「(浅野は)非常勤も含め教員任用はない」と和解を拒否した同志社

新島精神無視、ナジさんの博論指導を放棄

 

地位確認訴訟二審・控訴人 浅野健一

 

同大の宝である新聞学専攻の同僚による闇討ち解雇

 

 私が同志社大学(同大)から定年不延長という形で解雇・追放されて4年が経った。同大の教職員の定年は65歳だが、大学院教授は70歳まで自動的に定年延長される。この制度は、官学から招いた大学院博士後期課程で博士論文の指導ができる教員(主に京都大学から招聘)の確保のため、1951年に「当面の間」の措置として導入され、今日に至っている。60数年の歴史で、本人が希望しているのに第1回目の定年延長を拒否されたのは私が初めてだった。

 

 私は22年間勤めた共同通信記者を辞めて、1994年に同大社会学研究科新聞学(現メディア学)専攻教授となり、論文指導・審査副査として、博士号を4人、修士号を18人に与えてきた。学部ゼミでは20期、約250人に学士号を与え、報道界、学会などで活躍している元ゼミ生も多い。近畿のあるメディア幹部は「同大浅野閥があるみたいだ」と言っていた。

 

 同大の新聞学専攻は、日本にジャーナリズム教育が必要だという米占領軍の意向で、1948年に設置された。非戦平和、リベラルな和田洋一、城戸又一、鶴見俊輔各教授がいた歴史ある専攻である。私は同大で教育研究できることを誇りに思って仕事をしてきた。

 

同大メディア学科の沿革は同大社会学部のHPに掲載されている。

 http://ss.doshisha.ac.jp/med/outline.html

 

ところが、私の同僚である小黒純、竹内長武、佐伯順子、池田謙一各教授は20131016日から25日に行われた5回の密室談合で、私の定年延長に反対する議決を行い、専攻会議にもかけず、研究科委員会(教授会、35人)に「専攻会議で定年不延長を決定した」とウソをつき、冨田安信研究科長は、私を敵視する村田晃嗣学長(一五年の学長選で惨敗し、現在法学部教授)と共謀し、大阪俵法律事務所の小國隆輔弁護士(同大法科大学院嘱託講師)の助言を仰ぎながら、教授会で前代未聞の投票による採決で定年不延長を議決した。既に次年度の私の大学院と学部の科目担当が決まっていた後の、闇討ち解雇攻撃だった。

 

小黒教授らは、私が学生に対し、「御用組合」「御用記者」という用語を使ったこと、期末試験中に訪朝したことなどを非難し、私がいることで突発性難聴、帯状疱疹に罹った教員がいると書いた「検討事項」と題した怪文書を教授会で審議資料として配った。20年間真面目に教授職を務めた私を“不良教授”と断じたのだ。

 

怪文書を作成した4人のうち、小黒教授は20124月に龍谷大学から移籍してきた教授で、134月から大学院前期課程(修士)の教授に初めて任用されたばかりで、後期課程教授には任用されていなかった。博士論文を一度も指導した経験のない教員が、1998年から博士後期課程の教授を務めてきた私を「論文指導ができない不良教授」と批判したのである。小黒氏を同大に招いたのは渡辺武達教授(20153月に70歳定年退職、現在名誉教授)だ。小黒氏は20165月、渡辺氏が長く務めた京都新聞・報道審議委員に就任している。

 

高裁の和解協議で最後の良心が試された

 

私は1423日、同大を運営する学校法人同志社(当時の理事長は水谷誠氏=現神学部教授、定年延長3年目)に対し、地位確認訴訟を起こした。一審の京都地裁は同志社の虚偽主張を認定し、不当な棄却判決を言い渡した。

 

控訴審の大阪高裁第5民事部(藤下健裁判長)は地裁判決を全面的に見直すと表明し、審理は本年322日の第5回弁論で結審し、614日午後110分に大阪高裁別館81号法廷で判決が言い渡されることになった。

 

藤下裁判長は結審後、双方に和解を勧告。黒野功久・右陪席裁判官が受命裁判官となり、「労働事件であるので和解に適さないわけではない。その上で、判決でどういう結論になったとしても、最高裁までいく問題を含んでいること、提訴から既に四年が経過している」と述べた。双方は和解協議に応じると答え420日に再協議することになった。

 

私は黒野裁判官に「私は昨年7月、既に69歳になっており、193月に『70歳定年』になる。私の名誉回復のためにも、最後の年になる4月からの18年度に、教壇に復帰し、四年間休講になっている担当科目『新聞学原論』の授業を集中講義などの形で行いたい。簡単な手続きで、特任教授・客員教授などの形で任用してくれれば、和解の行方にかかわらず、すぐに授業を開講できる」と訴えた。

 

私は131113日の教授会で解雇通告された後、大学執行部、大学教職員組合に対し、「同僚教授たちが学校法人との労働契約について決定するのは不当で、専攻会議、教授会の手続きにも重大な瑕疵がある」と訴え、調停を要請した。当時、私が指導していた学部1年ゼミから大学院博士後期課程の学生、講義履修生の計300人以上も私の定年延長を要請する文書を提出した。しかし、大学、組合とも「社会学研究科の自治」に介入できないとして、調停作業を拒んだ。あれから4年半、裁判所が調停の努力をしてくれていると思った。同大は「良心教育」を掲げている。現在の同志社、同大の執行部の人たちの「良心」が和解協議の場で試された。

 

地位裁判和解協議に関する支援者の声

 

 高裁での和解協議に関し、支援者から助言、コメントがメールで届いた。

 

〔 *鄭朝夕さん(修士学位取得、322日の弁論を傍聴、324日)

大阪高裁の訴訟お疲れ様でした。

和解案は、先生の名誉回復と経済賠償を同志社大学側がしっかり対応してくれることを期待します。

 【浅野:鄭さんは大阪高裁へ、私の修士論文指導が適切だった主張する陳述書(18318日付)を提出してくれた。】

 

*中嶋啓明さん(3月26日)

ついに「和解」提案ですか。いい方向に進み、大きな勝利的前進に結びつけたいですね。

労働争議の「和解」提案ですので実質的なものを勝ちとってもらえればと思います。

 

*井上清志さん(同志社大学OB326日)

小生も長い間(30代)、朝日新聞社と労働争議(刑事裁判の被告身分をどうするかも争点)をやり「和解」にこぎつけ、「就労」しました。

「和解」には批判もありましたが、労働者(生活者)という視点からすれば実質的なものを勝ち取ることが重要かと思います。

「和解協定書」に、こちらの言い分をどこまで入れ込むか、ですね。

 

*顔本呟さん(慶應義塾大学経済学部の後輩、326日)

・浅野先生は一刻も早く相応の地位で大学に戻りたい。万一の場合でも、相応の対価は払ってもらう。

 ・裁判官は判決を出す前に和解が成立できるなら成立させたい。

・被告・小国さんは(浅野先生が大学に戻ったり、過度の慰謝料を支払って)メンツを失いたくない。

 というところでしょうか?

人が集まると、それぞれの利害と意見も違うのが鮮明になると思いました。

 

*庄司俊作さん(同志社大学人文科学研究所教授=3月末に65歳定年退職、46日)

高裁の和解勧告が状況を変えました。

どういう提案かわかりませんが、ゼロ回答等やそれに近いものであれば、裁判の状況に照らして相手方が勧告を蹴ったということです。その時の裁判官の対応も注目ですが、下手な妥協は必要ないと思います。

きちっとした判決と名誉回復と相当の慰謝料が問題です。粛々と判決をもらうべきではないでしょうか。僕の見るところ、負ける要素はありません。先生の他の裁判への影響も考えて、ぜひ賢明な行動を。

 

47日)

私の裁判に必要があって、高裁の書面を改めて全部熟読しました。

やりとりでは完全に圧倒している、これで負けることはあり得ないと改めて強く確信しました。

ゼロ回答やそれに近い回答が提案されれば、即刻和解を拒否すべきだと思います。

先生の他の裁判、岡林洋氏(同大文学研究科美術芸術学専攻教授、183月末に1回目の定年延長を拒否され解雇)の裁判、私の裁判、大学の改革への影響を考えれば、本件で判決をもらうメリットははるかに大きいと考えます。

 

*霍見芳浩さん(ニューヨーク市立大学名誉教授=慶應義塾大学経済学部・英字新聞会の先輩、49日)

Dear Mr. Asano:  I am hoping that your "Negotiation with Doshisha over Your Final Settlement" will yield some satisfaction for you.  If and when you feel justified to release my court statement to the public, please feel do so. Yoshi Tsurumi.

【浅野:霍見さんは155月と1610月、一審の京都地裁へ、私の業績に関し陳述書を2回提出してくれた。】

 

*添田早俊さん(人権と報道・連絡会会員、 44日)

大学側の和解案は期待できそうにありませんが、裁判所には良い判断をしてもらいたいと思います。次回の和解協議で良いご報告が聞けること願っています。

 

*白井厚さん(慶應義塾大学名誉教授、大学のゼミの指導教授、328日)

ちょっと遠くへ行って、帰ってきたら浅野君からのメールを拝見しました。“名誉回復の闘いは最終局面を迎えました”、裁判長から“和解を勧告する”などの文字を見て、この戦いの前途に光明が見えてきたように感じ、また貴君の筆に新しいアカデミックな力のようなものを感じ、嬉しく思います。

ただ闘いは最後の段階で逆転することはよくあるので、この先一層の注意が必要です。何よりも健康で、今後も社会に十分貢献するための体力を持たないと闘いの成果が生きません。以上十分注意して下さい。

 

47日)

最終段階ですが、前に言ったことを思い出して下さい。すなわち、“慶応義塾の目的は、我が日本国中における気品の泉源知徳の模範たらんことを期す。” 〕

 

同志社側との和解が成立するかどうかは、同志社の執行部の一人一人に、私との紛争を解決する意志、姿勢を持っているかどうかにかかっていると思った。現在の法人、同大の執行部のメンバーは、私を解雇した142月の理事会の時の執行部メンバーと違う。村田派は完全崩壊し、八田英二・元学長が総長・理事長を兼任している。

 

期限の413日に届かなかった同志社側の和解案

 

高裁での和解協議で、同志社側は第一回和解協議があった322日から3週間後に和解案を高裁と当方に提出すると約束していた。前回協議の3週間後は412日(木)だった。

 

山下幸夫弁護士は13日午後4時過ぎ、大阪高裁第5民事部の担当書記官に電話で聞いたところ、書記官は「元々、『3週間程度』ということとで、裁判所としては『今日まで』と認識していた。裁判所から(俵法律事務所の)多田真央弁護士に電話をしたところ、『代理人の方で和解案を作成し、同志社に送って返事を待っている状態で、今日返事がくれば提出できるが・・・』ということ返事だった。連絡があり次第、連絡をする」と答えた。

 

 高裁書記官の説明で、同志社側が、和解に応じないということではなく、何らかの和解案が出てくることは分かった。

 

 小國弁護士は今年1月初め、俵法律事務所から独立している。このため、同志社側の弁護団の連絡先が多田弁護士になっているようだ。

 

 弁護団が和解案を作るというのは本当かと思った。

 

 私の弁護団は「代理人が案を作成して大学に送付しているといのは理解しがたい。代理人が案を作成する前に大学担当とやり取りをすると思う」「定年延長を認めるような内容にすると、今後他の教員にまで波及してしまうので、大学はどうするか困っているのでは」と言っていた。

 

3日遅れで届いた和解案は非情な決裂通告だった

 

同志社側代理人の小國隆輔弁護士(同大法科大学院嘱託講師)は413日付で「和解の方針について」と題した文書を高裁へ提出した。416日(月)午後132分に山下幸夫弁護士が受信した。送信者は同志社訴訟代理人の俵正市、小國隆輔、多田真央各弁護士。和解案の提出は13日(金)が期限だったので、3日遅れで当方に届いた。小國弁護士は14日(土)に高裁へファクス送信したと言っているようだが、裁判所は土、日は執務していない。小國弁護士は仮処分の審尋以来、裁判所が指定していた期限を順守しており、今回の遅延は異例のことだった。学校法人同志社、同大執行部、同大社会学部、社会学部メディア学科、弁護団の間で調整が難航したのだと思う。

 

 同文書の全文を以下に引用する。

 

〔 和解の方針について

平成30年4月13日

 

1 被控訴人は,次の枠組みであれば,和解の検討が可能であると考えている。

2 控訴人による講義担当は受け入れられないが,ナジ・イムティハニ氏が同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻に再入学し,博士論文を提出した場合には,控訴人に,論文審査(副査)を依頼することを検討する。

3 論文審査(副査)を依頼する前提として,和解成立前に,次の点が履行されることが必要と思料する。最低限の信頼関係がなければ,他の教員と協同して指導に当たることはできないためである。

(1)大阪高裁平成29年(ネ)第2043号及び神戸地裁平成28年(ワ)第338号について上訴の取下げ,京都地裁平成29年(ワ)第932号について請求放棄を行うこと。

(2)在職中の事象及び定年退職・定年延長をめぐる事象について,被控訴人及び被控訴人の教職員に対し,新たな訴えを提起しないこと。

(3)支援団体によるものを含め,本件に関するウェブ上の記載を全て削除し,媒体を問わず,本件に関する新たな記事を掲載しないこと。

(4)ナジ氏の博士論文の審査に必要な事務連絡を除き,被控訴人及び被控訴人の教職員に対し,電話,メール等の手段を問わず,連絡しないこと。

4 上記「2」及び「3」のほか,口外禁止条項,その余の請求を放棄する旨の条項,精算条項,訴訟費用は各自負担とする旨の条項が必要と思料する。 〕

 

この文書では、私に相談なく、146月に教授会で「143月末に遡って満期退学」とされた博士後期課程のナジ・イムティハニさん(インドネシア国立ガジャマダ大学文学部日本学科助教)の「博論審査(副査)」を私に依頼することを検討すると書いてあった。その条件として、私が起こしている対同僚5教授(怪文書作成の4教授と渡辺武達教授=現名誉教授)、対冨田氏、対同大・村田氏の損害賠償訴訟のすべてを取り下げ、私の支援会のHPの削除などが挙げられていた。最初から、和解の意志などない冷酷で非人間的な文章だった。

 

松岡敬学長は171月に再入学(復学)を許可するとナジさんへ通知したが、入学後に指導教授、副指導教授は誰になるのかとナジさんの問いに、無回答のままで、この4年間、ナジさんの指導を放棄している。

 

ただ、同大側の和解案で、インドネシア政府奨学生のナジさんの博論を指導する教員が私以外にいないことを認めたのは大きな前進だと思った。それまで、同志社側は私が解雇された後、困っている学生は一人もないと呪文のように繰り返していた。

 

当方はナジさんの博論指導教授問題がポイントと指摘

 

私の代理人は418日に、和解協議に臨む方針を示す次のような上申書を高裁に出した。

 

〔 被控訴人の413日付「和解の方針について」(以下「和解案」という)を受けて、下記の通り控訴人の意向を述べる。

控訴人が最も重要視しているのは、博士後期課程の大学院生に対する指導である。

被控訴人も和解案第2項においてその必要性を認めているとおり、平成25年度において社会学研究科メディア学専攻博士後期課程3年生であったナジ・イムティハニ氏(以下「ナジ氏」という)は、控訴人の指導を受けなければ、同課程に再入学した上で、博士論文を提出する資格となる博士学位論文提出予備審査に合格し、博士論文を完成させ、博士学位(メディア学、同志社大学)を取得することができない状況にある。

 したがって、控訴人としては、博士論文の指導を行う後期課程の「研究指導科目」である「メディア学特殊研究ⅠA」(甲189参照。なお、控訴人の定年不延長のため、同科目は5年連続で「本年度休講」となっている。)を担当し、ナジ氏の博士論文の指導教授(「博士論文(副査)」は論文提出後の任務であり、指導教授ではない)となることが和解の必要条件である。

そのためには、控訴人は専任教員としての地位が不可欠であり、定年延長を認めるか、特別任用教授(同志社大学では平成22年に定年延長制度と併用で導入、被控訴人が運営する同志社女子大学では平成11年から定年延長制度を完全廃止してすべて特任教授制度に変更)として雇用すべきである。

ナジ氏は、浅野教授の指導を受けなければ、後期課程に再入学した上で、博論を完成させることができない。ナジさんの博論の指導教授(「論文審査(副査)」は論文提出後の任務であり、指導教授ではない)となることが和解の必要条件である。そのためには、控訴人は専任教員としての地位が不可欠で、定年延長、あるいは特別任用教授として雇用すべきである。 〕

 

教員にはさせないと和解協議を破壊した同志社

 

大阪高裁での第2回和解協議は420日午前11時から、大阪高裁・別館12階の第5民事部の会議室で開かれた。当方は山下幸夫・山縣敦彦・斉藤麻耶各弁護士と私、被控訴人側は小國隆輔・多田真央両弁護士がそれぞれ出廷した。龍谷大学で学生の教育権を守る活動をしている李洙任・経営学部教授が廊下で和解協議の成り行きを見守ってくれた。

 

高裁の廊下に、二審審理に姿を見せなかった冨田氏がいた。何のために来ていたのか、不明だ。

 

被控訴人側は和解協議で「非常勤も含め教員としての復帰は認めない。副査というのも、あくまで『有識者』として依頼するだけだ。個人的に、控訴人がナジ氏の論文指導を行うことについては止めない」と言い放った。このため、裁判所が設けた和解協議の場は破壊された。

 

以下は山縣弁護士が送ってくれた第2回和解協議の期日報告である。

 

〔 1 控訴人側が裁判所と個別に協議

(裁判所)

・前回の和解協議で控訴人から「授業をやりたい」という発言があったが、その話と今回出された上申書(論文指導が必要)とはどういう関係に立つのか。

(控訴人)

・博士後期課程には「授業」というものがない。「メディア学特殊研究Ⅰ」というのが博士論文指導に該当する。ナジさんについてこのコマを担当できればよい。

(裁判所)

・専任教員ではない特別な立場で論文指導はできないのか。

(控訴人)

・それは文科省との関係でできないはずである。闇の形で、名義上他の教員を立ててやるしかないが、そのような方法を裁判所が認める訳にはいかないだろう。

・「客員教授」という方法は大学の判断で可能だと思う。給料はとても低いこともあるので、あまり好ましくはない。

・ナジさんは2014年6月に「3月31日に遡って」強制的に満期退学扱いとなり、再入学しなくてはいけなくなった。予備審査を通っていないので、1年間(2セメスター)いないといけない。

・副査というのは予備審査の後の話。博士論文を完成させるまでの指導を誰がするのかというのが一番の問題である。

 

2 被控訴人側が裁判所と個別に協議

 

3 控訴人側が裁判所と個別に協議

(裁判所)

・被控訴人としては、非常勤も含め、「教員」という立場での復帰には応じられないとのことであった。

・副査というのも、あくまで「有識者」としてということにとどまるようだ。

・個人的に、控訴人がナジさんの論文指導を行うことについて止めるつもりはないとのことである。

(控訴人)

・再入学から論文審査まで1年もある。その間の指導教授を誰がやるのかについては、何か言っていたか?

(裁判所)

・然るべく指導教授を決めることになるだろうとのことであった。

(控訴人)

・それでは困る。小黒ら2名はサバティカルで指導に当たることができないので、自分以外に人材がいないのは明らか。

・学長は20171月、ナジさんの「再入学」を許可すると決定しているが、復学後に指導教授をするのは誰かというナジさんの問い合わせに答えていない。再入学許可の時点で指導教授が決まっておらず、この段階でも決めていないことがおかしい。

・同志社では大学院教授も学部での教育がメイン。「新聞学原論Ⅰ・Ⅱ」は有名授業であるが、5年間も休講になっている。この点は文科省も調査している。

・原審からずっとナジさんの問題を主張し続けてきたが、被控訴人は控訴人による指導の必要性を否定してきた。結審後にいきなり副査をやれなどと言い出すのはいかがなものか。

(裁判所)

・控訴人がナジさんのことを気にかけていたので、というのが被控訴人の言い分であるようだ。

・ナジさんの問題が本件で一番重要であることは理解している。

(控訴人)

・被控訴人は裁判対策であえてナジさんを満期退学させ、控訴人の指導が必要ないという体裁を整えようとしたのであり、怒りを感じている。

 

4 双方同席

(裁判所)

・重要部分で双方の意向の食い違いがあるので、和解協議は打ち切りとして、予定通り6月14日13時10分に判決を言い渡す。 〕

 

以上のような経緯で、高裁による和解協議は同大の頑なな姿勢によって決裂し、判決が下ることになった。

 

和解協議の過程で、同志社側が、ナジさんの博士学位のことで、私の関与に言及したことで、大阪高裁の裁判官たちが、私が143月末に同大から追放された後、4年間、同大がナジさんの博論指導の手当をせず、今日に至っていることを知ってくれたのは大きな意味がある。

 

東京にあるインドネシア大使館のアリンダ参事官(インドネシア教育文化省から出向、東京大学農学部で博士学位取得)は1610月、同大を訪れ、ナジさんが博士号をとれるように適切な指導を行うよう強く要請している。

 

ナジさんは同大大学院文学研究科英文科学士前期課程において言語学で修士学位を取得した後、ガジャマダ大学がメディア学の博士課程を設置するため、ナジさんにメディア学で博士号を取得するように命じ、博士後期から私のところに入学してきたという経緯がある。ガジャマダ大学はインドネシアで国立インドネシア大学と並ぶトップ校である。ナジさんが博士学位を取得できなくなると国際問題になるのは必至だ。

 

614逆転勝訴を願う弁護団、支援者

 

420日に同志社側が裁判官の和解提案を一蹴したことについて、当日、別件で法廷に参加できなかった高田良爾弁護士は「判決が楽しみです。私は逆転判決で勝訴するのではないかと思います。裁判官たちにとっても記念すべき判決になると思います」と話した。

 

同大で差別的な定年延長制度の廃止を求めてきた庄司俊作教授は420日夜、次のようなメールを送ってくれた。

 

〔 被控訴人の和解提案を見て、これは判決をもらうしかないと思っていました。結果的によかったと思っています。

被控訴人側にすれば、負けても浅野教授復帰はないのですから和解に応じる動機、理由は微塵もありません。今回強気一辺倒に出た所以です。 〕

423日もメールをもらった。

〔 被控訴人側は実質的に裁判官の和解勧告を拒否したと認識しています。

専攻等の会議の対応をきちっと裁判所に判断してもらえば、復帰は無理でも負けることはないと確信しています。裁判官にそんな判決文は書けません。 〕

 

6月14日午後110分の大阪高裁判決にはぜひ多くの方々に傍聴に来てほしい。逆転勝訴の場合、裁判所にある司法記者クラブで記者会見する。また、午後2時から4時まで、大阪弁護士会館で報告集会を開く予定で、準備に入った。

 

大阪高裁の裁判官たちが正義の判決を書いてくれるように願っている。                   

                                   (了)