基本的に隧道やトンネルといったものは山のものだと思いますが今回紹介する新和歌浦第一隧道は海のすぐ近く。海への近さなら関西圏トップクラスの廃隧道です。

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場所は(当たり前ですが)和歌山県和歌山市和歌浦。森田庄兵衛氏による新和歌浦開発(後述)の一環として建設された隧道です。隧道データベースによると竣工は明治45(1912)年。

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まずは西(雑賀崎)側坑口。
竣工年が竣工年ですから初めは間違いなく煉瓦積みか石積みだったはずですが現在はこんな感じでのっぺりとコンクリートとなっています。

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ただコンクリートとはいえアーチによく現れているとおり古い時代の形を受け継いでいます。と言うかコンクリートブロックっぽいです。実はあんまりしっかり見ていなかったので記憶が曖昧なのですが写真を見る限りコンクリートブロックですよね。こちら側の坑口のみが昭和初期辺りに崩壊して補修された結果こうなったのでしょう。

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そして紀三井寺側の坑口。人目があったので内部には入っていません。
もっとも短いので入らずとも内部は見渡せていますが紀三井寺側の一部分が煉瓦、中央が素掘りにコンクリ吹き付け、雑賀崎側も煉瓦でしょうか…

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煉瓦造3層巻きのこちらは数あるポータルの中でも特に奇抜なデザインです。扁額より上が。

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上部が平ではなく三角のトンガリがあり、その内側には円に十文字の紋が入っています。紀州と言えば御三家の一角、紀伊徳川家の所領なのでこれは大名絡みではなく先ほど少し触れた森田庄兵衛氏の紋です。
ここで森田氏について少し解説を。

文久2(1862)年に現在の伊都郡かつらぎ町に生まれた氏は上京し慶應義塾で学んだのちに帰郷し伊都自助私学校を設立。ほかに紀陽新聞の創刊へ携わり伊都銀行頭取を務めるなど紀州有数の実業家として活躍しました。
明治40(1907)年に和歌浦に別荘を建てた氏はこの地に惹かれ、観光地として開発を考えだすと2年後には和歌浦〜雑賀崎の土地を買収し開発を開始。明治44(1911)年には道路の整備に着手。この道路が現在の県道151号新和歌浦線です。ちなみに森田氏は同年多額納税者として貴族院議員になっています。
その後も大正時代の大戦不況に巻き込まれるまで議員としての仕事と並行して新和歌浦を開発。大正13(1924)年に死去しています。(和歌山県ふるさとアーカイブ内の紀の国の先人たち・森田庄兵衛を参考にしました)

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そんな紀三井寺側坑口ですが手前にこんなものか…
まさか取り壊されかけているのでしょうか。

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隣の現道トンネルは「新和歌浦隧道」。第二隧道(森田氏の開発で誕生)は探索できませんでしたが別の場所に現存しています。
銘板を見ると現道の開通は昭和46(1971)年なので旧道はその頃の廃止でしょう。
ちなみにこの隧道は第二ともども土木学会選定近代土木遺産Bランクにランクされています。

隧道データ(元情報:隧道データベース)
名称:新和歌浦第一
路線:和歌山県道151号 新和歌浦線
所在地:和歌山県和歌山市和歌浦
延長:60m
竣工:明治45(1912)年
ポータル:東側・煉瓦積 西側・コンクリートブロック補修?
舗装:あり
扁額:両側にあり 内容不明
備考:土木学会選定近代土木遺産Bランク

<おまけ:新和歌浦いろいろ>
基本的に海を見ればテンションが上がるのは内陸県民の性ですが新和歌浦には海や第一隧道以外にも見るべきものがあったので少し取り上げます。

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こちらは建物の残骸。解体中に放棄でもされたのでしょうか。

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和歌浦はあんまりマンションとかが建ちそうな場所でもないのでホテルで間違いないでしょう。新和歌浦第一隧道も雑賀崎側はホテルに面していますし第二隧道に至ってはホテルの敷地内のような場所でした。

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足場まで組みっぱなしですが…

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県道上からは見えない下の階を見るには浜へgoです。

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結構デカい廃墟なんですが浜直結みたいな感じでホテルとしても良かった気がします。ただ森田氏が惚れ込んだ新和歌浦という場所は風光明媚な場所なんですが海と山ぐらいしかないのも事実なので旅館を経営するのは難しい場所かもしれません。アクセス自体は和歌山駅からチャリで40分ぐらいと良いのですが…

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…それにしても足場組みっぱなしで業者の方はどうしたんやろ。

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ちなみに浜はこんな感じです。

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最後に浜にあった煉瓦壁を。結構長い距離にわたって続いていましたが森田氏の開発絡みでしょうか。普段見かける煉瓦橋台のようなものに比べて少しボロボロに見えるのは潮風のせいでしょうか。