浅野健一のメディア批評

アカデミックジャーナリスト 浅野健一が記者クラブメディアを批評する

◎最高裁陳述書

陳 述 書
平成30年 9月 5日
最高裁判所 御中
         住所    
         氏名   浅野 健一
目次
Ⅰ はじめに 4
Ⅱ 判決の評価の前提について 5
1 京都市の警告を無視して違法にゴミ処理した同志社 5
2 大学院教授の定年延長制度を維持するための闇年金 6
3 同志社大学の定年延長制度の矛盾 7
4 闇討ち解雇の道具にされた定年延長制度 8
5 大学に自浄能力がなく裁判所に訴えるしかなかった 8
6 大学経営者側に立つ弁護士が指南した「手続き」 9
7 私をウイルス扱いした配付文書を真実と認定 10
8 定年延長を機に解雇したと現職理事が公言 11
9 理事会が定年延長の可否を審議・決定すべき 12
Ⅲ 前提事実にかかわる重大な事実誤認 13
1 院教授定年延長は1951年の就業規則で開始 13
2 研究科長らは「人事案件に対象者は加わらない」ルールに違反 14
3 私は採用と同時に大学院教授に就任している 15
4 小黒教授は専攻会議で議長にはなれない 16
5 渡辺教授の定年延長への異議は議題にならず審議もなかった 18
Ⅳ 「当裁判所の判断」の誤り 18
1 研究科申し合わせに審議の手順の記載はない 18
2 渡辺教授定年延長への異議は審議拒否 19
3 専攻と研究科で審議・決定がなされている誤認 20
4 時間割送付で労働契約、定年不延長が本人の意向との証明なしとする暴論 21
5 私が担当科目に触れなかったと問題にしたという誤解 24
6 4人の結論を専攻決定とした説明は虚偽 24
7 新任教員採用の可決要件を適用するのは不当 26
8 怪文書の本件配付文書を真実と断定した高裁 27
9 徒弟制ではないが教授は取り換え可能ではない 28
10 私を問題教授のように認定したのは深刻な事実誤認 30
11 70歳まで働けるという期待権をなぜ否定するのか 30
Ⅴ 高裁判決後の新たな動きについて 31
1 和解勧試で同志社側が認めた私のナジさんの博論関与はどうなるのか 31
2 4年半休講の浅野科目の開講を求め学生らが学長へ要望書 34
3 委員会記録は無印私文書偽造(被疑者不詳)と地検に告発 35
4 現理事長が定年延長中の経済学研究科の定年延長の実態 37
5 地位裁判の棄却判決で続発する定年延長拒否事件 39
6 不可侵の地位としての大学教授 40
Ⅵ おわりに 42

 添付資料一覧  45

頭書事件について、上告人としての最終の意見を陳述します。本陳述書で述べる人たちの役職はすべて当時のものです。

Ⅰ はじめに
本件裁判の2018年6月14日の大阪高等裁判所第5民事部(藤下健裁判長、右陪席・黒野功久裁判官、左陪席・桑原直子裁判官)の判決言い渡しは、提訴から4年4カ月(控訴審では1年3カ月)をかけての審理の結果としては、わが耳を疑う信じられない不当判決でした。
藤下裁判長ら3人の高裁判事は二審の審理の前半では、一審の堀内照美裁判長の判決を「争点整理もせずに双方が言いたいだけ言った審理に終わっている」などと厳しく批判し、数回にわたって双方に文書で課題を課して、回答を求めるなど意欲的な訴訟指揮でした。また、高齢者の労働を支える社会の動きを反映して、65歳を超える労働者の権利について判決を書く意欲も見せていました。
結審と同時に、双方に和解を勧試し、黒野主任裁判官を和解交渉担当の裁判官に指名し、黒野裁判官は的確な方針を示し、熱心に和解の道を探りました。和解交渉の過程で、同志社側は、2014年6月に「14年3月末に遡っての退学」と決定された大学院メディア学専攻博士後期課程のインドネシア政府留学生、ナジ・イムティハニさん(インドネシア国立ガジャマダ大学文学部日本学科助教)の博論審査で私を副査としたいという意向を示しました。しかし、同志社側が私の教員としての復職は認めないという姿勢を崩さず、和解は不成立となり、予定どおり判決が言い渡されることになったのです。
私の請求が認められない場合、ナジさんは路頭に迷うことは必至であり、黒野裁判官らが請求を棄却することは想定できませんでした。
しかし、藤下裁判長らは1年3カ月もの時間を使って審理した上で、一審の堀内裁判長判決よりも、悪質な判決を言い渡したと思っています。同志社側が主張しなかったことまで、空想の世界で認定した判決でした。
高裁判決が言い渡された2018年6月14日の約1カ月半後、私は70歳を迎え、地位確認裁判で勝利しても、2019年3月31日までしか働けないところまで、追い詰められました。
同志社大学における大学院の定年は70歳というのは、大学の教職員、学生の共通認識です。ところが、高裁判決では、大学院教授の65歳定年が原則であり、大学院教授の定年延長が自動的に決まってきたという慣行はないと決めつけました。70歳までの定年延長制度のある日本大学の二学部で、定年延長を拒否された教授たちが起こした裁判では、裁判所が70歳までの定年延長が慣行として成立していると認定し、期待権も認める判決が出ています。
同志社大学は西日本の私学のトップで、文科省が認可した権威ある大学です。ある種の権力と言えるでしょう。裁判所が同志社大学による教授ポスト剥奪と退職の強要を不当と認定するには勇気がいったようです。私の弁護団は、同志社大学において、1951年から2013年まで、大学院教授は特段の事由がない限り、全員が定年延長を認められてきたこと、65歳の大学院教授には次年度も教授を続ける期待権があることを完全に証明していましたが、藤下裁判長らは同志社側を勝たせることを先に決めて、同志社側の弁護士と冨田安信研究科長、小黒純教授らのウソと詭弁を信用し、当方の主張をことごとく否定しています。判決文自体が、私への嫌がらせであり、ヘイト文書と言ってもいいと思います。
 最高裁において、一審からの全証拠を調べ直し、高裁判決の見直しをしてほしいと願っています。

Ⅱ 判決の評価の前提について
1 京都市の警告を無視して違法にゴミ処理した同志社
 今年に入って、日本大学アメリカンフットボール部の危険タックル、東京医科大学の文科省幹部の子息の不正入学・入学試験の女性差別など大学をめぐる不正が社会的関心を集めています。女子レスリング、ボクシング、体操などスポーツ界でも、権力を持ったボスによる不正が明らかになっています。
 私は22年間の通信社記者勤務の後、大学院教授を20年間務めた同志社大学も例外ではありません。同志社大学においても、一部幹部、学内政治で徒党を組んで権力を握る教授(牧師を含む)たちが、大学の主人公である学生の利益を無視した大学運営を行っています。本件大学は「自治・自立・品格」「良心教育」を掲げる一方で、学生自治会を解散させ、バイク通学を禁止、経済不況下での授業料のスライド制による値上げ、奨学金カットなどを強行し、2013年には学内敷地に交番を設置しています。
被上告人の学校法人同志社は、大学を運営する学校法人として、戦後初めて刑事罰を受けています。同志社は2016年3月15日、京都簡裁から産業廃棄物法違反(一般廃棄物無許可収集運搬)で罰金100万円の略式命令を受け、山下利彦・元同志社大学施設部長も個人として罰金50万円の略式命令を受けました。同志社と山下部長は同志社の出資会社などが京都市の許可を得ずに大学施設などのごみを収集運搬したとされる事件で京都区検から略式起訴されていました。この事件では2016年1月と2月に、学校法人同志社の法人事務部長で、子会社の施設管理会社「同志社エンタープライズ」(以下、エンター社)の北幸史社長ら9人の同志社関係者が逮捕されています。命令によると、山下部長は2015年11月27日、市の許可を受けず、同大今出川キャンパスなど8カ所から排出された紙くずなど約900キロを収集し、伏見区の市南部クリーンセンターへ運搬した、としています。
驚くべきことですが、京都市は2012年10月以降、同志社に無許可収集を改善するよう計7回、指導していましたが、同志社は違法行為を繰り返していたのです。私が解雇された時の学校法人同志社の法人事務部長が北幸史氏で、理事長は水谷誠氏でした。私を解雇した法人の幹部の体質がここで明らかだと思います。
同志社が運営する同志社大学と同志社女子大学は、文科省の外郭団体である日本私立学校振興・共済事業団から年間約30億円の私学助成金を受け取っていますが、同事業団は産廃事件で「管理運営が不適正」として2016年度の補助金を25%減額するペナルティを科しました。この25%カットで、両大学で約9億円の減収となりました。学生にとって大きなダメージですが、産廃事件で、学内で処分を受けた人は一人もいません。

2 大学院教授の定年延長制度を維持するための闇年金
当時の水谷誠理事長(大学院神学研究科教授、牧師)は処分もされず、2017年4月下旬まで理事長職に留まり、同年から定年延長されています。
同志社大学には、「大学院教授70歳定年」制度を維持するために設けられた「永年勤続者(25年以上勤続)への退職後の特別補給金」制度があります。特別補給金として「退職時本俸×0.6-諸年金受給額」という計算方式で決められます。65歳で退職した後、一秒も働かないのに5年間、毎月約20万円が送金されます。
私は最近、65歳で退職になったある教員から、この特別補給金の受給申込文書を入手しました。特別補給金のことは同志社大学教職員組合の組合員手帳にも詳しく載っています。【資料1】
この特別補給金は1986年に導入された、大学教職員組合も共犯になった闇手当て、不労所得です。大学院教授だけに特権として、「70歳定年」制度が認められているため、65歳で定年となる非大学院教授の教職員を黙らせるためのバラマキで、大学の一般予算(授業料と血税)から違法不当なお金が出ています。国税庁の担当者は、法人の経理上の問題があると言っています。学生、保護者が税務署に通報すれば、事件になる可能性があります。
大学院教授の定年延長(66歳から70歳まで)の年間平均賃金は1700万円前後。院教授対象の「定年延長」しない教職員には、闇年金を毎月約20万円・年間240万円弱を支給しているのです。66歳から70歳の労働者が多く、同志社大学の財政を悪化させています。
私は20年間の勤務でしたから、闇年金は出ません。そんなものはほしくもありませんが、65歳から70歳までの大学院教授としての仕事を失ったのは悔しいことでした。

3 同志社大学の定年延長制度の矛盾
このように、大学は一般社会にはない非正常な点が少なくないと思います。近代社会においては、学問の自由、大学の自治が尊重されており、大学における順法精神、自治自律がおろそかになると無法地帯と化すこともあり得ます。外部からの批判を受ける機会が少なく、「象牙の塔」と言われる独善的な体質が今も残り、自浄能力に欠ける場合、それを質すのも容易ではありません。
 被上告人の学校法人同志社が運営する同志社大学は慶應義塾大学に次いで日本で二番目に古い私立大学であり、日本最大のキリスト教系の学園です。日本人で初めて海外で学位を取得した新島襄が創立した大学でもあります。大学間の生き残り競争が激しい中、同志社大学は今も西日本のトップ私大として評価されていると思います。
 しかし、同志社大学で1951年から導入されている「大学院教授の70歳までの定年延長」の制度は、日本の他大学にはない非常に差別的な制度だと思います。歴史のある大規模の私大では、70歳まで教授を務めることができますが、同志社大学以外では、65歳でいったん退職し、退職金を受給され、年金を受給されながら、再雇用で賃金が半額以下になるのが普通です。同志社大学では、大学院教授に限っては、65歳で退職せず、1年ずつ定年延長し、70歳まで65歳までの賃金が維持されます。66歳から70歳までの5年間で個人研究費などを含めて1億円が支払われます。同志社大学における大学院教授の定年延長は、新たな雇用契約の締結ではなく、定年の延長なのです。採用人件と同じ枠組みで手続きがは行われません。65歳になった大学院教授は退職せず、退職金をもらわず、そのまま雇用が継続され、賃金などの労働条件もそのまま維持されます。立命館大学の教授らは「我々には考えられない夢のような制度」と言っています。大学院教授ではない教員と職員は65歳が定年です。
 一方、同じ被上告人が運営する同志社女子大学では、1999年に大学院教授の定年延長制度を完全に廃止し、「65歳で退職し、特別任用教授として再雇用」する特任教授制度に変更しています。これは賢明な決定だと思います。

4 闇討ち解雇の道具にされた定年延長制度
 このいびつな定年延長制度は、大学院で博士論文を指導できる博士後期課程教員を確保するために導入されましたが、修士論文を指導する博士前期課程教員にも適用されています。大学院教授の定年延長は1年ごとに決定されることになっていますが、2014年まで、決定の手続きに関する規定はほとんどなく、定年延長を希望する大学院教授は特段の事由がない限り、全員が自動的に延長されてきました。2012年秋に、初めて大学院ビジネス研究科の山口薫教授(金融論)が2回目の定年延長を拒否され、地位確認裁判が起こされました。ビジネス研究科の浜矩子研究科長が山口教授の二度目の定年延長を提案せず、66歳で退職に追い込まれたのです。
私は2013年7月に65歳となり、2014年度から定年延長に入る予定でしたが、2013年10月30日と11月13日に開かれた同志社大学大学院社会学研究科の2回の研究科委員会(以下、高裁判決にならい、第10回委員会と第11回委員会)で、定年延長を拒否する議決が強行され、本来、2019年3月31日まで続けるはずだった教授の職を奪われました。第9回委員会のあった2013年10月16日に、2014年度の大学院と学部の担当科目が決定し、私の下で学位を取得したいという学生が多数入学する予定の中で、闇討ち的に定年延長を拒否され、2014年4月から、特別任用教授・客員教授・嘱託講師などでの任用も拒まれ同志社大学から永久追放のように扱われています。15年以上勤務した教授に与えられる名誉教授の称号も、何の審議もなく付与されていません。
 私が解雇された2014年3月、大学院メディア学専攻博士後期課程に、インドネシア人留学生のナジ・イムティハニさんと矢内真理子さんの二人がいました。ナジさんは同課程3年生、矢内さんは2年生でした。博士前期課程には荻野友美さん、中国(台湾を含む)の留学生4人の計5人がいました。また、前期課程に入学予定の学生が数人(ロシアからの日本政府国費留学生を含む)、社会学部メディア学科の1~3年生で次年度浅野ゼミの履修を希望している学生が30数名いました。特に本ゼミと呼ばれる3・4年ゼミは2年間連続履修が義務付けられ、卒論指導も私が担当するので、2013年度3年生・浅野ゼミの13人は、私が追放されたために全く分野の違う他の教員のゼミに分散収容されるという事態になりました。
 ナジさんは2014年6月、「同年3月末に遡って退学とする」という決定が研究科委員会でなされ、その後は、誰もナジさんを指導していません。

5 大学に自浄能力がなく裁判所に訴えるしかなかった
 私は、定年年長が同僚教授4人(竹内長武・佐伯順子・池田謙一後期課程教授、小黒純前期課程教授)によって妨害されることが分かった2013年10月29日から、教職員組合に支援を求めるなどして、指導継続が必要な学生のためにも、定年延長は無理としても、教壇に残る方策はないかを懸命に模索しましたが、定年延長が審議される理事会(2014年2月21日)の2カ月前の2013年12月中旬、私は2014年3月31日に完全追放されることが決定的になりました。
私が教授としての地位を維持するためには、裁判所に助けを借りるしかないと考え、弁護士らと相談して、2013年12月27日に地位保全の仮処分申立、2014年2月3日に地位確認訴訟を提起しました。京都地裁、大阪高裁は共に、私の請求を却下しましたが、このまま二審判決が確定することは、正義に反し、同志社大学の教員、学生の今後に悪い影響を与えることになります。ひいては、同志社大学のみならず日本の高等教育研究機関全体にもマイナスになると考え、最高裁判所の裁判官の皆さんに、大学教授の地位がこんなに簡単に、適正手続に反して、強奪されていいのか、客観的証拠と法に基づいて判断していただきたいと切に願っています。

6 大学経営者側に立つ弁護士が指南した「手続き」
 大学の中のことは、裁判官のみなさんだけでなく、一般的に非常に分かりにくいと思います。本件裁判において、残念ながら、地裁、高裁の裁判官たちは、私を解雇に追い込んだ冨田安信社会学研究科長、小黒教授、小國隆輔弁護士(同志社代理人・同志社大学法科大学院嘱託講師、俵法律事務所から2018年1月独立)らの膨大な量のウソと虚偽情報、立証責任の放棄を見抜けず、彼らの主張を真実と誤信し、誤った認定を重ねています。その一方で、原告、控訴人側が提出した客観的証拠のほとんどを無視し、私が問題のある教授であるかのような認定までしています。私に偏見を持ち、最初から、学校法人同志社側を勝たせるという結論があっての判決としか考えようがありません。
 高裁判決は、同志社大学において1951年から定年延長の可否の決定が、専攻と研究科委員会で「審議、決定」されてきたと誤信し、私の定年延長人事案件では、本件を2回目に審議した第11回委員会で投票によって否決されたことで、適切な審議があったと判断されています。しかしながら、実際は定年延長の可否の実質的な審議など行われておりません。毎年、研究科委員会での定年延長の決定は、議長を務める研究科長が定年延長対象者の役職、氏名、次年度担当科目だけを書いた審議資料(A4判・1枚)を配布して、「3秒ルール」(議長の提案後、3秒待って、「承認されました」と可決)で一括承認していました。採用人件の際に配布される対象者が事前に提出した履歴書・業績書のコピー配布と主要業績3点以上の回覧もありません。
地裁、高裁の判決では、「不都合な事実」を無視して誤った判断を下しています。「不都合な事実」とは、私の事案以前には、定年延長対象者が研究科委員会において定年延長を否決された前例は皆無であることです。これは、地裁の審理で被上告人が「研究科委員会で否決したのは、2015年度の文化情報学研究科の1件」のみであると言明している(一審における平成28年2月1日付準備書面(5)3頁)ことで明らかです。
 2014年3月の私のケースまで、研究科委員会で定年延長を希望する教授の定年延長を否決したことがないということは、本人が希望すれば全員定年延長が認められてきたということです。大学院教授の70歳定年は慣行としてあったのです。そして、対象者が全員1年ごと5回も定年延長されたということは、各研究科委員会において自動的に定年延長が行われてきた実態を示すものにほかなりません。これを、定年延長の可否が個々に「審議、決定」されてきたとするのは単なるこじつけです。
高裁は「不都合な事実」が明らかになっているのに、それを隠し、故意に無視して立論しています。

7 私をウイルス扱いした配付文書を真実と認定
高裁が、小黒教授らが研究科委員会で配布した本件配布資料(私から見ると、作成日・作成者の記述もない怪文書)を私の人事案件の唯一の審議資料として正当化し、小黒教授らが展開した「不良教授」論を肯定したのは信じられないことでした。配布資料には、私が職場にいることのストレスで、突発性難聴、帯状疱疹を罹患した教員がいるという記述があります。私はこの字句を読んだ時に衝撃を受け、たまたまその時に、ゼミのゲスト講義で研究室に来ていた野田正彰関西学院大学教授(精神医学、ノンフィクション作家)が「この文書は、浅野さんのことをウイルスだと言っている。大学の人間がこんな非科学的なことを書いてはならない。絶対に許してはいけない。裁判で闘うべきだ」と強く言われ、本件裁判を起こす契機の一つとなっています。
人事案件の審議資料は、対象者本人が大学の指定した様式に従って書く履歴書・業績書のコピーと論文などの現物の回覧です。私に隠れて4人で作成し、私の悪口を書き並べたヘイト文書を配布することは許されないことです。この文書を普通に読めば、大学人が書く文章とは思えない、品性下劣な内容です。
ところが、高裁判決はこの文書の「事実の重要な部分が真実であると認められる」とまで言い切っています。高裁は、私が専攻にいることで、同僚教員が帯状疱疹などに罹ったという記述を「真実」としたのです。全く理解に苦しむ、判決自体が名誉毀損だと思います。

8 定年延長を機に解雇したと現職理事が公言
私の定年不延長は、私に「敵意に近い感情を抱く」(週刊文春確定判決)渡辺武達教授(私の専攻の同僚で、第10回委員会で5回目の定年延長が3秒ルールで決定)が「2004年に設立」(同)した渡辺グループに属する小黒教授らが2013年春から周到に謀議を重ねて、クーデター的に遂行した私の追放策動だったのです。単に私の研究教育のやり方、生き方が嫌いという理由で定年延長を妨害したのです。4人の謀議、研究科委員会の審議・決定は、集団的な人権侵害、名誉毀損であり、「集団的ハラスメント」「嫌がらせ」いじめだったのです。
私の教壇復帰を支援してくれている大学院学生の指導教授で、現在理事会のメンバーあるA教授は「浅野先生は専攻・学科、研究科でとにかく嫌われていた。普通の時は簡単に解雇できないので、承認の手続きが曖昧な定年延長の機に専攻の同僚たちが排除した」と学生に説明したということです。A教授は松岡敬学長に信頼されているようです。私を嫌う人は、渡辺グループ以外にはおらず、専攻・研究科の多数の人たちに嫌われているとは思いませんが、教授会などで自分の意見を表明する私をうっとうしく思う教員はいたと思います。A教授の説明の「同僚」を「渡辺グループに属する同僚」とすれば、正しいと思います。
私には仕事上の何の懈怠もなく、何かの問題で懲戒委員会にかかったこともありません。専攻の同僚9人、研究科の35人の中で、私が特に目立って「不良」ということはないと思います。むしろ、同志社大学の中で、学生を大切にして教育研究に貢献し、学外でも学会、社会で一定の評価を受けているジャーナリズム研究者だという誇りを持っています。
私の定年延長を審議した二つの研究科委員会の間の、2013年11月5日、矢内真理子さんが研究室棟のパソコンで、たまたま目にした小黒教授から佐伯教授への電子メール(甲131の添付資料の下部のメール)に「この3連休の間にも、弁護士さんに忙しく動いてもらって・・・」と書いています。この弁護士は本件被上告人代理人の小國隆輔弁護士であることは確実です。
私が解雇される1年前の2013年3月末、専門職大学院であるビジネス研究科の山口薫教授が2回目の定年延長を拒否され、京都地裁で地位確認裁判を提起しました。私の定年延長拒否の動きが表面化した同年10月末は、地裁審理が大詰めの時期でした。山口教授事件の被告・学校法人同志社の代理人は小國弁護士でした。定年延長問題が裁判になったのは同大の歴史で初めてのことでした。小國氏は中学校から同志社で学び、同大法科大学院を修了しています。現在は法科大学院で嘱託講師(非常勤)を務め、民法を教えています。小國氏は当時、大阪の俵法律事務所所属で、俵事務所の所長は元文部省官僚で大学絡みの労働事件で常に大学側の代理人を務める俵正市弁護士です。
2004年から私の追放・排除を画策していた渡辺グループと冨田研究科長らは村田晃嗣学長と学長の側近である尾嶋史章副学長(社会学研究科社会学専攻教授、冨田氏の前任の研究科長)を巻き込み、私の解雇を強行するに際し、山口教授裁判で定年延長問題に詳しい小国弁護士と綿密に協議し、助言を受けていたことが明らかになっています。被控訴人と村田学長を相手取った損害賠償請求裁判で、同志社側が2018年6月14日に提出した証拠説明書【資料2】で、村田学長と冨田・尾嶋両氏の三者会談が第10回委員会の翌日)に行われていることが判明しています。この場に、小國弁護士が同席していた可能性もあります。
「専攻で拒否されたのに、研究科委員会で研究科長が提案して、投票で否決する」という前代未聞の独断的な手続きを踏んだのは、すべて大学雇用者側の法律専門家である小國弁護士の指南によるものなのです。
本件通知文書、本件配付文書、冨田研究科長の可決要件の独断決定なども、すべて小國弁護士らの指示、指南によるものです。ここに大学の自治、学問の自由は存在しません。

9 理事会が定年延長の可否を審議・決定すべき
最高裁裁判官のみなさんには、同志社大学の一部教員が「大学の自治」を隠れ蓑にして、自分たちの気に入らない教員を排除する手段として、定年延長の「審議・決定」を悪用したことを見抜いていただきたいと願います。大学経営者を擁護し、大学で働く労働者の権利を擁護しない御用弁護士が介在する人事案件審議などはあってはならないからです。
もし、裁判官の世界に、裁判官の定年は65歳で、「最高裁が必要とする高裁以上の裁判官だけは「70歳定年」(1年ごとに更新)という制度があったとして、裁判官が配属された裁判所の裁判官(自分より年下)の毎年の投票で、定年延長の可否が決定するというような制度があればどうでしょうか。
教育研究の仲間(同志)は私の労働契約について実質的な決定権を持つことは絶対に許されません。私は学校法人同志社に採用されました。ところが、私の定年不延長=解雇は、学校法人同志社(理事会)で一秒も審議されていません。学校法人同志社の就業規則では、法人が必要とする大学院教授の定年延長を認めているのであり、同僚たちが研究科委員会で「必要ない」と意見表明したことをもって、定年不延長を決定することがあってはなりません。教員を採用する時のルールで、20年間も大学院教授を務めてきた教授の定年延長の可否を決めても問題はないという高裁の判断は、いじめ、嫌がらせによる同僚4人と35人の会議の「決定」で解雇することを正当化する全く違法、不当な判示です。
定年延長の可否を、研究科委員会の無記名投票で、可決要件を「3分の2以上の賛成」として議決したのは1951年に導入された大学院教授の定年延長制度下で初めてのことでした。投票による採決、可決要件の手続きは、冨田研究科長が独断で決め、私はその場にいませんでした。これは、山口数宏学事課長(定年延長を所管)が「議決方法の決定には、浅野先生の参加が不可欠」(甲145)という見解に違犯しています。また、私は冨田研究科長に2回目の委員会の前日に要請した文書でも、決定方法は私も参加する委員会で決めてほしいと要望していました。私の定年延長に関する審議・議決は適正手続に著しく違反しています。
新人教員を採用するには精緻な検討が必要です。しかし、65歳で退職する教員を嘱託講師、客員教授などに任用する人事案件は、氏名、役職、担当科目を示した資料だけで審議・決定されます。他大学の専任教員(退職後3年以内を含む)を嘱託講師などで任用する場合も、履歴書・業績書の配付だけで非常に簡易な方法で決定されます。既に、教育研究者としての実績があり、審査はほとんど必要がないからです。
以上、総論的に述べてきましたが、これからは、高裁判決の事実誤認を逐次的に指摘し、高裁判決の見直しが必要だと考える理由を述べさせていただきたいと思います。

Ⅲ 前提事実にかかわる重大な事実誤認
大阪高裁第5民事部(藤下健裁判長、右陪席・黒野功久裁判官、左陪席・桑原直子裁判官)の判決には、いくつかの看過できない事実誤認、勘違いがあります。順次、判決書から問題の部分を引用し、私の反論を述べていきます。

1 院教授定年延長は1951年の就業規則で開始
 判決の「第2 事案の概要等」「1 事案の概要」で<①被控訴人就業規則附則1及び昭和48年6月30日の理事会決定により,又は,②控訴人と被控訴人の間の労働契約の内容として>(p2)などとあります。この記述が定年延長の根拠とされてその後も繰り返されていますが、被控訴人就業規則附則1が1951年から規定されていることか書かれていません。同志社大学の大学院教授の定年延長制度は1973年(昭和48年)ではなく、1951年に「当面の間」導入されたことが重要です。つまり、博論指導教員の確保のため導入された制度が、65年も存続しているのです。1973年の理事会決定は「1年ごとに定年延長する」と決定しただけです。

2 研究科長らは「人事案件に対象者は加わらない」ルールに違反
<2 前提事実(当事者間に争いのない事実,各末尾に掲記の各証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定できる事実)>(p2)として、p8中段まで前提事実が書かれていますが、ここには事実誤認がたくさんあります。
「(1)被控訴人の組織等」に<カ 研究委員会及び専攻会議における人事案件の審議・決定には,慣行として,利害関係人である当該人事の対象者は加わらない。>(p3)とあります。定年延長の対象者が「加わらない」のは、研究委員会及び専攻会議における審議の時間の間だけです。1994年以降、私が見聞した新聞学専攻・文学研究科とメディア学専攻・社会学研究科の定年延長の審議は数秒で終わっています。その数秒間の審議の時間、一時退席するだけで、審議の前と後には専攻会議と研究委員会の議場にいます。
私の定年延長の際は、第10回委員会(2013年10月30日)、第11回委員会(2013年11月13日)の2回とも、私の定年延長の人事案件の審議の前半の約20分、私が発言しています。2013年10月30日の研究科委員会では、冨田研究科長が私の定年延長を提案して、私が定年延長を希望する理由を述べたのですが、その際、社会学専攻の板垣竜太准教授が「これは誰の提案か。既に浅野先生の定年延長の審議に入っているのか」と質問し、冨田研究科長は「私が提案している。審議に入っている」と答えています。従って、私の人事案件では、私は審議に参加しています。
また、2013年10月30日の研究科委員会の約1時間前に開かれたメディア学専攻会議では、小黒教授がまとめ役になって渡辺武達教授と私の定年延長についての小黒教授ら4人の検討の結果(渡辺教授の定年延長を認め、浅野は認めない)を報告した上で、私が「次年度の専攻の教育研究の環境を整えるためには二人の定年延長が必要と判断し、冨田研究科長にそのように報告する」と報告しています。小黒教授ら4人は、「すべて研究科委員会で話す」と述べて、4人の決定について審議を拒否しました。私の定年延長を拒否する理由を一言も述べていないのです。
渡辺教授の定年延長を提案するという理由の説明もありませんでした。社会学研究科の申し合わせにある、次年度の担当科目のことも触れていません。渡辺教授の次年度の担当科目は、小黒教授が「臨時専攻会議議長」を詐称して、教務主任の私宛に提出した「審議結果通知書」にも記載がありませんでした。2013年10月30日の研究科委員会で配布された定年延長審議資料(A4判・1枚)に渡辺教授の次年度担当科目の記載がありましたが、これは、冨田研究科長が私の提出した渡辺教授と私の定年延長を提案するという通知文書(甲???)から勝手に抜き出して、松隈佳之社会学研究科事務長が転載したものです。
2013年10月16日の専攻会議で、次年度の担当科目が決まっていることから、私を定年延長しない場合、私の担当科目、学生の論文指導をどうするかなどの検討が必要でしたが、4人は審議をボイコットしたまま今日に至っています。
判決は、2013年10月16日の次年度担当科目の決定が便宜的で・・・などと指摘していますが、専攻会議で、定年延長対象者の担当科目を組み入れているのは、対象者の定年延長を前提にしていることに他なりません。専攻会議の決定は「便宜的」というなら、定年延長を含む人事案件で、専攻会議決定もまた便宜的で、いつでも変更可能ということになります。

3 私は採用と同時に大学院教授に就任している
判決の「(2)控訴人の勤務歴等」に、<平成6年4月1日,被控訴人との間で,期間を定めない労働契約を締結して被控訴人が設置する同志社大学の教員となり,その後,被控訴人大学院の社会学研究科メディア学専攻の教授及び同志社大学の社会学部メディア学科の教授として勤務していた。>(p4)とあります。
判決の記述では、私が1994年に教員として採用され、何年か経ってから、大学院教授になったという風に読めますが、これは重大な事実誤認です。高裁の裁判官には信じられないことでしょうが、私は通信社記者を辞めて、同志社に採用された1994年4月、文学部(社会学科新聞学専攻)に配属され、大学院教授(文学研究科新聞学専攻)として任用されています。私より4歳年上で私の4年前に赴任した渡辺教授が大学院教授になったのは1996年でした。
2005年に学部再編があり、社会学部メディア学科、社会学研究科メディア学専攻に名称変更しました。メディア現場で働き、アカデミックな経験が少ない記者が、いきなり大学院教授として採用されたのは極めて異例のことでした。
小黒教授ら4人は審議資料で、私について学問上の業績がないとか非難していますが、実学の経験を生かして博士相当の業績があるとして、1993年10月の文学研究科委員会で圧倒的な賛成で大学院(修士)教授としての任用が審議・決定されたのです。

4 小黒教授は専攻会議で議長にはなれない
「(5) 控訴人が平成26年3月31日をもって退職扱いとなった経緯」の「イ」に、<小黒教授が議長となり,控訴人と渡辺教授を除く4名(以下,メディア学専攻の専任教員のうち,控訴人及び渡辺教授を除く4名を併せて「小黒教授ら」という。)の間で行うこととなった。(甲96,乙26)>(p6)とあります。
 また、「ウ」に次のような記述があります。
<小黒教授らは,平成25年10月16日以降,複数回にわたって会議を開催して協議を行い,メディア学専攻として,渡辺教授の定年延長を提案し,控訴人の定年延長を提案しない旨決定した(以下,この決定を「本件決定」といい,上記の一連の会議を「本件会議」という。)。>(p6)
<控訴人は,同月29日,本件連絡文書を確認し本件決定を知り,メディア学専攻教務主任として,控訴人自身と渡辺教授の両名の定年延長を提案する旨の冨田科長及び社会学研究科事務長宛ての文書を事務室に提出した。>(p6)
<第10回委員会において,メディア学専攻からの定年延長の提案は渡辺教授のみとして扱われ,議長である富田科長が,別途,控訴人の定年延長を研究科委員会に提案した。そして,控訴人が,自らの定年を延長すべき理由を十数分間説明した後,人事案件についての審議対象者は審議に関与しないという慣行により退席し,その後,小黒教授らが作成した,控訴人について「研究者としての能力,論文・著書の内容の学問的質に問題がある。」などという内容が記載された「浅野教授 定年延長の件 検討事項」と題する書面(甲5)が出席した教員に配布され(以下,この書面を「本件配布書面」という。),小黒教授が,メディア学専攻が控訴人の定年延長をしないこととした理由を約20分間説明した。>(p7)
 「キ」として、<控訴人の定年延長は理事会で審議されず,控訴人は平成26年3月31日をもって定年退職扱いとなった(以下,「本件定年退職扱い」という。)> (p8)との記述があります。
「イ」で、メディア学専攻における2014年度からの定年延長についての審議は、2013年10月16日の専攻会議で、小黒教授が議長となり、私と渡辺教授を除く4名で行われることになったと記述していますが、本件の一・二審の審理で私が詳しく説明しているとおり、これは明確に事実に反しています。同志社大学社会学研究科では、専攻会議の議長は学長任命の専攻教務主任が務め、議題の提案権も教務主任が独占しています。研究科委員会の議長も研究科長が務め、研究科委員会の議案提案権も研究科長が独占しています。また、小黒氏は4人の中で唯一、後期課程任用教授ではなく、2013年4月1日に前期課程教授に任用されたばかりでした。大学院教授の定年延長は博士学位の取得のための論文指導教員の確保のために1951年に導入されており、博士論文の指導の経験のない前期課程教授が私の定年延長に口を挟むこと自体が越権行為とも言えるのです。2013年10月16日の専攻会議(甲174)の記録を見れば明らかですが、教務主任の私が定年延長対象者であったため、私と渡辺教授の定年延長をどうするかの検討を4人に要請し、専攻会議の終了後に、4人がそれを検討したのです。小黒教授は4人の検討会議のまとめ役に過ぎません。普通はすぐに、定年延長了承の返事が来るのですが、小黒教授は学内の内線電話で私に「継続して話し合うことになった」と連絡してきたのです。それから12日間小黒教授から何の連絡もなく、28日午前8時ごろ、電子メールで「定年延長に関する審議結果」(「本件連絡文書」)を私の郵便受けに入れたという連絡があったのです。そこでは、審議結果を研究科長に報告するように書いてありました。
 本件連絡文書の宛先は冨田研究科長ではなく、教務主任の私でした。小黒教授は同文書で、「臨時専攻会議議長」という前代未聞の役職を詐称しています。高裁判決は「臨時」を省いて、専攻会議議長にしてしまっています。これが争いのない前提事実であるはずがありません。
 2013年10月16日の専攻会議では、私の次年度の大学院と学部の14科目の開講が決まり、冨田研究科長に報告しています。4人の「審議結果」は私に報告されたのですから、私は改めて専攻会議で4人の決定を専攻決定とするかどうか審議する必要があると判断しました。渡辺教授と私の定年延長を可とするという決定なら、専攻会議での再審議は不要ですが、私の突然の解雇につながる決定の理由、私を解雇する場合、2014年4月1日以降のメディア学専攻の開講科目、論文指導教授をどうするかを審議・決定しなければならないのです。
 私は同年10月30日、第10回委員会の直前に開かれた専攻会議で、4人と渡辺教授の計5人に議論を求めましたが、小黒教授は「研究科委員会でお話しする」と審議を拒否しました。そこで私は、既に冨田研究科長と松隈事務長へ通知していた「教務主任として、渡辺教授と私の2名の定年延長を提案する」と告げました。5人は無言でした。
 つまり、私は教務主任として、10月16日の専攻会議で、小黒教授ら4人に渡辺教授と私の定年延長について検討を委嘱し、4人は検討結果を教務主任(議長兼任)の私に戻し、再び、私が専攻会議で4人の決定を承認するかどうかの審議をしたのです。定年延長を認める場合は、こうした手続きを省略することも可能ですが、対象者の不利益につながる決定があった場合、慎重な手続きが求められます。社会学研究科、専攻に、定年延長を拒否する時の手続きがなかったのです。研究科委員会でも、定年延長を拒否したのは、私のケース以外では、私の定年延長拒否の次年度の2014年度の文化情報研究科の狩野博幸教授(美学)の一件しかないのです。

5 渡辺教授の定年延長への異議は議題にならず審議もなかった
 判決は「ウ」で、小黒教授らが複数回にわたって会議を開催して協議を行い,メディア学専攻として,渡辺教授の定年延長を提案し,控訴人の定年延長を提案しない旨決定したと書いていますが、この4回の会議のうち3回は小黒研究室で行われ、そのうちの一階は佐伯教授が欠席しています。
判決は、10月29日,私が本件決定を知り、専攻教務主任として、私自身と渡辺教授の両名の定年延長を提案するとの文書を冨田研究科長と事務室に提出したと書いています。
第10回委員会において、冨田研究科長が4人の「決定」だけを採用し、メディア学専攻からの定年延長の提案は渡辺教授のみとして扱い、別途、私の定年延長を研究科委員会に提案したと書いています。私が退席した後、小黒教授らが作成した、「浅野教授 定年延長の件 検討事項」と題する書面(甲5)が出席した教員に配布されたという経緯も述べています。さらに、「キ」として、私の定年延長は理事会で審議されず、定年退職扱いとなったと書いています。これらの経緯は事実に即しています。
 問題は、冨田研究科長がなぜ、教務主任の私の「2名定年延長」を採用せず、小黒教授らの「渡辺教授はOK、浅野はNO」という決定を専攻会議決定とみなしたかです。

Ⅳ 「当裁判所の判断」の誤り
「第3 当裁判所の判断」(p38~57)には、一・二審における当方が提出した書証、主張を無視した箇所が多数あります。

1 研究科申し合わせに審議の手順の記載はない
判決はまず、「争点アについて」の「(1)認定事実」の「ア」で、<大学院教授に係る定年延長は,研究科委員会又は研究科教授会の審議を経て,最終的には,被控訴人の理事会で決定される。>(p38)<社会学研究科の各専攻は,定年延長の対象者がいる場合,本件申合せに基づき,毎年10月頃,定年延長について,対象者を除いて,専攻会議において審議し,対象者の定年延長を提案するか否かを決定する。その際,対象者の研究業績,教育実績及び学内の運営面での貢献度等,プラス面のみならずマイナス面を含めて総合的に考慮して決定することとされており,決定後は,各専攻の教務主任等から,研究科長に対し,定年延長の必要がある教員を報告する。>(p39)と書いています。
判決の言う「本件申合せ」は、定年延長者の担当科目の決定の重要性を指摘しているだけです。担当科目を正式に決めるのは、定年延長を研究科委員会で決定してからで、各専攻で科目の決定と共に、定年延長を決めるよう促しているだけのことです。
「本件申合せ」に基づいて、専攻会議において定年延長対象者の研究業績、教育実績及び学内の運営面での貢献度等、プラス面のみならずマイナス面を含めて総合的に考慮して決定するなどという実態は全く存在しません。これは、メディア学専攻に属さず、「新聞を読まない」と公言する冨田研究科長らの虚偽証言を妄信した認定です。
判決が、決定後に各専攻の教務主任等から、研究科長に対し、定年延長の必要がある教員を報告するというのは間違っていません。小黒教授の本件通知文書を専攻決定としたのが誤っています。

2 渡辺教授定年延長への異議は審議拒否
判決の次の認定が最も重大な事実誤認です。
判決は「ウ」で<控訴人は,平成22年3月末及び平成23年3月末の渡辺教授の定年延長を提案するか否かを議題とする専攻会議及び研究科委員会において,同教授は定年延長の条件である「余人をもって代えがたい」大学院教授ではないと主張して,同教授の定年延長の提案に異議を述べた。>(p40)
判決は、1951年の大学院教授の定年延長は、これまでも必ず「実質的な審議」を経て定年延長が決定されてきたことを、渡辺教授の定年延長(1・2回目)の際に、私が専攻会議と研究科委員会で異議を述べたことだけを根拠としています。
私が渡辺教授の定年延長に関し、審議を求めたのは、渡辺教授が週刊文春に捏造情報を垂れ込み、週刊文春裁判と対渡辺裁判の二つの裁判で、渡辺教授の証拠文書の改ざんの痕跡が指摘され、人権侵害雑誌への情報提供によって、私の社会的抹殺だけでなく、「同志社大学の信用を失墜させた」と指弾されたことから、定年延長を拒否する「特段の事情」に当たると考えたからでした。渡辺教授は自分の大学院学生を操作してのハラスメントの捏造、週刊誌への垂れ込みについて、反省せず、私に謝罪もしないことから、渡辺教授の定年延長が議題になった会議で、渡辺氏の非行を知らせたいという思いもありました。
小國弁護士は、早くから、この事実をもって、私が定年延長を自動的に認めてはならないと認識していたのだから、自分の定年延長で、その可否を精査されても文句を言えないという論理を持ち出したのです。一・二審の裁判官たちも、小國弁護士の詭弁に乗っかってしまったのです。
私は、今でも、渡辺教授の定年延長はその必要性を審議すべきだったと思っています。司法が彼のしたことを糾弾したのですから、大学としても定年延長に値する大学院教授かを調査すべきだったと思っています。まさに、渡辺氏の「研究業績,教育実績及び学内の運営面での貢献度等、プラス面のみならずマイナス面を含めて総合的に考慮して決定」すべきだと主張したのです。
重要なことは、2009年と2010年の専攻会議、研究科委員会で、私の異議は「野次」として扱われ、私が配布した資料を開く教員もほとんどおらず、審議されていません。その時の専攻の教員たちの理由は、「定年延長を拒否すると65歳で解雇される。専攻の同僚が研究業績、教育実績、学内の運営面での貢献などを判断できない。渡辺教授に問題があるなら、大学のしかるべき機関が調査して定年延長がふさわしいかを決めるべきだ。教員の我々がそんな怖いことはできない」(柴内康文准教授)「よほどの懈怠がない限り、定年延長は認めるべきだ」(竹内教授ら)ということでした。社会学研究科委員会では沖田行司研究科長が「浅野先生のご意見として伺いました」と言っただけで、審議に入らず、3秒ルールで渡辺教授らの定年延長を可決しました。
私の異議表明は、研究科事務室の記録にも残っていないと思います。

3 専攻と研究科で審議・決定がなされている誤認
判決は、「(2)」の「ウ」で、<定年延長の審議についての具体的な申合せが存在し,社会学研究科でも,定年延長は必ず全て本件申合せに基づき行われる専攻会議による審議,決定,研究科委員会における審議,議決を経て決定されていた上,審議の過程において異論が出ることはあり得る>(p41)<控訴人の指摘する控訴人以前に研究科委員会で定年延長が否決された例がないことや飲酒運転等で逮捕された教授等が定年延長されたことを踏まえても,前記(1)ウのとおり,専攻会議及び研究科委員会において実質的な審議,検討が行われていると認められるから,控訴人の主張は採用できない。> (p42)と書いています。
前にも述べていますが、同志社大学では定年延長の審議についての具体的な申合せが存在していません。山口薫教授と私が地位確認訴訟を起こしたことがきっかけで、村田学長が2014年から15年にかけて、各研究科で定年延長の決定にかかわる明文規定を作るよう要請し、2016年ごろ、やっと手続きに関する規定が設けられています。
私が解雇される2014年3月の時点では、文系研究科においては、専攻会議、研究科委員会において実質的な審議、検討が行われたことは一度もありません。
また、判決は、研究科委員会の審議の前までに、専攻会議の構成員や研究科長から定年延長対象者に意思確認を行っている(弁論の全趣旨)(p44)とか、本件は定年延長の手続に沿ったものであった、専攻会議が定年延長の審議・決定を行う権限を有することは明らか(48〜49頁)と述べています。
これもまた、事実誤認です。私は研究科長からも専攻のメンバーの誰からも、定年延長の意志があるかどうか聞かれたことがありません。渡辺教授も別の損害賠償請求訴訟の証人尋問で、定年延長のことで意思表示をしたことは一度もない、と断言しています。
 判決は、私の解雇が、定年延長の手続きに従って行われたと言い切っていますが、私の事案の審議の前に、定年延長の手続に関する規定は「申し合わせ」以外に存在しないのです。どうして、「手続きに沿って」いると言えるのでしょうか。
判決が同志社大学で実施されていると繰り返す「定年延長の手続き」は、定年延長を認めるための手続きであり、専攻や研究科において、定年延長を拒否するための事態は想定していません。大学のキャンパスハラスメント防止に関する委員会でハラスメント加害が認定されたり、重大な懈怠があったと認定されて懲戒処分を受けたりした定年延長対象者は、自ら定年延長を辞退することが一般的です。専攻や研究科で、本人が強く希望している定年延長を妨害するための手続きは想定していないのです。 
教員の研究教育環境を守るためにある専攻会議や研究科委員会で、個々の教員の解雇など不利益決定につながることはできない、労働契約に関わる判断は大学執行部と法人理事会に判断をゆだねるべきだという前提があるのです。特に定年延長のように、長く大学院教授を務めた高齢の教授の「大学院教授としての適格性」を同僚が審査し決定するという恐ろしい事態は想定していないのです。
私の追放を共謀した冨田、小黒両教授らは、こうした定年延長審議の実態を知った上で、私の解雇を強行したのです。

4 時間割送付で労働契約、定年不延長が本人の意向との証明なしとする暴論
判決の<3 争点(1)ウ(被控訴人大学院教授は,原則として定年が延長されるとの事実たる慣習が存在するか)について>(p43)で、以下のように、定年延長が「新たな労働契約」によって行われているという以下の認定は、小國弁護士らが一審の途中から持ち出した詭弁の丸写しです。
<定年延長がなされなかった者について定年延長がなされなかった事情が全て対象者側の意向であることをうかがわせる客観的な証拠は何ら存在しない>(p42)
<定年延長が理事会で決定された者に対しては,「新年度授業時間割ご通知」,「個人別時間割」及び「出講案内」が送付され,特に「個人別時間割」には,個々の教授の次年度における担当科目,担当クラス,時間割及び教室等が具体的に記載されているのであるから(乙51,52,乙53の1ないし5,乙54),これらの書類を送付することは定年を延長することを前提とした行為であるといえる。これらの書類を送付することをもって,被控訴人から,定年が延長される予定の被控訴人大学院教授に対し,1年間の定年延長を内容とする新たな労働契約の申込みの意思表示がなされたと解することは不自然とはいえず,また,被控訴人大学院教授がこれに対して異議を述べず,その結果,労働契約の締結があったものとみなされるのが定年が延長される3月31日ないしはその直前であったとしても,そのことをもって契約の不存在をうかがわれるということはできない。
(3)以上によれば,被控訴人大学院教授は,原則として定年が延長されるとの事実たる慣習が存在することは認めることができない。> (p44~45)
大学が「個人別時間割」と「出講案内」を送付し、大学院教授がこれに対して異議を述べないことが、「1年間の定年延長を内容とする新たな労働契約」になっており、それが次年度が始まる前日であっても問題はないというのは、常識的にあり得ません。判決はここでは、「不自然とはいえず」「契約の不存在をうかがわれるということはできない」と自信のない言い回しになっています。
同志社大学における大学院教授の定年延長は、「1年ごと5年間」で、対象者は退職手続をとらず、賃金なども変わりません。雇用者の同志社と対象教授のいずれにも、65歳以降、新たな労働契約を交わすという意識はありません。
判決が言うような「1年間の定年延長を内容とする新たな労働契約」が必要ということであれば、65歳以降の毎年、5回「新たな労働契約書」を取り交わすことが法的に必要です。この判決では、契約書を取り交わしていないことを認定しており、個人別時間割などの送付と暗黙の同意をもって、契約があったという無理筋の解釈をしているのです。
同志社大学には「定年延長の枠」、つまり全大学院教授の定年延長は制度として確立しているという認識があったことは明らかです。
判決が言及する個人別時間割は、毎年3月20日ごろ、嘱託講師を含む2000人近い教員スタッフに一斉に郵送されます。個人別時間割などの書類は、法科大学院講師の小國弁護士にも届いているはずです(甲69)。
上記書類の送付が新労働契約の申し込みで、沈黙は暗黙の同意であり、労働契約が成立するというのは、被上告人側の詭弁を採用したもので、看過できません。
同志社大学では、有期の契約職員は、「1年更新(契約)、最大3年まで更新可能」が雇用契約内容です。アルバイト職員にいたっては、3カ月、6カ月ごと雇用契約書を取り交わしています。翻って、専任の大学院教授は、「1年更新、最大5回、70歳まで定年延長可能」となっているのに、口頭も含め、1回も契約更新の手続きを行っていないのです。大学当局自身が、大学院教授の70歳までの定年延長は慣例と認識していた何よりの証拠ではないでしょうか。

判決の中で、読んで愕然としたのが次の「エ」の判示です。
<定年延長がなされなかった者について定年延長がなされなかった事情が全て対象者側の意向であることをうかがわせる客観的な証拠は何ら存在しない>(p42)<定年延長がなされなかった者について定年延長がなされなかった事情が全て対象者側の意向であることをうかがわせる客観的な証拠は何ら存在しない>(p44)
判決はここで、同志社大学におけるこれまでの定年不延長の例がすべて対象者側の意向であることを示す客観的な証拠がない、審議の結果として定年延長が多数なされてきたにすぎないと言い切っています。
 私は弁護団、学内の支援者の協力を得て、一審で被告側が提出した原資料をもとに、大学院教員の70歳定年制が明確な慣例となっていることを証明しました。定年延長をしなかった教員の個々の事情まで踏み込んで証拠としています。本来、被告・被控訴人側は、定年不延長の教授の審議・決定経過を容易に調べることができます。定年延長は慣行ではないと言うなら、その立証責任は同志社側になるのではないでしょうか。高裁裁判官は、定年不延長の教員の個々の理由を明らかにするよう命じるべきではなかったでしょうか。
同志社側は研究科委員会、教授会の記録は存在しないと断言してきましたが、高裁結審の直前に、第10・11委員会の「記録」(乙111、112)を書証として提出しました。なぜ、私の件の記録だけがあったのか、それ以前の定年不延長の大学院教授の研究科委員会記録はないのでしょうか。
 定年延長に関し、理工学研究科など理系学研究科では2009年ごろから、必要な論文・学会発表数など一定の基準が設けられて、実施的な審議が行われています。現在は廃止された理工研究所の教授の中に理工学研究科の大学院前期課程教授を兼任した人もいましたが、採用時に一般教養の担当教員だったことから、定年延長の対象にならないと研究科長に言われ、諦めた教授もいると聞いています。
2018年3月31日に「65歳定年退職」した同志社大学人文科学研究所の教授(同年4月から名誉教授)が同年5月14日、定年延長制度は差別だなどと被上告人を相手取り地位確認等請求訴訟を京都地裁第6民事部に起こしています。名誉教授側は9月初めに提出した準備書面(1)に「大学院教員の定年延長(2008~12年)」のリストを付けています。【資料3】
このリストによると、各年3月31日現在満65~69 歳に達した定年延長対象者268人のうち、満65~69歳の間に退職した人文社会系の教授は2人で、理工学研究科は5人となっています。人文社会系の2人のうち2009年の経済学研究科の1人は、2回目の定年延長のとき、自己都合で自主的に退職しています。もう一人は2012年のビジネス(BS)研究科の山口薫教授です。
リストによりますと、名誉教授は、70歳までの定年延長は97%以上、人文社会系では99%以上になっています。理工学研究科の大学院教員の定年延長率が少し低いのは、その大学院の特殊事情を反映しています。理工学研究科のような自然系の大学院では、研究の進展は日進月歩であり、教員も加齢により研究が遅れたり怠ったりすると大学院生の研究指導において支障があるためのようです。業績などが少ない教授は自ら65歳で退職していくようです。
データはすべて大学にあるはずで、こうした調査は被上告人が実施すべきです。

5 私が担当科目に触れなかったと問題にしたという誤解
判決は「イ」の「(イ)」で、<議長として控訴人の定年延長を提案し,しかも,定年延長の提案に必要な控訴人の次年度の担当予定科目について全く触れず、(略)慣行に反して控訴人に反論させた>(p49)と書いています。
判決を書いた裁判官たちは、全くの勘違いをしています。私が「定年延長の提案に必要な控訴人の次年度の担当予定科目」を主に問題にしたのは、渡辺教授の定年延長の提案の際、小黒教授らが担当科目の検討を全く怠り、渡辺教授の定年延長を可とする決定をし、冨田研究科長がこの重大な瑕疵を不問として、自分で勝手に私が提出した二人の定年延長の書面から科目名を抜き出して審議資料に記入したことです。小黒教授らは、渡辺教授の研究業績、教育実績、学内の運営面での貢献などの審議資料を作成せず、何の検討、討議もせずに結論を急いだことが分かります。小黒教授らは、研究科の申し合わせに違反して、担当科目のことを忘却して「決定」したのであり、重大な懈怠に当たります。

6 4人の結論を専攻決定とした説明は虚偽
判決はまた同「(イ)」で、<控訴人の定年延長がメディア学専攻において認められなかった旨の説明は虚偽の説明ではない。>(p50)<控訴人が審議に加わったとはいえない。>(p50)と認定しています。
小黒教授が第10回委員会において本件配付文書に基づく説明をしたこと自体に手続上問題にすべき点はないという認定も誤っています。
人事案件で、私にはアカデミックな業績がないとか、私を学者ではなく社会運動家だと断じ、学生向けの授業案内に「御用学者」「御用組合」と書いたのが不適切だという、おぞましい名誉棄損文書を配布することは許されません。小黒教授らはこの文書を回収せず、私が抗議したため、慌てて数日後に回収したのです。
高裁の裁判官たちは、文書の全文を本当に読んだのでしょうか。
これまで述べてきたとおり、小黒教授らの本件会議の決定は、専攻会議での決定ではありません。私が、渡辺教授と私の2名の定年延長を提案したのが、専攻教務主任の専攻会議での報告を基にした決定です。冨田研究科長が、4人からの提案と、教務主任からの提案が二つ存在するのに、その調整作業を放棄して、独断で小黒教授らの本件連絡文書を真実として、第10回委員会で、専攻で私の定年延長が認められなかったとだけ説明したのは、全くの虚偽です。判決のこの認定は絶対に認められません。冨田研究科長は、「専攻では教務主任と4人から全く異なる提案がある」と説明すべきでした。「専攻」で私の定年延長反対が決まったと聞かされた研究科委員会の31人は、専攻会議での結論が二つあることを知らされずに、投票してしまったのです。
同志社大学は、人事案件、論文審査、入試、奨学金受給学生などの審議で、学内の最小単位である専攻・学科が実質的な決定権を持っています。理事会(経営者)、大学執行部が力を持っている筑波大学や一部私大とは正反対で、草の根の民主主義を大切にする学風の反映だと思います。同志社は性善説に立って運営されているとも言えるでしょう。
この伝統的な民主主義制度は、もし一部の悪人が結託すれば、「専攻・学科、研究科の自治」を悪用して、特定の教員を排除することを可能としています。
私のケースでは専攻の4人が結託して、私を追放すると決めれば、理事会まで、その決定が通ってしまうのです。私を採用する時にも、専攻・学科の5人で採用を決めています。
 社会学研究科には5つの専攻があり、学問分野もそれぞれ異なります。専攻で決まったということに、異議を唱えることはほとんどありません。採用人事、昇任人事、博論審査などで、専攻が提案したことには95%以上の賛成があります。過去20数年の私の経験でも、研究科委員会の35人前後の投票で、「否」「白票」とする票は1~2票ある程度で、「可」が満票の時もあります。私の定年延長の投票で、31人のうち、専攻決定どおりに「否」としたのが24票で、「賛成」と「白票」が合わせて7票あったのは、実は異例のことなのです。つまり、専攻の決定では定年延長が認められなかったという虚偽の説明を聞いた上で、定年延長反対に投票しなかった教員が約22%いたのです。
 社会学専攻の板垣竜太准教授は第10回研究科委員会の直前に、「専攻の決定が二通りあるのでは困る。研究科長は審議に入る前に、専攻での結論を一つにするようにすべきだ」「専攻で定年延長反対が決まったとされた場合は、投票になれば浅野先生が勝てるはずがない」と私に言っていました。
 冨田研究科長が私の提案を黙殺して、小黒教授から私宛の文書である本件通知文書を根拠にして、「専攻で反対と決まった」と説明したのは、万死に値する虚偽説明です。

7 新任教員採用の可決要件を適用するのは不当
判決は「イ」の「(エ)」で、<本件申合せ上定年延長の提案権を有する専攻会議の提案なしに定年延長の是非について審議・決定するという異例の決定をする際の議決要件として,新任の教員採用の際の議決要件と同一の要件を課することが不適切であるとは認められない。>(p51)と認定しています。
民主主義社会においては、適正な手続きを踏むことが必要です。大学は大学設置法などの法令に基づいており、一種の準行政機関と言ってもいいでしょう。裁判所(司法)は行政が適正手続を踏んでいるかを監視すべきだと思います。
私の場合、定年延長は「学校法人同志社が必要とする」院教授か否かで決定されるべきなのに、同僚のたった4人(過半数の賛成とすれば2人が反対すれば否決)での「決定」と、4人の決定を追認する研究科委員会で審議されるだけで、大学全体、学校法人全体での審議はゼロなのです。同志社大学における大学院教授の定年延長制度の最大の欠陥と言えるでしょう。
定年延長人事を所管する教務部学事課の山口数宏学事課長が2013年11月18日、私に、「社会学研究科で定年延長に関しても手続きなどでルールがほとんどないのは問題」(甲第145号証)などと、次のように説明しました。
〔 研究科における人件のルール作りと、当該者の個別人件とは別のものだ。どう議決するかは違う。白票をどう扱うかは、一般の選挙では無効になるが、本学では否に数えられる。「〇」「×」で投票するところもある。各研究科に任せてある。社会学研究科に、重要な人事に関するルールがないのがおかしい。定年延長の審議の時に浅野先生が席を外すのはそのとおりだが、決定の方法、採決のルールを作るときは、浅野先生も参加すべきだ。(10月30日と11月13日の審議での採決方法に関して)それぞれの研究科で行うことだが、研究科に規定・ルールがないまま新任人件と同じ投票による3分の2で行われたのは適切だろうか。人件審議にルールがないのはおかしい。私が事務長を務めた理工学部・情報文化学部には学科で審議し、研究科全体で審査して決めるというルールがある。人件にルールがないのはとにかく問題だ。〕(太字は浅野)
高裁は山口課長の指摘を知りながら、冨田研究科長が私を退席させた研究科委員会で、私の労働契約に関わる案件の採決方法を決定したことを正当化しました。司法によるチェックがここでは全く機能していません。
社会学研究科では、「専攻から提案する」という以外に何の規定もないまま、私に関してだけ、厳しい条件を付けて、私のいないところで、採決方法を決めて、採決を強行したのは不当です。第10回委員会で私以外の対象者5人(渡辺教授を含む)に適用したルールと、私に関する案件と決定方法が異なるのは二重基準です。本来、手続きについて助言すべき研究科事務長が、冨田研究科長の暴走を黙認したのも残念なことです。
また、社会学研究科では、議案の提案権は研究科長(学部長)が独占しています。
第11回委員会において、冨田研究科長は「否」と投票していることが、他の裁判で分かりました。自分の提案なのに、「否」と書いたのは自己矛盾で、辞職すべきでした。

8 怪文書の本件配付文書を真実と断定した高裁
判決は「(2)本件定年退職扱いの相当性について」の「イ」で次のように述べています。
<メディア学専攻及び社会学研究科委員会における控訴人の定年延長の是非についての審議は,基本的に本件配布書面に基づいて行われたものと認められる。>(p52)
<これらの事項は控訴人の定年延長の是非を検討するに際して考慮することが不適切な事項であるとは認められない。>(p52)
「『学位授与の前日まで論文内容を修正できる』と誤った指導を行っている。」,②「複数のゼミ生がゼミの変更を申し出ている。」を除く記載については,摘示された事実及び表明された意見の前提としている事実の重要な部分が真実であると認められ>(p52)
<控訴人が学位授与直前まで論文の数字の間違い等の修正が許されると指導したこと,過去に控訴人のゼミ生が変更を申し出たことがあったことが認められ,全く根拠を欠くものとも認められない。>(p52~53)

 本件配付文書はいつ作成されたか明らかになっていません。少なくとも専攻の4人が行った密室の会議で、審議資料とされたという証明はなされていません。
本件配付文書は私に対する偏見に基づく落書き、ヘイトスピーチに類する名誉棄損文書です。
ゼミ移動に関する期日は、テンス(時制)が不明で、具体的な指摘もありません。私が陳述書の中で、過去にゼミ生が他ゼミへの移動を希望していたことがあると書いたことを、悪用して、本件文書の真実性を論じているのは、きわめて悪質なやり方です。本ゼミの移動は原則として許されませんが、学生の利益を最優先させるために、学科でゼミ移動の手続きを明文化して、私以外のゼミでも移動の事例がいくつかあります。
博士・修士論文で、数字、固有名詞の訂正がある場合は、例外として訂正が許されています。博論は国立国会図書館と同志社大学図書館に保存されるため、2012年に70歳で退職した山口功二教授(メディア史)らが、博論審査の直前でも、数字や字句の修正は可能と決めています。私は二審で、渡辺、竹内両教授らが博論の審査中の大幅書き換えを認めていたことを批判しています。
 
9 徒弟制ではないが教授は取り換え可能ではない
判決は「ウ」で、次のように書いています。
<早期に定年延長対象者を含め次年度の開講科目及び担当教員が決定されたからといって,そのことは,単に便宜上の予定にすぎないものである。そして,大学院生は被控訴人と就学契約を締結している者であって,徒弟制のように個々の教員に個人的に弟子入りするものではないことは明らかであるところ,証拠(原審証人冨田安信,原審控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば,本来,被控訴人大学院においては,大学院生の学位論文指導は,複数の教員が協同して組織的に指導するものとされており,また,定年の他にも他大学への移籍,傷病等によって指導教授等の退職も十分に想定されるところであり,控訴人の定年退職によって大学院生に対する指導に支障が生じるとしても,本来,被控訴人が組織的に対応して解決すべき事柄であり,控訴人の定年延長の必要性を決定づけるものとはいえない。したがって,控訴人の主張する点は,全く無関係な事項とはいえないものの,控訴人の定年延長についての判断を左右すべき程の事項とは認められない。>(p53~54)と述べ、私の退職で、大学院生への指導に支障障が生じるとしても、本来、大学が組織的に対応して解決すべき事項であり、私の定年延長の必要性を決定づけるものとはいえないと書いています。
おそらく、大学の名前(ブランド)、偏差値で大学を選ぶ人たちや、「ゼミは部活やサークル活動、バイトで疲れた皆さんの癒しの場」とゼミ説明会で学生を勧誘する小黒教授らにとっては、指導教授の変更は容易にできるものでしょうが、専門性をもった指導教授の変更はできるだけ避けなくてはなりません。高裁は、学生の利益を無視してまで、定年延長を拒否する特段の事由があったかの検討をすべきでした。
判決は冨田研究科長や小黒教授らの無責任な主張を鵜呑みにしていますが、この判示では、小黒教授が2012年4月、龍谷大学教授から同志社大学に移ってきた後、1年間、龍谷大学の大学院と学部4年ゼミの担当を非常勤講師として強制させられたことや、2012年と2013年に東京の私大へ移籍した柴内康文、青木貞茂両教授が1年間嘱託講師として、新幹線の往復交通費まで支給されて、4年ゼミと卒業論文を担当したことの説明がつきません。
 私は他大学への移籍、傷病等によって退職したのではありません。死亡などで指導教授がいなくなることはあります。しかし、これまで希望する大学院教授にすべて認められた定年延長を拒んで、学生に支障が出るような解雇を強行する理由があったかどうかが問題なのではないでしょうか。私が定年延長の拒否での退職だけでなく、特任教授、客員教授、嘱託講師としての採用も拒まれ、教壇に立たせなかった異常性を裁判官のみなさんに知ってほしいと願います。判決は完全追放ではないと認定していますが、まさにいじめのような排除でした。
 大学の学問体系は、“蛸壺”と揶揄されるように、狭い研究分野がたくさんあります。特に、社会学系の学問は、講座、研究室で専門分野が大きく違っています。歴史の浅いマス・コミュニケーション学、メディア学では、研究対象がかなり広くなっています。硬派のジャーナリズムから広告、映画までがあります。私が20年間勤務したメディ学専攻(新聞学専攻)に在籍した専任教員の専門分野は、明治時代の新聞記者、ナチズムの広報政策、博報堂・サントリーに勤務経験を持つ教授の広告論、手塚治虫研究、遊女の研究、政治とメディアを扱う社会心理学、ロボット製作者を扱う文化人類学者など多様です。
 メディア学専攻の学位論文や学部生の卒論のテーマを見れば、メディア学の幅の広さが分かります。
 社会学研究科では、博士後期課程の指導教授、副指導教授は毎年5月の研究科委員会で審議・決定します。指導教授の変更は、研究科委員会で議決しなければなりません。
 教員と学生の関係は徒弟関係ではありませんが、どんな社会でも同じですが、先達が後輩を指導する時に、お互いを一人の人間として尊重し、学び合うことが必要です。特に、大学院博士後期課程を選ぶときには、その大学院で誰が指導教授かは非常に重要です。「学位論文指導は,複数の教員が協同して組織的に指導するもの」だから、変更しても問題はないと公言するような大学は三流、四流大学になっていくでしょう。

10 私を問題教授のように認定したのは深刻な事実誤認
判決は(2)の最後に近い「オ」で、<そしてこれらの検討事項殊に本件配布書面を前提とした場合,控訴人には,論文・著書の学問的な質,院生・学生に対する指導,学内業務面の貢献度,職場環境への影響などの諸点において,様々な問題があることがうかがわれるのであるから,控訴人について定年延長を行わないという被控訴人の決定が明らかに不整合ないし不合理であるとは認められない。>(p54)と述べています。
本件配付文書を前提とした場合、私には大学院教授として、様々な問題があることがうかがわれるから、定年不延長の決定が明らかに不整合ないし不合理であるとはいえないとまで認定したのに、私は衝撃を受けました。
高裁の裁判官が私の記者時代からの人権と犯罪報道、日本のアジア太平洋地域への侵略・占領の時代の報道統制、記者クラブ制度などに関するに関する調査研究を検証してくれれば、このような認定はあり得ません。また、20年に及ぶ同志社大学における私の教育研究活動を調べてくれれば、本件配付文書がいかに荒唐無稽な名誉棄損文書であるかが分かったと思います。
専攻の同僚の4人と、研究科の同僚31人による「決定」で、一人の大学院教授を解雇に追い込み、研究室を強奪し、指導学生との接触を禁止する措置が妥当だとしたのは、私の想定をはるかに超えた判断でした。

11 70歳まで働けるという期待権をなぜ否定するのか
判決は「(3)控訴人の定年延長に対する期待の合理性について」の「エ」で、<(控訴人が70歳まで勤務できると説明を受けたという主張を)裏付ける客観的証拠はない>(p56)<定年延長の決定に当たり実質的な審議が行われてきたものであり,上記事実をもって,仮に控訴人が定年延長に対して期待を抱いたとしても,その期待性が合理性を有するとはいえない>(p56)と断言しています。
これもまた、事実に反する認定です。同志社大学だけでなく、歴史の古い大規模私大では、慶應義塾大学、上智大学などを除き、70歳まで教授職を続けられる大学がほとんどです。同志社大学の労働環境、教育研究環境は全国のトップクラスです。私は下級審で書証を多数提出していますが、同志社大学では本ゼミ(2年間履修)の募集を70歳になる前年まで続けます。大学院前期課程の指導教授も同じです。大学の教職員、学生のほとんどが、大学院教授は70歳定年と理解しています。「仮に控訴人が定年延長の期待を抱いていたとしても」というフレーズは、私を含め、すべての大学院教授を愚弄する言い方です。
大学院教授の定年は70歳であることの客観的な証拠は山ほどあり、そうでないという証拠はありません。証拠があるのなら、被上告人が開示すべきです。

Ⅴ 高裁判決後の新たな動きについて
1 和解勧試で同志社側が認めた私のナジさんの博論関与はどうなるのか
大阪高裁での棄却判決で、2014年4月から、同志社大学において、誰も指導していない博士後期課程満期退学生のインドネシア国費留学生のナジ・イムティハニさんは博士論文提出を断念せざるを得ない状況になっています。高裁の藤下裁判長らは、和解交渉の中で、私のどんな形での復職も拒否するという同志社大学の姿勢を容認したことで、結果的に、ナジさんの教育を受ける権利を蹂躙したのです。これは国際問題に発展しかねない暴挙です。
ナジさんはインドネシア教育文化省が派遣した国費留学生で、国際問題に発展するのは必至です。同志社大学は本年3~4月の和解協議で、私の博論審査への関りの必要性を認めています。藤下裁判長らはそれを百も承知で、65歳定年退職に問題はないとして、私の教授としての地位剥奪を追認したのです。
同志社側代理人の小國隆輔弁護士は2018年4月13日付で「和解の方針について」と題した次のような文書を高裁へ提出しました。
〔 和解の方針について
平成30年4月13日
1 被控訴人は,次の枠組みであれば,和解の検討が可能であると考えている。
2 控訴人による講義担当は受け入れられないが,ナジ・イムティハニ氏が同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻に再入学し,博士論文を提出した場合には,控訴人に,論文審査(副査)を依頼することを検討する。
3 論文審査(副査)を依頼する前提として,和解成立前に,次の点が履行されることが必要と思料する。最低限の信頼関係がなければ,他の教員と協同して指導に当たることはできないためである。
(1)大阪高裁平成29年(ネ)第2043号及び神戸地裁平成28年(ワ)第338号について上訴の取下げ,京都地裁平成29年(ワ)第932号について請求放棄を行うこと。
(2)在職中の事象及び定年退職・定年延長をめぐる事象について,被控訴人及び被控訴人の教職員に対し,新たな訴えを提起しないこと。
(3)支援団体によるものを含め,本件に関するウェブ上の記載を全て削除し,媒体を問わず,本件に関する新たな記事を掲載しないこと。
(4)ナジ氏の博士論文の審査に必要な事務連絡を除き,被控訴人及び被控訴人の教職員に対し,電話,メール等の手段を問わず,連絡しないこと。
4 上記「2」及び「3」のほか,口外禁止条項,その余の請求を放棄する旨の条項,精算条項,訴訟費用は各自負担とする旨の条項が必要と思料する。 〕(太字は浅野)

この文書では、私に相談なく、14年6月に教授会で「14年3月末に遡って満期退学」とされた博士後期課程のナジさんの「博論審査(副査)」を私に依頼することを検討すると書いてありました。その条件として、私が起こしている対同僚5教授(怪文書作成の4教授と渡辺武達教授=現名誉教授)、対冨田氏、対同大・村田氏の損害賠償訴訟のすべてを取り下げ、私の支援会のHPの削除などが挙げられていました。最初から、和解の意志などない冷酷で非人間的な文章でした。
松岡敬学長は17年1月に再入学(復学)を許可するとナジさんへ通知しましたが(甲第50号証)、入学後に指導教授、副指導教授は誰になるのかとのナジさんの問いに、無回答のままで、この4年5カ月の間、ナジさんの指導を放棄しています。
私は、同大側の和解案で、インドネシア政府奨学生のナジさんの博論を指導する教員が私以外にいないことを認めたのは大きな前進だと感じました。それまで、同志社側は私が解雇された後、困っている学生は一人もないと呪文のように繰り返していたからです。
私の代理人は4月18日に、和解協議に臨む方針を示す次のような上申書を高裁に出しました。
〔 控訴人が最も重要視しているのは、博士後期課程の大学院生に対する指導である。
被控訴人も和解案第2項においてその必要性を認めているとおり、平成25年度において社会学研究科メディア学専攻博士後期課程3年生であったナジ・イムティハニ氏(以下「ナジ氏」という)は、控訴人の指導を受けなければ、同課程に再入学した上で、博士論文を提出する資格となる博士学位論文提出予備審査に合格し、博士論文を完成させ、博士学位(メディア学、同志社大学)を取得することができない状況にある。
 したがって、控訴人としては、博士論文の指導を行う後期課程の「研究指導科目」である「メディア学特殊研究ⅠA」(甲189参照。なお、控訴人の定年不延長のため、同科目は5年連続で「本年度休講」となっている。)を担当し、ナジ氏の博士論文の指導教授(「博士論文(副査)」は論文提出後の任務であり、指導教授ではない)となることが和解の必要条件である。
そのためには、控訴人は専任教員としての地位が不可欠であり、定年延長を認めるか、特別任用教授(同志社大学では平成22年に定年延長制度と併用で導入、被控訴人が運営する同志社女子大学では平成11年から定年延長制度を完全廃止してすべて特任教授制度に変更)として雇用すべきである。
ナジ氏は、浅野教授の指導を受けなければ、後期課程に再入学した上で、博論を完成させることができない。ナジさんの博論の指導教授(「論文審査(副査)」は論文提出後の任務であり、指導教授ではない)となることが和解の必要条件である。そのためには、控訴人は専任教員としての地位が不可欠で、定年延長、あるいは特別任用教授として雇用すべきである。 〕

大阪高裁での第2回和解協議は4月20日午前、大阪高裁の第5民事部の会議室で開かれました。高裁の廊下に、控訴審の審理に姿を見せなかった冨田安信氏がいました。
同志社側は第二回和解協議で、<非常勤も含め、「教員」という立場での復帰には応じられない。副査というのも、あくまで「有識者」としてということにとどまる。個人的に、控訴人がナジさんの論文指導を行うことについて止めるつもりはない。再入学から論文審査までの指導教授については、然るべく指導教授を決めることになるだろう。ナジさんの問題が本件で一番重要であることは理解している>と表明しています。
被控訴人側は和解協議で「非常勤も含め教員としての復帰は認めない。個人的に、控訴人がナジ氏の論文指導を行うことについては止めない」と言い放ったのです。このため、裁判所が設けた和解協議の場は破壊され、判決が言い渡されることになりました。
和解協議の過程で、同志社側が、ナジさんの博士学位のことで、私の関与に言及したことで、大阪高裁の裁判官たちが、私が14年3月末に同大から追放された後、4年間、同大がナジさんの博論指導の手当をせず、今日に至っていることを知ってくれたのは大きな意味があります。
東京にあるインドネシア大使館のアリンダ参事官(インドネシア教育文化省から出向、東京大学農学研究科で博士学位取得)は16年10月31日、わざわざ同志社大学を訪れ、松隈事務長らに会い、ナジさんが博士号をとれるように適切な指導を行うよう強く要請していました。
ナジさんは同大大学院文学研究科英文科学士前期課程において言語学で修士学位を取得した後、ガジャマダ大学がメディア学の博士課程を設置するため、ナジさんにメディア学で博士号を取得するように命じ、博士後期から私のところに入学してきたという経緯があります。ガジャマダ大学はインドネシアで国立インドネシア大学と並ぶトップ校です。ナジさんが博士学位を取得できなくなると大きな問題になるのは必至です。
ナジさんの再入学は、退学から5年以内と決まっており、2019年3月までに再入学しないと、復学はできません。再入学後の3年以内、つまり2022年3月までに博士論文審査に合格すれば博士学位を取得できるのです。
ナジさんは、私の地位裁判の二審敗訴を受けて、9月?日に、松岡学長と八田理事長宛に、再入学後の指導教授は誰になるのかなどを尋ねた要請書を郵送しています。【資料4】
また、ナジさんを知る元学生たちが9月5日、学長と理事長宛に、大学がナジさんの博論指導について責任をもつよう求める要請書を送りました。【資料5】

2 4年半休講の浅野科目の開講を求め学生らが学長へ要望書
私を追放した社会学研究科とメディア学専攻の小黒教授らは私が1994年から担当してきた大学院と学部の科目のほとんどを4年半、休講のままにしています。大学の開講科目は、大学と学生の契約に基づいており、4年以上も休講にして放置しているのは極めて異常です。
同志社大学の現役学生・卒業生で作る「浅野先生の教壇復帰を求める会」は2014年9月以降、何度も、私の教壇復帰と休講科目の開講を求める要望書を学長、理事長に提出してきました。要望書に賛同署名してくれた学生、市民は約1500人に達しています。
高裁での棄却判決の後の6月22日から、学生、市民は新たな要望書の署名を集めています。「教壇復帰を求める会」の幹事、大内健史さん(大学院文学研究科博士前期課程1年)は8月8日に、3月下旬から集めた計200人の署名を添えて、要望書を松岡敬学長と八田英二理事長(総長兼任)に提出しました。【資料6】
 大内さんが要望書を提出する際に添付した手紙では、次のように、私の担当科目が休講になっていることの改善を求めています。
〔 浅野先生が1994年から20年間担当していた大学院と学部の授業のほとんどが 2014 年から3、4 年間も休講(14年度では院の科目は「(担当者)未定」扱い)」という状態に陥っていることを再度お知らせし、善処を求めます。
浅野先生のメインの講義科目の「新聞学原論Ⅰ」「新聞学原論Ⅱ」と1998年から担当してきた大学院博士後期課程の「メディア学特殊研究A」は4年連続の休講です。大学設置法に基づいて設置され国庫補助金を支給されている大学として、極めて異常なことです。文部科学省高等教育局は大学に浅野先生の科目の休講問題についてヒアリングをしたと聞いています。2017年3月 25 日、学生たちに配布された 2017年度講義要項によりますと、浅野先生が担当してきた大学院の 6 科目(14~16 年度休講)がすべて抹消されています。社会学研究科メディア学専攻から「新聞学」を掲げた講義科目が消えてしまいました。地位確認裁判の最終決着前に、浅野先生の担当科目を抹消したことに、わたしたちは、強い抗議を表明します。
まだ地位裁判の一審で審理中の段階で講義科目をすべて抹消したのは、裁判を受ける権利に対する明確な妨害行為であり、良識にかける判断です。良心教育を掲げる同志社にふさわしくないはずです。
また、浅野先生が定年延長を拒否された 14 年 4 月以降、現役学生たちが浅野先生の担当科目の開講および教壇復帰を望んできたことにも留意ください。14年6月に社会学研究科委員会で、指導教授の浅野先生との相談なしに、「満期退学とする」とされたナジさんの博士論文指導をしている教員がいません。加えて、特別聴講生の市民の方々も授業の開講を望んでいます。わたしたちが切望するのは、浅野先生のジャーナリズム・新聞学分野の授業を受けられる適切な措置を学校法人同志社と同志社大学が迅速にとることです。 〕
 この要望書では、地位確認裁判の最終決着がどうなろうと、私を特任教授、客員教授、嘱託講師などで任用して、休講になっている科目を開講すべきだとして、こう訴えています。
〔 学長、理事長の英断で、本年10月からの秋期で授業の再開は可能であると思います。今すぐ対応をお願いします。
メディア専攻と学科の基幹科目である重要な科目を受講することを望んでいる学生、市民が多数いることを聞き届けていただきたいです。2018年3月末以降、わたしたちが集めた署名を添えて要望書を提出します。どうか私たちの声を聞いてください。 〕
米国の大学では1回の授業の休講も許されません。私を解雇しておいて、私が担当していたメディア学専攻・学科の基幹科目のずっと休講にしている同志社大学はあまりに無責任です。

3 委員会記録は無印私文書偽造(被疑者不詳)と地検に告発
私は本裁判の代理人である山下幸夫・高田良爾両弁護士の助言を受けて、2018年6月26日、京都地検特別刑事部の島崎事務官に告発状を提出ました。【資料7】「社会学研究科事務室」が私の定年延長人件を審議した第10回委員会と第11回委員会の両日に作成し、2018年2月28日に大阪高裁第5民事部に提出した「社会学研究科委員会記録・抜粋(写し)」(計5ページ)は無印私文書偽造・同行使罪に当たるとして、被疑者不詳で告発しました。告発状と共に、事件報告書、学校法人同志社の代理人、小國隆輔・多田真央両弁護士が作成した証拠説明書、委員会記録(乙111・112号証)のコピーを提出しました。
この偽造文書は、2014年3月末の「定年延長」拒否をめぐり、同年2月3日、京都地裁に学校法人同志社を被告に、教授職の地位の確認を求めて起こした労働裁判の結審間際に提出されました。この記録文書が捏造、虚偽であることが証明されれば、大学が裁判所をだましていたことになります。
18年2月28日付の「証拠説明書」(小國・多田真央両弁護士)によりますと、作成者は「社会学研究科事務室」で、作成日は委員会の私の定年延長(1回目)の審議が行われた両日と記述されています。両日の各記録の1枚目は、研究科委員会で配布される議案項目です。それぞれの2枚目に、委員会の記録がメモで書かれています。私の定年延長に関わる事項以外は白紙になっています。
委員会記録は、地位裁判を有利に進めるために、小國弁護士が松隈事務長に作成させたことは間違いないでしょう。記録は、冨田安信研究科長、小黒純教授らの主張に沿って記述され、ウソばかりです。解雇した側に不都合な真実は全く記載されていません。
松隈、横田両氏は、2回の研究科委員会終了後、すぐに大学から家に帰っています。両日の委員会後に作成した「記録」なら、大学のパソコンに残っているはずです。
4年間続いている裁判で、最後の最後に記録が出てきたのです。
委員会記録に書かれていることの中に、事実に反する誤った記述が何カ所もあります。また、最も重要な板垣竜太准教授の発言などが書かれていません。10月30日の委員会の本件審議の冒頭で上野谷教授が私を非難した発言の記述もありません。
本件記録について、当時、松隈事務長の補佐役だった横田秀哉係長(2014年4月に異動)は2018年6月6日、私に電話で「自分は記録作成に関わっていない」「記録があるという話は聞いていない」と明言しました。当時の大学院担当職員の鈴木梨加さんは同日、広報課職員を通じて、「すべて松隈事務長に聞いてほしい」と表明しました。当時の大学院社会学研究科事務室のスタッフは事務長、横田さん、鈴木さんの3人です。事務長と横田さんが委員会に陪席しています。
本件文書で最も悪質なのは、冨田研究科長が、冒頭、①「小黒教授と浅野専攻教務主任それぞれから提案があり、小黒提案がメディア学専攻からの提案であると判断した」という記述と、②小黒純教授から渡辺武達教授の定年延長の発議があり、小黒教授が「提案延長理由について報告」したという箇所です。
 冨田氏が、小黒教授と教務主任の私からと二つの提案があったが、小黒教授提案を「メディア学専攻からの提案」と判断して審議が始まったと説明したというのは全くの虚偽です。最初に渡辺教授ら5人の提案延長をリスト1枚だけの資料で承認して、「メディア学専攻では提案しないと決定しているが、浅野先生が希望しているので・・・」という説明で、私の人件に移ったのです。
また、渡辺氏の人件に関し、誰も提案理由を述べていません。冨田氏から専攻教務主任の私に説明の要請はなかったためです。
これらは、冨田氏の法廷証言などに合わせての委員会記録作成です。
同志社側は、2013年12月27日の仮処分申立の審尋、地位裁判、対冨田氏裁判、対同僚5人裁判での各審理において、同志社大学には「研究科委員会、教授会の議事録・記録はない」と断言してきました。私は、研究科・学部事務長に、文学研究科時代も含め、定年延長に関する委員会記録を開示するように求めましたが、「議事録はない」という答えでした。
このように「ない」と断言してきた研究科委員会の会議記録(議事録)が、地位裁判の控訴審において最後に出てきたのです。
地検が捏造、偽造の文書であることを証明してくれることを期待しています。
この告発状について、2018年7月12日、京都地検の武藤雅勝検事から、「告発状は7月2日に正式に受理した。捜査を始める。追加の証拠などがあれば提出してほしい」という電話連絡がありました。
私は7月17日、京都地検へ出向き、被疑者不詳で告発した無印私文書偽造・同行使に関する追加の証拠5通(同志社大学・横田秀哉氏らへの電話記録など)を提出しました。
検察庁において適正な捜査が進み、司法の場で正義が実現するように願っています。

4 現理事長が定年延長中の経済学研究科の定年延長の実態
 私は判決書を読んで、現在の訴訟の相手側の責任者が八田英二理事長(同志社総長兼任)であることを改めて確認しました。八田学長は私と同年齢で、199?年から5期15年、同志社大学学長を務めました。2012年度に行われた学長選挙で、八田氏が推した候補が村田氏に僅差で敗れ、八田氏は総長選挙で村田派が推した大谷實総長に僅差で敗れ、八田氏の役職は大学院経済研究科教授だけになりました。
 八田氏は同志社のリベラルな学風を継承する学者で、私は八田氏にずっと投票してきました。新自由主義者でイラク戦争への自衛隊派遣を無条件で支持した村田氏と八田氏が推薦した教授との学長選挙では、その教授を支援しました。
 2013年4月に八田派の教授が学長になり、八田氏が総長に就任していれば、私の定年延長は妨害されなかった可能性があると思っています。ですから、八田氏が訴訟の相手側の代表者であることに、複雑な思いがあります。
 八田氏は大学の要職を辞した後、全国高校野球連盟会長に就任しました。最高裁の裁判官のみなさんで夏の甲子園をテレビなどで観戦した方は、大会の閉会式で「講評」をする八田氏を見たことがあると思います。八田氏は2018年8月の大会終了後に、野球の「U18」世界大会へ出場する高校野球選手の会見の場で、金足農高の吉田輝星投手ら5選手に囲まれて記者会見した八田氏を見た人もいると思います。
八田氏は私と同年齢です。八田氏は今も大学院経済学研究科教授で、5回目の定年延長中です。八田氏は学長を5期務めています。八田氏は学長時代も、学部で本ゼミを担当していましたが、大学院での指導はしていないようです。
高裁の裁判官たちは、同志社大学での定年延長は、研究教育業績などを検討して、個々に審議・決定していると断定していますが、八田氏の定年延長はそうした厳密な手続きを踏んでいるとは思えません。経済学研究科の和田喜彦教授(環境経済学)は私に「経済学部、経済学研究科ではほとんど定年延長の審議はない。いつの間にか決まっている」と話しています。
前述した人文科学研究所の元教授(名誉教授)は地位確認裁判の証拠として、研究者データベース(2016年4月現在)と学術情報データベースCiNii(2018年8月現在)をもとに大学院経済学研究科の教授の研究業績をリストアップした表を作成しました。【資料8】
名誉教授は、表によって以下のことが分かると主張しています。
〔 経済学研究科では28名の大学院教員がおり、これまでと変わらなければ彼らは65歳になれば自己都合で退職しなければ全員70歳まで定年延長される。28名のうち、半数の14名は単著の「専門書(学術書)」がない。同じく専門書(単著)1冊か、一般的に研究業績の評価対象にならない「一般書」だけの者は、8名にのぼる。同じく日本の学位(博士)を持っているのは13名で、半数に足りない。なお、アメリカの学位(Ph.D.)は日本の修士号並みというのが一般的評価である。
専門書の著作がなく、論文等が25本以下の者は12名を数える。
学長を務め現在被告の総長・理事長を兼任するH教授(第2表の⑤番教員)は単著としては206頁の著作1冊のみ、明らかに論文と見られるものは15本である。 〕
〔 大学院教員の役割は大学院生の研究指導である。そのためには何よりも高い研究能力と優れた研究業績が必要である。現行の制度の下、ほぼ半数が「普通」の研究者の基準とされる単著の専門書もなく、また日本の学位ももたない大学院教員から構成される原告と同じ専門分野の研究科(大学院)が存在する一方、少なくとも客観的に「一流」とされる研究業績をもつ原告が単なる配置によって大学院教員に任用されない事態が生み出されている。これを見ただけでも、現行の定年制度は合理的理由がなく、あからさまな差別であることは明らかである。 〕
八田理事長は、高裁判決を読んでいるのでしょうか。八田氏が読めば、藤下裁判長らの「研究業績、教育業績などを総合的に判断して定年延長の可否が審議決定されてきた」という認定が、八田氏自身を含め経済学研究科における定年延長対象者の「審議・決定」の実態とかけ離れていると驚くことでしょう。八田氏はスタンフォード大学でPh.D.を取得しています。社会科学者として、また大学の経営責任者として、同志社大学の定年延長の決定手続きについての真実を述べるべきではないでしょうか。

5 地位裁判の棄却判決で続発する定年延長拒否事件
本件裁判は同志社大学の教職員に間で強い関心を持たれています。矛盾だらけの、基準なしの大学院教授だけの定年延長がいつまでもつのかと思っている人たちがすくなくないはずです。
同志社女子大のように、すべての教授の特任教授制度を導入すべきだという意見も強まっています。
2014年3月にあった私の解雇の後、2015年3月に文化情報学研究科の狩野博幸教授、2018年3月には文学研究科美術芸術学専攻の岡林洋教授が私とほぼ同じ方法で定年延長拒否=解雇されました。
私の事案の1年前2013年3月には専門大学院のビジネス研究科・山口薫教授(2回目の定年延長拒否)の解雇もありました。
山口薫教授と岡林洋教授は仮処分申立・地位確認裁判を提起しています。山口教授の地位確認裁判は請求棄却で確定していますが、山口教授は被上告人を被告として、学問の自由が侵害されたとして損害賠償訴訟を京都地裁へ起こしています。私も被上告人と村田前学長を被告として損害賠償請求訴訟を京都地裁へ提起しています。
また、既に述べましたように、大学院教授でないため「65歳定年退職」となった人文科学研究所教授が、教授としての地位確認と現行の定年延長制度を無効と訴えた労働裁判を起こしています。
私の別訴・対冨田裁判(2018年9月26日、大阪高裁で判決)も加えると、同志社大学の定年延長をめぐる裁判が五件進行しているのです。
山口教授の裁判と私の裁判で棄却判決が相次いでいることで、同志社大学側は専攻の数人での「否決」決定をほぼ最終決定と見なして、法人としての調査を怠ったまま、定年延長を拒否する事態が続いて起きているのです。司法が機能していないと思います。
主要なマスメディアも、私の裁判を全く報道しません。大学内外の革新的とされる労働・市民運動団体も、大学の自治に干渉できないという理由で、関心を示しません。
 同じ専攻・学科のスタッフ(年下)に嫌われては、定年延長が危なくなります。後輩の学者と論争もできません。「風通しがよくない職場になる」のは必至です。 
本件裁判が高裁判決で確定してしまうと、同志社大学は自壊していくと思います。大学が排除の論理を肯定しては、最も重要な学問の自由が奪われます。

6 不可侵の地位としての大学教授
私の恩師である白井厚慶應義塾大学名誉教授(社会思想史)は2014年1月6日(月)、同大今出川校地にある寒梅館・ハーディーホールで開催した講演会で次のように話しています。
〔 高齢化社会を乗り切るためにはどうすればいいか。日本の場合には特に急速で、よく出される例としましては、今は働く人4人で1人の高齢者を支えているが、そのうち3人で支えることになる。これを騎馬戦型というのですけれども、そのうち1人が1人を支える、これは肩車型。これは大変なことになってしまう訳ですね。
たとえば、高齢者というのはいろいろお金がかかりますから、それを若い人たちのかせぎによって支えるということが、もう計算上出来なくなってしまうことが起こる。それをどう防ぐかどいうと、いろいろとありますが、簡単に言えば労働力をどんどん増やすことです。
これからは少子高齢化社会ですから、人口はどんどん減りますね。そして労働力が減る、つまり働いて税金を払って高齢化社会の福祉を支えるような人間が減る。
働く人を減らさないためには、ひとつは女性を多用するということですね。出来るだけ多くの女性に働いてもらう。それから、もうひとつは高齢者で、元気な人はいつまでも働けるようにすることです。さしあたりは、そのためにはみなさんよくご承知の様に、これまでは60歳が普通だったのですが、それではとてもダメだ。65歳まで、さらには70歳までも元気な人は働いてもらったらいいじゃないかということです。
アメリカでは定年制というのは憲法違反です。定年は解雇と同じ労働権の切断で、年齢による格差を生みます。それじゃなくて、働ける人は出来るだけ働いてもらうのが当然ではないか。もちろん、その場合には、若い人に比べると多少能力が落ちれば給料が多少下がるかもしれない。そのかわり仕事量は少なくてもよいというようなことを工夫する必要があるでしょう。
その面からすると、我々教員は65歳で定年というのが普通になってきました。つまり若い頃は経験不足であまり良い仕事ができなかったけれども、年を取ってからは、まだ元気で若いものに負けない良い仕事が出来るという人が多いわけです。まあ浅野君なんかはそういう人の典型なのだろうと思っておりまして、そういう人が少しでも長く働いて社会に貢献し、多少給料が減っても、生産者として税金を払い続けて、高齢化社会を支えてもらうのがいいだろうというのが、私が言いたい一つです。
ドイツ古典哲学の教えるところによると、大学の教授というのは全面的な自由を持ってなければならない。それから教授の身分というのは、普通の勤労者のように簡単に首を切ってはいけないということです。それは自由な発言をすることによって、優れた教授の優れた研究が生まれるからです。そのために教授の雇用については万全の配慮をして、出来るだけその教授が自由な発言をするのを認めながら、さらにいっそう真理を発見して社会のために貢献していって欲しい、ということだと思う。
今回の事件には、そんな二つの面、高齢化社会の維持という面と、教授の人権、学問の自由確保という面との、両面で考えて判断されるといいかな、という風に思っております。 」
白井名誉教授は2014年2月24日には、大学院教授の地位について私に次のようなメールを送ってくれました。
〔 *先ず大学院教授の適格について。
1.研究能力…学位取得、専門の著書の数、それに対する学界の高い評価。
  2.研究者に対する教育能力。
  3.学界における活動能力。
  4.国際的な活動能力。
  5.社会的な活動能力。 外の社会に対する情報発信力と、外の社会からの情報吸収力。
 もちろんこのすべてに優れた人はいませんから、専門分野においてこのいくつかに特に優れた人が教授として望ましい。
浅野君は学位を持たないと思うが、それを補って余りある能力をいくつもの著書や活動において示し、日本のジャーナリズムを変革してきた。
 近年の大学においては、純粋の研究者だけでなく、或る職業において特に顕著な功績を示した人を、一定の基準によって教授として大学院に迎える例がある。 その場合は、その人が大学院に移ったのちに、教授としての能力も発展させることが望ましい。
浅野君の場合は特に上記の4、5において優れている。

 *教授の身分保障と定年制について。
1.人類社会の進歩において、学問の自由は最も基本的な価値であり、従って教授の身分保障は一般の勤労者よりも高い。もちろん教授はそれだけに大きな責任がある。
教授の地位は社会的に承認された特権なので、私情をもって人事を左右してはならない。
2.定年制は労働権の侵害であって、これを認めない国もある。日本の現状ではやむを得ないが、定年延長が慣習法となっている場合は、みだりにこれを改廃するべきではなく、必要な場合は、事前に十分に審議し、客観的な内規を作ってから実行するべきである。採用の時にはどのような説明があったかも問題となる。
3.定年延長が不可能な客観的事情がもしあるなら、早い段階から該当者を説得し、円満に退職できるような準備を整え、履修学生にも迷惑が及ばないような対策を講じるべきである。何十年も研究・教育に献身し、大学の名を高からしめるような活動を行ってきた教授を、闇討ち的な印象を与えるような方法で学問の殿堂から去らせるのは非礼ではないと思う。 〕

 大学教授の地位は、欧州の市民革命の中で確立されてきました。学問の自由、思想信条の自由も同様です。大学教授の地位、研究室は、簡単に奪われてはなりません。
 私の大学教授のポストが、たった4人の同僚の「決定」で実質的に奪われたのは、容認できません。

Ⅵ おわりに
本陳述書の最初で取り上げた日大アメフト部員による悪質タックル事件では、日大の選手が関西学院大学の無防備な選手を後ろから倒す映像はショッキングでしたが、なぜあのような事件が起きたかについての日大幹部の対応ぶりもまた批判の的となりました。日大の守備選手が関西学院大学の攻撃の起点となる選手を押し倒したのは、ボールを投げ終えた約2秒後のことでした。日大の選手はコーチから「つぶしてこい」と言われたと証言しました。
日大選手による関学大選手への危険タックルを見て、私が2013年10月29日午前10時ごろに小黒教授から学内の郵便受けに投函された文書で「定年延長を研究科委員会へ提案しない」と通知された時のことを思い出しました。専攻・学科内での連絡なのに、5枚の文書の何カ所かに捺印があり、市販の茶封筒に入っていました。後頭部を思い切り殴られたという感じでした。
次年度(14年度)の大学院と学部の10数コマの担当科目を2016年10月16日の専攻・学科会議において満場一致で決めて、定年延長が問題なく承認されると私に思い込ませておいての、闇討ち攻撃でした。翌日には第10回委員会が迫っていました。しかも、4人が定年延長反対を決めたのは同年10月25日で、2日も通知を送らせたのです。
小黒教授からの通知は、不意打ちの背後からの攻撃でした。小黒氏に指示を出したのがコーチ役の渡辺教授。そして、小黒教授らの違法タックルを「問題なし」としたのが冨田研究科長です。小黒、渡辺、冨田各氏の違法タックルと謀議を、「定年延長は各研究科の審議事項」であり、大学執行部は関与しないとして追認したのが村田光嗣学長(2015年11月の学長選挙に大敗し、2016年3月に学長を一期で退任し、現在法学部教授)でした。
私のケースの1年前の山口薫教授と私の解雇問題が、学内で不問にされ、司法の場でも大学側が勝訴してきたため、同志社大学では、私の後に2人が、私たちと同じ手口で不当解雇されています。
同志社大学では今年4月1日から定年延長に入るはずだった文学研究科美術芸術学専攻の岡林教授(美学博士)が専攻会議と研究科委員会で定年延長を拒まれ、定年延長がなされず、解雇され、地位確認請求裁判を起こしました。岡林教授は、私と同じように、既に定年延長に入っていた同じ専攻の最年長の教授が裏で動き、専攻会議で「3対2」で定年延長反対が議決され、文学研究科委員会でも「3分の2」を取れずに定年延長を否決されました。岡林教授は退職金の受け取りを拒否し、税法違反の疑いの強い特別補給金の受給も拒んで裁判で闘っています。岡林教授は指導中の大学院生(前期・後期)が多数おり、今も論文指導をしているそうです。
一方、私を解雇した4人のうちの竹内教授は2018年4月から定年延長に入ったと思われます。竹内教授が定年延長に値する教授かどうかの審査は、専攻と研究科でどのように行われたのでしょうか。本件配布資料のような審議資料は作成されたのか知りたいところです。おそらく、渡辺教授のケースと同じで、何の審査もなく、専攻会議でも研究会委員会でも「3秒ルール」で「審議・決定」されたのだと思います。
同志社大学は、私を嫌う一部教員が弁護士を使って、定年延長の「審議・決定」の機会を悪用して、いじめ、嫌がらせによる排除、追放を謀議したことを知りながら、それを無責任に放置し、裁判の場ではその弁護士が加害者の言いなりの主張を理論化して展開しているのです。これは大学の自治とは無縁で違法な労働者の首切り、パワハラの正当化です。
小國弁護士らは、高裁の審理の最終段階で、「司法は大学内で起きたことに干渉するな」「定年延長の可否に踏み込むべきではない」という趣旨の主張をしました。高裁の裁判官はこの主張を一蹴しましたが、結局、私を「問題教授」と認定し、定年不延長決定を正当化してしまいました。悪質タックルと酷似した判決でした。
1985年に同志社を創立した新島襄は「我が校の門をくぐりたるものは、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、実業家になるもよし、教育家になるもよし、文学家になるもよし、且つ少々角あるも可、気骨あるも可。ただかの優柔不断にして安逸を貪り、苟も姑息の計を為すが如き軟骨漢には決してならぬこと、これ予の切に望み、ひとえに希うところである」と強調しています。また、新島は遺言で「同志社においては倜儻不羈なる書生を圧束せず務めて其の本性に従ひ之を順導する可し」と述べています。新島は「倜儻不羈(てきとうふき)」なる書生、すなわち、才気がすぐれ、独立心が旺盛で、条規では律しがたい生徒、学生を型にはめずに、その時性を生かして育てることを重視したのです。新島の「倜儻不羈」の書が私の研究室のあった渓水館一階のラウンジに掲げられています。
被上告人の同志社(理事会)は、私への聴取もせずに、私が大学院教授の資質に欠け、同僚教員と協調性がないなどという「性格」「姿勢」まで問題にして、「必要な大学院教授ではない」と決め付けた「研究科委員会決定」について調査もしていません。同志社は日大などのような外部弁護士による調査委員会を設けるべきでした。同志社の姿勢は、新島精神に反していると思います。
大学教授の地位は、同僚(後輩)教員の好き嫌いで左右されてはなりません。労働契約は、法令に基づいて、適正な手続きを経て決定されなければなりません。大学の自治、雇用者の裁量権は絶対、無制限ではなく、社会通念上認められる範囲を超えてはなりません。被上告人が2013年10月29日から今日まで進めたプロセスは、「裁量権」の範囲を大きく逸脱しています。「大学の自治」として違法不当なことが起きています。司法の力を借りるしかありません。
高裁判決が確定してしまえば、専攻や研究科で同僚に嫌われた教員は65歳で解雇に追い込まれるという事案が今後も出るでしょう。私に対する解雇が合法ということになれば、同志社大学だけでなく、日本のアカデミズム全体に悪影響が出ると思います。
同志社大学に自浄能力も改革の意思もない現状から、最高裁判所に高裁判決を見直す決定を下していただきたいと望みます。
最高裁判所は日本における最高の知性、哲学、識見を持つ法律家集団だと信じています。最高裁判所における正義の決定を期待します。
以上
添付資料一覧
【資料1】同志社大学が65歳定年退職者に5年間支給している特別補給金という名の闇年金に関する大学から対象者への「お知らせとお願い」(①~③)と同志社教職員組合連合発行の2017年「組合員手帳」末尾の資料15ページ「退職金」の項目「②永年勤続者への特別補給金」。同大の大学院教授を対象にした「定年延長」制度が不公平で差別的であることを示している。
【資料2】浅野健一が原告になった学校法人同志社・村田晃嗣前学長を被告とする損害賠償請求事件(京都地裁第1民事部)の被告代理人の証拠説明書(①)と乙17号証(②)。第10回研究科委員会の翌日の2013年10月31日に、村田晃嗣学長が尾嶋史章副学長(冨田安信研究科長の前任者、社会学専攻教授)と冨田研究科長の2人と学長室で面談していることを示す記録。浅野の解雇が当初から大学執行部との共謀で計画されたことを示している。
【資料3】学校法人同志社を相手取って地位確認等請求訴訟(京都地裁第6民事部)を起こした同志社大学名誉教授(2018年3月末、65歳定年退職した元人文科学研究所教授)が2018年9月に提出した準備書面(1)に付けた「第1表 大学院教員の定年延長(2008~12年)」。最近5年間の定年延長対象者で、浅野健一とビジネス研究科の山口薫教授以外に定年延長を拒否された教授はいないこと示している。
【資料4】同志社大学社会学研究科によって博士後期課程を満期退学とされ、2014年4月1日以降、博士論文の指導を同志社大学大学院教員から全く受けていないインドネシア政府留学生のナジ・イムティハニさんが、再入学期限の2019年3月を控え、2018年8月29日付で松岡敬学長と八田英二理事長へ送った「再入学後の指導教授は誰になるのか」などを質問した手紙(2枚)。
【資料5】前記ナジさんの件で、ナジさんを知る同志社大学政策学部卒業生の吉川幸佑さんらが2018年9月5日付で松岡敬学長と八田英二理事長へ、ナジさんが博士学位を取得できるよう大学は早急に対応すべきだと求めた要望書(3枚)。
【資料6】「浅野先生の教壇復帰を求める会」の大内健史会長(大学院文学研究科博士前期課程2年)が2018年8月8日、4年半にわたり休講になったままの浅野担当の大学院と学部の科目の開講を求め、松岡敬学長と八田英二理事長へ要望書(学生・市民200人の署名付)を提出した際に添付した手紙(①~③)。要望書(2018年3月22日以降の署名付)の中から抜粋した1枚のコピー(④)。学生・市民は学長らに対し、ナジさんの博論指導を行うよう要求している。
【資料7】学校法人同志社が2018年2月、大阪高裁へ提出した社会学研究科事務室作成とされる第10回委員会と第11回委員会の記録が刑法に違反する無印文書偽造・同行使に当たるとして、同年6月28日、浅野健一が京都地検検事正に対し、被疑者不詳で告発した告発状(①~⑤)。告発状は同年7月2日に受理され、京都地検特別刑事部において捜査中。
【資料8】前記の同志社大学名誉教授が2018年9月に京都地裁第6民事部へ提出した準備書面(1)に付けた「第2表 大学院教員の研究業績(経済学研究科)。八田英二理事長(経済学研究科教授、5回目の定年延長中)を含め、経済学研究科で定年延長されている教授の約半数に、最近ほとんど業績がないことが分かる。

地位裁判上告理由書

◎地位確認裁判・上告理由書、浅野陳述書

 判決文全体が司法ヘイトとも言うべき2018年6月14日の大阪高裁第5民事部(藤下健裁判長、右陪席・黒野功久裁判官、左陪席・桑原直子裁判官)の判決を全面的に不服として、私の弁護団(訴訟代理人4人)は6月27日、大阪高裁へ最高裁への上告状兼上告受理申立書を提出しました。また、9月10日、上告受理申立理由書、上告理由書と最高裁への私の陳述書(9月5日付)を大阪高裁へ提出しました。最高裁で審理が始まります。

上告理由書と私の陳述書をブログにアップします。私の住所は削除しています。


平成30年(ネ受)第213号 地位確認等請求上告受理申立事件  
申立人  浅野健一         
相手方  学校法人同志社         
上告受理申立て理由書                 
平成30年9月10日
最 高 裁 判 所  御 中
    申立人訴訟代理人
弁護士  山下幸夫              
弁護士  高田良爾              
弁護士  山縣敦彦              
弁護士  斉藤麻耶              
 申立人の上告受理申立て理由は,次のとおりである。
第1 原判決の判断と上告受理申立て理由の要旨
   原判決は,申立人の主張を全て退け,控訴を棄却している。
   しかしながら,以下に述べるとおり,原判決は法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められるので,上告審として事件を受理すべきであり,その上で相当な判決をすべきである。

第2 原判決に最高裁判所の判例と相反する判断がある事件であること
1 原判決の判断
  原判決は,「本件定年退職扱いについて解雇権濫用法理は適用されない」(原判決45頁)と判断し,最高裁判所平成24年11月29日第一小法廷判決(津田電気計器事件)の「事案は,労働者の65才までの安定した雇用確保措置の実施を義務付けて高年法9条に基づいて導入された継続雇用制度に関するものであり,65才の定年年齢に達した後の定年延長が問題となっている本件とは事案を異にしているから,同判決を根拠として,本件に関し労契法19条2号を類推適用することが肯定されることにはならない。」と判断している(原判決65頁)。
2 原判決は最高裁判例と相反すること
(1) 最高裁判決
  津田電気計器事件最高裁判決(最高裁平成24年11月29日第一小法廷判決・裁判集民事242号51頁,労働判例1064号13頁)は,「…他にこれをやむを得ないものとみるべき特段の事情もうかがわれない以上,客観的に合理的な理由を欠き,社会通念上相当であると認められないものといわざるを得ない。したがって,本件の前記事実関係等の下においては,前記の法の趣旨等に鑑み,上告人と被上告人との間に,嘱託雇用契約の終了後も本件規程に基づき再雇用されたのと同様の雇用関係が存続しているものとみるのが相当であ」ると判断している。
(2) 津田電気計器事件と本件との相違点について
  津田電気計器事件は,会社と従業員の過半数を代表する者との書面による協定に基づいて高年齢者継続雇用規程を策定し,これに基づき再雇用の対象者について在職中の勤務実態や業務能力につき作成された査定帳票の内容等を所定の方法で点数化し,これにより再雇用するか否かを判断してきた事案であったのに対して,本件においては,相手方は,定年延長対象者について,相手方にとって必要な教員であるかどうか,すなわち,定年延長を認めるか否かを判断する具体的な判断基準を明示した要件は何ら定めていない。
  すなわち,昭和26年(1951年)の就業規則(甲1)の第10条に「社員は満65歳をもって定年退職するものとする」と規定され,その附則の1において「当分の間,大学院に関係する教授にして,本法人が必要と認めたものに限り,これ(65歳定年のこと)を適用しない」との文言があり,昭和48年(1973年)の理事会決定に「大学院教授については1年度ごとに定年を延長することができるものとし,満70歳の年度末を限度とする」と記載されているだけである。
  上記の「本法人が必要と定めたもの」といった抽象的な文言のみでは,何が必要なのかの意味が不明であり,何ら判断基準を定めていないに等しいというべきであり,本件では定年延長の希望者全員が定年延長を認めるについて明らかな欠格事由があるとの特段の事情がない限り,定年延長措置の適用を受けられるものと信ずるにつき合理的理由があると解するのが妥当である。
  なお,厚生労働省作成の「高年齢者雇用安定法Q&A(高年齢者雇用確保措置関係)」においても,「『会社が必要と認める者』…というだけでは基準を定めていないに等しく,高齢者雇用安定法の趣旨を没却してしまう…」との指摘がされている(甲167・Q4-2に対するA4-2参照)。
(3)  本件の具体的事実関係からは再雇用とは評価できない事案であること
ア 津田電気計器事件は,いったん60歳で定年退職し,その後1年間の嘱託雇用を終えた者が更に64歳まで再雇用されるという事案であったのに対して,本件においては以下のような事実があることから,再度の雇用契約に基づく再雇用と評価すべきでなく,従前の雇用契約が70歳まで1年ごとの定年延長で継続すると理解するのが相当であると解するのが相当な事案であった。
イ 申立人の大学院教授の定年延長については,以下に述べるような事実関係がある。
① 本件以外には,希望者の定年延長が否定された例は一件もない。
② 対象者が体調不良や他大学への移籍等の理由で相手方における定年延長を希望しない場合には,所属する専攻における次年度の開講科目・科目担当者を検討・決定する7月初旬から10月中旬までの間に,その旨を事実上申告することになるが,そのような申告がない限り,専攻会議において,次年度の担当科目の決定がなされ,その後,専攻会議の決定に基づき専攻教務主任から社会学研究科委員会に対して定年延長を提案することを決める手続を経て,定年延長に向けて自動的に手続が進むことになる。
③ 相手方から定年延長希望者に対し,定年延長に関係する書面は一切発行されず,定年延長にあたり,新たな雇用契約書が作成されていない。
④ 定年延長については,「1年更新,最大5回で70歳まで定年延長可能」との契約内容になっているはずなのに,その間,1回も契約更新の手続を行っていない。
⑤ 定年延長後の労働条件(給与等)について相手方と対象者との間で新たに合意をすることはなく,従前の労働条件がそのまま5年間にわたり適用される。65歳の時点で支給されていた給与よりも減額されることはない。
⑤ 65歳の時点では退職金は支給されず,いったん相手方を退職するとの扱いもされない。かえって,70歳の退職の時点で更に5年間の勤続年数を参入した上で決定された退職金が支給される。
(4) 本件に適用されるべき判断枠組みについて
ア 上記のとおり,津田電気計器事件の事案と本件の間では事実関係において多少の相違はあるものの,被雇用者において雇用継続に対する合理的な期待が形成されていたことや当該対象者において雇用継続が否定されるべき合理的な理由が何ら存在しないこと(先に述べたとおり,本件においては,被控訴人の就業規則において,雇用継続の是非を判断するための具体的な判断基準すら設けられていない。)といった重要な点においては共通している。
イ 上記(3)イにおいて述べた事実関係からすれば,本件は再雇用ではなく,従前の雇用契約が継続し,雇用期間が単に延長されていると評価すべき事案であるから,本件定年延長拒否は,相手方が申立人との雇用契約継続中に,申立人の意に反して一方的に同契約を終了させたものといわざるを得ないのであって,その判断枠組みとしては,解雇権濫用法理が類推適用されるべき案件であるというべきである。
ウ この点については,下級審の判断ではあるが,大学教授の定年延長拒否について争われた東京地判平成18年1月13日判タ1219号259頁(日本大学事件。甲106。その評釈として甲142)も,「労働契約の当事者間で一定の労働条件について就業規則,労働協約,労働契約などの成文の規範に基づかない労使慣行が成立しているかどうかについては,一定の取扱いないし処理の仕方が長い間反復・継続して行われ,それが使用者と労働者の双方に対し事実上の行為基準として機能しているかどうかによるべきである。」とした上で,「日本大学学部においては,教員の定年制度の運用において,65歳に達した後にも通常は定年が延長されて当初は2年,その後さらに2年,最後に1年という形で70歳になるまで勤務できる事実たる慣習が存在し,それが大学と教員間の労働条件として契約の内容になっていたものと解するのが相当である」と判示し,「上記慣行に照らすと,原告と被告間の雇用契約の内容となっている定年延長による労働契約関係継続の利益を不当に断ち切るもので,権利の濫用に当たるものとして無効となる。換言すれば,被告の原告に対する平成16年3月31日付の退職の発令は,解雇の意思表示に相当・匹敵するものであり,しかも,本件訴訟では被告から解雇事由に当たるところの原告の定年延長が不適格であるとする具体的な理由が主張・立証されていないことからすると,解雇権濫用の法理に照らして,評価障害事実について主張・立証がなされていないものと同視できる。」と判断しているところ,この判断の在り方が日本大学事件とほぼ同じ事案である本件では参考にされるべきである。
(5) 本件定年延長拒否には解雇権濫用法理が類推適用されるべきこと
ア 相手方大学院教授は,65歳を過ぎても70歳までは雇用が継続するとの合理的な期待を有している。
  申立人においても,平成6年4月の大学院教授としての採用時において,相手方においては70歳まで大学院教授としての雇用が確保されているとの認識のもとで,他大学における勤務条件と比較検討した結果,相手方における勤務を決めたものであり,採用時に渡された就業規則附則などに大学院教授の定年延長のことが明記されており,その後も,相手方においては定年延長が拒否される例もなかったことから,申立人としては,当然に70歳まで大学院教授としての仕事を続けられると期待していた(第1審における申立人の本人調書6,7頁。なお,申立人の前職〔昭和47年から平成6年まで〕の一般社団法人共同通信社の定年は60歳であった。)。
イ 相手方においては,65歳を迎える大学院教授から相手方に対して,定年延長を希望する旨の意思表示を書面又は口頭で行うとの慣例もなかつたのであって,逆に体調不良や他大学への移籍等の理由により定年延長を希望しない場合には,その旨を専攻会議などで事実上申告するのみであり,その手続も明文化されたものは一切存在しない。
  もっとも,かような申告がなされる例はきわめて例外的であり,通常は専攻会議の場で次年度の担当科目が決定され,その後,自動的に定年延長するための形式的な手続がとられていた。
  他方,相手方から定年延長対象者に対し,書面や電子メール等で定年延長を認める旨の通知がなされるということもなかった。
  以上の事実関係からすれば,相手方と申立人を含む大学院教員らの間においては,対象者から定年延長を希望しない旨の特段の意思表示がない限り,70歳まで従前と同一の労働条件で雇用契約が更新される旨の黙示の合意が形成されていたと解すべきである。
  したがって,相手方の申立人に対する本件定年延長拒否は,解雇権濫用法理の類推適用が認められるべきであり,無効であると解すべきである。
ウ なお,雇用対策法施行規則1条2項の規定に基づく「雇用政策基本方針」(平成26年4月1日厚生労働省告示第201号。これは平成20年厚生労働省告示第40号を全部改正したものである。甲169)の第二の二の(三)の②のロの「シニアの社会参加モデル」の中で,「少子高齢化に伴い労働人口が減少する中で,我が国が成長し続けるためには,高齢者のますますの活躍が必要不可欠である。特に,団塊の世代が六十五歳を超えていくことを踏まえると,この世代を中心として『シニアの社会参加モデル』を構築できるかどうかは,その後に続く世代への影響も含めて,我が国の経済社会に非常に大きなインパクトを与える。これまで,高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(昭和四十六年法律第六十八号)に基づき,高齢者の雇用確保措置を充実させる等の取組を行ってきた。今後は,人生百年時代を見据え,働く意欲のある高齢者の様々なニーズも踏まえ,高齢者が培った能力や経験を活かし,生涯現役で活躍し続けられる社会を実現すべく,様々な働き方や活躍の場を創造することが重要である。」と述べている(同22頁)。
  旧「雇用政策基本方針」第二の三の(一)の③の「いくつになっても働ける社会の実現」の項においても,「意欲と能力があれば65歳までに限らず,65歳を超えても働ける社会の実現に向けた取組を進めていくことが必要であり,年齢にかかわりなく働き続けることができる社会を目指す取組の一環として,『70歳まで働ける企業』の普及・促進を図るなど,60歳代半ば以降の高齢者が働ける職場を増やしていく」と記載されていたが(甲170の7枚目),上記改正はそれをさらに一歩進める内容というべきであり,政府としても,70歳まで,そしてさらにそれ以上の高齢者の雇用の確保を要請していると考えられる。
  したがって,高年齢者等の雇用の安定等に関する法律が65歳以上の者の継続雇用について規定していないことを根拠に,65歳以上の者にそのことを不利益に取り扱うべきではなく,65歳以上の者についても同様に,継続雇用の要請はあると考えるべきであり,この点が本件定年延長の障害になると解すべきではない。
(6) まとめ
  以上から,原判決の上記判断は,津田電気計器事件最高裁判決の判断と相反する判断であり,原判決には最高裁判例違反がある。
  本件は,65歳の定年年齢に達した後の定年延長が問題となっている事案であるところ,最高裁判所においてはその先例は存在しないことから,今後起こる同種事案に対する判断基準を示すことが必要であり,最高裁判所は,本件において,踏み込んだ判断を示すべきである。

第3 原判決に法令解釈に関する重要な事項を含む判断をしていること
1 「実質的な審議」に関する審理不尽及び理由不備
(1)  原判決の判断
  原判決は,相手方が運営する同志社大学大学院における定年延長の是非について,メディア学専攻における専攻会議及び社会学研究科における研究科委員会において「実質的な審議」が行われていた事実を認めた上で(原判決41,42頁),それを前提として,相手方大学院教授は,原則として定年が延長されることになっていたと認めることはできないと判断している(原判決42頁)。
(2)  原判決における法令の解釈適用の誤り
  しかしながら,上記の「実質的な審議」の存在を前提にするのであれば,「実質的な審議」があったか否かについては,とりわけ慎重に審理を行わなければならないはずである。
  実際には,申立人は,第一審から一貫して,メディア学専攻会議及び社会学研究科委員会においては,本件申立人の案件以前には,定年延長の可否に関する実質的な「審議」が一切行われたことがないと主張・立証してきた。
  具体的には,研究科委員会の場において,定年長対象者全員の履歴書・業績書の配付や業績の現物の回覧もなく,役職(専攻名,教授などの職名),氏名,大学院における次年度担当科目の一覧表が審議資料として配布され,氏名が読み上げられるのみで,健康上の理由や他大学への移籍等の理由で,定年延長を希望しない者を除き,研究科委員会に対し,形式的・機械的に定年延長が提案され,同委員会及び理事会において承認されてきた事実を主張・立証してきたのである。
  この点につき,原判決は,相手方大学院における多数の研究科委員会,研究科教授会において定年延長の審議に関する「具体的な申合せ」(乙6ないし12)が存在していたことのほかは,「実際に,控訴人自身,渡辺教授の定年延長の審議に際して,『余人をもって代えがたい』との条件を満たしていないと主張して議論していた」との事実を認定して(原判決40頁),「専攻会議及び研究科委員会において実質的な審議,検討が行われている」と認められる」と断じている(原判決41,42頁)。
  しかしながら,そもそも,上記「社会学研究科の人件に関する申合せ」(乙12)における「定年延長」の項(第3項)は,「定年延長がある場合,次年度の科目担当を決定する前に,研究科委員会の承認を要する。当該専攻からその旨を科長に,11月の研究科委員会までに報告し,研究科委員会では,大学院担当予定科目を記載した一覧表によって審議する。」とあるのみで,定年延長の可否を決めるための審査方法などの手続きは何ら「具体的」ではない。
  また,上記の渡辺教授にかかる定年延長提案に際して,専攻会議と研究科委員会で申立人が異と唱えた事実はあるものの,専攻会議と研究科委員会においてかかる意見は全く聞き入れられず,当時の専攻教務主任と研究科長は議題にもせず,「議論」どころか,その場で却下されて取り上げられていないのである。
  以上のとおり,本件において,「実質的な審議」の存在については,原審では何ら審理が尽くされていないのである。
(3) まとめ
  したがって,この点に関する原判決の判断は,経験則に反する著しく不合理な事実認定であり,自由心証主義(民事訴訟法第247条)に反しているから,法令の適用を誤るものである。
2 「実質的な審議」の存在及び定年延長の実績に関する証明責任に関する民事訴訟法の解釈の誤り(審理不尽)
(1)  前記1に関連して,専攻会議や研究科委員会において,上記のような「実質的な審議」が行われた事実があるかについては,少なくとも申立人が在任中において,申立人自身が体験したり,他の教員等からそのような審議が行われた事実を聞いたことは一度もない。申立人が相手方に雇用される以前の状況については,申立人において知る由もない。
    そもそも,過去の専攻会議や研究科委員会において何が行われてきたかについては,相手方が過去の議事録等を作成・保管しているはずであるので,相手方においてこれを明らかにするのが合理的である。現に,相手方は,本件申立人の定年延長にかかる社会学研究科委員会の議事録を作成・保有しているとのことである。
(2) また,定年延長の実績に関する証拠について,原判決は,「定年延長がなされなかった者について定年延長がなされなかった事情が全て対象者側の意向であることをうかがわせる客観的な証拠は何ら存在しない」と判示している(原判決42頁)。
  この点,申立人としては,自らの調査の結果,一審において提出した申立人第10準備書面別表及び甲103(申立人の陳述書)の5〜9頁のとおり,過去の定年退職となった教員における退職理由を可能な限り明らかにした。
  これに対し,相手方は乙59(定年退職した教員のリスト)を提出するのみで,退職理由について何ら明らかにしていない。
(3)  上記の2点については,当事者間の公平の観点から,相手方に証明責任を負わせるべきものであり,これらの点について,相手方が何ら証明責任を果たしていないにもかかわらず,あたかも申立人が証明責任を負っているかのような判断を前提にしている原判決には審理不尽の違法及び民事訴訟法における証明責任の解釈の誤りがある。
  したがって,原判決には,法令の解釈適用の誤りがあり,原判決は法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められるべきである。
3 定年延長の例が全て審議の結果であるとする根拠が示されていない法令の解釈適用の誤り
  原判決は,「仮に控訴人の主張するような事実があったとしても,それは審議の結果として定年延長となった者が多数となっていたというにすぎ」ないと判示した(原判決42頁)。
  ここでいう「控訴人の主張するような事実」というのは,①昭和51年3月末から平成25年3月末までの間に相手方大学院を退職した相手方大学院教授のうち,1年以上定年延長された者が93.1%であること,②健康上の理由や自ら相手方大学院教授以外の道を選択したなどの特段の事情がないにもかかわらず,定年延長がされなかった教授はないことを指している(原判決42頁)。
  経験則からすれば,これだけの事情があれば,定年延長対象者の定年延長が原則であると理解すべきところ,原判決は,「審議の結果として定年延長となった者が多数となっていたというにすぎ」ないと述べるだけで,「審議の結果として定年延長となった者が多数となっていた」とする根拠について,原判決は何ら説明をしておらず,その理由の説明が不十分であると言わなければならない。
  かかる判示は,結局のところ,上記「実質的な審議」の存在を前提にしているのであり,この点でも,原判決の問題点は,「実質的な審議」の存在について,十分な審理を尽くすことなく,安易に認めてしまった点にあるといえるのであり,経験則に反する著しく不合理な事実認定であり,自由心証主義(民事訴訟法第247条)に反しているから,法令の適用を誤るものであり,法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められるべきである。
4 研究科委員会の審議が本件配布資料(甲5)に基づいて行われたことを認めた原判決の法令の解釈適用の誤り
(1) 原判決の判断
     原判決は,「本件配布資料(甲5)は,メディア学専攻において控訴人の定年延長について審議した本件会議の構成員である小黒教授が作成し,社会学研究科委員会において控訴人の定年延長を提案しない理由を説明する際に配布された文書であるから,メディア学専攻及び社会学研究科委員会における控訴人の定年延長の是非についての審議は,基本的に本件配布資料に基づいて行われたものと認められる。」と認定した上で,その内容について,「全く根拠を欠くものとは認められない」として,「メディア学専攻及び社会学研究科委員会における控訴人の定年延長についての決定の基礎とされた事項が事実に基づかないものであるとは認められない。」と判断している(原判決52,53頁)。
(2) 原判決の判断が経験則に反し,著しく不合理であること
    しかしながら,本件配布資料(甲5)は,申立人の論文・著書の学問的な質,院生・学生に対する指導,学内業務の貢献度,職場環境への影響など,その項目だけ見れば,申立人の定年延長の是非を検討する事項のような体裁をとっているものの,その内容は申立人に対する事実に反するものがほとんどの誹謗中傷・人格攻撃に終始するものであり,大学院教授としての定年延長の必要性に関する事柄については何ら触れられず,申立人に対して何の資料提供も求めないまま(通常,人事案件では本人の業績は本人に提出させるのが慣例である。),極めて恣意的かつ一方的に作成された内容であり,申立人にとって不利益な内容しか記載されていないものである。
    そもそも,相手方における大学院教授の定年延長制度は,教員が定年退職することにより,当該教員が指導していた学生に対する教育に影響が出ないように,その雇用を継続する制度である。したがって,定年延長を認めない場合というのは,当該教員に対する制裁(秩序罰)を与える趣旨ではなく,当該教員が指導していた学生に対する教育に影響が出ないと判断される場合に限られるはずである。
   そして,過去において,社会学研究科委員会において定年延長について審議される際には,対象者の業績書すらも配布されず,ただ次年度担当科目が記載された候補者リストだけが配布され一括して承認されていたのであり,本件配布資料(甲5)のような文書が配布されて審議された例はない。
    当時,申立人は,大学院において博士前期課程の2人と博士前期課程5人の指導教授であった他,学部において次年度もゼミと卒論を指導教員となることが決まっていた3年生ゼミの13人,次年度の2~3年ゼミの履修を希望していた30数名の学生がいた上,大学院博士前期課程に入学予定のロシア人の日本政府留学生ら,申立人の指導を希望していた入学予定者が10人近くいたのであるから,本来であれば,博士課程の2人をはじめとする指導が続く予定の学生に対する影響がもっとも知らされるべきであったにもかかわらず,本件配布資料(甲5)にはその点に関する記述は全くない。社会学研究科の規定では,大学院博士後期課程の学生の指導教授と副指導教授は,学生の入学の時点で指導教授が研究科委員会で審議・決定され,指導教授のの変更は研究会委員会の議決を必要とする。
本件配付資料(甲5)に記述されているような事柄,すなわち,査読付き論文かがあるかどうかとか,院生に過剰な労務を強いているとか,シラバスの表現が不適切であるとか,期末試験に立ち会わなかったとか,専攻科の教員にメールを送って精神的圧力をかけストレスを与えた,等々をいくら積み上げたとしても,5人の学生に対する指導・教育を行う上で,当該教員について今しばらく職にとどまってもらうことの必要性というテーマと結びつくとは考えられない。
    すなわち,本件配布資料(甲5)に記載されている内容は,そもそも,専攻会議が,定年延長対象者については調査したり審査する範囲から全く逸脱していたというべきであり,また,定年延長の審議には全く必要性のないことであり,単に,社会学研究科委員会の出席者に対して申立人の悪印象を与えるためだけに作成された資料というべきものであった。
そもそも,専攻会議や社会学研究科委員会において審議すべきは,当該教授の定年延長を認めなかった場合に,次年度以降,予定の講義・演習などの授業がきちんと行えるのか,また,担当していたゼミ生の指導をきちんと継続できるのかということであったが,本件配布資料(甲5)ではその点について全く触れられていない。
    本来,申立人の定年延長の是非について審議するためには,申立人が指導教授を担当していた多数の学生の不利益について言及している資料が配布されなければならなかったのである。
    したがって,そもそも,本件配布資料(甲5)は,申立人の定年延長の是非を審議するための資料としては不適切であったというべきであるし,その配布を認めた冨田研究科長の判断も誤っていたというべきであり,申立人がいることで同僚が帯状疱疹や突発性難聴に罹患したとして「ウイルス」扱いするなどで,申立人を誹謗中傷するような不適切な資料を配付して審議した上でなされた申立人の定年延長を認めない決議には瑕疵があると判断されるべきであり,明らかに不合理な決定であるから,裁量権行使を逸脱又は濫用したと判断されなければならなかったというべきである。
(3) 本件配布資料の真実性に関する判断も経験則に反する不合理な判断であること
ア 原判決の判断
原判決は,本件配布資料(甲5)について,重要な部分に おいて真実と認め,そうとは認めなかった①,②についても前提を欠くものではないと判断して,「メディア学専攻及び社会学研究科委員会における申立人の定年延長についての決定の基礎とされた事項が事実に基づかないものであるとは認められない。」と判断している(原判決52,53頁)
     しかしながら,以下に述べるとおり,原判決が重要な部分において真実と認めなかった2点を除く他の記述についても,以下に述べるとおり,重要な部分において真実であるとは認められないものであり,これを真実と認めた原判決には,いずれも経験則に反して著しく不合理な認定をするものである。
   イ 本件配布資料(甲5)の「研究面」について(原判決36頁の①)
① 判断基準について
「大学院の教授の水準を満たす研究はない」との記述があるが,この「大学院の教授の水準」について,小黒教授は明確な基準はない旨を供述している(甲138〔小黒調書〕28頁)。
すなわち,小黒教授らは,特に基準を設定することなく,ただ漫然と資料集めをし,それを自分らなりに都合の良いように評価しただけであり,何の客観性もないことが明らかとなっている。
② 査読論文について
査読論文が評価の対象になりうる場面は,新規採用に当たり当該教員が「教授」職に値するか否か,准教授から教授への昇任,又は大学院博士前期・後期課程を担当する教授にそれぞれ任用するか否かの判断においてである。
申立人のように,公募で採用された平成6年(1994年)4月当初から,博士学位に相当する学問的業績があると判断され,大学院教授として採用され,また新設当時から大学院後期博士後期課程の教授(平成10年〔1998年〕と平成17年〔2005年〕に文部科学省の「○合教授」=博論を主査として指導できる資格を有する=と認定されている。)となっていた者について,過去の査読論文の数をもって定年延長の可否を判断することなど考えられないことである。
また,申立人は,国際コミュニケーション学会(ICA)など,査読委員(レフェリー)が掲載を決める単行本,雑誌において論文を掲載した実績がある(甲6の3頁,別件原告調書〔甲137〕3頁)。
 CiNii Articlesには査読の有無についての検索機能がなく,また,海外論文についても検索することができない(甲139〔CiNii Articles利用者アンケート〕)。この点,小黒教授(博士後期課程教授には任用されていない前期課程教授)は,海外論文の有無について海外のデータベースを使用して検索したと供述したが,そのデータベースの名称すら記憶していないばかりか,実際に当該データベースを使用して検索した者が誰であったかすら「覚えてないです」と曖昧な供述をしている(甲138〔小黒調書〕25頁)。
 早野慎吾・都留文科大学教授に,小黒教授が別訴に提出した陳述書(甲140。甲5とほぼ同様の内容である。)の内容を確認したところ,CiNii Articles(論文検索)で著者名浅野健一,出版期間を2009年~2013年を入力して検索すると検索結果は63件ヒットし,浅野氏と同姓同名の業績が6件含まれているので,57件が控訴人の業績であることが判明するのであり,「単著の論文1本,大学院生との共著の論文2本」などとする小黒教授の陳述・供述が全く事実に反していることが明らかとなっている(甲141・3頁)。
③ 「評論・社会科学」78号について
申立人が執筆した論文が掲載された同志社大学社会学会の紀要「評論・社会科学」78号の回収要請がされた理由は,「『研究成果の発表』という本誌の目的にそぐわない論稿」であったからとされており(甲8),少なくとも「内容に不適切な部分があった」からではない。
ウ 本件配布資料(甲5)の「教育面」について(原判決36頁の②)
①  院生に対する指導について
申立人が「学位授与の前日まで論文内容を修正できる」などという指導を院生にした事実はない。申立人は,記述の順番などの形式を修正することは許容したとしても,論文の内容(コンテクスト)を変えてもいいなどという指導をしたことはないのであり(別件原告調書〔甲136〕6,7頁),小黒教授らの報告は事実とは認められないし,前提を欠くものではないとの原判決の判断は経験則に反する著しく不合理な認定である。
① 院生に課したとされる労務について
申立人が院生に労務を課したことはない(別件原告調書〔甲136〕7頁)。
この点につき,小黒教授は「特定のゼミ生」というのは具体的に誰であるかについて供述しなかったものであり(甲138〔小黒調書〕29頁),控訴人において反証不可能であり,この点を控訴人の不利益に取り扱うべきではない。
② シラバスについて
申立人のシラバスの内容について,これまで専攻会議で議論がされたことはなかった(甲138〔小黒調書〕29頁)。そもそも,会議の場で教員のシラバスの内容が問題にされたことはこれまでにない(別件原告調書〔甲136〕7頁)。
③ ゼミ論集「DECENCY」について
申立人がゼミ論集の中で他の教授の誹謗中傷をしたことはないと供述しており(別件原告調書〔甲136〕7頁),小黒教授らの報告は事実とは認められない。
④ ゼミの変更申出について
過去に申立人が指導していたゼミ生がゼミの変更を申し出た事実はあるが,それは十数年前のことであり,当該学生において海外留学の後,将来の志望が変わったことが理由であって,学科の内規に従って,あくまで学生の利益のために例外的に取った措置にすぎない。少なくとも小黒教授らが摘示したいような控訴人の指導に問題があったからではない(別件原告調書〔甲137〕8頁)。
したがって,この点につき,前提を欠くものではないとの原判決の判断は,経験則に反する著しく不合理な判断である。
エ 本件配布資料(甲5)の「学内業務面」について(原判決36頁の③)
申立人が公務出張(大学支給の個人研究費を使用)のため期末試験に立ち会わなかった事実はあるが,あくまで事前に事務室と相談した上で試験監督代行者を選定し,研究科長の了解を得た上で行ったであって(別件原告調書〔甲137〕9頁),非難される筋合いのものでは全くない。
少なくとも,小黒教授らが摘示したような控訴人が合理的な理由なく期末試験に立ち会わなかったなどということではない。
オ 本件配布資料(甲5)の「職場環境面」について(原判決37頁の④)
申立人は,自身がかけられた事実無根のセクハラ疑惑を報じた週刊文春の報道に関する名誉毀損訴訟や渡辺教授に対する損害賠償請求訴訟及び渡辺教授が大教室の講義においてアダルトビデオを音声付きで上映したことを報じた週刊新潮の報道に関する訴訟に関し,渡辺教授ほか教員にメールや文書を送付したことはあるが(別件原告調書〔甲136〕10,29〜30頁),「人格を批判し精神的圧力を加える」メールや文書を繰り返し送付などしたことは証拠上認められない。
   また,突発性難聴や帯状疱疹を発症したことについて,そもそもそ の事実すら立証されていない。さらに,小黒教授は,医師から,「さまざまな原因が考えられるけれども,ストレスが大きいのですかね」と言われたのみとのことであり(甲138〔小黒調書〕29頁),これらの症状が申立人の行為によるものであることにつき何らの立証もなされていないしない。何らの根拠もなく申立人の言動が原因で疾病を発症したなどと摘示するのは,大学教員の書く文章として低劣であるだけでなく,非科学的な記述であり(甲70),およそ重要な部分において真実であると認められない。
 オ まとめ
      以上から,原判決が,本件配布資料(甲5)について,重要な部分に おいて真実と認め,そうとは認めなかった①,②についても前提を欠くものではないと判断して,「メディア学専攻及び社会学研究科委員会における申立人の定年延長についての決定の基礎とされた事項が事実に基づかないものであるとは認められない。」と判断したのは,経験則に反して著しく不合理な認定をするものあり,自由心証主義(民訴法第247条)に反しているから,法令の適用を誤っている。
      よって,原判決は法令の解釈に関する重要な事項を含むものであるから,上告審として受理されるべきである。

第4 結 語
  以上のとおり,原判決は,最高裁判例違反のほか,審理不尽を含む及び理由不備を含むものであり,法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められるべきであるから,上告審として受理した上で,相当な判決をなすべきである。
以上

紙の爆弾2018年9月号不当な高裁判決に抗議する

1-bakudan


2-bakudan


3-bakudan


紙の爆弾2018年9月号被害者の実名は本当に必要か

紙の爆弾 18年9月号1


紙の爆弾 18年9月号2


紙の爆弾 18年9月号3


紙の爆弾 18年9月号4


◎本のご紹介◎『監督 山際永三、大いに語る』

2018年9月23日の朝日新聞の一面下に、<監督 山際永三、大いに語る 山際永三・内藤誠・内藤/著 2000円>などという彩流社の広告が載っていました。山際さんは人権と報道・連絡会(1985年設立)の世話人兼事務局長。「浅野教授の労働裁判を支援する会」の代表を務めてくれています。

労働裁判の支援会彩流社のHPによりますと、本のサブタイトルは<映画『狂熱の果て』から「オウム事件」まで>です。
http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-2525-6.html

山際さんに電話で聞いたところ、内藤誠さんは山際さんの4歳下の東映の映画監督。内藤 研さんは内藤誠さんの息子さんで、映画研究者・脚本家だそうです。「内藤さんからの質問にこたえる形で本をつくった。若い時に書いた文章も挟み込んでいる」ということでした。

HPでは、山際さんの初監督作『狂熱の果て』、テレビの『泣いてたまるか』、 『男!あばれはっちゃく』、『コメットさん』、『帰ってきたウルトラマン』、 『シルバー仮面』のドラマ演出等々、そして更には、ロス疑惑事件、オウム事件の支援活動までを聞き取ることで、山際監督の核心に迫る鼎談本だとしています。

みなさんもぜひ読んでください。
朝日新聞18年9月23日

同志社大学要望書への賛同人を募集します

2018年9月9日

ナジさんを知るみなさんへお願い

 酷暑も終わりのようです。台風と地震。自然災害の恐ろしさを見せつける事態が西日本、北海道などで起きました。朝鮮や中国などを「敵」と一方的に見なし、米国の「核の傘」の下で米軍需産業から言い値でイージスアショア、オスプレイなどの武器、軍備装備品などを購入するより、自衛隊をサンダーバード的な緊急支援組織に改編し、原発をすべて廃炉にし、災害などから人民の生命と安全を守るため税金を使うことがいま最も必要です。「北海道で原発再稼働を」とネットで言い放つホリエモン、橋下徹などの妄動を糾弾しましょう。3・11を機に、日本は革命が必要でした。今からでも遅くありません。人民が統治する社会をつくりましょう。

 いま、この国に必要なのは、フェアネス、適正手続の順守、公文書への自由アクセス権などの確率です。権力者に法の順守、倫理を求めることです。

 同志社が5年前に私にしたことはアンフェアも極みでした。地位裁判・最高裁への私の陳述書を明日、山下弁護士が大阪高裁へ、弁護団の上告理由書と共に提出します。私の陳述書では、大阪高裁の藤下判決の不当性を指摘し、もし二審判決が確定したら、同志社大学は四流大学になると主張しました。資料も8項目付けています。

 同志社と村田晃嗣学長(当時、現在法学部教授、NHK経営委員)を被告とする損害賠償(慰謝料)請求訴訟の第5回弁輪準備期日は9月13日(木)午前10時半から、京都地裁第1民事部であります。

みなさんへ、お願いがあります。特に、浅野研究室に4年間いたナジ・イムティハニさんを知っている元ゼミ生(特にインドネシアへ旅行した12人のみなさん)に、協力をお願いします。

自主ゼミを運営してくれている「守る会」の吉川幸佑さんが、学長と理事長へ要望書を出しました。この要望書に賛同してくれる学生・元学生、市民の賛同人を集めています。私からもお願いします。私が高裁で敗訴したため、ナジさんの指導教授が、彼の復学の期限である2019年3月までに、全くいない状態が続きます。このままでは、インドネシア国費留学生のナジさは、同大で博士学位をとれません。これは同志社の犯罪です。声をあげてください。

吉川さんからの呼び掛け文を添付します。
また、個人としてナジさんへ激励の手紙をAIR MAILで送ってください。
ナジさんの大学の住所は;
Mr. Najih Imtihani 
Department of Japanese Studies Faculty of Cultural Sciences
Gadjah Mada University Yogyakarta, Indonesia

ナジさんは同志社大学に失望しています。みなさんからの便りがあれば喜び、励まされると思います。
どうぞよろしくお願いします。

以下は、吉川さんからの呼び掛け文です。

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ナジ・イムティハニさんを知るみなさんへ

私は「浅野先生を守る会」会長・吉川幸祐です。大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程教授の浅野健一先生が定年不延長で解雇された2015年3月、政策学部を卒業しました。先生の「新聞学原論Ⅰ」「新聞学原論Ⅱ」を受講しました。先生が解雇された後、自主ゼミの発足にもかかわりました。

私は大学院メディア学専攻博士後期課程の博士学位候補者、ナジ・イムティハニさんの処遇に関することで、9月6日に同志社大学・学長と学校法人同志社・理事長あてに要望書(下に貼り付けます)を提出しました。

学校法人同志社、同志社大学が、浅野先生によるナジさんへの博士論文指導(ナジさん自身も希望)を認めないこととナジさんに対して再入学前に指導教員について伝えようとしない二点について、学生を極めて軽視した行為であると言わざるを得ません。ナジさんの再入学の期限は2019年3月です。このままでは、ナジさんの過程博士学位の取得は不可能になります。時間も残されていません。

このような状況を容認するわけにはいかず、上記の通りナジさん本人が納得する適切な処置をとるよう、要望書を提出するに至りました。

現在、この要望書に賛同していただける方を探しています。ナジさんを直接知っている方、ナジさんの現在の境遇を知っている方に賛同をお願いします。

賛同していただける方は、吉川幸祐(astrophysik928@gmail.com)までメールを送信していただきますよう、お願い致します。その際、メールの件名に「ナジさん博論指導に関する要望書への賛同」と記載して、肩書(同大卒業生の方は学部学科、卒業年)、氏名、連絡先(メールアドレスなど)を書いていただきますよう、お願い致します。匿名を希望する方はその旨を明記ください。ナジさん、あるいはナジさんのことで「守る会」へのメッセージがあればお書きください。

ご連絡は電子メールで astrophysik928@gmail.comまでにお願いします。

第一次集約として、9月17日までに、賛同の連絡をお願いします。みなさんの氏名を添えて、学長・理事長へ送ろうと思っています。

************************************************************〔                 2018年9月5日
同志社大学長 松岡敬様
学校法人同志社理事長・総長 八田英二様 

 私たちは、1994年4月から2014年3月まで20年間、大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程と大学社会学部メディア学科で教授を務めていた浅野健一先生=最高裁判所・地位確認訴訟の上告人=の教壇復帰を支援している学生、元学生でつくる「浅野先生を守る会」(会長・吉川幸祐)のメンバーです。

今回は2014年6月に「2014年3月末に遡って博士後期課程を満期退学」とされたインドネシア政府奨学金留学生であったナジ・イムティハニさん(インドネシア国立ガジャ・マダ大学文学部日本学科で日本語・日本文化担当専任講師)の処遇に関することで要望書を提出しました。

 私たちは、学校法人同志社によるナジさんへの処遇について非常に深く失望しています。学校法人同志社が、浅野先生によるナジさんへの博士論文指導(ナジさん自身も希望)を認めないこととナジさんに対して再入学前に指導教員について伝えようとしない二点について、学生を極めて軽視した行為であるといわざるを得ません。

浅野先生の地位裁判において、大阪高裁(藤下健裁判長)の結審後に、裁判所から和解勧告があり、学校法人同志社側は、ナジさんの博論審査に浅野先生が関与する必要性を認めました。しかし、ナジさん本人が浅野先生の指導を必要と主張しているにもかかわらず、同志社側は浅野先生を教員として任用することはできないとして、和解を拒否しています。
 
 ナジさんは浅野先生の追放後、2014年に一端退学を余儀なくされ、それによって博士号を取得できなかったことで「2017年2月から8月まで、日本留学前から専任講師(助教)として勤務するガジャ・マダ大学文学部日本学科での教員資格を半年間失う」というペナルティを受けました。

 インドネシア大使館の教育文化部アリンダ・F・M・ザイン参事官(東京大学で博士学位取得)が2016年10月31日に、同志社大学を訪問し、ナジさんへの適切な処置を要請しました。またアリンダ参事官は同志社大学を訪問前、ナジさんにメールで「同志社大学で博士号を取る意思はあるか」と最終確認を行い、ナジさんも「取りたい」と明確に回答していました。

 2017年1月25日の日付で、同志社大学学長から「再入学許可通知書」が出たものの、指導教員についての言及はありませんでした。ナジさんから見れば、指導教員も分からないまま、高額な再入学金や学費を負担して、再度日本へ渡航し、大学院に再入学するのは、リスクが大きすぎます。

もともと、ナジさんが浅野先生の指導を受けられなくなりインドネシアに帰国せざる得なくなったのは、渡辺武達、冨田安信、小黒純、竹内長武各氏らによる、不当な定年延長拒否によるものです。そのような大学内部での許されざる出来事によってナジさんが受けた損害は、博士課程の途中放棄とペナルティ(本国での一時教員資格停止)という極めて大きなものです。助教授・教授に昇進するためには不可欠な博士学位が取得できず、ナジさんの人生設計にも大きな支障が出ています。それに対する同志社大学の対処は極めてお粗末です。

 一方、浅野先生の元支援者で一時は「浅野先生を守る会」の会長でありながら、裏切って冨田氏の側に着いた矢内真理子氏(同大学習支援・教育開発センター助教)の現状はナジさんとは対照的です。矢内氏は、まだ博士論文を完成させておらず、博士学位を取得していないにもかかわらず専任教員に就任しています。異常です。矢内氏の所属は学習支援・教育開発センターで、同大のHPに「アカデミック・インストラクター」として顔も出しています。矢内氏はまた、今年4月から社会学部メディア学科の「メディア学基礎演習Ⅰ」(春期)、「メディア学基礎演習Ⅱ」(秋期)を担当しています。同学科の必修科目である2年生ゼミです。

 矢内氏には重大な瑕疵があります。矢内氏は博士後期課程2年生だった2013年5月に刊行された、飯島滋明編著『憲法から考える実名犯罪報道』(現代人文社、以下同書とする)の中で、「第1部 いまも続く実名犯罪報道の現状」の第2章「名古屋偽造文書事件」というタイトルの論文(同書12~17ページ)を発表しています。

矢内氏の論文のうち,同書13頁の「1 記者クラブ通報メモ」の第3段落から,同14頁の「3 自白を引き出すために使われた新聞報道」の前までが、浅野先生が執筆した「週刊金曜日」(金曜日)2010年5月14日号(58ページ)の連載コラム「人権とメディア」の「警察発表だけで逮捕記事を書く罪 名古屋『契約偽造』捏造」と同文になっています。見出しを除くと54行になります。

矢内氏の同書の論文では、浅野先生の記事を複写して、記事では伏せられていたにも関わらず男性の通称名を記述したのです。矢内氏は浅野先生と「週刊金曜日」編集部の了解なしに、記事を丸写し(コピペ)しています。このような不正行為について、矢内氏から未だに浅野先生への謝罪はありません。一方的に浅野先生の支援を放棄、攻撃する側についた上にさらに盗作まで行っている矢内氏は研究者・指導教員として大きな問題を持っています。

 私たちは、再入学前のナジさんに指導教員についての情報が通達され、適切な指導を受け、博士号を取得できるよう、強く望みます。

 最後になりますが先の大戦において、日本はインドネシア人に対して「独立を約束する」と言いつつ、敗戦後、政府としてそれを一方的に反故にしました。「国体護持」のためです。さらには個人の意思で日本軍を離脱し、「約束を守るため」インドネシアの独立を支援した残留日本兵に対して長きにわたり冷酷な態度をとってきました。日本の敗戦から73年後の今、その日本の同志社大学はインドネシア人の留学生に対して「博士号取得を約束する」と言いつつ、それを反故にした形です。まさに今の同志社大学は、独立の約束を反故にした上に独立を支援した残留日本兵を冷遇した日本政府と同等です。

これでは建学の精神である「良心教育」と「国際主義」の完全放棄というものです。こんなようではいくら駅ビルの電子看板やパンフレットの中で「良心教育」「国際主義」などと宣伝しようとチープな謳い文句に過ぎません。その「張りぼて」様は多くの学生や受験生にやがて見抜かれることでしょう。

 私たちは同志社大学の「良心」を信じたいと思っています。ナジさんが同志社大学で博士号を取れるように迅速かつ適切な処置がなされることを強く望みます。

 以上、宜しくお願い致します。


「浅野先生を守る会」会長:吉川幸祐=2015年同志社大学政策学部卒
Mail: astrophysik928@gmail.com
(以上)]

以上が、吉川さんからの呼び掛け文でした。

ナジさんの博論指導について八田理事長、松岡学長、メディ学専攻教員スタッフ(ナジさんの2年後輩、矢内真理子氏=同大助教=を含む)が何もしないなら、同志社大学は消滅すべきです。

ナジさんが博士号をとれなくなったら、その責任は同志社大学にあります。その時は、すべての大学受験生に、同志社大学には受験しないように訴えます。なぜなら、同志社大学は授業料をとって、税金の補助を受け、教員を解雇し、基幹科目を休講にし、大学院生の博論指導を怠る大学だからです。こういうことは、「関関立」など普通の大学では絶対に起きません。

ナジさんを助けることが、同志社大学の民主化につながります。

ナジさんを助けてあげてください。私が解雇された結果、ナジさんの博士学位が幻になっては、インドネシア人民の税金から出ていたナジさんの奨学金が無駄になります。

どうか、ナジさんを助けてあげてください。

2018年9月講演のお知らせ

   私の講演会のお知らせです。

2018914日(金)午後7時から、京都朝鮮中・高級学校で講演します。担当は文峯秀先生です。参加希望の方は私に連絡ください。

 

また、929日午後2時から、チュチェを知る千葉の会の主催の講演会で講師をします。元千葉県高教組委員長の堀川久志さん、千葉朝鮮学校の校長の金先生らが企画してくれました。問い合わせは、堀川さんへ。botakawa57@gmail.com

以下は主催者からの案内文です。チラシもご覧ください。

 

〔 <チュチェを知る千葉の会>第4回学習会のお知らせ

 

講演題目:「朝鮮半島の平和構築を妨害する安倍官邸と御用メディア」

講師:浅野健一 同志社大学大学院教授(メディア学)

 

1.日時:9月29日(土)14:00~(13:30~受付)

2.場所:千葉市中央コミュニティセンター5階 講習室2

JR「千葉みなと駅」から徒歩7

JR「千葉駅」・京成電鉄「千葉駅」から徒歩12

千葉都市モノレール「市役所前駅」から徒歩1

3.内容:浅野健一教授による講演(終了後懇親会も予定しております。)

 

浅野健一さん略歴:1948年香川県生まれ。72年、共同通信社入社。84年『犯罪報道の犯罪』を発表。ジャカルタ支局長など歴任。94年に退社し、同志社大学大学院メディア学専攻博士課程教授。人権と報道・連絡会世話人。近著に、『記者クラブ解体新書』(現代人文社)『冤罪とジャーナリズムの危機 浅野健一ゼミin西宮』(鹿砦社)『安倍政権・言論弾圧の犯罪』(社会評論社)などがある。 〕

チュチェを知る千葉の会チラシ-001 (1)


オウム死刑執行を考える集会お知らせ

 急なことですが、私も参加する8月24日と31日の会合についてお知らせします。

 

*オウム死刑執行を考える集会

824日(金)夜、東京文京区で開かれる「死刑執行に抗議し、オウム事件についてもう一度考える」集会に河野義行さんと一緒に登壇します。主催者がネットで告知しています。東京新聞にも集会の記事が出ています。

http://www.aum-shinsokyumei.com/

 

集会の会場は文京区民センターです。

東京都文京区本郷41514 電話:03-3814-6731

地図は下記です。

http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1754

 

集会のタイムスケジュールなどは下記です。主催者からの案内です。

**********************************

「死刑執行に抗議し、オウム事件についてもう一度考える」集会 

824日(金) 18時開場 1830分開会/文京区民センター3A

 主催の「オウム事件真相究明の会」のホームページはこちらです。集会の詳細も載っています。

http://www.aum-shinsokyumei.com/

 

24日のタイムスケジュール;

 第1部 18時半~ 

   森達也さん(作家・映画監督・明治大学特任教授) ~真相究明の会の活動と死刑執行について~ 1830分~40分 

   野田正彰さん(松本元死刑囚に面会した精神科医)×二木啓孝さん(ジャーナリスト)1840分~1910

  河野義行さん(松本サリン事件被害者)×浅野健一さん(ジャーナリスト)1910分~40分 

   休憩10分間

第2部 1950分~2110分 死刑執行とオウム事件について

  下村健一さん(地下鉄サリン被害者医療支援NPORSC」理事)   雨宮処凛さん(作家)    有田芳生さん(参議院議員)   落合恵子さん(作家)   茂木健一郎さん(脳科学者) -ビデオ出演   金平茂紀さん(TVジャーナリスト)

-ビデオ出演  堀潤さん(ジャーナリスト)ビデオ出演  PANTAさん(ロックミュージシャン)ビデオ出演   鈴木邦男さん(一水会元顧問)   山本直樹さん(マンガ家)   坂上香さん(ドキュメンタリー映画監督)   坂手洋二さん(劇作家「燐光群」主宰)   安岡卓治さん(映画プロデューサー)

 2110分 終了

********************************

 みなさん、ぜひ来てください。

 

831人報連の8月定例会

人権と報道・連絡会の定例会が8月31日(金)6時半、東京・水道橋の「スペースたんぽぽ」で開かれます。

テーマは<「今市事件」控訴審判決と報道検証>です。以下は山際永三事務局からの案内文です。

 <可視化ビデオが裁判員裁判で、弁護側の解釈とは真逆の印象を与えて有罪(無期)となった「今市事件」控訴審判決は、そのビデオそのものを証拠にしてはいけないと真逆の解釈を示しながら、状況証拠を大幅に採用して有罪を維持するという、わけのわからない独自判決だった。事件発生から8年半もたってから、容疑者とされたKさんは典型的な別件逮捕で長期間の取調べにさらされ、ついに「自白」をもぎ取られたと言う。DNA鑑定はどうなったのか? 

 人権と報道・連絡会では2014年9月定例会で「今市事件」をとりあげ、別件逮捕―「自白」で地元下野新聞をはじめ一斉に実名報道に走り、「足利事件」の報道検証・反省が完全に吹き飛ばされた実態が明らかにされた。

 控訴審から弁護団に参加された今村核弁護士(『冤罪と裁判』など著書多数)が、今日の刑事司法の行方を示す意味で重要なポイントとなる今回の判決について、貴重な報告をいただくことになった。多くの方の参加を期待する。

 「スペースたんぽぽ」;

  東京都千代田区神田三崎町262 ダイナミックビル4

 電話033238-9035  FAX 03-3238-0797

地図 http://vpress.la.coocan.jp/tanpopotizu.html >

 

 人報連の会員にぜひなってください。

 

 

929「チュチェを知る千葉の会」で講演

日時 9月29日(土)14:00~(13:30~受付)

場所 千葉市中央コミュニティセンター5階 講習室2

            https://www.city.chiba.jp/shisetsu/community/0005.html

           

担当者はチュチェを知る千葉の会事務局長、堀川久司さん(前千葉県高教組委員長)です。

 


日本マスコミ学会裁判陳述書(山際永三氏)

東京地方裁判所民事第31部合議A係 御 中

陳述書

         

山際永三

 

1. 私と日本マス・コミュニケーション学会の関係について

 

 私は1960年代から映画監督の仕事をしてきました。1960年代は、マスメディアとしてのテレビが勃興してきた時代で、私自身テレビの子ども番組(テレビ映画)を多数監督し、テレビ局の裏側を見てきました。

 私が監督した作品は、『コメットさん』『ウルトラマン・シリーズ』『俺はあばれはっちゃく』などです。

 1980年代には、経済的にも影響力の面でもテレビが新聞を凌駕し、全国のテレビ局が新聞との系列化を遂げました。これにより新聞・テレビの画一化傾向が強まり、〝発表ジャーナリズム〟と揶揄されるような傾向が強まり、マスメディアは〝第4の権力〟とも呼ばれることとなりました。この現象は、民主主義社会に決していい影響をもたらすことはありませんでした。

 私は、浅野健一氏らとともに市民運動体「人権と報道・連絡会」を1985年に立ち上げ、新聞・テレビに様々な提言を行なってきました。例えば、犯罪・事件報道においてそれまでは警察に逮捕された人は、実名〝呼び捨て〟となるのが当然とされてきましたが、1989年からは、「○○容疑者」とか「○○社長」とかいう表記が基準とされるようになりました。これなどは、私たちの運動の成果であると考えています。

 人権と報道・連絡会の33年にわたる活動の一覧が掲載されている昨年のシンポジウムのチラシを本書末尾に添付します。

 私は日本マス・コミュニケーション学会の会員となり、1999年春期研究発表会のワークショップ(以下WSと記載)において、浅野健一氏と私が討論者として「人権と犯罪報道の現在―和歌山カレー事件報道を検証する」というWSを開催し、その要約は学会の学会誌(紀要)に公表されました。2001年は、同じく私と浅野氏により、「新聞各社の苦情対応組織とメディア責任制度」、2008年は、「裁判員制度とメディア責任制度」、2011年は、「冤罪をなくすために報道はどう変わるべきか」を行ない、それぞれの結果はその年の学会誌に掲載・公表されました。

 

2.2015年のワークショップ原稿の紀要への掲載について

 

 2015年は、「警察リークと犯人断定報道」を行ないましたが、予期しなかった事態が起こり、本訴訟に至るトラブルとなりました。

 私と浅野氏は、WSで話題となり、浅野氏が発言し、参加者とのあいだで討論にもなった事項(浅野氏の肩書き等の問題)を要約し原稿としました。ところが、私たちのWSに参加もしていなかった学会役員が、自分たちの気に入らないことを原稿に書いたということで、それを修正しろと言ってきて、その交渉中に学会誌の印刷を強行し、私たちにその結果を押しつけ、WSで話し合われたこと全体を抹殺しようとする行為は、全くもって私たちの言論を検閲し、抹殺しようとする暴挙であり、表現の自由への重大な侵害行為です。

 その後2016年に、WS「安倍晋三政権の言論統制と『新聞に軽減税率』」、2017年には「警察取材記者の過重労働と市民の知る権利」を行ない、2015年に学会役員から修正を要求された事項と同様の記事部分を含む原稿を編集関係者に提出し、浅野氏の肩書き問題などで再び修正要求があるかどうかを観察していたところ、全く問題なく原稿どおりに掲載・発行されました。

 そこで私は、2015年の際の学会役員が、とくに私と浅野氏を邪魔もの扱いし

て、白紙発行という非常識なことをやったのであることを確信し、怒りをもった次第です。

 本訴訟において被告側は、責任の有無について、編集委員とか、担当理事とか理事会とかの名を出して、学会誌の白紙発行は正当であったと言い訳しています。だが問題を、あれこれの手続きに矮小化するべきではありません。検閲と言論・表現の自由に対する抹殺の責任こそ問われているのです。

 

3.2015年ワークショップの内容と被告らの責任

 

 問題のWSのテーマは「警察リークと犯人断定報道」でした。私が報告を行ない、主として1966年に静岡県で起きた「袴田事件」の事件発生時点の新聞報道を精査し、同事件の証拠上の問題点は多数あったことを前提として冷静な捜査、報道がなされるべきであったことを、研究の結論として述べました。

 最も重要な証拠問題として、火災となった事件現場の焼け跡から発見されたという「くり小刀」の刃体部分(刃わたり約13㎝)が、犯人1人によって使用され、被害者4人を殺害することができるかどうか、犯人は複数なのではないか、凶器はその「くり小刀」の刃体部分ではないのではないかということが当初からあったはずだと、私は指摘しました。

 そのうえで、従業員であった袴田巌氏が消火活動の際に怪我をして包帯を巻いていたのを、殺害行為の際の怪我ではないかとの完全な憶測から、「従業員『H』浮かぶ」と書いたのが毎日新聞静岡版であることに注目すべきだと強調しました。

 当時の新聞記事全体の統計をとってみても、他紙と比べて毎日新聞の記事数・記事の大きさが目立ち、警察捜査と癒着していくつかの憶測記事を掲載し、なかには後で完全な誤報であったことが明らかとなる記事もあったこと、さらに袴田氏が起訴される段階で静岡支局長の署名記事を出し、「科学捜査の勝ちどき」とか「ガンとして二十日間も口を割らなかったしぶとさ、がん強さと反社会性は犯罪者に共通した性格だが、袴田の場合は極端である」とまで書いて袴田氏を罵倒しています。

 さらに後年、この毎日静岡支局長は本社社会部長にまで出世して、1980年には自慢話の書籍『事件記者』を出版し、袴田事件当時、捜査員が支局長の自宅まで来て情報を提供してくれたことなどを書いています。その記載部分コピーを本書末尾に添付します。

 私はWSにおいて、資料(本訴訟甲第10号証)を配布したうえで論証し、事件報道におけるマスメディアの影響力、責任の大きさを提起しました。

 

4.本訴訟に及んだ私の思い

 

 そのWSには、袴田巌氏の姉である袴田秀子さんや長年の支援者平野君子さんも参加してくれました。

 私は、私の研究がWSで発表されたにもかかわらず、それが学会誌では白紙のままで研究の内容が抹殺されたことを、悲しく思い、怒りも感じています。それは、せっかく参加してくれた袴田秀子さんたち袴田事件当事者の方々の努力についてバックアップすることができず、期待を裏切ってしまったことを、本当に残念に思い、申し訳ない気持ちを持っていることに繋がります。

 日本マス・コミュニケーション学会が、以上のように言論・表現の自由を踏みにじっておきながら、一片の反省も示さない実態に対して、悲しく、そして怒りをもって抗議し、本訴訟に及んだ次第です。

                                以上


日本マスコミ学会裁判陳述書

20188月1日

平成30年(ワ)第152号 損害賠償請求事件

原 告  浅野健一 外1名

被 告  日本マス・コミュニケーション学会 外2名

東京地方裁判所民事第31部合議A係御中

 

            陳 述 書

 

頭書事件について、原告本人として次のとおり陳述致します。なお、本陳述書で言及する方々の役職は、特に断りのない場合、いずれも当時のものです。

 

1 日本マス・コミュニケーション学会と私の関りについて

私は1972年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年4月から一般社団法人共同通信社の記者となりました。共同通信は日本を代表する総合国際通信社で、社会部、千葉支局、外信部で記者やデスクとして働き、ジャカルタ支局長などを歴任しました。

私は1994年3月末に22年間勤めた共同通信を退社し、同年4月から2014年3月末までの20年間、学校法人同志社(水谷誠理事長=神学部教授、以下・同志社)が運営する同志社大学(以下、同大)大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程(旧・大学院文学研究科新聞学専攻)及び同大社会学部メディア学科(旧・文学部社会学科新聞学専攻)において20年間、教授の職にありました。

1998年に大学院文学研究科新聞学専攻(2005年に社会学研究科メディア学専攻と改称)博士後期課程が設置されましたが、その際、文部省(当時)による教員審査で、私は博士論文の指導が可能な「D○(マル)合」の資格が文部科学省によって認められています。

私は2014年3月末に、渡辺武達教授(2015年3月に70歳で定年退職、現在名誉教授)グループ(「週刊文春」裁判の大阪高裁確定判決=文春に550万円の賠償を命令=は2004年に設立と認定)の主要メンバーである小黒純・メディア学専攻教授(大学院前期課程任用教授、2012年4月に龍谷大学から赴任)らが中心となった共謀による“闇討ち”の暗黒裁判で同大から暴力的に追放されました。1951年以来、希望するすべての大学院教授に認められてきた定年延長を研究科委員会(院教授会)の前例のない無記名投票による議決(新任採用人件と同じ可決要件)で拒否され、一般教職員と同じ「65歳で定年退職」という形の極めて巧妙なやり方での不当解雇でした。

私は「65歳定年」で、大谷實・同志社総長からから感謝状をもらって退職した形になっていますが、指導途中だった学生(院と学部)が50人以上もいるのに、同大は特別任用教授(同じ学校法人が運営する同志社女子大は定年延長制度を廃止し、特任教授制度に切り替えています)、嘱託講師など他の雇用形態での再雇用も拒み、大学からの完全追放でした。20年間も大学院教授・学部教授を務めたのに、名誉教授にもならず、70歳まで可能な他の雇用形態(特別任用教授、客員教授、嘱託講師)での雇用契約もなかったのは、渡辺グループの悪意にも基づく独断的な行為の結果です。私は2014年4月以降もなお同大大学院及び同大における専任教員(従業員)の地位にあることの確認を求めて、同志社を被告として、同年2月3日、京都地方裁判所に従業員地位確認等請求訴訟を起こして、現在最高裁判所において係争中です。

私の研究活動ですが、共同通信社に入社2年後の1974年に千葉支局記者として、冤罪・首都圏連続女性殺人事件で勾留中の被疑者に面会取材したことから、人権と犯罪報道について関心を持ち、当時、冤罪事件の救援をしていた山際永三さんと出会い、奥平康弘東京大学教授(当時、故人)、新井直之東京女子大学教授(故人、元共同通信文化部長)らの指導を仰ぎながら、「人権と犯罪報道」「被疑者・被告人の名誉プライバシーと表現の自由」に関する調査研究に携わるようになり、現役記者時代の1984年に出版した『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、後に講談社文庫・新風舎文庫、『裁判員裁判と「犯罪報道の犯罪」』昭和堂に所収)を出版しました。

この本は大きな反響を呼び、1985年7月、山際さんが事務局長を務める市民組織、「人権と報道・連絡会」(人報連)が発足しました。私は人報連の世話人をしています。

1999年3月から10月まで、厚生省(当時)の公衆衛生審議会臓器移植専門委員会の専門委員(メディア論)を務め、医療の透明性の確保と患者のプライバシー保護について意見を表明しました。国立国会図書館の職員研修で「表現の自由と個人の名誉・プライバシー」で講師を務めました。

専門領域は「表現の自由と名誉・プライバシー」で、特に人権と報道に関心を持っており、事件事故に関する報道において「取材・報道の自由」と「取材・報道される側の権利」などの人権をどう調整・両立させるべきかなどについて研究・教育しています。

私は同大教授に就任が内定した1993年に「日本マス・コミュニケーション学会」(当時、日本新聞学会、以下「学会」と言います)に入会しました。日本新聞学会は当時、稲葉三千男・高木教典両東大教授らリベラルな学者が会長を務め、国家機密法案に反対声明を出すなど革新的な学会でした。当時の学会執行部は私の著作に関心を示し、学会に入会する前の記者時代に、学会の企画したシンポジウム、研究会に招かれたことが度々あります。

学会では毎年のようにワークショップの司会者、報告者を務めてきました。また、同大大学院で指導していた学生が毎年のように学会の大会で研究発表し、学部の浅野ゼミとの共同研究で「裁判員制度と報道倫理基準」を提言したこともあります。

なお、私の詳しい経歴・著作については末尾に載せさせていただいたプロフィールのとおりです。

 

2 2015年ワークショップ報告文の検閲の経緯について

学会のワークショップでは、司会を務めた会員が学会の編集委員会委員長に報告文を送り、年に2回発行される紀要『マス・コミュニケーション研究』(新聞学評論・改題、以下「紀要」と言います)に掲載されます。

これは、被告の答弁書で言うような「投稿」では全くなく、学会が開催したワークショップの報告文です。ワークショップを担当する学会企画委員長が各ワークショップの司会担当者に執筆を一任して、報告文をそのまま掲載してきました。

学会執行部は、2016年1月に学会が発行した紀要88号で、私が書いた2015年6月14日に同志社大学新町キャンパスで開かれた春季研究発表大会〈ワークショップ7 警察リークと犯人断定報道―袴田事件から氷見事件まで〉の報告文を掲載せず、1ページをまるごと白紙にして出版しました(甲第13号証の1、2)。紀要は学文社が発行し、全国の書店のメディア関係などの売り場で販売(甲第32号証)されています。

言論自由を調査研究する学会が、会員の学会企画のワークショップに関する報告書を、筆者に相談もなく白紙で発行したのは前例のない暴挙です。しかも、学会執行部との話し合いの途中の一方的な「説明なき」白紙発行でした。

驚くべきことに、現在の学会会長の佐藤卓己京都大学大学院教授(1994年から2001年まで同大で私の同僚の専任講師・助教授)は私への聞き取りもせずに、白紙発行を正当化する見解を学会HPに掲載しています(甲第29号証の1,2)。学会HPは本件訴訟書面を生の形でアップしており、山際さんと私の住所、署名、印影がそのまま流れています。私は自分の住所を「文化手帳」(潮出版)以外で公開していません。インターネットに個人情報を流して平気な学会執行部の無責任さに憤りを感じています。

袴田事件で再審を求めている袴田巌さんに対し、東京高裁で2018年6月11日に静岡地裁の再審開始決定を取り消す決定を行いました。地裁決定から4年3カ月経っての残念な決定でした。日本に冤罪が絶えず、報道機関による権力監視機能がほとんどないのは、メディア学者がきちんとした仕事をしていないからだと思っています。袴田さんの捜査段階でのマスメディア報道を検証した本件ワークショップの報告文が学会によって今もお蔵入りしていることは、新たな報道加害だと私は思います。

今回の学会の白紙発行・検閲は、学会内部の紀要編集上の問題ではなく、学会の一部理事らによる私と山際さんへの、嫌がらせ、パワハラによる言論弾圧です。「学問の自由」として、学会の裁量として許される限度を大きく踏み外した不法行為であり、司法の正義によって正していただくしかなく、本件訴訟を提起しました。

以下、学会執行部との紀要報告文の白紙発行問題について経緯を説明します。

 

1)「違和感がある」が最初の削除要請理由

学会の紀要で学会執行部がワークショップ報告文に「違和感がある」として「改稿」(削除)を求めてきたのは、次のような報告文の最後の文章でした。

 

〔 514日発行の学会会報に掲載された司会者・浅野の「所属」は「同志社大学(学校法人同志社と地位確認係争中)」となっていた。1994年以降、私の所属は「同志社大学」であった。学会役員は4月から、所属について何度も尋ねてきた。私は、なぜ14年度までの表記ではダメなのか、どこの誰が問題にしているのかを役員に尋ねたが、納得のいく説明はなかった。新表記に違和感も残るが、私が同志社から解雇され京都地裁に地位確認請求訴訟を起こして裁判中である事実を学会会員に知ってもらえてよかった。浅野は「所属問題での見解」文書を学会で配付した。希望者には送付したい。  〕      

報告文に書いたこの文章は、実際に行われたワークショップで私が資料を配布して報告したことをまとめたものです。

学会執行部は紀要で報告文を白紙発行した理由について、学会理事会は2016年3月16日、〈当学会がこの裁判に関わることは学会の活動目的の範囲をこえると判断した〉〈従って、係争中の裁判に関する浅野会員の主張を掲載する内容を含むワークショップの記録は、学会誌に掲載することは妥当ではないと考えた〉などと書いています。

私の文章には、私が原告となった労働裁判に関する私の主張は一字もありません。学会執行部が私の所属を、裁判を理由に勝手に変更したことの経過を事実に基づいて書いたのです。

つまり、学会は、裁判に関わらないと言いながら、私の所属先の変更を求めたことを正当化しようとして、当該文章を削除しない限り、報告文を掲載しないと要求してきたのです。

 

2)学会会員の所属機関は自己申告制

ここで、学会の所属は自己申告に基づいて表記されていることを裁判官のみなさんに認識していただきたいと思います。

2013年8月ごろ、私の自宅に送られてきた「2013年度 会員登録内容確認票」(末尾の添付資料)を見てください。

この確認票の中央に「所属機関」がありますが、そこに何を書くかは会員に任されています。私はこの会員登録内容を今日まで変更していません。学会から変更を求められたこともありません。この確認票は学会における戸籍、住民登録のようなもので、学会が勝手に変更できないのです。

学会理事の山田健太専修大学教授(元日本新聞協会職員)が「問題」と指摘(甲第17号証)しているように、専任ポストを得ていない会員は、非常勤講師、嘱託講師、客員教授、研究員など非常勤雇員であっても、所属先を当該大学として名乗ることができます。

私の場合、主たる収入は専任教員である同志社大学から得ていましたが、同時に、出版社の現代人文社(東京都新宿区)の常務取締役、共同通信社社友会会員、人報連世話人を務めていましたので、所属先をそれらの団体にしていても問題ありませんでした。フリージャーナリスト、アカデミックジャーナリストとしての登録も可能だと思います。

また、2015年3月に70歳で定年退職した渡辺武達同志社大学名誉教授は現在、学会理事を務めていますが、所属先は今も「同志社大学」となっています。同志社大学においては、名誉教授はまさに称号だけで、研究拠点、大学におけるメールアドレス、HPなども失い、「学外有識者」として学位論文審査の副査を務めることができるぐらいで、大学で教育研究活動はまったくできません。

学会で理事を何度も務めている渡辺氏の所属機関が、同志社を退職してから3年半、同志社大学のままになっていることで、所属機関の表記が自己申告制だと分かると思います。

教授職の地位に関する裁判が継続中の私の所属機関について、執行部、理事会をあげて、表記の変更を強要し、その問題点を指摘した文章を抹消する姿勢は異常、異様です。

雇用主と労働者が労働契約に関して裁判などで係争中の場合の身分に関しては、裁判が決着するまで、労働者の身分をどう表現するかは厄介なことです。私のことを「元同志社大学大学院教授」とするか「同志社大学大学院教授」とするかで、その団体、個人の社会観、法感覚が分かります。私が参加している市民運動の集会のチラシでは、今でも「元」は付きません(甲第33号証、甲第34号証)。在日朝鮮人のための新聞、朝鮮新報の記事では、私は同志社大学大学院教授となっています(甲第36号証)。

 

3)仮処分敗訴の2日後に所属機関を問題視

そもそも、学会執行部は私の裁判事案について、どこから情報を入手したのか分かりませんが、学会執行部が私の「所属機関」を最初に問題にしたのは2014年5月15日のことでした。

当時の学会会長は、渡辺氏とゼミ交流を続けていた谷藤悦史早稲田大学教授でした。私は14年度春期大会でもワークショップ「打開できるか警察主導——事件故報道の匿名実名問題——」の提案をして採用されましたが、マスコミ学会企画委員会の小林直毅委員長、吉見俊哉同副委員長、福間良明同副委員長の3人から14515日午前11時ごろ、《個人・共同研究発表、ワークショップご登壇者 各位》と題したメールが届きました。

 

 [ 5/316/1にご登壇いただく標記研究発表会に関し、年度が切り替わった時期でもございますので、ご発表時点で、会報に記載されているご所属より変更がおありの方は、お知らせいただければ幸いです。

変更ない方は、とくにご連絡いただくには及びません。》(抜粋)

 

 私は同日午後5時過ぎ、「ワークショップで司会をする同志社大学の浅野健一です。この種の問い合わせメールは発表会のあるたびに毎回送っているのでしょうか。過去にあまり記憶がないのでお聞きします」という返信を送りました。

 午後6時ごろ、委員長からすぐに返信がありました。

 

〔 登壇者の方々には年度がわりの時期にエントリーいただいているので、研究発表会当日のプログラム作成に先立ち、念のために、今年度の企画委員会として、確認のメールをお出しした次第です。過年度でも、こうした確認をさせていただいたこともございます。 〕

 

このメールを受け取った後に、企画委員会の小林委員長らから私の携帯電話に電話がかかってきました。電話でのやりとりで、「こういう問い合わせは春、秋の学会大会で毎年行っているのか」という質問に、役員は「毎年はやっていない」と回答しました。「直近ではいつこの種の問い合わせをしたのか」という質問には、明確な回答はありませんでした。この種の問い合わせは「過年度」に実施したことはあるが、慣例ではなく、毎回は行っていないとの説明だったと私は受け止めました。私自身、学会で毎年のようにワークショップなどを実施し、私が指導していた院生が何度も研究発表もして、学会の紀要にも論文を掲載してもらったが、こうした所属機関の変更の有無に関する問い合わせを受けた記憶はありません。

6月1日、専修大学の学会大会会場に行くと、私の名札の肩書は「同志社大学」で学会の領収証の宛名も同じでした。学会は賢明な対応をしてくれたと思っていました。

私はワークショップの報告文を書き、紀要86号に掲載(甲第16号証)されていますが、報告文の末尾に所属表記に関する学会役員とのやり取りについて記述しています。

 

〔 514日、企画委員会の役員3人から、「ご発表時点で、会報に記載されているご所属より変更がおありの方は、お知らせいただければ幸いです」というメールが届いた。私は大学院教授の職を3月末解雇され、京都地裁に学校法人同志社を相手取り、地位保全仮処分申立と地位確認の二つの裁判を起こした。3人からの連絡が来た前日、仮処分で棄却決定通知があった。私は「こういう問い合わせを毎回しているのか」と尋ねたが、よく分からない返信が来た。当日、私の名札の肩書は「同志社大学」で、学会の領収書の宛先も「同志社大学 浅野健一様」だった。裁判を受ける権利を尊重した学会執行部に感謝したい。 〕

 

ここでも、私は解雇事件と地位裁判について書いているが、そのまま何の問題もなく掲載されています。

 

4)2015年4月から所属表記変更の要請

2015年2月、同年の学会春期大会(6月13・14日、同志社大学新町キャンパス)で開かれた春季研究発表大会でワークショップ〈警察リークと犯人断定報道―袴田事件から氷見事件まで〉を提案し、3月に学会からワークショップとして採用されたという連絡がありました。

同年4月初め、小林直樹・企画委員長(法政大学教授)から、「所属先」の件で変更したいという電話を何度かもらいました。東海道新幹線に乗っていた時にも電話があり、「谷藤会長と会ってもらえないか。日時、場所は浅野先生のご都合に合わせます」と言われました。新幹線の「のぞみ」の車内で電話を取った時、トンネルを通過した時に、電話が何度も途切れて大変でした。私は「所属のことは昨年解決済みで、昨年度までの表記で問題ないのではないか。この件で会長とお話しする必要はない。もし、学会から要望があるなら文書で連絡してほしい」と答えました。小林委員長以外の役員からも電話がかかってきましたが、「どうして、こんなことで、会長らが大騒ぎするのですか。異常です」と伝え、「1994年以降の所属先は変わっていません」と主張しました。

被告代理人の喜田村洋一、藤原大輔両弁護士は準備書面(2018年5月31日)でこう主張しています。

 

〔 第4段落 否認ないし争う。そもそも、被告マスコミ学会は、2015年4月ころ、原告らを含む研究発表やワークショップの登壇予定者全員に所属の変更がないかを尋ねており、殊更、原告浅野に対してのみ、所属の変更の有無を尋ねたものではないし、さらに、原告浅野に対して、所属について「何度も」尋ねた事実もないから、原告浅野の同記述は事実に反する、ないし誇張されたものである。 〕(5頁)

 

両弁護士は同じ準備書面でも次のように書いています。

 

〔 そもそも、被告マスコミ学会が2015年4月以降、原告浅野に対して、所属について「何度も」尋ねた事実はないし、原告浅野の所属表記を一方的に変更した事実もない。 〕

 

被告代理人の弁護士は、学会が私の所属表記のことで何度も連絡をしたことはないと断言するのですが、私は学会役員へのメールや文書で、学会役員から2015年4月初め急に電話が何度もかかってきたことを書いています。被告代理人は当時の学会役員から話を聞いたのでしょうか。私のドコモの通話記録と当時の学会役員の成田、小林両氏らの電話の通話記録を裁判所の職権で調査していただけば、真実は明らかになります。当時の経緯をよく知っている成田氏らの証人調べも不可欠です。

 

その後、413日に学会事務局(谷藤会長、東海大学文学部内)からの配達証明郵便(甲第19号証の1)を受け取りました。封筒には、谷藤会長からの「所属機関の表記について(ご連絡)」との標題があり、<会員がその所属機関における雇用問題等をめぐって訴訟を提起して係争関係にある場合には、当該訴訟が継続している間、原告、被告のいずれにも与せず、司法上の事実関係を忠実に反映することが、事実に謙虚な学術研究団体のとるべき公正な姿勢であると認識しています>との見解が2頁にわたり書いてありました。

私はメールで返事をしました(甲第31号証)。「谷藤会長が私の所属の表記を「同志社大学・地位確認係争中」と変更したいとのご提案ですが、基本的には同意しますが、去年と同じでいいのではという思いも強くあります」と書いた上で、会長が表記を変更する根拠としてあげた文章の中に、事実誤認と不正確な記述があると指摘しました。訂正を求めたのは①私の裁判の被告はあくまで学校法人同志社であり、同志社大学とは係争していないので、「同志社大学=京都地裁で学校法人同志社と地位係争中」とするのが正確②2014年昨年515日に受け取った学会からのメールに、「所属変更にご回答がなかった」とあるが、私は変更不要と何度も回答している―という2点です。

また、私は「どういう人たち、グループが、私の『所属機関の表記』にこだわっていて、学会会長らにプッシュしているのかに関心があります。もし、会員のどなたかが、私の所属機関の表記について、学会会長らに、公式・非公式に言ってきている場合、当事者の私にぜひ教えてください。私が勤務する同志社大学(大学院メディア学専攻専任教員を含む)の関係者からは、私に何の問い合わせもありません」と尋ねました。

学会では、大学教授が教授として地位を争って裁判になったケースの前例がなかったようです。会長文書に、「日本社会学会においても、過去に、会員の所属機関について同様の表記がなされておりました」という記述がありましたので、「社会学会のどういう事案か教えていただけませんでしょうか」と要請しました。

私の質問には答えず、谷藤会長から、私の学会での「所属」を「同志社大学(学校法人同志社と地位確認係争中)」とするという最終通知が53日郵便の書面で届きました。会長は、145月の問い合わせと仮処分決定との関係について、単なる偶然と返答しました。 

この書面には不満な点もありましたが、この表記変更は、私が置かれている状況について、世界中のメディア学者に知ってもらうためにもいいと考えて、敢えて異議を申し立てませんでした。

私は谷藤会長に次のような見解を送りました。

 

〔 佐藤優・元外務省主任分析官が逮捕後、7年間起訴休職だったように、公務員なら、刑事事件で被告人なっても、なかなか解雇もされないのに、大学教授の地位はこんなに簡単に抹消できるのかと驚いています。

 その点、本学会の谷藤悦史会長をはじめとする執行部のみなさんが、最終的に私の所属について、「同志社大学(学校法人同志社と地位確認係争中)」と客観的に表記すると決定したことは、学校法人同志社や私の同僚の法感覚と比べると秀逸であると考えています。本来は昨年6月、専修大学で開催された大会と同様に、「同志社大学」でよかったと思いますが、私が同志社大学から完全に消えたと主張する会員(1789年以前の法意識)がかなりいたために、会長、学会企画委員会委員長、同副委員長(2名)は苦労されたと思います。 〕

 

5)大成功だったワークショップ「袴田事件と報道」

学会大会が開かれた同大新町キャンパスは私が20年間大学院教授として教壇に立った教室、研究室のあった思い出深い学舎です。同時に渡辺グループ6人による浅野追放クーデターの現場でもあります。この大会の開催校を代表したのが私を解雇した中心人物の小黒純教授と河崎吉紀准教授(浅野ゼ2期生、博論主査は私)でした。

私の提案で実現したワークショップ「警察リークと犯人断定報道袴田事件から氷見事件まで」は2015年6月14日午後、新町キャンパス・臨光館211教室(211)で開かれました。袴田巌さんの姉の袴田秀子さんら12人が参加しました。

 私は司会者として、ワークショップの冒頭で、2015年5月14日発行の「日本マス・コミュニケーション学会会報」第281号の60頁に掲載された「ワークショップ7」の司会者のところの「所属」が「同志社大学(学校法人同志社と地位確認係争中)」となった経緯を説明した資料を配布しました。また、ワークショップの司会者としてのレジュメ(甲9号証)も配り、その最後に、「警察リークと報道の関係を考える」素材として、不当逮捕で実名報道されて新聞社3社を提訴した佃治彦さんの「実名報道」裁判における現役記者の法廷証言を取り上げました。その中で、<(中日新聞の訴訟代理人)喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)をはじめとする新聞社代理人弁護士たちが「逮捕されたら実名、住所を出すのが決まり」「警察の公式発表、広報責任者の取材だけで記事を書いた」と言う新聞記者を擁護する姿勢を見て、情けないと思った。日弁連は「報道と人権」で二度人権大会を開き、被疑者の《原則匿名》を繰り返し提言してきた>と指摘しています。

 学会が本件訴訟の代理人に喜田村弁護士を選任した理由は、我々会員に説明されていませんが、私が原告になった週刊文春裁判の被告代理人が喜田村弁護士であったこともあり、会員の一人として、なぜ喜田村弁護士なのかは興味があります。

 

6)ワークショップ報告文一部削除の要請

私は2015年8月12日、成田康昭・編集委員会(第34期)委員長(立教大学教授)へ報告原稿(甲第5号証)を送りました。

8月16日、土屋礼子理事(編集委員会、早稲田大学教授)から以下のようなメールが届きました(甲第7号証)。

 

〔ワークショップ7の報告原稿のご提出、誠にありがとうございました。

ただ、報告原稿の最後の段落につきましては、ワークショップの報告としては

違和感がございます。

これは取り敢えず私個人の意見ですが、編集委員会担当理事の間で協議致しまして、改めて修正点などについて、ご連絡差し上げたく存じます。

どうぞよろしくお願い致します。

マスコミ学会編集委員会 土屋礼子 〕

 

823日に土屋礼子氏に以下のように返信しました(甲第11号証2、3枚目)。

 

〔 メールを拝受しました。

これまで、ワークショップ報告文に関しては、すべて、34期編集委員会委員長の成田康昭様から、連絡を受けておりましたので、土屋様からメールがなぜ来たのか、よく分かりません。

私が13日にメールで送付した報告文に関し、「個人の意見」として、「最後の段落につきましては、ワークショップの報告としては違和感がございます」とありますが、そもそも、一会員にすぎない私の所属に関して、驚くほどの時間とエネルギーを日本マス・コミュニケーション学会の会長(本件での面談協議の提案が役員からありました)はじめ多くの方々が使われるのか、強い違和感と疑念があります。それについては、役員の方からの「所属変更」連絡の際に、お伝えし、質問もしてあります。昨年以来の本件に関わる学会役員とのやりとりを示す文書を添付します。私の方は、すべて公表(publicize)可です。参考になさってください。

私の同大における院教授としての労働権が奪われたこと自体が、前代未聞で、日本の大学においてもほとんど例のないことです。

学会ニュースで、私の「所属」を見た多くの会員は、意味が分からなかったと思います。説明なしの「地位係争中」の表記(私は本学会で見た記憶がありません)に違和感を抱いた会員も複数います。報告文での記載がおかしいということでしたら、学会が全会員に、私の「所属」変更について、よく分かるように周知されるよう説にお願いします。(社会学会にだけあったと会長が言及されている「先例」も含めて)

なお、「編集委員会担当理事の間で協議」を行われる際には、20145月中旬(なぜこの時期にこの件が始まったかが非常に重要です)以降の、私の「所属問題」に関する全経緯を踏まえてください。特に、1年前のワークショップ報告文でも、同じように「最後の段落」において、同様の説明をしておりますので、学会への当時の送付原稿を添付させていただきます。昨年は、原稿そのまま、学会誌に掲載されています。去年は、特に何もなかったのに、今年はこうして「編集委員会担当理事の間で協議」まで通知されるのか疑問です。昨年の担当の方との整合性も精査ください。 〕(一部略)

 

土屋氏には「表記」問題に関する学会とのやりとりの関係文書を多数添付しました。土屋氏の大学時代の指導教授が私の友人であったことから、私は彼女を大学院生時代から知っています。私の定年延長拒否=解雇についてもよく知っています。大阪府立大学教授の時、同大メディア学科に教授として来てほしいと思っていた優秀な研究者です。同大でゲスト講義もしてもらっています。なぜ彼女が「違和感」を持ったと連絡してきたのか、いまだに不思議です。

その後、土屋氏らから今日まで何の連絡もなく、9月12日午後、配達証明で内容証明郵便の文書が大石裕学会会長から届きました(甲第8号証の1ないし3)。土屋氏が指摘した「最後の段落」を削除した「改稿」を9月末までに提出するようにという通知でした。理事会決定だということでした。

土屋氏のメールでは、「ワークショップの報告としては違和感がある」ということでしたが、後に「ワークショップの内容とは関係のない記述が含まれている」「事実に反する又は誇張された記述」(被告らの答弁書5頁)が問題にされることになったのです。

会長は「ワークショップの記録を改稿」して、「学会誌の編集作業の都合上、9 月末日までにご回送いただければ幸いです」と書いてありました。「理事会の庶務を担当している総務担当理事の藤田真文(法政大学)を連絡責任者とさせていただきます」と書いてあり、藤田理事のメールアドレスが書いていました。

私は原文のまま掲載するよう求めました。学会が会員との連絡で内容証明郵便や配達証明郵便を使うのはいかがなものかという苦言もしました。

藤田・総務担当理事から2015年12月3日付の「書留内容証明配達郵便物」が私に送られてきました(甲第12号証の1,2)。

 

1031日に文教大学で開催された理事会で再度審議した結果、貴殿の原稿については引き続き改稿をお願いするとともに、『マス・コミュニケーション研究』88号への掲載は見送らせていただくこととなりました>として、再度改稿をお願いしたいと要請してきました。その上で、<改稿された原稿は、学会誌の編集作業の都合上、2016年2月末日までにご回送いただければ幸いです>(太字は浅野)

 

この文書には第35期〈第35期 臨時持ち回り理事会 議事録〉(15年8月28日発信)の【審議事項】が添付されていました。そこには、編集委員会担当理事(氏名不詳)から、〈ワークショップ報告・意見交換の内容を要約するというワークショップの記録の趣旨から外れている記述がある〉ので改稿をお願いしたいと思うが、〈理事会としての判断を仰ぎたい〉との提案があったとして、次のように審議結果が書かれていました。

 

〔 学会としてニュートラルな立場を保ちながら対応すべきなどの意見があったが、改稿を依頼すること自体には異論がなかった。この持ち回り審議の結果を受けて、会長名で原稿執筆者に改稿を求める文書を送ることにした。 〕

 

学会としてニュートラルな立場を保ちながら対応すべきだという意見があったということは、理事会決定は偏向していることではないでしょうか。

学会は、理事会で2016年2月末日までに「改稿」を再要請することが承認されたと伝えてくる一方で、同年1月末、空白にしたまま紀要を発行したので、学会へすぐに抗議しました。理事会決定に至る議事録の開示を求めましたが、回答はありません。

私は1993年から学会会員になっています。最初の所属は共同通信社で、94年から「浅野健一(同志社大学)」と表記されていました。それが2015年5月から「浅野健一(同志社大学[学校法人同志社と地位確認係争中])」に変更されました。私は、私の同大における教授職を失っておらず、学会へ所属先の変更届を出していません。学会執行部は、〈会報への所属などの変更の記載は、会員情報の管理をお願いしている「国際文献社」にご本人から変更の連絡があった場合に掲載する〉(2015年9月30日、藤田総務担当理事)と私に表明しながら、勝手に所属の記載を変更したのです。

学会理事会は2016年3月16日、〈当学会がこの裁判に関わることは学会の活動目的の範囲をこえると判断した〉と言ってきましたが3月27日には、16年6月の東大での学会ワークショップのことで、〈地位確認訴訟は昨年と変わらず継続中と存じますので、上記のようなプログラム表記になることを、ご了解いただければ幸いです〉と言ってきました。裁判に関わってあれこれ動いているのは学会の方ではないでしょうか。

 

7)訴訟の提起と学会HP

本件ワークショップの問題提起者の山際さんは学会の2016年度と17年度の春季研究発表会で「ワークショップ」の司会を務め、私が問題提起者でした。山際氏は紀要90号と92号のワークショップ報告文に、紀要88号の本件ワークショップの白紙発行を取り上げ、「学会執行部などが取った処置は重大な言論弾圧」などと記述した文章がそのまま紀要に掲載されています(甲第15号証、甲第22号証)。なぜ、86号だけが問題にされるのか、全く理解不能でした。

学会の仲間からも、前代未聞の白紙発行について、あり得ない言論弾圧という指摘がありました。学会側は、検閲・白紙発行を全く反省せず、白紙発行を正当化し、私が「改稿」報告文を送らない限り、掲載しないという姿勢でした。 

そこで、山際さんと私は2018年1月5日、学会(佐藤卓己会長=京都大学教授)、伊藤高史・同志社大学社会学部メディア学科教授、学文社(田中千津子社長)を相手取り、損害賠償請求訴訟を起こしました。言論、報道倫理を扱う学会が、袴田事件と報道に関する報告文を検閲したと考えたからです。

被告の代理人は喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)と藤原大輔弁護士と知り、驚きました。喜田村氏は、弘中惇一郎弁護士らと共に、情報の銃弾とも言うべき犯人視報道があった「ロス銃撃事件」で、三浦和義氏の無罪判決を勝ち取った弁護団の一人で、その弁護団のロス現地調査に山際氏と私は同行した間柄です。

私たちが提訴してから約3カ月後の2018年3月30日、学会は「会員各位」への同送メールで、本件裁判に関する次のような「お知らせ」を送信しました。

〈事務局からのお知らせを掲示させていただきます。/「本学会に対する浅野会員、山際会員からの提訴について」を学会HPに掲載しました。

URL  http://www.jmscom.org 

メールに示されたURLを見ると、学会のホームページの新着情報として、「本学会に対する浅野会員、山際会員からの提訴について(2018.3.25) PDF」「訴状 /【マスコミ学会】答弁書(提出版)/浅野会員宛書面」と題して、佐藤会長名での見解文が載っています。(訴状、答弁書 、改稿を求めた学会から浅野会員に宛てた書面を添付します。)( 浅野会員には内容証明付郵便で送付したので、下記は、実際の形状と異なります。内容は同一です。)という文章があり、クリックすると三通の書面(PDF)が読めるようになっています。

訴状のPDFには山下幸弁護士の住所などの個人情報、印影が映っています。山下弁護士が裁判所に出した訴状の訂正書2通はHPにアップされていません。 

佐藤会長は次のように書いています。

 

〔 浅野会員から提出され原稿について編集委および理事で慎重に検討した結果、ワークショップと関連のない記述があるして大石裕・第35期会長名の文書で一部改稿を求めました。浅野会員から原稿が期日まで に提出されなかったため、同記録を掲載予定であった『マス・コミュニケーション研究』88号(2016年1月31日発行)では、ワークショップ7のテーマ、登壇者の氏名・所属と「ワークショップ7」報告は諸事情により掲載を見送らせていただきます。 」と記載し、見送らせていただきます。 」と記載し第35期学会理事としても、浅野会員より改稿された原稿が送られることを引き続待っている状況でした。

浅野会員は 以上のことを不服して、浅野会員が当初提出た原稿『マ ス・コミュニケーション研究』にそのまま掲載すること、精神的被害対損害賠償を求めています。第36期 理事会としては、第35期編集委員およびの判断正当であるとの立場で裁判に臨む所存す。会員みなさまご理解いただければ幸いです。 〕

 

山際さんと私は4月12日、電子メールで佐藤会長に対し、「恣意的に裁判の書証を選び、当方から事情も聞かずに会長見解をHPに載せるのは不当だ」として、当方との協議がまとまるまでアップした書証を削除するよう求めました。学会の藤田総務担当理事は14日のメールで、「裁判の件なので、理事会を代表して総務担当理事がやり取りさせていただきます」「理事会で話し合う」と返答してきました。

私たち5月6日、佐藤会長に対し、「原告に何の相談もなく裁判資料を一方的に公表するのは不当」と指摘し、「双方で、会員、社会に本裁判についてどう知らせるかを協議したい」とする要請書を送り、一カ月以内の回答を求めました。

これに対し、藤田総務担当理事からは何の連絡もなく、喜田村弁護士が5月23日、「学会から対応を依頼された」として、私たちの代理人の山下幸夫弁護士に「貴職を代理人として対応したい」という連絡書をファクスしてきました。学会のHPでの発信と本件裁判とは直接関係のないことです。

山下弁護士は24日、「この件で、山際・浅野両氏から受任していない」と喜田村氏に返答しました。

喜田村、藤原両弁護士から、配達証明郵便(ミネルバ法律事務所の封筒)で「回答書」(6月4日)が届きました。回答書の冒頭に、<学会の代理人として>、56日付の山際さんと私からの「申入書」に対して、回答すると書いてあります。

この回答書では、私たちの要求のすべてを拒否しています。訴状を生の形でPDFにしてアップしていることついて、<山下幸夫弁護士自身から要請はない><そもそも当該情報をウェブサイト上に掲載することが同弁護士に対するプライバシー侵害などの不法行為を構成する余地はない>と書いています。

このHPでの掲載は、私たちに事前、事後の相談・連絡もなく、勝手に書証を選んで裁判資料を載せ、佐藤会長の私たちを批判する見解文まで付けている点で極めて悪質です。一部の学者による学会の私物化です。

その後、藤田氏らから何の連絡もありません。

学会のHPには山際さんと私の住所が今も流れています。私たちの印鑑もはっきり見ることができます。学会が私に送った内容証明付郵便は「実際の形状と異なります」と書いています。原告側の裁判所への書面を、私たちの了承も得ないで載せ、個人情報のマスキングもしないというのは、学会としてあり得ないと思います。ここに、現在の学会の中世的な手続き無視の体質が表れています。

 

3 伊藤氏と学文社を被告に加えた理由について

本件紀要の巻末の編集後記の最後に<(編集委員会委員長 伊藤高史)>と書いてあったことが、本件訴訟を起こしたいという気持ちを強めました。

本件紀要の編集委員会委員長だった学会理事の伊藤高史同大教授は、私が2014年3月に不当解雇された後、14年6月に始まった同大社会学部の補充人件の公募で2015年4月に同大社会学部メディア学科の教授に就任していす。伊藤氏は前創価大学教授で元日本新聞協会職員の研究者です。ジャーナリズム研究者ということですが、マスメディアの取材と報道の現状を「報道機関も企業だから限界がある」などと肯定する典型的な御用学者です。

 被告代理人の喜田村弁護士らは答弁書の8頁で、こう書いています。

〔 (同年12月3日付けの書面=甲12の1=で)通知したのは、被告マスコミ学会の理事会の決定を受けた藤田真文理事であって、編集委員会の委員長である被告伊藤高史が原告浅野に対して、問題とされるべき記述についての削除を含む改稿を求めた事実はない。

したがって、被告伊藤高史が原告らに対する不法行為責任を負うことがそもそもありえないことは明白である。 〕

 

また、5月31日付準備書面(7頁)では<被告伊藤が、同志社大学の立場や学問的な見解などの他事考慮を行い、原告浅野に改稿を依頼したという原告らの主張は邪推という外なく、それどころか被告伊藤の社会的評価を低下させかねない極めて悪質な主張であることを指摘しておく>と主張しています。

 大学教授を目指すメディア関係者は少なくありません。地方の小さな大学の教員の中には、同大メディア学科で専任教員になりたいと思っている教育研究者は多数います。しかし、2014年夏の同大メディア学科の公募に応じた研究者は限定されています。ある新聞記者は「不当解雇されて裁判中の浅野さんの補充人事に応募できるはずがありません」と言っていました。西日本のある大学の教員は「同大メディア学科はあこがれのポストだが、この公募には応募できない」と私に話していました。

 公務員の場合は、刑事事件の被告人になっても、裁判中、後任補充人件は起こせません。私の労働裁判の一審判決が出てもいないのに、補充人事を強行し、伊藤氏を採用した同大の法感覚を私は疑っています。

伊藤氏は私に「敵意に近い感情を抱く渡辺グループ」と親しい関係にあります。渡辺氏が編纂した書籍に論考を書いています(甲第23号証の3)。私が廃止を提唱している記者クラブ制度も擁護しています。伊藤氏が編集委員会の責任者であったことが、本件言論弾圧を招いた要因の一つであることは、明らかだと思います。伊藤氏は、白紙発行を止めることができたのです。

伊藤氏は、私に事情を聞かずに、学会内で議論して、白紙発行を強行しています。当事者の言い分を聞くというのが教育研究者の基本姿勢だと私は思います。

 喜田村弁護士らは、2月22日付の答弁書で、「学会の原稿掲載の権限行使に関し、編集委員会は広範な裁量を与えられている」「学会が報告文についてそのまま掲載しなければならない法的義務を負うものではない」などと主張しています。まさに、伊藤氏は「裁量」の第一責任者なのです。

 次に、学文社を被告にしたのは、一般の書店で販売されている紀要の発行責任があるからです。学文社の田中千津子社長は私との電話で、何度も「『このまま白紙で印刷して本当にいいのか』『筆者の浅野教授の了解はとらなくていいのか』と学会側に確認したが、学会の責任者は『これでいい』と答え、印刷・発行するように求めたということです。田中社長は、出版社の代表として、私に事情を聞くべきでした。そうすれば、白紙発行の強行はなかったと思います。プレスする者の責任は重大です。編集委員会が決めたことに従うのが出版社であるという喜田村弁護士らの主張は、出版人の矜持を尊重しない暴論です。

 

4 白紙発行は学会による“いじめ”

 

 被告らの5月31日付準備書面の<2 編集委員会ないし理事会の権限の行使が正当であることについて>に次のような主張があります。

 

 〔 同段落には、同学会の会報に掲載された原告浅野の所属表記に関する学会役員とのやり取り、「私が同志社から解雇され京都地裁に地位確認請求訴訟を起こして裁判中である事実を学会会員に知ってもらえてよかった」との原告浅野の感想、原告浅野が学会で文書を配布した事実や希望者には文書を配布する旨の呼びかけが記載されている。

 これらの記載は、原告らが開いたワークショップ「警察リークと犯人断定報道 ―袴田事件から氷見事件まで―」における発言や参加者の反応等とは考えられず、ワークショップにおける報告・意見交換の内容を要約するという報告としての関連性を欠く記述を含むものである。

 また、同段落には、同学会の会報に掲載された原告浅野の所属表記に関する学会役員とのやり取りが記載されているところ、被告マスコミ学会役員が2015年4月以降、原告浅野に対して、所属について何度も尋ね、原告浅野が納得していないにも関わらず、所属表記を一方的に変更したかのような印象を読者に与える記述が存する。しかしながら、そもそも、被告マスコミ学会が2015年4月以降、原告浅野に対して、所属について「何度も」尋ねた事実はないし、原告浅野の所属表記を一方的に変更した事実もない。このように、本件報告文の最後の段落の記述は、事実に反しており又は誇張された記述を含むものである。

 したがって、このような、そのまま掲載することが相当とは考えられない原稿について、一部削除を含む改稿を原告浅野に求めることが、編集委員会(本件では理事会)の正当な権限の行使と認められるべきは当然であり、裁量を逸脱、濫用したものとして違法となる余地はない。 〕(5頁)

 

また、被告側は答弁書(5頁)でこう主張しています。

〔 4 第1段落~第3段落 事実関係については概ね認める。

第4段落 否認ないし争う。そもそも、被告マスコミ学会は、2015年4月ころ、原告らを含む研究発表やワークショップの登壇予定者全員に所属の変更がないかを尋ねており、殊更、原告浅野に対してのみ、所属の変更の有無を尋ねたものではないし、さらに、原告浅野に対して、所属について「何度も」尋ねた事実もないから、原告浅野の同記述は事実に反する、ないし誇張されたものである。 〕

 

 学会が2016年1月発行の紀要だけを問題にし、白紙発行まで強行したのは、学会内部の私に敵意を持つグループによる執拗な学会執行部への圧力があったからだとしか思えません。本件ワークショップは、私を解雇に追い込んだ同大新町キャンパスで開かれ、学会の大会運営は私を排除した小黒教授が中心になって担ったのです。私の解雇に抗議していた学生、元学生、保護者たちは、学会が開かれた2日間、開場前で私の解雇撤回をも求めるビラを配っています。多くの会員が受け取り、「浅野先生が解雇されたのは知らなかった」などと反響がありました。ワークショップの当日、学生と元ゼミ生の母親たちが新町校舎でビラを配布した際、小黒教授が一眼レフカメラで学生たちの写真を撮っています。

同大で行われた本件ワークショップの報告文に、私の雇用問題に絡んだ所属表記問題が学会紀要に残すわけにはいかなかった会員たちがいたのです。

学会は一度も私からヒアリングもせずに、学会役員の間での引き継ぎだけで、白紙発行を正当化しています。学会が私の所属機関の表記について「何度も尋ねた事実もない」というウソまでついています。

 私との協議を途中で勝手に打ち切り、所属表記を一方的に変更しておいて、その経緯をワークショップで報告し、参加者とも討論したことが、なぜワークショップと関係ないと言い切れるのでしょうか。参加者から事情を聞くべきではないでしょうか。

 学会の理事会の「派閥政治」についても知ってほしいと思います。学会内では、学閥、大学・研究機関間のライバル関係、人間関係で理事が選ばれます。

学会は理事(任期2年)を選ぶ際、日本を東西に分けて連記制で選挙をしています。十数名のグループを持てば、理事を複数送り込めます。1期2年で、連続の就任はできません。渡辺氏の「渡辺グループ」は常に理事3、4名を送り込んできました。

学会は、企業メディアも会員になっていることから、マスコミ界からの影響もあります。

 

最後に、学会の佐藤会長と渡辺氏との関係に触れておきたいと思います。佐藤氏は東京大学新聞研究所助手から、私と同時に1994年に同大社会学科新聞学専攻に専任講師として採用され、助教授だった2001年に同大を退職し、日本国際文化研究所の助教授に転出し、その後、出身大学の京都大学大学院教授になりました。佐藤氏は同大の専任教員時代に、渡辺氏から一定の距離を置いたため、「フクロウのような奴」などと罵倒され、同大を去りました。渡辺氏は「佐藤卓己は二度と同大の敷地に入れない」「京大になんか絶対に戻れっこない」と公言し、佐藤氏を嘱託講師で呼ぶことにも反対していました。佐藤氏は故・西部邁氏に近く、「ドイツ人も本当は過去を反省していない」などと学生に言っており、私とは思想がかなり違っていました。最近でも、新聞の軽減税率の議論では、「新聞は食品と同じ公共財」と主張していました。

犬猿の仲だったはずの佐藤、渡辺両氏が喜田村氏を代理人にして、私たちの訴訟に対抗しているのは、なぜか、この裁判で明らかになることを期待しています。

裁判官のみなさんには、学会が企画したワークショップの報告文を、ほとんど説明なしに、白紙で発行して、一切の話し合いを拒んでいる学会の暴挙を「学問の自由」の裁量の範囲内と見ずに、証拠に基づいて、正義の判断をしてくださるようお願いします。

 

添付資料

学会から浅野へ送られてきた「2013年度会員登録内容確認書」

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2018716日現在のプロフィール  浅野健一(あさの・けんいち)      

1948年、香川県高松市生まれ。6667年AFS国際奨学生として米ミズーリ州スプリングフィールド市立高校へ留学、卒業。72年、慶應義塾大学経済学部卒業、社団法人共同通信社入社。編集局社会部、千葉支局、ラジオ・テレビ局企画部、編集局外信部を経て、89年から92年までジャカルタ支局長。帰国後、外信部デスク。7778年、共同通信労組関東支部委員長。943月末、共同通信退社。 944月から同志社大学社会学部メディア学科教授、同大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士課程教授(京都地裁民事6部で地位確認係争中)。20024月から20036月まで、英ウエストミンスター大学客員研究員。9612月から9712月まで、同志社大学教職員組合委員長。 993月から10月まで、厚生省公衆衛生審議会疾病部会臓器移植専門委員会委員。 共同通信社社友会準会員。人権と報道・連絡会(連絡先:〒1688691 東京杉並南郵便局私書箱23号)世話人。

単著 『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫、新風舎文庫)、『犯罪報道は変えられる』(日本評論社、『新・犯罪報道の犯罪』と改題して講談社文庫に)、『犯罪報道と警察』(三一新書)、『過激派報道の犯罪』(三一新書)、『客観報道・隠されるニュースソース』(筑摩書房、『マスコミ報道の犯罪』と改題し講談社文庫に)、『出国命令 インドネシア取材1200日』(日本評論社、『日本大使館の犯罪』と改題し講談社文庫)、『日本は世界の敵になる ODAの犯罪』(三一書房)、『メディア・ファシズムの時代』(明石書店)、『「犯罪報道」の再犯 さらば共同通信社』(第三書館)、『オウム「破防法」とマスメディア』(第三書館)、『犯罪報道とメディアの良心 匿名報道と揺れる実名報道』(第三書館)、『天皇の記者たち 大新聞のアジア侵略』(スリーエーネットワーク)、『メディア・リンチ』(潮出版)『脳死移植報道の迷走』(創出版)、『メディア規制に対抗できるぞ!報道評議会』(現代人文社)、『「報道加害」の現場を歩く』(社会評論社)、『新版 犯罪報道の犯罪』(新風舎文庫)『戦争報道の犯罪 大本営発表化するメディア』(社会評論社)、『メディア「凶乱」(フレンジー)──報道加害と冤罪の構造を撃つ』(社会評論社)『裁判員と「犯罪報道の犯罪」』(昭和堂)『記者クラブ解体新書』(現代人文社)、『安倍政権・言論弾圧の犯罪』(社会評論社)。  

編著 『スパイ防止法がやってきた』(社会評論社)、『天皇とマスコミ報道』(三一新書)、『カンボジア派兵』(労働大学)、『激論・新聞に未来はあるのか ジャーナリストを志望する学生に送る』(現代人文社ブックレット)、『ナヌムの家を訪ねて 日本軍慰安婦から学んだ戦争責任』(浅野健一ゼミ編、現代人文社)、『イラク日本人拘束事件と「自己責任論」報道』(浅野健一ゼミ編、現代人文社)。

共編著 『無責任なマスメディア』(山口正紀氏との共編、現代人文社)。

共著に『ここにも差別が』(解放出版社)、『死刑囚からあなたへ』(インパクト出版会)、『アジアの人びとを知る本1・環境破壊とたたかう人びと』(大月書店)、『メディア学の現在』(世界思想社)、『検証・オウム報道』(現代人文社)、『匿名報道』(山口正紀氏との共著、学陽書房)、『激論 世紀末ニッポン』(鈴木邦男氏との共著、三一新書)、『松本サリン事件報道の罪と罰』(河野義行氏との共著、第三文明社、講談社文庫)、『大学とアジア太平洋戦争』(白井厚氏編、日本経済評論社)、『オウム破防法事件の記録』(オウム破防法弁護団編著、社会思想社)、『英雄から爆弾犯にされて』(三一書房)、『新聞記者をやめたくなったときの本』〈北村肇編、現代人文社)、『プライバシーと出版・報道の自由』〈青弓社編集部編、青弓社)、「週刊金曜日」別冊ブックレット『金曜芸能 報道される側の論理』(金曜日)、『検証・「拉致帰国者」マスコミ報道』(人権と報道・連絡会編、社会評論社)、『抗う勇気 ノーム・チョムスキー+浅野健一 対談』(現代人文社)、『対論・日本のマスメディアと私たち』(野田正彰氏との共著、晃洋書房)、『「ごめん」で済むなら警察はいらない』(柳原浩氏との共著、桂書房)、『冤罪はいつまで続くのか』(矢澤昇治氏との共著、花伝社)、『憲法から見た実名犯罪報道』(飯島滋明編、現代人文社)、『20人の識者からみた「小沢事件の真実」(日本文芸社)、『いいがかり 原発「吉田調書」記事取り消し事件と朝日新聞の迷走』(編集代表・鎌田慧ら、七つ森書館)、『冤罪とジャーナリズムの危機 浅野健一ゼミin西宮』(鹿砦社)などがある。

オ・ヨンホ著『オーマイニュースの挑戦』(太田出版)、斉間満著『匿名報道の記録 あるローカル新聞社の試み』(創風社出版)に解説を書いている。監修ビデオに『ドキュメント 人権と報道の旅』(製作・オーパス、発行・現代人文社)がある。資格;1968年、運輸相より通訳案内業(英語)免許取得 

ネット情報 ◇浅野ゼミHP http://www1.doshisha.ac.jp/~yowada/kasano/index.html 

◇人権と報道・連絡会 http://www.jca.apc.org/~jimporen/ 

◇浅野教授の文春裁判を支援する会http://www.support-asano.net/index.html   
日本マスコミ学会裁判添付資料

              
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