July 21, 2019

第3515回「普通に幸せな日々」

今日も駅前には観光客が



7月21日】 美瑛 

うめぇ胃に優しい味だべさ

帰省した日からカレイの煮付に始まり翌日は
カスベの煮付に鮭や鱈の焼魚や銀鱈ミリン、
カニ玉やジンギスカンまで料理してくれた。

見た目悪いけど味付けがいいな

かに玉


さすがに暑い日は煮物料理は避けたいようで
冷やし中華の日もあったな。おまけにお隣の
Sさんが母上さまの安否確認のために2,3日
起きに自ら料理した惣菜を届けてくれる。

毎日夕方には酒の肴の手料理がテーブルに並ぶ。
ちょっとしたお任せコースの小料理屋さんだな。
こんな美味い飯が毎日食べられるんならこの際
本帰国して母上さまと一緒に住んじゃおうかしら。

でもなぁ、すっかり亜熱帯肌になってるだけに
極寒の冬の寒さには耐えられんだろうな。

まぁ たまに帰ってくるからいいんだろな


今年で87歳の母上さま

今年で87歳になる可愛い母上さまです

因みに母上さまは毎朝6時には起床して
外出もしないのにキッチリ化粧をします。で、釜で
白米を炊いてご飯を食べてそれから仮眠する。

朝飯は食べないオレだけど昼は前日の残り物を
食べてからエアコンが効いてる“丘のまち交流館
にチャリで行ってブログを書いて更新する日々。

美瑛の町中は観光客が食べられる店が少ないから
目の前の蕎麦屋には昼はいつも行列が出来てた。
昨年はなかった焼肉屋とラーメン屋が開業してた。

あれここって前は呉服屋だったのにな

昼時に蕎麦屋に並ぶ中国人観光客


まぁ、今の季節だけはお客も多いだろうけど
問題は観光客が少なくなる冬期間だろうな。
跡取りがない店は閉業して売却するしかない
ようだけど地元に根付いた商売をして欲しいね。

さぁてと帰るか今夜のおかずは何だろな

丘のまち交流館から見える通り


夕方に家に帰ると玄関先から美味しそうな
匂いが鼻腔を擽る今夜も母上さまの昔話に
耳を傾けながらゆっくりグラスを傾けるか。

なんか普通に幸せな日々だな・・・


asia_jiyujin at 22:59|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 19, 2019

第3514回「ボーっと過ごせんぞ」

この日は始球式に参戦



7月19日】 美瑛 

「ボーっと生きてんじぇねぇよ

帰省してボーっとしようと思っていた
つもりが母上さまから「これ直して、
あれやって、除草剤巻いて」とか静養
どころかやたらと人使い荒く頼まれた。

あのねぇ息子はこんな状態なのよ・・・

とは言え年に一度の帰省故に、週に一度
来るヘルパーさんに頼めない案件はオレが
やるしかないようだ。ま、これもオイラを
産んで育ててくれた感謝の母親孝行ですな。

先ずはテーブルの下段の外れた棚の修理。
壊れた時計バンドの交換と電池の交換。
母上さまの足の親指の巻爪を丁寧に切る。

ふぅ〜まだまだやる事がいっぱいあるぜ

アパートの裏庭の雑草取りに害虫駆除。
冬に備えて窓の隙間テープを張り替える。
台所の換気扇と洗濯機の洗濯槽の清掃と・・・。

やれやれ足腰が痺れて結構大変だぜ

今年の8月で87歳を迎える母上さまは、
士別高校卒業後に旭川で芸者の職に就いた。
毎日日舞踊りや三味線や鼓の稽古に励む日々。

お座敷に出てからは贔屓客も多かったらしく、
北海道新聞の地元版の夏景色コラム欄に
河原で涼む芸者“と写真掲載されたとか。


18歳の頃の母上さま

これが当時18歳というのだから驚いた

故にオレの幼少の頃はしつけが厳しかった。
小3からは強制的に珠算塾に通わされ、
殊の外父親は厳しかった。答えを間違えれば
そろばんで頭を殴られた。「電卓あるのに
とはとても恐くて逆らえなかった。

兄貴との喧嘩も容赦なく火鉢で叩かれた。
今なら立派な児童虐待だろうけど、昭和の
当時の親はどこも当たり前の時代だっただろう。

中学校になりオレにも自我の芽生えと共に
あまねく誰しもが訪れる反抗期の時代があった。

そんな頃に東京から長髪の転校生がやってきた。
当時は開校以来ずっと坊主が当たり前の時代。
体育館の天井には戦争時代の米戦闘機の機銃痕が
残っているほど歴史のある古い校舎だった。

野球部だったオレも五分刈りが当然で中学に
進学すれば男子は全員坊主になった。だから
転校生に触発されて仲間で生徒会を動かした。

結果、学校側は町内の理髪店から3店舗を
選抜して全校生徒を体育館に集合させて
,歪紅鵜△漏儡△蠅里茲Δ蔽使鵜は今まで
と同じ坊主の髪型を生徒を見守る中でモデルの
生徒をカットして民主的な多数決になった。

結果は当然,砲覆辰燭呂困何故か△砲覆辰拭
PTAの役員だった母上さまが生徒の前で
△鮨笋靴拭2箸傍△辰討ら母上さまに訊くと
教頭や先生方からそう言えと言われたと。

当然納得が出来るはずがない。さりとて
ざけんなクソばばぁ」とはとても言えん。
ここでちょっと話をいったん休止する。

当時中体連の試合前に腕を折ったオレは野球部を
退部して民謡研究会(今は軽音楽部)を設立した。
民謡と言っても英語で言えばフォークソングだ。

音楽好きの同級生を集めて作ったけど部としては
認められなかったので研究会として活動した。
部室はないから各自ギターを持参して音楽室か
放課後の教室だった。

で、吉田拓郎や井上陽水や泉谷しげるや岡林信康、
小室等と六文銭や古井戸やかぐや姫などの歌を
コピーしながら演奏した。オレは独自で詞を書いて
ピアノが弾ける友達に曲を作ってもらっていた。

時代的にこれが同級生や後輩たちにウケて
とうとう学校側に認められて学芸会で披露
させてもらうまでの人気者となった。

で、話を戻そう。そんなヤツ等だからこそ
血気盛んな年頃だけに全校生徒を巻き込んで
大人の言いなりにならず髪型の決定に不正が
あったことを学校側に猛然と抗議した。

今と違って当時の先生は恐い存在で反抗的な
言動や態度をしたらビンタや鉄のチェーンで
ケツをひっぱたかれた。オレもやられた。

今じゃ暴力事件になるから絶対あり得んけど、
さすがにこの時は全校生徒600人を相手に
渋々教員たちが緊急会議を行った。

結果はバーコード頭の校長と古い考えの先生
たちが、なるべく中学生らしい髪型ということで
,砲覆辰拭今美瑛中学に通う男子生徒たちは
オレたち先輩の歴史的な革命は知らんだろな。

思春期真っ盛りの歳にそんな事件があってからは
母上さまからあまり叱られることもなくなり、
その頃から親は恐い存在ではなくなった。

電車通学した高校3年間は毎日朝早く
起きて健康を考えた弁当を作ってくれた。
お陰で3年間は大きな病気も怪我もなかった。

高校3年の夏に父親が胃癌で他界したときは
家を抵当にして銀行から借りてた多額の借金が
残った。返済するために母上さまは働きに出た。
保険の外交員から始まり夜はスナックでバイト。

昔住んでいたブロック住宅


オレが高校を卒業して夢を追いかけて故郷を
出た後は自ら小料理屋やスナックなどの
水商売を初めて借金の返済を続けたようだ。
しかし、結果的には家は競売で人手に渡った。

親姉妹には一切頼らず誰にも依存しなかった。
昭和の激動の時代に息子2人を育てあげた
母上さまは、まさに気丈な女なんですな。

タイに移住してからは敬虔な仏教徒のタイ人の
裕福層も低所得の貧困者の誰しもが自分の
ことよりも母親を大事にして敬愛してる姿を
垣間見てからは自分を恥じて大いに反省した。

だから今は長年離れて暮らしてるけど、年に一度は
帰省して上納金を納めてから母親孝行に努める。
毎年歳を重ねて高齢になる姿を見る度に何だか
とても愛おしくて可愛い存在の母上さまなんだな。


50歳前後の母上さま

たぶん50歳前後の頃の水商売時代かな



チコちゃんに叱られるを観ながら


「あんたこんなの観てんのかい」
チコちゃんに叱られるはタメになんだよ

チコちゃんに叱られる


オレが観たい番組があっても基本的にテレビの
主導権は母上さまにあるけど、金曜日のこの
番組だけはタイでも楽しみにしてるだけに譲れん。

『ボーっと生きてんじぇねぇよ
「は、は、は、は、は」
おぉおふくろが笑ってんぞ

母上さま魅入る


因みに札幌のゲームセンターにはチコちゃんの
UFOキャッチャーがあった。これって
はたして頭から被れるのかしらね。

チコちゃんのUFOキャッチャー


もしこんなの被ったヤツが町を歩いて
ぶつかったら「ボーっと歩いてんじゃねぇよ
って叱られるのかな。その前に避けるわな。

これ被れんのかな


さて、今夜も母上さまが料理してくれた銀鱈
ミリンを肴に一献傾けながら〆には釜で炊いた
ご飯に鮭を入れてお茶漬けで食べる。

銀鱈ミリンと極旨ご飯


やっぱ銀鱈はうめんでぇねぇんかい

この鮭を〆にお茶漬けで食べる


くぅ〜この鮭は毎日食っても飽きないなぁ


asia_jiyujin at 18:19|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 18, 2019

第3513回「知多から弾丸ツアー」

青い池をバックに



7月18日】 美瑛 中富良野 富良野  

いらっしゃいまさか美瑛で会うとはね

オイラがwifiの使える施設で待ってたら
午前10時半過ぎにレンタカーに
乗ってO氏が美瑛の駅前にやって来た。

「どうも〜会いに来ました」

O氏がレンタカーで参上


彼は昨日千歳空港に着いて電車を乗り継いで
日本最北端のノシャップ岬を展望してから
旭川手前の町の士別に泊まったのだとか。

「旭川の駅前のホテルは高いんですよ」
士別ってささすが旅慣れてんね

駅前通り


で、今朝旭川駅前でレンタカーを借りて
上川神社を参拝してから美瑛に来たようで、
O氏の要望は美瑛神社で恋愛成就祈願。

次いで噂の青い池と中富良野の富田ファーム、
最後は富良野の神社を参拝したいそうな。

青い池と富田ファームのラベンダー園は
分かるけど、なして神社巡りなんじゃい。
彼曰くは「この歳になったら神様から力を
貰わないと仕事も恋愛も成就しない」と。

そう言えばタイで働いていたときも
 ジャトカムラマテープやらいろいろな
 仏陀のお守りを首からさげてたっけな


兎に角今日の夕方には旭川駅でレンタカーを
返してから電車に乗って札幌駅で乗り換えて
千歳空港から名古屋に戻るというタイトな強行軍。

「1泊2日の弾丸ツアーです」
ほな美瑛生まれのワテが案内しまひょうか
「静養中 ご無理させては申し訳ないですよ」
な〜んもさ

大雪山




なんだろうねぇ。なして美瑛に帰省すると
チェンマイのRCのタイ人たちやバンコク
からの友人カップルやらと毎年のように縁人を
青い池とラベンダー園を案内してるんだよなぁ。

バンコク同様に地元に住んでる人間の
 宿命ってやつかな。ま、これも多生の縁




と言うことで先ずは美瑛神社で恋愛成就祈願。

二例二拍手してから一例してと・・・

参拝する女性たちが


オレも知らんかったけど昔の場所から移設して
建て直した正面の飾りがハートマークになってた。
それがTVで放送されてからパワースポットの
噂になって一躍話題になったというわけだ。

来週は地元の火祭りがあんだよ

屋根下の飾りがハートマークだ


詳しく書くのは面倒だけど、どうやら地元の祭りも
オイラの子ども時代とは随分様変わりしたようだ。



じぇじぇ〜なんじゃいこの混みようは

観光客で賑わう


すっかり観光スポットになった青い池は
以前までは砂利道の駐車場だったのに、
今年は専用の道路が出来てアスファルトの
駐車場に大型バスやレンタカーがギッシリ。

いやはや凄い車の数だな

偶然の産物の青い池だが


この時期は中国や台湾などの中華系から
韓国やタイやマレーシアやシンガポールからも
大勢のアジアの観光客が大挙して訪れていた。

ほぉ〜とうとう順路まで出来たか

後から後から観光客が


逆送すると歩道が混み合うので『順路』の
矢印看板が彼方此方に立てられていた。
それでも逆送するヤツ等はやっぱり中国人。

お前ら漢字が読めんだろ
「それにしても人が多いですね」

O氏も早速パチリ


以前来た時よりもそれまで行き止まりだった
道の先が延びていて、その先には青い池を
一望出来る展望台が建設中だった。

町も入場料取ったら相当儲かんのになぁ

小道が先まで延びていた


どこから予算が承認されてんのか美瑛の町の
財政は潤ってんのかね。因みに今年の選挙で
町長になったのは京都から移住した人らしい。

オレの同期は立候補しなかったんかいな

みんなインスタ映え撮り




わっちゃ〜ここも車でいっぱいだよぉ
「駐まってる車が“わ”と“れ”ばかりですね」
Oさんの車も“わ”じゃん道外からだね

ラベンダー畑でパチリ


高校卒業してから何度か来ていた山だけど、
テレビドラマ“北の国から”で一躍有名になり
今や目の前には富田ファーム駅が出来るほどの
盛況ぶりで多くの外国人観光客で賑わってた。

北の国からで有名になったラベンダー園


おぉとうとうメロンの店まで出来たんかい

撮影に夢中になるO氏


留まるところを知らないラベンダー効果は
今や香水や石鹸だけでなく、富良野の赤肉
メロンが食べられるレストランが開業してた。

「うん美味しいですよ」

ラベンダーアイスクリームを頬張る


O氏はラベンダーアイスクリームを頬張って
いたけど、オイラは一度も食べたことないな。

今日は晴れて良かったね

遙か彼方に大雪山連邦が聳え立つ


ラベンダー園の遙か向こうには十勝岳や
トムラウシの大雪山連邦が聳え立っていた。



は〜いここが富良野神社です

最後の目的地に到着


国道の渋滞を避けて地元民しか知らない
農道を走って何とか午後14時前に最後の
目的地である富良野神社に到着した。

んじゃ二例二拍手して・・・

富良野神社


この20数年でバンコク三大寺院巡りは
数え切れんほど参拝しているけど、まさか
故郷の三町寺院を巡るとは思わなんだ。

まぁ、四国の八十八カ所を巡るお遍路参り
ではないけど、オイラの1日も早い腰の
完治とO氏の祈願が叶うように合掌した。

あれ33年生まれって後厄だったんか

オレ後厄だったんだ


どうりで60歳の昨年は胆嚢全摘手術で
今年は脊柱管狭窄症の手術だったんかな。
こりゃあ今年も健康に留意せんとな。



ありゃ〜どこも閉まってんね

地元の名物料理が食べたいと言うので
美瑛まで戻って来てB級グルメで大賞を
取った名物のカレーうどん店を回るも
どこも14時でいったん閉めていた。

観光地なのにバンコクと同じかよ

仕方なくオレが毎日ブログのアップをしてた
wifiの使える“丘のまち交流館”の地下に
ある“bi.yell cafe”に行くもカレーうどんは
売切れてたので焼きカレーなるものを頼んだ。

野菜根菜のスープカリーにカレーうどんに
カレーラーメンで、次は焼きカレーかよ。

道産子ってカレー好きが多いんだなぁ

焼きカレーを堪能


オイラは何かのチーズグラタンを肴に
持参したウイスキーで喉の乾きを潤した。

チーズグラタン


「北海道の田舎が好きになりましたよ」
ノンカイやウドンタニの田舎に似てるよね

美瑛でランチ


食後に別れた彼は旭川駅でレンタカーを
返してから電車に乗って千歳空港に向かった。



『札幌行電車、余裕で乗れました。今日は
 腰の状態が悪いなか有り難うございました』

な〜んもさマイペンライだって

今回は十分なアテンドは出来んかったけど
オレも我が故郷の変貌に感激した次第。

『昨日今日とローカル地区を旅して、景色の
 良さにしびれました。根室やら・網走・知床
 なども行ってみたいところが増えました。
 またよろしくです』

次回は道東の知床や根室にも行ってみたいと
すっかり北海道を気に入ってくれたO氏。

人は何故岬のような先っぽを目指すんだろな

そう言えばオレが地元に住んでいた若い頃も
最北端の稚内の宗谷岬や根室の納沙布岬。
道西の積丹岬に道南の襟裳岬や函館の
立待岬にも行ったっけな。

5年前には佐呂間に行った時に地元の会員
たちに連れられて初めて知床岬まで行った。
あの旅で北海道の先っぽ岬はほぼ制覇した。

まぁ北海道の夏の旅は気持ち良いよね

夏の空


毎日時間に追われて忙しく働いている人は、
たまにはストレスを発散するためにも仕事を
忘れて現実を逃避する旅を勧めたいですな。

あ、それでタイに来る人が多いんかな・・・

丘の夕陽


因みに8月20日の時点でアテンドさせて
頂いた友人や団体の数は26組総勢71名。

今のところ年末までに6組訪タイ客の予定。
また愉しく呑める・・・いや、無理はイカン。

まだ腰が完治しとらんしなぁ・・・


asia_jiyujin at 16:09|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 16, 2019

第3512回「電撃的な来道連絡」

美瑛の青空



7月16日】 美瑛

じぇじぇじぇOさんが来んのかい

『ご無沙汰しております。ブログ更新全然
ないですけど、まだ北海道にいますか?』

数年前ハノイで知り合った知多(愛知県)の
O氏がその後オイラの紹介でタイ東北部の
ウドンタニの中学校で2年間日本語教師を勤めた。

その後本帰国した今は名古屋のセントレア
空港で機内食を配送している会社に勤めていた。
そんな彼からの想定してなかった突然のLINE。

今は美瑛に帰省してしばらく静養してますよ

美瑛駅前の鐘


『もしかすると7/17-18に稚内→旭川・富良野
or根室→旭川・富良野に行くかもしれません。
(中略)
天気が怪しいので、電撃的に考えてます』

電撃的ってどっちなんだ

人気の青い池


『勢いで航空券やらホテルを予約しちゃいました。
18日朝から夕方まで旭川〜富良野あたりを
レンタカーで回ります』

「お〜マジで来るんかい」

ならば酒を控えて体調を整えておかんとな。
不思議なもんで帰国して美瑛で静養していたら
何故か毎年誰か彼かタイの縁人が訊ねてくるな。

これも多生の縁ですな



asia_jiyujin at 14:19|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 15, 2019

第3511回「佐呂間の愉楽の宴」

オレも行きたかったなぁ



7月15日】 美瑛 (佐呂間から)  

おぉ〜みんな集まってたんかい

午前中wifiが使える施設に行った際に、ふと
スマホを見るとLINEに写メが送られていた。

昨日はメコン基金の創設者でもある佐呂間の
故・M氏の奥様のM子さんから、Sさんや会員たちが
集まるからと宴席に誘われていたのだ。

行きたいのは山々だったんですがねぇ・・・

例年であれば、N氏の奥様とオイラの父上さまの墓が
ある千歳を皮切りに札幌のT氏新十津川のI氏。
和寒のH氏に続いて佐呂間のM氏の墓参りの
巡礼の旅を終えてから美瑛の実家に帰省していた。

この身体じゃ無理だべさ・・・

さすがに今年は術後の経過も思わしく
ないのに毎晩呑んだくれていたせいで、
歩行に難儀していただけに佐呂間は諦めた。

おぉ〜Hさんも行ったんかい

函館のH氏も


函館から高速バスに乗って札幌の平岸の
黒丸”で呑んでから斜里行きの
バスに乗りかえて佐呂間まで半日以上も
かけて参加したタイフリークのH氏。

因みにゴールデンウィークにタイに来た彼は、
9月のシルバーウィークにも訪タイする予定。
よっぽど今の職場でストレス溜めてんのかしら。

やっぱり名古屋のKさんも来てたのね

名古屋のK御大


今年88歳の米寿を迎えた名古屋のK御大は
毎年この時期は避暑を兼ねて北海道を周遊
しながら何週間か佐呂間のM氏の民宿に泊まっていた。

あら今回は娘さんも来たんだ

名古屋の御大が娘さんと


どうやら今年は高齢の父親を心配する娘さんも
同行したようだ。因みにK御大は9月に函館の
H氏と訪タイする予定らしいけど、その前に
病院で検査を受けるらしい。大丈夫なんか〜い。

地元の敬老会に参加したK御大


Sさんも参加したのね

S氏も元気そうだ


先日札幌のY家で美味いジンギスカンに
舌鼓を打っていた79歳のS代表も
電車を乗り継いで出席したようだ。

それ以外にもオイラが知る顔馴染みの
道東の縁ある方々がいっぱい。まさにM氏を
偲ぶメコン基金の同窓会みたいな宴席だな。

あぁ〜オレも行って呑みたかったなぁ

知ってる顔ぶれが


とは言え今はこんな有様である。誰かに迷惑を
かけても申し訳ないし、何より長距離の移動は
思った以上に足腰がしんどいもんである。

しばらくは大人しく静養するべかのぉ



asia_jiyujin at 15:59|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 14, 2019

第3510回「我が故郷に帰省す」

美瑛駅に到着



7月14日】 美瑛 

おぉ〜美瑛に帰って来たぞぉ

たきかわ駅


N氏が運転する車で滝川の駅まで送って
頂いてから特急Sカムイ9号に乗って旭川で
乗り替えて1年ぶりに生まれ故郷に帰省した。

特急Sカムイ9号に乗車


おぉ・・・中国人と台湾人ばかりだな

例によって駅前には中国人観光客が


美瑛の駅で下車した途端に相も変わらず
中華系の観光客がインスタ映えする駅前で
モデル並みのポーズで立って撮っていた。

あれタイ人じゃん

思わず声を掛けようと思ったけど長旅で
疲れていたし、その後の展開が面倒だった
ので母上さまが待つ実家に足を向けた。

たっだいまぁ〜
「あら 吃驚した 早かったわね」

すっかり耳が遠くなってしまった母上さまは
息子が玄関を開けて居間に入ってきても
目の前まで気がつかないでいた。



あ〜うっめぇこれぞおふくろの味だ

鮭と鱈で一献


その夜は久しぶりに母上さまが作ってくれた
鮭や鱈の焼魚や冷や奴を肴に
しながらハイボールを堪能した。

「おまえは相変わらず呑んでんのかい」
まぁね今はこれしか楽しみないしね

冷や奴


つい数年前までは自分が晩酌するとは考えも
しなかったけど、どうやら千歳のN氏と一緒に
タイを旅してからすっかり習慣になってしまったようだ。

まぁ胃が無くなったのも要因だけどね

さぁ〜て、これから2週間ゆっくり静養しながら
1年分の母親孝行に努めましょうかね。



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July 13, 2019

第3509回「7回忌で故人偲酒」

風邪気味で呑んでます



7月13日】 新十津川

ふぁ〜怠ぃ昨夜は呑みましたねぇ
「大丈夫かい 朝食食べに行くよ」

今回もO氏が支払ってくれていた駅前
のパークホテルが朝食付だったので、
普段は食べんオレもN氏と一緒に食卓へ。

Nさん今日はパン食ですか

N氏はパン食


あまり食欲が無かったのでオイラもパン食に
しようかと迷ったけど健康を考えて納豆と
好物の鮭に惹かれて和定食を頼んだ。

これって九州にはない定食だもんな

朝食は北海道定番の鮭定食


それでも、体調が優れなかったオイラは
食べられたのは僅かの量だけだった。
二日酔いなのか風邪気味なのか。

あぁ〜味噌汁が優しい味だなぁ

つくづく自分の愚かさに気づいても今更
この呑んだくれの酒癖は治らんだろ。
ならば、懇友たちとトコトン呑むべし。

で、翌に後悔して自己嫌悪に陥る。
でも夕方には復活して再び呑むのだ。



ホテルを出てN氏の車で新十津川町の
I氏の家に行った。奥様のY子さんと会って
新十津川温泉グリーンパークで
ランチを食べてからI氏が眠るお墓に向かった。

「今年は7回忌なんですよ」
早いもんですねぇ

温泉でランチ


消防署を定年退職してからその2ヶ月後に
逝ってしまったI氏。オレと同じ胃癌だった。
長年メコン基金の会員を続けられてスタディツアーで
ノンカイにも2人の息子と娘も連れて行った。

現在ノンカイのT中学校で教諭に就いてる
T先生はI氏が里親になって教育大学と大学院の
授業料と生活費を5年に渡って援助した。

Iさん里子のTは立派な先生になってますよ。
 でも、まだ結婚はしてないっすけどね


I氏の墓参り


お墓の前で手を合わせながら亡きI氏に
T先生の近況報告をする。もし生きていれば
ノンカイに行って増築した彼女の
大きな家にも泊まったんだろうな。

一緒に行きたかったなぁ・・・

代わりに今は毎年千歳のN氏とI社長や
札幌の看護師のMや我が息子。それに東京の
A嬢とNちゃんを連れ立って泊まりに行った。
東京のTちゃんも連れて行ったっけな。



わ〜ぉ緑川に獺祭に田酒じゃないっすか

今年も銘酒が


「これも食べてね」
おぉ〜帰国してから初めての毛蟹だ

これぞ北の幸


I氏が健在だったときは新十津川に寄ると
決まって地元の金滴や全国の銘酒と旬の
毛蟹が用意されていた。今回もまるで故人の
遺言のように宴席に並んでいた。感謝。

くぅ〜なんまらうめぇんでねぇかい

新鮮な旬の海の幸


故人を偲びながらと言いつつ、贅沢ながら
濃厚な蟹味噌が詰まってる甲羅に
獺祭を注いでかき混ぜながら喉に流し込む。

こりゃあ究極の贅沢な味だべさ

毛蟹の甲羅で蟹味噌酒


今年はI氏が亡くなってから7回忌の年で
先週は札幌と東京から2人の息子と旦那の
転勤で滋賀に住む娘と子どもたちが来ていた。

1週間早かったらH子の子どもに会えたんだ

2年前に帰国して大阪に滞在した時にDちゃんと
一緒に電車に乗って滋賀までH子と子どもたちに
会いに行った。丁度新十津川から母親のY子さんも来てた。

その時元カリスマ理容師のDちゃんに頼んで
幼い子供たちの髪の毛を切ってもらった。
未だに忘れられない想い出になっている。

「Dさん元気にしてますか」
今彼は東京で頑張ってますよ

今年は3人で


う〜んどうしたんだろ・・・

昨夜は腹を出して寝てしまったのか
朝から風邪気味だったオイラは喉が痛くて
大好きな酒の味が感じられないでいた。

う〜ん今年の北海道の夏は肌寒いなぁ


asia_jiyujin at 13:09|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 12, 2019

第3508回「人生師匠の気遣い」

2年ぶりの乾杯



7月12日】 砂川 

おぉ〜純米吟醸じゃないっすか

今日は砂川のO氏から「ホテルを手配して
おきますので来て下さいね」とお誘いを
受けていたのでオレは札幌から高速バスで、
千歳のN氏は自らの運転で砂川を訪れた。

4年前にN氏が訪タイした時に丁度同じ
タイミングで懇意にしていた砂川のO氏も
お友達とバンコクに来ていて一緒に飲んだ。

それが縁で、翌年オレが帰国して巡礼の旅の
途中で砂川に寄った際にO氏と2人で呑んで
いたら、半分冗談交じりに「Nさんも呼ぼう」と
O氏が言うのでN氏に電話したら、
いつもの“およべー“で1人で呑んでた。

今から砂川に来て呑みませんか

まさかとは思ったけどN氏はすぐに帰宅して
着替えて電車で砂川まで来た。札幌で上手く
電車に乗り換えても1時間以上はかかる。

「俺も若いよなぁ」
あん時は吃驚しましたよでも嬉しかった

で、昨年はオレが札幌から砂川に寄らずに
まっすぐに実家の美瑛に帰省したので
O氏とは2年ぶりの再会だった。

「また2人と一緒に飲めて嬉しいねぇ」
じゃあかんぱ〜
「ちょっと待って 今酒が届くから


オレが千歳時代に新築を設計して建てて頂いた
施主のI氏と言う神奈川出身の人がいる。
オレと12歳離れたエンジニアの彼は仕事の新天地を
求めて家族で千歳にやって来た。

彼はバツ2のマル3と言う異色の経歴の
持ち主ながら、我が息子と同じ歳の娘がいた。

嫁や息子とも仲良くしてくれていたのだが
オイラが離婚した後も毎週のように呑みに
誘ってくれて、時には兄貴のように相談に
乗ってくれたり、時には道化師のように
明るく振る舞い、とにかく元気に楽しく
生きる人生の師匠的な存在だった。

オレが独立してコンサルティング設計事務所
を開業したときにもポンと気前よくお金を
出してくれて筆頭株主になってくれた。

その後オイラはタイに移住し、O氏もまた
バツ3になり千歳の家を売って神奈川に帰った。

そんな人生の師匠がその数年後にお友達を
連れ添ってタイに遊びに来た。その時に
砂川のO氏を紹介されてから袖振り合った
多生の縁が今でも続いている。

その人生の師匠でもある神奈川のI氏から
酒好きのオレの砂川に来る日に合わせて
わざわざ神奈川の蔵元から純米吟醸
相模灘”を買って郵送してくれたのだ。

「良かったわ。間に合ったわね」
どうも奥様有り難うございます

神奈川の人生の師匠から銘酒が届いた


そのお酒が今我が家に届いたからと
奥様が居酒屋“ごっこや”まで届けてくれたのだ。

いやぁ〜嬉しい気遣いですねぇ
「では改めて乾杯しますか」
くぅ〜心に染み渡る師匠の味ですわ

銘酒相模灘


不思議なもんで何故かオレの人生は酒で
繋がっている縁が随分多いような気がする。
博打や女や酒で人生を失敗する輩はいるけど、
オレの場合は酒で人生が愉楽になってるな。

「さぁ 遠慮しないで呑んで食べて」
はぁ〜いいっただきま〜す

ホタテ焼き旨し


O氏が贔屓してる居酒屋“ごっこや”は
砂川では珍しく小樽の海産物を主に
旬の旨い幸を堪能させてくれる和める店だ。

このホタテなんまら旨いんでないんかい
「そうだべさ」

ごっこや




じゃあおつかれさまでした

ご機嫌な呑爺たち


2軒目に連れて行って頂いたナイトイン
Roses”は如何にも田舎町にありそうな
場末の酒場のような落ち着いた雰囲気だった。

「昔はたくさん店もあったんだけどね」
夕張も破綻しちゃったしね

かつて炭坑で栄えたこの地域の町も、時代の
流れでその後の閉山と共に人口が激減し、
いくら行政が町おこしをしても都会に出て
いく若者たちを食い止められないのが現状。

この女性陣って誰なの
「店に来てお客たちだよ」
そうなのやたら楽しそうだけど

すでに泥酔状態


さて、例によってまたしてもこの後の記憶が
全くない。どうやってホテルまで戻ったんだ。
翌朝スマホを見たら見知らぬ女性たちが・・・。

毎度お馴染みのブラックアウトだけど
N氏がいてくれたから安心して呑んだんだな。

「毎度ご迷惑をお掛けします」
「ホテルに帰ってきてからも呑んでたよ」
嗚呼やっぱりか・・・

やたら楽しそうだ


極上の旨い酒に季節の旬の幸に最高に楽しい
呑み仲間がいれば人生はそれだけで幸せです。

61歳過ぎても毎日がハッピーですわ

二軒目でかんぱ〜い



asia_jiyujin at 19:19|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 11, 2019

第3507回「愉楽酒と極旨ラム」

もうベロベロです



7月11日】 札幌

うっめぇ〜やっぱ婆っちゃんが作る
 ジンギスカンはなまら美味いべさ


これぞ和寒のカネコの味付極旨ジンギスカン


和寒の家を売って長女が住む札幌に引っ越して
きたときは、さすがに慣れない環境に戸惑って
いた婆っちゃんだけどこの夜は妙に明るく見えた。

「はい藤岡さん 今年はこれよ」
おぉ〜留萌の国稀じゃん

今宵は国稀で


毎年和寒に巡礼に行った時は決まって酒屋から
取り寄せた“原酒”の一升瓶が宴席にあった。
他にも久保田の万寿やら全国各地の銘酒が数本。

「藤岡さん そろそろ肉が焼けたわよ」
うまっ婆っちゃんまた酒かけたやろ
「そったらこと言ったって美味いんだべさ」
う〜んなまら美味いんでないんかい

婆ちゃん秘伝のタレは酒


2年前に千歳のN氏が運転する車でS氏とタイ
から訪れた寅次郎のN大将を伴って和寒に行った。
その時にN大将も婆っちゃんのジンギスカンを
「わっぜぇうまか」と頬を膨らませていた。

北海道と言えばジンギスカンだ。しかも言わずと
知れた滝川の“松尾ジンギスカン“が有名だけど、
オレ的にはガキの頃に食べた美瑛の沢田の味付
ジンギスカンの味が今でも忘れられん。でも、
跡継ぎがなくいつの間にか閉店していた。

あの味が忘れられん もっぺん食いてぇ

ところが和寒のカネコのジンギスカンはオレが
ガキの頃に食べたあの沢田のジンギスカンの
味を思い出させるソールフードの味だった。

軟らかいし味も絶妙にうまかった

婆っちゃんは元気だった


バンコクにもジンギスカンを出す店はあるけど、
あの味と同じ肉を出す店を探すのは困難だろう。

和寒ではH氏の3人の娘たちの沢山の孫たちが
集まってまるでひと夏の大イベントだったけど
今は長女のY家には婆ちゃんと3人暮らし。

長男のY君は今はバンコクの大学の3回生だし、
次男は昨年高校を卒業して千葉の大学に進学。
何だかんだと文句を言いながらも2人の息子が
いなくなればそれはそれで寂しいもんだ。

だからこのの婆っちゃんは昨年と比べてとても
元気に見えた。わざわざ和寒から取り寄せた
自慢のジンギスカンの味付けにも力が入る。

オレちょっと爺っちゃんと呑んでくるわ

H爺さまの仏前で呑む


和寒時代からH氏とは夜遅くまで呑んだ。
時には外が白々と明るくなるまで呑んだ。
亡くなってからは仏壇に酒を入れた盃を
持って行ってサシで呑んだ。

昔の和寒のH邸宅


格好いい生き様の爺っちゃんだったよなぁ

孫たちの写真でいっぱい


オレには絶対真似が出来んことを不屈の精神と
己の人徳で有言実行した偉大なH爺っちゃん。
葬式にはお寺の廻りに車が駐められないほど
500人以上が参列したほどの偉人である。

父のこころ


爺っちゃん あなたはホント尊敬する人ですよ

孫たちの写真


さて、例によってこの後の記憶がない。まぁ、
そうなる事は毎年の事だし、それを想定していた
Y君母ちゃんはオイラとS氏を車に乗せて送ってくれた
ようで、翌日スマホを見たらLINEが。

「大丈夫ですか?Sさんご自宅に送り、
 12時半過ぎに帰宅して1人でやってます。
 Sさんにもお声かけして良かったです。
 あんな楽しい姿・・・初めて見ました」

酒は愉楽の潤滑油。しかも仕事的に損得利害
関係がない相手であれば愉しさも倍増する。

ただし暴れたり暴言を吐かないのが条件であり、
人様の悪口や不平不満愚痴をこぼさんヤツがいいな。

「藤岡さんタイに帰る前にまた呑もう」

とY家でS氏に言われたらしいのだが、
何せ泥酔してるオイラの海馬には・・・。


asia_jiyujin at 17:09|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 10, 2019

第3506回「我61回目の生誕日」

快晴の札幌



7月10日】 札幌 

ふぁ〜朝かぁ・・・

人生において61回目の生誕の朝を迎えた
オレは寝台列車のような寝床で目覚めた。

昨夜は呑んだなぁ・・・

今回はススキノから歩いて5分と掛からず
連日北京語と台湾語が飛び交う狸小路に
面するサウナ&カプセルホテルに宿泊してる。

さてと・・・

起きてすぐにそのままミストサウナで体内の
細胞を目覚めさせ、次いで老化防止に二日酔い
に効く水素風呂で悪玉活性酸素を体内に排出。
で、サッパリしたところで服を着替えて外出。

こんにちはSさん
「おぉ〜藤岡さん 元気だったかい」
あ、Yさん こっちこっち
「2人とも もう来てたんだ」

今日はメコン基金の元代表のS氏と先週
税務署と区役所に連れて行ってくれてたY氏と
八雲そば”でランチの約束をしていた。

「藤岡さん 腰の手術したんだって」
はい見ての通りですよ
「去年は胆石で今年は腰か あんたも大変だな」

御年79歳になられたS氏


1年ぶりにお会いしたS氏は運転免許証こそ返納して
ないけど愛車を手放して大好きだったゴルフを
やめて今は近くのジムに歩いて通っている。

メコン基金のスタディツアーに参加したのが
切っ掛けでS氏と月に1度のランチをする
ようになったY氏もまた75歳の後期高齢者。

まだゴルフは続けてるし愛車のスカイラインで
ジムにも通っているけど、昨年は6人の友人や
知人が病気で他界したと肩を落としていた。

「最近のタイはどうなの」
選挙で軍政から民政になったけど変わりませんね

ダンピングが少ないとろろ蕎麦


NGOメコン基金の教育支援活動で25年以上も
タイと関わっていただけに昨今の経済や景気には
感心があるS氏だけど、さすがに近年の田舎の
生活やバンコクの変貌には驚かれるに違いない。

ランチ時は混んでますねぇ

周辺がオフィス街だけにランチタイムは行列が
出来るほどの人気の蕎麦屋。相席が当たり
前の慣習故に急いで食べてから隣の喫茶店で
ゆっくりカフェしながらお互いの近況報告会。



ところでSさん 明日Yさん家に行きませんか
「なんかあるんかい」
H婆っちゃんが会いたがってるしね

喫茶店に移動して


2年前まではS氏と千歳のN氏と新十津川の
I氏のお墓参りをした翌日に和寒のH家に
行って故人の仏壇に合掌。沢山の孫たちも
集まってきて賑やかな宴だった。

去年家を売って婆っちゃんが札幌に
 出てきたんだけどなんか元気なくてさ


婆っちゃんが作ってくれるジンギスカンは
世界一旨い。普段は肉を食べないオレでも
酒を呑みながらナンボでも食べられる
ほど飽きのこない味だしS氏も賞賛していた逸品だ。
そのジンギスカンを食べられるだけでも価値あり。

じゃあSさん また明日

食後は各自三々五々に別れて帰路に着いた。



そのは珍しく誰からの誘いもなく1人寂しく
・・・もとい、サウナで噂のロリュの熱風を
浴びながら汗をたらふく流して老体を癒した。

ふぅ〜いい湯だったぜ

で、ロッカーに入れてあったスマホを見たら
あらま今年も神奈川の義妹や千歳のT奥様や
兵庫のJ女史東京の愛娘と今年4月に訪タイ
したA子夫婦からもLINEで生誕祝が届いていた。



『お元気ですか?今年もJさんの誕生日が
来ましたね。Jさんと出会って、ちょっぴり
人生の風向きが変わったS大のアジア研修旅行。

今も、まるで昨日のことのようにたくさんの
感動やさまざまな風景を思い出すことができます。
でも、実はあれももう20年前のことになります。

う〜ん。信じられません。お互い20年分の
出会いや経験をしましたね。今もJさんは
タイに私は日本・・・
(中略)
人に優しく、自分はおあずけのJさんは変わらず。
義妹としては兄ちゃんの身体が心配ですが、
お互い自分の人生、自分で決めて行きましょう!
はぴはぴバースデー!61歳おめでとうございます』



『フジく〜ん なっとうの日。晩ご飯の前に旦那と
きょーは7月10日だから納豆食べてみよーって
歌いました(笑)誕生日おめでとう』



『Jさん今日誕生日でしたよね。おめでとうござい
ます。納豆の日ですね。生きて、楽しく過ごせたら
幸せですよ。お身体はお大事にして下さいね。』



『Jさんお誕生日おめでとう!帰国してるのかな?
Jさんを産んでくれた母上様に今年も感謝します。
還暦のお祝いもでき、久しぶりに会えて嬉し
かったけど、これに甘んじず65も70歳も苑先も
お祝いできるように、いつまでも元気でいてね。

最近、色々ガタが来ているようだけど、、、
手術も無事乗りきったようで何よりです。
(中略)
早く帰れるようになり、人生初のワーク
ライフバランスを楽しんでいます。

また、飲める日を楽しみにしてしとります!
61歳は益々愉快でハッピーな良き歳となる
ことを願ってます』



『Jさん誕生日おめでとうございます。今年も
北海道ですか?それともタイかな。今年も楽しく
良き1年になること、陰ながら祈ってます!
いつでもタイに行きたい私達です。今度は
夜遅くまでいけるように頑張りますので
また一緒に飲んで下さいね〜』



今やこんなポンコツ老人になってもうた無力の
オレに毎年忘れずに生誕祝メールをくれるヤツ等。
心底有り難いことである。しかも家族でもないのに
術後のオレの健康まで心配してくれてる深謝だ。

みんなありがとねこれからも老体に鞭を打ち
ながら呑・・・いえ、労りながら呑んだくれまする




asia_jiyujin at 00:09|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう