薩摩佐幕派

幕末と新選組と居合を愛する薩摩人。 お時間のある方はどうぞお付き合いください。

2007年08月

鈴置さんの声はよかったよな

今日は黒鉄ヒロシの「新選組」から中井庄五郎の話。

知ってる人は知っている、四条大橋での斬り合いで新撰組がわは沖田・永倉・斎藤の三人が中井庄五郎・片岡源馬とやった事件です。
沖田さんの最後の活躍シーン(?)でもあります。

この中井庄五郎、居合の達人だったと言われています。

で、四条大橋でケンカになったとき刀を抜かない中井らに斎藤さんが居合を使うことを見抜いてしまいます。
見抜かれてかっとなった中井らは刀を抜いてしまうのですが、そこで斎藤さんが一言

「居合が抜いちゃあおしまいよ・・・」

ぐっはぁぁぁ!!
かっこいい!!!

この斎藤さんは「るろうに剣心」の斎藤さんっぽいですね(^^)
触覚がたまらん!

るろ剣といえば「抜刀術」ですが、これ、居合とはちょっと違うんだそうです。
詳しくは分からないんですけどね。
抜刀術を「いあい」とよむ古流もあるらしいから。

で、この台詞を居合をやる知り合いに聞いてみたところ、居合は居合で抜いた後の動きもちゃんとあるので最初の抜き打ちだけが全てじゃない、と言ってました。

確かに抜いた後、さらに追い込んで斬る動作はありますしね。
おしまいじゃないんだよ、斎藤さん!!(笑)
なかなか奥が深いです。居合。


さて、四条大橋でケンカになった中井庄五郎、このあと斎藤さんと再びまみえます。
「天満屋事件」です。
どっちが生き残ったかは、生き延びた方が勝ったに決まってますね(笑)

返済は計画的に

4bc497c4.JPGその昔、薩摩は大変な貧乏なお国でした。

理由の一つは武士が多い事。
国が大きい分、いやそれ以上に武士を抱えていました。

もう一つは土地がやせている事。
薩摩にはご存知桜島があります。
典型的なシラス台地なんですね。
今も桜島は立派な活火山で、昔は今より活動も盛んだったろうから、火山灰もうんざりするほど降ったはず。

私が子供の頃は今よりも酷くて、灰がバチバチ音を立てながら降るんですよ。
白い服を着ていたら繊維に灰が入り込んで選択しても落ちないんです。
降らなくても風で巻き上がる灰で髪はぼさぼさ、ばりばりしてました。
硫黄の匂いが立ち込めて、灰の熱で畑のミミズが地中から這い出てきたりしてました。
雪に足跡がつくように、積もった灰に足跡がついたりしてましたっけ。
しかも市内に降るのは夏だったから、窓が開けられなくて学校では暑い思いをしました。
(クーラーとか今だほとんどついてない。扇風機もない。耐えねばならんのだよ)
桜島の爆発音で窓ガラスが割れることもしばしば。
夜は噴火すれば火柱が見えてきれいでした。
マグマの動きで山が地鳴りしたり、ちょっと前まではワイルドな所でした(笑)

話がそれました(^^;)

薩摩の貧乏にはもう一つ理由があって、それが島津重豪の無駄遣いでした。
このひと、新しい物好きだったみたいですね。
必要かどうかを考えると必要かもしれないけど今じゃなくてもいいんじゃない?的な物を次々と仕入れてくる。
こと外国の物事など興味満タン。
それでもそれなりに財政改革をやってみたけど、追いつく物じゃない。

それを立て直したのが「調所広郷(ずしょ ひろさと)笑左衛門」でした。

なんと500万両もの借金をいろいろと強引な形で250年の無利子返済として、果ては50万両の貯金まで作り上げました。

250年ということは当時から換算して西暦2085年まで、ということで・・・・

ほんとはまだ借金返さないといけないんですよねー(^^;)
それも廃藩置県のときに無効になったので返さなくていいことになっちゃったんですが・・・

さて、この人がこれだけがんばったのに、世間では当主争いが起こってます。
「斉彬vs久光」(別名お由羅騒動)です。

斉彬は今では現代鹿児島を作り上げた人となってます。
が、当時の薩摩では斉彬はあまり好かれてませんでした。

斉彬は薩摩の人間、といっても江戸生まれの江戸育ちです。
薩摩に帰ってきても言葉が通じない、分からない。

薩摩の人間は「なんじゃあやつは。薩摩弁をしゃべらんが」と快く思ってなかった人が多かったみたいです。

しかも新しいもの好きの重豪にかわいがられたところもあってか斉彬もよく似通ったことをしだします。
ガス灯を作ったり反射炉を作ったり日記はローマ字で書いたり。。。

当然、また貧乏に逆戻りをするのでは!?と周りは考えます。
調所も当然そうだったでしょう。

でも結局彼は「はめられて」失脚します。
最後は服毒自殺だったとも言われています。

もともと勘定方ではなかった調所は何度もこの仕事を断っています。
結局断りきれなくなって引き受けて、必死で頑張って信じられないような借金地獄から立ち直らせて、あげくはめられて。

この人がいなかったら、きっとあとあとの維新もならなかったかもしれません。
借金があったら最新の軍艦とか大砲とか持てないし。
ただ借金の踏み倒し方がちょっと強引だったけど・・・(−−;)
(一応返してはいます・・・30年くらい??かな・汗)

悪代官的なイメージがあるけど、私はこの人はもっと評価されてもいいんじゃないかと思いますね。

写真は市内の天保山(てんぽざん)公園にある調所の銅像。

武士の背中

さて。

落ちることが奇跡、といわれた昇級試験からこっち、気が抜けまくってます(笑)
しかも仕事でまた肘を痛めたので、思い切ってしばらく居合の練習はお休みすることにしました。
先はまだ長いしね・・・・






あー、刀振りたい・・・(笑)

そりゃ欲求不満にもなりますよ。
そりゃ当然ここで吐き出すでしょwww

居合をやってるといろんな声が聞こえ始めます。
よく聞くのが「制定」と「古流」の違いについて。
どちらもそれぞれいろんな言い分があるようですね。

それから「実践」について。
実践(真剣での立会い)でやったときはどうなのかって話です。
これについては私は新撰組の永倉新八の言葉を尊重したいです。
手元に資料が無いのではっきり書けないんですが・・・

「いざ斬り合いとなると形どころではない。敵も必死ならこちらも必死。気合で負けたほうが死ぬ」みたいなことを言ってるんです。
それでもその中で何度も死線を潜り抜けてきた人達が剣豪とか、達人とか呼ばれるんでしょうけどね。
いざそのときになったら「受け流してこう斬り付けて・・・」なんて私にはやってられないでしょうしね(笑)

でもですね、私の愛する漫画「はじめの一歩」によると(笑)
訳分からなくなればなるほど、普段何十回、何百回と練習したことだけ出来るようなので、剣豪になるほど練習した人はどんな状態でも形がでるのかな・・とも思ったり。
「天才はみな、すべからく練習している」のですよ(by鴨川会長)
「明日のために、その1!その1!その1!」
この言葉を信条としたおかげで肘やっちゃったんですけどね・・(程を知れ)

あと私がここまでなるに至る原点「風光る」で沖田さんが右手と左手を変えて練習してましたが・・・・(手に変なマメ作ってましたね)

うちの師範代は普通にやってます(笑)

ずいぶん前なんですが、私がうまく振れないので師範代が「右と左が逆になっても同じなんですよ」っていって、やってみせてくれたんです。
他のどの先生もたぶん一緒なんじゃないのかな?
世間を知らないから分からないんですけどね。

制定は出来てまだ若いんで仕方ないのかもしれませんが、古流にしても何百年もの長い歴史があるわけで、その歴史を無視したようなおこがましい事はとてもいえる訳ないわけで。
それでもその歴史の中から今の制定も生まれたわけで、やっぱそれも時代の流れに必要な事だったんだろうと思ったり。

あまり難しい事は考えず、でもいろんな考え方は尊重できる底の深い人になれたらいいんですけどね。

あーちょっとすっきりした(^^)
ぱっつぁんの本買わなくちゃー♪

一人勝ちってしてみたいよね。

怒涛の居合の昇級審査が終りました。

いやー、疲れた(^^;)

私がお世話になっているのは夢想神伝流の同好会で、今は全日本剣道連名の制定居合を習っています。
5月の終わりごろから始めて約3ヶ月。
一生懸命練習したし、一生懸命ご指導もいただきました。
おかげさまで無事に級はとれたけど(居合は1級から)内容はイマイチでした(−−;)
反省だらけです。

さて、初日は講習会。
自分が受ける級や段に分かれて、それぞれに先生がついて指導してくださいます。
私は初級なので同門の人と一緒に初級の講習を受けました。

受けた人数は7人。
ほとんどが女性でした(女子大生でしたよ!)
私を含め、みんな経験が浅いのですが、先生の少しのアドバイスで形がピシっときまったりするのは「さすがだなぁ」と思いましたね〜。
とてもいい勉強になりました。

受験当日は少し増えて9人に。
小学生の男の子もいました。
いるんですねぇ、小学生でも居合をやる子。
剣道やってるのかな。やっぱ剣道やってると入りやすいんでしょうかね。
振りも様になっててかっこよかったですよ(^^)

二日目は午前が講習会の続き。学科試験(!)の説明。
そして上段者の模範演武。

もちろん私を教えてくださる先生も出てました。が。

もうね。
うちの先生すごいわ。
おかしいんじゃないの?ってくらい一人だけレベルが高い。
この先生に習っていて間違った日にゃあ、周りからどんな目で見られるか・・(((( ;゚д゚)))アワワワワ


そしていざ本番。



やっちまいましたよ・・・・




ええ、袴ふんずけましたとも。
それも最初の抜きつけで。




ガ━━(゚Д゚;)━━ン!



とりあえずコケずにすんだので、動きが止まっちゃったけど知らん顔でつづけましたが、踏んづけた瞬間に頭が真っ白に。

落ち着いて、とかそんなもんじゃありません。

もう何やったか覚えてないです。
他にも間違えた瞬間だけはよくわかってて、その瞬間にまた血管爆発。

よく3つもできたもんだよ・・・・


終ってみれば他の先生方からはお褒めの言葉をいただきましたが、心の中は凹みっぱなし。
だいたい今回の試験はレベルが低かったようです。
他の段位では「ほんとなら合格者はいない」と話される先生もいらっしゃったくらいです。
級も全員合格でした。
でもこれで「居合を始めました」言えるところに立ったばかり。
来年春の試験で今回初級を受けたみんなの差が出てくるんだと思います。
全員がまた合格できるといいな・・・・


なんて甘いこたぁ言いいません(笑)
負けねぇぞ!!!






花の命は短くて

篤姫の本を読んでますが、薩摩って幕府とこんなにも仲良くなりたかったのか、と思いましたねー。

なんというか徳川家に直接の関係を持つことに苦労が見える。
だから篤姫が御台所に決まったのも斉彬の画策のように言われるのでしょうが、この本ではそれは間違いで、徳川家から薩摩に誰か良いような娘はいないか、と打診があったとしています。

時期を見ても、ま、そうなんでしょうね(あまり深く考えないタイプ)

徳川家の嫁は天皇家や宮家、鷹司とか近衛とかそんなところからとってます。
島津家は異例なんですね。

そこまで苦労してつなげた物を、なんで倒幕へと傾いたのか。
ぶっちゃけると篤姫を徳川家におくって喜んだのは斉彬で、倒幕を決めたのは久光だから。
ぶっちゃけすぎたかな?
まぁ、ちゃんとした理由はいろいろあって、いろいろ言われてるけど、それはそういうのを考えるのが好きな人に任せようかなと。

篤姫は最後まで実家に帰ることを拒否しています。
「嫁いだ家から帰れとは自分にどんな落ち度があったのか」と啖呵きってます。

かっちょいいい〜〜!

これが薩摩おごじょだよ!(笑)
姐御と呼びたいっすね(^^)

和宮との確執はもう書く必要あるのかな(笑)
ちょっと意外だったのは篤姫と和宮はわずか11歳しか違わない事。
ドラマ大奥ではもっと年が離れてたみたいでしたが、姉妹でも通じる年の差。
初対面は和宮17歳、篤姫28歳。

若い(^^;)
そりゃケンカも遠慮ないわな。

晩年は二人協力し合って下働きの人達の面倒までちゃんとみてます。
和宮の方が一足先に亡くなりますが、篤姫は晩年の最初で最後の旅行で、和宮の最後となった箱根の塔ノ沢温泉に出向いてます。

立つ鳥跡を濁さず

素晴しい女性であった事は確かなようです。


( ・ω・)つ旦 閑話休題

最近リンクしてくださる心優しいサイト様が増えたのでちょっとご紹介。

リンク1は
ルンちゃんさんの底力がよーっくわかる「多摩人漫遊記〜新選組のチョっと話〜」
けっこうコアな情報を扱ってらしゃいます。
柔らかな語り口で新選組への愛情がふんわり伝わってきて、癒されます。
その他いろんなことでお世話になってます。
もう足をむけては寝れません。ありがとうございます。

続いて「一夢」
歴史ものを書かせたら最高にロマンチックに仕上げてくれる小説ブログ。
「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」の管理人さんがされています。
お気に入りは「闇の色」「救世の神」。
今進行中の「朱の染まりて」もいいです。沖田さん、藤堂さんが好きならお勧めです。
本サイトの歴史幕末小説「風雲の刻」は大作で読み応えあり!

「青いカタナと白い雲」
「たけぞう道場」のたけぞうさんがやってるブログ。
ツーリングや釣りやら楽しい話題で埋め尽くされてます。とにかく文章が面白いです。毎度笑かしてくれてます。気になったら突撃するべし!!
もちろん新撰組仲間です(^^)チェスト!

「今日は何の日?徒然日記」
今日リンクしたてのホヤホヤ(^^)
indor-mamaさんが広くふか〜〜〜く、ちょっと変わった切り口で歴史をわかりやすく丁寧に書かれています。苦手な戦国時代もここでばっちり!勉強させていただいてます。
幕末に手を出す日も近い!?

リンクその2は
「巽の間」
火縄銃と武家茶と居合のサイトです。
味のりが居合をするに大変影響を受けました。
居合だけに関わらず江戸時代の歴史にも大変詳しくていらっしゃいます。
刀の話はどれを読んでも流石!です。

「居合のオーダーメイド アイ武道具店」
味のりの愛刀・小梅はここで購入しました。
とても丁寧に対応してくださいました。
見るだけでも楽しいと思います。




来週は試験です。今からめっさ緊張してます。
心臓に生えた毛がぬけてハゲになりそう・・・
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