私は万代栄嗣牧師の九州福音センターに出席させていただいていますが、そのお父様が万代恒雄牧師です。
また、来週私の大切な友人が洗礼を受ける予定です。
先週は小倉教会で親しい友人が洗礼を受けられました。
すべて感謝です。
九州福音センター

万代恒雄牧師の教会がどのような経緯で創立されたのか、興味を持って調べてみたのですが、その純粋な信仰とゼロからのスタートを敢えて選んだその開拓者精神に圧倒されました。
あえて悪条件とされる田舎町での開拓伝道を選んで、松山に乗り込み、
28歳で始められたその生涯は今でも輝いています。万代栄嗣牧師に引き継がれたそのフロンティア・スピリットをぜひ感じてください。

「万代恒雄物語」より

 万代恒雄は、1929年(昭和4年)12月29日、中国の上海で生まれました。父親は実業家で、ある日本企業の上海での重要ポストにありました。恒雄が4歳になったとき、一度日本に帰り、東京での生活が10年近くありました。再度中国に渡り、小学校6年生から中学2年生まで上海に住んだのです。「通学途中、地平線に大きな太陽が燃えるように沈んでゆく光景を毎日のように見て、自然の偉大さ、神の偉大さを、少年時代に感じていました。感受性の強い頃ですし、いま考えると、あの時分にぼくの進路が無意識のうちに決まったような気がしているのです。」と事ある度に語っていました。

 実業家としてかなりの成功路を歩んでいた父は、彼にも同じ道をと期待をかけていました。敗戦直前に全財産を残して日本に帰ってからは神戸に住むことになりました。その生活は一変し、戦争によってではあっても、彼にとっては、どん底に転落したとしか思えませんでした。父親の築いた富と豊かな生活が音をたてて崩れてしまう空しさを知り、彼の価値観はすっかり変わったのです。物質中心に持つ価値観の次元の低さを知った彼は、人生の仕事を精神面に関わる何かをするべきだと心に思うようになりました。そんな際、キリストとの出会いは、まさに天からの恵みの他、何物でもありません。

 神戸大学生の19歳のある夜、小さな教会で、救い主イエス・キリストを知らされました。家路への途中、小さな川の流れの土手に腰をおろし、神との交わりの時を持ちました。そして、思い出せる限りの自分の中にある醜い罪を神の前に言い現しました。吹き出る涙も気にせず、徹底的な悔い改めを致しました。今まで味わったこともない神からの大きな平安と喜びが溢れてきました。
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(汽茱魯唯院В后法                   
許され救われた喜びは、かつての富や使用人を沢山従えた贅沢な生活にも代えられない幸せな気持ちに導きました。持っていた煙草を小川に捨て、神に従うことを決意した祈りは、生涯を決定づけました。

 もう道は神への献身以外ありません。どんなに理解を求めても両親の反対は思った通りでした。「乞食なら食いはぐれはないが、牧師はお金にならない」という父親の理論で、大反対です。両親の反対を振り切って、東京の神学校に入りました。
 大学卒業を直前にした、昭和27年2月3日、雪の降る冷たい夜、勘当された恒雄は家を出たのです。次の日、阪急電車のある駅で、一人のスイス人と会いました。アルバイトでお世話になった会社の上司、勿論クリスチャンで、ジョージ・ブッシャーさんという人です。寒さと心細さで震えている恒雄の訳を聞くと、自分の腕にしていた時計を恒雄の手にはめました。そして、ポケットから小さな聖書を取り出し、黙示録2:10のお言葉を示し励ましてくれました。「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたに命の冠を与えよう。」このお言葉こそ、万代恒雄牧師の生涯を通しての指針と奨励となったのです。
 神学生の間、伝道熱心な彼が休日を利用して開拓した教会は、卒業時にはかなりの教会になっていました。そのまま教団の正教師として活動しました。伝道心、思考、行動力、何事につけても規格外の彼は、一教団下ではとても圧迫を感じはじめました。組織の中の規約は、あの広大な地平線を見て育った彼には合わないのです。世界が教区であるとの実感が持ててこそ、思いきり伝道が出来るのだと信じていたからです。

 教団を辞した彼は、あえて悪条件とされる田舎町での開拓伝道を選んで、松山に乗り込みました。28歳、昭和32年のことです。
 知人一人もいない松山開拓は、文字通り苦難の道でもありました。波乱にとんだ道にも「主が共に居る」との聖霊(神様)の臨在感を常に持っている信仰の故に、大胆かつ積極的伝道は、休むこと知らず、展開されていきました。どうすれば魂をとらえることが出来るだろう、終日そのことばかり考えているのです。神の知恵と助けを求めて、神の御前に出て祈る姿勢は、多くの方々の知るところです。深い神との交わりの中に、思いつく事、アイデア、すべては神が示されたことなのです。
 聖書はアブラハムについて言っています。「彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ・・・行ないのない信仰は、死んでいるのです。」(ヤコブ2:22〜26)と。伝道のため召され献身をしたからには、誰にも増して神に使って欲しいと心から思ったのです。限られた人生を「勝利の人生」と言わせるための必要条件として、教えられることを即行動に移すこと、と心掛けたのです。

 熱意と持ち前の名説教ぶりは、たちまち人々を回心へと導きました。人の能力ではなく、信仰通り神が共に在ったのです。
 何も持たずに松山に来て7年目、1946年9月23日、旧会堂の献堂となりました。その頃には、教会は礼拝出席は100名を下ることはなく、地方都市の教会としては、祝されたものでした。
 万代恒雄の夢は止まりません。地球上のすべての人間に神の救いを伝えることです。
 電波を使って伝道出来たら、一度に何百万の人が聞く可能性がある。これが放送「まことの救い」のはじまりです。同じ重荷を持って下さる方々に訴え、献金を集めることや伝道のフォローの奉仕は妻(万代君恵)の仕事でした。祈りはじめて6年目、1986年9月、ついに1局目からはじまりました。数年後には、15局をネットにし、今日まで30年を経てまだ続いているのです。
 ラジオ伝道から得た名簿に御案内し、大阪で、クルセード伝道もはじめました。毎回300名の方々が集まりました。50回までは毎月、以後は年3回の集会は80回まで続けました。1000名以上の信仰の決心者が与えられました。
 現代病といわれるノイローゼの方々とその家族を伝道するため、松山ヒューマンクリニックをはじめました。

 ノンクリスチャン(未信者)に信仰の必要とすばらしさを語る著書を次々と出しました。各界からの講演依頼もいっぱいでした。必ずキリストの証しが出来ることを喜びました。
 様々な活躍と業績とその理論は認められ、米・インターナショナル・ユニバーシティから哲学博士の学位をいただきました。
 彼の伝道の足は海外にも向けられました。ケニアでは6万人が集まった集会で説教。ブラジルは20年前から毎年のように出かけ、2万人集会まで成長。インドでは4万人集会。こつこつと毎年続けた働きで大集会で御用をさせていただき、神の御業が現れました。
 これらの働きを支える教会として成長した松山福音センターも、松山市の中心に6階建てのビルを建て、新会堂が出来ました。
 「私たちは神の栄光を現すものとして、初代教会の信徒のように、そして、歴史を変革してきた信仰の先輩のように、行動力のあるクリスチャンになるべきです。」と彼は著書に言っていますように、次々と神の働きのために信仰を行動にしていきました。

 また、天に召される数年前、友人に書いた手紙に次のように記しました。                          
「苦しかった日々はちぎれ雲のように飛び去って記憶の中にもありません。すべては恵です。そして今も福音のために第一線で戦えるキリストの兵士であることを神に感謝しています。ベッドは私の死に場所ではありません。講壇の上こそ私の死に場所、人生の最後の一息まで福音を語りつづけたいと祈っています。」
 その言葉通り、最後の御用まで完全に全うして、1994年5月9日、主のもとに帰っていきました。その日まで本当に「死に至るまで忠実でありなさい」の御言葉通りを全うしました。

(筆)万代恒雄夫人・万代君恵 「喜びの人生」掲載記事より
《略歴》

牧師・哲学博士(Ph・D)
1929年、中国の上海市に生まれる。
戦後帰国し、神戸大学法学部、中央聖書学校を経て、牧師となる。
松山を中心に牧師・伝道者として活躍。朝日放送系14局ネットで「まことの救い」の福音放送を25年以上継続。キリスト教伝道者としても25年にわたり、世界26ヶ国を巡回。大規模な伝道は、ケニア、タンザニア、インドネシアなどで行われたが、近年では特にブラジル、インドでの伝道キャンペーンが大きな反響を呼んだ。
昭和56年にカウンセリングによるノイローゼ治療のために松山ヒューマンクリニックを、1983年可能性開発研修センターを開設。
1985年アメリカ・ニュージャージー州のインターナショナル・ユニバーシティーより哲学博士の学位を得る。
1987年には、国際ジャーナリスト協会(ブラジル支部)より「平和・平等・友愛」の十字勲章を受ける。
日本福音宣教会主幹、キリスト教会松山福音センターの主任牧師、九州福音センター、広島福音センターの兼任牧師も努め、全国各地で開拓伝道を行った。
1994年、逝去。

主な著書に『人生を3倍に生きる』『夢をつかみとる人生』『幸せをよぶ一日一訓』『トータルパースン』『競争せずに勝つ』『人は動く』『トータルパースンの子育て』『キリストのいやし』『マイヤーズ・スピリット』『キリストのセールズマン』『セールズマン哲学』『サラリーマン哲学』『信じたとおりに生きられる』『聖書の中の成功物語』

「万代恒雄物語」より