東京地方裁判所民事第31部合議A係 御 中

陳述書

         

山際永三

 

1. 私と日本マス・コミュニケーション学会の関係について

 

 私は1960年代から映画監督の仕事をしてきました。1960年代は、マスメディアとしてのテレビが勃興してきた時代で、私自身テレビの子ども番組(テレビ映画)を多数監督し、テレビ局の裏側を見てきました。

 私が監督した作品は、『コメットさん』『ウルトラマン・シリーズ』『俺はあばれはっちゃく』などです。

 1980年代には、経済的にも影響力の面でもテレビが新聞を凌駕し、全国のテレビ局が新聞との系列化を遂げました。これにより新聞・テレビの画一化傾向が強まり、〝発表ジャーナリズム〟と揶揄されるような傾向が強まり、マスメディアは〝第4の権力〟とも呼ばれることとなりました。この現象は、民主主義社会に決していい影響をもたらすことはありませんでした。

 私は、浅野健一氏らとともに市民運動体「人権と報道・連絡会」を1985年に立ち上げ、新聞・テレビに様々な提言を行なってきました。例えば、犯罪・事件報道においてそれまでは警察に逮捕された人は、実名〝呼び捨て〟となるのが当然とされてきましたが、1989年からは、「○○容疑者」とか「○○社長」とかいう表記が基準とされるようになりました。これなどは、私たちの運動の成果であると考えています。

 人権と報道・連絡会の33年にわたる活動の一覧が掲載されている昨年のシンポジウムのチラシを本書末尾に添付します。

 私は日本マス・コミュニケーション学会の会員となり、1999年春期研究発表会のワークショップ(以下WSと記載)において、浅野健一氏と私が討論者として「人権と犯罪報道の現在―和歌山カレー事件報道を検証する」というWSを開催し、その要約は学会の学会誌(紀要)に公表されました。2001年は、同じく私と浅野氏により、「新聞各社の苦情対応組織とメディア責任制度」、2008年は、「裁判員制度とメディア責任制度」、2011年は、「冤罪をなくすために報道はどう変わるべきか」を行ない、それぞれの結果はその年の学会誌に掲載・公表されました。

 

2.2015年のワークショップ原稿の紀要への掲載について

 

 2015年は、「警察リークと犯人断定報道」を行ないましたが、予期しなかった事態が起こり、本訴訟に至るトラブルとなりました。

 私と浅野氏は、WSで話題となり、浅野氏が発言し、参加者とのあいだで討論にもなった事項(浅野氏の肩書き等の問題)を要約し原稿としました。ところが、私たちのWSに参加もしていなかった学会役員が、自分たちの気に入らないことを原稿に書いたということで、それを修正しろと言ってきて、その交渉中に学会誌の印刷を強行し、私たちにその結果を押しつけ、WSで話し合われたこと全体を抹殺しようとする行為は、全くもって私たちの言論を検閲し、抹殺しようとする暴挙であり、表現の自由への重大な侵害行為です。

 その後2016年に、WS「安倍晋三政権の言論統制と『新聞に軽減税率』」、2017年には「警察取材記者の過重労働と市民の知る権利」を行ない、2015年に学会役員から修正を要求された事項と同様の記事部分を含む原稿を編集関係者に提出し、浅野氏の肩書き問題などで再び修正要求があるかどうかを観察していたところ、全く問題なく原稿どおりに掲載・発行されました。

 そこで私は、2015年の際の学会役員が、とくに私と浅野氏を邪魔もの扱いし

て、白紙発行という非常識なことをやったのであることを確信し、怒りをもった次第です。

 本訴訟において被告側は、責任の有無について、編集委員とか、担当理事とか理事会とかの名を出して、学会誌の白紙発行は正当であったと言い訳しています。だが問題を、あれこれの手続きに矮小化するべきではありません。検閲と言論・表現の自由に対する抹殺の責任こそ問われているのです。

 

3.2015年ワークショップの内容と被告らの責任

 

 問題のWSのテーマは「警察リークと犯人断定報道」でした。私が報告を行ない、主として1966年に静岡県で起きた「袴田事件」の事件発生時点の新聞報道を精査し、同事件の証拠上の問題点は多数あったことを前提として冷静な捜査、報道がなされるべきであったことを、研究の結論として述べました。

 最も重要な証拠問題として、火災となった事件現場の焼け跡から発見されたという「くり小刀」の刃体部分(刃わたり約13㎝)が、犯人1人によって使用され、被害者4人を殺害することができるかどうか、犯人は複数なのではないか、凶器はその「くり小刀」の刃体部分ではないのではないかということが当初からあったはずだと、私は指摘しました。

 そのうえで、従業員であった袴田巌氏が消火活動の際に怪我をして包帯を巻いていたのを、殺害行為の際の怪我ではないかとの完全な憶測から、「従業員『H』浮かぶ」と書いたのが毎日新聞静岡版であることに注目すべきだと強調しました。

 当時の新聞記事全体の統計をとってみても、他紙と比べて毎日新聞の記事数・記事の大きさが目立ち、警察捜査と癒着していくつかの憶測記事を掲載し、なかには後で完全な誤報であったことが明らかとなる記事もあったこと、さらに袴田氏が起訴される段階で静岡支局長の署名記事を出し、「科学捜査の勝ちどき」とか「ガンとして二十日間も口を割らなかったしぶとさ、がん強さと反社会性は犯罪者に共通した性格だが、袴田の場合は極端である」とまで書いて袴田氏を罵倒しています。

 さらに後年、この毎日静岡支局長は本社社会部長にまで出世して、1980年には自慢話の書籍『事件記者』を出版し、袴田事件当時、捜査員が支局長の自宅まで来て情報を提供してくれたことなどを書いています。その記載部分コピーを本書末尾に添付します。

 私はWSにおいて、資料(本訴訟甲第10号証)を配布したうえで論証し、事件報道におけるマスメディアの影響力、責任の大きさを提起しました。

 

4.本訴訟に及んだ私の思い

 

 そのWSには、袴田巌氏の姉である袴田秀子さんや長年の支援者平野君子さんも参加してくれました。

 私は、私の研究がWSで発表されたにもかかわらず、それが学会誌では白紙のままで研究の内容が抹殺されたことを、悲しく思い、怒りも感じています。それは、せっかく参加してくれた袴田秀子さんたち袴田事件当事者の方々の努力についてバックアップすることができず、期待を裏切ってしまったことを、本当に残念に思い、申し訳ない気持ちを持っていることに繋がります。

 日本マス・コミュニケーション学会が、以上のように言論・表現の自由を踏みにじっておきながら、一片の反省も示さない実態に対して、悲しく、そして怒りをもって抗議し、本訴訟に及んだ次第です。

                                以上