12月24日(水)東京の代々幡斎場で行われた元参議院議員片山虎之助先生の密葬に参列しました。

先生は、私が浪人中に秘書としてお仕えした方であることは、言うまでもありません。

unnamed (4)

傲慢だ、よく怒鳴る――
そうした評は、この人のごく表層にすぎません。

この方の本質は、人間味でした。

密葬が行われた東京に、私を含め過去の秘書経験者が数多く集まりました。

人間関係が荒れがちな国会議員/秘書の世界にあって、この事実だけで、先生の人望は十分に語られています。

unnamed (6)

説明以上にこちらの意を汲み、即座に行動指針を立て、現実的な助言を返してくる。

その鮮やかな頭脳は、秘書に限らず、陳情に訪れた人、支持者として接した人、その誰の記憶にも強く刻まれているはずです。

「人間、勘の悪い奴はだめだ」――それが口癖でした。


地方分権による国のつくり直し。
それは国会議員として、見かけや方便ではない、先生の本心からの信念でした。

三位一体改革。
政令指定都市の基準緩和。
地方に厚く配分された e-Japan 構想。
これらはすべて、先生が先頭に立って進めた仕事です。

「なぜ市議会議員なのか」
約10年前、初めて市議選に挑む際、日本維新の会の公認面接で問われました。

日本は地方分権を進め、国のかたちを変えなければならない、
そのためには、基礎的自治体に人材が必要だ――そう答えたときの、先生のニンヤリとした表情を忘れません。


後日、先生は私の集会でこのエピソードを紹介してくれ、

「我が意を得たり。我が同志だ」

と語ってくださいました。お世辞でも嬉しかった。

unnamed (2)

また、私が支持者の真心に応えきれず、人をがっかりさせてしまう場面があるという危うさを見抜かれており、珍しく静かな声で、一言ひとこと念を押すように私に言いました。

「人は、自分が思うよりずっとお前のことを思ってくれている。それを絶対に忘れてはならない。」

「新しく支持してくれた人より、昔から大事にしてくれた人を先に大切にしなさい。まずは家族だ。」

「いいか。自分が変わるのが一番簡単なんだ。だって自分が変わればいいんだから。」

今にして思えば、岡山で酒席にお供した最後の日のことでした。

それらの言葉は私に深く刺さり、今も実践的な指針として生き続けています。

IMG_0064

岡山県笠岡市金浦生まれ。

漁師町の小さな商家に育ち、地元高校から、試験を受けて県を代表する名門岡山朝日高校へ編入。東京大学法学部、自治省を経て、自民党参議院幹事長、初代総務大臣、日本消防協会最高顧問、日本維新の会共同代表などを歴任されました。


密葬の日は、小雨の降る寒い日でした。

unnamed (8)

自民党と日本維新の会による連立政権、最初の国会閉会を見届けて旅立った――
喪主の片山大介参議院議員は、そう挨拶しました。

霊柩車を見送りながら、

天から使命を受け、この世で存分に暴れた人が、静かに天へ帰っていった、

そう感じました。

unnamed (5)

闘病は4年に及びました。
まだ、やりたかったことはあったはずです。

その千分の一、万分の一でも引き継ぐことができたなら――
そう思いながら、これからの歩みを考えています。

ゆっくりとお休みください。

心より、ご冥福をお祈りいたします。

unnamed (3)

芦田泰宏