浅野健一のメディア批評

アカデミックジャーナリスト 浅野健一が記者クラブメディアを批評する

対同志社・村田晃嗣前学長裁判で「5年間の教壇追放」を追及

2018719

対同志社・村田晃嗣前学長裁判で「5年間の教壇追放」を追及

 

連日気温が38度を超える京都の地方裁判所(第1民事部)で、717日午前10時半から、学校法人同志社と村田晃嗣学長(当時、現在法学部教授)を被告とする損害賠償(慰謝料)請求訴訟の第4回弁輪準備期日がありました。前回618日に予定されていた期日は大阪北部地震のため延期になっていました。

 祇園祭の山鉾巡業が行われた日に開かれたこの裁判は、地位確認請求訴訟(626日、大阪高裁第五民事部=藤下健裁判長=による不当判決を不服として最高裁へ上告)で、定年延長を拒否されたことによる「教授する権利」の侵害、精神的苦痛などの慰謝料を請求していなかったため、2017331日に法人と村田学長を相手取り、慰謝料など550万円を支払うよう求める訴訟を起こした民事裁判です。

京都地裁ラウンド法廷(309号法廷)での弁論期日では、井上一成裁判長と友延裕美裁判官が、原告と被告双方が提出した書面を採用。井上裁判長は原告側に、定年延長されなかった場合でも引き続き別の任用形態で教員を続けることができたという主張を、より詳しく行ってほしいと求めました。裁判長は「定年延長を拒否したことと、教授する権利を侵害されたことでは、訴因が違うので、損害の内容などについて分けて主張してほしい」と要請しました。私にとって非常に的確な訴訟指揮でした。

私は原告として、「被告の同志社は、一貫して私が就業規則どおりに65歳で退社したと主張している。そうであれば、定年延長しなかった教員は70歳まで特別任用教授、客員教授、嘱託講師などの職名で教壇に立てるのに、永久追放のように私を扱ってきた。特に、学部の本ゼミは2年連続履修が必修なのに、2014年度のゼミ開講を拒んだのは暴挙だ」「20年間勤務した大学院教授を名誉教授にしなかった。名誉教授にするかどうかの審議も怠った。嫌がらせ、排除だ」などと説明しました。二人の判事は私の説明をよく聞いてくれました。

私の代理人は、地位裁判の二審以降の代理人の山下幸夫、高田良爾、山縣敦彦、斉藤麻耶各弁護士です。法人側の代理人も地位裁判の法人代理人を務める小國隆輔、多田真央両弁護士です。

井上裁判長は原告側に対し、8月末までに請求原因の追加書面を出すように求め、次回弁論手続を913日(木)10時半と指定しました。

 

同大側が尾嶋史章副学長の関与を暴露

 この裁判では、私の弁護団が要求して法人側が地裁へ提出した村田学長の面談記録で、20131031日、冨田安信社会学研究科長が尾嶋史章・副学長(冨田氏の前任の研究科長、社会学専攻教授)を伴い、村田学長と会談していることが分かりました。尾嶋学長は右翼・新自由主義者で、村田氏が広島大学助教授時代に同僚で、村田氏が12年末、学長選に出馬した際の選挙参謀でした。

村田、尾嶋、冨田の三氏が会合を持った131031日は、私の定年延長が議題となり審議され継続審議となった研究科委員会(1030日午後)の翌日で、1113日に2回目の審議があり、前例のない無記名投票での議決で定年不延長=解雇が議決されました。3人は裁判を想定して、私の定年延長をつぶすために、小國弁護士からの助言を受けて共謀していたのは明らかです。

 私は定年延長を同僚たちの投票で否決され、「非大学院」教授・職員と同様に65歳で「定年退職」とされました。法人側の主張によれば、大学院教授の特権である「70歳までの定年延長」を拒まれたものの、65歳で円満退社したわけで、70歳まで、特別任用教授、客員教授、嘱託講師などに任用されれば、70歳(20193月末)まで教員を続けられたのです。ところが村田執行部と小黒純教授らメディア学専攻の同僚教授たちは、「大学相手に裁判を起こした人間を大学が雇えるわけがない」(池田謙一教授)という三権分立無視の姿勢で、20年間大学院教授を務めた私を名誉教授にもせずに、学生との連絡、接触の禁止を通告してきたのです。そのため、2013年度に3年生だった浅野ゼミ20期生は、143月末に強制解散され、4年生から私を排除した教授たちのゼミに移りました。「憲法改定とメディア」を共同研究していたゼミ生たちが4年生から、漫画論、広告論、社会調査論などのゼミに移ったのです。これは学科の定める「ゼミは2年連続履修、卒論指導もゼミ担当教授が行う」という規定に違反しています。

 この裁判では、私を追放しようとたくらんだ村田学長が、尾嶋副学長(板垣竜太教授と親密)を裏のリーダーとして、冨田氏と渡辺武達グループ(「週刊文春」確定判決は、浅野に敵意を持つ渡辺氏らが2004年に結成と認定)が組んで、私を闇討ち的に追放した構図を明らかにします。私の定年延長拒否は、嫌がらせ、いじめだったのです。地位裁判の一・二審のヒラメ裁判官たちは、同僚が解雇を決める蛮行を「大学の自治」として容認したのです。しかし、私の解雇が大学の自治を蹂躙する暴挙であることをこの裁判で明らかにします。

小原健司弁護士を懲戒請求

 私は裁判の後、京都弁護士会へ向かい、小原健司弁護士の懲戒を求める請求書を提出しました。小原氏は地位裁判の一審の代理人の一人でしたが、今年3月に同大法学研究科における定年延長について書いて提出したことに対する常識外の「報酬」を私に要求し、それを支払わなかったとして、大阪高裁へ、自身が提出した陳述書を取り下げるという上申書(424日付)を提出しました。

 

高裁への同大「委員会記録」刑事告発で追加証拠を提出

その後、京都地方検察庁へ出向き、被疑者不詳で告発した「社会学研究科委員会記録」の無印私文書偽造・同行使に関する追加の証拠五通を提出しました。21031030日と1113日の研究科委員会の「記録」が地位裁判控訴審の結審の直前の本年228日に大阪高裁第5民事部(藤下健裁判長)提出されました。この記録は何者かが裁判官をだますために捏造して提出したとしか考えられません。私は626日、京都地検特別刑事部に告発状を提出し、72日に受理されています。同大では「教授会」「研究科委員会」の記録はありません。ないはずの記録が、ウソで固めて作成され、高裁へ提出されました。私の定年延長に関する審議が適正に行われたと裁判官に思わせるためです。財務省の官僚より悪質な蛮行です。司法の場で正義が実現するように願っています。

 

祇園祭を数分見学

 京都地検を出て、タクシーで烏丸御池まで行き、祇園祭の山鉾巡行を見学しました。以前は、ゼミ生や卒業生たちと見物したものです。当時を懐かしみながら、浅野ゼミを解体した輩を絶対に許さないと決意し、千葉に戻りました。

 

東京高裁で結審強行、神戸地裁で不当判決・

718日午後1時半から、「ジャカルタ日本大使館事件」の無実の被告人、城﨑勉さんの東京高・裁第一回公判がありました。城﨑さんの一審では、インドネシア語通訳の悪質な誤訳があり、弁護団は私と一審裁判長の証人申請を行っています。シンガポールと違って「キシャクラブ」のある日本では、記者席で取材は不可能です。傍聴券が当たるかひやひやしましたが、法廷が大きいところで、傍聴希望者は全員入れました。

弁護団は城﨑さんの無実、一審の法廷通訳人の誤訳問題などを主張し、一審裁判長、私、インドネシア人4人の証人調べを請求しましたが、栃木力裁判長らヒラメ裁判官3人は、何の躊躇もなく「結審」と宣言。926日午後1時半に判決言い渡しとなりました。弁護団が一審の審理を検証する中で、誤訳した法廷通訳者ではない、もう一人の通訳者は警察・検察のインドネシア人証人を事情聴取した際の通訳者だったことが分かりました。裁判所が捜査段階と同じ通訳者を採用するのは不適切です。

霞が関の暑さは異常でしたが、無実の事件で米国に拉致され約20年服役した後、日本に強制送還され、同じ事件で逮捕・起訴された城﨑さんに対して、あまりに冷酷な姿勢に怒りを感じました。

 18日は午前11時から、人民新聞の山田洋一編集長の冤罪・「窃盗」事件の神戸地裁判決言い渡しがありました。山田さんらが判決後に行った記者会見の動画がアップされています。https://www.youtube.com/watch?v=yYGpl8kVo_w&feature=youtu.be

神戸のヒラメ裁判官たちは、何と懲役1年・執行猶予3年の有罪判決を言い渡したようです。これもまた、公安警察の蛮行を裁判所が肯定したものです。日本は仏革命のあった1789年より前の中世・絶対王政時代のレジュームだと言っていいでしょう。人権と民主主義(人民による統治)がほとんど機能していません。安倍官邸と公務員たちによる犯罪が全く刑事訴追もされず、被害がなく、被害者がまったく存在しない事件で山田さんに有罪判決が言い渡されたのです。ふざけるなと言いたいと思います。

 

72084集会へ参加を

 20日午後は参院議員会館で開かれる「安倍やめろ」の市民集会で発言します。

 また、84日(土)午後6時から、東京のたんぽぽ舎の「スペースたんぽぽ」で、朝鮮戦争について白宗元・元朝鮮大学校教授講演会を開きます。時間のある方は参加ください。

 各地で異常気象ですが、お互いに、体調に気を付けて、日本の民主化のために頑張りましょう。

 


「停戦65周年・朝鮮戦争の終結と日本の責任」講演会

「停戦65周年・朝鮮戦争の終結と日本の責任」講演会

 

朝鮮民主主義人民共和国(DPRK、朝鮮)と日本国の今後の関係を考える「たんぽぽ舎」講座のシリーズとして、84日(土)午後6時から8時、スペースたんぽぽで、白宗元(ペク・チョンウォン)元朝鮮大学校教授を招いて、「朝鮮戦争終結と日本の責任」をテーマに下記のように講演をしていただきます。たんぽぽ舎の担当者は渡辺マリさんです。

 

                 記

日時:201884日(土)午後6時~8時、開場は午後545

場所:「スペースたんぽぽ」東京都千代田区神田三崎町262 ダイナミックビル4

講師:白宗元・元朝鮮大学校教授

演題:「停戦65周年・朝鮮戦争の終結と日本の責任―朝米会談後の北東アジア情勢」

コーディネーター:浅野健一(同志社大学大学院メディア学専攻教授)

主催:たんぽぽ舎

参加費:800

 

【白宗元さんの略歴】1923年、朝鮮平安北道義州に生まれ。京都大学経済学部卒。歴史学博士。建設通信社(現朝鮮通信社)社長、朝鮮大学校学部長、朝鮮総聯中央副議長、在日本朝鮮人体育連合会会長などを歴任。朝鮮民主主義人民共和国歴史学博士。著書に『語り継ぐ在日の歴史 分断と差別・迫害に抗して』など。

 

 今年の727日は朝鮮戦争(195053年)停戦65周年に当たります。朝鮮では米軍に勝ったということで「戦勝記念日」です。

 トランプ米大統領は419日に安倍首相との会談で「南北が望む朝鮮戦争終戦の実現」に意欲を表明。427日の北南首脳会談・板門店宣言は朝鮮戦争の年内終戦と「休戦協定」の「平和協定」への転換を目指す意思を確認。612日にシンガポールで開かれた金正恩朝鮮国務委員長との歴史的な朝米会談では、この板門店宣言に則り、朝鮮半島の安全保障確保・非核化を目指すとする共同声明を発表しました。

白さんは『検証 朝鮮戦争 ―日本はこの戦争にどうかかわったか』(三一書房、2013年)で、日本の「北が戦争を起こした」という通説の誤りを、1947年からの米国の動きなど歴史的背景を豊富な史料をもとに論じています。また、日本が朝鮮戦争に深く関わり日本の右傾化の出発点がこの戦争であったことを明らかにしています。ここ数年間、毎年訪朝してきた白さんは、朝米会談後の6月にも訪朝していますので、平壌の最新情報も聞けます。

安倍政権と御用メディアは、北南朝鮮の統一へのダイナミックな動きと、朝米融和の機運の前に、右往左往するばかりです。北東アジア情勢についての白さんの講演後の質疑応答で、日本の市民は今後の日朝関係正常化に向けて何をすべきかを考えたいと思います。私が司会をします。

 

白さんの『検証・朝鮮戦争』の書評「朝鮮問題の根本的理解促す」が朝鮮新報に載っています。

〔 ついこの間、朝鮮半島は核戦争一歩手前まで緊張した。朝鮮戦争がいまだ法的に終結せず、停戦状態が60年間も持続しているからである。こんにちの朝鮮半島情勢を根本的に理解したければ、朝鮮戦争そのものを正しく把握せねばならない。

 朝鮮戦争研究書は日本で多く出版されてきたが、「どちらが先に鉄砲を撃ったか」式の短絡的考察や、外交文書を一面的に分析するたぐいの研究がほとんどである。ベトナム、イラク、リビアなど米国が起こした戦争が侵略戦争であることは明らかだが、こと朝鮮戦争に関しては朝鮮民主主義人民共和国が侵略者で、米国は被害者という奇妙な通説が日本ではまかり通っている。

超大国米国を相手に、創建2年にもならない朝鮮がどうして敢えていどめるのか。いわゆるアチソン演説が朝鮮半島を防衛線からはずしたので、米国の介入を予想できなかったという説がある。しかしアチソン演説の全文を読めば、介入せぬとは言っていない。しかも、この演説の直後に結ばれた「韓米相互防衛援助協定」を、なぜか西側の研究者たちは無視している。

朝鮮戦争は、はじめ内戦として勃発した。したがって、まず戦争に至るまでの南北朝鮮の政治、経済、軍事情勢を総合的に分析せねばならない。しかる後に、国際情勢との関連性を見るべきである。日本におけるこれまでの朝鮮戦争研究は、不思議にも、この国内分析を素通りするのがほとんどだった。

1947年、冷戦の開始を告げる「トルーマン・ドクトリン」が宣布される。これを契機に38度線一帯で衝突が頻発し、ついには師団規模の戦闘にまで発展した。朝鮮戦争は1950625日に突発したのではない。すでに1947年から実質的には始まっていたのである。1948年、「北進統一」を「国是」とする南朝鮮単独政権樹立。だが、1950530日の総選挙で李承晩派は惨敗し、命運は尽きた。しかも前年には中国革命が成功している。米国は、ユーラシア大陸への唯一の足場である朝鮮半島から追い出される絶体絶命のピンチ。彼らを救ったのが、その直後の朝鮮戦争だったのである。

侵略を正当化する道具として、米国がいかに傍若無人に国連の看板を盗用したかを、本書は徹底的に暴露している。朝鮮戦争と日本とのかかわりを詳述し、今日のこの国の極端な右傾化の出発点が、ほかならぬこの戦争であったことを明らかにしているのも本書の大きな特色である。朝鮮戦争の背景と原因にたいする客観的、科学的分析によって、学問の衣をまとった米国由来のもろもろのデマは論破された。本書は朝鮮戦争にとどまらず、解放後の朝鮮歴史のいきいきした教科書の役割も果たしている。(南圭一、評論家) 〕

 

今年の727は私の古希、5年前の訪朝が解雇理由に

 

ところで、朝鮮戦争停戦記念日の727日は、ついでに私の誕生日です。今年は70歳の古希です。7月末に訪朝すると、朝鮮では727日、青年たちが舞踏会を開いたり、花火を打ち上げたりしてくれます。

 1年前の74日は、朝鮮が米国本土にまで届くICBM試射実験を遂行した日です。私はその日の午後平壌に入りました。米国が朝鮮への先制攻撃をあきらめた日です。

 2013727日、平壌で開催された「朝鮮戦争勝利60周年国際記念式典」に、日本からの訪朝団の一人として参加しました。朝鮮からの招請でした。団長は日森文尋・元衆議院議員で、13人で参加しました。式典前日の13726日が同大での春期の期末試験の日で、私が「期末試験に立ち会わなかった(21037月)」(私の定年延長を審議した社会学研究科委員会=教授会=で同僚の小黒純教授ら4人が作成・配布した「検討事項」文書)ことが解雇の理由の一つにされています。

 この「期末試験に立ち会わなかった」ということを社会学部主任会(5学科から選手地された主任の会議、議長は冨田社会学部長)で最初に問題にしたのは、季刊誌「インパクション」編集委員だった板垣竜太・社会学研究科社会学専攻准教授(当時、現在教授)です。

教授会で配られた「検討事項」文書を私は怪文書と呼んでいます。この怪文書での書き方では、あたかも私が試験監督を怠慢で立ち会わなかったかのような印象を与えますが、この期末試験時には、大学に届けて出て個人研究費を使用した公務出張で海外に出かけていました。個人研究費を使っての公務出張稟議書を提出し、正式手続きを経て、学部事務室と相談して、事務室の角厚志角さんと大学院生の矢内氏が試験監督を担当する手当てをして出発しています。この出張で私は朝鮮を訪問し、朝鮮戦争停戦協定締結60周年に関連する行事に参加し、平壌、開城、信川等で学術討論会参加および現地調査を行いました。この訪朝に関して、日森さんは20161023日、同大大学院の同僚5人を被告とした京都地裁の名誉毀損裁判で陳述書を出してくれています。末尾に紹介します。

 

私は093月の設立時から、日本と朝鮮の国交正常化および市民交流活発化を目指す市民団体「文化・学術・市民交流を促進する日朝友好京都ネット」の理事を務めています。また、20129月に立ちあがった日朝学術研究会の呼びかけ人を務めています。研究会の呼びかけ人は、水野直樹教授(京都大学)、小倉紀蔵教授(京都大学)、田中俊明教授(滋賀県立大学教授)など著名な研究者によって構成されており、板垣准教授も呼びかけ人の一人です。

私は研究目的という正当な理由のもと、期末試験期間ないに出張したのであり、「・期末試験に立ち会わなかった」と言う表記は極めて不適切な表現です。

 

 

板垣氏は東京大学大学院出身で、彼が院生の時から知っています。京都朝鮮初級学校が襲撃された事件では、証人になり、法廷証言もした左翼リベラル派の象徴的な教育研究者です。

板垣氏は私の問い合わせメールに、「期末試験の監督を他の人に任せたことは私の倫理からすると、ちょっと考えにくいのです」「浅野先生でなくとも、同じようなことが起こったことを知ったら、同じように苦言を呈していたと思います。オムニバス講義であれば代表の教員のみ監督ということはあると思いますが、個人の授業で自らが作問した試験の監督をされなかった先生が他にもいるとしたら、驚きです」と書いてきました。

私が期末試験をしなかった問題は、試験を受けた学生のうち二人が不正行為をして私の試験監督の代行をした博士後期課程2年生の矢内真理子氏に摘発されたことがきっかけでした。科目担当の私と学部の間で連絡がすぐに取れなかったことがあったのです。

板垣教授の法令順守というか高い倫理観には敬意を表します。しかし、ものごとにはいつも例外があり、その時点でベストな道を選ぶしかないと私は思います。今回のケースでは、何とか試験を訪朝期間以外にと私は事務室、学科で相談して進めましたので、板垣さんに結果論であれこれ言われるのは全くの迷惑です。

板垣氏は2012年度の同志社大学教職員組合委員長でした。しかし、板垣氏は、私の解雇が決定的になった201312月、「大学相手の裁判になるので関われない」と通告し、今日に至っています。私も1997年度の組合委員長でした。板垣氏は、私を解雇に追い込んだ冨田安信研究科長(当時)が「学部・研究科のことでいつも相談する先生たち」の一人でした。板垣氏と私が所属する組合社会学部支部は、私に相談もなく、144月中旬の支部会議で、私を組合から除名するよう求める「組合員扱い撤回要求決議」を行い、組合本部へ要請しています。

解雇されても組合員を守ってもくれないのが、「革新」陣営、労働組合です。同大の若手教員の組合加入者が減っていますが、労働裁判委敵対する組み位に入る価値はありません。私は20年間で199万円の組合費を納入しました。その返還を求める裁判を近く起こします。

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【参考資料】

[ 2016年10月23日

 

平成27年(ワ)第2120号

損害賠償請求事件

原告 浅野健一

被告 渡辺武達外4名

 

京都地方裁判所第3民事部 御中

 

陳  述  書

              

                                    

              住所 (略)

              氏名  日森文尋 印(略)

 

私は1971年3月に中央大学経済学部を卒業し、与野市(現さいたま市)職員となり、与野市議会議員(4期)、衆議院議員(2期、社民党国会対策委員長)などを経て、現在、「朝鮮の自主的平和統一を支持する日本委員会」議長を務めています。

この度、日朝友好運動における私の知り合いである同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻の浅野健一教授が定年延長の審議が行われた教授会において、同僚教授が頒布した〈浅野教授定年延長の件検討事項〉と題する文書を名誉毀損だとして東京地裁(貴裁判所へ移送)に損害賠償請求訴訟を起こしたと知りました。

この文書(作成者名・作成日時の記載なし)は2013年10月30日と11月13日の社会学研究科委員会で行われた浅野教授の定年延長にかかわる審議における唯一の審議資料だったそうです。この文書の〈3 学内業務面〉には、〈[要点]貢献度が低く、逆に周囲の足を引っ張っている〉という記述に続いて、第二項目として〈期末試験に立ち会わなかった(2013年)〉と書いてありました。浅野教授は、この文書の頒布によって、定年延長に関する公正な審査を受ける権利を侵害され、また、その名誉を著しく毀損された結果、甚大な精神的苦痛を被ったとして同僚5人を相手取って損害賠償請求訴訟を起こしています。

同僚教授5人が文書で、「期末試験に立ち会わなかった」として、浅野教授を「大学院教授として不適格」の根拠としている期末試験は2013年7月25日に実施されたということです。

5人が問題にするこの期末試験が行われた時、浅野教授は私と一緒に朝鮮民主主義人民共和国(以下朝鮮)にいました。浅野教授はこの旅行に関し、冨田安信社会学研究科長・村田晃嗣学長(両名とも当時)に届け出て承認を受けた上、大学支給の個人研究費を使用した公務での海外出張であり、試験の監督についても社会学部事務室の事務長、学部教務担当職員と協議を重ねた上、監督代理者2名(担当職員と大学院博士後期課程院生=試験科目のティーチングアシスタント)を立てて実施したと聞いています。

浅野教授は2013年7月23日から30日まで、私を団長とする「朝鮮戦争停戦協定締結60周年朝鮮訪朝団」の一員として、平壌はじめ朝鮮各地を訪問し、朝鮮戦争の実態を改めて確認することと同時に、この停戦協定を対米平和協定へと発展させることを求める朝鮮の人民の熱意に触れてきました。

浅野教授を含む訪問団は、私の所属する「朝鮮の自主的平和統一を支持する日本委員会」が事務局を担当し、全国の日朝友好団体及び文化交流団体、学術交流団体などの代表者24名で構成され、朝鮮対外文化連絡協会の招請で訪問したものです。浅野教授は京都において「文化・学術・市民交流を促進する日朝友好京都ネット」理事、「日朝学術研究会」呼びかけ人を務めており、両団体を代表しての訪朝でした。

この訪朝団の目的は、第一に朝鮮がこの停戦協定60周年に際して最大の目標に掲げた、「朝米平和協定締結」実現に私たちも全面協力することを表明し、朝鮮人民との連帯を深めることでした。平壌・開城で数万人の市民、世界20数か国からの代表団と共に「朝鮮半島の平和と安定を求める国際平和大行進」に参加し訪朝団としての決意表明も行いました。金正恩労働党第一書記も出席した人民軍事パレードへの参加、慶祝夜会での各国代表団との積極的交流、報道関係者との懇談など、有意義な活動も展開できました。第二に、改めて朝鮮戦争とは何かを確認することでした。米軍による大量虐殺があったとされる信川では、元米司法長官のラムゼー・クラーク氏が、朝鮮戦争は「米国にとって誤った戦争であった」ことを謝罪し、朝米友好について言及しました。私たちも、この戦争に「17番目の参戦国」として重大な役割を果たしたことに、深い反省と謝罪の気持ちを新たにしました。

朝鮮は国連加盟国であり、既に170カ国を超える国々と国交を結び、厳しい環境下でも着実に発展の道を歩んでいる姿も、平壌はじめ街の変遷を通して確認できました。同時に、朝鮮の平和統一と朝米和解が、日本を含む東アジア地域の平和と安定にとって最重要課題であること、そのためにも小泉純一郎内閣総理大臣と金正日国防委員長が署名した2002年9月17日の「平壌宣言」に沿った日朝国交正常化を実現することの必要性を改めて痛感した訪朝でした。

 

私は2年後の2015年8月12日から25日、浅野教授を含む「朝鮮解放70年慶祝日本代表団」の団長として再び平壌を訪れました。8月17日には、市内で宋日昊国交正常化大使と2時間懇談し、14年5月の日朝ストックホルム合意に対する朝鮮側の包括的見解を確認しました。浅野教授は新聞学研究者・朝鮮研究者として名を知られており、大使から率直な意見を聞き出して、帰国後、大使の発言内容は浅野教授を情報源として、多くの報道機関でニュースとなりました。なかなか溝の埋まらない日朝間関係に、微力でも私たちが架け橋となり、一歩でも前進できる環境をつくることにも力を注ぎたいと改めて決意しました。

 

以上のように、浅野教授の2013年7月下旬の訪朝は、鎖国時代に国禁を犯して渡米し、帰国後、官ではなく人民のための学園を開いた新島襄の建学精神を受け継いだ貴重な活動です。同志社大学の今出川キャンパスには、英文科の学生で戦時中に獄死した詩人、尹 東柱(ユン・ドンジュ)さんの詩碑があります。また、同志社大学は朝鮮高校卒業生の受験資格を最初に認めた大学として知られ、学校法人同志社が運営する諸学校には在日朝鮮人が多数学んでいます。

たまたま期末試験と重なり、担当科目の試験に「立ち会わなかった」ことを、浅野教授の大学院教授としての「学内業務面」での「貢献度」の問題にするのは不当だと私は考えます。

貴裁判所がこの問題で、公正な判断をされるようお願い申し上げます。                      (了) 〕

                                  (以上)

 


8.4講演のお知らせ:停戦65周年・朝鮮戦争終結と日本の責任

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7.20 主権者は私たち 市民大集会

7.20-2018

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