My Last Fight

言葉で、最後まで、たたかい続けるのだ!

これも一気読みした一冊。

友人の精神科医が、軽々しく「アメリカの第三世代による認知行動療法には、仏教や禅の思想が取り入れられているよ」と言っていたのだが、本書は、日本精神分析の「父」・古澤平作の根本理念に「親鸞の心」があったことを明らかにしている。

仏教に貫かれる精神医療


古澤の直弟子である永尾は、「親鸞の心」と「フロイト先生一辺倒」とを統一(?)、両立(?)、いやいや、あるがままに抱えた古澤平作という人間を深く掘り下げていく。そして、若き文化歴史学者のクリストファーと精神病理学の生田の問いが、古澤をめぐって忘れ去られていたエレメントを呼び寄せる役割をになう。インタビューの場に、4人目の人間すなわち古澤平作自身が立ち会っているかのような生々しさがある。

なぜ、古澤は精神医学の道を歩まねばならなかったのか?
永尾は、なぜ、古澤に師事しなければならなかったのか?

本書は、素人の私にでも日本精神医学の誕生から理解できるようになっている。

私は、もう2年間も「夏目漱石『こころ』論」をペンデングしているが、その理由は、専門外の精神医学の世界に入り込んでしまったからである。しかも、いくら専門書を読んでも、私の見立て通りの「学説」やら「症例」にめぐりあえないために(笑)、私の「心」論は、もう、ほとんど頓挫しかけていたのであったが、たまたま、偶然、本書との出会いによって、俄然(がぜん)、思考のジェネレーターが再び音を立てて動き始めたのである。


永尾、クリストファー、生田の、世代を異にした3氏は、あらゆるものごとから人間・古澤平作を救い出している!!


巻末の、クリストファーの「解説〔2〕」── 生田訳は、必読である。

久しぶりに小説を読んだ。
また外国文学だ。
町の図書館に「今月の新刊」の一冊として置かれていたもの。

アーリクは、現代のイエスだ


あれ? 
この書き出し ── 体言止め、「ブイヨンスープの大気のなかを」なんて比喩、そして裸の女たち ── は、少し平凡かな、平凡すぎるかな、と首をひねったのだけれど、それは一瞬のこと、
一気に、物語の中に引き込まれていった。

数えきれないほどの登場人物が、
それぞれの過去が、きちんと描き分けられていく。
表情と気持ちと、彼らの現在の仕事と過去とが。

主人公アーリクが横たわるアトリエに集った、
例えば、人物AとBとCとDとEとの交差の加減が、
まるで窓から射し込む光りの当たり具合に合わせ、
立体的に描き出されていくがごとき手法に魅せられながら、
僕は「アーリクは、現代のイエスではないか?」と思った。

ニーナという女性、
イリーナという女性、
マリアおばさんの言葉、

ロシア正教とユダヤ教との見事な「サラディン」。
亡命ロシア人たちが、テレビの中の「祖国」を見つめる複雑な思い。


簡単には書けないことを、まっすぐに書く。


僕は、レベッカ・ブラウンの『体の贈り物』を思い出した。
しかし本作は、
やせ細っていく腕の、
手の甲の、
浮き上がった白い筋と青い血管とを優しく描くばかりではない。
そんな腕と手をもった、
やがて死にゆく一人の人間の、
最後に見たイメージと最後の認識まで描き切る。
彼を看取る人びとの、看取った瞬間とその後の姿まで追いかける。



リュドミラ・ウリツカヤは、
全然、偉ぶらない。
気取らない。
分からないことを書かない。
自分を特権的な位置にすえず、
マイナスを深刻に嘆くこともしない。


彼女の目に映っているのは、やはり人間だ。
働き、飲み、食い、笑い、泣き、怒り、
悩み、
踊り、
学び、
考え、

そして、他人を思いやるという人間なんだ。

作家は、
簡単に描けないもの、人間を、
きちんと描くことが一番の仕事なんだ!

『民主文学』9月号に掲載された大田努氏の論文を読んだ。

大田論文の問題提起


この論文は、
今月17日から始まる、
第24回全国研究集会(主催・日本民主主義文学会)の第2分散会への問題提起となっている。

ぜんぶで6つある分散会は、
小説を書き始めようとする方を対象にしたものから、
年配の人びとの人生への眼差しをとらえるもの、
そして若い世代の世界を考えるものまで幅広く、

そのうち、恥ずかしいが、拙作「支部の人びと」を取り上げて、
第2分散会「変革に挑む組織と人間」も開かれる、という。
本当に有り難いことである。
なぜ、おれなんかの作品が……と思わないでもないからだ。
正直、びっくりしている。

大田氏は、第2分散会の「報告者」であり、
司会は、田島一(はじめ)氏(民主文学会・会長)である。

ここまで書いたが、
姪(めい)っ子の「体育祭」が始まるので、
おれは、妻に促されて、
どうしても応援に行かねばならなくなったから(笑)、
続きは、今夜、書く。

すまん!


で、続き。
(昨夜、「続き」を書こうとしたものの、姪っ子の「家庭訪問」があり、なぜか、おれまで「教師」の前に引きずり出されてしまったのだから、書けなかったのである……)


で、で、続き。



大田氏の論文の冒頭に紹介されるのは、
作家の高橋源一郎氏と、
文芸評論家の斎藤美奈子氏の対談である(「赤旗」今年1月4日付)。

高橋 今、僕たちに何ができるか。安保法制によって南スーダン、イラク、シリアで自衛隊が死ぬかもしれないという危機意識を持ちながら、自分の場所で当事者民主主義をやっていくしかない。共産党も国民連合政府を呼びかけて頑張ってますね。

斎藤 安保法制廃止で野党が選挙協力していくのも大事。と同時に、私たち自身が次の一手を考え続けていくことですよね。声を出さなくなった途端にどうなるかは歴史が示しています。


大田氏は、少なくない文学者たちが、安保法制=戦争法のたたかいの中で、みずからの立ち位置を揺るがぬものにしつつも、国民のたたかいと協力について、思うに、組織=政党と、人間=個人(当事者、私たち自身)との関係に新しい「結びつき方」があると考えている。
そのうえで、私の小説「支部の人びと」に対し、3つの角度から問題を提起した。

第1に、私のモチーフとの関係で、この作品では「日本共産党がどのようにとらえられ、今日の支部や党員たち、周辺の人びとの変化がどのように描かれているか」。

第2に、安倍政権のような悪政を変えていく運動とたたかいの中で、「運動の担い手たちの個々人の成長・発展が意識的に追求され、これも今日的内容をもってとらえようとされている」か、という角度である。

第3に、現代の「組織と人間の問題がどのように描かれているか」。大田氏は言う ── 「冒頭の高橋源一郎と斎藤美奈子との対談に見えるように、個人の尊重を前提にして、組織との信頼関係は強いものがある」、「個人の尊重をよりどころにして共闘関係も進んでいる」、「かつての、組織へのヒステリックな反撥のような仕方を克服する土壌になっているからかもしれない」と。この問題意識は、私の作品の登場人物の ── 例えば「90歳でなお健在な支部メンバーの加藤貞夫」という「戦前・戦後の長篠町の生き証人的存在」、「支部長の宮原」、そして「亡くなったばかりの宮原の霊」(笑)にこと寄せる「ハルミ」「高橋」の、「発言」と「反論」と認識の中から抽出されている。

私は、大田氏が、このように拙作をまとめ、作品が抱える問題を的確に提起されたことに深く感謝するとともに、研究集会では、第2の問題提起が、作者である私と大田氏との、ひいては批評家たちとの大きな論争点になると予感している。確か、今年2月か3月か、批評家の北村隆志氏の「報告」(「作者と読者の会」)でも、彼と私の立ち位置の違いを鮮明にしたのは、日本共産党「綱領」の射程がおよぶ範囲であった。大田氏は、より端的に「離婚問題は、党員夫婦の思想上の問題として扱われるべきものなのだろうか。これはあえて綱領をもち出すまでもなく、直接には憲法に保障された基本的人権から導き出される問題である。」と書いている。

そして大田氏は、ハルミの離婚の原因につき、日本共産党の政策を紹介したうえで「この限りで言えば、ハルミの離婚問題の解決を綱領への確信の有無に求めるには無理がある。それは個別・具体的に解決が求められる問題である。」と断じ、「それだけに、この問題への接近の仕方がこの作品をかえって窮屈にしているように思われる」と、慎重な感想をのべている。




果たして作品を窮屈なものにしているのは、何か。
私の認識と描き方(作品)なのか、それとも……。

 泉脩さんの新刊『妻が逝く──コラム・エッセー・評論』が贈られてきており、まずタイトルに驚き──「私は、こんなタイトルはつけないし、妻の詳しいことは絶対に書かない」と決意しつつも、ページを開くと、泉さんの妻が長らく苦しんだ「うつ病」について考えさせられた。
 私の発見は、いったん治ったと打ち払われた「うつ病」のベールは、大震災や社会的な凶悪事件、あるいは肉親の死といったものに手繰り寄せられて、再び、その人の表情を隠してしまう、ということだ(P156ー157)。

 この前、村役場に行くと、姪っ子が住民票登録のカウンターの横に置かれていたチラシを、一枚、私に見せて笑ったので、そのチラシをJPGにしてブログに貼り付けておきます。

 病を「治す」──「病」と共に生きるためには、
 思うに、もはや家族の「連帯」だけでは不可能だ。
 社会的な連帯こそ必要なんです。

 うつ病は、社会的事件の影響を受けても再発する

 

いま僕は、妻の実家の倉庫に放置してあった大量のダンボール箱を整理・処分している。

かつて編集長をしていた『ロスジェネ』第4号の「包み」(新品!)も出てきて、思わず、自分の中篇小説「ストラグル」を読みふけってしまいました。
そして改めて「悪くない!」と、ひとり合点しておりました。
ここで「改めて」と書く以上、僕は、いま暫くの間、自分史を振り返ったのであり、「すべてを疑え!」(マルクス)を実践したのでありました。

まず、僕の「作家」としての「ピーク」は、
2008年から2010年の約2年間だったと思う。
少なくとも世俗に染まった目からすれば。

リーマン・ショックがあり、派遣切りがあり、
年越し派遣村があり、秋葉原事件があり、
やがて日本政治史上初と言っていい「政権交代」があり……と、
文字通り、激動の2年間を生き抜いたことが分かる。

ダンボール箱から出てきたのは、
僕の原稿が掲載された雑誌・書籍・新聞ばかりでなく、
僕自身がハサミで切り抜いた記事のあれこれ──労働問題や秋葉原事件、
さらには東日本大震災をめぐる記者たちの渾身(こんしん)のルポ、
知識人の論評の類もザクザク出てきた。

2013年刊行の『新解 マルクスの言葉』の資料も膨大でした。

そのうち、ふいに現れた「切り抜き」が、
文芸評論家・斎藤美奈子氏の「文芸時評」(「朝日」)です。
いや、切り抜きではありません!
「朝日新聞」丸ごと保管していました。

斎藤美奈子さんは炉の役割を知っている。


僕は、懐かしい気持ちで胸いっぱいとなり、
声にならない声をあげてしまい、
くちに手をあてたまま、読みふけってしまったのですが、
当時は、
この斎藤批評を前にして、あまりの嬉(うれ)しさに舞い上がってしまい、
彼女が、何を指摘し、何を批判し、
当時も今も(?)無名な男性作家を、どのように料理しようとしていたのか、
そういう肝心なことすべて、
当の僕自身が、ほとんど理解していなかったという恥ずべき事実に、
改めて気づかされたのですから堪(たま)りません。

僕は、
思いがけず、
期せずして、
図らずも、
自著が、
斎藤美奈子さんに、
朝日新聞の文化欄に、
取り上げられたという経験(ショック)をへて、
もう「作家」「小説家」という「肩書」を降ろしてもいい、
とすら考えていたフシがあります。

そもそも僕は、いわゆる普通の「作家」「小説家」ではありません。
原稿で食っていくという観念も決意もなかった。
第1小説集を朝日新聞出版から刊行する過程で、いちばん重視した点は、
かつて『民主文学』に発表した作品を併録することでした。

斎藤さんは、そんな僕の意図を見透かしたように、
突貫づくりの短篇「ブルーシート」より、
今から10年前の『民主文学』に載せた中篇「ソウル」を少し褒めています。
僕には、それが本当に嬉しかったのだ、
思いもよらない1回きりの「恩寵」として受け取ったのでしょう。

中篇「ソウル」の「介添(かいぞえ)さん」のモデルは、
東京公務公共一般労働組合の小林雅之さんです。

「介添さん」のモデル


事実、斎藤さんの「時評」につき、
僕の担当編集者は前もって知らなかったし、
インタビューに来た「朝日」文化部記者でさえ、
「浅尾さんの本が、うちで出ていたことすら、まったく知らなかった。申し訳ない」
と笑っておりましたから、
やはり斎藤さんの「時評」は、
あるフィールドに集う人びとには1つの「事件」だったのです。

斎藤さんが「時評」で取り上げたのは、
僕の作品のほか、大江健三郎氏と古井由吉氏です。

ああ、いま思い出した余計なことですが、
おそらく両氏は、
この「朝日」文化欄を見て憤慨したのではないでしょうか?

──おれたちを、党員作家と一緒にするな!

そのように確信した、
苦い気持ちが蘇(よみがえ)ってくる。


前置きが長くなりました(笑)。

この「時評」のなかで、
斎藤美奈子氏が指摘しているのは、
僕と大江さんの作品が、
そろって「女性に救済を求める結末」になっている、という点です。

それまで僕が、
自覚的に、
半ば確信的に、
執拗に、
何度も繰り返し描いてきたのは「心身に障がいをもった人間」に「救済を求める」物語の構造=パターンです。それは、かつて予備校講師をしていた大学生の時に、中学生の生徒から「私のお兄ちゃんは重度障がい者なんですが、浅尾先生! 浅尾先生は、お兄ちゃんのような障がい者の存在について、お兄ちゃんが生きている意味について、どう思いますか?」と、唐突に、不意打ちのように問われたからだと思い出せます。そして当時の僕は一応の答えを彼女に伝えました。伝えたものの、ぜんぜん自信がありませんでした。自信がないという「自覚」は、彼女に対する「不誠実さ」をさらけ出したということでもあります。

大学を卒業した僕は、
薄曇りの20代の日々すべて「障がい者」と呼ばれる人びとに同化するように生きた、と断言できます。もちろん僕は「重度障がい者」ではありません。しかし同化しよう、同化しよう、ぜひとも同化せねばならない、僕は、そのようにしなければ生きられないような状況に追いつめられていたのです。いま振り返れば「道化(ピエロ)」のような僕の振る舞いに対し、名古屋大学の助川徳是先生と名古屋市中川区で「さくらんぼ作業所」を開いた大野くんだけが、真剣に、深刻に、真面目に、目と耳を傾けてくれたのでした。

助川先生からいただいた沢山のハガキは、どれも宝物ですが、いちばん最初に届いたものを裏返す時、たった一行だけ記されているという特異な内容であるがゆえに、絶対に、妻の実家の庭では燃やすことが出来ません。

ですから、
前途洋々、
世界の、日本の、
ほとんど何も知らないくせに、
偉そうに、
名古屋大学2年生の時に描いた中篇「ストレンジ・デイズ」と、
それ以降の、
例えば、僕が20代の頃に描いた短篇「ボンネットバス」、
短篇「ラウンド・ツウ」とは、
構造上の、深い断線を引くことが出来る。


ところが、
斎藤批評の「洗礼」を受けた30代後半の僕が挑んだ中篇「ストラグル」の主題は、「左翼はテロリズムをなくせるか?」という問いと共に、小林多喜二「党生活者」(前篇終わり)の「女性」たちの「復権」を企てていた、と告白しなければなりません。僕は、現代日本の「女性たち」の道行きにつき、大きく2通りのルートを用意しているのだ。妻の実家の庭にて、一人たたずみ、中篇「ストラグル」を読みながら、知らないうちに晴れ渡っていく空のような、静かな気持ちで過去の自分と向き合うことが出来たのも、僕が「犬」を「人間」として描き、その「犬」が「イエス」に内省を迫る唯一の存在として描き出していたくだりを改めて見届けたからなのです。

斎藤美奈子氏の指摘は、
ある意味で、
いまの僕に対し「予言的なもの」として出現していた!

(大江健三郎氏の『水死』評については、僕自身が、以前から彼が一貫して使う「家内」という言葉を批判していましたから、斎藤氏の「時評」の指摘は、我が意を得たりというか、ひとり合点すると同時に、当時の大江氏が、彼を支えてきた「女性」たちと真剣に向き合って作品化していることに驚いたという感想を改めて表明しておく必要があります。)

さてさて、
こうべをあげて、
ふと気づけば『民主文学』に中篇「ソウル」を投稿してから10年もたっており、ようやく僕は、日本共産党の女性町会議員(46)を主人公に据えた短篇「支部の人びと」を、『民主文学』に発表することが出来ました。

『民主文学』に作品を載せること ── 僕のような書き手には、
本当に大きなハードルなのですが、
まずは、なんとか、その関門の1つを飛び越えることが出来たと思います。

で、
昨日は昨日で、封書で届いた「感想文」を開くと、
差出人(女性)は、主人公・二ノ宮ハルミが「しんぶん赤旗」配達中に必ず見る「幻」について問うていました。この作品の発表後、ほぼ半年がたとうとしているというのに、このような質問に出会えることは作者冥利に尽きます。

(東京新聞と『民主文学』7月号)
相模原市障がい者殺人事件



もちろん、
ある年配の作家は「いま、この主題を追求する意味がわからない」と言い、
山梨県北杜市在住の宍戸ひろゆきさんは、
「(作品や作者の「思想性」への「敬意」や「期待」はあっても)共鳴や共感の声は無かったようだ」、「(この作品は)浅尾さんが多喜二から学んだものを作品化したもの」、「つまり、小林多喜二を現代に蘇らせたもの」、「私の読みでは『一九二八年』の時代の多喜二だと思う。」と書いています(『民主文学』7月号)。

僕は、宍戸ひろゆき氏について何も知らない。
しかし何も知らないがゆえに、
氏が、限られた紙幅のなかで、よくよく考え抜き、
さまざまに推敲を重ねたと思われる「──読む」に直面した僕の胸は、
ふつふつと熱くなる。

最後に、斎藤美奈子氏が、
この「時評」のなかで、
作家と作品を「鉄」に見立てていたことを忘れるべきではない。

僕の短篇「ブルーシート」につき、
彼女は「あまりに性急すぎて『ニュースの外伝』に見えてしまう」とのべたあと、「ただし多少粗くてもいま小説にするのだ、という決意が『ブルーシート』にはにじむ。鉄は熱いうちに、だろうか。」と、ストレートな批判を封じている。そして「時評」の締めくくりには、作品が重大な疑問や弱点を抱えていても「鉄」は「いつかまた炉」に入れればよい、と指摘しているのだ。

どういう意味か。

かつて僕は『鋼鉄はいかに鍛えられたか』という長篇小説を半ば強制的に読まざるを得なかった時の、あのクソ最悪な読後感を思い出し、同時に、斎藤氏の指摘が、僕が感受した、あの作品のクソつまらなさ(ごめん!)を、もっと別なもの、ポジティブなものへと変えてくれるのにも気づく。

そうだ、
彼女は「鋼鉄」と骨絡みの関係にあった古い意味を見事に切り離す ── 「鉄は冷めても大丈夫。いつかまた炉に入ればいいのである。」(朝日新聞、2009年12月28日付)と。

山梨県北杜市在住の宍戸ひろゆき氏は、こんなふうに書く。

(小林多喜二の「1928年3月15日」は)『芸術的欠陥』を持った作品だと当時の批評的権威から指摘もされているが、民衆はそんなことにはお構いなくこの作品を熱烈に支持した。書き方など民衆は気にしなかった。



僕は、
自身を、
民衆が熱烈に支持したという作家・小林多喜二と比べるような、
そんな不遜さは持ち合わせていないけれども、
二度でも三度でも四度でも、
「また炉に入る」という文学的精神と覚悟だけは保持しているつもり。


そのうち燃え尽きるかもしれないがね!!


そのためには批判と反論、そして自己批判が必要なのだ。


僕は、文芸評論家・斎藤美奈子さんの「時評」によっても、
なんとか小説家になっていこうと努力しているのだ、
という自覚=誠実さを、なんとかして今日のブログに記しておきたい。

 今回の参院選挙にて、

 私を驚かせたのは、
 妻が「あたし、電話がけするわ」と呟き、
 先週末より、
 彼女が、マジで、電話がけに取り組み、
 その数なんと100件ごえしている事実なのだ。

 夜、妻と、彼女の選挙活動の話題で盛り上がるのも楽しい(笑)。

 思うに、
 日本共産党の大躍進に投じる客観的な一票 ── 情勢の動向は、
 自分が掴(つか)んだ、その手ごたえしかない。
 そのためには、有権者との対話が、いちばんであり、
 自己を鍛える。
 
 私たちは、
 より多くの、さまざまな意見に耳を傾けることが大切なのだ。

 そして、

 妻いわく「まだ共産党は、大躍進の波を引き寄せられていない!!」



(「彼女は、党幹部かよ……」というツッコミはなしにして……)


 そんな妻は、
 党活動の、
 思うに、もっとも困難な、

「エーッ、電話がけ、苦手、誰かやって、お願い!」(私の友人談)


 という「任務」(笑)に、

 自ら、
 軽いノリで、
 支部の仲間に励まされ ── とりわけ夕方、家事を終えて来たという、
 ベテラン女性党員の電話をかける「神業」にふれて、

 私の心配もよそに、
 妻は、より元気な女性となって帰宅したのであ〜る!


(おれは喘息もちのため、日々、リハビリに励むことが階級闘争なのだ)


 そして、
 さきほど「今夜、地区のロングラン宣伝に行くからヨロ」というメールが!!


 ああ、おれも元気なら、全力で、一緒にやりたいのだが……(涙)。


 
 
 あ! 大事なことを書くの、忘れとったわ。

 下記は、なぜか、私の小説「支部の人びと」が「分科会」にさらされる、
 全国研究集会のお知らせです。報告者は、大田努さんです。
 批判者との闘争

わが愛しの名古屋大学にて、

来月23日、下記のポスターの通り「セミナー」が開催される。

思うに、セミナーでは。
私の恩師の一人である作家・伊藤義夫氏の小説「崩れる雲の下で」
(『民主文学』1988年)が、
格好の素材の一つとして取り上げられるであろう。

この作品は、30年来、私の心の中の「芥川賞」であり続けており、
伊藤先生の私小説的なアプローチが、
日本の侵略戦争の歴史を背負って迫り、
何度読んでも、
その歴史を生きた経験のない私の胸に突き刺さる。

この作品が、世に出たのは、
伊藤先生いわく「右遠(俊郎)くんのお陰なんだよ」。

『万葉集』と『建礼門院右京大夫集』



ブログ読者のみなさん、どうか、ご参加下さい!

今朝の「しんぶん赤旗」にて、
オサーマ・ムハンマド監督「シリア・モナムール」の映画評を載せていただきました。
赤旗編集局ならびに学術・文化部のみなさん、ありがとうございました。

日本とシリアが、思わぬかたちでつながったドキュメンタリー。
私には、例えば「平和ボケ・日本!」などと批判されても、
きちんとした反論を打ち返すことが出来る現代日本の文化的水準と、
日本映画史を考えさせる、
凄(すさ)まじい映画になっています。

 2冊とも柴田元幸さんの訳、白水社。

 スティーヴンの小説の特徴は、私なんかが説明するより、あなたが手にとって読んでもらえば、ほとんどすべて明らかになると思うんだけれど、例えば、なかなか読むことの出来なかった初期の長篇『ある夢想者の肖像』(1977)だと、「僕」というアメリカの少年の、目に映るものなら目の前で拓(ひら)かれるモノとモノとの微細な関係まで、耳に入ってくる音なら様々な音を鳴らす主体の一挙手一投足まで、そして彼をとりまく人間たちのイメージから吹き込まれる自身の「妄想」にいたるまで、1943年ニューヨーク生まれの作者は、すべて描き尽くそうとしているのが分かる。

 スティーヴンの固有名詞にふれたい


 「僕」自身に訪れた、何度目かの「苦悶」については、
 352ページから353ページに書かれている。

 
五月も終わり近いある蒸し暑い夜、僕は片腕で目を覆い寝つくのを待っていた。この数日、僕はすぐ寝つくことができなくなっていた。疲れた思いで、疲労してチクチク痛む目を抱えてベッドにもぐり込み、憔悴しきって何時間も横たわるのに目は覚めたままで、その日一日の些細な出来事を僕はくよくよ気に病み、突然の怒りを爆発させ、妙に侘しい気分へと落ちていった。左へ寝返り、右へ寝返り、腹這いになり、仰向けになって遠くの車の音に耳を澄まし、そこから左へ寝返り、右へ寝返り、腹這いになり、仰向けになった。何かがポーチでごとんと音を立てた。どこかで猫が鳴いた。遠くで静かにエンジン音が響いた。突然猫の爪が僕の部屋の網戸をごりごり掻く騒々しい音がした。僕は眉をひそめ、暗い色の猫が外の窓台にしゃがみ込んでいる姿を想像した。疲れた思いで僕は左へ寝返り、右へ寝返り、猫の爪がふたたびごりごりと搔き、カッとなった僕がブラインドをばんと叩くとブラインドはかたかた鳴った。気が張って、憔悴して、怒りに包まれ、目が覚めたままの僕はベッドの上で身を起こし、ブラインドを脇へ押しやった。

 私の大好きな文章・文体だが、ある種の読者からは敬遠されるタイプのものだろう。
 ただ、この文章・文体を例えにして、あなたに伝えたいことは、作者スティーヴンは、丁寧に、慎重に、きちんと描こうとしている、ということだ。当然、このような文章・文体は、よく見かける──もちろん磨き上げたられたプロの書き手は限られる。

 1999年の『魔法の夜』は、上記のような文章・文体は採用されていない。これも、ぜひ、あなたが実際に手にとって、いわゆる「ななめ読み」でもいいから目を通してほしいと願う。

 私は、読み始めて、すぐ、まるで映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991)のようだ、と思った。単なるオムニバス映画の手法……というのでなくて、帯に「月の光でお読みください」と記されているような、明暗の微妙なグラデーションのもとで展開する「寓話」のようなものとして。

 しかし私は、読み進めていくにつれて、スティーヴンの固有名詞にふれたい──例えば、「ヒッコリー」「セイヨウミザクラ」「イロハモミジ」「ネコヤナギ三本」「レンギョウ九本」「ヒャクニチソウ」に包まれたいという強い欲望に憑(つ)かれるようになった。この感覚は、『ある夢想者の肖像』の冒頭を読んだ時の、「僕」が決定的な真実の前に恐れおののく時の、固有名詞と名詞と擬態語のスリーサムに、その「眩しさ」に殺(や)られた時とは異なって、今回は、もっと、なんと言うか、さらに深いところ、文章の中に大切に埋め込まれたものを、読者が自分の手で掘り返すような感じに近い。

 もちろん緻密な描写は健在だ。あまりに緻密すぎて、指し示された対象の解像度の高さに、私の視覚が合わず、クラクラするほどだ(34・35ページ)。

 で、作者の実践にかかわる固有名詞について、
 118ページと119ページの「夜の訪問者」。

 いちいち書き写すことはしないけれど、ここで大切なことは、作者スティーヴンは、「足の裏で小さなリンゴのような感触の丸い緑のヒッコリーの実」を覚えている、ということだ。そうなると、スティーヴンは、ほとんど詩人なのであり、『魔法の夜』は、まるで詩行の集合──もちろん整然としたものではない「スタンザ」の集積のように読めてくる。

 私は、多くの登場人物のうち、俄然、ひきこもり39歳の「作家」の行方に注目するようになる。そのように仕掛けられているのかもしれない。優れた芸術論のやり取りがあり、彼「ハヴァストロー」の「月」の比喩に酔いしれてほしい。

 大切なことは、固有名詞は──時代錯誤の言葉を信じ、保持し続けることで「固有名詞」に転化する言葉の数々は、ひとえに、作者の実践にかかわっているということなんだよ。

 ウィリアム・サローヤン著『僕の名はアラム』(柴田元幸訳)を読了する。
 
世界の作家・作品に満たされる


 読みながら、サローヤンの言い回し ── 「僕」独特の表現に何度も出会い、
 鼻の頭が飛んでいくほど吹き出したり、
 じんわりと出てくる涙のために目の前が暗くなったりした。

 同時に、本書が14篇の短篇で構成されているためか、
 笑いと涙で満たされているためか、
 サローヤンが描く1つ1つのエピソードが、
 トム・ソーヤーの冒険の1つ1つのようにも感じられ、

 また、日本の読者である私は、
 なぜか、
 落語の中の「おじさん」、「子どものいない夫婦」を思い出した。

 例えば、
 
「唐茄子屋政談」
「宮戸川」
「小言幸兵衛」のうちの「豆腐屋」の啖呵(たんか)
「芝浜」
「妾馬」(!)
 ……

 こういう作品の面白さを支える豊かさ、
 その一要素としての「おじさん」の、おじさんたるゆえんは、
「何かに満たされている」という点に行き着くのではないか、と思い当たる。

 サローヤンの描く「僕」の「おじさん」は、

 ジョルギ
 メリク
 ジコ
 ホスローヴ

 と、次々と名前を変えて出てくるんだけれど、
 彼らの言葉と行動が、本当に面白い! 面白すぎるのだ!




「おじさん」とは、

 怒りや悲しみを一身にまといつつも、
 なぜに、これほど面白い存在なのか。



 それは、彼が、何かに満たされているから面白いのだ。



 短篇「哀れな、燃えるアラブ人」の「ホスローヴおじさん」の無言と、
「小言幸兵衛」の「豆腐屋」の機関銃のような喋りは、

 悲しみと可笑しみが一体になったものとして漂い、吐き出され、留めおかれる。
 しかし、
 やはり、
 彼らの腹の底にあるのは、ほんのわずかな「満たされたもの」。


 生活は苦しいよ、とっても苦しい(笑)。
 旧世界は、まったくひどいですよ。こちらの話が通じないんですから!
 もう、戦争と狂気でいっぱいで、いいことなんか、何にもありゃしない。


 しかし「おじさん」の中には、米粒みたいな「満たされたもの」があって、
 だから、戦場でも、破壊された街の瓦礫の山の「うろ」みたいなところでも、
 その人がそばにいるところなら、どこでも面白くなるし、励まされる。

 たとえ、大事な選挙で負けたとしたって、
 その負け方を話しまくる「おじさん」の話が絶対に面白いのだ!


 亡くなった立川談志は、
「人間の業の肯定」というラインで落語に取り組んだ人だったけれど、
 サローヤンを読むと、談志の命題の意味を深められるような気がする。

 「人間の業の肯定」とともに、
 
「平和である一瞬」
「平和であるように強いられた一瞬」

 の中でこそ、
 豊かなユーモア ── 「おじさん」の笑いと涙は、スパークするということだ。


 ところで、柴田元幸責任編集『MONKEY』vol.8も、隅々まで読了。
 作家イーユン・リーの短篇「小さな犠牲」「聞くこと、それは信じること」が
 とってもよかった(訳=篠森ゆりこ)。

 詩人エリザベス・アレクサンダーの「この日を寿ぐ歌」(訳=柴田元幸)も最高。




 この詩は、こんなふうに始まっている。


 この日を寿(ことほ)ぐ歌

 一日いちにち わたしたちは自分がやるべきことをやり、
 たがいにすれ違い、時に目を合わせ
 時に合わせず、喋ろうとしたり 喋ったり。

 わたしたちのまわりは雑音だらけ。まわりには
 雑音とイバラが、トゲと騒音があり、わたしたちの
 祖先一人ひとりが わたしたちの舌に乗っている。

 





「豆腐屋」のおじさんの啖呵にもまた、
 それを聴く私の舌にも、
「満たされたもの」の歴史が、乗っかっている。

谷本諭さんの、
批評「『社会主義リアリズム』とは何だったのか」(『民主文学』5月号)を読む。

21世紀の批評の典型として


この批評は、
サブタイトルに「21世紀の目で考える」とあり、
それは「社会主義リアリズム」なるものの本質が、
今世紀に入って初めて捉えられる/た、という意味をもち、
また、
数多くの学者たちの地道かつ困難な研究成果を土台にしつつ、
著者独自の分析と説得的な結論を、ようやく世界に向けて下せるという、

21世紀批評の「典型」の1つとなる、大きな仕事だと思った。

私は、久しぶりに、心の中で「喝采!」と叫んだ。
それほど、深い感動があったのだ。

詳しくは、不破哲三氏の『スターリン秘史』(新日本出版社、全6巻)を、
改めて検討してから感動の内容を書かなければならないが、
まずもって4つほど、ここに告白しておけば、

1.宮本百合子が「社会主義リアリズム」に対して、どのような態度をとったのか? という大問題を、『二つの庭』『道標』で発揮した彼女の創作方法と突き合わせて論じたこと。

 私は「当時、彼女が、これほど率直に意見を表明することにつき、どれだけ勇気のいることだったろうか?」と思いを馳せ、私自身が、かつて辻井喬さんへのインタビューに「(注)」書きした内容とを重ね合わせました。おそらく谷本さんのようなアプローチは、これまでなかったと思う。

2.谷本さんが、スターリンと「社会主義リアリズム」との関係を考えるにあたり、旧ソ連の政治史を深く追跡し、詩人デミアン・ベードヌイへの手紙(1930年12月12日付)を起点にして、スターリンの言う「空想」の内実を突き止めたことだ。そして「わが国民にたいする中傷であり、ソ同盟の名誉を傷つけ……ロシア・プロレタリアートの名誉を傷つけることです」とする、スターリンによる詩人批判の言葉の核心をとらえたことだ。

 私は、思わず「存在が意識を規定する」(マルクス)を踏まえた後の、その逆バージョンを「命題」に格上げしたいほどの「恐怖」を覚えました。

3.1932年10月26日、スターリンが、文豪ゴーリキーの自宅で提起した「新しい創作方法論」の真の意図を掴んだこと。すなわち、谷本さんは、作家たちの「大団円のムード」(亀山郁夫氏)の背後に漂う、巨大で、彼らを後々まで欺き苦しめることになる最も恐ろしい輪のかたちを──党幹部ジュダノフの演説を導きの糸として──描き出したこと。

 谷本さんは、あたかも袈裟(けさ)斬りのごとく書く──スターリンの新理論とは「進歩的な創作方法論の“装い”をつけながら、勤労人民の『思想的改造』と『教育』が文学の任務とされ、国策に協力することが作家の『義務』とされたのである」と(117頁)。

 見よ! 戦前の日本版ショーロホフたちの、いかに多かったことを!
 点検せよ! 浅尾大輔の作品は、日本共産党による読者の「思想的改造」と「教育」を担ってきたものか? を。

4.最後に、やはり、谷本諭という批評家の登場が、私には感動的だったのだ……。

 いや、正確に言えば、谷本さんのような仕事をされている側(サイド)から、
 かくのごとき批評が放たれたことが嬉しいのだ。
 ほとんど誰も、こんな仕事はしてこなかったのではないか?


 私のブログ諸君よ、
「なぜ、スターリンという悪魔的人間が、共産主義から生まれたのか?」と問うべきではない。


 資本主義と議会制民主主義の未成熟、
 そして暴力・人殺しの肯定・常態化(人権意識の未発達)が、
 サイコパス的な「支配者」を生み出すってことは、もうわかってることじゃないスか!

(思想と言語を深めていくところには、暴力は発生しないと思うんですよ)
(支配者たちのスピーチの「貧困」「定型」「安易=単純化」は、それを物語っていると思うんですよ)


 いやー!
 しかし!

 谷本さんの批評をめぐる言葉は尽きない……。
 谷本さん、ありがとうございます!

 ブログ読者のみなさん、こんばんは。

 今日の「しんぶん赤旗」にて、
 重松清さんの長編『たんぽぽ団地』(新潮社)の書評を書かせていただきました。
深読みをし過ぎたか!


 久しぶりに書評を書いたため、深読みし過ぎた=政治的な内容になった気がして、
 少し反省しております。

 実は、
 この書評を書くために、
 公営団地(賃貸)を管理している、
 都市再生機構(UR)の業務推進チームに問い合わせたところ、
 旧公団住宅の、
 1956年の供給時から、
 2016年度までに、
 実に、88万3000戸を国民に供給している/きたと言います。
 現在、1戸あたりの入居者の平均人数は2人と言いますから、
 単純に掛け合わせる──「まったく正確ではありませんが……」と断りつつ、
 年間、URの実質的な管理戸数74万戸 ✕ 2という規模で、
 この『たんぽぽ団地』の世界を肌で知りうる人びとがおられる、と言えるのです。

 ちなみに、
 2013年の総務省統計局「住宅・土地統計」調査を読むと、
 85万7100世帯、
 167万220人の国民が、公営住宅を利用していました。

 次に、総務省と国土交通省に問い合わせますと、
 本書の舞台と重なる1973年が、
 どのような特徴をもつ時代だったのかも分かってきます。

 旧公団は1972年、
 供給のピークとなる4万5000戸もの公営住宅を建設したため、
 73年の政府は「1世帯1住宅という目標を達成した」と胸を張ったと言います。
 だいたい当時3000万世帯のうち0.7%にあたる規模ということです。

 私は、1970年生まれ。
 父親が転勤族だったため、全国各地の社宅をめぐる少年時代を過ごしました。
 団地のコミュニティーとは無縁でしたが、
 重松さんの本作品は、
 私のような人間にも、
 私たち各々の大切な過去・現在・未来に向けて、
 かつての団地コミュニティーなるもの ── 住民のパワーやつながりの意義を、
 鋭く問うている気がしました。

 すなわち、
 そのことは、私自身が、半世紀にわたる団地の「物語」を生きたのです!
 
 最後に、重松さんはふれていませんが、

 かつて団地は、
「貧しさ」と「若さ」、
 そして「愛情」の象徴でもあった、という点も教えられたことの1つでした。



(追伸)
 URの職員さんは「私、重松さんのファンなんですよ」とおっしゃっていましたが、
 かつての団地と、
 現在の管理住宅との違い(あり方)については、少し考えさせられましたね。

ブログ読者のみなさん、おはようございます。

今朝は、東京新聞を読みながら、
自家製のミルク寒天+苺ジャムを食べてます。

苺のミルク寒天プリン


長めの取材旅行が終わり、ホッと一息です。



東京新聞と言えば、
先日の、小嶋麻友美記者(ロンドン特派員)による「桜」の記事が読ませました。

本来、桜というのは、多種多様だったのです。
品種だけではない。開花の時期にすら個性があった。
ところが、日本の「桜」と言えば、現在、ほぼソメイヨシノ一色となってしまう。

ジャーナリストの阿部菜穂子さんは、
近代化の中で、
「ぱっと咲いて一斉に散るソメイヨシノが全体主義のイデオロギーに利用された」
と言っている。

なるほど……と思う。

私自身は、接(つ)ぎ木された「桜」が大好きです。
例えば、早咲きの河津桜と名も知らぬ白い花びらを散らす「桜」とが、
どちらが先か後か分からないまま固く絡まり合って一つの幹をつくっている様子を見て、
日本の政治過程を見るようだったのです(笑)。


今年の暑い夏のたたかいのあと、
自民・公明の独裁政権に代わる、
新たな立憲民主主義政権には、日本共産党から閣僚が入ってもいい気がしてきた。

私は「垂直の思想」が大嫌いだから、
詩人・辻井喬さんへのインタビューでも、
それを確信しつつ、望みつつ、
最後の最後まで、日本共産党の「統治機構」という問題は保留してきた。

しかし、もう避けられないような気がするんだよ(笑)。

田村智子さん、
藤野保史さん、
本村伸子さんとか、3人ぐらい入閣してもいいんじゃないか?

いまのアベ政権より、
よっぽど、
子育て、エネルギー、環境保全の政策が進むと思うよ。


ところで、
梶井基次郎の短篇「桜の樹の下には」を読み返すと、やはり、涙が出てくるな。

桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。



私の、
あの美しい桜の下には、

10代の特攻隊員も、
29歳の小林多喜二も、
32歳の浅尾慎之介も、
38歳の太宰治も、
87歳の中本たか子も、
99歳の浅尾きん婆ちゃんも、

みんな、みーんな、埋まっているんだからなァ──。



梶井の、途轍(とてつ)もない想像力は、
彼自身に、ヒタヒタと迫り来る「死」によって書かされたものだろう。
換言すれば、彼の手の届かない「生」のオルガズムが書かせている。

おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪く臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。
何があんな花弁を作り、何があんな蕊を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。



東京新聞の「桜」の記事を読んだ後、
作家・梶井基次郎の文章を振り返ると、
やはり本物の作家とは、大日本帝国イデオロギーに対して、
命懸けでたたかう存在だったのだと教えられる。


「私」には惨劇が必要なんだ。
今こそ「私」は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている「国民」と同じ権利で、
花見の酒が呑めそうな気がする。

昨日投開票の湯河原町議選挙は、

わが党の並木まり子さん(64)が、

前回票を倍増させて第3位で当選しました!!

もう、俺と妻は、涙、涙で、どうしようもない。


昨年の秋のこと、

小沢町議が、病気のため、任期半ばで議員を辞職しました。

しかし、

この4年間、

小沢町議が、子どもの医療費無料化や、津波対策などで、

保守的な町議会の中であっても、

まっすぐに町民の声を届けていなければ、

今回の激戦を勝ち抜くことはできなかったように思います。


僕は、小沢さんが、病を抱えつつ、支部会議に参加された姿を忘れません。


電話がけをすれば、
湯河原町には、町民の切実な要求が渦巻いていました。


高い国保税

病院移転

駅前工事

給食問題

妊婦健診


これらの要求は、突き詰めると、安倍政権下の「穴」です。

ある町民の方の声を紹介します。

投票率50パーセント。そうなると票の大半が、地元の候補者それぞれの組織票という想像もつく。共産党さんは、前回、500票ほどで、正直、危なかった。しかし、この激戦の中で、1000票こえる第3位! 小沢さんを継いだのは、地元民ではない並木さんだった。この勝利こそ、本当の民意の表れと言えるのではないですか? 小さな町の選挙結果は、国政を大きく揺るがすかもしれませんよ。

 僕の可愛い甥(おい)が、
 SF作家・星新一の短篇小説にはまっている。


 この前、彼の、僕に対する電話のなかで、

「放射性廃棄物を、宇宙の果てに、ばらまいたらどうなるの?」

 と、批評家・吉本隆明のようなことを言う。

 だから、僕は、次のようなイラストを写真に撮って送ってやったんだけど、
 彼と、彼の幼い妹が、めちゃくちゃ喜んでいたらしい。

 自分のうんちが頭に落ちてくる





 僕が、イラストを書いた場所は、もちろんトイレだ。

 ブログ読者のみなさん、おはようございます。
 今朝の「しんぶん赤旗」1面です。

地域で確実に進む安倍打倒の連帯


 昨年からカズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』を読んでいるのですが、
 これが、ぜんッぜん前に進まないんですよ(笑)。
 正確に言うと、第1部の第5章まで読み終えたところ。

 翻訳された文章は平易だし、難解なポストモダン構造の物語でもありません。
 時系列の流れを守り、単に登場人物たちが旅する話なんです。

 だのに、なぜ、歯を食いしばって少しずつしか読めないのか?

 それは、今のところ、
 主人公が老夫婦であることから、
 作者カズオ・イシグロは、
 お年寄りの、旅する足取りに合わせてゆっくり読めるように、
 読者に魔法をかけたんじゃないかと思う。

 もうひとつは、
 老夫婦が、旅の途中で、若者=戦士と子どもたちと出会うためには、
 どうしても長い時間と、
 彼らなりに、現在のあらゆる状況を理解し、納得し、お互いに思いやる身構えを
 ととのえる必要があるからだ、と(私は)気がつく。


 夫婦2人の視界にあらわれる「鬼」とか「霧」とか、本当によくわからない(笑)。


 第3章の、戦士と老人との会話を引いておこう。

「少年を遠くの村へ連れていくようわたしに頼んだとき、長老たちの頭には当然サクソン人の村があったと思います。ですが、サクソン人の村でこそ少年の命は保証されません。なにしろ、体の噛み傷が危険だというのはサクソン人の迷信ですからね。しかし、ブリトン人の村ならどうでしょう。ブリトン人はそんな迷信を信じませんから、いずれ噂があとから伝わってきたとしても平気です。エドウィンは強い少年です。口数は少ない子ですが、さっき申し上げたとおり驚きべき胆力の持ち主です。どの村に住むことになっても、着いたその日から役に立つことでしょう。そこで相談です、ご老人。あなたは東へ向かい、息子さんの村へ行くとおっしゃった。きっとブリトン人のキリスト教徒の村でしょう。それこそ、この少年には理想的な村です。あなたと奥さんが、息子さんの力を借りて頼んでくだされば、きっと引き取ってもらえるのではありませんか。もちろん、わたしが行って、わたしから頼んでも、善良な村人は受け入れてくれるでしょうが、やはり見知らぬ人間とあって、村人が恐れや疑念を抱くかもしれません。それに、わたしの都合として、用事のために来ていますので、あまり東まで旅をしたくありません」

「すると、お話というのは、妻とわたしが少年をここから連れ出すと、そういうことですか」

「そのとおりです、ご老人。しかし、用事の途中ではありますが、わたしも途中まではご一緒できます。山の道を行くとおっしゃっていましたよね。少なくとも山の向こう側に出るまでは、少年とお二人のに喜んで同道いたしましょう……(後略)」       土屋政雄=訳

『民主文学』3月号が届く。
これは、毎月、自分のお金で買う唯一の文芸誌だ。
多喜二的主題というもの

私は、作家・小林多喜二の中篇「工場細胞」について論じた。
構成は、下記の通り。

1.日本共産党と労働者の連帯
2.「工場細胞」の構想と主題の間
3.スパイ、女工、日本共産党
4.多喜二的主題への挑戦

興味のある方は、ぜひ、ご購入の上、ご意見・ご感想をお寄せください。

紙幅の関係で、引用させていただいた参考文献を明記できませんでした。
ここに感謝の気持ちを込めて列挙しておきます。

1.レーニン『帝国主義論』
2.不破哲三『小林多喜二 時代への挑戦』
3.土井大助「解説」── 新日本文庫『工場細胞』
4.尾西康充「小林多喜二『工場細胞』草稿ノートの分析 ── 女性労働者の描き方」

その他、本文には出ておりませんが ── 泣く泣く端折った部分にかかわって、

1.宮本顕治『文芸評論選集』第1巻「あとがき」
2.宮本阿伎「『工場細胞』── 女性への温かい視点」(「赤旗」2013.2.26付)
3.みすず書房『社会主義運動(一)現代史資料(14)』
4.川端康成『文芸時評』
5.大田努『小林多喜二の文学と運動』
6.三浦綾子『母』

が、大きな示唆を与えてくれました。
とりわけ3は、いわゆる「27テーゼ」「組織テーゼ」と中篇「工場細胞」との関係で
改めて調査するために手にとったものの、
私の先走る野蛮な思いを挫(くじ)くものとして、
5に収録された大田「経済恐慌下のたたかい ── 小林多喜二『工場細胞』」の慎重さは
特筆すべきもの。

本当にありがとうございました。


なお本誌「文芸時評」(文芸評論家の岩渕剛氏)は、
私の「支部の人びと」を最初にとりあげており、たいへんうれしく思いました。

私が注目したのは、
岩渕氏が、作品を「作者」の「提起」として論じていたこと。
そして「作者自身がいまの党や党員に向けるメッセージ」(P145)を、
今から20年ほど前に私が書いた短篇「アワダチソウ」の「浅田のおばさん」(笑)と
「二ノ宮ハルミ」(「支部の人びと」の主人公)との関連から言及していた点です。
本当に有り難いことです。
岩渕氏の丁寧な、かつ慎重な読み方に、作者として深くお礼を申し上げます。



今回の小説の恐ろしさは、
評者の立ち位置と私のそれとを明るみにしてしまうこと。

激動する政治と社会の中に参加し共にストラグルしているつもりが、
事実、紛れもなく、両者は、それぞれの現場にいたにもかかわらず、
お互いの言葉が、表現が、批判が、
そのストリームから、どちらかが遠く流されてしまっている(!)という印象を、
否応もなく与えてしまう。

本当に恐ろしいことです。
私は、その意味でも絶対に負けられないのです!
それゆえ私は、勇気を振り絞り今号の批評を投じることになりました。

 ブログ読者のみなさん、おはようございます。

 このたびの批評(25枚)のポイントは、
 私自身が、
 作家・中本たか子と、
 女優「田中絹代」の肩にぶつかったことかもしれません。

 もちろん昭和初期の川端康成氏や横光利一氏は、
 新進気鋭の「女流作家」中本の作品に胸を撃たれていた……。

 調査する過程で、
 山口県下関市ふるさと文学館の学芸員さんから
 中本たか子展が開催中であることを教えられました。

 彼女は、自らの手で真実をつかんだと思う


 みなさん、ぜひ、足をお運びください。
 あらかじめ問い合わせておきますと、
 作家・中本たか子の貴重な資料・書籍を館内で閲覧することが出来ます。


 中本たか子への凄惨な拷問は、
 彼女の回顧録だけでなく、
 精神科医・秋元波留夫(1906-2007)の論文「治安維持法と拘禁性精神病」で、
 時代と深く関連づけられている。
(秋元の診察経験だけでなく、保存されたカルテ、他の医師の論文も参照のこと)
 
 なぜ、彼女が、これほど酷い拷問を受けなければならなかったのか?

 端的に言えば、
 権力が、彼女の中の、非転向を貫く人間性を見抜いたからである。

 作家・横光利一氏の言葉を借りれば、
「今に中本君はやれないことまでやれるやうにして了ふ」女性だったからだ。

中本君の一番の特長は今までの女流作家が美しいと思つてゐたものを捨てて了い、汚いと思つていたものを美しくしようとしたことだ。(中略)此の冒険はもし中本君が出なければ誰か必ず他の者が変つてするべき筈のものであつたのだ。そこへ中本君が現れた。受難は当然暫くは来るであらう。



 横光氏のエッセー「中本たか子について」(昭和4年)は、
 彼が見ることのなかった、
 転向後の彼女の、戦後の彼女の人生まで安心して見晴るかすがごとく、
 実に堂々としたもの。

 

 またまた泣けてくるよ、おじさんは ────。

 昨日付の「しんぶん赤旗」1面は、本当にうれしいニュース。

 大手化粧品メーカー資生堂による解雇・雇い止めに対し、
 非正規雇用の女性7人が、その撤回を勝ち取ったというのだ。
非正規の女性たちの連帯に拍手!


 和解の内容は、画期的なものだ。

 1、解雇・雇い止めを撤回する。
 2、資生堂とアンフィニは解雇・雇い止めの経過などの紛争に関する事情に遺憾の意を表明。
 3、(上記)両者が連帯して解決金を支払う。

 彼女たちが所属する労働組合は、
 全労連・全国一般神奈川地本アンフィニ分会です。
 
 記事は、書く。

 会見で、原告団長の池田さんは「いきなり『明日から来なくていい』と言われたことを昨日のことのように思い出します。でも、最後まで負けないと信じてがんばってきた。声をあげ、立ち上がって本当によかった」と涙をぬぐいました。

 
 かつて私がオルグだった頃、全国一般で活動する女性オルグに多くを学びました。
 そして活躍する女性オルグたちが、たくさんの非正規の女性たちの叫びを受け止め、組合の組織部の会議でリアルに再現するのを驚きの目で眺めました。その「秘密」の報告の1つが、この争議の前段階だったと思う。僕は、たたかいは続いていたのだ、と胸が熱くなった。

 ところで、この闘いの何が画期的なのか?

 記事は、書く。

 原告弁護団の藤田温久(はるひさ)弁護士は「大企業の資生堂が派遣労働者の雇用責任を認めた、画期的な和解だ」と評価。


 今朝の「赤旗」には、この争議の詳報が載っている。
 彼女たちへの一方的な解雇・雇い止めは、2009年5月、リーマン・ショックにともなう減産を理由に強行されたものだった。神奈川県金倉市の資生堂鎌倉工場で口紅などを生産していた彼女たちは、資生堂側に都合よく雇用形態を変更させられながら、その挙句に、首を切られたのだ。


 ああ、非正規の女性労働者、労働組合、そして弁護団・支援者の連帯に拍手だ!!








 ちなみに10面の「文芸時評」(三浦健治氏)にて、
 私の小説「支部の人びと」が取り上げられていました。
 編集局、三浦さんにお礼を申し上げます。


 昨日の、病院の待合室で、たまたま見たNHK連続小説「あさがきた」(?)の回は、
 なんと貧困によって次男、三男が徴兵検査から「白いご飯がたくさん食べられる」軍隊へ憧(あこが)れていく現状を、明治維新の悲惨を知る女性たちが嘆くくだりが出てきて、ふと、なぜか、現代の「文芸時評」が、いかにあるべきかを考えさせられました。

 このたびの批評(25枚)を書くなかで、
 私は、昭和10年前後までの、川端康成氏の「文芸時評」を読みました(講談社文芸文庫)。私の驚きは、あの川端氏が、プロレタリア文学の作品を懸命に批評している姿でした。文学の自由を守ろうとしている、実に厳しい姿でした。小林多喜二の作品と「死」を、いかに(己の陣営を含めて)生かすかという問題意識でした。


 おい、おれよ、自分よ ── 甘えるな! 甘えてもらっちゃこまる!






 スカイプのやり方が、分からない。

 今朝の「しんぶん赤旗」にて映画「サウルの息子」の批評を書きました。
 2015年のカンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品だそうです。

(予告編は、伝えすぎているのでアップしません……HPから見えちゃうけど)
 
 私は、実は、パンフレットその他の情報なしに鑑賞しますから、
 結果として、
 再び ── 改めて、映画界の世界水準というものを教えられたように思います。
 38歳の新人監督がつくる衝撃の問題作


 今月の原稿料は、お陰さまで10万円をこえそうです(喘息薬が払えます……)。
 そして、私の作品には、いろいろな感想が寄せられております。

 田舎の姪っ子まで「感想文」を送ってくれました。本当にうれしい!

おじさんは、これ、ライトノベル風に書いたんだと思う。違う? すっごく風景が見えたじゃんねぇ。あと時空をこえる方法で書いとるら。私、笑ったわ。おじさん、小説家なんだ! って。
そして、私は、よくわからんけど、共産党のひとと、普通のひととと、姿も生活も全然変わらんということを感じたよ。もしかしたら生き方も。みんな、同じだなって。特別じゃないっていうか。
共産党のこと全然わからん私が言うのもおかしいけど、最後の「新しい人」で、すっげー泣けた。新しい人って、おるもん。私のまわりにも、私も含めておるってことだら? おじさん、もしかしたら、すごい人かもしれんって、私、怖くなったわ!



 ブログ読者のみなさん、
 今夏の選挙で絶対に自公を勝たせてはなりません!
 厳しい時代ですが、全力で闘い抜きましょう!!

↑このページのトップヘ