北海道に行く前の取材ですが大阪城に砲兵工廠目的で行ったときに見つけた物件。実際には廃墟では無く筆者とにんべん氏が取材に行った際も中では何か行われていたようです。
画像1

大阪を代表する観光地、大阪城。この天守閣のすぐ側にある古い建物が今回紹介する旧大阪市立博物館です。
画像1

1960(昭和35)年に博物館が開館。2001(平成13)年に大阪歴史博物館オープンに伴い閉館しました。
ところでにんべん氏は「これらの施設は大阪城公園の中で大日本帝国陸軍の施設としては唯一原型をとどめていると思われます」と前回のレポートで書いていましたが実はこの博物館も元は帝国陸軍の施設です。
1929(昭和4)年に昭和天皇即位の記念事業として城内の各所に分散していた陸軍第4師団の司令部機能を集約する目的で司令部庁舎を新築。その新築された庁舎がこれの元となっています。その後1931(昭和6)年に竣工し、国へ寄贈されます。
戦後は大阪府警本部の庁舎となり府警の移転後大阪市のものとなり博物館に。閉館後現在に至るまで使用用途は未定です。
画像1

画像1

閉館から十数年が過ぎても「大阪市立博物館」の看板は残っています。
画像1

扉は閉ざされたまま。
画像1

定礎の文字に時代を感じます。博物館開館時に改修されたようですがこれは建築当初のものでしょうか。
画像1

「左右対称のロマネスク様式で、正面両側のタレット(隅小塔)や壁上端のギザイギザなどノルマン地方の古城の意匠をもとに褐色色斑スクラッチタイルで仕上られた」とWikipediaにはありますが言われてみれば古城にも見えます。
隣の城は実はこの建物と同時に建てられたものです。江戸時代の天守は1665(寛文5)年に落雷で消失。豊臣時代の天守は1615(慶長20)に大坂夏の陣で消失しています。現在の天守は1929(昭和4)年に本題の物件と共に建設されています。
画像1

明治〜昭和戦前の煉瓦造りの建物は良いです。トンネルなんかでもコンクリート造より煉瓦隧道の方が特色があって良いです。
画像1

この物件でやはり一番印象的なのが四隅についてある丸い柱(?)。恐らく装飾的なものでしょうがこの建物の象徴的なものとして筆者の印象に残っています。
画像1

この建物も多少被害があったとは言え現在の大阪城天守閣も空襲で焼けることなく現在まで伝わっています(エレベーターがついて近代的と言うか現代的な城となった大阪城は戦前とは姿が違っているかもしれません)。砲兵工廠も焼け残っていたようですがこちらは戦後取り壊されています。
このステンドグラスが戦前からのものかは分かりませんが近代の建物は現代の建物より装飾的です(ちなみに当サイトで近代と言えば明治〜昭和戦前を指すこととします。筆者の勝手な歴史観です)。
画像1

どこかの大学の施設にも見えます。

戦前から博物館をやっていたと思いきや帝国陸軍の施設だったことは以外でした。さらに大阪市警視庁→大阪府警本部も経た異色の経歴(?)の物件でした。
<おまけ・大阪砲兵工廠>
にんべん氏によってレポートが書かれた大阪砲兵工廠の現存施設に関して筆者も軽いレポートを書きたいと思います。
画像1

施設の写真を撮っている際、犬の散歩中のおばあさんが「これは史跡やねんで。戦前のもんや。」と仰っていました。
やはりある一定以上の年齢層の人は分かるのでしょう。ちなみに写真の猫は近くにいた猫です。
画像1

明治天皇聖躅碑。
「明治天皇聖躅」「砲兵二廠」
少なくとも明治時代から砲兵工廠の設備が存在していたことが分かります。
画像1

画像1

にんべん氏は「便所跡」としていたこの建物、他に守衛詰所だった可能性があります。
画像1

画像1

橋台と思われる構造物。化学分析場の裏です。

現在大阪城ホールになっている土地も元は砲兵工廠。広大な砲兵工廠の設備を今に伝えるものは化学分析場と便所跡か守衛詰所だけです。1945(昭和20)年8月14日の空襲で工廠の多くが焼け、残った建物も保存運動などを押しのけ大阪市により解体されています。化学分析場が残ったのはにんべん氏のレポートにあった通り1998年まで自衛隊の施設として現役だったからでしょう。大規模な工廠の跡を今に伝える貴重な物件でした。