March 2007

March 31, 2007

第581回「古の遺跡を巡る」

97215b39.JPGM君の最後の希望は世界遺産に指定されている遺跡を見ること。
バンコクから一番近い所は車で1時間ちょっとで行けるアユタヤ。

前夜に手配してあったワゴン車で一路アユタヤに向かう。最初は
8千人の日本人が住んでいたと言われる日本人町跡地を見学。
その後、灼熱の炎天下でアユタヤ三大遺跡を見て回る。

意外とW君。遺跡に興味があるみたいでくまなく見て歩く。
僕は何度も来ているので、炎天下を避けて木陰で一休み。

夕方にバンコク市内に戻り、最後の足ツボマッサージを受ける。
その後、最後の晩餐会で俺が用意した店は、かつてAPECで
小泉元首相も食べたソンブーンシーフードレストランに案内する。

そう、最後の最後で激辛タイ料理を堪能してもらうわけだ。
後は機上の人になるわけだから、下痢になろうが俺の知ったこっちゃねぇ。
といいつつも、超激辛のトムヤムクンをすべて平らげたのには吃驚。

それ以外にもヌアプーパットポンカリー(プーパットポンカリーの殻無し)
を、「辛えぇ〜!」と言いながら食っちゃった。
俺は俺で、1年に1,2回くらいしか食わないトムヤムの辛さに舌が麻痺した。

全てを満足していざ空港へ。カウンターでなるべくトイレに近い席をリクエスト。
これがせめてもの最後のアテンダーのお仕事。

パスポートコントロールまで見送り、満面の笑みで握手をしながら「バイバイ」
異空間や異次元の世界を垣間見た君は、確実に心のキャパが大きくなったはずだよ。
後は、仕事だけに没頭しないで、人生で一番大事な仲間たちを大切に生きてくださいませ。

滞在中、W君は宝石店でルビー、サファイヤ、エメラルドの三連宝石を買い、
幸せ、健康、運気向上、商売繁盛を祈願し、さらにタイのプラクルアン
(首に下げるお守り)のソムデットを遺跡の売店で購入。

自分に自信がないと、ついつい装飾類やパワーストーンなどの
他力本願的なものに頼りがちになりがちだが、
最終的には自分の心にこそその全てがあるんですよ。

そういいながら、俺もプラクルアンを首からぶら下げているけどね。
君の将来の人生に幸多いことを祈ります。


asia_jiyujin at 06:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな呑んだくれ日記 | 藤岡わこう

March 30, 2007

第580回「W君将来を占う」

bc5ff1a1.JPG腰痛持ちのW君を、チャオプラヤー川沿いにある伝説の按摩師がいる店に、BTSと船を乗り継いで行った。
以前タイ人の友人に連れられてきたときはこの伝説の按摩師に
涙が出るほど超痛い按摩を受けて俺の腰痛が良くなった。
でも、この日は伝説の按摩師が東北の田舎へ行っていたので、
仕方なく普通のおばちゃんに2時間マッサージしてもらった。

多少は楽になったが、さすがに伝説の按摩師とは明らかに技が違う。
だったら、しょっちゅう通えばいいのだが、何分にもバンコクの地図の
右端から左端のさらにまだその下の、地図上には出てこない場所まで
移動しなきゃ辿り着けないほど遠い場所なのだ。

ま、バンコク滞在中、W君は足ツボを含めて4回ほどマッサージを受けることになる。
ただ、タイ古式マッサージの奥義でもある「金玉マッサージ」にお連れしたかったのだが、
奥義を習得している先生が、どこの店にもいなかったので、次回の訪タイの時まで探して
おくことを約束する。この「金玉マッサージ」は、マジに腰痛が楽になること請け合い。

その後、俺が霊能者に胃癌を言い当てられたことを言うとすっかり興味を持ってしまった。
今回は、以前の職場を辞めて次なる転職先へ行くまでの間にタイに遊びに来ている。
だから、彼にとっては将来のことが凄く気になるのだろう。

霊能者ヤダムに連絡して夕方近くに顔を出す。久しぶりの俺に心配してくれる。
「大丈夫なの、身体の方は?」
心配したヤダムが「上」に訊いてくれた。
結果は「完全に治ったわけじゃないから、くれぐれもストレスを溜めないで無理をするな」
と助言された。「分かってますとも」折角助けられた命を粗末にはしませんて。

さて、W君が「仕事」「健康」「恋愛」「親兄弟」「親戚の援助」などなど、1時間近く質問。
結果はすべて良好。終いにはヤダムに「なんでここに来たの?」と言われる始末だ。

ただ、「睡眠をたっぷり取るようにしなさい」と言われたが、
W君はこの1年間ほどは3時間ほどしか寝ていなかったそうだ。
とにかく今は「たっぷり寝ろ」っちゅうことらしい。
それ以外も、バシバシ当てられたW君は、その度に驚愕していたが、
最後には明るい顔に変化していった。よかったね、何も不安材料がなくて。

ヤダムが、「親元を離れて自立した方が運気が上がり、
良い出会いにも恵まれる」と言っていたが、
果たして楽な環境から脱却して一人生活が出来るのだろうか。

ま、今は自分の可能性を信じてやってみることだね。
タイを体験した君は、確実に何かが変わったはずですから。


asia_jiyujin at 05:41|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 29, 2007

第579回「自我の芽生え」

0ecda859.JPG今日は生まれて初めてタイで銃の射撃を体験する。
バーチャルゲームではない。本物の拳銃を打つのだ。
およそ普通の日本人が、普通に生きていて銃を触ることはない。

リボルバー銃の扱い方をレクチャーした後に、いよいよ本番。
「バーン!」乾いた音が熱帯の空気を切り裂く。額から汗を流しながら、一発目を打ったW君は明らかに動揺していた。

おもちゃではない。「これで人が殺せるんだ」と思った瞬間に人はビビる。
それでもゲーム感覚で集中力を楽しむように心がけさせる。
結果的には20発の射撃練習では、結構高得点を出していた。

が、本番で小さなミスをする。利き目を変えたために6点が2発。
それ以外は割りと真ん中に集中していたが、結果は惜しくも76点。
それでも平均よりはやや上と言ったところだろう。

その後はコルトガマメントやショットガンもぶっ放す。
「セーラー服と機関銃」ではないが「快〜感!」ってやつだ。
生まれて初めて人殺しの道具を体験したことによって、少しは人格も変化。

その夜はタイの国技でもあるムエタイをリングサイドで観戦。
この日は有名選手のカードがあるらしく、テレビカメラが三台も入っていた。
メインイベントが終了し、チャンピョンと記念撮影。

ハードなスケジュールが時間と共に順調に進む。
さて、これでホテルに帰らないのが俺のアテンドの骨頂。
もっとも、苦手な客人ならとっとと早い時間で終わらしている。

Wちゃん、マチュピュチュのバーに行こう
「マチュチュチ・・・なんすか?そこは・・・」
空の上にお洒落なバーがあるんだ
「そ、空の上?」
ま、あまり先入観を持たずに楽しみにして

数分後、ステートタワービルの64階にいた。
オープンテラスの外に出ると、強い風が吹いていた。
どう?」
「・・・・」
すっかり言葉を失っている。

階下には、バンコクの夜の摩天楼が360度広がっていた。
「す、凄いですねぇ」
でしょ

その後2人は、グラスを傾けながらベッドソファーで人生を語り合う。
日本では決して経験することがない世界を、わずか1日で体験する。
一度壊れかけた人格が、やがて新しい感覚の自我が芽生えていく。


asia_jiyujin at 03:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 藤岡わこう | 気ままな呑んだくれ日記

March 28, 2007

第578回「真面目なW君崩壊」

26b63c6f.JPG3月25日

まるで週課のように毎週日曜日にチャオプラヤー川を渡り
暁の寺院を登り、僧侶に頭を垂れて腕にサイシンを付けてもらう。

さらに、ココナッツ売りで強制的に水分を補給してもらい、
再び川を渡って今度は涅槃寺に足を運ぶ。

今年はいったい何回暁の寺院や涅槃寺に来たんだろう。
覚えているだけで10回は来ているだろうな。僧侶や
チケット売りのおばちゃんにもすっかり顔を覚えられた。

静岡の友人からの依頼で、後輩のW君をバンコク三大寺の観光に誘った。
前日の夜は、空港からホテルにチェックインしてすぐにタニヤで
初タイ歓迎会を開く。夜遅くまで飲んだ翌日に仏教国の上辺を垣間見る。

その後はチャイナタウンで究極の小龍包と餃子を食らい、
食後は立ち並ぶ金文字看板の怪しい問屋街でFミューラーを購入。

チットロムのAマッサージで脳内&体内革命後、
夕食は、いつものフカヒレ&あわび雑炊に舌鼓を打つ。

アジア最大の歓楽街パッポンで改造人間を観察し、
最後はスクンヴィットのT喫茶で現地人の実態を調べる。
(このカレゴリーが分かる人は何人いるだろう・・・)

初日に続き、真面目なW君が見たこともない世界に
徐々に人格の崩壊が始まってきた。

今まで持っていた価値観や性格ガ壊れていくとき、
まったく違う自分が形成されていく。それでいいのです。W君。
自分からの脱却。それこそが今回のテーマですから。

明日は、もっとハードな体験が待っている。


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March 27, 2007

第577回「終了と思ったら」

5b0d3aa9.JPG札幌幌南ロータリークラブのアテンドを終えて、ようやく
今年度上半期のミッションは全て万事終了したことになる。
はぁ〜、これでしばらくは休息が取れる。海に行こうかな

そう思ったのは、ほんのつかの間だった。
突然、静岡の友人Tから後輩のW氏がタイに初めて行くので
5日間ほどアテンドをお願いしたいというメールが飛び込んできた。

さらに、メールには「彼は真面目で優秀な人間です。
短期間の滞在ですが、タイに行けばきっと人生観が変わるでしょう」

マジかよ・・・ってことは人生観を変えてくれっちゅうことかいな

あぁ、それにしても人生とは摩訶不思議なもんだ。あるいはこれは試練なのか。
なぜ、こんなにタイミングよく空いた日にスッポリ入ってくるんだよ。
まるで神様が、俺の人生スジュールでも管理しているみたいじゃん。

NO」と言えば簡単に済むことなのだが、それが出来ないから
昨年病気になったのだ。つくづく生まれ持った性分は変えられないことを悟る。
だから気持ち良く「ハイ、任せてください」と返信メールを送る。

初来タイのW君、君の価値観や人生観を根底から壊してあげましょう。
きっと、数日間の仏教国滞在中に「生きる」意味を悟る事ができるでしょう。


asia_jiyujin at 06:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 26, 2007

第576回「ドネイションの真意」

e72bdfe4.JPG3月18日
パウィナー・ホームサクン女史から、ご自宅に招待された。
現役の国会議員の邸宅に呼ばれるのはこれで2度目である。
1度目はノンカイの国会議員の家だったがかなり質素だった。
だが、パウィナー女史の家は見るからに豪邸の極みだった。。
門を開けるとSPや使用人やメイドが数人。広い庭には
いつ泳ぐのか大きなプールが当たり前のようにあった。

まるでビバリーヒルズに住む女優の屋敷みたいだ。
一応こう見えても建築家の端くれとしては、非常に興味深い家。
でも、中に入ってみるとそれほど豪華さはなかった。
ごく普通の家だ。ドラマに出てきそうな御殿とも違う。

「もう建ててから20年も経つのよ」と女史。
何度か日本にも行った事があり、応接間には沢山の日本人形が並んでいる。
ある意味、日本贔屓でもある。

食卓テーブルがある部屋で、コーヒーや紅茶を御馳走になる。
しばらくは、日本の話で盛り上がり談笑する。(写真)
こうしていると、ごく普通の家庭の主婦にも見えなくもないが、
やはり一歩外に出るとタイでは誰もが知っている有名な人なのだ。

この日の夕食は、バンコクから車で一時間半の
パットンタニ県のシーフードレストランまで行くことになった。
なんでそんな遠いところまで・・・。

はい、将来的に、手狭になった今のバンコクオフィスを
20年前に女史が個人的に買った土地に移設する計画があるんだとか。
そのために、わざわざ遠いところまで視察に行ったのか・・・。

これって、これ見よがしに「寄付が集まらないと建てられないのよ」っちゅうことじゃん。
600万バーツで購入した土地に、いったいいくらの施設を建てるつもりなのだろう。
おそらく億を超えるタイバーツが必要になるだろう。
それを日本を含めたいろんな団体から資金協力を臨んでいるいるらしいのだが。

な〜んか、釈然としない・・・
援助するための支援。支援のための援助。
何でもかんでも先進国の援助に頼っていいものなのか。
俺は心の中で、1人複雑な思いに駆られた。

日本の某24時間チャリーティ番組で、ゲストのギャラや取材費などを合わせた制作費が、
なんと50億円を越えていたそうだ。で、全国から集まった寄付金が8億円。
だったら、最初から制作費を寄付した方が、よっぽど大きな支援が出来そうだと思うのは俺だけか。

テレビは視聴率が命。高視聴率にはそれだけ大きなスポンサーがつく。
視聴率の呪縛から抜けられない業界は、ある意味神経が麻痺しているんだろうね。
あの、「あるある・・・」のようにね。


asia_jiyujin at 05:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままなボランティア活動 | 藤岡わこう

March 25, 2007

第575回「金と権力の国」

0340eff1.JPG3月17日
パウィナー・ホームサクン女史を御存知だろうか。
元国家開発党幹事長。前回の都知事選では惜しくも次点。

現在はタイ愛国党に所属しながら、自ら設立した財団で
虐待された子供やレイプされた少女らを救済している。
しかも、バンコク市内に限らず全国どこでも飛んで行く。

札幌から幌南ロータリークラブの4名がやって来た。
かれこれ5年ほどこのパウィナー財団に寄付を続けている。
俺はひょんな縁で5年前から毎年この贈呈式の通訳を受けている。

正直、最初はビビった。なんと言っても現役の国会議員さまである。
某市内のホテルで会合した時は、さすがに周りのタイ人たちも一目置いていた。
パウィナー女史からは、つねに見えないオーラが発散していた。

それでも、毎年続けているうちに顔も覚えられて
気軽に声をかけてもらえるようになった。
折角のチャンスだからと、一緒に撮った記念写真は、
その後いろんなシチュエーションで活躍することになる。

ある時、街中で小遣い稼ぎのおまわりさんにいちゃもんをつけらた。
俺は水戸黄門様の印籠のごとく、「控えおろう。これが目に入らぬか」
と、一緒に撮った写真を神々しく見せた。

「はぁぁぁぁ・・・」
身分の低いおまわりさんは、
「じゃあ、気を付けて」
とそそくさと退散すた。

またある時は、車を運転していて突然交差点で
いちゃんもん付けてきたおまわりさんがいたので、
国際免許証の中に、これ見よがしに一緒に撮った写真も入れて提示した。

「あ、あぁ、はい、これからは気を付けて」だけ・・・。

まさしく「金と権力の国」とは、よく言ったものだ。
下手に免許証やパスポートを携帯するよりよっぽど便利である。

かと言って、のべつまくなく乱用するわけではない。
せいぜい1年に1回あるかないかだ。でも、
明らかに自分が違反した時は、キッチリ?袖の下を払う。
つまり賄賂だ。タイに住まわせていただいている以上は
税金だと思って多少の額は支払う義務がある。

さて、このツーショット写真。果たして今度はどこで役立つのだろう。
あ、いえいえ、別にそれだけの理由で通訳を受けているわけではない。
やはり、人さまのお役に立てられる存在であることが、
自分の信条であり、またこの国にいる存在価値でもある。

救済すべき子供や少女などの弱者への支援は、真心ある大人の義務ですから。


asia_jiyujin at 06:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままなボランティア活動 | 藤岡わこう

March 24, 2007

第574回「第五陣来たる」

715f0f6e.JPG3月2〜4日
ラオスのビザ申請からバンコクに戻ったら
すぐに次のミッションが待っていた。

1月12日から受けた関東の某会社海外旅行のアテンドも、
第二陣(2月2〜4日)第三陣(2月16〜18)
第四陣(2月23〜25日)と、今回の第五陣で最終となる。

一緒に来れば1回の旅行で終わったのだが、
なにぶんにも会社を全休して社員全員が来られないために
3、4人を5週に分散して来ることになったそうだ。

しかし、さすがに毎週のように暁の寺院へ行きタンブンを体験してもらい、
寝そべった44メートルの涅槃僧をぐるりと歩きながら仏陀宗教に触れ、
タイマッサージで究極の癒しを体感し、さらにカラオケで異国人と交流。

グレメは、フカヒレ&あわび雑炊、小龍包&約餃子、
タイスキにイタメシかフォアグラのコースを回ると
殆どの店の従業員に顔を覚えられた。
もちろん、食べるコースも一緒だから、
俺は毎週同じ物を食べていたわけだ。

暁の寺院の僧侶には、「お、また来たか」と歓迎され、
椰子の実(ココナッツ)売りのおばちゃんには
「また来週来てね」と笑顔で言われる始末。

シューティングでは、毎週のように高得点が更新され、
最終的には、第四陣のK澤ちゃんが92点で優勝したことになる。
出来れば、第一陣から第五陣の最高得点者を一名選出して、再び
決勝トーナメントをバンコクでやってくれれば盛り上がるのだが。

きっと、スナイパーT女史とゴルゴK澤ちゃんの一騎打ちになるだろうが
最終的にはスナイパーT女史が、前人未到の100点満点を取ると思う。
だって、初っ端からど真ん中の3ミリ左だもん。その次も僅かに左。
いずれも練習段階で、殆ど黒丸の中に命中していたのは彼女1人だけだったのだ。

最終組を3日間アテンドして、空港で見送った後、
あぁ〜、ようやく一冬の長い物語が終焉した・・・」と安堵。
病気も怪我もなく、犯罪に巻き込まれることもなく、
みな期待以上の満足を得られて帰国していった。

「一生記憶から消えないほど強烈な思い出をありがとうございました」
帰国後、何通かの感謝メールが届いたが、
果たして彼らは、帰国してからまともに仕事が手につくのだろうか。
しばらくは無理だろうなぁ・・・。
社会復帰のためにリハビリ期間が必要になるかもね。

そうだ
U市に
行こう


今年の帰国時には、U市に行ってみんなの顔でも見てこようかしら。
きっと、走馬灯のように楽しい思い出が蘇ってくるだろう。
究極の旨い餃子を食わしてくれぇ〜
あれ? U市がどこかバレちゃったかしら。


asia_jiyujin at 05:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 23, 2007

第573回「ラオスでビザ申請」

a9a6956d.JPG2月26日
180日間でビザのない日本人は90日間しか
滞在出来ない法律が出来て以来4ヵ月が経つ。

現在バンコクで会社を設立中のDちゃんと、
従業員のMが毎月のように出入国しているうちに
上記の法律に触れるようになった。

Dちゃんはまだ余裕はあるが、Mは空港の入国時に
「あなたは後10日間しかタイにいれませんよ」
と注意を受けた。知らないでオーバースティしていれば、
1日500Bの罰金が科せられることになる。

ならば、近隣諸外国で比較的問題なく申請できる
ラオスのビエンチャンに行きますか、と3人で飛んだ。
会社が設立出来るまではノーイミングランドBは
申請できないからとりあえずツーリストビザを申請。

現状ではシングルしか取得できないけど、
ま、最長で90日間は滞在できる。
それにマルチプルビザを取っておけば
何度もタイを出入国することが可能になる。

昨年の9月19日の軍事クーデター以降、
外国人に関する法律などがやたらと厳しくなっている。
日本が、特にアジア人に対しての入国を厳しくしているから、
なおさらタイでは日本人に対しも厳しくなるわけである。

日本人はビザ無しで30日間しか滞在出来ないのに対して
韓国やドイツは、ビザ無しで90日間も滞在できる。
理由は毎年タイ人労働者を数万人規模で受け入れしているからだ。

石原都知事のアジア人嫌い(犯罪が多いから)にも困ったものだ。
次の選挙には、元宮城県知事などの対抗馬がでるらしいが、
果たして誰が当選してもアジア人嫌いは続くだろう。

麻生太郎外務大臣さん早くFTA(自由貿易協定)を締結してくだされ。
今よりは、少しは緩和される項目も増えるでしょうから。
先日ブログでも書いた、タイ人の看護師や介護師たちが、
もし数万人規模で日本に働けに行けるようになれば、
近い将来あながち日本人もビザ無しで90日間滞在できる日が来るかもね。


asia_jiyujin at 03:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 藤岡わこう 

March 22, 2007

第572回「千葉からの来友」

596a865c.JPG2月9日(日付がちょっと戻ります)
1ヶ月前を遡って思い出しながらブログを
書いていたら大事な事を忘れていた。

なんと4,5年ぶりに千葉からA夫妻が
子連れで来タイした。
昨年は子供が出発間近になって突然水疱瘡にかかり
残念ながらタイ旅行を断念した。

「今年は何があっても行くからね」と豪語した嫁のM。
次男を乳母車に乗せて長男の手を握りながらやって来た。
2人とも大学在学時代から知っているカップルだ。

彼らが在籍していた時代に、H教授が教え子を連れてタイに
来たのがもう11年前になる。俺はノンカイで彼らを受けて
M基金が毎年行っているようなホームスティを体験してもらった。

以来、毎年のようにH教授が主催するゼミ海外研修を現地で受けるようになった。
時には、タイだけではなくお隣のマレーシアのマラッカにも呼ばれた事がある。
H教授は清瀬のN大学から千葉のJ大学に移り、今は巣鴨のT大学に勤務している。

この11年間、おそらく300人以上の学生を受けたことになる。
その中でも未だに付き合いのあるOB,OGが30人ほどいる。
毎年帰国する度に、新宿に集まって飲み会を開く。

すでに結婚した子もいる。子供も出来た夫婦もいる。
今までに結婚式の招待状が何度か届いたが、
その度に、自分の娘が嫁ぐような錯覚になった。

それが、しばらくして「子供が出来ました」と聞くと
俺は知らないうちにおじいちゃんにされている。
40歳代でおじいちゃんかよ。

そうだ。来月の4月には、すでに会社を辞めたA夫妻の後輩T女史が、
なんとアジア、ヨーロッパを含む世界一周の旅に出るという。
先日、「タイにも寄りますから会ってね」というメールが来ていた。

もともとバックパッカーで、我が家にもスティしていた事がある女学生。
果たして彼女は世界中を旅して何を見つけるのだろうか。
自分探しのモラトリアム的な旅の最終地は・・・・。


asia_jiyujin at 03:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな呑んだくれ日記 | 藤岡わこう