同志社大学 浅野健一教授の労働裁判を支援する会 ブログ

2014年4月、同志社大学から追放された、浅野健一教授。 元・共同通信の記者であり、生粋のジャーナリストとして輝かしい経歴を持つ浅野教授は、同志社大学と闘うために立ち上がっています。 これは、闘う浅野教授を支援し、情報発信するためのブログです。

2018年08月

8月24日と31日の会合についてお知らせします。

 

*オウム死刑執行を考える集会

824日(金)夜、東京文京区で開かれる「死刑執行に抗議し、オウム事件についてもう一度考える」集会に河野義行さんと一緒に浅野健一さんが登壇します。主催者がネットで告知しています。

http://www.aum-shinsokyumei.com/

 

集会の会場は文京区民センターです。

東京都文京区本郷41514 電話:03-3814-6731

地図は下記です。

http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1754

 

集会のタイムスケジュールなどは下記です。主催者からの案内です。

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「死刑執行に抗議し、オウム事件についてもう一度考える」集会 

824日(金) 18時開場 1830分開会/文京区民センター3A

 

24日のタイムスケジュール;

 第1部 18時半~ 

   森達也さん(作家・映画監督・明治大学特任教授) ~真相究明の会の活動と死刑執行について~ 1830分~40分 

   野田正彰さん(松本元死刑囚に面会した精神科医)×二木啓孝さん(ジャーナリスト)1840分~1910

  河野義行さん(松本サリン事件被害者)×浅野健一さん(ジャーナリスト)1910分~40分 

   休憩10分間

第2部 1950分~2110分 死刑執行とオウム事件について

  下村健一さん(地下鉄サリン被害者医療支援NPORSC」理事)   雨宮処凛さん(作家)    有田芳生さん(参議院議員)   落合恵子さん(作家)   茂木健一郎さん(脳科学者) -ビデオ出演   金平茂紀さん(TVジャーナリスト)

-ビデオ出演  堀潤さん(ジャーナリスト)ビデオ出演  PANTAさん(ロックミュージシャン)ビデオ出演   鈴木邦男さん(一水会元顧問)   山本直樹さん(マンガ家)   坂上香さん(ドキュメンタリー映画監督)   坂手洋二さん(劇作家「燐光群」主宰)   安岡卓治さん(映画プロデューサー)

 2110分 終了

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831人報連の8月定例会

人権と報道・連絡会の定例会が8月31日(金)6時半、東京・水道橋の「スペースたんぽぽ」で開かれます。

テーマは<「今市事件」控訴審判決と報道検証>です。以下は山際永三事務局からの案内文です。

 

 <可視化ビデオが裁判員裁判で、弁護側の解釈とは真逆の印象を与えて有罪(無期)となった「今市事件」控訴審判決は、そのビデオそのものを証拠にしてはいけないと真逆の解釈を示しながら、状況証拠を大幅に採用して有罪を維持するという、わけのわからない独自判決だった。事件発生から8年半もたってから、容疑者とされたKさんは典型的な別件逮捕で長期間の取調べにさらされ、ついに「自白」をもぎ取られたと言う。DNA鑑定はどうなったのか? 

 人権と報道・連絡会では2014年9月定例会で「今市事件」をとりあげ、別件逮捕―「自白」で地元下野新聞をはじめ一斉に実名報道に走り、「足利事件」の報道検証・反省が完全に吹き飛ばされた実態が明らかにされた。

 控訴審から弁護団に参加された今村核弁護士(『冤罪と裁判』など著書多数)が、今日の刑事司法の行方を示す意味で重要なポイントとなる今回の判決について、貴重な報告をいただくことになった。多くの方の参加を期待する。

 「スペースたんぽぽ」

  東京都千代田区神田三崎町262 ダイナミックビル4

 電話033238-9035  FAX 03-3238-0797

地図 http://vpress.la.coocan.jp/tanpopotizu.html >

 

929「チュチェを知る千葉の会」で浅野健一さんが講演

 

日時 9月29日(土)14:00~(13:30~受付)

場所 千葉市中央コミュニティセンター5階 講習室2

            https://www.city.chiba.jp/shisetsu/community/0005.html

 


東京地方裁判所民事第31部合議A係 御 中

陳述書

         

山際永三

 

1. 私と日本マス・コミュニケーション学会の関係について

 

 私は1960年代から映画監督の仕事をしてきました。1960年代は、マスメディアとしてのテレビが勃興してきた時代で、私自身テレビの子ども番組(テレビ映画)を多数監督し、テレビ局の裏側を見てきました。

 私が監督した作品は、『コメットさん』『ウルトラマン・シリーズ』『俺はあばれはっちゃく』などです。

 1980年代には、経済的にも影響力の面でもテレビが新聞を凌駕し、全国のテレビ局が新聞との系列化を遂げました。これにより新聞・テレビの画一化傾向が強まり、〝発表ジャーナリズム〟と揶揄されるような傾向が強まり、マスメディアは〝第4の権力〟とも呼ばれることとなりました。この現象は、民主主義社会に決していい影響をもたらすことはありませんでした。

 私は、浅野健一氏らとともに市民運動体「人権と報道・連絡会」を1985年に立ち上げ、新聞・テレビに様々な提言を行なってきました。例えば、犯罪・事件報道においてそれまでは警察に逮捕された人は、実名〝呼び捨て〟となるのが当然とされてきましたが、1989年からは、「○○容疑者」とか「○○社長」とかいう表記が基準とされるようになりました。これなどは、私たちの運動の成果であると考えています。

 人権と報道・連絡会の33年にわたる活動の一覧が掲載されている昨年のシンポジウムのチラシを本書末尾に添付します。

 私は日本マス・コミュニケーション学会の会員となり、1999年春期研究発表会のワークショップ(以下WSと記載)において、浅野健一氏と私が討論者として「人権と犯罪報道の現在―和歌山カレー事件報道を検証する」というWSを開催し、その要約は学会の学会誌(紀要)に公表されました。2001年は、同じく私と浅野氏により、「新聞各社の苦情対応組織とメディア責任制度」、2008年は、「裁判員制度とメディア責任制度」、2011年は、「冤罪をなくすために報道はどう変わるべきか」を行ない、それぞれの結果はその年の学会誌に掲載・公表されました。

 

2.2015年のワークショップ原稿の紀要への掲載について

 

 2015年は、「警察リークと犯人断定報道」を行ないましたが、予期しなかった事態が起こり、本訴訟に至るトラブルとなりました。

 私と浅野氏は、WSで話題となり、浅野氏が発言し、参加者とのあいだで討論にもなった事項(浅野氏の肩書き等の問題)を要約し原稿としました。ところが、私たちのWSに参加もしていなかった学会役員が、自分たちの気に入らないことを原稿に書いたということで、それを修正しろと言ってきて、その交渉中に学会誌の印刷を強行し、私たちにその結果を押しつけ、WSで話し合われたこと全体を抹殺しようとする行為は、全くもって私たちの言論を検閲し、抹殺しようとする暴挙であり、表現の自由への重大な侵害行為です。

 その後2016年に、WS「安倍晋三政権の言論統制と『新聞に軽減税率』」、2017年には「警察取材記者の過重労働と市民の知る権利」を行ない、2015年に学会役員から修正を要求された事項と同様の記事部分を含む原稿を編集関係者に提出し、浅野氏の肩書き問題などで再び修正要求があるかどうかを観察していたところ、全く問題なく原稿どおりに掲載・発行されました。

 そこで私は、2015年の際の学会役員が、とくに私と浅野氏を邪魔もの扱いし

て、白紙発行という非常識なことをやったのであることを確信し、怒りをもった次第です。

 本訴訟において被告側は、責任の有無について、編集委員とか、担当理事とか理事会とかの名を出して、学会誌の白紙発行は正当であったと言い訳しています。だが問題を、あれこれの手続きに矮小化するべきではありません。検閲と言論・表現の自由に対する抹殺の責任こそ問われているのです。

 

3.2015年ワークショップの内容と被告らの責任

 

 問題のWSのテーマは「警察リークと犯人断定報道」でした。私が報告を行ない、主として1966年に静岡県で起きた「袴田事件」の事件発生時点の新聞報道を精査し、同事件の証拠上の問題点は多数あったことを前提として冷静な捜査、報道がなされるべきであったことを、研究の結論として述べました。

 最も重要な証拠問題として、火災となった事件現場の焼け跡から発見されたという「くり小刀」の刃体部分(刃わたり約13㎝)が、犯人1人によって使用され、被害者4人を殺害することができるかどうか、犯人は複数なのではないか、凶器はその「くり小刀」の刃体部分ではないのではないかということが当初からあったはずだと、私は指摘しました。

 そのうえで、従業員であった袴田巌氏が消火活動の際に怪我をして包帯を巻いていたのを、殺害行為の際の怪我ではないかとの完全な憶測から、「従業員『H』浮かぶ」と書いたのが毎日新聞静岡版であることに注目すべきだと強調しました。

 当時の新聞記事全体の統計をとってみても、他紙と比べて毎日新聞の記事数・記事の大きさが目立ち、警察捜査と癒着していくつかの憶測記事を掲載し、なかには後で完全な誤報であったことが明らかとなる記事もあったこと、さらに袴田氏が起訴される段階で静岡支局長の署名記事を出し、「科学捜査の勝ちどき」とか「ガンとして二十日間も口を割らなかったしぶとさ、がん強さと反社会性は犯罪者に共通した性格だが、袴田の場合は極端である」とまで書いて袴田氏を罵倒しています。

 さらに後年、この毎日静岡支局長は本社社会部長にまで出世して、1980年には自慢話の書籍『事件記者』を出版し、袴田事件当時、捜査員が支局長の自宅まで来て情報を提供してくれたことなどを書いています。その記載部分コピーを本書末尾に添付します。

 私はWSにおいて、資料(本訴訟甲第10号証)を配布したうえで論証し、事件報道におけるマスメディアの影響力、責任の大きさを提起しました。

 

4.本訴訟に及んだ私の思い

 

 そのWSには、袴田巌氏の姉である袴田秀子さんや長年の支援者平野君子さんも参加してくれました。

 私は、私の研究がWSで発表されたにもかかわらず、それが学会誌では白紙のままで研究の内容が抹殺されたことを、悲しく思い、怒りも感じています。それは、せっかく参加してくれた袴田秀子さんたち袴田事件当事者の方々の努力についてバックアップすることができず、期待を裏切ってしまったことを、本当に残念に思い、申し訳ない気持ちを持っていることに繋がります。

 日本マス・コミュニケーション学会が、以上のように言論・表現の自由を踏みにじっておきながら、一片の反省も示さない実態に対して、悲しく、そして怒りをもって抗議し、本訴訟に及んだ次第です。

                                以上


20188月1日

平成30年(ワ)第152号 損害賠償請求事件

原 告  浅野健一 外1名

被 告  日本マス・コミュニケーション学会 外2名

東京地方裁判所民事第31部合議A係御中

 

            陳 述 書

 

頭書事件について、原告本人として次のとおり陳述致します。なお、本陳述書で言及する方々の役職は、特に断りのない場合、いずれも当時のものです。

 

1 日本マス・コミュニケーション学会と私の関りについて

私は1972年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年4月から一般社団法人共同通信社の記者となりました。共同通信は日本を代表する総合国際通信社で、社会部、千葉支局、外信部で記者やデスクとして働き、ジャカルタ支局長などを歴任しました。

私は1994年3月末に22年間勤めた共同通信を退社し、同年4月から2014年3月末までの20年間、学校法人同志社(水谷誠理事長=神学部教授、以下・同志社)が運営する同志社大学(以下、同大)大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程(旧・大学院文学研究科新聞学専攻)及び同大社会学部メディア学科(旧・文学部社会学科新聞学専攻)において20年間、教授の職にありました。

1998年に大学院文学研究科新聞学専攻(2005年に社会学研究科メディア学専攻と改称)博士後期課程が設置されましたが、その際、文部省(当時)による教員審査で、私は博士論文の指導が可能な「D○(マル)合」の資格が文部科学省によって認められています。

私は2014年3月末に、渡辺武達教授(2015年3月に70歳で定年退職、現在名誉教授)グループ(「週刊文春」裁判の大阪高裁確定判決=文春に550万円の賠償を命令=は2004年に設立と認定)の主要メンバーである小黒純・メディア学専攻教授(大学院前期課程任用教授、2012年4月に龍谷大学から赴任)らが中心となった共謀による“闇討ち”の暗黒裁判で同大から暴力的に追放されました。1951年以来、希望するすべての大学院教授に認められてきた定年延長を研究科委員会(院教授会)の前例のない無記名投票による議決(新任採用人件と同じ可決要件)で拒否され、一般教職員と同じ「65歳で定年退職」という形の極めて巧妙なやり方での不当解雇でした。

私は「65歳定年」で、大谷實・同志社総長からから感謝状をもらって退職した形になっていますが、指導途中だった学生(院と学部)が50人以上もいるのに、同大は特別任用教授(同じ学校法人が運営する同志社女子大は定年延長制度を廃止し、特任教授制度に切り替えています)、嘱託講師など他の雇用形態での再雇用も拒み、大学からの完全追放でした。20年間も大学院教授・学部教授を務めたのに、名誉教授にもならず、70歳まで可能な他の雇用形態(特別任用教授、客員教授、嘱託講師)での雇用契約もなかったのは、渡辺グループの悪意にも基づく独断的な行為の結果です。私は2014年4月以降もなお同大大学院及び同大における専任教員(従業員)の地位にあることの確認を求めて、同志社を被告として、同年2月3日、京都地方裁判所に従業員地位確認等請求訴訟を起こして、現在最高裁判所において係争中です。

私の研究活動ですが、共同通信社に入社2年後の1974年に千葉支局記者として、冤罪・首都圏連続女性殺人事件で勾留中の被疑者に面会取材したことから、人権と犯罪報道について関心を持ち、当時、冤罪事件の救援をしていた山際永三さんと出会い、奥平康弘東京大学教授(当時、故人)、新井直之東京女子大学教授(故人、元共同通信文化部長)らの指導を仰ぎながら、「人権と犯罪報道」「被疑者・被告人の名誉プライバシーと表現の自由」に関する調査研究に携わるようになり、現役記者時代の1984年に出版した『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、後に講談社文庫・新風舎文庫、『裁判員裁判と「犯罪報道の犯罪」』昭和堂に所収)を出版しました。

この本は大きな反響を呼び、1985年7月、山際さんが事務局長を務める市民組織、「人権と報道・連絡会」(人報連)が発足しました。私は人報連の世話人をしています。

1999年3月から10月まで、厚生省(当時)の公衆衛生審議会臓器移植専門委員会の専門委員(メディア論)を務め、医療の透明性の確保と患者のプライバシー保護について意見を表明しました。国立国会図書館の職員研修で「表現の自由と個人の名誉・プライバシー」で講師を務めました。

専門領域は「表現の自由と名誉・プライバシー」で、特に人権と報道に関心を持っており、事件事故に関する報道において「取材・報道の自由」と「取材・報道される側の権利」などの人権をどう調整・両立させるべきかなどについて研究・教育しています。

私は同大教授に就任が内定した1993年に「日本マス・コミュニケーション学会」(当時、日本新聞学会、以下「学会」と言います)に入会しました。日本新聞学会は当時、稲葉三千男・高木教典両東大教授らリベラルな学者が会長を務め、国家機密法案に反対声明を出すなど革新的な学会でした。当時の学会執行部は私の著作に関心を示し、学会に入会する前の記者時代に、学会の企画したシンポジウム、研究会に招かれたことが度々あります。

学会では毎年のようにワークショップの司会者、報告者を務めてきました。また、同大大学院で指導していた学生が毎年のように学会の大会で研究発表し、学部の浅野ゼミとの共同研究で「裁判員制度と報道倫理基準」を提言したこともあります。

なお、私の詳しい経歴・著作については末尾に載せさせていただいたプロフィールのとおりです。

 

2 2015年ワークショップ報告文の検閲の経緯について

学会のワークショップでは、司会を務めた会員が学会の編集委員会委員長に報告文を送り、年に2回発行される紀要『マス・コミュニケーション研究』(新聞学評論・改題、以下「紀要」と言います)に掲載されます。

これは、被告の答弁書で言うような「投稿」では全くなく、学会が開催したワークショップの報告文です。ワークショップを担当する学会企画委員長が各ワークショップの司会担当者に執筆を一任して、報告文をそのまま掲載してきました。

学会執行部は、2016年1月に学会が発行した紀要88号で、私が書いた2015年6月14日に同志社大学新町キャンパスで開かれた春季研究発表大会〈ワークショップ7 警察リークと犯人断定報道―袴田事件から氷見事件まで〉の報告文を掲載せず、1ページをまるごと白紙にして出版しました(甲第13号証の1、2)。紀要は学文社が発行し、全国の書店のメディア関係などの売り場で販売(甲第32号証)されています。

言論自由を調査研究する学会が、会員の学会企画のワークショップに関する報告書を、筆者に相談もなく白紙で発行したのは前例のない暴挙です。しかも、学会執行部との話し合いの途中の一方的な「説明なき」白紙発行でした。

驚くべきことに、現在の学会会長の佐藤卓己京都大学大学院教授(1994年から2001年まで同大で私の同僚の専任講師・助教授)は私への聞き取りもせずに、白紙発行を正当化する見解を学会HPに掲載しています(甲第29号証の1,2)。学会HPは本件訴訟書面を生の形でアップしており、山際さんと私の住所、署名、印影がそのまま流れています。私は自分の住所を「文化手帳」(潮出版)以外で公開していません。インターネットに個人情報を流して平気な学会執行部の無責任さに憤りを感じています。

袴田事件で再審を求めている袴田巌さんに対し、東京高裁で2018年6月11日に静岡地裁の再審開始決定を取り消す決定を行いました。地裁決定から4年3カ月経っての残念な決定でした。日本に冤罪が絶えず、報道機関による権力監視機能がほとんどないのは、メディア学者がきちんとした仕事をしていないからだと思っています。袴田さんの捜査段階でのマスメディア報道を検証した本件ワークショップの報告文が学会によって今もお蔵入りしていることは、新たな報道加害だと私は思います。

今回の学会の白紙発行・検閲は、学会内部の紀要編集上の問題ではなく、学会の一部理事らによる私と山際さんへの、嫌がらせ、パワハラによる言論弾圧です。「学問の自由」として、学会の裁量として許される限度を大きく踏み外した不法行為であり、司法の正義によって正していただくしかなく、本件訴訟を提起しました。

以下、学会執行部との紀要報告文の白紙発行問題について経緯を説明します。

 

1)「違和感がある」が最初の削除要請理由

学会の紀要で学会執行部がワークショップ報告文に「違和感がある」として「改稿」(削除)を求めてきたのは、次のような報告文の最後の文章でした。

 

〔 514日発行の学会会報に掲載された司会者・浅野の「所属」は「同志社大学(学校法人同志社と地位確認係争中)」となっていた。1994年以降、私の所属は「同志社大学」であった。学会役員は4月から、所属について何度も尋ねてきた。私は、なぜ14年度までの表記ではダメなのか、どこの誰が問題にしているのかを役員に尋ねたが、納得のいく説明はなかった。新表記に違和感も残るが、私が同志社から解雇され京都地裁に地位確認請求訴訟を起こして裁判中である事実を学会会員に知ってもらえてよかった。浅野は「所属問題での見解」文書を学会で配付した。希望者には送付したい。  〕      

報告文に書いたこの文章は、実際に行われたワークショップで私が資料を配布して報告したことをまとめたものです。

学会執行部は紀要で報告文を白紙発行した理由について、学会理事会は2016年3月16日、〈当学会がこの裁判に関わることは学会の活動目的の範囲をこえると判断した〉〈従って、係争中の裁判に関する浅野会員の主張を掲載する内容を含むワークショップの記録は、学会誌に掲載することは妥当ではないと考えた〉などと書いています。

私の文章には、私が原告となった労働裁判に関する私の主張は一字もありません。学会執行部が私の所属を、裁判を理由に勝手に変更したことの経過を事実に基づいて書いたのです。

つまり、学会は、裁判に関わらないと言いながら、私の所属先の変更を求めたことを正当化しようとして、当該文章を削除しない限り、報告文を掲載しないと要求してきたのです。

 

2)学会会員の所属機関は自己申告制

ここで、学会の所属は自己申告に基づいて表記されていることを裁判官のみなさんに認識していただきたいと思います。

2013年8月ごろ、私の自宅に送られてきた「2013年度 会員登録内容確認票」(末尾の添付資料)を見てください。

この確認票の中央に「所属機関」がありますが、そこに何を書くかは会員に任されています。私はこの会員登録内容を今日まで変更していません。学会から変更を求められたこともありません。この確認票は学会における戸籍、住民登録のようなもので、学会が勝手に変更できないのです。

学会理事の山田健太専修大学教授(元日本新聞協会職員)が「問題」と指摘(甲第17号証)しているように、専任ポストを得ていない会員は、非常勤講師、嘱託講師、客員教授、研究員など非常勤雇員であっても、所属先を当該大学として名乗ることができます。

私の場合、主たる収入は専任教員である同志社大学から得ていましたが、同時に、出版社の現代人文社(東京都新宿区)の常務取締役、共同通信社社友会会員、人報連世話人を務めていましたので、所属先をそれらの団体にしていても問題ありませんでした。フリージャーナリスト、アカデミックジャーナリストとしての登録も可能だと思います。

また、2015年3月に70歳で定年退職した渡辺武達同志社大学名誉教授は現在、学会理事を務めていますが、所属先は今も「同志社大学」となっています。同志社大学においては、名誉教授はまさに称号だけで、研究拠点、大学におけるメールアドレス、HPなども失い、「学外有識者」として学位論文審査の副査を務めることができるぐらいで、大学で教育研究活動はまったくできません。

学会で理事を何度も務めている渡辺氏の所属機関が、同志社を退職してから3年半、同志社大学のままになっていることで、所属機関の表記が自己申告制だと分かると思います。

教授職の地位に関する裁判が継続中の私の所属機関について、執行部、理事会をあげて、表記の変更を強要し、その問題点を指摘した文章を抹消する姿勢は異常、異様です。

雇用主と労働者が労働契約に関して裁判などで係争中の場合の身分に関しては、裁判が決着するまで、労働者の身分をどう表現するかは厄介なことです。私のことを「元同志社大学大学院教授」とするか「同志社大学大学院教授」とするかで、その団体、個人の社会観、法感覚が分かります。私が参加している市民運動の集会のチラシでは、今でも「元」は付きません(甲第33号証、甲第34号証)。在日朝鮮人のための新聞、朝鮮新報の記事では、私は同志社大学大学院教授となっています(甲第36号証)。

 

3)仮処分敗訴の2日後に所属機関を問題視

そもそも、学会執行部は私の裁判事案について、どこから情報を入手したのか分かりませんが、学会執行部が私の「所属機関」を最初に問題にしたのは2014年5月15日のことでした。

当時の学会会長は、渡辺氏とゼミ交流を続けていた谷藤悦史早稲田大学教授でした。私は14年度春期大会でもワークショップ「打開できるか警察主導——事件故報道の匿名実名問題——」の提案をして採用されましたが、マスコミ学会企画委員会の小林直毅委員長、吉見俊哉同副委員長、福間良明同副委員長の3人から14515日午前11時ごろ、《個人・共同研究発表、ワークショップご登壇者 各位》と題したメールが届きました。

 

 [ 5/316/1にご登壇いただく標記研究発表会に関し、年度が切り替わった時期でもございますので、ご発表時点で、会報に記載されているご所属より変更がおありの方は、お知らせいただければ幸いです。

変更ない方は、とくにご連絡いただくには及びません。》(抜粋)

 

 私は同日午後5時過ぎ、「ワークショップで司会をする同志社大学の浅野健一です。この種の問い合わせメールは発表会のあるたびに毎回送っているのでしょうか。過去にあまり記憶がないのでお聞きします」という返信を送りました。

 午後6時ごろ、委員長からすぐに返信がありました。

 

〔 登壇者の方々には年度がわりの時期にエントリーいただいているので、研究発表会当日のプログラム作成に先立ち、念のために、今年度の企画委員会として、確認のメールをお出しした次第です。過年度でも、こうした確認をさせていただいたこともございます。 〕

 

このメールを受け取った後に、企画委員会の小林委員長らから私の携帯電話に電話がかかってきました。電話でのやりとりで、「こういう問い合わせは春、秋の学会大会で毎年行っているのか」という質問に、役員は「毎年はやっていない」と回答しました。「直近ではいつこの種の問い合わせをしたのか」という質問には、明確な回答はありませんでした。この種の問い合わせは「過年度」に実施したことはあるが、慣例ではなく、毎回は行っていないとの説明だったと私は受け止めました。私自身、学会で毎年のようにワークショップなどを実施し、私が指導していた院生が何度も研究発表もして、学会の紀要にも論文を掲載してもらったが、こうした所属機関の変更の有無に関する問い合わせを受けた記憶はありません。

6月1日、専修大学の学会大会会場に行くと、私の名札の肩書は「同志社大学」で学会の領収証の宛名も同じでした。学会は賢明な対応をしてくれたと思っていました。

私はワークショップの報告文を書き、紀要86号に掲載(甲第16号証)されていますが、報告文の末尾に所属表記に関する学会役員とのやり取りについて記述しています。

 

〔 514日、企画委員会の役員3人から、「ご発表時点で、会報に記載されているご所属より変更がおありの方は、お知らせいただければ幸いです」というメールが届いた。私は大学院教授の職を3月末解雇され、京都地裁に学校法人同志社を相手取り、地位保全仮処分申立と地位確認の二つの裁判を起こした。3人からの連絡が来た前日、仮処分で棄却決定通知があった。私は「こういう問い合わせを毎回しているのか」と尋ねたが、よく分からない返信が来た。当日、私の名札の肩書は「同志社大学」で、学会の領収書の宛先も「同志社大学 浅野健一様」だった。裁判を受ける権利を尊重した学会執行部に感謝したい。 〕

 

ここでも、私は解雇事件と地位裁判について書いているが、そのまま何の問題もなく掲載されています。

 

4)2015年4月から所属表記変更の要請

2015年2月、同年の学会春期大会(6月13・14日、同志社大学新町キャンパス)で開かれた春季研究発表大会でワークショップ〈警察リークと犯人断定報道―袴田事件から氷見事件まで〉を提案し、3月に学会からワークショップとして採用されたという連絡がありました。

同年4月初め、小林直樹・企画委員長(法政大学教授)から、「所属先」の件で変更したいという電話を何度かもらいました。東海道新幹線に乗っていた時にも電話があり、「谷藤会長と会ってもらえないか。日時、場所は浅野先生のご都合に合わせます」と言われました。新幹線の「のぞみ」の車内で電話を取った時、トンネルを通過した時に、電話が何度も途切れて大変でした。私は「所属のことは昨年解決済みで、昨年度までの表記で問題ないのではないか。この件で会長とお話しする必要はない。もし、学会から要望があるなら文書で連絡してほしい」と答えました。小林委員長以外の役員からも電話がかかってきましたが、「どうして、こんなことで、会長らが大騒ぎするのですか。異常です」と伝え、「1994年以降の所属先は変わっていません」と主張しました。

被告代理人の喜田村洋一、藤原大輔両弁護士は準備書面(2018年5月31日)でこう主張しています。

 

〔 第4段落 否認ないし争う。そもそも、被告マスコミ学会は、2015年4月ころ、原告らを含む研究発表やワークショップの登壇予定者全員に所属の変更がないかを尋ねており、殊更、原告浅野に対してのみ、所属の変更の有無を尋ねたものではないし、さらに、原告浅野に対して、所属について「何度も」尋ねた事実もないから、原告浅野の同記述は事実に反する、ないし誇張されたものである。 〕(5頁)

 

両弁護士は同じ準備書面でも次のように書いています。

 

〔 そもそも、被告マスコミ学会が2015年4月以降、原告浅野に対して、所属について「何度も」尋ねた事実はないし、原告浅野の所属表記を一方的に変更した事実もない。 〕

 

被告代理人の弁護士は、学会が私の所属表記のことで何度も連絡をしたことはないと断言するのですが、私は学会役員へのメールや文書で、学会役員から2015年4月初め急に電話が何度もかかってきたことを書いています。被告代理人は当時の学会役員から話を聞いたのでしょうか。私のドコモの通話記録と当時の学会役員の成田、小林両氏らの電話の通話記録を裁判所の職権で調査していただけば、真実は明らかになります。当時の経緯をよく知っている成田氏らの証人調べも不可欠です。

 

その後、413日に学会事務局(谷藤会長、東海大学文学部内)からの配達証明郵便(甲第19号証の1)を受け取りました。封筒には、谷藤会長からの「所属機関の表記について(ご連絡)」との標題があり、<会員がその所属機関における雇用問題等をめぐって訴訟を提起して係争関係にある場合には、当該訴訟が継続している間、原告、被告のいずれにも与せず、司法上の事実関係を忠実に反映することが、事実に謙虚な学術研究団体のとるべき公正な姿勢であると認識しています>との見解が2頁にわたり書いてありました。

私はメールで返事をしました(甲第31号証)。「谷藤会長が私の所属の表記を「同志社大学・地位確認係争中」と変更したいとのご提案ですが、基本的には同意しますが、去年と同じでいいのではという思いも強くあります」と書いた上で、会長が表記を変更する根拠としてあげた文章の中に、事実誤認と不正確な記述があると指摘しました。訂正を求めたのは①私の裁判の被告はあくまで学校法人同志社であり、同志社大学とは係争していないので、「同志社大学=京都地裁で学校法人同志社と地位係争中」とするのが正確②2014年昨年515日に受け取った学会からのメールに、「所属変更にご回答がなかった」とあるが、私は変更不要と何度も回答している―という2点です。

また、私は「どういう人たち、グループが、私の『所属機関の表記』にこだわっていて、学会会長らにプッシュしているのかに関心があります。もし、会員のどなたかが、私の所属機関の表記について、学会会長らに、公式・非公式に言ってきている場合、当事者の私にぜひ教えてください。私が勤務する同志社大学(大学院メディア学専攻専任教員を含む)の関係者からは、私に何の問い合わせもありません」と尋ねました。

学会では、大学教授が教授として地位を争って裁判になったケースの前例がなかったようです。会長文書に、「日本社会学会においても、過去に、会員の所属機関について同様の表記がなされておりました」という記述がありましたので、「社会学会のどういう事案か教えていただけませんでしょうか」と要請しました。

私の質問には答えず、谷藤会長から、私の学会での「所属」を「同志社大学(学校法人同志社と地位確認係争中)」とするという最終通知が53日郵便の書面で届きました。会長は、145月の問い合わせと仮処分決定との関係について、単なる偶然と返答しました。 

この書面には不満な点もありましたが、この表記変更は、私が置かれている状況について、世界中のメディア学者に知ってもらうためにもいいと考えて、敢えて異議を申し立てませんでした。

私は谷藤会長に次のような見解を送りました。

 

〔 佐藤優・元外務省主任分析官が逮捕後、7年間起訴休職だったように、公務員なら、刑事事件で被告人なっても、なかなか解雇もされないのに、大学教授の地位はこんなに簡単に抹消できるのかと驚いています。

 その点、本学会の谷藤悦史会長をはじめとする執行部のみなさんが、最終的に私の所属について、「同志社大学(学校法人同志社と地位確認係争中)」と客観的に表記すると決定したことは、学校法人同志社や私の同僚の法感覚と比べると秀逸であると考えています。本来は昨年6月、専修大学で開催された大会と同様に、「同志社大学」でよかったと思いますが、私が同志社大学から完全に消えたと主張する会員(1789年以前の法意識)がかなりいたために、会長、学会企画委員会委員長、同副委員長(2名)は苦労されたと思います。 〕

 

5)大成功だったワークショップ「袴田事件と報道」

学会大会が開かれた同大新町キャンパスは私が20年間大学院教授として教壇に立った教室、研究室のあった思い出深い学舎です。同時に渡辺グループ6人による浅野追放クーデターの現場でもあります。この大会の開催校を代表したのが私を解雇した中心人物の小黒純教授と河崎吉紀准教授(浅野ゼ2期生、博論主査は私)でした。

私の提案で実現したワークショップ「警察リークと犯人断定報道袴田事件から氷見事件まで」は2015年6月14日午後、新町キャンパス・臨光館211教室(211)で開かれました。袴田巌さんの姉の袴田秀子さんら12人が参加しました。

 私は司会者として、ワークショップの冒頭で、2015年5月14日発行の「日本マス・コミュニケーション学会会報」第281号の60頁に掲載された「ワークショップ7」の司会者のところの「所属」が「同志社大学(学校法人同志社と地位確認係争中)」となった経緯を説明した資料を配布しました。また、ワークショップの司会者としてのレジュメ(甲9号証)も配り、その最後に、「警察リークと報道の関係を考える」素材として、不当逮捕で実名報道されて新聞社3社を提訴した佃治彦さんの「実名報道」裁判における現役記者の法廷証言を取り上げました。その中で、<(中日新聞の訴訟代理人)喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)をはじめとする新聞社代理人弁護士たちが「逮捕されたら実名、住所を出すのが決まり」「警察の公式発表、広報責任者の取材だけで記事を書いた」と言う新聞記者を擁護する姿勢を見て、情けないと思った。日弁連は「報道と人権」で二度人権大会を開き、被疑者の《原則匿名》を繰り返し提言してきた>と指摘しています。

 学会が本件訴訟の代理人に喜田村弁護士を選任した理由は、我々会員に説明されていませんが、私が原告になった週刊文春裁判の被告代理人が喜田村弁護士であったこともあり、会員の一人として、なぜ喜田村弁護士なのかは興味があります。

 

6)ワークショップ報告文一部削除の要請

私は2015年8月12日、成田康昭・編集委員会(第34期)委員長(立教大学教授)へ報告原稿(甲第5号証)を送りました。

8月16日、土屋礼子理事(編集委員会、早稲田大学教授)から以下のようなメールが届きました(甲第7号証)。

 

〔ワークショップ7の報告原稿のご提出、誠にありがとうございました。

ただ、報告原稿の最後の段落につきましては、ワークショップの報告としては

違和感がございます。

これは取り敢えず私個人の意見ですが、編集委員会担当理事の間で協議致しまして、改めて修正点などについて、ご連絡差し上げたく存じます。

どうぞよろしくお願い致します。

マスコミ学会編集委員会 土屋礼子 〕

 

823日に土屋礼子氏に以下のように返信しました(甲第11号証2、3枚目)。

 

〔 メールを拝受しました。

これまで、ワークショップ報告文に関しては、すべて、34期編集委員会委員長の成田康昭様から、連絡を受けておりましたので、土屋様からメールがなぜ来たのか、よく分かりません。

私が13日にメールで送付した報告文に関し、「個人の意見」として、「最後の段落につきましては、ワークショップの報告としては違和感がございます」とありますが、そもそも、一会員にすぎない私の所属に関して、驚くほどの時間とエネルギーを日本マス・コミュニケーション学会の会長(本件での面談協議の提案が役員からありました)はじめ多くの方々が使われるのか、強い違和感と疑念があります。それについては、役員の方からの「所属変更」連絡の際に、お伝えし、質問もしてあります。昨年以来の本件に関わる学会役員とのやりとりを示す文書を添付します。私の方は、すべて公表(publicize)可です。参考になさってください。

私の同大における院教授としての労働権が奪われたこと自体が、前代未聞で、日本の大学においてもほとんど例のないことです。

学会ニュースで、私の「所属」を見た多くの会員は、意味が分からなかったと思います。説明なしの「地位係争中」の表記(私は本学会で見た記憶がありません)に違和感を抱いた会員も複数います。報告文での記載がおかしいということでしたら、学会が全会員に、私の「所属」変更について、よく分かるように周知されるよう説にお願いします。(社会学会にだけあったと会長が言及されている「先例」も含めて)

なお、「編集委員会担当理事の間で協議」を行われる際には、20145月中旬(なぜこの時期にこの件が始まったかが非常に重要です)以降の、私の「所属問題」に関する全経緯を踏まえてください。特に、1年前のワークショップ報告文でも、同じように「最後の段落」において、同様の説明をしておりますので、学会への当時の送付原稿を添付させていただきます。昨年は、原稿そのまま、学会誌に掲載されています。去年は、特に何もなかったのに、今年はこうして「編集委員会担当理事の間で協議」まで通知されるのか疑問です。昨年の担当の方との整合性も精査ください。 〕(一部略)

 

土屋氏には「表記」問題に関する学会とのやりとりの関係文書を多数添付しました。土屋氏の大学時代の指導教授が私の友人であったことから、私は彼女を大学院生時代から知っています。私の定年延長拒否=解雇についてもよく知っています。大阪府立大学教授の時、同大メディア学科に教授として来てほしいと思っていた優秀な研究者です。同大でゲスト講義もしてもらっています。なぜ彼女が「違和感」を持ったと連絡してきたのか、いまだに不思議です。

その後、土屋氏らから今日まで何の連絡もなく、9月12日午後、配達証明で内容証明郵便の文書が大石裕学会会長から届きました(甲第8号証の1ないし3)。土屋氏が指摘した「最後の段落」を削除した「改稿」を9月末までに提出するようにという通知でした。理事会決定だということでした。

土屋氏のメールでは、「ワークショップの報告としては違和感がある」ということでしたが、後に「ワークショップの内容とは関係のない記述が含まれている」「事実に反する又は誇張された記述」(被告らの答弁書5頁)が問題にされることになったのです。

会長は「ワークショップの記録を改稿」して、「学会誌の編集作業の都合上、9 月末日までにご回送いただければ幸いです」と書いてありました。「理事会の庶務を担当している総務担当理事の藤田真文(法政大学)を連絡責任者とさせていただきます」と書いてあり、藤田理事のメールアドレスが書いていました。

私は原文のまま掲載するよう求めました。学会が会員との連絡で内容証明郵便や配達証明郵便を使うのはいかがなものかという苦言もしました。

藤田・総務担当理事から2015年12月3日付の「書留内容証明配達郵便物」が私に送られてきました(甲第12号証の1,2)。

 

1031日に文教大学で開催された理事会で再度審議した結果、貴殿の原稿については引き続き改稿をお願いするとともに、『マス・コミュニケーション研究』88号への掲載は見送らせていただくこととなりました>として、再度改稿をお願いしたいと要請してきました。その上で、<改稿された原稿は、学会誌の編集作業の都合上、2016年2月末日までにご回送いただければ幸いです>(太字は浅野)

 

この文書には第35期〈第35期 臨時持ち回り理事会 議事録〉(15年8月28日発信)の【審議事項】が添付されていました。そこには、編集委員会担当理事(氏名不詳)から、〈ワークショップ報告・意見交換の内容を要約するというワークショップの記録の趣旨から外れている記述がある〉ので改稿をお願いしたいと思うが、〈理事会としての判断を仰ぎたい〉との提案があったとして、次のように審議結果が書かれていました。

 

〔 学会としてニュートラルな立場を保ちながら対応すべきなどの意見があったが、改稿を依頼すること自体には異論がなかった。この持ち回り審議の結果を受けて、会長名で原稿執筆者に改稿を求める文書を送ることにした。 〕

 

学会としてニュートラルな立場を保ちながら対応すべきだという意見があったということは、理事会決定は偏向していることではないでしょうか。

学会は、理事会で2016年2月末日までに「改稿」を再要請することが承認されたと伝えてくる一方で、同年1月末、空白にしたまま紀要を発行したので、学会へすぐに抗議しました。理事会決定に至る議事録の開示を求めましたが、回答はありません。

私は1993年から学会会員になっています。最初の所属は共同通信社で、94年から「浅野健一(同志社大学)」と表記されていました。それが2015年5月から「浅野健一(同志社大学[学校法人同志社と地位確認係争中])」に変更されました。私は、私の同大における教授職を失っておらず、学会へ所属先の変更届を出していません。学会執行部は、〈会報への所属などの変更の記載は、会員情報の管理をお願いしている「国際文献社」にご本人から変更の連絡があった場合に掲載する〉(2015年9月30日、藤田総務担当理事)と私に表明しながら、勝手に所属の記載を変更したのです。

学会理事会は2016年3月16日、〈当学会がこの裁判に関わることは学会の活動目的の範囲をこえると判断した〉と言ってきましたが3月27日には、16年6月の東大での学会ワークショップのことで、〈地位確認訴訟は昨年と変わらず継続中と存じますので、上記のようなプログラム表記になることを、ご了解いただければ幸いです〉と言ってきました。裁判に関わってあれこれ動いているのは学会の方ではないでしょうか。

 

7)訴訟の提起と学会HP

本件ワークショップの問題提起者の山際さんは学会の2016年度と17年度の春季研究発表会で「ワークショップ」の司会を務め、私が問題提起者でした。山際氏は紀要90号と92号のワークショップ報告文に、紀要88号の本件ワークショップの白紙発行を取り上げ、「学会執行部などが取った処置は重大な言論弾圧」などと記述した文章がそのまま紀要に掲載されています(甲第15号証、甲第22号証)。なぜ、86号だけが問題にされるのか、全く理解不能でした。

学会の仲間からも、前代未聞の白紙発行について、あり得ない言論弾圧という指摘がありました。学会側は、検閲・白紙発行を全く反省せず、白紙発行を正当化し、私が「改稿」報告文を送らない限り、掲載しないという姿勢でした。 

そこで、山際さんと私は2018年1月5日、学会(佐藤卓己会長=京都大学教授)、伊藤高史・同志社大学社会学部メディア学科教授、学文社(田中千津子社長)を相手取り、損害賠償請求訴訟を起こしました。言論、報道倫理を扱う学会が、袴田事件と報道に関する報告文を検閲したと考えたからです。

被告の代理人は喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)と藤原大輔弁護士と知り、驚きました。喜田村氏は、弘中惇一郎弁護士らと共に、情報の銃弾とも言うべき犯人視報道があった「ロス銃撃事件」で、三浦和義氏の無罪判決を勝ち取った弁護団の一人で、その弁護団のロス現地調査に山際氏と私は同行した間柄です。

私たちが提訴してから約3カ月後の2018年3月30日、学会は「会員各位」への同送メールで、本件裁判に関する次のような「お知らせ」を送信しました。

〈事務局からのお知らせを掲示させていただきます。/「本学会に対する浅野会員、山際会員からの提訴について」を学会HPに掲載しました。

URL  http://www.jmscom.org 

メールに示されたURLを見ると、学会のホームページの新着情報として、「本学会に対する浅野会員、山際会員からの提訴について(2018.3.25) PDF」「訴状 /【マスコミ学会】答弁書(提出版)/浅野会員宛書面」と題して、佐藤会長名での見解文が載っています。(訴状、答弁書 、改稿を求めた学会から浅野会員に宛てた書面を添付します。)( 浅野会員には内容証明付郵便で送付したので、下記は、実際の形状と異なります。内容は同一です。)という文章があり、クリックすると三通の書面(PDF)が読めるようになっています。

訴状のPDFには山下幸弁護士の住所などの個人情報、印影が映っています。山下弁護士が裁判所に出した訴状の訂正書2通はHPにアップされていません。 

佐藤会長は次のように書いています。

 

〔 浅野会員から提出され原稿について編集委および理事で慎重に検討した結果、ワークショップと関連のない記述があるして大石裕・第35期会長名の文書で一部改稿を求めました。浅野会員から原稿が期日まで に提出されなかったため、同記録を掲載予定であった『マス・コミュニケーション研究』88号(2016年1月31日発行)では、ワークショップ7のテーマ、登壇者の氏名・所属と「ワークショップ7」報告は諸事情により掲載を見送らせていただきます。 」と記載し、見送らせていただきます。 」と記載し第35期学会理事としても、浅野会員より改稿された原稿が送られることを引き続待っている状況でした。

浅野会員は 以上のことを不服して、浅野会員が当初提出た原稿『マ ス・コミュニケーション研究』にそのまま掲載すること、精神的被害対損害賠償を求めています。第36期 理事会としては、第35期編集委員およびの判断正当であるとの立場で裁判に臨む所存す。会員みなさまご理解いただければ幸いです。 〕

 

山際さんと私は4月12日、電子メールで佐藤会長に対し、「恣意的に裁判の書証を選び、当方から事情も聞かずに会長見解をHPに載せるのは不当だ」として、当方との協議がまとまるまでアップした書証を削除するよう求めました。学会の藤田総務担当理事は14日のメールで、「裁判の件なので、理事会を代表して総務担当理事がやり取りさせていただきます」「理事会で話し合う」と返答してきました。

私たち5月6日、佐藤会長に対し、「原告に何の相談もなく裁判資料を一方的に公表するのは不当」と指摘し、「双方で、会員、社会に本裁判についてどう知らせるかを協議したい」とする要請書を送り、一カ月以内の回答を求めました。

これに対し、藤田総務担当理事からは何の連絡もなく、喜田村弁護士が5月23日、「学会から対応を依頼された」として、私たちの代理人の山下幸夫弁護士に「貴職を代理人として対応したい」という連絡書をファクスしてきました。学会のHPでの発信と本件裁判とは直接関係のないことです。

山下弁護士は24日、「この件で、山際・浅野両氏から受任していない」と喜田村氏に返答しました。

喜田村、藤原両弁護士から、配達証明郵便(ミネルバ法律事務所の封筒)で「回答書」(6月4日)が届きました。回答書の冒頭に、<学会の代理人として>、56日付の山際さんと私からの「申入書」に対して、回答すると書いてあります。

この回答書では、私たちの要求のすべてを拒否しています。訴状を生の形でPDFにしてアップしていることついて、<山下幸夫弁護士自身から要請はない><そもそも当該情報をウェブサイト上に掲載することが同弁護士に対するプライバシー侵害などの不法行為を構成する余地はない>と書いています。

このHPでの掲載は、私たちに事前、事後の相談・連絡もなく、勝手に書証を選んで裁判資料を載せ、佐藤会長の私たちを批判する見解文まで付けている点で極めて悪質です。一部の学者による学会の私物化です。

その後、藤田氏らから何の連絡もありません。

学会のHPには山際さんと私の住所が今も流れています。私たちの印鑑もはっきり見ることができます。学会が私に送った内容証明付郵便は「実際の形状と異なります」と書いています。原告側の裁判所への書面を、私たちの了承も得ないで載せ、個人情報のマスキングもしないというのは、学会としてあり得ないと思います。ここに、現在の学会の中世的な手続き無視の体質が表れています。

 

3 伊藤氏と学文社を被告に加えた理由について

本件紀要の巻末の編集後記の最後に<(編集委員会委員長 伊藤高史)>と書いてあったことが、本件訴訟を起こしたいという気持ちを強めました。

本件紀要の編集委員会委員長だった学会理事の伊藤高史同大教授は、私が2014年3月に不当解雇された後、14年6月に始まった同大社会学部の補充人件の公募で2015年4月に同大社会学部メディア学科の教授に就任していす。伊藤氏は前創価大学教授で元日本新聞協会職員の研究者です。ジャーナリズム研究者ということですが、マスメディアの取材と報道の現状を「報道機関も企業だから限界がある」などと肯定する典型的な御用学者です。

 被告代理人の喜田村弁護士らは答弁書の8頁で、こう書いています。

〔 (同年12月3日付けの書面=甲12の1=で)通知したのは、被告マスコミ学会の理事会の決定を受けた藤田真文理事であって、編集委員会の委員長である被告伊藤高史が原告浅野に対して、問題とされるべき記述についての削除を含む改稿を求めた事実はない。

したがって、被告伊藤高史が原告らに対する不法行為責任を負うことがそもそもありえないことは明白である。 〕

 

また、5月31日付準備書面(7頁)では<被告伊藤が、同志社大学の立場や学問的な見解などの他事考慮を行い、原告浅野に改稿を依頼したという原告らの主張は邪推という外なく、それどころか被告伊藤の社会的評価を低下させかねない極めて悪質な主張であることを指摘しておく>と主張しています。

 大学教授を目指すメディア関係者は少なくありません。地方の小さな大学の教員の中には、同大メディア学科で専任教員になりたいと思っている教育研究者は多数います。しかし、2014年夏の同大メディア学科の公募に応じた研究者は限定されています。ある新聞記者は「不当解雇されて裁判中の浅野さんの補充人事に応募できるはずがありません」と言っていました。西日本のある大学の教員は「同大メディア学科はあこがれのポストだが、この公募には応募できない」と私に話していました。

 公務員の場合は、刑事事件の被告人になっても、裁判中、後任補充人件は起こせません。私の労働裁判の一審判決が出てもいないのに、補充人事を強行し、伊藤氏を採用した同大の法感覚を私は疑っています。

伊藤氏は私に「敵意に近い感情を抱く渡辺グループ」と親しい関係にあります。渡辺氏が編纂した書籍に論考を書いています(甲第23号証の3)。私が廃止を提唱している記者クラブ制度も擁護しています。伊藤氏が編集委員会の責任者であったことが、本件言論弾圧を招いた要因の一つであることは、明らかだと思います。伊藤氏は、白紙発行を止めることができたのです。

伊藤氏は、私に事情を聞かずに、学会内で議論して、白紙発行を強行しています。当事者の言い分を聞くというのが教育研究者の基本姿勢だと私は思います。

 喜田村弁護士らは、2月22日付の答弁書で、「学会の原稿掲載の権限行使に関し、編集委員会は広範な裁量を与えられている」「学会が報告文についてそのまま掲載しなければならない法的義務を負うものではない」などと主張しています。まさに、伊藤氏は「裁量」の第一責任者なのです。

 次に、学文社を被告にしたのは、一般の書店で販売されている紀要の発行責任があるからです。学文社の田中千津子社長は私との電話で、何度も「『このまま白紙で印刷して本当にいいのか』『筆者の浅野教授の了解はとらなくていいのか』と学会側に確認したが、学会の責任者は『これでいい』と答え、印刷・発行するように求めたということです。田中社長は、出版社の代表として、私に事情を聞くべきでした。そうすれば、白紙発行の強行はなかったと思います。プレスする者の責任は重大です。編集委員会が決めたことに従うのが出版社であるという喜田村弁護士らの主張は、出版人の矜持を尊重しない暴論です。

 

4 白紙発行は学会による“いじめ”

 

 被告らの5月31日付準備書面の<2 編集委員会ないし理事会の権限の行使が正当であることについて>に次のような主張があります。

 

 〔 同段落には、同学会の会報に掲載された原告浅野の所属表記に関する学会役員とのやり取り、「私が同志社から解雇され京都地裁に地位確認請求訴訟を起こして裁判中である事実を学会会員に知ってもらえてよかった」との原告浅野の感想、原告浅野が学会で文書を配布した事実や希望者には文書を配布する旨の呼びかけが記載されている。

 これらの記載は、原告らが開いたワークショップ「警察リークと犯人断定報道 ―袴田事件から氷見事件まで―」における発言や参加者の反応等とは考えられず、ワークショップにおける報告・意見交換の内容を要約するという報告としての関連性を欠く記述を含むものである。

 また、同段落には、同学会の会報に掲載された原告浅野の所属表記に関する学会役員とのやり取りが記載されているところ、被告マスコミ学会役員が2015年4月以降、原告浅野に対して、所属について何度も尋ね、原告浅野が納得していないにも関わらず、所属表記を一方的に変更したかのような印象を読者に与える記述が存する。しかしながら、そもそも、被告マスコミ学会が2015年4月以降、原告浅野に対して、所属について「何度も」尋ねた事実はないし、原告浅野の所属表記を一方的に変更した事実もない。このように、本件報告文の最後の段落の記述は、事実に反しており又は誇張された記述を含むものである。

 したがって、このような、そのまま掲載することが相当とは考えられない原稿について、一部削除を含む改稿を原告浅野に求めることが、編集委員会(本件では理事会)の正当な権限の行使と認められるべきは当然であり、裁量を逸脱、濫用したものとして違法となる余地はない。 〕(5頁)

 

また、被告側は答弁書(5頁)でこう主張しています。

〔 4 第1段落~第3段落 事実関係については概ね認める。

第4段落 否認ないし争う。そもそも、被告マスコミ学会は、2015年4月ころ、原告らを含む研究発表やワークショップの登壇予定者全員に所属の変更がないかを尋ねており、殊更、原告浅野に対してのみ、所属の変更の有無を尋ねたものではないし、さらに、原告浅野に対して、所属について「何度も」尋ねた事実もないから、原告浅野の同記述は事実に反する、ないし誇張されたものである。 〕

 

 学会が2016年1月発行の紀要だけを問題にし、白紙発行まで強行したのは、学会内部の私に敵意を持つグループによる執拗な学会執行部への圧力があったからだとしか思えません。本件ワークショップは、私を解雇に追い込んだ同大新町キャンパスで開かれ、学会の大会運営は私を排除した小黒教授が中心になって担ったのです。私の解雇に抗議していた学生、元学生、保護者たちは、学会が開かれた2日間、開場前で私の解雇撤回をも求めるビラを配っています。多くの会員が受け取り、「浅野先生が解雇されたのは知らなかった」などと反響がありました。ワークショップの当日、学生と元ゼミ生の母親たちが新町校舎でビラを配布した際、小黒教授が一眼レフカメラで学生たちの写真を撮っています。

同大で行われた本件ワークショップの報告文に、私の雇用問題に絡んだ所属表記問題が学会紀要に残すわけにはいかなかった会員たちがいたのです。

学会は一度も私からヒアリングもせずに、学会役員の間での引き継ぎだけで、白紙発行を正当化しています。学会が私の所属機関の表記について「何度も尋ねた事実もない」というウソまでついています。

 私との協議を途中で勝手に打ち切り、所属表記を一方的に変更しておいて、その経緯をワークショップで報告し、参加者とも討論したことが、なぜワークショップと関係ないと言い切れるのでしょうか。参加者から事情を聞くべきではないでしょうか。

 学会の理事会の「派閥政治」についても知ってほしいと思います。学会内では、学閥、大学・研究機関間のライバル関係、人間関係で理事が選ばれます。

学会は理事(任期2年)を選ぶ際、日本を東西に分けて連記制で選挙をしています。十数名のグループを持てば、理事を複数送り込めます。1期2年で、連続の就任はできません。渡辺氏の「渡辺グループ」は常に理事3、4名を送り込んできました。

学会は、企業メディアも会員になっていることから、マスコミ界からの影響もあります。

 

最後に、学会の佐藤会長と渡辺氏との関係に触れておきたいと思います。佐藤氏は東京大学新聞研究所助手から、私と同時に1994年に同大社会学科新聞学専攻に専任講師として採用され、助教授だった2001年に同大を退職し、日本国際文化研究所の助教授に転出し、その後、出身大学の京都大学大学院教授になりました。佐藤氏は同大の専任教員時代に、渡辺氏から一定の距離を置いたため、「フクロウのような奴」などと罵倒され、同大を去りました。渡辺氏は「佐藤卓己は二度と同大の敷地に入れない」「京大になんか絶対に戻れっこない」と公言し、佐藤氏を嘱託講師で呼ぶことにも反対していました。佐藤氏は故・西部邁氏に近く、「ドイツ人も本当は過去を反省していない」などと学生に言っており、私とは思想がかなり違っていました。最近でも、新聞の軽減税率の議論では、「新聞は食品と同じ公共財」と主張していました。

犬猿の仲だったはずの佐藤、渡辺両氏が喜田村氏を代理人にして、私たちの訴訟に対抗しているのは、なぜか、この裁判で明らかになることを期待しています。

裁判官のみなさんには、学会が企画したワークショップの報告文を、ほとんど説明なしに、白紙で発行して、一切の話し合いを拒んでいる学会の暴挙を「学問の自由」の裁量の範囲内と見ずに、証拠に基づいて、正義の判断をしてくださるようお願いします。

 

添付資料

学会から浅野へ送られてきた「2013年度会員登録内容確認書」

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2018716日現在のプロフィール  浅野健一(あさの・けんいち)      

1948年、香川県高松市生まれ。6667年AFS国際奨学生として米ミズーリ州スプリングフィールド市立高校へ留学、卒業。72年、慶應義塾大学経済学部卒業、社団法人共同通信社入社。編集局社会部、千葉支局、ラジオ・テレビ局企画部、編集局外信部を経て、89年から92年までジャカルタ支局長。帰国後、外信部デスク。7778年、共同通信労組関東支部委員長。943月末、共同通信退社。 944月から同志社大学社会学部メディア学科教授、同大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士課程教授(京都地裁民事6部で地位確認係争中)。20024月から20036月まで、英ウエストミンスター大学客員研究員。9612月から9712月まで、同志社大学教職員組合委員長。 993月から10月まで、厚生省公衆衛生審議会疾病部会臓器移植専門委員会委員。 共同通信社社友会準会員。人権と報道・連絡会(連絡先:〒1688691 東京杉並南郵便局私書箱23号)世話人。

単著 『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫、新風舎文庫)、『犯罪報道は変えられる』(日本評論社、『新・犯罪報道の犯罪』と改題して講談社文庫に)、『犯罪報道と警察』(三一新書)、『過激派報道の犯罪』(三一新書)、『客観報道・隠されるニュースソース』(筑摩書房、『マスコミ報道の犯罪』と改題し講談社文庫に)、『出国命令 インドネシア取材1200日』(日本評論社、『日本大使館の犯罪』と改題し講談社文庫)、『日本は世界の敵になる ODAの犯罪』(三一書房)、『メディア・ファシズムの時代』(明石書店)、『「犯罪報道」の再犯 さらば共同通信社』(第三書館)、『オウム「破防法」とマスメディア』(第三書館)、『犯罪報道とメディアの良心 匿名報道と揺れる実名報道』(第三書館)、『天皇の記者たち 大新聞のアジア侵略』(スリーエーネットワーク)、『メディア・リンチ』(潮出版)『脳死移植報道の迷走』(創出版)、『メディア規制に対抗できるぞ!報道評議会』(現代人文社)、『「報道加害」の現場を歩く』(社会評論社)、『新版 犯罪報道の犯罪』(新風舎文庫)『戦争報道の犯罪 大本営発表化するメディア』(社会評論社)、『メディア「凶乱」(フレンジー)──報道加害と冤罪の構造を撃つ』(社会評論社)『裁判員と「犯罪報道の犯罪」』(昭和堂)『記者クラブ解体新書』(現代人文社)、『安倍政権・言論弾圧の犯罪』(社会評論社)。  

編著 『スパイ防止法がやってきた』(社会評論社)、『天皇とマスコミ報道』(三一新書)、『カンボジア派兵』(労働大学)、『激論・新聞に未来はあるのか ジャーナリストを志望する学生に送る』(現代人文社ブックレット)、『ナヌムの家を訪ねて 日本軍慰安婦から学んだ戦争責任』(浅野健一ゼミ編、現代人文社)、『イラク日本人拘束事件と「自己責任論」報道』(浅野健一ゼミ編、現代人文社)。

共編著 『無責任なマスメディア』(山口正紀氏との共編、現代人文社)。

共著に『ここにも差別が』(解放出版社)、『死刑囚からあなたへ』(インパクト出版会)、『アジアの人びとを知る本1・環境破壊とたたかう人びと』(大月書店)、『メディア学の現在』(世界思想社)、『検証・オウム報道』(現代人文社)、『匿名報道』(山口正紀氏との共著、学陽書房)、『激論 世紀末ニッポン』(鈴木邦男氏との共著、三一新書)、『松本サリン事件報道の罪と罰』(河野義行氏との共著、第三文明社、講談社文庫)、『大学とアジア太平洋戦争』(白井厚氏編、日本経済評論社)、『オウム破防法事件の記録』(オウム破防法弁護団編著、社会思想社)、『英雄から爆弾犯にされて』(三一書房)、『新聞記者をやめたくなったときの本』〈北村肇編、現代人文社)、『プライバシーと出版・報道の自由』〈青弓社編集部編、青弓社)、「週刊金曜日」別冊ブックレット『金曜芸能 報道される側の論理』(金曜日)、『検証・「拉致帰国者」マスコミ報道』(人権と報道・連絡会編、社会評論社)、『抗う勇気 ノーム・チョムスキー+浅野健一 対談』(現代人文社)、『対論・日本のマスメディアと私たち』(野田正彰氏との共著、晃洋書房)、『「ごめん」で済むなら警察はいらない』(柳原浩氏との共著、桂書房)、『冤罪はいつまで続くのか』(矢澤昇治氏との共著、花伝社)、『憲法から見た実名犯罪報道』(飯島滋明編、現代人文社)、『20人の識者からみた「小沢事件の真実」(日本文芸社)、『いいがかり 原発「吉田調書」記事取り消し事件と朝日新聞の迷走』(編集代表・鎌田慧ら、七つ森書館)、『冤罪とジャーナリズムの危機 浅野健一ゼミin西宮』(鹿砦社)などがある。

オ・ヨンホ著『オーマイニュースの挑戦』(太田出版)、斉間満著『匿名報道の記録 あるローカル新聞社の試み』(創風社出版)に解説を書いている。監修ビデオに『ドキュメント 人権と報道の旅』(製作・オーパス、発行・現代人文社)がある。資格;1968年、運輸相より通訳案内業(英語)免許取得 

ネット情報 ◇浅野ゼミHP http://www1.doshisha.ac.jp/~yowada/kasano/index.html 

◇人権と報道・連絡会 http://www.jca.apc.org/~jimporen/ 

◇浅野教授の文春裁判を支援する会http://www.support-asano.net/index.html                      ()

 

日本マスコミ学会裁判添付資料

日本マス・コミュニケーション学会参加のみなさんへ      

201561314

 

浅野健一・同志社大学大学院メディア学専攻博士課程教授(京都地裁民で地位係争中)  

人権と報道・連絡会 www.jca.apc.org/~jimporen/ E-mail:asanokenichi@nifty.com 

浅野ゼミHP http://www1.doshisha.ac.jp/~yowada/kasano/index.html

 

私の本学会「所属」表記と地位確認訴訟について

 

本学会に新聞学会時代の1994年から会員をしている同志社大学大学院メディア学専攻博士後期課程教授の浅野健一です。前回、本学今出川キャンパスで開催された学会では、懇親会の司会を務めました。

今回の大会が開かれる新町キャンパスは私が長く教壇に立った教室、研究室のあった思い出深い学舎です。同時に渡辺武達教授グループ6人による“浅野追放クーデター”の現場でもあります。この大会の開催校を代表しているのが小黒純教授と河崎吉紀准教授(浅野ゼミ2期生、博論主査は私)です。

私の提案で、14日午後4時から540分まで、新町キャンパス・臨光館211教室(211)で、ワークショップ「警察リークと犯人断定報道―袴田事件から氷見事件まで」が開かれます。問題提起者は山際永三さん(日本映画監督協会・理事)で、司会は私です。袴田巌さんの姉の袴田秀子さんが一般参加します。

 

   学会が所属表記を変更した経緯―圧力を掛けたのは誰か究明を

15514日発行の「日本マス・コミュニケーション学会会報」第281号の60頁に掲載された「ワークショップ7」の司会者のところの「所属」が「同志社大学(学校法人同志社と地位確認係争中)」となっております。極めて稀な表記ですので、この機会に20131029日から今日まで続いている小黒純教授ら同僚4人とその背後にいた学内の反浅野勢力の謀議によるクーデター、暗黒裁判について皆様にお伝えし、雇用裁判へのみなさんの支援を呼び掛けます。

また、マス・コミュニケーション学(特に報道倫理、メディアリテラシー)を専門とする研究者たちが学内でハラスメント疑惑を捏造し、悪徳週刊誌を使って私を社会的に抹殺しようとした「メディア学者の犯罪(不法行為)」についても、メディア学の研究対象として取り上げていただくようお願いします。この点については、山口正紀・元読売新聞記者の「週刊金曜日」14321日号「学生を無視して浅野教授を追放」(通巻984号)と前田朗・東京造形大学教授(刑事法)の「マスコミ市民」145月号(通巻544号)「ジャーナリズム精神なきメディア学」を参照ください。

私は学校法人同志社から不当解雇され京都地裁で地位確認裁判を闘っています。被告は学校法人同志社(水谷誠理事長、神学部長)で、「従業員地位確認等請求訴訟」=平成26年(ワ)第310号=です。

 労働者の権利を守るために裁判中なのに、同大から解雇・完全追放され、「籍」を消されました。佐藤優・元外務省主任分析官が7年間起訴休職だったように、公務員なら、刑事事件で被告人になっても、なかなか解雇もされないのに、大学教授の地位はこんなに簡単に抹消できるのかと驚いています。

 その点、本学会の谷藤悦史会長をはじめとする執行部のみなさんが、最終的に私の所属について、「同志社大学(学校法人同志社と地位確認係争中)」と客観的に表記すると決定したことは、学校法人同志社や私の同僚の法感覚と比べると秀逸であると考えています。本来は昨年6月、専修大学で開催された大会と同様に、「同志社大学」でよかったと思いますが、私が同志社大学から完全に消えたと主張する会員(1789年の仏革命以前の法意識)がかなりいたために、会長、学会企画委員会委員長、同副委員長(2名)は苦労されたと思います。 

この間の経緯を報告します。

私は14年度春期大会でもワークショップの提案をして採用されましたが、マスコミ学会企画委員会委員長ら3人から14515日午前11時ごろ、《個人・共同研究発表、ワークショップご登壇者 各位》と題したメールが届きました。

 [ 5/316/1にご登壇いただく標記研究発表会に関し、年度が切り替わった時期でもございますので、ご発表時点で、会報に記載されているご所属より変更がおありの方は、お知らせいただければ幸いです。

変更ない方は、とくにご連絡いただくには及びません。》(抜粋)

 私は午後5時過ぎ、《ワークショップで司会をする同志社大学の浅野健一です。この種の問い合わせメールは発表会のあるたびに毎回送っているのでしょうか。過去にあまり記憶がないのでお聞きします》という返信を送りました。

 午後6時ごろ、委員長からすぐに返信がありました。

《登壇者の方々には年度がわりの時期にエントリーいただいているので、研究発表会当日のプログラム作成に先立ち、念のために、今年度の企画委員会として、確認のメールをお出しした次第です。過年度でも、こうした確認をさせていただいたこともございます》

このメールを受け取った後に、企画委員会役員の方と電話でのやりとりがあり、「こういう問い合わせは春、秋の学会大会で毎年行っているのか」という質問に、役員の方は「毎年はやっていない」と回答しました。「直近ではいつこの種の問い合わせをしたのか」という質問には、明確な回答はありませんでした。この種の問い合わせは「過年度」に実施したことはあるが、慣例ではなく、毎回は行っていないとの説明だったと私は受け止めました。私自身、学会で毎年のようにワークショップなどを実施し、私が指導していた院生が何度も研究発表もして、学会の紀要にも論文を掲載していただきましたが、こうした所属機関の変更の有無に関する問い合わせを受けた記憶はありません。

61日、専修大学の大会会場に行くと、私の名札の肩書は「同志社大学」で学会の領収証の宛名も同じでした。

今年もワークショップの提案がとおりましたが、154月中旬、企画委員長から、「所属先」の件で電話を何度かもらいました。私は昨年度までの表記で問題ないのではないかと表明して、もし、学会として変更を希望するなら文書で要請してほしいと要望しました。

その後、413日に学会事務局(谷藤会長、東海大学文学部内)からの配達証明郵便を受け取りました。封筒には、谷藤会長からの「所属機関の表記について(ご連絡)」との標題があり、《会員がその所属機関における雇用問題等をめぐって訴訟を提起して係争関係にある場合には、当該訴訟が継続している間、原告、被告のいずれにも与せず、司法上の事実関係を忠実に反映することが、事実に謙虚な学術研究団体のとるべき公正な姿勢であると認識しています》との見解が2頁にわたり書いてありました。

私は以下のように返事をしました。

[ この見解は、日本国における三権分立の民主主義制度、国際法・日本国憲法が保障する労働基本権、裁判を受ける権利などを深く理解されてのご認識だと思います。

会長が私の所属の表記を《「同志社大学・地位確認係争中」》と変更したいとのご提案ですが、基本的には同意しますが、去年と同じでいいのではという思いも強くあります。また、会長が変更する根拠としてあげた文章の中に、一部ですが、事実関係の誤りがあります。記述に不正確な部分もありますので、表記変更の「措置」の執行はしばらくお待ちください。

まず、以下に質問をさせていただきます。

1に、《2014年に同志社大学(学校法人同志社)を被告とする従業員確認等請求訴訟を提起し、同志社大学と係争関係にあり・・・・》とありますが、私が定年延長拒否をめぐって、学校法人同志社(水谷誠理事長)を相手に裁判を起こしたのは20131227日の地位確認の仮処分申立が最初で、仮処分については2014514日に棄却の決定が出ています。従業員確認等請求訴訟を起こしたのは201424日で、第7回の口頭弁論が本年49日に開かれ、年内に結審の予定です。

 被告はあくまで学校法人同志社であり、同志社大学とは係争していません。新島襄が創立した同志社の場合、雇用関係はすべて学校法人同志社が行っており、特に定年延長に関しては「法人が必要と認める院教授」にだけ65歳から70歳まで定年延長が1年ごとに実施されるという就業規則があり、私と法人との間で、私の定年延長の可否に関して争っています。従って、「同志社大学 京都地裁で学校法人同志社と地位係争中」とするのが正確です。

次に、学会が2014年度において私の肩書を同志社大学とした根拠として、p2において、2014年度春期で私が司会をしたワークショップ(201461日)に関しての学会と私のやりとりを挙げていますが、これには問題があります。

2に、昨年515日に受け取った学会からのメールに、《所属変更にご回答がなかった》とありますが、これは明らかに事実に反します。

なお、私が申し立てた地位保全の仮処分決定(私には不利な決定、緊急性はなく本訴で審議するという趣旨の判旨)が出た翌日に、この問いあわせメールが発信されています。メールのやりとりを末尾に()として貼り付けます。

仮処分決定の翌日にこういうメールが学会から来たのは、何かの偶然でしょうか。私は当時、学会の理事などの役員の中に、私を追放した同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻・同志社大学社会学部メディア学科の専任教員が複数いることと関係していると感じていました。1年前、学会は、私の名札の肩書を「同志社大学」とし、学会参加費の領収書の宛先も「同志社大学 浅野健一様」としていました。

2014年度春期でワークショップ(201461日)応募時の2014213日には、既に、私は京都地裁へ仮処分の申立と、本裁判提訴を行っており、産経新聞大阪本社社会面(131228日)、京都新聞()でも仮処分事案が報道されています。また、1312月以降、春期大会が開かれる136月までの間に、「週刊金曜日」「創」「紙の爆弾」「マスコミ市民」「人民新聞」「人権と報道・連絡会ニュース」「救援」「浅野教授の文春裁判を支援する会HP」(ネット)などの媒体で、私が学校法人同志社を被告として労働裁判を起こし、同志社大学で教鞭をとれなくなったことが周知の事実になっていました。とりわけ、既に申し上げていますように、私の所属先の大学の同僚と、同僚が指導した元学生が学会の役員を務めています。6月の学会を担当している河崎吉紀准教授は私が同志社大学に赴任して2年目に3年ゼミに入り、9年間指導をした元ゼミ生で、博士号(新聞学)の審査で主査も務めさせてもらっています。1456月の時点では、私が学校法人同志社と裁判で係争中であることは同僚たちから学会役員に伝わっていたと考えます。

先日のメールでもお伝えしましたが、私は、どういう人たち、グループが、私の「所属機関の表記」にこだわっていて、学会会長らにプッシュしているのかに関心があります。もし、会員のどなたかが、私の所属機関の表記について、学会会長らに、公式・非公式に言ってきている場合、当事者の私にぜひ教えてください。会員のほとんどは「公人」で、私にはその姓名を知る権利があると思います。 なお、私が勤務する同志社大学(大学院メディア学専攻専任教員を含む)の関係者からは、私に何の問い合わせもありません。

  最後に、これは単純な質問ですが、p2に《日本社会学会においても、過去に、会員の所属機関について同様の表記がなされておりました》とありますが、社会学会のどういう事案か教えていただけませんでしょうか。私が社会学会に問い合わせることもできますが、差支えのない範囲で、どこに聞いたらわかるかなどご教示いただければ幸いです。

本書面到着後1週間を目途にご返事をいただければと思います。今後のやりとりは、メールまたは普通郵便で結構です。 ]

私の学会での「所属」は、「同志社大学(学校法人同志社と地位確認係争中)」とするという最終通知が谷藤会長から53日郵便の書面で届きました。会長は、145月の問い合わせと仮処分決定との関係について、単なる偶然と返答しました。この書面には不満な点もありましたが、この表記変更は、私が置かれている状況について、世界中のメディア学者に知ってもらうためにもいいと考えて、敢えて異議を申し立てませんでした。

 

   私を追放した小黒教授ら6人の暴挙

私は1994年から大学院教授で、1998年に設置された後期課程の教授に任用されており、メディア学専攻で最も古い教員です。学校法人同志社の定年は65歳ですが、同志社大学の大学院教授だけは70歳まで1年ごとに定年延長される定年される特異な制度があります。これは再雇用ではなく、雇用の継続です。これまで本学では定年延長を希望した院教授の1回目の定年延長が拒否されたのは私のケースが初めてです。

私の定年延長を拒んだのは131025日、密室で開かれたメディア学専攻の「臨時専攻会議」の構成員である小黒純(ニュース論)、竹内長武(漫画論、児童文学)、佐伯順子(日本文学)、池田謙一(社会心理学)各教授です。4人に私の定年延長を認めないよう指示したのが渡辺武達教授(メディア倫理)で、当時、院教授には任用されていなかった河崎吉紀准教授(浅野ゼミ2期生、博論主査は私)=13年度学科の窓口(責任者)=も協力しています。

小黒教授は「渡辺武達教授(当時69歳)の5回目の定年延長を研究科委員会に提案し、浅野(同65歳)の1回目の定年延長を提案しない」という趣旨の「結論」を決めました。当時、私は学長の任命する専攻教務主任でしたので、この決定過程には渡辺教授の担当科目を審議していないなどの瑕疵があるとして専攻会議での審理を求めましたが、4人は1030日の専攻会議で審議を拒否したため、私は教務主任として冨田安信研究科長(社会学部長兼任)に、渡辺教授と私の二人の定年延長を提案すると通知しました。ところが、冨田研究科長は4人の不当な「決定」を「専攻会議決定」として捏造し、私の定年延長だけ、研究科委員会で可決条件を新任人件と同じ「過半数の出席で3分の2の賛成」と独断で決め、空前絶後の定年延長人件での無記名投票を強行したのです。

メディア学専攻は131016日の専攻会議で、渡辺教授と私の科目を含め14年度の開講科目・担当者一覧を決定して冨田科長に提出していました。学部の科目も同様です。私は院と学部で、学部1年入門ゼミから博士後期課程の「特殊研究」まで10コマを担当することになっていました。ロシアからの日本政府奨学生は私の下で「外国人犯罪と日本の新聞」をテーマに修論を書く予定でした。「福島原発報道」を研究テーマに14年度から2年間、日本学術振興会特別研究員に内定していた後期2年の学生もいました。渡辺教授が科目担当の複合領域科目「マスメディアの現場」(1995年から続く)を担当する予定でした。学内のプロジェクト科目「絵手紙と夜間中学」(科目担当・次田哲治さん)の科目代表でした。2014年版の「同志社大学案内」には浅野ゼミと私の紹介が載っていました。私は13年度に2回行われた院入試の責任者でした。学内4高校を含め高校生対象の大学入学準備講座で模擬講義もしました。私が144月以降も教授としていると思って、メディア学専攻・学科に入学してきた学生もかなりいます。仙台から3年次編入で入試を突破した学生は、1441日、私のゼミがないことを初めて知ってパニックに陥りました。

しかし、メディア学科の6人は冨田研究科長と組んで、私が指導していた学生に対し、理事会決定の3カ月も前から、私がいなくなるので、14年度の指導教授の変更について話し合いたいと、自宅へ手紙を二度も郵送して、私と学生の分断をはかりました。13年度3年ゼミの13人に対しても、4年次には他の教員のゼミに移ると通告する手紙を全員に送っています。本学では、学生への教務連絡で自宅へ手紙を郵送することはありません。

本学科ではゼミは2年連続、卒論もゼミ教員が指導という学科規程があり、123月東京経済大学へ移った柴内康文准教授と134月法政大学へ移籍した青木貞茂教授は4年次ゼミと卒論指導のため新幹線の交通費を支給され、1年間嘱託講師を務めました。私のケースでは、6人は私が就業規則に従い、「定年退職した」と主張しながら、嘱託講師での任用もせず、20年間、教授を務めた私を名誉教授にするかどうかの学科審議も意図的に行っていません。

このため、「憲法改定とジャーナリズム」を共同研究(京都民報などに記事)していた浅野ゼミ20期生は143月末に強制解散され、13人のゼミ生はばらばらにされて他の教員(14年に民間から教授として赴任したT教授以外は「浅野追放グループ」)のゼミに暴力的に振り分けられたのです。私には何の相談も、引継ぎもありません。学科の専任教員が学則、学科内のルールを一方的に破っての暴挙です。浅野ゼミが1994年以降、市民と共に企画して、多数の市民も参加した冤罪、非戦平和、沖縄米軍基地、原発(「DAYS JAPAN」124月特別号「検証・福島原発報道」に成果))、日本軍性奴隷(現代人文社『ナヌムの家を訪ねて』を出版)、沖縄米軍基地、日米密約、パレスチナなどをテーマにしたイベントは社会学部からほぼ消えました。

私を追放した後、6人と冨田科長は何の対策もとっていません。そのため、私の院と学部の科目は13カ月、すべて「休講」になっています。私の後任として採用したと学内で公表している伊藤高史教授(元創価大学、日本大学新聞研究所紀要=1232日発行「ジャーナリズム&メディア」=に私を不当に批判する論文を寄稿)は私が担当の学部科目「新聞学原論Ⅰ」(春期)「新聞学原論Ⅱ」(秋期)を引き継ぐことなく、両科目は2年連続、休講になっています。院科目の「ジャーナリズム論」「新聞学」「メディア責任制度論」「国際報道論」は14年度が「科目担当者未定」、15年度は「休講」になっています。海外の大学では通常の授業でも、1回の休講は許されません。法学部事務室の担当者は「浅野先生の授業は法学部の選択専門科目になっているが、今年も休講になっているのはなぜか」という学生の問いに、「メディア学科の決めることではあるが、2年も基幹科目を休講にしているのはおかしい」と学生に言ったそうです。

6人はゼミの時間に、私との連絡を絶つように威圧し、14年以降も私を支援していた元ゼミ生を脅迫し、私とかかわらないように強制しました。法人同志社は裁判で、「連絡がとれない一時帰国中の留学生1人を除き、院と学部のメディア学専攻・学科の学生の誰も(浅野追放に関し)抗議をしていない」と豪語しています。この留学生はインドネシア政府奨学生の後期課程3年生だった院生(インドネシア国立ガジャマダ大学文学部日本学科助教)のことで、専攻の同僚4人は論文提出資格の予備審査で、「十分資格はあるが浅野先生の退職後に再審査する」(竹内長武教授)として不可の決定をしたあと、146月に「143月末に遡って満期退学とする」という決定を、指導教授の私に相談もなく強行して本人に通知しています。

この院生と学振特別研究員になった院生の二人の2013年度の「指導所見」(博士後期課程の唯一の成績評価)を私に書かせず、別の教授が記入しています。冨田科長は、学振特別研究員に内定していた院生の指導教授の変更手続きで、1447日、「受入教員変更届」について、私が署名押印を拒否しているという虚偽文書を作成して院生に渡し、院生がそれを知った上で、学振へ提出しています。院生の新しい指導教授は「鉄腕アトム」も研究対象にしている竹内長武教授のようです。14年度の専攻教務主任は池田謙一教授ですが、違法不当な文書であることを知っているはずで、連帯責任が発生しています。

法人同志社の代理人と村田晃嗣学長と冨田研究科長は「143月末までに研究室を明け渡すように」と書留速達郵便でパリ大学へ公務出張中の14327日に通告してきました。このため、新町キャンパスにあった浅野研究室も145月初めに強奪されました。

法人代理人は元ゼミ生との通信を制限する憲法違反の威嚇を行ってきました。

 

   超法規的措置だった北村日出夫教授の定年延長

私が同志社へ入社した1994年以降、渡辺教授と私の定年延長審議の前に、65歳定年を迎えた院教授は、北村日出夫、竹内成明、山口功二各教授の3人しかいません。3人の審議経過と私のケースを比較すれば、いかに私の定年延長拒否が異常か分かるでしょう。

1997年度の定年延長対象者だった北村教授(2005年に肺がんで死去)は元朝日放送社員で、「記号論」の権威で文学部長も長く務め、本学会(当時は日本新聞学会)で役位を歴任した重鎮でした。北村教授の定年延長は社会学研究科(当時は文学研究科)における「手続き」のいい加減かを示しています。北村氏は長く勤務した「新聞学専攻」(現在のメディア学専攻)でからの提案ではなく、「社会学専攻」からの提案で5回定年延長が認められました。

1990年に同志社大学に赴任した渡辺教授は北村教授を徹底的に敵視し、北村教授が65歳定年を迎える約2年前から、学部の専攻会議の場で公然と「あなたの定年延長は認めない」と通告し、「あなたは973月末にいなくなるから」という理由で、採用人事案件の会議などからも外していました。渡辺教授は199610月の院の教員の会議(北村教授を外し)で、多数決で「北村教授の定年延長を認めない」と決定しました。会議のメンバーは渡辺、山口功二(20123月に70歳定年で退職、現在名誉教授、後任は小黒教授)、竹内成明(元京都大学人文研究所助手、200470歳定年で退職、現在名誉教授、後任は竹内長武教授)各教授、佐藤卓己助教授(20013月末年に退職し、国際日本文化研究センター助教授を経て、2004年から京都大学大学院教育学研究科准教授)と私の5人でした。会議では、渡辺、山口両教授が「北村教授の定年延長を認めない」と提案。竹内成明教授は両教授の提案に反対し「定年延長を認めるべきだ」と表明し、佐藤助教授は棄権しました。私は渡辺、山口両教授の提案に反対せず、消極的に賛成しました。京都大学出身の北村、竹内両教授は当時、教育研究にあまり力を入れておらず、それに比べて、渡辺教授は新聞学専攻の将来を熱心に語っていました。後になって分かったことですが、この時は、北村教授を追放するために、私を利用したのです。渡辺教授は当時、北村教授の追放に協力しなかった佐藤助教授に対し冷たい態度を取り続け、佐藤助教授は20013月に退職しました。佐藤助教授がいなくなってから、渡辺氏の私への敵対行動が始まったのです。

その後、北村氏は密かに社会学専攻の森川眞規雄教授(私と同年齢で、14年に定年延長)らと協議を重ね、社会学専攻に博士後期課程設置の提案を文部省に行い、その準備スタッフの柱として文部省の「D○合」資格を持つ北村教授を使ったのです。1997年初めごろの文学研究科委員会で、北村教授を同じ文学研究科の社会学専攻の大学院教員へ移籍することを前提に、北村教授を柱とする社会学専攻博士後期課程の設置(1998 4月)にかかわる文部省への申請書が公表されました。そのとき、私を含め、新聞学専攻の教員はこの“超法規的移籍”を事前に知りませんでした。北村教授の定年延長は199610月の文学研究科委員会で提案され、議論もなしに承認されました。北村教授の所属していた新聞学専攻からの提案はなかったのに、社会学専攻から定年延長が提案されたのです。北村教授の件については、北村教授の指導を受け博士号を取得した社会学専攻の藤本昌代准教授(情報社会学)と北村教授と親しかった竹内成明教授がよく知っています。 

その後、1998年秋に竹内成明教授、2002年に山口教授の定年延長が専攻と研究科委員会で審議されましたが、専攻では全く審査もなく、研究科でも定年延長者一覧表(担当科目名付き)が配布されて、審議なしに議決承認されました。

竹内成明教授は北村教授に近かったため、渡辺教授は採用人事案件の会議から排除するなど冷淡な態度を取り続けており、定年延長の際に嫌がらせをする可能性があると私は思っていましたが、審査なしですんなり全員一致で決まりました。北村、竹内、山口各教授は70歳退職後、それぞれ名誉教授になっています。

 

   二つの裁判で正義の実現を

私の地位確認裁判の第8回口頭弁論は、618日(木)午前1020分、京都地裁208号法廷で開かれます。原告の私の代理人(武村二三夫弁護団長)が証人申請している庄司俊作・同志社大学人文科学研究所教授らが527日京都地裁へ陳述書を提出しました。山口正紀さん、浅野ゼミ14期生・山田遼平さん、14年度政策学部4年生Yさん、西田毅法学部名誉教授、野田正彰元関西学院大学教授、霍見芳浩CUNY名誉教授、矢谷暢一郎NY州立大学教授らも陳述書を出してくれました。秋には、私を追放した同僚6人と共謀した冨田研究科長(153月末退任、現在大学院産業関係学専攻教授=労働経済学)と私が証言する予定です。ぜひ傍聴してください。大学の在り方、高齢者の労働、表現の自由を考えるための裁判はいよいよヤマ場です。

私はこの労働裁判とは別に、313日、私の雇用の場を奪い、浅野ゼミ20期を解体し、同志社から追放したメディア学専攻の同僚5人を相手取り、名誉棄損損害賠償訴訟を東京地裁へ起こしました。被告5人の代理人は何と地位確認裁判と同じ大阪の俵法律事務所の弁護士たちです。被告側は京都地裁への移送を申し立て、現在審理中です。20039月から続く“渡辺グループ”との最後の闘いで、代理人は弘中惇一郎、山縣敦彦両弁護士です。

私の二つの裁判については、浅野裁判支援会HPを読んでください。

http://www.support-asano.net/index.html               (了)


2018822

 

「言論の自由」扱うマスコミ学会の検閲・白紙発行で裁判

御用学者・御用弁護士と渡辺グループが暗躍

 

*浅野を排除した同大の御用学者が学会に圧力

最近、日本大学アメフトの悪質タックル、日本ボクシング連盟の内紛、東京医科大学入試女性差別などで、大学やスポーツ団体に絡んだ「ボスによる暴走」が問題になっているが、伝統ある日本マス・コミュニケーション学会(旧名・日本新聞学会)と新島襄が人民のための学園として創立した同志社大学のトップによるやりたい放題、腐敗も深刻だ。

 

日本マス・コミュニケーション学会(会長・佐藤卓己京都大学大学院教授、以下「学会」と略す)の執行部は、20年前から学会理事(理事任期は2年で再選ができないので4年ごとに理事就任)を長く務める渡辺武達氏(2015370歳定年退職、同志社大学名誉教授)率いる「渡辺グループ」(「週刊文春」名誉毀損裁判確定判決で、2004年設立と認定)の意向を受けて、私が書いた学会ワークショップの報告文を白紙で発行するという暴挙に出た。

 

ワークショップで問題提起者だった山際永三さん(日本映画監督協会理事、人権と報道・連絡会事務局長)と私は201815日、学会などを被告とする損害賠償請求訴訟を東京地裁へ起こし、これまで5回、口頭弁論が開かれた。第6回弁論は830日午前11時から、東京地裁712号法廷で開かれる。傍聴にぜひ来てください。

 

 学会紀要の白紙発行を強行させたのは、同大社会学部メディア学科の渡辺グループに属する小黒純教授、河﨑吉紀准教授(浅野ゼミ2期生)らだ。牧師を兼任する神学部教授たちが学校法人同志社の理事会を牛耳り、2013年には、対米隷従・公明党宣伝役の村田晃嗣氏(前学長、現在法学部教授・NHK経営委員会委員)が学長に就任。同年11月、村田氏の側近である尾嶋史章副学長(現在社会学部社会学科教授)が、渡辺グループと共謀して私の定年延長拒否を教授会で決定し、143月、私は同大から完全追放された。

 

村田氏は157月、国会で侵略戦争法案(安保法案と詐称)を賛美する公述を行い、同年11月の学長選挙で完敗し、163月学長を退任したが、村田レジュームの3年間で同大は腐敗した。03年に同大の伝統ある「学友会」(学生自治会)が謎の“自主解散”大会を開き、現在、同大には自治会がない。経済不況の中、比較的安かった授業料がスライド制で上がり、教育の質が落ちている。同大、とりわけ同大社会学部メディア学科(法学部と並んで偏差値が学内で最も高い)には行かない方がいい。

 

15年初め、大学で出たゴミを無許可の業者に捨てさせた事件で9人が産廃法違反容疑で逮捕され、大学施設部長と学校法人同志社は計250万円の罰金刑を受けた。当時の理事長である水谷誠神学部教授は処分もされず、1年間も理事長に留まった。文科省はこれに激怒し、14年度の助成金を9億円カットし、164月、しぶしぶ退任した。ところが、水谷教授は16年から定年延長になり、今も大学院教授を務めている。私を「不良教授」として解雇したのが水谷氏だ。

 

 マスコミ学会の前代未聞の白紙発行は、同大メディア学科の御用学者との共謀で行われた。多くの労働者、学生、市民に本裁判のことを知ってもらいたいと考え、学会側が一方的に裁判に関する書面の一部を学会HPにアップしたので、本ブログで、裁判の関係資料をすべて公開することにした。

 

*学会紀要白紙発行の経緯

 

20156月に同大で開かれた学会春季研究発表大会で「警察リークと犯人断定報道―袴田事件から氷見事件まで」をテーマにした「ワークショップ7」(司会・浅野、問題提起者・山際氏)が開かれた。学会の規定で、司会担当の私が同年812日、学会が発行する『マス・コミュニケーション研究』(88号、以下紀要)に掲載するための報告文を送った。紀要は学文社が刊行し、全国の書店、アマゾンなどで販売されている。

 

学会紀要88号では、各ワークショップの報告が掲載されたが、207ページにある〈ワークショップ7〉の報告は、タイトルと〈司会者:浅野健一(同志社大学〔学校法人同志社と地位確認係争中〕)/問題提起者:山際永三(日本映画監督協会)〉と書かれているだけで、その下に、〈※ワークショップ7の報告は,諸事情により掲載を見送らせていただきます〉との一文があり、その下の20行分はすべて空白になっていた。 

 

同大で開かれたワークショップには、袴田巌さんの姉、袴田秀子さんら12人が参加した。同大で朝鮮語を教える教員も来ていた。学会ワークショップは、学会企画委員会が主催する公式の行事である。

 

学会編集委員会が削除を要求してきたのは、報告文の末尾にあった、私の学会の発行物での所属表記に関する次のような記述だった。

 

〔 (略)学会役員は(15年)4月から、所属について何度も尋ねてきた。私は、なぜ14年度までの表記(同志社大学)ではダメなのか、どこの誰が問題にしているのかを尋ねたが、納得のいく説明はなかった。新表記に違和感も残るが、私が同志社から解雇され京都地裁に地位確認請求訴訟を起こして裁判中である事実を学会会員に知ってもらえてよかった。浅野は「所属問題での見解」文書を学会で配付した。希望者には送付したい。 〕  

 

私は学会に対し、原文のまま掲載するよう強く求めた。これに対し、藤田真文・総務担当理事(法政大学教授、現在二度目の総務担当理事)から、1512月初め、「再度改稿をお願いしたい」「改稿原稿は、学会誌の編集作業の都合上、20162月末日までにご回送いただければ幸い」と伝えてきた。私は藤田氏に対し、原文のまま掲載することを要求したが、何の回答もなく、学会は161月初め、白紙発行を強行した。

 

私が158月、学会編集委員会へ送った報告文は2000字あり、紀要では2頁半以上のスペースが必要な分量なのに、印刷された紀要では標題を含め1ページしか使っていない。つまり、最初から、私の改稿は届かないことを前提に編集していたのだ。学会編集委員会には、改訂原稿を載せるつもりはなかったことが分かる。

 

20146月学会では浅野の所属先は「同志社大学」

 

私は2014年度春期大会でもワークショップの提案をして採用されたが、学会企画委員会委員長ら3人から14515日午前11時ごろ、「個人・共同研究発表、ワークショップご登壇者 各位」と題したメールが届いた。

 

 [ 5/316/1にご登壇いただく標記研究発表会に関し、年度が切り替わった時期でもございますので、ご発表時点で、会報に記載されているご所属より変更がおありの方は、お知らせいただければ幸いです。

変更ない方は、とくにご連絡いただくには及びません。》(抜粋)

 

 私は午後5時過ぎ、《ワークショップで司会をする同志社大学の浅野健一です。この種の問い合わせメールは発表会のあるたびに毎回送っているのでしょうか。過去にあまり記憶がないのでお聞きします》という返信を送った。午後6時ごろ、企画委員長からすぐに返信があった。

 

「登壇者の方々には年度がわりの時期にエントリーいただいているので、研究発表会当日のプログラム作成に先立ち、念のために、今年度の企画委員会として、確認のメールをお出しした次第です。過年度でも、こうした確認をさせていただいたこともございます」

 

このメールを受け取った後に、企画委員会役員の方と電話でのやりとりがあり、「こういう問い合わせは春、秋の学会大会で毎年行っているのか」という質問に、役員の方は「毎年はやっていない」と回答。「直近ではいつこの種の問い合わせをしたのか」という質問には、明確な回答はありませんでした。この種の問い合わせは「過年度」に実施したことはあるが、慣例ではなく、毎回は行っていないとの説明だったと私は受け止めた。私自身、学会で毎年のようにワークショップなどを実施し、私が指導していた院生が何度も研究発表もして、学会の紀要にも論文を掲載してもらったが、こうした所属機関の変更の有無に関する問い合わせを受けた記憶はなかった。

 

61日、専修大学の大会会場に行くと、私の名札の肩書は「同志社大学」で学会の領収証の宛名も同じだった。

 

*突然学会トップが浅野の所属に文句を付けてきた

 

2015年度春期学会のワークショップの提案が採用された。154月初め、当時の小林直樹・学会企画委員長(法政大学教授)らからメール、携帯への電話などで、私の所属先の表記に関し、頻繁に問い合わせがあった。

 

私は、私が解雇をめぐって同志社と裁判になった後の146月に専修大学で開かれた14年春期学会発表会では、それまでと同様に「同志社大学」だったのだから、地位裁判の決着までそのままにしてほしいと要請した。理事は「会長と会ってほしい」と依頼してきたが、「こんなことで会長と話し合う必要はない」と断った。もし、学会として変更を希望するなら文書で要請してほしいと要望した。

 

その後、413日に学会事務局(谷藤会長、東海大学文学部内)からの配達証明郵便を受け取った。封筒には、谷藤会長からの「所属機関の表記について(ご連絡)」との標題があり、「会員がその所属機関における雇用問題等をめぐって訴訟を提起して係争関係にある場合には、当該訴訟が継続している間、原告、被告のいずれにも与せず、司法上の事実関係を忠実に反映することが、事実に謙虚な学術研究団体のとるべき公正な姿勢であると認識しています」との見解が2頁にわたり書いてあった。

 

私は以下のように返事をした。

 

[ この見解は、日本国における三権分立の民主主義制度、国際法・日本国憲法が保障する労働基本権、裁判を受ける権利などを深く理解されてのご認識だと思います。

会長が私の所属の表記を《「同志社大学・地位確認係争中」》と変更したいとのご提案ですが、基本的には同意しますが、去年と同じでいいのではという思いも強くあります。また、会長が変更する根拠としてあげた文章の中に、一部ですが、事実関係の誤りがあります。記述に不正確な部分もありますので、表記変更の「措置」の執行はしばらくお待ちください。

(略)

次に、学会が2014年度において私の肩書を同志社大学とした根拠として、p2において、2014年度春期で私が司会をしたワークショップ(201461日)に関しての学会と私のやりとりを挙げていますが、これには問題があります。

2に、昨年515日に受け取った学会からのメールに、《所属変更にご回答がなかった》とありますが、これは明らかに事実に反します。

なお、私が申し立てた地位保全の仮処分決定(私には不利な決定、緊急性はなく本訴で審議するという趣旨の判旨)が出た翌日に、この問いあわせメールが発信されています。メールのやりとりを末尾に()として貼り付けます。

仮処分決定の翌日にこういうメールが学会から来たのは、何かの偶然でしょうか。私は当時、学会の理事などの役員の中に、私を追放した同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻・同志社大学社会学部メディア学科の専任教員が複数いることと関係していると感じていました。1年前、学会は、私の名札の肩書を「同志社大学」とし、学会参加費の領収書の宛先も「同志社大学 浅野健一様」としていました。

2014年度春期でワークショップ(201461日)応募時の2014213日には、既に、私は京都地裁へ仮処分の申立と、本裁判提訴を行っており、産経新聞大阪本社社会面(131228日)、京都新聞()でも仮処分事案が報道されています。また、1312月以降、春期大会が開かれる136月までの間に、「週刊金曜日」「創」「紙の爆弾」「マスコミ市民」「人民新聞」「人権と報道・連絡会ニュース」「救援」「浅野教授の文春裁判を支援する会HP」(ネット)などの媒体で、私が学校法人同志社を被告として労働裁判を起こし、同志社大学で教鞭をとれなくなったことが周知の事実になっていました。とりわけ、既に申し上げていますように、私の所属先の大学の同僚と、同僚が指導した元学生が学会の役員を務めています。6月の学会を担当している河崎吉紀准教授は私が同志社大学に赴任して2年目に3年ゼミに入り、9年間指導をした元ゼミ生で、博士号(新聞学)の審査で主査も務めさせてもらっています。1456月の時点では、私が学校法人同志社と裁判で係争中であることは同僚たちから学会役員に伝わっていたと考えます。

先日のメールでもお伝えしましたが、私は、どういう人たち、グループが、私の「所属機関の表記」にこだわっていて、学会会長らにプッシュしているのかに関心があります。もし、会員のどなたかが、私の所属機関の表記について、学会会長らに、公式・非公式に言ってきている場合、当事者の私にぜひ教えてください。会員のほとんどは「公人」で、私にはその姓名を知る権利があると思います。 なお、私が勤務する同志社大学(大学院メディア学専攻専任教員を含む)の関係者からは、私に何の問い合わせもありません。(略)

本書面到着後1週間を目途にご返事をいただければと思います。今後のやりとりは、メールまたは普通郵便で結構です。 ]

 

私の学会での「所属」は、「同志社大学(学校法人同志社と地位確認係争中)」とするという最終通知が谷藤会長から53日郵便の書面で届いた。会長は、145月の問い合わせと仮処分決定との関係について、単なる偶然と返答した。この書面には不満な点もあったが、この表記変更は、私が置かれている状況について、世界中のメディア学者に知ってもらうためにも悪くないと考えて、敢えて公式には異議を申し立てなかった。

 

学会は私の意向を無視して、同大新町キャンパスを会場に開かれた2015年度春季研究発表会の「プログラム」と「個人・共同研究発表要旨、ワークショップ・テーマ案趣旨」に記載する私の所属の表記を「同志社大学・地位確認係争中」とすると一方的に通告してきた。

 

*大成功だったワークショップ「袴田事件と報道」

 

学会大会が開かれた同大新町キャンパスは私が20年間大学院教授として教壇に立った教室、研究室のあった思い出深い学舎で開かれた。この大会の開催校を代表したのが私を解雇した中心人物の小黒純教授と河崎吉紀准教授(浅野ゼ2期生、博論主査は私)だった。

 

ワークショップ「警察リークと犯人断定報道―袴田事件から氷見事件まで」は15614日午後、新町キャンパス・臨光館211教室(211)で開かれた。袴田巌さんの姉の袴田秀子さんら12人が参加した。

 

私は司会者として、ワークショップの冒頭で、2015年5月14日発行の「日本マス・コミュニケーション学会会報」第281号の60頁に掲載された「ワークショップ7」の司会者のところの「所属」が「同志社大学(学校法人同志社と地位確認係争中)」となった経緯を説明した資料を配布した。また、ワークショップの司会者としてのレジュメ(甲9号証)も配り、その最後に、「警察リークと報道の関係を考える」素材として、不当逮捕で実名報道されて新聞社3社を提訴した佃治彦さんの「実名報道」裁判における現役記者の法廷証言を取り上げた。その中で、<(中日新聞の訴訟代理人)喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)をはじめとする新聞社代理人弁護士たちが「逮捕されたら実名、住所を出すのが決まり」「警察の公式発表、広報責任者の取材だけで記事を書いた」と言う新聞記者を擁護する姿勢を見て、情けないと思った。日弁連は「報道と人権」で二度人権大会を開き、被疑者の《原則匿名》を繰り返し提言してきた>と指摘している。

 

*ワークショップ報告文一部削除の要請

 

私は15812日、成田康昭・編集委員会(第34期)委員長(立教大学教授)へ報告原稿を送った。8月16日、土屋礼子理事(編集委員会、早稲田大学教授)から以下のようなメールが届いた。

 

〔ワークショップ7の報告原稿のご提出、誠にありがとうございました。

ただ、報告原稿の最後の段落につきましては、ワークショップの報告としては違和感がございます。

これは取り敢えず私個人の意見ですが、編集委員会担当理事の間で協議致しまして、改めて修正点などについて、ご連絡差し上げたく存じます。

どうぞよろしくお願い致します。

マスコミ学会編集委員会 土屋礼子 〕

 

823日に土屋礼子氏に以下のように返信した。

 

〔 メールを拝受しました。

これまで、ワークショップ報告文に関しては、すべて、34期編集委員会委員長の成田康昭様から、連絡を受けておりましたので、土屋様からメールがなぜ来たのか、よく分かりません。

私が13日にメールで送付した報告文に関し、「個人の意見」として、「最後の段落につきましては、ワークショップの報告としては違和感がございます」とありますが、そもそも、一会員にすぎない私の所属に関して、驚くほどの時間とエネルギーを日本マス・コミュニケーション学会の会長(本件での面談協議の提案が役員からありました)はじめ多くの方々が使われるのか、強い違和感と疑念があります。それについては、役員の方からの「所属変更」連絡の際に、お伝えし、質問もしてあります。昨年以来の本件に関わる学会役員とのやりとりを示す文書を添付します。私の方は、すべて公表(publicize)可です。参考になさってください。

私の同大における院教授としての労働権が奪われたこと自体が、前代未聞で、日本の大学においてもほとんど例のないことです。

学会ニュースで、私の「所属」を見た多くの会員は、意味が分からなかったと思います。説明なしの「地位係争中」の表記(私は本学会で見た記憶がありません)に違和感を抱いた会員も複数います。報告文での記載がおかしいということでしたら、学会が全会員に、私の「所属」変更について、よく分かるように周知されるよう切にお願いします。(社会学会にだけあったと会長が言及されている「先例」も含めて)

なお、「編集委員会担当理事の間で協議」を行われる際には、20145月中旬(なぜこの時期にこの件が始まったかが非常に重要です)以降の、私の「所属問題」に関する全経緯を踏まえてください。特に、1年前のワークショップ報告文でも、同じように「最後の段落」において、同様の説明をしておりますので、学会への当時の送付原稿を添付させていただきます。昨年は、原稿そのまま、学会誌に掲載されています。去年は、特に何もなかったのに、今年はこうして「編集委員会担当理事の間で協議」まで通知されるのか疑問です。昨年の担当の方との整合性も精査ください。 〕(一部略)

 

土屋氏には「表記」問題に関する学会とのやりとりの関係文書を多数添付した。

 

その後、土屋氏らからは何の連絡もなく、912日午後、配達証明で内容証明郵便の文書が大石裕学会会長(慶応大学教授)から届いた。土屋氏が指摘した「最後の段落」を削除した「改稿」を9月末までに提出するようにという通知でした。理事会決定だということだった。

 

以上述べたように、ワークショップの報告書の削除要請は、土屋理事からのメールが届いたのが始まりだが、「事実に反する又は誇張された記述」を問題にされたことは一度もない。ところが、学会側は「ワークショップと関係のない記述が含まれている」ことを問題にしてきた。

 

*「不当な検閲」か「編集の自由」なのか

 

本件裁判では、31日に第一回口頭弁論が開かれ、その後、弁論が3回開かれた。永谷裁判長は、「原稿を載せないという判断をしたのは、編集委員会か理事会か」と被告側に聞いたのに対し、喜田村氏は「理事会と考えている」と答えた。裁判長は「編集委員会は判断していない、ということか。規約上は、編集委員会が決めたということで、理事会に諮って理事会でも決めたということではないのか。説明を」「編集委員会の中での伊藤氏の立場について説明を」と要請した。適切な訴訟指揮だと思う。

 

山際さんは学会の16年度春季研究発表会で「ワークショップ9」として「安倍晋三政権の言論統制と『新聞に軽減税率』」を開催し、その報告文が紀要90号に掲載されているが、その冒頭において、紀要88号における報告文が「諸事情により掲載を見送らせていただきます」との注意書き、見出しだけの白紙のまま発行された件について詳細に紹介して、山際氏が,「学会執行部・理事会・編集委員会が取った処置は重大な言論弾圧であり、はなはだ遺憾」との発言がそのまま掲載されている。

 

山際さんは学会の17年度春季研究発表会においても「ワークショップ12」として、「警察取材者の加重労働と市民の知る権利」を開催し、その際の報告文が紀要九二号に掲載されているが、ここでも、その末尾の段落において「2015年春季発表会ワークショップ「警察リークと犯人断定報道/袴田事件から氷見事件まで」の報告文が紀要(一六年一月発行)において本文白紙のまま強制発行されるという、言論表現の自由に関わる暴挙が学会で起きたことにつき、内外で問題提起していくとの報告がなされた」との報告がそのまま掲載されている。

 

このように、山際さんは学会の16年度と17年度の「ワークショップ」の司会を務め、私が問題提起した。山際さんが紀要90号と92号の報告文に、紀要88号の白紙発行問題を取り上げ、「重大な言論弾圧」などと厳しく批判した文章がそのまま掲載されている。私の報告文はダメで山際さんのはOKというのは、ダブルスタンダードだ。

 

*紀要編集責任者は新聞協会出身の御用学者

 

白紙発行された紀要88号の編集委員会委員長だった学会理事の伊藤高史同大教授は、私が143月に定年不延長=不当解雇された後、146月に行われた「浅野健一教授補充人件」の公募で採用され、154月にメディア学科教授に就任した。伊藤氏は前創価大学教授で元日本新聞協会職員の御用学者で、マスメディアの福島原発報道を評価し、記者クラブ制度を擁護している。

 

山際さんと私は201815日、学会(佐藤会長)、伊藤教授、学文社(田中千津子社長)の三者を相手取り、損害賠償請求訴訟を起こし、東京地裁第31民事部(永谷典雄裁判長)で審理されている。言論を扱う学会が、袴田事件に関する報告文を検閲した暴挙が司法の場で裁かれている。

 

*学会が「文春」顧問の喜田村洋一弁護士を代理人に

 

原告代理人は山下弁護士で、被告の代理人は喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)と藤原大輔弁護士。喜田村氏は、弘中惇一郎弁護士らと共に、冤罪・ロス銃撃事件で、三浦和義氏の無罪判決を勝ち取った弁護団の一人で、その弁護団の現地調査(1994年)に山際さんと私は同行した間柄だ。

 

喜田村氏は私を“セクハラ疑惑”記事を書いた「週刊文春」事件(文春に550万円賠償命令の大阪高裁判決が確定)で、被告文春などの代理人だった。また、渡辺武達氏(20153月に70歳で退職、同大名誉教授)の指示で私を“セクハラ”加害者に捏造した三井愛子氏(現在同大嘱託講師)を訴えた民事裁判(最高裁で係争中)でも、三井氏の代理人を務めている。喜田村氏は文藝春秋、講談社、NHK、読売新聞、中日新聞の顧問弁護士。朝日新聞は『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を巡り、損害賠償請求訴訟を起こしているが、被告の著者・小川榮太郎氏と飛鳥新社の訴訟代理人は喜田村弁護士である。

 

冤罪・報道被害者が起こしたメディア訴訟で、被告の大手メディアの不法行為を擁護するのが喜田村氏の仕事になっている。こんな法律家が自由人権協会の代表でいいのだろうか。

 

*渡辺氏の旧敵だった佐藤会長が渡辺グループを擁護

 

現在の学会会長の佐藤京大教授は、私と同時に1994年に同大社会学科新聞学専攻(現在の社会学部メディア学科)に専任講師として採用され、助教授だった2001一年に同大を退職し、日本国際文化研究所の助教授に転出し、その後、京大教授になった。佐藤氏は元「日本ナチ・カルチャー研究会」代表で故・西部邁氏に近かった。佐藤氏は同大の教員時代に、渡辺氏が敵視していた故・北村日出夫教授(元同大社会学部長)と親しかったため、渡辺氏から「フクロウのような奴」などと罵倒され、同大を去った。渡辺氏は「二度と佐藤を同志社には入れない」と言い放っていた。

 

渡辺氏は「佐藤卓己は二度と同大の敷地に入れない」「京大になんか絶対に戻れっこない」と公言し、佐藤氏を嘱託講師で呼ぶことに反対した。佐藤氏は故・西部邁氏に近く、「ドイツ人も本当は過去を反省していない」などと学生に言っていた。

 

佐藤氏の年代には、日本の過去の侵略の歴史に無知で、保守的な学者が多いので、私は適当に付き合っていた。ただ、同大での佐藤氏の存在は、新島襄の建学精神のかけらもなく、世の中を斜に見る体制順応型の学生を育てていると思っていた。佐藤氏は「京大のゼミで最も優秀な同期は共同通信に入社した」「文学部は就職が悪いので、優等生の多くは役人になるかマスコミへ就職する」と学生たちに言っていた。佐藤氏の同期の共同通信記者は文化部長などを歴任して役員に昇進している。

 

佐藤氏は「その本はうちの大学の図書館にある」と同大生に言ったので、同大図書館で探したら所蔵されていなかった。佐藤氏の言う「うちの大学」は京大だったのだ。佐藤氏は「日本で大学と言えるのは東大か京大」が口癖で、同大の佐藤ゼミの学生のほとんどは同大の大学院には進学せず、京大の院へ入学していた。

 

佐藤氏は朝日、毎日、東京などの各紙で、メディア時評を書いているが、常に自公政権とキシャクラブメディアを擁護する論を展開していて、醜悪である。佐藤氏は「京都大学院教授(メディア論)」の肩書で、15919日の朝日新聞で、尖閣での船衝突事案に平時に備える法律規定は必要であるのに、政権は話し合う気はなかった一方、野党も反対派も議論の余地はなく、デモの言葉は敵対的なアジテーションで、首相のヤジと同じ―という趣旨のコメントを出している。147月の集団的自衛権行使を合憲とする閣議決定以降、市民が批判してきたのは集団的自衛権の行使が憲法違反で朝鮮半島や中国の「脅威」が「安保環境の激変」の根拠と言えるのか、戦後侵略戦争を繰り返した米国との軍事協力を拡大するのは賢明な選択かなどを問うてきたと思う。法案の立法事実も明らかにできない安倍首相のヤジと、個人の意思でクーデター的な閣議決定に異議を申し立てる行為を同一視したのは不当だ。

 

安倍政権が新聞協会との密議を重ねて決めた「新聞軽減税率」について、佐藤氏は16126日の朝日新聞で「新聞は『思索』のための食料」「(新聞は)生鮮食品のようなもの」などと主張した。新聞紙を「コメと同じ公共財」とする財務省の詭弁をコピペした論評だった。新聞紙が教科関係書籍、医薬品より公共性があるという理屈は通らない。

 

“犬猿の仲”だったはずの佐藤、渡辺両氏が喜田村氏を代理人に立て、私たちに対抗しているのだ。

 

*渡辺武達氏は退職後も所属先は「同志社大学」に

 

学会の会員の所属の表記は自己申告制。143月に私を解雇に追い込み、現在も学会理事である渡辺武達氏は、15331日に同大を70歳で定年退職し、名誉教授になっているが、今も所属先を「同志社大学」と表記している。同大では名誉教授はメールアドレスや研究室もなく、まさに称号だけだ。

 

学会執行部が私の所属表記にこだわったのは、私に「敵意に近い感情を抱く」(文春確定判決)渡辺グループが学会執行部へ執拗に圧力をかけたからだろう。 

 

喜田村氏は222日付の答弁書で、「学会の原稿掲載の権限行使に関し、編集委員会は広範な裁量を与えられている」「学会が報告文についてそのまま掲載しなければならない法的義務を負うものではない」などと主張した。また、削除を求めた部分には、「事実に反する又は誇張された記述を含む」ためだったと断定した。

 

 喜田村氏531日付の準備書面で、「学会が原告浅野に『所属』について『何度も尋ねた事実はない』「浅野の所属表記を一方的に変更した事実もない」と指摘。伊藤氏を原告としたことについても「原告らの主張は邪推」「伊藤の社会的評価を低下させかねない極めて悪質な主張」と非難した。学会執行部が主張してこなかった「事実」まで捏造し、学会による不当な行為を正当化する喜田村氏こそ邪推によって事実に反する記述を行っているのではないか。

 

*いきなり学会HPで一方的な「裁判のお知らせ」

 

 学会は2018325日に、学会の公式ホームページ(HP)に山際さんと私から裁判を起こされたという報告文を掲載した。私は学会事務局から330日、「会員各位」へ同時送信された次のような「お知らせ」メールで知った。

 

〈事務局からのお知らせを掲示させていただきます。/「本学会に対する浅野会員、山際会員からの提訴について」を学会HPに掲載しました。

URL  http://www.jmscom.org 

 

パソコンでこのURLを見ると、学会HPの新着情報として、「本学会に対する浅野会員、山際会員からの提訴について(2018.3.25) PDF」「訴状 /【マスコミ学会】答弁書(提出版)/浅野会員宛書面」と題して、佐藤会長名での見解文と、訴訟書面二通が掲載されている。訴状のPDFには、原告の山際さんと私の住所(番地まで)、印影が読める。訴訟代理人の山下幸夫弁護士の事務所の住所、弁護士印の印影が映っている。私たちの訴状に誤りがあったので、山下弁護士が二通、訴状の訂正書を地裁へ提出しているが、学会HPにはアップされていない。

 

学会の私宛の書面は「内容証明郵便なので加工している」というお断りがあった。山際さんも私も不特定多数の人たちに自宅住所は公開していない。学会が個人情報を勝手にアップするのは違法、不当だ。

 

山際さんと私は412日、電子メールで佐藤会長に対し、「恣意的に裁判の書証を選び、当方から事情も聞かずに会長見解をHPに載せるのは不当だ」として、当方との協議がまとまるまでアップした書証を削除するよう求めた。学会の藤田理事は414日メールで、「裁判の件なので、理事会を代表して総務担当理事がやり取りさせていただきます」と返信し、その後、「理事会で話し合う」と伝えてきた。

 

私たちは56日、佐藤会長に対し、「原告に何の相談もなく裁判資料を一方的に公表するのは不当」と指摘し、「双方で、会員、社会に本裁判についてどう知らせるかを協議したい」とする要請書を送り、一カ月以内の回答を求めた。

 

これに対し、藤田理事からは何の連絡もなく、喜田村弁護士が523日、「学会から対応を依頼された」として、山下弁護士に「貴職を代理人として対応したい」という連絡書をファクスしてきた。学会のHPでの発信と本件裁判とは何の関係もない。

 

山下弁護士は24日、「この件で、山際・浅野両氏から受任していない」と喜田村氏に返答した。

 

*袴田巌さん冤罪の共犯者・マスコミ

 

袴田事件は東京高裁で611日に不当な決定が出された。静岡地裁の再審開始決定から43カ月経っての不当な決定だった。

 

私たちが本裁判を起こしたのは、袴田事件の捜査段階の偏見に満ちた報道の検証を行ったワークショップ報告文を、渡辺グループに忖度して、検閲したことは、冤罪づくりへの新たな加担だと考えたからだ。

 

日本に冤罪が絶えず、報道機関が退廃しているのはメディア学者と御用弁護士が跋扈しているからだと私は思う。 

                         

今回の裁判の提訴時の会長が佐藤氏になっていたのは、学会の衰退と退廃を象徴しているように思う。日本のメディア・ジャーナリズム状況を社会科学し、改革を促すような視座がない学者だ。首相がメディア業界の経営幹部・編集責任者と超一流の飲食店で会食を繰り返し、キシャクラブ制度で報道統制し、放送局の許認可権で言論弾圧を進める現在、人民のための学会の創成が急務である。

 

提訴した会員の山際さんと私からのヒアリングもないまま、被告側の主張を会長見解としてネットで公表するのは、安倍官邸のやり方と酷似している。機関(理事会)を握り、広報手段も独占している佐藤会長の姿勢は、フランス革命の1789年以前の中世絶対王政時代の人権感覚の表れである。                      (了)

 


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