2016年08月15日

終戦記念日と五輪

DSCF6212 きょうは終戦の日。日中は相変わらず暑いが、朝晩はめっきり秋の気配が漂うようになった。
 テレビは連日、リオ五輪のオンパレード。その間隙を縫うように、イチローが3000本安打を達成し、天皇陛下が生前退位を示唆する内容を読み上げた。8月は広島と長崎の原爆の日もある。五輪の結果に一喜一憂しながら、知らない戦争に思いをはせる。

 リオ五輪を見ていると自然に、4年後の東京五輪について考えてしまう。リオでは「五輪阻止」の反対デモが行われ、「みんな金がなくて困っているのに、なぜ五輪をしなければならないのか」と、激しい抗議を続けている。それもあって開会式はかなり節約されたという。でも決して貧弱な感じはせず、ブラジルの歴史や魂が表現されていてよかった。

 なぜ五輪が7月から8月という猛暑の時期に行われるのか。莫大な放映権料と視聴率が関係している。大きなイベントと重ならないようにして、世界の注目を五輪に集めるためには、この時期が一番いいのだという。そこにスポーツの祭典ではなく、商業五輪の本質を見ることができる。4年後の東京も当然のように、7月24日の金曜日が開会式、8月9日の日曜日に閉会式が予定されている。おそらく猛暑とゲリラ豪雨対策い頭を悩ませることになるのだろう。

 昭和39(1964)年に開かれた東京五輪の開会式は10月10日に行われた。小学5年生だった。真っ青に澄み切った空に描かれた五輪マークが印象的で、市川崑監督のドキュメンタリー映画「東京オリンピック」にわくわくした。映画はオリンピックによって変わりゆく東京を活写していた。時代背景や国民の意識から考えても、アジアで初めてのオリンピックを開催する意義はあったと思う。

  でも2020年はどうだろう。やはい「経済」の二文字が頭をもたげてくる。「五輪で目をそらし、原発事故をカモフラージュする気なのだろう。そのために避難区域の帰還を進めている」とも思える。何より危惧するのは「五輪?やっているときですか」という反対意見が言いにくくなることだ。

 震災が起こったばかりだというのに、なぜあれほどまでに東京誘致にこだわったのか。その答えが示されていない。熱狂の渦にかき消されてしまっている。これが「復興の象徴として仙台で開きましょう。津波被害に遭った海岸線に新幹線を整備し、地方都市の再生もめざす五輪にしましょう」ということだったら、安倍内閣も捨てたもんじゃないね、と思えたかもしれない。

 アスリートたちの活躍に心躍る日々だが、終戦の日は終戦の日らしく過ごしたいとも思う。そして五輪に一喜一憂できるいまがあることに感謝したい。



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