スタレモノ

道路(酷道、険道、旧道、廃道など)や廃線跡、自転車の旅などについてのブログです。近畿地方中心。

カテゴリ: 近代遺産

前回に引き続き、東横堀川に架かる橋を紹介する。〈平野橋〉 高麗橋より一本南の筋に架かるのは、「平野橋」という名前の橋。平野区から遠く離れた場所だが、周辺の町の名前は「平野町」である。ちなみに平野区設置は昭和49(1974)年のことなので、どちらかというとこの平野 ...

 かつての西日本の道路の中心地は、今もひっそりビル街に。 北区梅田新道には「大阪市道路元標」が設置されている。道路元標とは大正8(1919)年施行の旧道路法にて定義された、道路の起終点として用いるためのものである。戦後施行された現行道路法では道路元標に関する定め ...

 消えゆく湖国の天井川。 平成17(2005)年に誕生した滋賀県高島市。旧高島郡の全郡合併により発足したが、その旧郡内の5町1村で最も目を引く名前だったのはマキノ町だろう。全国初のカタカナの自治体名だったこの町は旧町内にあったスキー場からその名を取られており、翻っ ...

 2つの銘板の違いが意味するところとは? 今回紹介するのは鴨川に架かる「勧進橋」だ。鴨川といってもデルタ界隈や三条~四条あたりの繁華街ではなく、京都駅南側の洛南エリアを流れて南・伏見両区の境界となっている辺りに架かる、国道24号の橋である。 「勧進」というの ...

 新旧橋の不思議な関係?伏見城下のメインストリートの橋。〈大手橋〉 文禄3(1594)年に豊臣秀吉によって伏見城が築城されて以来、城下町としての色合いを今に至るまで強く留める京都市伏見区。伏見城は17世紀前半には既に廃城されていたことを考えると不思議なことではある ...

 川端の山の端の橋。 所謂「鴨川デルタ」で落ち合う2本の川のうち、叡山電車に沿って東側から流れてくる高野川。その途中、宝ヶ池駅の辺りでは川の両岸に山が迫り、開けていた流域の風景が一瞬山間のそれへと変わる。そこを抜けると宝ヶ池公園の山によって京都盆地と隔てら ...

 京から紀州へ、線路から道路へ。 和歌山市街を流れる市堀川、その天守を真南に臨む場所に架かるのがその名も「中橋」だ。 御三家の一角、紀州徳川家の居城である和歌山城。かの暴れん坊将軍吉宗も宗家を継ぐ前にはここで紀州藩主を務めていた。 その城下には不似合いな ...

 大物学者や経営の神様も渡ったかもしれない、人が集まる城下の橋。 徳川宗家を支えた「御三家」のうち、2番目の石高を誇り8代将軍吉宗を輩出した紀伊藩。その藩主の居城たる和歌山の城下町の外堀に架かる「寄合橋」を今回は紹介する。 灯籠付きの親柱から紹介。傷んでい ...

 細く長く命脈を繋ぐ。 紀ノ川の川べりにある和歌山市駅は、市内に乗り入れる2本の阪和連絡線の一つである南海本線の終着駅であり、和歌山市内を走る2つの路線の始発駅でもある。その一つである南海加太線は川の北岸にある紀ノ川駅まで本線と並走し、そこから分岐(※書類 ...

 青き紀州の青き橋。 奈良吉野に端を発し、和歌山県最北部をJR和歌山線に沿って流れる紀ノ川。その大河が紀伊水道に注ぐ河口に花開いたのが県都・和歌山市である。江戸時代には「御三家」の2位である紀州徳川氏の居城として輝きを放ち、近現代では近畿地方有数の工業都市と ...

 京都らしさと海風と。 「北大路」というのは通常、条坊制における最北辺の通りに付けられる名前である。即ち、だいたい「一条大路」とイコールと言える存在だ。一方、現代の平安京における「北大路通」は条坊制の北限でなければ、かと思えば一条通りよりも遥か北を走って ...

 意外に古い?鴨の橋たち。〈二条大橋〉 今回は鴨川に数多架かる橋から2本をピックアップして紹介する。まずは二条通りに架かる「二条大橋」から。 鴨川に架かる橋として有名なのは三条大橋、次いで四条大橋・五条大橋だろう。いずれも当ブログでは紹介していないが、京都 ...

 今回は奈良県五條市にある3本の橋を紹介したい。宮前橋と八幡橋は現在の国道沿いに位置する「古そうな」橋だが、これらは県の近代化遺産報告書にも登場せず、詳しい由緒は不明だ。似たような形式で見た目からして古そうなので取り上げたが、実際にはそこまで面白いものでも ...

 湖水が知らぬは逢坂の関。 水源に乏しい京都において、その水道水は疏水を通じて琵琶湖から引かれている。古来瀬田川(淀川)のみがその流出経路であった琵琶湖から京都市鴨川まで、明治時代に京都市の事業として若き工学博士の田邊朔郎の監督によって開削された疏水は正 ...

 高瀬川を遡上して、残り2本の橋を見に行こう。 前回で3本の橋と「五条楽園」について記したので、今回は残り2本ーー北側の「榎橋」と「南橋詰橋」を紹介したい。〈榎橋〉 「五条楽園」の北の端は恐らく五条通にあったものと推測される。元々「七条新地」だったことを踏ま ...

 京都の色街と川と橋と。 場所は全然違うが、テーマ的には前回の続きという感覚で。 「京都の花街」というと、一般的には祇園や上七軒(北野)あたりが思い浮かぶのではないだろうか。現在「京の五花街」として京都花街組合連合会に加盟しているのは上七軒(上京区)・祇 ...

 舟運と遊里、「小さな木津川」と「九条島」。 今回は木津川に架かる橋を2つまとめて紹介したい。木津川といっても京都の大きな川の話ではない。そちらの川が宇治川・桂川と合流し淀川と名を変えたのち、都島区毛馬の辺りで新旧流路が分岐するうちの旧河川が大阪市内で様 ...

【2022.05.27】山ノ谷橋のレポートを追記しました。  何の変哲もない、平凡な構造物が技術の進歩における礎石となっていたりする。 京都府京都市山科区に表題の2つの橋は架かっている。「琵琶湖疏水」の名を冠しているとおり、琵琶湖と京都を結ぶ疏水を跨ぐ橋であるが、前 ...

広島橋巡り、最後は慰霊碑のそばで。 太田川が瀬戸内に注ぐ河口に形成されたデルタの街、広島。必然的に橋が多くなるこの都市に人類史上初めての災禍に見舞われた昭和20年8月6日からこんにちに至るまで、市中で残っている橋は僅かに6本となった。このブログで取り上げてきた ...

 憩いの場へ架かる、被爆橋梁。 市の三方を山に囲まれた広島市は、その規模の割にコンパクトな街である。瀬戸内海に面していて温暖なこともあって、都市の地理的要素としてはかなり恵まれた部類に入るだろう。 その「三方の山」に入るわけではないが、広島市街の東側に「 ...

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