週刊朝倉歯科医院

歯科の治療のこと、医院のこと、
私たちの歯科医院からのお知らせや、私たちに寄せられた質問、その他いろいろと発信します。
Writer : Ishitobi/Akita


2010年08月

「お盆休み」のご案内

朝倉歯科医院と(医)あさくら会 朝倉クリニック歯科からのお知らせです。
今年のお盆休みは8月12日(木)から14日(土)まで。
16日(月)からリフレッシュして診療をはじめます。

よろしくお願いします。

暑い! 熱い! 天神祭り!

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去る7月25日は天神祭り・本宮に行ってきました。写真は「奉納花火」と「船渡御」です。
天神祭りは「天満宮」鎮座の翌々年、天暦5年(951)に社頭の浜から神鉾を流し、流れついた浜に斎場を設け、「みそぎ」を行ないました。その折、神領民や崇敬者が船を仕立てて奉迎したのが天神祭の始まりとされ、一千年の歴史を誇っています。それ以来、豊臣秀吉が大坂城を築いた頃には船渡御の形が整ってきました。
堂島川への土砂流入で船渡御が中止になったこともありますが、天下の台所と呼ばれた元禄時代(17世紀後半)以降、天神祭は浪速の繁栄のシンボルとして隆盛をきわめ、享保年間(18世紀前半)には「講」という祭りを支える組織が誕生し、新たにお迎え人形も登場して広く天下に知られるようになってきたそうですね。
宮の記録に残っている資料によると、元禄時代には、討ち入りを控えた大石内蔵助の妻のお理玖さんと末息子が見物に訪れていた、という逸話が近年の研究で明らかになりました。また、大阪にゆかりの深い西山宗因や井原西鶴、近松門左衛門といった文化人もおしのびで観覧し、祭りを肴に文学論で熱くなっていたそうです。幕末には、14代将軍徳川家茂のために盛大な天神祭を開催して欲しいと新撰組から天満宮へ命令の下ったことがありました。「天満宮」はこれを「政情不安なときに神様が宮を出ることは不安をより高める。鎮座していただくことが最善」と拒否したそうです。
幕末の政変や二度の世界大戦で中断があったものの、昭和24年に船渡御が復活。また、地盤沈下の影響で大川を遡航するという現在の形になったのは昭和28年からのこと。その存続が危ぶまれた時期もありました。しかしその度に困難を打開し、伝統を守り、盛り上げていったのは浪速っ子の心意気です。
「天神祭りの頃が大阪では一番の暑さ」といわれます。本当に熱い、ですが清清しい夜でした。
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