ブログ読者のみなさん、おはようございます。
 昨晩、長い講演ツアーから帰宅しまして、それなりの手応えを感じております。そう、文学の力というものを再確認しています。

 関西のツアーから上京する途中、僕は奈良に寄りまして、興福寺(こうふくじ)にある阿修羅像や金剛力士像をはじめとした仏像や数々の芸術品(ちょうと正倉院展が始まりました!)と、そうして春日山のふもと、昭和3年につくられた「小説の神様」志賀直哉氏の大邸宅を拝見してきました。

 実に敷地は435坪! 数寄屋(すきや)作りの建物は134坪(443平方メートル!)で、部屋数は子ども部屋も含めて、もう、数えきれないほど! 喫茶店のようなサンルームも大きな庭もあり、はっきり言って参りました(笑)。この大邸宅で志賀氏は、唯一の長編大作『暗夜行路』をはじめとして代表作を次々と完成させたもようです(僕は、志賀作品が大の苦手なんですが……笑)。
 
 この旧志賀邸には、武者小路実篤、小林秀雄、尾崎一雄、滝井孝作ら有名な文人だけでなく、梅原龍三郎ら有名画家らも集い、間借りし、仮寓(かぐう)しており、周囲の地図を俯瞰(ふかん)すると一大文化圏をかたちづくっていました(俗にいう「高畑サロン」)。
 写真で見る志賀氏は、なかなかの男前なんですが(笑)、やはり彼の、相手を差別しない柔らかな心が多くの人たちに愛されたのだと思いました。

 志賀邸二階客間の眺め


 昭和6年11月、ここに28歳の小林多喜二さんが仮釈放の身でありながらひょっこりとやってくるのです(それも変装していたらしい!)。
 近代日本文学の最前線のすべてから自身の文学の血肉にしようとした多喜二さんが志賀邸を訪れて、二階客間に泊まったのでした。
 志賀氏は、やはり小説「蟹工船」が一番よかったと見えて、手紙に「一番念入ってよく書けていると思ひ、描写の生々と新しい点感心した。」としたためました。
 多喜二さんと志賀直哉との手紙のやりとりは有名な話ですが、それに加えて多喜二さんが亡くなったあとの志賀氏の態度の変化と多喜二さんのお母さんらに見せたあたたかな振るまいは、なかなか知られていません。

 志賀邸二階客間から眺める風景は、「美しい」という一言に尽きます(志賀氏自身、エッセー「奈良」で書いているように、これは間違いない!)。

 11月なら、おそらく深い紅葉が見られたはずです。
 多喜二さんは、しばしここからの風景を眺めて、しばし志賀邸で働く女中さんたちや志賀氏の子どもたち、さらには谷崎潤一郎から贈られた高価な置物を見つめながら(笑)、何を考えたのでしょうか。