いま仕事から帰ってこのブログを見たら、本田美奈子さんが亡くなったというyoshiさんのコメントがあって、慌ててネットのニュースを読んだ。10カ月の闘病の末に白血病で帰らぬ人となった、38歳。

 僕が記者をしていた3年前かな、ある読者から「本田美奈子さんのアルバムがすごくいいのでインタビューしてください」という手紙が文化部に舞い込んだ。当時の僕は国立大学の法人化問題を担当していたのだけれど、ロックや文学などの若者の動向も追っていた。そのときの僕は、本田美奈子という存在をほとんど知らず、ただただ若い読者が強く訴える「愛と平和をこんなにも高らかに歌うボーカリストは、最近、ほとんどいません」という言葉に惹(ひ)かれて動き出したのだった。

 「しんぶん赤旗」日刊紙の文化人インタビューのうち、商業的な色合いの強い対象ほどオファが難しくなるのは、ひとえに政党機関紙という色彩の強さによる。「朝日」「読売」などの記者との大きな違いが、ここにある。しかし、本物の文化人や芸術家は、そうしたイデオロギーの壁を乗り越え、「しんぶん赤旗」の読者のために一肌脱いでくれるものだ(そういう確信を深めた丸4年間の記者生活だった)。だから僕ら文化部の記者は、読者のために、紙面初登場の文化人や芸術家からたくさん話を訊こうと躍起になるのだった。

 はたして、本田美奈子さんの事務所は、「しんぶん赤旗」日刊紙の初インタビューと撮影を快諾してくれた。こちらの趣旨と新聞の性格も伝えた上でのオッケーは、何物にも代え難い嬉(うれ)しい瞬間だ。当日まで、本田さんのことを調べ尽くしたのだが、かつてロックな印象でヒット曲を飛ばしたアイドルだった。しかし、青いジャケットにまとわれた最新アルバムは、ハイトーンヴォイスでゆっくりと歌い上げるクラシカルな選曲で詰まっていて、さらにミュージカルでの活躍もあいまって(僕は、帝国劇場の芝居に招待されて楽屋まで押しかけました……)、そうした幅の広さは、本物の歌手の誕生というか、それもレンガを積み重ねるような厳しい練習の果てに確立された歌い手さんだと感じさせるに十分なものだった。

 ……会ったのは暑い夏の日のこと、東京・恵比寿にある小さな公園。眼が覚めるようなショッキングピンクのタンクトップと目茶苦茶ほっそいジーンズを穿(は)いて、さっそうと現れた本田さんは、僕が初めて会った本当のアイドルではなかったか? 「存在そのものが輝いている」という表現がぴったりの女性だった。カメラマンが「表情がかたいなァ」と言い、僕は、本田さんから「記者さん、わたしに、いろいろ質問してよ」と言葉を投げられ、「好物は何ですか?」「趣味は何ですか?」とくだらないことを訊いてしまい、「お見合いじゃないんだから」と笑われたことを思い出し、……ああ、ちょっと泣けてきそうだ。

 事務所での本田インタビューは、主にイラク空爆と重なったレコーディング時期に何を考えて歌っていたのかを深めるものになった。現実が芸術家に与えるインパクトの大きさを改めて知ったし、取材のあと、再度CDを聴き直すと、彼女の歌が、もう一回り深い何かを訴えているようにも感じた。
 今でも覚えているのは(絶対に忘れることができないのだ)、取材を終えてノートやテープを仕舞っているとき、本田美奈子さんが「こんなに真面目に真剣にわたしの歌のことを訊いてくれた記者はいません」と言ってくれたことだった。僕が「え?」と驚いて顔を上げると、「スポーツ新聞とか関係ないことばっかり訊くから」と淋しそうに笑った。そうして、付き人さんにインスタントカメラを持ってきてもらうと、向かい側から僕の隣りへとちょこんと座ってきて「チーズ!」……、な、な、なんとツーショットの写真を撮ってくれたのだった(!!)。本田さんは「気に入った人には、いつも、こうしているんですよ」とあっけらかんと言い放って、僕は久しぶりに赤面してしまった。
 大きな僕の顔の半分以下の小さな本田さんの笑顔は、かくして永遠に生き続けることになる(悩んだけれど、このブログでは写真はアップしません)。

 これから、本田さんの魅力が本格的に知られる時代が来る……、そういう予感が漂う時期での発病は、なんとも無念でならなかっただろうと思う。僕などに書けることはこんなことだけだ、けれど、亡くなった本田美奈子さんという一流のアーティストが、この同時代に「しんぶん赤旗」記者だけに見せた、ほんの一瞬の光を残しておくことは、あながち意味のないことでもないだろうと思って……。