【改稿・平成29年5月26日】
大正時代の水道事業の様子を現代に留める小さな逸品。ところで水道計量器室とは?

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奈良市街の北の外れ、東之阪町に件の「奈良市水道計量器室」は廃墟になりながらも現存する。同施設は大正11(1922)年に開設されたものであるが、これは奈良市の水道事業が始まった年と一致する。実に小さな建物であるものの、奈良市の水道事業にとってはある種の標石的存在であると言えよう。

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建物自体は煉瓦造りで流石に堅牢だが、屋根だけは失われているようだ。自然に消失したのか、それとも人為的に撤去されたのか、はたまた元々屋根なんてなかったのか(それはないか)は分からないが、残骸らしき物も見当たらないので恐らく屋根だけ解体されたのだろう。大方朽ち果てて危険な状態になったから撤去されたとかそんなところだろうが、屋根が金属製であれば戦時中に供出されたのかもしれない。いずれにせよ推測の域を出ない話ではあるが。

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奈良市の水道事業が開始されたとき、浄水場は京都府木津川市(当時は相楽郡木津町)の木津川河畔に築かれた。大和川も遠く水資源に乏しかった旧奈良市は県境を超えて水源を求めたわけだが、その木津浄水場と奈良市街の中間に位置するのがこの計量器室である。京都の水が奈良を潤すには平城山を越さなければならないが、この施設は京都側から平城山を越した際には丁度奈良盆地の入り口と捉えられるような位置に存在する。「計量器」がどんなものだったかは筆者には想像もつかないが、この位置は「奈良版琵琶湖疏水」にあってかなり重要な場所になっていたのではないだろうか(だからこんな施設が設けられたのだろうが)。ちなみに、京都と奈良を結ぶ国道といえば24号だが、その旧道はこの辺りを通過している。もっと言えば近世以前の街道筋はこの計量器室の前の道路であり、こんな古橋が残っていたりする。なお、東之阪町周辺には他にも北山十八軒戸や旧奈良監獄(奈良少年刑務所)といった遺産が多く存在する。

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塀にも煉瓦が用いられていたようだ。

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正面から。小さいながら装飾はかなり凝っている。
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一文字ずつ石版に彫刻された右書きの「奈良市水道計量器室」も目を引くが、その下に「水」の字を意識したかのような意匠が見て取れるのは「なるほど」といった感じであり、面白い。

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中身は一体どのようになっているのだろうか。「計量器」は残っているのだろうか。

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近所にある近代化遺産仲間の少年刑務所は廃止が決まり保存・活用の動きが見られるものの、こちらは廃止(いつ頃なのだろうか)から半ば放置され続けているような雰囲気である。まあ、取り壊されないということは保存の意思があるということなのだろう。

参考文献
・株式会社南都銀行 公務・地域活力創造部ホームページ「ええ古都なら」近代化遺産ある記 vol.19 旧奈良市水道計量器室&奈良少年刑務所(旧奈良県監獄署)項
(http://www.nantokanko.jp/isan/558.html 平成29年5月26日最終閲覧)
・奈良市ホームページ「奈良しみんだより平成24年7月号(テキスト版)特集(2~4ページ)」奈良しみんだより平成24年7月号 特集「奈良めぐり 近代建築を見つけに!」 (5ページ)項
(http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1340759572346/index.html 平成29年5月26日最終閲覧)
・奈良市企業局ホームページ「水道事業の概要 歴史と沿革(これまでの変遷)」項
(http://www.h2o.nara.nara.jp/introduce_55.html 平成29年5月26日最終閲覧)