「停戦65周年・朝鮮戦争の終結と日本の責任」講演会

 

朝鮮民主主義人民共和国(DPRK、朝鮮)と日本国の今後の関係を考える「たんぽぽ舎」講座のシリーズとして、84日(土)午後6時から8時、スペースたんぽぽで、白宗元(ペク・チョンウォン)元朝鮮大学校教授を招いて、「朝鮮戦争終結と日本の責任」をテーマに下記のように講演をしていただきます。たんぽぽ舎の担当者は渡辺マリさんです。

 

                 記

日時:201884日(土)午後6時~8時、開場は午後545

場所:「スペースたんぽぽ」東京都千代田区神田三崎町262 ダイナミックビル4

講師:白宗元・元朝鮮大学校教授

演題:「停戦65周年・朝鮮戦争の終結と日本の責任―朝米会談後の北東アジア情勢」

コーディネーター:浅野健一(同志社大学大学院メディア学専攻教授)

主催:たんぽぽ舎

参加費:800

 

【白宗元さんの略歴】1923年、朝鮮平安北道義州に生まれ。京都大学経済学部卒。歴史学博士。建設通信社(現朝鮮通信社)社長、朝鮮大学校学部長、朝鮮総聯中央副議長、在日本朝鮮人体育連合会会長などを歴任。朝鮮民主主義人民共和国歴史学博士。著書に『語り継ぐ在日の歴史 分断と差別・迫害に抗して』など。

 

 今年の727日は朝鮮戦争(195053年)停戦65周年に当たります。朝鮮では米軍に勝ったということで「戦勝記念日」です。

 トランプ米大統領は419日に安倍首相との会談で「南北が望む朝鮮戦争終戦の実現」に意欲を表明。427日の北南首脳会談・板門店宣言は朝鮮戦争の年内終戦と「休戦協定」の「平和協定」への転換を目指す意思を確認。612日にシンガポールで開かれた金正恩朝鮮国務委員長との歴史的な朝米会談では、この板門店宣言に則り、朝鮮半島の安全保障確保・非核化を目指すとする共同声明を発表しました。

白さんは『検証 朝鮮戦争 ―日本はこの戦争にどうかかわったか』(三一書房、2013年)で、日本の「北が戦争を起こした」という通説の誤りを、1947年からの米国の動きなど歴史的背景を豊富な史料をもとに論じています。また、日本が朝鮮戦争に深く関わり日本の右傾化の出発点がこの戦争であったことを明らかにしています。ここ数年間、毎年訪朝してきた白さんは、朝米会談後の6月にも訪朝していますので、平壌の最新情報も聞けます。

安倍政権と御用メディアは、北南朝鮮の統一へのダイナミックな動きと、朝米融和の機運の前に、右往左往するばかりです。北東アジア情勢についての白さんの講演後の質疑応答で、日本の市民は今後の日朝関係正常化に向けて何をすべきかを考えたいと思います。私が司会をします。

 

白さんの『検証・朝鮮戦争』の書評「朝鮮問題の根本的理解促す」が朝鮮新報に載っています。

〔 ついこの間、朝鮮半島は核戦争一歩手前まで緊張した。朝鮮戦争がいまだ法的に終結せず、停戦状態が60年間も持続しているからである。こんにちの朝鮮半島情勢を根本的に理解したければ、朝鮮戦争そのものを正しく把握せねばならない。

 朝鮮戦争研究書は日本で多く出版されてきたが、「どちらが先に鉄砲を撃ったか」式の短絡的考察や、外交文書を一面的に分析するたぐいの研究がほとんどである。ベトナム、イラク、リビアなど米国が起こした戦争が侵略戦争であることは明らかだが、こと朝鮮戦争に関しては朝鮮民主主義人民共和国が侵略者で、米国は被害者という奇妙な通説が日本ではまかり通っている。

超大国米国を相手に、創建2年にもならない朝鮮がどうして敢えていどめるのか。いわゆるアチソン演説が朝鮮半島を防衛線からはずしたので、米国の介入を予想できなかったという説がある。しかしアチソン演説の全文を読めば、介入せぬとは言っていない。しかも、この演説の直後に結ばれた「韓米相互防衛援助協定」を、なぜか西側の研究者たちは無視している。

朝鮮戦争は、はじめ内戦として勃発した。したがって、まず戦争に至るまでの南北朝鮮の政治、経済、軍事情勢を総合的に分析せねばならない。しかる後に、国際情勢との関連性を見るべきである。日本におけるこれまでの朝鮮戦争研究は、不思議にも、この国内分析を素通りするのがほとんどだった。

1947年、冷戦の開始を告げる「トルーマン・ドクトリン」が宣布される。これを契機に38度線一帯で衝突が頻発し、ついには師団規模の戦闘にまで発展した。朝鮮戦争は1950625日に突発したのではない。すでに1947年から実質的には始まっていたのである。1948年、「北進統一」を「国是」とする南朝鮮単独政権樹立。だが、1950530日の総選挙で李承晩派は惨敗し、命運は尽きた。しかも前年には中国革命が成功している。米国は、ユーラシア大陸への唯一の足場である朝鮮半島から追い出される絶体絶命のピンチ。彼らを救ったのが、その直後の朝鮮戦争だったのである。

侵略を正当化する道具として、米国がいかに傍若無人に国連の看板を盗用したかを、本書は徹底的に暴露している。朝鮮戦争と日本とのかかわりを詳述し、今日のこの国の極端な右傾化の出発点が、ほかならぬこの戦争であったことを明らかにしているのも本書の大きな特色である。朝鮮戦争の背景と原因にたいする客観的、科学的分析によって、学問の衣をまとった米国由来のもろもろのデマは論破された。本書は朝鮮戦争にとどまらず、解放後の朝鮮歴史のいきいきした教科書の役割も果たしている。(南圭一、評論家) 〕

 

今年の727は私の古希、5年前の訪朝が解雇理由に

 

ところで、朝鮮戦争停戦記念日の727日は、ついでに私の誕生日です。今年は70歳の古希です。7月末に訪朝すると、朝鮮では727日、青年たちが舞踏会を開いたり、花火を打ち上げたりしてくれます。

 1年前の74日は、朝鮮が米国本土にまで届くICBM試射実験を遂行した日です。私はその日の午後平壌に入りました。米国が朝鮮への先制攻撃をあきらめた日です。

 2013727日、平壌で開催された「朝鮮戦争勝利60周年国際記念式典」に、日本からの訪朝団の一人として参加しました。朝鮮からの招請でした。団長は日森文尋・元衆議院議員で、13人で参加しました。式典前日の13726日が同大での春期の期末試験の日で、私が「期末試験に立ち会わなかった(21037月)」(私の定年延長を審議した社会学研究科委員会=教授会=で同僚の小黒純教授ら4人が作成・配布した「検討事項」文書)ことが解雇の理由の一つにされています。

 この「期末試験に立ち会わなかった」ということを社会学部主任会(5学科から選手地された主任の会議、議長は冨田社会学部長)で最初に問題にしたのは、季刊誌「インパクション」編集委員だった板垣竜太・社会学研究科社会学専攻准教授(当時、現在教授)です。

教授会で配られた「検討事項」文書を私は怪文書と呼んでいます。この怪文書での書き方では、あたかも私が試験監督を怠慢で立ち会わなかったかのような印象を与えますが、この期末試験時には、大学に届けて出て個人研究費を使用した公務出張で海外に出かけていました。個人研究費を使っての公務出張稟議書を提出し、正式手続きを経て、学部事務室と相談して、事務室の角厚志角さんと大学院生の矢内氏が試験監督を担当する手当てをして出発しています。この出張で私は朝鮮を訪問し、朝鮮戦争停戦協定締結60周年に関連する行事に参加し、平壌、開城、信川等で学術討論会参加および現地調査を行いました。この訪朝に関して、日森さんは20161023日、同大大学院の同僚5人を被告とした京都地裁の名誉毀損裁判で陳述書を出してくれています。末尾に紹介します。

 

私は093月の設立時から、日本と朝鮮の国交正常化および市民交流活発化を目指す市民団体「文化・学術・市民交流を促進する日朝友好京都ネット」の理事を務めています。また、20129月に立ちあがった日朝学術研究会の呼びかけ人を務めています。研究会の呼びかけ人は、水野直樹教授(京都大学)、小倉紀蔵教授(京都大学)、田中俊明教授(滋賀県立大学教授)など著名な研究者によって構成されており、板垣准教授も呼びかけ人の一人です。

私は研究目的という正当な理由のもと、期末試験期間ないに出張したのであり、「・期末試験に立ち会わなかった」と言う表記は極めて不適切な表現です。

 

 

板垣氏は東京大学大学院出身で、彼が院生の時から知っています。京都朝鮮初級学校が襲撃された事件では、証人になり、法廷証言もした左翼リベラル派の象徴的な教育研究者です。

板垣氏は私の問い合わせメールに、「期末試験の監督を他の人に任せたことは私の倫理からすると、ちょっと考えにくいのです」「浅野先生でなくとも、同じようなことが起こったことを知ったら、同じように苦言を呈していたと思います。オムニバス講義であれば代表の教員のみ監督ということはあると思いますが、個人の授業で自らが作問した試験の監督をされなかった先生が他にもいるとしたら、驚きです」と書いてきました。

私が期末試験をしなかった問題は、試験を受けた学生のうち二人が不正行為をして私の試験監督の代行をした博士後期課程2年生の矢内真理子氏に摘発されたことがきっかけでした。科目担当の私と学部の間で連絡がすぐに取れなかったことがあったのです。

板垣教授の法令順守というか高い倫理観には敬意を表します。しかし、ものごとにはいつも例外があり、その時点でベストな道を選ぶしかないと私は思います。今回のケースでは、何とか試験を訪朝期間以外にと私は事務室、学科で相談して進めましたので、板垣さんに結果論であれこれ言われるのは全くの迷惑です。

板垣氏は2012年度の同志社大学教職員組合委員長でした。しかし、板垣氏は、私の解雇が決定的になった201312月、「大学相手の裁判になるので関われない」と通告し、今日に至っています。私も1997年度の組合委員長でした。板垣氏は、私を解雇に追い込んだ冨田安信研究科長(当時)が「学部・研究科のことでいつも相談する先生たち」の一人でした。板垣氏と私が所属する組合社会学部支部は、私に相談もなく、144月中旬の支部会議で、私を組合から除名するよう求める「組合員扱い撤回要求決議」を行い、組合本部へ要請しています。

解雇されても組合員を守ってもくれないのが、「革新」陣営、労働組合です。同大の若手教員の組合加入者が減っていますが、労働裁判委敵対する組み位に入る価値はありません。私は20年間で199万円の組合費を納入しました。その返還を求める裁判を近く起こします。

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【参考資料】

[ 2016年10月23日

 

平成27年(ワ)第2120号

損害賠償請求事件

原告 浅野健一

被告 渡辺武達外4名

 

京都地方裁判所第3民事部 御中

 

陳  述  書

              

                                    

              住所 (略)

              氏名  日森文尋 印(略)

 

私は1971年3月に中央大学経済学部を卒業し、与野市(現さいたま市)職員となり、与野市議会議員(4期)、衆議院議員(2期、社民党国会対策委員長)などを経て、現在、「朝鮮の自主的平和統一を支持する日本委員会」議長を務めています。

この度、日朝友好運動における私の知り合いである同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻の浅野健一教授が定年延長の審議が行われた教授会において、同僚教授が頒布した〈浅野教授定年延長の件検討事項〉と題する文書を名誉毀損だとして東京地裁(貴裁判所へ移送)に損害賠償請求訴訟を起こしたと知りました。

この文書(作成者名・作成日時の記載なし)は2013年10月30日と11月13日の社会学研究科委員会で行われた浅野教授の定年延長にかかわる審議における唯一の審議資料だったそうです。この文書の〈3 学内業務面〉には、〈[要点]貢献度が低く、逆に周囲の足を引っ張っている〉という記述に続いて、第二項目として〈期末試験に立ち会わなかった(2013年)〉と書いてありました。浅野教授は、この文書の頒布によって、定年延長に関する公正な審査を受ける権利を侵害され、また、その名誉を著しく毀損された結果、甚大な精神的苦痛を被ったとして同僚5人を相手取って損害賠償請求訴訟を起こしています。

同僚教授5人が文書で、「期末試験に立ち会わなかった」として、浅野教授を「大学院教授として不適格」の根拠としている期末試験は2013年7月25日に実施されたということです。

5人が問題にするこの期末試験が行われた時、浅野教授は私と一緒に朝鮮民主主義人民共和国(以下朝鮮)にいました。浅野教授はこの旅行に関し、冨田安信社会学研究科長・村田晃嗣学長(両名とも当時)に届け出て承認を受けた上、大学支給の個人研究費を使用した公務での海外出張であり、試験の監督についても社会学部事務室の事務長、学部教務担当職員と協議を重ねた上、監督代理者2名(担当職員と大学院博士後期課程院生=試験科目のティーチングアシスタント)を立てて実施したと聞いています。

浅野教授は2013年7月23日から30日まで、私を団長とする「朝鮮戦争停戦協定締結60周年朝鮮訪朝団」の一員として、平壌はじめ朝鮮各地を訪問し、朝鮮戦争の実態を改めて確認することと同時に、この停戦協定を対米平和協定へと発展させることを求める朝鮮の人民の熱意に触れてきました。

浅野教授を含む訪問団は、私の所属する「朝鮮の自主的平和統一を支持する日本委員会」が事務局を担当し、全国の日朝友好団体及び文化交流団体、学術交流団体などの代表者24名で構成され、朝鮮対外文化連絡協会の招請で訪問したものです。浅野教授は京都において「文化・学術・市民交流を促進する日朝友好京都ネット」理事、「日朝学術研究会」呼びかけ人を務めており、両団体を代表しての訪朝でした。

この訪朝団の目的は、第一に朝鮮がこの停戦協定60周年に際して最大の目標に掲げた、「朝米平和協定締結」実現に私たちも全面協力することを表明し、朝鮮人民との連帯を深めることでした。平壌・開城で数万人の市民、世界20数か国からの代表団と共に「朝鮮半島の平和と安定を求める国際平和大行進」に参加し訪朝団としての決意表明も行いました。金正恩労働党第一書記も出席した人民軍事パレードへの参加、慶祝夜会での各国代表団との積極的交流、報道関係者との懇談など、有意義な活動も展開できました。第二に、改めて朝鮮戦争とは何かを確認することでした。米軍による大量虐殺があったとされる信川では、元米司法長官のラムゼー・クラーク氏が、朝鮮戦争は「米国にとって誤った戦争であった」ことを謝罪し、朝米友好について言及しました。私たちも、この戦争に「17番目の参戦国」として重大な役割を果たしたことに、深い反省と謝罪の気持ちを新たにしました。

朝鮮は国連加盟国であり、既に170カ国を超える国々と国交を結び、厳しい環境下でも着実に発展の道を歩んでいる姿も、平壌はじめ街の変遷を通して確認できました。同時に、朝鮮の平和統一と朝米和解が、日本を含む東アジア地域の平和と安定にとって最重要課題であること、そのためにも小泉純一郎内閣総理大臣と金正日国防委員長が署名した2002年9月17日の「平壌宣言」に沿った日朝国交正常化を実現することの必要性を改めて痛感した訪朝でした。

 

私は2年後の2015年8月12日から25日、浅野教授を含む「朝鮮解放70年慶祝日本代表団」の団長として再び平壌を訪れました。8月17日には、市内で宋日昊国交正常化大使と2時間懇談し、14年5月の日朝ストックホルム合意に対する朝鮮側の包括的見解を確認しました。浅野教授は新聞学研究者・朝鮮研究者として名を知られており、大使から率直な意見を聞き出して、帰国後、大使の発言内容は浅野教授を情報源として、多くの報道機関でニュースとなりました。なかなか溝の埋まらない日朝間関係に、微力でも私たちが架け橋となり、一歩でも前進できる環境をつくることにも力を注ぎたいと改めて決意しました。

 

以上のように、浅野教授の2013年7月下旬の訪朝は、鎖国時代に国禁を犯して渡米し、帰国後、官ではなく人民のための学園を開いた新島襄の建学精神を受け継いだ貴重な活動です。同志社大学の今出川キャンパスには、英文科の学生で戦時中に獄死した詩人、尹 東柱(ユン・ドンジュ)さんの詩碑があります。また、同志社大学は朝鮮高校卒業生の受験資格を最初に認めた大学として知られ、学校法人同志社が運営する諸学校には在日朝鮮人が多数学んでいます。

たまたま期末試験と重なり、担当科目の試験に「立ち会わなかった」ことを、浅野教授の大学院教授としての「学内業務面」での「貢献度」の問題にするのは不当だと私は考えます。

貴裁判所がこの問題で、公正な判断をされるようお願い申し上げます。                      (了) 〕

                                  (以上)