櫃倉谷 中ノツボ谷出合の下流
中ノツボ谷
P766m付近から中山谷山方面
奥ノ谷山方面に向かって
由良川 大ヨモギ谷出合の少し上流
P901m南西尾根から天狗岳方面
P901m南西尾根 森の墓場のようだ
P901m南西尾根 森の墓場のようだ
クラブハウス
タヌキの基本的な歩行パターン
タヌキの前足の跡 右上が前方
アセビで作られたイノシシの寝床
夥しい数のネズミの糞(アカネズミ?)
タマゴケ もう丸い蒴ができている
(27日)
天候:晴れのち曇り
須後~中ノツボ谷出合~P766m~奥ノ谷山分岐~須後
古屋の積雪11時:13cm、田歌の水位13時:48cm
昨年手伝ったシカの糞採取を、今年も同じ学生さんとすることになった、違うのはクラブハウスで合宿しての調査になったこと。
昨年の記録を見ると、櫃倉谷四号橋付近で積雪が135cm、小ヨモギ作業所跡付近で同じく105cm、ところが今年はほぼ0、いかに雪が少ないかわかる。地元の方曰く「80年住んでいるがこんな雪の少ない年は初めて」、正に異常気象と言えるだろう。
学生さんをいつもの場所まで迎えに行き車で須後へ、研究林事務所構内のクラブハウス前に駐車し、荷物を下ろし徒歩で出発する。内杉谷では日陰に雪が少し残っているものの、全くと言っていいほど雪は消えて正に春の光景だ。
龍王橋の手前から河原に下ってシカの糞を探す、DNA解析、それもミトコンドリアDNAの解析をするため、新鮮なものをしかも手で直接触れないようにして採取しなければならない。またできるだけ異なった個体のものである必要があり、採取する糞と糞の間隔も離れている方がいい。
いろいろ条件が厳しいうえに、生息数が少ないのか糞そのものがあまり見当たらない。この冬は雪が少なく谷に留まっている必要がないため、多くのシカは尾根の方へ上がったのだろうか、そして尾根の方が多少とも餌資源が豊かなのだろうか。
櫃倉谷に入ってからも状況は変わらず、林道終点までで2ヶ所から採取できたに過ぎず、目標の10ヶ所には程遠い収量である。林道終点からは流れの中を歩く、中ノツボ谷出合までの間で新たに2ヶ所見つかり少しは安堵。
出合の少し下流で昼食を摂る、ラーメンと「お握らず」と卵焼き、学生さんもラーメンだ。食事を済ませて出発、中ノツボ谷出合付近で更に1ヶ所、しかしこのまま櫃倉谷を遡っても大きな成果が期待できず、それであればシカが生息している可能性の高い尾根を歩いたほうがいいのではないかということになり、出合の対岸の尾根を登ることにした。
と、どうだ、今までの状況が嘘のように新鮮な糞が次々と出現してくる、しかしあまりに距離が近すぎるためにここでは3ヶ所だけで採取するにとどまった。急な尾根を登り続け、傾斜が緩やかになってくるとやがてP766m、中山谷山から奥ノ谷山に続く長い稜線に上がってきたのだ。
稜線上にも雪はほとんどなく谷に薄く残っている程度、またシカの足跡も見られるところから、この先では間違いなく糞が見つかるはずだという安心感から、ゆとりを持って歩くことができた。結果的に須後までの尾根上で2ヶ所糞が採取でき、予定量が確保できたことになる。
クラブハウスに戻って一休みしてから夕食の準備、今夜の献立は牛丼、白菜と油揚げの煮物、じゃがいもと白菜とベーコンのスープ、ジャーマンポテトである。まだ明るさの残る中での夕食、ビールなども混じえ、今日の成果や明日の予定或いは新しい研究テーマなどを話しながらのひと時はなかなか充実している。
須後=3時間35分=中ノツボ谷出合=1時間20分=P766m=2時間20分=須後
『今日の出会いと目撃』人間0人
(28日)
天候:晴れ一時曇り
須後~大ヨモギ谷出合付近~P901m~P901m南西尾根~須後
古屋の積雪10時:7cm、田歌の水位13時:46cm
6時30分に起床、山の上の方は霧に包まれて見えない、気温は高めでこのような日には天気が良くなることが多い。うどんと卵焼きの朝食、昼食用に漬物のチャーハンも作る、食事を済ませ片付けと掃除を少ししてから出発する。
トロッコ道を進み、井栗邸を過ぎたところから河川敷に下る、今日は早々に糞が見つかり幸先がいい。しかし昨日のようなことも有り得るため、「いつもあると思うなウン(運)とフン(糞)」とダジャレのような言葉で戒める。そのためかどうか分からないが、順調に糞が見つかり昼頃にはあと1ヶ所にまでなった。
そこで昼食を摂ることにした、ラーメン用の容器に入れてきたチャーハンと卵焼き、陽当りがいいのでぽかぽかと、早春を通り越し4月のような暖かさだ。食事を済ませてもう1ヶ所も直ぐに見つかり予定終了、しかしこのまま引き返すには早すぎる。
そこで、ナラ枯れとシカの過採食がもたらした森の墓場のような光景を見ていただくため、大ヨモギ谷の左岸尾根を登ってP901m南西尾根を通って帰ることにした。
尾根に取り付いて直ぐに傾斜が強くなり、木がないところは四つん這いにならなければならない程の急斜面を登り続ける、しかしその分高度はどんどん上がる。急登を続けていると、やがて傾斜もゆるくなって次第に歩きやすくなってきた。
この登りでイノシシの寝床を2ヶ所見る、一時使用の寝床にしてはたくさんのアセビを集めたなかなかの労作、なぜこのように大きなエネルギーを使ってまで作るのか不思議でならない、雪がない季節でも作っているから寒さしのぎだけではなさそうだ。
材料に使うものはアセビばかりなのは、周辺に他の常緑性植物がないからだと思われるが、アセビは猛毒でシカの典型的な不嗜好性植物であるため、芦生のいたるところがアセビの優先する植生に変わっている中で、イノシシのこのような行為がアセビの繁茂を調整してくれているように見える。
あの丈夫な鼻で地面を掘り返した凄まじい痕といい、寝床に使うために大量のアセビを折り採る行為といい、彼らは正しく生態系の改変者(生態系エンジニア)と言っても間違いではないだろう。
長い登りを続けているとやがて雪が少し現れ、そこにイノシシの足跡がきれいに残されていた。副蹄のはっきりわかる足跡はP901mまで続き、更に北へ向かって続いていた、もしかしたら由良川近くの越冬地から夏の生活場所へ移動している途中なのかもしれない。
P901mで一休みして南西尾根を下っていく、以前より幼スギの薮が濃くなって歩きづらくなっている、しかしそれも長続きはせず、やがて件の森の墓場が現れてきた。
表土が流されて鉱物質がむき出しになった土壌、ナラ枯れで枯れそして倒れた大量のミズナラ、もう10年以上も前の出来事なのに林床の状況は悪くなるばかりで全く回復する気配もない。学生さんも「これはひどいですね」と頷いておられた。
南西尾根の最後は再び急斜面となり、一気に下り終えると小野子谷の出合にたどり着く、自然学校のキャンプ場を通り抜けクラブハウスへと戻る。1時間ほどで掃除と片付けを済ませ帰京する、十分な収穫があり、糞の採取以外にも時間を割くことができて充実した二日間であった。
須後=3時間55分=大ヨモギ谷出合付近=1時間45分=P901m=1時間55分=須後
『今日の出会いと目撃』シカの警戒音(大ヨモギ谷)、人間0人
中ノツボ谷
P766m付近から中山谷山方面
奥ノ谷山方面に向かって
由良川 大ヨモギ谷出合の少し上流
P901m南西尾根から天狗岳方面
P901m南西尾根 森の墓場のようだ
P901m南西尾根 森の墓場のようだ
クラブハウス
タヌキの基本的な歩行パターン
タヌキの前足の跡 右上が前方
アセビで作られたイノシシの寝床
夥しい数のネズミの糞(アカネズミ?)
タマゴケ もう丸い蒴ができている
(27日)
天候:晴れのち曇り
須後~中ノツボ谷出合~P766m~奥ノ谷山分岐~須後
古屋の積雪11時:13cm、田歌の水位13時:48cm
昨年手伝ったシカの糞採取を、今年も同じ学生さんとすることになった、違うのはクラブハウスで合宿しての調査になったこと。
昨年の記録を見ると、櫃倉谷四号橋付近で積雪が135cm、小ヨモギ作業所跡付近で同じく105cm、ところが今年はほぼ0、いかに雪が少ないかわかる。地元の方曰く「80年住んでいるがこんな雪の少ない年は初めて」、正に異常気象と言えるだろう。
学生さんをいつもの場所まで迎えに行き車で須後へ、研究林事務所構内のクラブハウス前に駐車し、荷物を下ろし徒歩で出発する。内杉谷では日陰に雪が少し残っているものの、全くと言っていいほど雪は消えて正に春の光景だ。
龍王橋の手前から河原に下ってシカの糞を探す、DNA解析、それもミトコンドリアDNAの解析をするため、新鮮なものをしかも手で直接触れないようにして採取しなければならない。またできるだけ異なった個体のものである必要があり、採取する糞と糞の間隔も離れている方がいい。
いろいろ条件が厳しいうえに、生息数が少ないのか糞そのものがあまり見当たらない。この冬は雪が少なく谷に留まっている必要がないため、多くのシカは尾根の方へ上がったのだろうか、そして尾根の方が多少とも餌資源が豊かなのだろうか。
櫃倉谷に入ってからも状況は変わらず、林道終点までで2ヶ所から採取できたに過ぎず、目標の10ヶ所には程遠い収量である。林道終点からは流れの中を歩く、中ノツボ谷出合までの間で新たに2ヶ所見つかり少しは安堵。
出合の少し下流で昼食を摂る、ラーメンと「お握らず」と卵焼き、学生さんもラーメンだ。食事を済ませて出発、中ノツボ谷出合付近で更に1ヶ所、しかしこのまま櫃倉谷を遡っても大きな成果が期待できず、それであればシカが生息している可能性の高い尾根を歩いたほうがいいのではないかということになり、出合の対岸の尾根を登ることにした。
と、どうだ、今までの状況が嘘のように新鮮な糞が次々と出現してくる、しかしあまりに距離が近すぎるためにここでは3ヶ所だけで採取するにとどまった。急な尾根を登り続け、傾斜が緩やかになってくるとやがてP766m、中山谷山から奥ノ谷山に続く長い稜線に上がってきたのだ。
稜線上にも雪はほとんどなく谷に薄く残っている程度、またシカの足跡も見られるところから、この先では間違いなく糞が見つかるはずだという安心感から、ゆとりを持って歩くことができた。結果的に須後までの尾根上で2ヶ所糞が採取でき、予定量が確保できたことになる。
クラブハウスに戻って一休みしてから夕食の準備、今夜の献立は牛丼、白菜と油揚げの煮物、じゃがいもと白菜とベーコンのスープ、ジャーマンポテトである。まだ明るさの残る中での夕食、ビールなども混じえ、今日の成果や明日の予定或いは新しい研究テーマなどを話しながらのひと時はなかなか充実している。
須後=3時間35分=中ノツボ谷出合=1時間20分=P766m=2時間20分=須後
『今日の出会いと目撃』人間0人
(28日)
天候:晴れ一時曇り
須後~大ヨモギ谷出合付近~P901m~P901m南西尾根~須後
古屋の積雪10時:7cm、田歌の水位13時:46cm
6時30分に起床、山の上の方は霧に包まれて見えない、気温は高めでこのような日には天気が良くなることが多い。うどんと卵焼きの朝食、昼食用に漬物のチャーハンも作る、食事を済ませ片付けと掃除を少ししてから出発する。
トロッコ道を進み、井栗邸を過ぎたところから河川敷に下る、今日は早々に糞が見つかり幸先がいい。しかし昨日のようなことも有り得るため、「いつもあると思うなウン(運)とフン(糞)」とダジャレのような言葉で戒める。そのためかどうか分からないが、順調に糞が見つかり昼頃にはあと1ヶ所にまでなった。
そこで昼食を摂ることにした、ラーメン用の容器に入れてきたチャーハンと卵焼き、陽当りがいいのでぽかぽかと、早春を通り越し4月のような暖かさだ。食事を済ませてもう1ヶ所も直ぐに見つかり予定終了、しかしこのまま引き返すには早すぎる。
そこで、ナラ枯れとシカの過採食がもたらした森の墓場のような光景を見ていただくため、大ヨモギ谷の左岸尾根を登ってP901m南西尾根を通って帰ることにした。
尾根に取り付いて直ぐに傾斜が強くなり、木がないところは四つん這いにならなければならない程の急斜面を登り続ける、しかしその分高度はどんどん上がる。急登を続けていると、やがて傾斜もゆるくなって次第に歩きやすくなってきた。
この登りでイノシシの寝床を2ヶ所見る、一時使用の寝床にしてはたくさんのアセビを集めたなかなかの労作、なぜこのように大きなエネルギーを使ってまで作るのか不思議でならない、雪がない季節でも作っているから寒さしのぎだけではなさそうだ。
材料に使うものはアセビばかりなのは、周辺に他の常緑性植物がないからだと思われるが、アセビは猛毒でシカの典型的な不嗜好性植物であるため、芦生のいたるところがアセビの優先する植生に変わっている中で、イノシシのこのような行為がアセビの繁茂を調整してくれているように見える。
あの丈夫な鼻で地面を掘り返した凄まじい痕といい、寝床に使うために大量のアセビを折り採る行為といい、彼らは正しく生態系の改変者(生態系エンジニア)と言っても間違いではないだろう。
長い登りを続けているとやがて雪が少し現れ、そこにイノシシの足跡がきれいに残されていた。副蹄のはっきりわかる足跡はP901mまで続き、更に北へ向かって続いていた、もしかしたら由良川近くの越冬地から夏の生活場所へ移動している途中なのかもしれない。
P901mで一休みして南西尾根を下っていく、以前より幼スギの薮が濃くなって歩きづらくなっている、しかしそれも長続きはせず、やがて件の森の墓場が現れてきた。
表土が流されて鉱物質がむき出しになった土壌、ナラ枯れで枯れそして倒れた大量のミズナラ、もう10年以上も前の出来事なのに林床の状況は悪くなるばかりで全く回復する気配もない。学生さんも「これはひどいですね」と頷いておられた。
南西尾根の最後は再び急斜面となり、一気に下り終えると小野子谷の出合にたどり着く、自然学校のキャンプ場を通り抜けクラブハウスへと戻る。1時間ほどで掃除と片付けを済ませ帰京する、十分な収穫があり、糞の採取以外にも時間を割くことができて充実した二日間であった。
須後=3時間55分=大ヨモギ谷出合付近=1時間45分=P901m=1時間55分=須後
『今日の出会いと目撃』シカの警戒音(大ヨモギ谷)、人間0人