伏見編、いったん最終回。

〈常盤橋〉

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 前回までに紹介した4本の橋はどちらかと言えば簡素な造りのものが多かったが、この橋は重厚そのものである。大して規模は変わらないのだが…

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 今までの橋だと石に直で彫られていた親柱の文字もブロンズのプレートで造られている。この橋は昭和の竣工で今までの橋よりも数年後の建設なのだが、そういう背景もあって多少豪華なのかもしれない。単に技術が進化したか、それか改元フィーバーが原因だろう。昭和初期は不景気から戦争へ入っていく時期なので、逆に細かい造形が顧みられなくなる頃でもあると思うのだが。

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 名前は「常盤橋」。茨城福島っぽい名前だが、本来は永久不変を表す語であるので橋の外見にはピッタリなネーミングである。まあわざわざ「永久橋であること」を意味した名前を付けるとは思えないので、(常盤御前関係とかの)古典か何かに由来する名前なのだろう。ちなみに伏見区内には「常盤町」が存在するが、本橋が架かっている地点とは多少離れていることから関係ないものと思われる。

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 そんな名前ではあるが、欄干に拵えられた窓のような穴が多少劣化していたりと古さは目立つ。寿命が知れている木橋に対してコンクリートや石の橋は「永久橋」と呼ばれていた時代もあったが、インフラ老朽化が社会問題として叫ばれる今にあっては過去の認識も改める必要があろう。

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 親柱の文字が若干潰れているのが気になる。

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 上から見るだけでは分からないことではあるが、この橋の大きな特徴は鋼橋であることだろう。橋の上からは分からないが、RC造ではなく鋼製の橋桁が渡されている。斜橋だからだろうか?

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 橋桁は長い間塗り替えられていないように見える。味があるのはいいが、塗料は防腐処理には欠かせなさそうな存在だけに管理が気にかかる、

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 枯れた蔦が絡まっていることもあってか、前回までの4本よりもさらに古さが目立つ。この橋が一番新しいんですけどね。

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 立派な反面ちょっと痛みが目立つのが気になる橋であった。近年ではこの辺でも橋の架け替えが多いようなので先が若干危ぶまれる。

〈鋳物屋橋〉

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 最後に紹介するのが鋳物屋橋。ググった限りではこの地に存在した「国松鋳造所」なる歴史ある会社に由来するものらしい。その跡地は現在マンションとなっており、この橋も実質マンションへのアクセスルートとしてのみ機能しているような感じだ。
 …真ん中で折れ曲がってるけど大丈夫か?
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 こちらも鋼橋。意味ありげな欄干の意匠はなんなんだろう。

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 親柱。この橋に関しては竣工年不明。ちなみに漢字銘板はなかったので、正しい漢字名称も不明である。常識的に考えて「鋳物屋」だろうが。

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 親柱は4本とも生えているが、銘板は「いものやばし」「疏水」の2種類のみ。京都市の古い橋の多くはこの橋同様に橋名(大抵漢字だが)と河川名を記したものしか銘板がないことが多いが、ひょっとするとこの橋は京都市編入後に建設されたのかもしれない。

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 橋の上。当然通行に問題はなかろうが、やっぱり真ん中で折れているのは不自然な外見である。この程度の坂にするなら橋ではなく対岸の取り付け道路をスロープにして橋台の嵩増しを図った方が自然だろうに、どうして橋を曲げたのだろう。

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 欄干の継ぎ目も適当な感じ。ちょっといい加減に見えるが、架かっている先が私有地だったことを考えるともともとは私設の橋だったのかもしれない。

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 だとするとこれは当時の社章だったのかもしれない。

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 対岸の親柱も変。土台(?)が見えていたり…

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 1本だけ変な形だったり。益々私設橋疑惑が高まる。

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 会社の橋だったらともかく、今は住居への入り口なのだからもうちょっとちゃんとした造りであるべきだと思うのだが…
 まあ会社からマンションになったタイミングで架け替えられなかったのなら健全性に問題はないのだろう。流石に管理は京都市だろうし。

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 橋の横にはレンガ積みの壁が残る。工場時代の名残だろう。

 冒頭で「いったん最終回」と書いたが、予告しておくと次回も伏見の話である。ところでこのレポート含め伏見区ネタは7本書いているのだが、このシリーズ以前は単一の橋梁を紹介していくだけのレポートに留まっていた。一方で、それらのレポートの中には「伏見は京都市街から独立した街」などと書いているものもあり、(図らずもこのブログのホームグラウンドになってしまった)京都市の中でも私が伏見という街を若干特別視していることが読み解ける。
 こうして集中的に(?)伏見区の橋を紹介する機会を得たのだから、次回はある橋梁ネタをベースに続編として(言うほど連続性はないが)伏見の歴史の一端にスポットライトを当ててみたい。