大仏パーマを落とした後も心の傷が癒えるまでには少し時間が必要だった。先輩達から大仏パーマを嘲笑され、道行く人達の冷たい視線に晒されて箚さくれだった俺の心は意外にも傷ついていたからだ。


 もう二度とパーマなんてかけねぇ……。俺の頭を螺髪にした美容室を装った床屋の前を通る時も俺は足早に背を向けて走り去った。


 それから1年後くらいだったか。福岡でアジア太平洋博覧会(1989年)というエキスポが開催された。ちょうどバブル全盛期で、各企業は湯水のように予算を投下して贅沢なパビリオンを建設した。


 学生だった俺もナイトパレードのダンサーとしてこのエキスポでバイトした。実質拘束時間は45分間程度でダンスは場内3ヶ所で行われるだけ。着ぐるみを着て踊るだけで1万円を現金でもらえるバイトだった。2分44秒からこのパレードの模様が映っているが、このパレードで踊っていたのである。もしかしたらこの中に映っているかも知れないけど。


 


 稼いだ金で中型バイクのローンを完済し欲しいものを買うなど物欲の限りを尽くした。まさにバブリーな時代である。夜は仲間たちと街に繰り出し朝まで痛飲する。まだ20歳だったのでアルバイトに来ていたJK達は2〜3個下の世代である。そんなJK達に鼻の下を伸ばしていたのもこの頃だ。


 同じダンスチームのリーダーだったガテン系のY氏(29歳、独身)からも「楽しそうやな、あんた」とちゃちゃを入れられる始末。ま、そういうY氏もでっかいアメリカンタイプのバイクを駆って、大人の女性達と遊びに行ってたので人のことは言えまい。


 とはいえ、そうなると、ちょっと色気づいて来るのが若者である。「なんかもうちょっとこう……いい感じにならんかな」と思っていると、近所にロジェールという美容室が出来た。店構えを観ると床屋ではなさそうだということで、早速に入ってみた。


 うやうやしく畏まる男性スタッフに「こないだはパーマで失敗したから今度はしたくない」と心情を吐露すると、「お任せください」と胸を張るスタッフ。「お客様の髪は少々固めなので、このびんの部分をこうしてこう……この部分はこうしてパーマをかければ問題ございません」みたいことを語るので、じゃそうしてくださいと頼んだ。段々と眠くなり……そして深い眠りについた。



 qaf


 で、起きたらこうなっていた。確かに前回の螺髪ではないけれども……これはありなのか? これはイケてるのか? もう自分がわからなくなっていた。あんだけ胸を張って「お任せください」と言い切ったこの店員……。ひょっとしたら東京ではこれが流行っているのか。福岡が遅れているだけかも知れない。いや、きっとそうだ。表参道辺りではみな男はこんな髪型になっているのかも。


 俺の自己正当化はこうして進行していき、俺は前回打ちのめされた大仏パーマとは違った意味で、少しだけ誇らしく店をあとにした。俺を見ろと……。これがナウいヘアースタイルだと。おい、そこの女子高生、俺を見ろと。なんだ……なんで目を背けるのだと。


 ローンを完済したバイクに乗って颯爽と職場に向かう俺。表参道で大流行のこの髪型でもうバイトの女子高生もイチコロだな……とヘルメット内で笑みがこぼれる。職場についてバイクを降り、Y氏が愛車を乾拭きして磨いているところに近づく。ヘルメットを外してY氏に挨拶をする俺。


 俺:ういーーっす!

 Y:!!??(俺を見て言葉を失う)

 俺:へ?


 Y:あんた、ビックヘッド君になっとるばい……っぷっ!



 ビックヘッド……? 大きな頭……? え?


 qaf


 それから暫くの間、みなでカラオケに行ってもY氏から「それではビックヘッド君が歌います。ZIGGYのぐろりあです、どうぞ!」などといじられる始末。もう二度とパーマは掛けぬ。不滅の戒めを自分に課したのである。