April 2007

April 30, 2007

第599回「G氏世界遺産に立」

e92198bd.JPG翌朝、9時きっかりにジョーンさんが迎えに来た。
時間を守らないチェンマイのトミーに比べたら、
いや、そもそも時間通りに来る習性の無い国民故に
約束した時間にキッチリ来る事自体が快挙である。

我々は優雅にアメリカンブレックファーストなる朝食を
朝日の当たるホテルのテラスで食っていた。

暑―い!」

すでに太陽は上空に位置し、容赦のない熱射攻撃を仕掛けてくる。
チェンマイやチェンライの気温に比べたら別世界だ。

さて、ホテルから12キロ離れたところにある昔の都町と言うのだろうか、
ムアンガウというスコータイ遺跡公園に連れてきてもらった我々は、
最初の遺跡であるワット・マハタートを見学。

へぇ〜、凄いねぇ

さすがにアユタヤ遺跡に比べると威厳がある。
そう言えば、お寺と言われるところは数え切れないほど行っているが
遺跡を見たのはコラートの近くにあるピマーイ遺跡とアユタヤ遺跡くらいだ。

ここはスコータイ遺跡の中で一番大きくて中心的なところらしい。
シーイントラーティット大王の時代に建てられたものらしいが
時代背景がさっぱり分からない我々は、ただ感心していた。

ここへ来て、G氏が少しだけ心の変化が見られた。
カメラにダブルピースしながらおどけたポーズをとっている。

「いことだ」

もっと心もエゴも開放してくれい。


asia_jiyujin at 02:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 藤岡わこう 

April 29, 2007

第598回「遺跡の町」

602ec2b7.JPGソンクランが過ぎた16日に我々は次の町を目指した。
本来なら飛行機に乗ってバンコクへ帰ってもよかったのだが、
一向にG氏の心の変化が見られないでいた。

なんなんだろう、一緒に旅を続けても心の中が見えてこない。
面白いのか面白くないのか、楽しいのか楽しくないのか、
さっぱり弾けてくれないから自分のコーディネート不足を反省する。

このまま雑踏の大都会へ戻っても心の開放が無理だと判断した俺は
世界遺産があるスコータイへ行く事にした。今までタイの北部、南部、
東北部、東部を含めて72県中52県の町を旅した事がある俺も
未だに行った事のない町だ。

送ってくれたR一家に別れを告げて、長距離バスはゆっくり動き出した。
エアコンバスで244バーツ。所要時間は5時間・・・のはずだった。
夕方5時頃にはスコータイに着く筈だったのだが、途中の町では
未だに水掛祭りが続いており、渋滞でかなり送れる事になる。

出発してから1時間後にはパヤオのバスターミナルに着く。
その後プレー、ウタラデットと続く。さすがに腰が痛くなる。
バスの中では、もっぱら雑誌を読むか飽きたら寝るだけだった。

夜6時半、バスは定刻より1時間半送れ気が付いたらスコータイに着いていた。
「うーーーーーーーーーん!」
バスを下りて、大きな伸びをする。
すると目が合ったソンテウの運転手が笑顔で近づいてきた。
「パイナイ(何処へ行く?)」
う〜ん、さてどうしようかね
G氏は長旅に疲れてベンチでマッタリ座っている。

おもむろにタバコに火をつけながら、運転手と雑談をする。
信用できるタイ人かどうか品定めタイムだ。
いろいろと話しているうちに、こいつは外国人を騙す人間でない事を確証する。
田舎町特有の人のよさそうなおじさんだ。

娘は4人。長女は25歳。次女は20歳。次は15歳10歳と5年おき。
上手い具合に子供を作ったもんだ、と思ったらすべて女子。
「大変だよぉ〜」と言いながら良いお父さん顔をする。。
歳は49歳。俺より1つ年上だ。G氏は51歳。みな同じような世代である。

最初に紹介してくれたホテルへ行く。
中を確認してやめる。
次行こう
ジョーンと名乗るその運転手は、嫌な顔1つしないで次のホテルへ向かった。
着いたホテルはリゾート風のコテージ。

いまいち我々の雰囲気じゃない。
次行こう
そう言いながら、俺は車に乗りながら始めての町をくまなく観察する。
どこが繁華街で、どこが面白い場所なのか。

通りの両側に無数の屋台街を発見。
その途端、雨が降ってきた。
ありゃあ・・・
ソンクランで水を掛けすぎたから水蒸気になって雨雲になったのか。
(んなわけはないよな・・・)

そうこうしているうちに、まともなホテルを発見。
そこにチェックインする事にした。
ジョーンおじさん、晩飯は食ったのか?」
「いや、これからだ」
なら、一緒に食べに行こう

このパターンは、以前俺が南タイを一人旅した時と同じだ。
(俺の2冊目の「アジア・アンダーストリート」(文芸社)
タイ南部編のパッタルンを参照しておくれ)

かつて文豪・開高健の著書の中に「知らない町へ行ったら市場へ行くか娼婦を買え」
という一節がある。俺はこの言葉が好きだ。直訳してそのまま置屋へ行って
娼婦を買うわけじゃない。

市場はその町の熱気と活気を伝えてくれる。
置屋や売春宿は、その町の経済が垣間見られる場所だ。

この夜、地元で一番旨いシーフードを3人で堪能。(写真)
食後は、この町で一軒しかない置屋を偵察。
う、腐っている・・・」朽ち果てる寸前の売春窟を久しぶりに見ながら、
この町の大体の情勢が分かったような気がした。

その後、初めてのG氏に田舎町の「カラオケクラブ」さらに「カフェ」に連れて行く。
どこも、場末のスナックのような、活気とやる気の無い店ばかりだった。
これではG氏の心は開放できないじゃん。

明日は世界遺産を見に行こう


asia_jiyujin at 03:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう

April 28, 2007

第597回「来年の男塾支援先」

65dc7e16.JPGR一家が、複数の山岳民族がいる村に連れて行ってくれた。
外国人は300B.現地人は150B。

ちょっと高くねぇか

と思ったが、それがそこに住む、いや住むようにさせられた
山岳民族たちの生活費の一部になっているのだろう。

村で最初に出会う民俗はアカ族。
観光客が来ると、独自の音楽や踊りを披露。
売店ではアカ族が作った民族衣装や民芸品が売られている。

はぁ〜、すっかり観光化されちゃってら・・・

村にはアカ族以外に、ヤオ族、ラフ族、カレン族、パロン族が、
数十メートルおきに小さな集落を作って生活していた。

この日は、アカ族とヤオ族とカレン族しかいなかった。
訊くと「ラフ族は出張にいっている」という。
「出張?ソンクラーンのイベントにでも行っているのか」
山岳少数民族はいつからサラリーマンに成り下がったのだ。

さて、Rの兄さんのSが、そんな山岳少数民族の子供らが
通っている小学校の先生をしていると聞いてちょっと驚いた。
どおりでさっきからアカ族の子たちとアカ語で話せたわけだ。
(俺はまったく一言も理解できなかった)

しかも、実家からは100キロも離れているらしい。
普段は、嫁の実家からバイクで通っているらしいが、
それでもゆうに60キロはあるのだとか。

学校の名前は「ヤオ スンカンリィアン トゥンルン 
チャオタイ プーカオ メーファールアン」と言うらしい。
そんな長い校名は覚えられないと言うと、
じゃあ「バーン アトー」でいいと言う。

その学校にはアカ族、ヤオ族、リス族、カレン族の
子供たち20名の生徒が勉強している。
年齢は、下は2歳から上は小学校3年生の8歳まで。

貧しい山岳地帯では、満足な学用品や運動用具も無いらしい。
その学校には行った事はないが、おそらく俺が毎年行く
ラオスの山岳地帯に住む子供たちと同じような環境なんだろう。

と言う事で、来年のアジア男塾の支援先はチェンライに決定!
子供用の中古衣料や、中古のクツ。さらにはサッカーボールなどの運動用具など。
年齢は2〜8歳の子が対象です。(男女問わず)

今から来年の1月までに、親戚縁者、親兄弟、近所や、漁業組合など、
中古で構わないから集めといてくださいませ。チェンライの町中からは
車で1時間程度らしいです。でも、そこから山は歩きだとか・・・。
大自然の中でトレッキングも体験出来ます。

それと、1月のチェンライはなまら寒いです。
先日ヒョウが降って800世帯に被害が有ったそうです。
猛暑の4月ですよ。それだけ山の気温は変化が激しいんですねぇ。

でも、昨日はとうとうターク県(チェンマイ県の左下)で
過去最高の外気温44℃を記録したそうです。

方やターク県で熱波。方やチェンライの山岳でヒョウって・・・。
さらに昨日はバンコクでも夕方から土砂降りのスコールが降った。
とうとう地球も、耐え切れずに壊れちゃったのかしらん。


asia_jiyujin at 04:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

April 27, 2007

第596回「山岳少数民族の村」

0e9b7e43.JPG俺が1人で北タイを旅したのは、かれこれ10年も昔の事だ。
時期も今と同じソンクラーンの熱い季節だった。タイ語や
イサーン語以外にチェンマイ語を知ったのもこのときだ。

そのときはチェンマイからチェンライ、黄金の三角地帯があるチェンセーン、ビルマとの国境の町メーサイを回って再びチェンマイに戻ってきた。このとき途中で山岳の村に寄った。そこにはアカ族やヤオ族などの山岳少数民族が生活していた。

たしか、タイには大別して26の首族がいる。その代表的な民族が、イコー(アカ族)ムス(ヤオ族)メオ(モン族)リソー(リス族)に、あの首が長い種族で有名なガリアン(カレン族)だ。

他にもラフ族や黄色い精霊と呼ばれる裸の民族ムラブリがいる。
俺が一番好きな民族は、十二単のような民族衣装をまとったリス族だ。
中国雲南省から南下して来た民族だけに、色が白くてとにかく笑顔が可愛い。

山岳民族の中には、いまでもタイの法律が届かない山岳があり、
そこでは独自の村の掟や宗教が存在する。
例えば村の中で男が無理やり女をレイプしたとする。
タイの法律では強姦罪が適応になり、罪を償うために罰せられる。

ところが、村の掟では長老の支持により、袋叩きにあって
山の何処かに埋められるということもある。ある意味至極分かりやすい罰である。
悪い事をすれば、痛い目にあったりこの世から除外させられるのだ。
そこには、タイ国の民主的な法律は介入されない。

さて、そんな山岳少数民族も、いまでは政府の意向で
一箇所の地区に集められて、移動することなく生活するようになっている。
特に焼畑農業を主体とする民族や動物や木の実を取りながら移動する狩猟民族などは、
国からのID(身分証明)を貰うことによって定住を余儀なくされる。

それはある意味、強引にタイの資本主義社会に組み込まれることになる。
現金が必要としなかった自給自足の生活も、現代の文明を受け入れなければならない。
電気の無い村に明りが来る。蛇口をひねれば水が出る。


asia_jiyujin at 02:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 藤岡わこう 

April 26, 2007

第595回「田舎のお正月」

dd9e87e2.JPGタイの正月は毎日水掛ばかりしているわけじゃない。
日本と同じようにキチンと正月用の正装をして
両親、兄弟、親戚などの年始周りをする。

先ずは、午前中に実家の両親から始まり、
近くに住む、兄弟姉妹の家族、親戚と続く。
各家にはその家の長老や家長がドンと構えている。

子供たちや家族が周りを囲み、花やお菓子、お金を置く。
家長からは、健康や幸せを願って白い糸(ポッケーン)を腕に巻いてもらう。(写真)
親戚でもない我々外国人にも、旅の安全や健康、幸せを願って巻いてくれる。

午前中に殆どの家を回り終え自宅に帰る。
昼食をとった後に、ピックアップトラックの荷台に積んだドラム缶に
並々と水を入れている。

き、今日も行くの?」
「もちろん!」

有無を言わさず、今日も出陣と相成った。


asia_jiyujin at 04:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 藤岡わこう 

April 25, 2007

第594回「チェンライ逃避」

c1c28224.JPGチェンマイから長距離バスに揺られて3時間半。
我々は狂気的な町を避難してチェンライに来ていた。
長距離バスターミナルにはRが迎えに来ていた。

彼女は、今年の春まで北海道の道東のサロマ湖半にいた。
そこで研修性として3年間水産加工場で実習をしていた。
初めての日本生活に馴染みながら、なんとか日本語も習得。

Rを含めた十数名のタイ人実習生は、アジア男塾のY団長の家の前に住んでいた。
だから、帰国してサロマに顔を出したときには必ず寄っていたのだ。

で、「ソンクラーンにチェンライに遊びに行っていいか」と訊いたら、
「もちろん、何の問題も無い。是非遊びに来て」と言われていた。

さすがにこれ以上G氏をチェンマイに滞在させていても、さしたる心の変化は無い。
街全体がバカ騒ぎしていても、G氏自体が弾けて心を開放してくれないと意味がない。

Rは家族や親戚らと迎えに来ていた。
しかも、ピックアップトラックの上にはたっぷりと水が入ったドラム缶が・・・。

Gさん、着替えよう

チェンライもまた、ソンクラーン中なのだ。
チェンマイと違って、この地はピックアップトラックの荷台に
乗りながらまるで騎馬戦の如く水を掛けあう。

せっかくまともな服に着替えたが、再び戦闘服に着替えなければならない。
といっても軍隊が着る迷彩服ではない。水を掛けられても平気な水泳パンツにタンクトップだ。
この服装が後からとんでもない後悔の元になるとは思いもよらなかった。

Rと兄さん、その嫁と親戚の姪子たち。トラックの荷台には我々を合わせて8人が乗車。
そこで行きかうトラックの荷台に乗った現地人と水をかけ会う。最初は楽しかったが、
さすがに陽が傾き始めると肌寒くなる。さらに、車が高速で走り始めると寒さが倍増する。

さ、さびぃ〜、風がちびたいぃ〜
このままでは確実に風邪を引いてしまう。
G氏が、ビックCで買ったTシャツを貸してくれた。
おぉ、ありがたい
俺はそれを首にまき付けてマフラー代わりにした。
あぁ、早く熱いシャワーを浴びたい・・・

Rの家に着いたのは、ずっかり陽が暮れた午後7時過ぎだった。
唇が紫色になっている。俺の身体は完全に冷え切っていた。
Rの家は、昔ながらの高床式住居。むろん熱湯が出るシャワーなど無く、
トイレにはペーパーも存在しない。まさしく、タイ人の家である。

オーマイ・ブッタ!」
何と言うことだ。俺の冷え切った身体はどうすりゃいいの。

ホテルと違って、ここでは全てが現地人と同じ生活を強いられる。
牧歌的で素朴な山間の村。夜は急激に温度が下がる。
北海道から来たばかりのG氏には、限りなく心地よいらしい。
だが、皮下脂肪の無い俺にとっては震えるほど寒い。

さて、次なる新しいステージ(まるでシミュレーションゲームだ)のこの村で、
はたして現地人と触れ合うことで、少しはG氏の心も徐々に開いて行くのだろうか。
俺は旅のコーディネターというより、完全に心のカウンセラーになっている。


asia_jiyujin at 02:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

April 24, 2007

第593回「G氏名物を食らう」

44fd76b6.JPGチェンマイの水掛祭りは、毎年無礼講を通り過ぎて
攻撃的になっているのには辟易させられる。
わざわざ氷を入れて冷水を高圧水鉄砲に注入して人を狙う.

時間を守らず、陽が落ちても平気で水を掛けてくる。
本来水掛祭りには豊作を願った雨乞いの意味がある。
他人に水を掛けてずぶ濡れにすることが目的じゃない。
水を掛けられて不快になる相手の気持ちを考えて欲しいもんだ。

さて、チェンマイでは毎日北タイ名物「カオソーイ(タイ風カレーうどん)」を食べた。残念だったのはいつも行く馴染みの店がソンクラーン中は休業だったことだ。仕方なく知り合ったタイ人が「地元で一番旨い」とのたまうナイトバザールの外れにある店に行った。

そこで「イッサラーム・カオソーイ・ガイ(イスラム系がやっている鶏肉入りカレーうどん)」を食べた。

味は・・・・

やはり昔から行っている馴染みの店の方がはるかに断然旨い。
でも、G氏は「旨い!」と唸りながら一度に2杯も食べた。

後日セントラルデパート地下のフードコートや
ナイトバザール内に出来たフードコートでも食べたが、味はいまいちだった。

名物に美味いもの無し、というが・・・、
それにしても毎日カオソーイを食っているな・・・


asia_jiyujin at 18:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな流浪的旅日記 

April 23, 2007

第592回「G氏夜に溶ける」

cd1780da.JPG日中の狂気的な水掛祭りを回避して晩飯を食べてからチェンマイで馴染みのカラオケクラブ「チェンマイの夜」に飲みに行った。

ここは今年の1月にアジア男塾の旅でも行った店でもあり、
G氏も3年半ぶりに顔を出す。やはり男の心を癒してくれるのは
微笑みの国の天使たち。異国で美女を傍らに傾けるグラスは格別だろう。

「じゃあ、後で迎えに来ますから」
俺は1人でチェンマイの夜の帳に消える。

実はバンコクを飛び立つ前に、毎月連載している日本の某雑誌の編集長から
「どうせチェンマイに行くんなら現地のカラオケクラブも取材してきて」
と依頼を受けていた。

せっかく仕事を忘れてのんびりするつもりだったが、
「NO」と言えない俺は知り合いのカラオケクラブの取材に出かけた。
(結局、趣味で取ったはずの狂喜乱舞の水ぶっ掛け祭りの写真も
来月号で掲載する事になった)

今回の旅の目的はG氏の心とエゴの解放と、過去からの脱却だ。
今までの嫌な記憶や抱えている悩みも全てを忘れ去り、
新しい自分を見つけてくれればいいと期待したのだが・・・。

asia_jiyujin at 20:36|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう

April 22, 2007

第591回「幸運を祈る祭り」

cdf0f280.JPGソンクラーンは4月13日から15日の3日間のはずだが、
気の早い奴らは10日ころから水掛を始めている。
事実、我々がチェンマイに到着した11日には、すでに
町中のお堀の周りは完全無礼講水掛状態だった。

俺が初めてこの洗礼を受けたのは10年ほど前のことだ。
1人旅でチェンマイを訪れたのが4月8日。
チェンマイ門近くのホテルにチェックインした。

当時は大晦日に当たる12日ころから、
徐に遠慮しがちに水掛祭りが始まった。
ところが、今は遠慮も何も無く数日前から始まるようだ。

しかも、仕事帰りだろが、ネクタイをしていようが、
鞄を持っていようが、容赦なく水を掛けてくる。
とにかく、一歩外に出たら下着までずぶぬれになる事を
覚悟しなければならない。

子供も大人も、男も女も、僧侶も警官も、猫も犬も、
み〜んなずぶ濡れになる。特に若い女性は格好のターゲット。
白いブラウスならブラジャーが透き通って見えちゃう。

でも、不意に水を掛けれても絶対怒る事は出来ない。
相手の幸運を祈る意味が込められているからだ。
しかし、どう見てもそんな顕著な心得の奴はいない。

我々はレンタルバイクをチャーターして、
タンデムで市内を軽快に滑走・・・出来るはずがなかった。
何処に行くのも容赦なく水をぶち掛けられる。
しかも大渋滞だから中々目的地に到達できない。
だから、四方八方から水を掛けられる。危なくって気が抜けない。

通常、早朝の9時頃から始まり、日没後には終了するはずなのだが・・・。
少なくても10年前まではそうだった。ところが、夕方18時を過ぎても
水を掛けてくる奴がいる。19時過ぎても掛けてくる。
陽はすでに一日のお仕事を終えて、市内は暗くなっているのだ。

バカやろう!、もう掛ける時間帯じゃねぇだろ!」
怒鳴りたくなるが、多勢に無勢。正気に酔払軍団。

当然、陽が落ちると外気温も下がって寒いのだ。
なのに、クレージーな若者や、ヤンキーなファラン(白人)どもが
酔っ払いながら掛けてきやがる。俺は皮下脂肪が殆ど無いから
氷入りの水を掛けられると、一気に体温が下がりぶるぶる震えてしまう。
しかも、バイクに乗っているから向かい風が堪らなく寒く感じる。

ま、今後ソンクラーン中にこの街を訪れる事は二度とないだろう。
少なくとも俺の頭の中からこの記憶がなくなるまでは。

気になるのだが、初めてチェンマイのソンクラーンを体験したG氏は
はたしてこの狂ったような祭りを心の底から弾けて楽しんでいたのだろうか。
いずれにしても、真の自由人になるための第一歩としては良い経験が出来ただろう。


asia_jiyujin at 05:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 藤岡わこう 

April 21, 2007

第590回「狂喜乱舞水掛祭り」

e242d768.JPG仏像に水を注ぎ、砂の塔に色とりどりの紙の旗を立て、
ランナーの伝統的なソンクラーン(タイ正月)を楽し・・・、

な〜んてことはお寺の境内の話であり、
チェンマイの町中はすでに狂喜乱舞の水掛状態だ。
「祭り」というよりは「一大イベント」と言った方が
的を射ている表現かもしれない。

函館のG氏が29年間勤めた職場を退官し、
真の自由人を求めてタイにやって来たのが10日の夜半。
翌日2人して大都会バンコクを脱出して北の都チェンマイに飛んだ。

チェンマイ空港に降り立ち、約束したトミーが・・・・・・迎えに来ていない。

またかよ・・・たくぅ

今までに何度となく約束を破ってきたトゥクトゥク運転手の嘘つきトミー。
今回も期待通り約束を破ってくれたぞ。しかも、彼にはソンクラーン中は
ホテルもゲストハウスも満室になるからと、某ホテルを予約してもらっていたのだ。

そのトミーが来なかったら、どうやってそのホテルに行くのだ。
しかも何処のホテルに予約したのかも分からないじゃん。

オーマイゴット!」

電話をかけてみる・・・・「マイミーサンヤーン(電波の届かない)・・・」
はぁ〜、チェンマイ初日からサバイバルツアーが始まったか・・・

どうしてタイ人は、こうも約束を簡単に裏切る事が出来るのだろう。
相手が困る事なんか考えないんだろうな。怒りより諦めが先に立つ。

さ〜て、楽しい旅になりそうだぜ・・・
苦境や逆境は旅のスパイスになる。
人生も恋愛も障害があるほど楽しくなるってモンだぜ。

取り合えずソンテウ(乗り合いトラック)に乗り込みチェンマイ市内を目指す。
水掛祭りはソンクラーン初日の13日から15日までのはずだが、
市内はすでにびしょびしょ状態で路面が濡れていた。

「ザッブーン!」
「うわっ」
「サワディーピーマイ!(新年あけましておめでとう)」

突然後部座席に座っていたG氏が水を掛けられた。
チェンマイのソンクラーンの洗礼である。


asia_jiyujin at 15:57|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう