このブログでは過去、廃校を3回紹介している。一つは某小学校だったが、残りは奈良県立の2つの高校だ。今回は友人から直接照会があったので、両レポートで存在を仄めかしていた「3校目」の高校である高田東高校を紹介したい。なお、地図の掲載は自粛する。

田畑が広がる近鉄某駅、その改札から見えるひときわ大きな建物がかつての高田東高校だ。

解体工事が今まさに行われようとしているーーようにも見えるが、これは学校の前でやっている別の工事のクレーンのようであった。この学校が廃校になったのは平成19(2007)年のこと。もうじきこの学校がなくなったのちに生まれた子供たちが高校生になるぐらいであるが、校舎は特に利用されないまま現在に至る。

校舎に接近して。蔦が絡まっている。そういえば奈良県で4階建ての校舎は珍しいかもしれない。都心部だと普通なのだろうが、それほど土地が狭小でもない県下では、私の母校に限らずあまり記憶にない階数である。

古さは目立っているが、奈良の公立だとスタンダードな見た目だろう。渡り廊下がかなり長い。

校門。二重の囲いになっている点は異様に映るが、手前の物々しいフェンスさえなければ普通の学校の風景だろう。

時計は3時25分を指していた。止まっていたとは思うが、この写真の撮影時間を確かめてみると15時20分だった。ほとんど同じ時間なのでまだ動いていたと考えるのが自然だろうか。多少ずれてはいるが…

廃校の時計が動いているというのは奇妙な話に聞こえるが、恐らく最低限の維持管理は今もされている。大和高田市の避難所として指定されているからだ。時計は「最低限の維持管理」に入るものではないと思うが。

グラウンド。そこそこ綺麗なのでやはり今でも使っているのだろう。ちなみに高田東高校は広陵町にあった広陵高校と合併し、現在は大和広陵高校となっている。同校はスポーツコースがあるのでグラウンド需要は旺盛だと思うが、高田と広陵はあまりにも離れているので高校では多分使っていないものと思われる。恐らく県か市が貸し出したりしているのだろう。

グラウンドは相当広いように見える。

高田は中和の主要都市とはいえ、この学校は市街地には位置していない。駅前でこそあるが田畑の中に位置している。

個人の見解だが、学校施設は広い方がいいと思う。

体育館とおぼしきもの。

校舎は大きく3つあるようだ。それにしても、統廃合の対象となった割には校舎が大きい。奈良県庁は定員割れしていない学校を潰した実績があるが、ここに関しては伝え聞く話を総合する限り特別大きな学校というわけではなかったはず。

また体育館…?いや講堂かもしれないが、奈良の県立高校で講堂があるのはかなり稀なはず。仮にこれが体育館だとすると、この学校が閉校になった割に大きい理由が見えてくる。

高田東高校が開校したのは昭和51(1976)年のこと。当時は定時制高校としての発足だったが、実態としては一からの新設ではなく後の合併先となる広陵高校の定時制から分離しての開校だった。当時は奈良盆地や電車ですぐの河内地方に工場が多く、そうした企業に就職した中卒者向けに定時制の需要が強かったのだろう。一方、当時既に高校進学率は90%を超え、また中卒者の就職も減少傾向にあったはずである。そういう世相もあってか、昭和56(1981)年には全日制課程が設置された。
夜間定時制の学校であれば、おそらく全日制の授業が終わったのちの空き校舎を利用するのだろう。しかし、ここ高田東に設置されていたのは昼間定時制だった。9時5時のような働き方ではなく、午前か午後に就業し、就業時間ではない方で授業を受けるという制度の学校である。そんなわけで、全日制との同居は難儀する。広陵高校から分離した理由自体そういう経緯かもしれない。
ただここは幸いにして?土地が広い。そんなわけで校舎を全日制と定時制で分けたのではなかろうか。そうすると体育館が2つある理由も分かる。流石に体育館ぐらい共用できるだろうけど…

まあ詳しい中身については実際に通っていた人に教えてもらうのがよいだろう。といってもそんなアテはないのだが。私が県立図書館で調べてきた高田東高校のメモには「定時制校舎が校内に存在」と記されているが、これが同校の校史の記述なのか単なる私見なのかが分からなかった。

こちらの小さい校舎と体育館が定時制だったのだろうか。いや、広陵高校から独立した当時、定時制の生徒は230人いたとされる。230人の学び舎としては若干手狭だろうから、当初は最初に取り上げた大きな校舎を使っていたのかもしれない。時代が下るにつれ定時制の生徒は減少していったものと思われるので、どこかのタイミングで全日制と入れ替わりになったのではないか。定時制課程は平成12(2000)年に廃止となっている。そして残った全日制は定時制の母体だった広陵高校と平成17(2005)年に統合、大和広陵高校となった。2年後、最後の生徒を送り出した高田東高校は閉校した。
県立高校の再編にあたっては、「御三家」として県庁に学閥を有しているものと思われる奈良・畝傍・郡山を除いて統合前のどちらの名前も採用されないのが常であった。しかしこの2校の合併では、新校名は広陵に「大和」を冠しただけとなっている。高田東が元々広陵高校から分離したという歴史的経緯もあったのかもしれないが、なんとなく吸収合併感を与えさせる名前であろう。

田畑が広がる近鉄某駅、その改札から見えるひときわ大きな建物がかつての高田東高校だ。

解体工事が今まさに行われようとしているーーようにも見えるが、これは学校の前でやっている別の工事のクレーンのようであった。この学校が廃校になったのは平成19(2007)年のこと。もうじきこの学校がなくなったのちに生まれた子供たちが高校生になるぐらいであるが、校舎は特に利用されないまま現在に至る。

校舎に接近して。蔦が絡まっている。そういえば奈良県で4階建ての校舎は珍しいかもしれない。都心部だと普通なのだろうが、それほど土地が狭小でもない県下では、私の母校に限らずあまり記憶にない階数である。

古さは目立っているが、奈良の公立だとスタンダードな見た目だろう。渡り廊下がかなり長い。

校門。二重の囲いになっている点は異様に映るが、手前の物々しいフェンスさえなければ普通の学校の風景だろう。

時計は3時25分を指していた。止まっていたとは思うが、この写真の撮影時間を確かめてみると15時20分だった。ほとんど同じ時間なのでまだ動いていたと考えるのが自然だろうか。多少ずれてはいるが…

廃校の時計が動いているというのは奇妙な話に聞こえるが、恐らく最低限の維持管理は今もされている。大和高田市の避難所として指定されているからだ。時計は「最低限の維持管理」に入るものではないと思うが。

グラウンド。そこそこ綺麗なのでやはり今でも使っているのだろう。ちなみに高田東高校は広陵町にあった広陵高校と合併し、現在は大和広陵高校となっている。同校はスポーツコースがあるのでグラウンド需要は旺盛だと思うが、高田と広陵はあまりにも離れているので高校では多分使っていないものと思われる。恐らく県か市が貸し出したりしているのだろう。

グラウンドは相当広いように見える。

高田は中和の主要都市とはいえ、この学校は市街地には位置していない。駅前でこそあるが田畑の中に位置している。

個人の見解だが、学校施設は広い方がいいと思う。

体育館とおぼしきもの。

校舎は大きく3つあるようだ。それにしても、統廃合の対象となった割には校舎が大きい。奈良県庁は定員割れしていない学校を潰した実績があるが、ここに関しては伝え聞く話を総合する限り特別大きな学校というわけではなかったはず。

また体育館…?いや講堂かもしれないが、奈良の県立高校で講堂があるのはかなり稀なはず。仮にこれが体育館だとすると、この学校が閉校になった割に大きい理由が見えてくる。

高田東高校が開校したのは昭和51(1976)年のこと。当時は定時制高校としての発足だったが、実態としては一からの新設ではなく後の合併先となる広陵高校の定時制から分離しての開校だった。当時は奈良盆地や電車ですぐの河内地方に工場が多く、そうした企業に就職した中卒者向けに定時制の需要が強かったのだろう。一方、当時既に高校進学率は90%を超え、また中卒者の就職も減少傾向にあったはずである。そういう世相もあってか、昭和56(1981)年には全日制課程が設置された。
夜間定時制の学校であれば、おそらく全日制の授業が終わったのちの空き校舎を利用するのだろう。しかし、ここ高田東に設置されていたのは昼間定時制だった。9時5時のような働き方ではなく、午前か午後に就業し、就業時間ではない方で授業を受けるという制度の学校である。そんなわけで、全日制との同居は難儀する。広陵高校から分離した理由自体そういう経緯かもしれない。
ただここは幸いにして?土地が広い。そんなわけで校舎を全日制と定時制で分けたのではなかろうか。そうすると体育館が2つある理由も分かる。流石に体育館ぐらい共用できるだろうけど…

まあ詳しい中身については実際に通っていた人に教えてもらうのがよいだろう。といってもそんなアテはないのだが。私が県立図書館で調べてきた高田東高校のメモには「定時制校舎が校内に存在」と記されているが、これが同校の校史の記述なのか単なる私見なのかが分からなかった。

こちらの小さい校舎と体育館が定時制だったのだろうか。いや、広陵高校から独立した当時、定時制の生徒は230人いたとされる。230人の学び舎としては若干手狭だろうから、当初は最初に取り上げた大きな校舎を使っていたのかもしれない。時代が下るにつれ定時制の生徒は減少していったものと思われるので、どこかのタイミングで全日制と入れ替わりになったのではないか。定時制課程は平成12(2000)年に廃止となっている。そして残った全日制は定時制の母体だった広陵高校と平成17(2005)年に統合、大和広陵高校となった。2年後、最後の生徒を送り出した高田東高校は閉校した。
県立高校の再編にあたっては、「御三家」として県庁に学閥を有しているものと思われる奈良・畝傍・郡山を除いて統合前のどちらの名前も採用されないのが常であった。しかしこの2校の合併では、新校名は広陵に「大和」を冠しただけとなっている。高田東が元々広陵高校から分離したという歴史的経緯もあったのかもしれないが、なんとなく吸収合併感を与えさせる名前であろう。



コメント
コメント一覧 (2)
常時ではありませんが
大和広陵高校の運動部の
生徒さんが電車でこちらの
某駅まで来て元高田東高校の
グラウンドを練習場として
使用する事が
あったと記憶しております
現在も使用しているかは
不明ですが、、、
数年前の話です
コメントありがとうございます。広陵は体育科?があるので、高田東の広いスペースは活用したいでしょうね…。大々的に城内高跡地を使っていた郡山だけでなく、御所実業や奈良朱雀(名前変わってしまいましたが)も統合した学校の校舎を使っていた形跡があるようです。