My Last Fight

言葉で、最後まで、たたかい続けるのだ!

ようやく読み終えた、
ポール・オースターの二著。『冬の日誌』『内面からの報告書』。
柴田元幸訳。
オースターの闘争


ポールが、こんなふうに語りだす。

自分はそんなふうにはならない、そう思っている。そんなことが自分に起きるはずはない、自分は世界でただ一人そういったことが何ひとつ起こらない人間なのだと。それがやがて、一つまた一つ、すべてが君の身に起こりはじめる ── ほかの誰もに起きるのと同じように。


やがて、ポールは「ミニチュア消防士」の、もう一つの役割を母親に問いただす。

赤ん坊がどこから来るのかをめぐる、標準的な質問。つまり、君はどこから来たのか、いかなる神秘的なプロセスを経て一個の人間として世界に入ってきたのか?


異性との出会いがある。いや、その前に「百フラン(二十ドル)差し出せばここにいる女たちの誰とでも寝られるんだと思う」と急襲する「眩暈」があった。コロンビア大学では、こつこつ授業にでて、映画評や書評を寄稿し、詩を書き、翻訳もし、長篇小説にも挑戦するという「君」は、やっぱり「頑固な若者」、いや「頑固な、協力を拒む若者」でもあった。あの日の「デイリー・ニュース」紙に、護送車に引きづられた「君」の写真が載っている。

二十歳の「君」は、コロンビア大学での2年目を「悪い夢と苦悶の1年として記憶している」。しかも「君は逃げ出したくてたまらなかった」。世界が目の前で崩壊しつつあるという確信が募っていく。だが「僕はまた少しずつ書いている……そして政治とマルクス主義の本を読んでいる」。

本一冊分の議論を、数ページで書こうとしている。おそらく君は疲れている。たぶん酔ってもいるし、間違いなく惨めで寂しい気持ちでいる。この後二、三段落において、アメリカの抑圧された階級が蜂起しないのはナショナリズムの神話にだまされて自分たちは抑圧されていないと思い込んでいるからだと説いたあと、締めくくりに中流階級に向けて、故意の自壊を君は呼びかける。「中流階級の若者が(例えば僕と君が)、自らが育てられてきた社会を無効化するのだ ── 己の階級が体現しているものを恥じて階級を超越し、貧しい人々、迫害された民族と連帯する為に」。君は手紙にこうサインする ── 「哀しい、半ば麻痺したポール」


コロンビア大学での闘争は、「君」を変えていく。
「君は見るからに彼女を楽しませようとしていて、ありふれた出来事の連なりを一種自堕落な冒険物語に仕立て上げている」。

私は、唐突にマイケル・チミノ監督の映画「鹿撃ち」を思い出す。いや、正確に言うと、あの熱狂のダンス・シーンを、なぜか、ヴィスコンティの大作「山猫」の大舞踏会に重ねたもの=「巨匠に闘いを挑むリアリズム」と分析している「自分」を思い出していたのだ。その「自分」は、はなから闘いの舞台から降りている。未だ新しい世界は姿を現してはいない、などとうそぶいて。ロシアンルーレットに言葉の弾を込める者と、親愛なる彼らを必死で制止しながら涙を流す若きロバートとメリルの、その真っ黒な絶望は続くのだ、として。著者ポール・オースターは、そんな兄と妹にはさまれて生きている。1971年の魚の骨も二十歳の時の淋病も5年後のケジラミも大変なことには違いなかったと思うけれど、2002年のノイローゼほど「君」をビビらせたものはなかったはずだ。

しかし「君」は、変わっちゃいなかった ── 兄と妹と同様に。
「君」も見たろう? 二人の反トランプのビデオを。

君がすることをするためには、歩く必要がある。歩くことで言葉が君にもたらされ、頭の中で書いている言葉のリズムが聞こえてくる。片足を前に出し、もう片方の足を前に出す、心臓の二重の太鼓音。二つの目、二つの耳、二本の腕、二本の脚、二つの足先。これ、そしてあれ。あれ、そしてこれ。書くことは体の中で始まる。それは体の音楽であり、言葉に意味はあっても、言葉が時には意味を持てても、言葉の音楽こそ意味が始まる場なのだ。君は言葉を書きとめるために机に向かうが、頭の中ではまだ歩いている、つねに歩いている、聞こえているのは心臓のリズム、心臓の鼓動だ。マンデリシュターム ── 「『神曲』に取り組んでいるあいだダンテは何足サンダルをはきつぶしただろう」。小さなダンスとしての書くこと。


私は、ようやく組織と個人が統一しうる/すべきもの、という感覚を得ている。
ポールの素晴らしい表現から刺激を受けて、リトル・トゥー・レイト、
遅まきながらデモする個々人の、ビラを配る個々人の、電話がけする個々人の(笑)活きた暮らしの物語の大きな価値について胸を張れるようになったのだ。

で、
今朝の未明に届いた東京都中野区のガクちゃんからの写真(笑)。
「いま国会にいます!」
ガクちゃんの写真


 せんじつ、私たちの支部は、
ようやく「新入党員歓迎会」を開催するところまで前進したのである。

私は、売れない純文学の作家であるとともに、
 地域で党活動を続けている以上、
必ず、というか、少しずつ、その党支部の、支部長の任に近づいていく。

東京・中野区上高田の月1万円・四畳半アパートでも、
東京・文京区千石のマンションでも、
東京・目黒区自由が丘の戸建てに間借りしてても、

成人喘息を得て、転地療養を目指した神奈川・湯河原の借家でも。

(どうやら病気は、私の場合、支部長の任を断る理由にならないらしい)

そしていま、
 私は、
やはり、
 地域支部の支部長として、

新たな入党の呼びかけをしたり、
「支部だより」を作ったり、
 党員訪問をしたり、

 安倍政権打倒・共謀罪粉砕の、
小さな社会運動を大きくしようと奮闘したりしている。

(病気の自称「純文学作家」=働いていない=自由に活動できる人!)

そして、
 せんじつの「新入党員歓迎会」の席では、
 新しく仲間に加わったOさんが、次のように言って場をわかせた。

私は、さいきんの流行り言葉(?)で言えば、「隠れ共産党」そのものでした。
私の親父は、戦前の日本を知っていて、この村で、治安維持法で、とっ捕まった人をみておりまして、親父は「なんで、あの人が、こんなことになるのじゃろう」と、そう言っておりましたが、子どもだった私が覚えておりますのは、そんな 親父が、ものすごく小さな声で「共産党は悪い人じゃないぞ」と言ったことであります。「マサオ、共産党の人は、いい人なんだからな」「真面目で、とてもいい人なんだ」と。なんで親父が、当時、そんなことを考えていたのか、さっぱり分かりませんが、もしかしたら共産党の人に助けてもらったのかもしれません。戦後も、私の親父は、ズーッと共産党を応援しておりました。ズーッと応援しているだけの人で、ぜんぜん党員じゃございません。ここにおられる加藤・元村議が、現役のときから、党員でもないのに、私からすると、党員以上の選挙活動をしていたような気がいたします。いま加藤センセイは、水墨画の仙人みたいに私の前に座っておりますが、生前、私の親父は「議場で加藤議員が怒ると怖いゾ。日頃の姿が一変して、汚職にまみれた村長を厳しく追及する加藤議員は、まるで阿修羅か仁王か」と言っておりました。何度も申しますが、親父は党員ではありませんでした。で、そのまま死んだ(笑)。こんなことを切り出したのは、とにもかくにも、私の家の家系というのは(笑)、親父と私と、二代続けて「隠れ共産党」だった、という事実であります。

私は、高校を出まして、まあ、ちょっとばかし頭(ココ)が良かったものですから、東京は下町の小さな工場で、ズーッと働き続けることが出来まして、もう、政治のこととか社会のこととか、一切がっさい、口にチャックというわけではありませんが、ズーッと、何も、ホントに一ッ言も言わないで暮らしておりました。まあ、働いて、食べて、寝て、働いて、食べて、寝て、嫁さんをもらって、娘と息子をひりだしてもらって、平和といえば平和、平穏といえば平穏に暮らしておりましたが、私は、とにもかくにも「隠れ共産党」であり続けました。ここンところが大事で、かつ重要、「隠れ共産党」であること、これだけは譲れない! とばかり、私は、ホントに不思議なもので、いろいろと共産党とはすれ違ったり、党員の人と接触したこともあったのですが、入党をすすめられたことはありませんでしたし、私の家系の方針は「隠れ共産党」でしたから、お互いにそれで良かったのだと、いまでは、そう総括しております(笑)。

そんな私が、なぜ、日本共産党に入ったか。
一言で申し上げれば、田所さん(仮名・ベテラン党員)に騙されたからであります!!

と、言うのは、本当であります(笑)。

私は、田所さんに「読みなさい」と言われた「綱領」と「規約」は読みましたし、もう何十年と、それこそ筋金入りの「隠れ共産党」でしたから、共産党自体にアレルギーがあるとか反共で凝り固まっているとか、そういうのないですから、綱領と規約までは、すんなり、分かるというか、その通りというか、面倒なことではなかったのであります。今回、「隠れ共産党」の、親父と私と二代にわたった立場を踏み越えてしまったのは、まずは、安倍政権のひどい、ホントにおかしな政治がありまして、これを何とか変えなくちゃいけない、そのためには、いいことを言っている日本共産党の一員になって、党のスクラムを大きくしなくちゃいけない、と思ったという点は、まったくその通りではあるにはあるのですが、その時、田所さんに「入れ、入れ」とすすめられて、ふと「(日本共産党は)そんなにいいところなのか?」「本当か?」と、そう、むくむく思い始めまして、私は「田所さん、そんなに『入れ、入れ』と言うなら、私、入りますよ、死んだ親父と一緒に!」と、こう言ってしまったわけでありますからして、先ほどから、私は、何度も、田所さんに騙された、と、こう言っているのであります。

ただ、ホントに、私の気持ちを、本当に正確に言うならば、

入党して、本当の日本共産党の姿を、自分の目で見たい!!

ということに尽きます。

私は「田所さんが、そんなに良い所だと言うのならば(笑)、そんじゃあ、ワシ、自分の目で見てやろう」という、こういう心の流れであります。実は「隠れ共産党」というのは、「隠れキリシタン」とはゼンゼン異なりまして、本当の組織の中というものを知りません。一方、「隠れキリシタン」というやつは、丸ごと時の政権の大弾圧を受けたわけでありまして、その点、私の親父も、もちろん私も、その大弾圧を黙って見ていたクチなのでありますから、同じ「隠れ」でも、全然、立場と責任が違うのであります。

それで、入党から、あっという間に1年がたちまして、何で今頃?という今になって、私の新入党員歓迎会を開くという知らせがあったわけですが、私は、入党して、まったく後悔しておりません。むしろ、もう、自分が日本共産党なのでありますから(笑)、支部会議が面白くないと思えば、そう言ってきましたし、文句たれてばかりでも仕方がないと思っていたら党大会があって、この『決定集』の81ページに、私の思っていたことが、もっとうまい具合に書いてある!!(笑) 党名も古臭いと、ズーッと思っておりましたが、「隠れ共産党」から一歩を踏み出した今は、不思議なことに、待てよ、いや待てよ、やっぱり、日本共産党のままでいいんじゃないか、と思っております。なぜだか分からないんだけれども、日本共産党という名前が、いま戦前の治安維持法とソックリな共謀罪だの、「五族協和」「教育勅語」の森友学園だのと出てくると、何だか、しっくりいく。

まあ、そんなこんなで……。



そして「新入党員歓迎会」は、その場で俯いて聞いていた水原さん(仮名)の熱い思いを引き出すことにもなりました。水原さん曰く「僕は、ほぼ足と腕は消えてしまった ── 首から下は消えてしまった『幽霊党員』でした」と切り出したのです。

労働者ではなくなった私には、
メイ・デイを心底から祝う理由はないのだ。

昔、東京でコマネズミのように働いていた時、
左翼の人間や労働組合の仲間と度々議論することがあり、
そのひとつが、
荒木栄の労働歌「がんばろう」を乗り越えるような文化が、
なぜ、現代に生まれないのか、という問いだった。

今日は、憲法記念日ということで、
平和主義とか個人の尊厳とか色々と強調されたと思うけれど、
ふと、たとえば、岡林信康「私たちの望むものは」が、
荒木の歌を思想的にも楽曲的にも乗り越えていたのだ、と感じる。

そのように私が言い切るにはあまりにも寂しくて痩(や)せた歌なのだが。

ただ、理由を一行で書くなら、

「私たち」から「私」への革命歌(←いまココ)

ということになろう。

岡林の歌は、「私たちの」と歌い出し、繰り返されていくけれども、
中盤あたりで「私」が誕生する。


私たちの望むものは
決して私たちではなく
私たちの望むものは
私でありつづけることなのだ


荒木の労働歌やインターナショナルな革命歌が、
「私たち」の一体感とか団結力を、仲間で歌い上げる恍惚とともに対象化させたとするなら、
岡林は、そうした強靭な鎧(よろい)を脱ぎ捨てて「私でありつづけること」を絶唱する。

私は、遅まきながら、
戦後日本の憲法が根本にすえる「私」=「個人」をうたう歴史の到来を知るのだ。
フォークもロックもパンクもポップスも全部その歴史のなかに咲き誇っているのだ、と。


しかし私の、ド素人の頑固な考えでは、
その「私」なり「個人」の先にある「われらとわれらの子孫のため」(前文)にこそ、
新しい文化の花は咲かせなくてはならないのだ。
その花の冠というのは、
荒木あるいは森田ヤエ子のそれを岡林のそれでねじりにねじったものだろう。

岡林信康「山谷ブルース」


私が生きる文学もまた労働歌や革命歌の弁証法と無縁ではない。
2020年に日本国憲法改正という安易なスケジュールが立てられた以上、
新しい花々の土台「われらとわれらの子孫のため」が骨抜きにされないように、
私は、甘ったれた内輪向けの語り口・無駄口を禁じて、
ドスの利いた声で歌わなくてはならない。


例えば、岡林の「山谷ブルース」をうたう八代亜紀の歌声のように。
私は、本当に大切なことを忘れるところだったよ。

「我々」から「私」への革命歌



 地元の議員さんと一緒に党員訪問(7人)おこなう。
 なかなか結集できない悩みや理由、生活の様子がわかる。

 
 妻は、明日の本祭礼の「お汁粉」の仕込みに忙しい。
 神社の境内で舞をまう村の子どもたちが楽しみにしている、というのだ。

 前夜祭には、売れない ──これからメジャーになる演歌歌手がやってくる。
 仕方なく、よる9時前、妻とふたりで真っ暗な坂道をのぼっていく。

 ドンッ。
 ドン、ドンッ。

 村祭りの花火


村祭りの花火2


村祭り花火3


 村の人たちが、裏山から打ち上げる花火が、間近すぎて、私たちの体にかかるほどだ。
 そして花火一発一発には、村の子どもたちの名前がつけられている!

 健康
 進学
 就職
 結婚

 妻が「ミサイルなんか絶対に飛ばせちゃいけないね」と言う。
 僕は「うん」と頷く。





 ステージの手前で、横山老人と出会う。
 老人は、大量の「あまご」を詰めたタッパーをもっており、私たちを探していたという。
 
 彼は、言う。

 奥の川での、たくさん釣れたもんで、食べるの、あんたたちに手伝ってほしい。
 これ、ぜんぶ、100パーセント天然だ、腹のなかも割いてきれいにしているから、
 唐揚げにするといい。ものすごく美味しい。
 ひとによっては「あまご」じゃなくて「やまめ」と呼ぶが、ワシらは「あまご」でいい。


長い取材が、ようやく終わる。

今回は車中泊4日、
私たちの「窮状」を見かねたのか(笑)、

たまたま2年前に取材した御夫婦と再会し、
別れた後「今夜は、うちんとこさ泊まっていけ!!」と。


仮面ライダーV3



メヒカリの唐揚げ、
カツオのお刺身、
ヤツデの団扇のような「めかぶ」、
うに・カニ・アワビの炊き込みご飯、
自家製の黒豆、干し芋、きゅうり・セロリの漬物、
奥様のシフォンケーキ&コーヒー、


本当に、本当に、
美味しゅうございました。
あたたかいお風呂の有り難みも身に沁(し)みました。
ありがとうございました。

蛇田コミュニティー祭り



震災から6年 ── 、
人間の連帯と協同が、なんとか、ギリギリ息づいていただけに、
(みなさん必死で、懸命に踏ん張っておられました)
大きな市場に、この間、魚が入っていなかったことが心配だ。


しかし「萌える有志」のキャラクター「石野真希ちゃん」の、
手作り感には笑って泣けたなッス。本当にありがとう。

石野真希プロジェクト



先日のこと。

私は、妻と姪っ子の三人でインターネットテレビ「とことん共産党」を視聴した。
ふだんコンスタントに見ることはないのだけれど、
私の周辺から「神回だった!」という声が漏れ聞こえてきたため、
この動画を「家族」で見たのだ。

「神回」っていう言葉、ヤバイなあ……。



私は、
ゲスト・辛淑玉さんの言葉一つひとつに、
つらいこと悲しいことを含め豊かな経験に裏打ちされた感情がこもっていること、
一緒に話し合う相手へのいたわり、尊敬の念を大切にされていること、
それらが彼女の人生と仕事から生まれているのだろうという、
久しぶりの快感を味わった。
動画の放送時間が短くなっていくにつれて、
あたたかな涙で見ていられなくなった。

(私は、韓国籍の同級生が「オレを共産党に入れてくれ!」と言ったことを思い出していた)
(私は「日本国民しか入れないらしいんだよ」とウナダレて彼に告げた……)

そんな私を見て、妻も「貰い泣きしちゃう」とチョチョ切れてしまい、
内心「まったく変な家族だよなあ!!」と笑いへと転じようとする私に対し、
なんと中学生の姪っ子が、こう言い放ったのである。


──この辛さんという女性は、
おじさんたちは、ホールデンだと言ってるんだよ。
           わたしは、絶対そう思うよ──


え!?(どういうこと?)

私は、瞬間、姪っ子が何を言っているのか分からなかった。
だから「どういうことだよ?」と訊(き)く。
ホールデンとは、
言うまでもなくサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公の名前だ。

で、
姪っ子は、私に強く言った。

──あの「ホールデン」が、自分がなりたいと願ったもの、
 それが「キャッチャー・イン・ザ・ライ」だったわけじゃん!
だって、辛さんという女性の言葉、そのまんまなんだもん!


やばい、
やばいな、
やばい、やばい。


ところで昨日、ようやく落手した『MONKEY』(柴田元幸責任編集)。

あるいはパージされた文学のこと(笑)


特集の意味を、私自身にひきつけると「パージされること!」(笑)。

で、
作家・村上春樹さんは『MONKEY』最新号では「影」について語っている。

影とたたかうこと


村上さんの小説以外の仕事に目をくばってきた私は、
「影」と訊けば、やはり「アンダーグラウンド」と応えるだろう。

私の認識では、
日本の現段階は、昭和5年以降の「暗澹たる時代」(吉野源三郎)と似ている。
村上さんが追ったオウム真理教の悪夢は、
かつて日本全体が、
「国体」という名のインチキ宗教的狂気に包まれた時代の反復だったと考えると、
安倍政権のインチキぶり、
メディアの、幸福実現党なる団体の取り扱い方の危なさもともなって、
「ホールデン」のヤバさが「いま・ここ」に蘇(よみがえ)るという偶然も、
やはり必然として受け取ったほうがいいかもしれない。


戦争前夜の「レッド・パージ」の時代に、
日本の作家たちは何をなしたのか。

たとえば、
作家・小林多喜二たち。

たとえば、
83年ぶりの英訳「日本プロレタリア文学選集」
──『尊厳、正義、そして革命のために』(シカゴ大学出版局)の「全序文」
(ヘザー・ボウエン=ストライクス/ノーマ・フィールド共著、
まつきたかこ訳、『星灯』第4号)の批評たち。

この翻訳を読み進めると、
戦前の「プロ作家」が、
世界文学という枠組みで評価・分析される意義の大きさに打ちのめされる。

日本の私たちは何をしているのか!とね。

すなわち、
ヘザーさん、ノーマさん、これはヤバイ仕事だよ!! 
本当にありがとう!!


そうすると私の答えも簡単になる(笑)。

「個人的なことは政治的なこと」であるならば、
自分の「影」とたたかうことは、
まさに歴史修正主義とデマゴギー路線をひた走る安倍政権とたたかうことなんだ。

長い批評の直しが、ようやく終わる……。
本当に長い道のりだった。
が、私なりの全力は出せた気がする。

監督は社会を忠実に正直に描く


本文を書こうとしたら、夕食の招集の掛け声が!!
明日、書きます……。 

(2月1日付記)
この映画、実は、監督の演出によって彼のリアリズムが日本の私にはホラー化して響くという驚くべきものでした。例えば、伏線が回収されないとか、思わせぶり・意味深長なシーンがたくさん出てくるとか、私たち観客は、いわば宙ぶらりん状況でスクリーンを見ることになるのです。私たちの心は常に不安定な状態におかれるんですが、それが「父親」の気持ちであり、現代ルーマニアの現状だと思われるのです。

「エリザ」の「父親」から「真犯人」のごとく詰問されるエリザの恋人の存在もよくわからない。
いや彼は、「エリザ」の「父親」を突き飛ばし「年を考えろ!」と捨て置くのです!!
ムンジウ監督は、ルーマニアをになう世代の違いとともに、彼の短いセリフの中にも祖国の若者たちが抱えている二重の思い──「したたかさ」と「純粋さ」を込めている気がします。

私は「ホラー化」と書きましたが、
スクリーンに映し出される現代ルーマニアの社会で日常化しているものが、
日本の私には、自明と思われた秩序やモラルが崩壊し、
まるで底が割れたような世界として展開する、という意味です。
しかも、
遠く日本の、
われわれの周囲と地続きのような気持ちにさせるので、とても怖かったのです。

最初の作品といい、「汚れなき祈り」といい、
ムンジウ監督は、世界の崩壊に立ち会った人びとの苦闘・混乱を描く。
それが彼の一貫した主題ではないか、と思いました。

監督の言葉は、私を励ましました。

「近年のルーマニア映画を見てもらえば、いかに僕らが細部にまでこだわり、
  現実の社会を忠実に正直に反映したリアリズムで描こうとしているかを理解してもらえる」

ブログ読者のみなさん、
明けましておめでとうございます。

わたしの年末年始は、
昨年と同じように原稿書きに明け暮れました。

しかしながら
妻の実家で過ごしましたので、
家の中は部屋の隅々まで暖かく、

お義母さんと妻の、
手作りの「おせち」なるものがあり、
お義父さんが淹れてくださったコーヒーも食後に出されたりして、
(わたしは完全に恐縮しっぱなしでしたが……)
なんとか大きな批評の仕事に区切りをつけることが出来ました。

文学の生命力というか、
文学の大いなる未来というか、
わたしが歩んできた/歩んでいく道の豊かさというか、

そんなものを改めて掴むことが出来た年末年始でありました!
次はサイクル的には大きな小説・ルポであります(笑)。


で、

昨日5日、11日ぶりに寒い寒い山の中の自宅に帰宅し、
たくさんの郵便物の山に手をつけているところ。

まずは、
いま年賀状のお返しを書いているのでありますが、
裏書き(?)のあれこれを読むにつれ、

毎年毎年、
フリーターユニオン福岡には、
(わたしの生活のうち)唯一のカンパを送っているものの、

極貧のなかで泣く泣く退会した、
「首都圏青年ユニオンを支える会」再加入も考え始めております。
とりあえず「カネ」は確保したしな……(笑)。


今年もよろしくお願いします!! 
(年賀状しばしお待ち下さい)

「しんぶん赤旗」11月29日付に掲載されました。
編集局、学術・文化部のみなさん、本当にありがとうございました。

この映画の脚本が、
ロン・ナイスワーナーによる事実を知った時、
ハリウッド映画「フィラデルフィア」(1993年)との比較において
批評するべきだと思う。

権利獲得の闘争は前進する



結論的に言えば、
脚本家の目は、少数者の権利をめぐる闘争の前進面をとらえている、
その評価が大切だ。

だから僕は、
日本にも、いつかニール・ヤングのようなアーティストが生まれると確信している。

さいきん私は、
ようやく日刊「しんぶん赤旗」の【党活動】ページが楽しみになってきた。
なぜなら、先ごろの第6回中央委員会総会の「報告」「結語」とあわせて、
だいたい私の認識と一致するようになってきたからだ。

このように書くと、かなり不遜な感じ、
生来からの私の「上から目線」が滲(にじ)み出てしまうのだが、
それほど、
今回の「6中総」は、私の認識に衝撃を与えているのだ!


(私は、作家を廃業しなければならないところまで追い詰められている、
と感じるのだから……、こんな物言いを許してくれ。)


今回、
志位和夫委員長の「報告」「結語」は、
全国津々浦々から寄せられる(=つかみ取った)支部活動、
そして地区委員会の取り組みを、
ほとんどそのまま、
極めて具体的に紹介しており、
これまでの「中央委員会総会」の「報告」「結語」とは一線を画する、
と思われたほど ── すなわち、私が描こうとしている「物語」の原点が、
しっかりと掴まれていたのだから!

宮本顕治の場合、彼の「報告」は文学的であり、
批評的であり、
しばしば「真実は、行間にある」などと揶揄(やゆ)されるほど、
時に抽象的、雰囲気主義ですらあった。

不破哲三の場合、一転、小学生にも分かるような平易な文章を「駆使」し、
難しい事柄ほど、より理解できるように噛み砕かれて「報告」された。
あたかも党活動の隅々が照らされたかのごとく、
あいまいさは無くなり、
彼の「報告」や著作の内容は普遍性を帯びていく。
しかし私には、彼の分かりやすさ、平明さが導く「普遍」が、
時に鉄火場へと陥った現場とのミゾを、
より際立たせてしまう傾向を生んだのではないか、
と振り返ったりする。

かと言って、宮本顕治のような文体に帰れ、と言いたいのではない。

むしろ、いま志位和夫委員長が、
懸命に、
必死に、
まるで「吹竹」で、
ふうふう生命の炎を吹き込もうとしている「報告」「結語」の、
文章から立ち現れる具体的な活動事例(の紹介)こそ、
新しく、現代にふさわしいかたちなのではないか、と思われる。

私は、
今回、あたかも自分の小説のように(!)、
志位委員長の「報告」「結語」に現れた、
「支部の人びと」「地区の人々」を読んだのだ。

珠玉の短篇を読み終えた時のような震えがあった。
しかし、その震えは、
私たち党員の実践の先に開かれたゆえのものであり、
ゆらゆらと胸に沈んで凝り固まっていく文学のそれとは異なるものだ。

で、
ブログ読者のみなさんに、本日、紹介したいのは、
日刊「赤旗」の10月26日、27日、29日と、
3回にわたりルポされた名古屋北西地区委員会の取り組みなんですよ。
「うわぁ!」「スゴイ!」と驚くと同時に、
「俺たちにも挑戦できるのではないか?」と自問できる余地がある、と思って。

世代継承のカギは「おしゃべり」


足立裕紀子記者は、下記のような大野宙光・地区委員長の言葉を拾っている。

「数カ月に1回の1時間〜2時間の会議より、毎週の数十分の会議の方が支部の政治的自覚が高まると実感しています」(上)


「すでにやっていた青年党員の交流会にならって、『ゆんたく』を始めました。2年半になりますが、同世代の人間的つながりをつくり、自分が主人公になる営みを通して成長しています。バラバラだったこの世代の党員が連帯して活動に立ち上がる場になっている」(中)


「どんなに高齢化が進んだ支部でも、青年と相当数の結びつきがある。その結びつきが “見える” と、『この人知ってる』という声が必ず出てきます。名簿づくりは、支部と青年とのあらゆる接点の可視化なんです」(下)


そして足立記者は(下)にて、
「青年との接点を『可視化』」という見出しを立て、次のように書いている。

地区委員会が現在、支部とともにとりくんでいるのが、支部がもつ若い人とのあらゆる結びつき──「赤旗」読者・元読者や後援会ニュースを読んでいる世帯の青年、参院選の支持拡大で対話が弾んだ人など──を名簿にすることです。


全党員のつながりはダテじゃない



辻光子さん(68)が支部長を務める南飯田支部は、400人を超える20代の有権者名簿をつくりました。彼女はいう、「支部と党員がもつつながりを丁寧に出し合うと、いろんな形で青年と結びついていることもわかりました。目に見えるって大事ですね」と。

足立記者は、次の文章でルポを締めくくっている。

(辻支部長は)参院選では、住宅地図を見て、初めて青年むけのビラを配りました。
「平日の夜8時、9時でも電気がついていない部屋が多くて……。今の若い人の働き方がわかりました。『大運動』では、地区委員会がつくった署名を持って訪問活動に挑戦します」


このルポを読むと、
地区委員会や党役員の任務と役割 ── イニシアティヴが明らかになる。
さいきんの【党活動】ページには、そんな発見がいたるところにあるのだ。

私自身は、
「支部は、老人と病人の集まり」という批判にあらがって闘争してきた。
いよいよ負けられない舞台が近づいている。

昨日12日付の「しんぶん赤旗」に掲載されたようです。
編集局、学術・文化部のみなさん、ありがとうございました。
心に残る女性検察官の演技

いまネット上にて、
この映画の、いくつかの批評やコピー(惹句)を読むと、
戦場 VS 軍事法廷 という構図で捉えているものがありました。
戦争の現実を知らない「官僚」あるいは「銃後」という理解です。

しかし私の第一の感想は「法務官僚の存在こそ救いだった!」というもの。

デンマーク王国は、
米同時多発テロの直後から海外派兵の経験を積み重ねており、
新進の監督は、
祖国に渦巻く現実を踏まえてもなお長く残されていく問題群を、
普遍的な「ジレンマ」として提起したのだ、と思いました。

思うに、3つの「ジレンマ」。

1.他人の命を守るべき戦場で優先すべきは、自分の命か他人の命か。
2.選ぶべきは、誤って殺した子どもの命か、いま育てている自分の子どもの命か。
3.法の支配か、それとも戦争の現実か。

今回、シャルロット・ムンクという女優が「法務官僚」を演じていますが、
私は、彼女の演技にすっかり魅了されました。



かつて私は、
労働運動の世界にいた経験から「現場が大切だ」と何度も訴えてきましたが、
理由は、無法がまかり通る「現場」「現実」だったからです。

果たして「戦場」という現場に「法」は貫徹しうるのか。
この問いへの、監督の応答こそが、最大の見所なのです。


もちろん日本の明日を重ねることも出来ますが、
ここ連日の、
安倍政権の閣僚・官僚答弁のデタラメさ、その極みを見せつけられると、
私は、デンマーク王国の水準に重ねることは出来ません。

妻に頭を下げて、
生活協同組合(コープ)を通して買ってもらった(笑)、
宇多田ヒカルさんの新アルバム。

宇多田ヒカルは妻に似ている(笑)


全体的に悲しい感じがしたけれど、
彼女の「お守り」の力で幸せに暮らしております。
おれは、どこまでもバカだなあ……。

100年の古民家に引っ越しました!


映画の批評原稿を終えて、
さあ、年末に向けて2つの原稿に全力を尽くします!!

みなさん、我が宅は、
朝刊新聞が翌日に届くような山の中ですが、
気楽に、遊びに来てくださいね。

これも一気読みした一冊。

友人の精神科医が、軽々しく「アメリカの第三世代による認知行動療法には、仏教や禅の思想が取り入れられているよ」と言っていたのだが、本書は、日本精神分析の「父」・古澤平作の根本理念に「親鸞の心」があったことを明らかにしている。

仏教に貫かれる精神医療


古澤の直弟子である永尾は、「親鸞の心」と「フロイト先生一辺倒」とを統一(?)、両立(?)、いやいや、あるがままに抱えた古澤平作という人間を深く掘り下げていく。そして、若き文化歴史学者のクリストファーと精神病理学の生田の問いが、古澤をめぐって忘れ去られていたエレメントを呼び寄せる役割をになう。インタビューの場に、4人目の人間すなわち古澤平作自身が立ち会っているかのような生々しさがある。

なぜ、古澤は精神医学の道を歩まねばならなかったのか?
永尾は、なぜ、古澤に師事しなければならなかったのか?

本書は、素人の私にでも日本精神医学の誕生から理解できるようになっている。

私は、もう2年間も「夏目漱石『こころ』論」をペンデングしているが、その理由は、専門外の精神医学の世界に入り込んでしまったからである。しかも、いくら専門書を読んでも、私の見立て通りの「学説」やら「症例」にめぐりあえないために(笑)、私の「心」論は、もう、ほとんど頓挫しかけていたのであったが、たまたま、偶然、本書との出会いによって、俄然(がぜん)、思考のジェネレーターが再び音を立てて動き始めたのである。


永尾、クリストファー、生田の、世代を異にした3氏は、あらゆるものごとから人間・古澤平作を救い出している!!


巻末の、クリストファーの「解説〔2〕」── 生田訳は、必読である。

久しぶりに小説を読んだ。
また外国文学だ。
町の図書館に「今月の新刊」の一冊として置かれていたもの。

アーリクは、現代のイエスだ


あれ? 
この書き出し ── 体言止め、「ブイヨンスープの大気のなかを」なんて比喩、そして裸の女たち ── は、少し平凡かな、平凡すぎるかな、と首をひねったのだけれど、それは一瞬のこと、
一気に、物語の中に引き込まれていった。

数えきれないほどの登場人物が、
それぞれの過去が、きちんと描き分けられていく。
表情と気持ちと、彼らの現在の仕事と過去とが。

主人公アーリクが横たわるアトリエに集った、
例えば、人物AとBとCとDとEとの交差の加減が、
まるで窓から射し込む光りの当たり具合に合わせ、
立体的に描き出されていくがごとき手法に魅せられながら、
僕は「アーリクは、現代のイエスではないか?」と思った。

ニーナという女性、
イリーナという女性、
マリアおばさんの言葉、

ロシア正教とユダヤ教との見事な「サラディン」。
亡命ロシア人たちが、テレビの中の「祖国」を見つめる複雑な思い。


簡単には書けないことを、まっすぐに書く。


僕は、レベッカ・ブラウンの『体の贈り物』を思い出した。
しかし本作は、
やせ細っていく腕の、
手の甲の、
浮き上がった白い筋と青い血管とを優しく描くばかりではない。
そんな腕と手をもった、
やがて死にゆく一人の人間の、
最後に見たイメージと最後の認識まで描き切る。
彼を看取る人びとの、看取った瞬間とその後の姿まで追いかける。



リュドミラ・ウリツカヤは、
全然、偉ぶらない。
気取らない。
分からないことを書かない。
自分を特権的な位置にすえず、
マイナスを深刻に嘆くこともしない。


彼女の目に映っているのは、やはり人間だ。
働き、飲み、食い、笑い、泣き、怒り、
悩み、
踊り、
学び、
考え、

そして、他人を思いやるという人間なんだ。

作家は、
簡単に描けないもの、人間を、
きちんと描くことが一番の仕事なんだ!

『民主文学』9月号に掲載された大田努氏の論文を読んだ。

大田論文の問題提起


この論文は、
今月17日から始まる、
第24回全国研究集会(主催・日本民主主義文学会)の第2分散会への問題提起となっている。

ぜんぶで6つある分散会は、
小説を書き始めようとする方を対象にしたものから、
年配の人びとの人生への眼差しをとらえるもの、
そして若い世代の世界を考えるものまで幅広く、

そのうち、恥ずかしいが、拙作「支部の人びと」を取り上げて、
第2分散会「変革に挑む組織と人間」も開かれる、という。
本当に有り難いことである。
なぜ、おれなんかの作品が……と思わないでもないからだ。
正直、びっくりしている。

大田氏は、第2分散会の「報告者」であり、
司会は、田島一(はじめ)氏(民主文学会・会長)である。

ここまで書いたが、
姪(めい)っ子の「体育祭」が始まるので、
おれは、妻に促されて、
どうしても応援に行かねばならなくなったから(笑)、
続きは、今夜、書く。

すまん!


で、続き。
(昨夜、「続き」を書こうとしたものの、姪っ子の「家庭訪問」があり、なぜか、おれまで「教師」の前に引きずり出されてしまったのだから、書けなかったのである……)


で、で、続き。



大田氏の論文の冒頭に紹介されるのは、
作家の高橋源一郎氏と、
文芸評論家の斎藤美奈子氏の対談である(「赤旗」今年1月4日付)。

高橋 今、僕たちに何ができるか。安保法制によって南スーダン、イラク、シリアで自衛隊が死ぬかもしれないという危機意識を持ちながら、自分の場所で当事者民主主義をやっていくしかない。共産党も国民連合政府を呼びかけて頑張ってますね。

斎藤 安保法制廃止で野党が選挙協力していくのも大事。と同時に、私たち自身が次の一手を考え続けていくことですよね。声を出さなくなった途端にどうなるかは歴史が示しています。


大田氏は、少なくない文学者たちが、安保法制=戦争法のたたかいの中で、みずからの立ち位置を揺るがぬものにしつつも、国民のたたかいと協力について、思うに、組織=政党と、人間=個人(当事者、私たち自身)との関係に新しい「結びつき方」があると考えている。
そのうえで、私の小説「支部の人びと」に対し、3つの角度から問題を提起した。

第1に、私のモチーフとの関係で、この作品では「日本共産党がどのようにとらえられ、今日の支部や党員たち、周辺の人びとの変化がどのように描かれているか」。

第2に、安倍政権のような悪政を変えていく運動とたたかいの中で、「運動の担い手たちの個々人の成長・発展が意識的に追求され、これも今日的内容をもってとらえようとされている」か、という角度である。

第3に、現代の「組織と人間の問題がどのように描かれているか」。大田氏は言う ── 「冒頭の高橋源一郎と斎藤美奈子との対談に見えるように、個人の尊重を前提にして、組織との信頼関係は強いものがある」、「個人の尊重をよりどころにして共闘関係も進んでいる」、「かつての、組織へのヒステリックな反撥のような仕方を克服する土壌になっているからかもしれない」と。この問題意識は、私の作品の登場人物の ── 例えば「90歳でなお健在な支部メンバーの加藤貞夫」という「戦前・戦後の長篠町の生き証人的存在」、「支部長の宮原」、そして「亡くなったばかりの宮原の霊」(笑)にこと寄せる「ハルミ」「高橋」の、「発言」と「反論」と認識の中から抽出されている。

私は、大田氏が、このように拙作をまとめ、作品が抱える問題を的確に提起されたことに深く感謝するとともに、研究集会では、第2の問題提起が、作者である私と大田氏との、ひいては批評家たちとの大きな論争点になると予感している。確か、今年2月か3月か、批評家の北村隆志氏の「報告」(「作者と読者の会」)でも、彼と私の立ち位置の違いを鮮明にしたのは、日本共産党「綱領」の射程がおよぶ範囲であった。大田氏は、より端的に「離婚問題は、党員夫婦の思想上の問題として扱われるべきものなのだろうか。これはあえて綱領をもち出すまでもなく、直接には憲法に保障された基本的人権から導き出される問題である。」と書いている。

そして大田氏は、ハルミの離婚の原因につき、日本共産党の政策を紹介したうえで「この限りで言えば、ハルミの離婚問題の解決を綱領への確信の有無に求めるには無理がある。それは個別・具体的に解決が求められる問題である。」と断じ、「それだけに、この問題への接近の仕方がこの作品をかえって窮屈にしているように思われる」と、慎重な感想をのべている。




果たして作品を窮屈なものにしているのは、何か。
私の認識と描き方(作品)なのか、それとも……。

 泉脩さんの新刊『妻が逝く──コラム・エッセー・評論』が贈られてきており、まずタイトルに驚き──「私は、こんなタイトルはつけないし、妻の詳しいことは絶対に書かない」と決意しつつも、ページを開くと、泉さんの妻が長らく苦しんだ「うつ病」について考えさせられた。
 私の発見は、いったん治ったと打ち払われた「うつ病」のベールは、大震災や社会的な凶悪事件、あるいは肉親の死といったものに手繰り寄せられて、再び、その人の表情を隠してしまう、ということだ(P156ー157)。

 この前、村役場に行くと、姪っ子が住民票登録のカウンターの横に置かれていたチラシを、一枚、私に見せて笑ったので、そのチラシをJPGにしてブログに貼り付けておきます。

 病を「治す」──「病」と共に生きるためには、
 思うに、もはや家族の「連帯」だけでは不可能だ。
 社会的な連帯こそ必要なんです。

 うつ病は、社会的事件の影響を受けても再発する

 

いま僕は、妻の実家の倉庫に放置してあった大量のダンボール箱を整理・処分している。

かつて編集長をしていた『ロスジェネ』第4号の「包み」(新品!)も出てきて、思わず、自分の中篇小説「ストラグル」を読みふけってしまいました。
そして改めて「悪くない!」と、ひとり合点しておりました。
ここで「改めて」と書く以上、僕は、いま暫くの間、自分史を振り返ったのであり、「すべてを疑え!」(マルクス)を実践したのでありました。

まず、僕の「作家」としての「ピーク」は、
2008年から2010年の約2年間だったと思う。
少なくとも世俗に染まった目からすれば。

リーマン・ショックがあり、派遣切りがあり、
年越し派遣村があり、秋葉原事件があり、
やがて日本政治史上初と言っていい「政権交代」があり……と、
文字通り、激動の2年間を生き抜いたことが分かる。

ダンボール箱から出てきたのは、
僕の原稿が掲載された雑誌・書籍・新聞ばかりでなく、
僕自身がハサミで切り抜いた記事のあれこれ──労働問題や秋葉原事件、
さらには東日本大震災をめぐる記者たちの渾身(こんしん)のルポ、
知識人の論評の類もザクザク出てきた。

2013年刊行の『新解 マルクスの言葉』の資料も膨大でした。

そのうち、ふいに現れた「切り抜き」が、
文芸評論家・斎藤美奈子氏の「文芸時評」(「朝日」)です。
いや、切り抜きではありません!
「朝日新聞」丸ごと保管していました。

斎藤美奈子さんは炉の役割を知っている。


僕は、懐かしい気持ちで胸いっぱいとなり、
声にならない声をあげてしまい、
くちに手をあてたまま、読みふけってしまったのですが、
当時は、
この斎藤批評を前にして、あまりの嬉(うれ)しさに舞い上がってしまい、
彼女が、何を指摘し、何を批判し、
当時も今も(?)無名な男性作家を、どのように料理しようとしていたのか、
そういう肝心なことすべて、
当の僕自身が、ほとんど理解していなかったという恥ずべき事実に、
改めて気づかされたのですから堪(たま)りません。

僕は、
思いがけず、
期せずして、
図らずも、
自著が、
斎藤美奈子さんに、
朝日新聞の文化欄に、
取り上げられたという経験(ショック)をへて、
もう「作家」「小説家」という「肩書」を降ろしてもいい、
とすら考えていたフシがあります。

そもそも僕は、いわゆる普通の「作家」「小説家」ではありません。
原稿で食っていくという観念も決意もなかった。
第1小説集を朝日新聞出版から刊行する過程で、いちばん重視した点は、
かつて『民主文学』に発表した作品を併録することでした。

斎藤さんは、そんな僕の意図を見透かしたように、
突貫づくりの短篇「ブルーシート」より、
今から10年前の『民主文学』に載せた中篇「ソウル」を少し褒めています。
僕には、それが本当に嬉しかったのだ、
思いもよらない1回きりの「恩寵」として受け取ったのでしょう。

中篇「ソウル」の「介添(かいぞえ)さん」のモデルは、
東京公務公共一般労働組合の小林雅之さんです。

「介添さん」のモデル


事実、斎藤さんの「時評」につき、
僕の担当編集者は前もって知らなかったし、
インタビューに来た「朝日」文化部記者でさえ、
「浅尾さんの本が、うちで出ていたことすら、まったく知らなかった。申し訳ない」
と笑っておりましたから、
やはり斎藤さんの「時評」は、
あるフィールドに集う人びとには1つの「事件」だったのです。

斎藤さんが「時評」で取り上げたのは、
僕の作品のほか、大江健三郎氏と古井由吉氏です。

ああ、いま思い出した余計なことですが、
おそらく両氏は、
この「朝日」文化欄を見て憤慨したのではないでしょうか?

──おれたちを、党員作家と一緒にするな!

そのように確信した、
苦い気持ちが蘇(よみがえ)ってくる。


前置きが長くなりました(笑)。

この「時評」のなかで、
斎藤美奈子氏が指摘しているのは、
僕と大江さんの作品が、
そろって「女性に救済を求める結末」になっている、という点です。

それまで僕が、
自覚的に、
半ば確信的に、
執拗に、
何度も繰り返し描いてきたのは「心身に障がいをもった人間」に「救済を求める」物語の構造=パターンです。それは、かつて予備校講師をしていた大学生の時に、中学生の生徒から「私のお兄ちゃんは重度障がい者なんですが、浅尾先生! 浅尾先生は、お兄ちゃんのような障がい者の存在について、お兄ちゃんが生きている意味について、どう思いますか?」と、唐突に、不意打ちのように問われたからだと思い出せます。そして当時の僕は一応の答えを彼女に伝えました。伝えたものの、ぜんぜん自信がありませんでした。自信がないという「自覚」は、彼女に対する「不誠実さ」をさらけ出したということでもあります。

大学を卒業した僕は、
薄曇りの20代の日々すべて「障がい者」と呼ばれる人びとに同化するように生きた、と断言できます。もちろん僕は「重度障がい者」ではありません。しかし同化しよう、同化しよう、ぜひとも同化せねばならない、僕は、そのようにしなければ生きられないような状況に追いつめられていたのです。いま振り返れば「道化(ピエロ)」のような僕の振る舞いに対し、名古屋大学の助川徳是先生と名古屋市中川区で「さくらんぼ作業所」を開いた大野くんだけが、真剣に、深刻に、真面目に、目と耳を傾けてくれたのでした。

助川先生からいただいた沢山のハガキは、どれも宝物ですが、いちばん最初に届いたものを裏返す時、たった一行だけ記されているという特異な内容であるがゆえに、絶対に、妻の実家の庭では燃やすことが出来ません。

ですから、
前途洋々、
世界の、日本の、
ほとんど何も知らないくせに、
偉そうに、
名古屋大学2年生の時に描いた中篇「ストレンジ・デイズ」と、
それ以降の、
例えば、僕が20代の頃に描いた短篇「ボンネットバス」、
短篇「ラウンド・ツウ」とは、
構造上の、深い断線を引くことが出来る。


ところが、
斎藤批評の「洗礼」を受けた30代後半の僕が挑んだ中篇「ストラグル」の主題は、「左翼はテロリズムをなくせるか?」という問いと共に、小林多喜二「党生活者」(前篇終わり)の「女性」たちの「復権」を企てていた、と告白しなければなりません。僕は、現代日本の「女性たち」の道行きにつき、大きく2通りのルートを用意しているのだ。妻の実家の庭にて、一人たたずみ、中篇「ストラグル」を読みながら、知らないうちに晴れ渡っていく空のような、静かな気持ちで過去の自分と向き合うことが出来たのも、僕が「犬」を「人間」として描き、その「犬」が「イエス」に内省を迫る唯一の存在として描き出していたくだりを改めて見届けたからなのです。

斎藤美奈子氏の指摘は、
ある意味で、
いまの僕に対し「予言的なもの」として出現していた!

(大江健三郎氏の『水死』評については、僕自身が、以前から彼が一貫して使う「家内」という言葉を批判していましたから、斎藤氏の「時評」の指摘は、我が意を得たりというか、ひとり合点すると同時に、当時の大江氏が、彼を支えてきた「女性」たちと真剣に向き合って作品化していることに驚いたという感想を改めて表明しておく必要があります。)

さてさて、
こうべをあげて、
ふと気づけば『民主文学』に中篇「ソウル」を投稿してから10年もたっており、ようやく僕は、日本共産党の女性町会議員(46)を主人公に据えた短篇「支部の人びと」を、『民主文学』に発表することが出来ました。

『民主文学』に作品を載せること ── 僕のような書き手には、
本当に大きなハードルなのですが、
まずは、なんとか、その関門の1つを飛び越えることが出来たと思います。

で、
昨日は昨日で、封書で届いた「感想文」を開くと、
差出人(女性)は、主人公・二ノ宮ハルミが「しんぶん赤旗」配達中に必ず見る「幻」について問うていました。この作品の発表後、ほぼ半年がたとうとしているというのに、このような質問に出会えることは作者冥利に尽きます。

(東京新聞と『民主文学』7月号)
相模原市障がい者殺人事件



もちろん、
ある年配の作家は「いま、この主題を追求する意味がわからない」と言い、
山梨県北杜市在住の宍戸ひろゆきさんは、
「(作品や作者の「思想性」への「敬意」や「期待」はあっても)共鳴や共感の声は無かったようだ」、「(この作品は)浅尾さんが多喜二から学んだものを作品化したもの」、「つまり、小林多喜二を現代に蘇らせたもの」、「私の読みでは『一九二八年』の時代の多喜二だと思う。」と書いています(『民主文学』7月号)。

僕は、宍戸ひろゆき氏について何も知らない。
しかし何も知らないがゆえに、
氏が、限られた紙幅のなかで、よくよく考え抜き、
さまざまに推敲を重ねたと思われる「──読む」に直面した僕の胸は、
ふつふつと熱くなる。

最後に、斎藤美奈子氏が、
この「時評」のなかで、
作家と作品を「鉄」に見立てていたことを忘れるべきではない。

僕の短篇「ブルーシート」につき、
彼女は「あまりに性急すぎて『ニュースの外伝』に見えてしまう」とのべたあと、「ただし多少粗くてもいま小説にするのだ、という決意が『ブルーシート』にはにじむ。鉄は熱いうちに、だろうか。」と、ストレートな批判を封じている。そして「時評」の締めくくりには、作品が重大な疑問や弱点を抱えていても「鉄」は「いつかまた炉」に入れればよい、と指摘しているのだ。

どういう意味か。

かつて僕は『鋼鉄はいかに鍛えられたか』という長篇小説を半ば強制的に読まざるを得なかった時の、あのクソ最悪な読後感を思い出し、同時に、斎藤氏の指摘が、僕が感受した、あの作品のクソつまらなさ(ごめん!)を、もっと別なもの、ポジティブなものへと変えてくれるのにも気づく。

そうだ、
彼女は「鋼鉄」と骨絡みの関係にあった古い意味を見事に切り離す ── 「鉄は冷めても大丈夫。いつかまた炉に入ればいいのである。」(朝日新聞、2009年12月28日付)と。

山梨県北杜市在住の宍戸ひろゆき氏は、こんなふうに書く。

(小林多喜二の「1928年3月15日」は)『芸術的欠陥』を持った作品だと当時の批評的権威から指摘もされているが、民衆はそんなことにはお構いなくこの作品を熱烈に支持した。書き方など民衆は気にしなかった。



僕は、
自身を、
民衆が熱烈に支持したという作家・小林多喜二と比べるような、
そんな不遜さは持ち合わせていないけれども、
二度でも三度でも四度でも、
「また炉に入る」という文学的精神と覚悟だけは保持しているつもり。


そのうち燃え尽きるかもしれないがね!!


そのためには批判と反論、そして自己批判が必要なのだ。


僕は、文芸評論家・斎藤美奈子さんの「時評」によっても、
なんとか小説家になっていこうと努力しているのだ、
という自覚=誠実さを、なんとかして今日のブログに記しておきたい。

 今回の参院選挙にて、

 私を驚かせたのは、
 妻が「あたし、電話がけするわ」と呟き、
 先週末より、
 彼女が、マジで、電話がけに取り組み、
 その数なんと100件ごえしている事実なのだ。

 夜、妻と、彼女の選挙活動の話題で盛り上がるのも楽しい(笑)。

 思うに、
 日本共産党の大躍進に投じる客観的な一票 ── 情勢の動向は、
 自分が掴(つか)んだ、その手ごたえしかない。
 そのためには、有権者との対話が、いちばんであり、
 自己を鍛える。
 
 私たちは、
 より多くの、さまざまな意見に耳を傾けることが大切なのだ。

 そして、

 妻いわく「まだ共産党は、大躍進の波を引き寄せられていない!!」



(「彼女は、党幹部かよ……」というツッコミはなしにして……)


 そんな妻は、
 党活動の、
 思うに、もっとも困難な、

「エーッ、電話がけ、苦手、誰かやって、お願い!」(私の友人談)


 という「任務」(笑)に、

 自ら、
 軽いノリで、
 支部の仲間に励まされ ── とりわけ夕方、家事を終えて来たという、
 ベテラン女性党員の電話をかける「神業」にふれて、

 私の心配もよそに、
 妻は、より元気な女性となって帰宅したのであ〜る!


(おれは喘息もちのため、日々、リハビリに励むことが階級闘争なのだ)


 そして、
 さきほど「今夜、地区のロングラン宣伝に行くからヨロ」というメールが!!


 ああ、おれも元気なら、全力で、一緒にやりたいのだが……(涙)。


 
 
 あ! 大事なことを書くの、忘れとったわ。

 下記は、なぜか、私の小説「支部の人びと」が「分科会」にさらされる、
 全国研究集会のお知らせです。報告者は、大田努さんです。
 批判者との闘争

わが愛しの名古屋大学にて、

来月23日、下記のポスターの通り「セミナー」が開催される。

思うに、セミナーでは。
私の恩師の一人である作家・伊藤義夫氏の小説「崩れる雲の下で」
(『民主文学』1988年)が、
格好の素材の一つとして取り上げられるであろう。

この作品は、30年来、私の心の中の「芥川賞」であり続けており、
伊藤先生の私小説的なアプローチが、
日本の侵略戦争の歴史を背負って迫り、
何度読んでも、
その歴史を生きた経験のない私の胸に突き刺さる。

この作品が、世に出たのは、
伊藤先生いわく「右遠(俊郎)くんのお陰なんだよ」。

『万葉集』と『建礼門院右京大夫集』



ブログ読者のみなさん、どうか、ご参加下さい!

今朝の「しんぶん赤旗」にて、
オサーマ・ムハンマド監督「シリア・モナムール」の映画評を載せていただきました。
赤旗編集局ならびに学術・文化部のみなさん、ありがとうございました。

日本とシリアが、思わぬかたちでつながったドキュメンタリー。
私には、例えば「平和ボケ・日本!」などと批判されても、
きちんとした反論を打ち返すことが出来る現代日本の文化的水準と、
日本映画史を考えさせる、
凄(すさ)まじい映画になっています。

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