2006年12月22日

もう一度、「繰り返し」の是非について

しつこいかもしれないが、重要なことなので、「繰り返し」(オウム返しも含むが、ここでは、簡略化のために「繰り返し」という用語で代表する)について、もう一度書いておきたい。

日常会話の中で、軽い感じで、無意識のうちに、自然発生的に出てくる「同じ言葉」は問題ないだろう。なぜなら、このような場合は、相手の言葉を「意図的」に繰り返そうとして繰り返しているのではなく、自然とそうなってしまったからである。私が問題視しているのは、「技法として意図的に繰り返す」という意味での「同じ言葉」のことである。

しかし、残念ながら、これら二つの「同じ言葉」が、どちらも「繰り返し」と称されることが多いため、初心者は混乱するのである。

極端に分けるとすれば、

意図的に同じ言葉を言うこと(=繰り返し) ×
意図するわけでなく、自然と無意識的に同じ言葉が出てくること ○

ということになる。

カウンセリング研修のロールプレイング場面で、カウンセラー役として何らかのことを言わなければならないという状況で、反射的に「繰り返し」をしてしまうという体験は、多くの人がしていると思う。
また、相手(クライエント役)の話が、短すぎたり、分かりやすすぎる場合も、「繰り返し」でしか応答できないことがある。

たとえば、クライエント役の人が、次のように言ったとしよう。

クライエント役:「今日は、ここまで車で来ました」

本来、この程度の話題では、いちいち共感的応答をする必要はないのであるが、ロールプレイングは応答をする「練習」が目的であるから、何か言わなければ「練習」にならない。そこで、たとえば、

カウンセラー役:「車で来たんですね」

と、「繰り返し」をしてしまうのである。

しかし、私がカウンセラー役をする場合、次のような応答をすることがある。

浅野:「何も話題がなくて困っているんですね」

もし、これがクライエント役の人の気持ちと違っていれば、

「いいえ、実は……」

と続けて話してくれるだろう。共感的応答は違っていてもいいのである。

もし合っていれば、

「はい、このような練習は初めてなので、急に何か話せと言われても、話したいことを思いつきません……」

というように、クライエント役の、文字通り「いま、ここで」の思いや気持ちを語ってくれるかもしれない。

このような応答については、少し深入りしすぎるという批判があるかもしれないが、共感的応答の「練習」だからこそ、このような挑戦をお勧めしたいのである。もちろん、練習の場だけでなく、実際のカウンセリングの場面でも活用してもらいたい。
ただし、このような応答は、あくまでも、カウンセラーの理解の仕方が合っているかどうかをクライエントに確かめることが目的である。決してカウンセラーの理解を押し付けてはならない。

この稿の最後に、ロジャーズの言葉を紹介する。

 そのアプローチ(非指示的療法)全体が、数年のうちにひとつの技法として知られるようになり、「非指示的療法とは、クライエントの感情を反射していく技法である」と述べられるようになってしまった。さらにひどい真似事として、「非指示的療法では、クライエントが述べた最後の言葉を繰り返せばよい」というのもあった。私は、自分たちが提唱しているアプローチが、こうして完全に歪曲されたことにショックを受けた。そのため、その後数年間は、共感的傾聴に関して何も述べないようにした。再びこれを強調するようになった時点では、共感的態度に重点をおいて、対人関係の中でどのように実行していくかについては少ししか述べないようにした。

参考文献:C・R・ロジャーズ著/畠瀬直子監訳『人間尊重の心理学』(A way of being)創元社 130ページ
ただし、趣旨を変えない範囲で、浅野が若干書き換えた。


2006年11月13日

共感的理解は、少しくらい違っていてもOK!(2)

傾聴が、その重要性の割には、いまだに広く社会に浸透していない理由を、いつも考えている私としては、このブログにたくさんのコメントをいただき嬉しく思っている。
傾聴は、カウンセリングの基本的概念と技法であるが、それが、さまざまに理解・解釈され使われている現状をかいま見たような気がする。

ところで、ここ数日のブログ記事の中で、私は、受容・共感的理解・傾聴などの語句を、厳密な定義や区別をしないで使っている。専門家(私も専門家の一人であるが……)から見れば、とんでもないことかもしれない。

しかし、それには理由がある。
一番の理由は、それぞれが複雑かつ奥の深い概念なので、研究者によってさまざまな定義がされているため、それ(語句の意味の違いや研究者による定義の違い)を厳密に区別しながら論じようとすると、話がなかなか先に進まないからである。
つまり、ただでさえ難しい話が、ますます難しくなってしまうからである。
したがって、ここでは、それらの意味をどのように定義したとしても、常識的な範囲内であるなら問題ないとして話を進めている。

言い訳はこれくらいにして、今回、私が、「共感的理解は、少しくらい違っていてもOK!」と主張している根拠の一つを、ロジャーズの著書の中から紹介する。

『ロージァズ全集・第2巻』のなかでロジャーズは、「あまり重要でない誤り」として次のようなことを書いている。
ただし、分かりやすくするために、主旨を変えない範囲で、浅野が字句を若干書き換えたことをお断りしておく。

ロジャーズは、

カウンセラーが、クライエントの感情を不正確に理解して(つまり誤解して)、それをクライエントに言葉で伝えた場合、多くのクライエントはカウンセラーの言葉を否定するであろう。このような場合、その指摘を受けたカウンセラーが、自分の誤りを素直に認めることにより、その点についてクライエントと議論するようなことをしなければ、カウンセリングの進行にとって、なんら害になることはない。

と言うのである。

もちろん、そのすぐあとでは、

しかし、このような誤りが繰り返されると、クライエントは、自分が理解されていないという感じをもつため、カウンセリングの過程が長引いてしまう。

とも書いている。

もしかしたら、ロジャーズがこのように書いているのを知って、驚いた人がいるかもしれない。
もしそうだとしたら、それは、ロジャーズが提唱した来談者中心療法が、ロジャーズの手を離れて、かなりいろいろな方向に一人歩きしてしまった証の一つであろう。

参考文献:C・R・ロージァズ ロージァズ全集・第2巻「カウンセリング」岩崎学術出版社 1966

浅野の注:ロジャーズの名前の表記は、時代により相違がある。1960年代に日本で『ロージァズ全集』が出版された頃は、ロージァズという表記が一般的だったようである。


2006年10月28日

共感的理解は、少しくらい違っていてもOK!(1)

カウンセリングを習っている段階では、共感の内容(カウンセラーの応答)が違っていると、講師(あるいは世話人)から(時には厳しい)指摘を受ける。これは、適切な共感的(感情移入的)理解ができるように訓練することがカウンセリング研修の目的であるから当然のことかもしれない。

しかし、実際のカウンセリング場面では。共感の内容が少しくらい違っていても、ほとんど問題ではない(もちろん違いが多すぎると信頼されなくなるので要注意だが)。
まして、日常生活での傾聴場面における多少の違い(失敗)は、まったく問題ではないだろう。むしろ、少しばかりの「失敗」を恐れるあまり、違っている可能性のない「繰り返し」「オウム返し」だけで応じることの方が問題だと思う。

なお、ここでいう「繰り返し」「オウム返し」とは、相手の発言の全部(短い発言の場合)、あるいは一部(長い発言の場合)を、そっくりそのまま(わずかな言い換えも含む)の言葉で言うことを意味する。

たとえば、ある女性が、「私、どうしても友達が欲しいんです。でも、近付こうとすると、いつもサッと逃げられて、その度に傷付いてしまいます。それで、家に帰ってから、自分でも何だかわからないけれど、母親に当ってしまうんです。母親に悪いなあってことはわかっているんですけど……」(浅野良雄・妹尾信孝著『輝いて生きる』から抜粋)と、悩みを訴えたとする。

「繰り返し」「オウム返し」とは、これに対して、単に機械的に、

「傷付いてしまうんですね」
「母親に当たってしまうんですね」
「母親に悪いなあと思っているんですね」

などと応じることを指している。

つまり、私は、「繰り返し」「オウム返し」という用語を、「単に機械的(テープレコーダーの再生か、文字通りオウムのように)に同じ言葉を反復する」という意味で使っている。
(他の人もほぼ同じような意味で使っていると思われるが、「繰り返し」「オウム返し」について詳細に検討している文献がほとんどないのでなんとも言えない)

もちろん、人間は機械やオウムではないから、相手の発言内容を少なからず「理解」した上での応答だろうが、相手にとっては、本当に理解された上での応答なのか、口先だけの応答なのかという判別がつきにくいところが、「繰り返し」「オウム返し」の大きなデメリットの一つである。

ただし、一つだけ例外がある。
「その言葉に、相手にとって重要な感情が込められている」と聞き手が感じた時(これができるようになるには適切な訓練と経験が必要)は、その言葉を変えずに応答することがある。

たとえば、上の例で、
「私、どうしても友達が欲しいんです」
というところに感情が込められていると聞き手が感じた場合、

「どうしても友達が欲しいんですね」

と応答することがある。

しかし、ここで大事なことは、「どうしても友達が欲しいんですね」という言葉を「繰り返し」「オウム返し」したのではなく、その言葉が、相手が言いたいこと(考え・気持ち・感情など)の「要点」だと聞き手が感じたから、その言葉をそのまま使って応答したということである。

この場合、一見「繰り返し」「オウム返し」のように見えるが、そのように応じた理由も目的も、「繰り返し」「オウム返し」とは全く異なっている。

私がカウンセリングを習った、ある先生は、「共感的理解の結果、たまたま相手の言葉の『繰り返し』になることはあるが、はじめから『繰り返しをしよう』と思ってするのではない」と説明していた。

ここでまとめておくと、聞き手の応答において、

■共感的理解の結果が、一見「繰り返し」「オウム返し」に見える応答になることはあっても、
■「繰り返し」「オウム返し」が、共感的理解をしたことにはならないということである。


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2006年10月20日

コミュニケーション・ミスの原因と対策

〈対話法〉は、信頼関係を築いたり、対人関係をスムーズにするということだけでなく、組織や団体、学校など、多くの人間が「言葉」を交わす場におけるコミュニケーション・ミスの修復や予防にも役立つ。
(信頼関係とコミュニケーション・ミスは大いに関係しているが、また別の機会に書いてみたい)

コミュニケーション・ミスは、コミュニケーション・エラーとも呼ばれる。
どんな意味なのか簡単に言うと、人間がすることに完全はないため、あらゆるコミュニケーション場面において、無意識的(故意を含むこともある)に起こる「言い間違い」や「聞き違い」(それ以外にもたくさんの種類がある)などのことである。
そして、コミュニケーション・ミスを論じる(原因を探したり対策を考えること)場合に重要なのは、基本的に特定の個人に原因や責任があるわけでなく、それは、「コミュニケーション」という行為自体がもっている宿命であるという認識である。

しかし、先にも書いたように、多くの場合、無意識的であり、誰に責任があるわけではないにも関らず、それが一因になって、人間関係が悪くなってしまうこともあるため、コミュニケーション・ミスは放置できない。
そして、〈対話法〉で提唱しているのは、それを「確認型応答」で防ごうとする方法である。

もちろん「確認型応答」だけでは完璧とは言えないので、他にも様々な対策が必要である。

コミュニケーション・ミスの分析については、「小野和俊のブログ」などが面白い。

また、この記事を教えてくれた、「無量大数」のブログも参考になる。

もっと詳しく知りたい人は、たとえば、

■西川一廉・小牧一裕著『コミュニケーションプロセス』二瓶社

などの専門書を参考にしてほしい。


2006年10月15日

受容・共感・傾聴は「繰り返し」や「オウム返し」でいいのだろうか?

これは、以前から疑問に思っていたことである。

カウンセリングでは、受容・共感・傾聴が重要なスキル(技法)だ。
これは、疑いないことだと思うが、それを、カウンセリングの入門講座で習うとき、しばしば、「繰り返し」や「オウム返し」という技法の形で説明され、実技指導されることがある。もちろん、指導者によって違いはある。

また、カウンセリング関連の専門書でも、「繰り返し」や「オウム返し」などが、
あたかも受容・共感・傾聴の具体的な方法であると説明されているものがある。

ところが、受容・共感・傾聴について研究・提唱した当のC・R・ロジャーズは、
「繰り返し」や「オウム返し」を勧めてはいない。
なぜなら、「繰り返し」や「オウム返し」には、多くの問題があるからだ。

私が提唱している〈対話法〉、特に「確認型応答」という概念と技法は、この問題点をなんとかクリアしたいという切なる思いにより考案したものである。

どこが問題なのかということや、では、どうすればいいかということについては、
すでに対話法研究所のホームページや著書で書いている。
しかし、その後気づいたことや、ロジャーズの論文から紹介したい部分も多々
あるので、このブログで、追々書いていく予定である。

参考:
自分の「繰り返し」が他のメンバーに違和感をもたれたという体験談が書かれたブログの一文を紹介する。
正解があるなら聞きたいが…


2006年10月03日

東京〈対話法〉研修会の開催

このたび、対話法研究所は、東京事務所を開くことになりました。
所長の浅野は群馬県に住んでいるため、常駐は出来ませんが、主に研修会場として使う予定でいます。

それを記念して、下記の要領で研修会を計画しました。
東京都内では久しぶりの開催になります。申し込みをお待ちしております。

---東京事務所開設記念---

  対話法研究所主催

第3回 東京〈対話法〉研修会

日時:2006年10月29日(日)

◇午前セッション 午前10時30分〜午後1時(開場10時)
◇午後セッション 午後2時〜4時30分
 (どちらか片方でも参加できます。2セッションの参加も可能です)

会場:対話法研究所東京事務所
   東京都文京区本郷3-37-8 本郷春木町ビル9階

 地下鉄「都営大江戸線本郷三丁目駅」から徒歩約5分
    「丸ノ内線本郷三丁目駅」から徒歩約10分

世話人(講師):浅野良雄(対話法研究所所長)

参加資格:「確認型応答」を中心としたコミュニケーション技法を日常の仕事や生活に役立てたいと思っている方ならどなたでも参加できます。

内容:「確認型応答」を使った安心・安全な雰囲気のなかで人間関係の機微を体験しながらコミュニケーション技法を学び合います。いわゆる参加型(講師の話を聞くだけでなく参加者同士が交流する)の研修会です。カウンセリングで使われる傾聴技法の実習にも役立ちます。

◇午前セッションの中心テーマ:〈対話法〉ってなんだろう---〈対話法〉の全体像
◇午後セッションの中心テーマ:相手が言いたいことはなんだろう

参加費:1セッション 3,000円/人
    (当日会場でお支払いください)
割引料金(初参加者、高校生以下、各地の対話法の会世話人):
     1セッション 2,500円/人

定員:12人
  (前日まで受け付けますが、各セッションとも定員になり次第締め切ります)

問合せと申し込み:E-メール institute8@taiwa.org

主催:対話法研究所 ホームページ http://www.taiwa.org/in.html
後援:日本対話法研究会

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2006年09月18日

〈対話法〉のすすめメッセージ

〈対話法〉のすすめメッセージ Ver.3.3

1.はじめに
 人間は、自分の考えや気持ちをできるだけ正確に伝えたい欲求を持っています。対話においては、この欲求を互いに認め合うことが大切です。お互いを尊重し合うことによって信頼関係が深まり、本音の交流ができるようになります。

2. コミュニケーション・エラー
(1)私たちが1対1で話すとき、また数人で話し合いをするとき、必ずしも「自分が言いたいこと」を正確に表現しているとは限りません。逆に、ひとの話を聞く場合、「相手が言いたいこと」を正確に理解しているとも限りません。ここから誤解がうまれます。誤解は、対人トラブルの原因の一つです。
(2)対話の場面において、お互いの考え方や意見が対立しているようにみえても、じつは単なるコミュニケーション・エラーにすぎない場合があります。それは、言い間違い・あいまいな言い方・言葉足らず・聞き間違い・思い違い・思い込みなどです。たったそれだけの原因でお互いの人間関係が悪くなるのはもったいないことです。

3. 〈対話法〉の提唱
 対人トラブルを防ぐには、コミュニケーションの質の向上が必要です。適切なコミュニケーション技法をつかえば、対話や話し合いがスムーズになり、トラブルの大半は小さいうちに解消できます。また、生じてしまったトラブルも、解決の方向に向けることができます。浅野は、この技法を〈対話法〉と名付け、有効性を提唱しながら普及活動を進めています。また、一般の人が習得しやすいように、技法を極限まで簡略化したことが〈対話法〉の特徴です。

4. 応答の種類
 私たちは、ほとんどの対話場面において、相手の話を聞いたあと、すぐに自分の判断(賛成か反対)・意見・質問などで応答します(反応型応答)。しかし、私たちがあまり意識してこなかった応答に「確認」という方法があります。これは、聞き手が理解したことや受け取った内容などを「こう理解していいですか、こう受け取っていいですか」という気持ちをこめて相手に確認することです(確認型応答)。この応答は、誤解を防ぐために役立ちます。

5. 確認の方法
(1)確認というのは、「…ですね」「…ということですね」「…ということを言いたいのですね」「…というように理解していいですね」などが語尾になるような応答です。…のところに、「相手が言いたいことの要点」を入れます。ただし、語尾をこのようにすればいいという形式的な確認は禁物です。
(2)「相手が言いたいこと」というのは、「相手はこういうことを言いたいのだろう」と、聞き手が理解したり推測した内容です。自分の理解や推測に自信がないときは、例外的に、「…ですか」「…ということですか」という疑問形になることもあります。

6. 〈対話法〉の原則と効果
(1)〈対話法〉の原則は、「自分の考えや気持ちを言う前に、相手が言いたいことの要点を、相手に言葉で確かめる」ことです。私たちが対話をするとき、必要に応じて、この原則をつかうと効果的です。
(2)重要な話をするときはもちろんのこと、対話の途中で誤解が生じたり、意見や感情の対立が起こりそうになった場合、それに気付いた人が「対話法の原則」を意識的につかうことにより、対話の軌道修正ができます。
(3)対話がスムーズに進行しているときは、いちいち確認する必要はありません。また、確認が大切だというのは、自分の意見を言ってはいけないという意味ではありません。むしろ、適切な確認をしながら対話を進めることにより、お互いの本音が言いやすい雰囲気をつくることが、〈対話法〉の一番の目的です。
(4)確認には、心理的な安心感や信頼感を育むはたらきもあります。

7. 練習の必要性
 適切な確認は、自動車の運転、スポーツ、習い事などと同様、一種の技術ですから、練習によって身につきます。

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■〈対話法〉の詳細や練習方法は、ホームページまたは浅野良雄著『輝いて生きる』(文芸社)をご覧ください。
■このメッセージの内容は少しずつ改訂します。最新の内容はホームページで確認してください。
        著者・発行者:対話法研究所 浅野良雄