朝日出版社営業部(橋)のサケブログ/書店訪問日誌

朝日出版社営業部・酒部に所属している(橋)による、書店訪問日記です。
本屋さんに行くことと安酒を飲むことがライフワークです。
書店イベントにも足しげく通っていますので、そちらもレポします。
【命題】継続は力。非道に生きる。

2019年07月

ふたり出版社「十七時退勤社」が着々と進行中だ。まだなにも刊行物のない、いわばエア版元状態であるが、社長・副社長ともにやる気にみなぎっている。

屋号はブックス ルーエの花本武兄ィに名づけていただいた。兄ィは顧問も務めてくださっている。頼りがいしかないことである。

文フリの進捗状況報告もかねて、吉祥寺を訪ねた。お店に入ると、颯爽と品出し、来客対応をする兄ィの姿が。今日も背が高い。そして髪がだいぶ伸びたようだ。

ランチミーティングの約束をしていたので、目が合うと「お、ハッシ―さん。ちょっと待っててね」と。待つというか、棚をじっくり拝見したいところ。1階の雑誌コーナーを物色すると、『本の雑誌』8月号が目に入る。今号は買いそびれていた。危うい。巻頭の「本棚が見たい!」に名古屋・新瑞橋が誇る七五書店さんが登場しているのだ。保存版をゲット、と心の中で思い手にする。

兄ィが手掛けるフェア棚では白井明大さん選書フェアが開催中。滝口悠生さん、絲山秋子さん、長嶋有さんなどの名前が連なる小説集『掌篇歳時記 春夏』を。

資料として欲しかった『自遊人/「本」の未来』も棚に見つける。表紙は取次・日販さんの保養所が生まれ変わった「箱根本箱」の棚写真。雰囲気がとてもいい。あるかなないかなと婦人雑誌コーナーをじっくり見るが目当てのものは無い様子。あきらめかけたが、兄ィに『母の友』ってないですよね? と聞くと「うーん、一冊、2階の児童書にあるんじゃないかな。すごくわかりづらいから、スタッフに聞いてみて」と教えてもらう。

階段を昇り2階へ。ちょうど昼礼中で、「『むらさきのスカートの女』は……。大島さんのは……」など昨夜発表された芥川賞・直木賞受賞作の在庫状況、注文状況などを共有していた。声をかけるのは申し訳ないなと思い、自分で探すことにする。

たぶん、福音館さんの棚があるのではと思いきょろきょろするとさもありなん。光り輝くプレートを発見。『こどものとも』の横に押し込まれ気味のA5判変型アジロ綴じがある。よし、と手を伸ばすと『母の友』8月号。買えてよかった……。

レジ打ちをしてもらいほくほくしていると、兄ィが「カレー行こ!」と出てくる。吉祥寺の名店・くぐつ草でカレーを食べようと決めていたのだ。サンロードから右に曲がり、少し歩いて地下へ降りると、素敵空間がコーヒーとカレーの匂いとともに広がる。メニューをぱらっと眺めて、「カレーセットですね」と目を合わせ頷く。

「ずっと、“くぐつくさ”だと思ってたんですけど、ようやくこないだ“くぐつそう”だと知りました」
「そう、“くぐつそう”なんですよ。いい店ですよね」

「名づけ親になっていただいた十七時退勤社ですけど、読みは“じゅうななじたいきんしゃ”となりました。“じゅうしちじ”だと、“十一時”と空耳されるかもと副社長と決めたんです」
「文フリへの道のり、着々じゃないですか」

今週末に控えた選挙の話、山崎ナオコーラさん新作「リボンの男」(『文藝』秋号掲載)の話、子どもの話などをしつつ、カレーを味わう。美味い。絶対的に美味い。滋味というのか、レーズンや酢漬けのものものもしみじみと美味い。

「カレーは正しいですね」

十七時退勤社社長と顧問の今日の結論がでた。秋がたのしみだな。

昨夜、第161回「芥川賞・直木賞」受賞作が発表された。

文芸誌を欠かさず読むようになってから、どの作品が芥川賞にノミネートされるか、受賞するかを考えるのがとてもたのしい。

前回、新潮新人賞を受賞した、三国美千子さん『いかれころ』が候補作にもならなかったことにひとり憤っていたが、週刊読書人「読書人カフェ~2018文藝夜話~」で倉本さおりさんと長瀬海さんのお話を聞き、『いかれころ』についても直接お尋ねしてだいぶ消化できた。

そして『いかれころ』は三島由紀夫賞を受賞した。なにごとにもストーリーがある。

今回の芥川賞はぜんぜん予想がつかなかった。今村夏子さんは全作品すきで、さらに広く読まれたらいいなと思っているが、受賞するかはわからなかった。古市憲寿さんはどうなのか、ないと思うがわからない、受賞したらかなり話題になり売れるであろう。他の三作品もどれもなくはなさそう……。

先週開催された「読書人カフェ~2019夏の文藝夜話~」で倉本さん長瀬さんのお話を聞き、また、誰よりも信頼している読み手・書き手である書店員さんとメッセージを交わし、考え抜いたここ数週間であった。

結果、今村夏子さん『むらさきのスカートの女』が芥川賞を受賞した。三度目の正直だ、今村さんおめでとうございますと神保町の路上で思った。

発表されて5分後くらいだった。棚作り真っ最中かなと思いながら、三省堂書店神保町本店へ。一階の新刊話題書コーナーへ向かうと、紺のスーツの男がいた。帯を巻いていたのだ。後ろから見ると、『むらさきのスカートの女』に「芥川賞受賞作」の帯が巻かれている。きっと、その男性は版元である朝日新聞出版の方だ。

おそらく店内で待機し、受賞発表がされた瞬間に帯巻きを始めたのだと思う。とても地味な仕事。であるが、とても大事な仕事。一冊いっさつに帯を巻く背中がとてもまぶしかった。横に立つと視線が合ったので、「おめでとうございます」と声を掛けてみた。気恥ずかしげに、遠慮気味ながら誇らしげに「ありがとうございます」と返してくださった。

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サイン本は一瞬のうちに無くなっただろうと推測。


直木賞は大島真寿美さん『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』が受賞。

大島さんの本をはじめて手にしたのは、名古屋の七五書店さんでだった。名古屋市在住の大島さんは七五書店さんをよく利用していて、店長の熊谷さんととても縁が深いと聞いていた。

勧めてもらった作品はどれも心に残り、同じ名古屋出身者としても嬉しく思ったものだ。

以前、書店員ビブリオバトルで大盛堂書店の山本亮さんが大島さん『ツタよ、ツタ』を紹介していたのもよく覚えている。限られた時間の中で作品の魅力をご自身の言葉で伝える姿に、書店員の技量と熱を受けとったように思う。

華やかなものも、話題にあまりあがらないものも、多くの出版物があって棚が豊かになる。
書き手がいて、編集者がいて、流通があり、営業がいて、売り手がいる。そして読者へ届く。

本をたくさん読んで、仕事に励みたい。

MSX2というハードを知っているだろうか。いま少し調べてみたらハードというか規格のことのようだが、まぁいい。ともかく、幼い頃の我が家には「MSX2」があった。

1981年生まれの末っ子で、1974年生まれの姉と1976年生まれの兄がいる。80年代後半からファミコンブームが到来していたようで、自分はまだであったが、姉と兄はファミコンを買ってほしくてしかたなかったそうだ。末っ子の自分は感じたことがあまりないが、父は厳しかったようで「ゲームやテレビは駄目だ」的な考えだったと聞く。

結果、なぜか、我が家にはMSX2があった。実際のところ、父が会社から支給されたのか必要があって買ったのかわからないのだが、父がMSX2でなにかをしていたのは見たことがない。まさしくそれは子どもたち待望の「ゲーム機」であったのだ。

「R-TYPE」という横スクロールのシューティングがあった。とても音楽がかっこよかった。コンティニューはできるけどセーブができない「キングコング2 甦る伝説」という伝説的なゲームもあった。あんちゃんと深夜までやって、朝早く起きて実時間30時間くらいやってもう少しで遂にクリアか、というところで親に怒鳴られて涙ながら諦めたのを覚えている。別売りのテープレコーダーみたいなのがあればセーブできたようだが、我が家にはなかった。

最大級にはまったのは「三国志」「水滸伝」「大航海時代」。偉大なる光栄が生み出したゲームだ。特に「大航海時代」は音楽がかっこよく、地中海、大西洋、インド洋と海を渡っていくとBGMが変わるのに心沸き立った。

「R-TYPE」は自分でもやったが、他のはほぼすべて観ていた。あんちゃんがプレイするのを観ていた。やらせてもらえなかったのではなく、観ているのがすきだったのだ。我が家にはクリスマスの日、24日から25日にかけての25時から26時くらいにサンタクロースが枕元へやってきていた。狸寝入りをしてサンタクロースが去るのを確認すると飛び起きてあんちゃんを起こした。

寒い寒いとこたつに入りながらスイッチオン。初めてやるゲームをふむふむ言いながらプレイするあんちゃんは頼もしかった。

大人になってからは、年に1回くらいしか会わない。おたがいあんましゃべんないけど、散歩したり酒を飲んだりの時間は変わらず居心地がいい。今年のお盆には会えるだろうか。
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文芸誌は毎月7日発売だ。だいたい。だから、月初は本を買うのは控える(気持ちだけ。たいがい買ってしまう。本はいつも手にしたいものだ)。数日後には最低2誌、平均して3、4誌をザッピングすることになるから。

文芸誌は売れないともっぱらの話だ。そのたびに、ほぅほぅと不思議な思いに包まれる。「こんないいものが千円で買えるのに?」と思うからだ。

そこに杉咲花がいなくても、杉咲花がいなくても杉咲花がいなくても文芸誌は買うでしょう。書き手の連載があることはもちろん、特集の入り口もあり、好きな作家の新創作もある。なにより知らない作品に出合える。

バリューしかないではないか。

『文藝』が重版したのは17年ぶりとTwitterで学ぶ。あれはね、季刊誌だからまたちゃうのだけど、されど『文藝』はいいものだよ。

文芸誌読んでるなんてオナニー開陳より恥ずかしいみたいなTweetをせんだて目にした。オナニーは知らんけど、文芸誌買って読むのはどう考えても悪くないだろ。

暗いし曇ってるしガスってて輪郭があいまいな半月が空に浮かんでいる。雲の侵食でじきに消えるか。

このうえない夜。このうえってゆうか、知らんけど、バッタのような目で日々をやり過ごしていた小5から中3の自分、働きだしてからの自分に教えてやりたい。夢などたいがい叶わないが、もがいていれば叶うこともありえるのだと。

このうえない。会社ではデストラーデもびっくりなパワー扱いを日々頂戴しているが、なんならもっと総力でピコピコハンマーをえいやとしてもらって構わない。

だいぶ前に、吉祥寺の花本兄ィから授かったが(末井昭さんが講談社エッセイ賞を授賞した夜であったか)、兄ィともどもたがいに依存症なのだ。

好きなひとに依存しているし、文学に依存しているし、仕事に依存している。カレーにも依存しているし街歩きやそのへんのひととのおしゃべりにも依存している。

もう、宇多田ヒカルを聴くしかない。プレイリストを固めるべきだ。というか、addictedなタイトルをジャンル問わず集めてみよう。たのしそうだし、奇特なひとには刺さるかもしらん。

北習から歩いて薬園台まで来るあいだ、居心地悪そうにしていた半月はいまやくっきりと空にある。

営業職をもっとがんばりたい。もっと小汚い営業になるのだ。同業職に、あのゴミまだ生きてんのかと言われるような仕事を丸呑みしてやろうと冗談でなく思っている。やれるかな。やったりたい。

実権があるのないのか曖昧なのが我が社の愉快痛快問題点だが、販売・編集事業の責任者であることをいいことにセニョール鈴木毅先生のお原稿を担当している。

ひと月ごとの玉稿にあたふたしながら、いま、仕事ができている喜びと責任をかみしめる。戒める。踏みたいだけだけど、いま死ねる(まだ読みたいから死ねない)。

夢はきっとどんどん拡張していくものだ。応援していけば、応援されることもある。誰かの夢が叶えば、そこから自分の先が切り拓かれることがある。

編集業は未就学児だが、書き手への好き度や敬意、なにより一番に読みたい思いは自分の異常点であるから。

カミングスーン! soonのうちはマイブラ聴いて鼓膜を痛めといてくれ。炒めるとたいがい美味い。

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