、対立、弾圧は古くて新しい問題であることを再認識した。

  
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