☆自主ゼミ「浅野健一ジャーナリズム講座」シンポジウム報告(後半)

 

「権力批判をしない大学とメディアは消滅すべきだ」

 山城博治沖縄平和運動センター議長がヤマトの学者・報道人を斬る


【司会】

 それでは、第二部の方を始めさせていただきます。浅野先生と同志社大学の学生と鹿砦社代表の松岡氏と神林氏と山城氏による、パネルディスカッションを開始させていただきます。終了後は会場参加者からの質疑応答を受け付けますので、よろしくお願いします。

自主ゼミ 山城さん 2部の討論 JPG
 

【パネルディスカッション】

浅野:山城氏の刑事裁判初公判があった時に、山城氏の早期釈放を求める市民の会がビラを配っていたが、ビラの中に、「沖縄タイムス、琉球新報の報道は山城博治さんに大きな励みになっている」とあった。私は新聞が市民運動のビラにこんな風に書かれたというのは、すごいことだと思います。新聞と民衆が連帯しているのです。こういうことはヤマトにはない。東京や大阪で、朝日新聞や毎日新聞が市民運動を励ましてくれていると思っている人は珍しいし、こういうふうに思っている人は非常に少ないと思う。しかし、東京新聞だけはちっと違う。そんな感じがします。東京新聞の記者の奮闘を見ると、沖縄の二紙に近い感じがします。

山城氏の保釈が初公判の翌日に認められたのは、国際的な批判があったからなんですよ。海外の学者たちやアムネスティ・インターナショナルが声明を出したりしました。

私は日本で問題が起きている際に、それを解決するために、国際的な舞台できちんと問題点を明らかにするのが一番有効なのではないかと考えます。さきほど山城さんが引用された「潮」の記事ですが、創価学会系の潮出版が出している月刊誌です。当時、池田大作名誉会長がレイプしたという記事が「週刊新潮」に出て、国会でも自民党に追及されていた頃に、創価学会系メディアが私に報道被害だとして助けを求めてきた。自公政権ができて15年も経ち、今や、「潮」など学会系メディアから全く声がかかりませんけど。そういう時代に私と大田氏の対談を「潮」が計画するということがかつてあったということで、世の中は本当に変わるものだと思います。

 

大田氏は今年6月に92歳で亡くなられましたが、新聞学の学者でした。彼は早稲田大学教育学部の在学中に渡米し、シラキュース大学大学院を修了し、琉球大学で新聞学を教えるようになりました。日本で新聞学という講座があるのは、同志社大学と上智大学と日本大学、そして琉球大学だけなんですね。早大にもありましたが、1970年代に廃止しています。新聞学科は1948年に米占領下で強制的に作られた学科なんですね。何故新聞学という学問ができたかというと、日本が誤った戦争に突入したのはジャーナリズムという学問・教育が日本になかったからだという占領軍の考え方による方針で決まった。

 

私は同志社大学の新聞学専攻、今はメディア学科になっていますが、そこで米占領下でジャーナリズム研究の学科ができたという原点を大切にしてきました。浅野ゼミは、戦争を二度と起こさないための学問を続けるという風にやってきたところ、解雇、ゼミ強制解散というひどい目に遭いました。

 

しかし、山城氏に私を激励する言葉をかけていただいたことを大変嬉しく思いますし、あと1年か2年かは裁判闘争が続きますが、頑張ろうかなと思いました。同大の大学院教授は70歳で定年なので、最高裁で裁判に勝っても教壇には戻れない可能性があるのですが、将来的に、この裁判で得た賠償金などを用いて、浅野健一ジャーナリズム研究所を創設してやっていこうかなと考えています。ただ、来年の4月ないし10月から同大で授業ができるはずなんですよ。というのも、大学に言わせると、私は学部の教授と同様に「65歳で定年退職」ということになっているので、それなら、嘱託講師(非常勤)か客員教授として採用してくれれば私が授業をできる。ところが、池田謙一教授(134月、東京大学から赴任)は1413月の専攻会議で、「大学相手に裁判をやっている人間を教壇に立たせられるか」と言い放ったように、私の同僚教授たちは私を永久追放したのです。

 

従って13年度の浅野ゼミ3年生(浅野ゼミ20期)は強制解散させられ、当時三年生の学生13人は四年生時に、他の教員のゼミに移動して、卒論指導も別の教員が担当しました。私が指導教授としてみていた大学院生も後期課程に2人、前期課程は5人いたのですが、インドネシアからの留学生一人を除き、6人は他の教授のところに移っていきました。大学側は裁判で、私がいなくても何も困っていない、私の解雇に抗議してきた専攻・学科の学生は一人もいないと裁判で主張しています。しかし、学生を責めるわけにはいきませんので、そういうことを言わせている大学に対して怒りを感じます。

 

先ほど、山城さんは学者の名前は言われませんでしたが、村田晃嗣(以下村田学長)、自称「国際政治学者」で、同志社大学法学部教授ですけど、彼が2013年に学長になって、私はその年に解雇されました。だから、村田学長が学長選挙で負けていれば、私は多分今も教壇に立っていたと確信しています。現在、村田学長に批判的な勢力が、理事長、学長、総長などの主要なポストを持っていますので、私を早く復帰させてほしいと思うのですが、そうはいかないのが組織のようです。

 

今日はまた同志社大学の神学部一回生、袴田玲さん(以下袴田氏)にパネリストとして来てもらっています。この間、京都産業大学(以下京産大)のノーベル賞受賞者である益川俊英氏にインタビューをした際に、アシスタントとしても活動してもらいました。本日は学生代表として登壇していただいています。よろしくお願いします。

 

そして、学生時代は文学部自治会委員長を務めていた鹿砦社の代表である松岡利康さん(以下松岡氏)にも来ていただいています。同志社大学には現在自治会が存在せず、全世界で自治会が存在しないのは、恐らく東海大学と同志社大学だけではないかと思います。松岡氏は学生時代に文学部自治会委員長をされ、第99EVE実行委員長もされて、短い会社勤めの後、ずっと民衆のために出版活動をされています。

 

神林氏はアメリカの大学でジャーナリズムを研究されていました。アメリカには今200を超える大学にジャーナリズム学科があるので、これを勉強せずにジャーナリストをやっている人はほとんどいません。日本では、ジャーナリズムを勉強したことがない人が、朝日新聞を受けて朝日新聞の記者になるんですね。会社に入ってから全部覚えればいいというのが、日本のやり方です。こういう風にやっているのは本当に日本だけです。神林氏の今のお仕事はドイツ通信というドイツを代表する新聞社に務めておられます。それでは皆さん、山城氏の講演を聞いて一言ずつお願いします。

 

松岡:昨年10月に山城氏が逮捕される前に脱原発の季刊誌「NO NUKES voice」でインタビューをさせていただいて、その直後に彼が逮捕されたのですが、その後保釈されて浅野先生がインタビューをされて、「NO NUKES voice」に記事を書かれました。山城氏は私よりひとつ歳下で、生きた時代はほぼ同じだと思います。

 

私が学生の頃は、複雑な政治過程の中にあって、沖縄の闘いもかなり激しいものでありました。失礼ですが、それを見てきた私からすると、今の沖縄の闘いはまだまだ温いんじゃないかというように思います。当時私の時代の時はベトナム戦争があったわけですから、他国を侵略するための前線基地、それを破壊するというような闘いがあったと思います。ベトナム戦争が終わっても、相変わらず侵略の最前線ということは変わっていません。私たちは沖縄を見つめ続け、山城氏を支援して、我々ができる範囲で頑張っていきたいなという風に思います。

 

以前から山城氏にお伺いしようと思っていたのですが、沖縄の闘いは、以前のような激しい闘いから今のような地道な闘いになったのは、これの転換時期というのは大体いつくらいからでしょうか。徐々に変わっていったのかもしれませんが。

 

山城:私たちの現場に行かれた方は、今松岡さんがご指摘されたことがよく分かると思いますが、今年は現場ではいつも動いています。緩くていいから、緩やかに、しなやかに、必要があればその時毅然として立ち向かえばいいんだということをメッセージとしながらやっています。というのは、確かに60年代後半から70年代までは激しい運動が展開されました。ただ、巨大な国家権力に力で立ち向かうということがどんなに無謀で難しいことであるか。それで私は、ある意味平和主義者を気取るわけではありませんが、やはり民衆が国家権力に立ち向かうにはそれしかないです。暴力を用いてやるのではすぐにやられてしまいます。それはもう60年代70年代で肌身を持って知りました。

 

そこで今ゲート前で行なっている活動というのは、緩やかにしなやかにスクラムを組んで、権力の前に立ちはだかり、向こうが押してきたら一旦後退するが、向こうが退いたらまた押し返す、これの繰り返しです。その中で歌を歌い、踊りをし、沖縄の伝統芸能である三線を弾き鳴らす。

 

とにかく、みんなを勇気つけたり元気つけたりするには、小さなことも大きく評価をし、また肩を寄せ合い心を寄せ合うことが大事なのだと、こう思うわけですね。そういう運動を続けてきて、辺野古で言えば、2014年から4年目になります。今年でもう5年目です。それでもなお、毎日、200名も300名も来て、機動隊の暴力に対抗して座り込みをしているという構図です。やはりそういう運動ができているのだろうとこういうふうに思います。だから私はそのことを色々と気を遣ったりはしますけど、その方針を堅持しながら、老いも若きも誰でも来られる運動、1時間でいい、1日だけだと申し訳ないと言う人もいますけど、1時間で十分です。ともかく、出来る範囲で、出来るところやろうという思いをしながら、広く広く繋げあう、こういう思いで運動しています。

 

幸い昨日の新聞に、那覇の街で辺野古埋め立て反対のスタンディングが始まったそうです。そういう形で辺野古だけでなく、あちらこちらでゲート前に行けない人たちがスタンディングをして抗議の声をあげる、そういう運動が少しではありますが、出てきています。ここは、手を取り合い、それが出来なくても心を繋ぎ合う、その力で世論が崩れるまで、崩れない世論で県知事の翁長雄志(たけし)さんを支え、翁長さんを激励し続ける、そういった中層的で多様な形の運動が作られているなと思います。そんな運動を心がけ、そしてこれからも続けていこうと思います。

 

袴田:私は元々ネット右翼と言われる存在であり、紆余曲折があってこの場でお話をさせて頂きます。(会場からどよめき)元ネット右翼の私から言わせてもらうと、今インターネット上では、全体的に右翼の言説が当たり前になっています。例えば、活動家たちを馬鹿にしたり、沖縄の人たちは、実際は基地を歓迎していて、活動を行なっているのは関西から来た人たちであるといった言説がネット掲示板では平気で飛び交っています。

 

私はネット上で飛び交っている情報を思考停止で鵜呑みにして取り入れてきただけでして、今回のパネルディスカッションをさせて頂くということが決まって自分でしっかり調べ始めたんです。そしたら、掲示板の人たちは平気で嘘をついていたということが色々分かってきました。

 

そこで、もしかしたら私が今まで聞いてきた情報はほとんどが嘘で出来ているんじゃないかと思い始めました。今回実際に前線で活動されている山城氏の話は、現実味で溢れており、例えば、拘留のお話だったりも経験したことを全てここで受け止めたわけですけど、そうすると、今まで利用してきたインターネットの屈折した右翼社会とは何だったのかという気持ちにさせられました。そういう感じで今感銘を受けていました。そのことに関連して、質問があるのですが、今実際に誰もが簡単にインターネットで多くの情報に触れられるわけですよ。そこで、若者が、右翼の言質で溢れた情報を見ています。私たち若者の間では日常的に行われていることなんですけど、若者を右派とか左派とか関係なく巻き込んでいくといったことが必要だと考え、実際にそれを実行するにはどうすればいいのかと思い、これについて少しお聞きしたいと思います。

 

山城: 大学の一年生でこういった場に出てきてパネルを出すという勇気は素晴らしいと思います。彼女が言ったような話は、よくあることだと思うんです。

 

私は結婚も遅かったし出産して子どもができたのも遅かったので、まだ20辺りの子どもがいるのですが、学校で色々な話があるのだと思いますけど、56年前に、お父さんは左翼なのか、とこう聞かれました。どうしてそんな話をするのかと驚き、理由を聞くと、学校でみんながお父さんのことを左翼だと言ってくるから、と答えました。恐らく、奴は過激派だ、テロリストだと何の脈絡も無しに言ってしまうような言説が横行しているのだろうなと思います。

 

今日も飛行機の中で台風の余波で那覇空港は大混雑していました。隣に座った若者が、「反対、反対と叫んで、ダサいな沖縄」といったような話をしていました。多分やはりネット上で溢れているのは、もう少し素直に政府の言うことを聞いたらどうかだとか米軍に感謝し米軍基地を大事にしようだとか、何でそんな議論をしないんだというようなものだと思うんです。それはやはり、どこかで作られた議論、私たちの本当の思いが伝えられていない、マスコミが伝えようとしていない、それは仕方ないなと思うのですが、それにどう私たちの側の言説を立てて、若者たちにメッセージを送れるかどうかというようなところなんですよね。

 

これはもう中々難しいですよね。同志社大学に限らず、全国の大学が自由を失い、発言する教授たちが追われるという、学問の世界も変質して、昔は政府を批判したりするようなことが当たり前だったのにも関わらず、今やそういったことが出来ないようになっています。政府に迎合するか、あるいは体制に迎合するかのような学問や発言ばかりが聞こえてしまう。先ほど申されていたように大手の新聞も沈黙し、テレビも物を考えさせないような報道ばかりをするので、難しいです。だからそういう中では、私たちはこういう活動を始めて真剣な議論を進めていかねばならないのでしょうね。その努力を欠いてしまった私たちも悪いですが、そういったことも進めていきたいです。袴田さんも心を痛めながら聞いてくださってありがとうございました。

 

神林:  以前、米国のワシントン・タイムズという新聞にも書いていたのですが、保守系の紙面なので、そこでは結構軍事の問題を取り扱っていたので、沖縄の基地問題を向こうに行って取材をしていました。

 

その時に印象的だったのは、実際に誰にインタビューするかという時に、現地の新聞社編集委員とか社長が、非常に歓迎してくれ、時間も多く取ってくださったことです。「仲間が来た」というような感じで受け入れてくれるというのが沖縄の二紙でした。やはり、そういったところはアメリカの新聞と似ているなと感じました。

 

もうひとつ似ているところは、日本の大手メディアと違って、給料が安いところだと思います。アメリカの場合は給料はとても安いです。私が留学していたミシシッピ州では、年収300万でも何とかやっていけるんですけど、年収は240万円くらいでした。それを2030代、しかも大手になっても、ニューヨークタイムスはそれなりに貰っていると思いますけど、僕の友達は、これからメディアの社長になろうかという会社に勤めているんですけど、いつも「こいつらは貰いすぎだ」と言います。私の大学時代のジャーナリズムの教授は、可哀想なことに年収500万円、600万円です。

 

ここでの大きな違いは、日本のメディアの教授は、ジャーナリズムを教えられないにも関わらず、年収がとんでもなくいいんです。ミシシッピの総長と同じくらいの年収なんですよ。

 

何が言いたいかというと、やはりインターネットが出て来たことによって、メディアの収入が下がっている、だから権力に今まで以上に迎合しなくてはならないのではないかと僕は思います。

 

山城氏に質問、と言うよりかは、お答えしたいのですが、ジャーナリズムは死んだとさっき言われていましたが、実は結構前に死んでいますよ。大手メディアに関しては本当に死んでいます。中には、大手でもいい記者がいるだろうと、東京新聞あたりはちょっと違います。しかし、他の新聞のジャーナリズムは死んでいます。

 

それと、権力に迎合する学者は学者ではないと言われましたよね。まさしく、権力に迎合する方ばかりではないかと思うんですよ。浅野先生のようにジャーナリズムを教えようとすると嫌われる。大手メディアでもジャーナリズムをしようとすると嫌われる。

 

ですから、若い人と知り合って、ジャーナリズムに携わりたい、ジャーナリストになりたいと言う人は賢い人が多くて、最初から大手の新聞社に入らないんですよね。しかし、中には面白い人がいて、ジャーナリズムを学べるからということで沖縄の新聞に入る人がいます。

 

僕も実際にお会いしたことがあります。それだけ何が違うかと言うと、沖縄タイムスの編集委員の方にインタビューした時に、結構批判的に取材をしたんですよ。「フェアな報道を心がけているのですか。」「どうやって反対意見の人が多くなり過ぎないようにしていますか」といったことを聞いたんです。そうすると、編集委員の方が「出来るだけ多くの人々の声を聞くように心がけている」と言われていたのが印象的でした。やはり、沖縄ジャーナリスト、新聞社の方はインタビューして話している時は、ちゃんと目を見て話してくれるんですよね。しかし、大手のメディアになると、大体鼻の穴で私を見ます。そこが大きな違いなのではないかと思います。

 

松岡:すごくタフなイメージがあるのですが、そういったところはどうなんでしょうか。

 

山城:松岡氏は私より拘束の期間が長かったそうですから、嘘をつけないですね。人にもよるでしょうし、様々だと思いますね。私を長期拘束したのは、自供せよ、仲間たちのことを言え、だから悪いことをしたら辺野古には戻らせないということを知らしめるためだと思います。

 

しかし、それが出来そうにないから黙秘を続けていたのですけど、正直言えば、楽なのではないです。警察の留置所というのは、留置所であるにも関わらず、監獄のような、明かりは一切消して、三畳の畳の中に誰も入れさせない、物を持ち込ませない。酷い話は、靴下も入れさせない、何故なら自殺する可能性があるから。何故タオルはいいのに靴下はダメなのかと。裸足にゴム草履を履かされ手錠をされ、裁判の度に引っ張り回されて、屈辱ですよね。そういうことを狙っているんです。そういった心を折るシステムが警

察の留置所で拘置所であります。

 

 辛かったのは、病院で採血されたのですが、拘置所では手錠をされて病院に連れていくのですが、知り合いが多くいるかかりつけの病院に、手錠姿のまま連れまわすということを平気でする、屈辱を与えるという魂胆が見え見えですよね。そういうことが平気で横行しています。自分が一体何をしたのかと、辛いと言うよりかは腹立たしかったです。

犯罪者というイメージを植え付けようとしたのでしょうが、私たちの新聞社は、私を極悪非道な人だと扱うことを全くしませんでした。しかし、拘置所ではそれを全く見せないんです。新聞の記事が全て切り取られているので枠だけが残っているんです。最初はショックだったのですが、後半になると、切られていると安心するんですよね。今日も自分たちのことが書かれていると思うわけです。

 

そういう環境に慣れながらも、とにかく、仲間たちの頑張ってる声やメッセージに励まされていました。それから、記事の中でたくさんの支援する会や救出する会など、私を助け出そうとする動きがあったと報道があり、多くの方に激励されました。本当にありがとうございます。

 

参加者:沖縄のことに限らず、この国の間違ったことなどをいかに伝えるか、人々に訴えるか、私も袴田氏の発言に大変感銘を受けました。どこの部分を伝えるかということに関して、とても限りないと思うのですが、そういうのはやはり、ネット右翼と呼ばれる人でなくとも、この国大多数は、彼らと同じようなものの考え方をしていて、それがこの国の変革を阻んでいる要因であると考えています。そこを変えようと思ったらこちら側が言葉をどのように伝えるかといったことに大変な労力が必要だと思います。

 

ネット右翼は頻繁に論争などをしていますが、一般的な人はこのやり取りを見て、どちらが正しいことを言っているか分かると思うんですよね。袴田氏は、最初はネット右翼の言説を最初は信じておられましたが、後に自分で情報を調べることで、本当のことに気がつかれました。きっかけがあったから変わったのか、元々彼女が持っていた資質によるものなのか、見たもの聞いたものを本当なのかと疑って調べる性質だったのか、そういうのが基本にあると思う。でも、何がきっかけで自分で調べてみようと思われたのかということを詳しくお伺いしたいです。

 

袴田:きっかけというのは、京都は私が元々住んでいた静岡の浜松よりも、政権批判など批判するという文化が根付いた土地なんですよね。同志社大学神学部に入学し、そういった方々とより交流するようになり、その繋がりで今回この講演でパネリストを務める流れで、山城氏のことを自発的に調べようと思いました。人との出会いがきっかけですね。

 

参加者:ジャーナリズムのあり方が今回の講演会の場で語られているので、お伺いしたいのですが、私も学生に少し教えることがあったりするので、あるいは、地元の人が頑張っていらっしゃるといった話もあったんですけど、例えば、何かイシューがあった時に、賛成か反対、どちらも意見を聞かないということですね。あるいは、原発にしても反対の人がいるでしょうけど、色々なことを言って、自分は中立でいたいって態度の学生さんとかよくいるんですよね。そういう時に、浅野先生にお伺いしたいのですが、今のジャーナリズムというのは、非常に中立ということに重点を置いていて、自分の個人の意見にきっちり根ざして、自分の記者としてのお名前を堂々と出しても、それは全然大丈夫なのでしょうか。それがジャーナリズムの在り方なんだということに凄く懐疑的な感じがします。その辺りのことを少しお聞かせいただきたいです。

 

神林: とてもいい例がひとつあると思うのですが、中立というよりは、私たちが心がけるのは、私たちが教えられてきたのはフェアな報道をするべきだということで、ですから私の記事にも、沖縄の基地はこういう理由で必要だということは書かれているわけですね。しかし、3.11以降、結構東北に取材に行くことが増え、実際の被災地と、報道されている被災地というのは大きく違うと現地でボランティアをしている人は言うんですよ。それはやはり、現地で見ているからということがありますが、同じことが沖縄でも言える。沖縄でのYouTubeなどを見ていますと、中立というよりかは、恐らく沖縄のことに関しては、多くの方がご存知ない、また被災地のことでも多くの方はご存知ではない。それで中立的に言おうとしても、それは中立以前の問題で、覚えていない方が多い。

 

私も取材しなきゃいけないことがたくさんありまして、記事にしたいことがあるんですけど時間がない、それだけ今問題が多いと思うのですが、ひとつの例をあげさせてもらいますと、辺野古の基地はいくらかかるでしょうか。

 

これは沖縄ではしばしば言われることですよね。税金はいくら使われますか。ネット右翼まではいかないんですけど、そういった傾向のあるお医者さんに、安倍首相を熱烈に支持している方がいて、その人は、どうして沖縄に米軍基地作らせてやらないんだよ、と言んですよ。税金がいくらかかるかご存知ですかと聞くと、いろいろ本やニュースで情報を得られているというのにも関わらず知られていないんです。これは被災地も同じことで被災地に必要のないとされる堤防が今どのくらい出来ているか。これは堤防はいらないと運動している現地の方が河北新報の記者に言っても記事にならないんです。ですから中立以前の問題で、中立でいようとする前に情報がないんですよ。何故入ってこないかというと、先ほどおっしゃった、権力に迎合しているとジャーナリストになれる、学者になれる、そういった状況が続いているからではないかと考えます。中立になっているというのは、結構楽なんじゃないかと思うんですよ。その前に実際に現場で何が起きているかということを伝えるのがジャーナリストの役目だと言われていました。

 

ですから、中国があるから、朝鮮があるから、辺野古に基地は必要だと言っているのではなく、実際に本当に必要なのか、辺野古は唯一の選択肢ではなく、他にも選択肢があると言っている方もいらっしゃるんですよ。実際には、そういう記事が出ていない。

だから多くの方が今色んなことを飲み込めてないと思います。辺野古の基地は全額日本が負担し、税金を上げる際に、社会保障のためと言いながら、オスプレイを買ったりしています。その借金は、若い世代に向かってしまうではないですか。2000兆円と言われる借金と、放射能に汚染された国土をどうするのでしょうかと私は思うんですけどね。

 

参加者: 浅野ゼミ14期生です。浅野先生には在学中にいろいろことを学ばせていただいたのですが、その中で今でも印象に残っているのは、浅野ゼミで学んだ学生は、戦争になりそうになった時に、最後まで反対してほしいという言葉をもらって、今でも心に留めています。

 

最後に山城氏の話を伺って、同じような考えの人とばかり話をして、同じような考えの人たちと怒りを共有して、違う考えの人たちや実際に参加していない人たちに、議論をぶつけられていないのが現状です。山城氏にお願いしたいのは、気概のない私にもっと他人に伝えられる力をつけられるように、本来は私がエールを送らねばならない立場なのですが、エールをいただければと思います。

 

山城:最初のご指摘を心痛く感じます。仲間内だけで話さないようには心がけてはいるのですが、ゲート前でも街宣カーで大きな音を立てている人がいますが、彼らにも言います。

 

皆様も一端の論者なら、そういった集会の妨害はやめて議論をしましょう、もし冷静に話すならコーヒーも用意しますよ、とこう言えば、彼らも受け止めてくれるわけです。スピーカーを下ろして、「山城さん、山城さん。」と声をかけてくれるわけです。自分のこだわりや性格がありますから、それまではお互い様ですよね。こうやって議論をしたいと彼らは思っていたりするかもしれません。しかし、現実は車から降りてテントを破ったりなどしてくるので、中々そうは言えません。やはりどこかで垣根を超えたいという気持ちはあります。そういった集会でも声をかけてみたいと思います。

 

あとひとつ、私が思うには、私が出た時の大学は、はっきり言って反権力で当然だと思っていたのですが、先生方は大抵そうでした。中村徹という日本でも有数の憲法学者が学長をしていました。憲法を守るという方針が大学の中にありました。私は経済学の教授のもとで経済を学んでいました。その中で、この社会の成り立ちや社会がどう変わってきたのかということや、どこに行こうとしているのか、何をすればいいのかといったことを経済学の視点から学びました。実際大学というのはそういうものじゃないですか。学問を通じて社会を見る目を養っていたんです。

 

それが全部消え失せて、ネットに転がっているものだけが情報だと、それは信じ難い世界です。なんでそうなってしまうのでしょうか。私自身が生き方を決めたのは、『人間の條件』という五味川純平の著作を読んだ時でした。私はこの本にひどく感激をして、主人公が満州の荒野で彼の骸に雪が重なるという最後のシーンに泣き崩れて、ひとりで号泣してこの本を読み上げた記憶があります。

 

やはり、私たちは、たくさんの媒体があって、たくさんの情報があるのだから、それを提供するのが大学ですし、様々なジャンルの学問がありますが、そこに裏打ちされているのは、戦後民主主義が発信しようとしたのは、様々な学問のチャンネルがありますけど、そこで全部の後身には人間の尊厳などが入っていて、それをバックボーンにして、様々な学問をしているはずなんですよね。それが全く消え失せて、今袴田さんが言ったように、暇だからネットで憂さを晴らしているということがよく分からないです。そんなことで人間の心が埋められるでしょうか。

 

これは私たちが若い時代に学んできましたが、そこはやはり今の学問にもあるはずです。無いと言うのなら、今すぐ全ての大学を閉鎖した方がいいです。大学はそういうものだと思いますよ。私たちの時代は厳しくて、学生運動が斜陽化に入る時だったので、学校も試験を受けようと思っても出来なかったということがありました。それでも私はやはり学問に対する情熱というのは失いたくなかったし奪われたくもありませんでした。そのために個人的な努力をしてきたと思います。

 

是非、見てください。全ての学問の後ろには人間の魂が入っていますから。

 

浅野:先ほど元ゼミ生がフロアから発言してくれましたが、彼女はある大手新聞社の記者をしていたんですね。別に新聞社でいじめられたわけじゃないんですけど、とてもいい仕事をされたのですが、何かが違うと思ったらしくて、5年ぐらいで退社し、今は違う仕事に携わっており、子どもたちと接する仕事をしています。彼女は新聞記者を辞める際に、「先生、もっと人間らしい仕事がしたい」と考えたと私に言いました。まさに、日本の今のメディアや記者の現状を表していると思います。大手メディアの記者たちの労働現場は病んでいて、実際に人間らしい仕事ができない。

 

しかし、収入がすごくいいので、東京に本社のある報道機関に採用される記者のほとんどが東大・一橋大・早稲田・慶応・上智の学生で、関関同立と京大が少しという感じですよ。入社して1年目から源泉で750万円以上の年収があります。私の妻が高校の教師だったのですが、妻の2.5倍ありましたよ。簡単に言うと、大きい事件の時に、九回裏に出てくる代打のような感じで二塁を踏むようなことはあまりしないでいいという仕事なんです。大体九回裏にバッターが出てきた時にちゃんと打てるかどうかということを第一に磨いているという感じなんです。それでも給料がすごく高い。非常に高給取りなんですね。大学の教授も私が最後にいた時の年収は1780万です。

 

普通は歳まで働けるので、定年延長拒否で5年間勤められなかったわけですから、私は1億円近く損をした。これはあまり裁判で言わないほうがいいと弁護士が言うんですね。同情されないからと。同志社大学など大きい私大では賃金が非常に高く、70歳まで働ける。私は、大学の教授の収入は高校の教師と同じでいいのではと言ってきました。

 

北欧では、賃金はそう変わらない。一番賃金が高いのは看護師さんとかシフト勤務を余儀なくされる職種、大型クレーンの操縦士とか、汗にまみれて働いている人、火葬場で働く人など、皆がやりたくない仕事が高い。みんながやりたい仕事は賃金が低い。最低の生活はすべての市民に保証するという生活保障制度(福祉制度ではない)が確立している社会民主主義の国ではそうなっています。

 

大学の授業で共同通信や朝日新聞の収入の話をすると、それに惹かれて入社試験を受ける人がいる。そのために言っているんじゃないですよ。だから、今大手の新聞の記者の親のほとんどが1500万以上の年収があり、高学歴で、政治家、裁判官、会社役員、大学教員などのエリートが多い。

 

しかし、大卒資格がないとジャーナリストになれないのは日本だけなんですよね。ほとんどの国は、中学校を出れば、司法試験を受けられますから、別に大学に行かなくてもいいわけで、大卒を条件にしているところも海外にはないですね。

 

私は同志社大学で働いていた最後の方は「アカ教授」と呼ばれていました。アカと共産党は一緒なんです。中道リベラルも全部アカなので、安倍政権を批判している人は全員アカになる。私の世代は「アカ」と言われても傷つかないし、恥ずかしくもない。本日は、同志社にもアカの学生が多くいらっしゃるという話を聞いて、本当にびっくりしました(笑)。何かのトリックじゃないかと。気をつけた方がいいんじゃないかと思っていました。同志社神学部の教授陣は私が解雇された直後に、評論家の佐藤優氏(同大大学院神学研究科修士課程修了、元外務省主任分析官)を客員教授に呼んで喜んでいます。日本の文化人の中で最も嫌いな人の一人があの人ですね。あちこちで言っていることが違う。

 

あと10分くらいありますが、どうしても質問したいという方はいらっしゃいますか。

 

参加者:北海道の演習のためにオスプレイが飛行したらしいんですけど、どういうルートで飛んだのか一切言わないんですよね。どういったルートで飛んだかを言うだけでも、人々の危機感というものは変わってくると思うんですよね。それともうひとつ言いたいのは、日本の新聞社にしても、記者にしても、非常に恵まれた生活をしている。朝日新聞を即退職し後の生活を書いている人がいますが、普通の人の生活していない。色々なものが会社から支給されているため、仕事を辞めた後に、自分で携帯電話を契約するだとか新しい家を探すとか、その人にとっては、生活に必要なことがこんなに困難が伴うものなんだとか初めて50代になったということて本に書いている。新聞記者をしていた人ですよ。私はあれを見て、なんて日本のメディアの現状なのかと思いました。

 

浅野:そうですね。週刊金曜日の北村肇社長も『腐敗したメディア』(現代人文社)で、今の新聞記者は「社畜」であると書かれていました。

 

時間がきてしまいました。それでは山城さんから最後に一言お願いします。

 

山城:オスプレイの話が先ほどからありましたが、宮崎空港の隣に17機のオスプレイ、横須賀基地に10機のオスプレイ、計27機が追加配備され、沖縄の機体も合わせ、50数機のオスプレイが日本中を飛び交う時代がやってきそうです。この間北海道で見ていたら火を吹いているじゃないですか。そんな航空機が数十機も日本上空を飛び交うと考えると恐ろしくてなりません。是非ここは、皆さんで健闘してください。京都はまだオスプレイはありません。しかし飛行ルートの道には入っています。凄まじい状況です。

 

朝鮮脅威で、あらぬものを買い占めさせられ、1100億円もするようなオスプレイを50機も買うなんて国は日本以外にありません。イージス艦もミサイル迎撃システムは一基800億円で、それを二つも三つも買えと言われているようです。どう考えてもこれは朝鮮有事を理由にアメリカの軍事品を日本に押し付ける、そういう構図が明らかになっていて、その辺りを毎回報道してくれたらいいなと思いますが、一切報道がないのが気になってなりません。

 

私の尊敬する沖縄の記者で現場から管理職になれと言われた記者が辞めました。「私はジャーナリストをやるために新聞社に入ったのであって、経営者になるために入ったのではない。」と言ってフリーのジャーナリストになり、世界中を飛び回っている記者がおります。皆さん、そういう人もいます。是非そういう人を紹介したいと思います。こういった皆さんの熱い思いが全国に広がることを願っています。今日は皆さんありがとうございました。
山城博治さんと 京都 150917