2006年12月22日 12:42

もう一度、「繰り返し」の是非について

しつこいかもしれないが、重要なことなので、「繰り返し」(オウム返しも含むが、ここでは、簡略化のために「繰り返し」という用語で代表する)について、もう一度書いておきたい。

日常会話の中で、軽い感じで、無意識のうちに、自然発生的に出てくる「同じ言葉」は問題ないだろう。なぜなら、このような場合は、相手の言葉を「意図的」に繰り返そうとして繰り返しているのではなく、自然とそうなってしまったからである。私が問題視しているのは、「技法として意図的に繰り返す」という意味での「同じ言葉」のことである。

しかし、残念ながら、これら二つの「同じ言葉」が、どちらも「繰り返し」と称されることが多いため、初心者は混乱するのである。

極端に分けるとすれば、

意図的に同じ言葉を言うこと(=繰り返し) ×
意図するわけでなく、自然と無意識的に同じ言葉が出てくること ○

ということになる。

カウンセリング研修のロールプレイング場面で、カウンセラー役として何らかのことを言わなければならないという状況で、反射的に「繰り返し」をしてしまうという体験は、多くの人がしていると思う。
また、相手(クライエント役)の話が、短すぎたり、分かりやすすぎる場合も、「繰り返し」でしか応答できないことがある。

たとえば、クライエント役の人が、次のように言ったとしよう。

クライエント役:「今日は、ここまで車で来ました」

本来、この程度の話題では、いちいち共感的応答をする必要はないのであるが、ロールプレイングは応答をする「練習」が目的であるから、何か言わなければ「練習」にならない。そこで、たとえば、

カウンセラー役:「車で来たんですね」

と、「繰り返し」をしてしまうのである。

しかし、私がカウンセラー役をする場合、次のような応答をすることがある。

浅野:「何も話題がなくて困っているんですね」

もし、これがクライエント役の人の気持ちと違っていれば、

「いいえ、実は……」

と続けて話してくれるだろう。共感的応答は違っていてもいいのである。

もし合っていれば、

「はい、このような練習は初めてなので、急に何か話せと言われても、話したいことを思いつきません……」

というように、クライエント役の、文字通り「いま、ここで」の思いや気持ちを語ってくれるかもしれない。

このような応答については、少し深入りしすぎるという批判があるかもしれないが、共感的応答の「練習」だからこそ、このような挑戦をお勧めしたいのである。もちろん、練習の場だけでなく、実際のカウンセリングの場面でも活用してもらいたい。
ただし、このような応答は、あくまでも、カウンセラーの理解の仕方が合っているかどうかをクライエントに確かめることが目的である。決してカウンセラーの理解を押し付けてはならない。

この稿の最後に、ロジャーズの言葉を紹介する。

 そのアプローチ(非指示的療法)全体が、数年のうちにひとつの技法として知られるようになり、「非指示的療法とは、クライエントの感情を反射していく技法である」と述べられるようになってしまった。さらにひどい真似事として、「非指示的療法では、クライエントが述べた最後の言葉を繰り返せばよい」というのもあった。私は、自分たちが提唱しているアプローチが、こうして完全に歪曲されたことにショックを受けた。そのため、その後数年間は、共感的傾聴に関して何も述べないようにした。再びこれを強調するようになった時点では、共感的態度に重点をおいて、対人関係の中でどのように実行していくかについては少ししか述べないようにした。

参考文献:C・R・ロジャーズ著/畠瀬直子監訳『人間尊重の心理学』(A way of being)創元社 130ページ
ただし、趣旨を変えない範囲で、浅野が若干書き換えた。


コメント一覧

1. Posted by スタービーチ   2011年07月12日 20:46
熱い復活の声と共に前回より更にパワーアップして帰って来ました!スタビことスタービーチ

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