鬼の俎
2022年12月02日
2006年11月 晩秋の奈良 5/6
石舞台古墳にやってきました
このころはまだこんな風に開放的な観光地ですね
石の上にも上れているようです
まだ解明されていませんが
蘇我馬子の墓の石室部分だという説が有力です
蘇我入鹿のお父さんですね
権力がすごくあったからこそ
こんな大きな石室の墓を作れたのでしょう
私が子供だった頃
遠足でも来たことがありますが
上の石に登ったり中に入ったりして遊ぶことができましたが
今はこれ自体が塀で囲まれて入場料を取るようになっていますので
上ったり入ったりするなんてできなくなってるかもしれません
この場所で休憩して蕎麦をいただいて
こういうものも食べました
赤米のソフトです
赤米というのは古代米で
この辺りに都があった今から1400年前の飛鳥時代
主に食べられていた米であろうと推測されて復刻したものです
観光地ですから
この辺でとれなくても奈良県の名産品の無人販売もありました
みかんですね
12個くらい入って200円です
大阪から奈良西部にかけてはブドウとミカンの産地になっています
私の子供のころは奈良から近鉄に乗って
おばちゃんがトタンの櫃を背負って
みかんやイチゴを売りに来ていました
石舞台古墳から近鉄飛鳥駅までは
古代の石の彫像がいくつも残っています
亀石
鬼の俎(まないた)
鬼の雪隠
いずれも形状で名前が付いたものです
決してまな板やトイレではありません
用途が解明されていないわけですが
いずれも何かの政治的な儀式に使われたものであろうと言われています
このころから平安時代までの500年ほどの間
日本は中国からの律令政治などを取り入れたりしますが
基本は呪術や占いなどが政治に大きな影響があったとされています
仏教が取り入れられたのも
平安時代に陰陽師が活躍したのも
政治にそういう要素があったからです
明日香村の最後はバスに乗ってここに行きました
高松塚古墳です
この後ろの建物にはぎ取った壁画が保管されています
もちろん撮影厳禁でした
明日香村の観光を終えて
近鉄飛鳥駅に戻って2駅電車に乗って着きましたのは
橿原神宮前駅です
このころはまだこんな風に開放的な観光地ですね
石の上にも上れているようです
まだ解明されていませんが
蘇我馬子の墓の石室部分だという説が有力です
蘇我入鹿のお父さんですね
権力がすごくあったからこそ
こんな大きな石室の墓を作れたのでしょう
私が子供だった頃
遠足でも来たことがありますが
上の石に登ったり中に入ったりして遊ぶことができましたが
今はこれ自体が塀で囲まれて入場料を取るようになっていますので
上ったり入ったりするなんてできなくなってるかもしれません
この場所で休憩して蕎麦をいただいて
こういうものも食べました
赤米のソフトです
赤米というのは古代米で
この辺りに都があった今から1400年前の飛鳥時代
主に食べられていた米であろうと推測されて復刻したものです
観光地ですから
この辺でとれなくても奈良県の名産品の無人販売もありました
みかんですね
12個くらい入って200円です
大阪から奈良西部にかけてはブドウとミカンの産地になっています
私の子供のころは奈良から近鉄に乗って
おばちゃんがトタンの櫃を背負って
みかんやイチゴを売りに来ていました
石舞台古墳から近鉄飛鳥駅までは
古代の石の彫像がいくつも残っています
亀石
鬼の俎(まないた)
鬼の雪隠
いずれも形状で名前が付いたものです
決してまな板やトイレではありません
用途が解明されていないわけですが
いずれも何かの政治的な儀式に使われたものであろうと言われています
このころから平安時代までの500年ほどの間
日本は中国からの律令政治などを取り入れたりしますが
基本は呪術や占いなどが政治に大きな影響があったとされています
仏教が取り入れられたのも
平安時代に陰陽師が活躍したのも
政治にそういう要素があったからです
明日香村の最後はバスに乗ってここに行きました
高松塚古墳です
この後ろの建物にはぎ取った壁画が保管されています
もちろん撮影厳禁でした
明日香村の観光を終えて
近鉄飛鳥駅に戻って2駅電車に乗って着きましたのは
橿原神宮前駅です