October 2007

October 31, 2007

第730回「苦渋の選択」

577845ad.JPG来年サロマの水産加工場に研修に行くタイ人の面接に立ち会った。
来年の募集人員は女性5名に男性2名。(今年は12名)
人の合否を決めると言う作業は非常に辛いものだ。

ほぼ100%確定に近い子が2名も落選した。
紹介者の強い要望のJと、協力なコネがあったTだが、
結果的に雇用主の採用は厳しい判断になった。

雇用主も、我々のイチ押しを蹴ってまでの苦渋の選択だ。
一時の感情にほざされても、現地の工場で実際に使う責任がある。
「私も辛いよ」と顔を顰めるが、それが現実だ。

だが、そもそも面接と言うのは、言うなれば採用試験である。
それが、Tシャツにサンダル履き。しかも、面接時の対応。
制服やリクルートファッションとまで言わないが、
もっと面接官に良い印象を与える格好があるだろう。

背筋をピンと延ばして、正面を向いてハッキリ受け答えが出来なければ
印象は限りなく悪い。もっと自分をアピールしなければ全員同じに見える。
日本語が多少話せるとか特段のものがなければ、ドングリの背比べである。

問題を犯さない子。協調性のある子。体力のある子。持病のない子。
そして逃亡しそうにない子。それを基準に消去法になる。

この日、事前なって面接に現れない子がいた。
訊くと「妊娠した」である。
1ヶ月前に、ノンカイまで飛んで面接してきた子である。

それと、これもノンカイの学校の先生の紹介で来た子なのだが、
なぜか呼ばれていない旦那と一緒に面接を受けに来た。
で、結果は100%採用されるだろうと思っていた嫁が選ばれず、
ノコノコ付いて来た旦那が採用された。
まるで、タレント募集につき合わされた子が
なぜか選ばれて芸能界にデビューするようなものだ。

上記2名は、数年前にM基金から支援を受けていた奨学生だ。
合計3名候補者がいたが、結果的に一名だけは採用してくれた。

いずれにしても、この日から7人の人生が大きく変わる。
1日働いても日給150〜180バーツ(約500〜600円)の
田舎から来た子たちである。日本の時給にも満たない金額だ。
日本に行くという事は、まさしく「黄金の国ジパングなのだ。

来年年明けから2ヶ月間に続く厳しい日本語習得のための勉強がある。
朝から晩まで専属の日本語教師がついて缶詰状態で授業を受ける。
また来年4月には、この子たちをサロマで教えるのは俺なのかね。
はぁ〜、何だか気が重いなぁ」でも、またタラバで釣られるかも。

外で採用になった子たちの笑顔の記念撮影(写真)
その傍らで、恨めしそうに見つめる落選者たち。

次回がある」とタイ語で励ますが、正直辛い。
人生とは、不公平で不平等な因果に繋がっているのだ。


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October 29, 2007

第729回「次世代の挑戦者」

35be99b6.JPGひと昔前までは、バンコクに夢を描いてやって来た日本人は、
圧倒的に日本食などの食べ物関係が多かったように思う。
10年ほど前は100軒もなかった日本食店が、今では
タイ全土で600店舗を超えると言うのだから驚きである。

もっともそのうち400店舗がショッピングセンターの中だ。
それでも一時に比べたら日本人が自ら料理する店が増えている。

日本人が経営するカラオケクラブやマッサージ店も増えた。
だが、そのいずれもが確かな経験を元にタイに乗り込んできた熟練者たちだ。

ところが、近年になってその動向が変わってきている。
大学を卒業したばかりの若い世代が日本で就職せずにタイに渡ってくる。
しかも、最近では若い女性の数も増えている。
殆どが学生時代にタイに遊びに来たときの思い出が強い。

普通に現地で仕事を探して就職する輩もいるが、
中には自ら店や会社を立ち上げて起業主になる若者もいる。
業種は今までバンコクにはなかったものだ。

その一人がMくん。(写真)
スクンヴィット55トンロー15Jアベニューの向かい側にある
Penny’s Banlcony 2階にセレクトショップ【New Logic】の
ディレクターを務める彼は、元々アパレル関係の経験はゼロ。

日本人オーナーのDちゃんは、元々IT関係の社長であり、
今でも東京で仕事を続けているが、新たなる夢を求めてタイで起業した。
振興的発想でオープンさせたショップはタイではまだ数少ないお洒落で異質の店だ。

日本の原宿や代官山にありそうなお洒落な雰囲気があり、
扱っているブランドはスウェーデンと日本の製品。
サイアムスクエアーに集まる若者たちが好みそうな商品が店内に並び、
エレクトリック系の音楽が流れる斬新で不思議な空間がバンコクッ子に受けている。

人と人をアパレルと音楽で結びつける次世代の若者たちは、
安定した会社や組織という枠を超えて自分たちのスタイルで
これからも異国で挑戦し続けるだろう。


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October 28, 2007

第728回「騙された女の娘」

3a3a1f9b.JPG先日、取材でタニヤ通りを歩いているときだった。
ふと、後ろから服を引っ張るヤツがいる。「なんだよ?」
また、しつこいポン引きかと思って顔を顰めて振り返った。

「こんばんは」聞き覚えのある流暢な日本語。
げっ!なんでお前こんなとこにいるんだよ!」
なんと6年前に付き合っていたタイ人女だった。

こいつは俺のタイ恋愛歴史上、もっとも強かで小憎らしい小悪魔だ。
俺と付き合っていながらもう1人の日本人と二股掛けて結婚した性悪女なのだ。

ま、彼女の言い分は、俺が仕事で2,3ヶ月もほったらかしていたのが悪い、
とのたまうのだが。でも、ちゃんとクリスマスもバレンタインデーにお祝いしたじゃん。
でも、その2週間後に彼女からかかって来た電話は、我が耳を疑うものだった。

「ゴメンね、フジさん。わたしね結婚するの。来週トンローのスタジオで
ウエディングドレスの撮影があるから見に来てくれる」

「開いた口塞がらない」、とはこういう事を言うんだろうな。
あのな、バレンタインデーから僅か2週間で、なんで結婚が決まってるんだよ。
それにな、俺がお前のウエディングを見に行くっちゅうことは、新郎にも会うわけだ。

「マイペンライ(大丈夫)。旦那さんには友達って言うから」
なに?!んじゃあ、俺はお前の恋人じゃなかったのか

日本語を習いたいって言うから8000Bの学費を払ったのは俺じゃん。
パスポートを作るからって、チェンマイまで一緒に飛んで
2時間もバスに揺られて国境沿いのお前の実家まで付き合ったじゃん。

その後も、勉強し過ぎて頭が痛くなって入院したら2万バーツ掛かった、
と言って俺の財布から現金札持っていったじゃん。
しかも、その時はお前の親父から入院したって電話が来たんだぞ。

おめぇは、今の彼氏と結婚するために家族ぐるみで俺を騙していたんだろ!」
ま、その時は腹が立つより、底辺タイ人の強かさ、と逞しさと、ずる賢さを、
まざまざと体験させられた。しかも、その時勤めていた会社を解雇になった。
社長の不正を暴露したためだ。

あれから6年。自力でよくここまで這い上がってこれたと思う。
全てはタイで知り合った人たちのおかげだ。感謝。多謝。深謝。

小悪魔は、その後結婚して旦那の実家のある大阪に嫁いだ。
ところが、3年後に旦那がバンコクに転勤になり、母国タイに帰って来た。

その後、旦那の浮気が発覚してわずか4年で破局を迎えた。
まぁ、典型的な底辺の子たちの体験する物語である。

その小悪魔が、2歳の娘連れていた。
可愛いなぁ〜、俺の子か?」(写真)
「バカ、そんなわけないじゃないの」
そりゃあ、そうだな

今は、旦那に毎月3万バーツの養育費を貰いながら、
タニヤのオフ無しの店で働いているらしい。
おいおい、子連れでカラオケクラブはまずいだろ・・・
「マイペンライ」
タニヤに託地所なんてあったか?」

それにしても、散々俺を騙してケツの毛まで毟り取っておきながら、
何事も無かったように普通に声を掛けてくるタイ人の心境が理解出来ない。
普通なら、なるべく顔を会わさないように逃げるだろう。

ま、とにかく、タイ人は逞しいというか、ずる賢いというのか、
学業の知恵は極薄ないのに、生きる知恵だけはとうてい叶わない。
それが底辺で「生きていく」という力の源なんだろうな。

「何か通訳の仕事があったら紹介してね」というから
性懲りも無く携帯電話の番号を教えてしまった。
はぁ〜。つくづく俺は人がいいのねぇ・・・バカだ
でも、コイツには大きな借りがある。

3年ほど前に、俺がアテンドしたK義塾大学の学生たちを
彼女が住む高級コンドミニアム(当時は旦那と暮らしていた)に
5人ほど面倒見て貰った事がある。

学生たちがカンボジアを旅していたときに、セーフテーボックに入れてあった
全員の現金80万円が盗まれたのだ。タイに戻り俺に助けを求めて来たが
さすがに俺の部屋では5人も寝泊りできる余裕がない。

だから、困ったあげくに元カノに面倒見て貰ったのだ。
未だに恩義を感じている俺は、元彼に何かあったら
また人肌脱いでしまう不遇な性質なのだ。
基本的に懲りないバカなのね。

そんなことりよ、改めて底辺タイ人の底力を垣間見た瞬間だった。
頑張って生きろよ
俺に言われなくても、逞しく生きるだろうな。
頑張って生きなきゃならんのは俺の方だ。


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October 27, 2007

第727回「必然的な出逢い」

828f033d.JPG先日、東京から来ていたDちゃんとチャイナタウンの市場に行った。
今週末のハロウィンパーテーで着る奇抜な衣装を探すためだ。

その時、友達から教えられた道を間違って逆に歩いていると、
偶然にも、Dちゃんの知っている日本人とバッタリ会った。
バンコクのしかもゴミゴミした中国人街のさらに市場街は
普段でも滅多に外国人の観光客が来るところではない。

俺は初めて会う人たちだから、社交辞令的に挨拶した。
ところが、その翌日にも、これまた偶然にもトンローの
Dちゃんが経営するアパレルの店先で再会した。
これはもう偶然じゃないと瞬間的に感じた。

これぞ「一期一会」であり「袖振り合うも他生の縁」だろう。
東京から来たM氏は、大きなバックパックを担ぎながら
今晩の宿を探しているという。しかも部屋でネットが使えるのが条件。
ならば、俺の得意な分野であり昼飯前(朝飯は食わないから)のことだ。

すぐに場所と予算とグレードと訊いて、知り合いのエージェントに連絡する。
対応は早い。僅か5分で予約完了。エージェントに支払う料金も
通常はホテルチェックイン前が原則だが、特別の計らいで翌日にしてくれた。

夜から、タニヤ取材が入っていたのだが、タイではありがちなドタキャン
時間が空いていた俺は、そのままM氏に同行してホテルにチェックインした。
部屋に入りインターネットの接続状況を調べる。(写真)
その後は、究極のマッサージ店に御案内し、夜はDちゃんらも行っている
シーロムのクラブへ行った。久しぶりにエレクトリックなディスコ音楽に酔いしれる。

さらに翌日である昨夜も、俺が取材していたタニヤ通りに来てくれた。
2日間、タニヤの同じ店で同じメニューのチーズカレーを食い、流れるようにそのまま
まだ掲載していない新規店の営業開拓にも付き合ってくれた。

ニューヨークに年住んでいたという彼は
実家の家業を継いでアパレル関係の仕事に従事し、今回が2度目の訪タイだという。
僅か数日でタイを気に入った彼は、なんとか今後も仕事でタイを絡めたいらしい。

俺とは、まったくジャンルの違う業種だが、
きっとこの先も、彼のもつ世界と何らかの形で絡むような気がした。
ま、あまり仕事で絡みたくない(これ以上は仕事を増やしたくないから)が、
この出逢いは、きっと将来的に人生を楽しくさせる必然的な暗示を感じた。

じゃあ、また
来月、帰国した時に東京で会う約束をして別れた。


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October 26, 2007

第726回「愛しき娘たちよ」

31c377ac.JPGT子が沖縄に帰った。僅かな時間しか会えなかったが、
4年ぶりに元気そうな顔を見る事が出来て安心した。元々T子は
小柄で童顔だっただけに、少しだけ成長した大人に見えた。

越後姫は4年前の現役学生時代から、卒業後もタイで会っている。
しょっちゅう顔を見ていると成長度や変化に気付かないものだ。
ただ、確実に横に広がってきている。だからダイエットを促す。

本人はフィットネスに通っていると言うが、見たところさして成果は感じない。
「ひどいうら若き嫁入り前の娘になんっていうこと言うのよ」
と、言うかもしれないが、辛いタイ料理を食って太れるのが理解出来ない。

ま、自分で言うのもなんだが、俺も胃を切る前までは何をやっても痩せなかった。
だから、あまり人に「ダイエット」や「痩せろ」なんてことは言えない立場でだ。

ただ、結果的に手術前の体重に比べたら18圓痩せたわけだから、
こんな究極なダイエットはない。おかげで膝や足が楽になった。
でも、持病の腰痛だけは益々悪化している。このまま行けば60歳前には
腰の歪んだ爺様になるのは確実だ。今のうちに筋肉を鍛えねば。

ところで、4年前に越後姫やT子が通っていた千葉J際大学の学生らの
アテンドしたときに、Jの親父の年齢を聞いて愕然とした。

かつて35歳からタイに渡りNGO活動をして来た。
大勢の大学生たちを現地でアテンドしてきたが、
その学生たちの親父の年齢は、俺よりずっと年上だった。

ところが、Jの親父の年齢が俺と同じ歳だと聞いてショックを受けた。
とうとう、この時がやってきたか」と観念した心境になった。
いつかは、この日が来るだろうと思っていたが、
それ以来、Jは俺の事をパパと呼ぶようになった。

それよりさらに6.年ほど前に、自分が所属するNGO活動で
ノンカイのスタディツアーに同行していたときの事だ。その時、
参加していた中学生や高校生の女子たちが、こともあろうに
俺の事を「パパ」と呼んでやがった。たぶん、そのときも
彼女たちの中に俺と同じ歳の親父がいたんだろう。

たまに日本に帰国して何度か彼女たちに会う事があったが、
札幌の町中で「パパ」と呼ばれるとかなり抵抗があった。
頼む、人前でパパと呼ぶな
どう見ても、傍からは援助交際のカップルしか見えないからだ。

いずれにして、すでに今の俺は彼等や彼女等の親父の年齢と、
そう変わらない世代に達している事は確かなようだ。
だから、みんな俺の息子であり、娘のような錯覚になる。

愛しき娘たちよ、早く一人前になって人様の役に立つ人間になっておくれ。
将来的には、腰の歪んだ俺を介護してくれよ。

asia_jiyujin at 10:10|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

October 25, 2007

第725回「沖縄から来たT娘」

4974bde7.JPG今から4年前、千葉のJ際大学の学生ら8人がタイにやって来た。
HY教授から頼まれて彼女たちを現地でアテンドすることになった。
研修の主体は。病院や施設の視察と実際の体験ボランティアだ。

バンコクのパヤタイ乳児院。に乗ってロッブリィのナンプ寺の
エイズホスピス。そしてチェンマイに飛んでビエンピンホームと
バーンサバイ。孤児の世話やエイズ患者たちの介護だ。

俺は、締切り間近の原稿があるにも係わらず2週間も一緒にいた。
しかも、俺にとっては初めての雑誌の漫画の原作だった。
何処から手を付けてどうやって書いていいのか分からなかったが、
結局、彼女たちを施設に送り届けてからホテルに缶詰状態で仕上げた。

翌年、そのうちの数人が再びタイに来た。さらに翌年も・・・。
かくして彼女たちとは今でもクサれ縁で・・・、もとい。固い絆で繋がっている。

先日、その中の1人の小柄なT子がタイに遊びにやって来た。
T子は卒業後、故郷の沖縄に帰り障害者施設で働いている。

当時、タイに来た8人のうち、卒業後に福祉系の仕事に就いたのは、
K子とSとT子だけだった。Jくんは成田で消防署勤務。
越後姫は地元に帰らず、日本を脱出して極貧農村地帯のタイ東北部の中学校で
日本語教師に就いた。人生の選択枝としては、かなりぶっ飛んだ道を選んだもんだ。
その後は、父親の身体を心配して一度は帰国して故郷に戻るが、
再び、脱出してきて今度はバンコクで働いている。

恩師のHY教授は「親不幸娘だ」と心配するが、
一度しかない人生である。きっと越後姫は納得するまでいるだろうな。
で、もう1人のもっとぶっ飛んだKは・・・、今は何処行ったんだ?
風の噂では、東京でタイ語の教師をやっているのか。
アイツが先生・・・、生徒が可愛そうだ

昨夜、そのT子と越後姫と、IT社長の大ちゃんとタイ人弁護士で
究極の小龍包や餃子が旨い中華料理を堪能しに行った。
な〜にもしてあげられないから、せめてものT子への歓迎だ。

で、食後大ちゃん等と別れ、T子を天空の城ラピュタに案内した。
そう、初めて行くと誰もが超感動して思わず漏らしてしまう至高のスカイバーである。

「わぁー、綺麗・・・」
案の定、T子は感動した。
どうよ。えぇじゃろ。こんなん沖縄にはなかろ
俺の記憶では、那覇市内にこれだけの夜景を見られるところはないはずだ。

バンコクの夜景を一望出来る65階建てのステートタワービルの屋上。
しばし、3人でバンコクの摩天楼を眺める。まるで街がジオラマ模型に見えた。
T子、仕事や人生に疲れたらいつでもタイに来いよ



asia_jiyujin at 06:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな呑んだくれ日記 | 藤岡わこう

October 24, 2007

第724回「タイ秘伝の便秘薬」

cf3fd335.JPG日本の女性のほぼ半数以上の人は便秘に悩んでいるらしい。
何故、男性より女性の方が多いんだろう。我慢はよくない。
胃を切除しても、毎日プリプリ快便している俺にとっては
無縁の悩みである。時には途中で切れることなく40cmくらいの
超長い雲古を排出したことがあるが、さすがに感動を覚えた。
食事中の人はゴメン。今日カレー食った人もゴメン

でもね、俺にとっては(たぶん一般人も)毎日の雲古は
健康のバロメーターなのだ。大きさ、形、粘度、色、艶、輝き、
そして長さ。胃を切る前とは明らかに変わった。今は本当に絵に
書いたような雲古色(本当の色は定かじゃないけど)である。
太さも、手術後に比べて元に戻ってきた。

そして、毎回驚くのがその異常とも思える長さだ。正直、常人じゃない。
だって、まるで蛇がトグロを巻いてんじゃないかと錯覚するほどなのだ。
これだけの量だと、前の日食べたものが、すべて排出されているとしか思えない。
だから、どんなに食べてもまったく太らない。(といっても食べる量は以前の半分)
まるで栄養分まで、ぜ〜んぶ出ちゃっているんじゃないだろうか。

さて、俺の雲古の話はどうでもいい。
U市のKちゃんから、エバンゲリオンに続いて依頼が来た。
今年社員旅行で来たパー子がタイで便秘の薬を買ってきて欲しい、
とリクエストしているらしい。

実はこのパー子。もう一人の先輩Y女史と共にタイに来た時に、
普段から極度の便秘に悩んでいる、と、相談を持ちかけられた。
特にパー子に関しては、もうかれこれ1週間もお通じがないと嘆く。

じゃあ、おめぇの食った物は何処に滞在してんだよ?」
「腸のどっかにいるのね。食事の度に苦しくなるの。助けて」と懇願される。

んじゃあ、究極のデトックスを体験してみっか」と
現在、巷では密かに噂になっている腸内洗浄を主体にしているエステに案内した。
肛門から洗浄水を強制的に腸に流し込み、溜まっている汚物をすべて排出する。
非常に衛生的な施設で2人の慢性便秘女が初めて腸内洗浄を体験。

1時間後、一回り痩せたようにスッキリした顔で出てきた。
「っていうかさぁ。超気持ちいんだけどぉ〜」
悩みが一気に解消。その時のP子が再びSOSを発信して来た。

ま、普段から繊維ものを食べていれば便秘は解消できるのにね。
それにしても、うら若き女性2人が、平然とした顔で「雲古」の話をするなよ。
俺も一応男である。てめぇら恥ずかしくないのか。

待ってろよぉ〜、まもなくタイの秘薬を買って行くからなぁ


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October 23, 2007

第723回「エバンゲリオン」

bef42c09.JPGなんでオイラがこんな鉄クズを買わにゃならんのだ。
しかも、12.000バーツもする。暴利としか思えん。
(写真は、綾波レイが操縦する零号機)
関東圏に住む友人たちに、来月帰国するとメールを出したら、
U市に住むKちゃんからメールが来た。

「今年タイに行った時に買った例の店で、綾波レイが乗る
零号機を買ってきてください」
零号機・・・・
初期の起動戦士ガンダム世代のオイラにとって、エバンゲリオンは
知っていても、綾波レイが乗るモビルスーツ(っていうのか)
はあまり詳しくない。

でも、Kちゃんのリクエストに応えるべく、ネジや鉄を溶接して
いろんなキャラクターを製作しているパッポンのショップに行った。
ガンダムはもちろん、仮面ライダーやエイリアン、ターミネーター、
ハウルの動く城など、大小合わせて100体以上の鉄のオブジェが売られている。

いったい、こんなけったいなモン誰が買って行くのや?」
と店長に訊ねたら、結構オタクっぽい日本人マニアが買って行くらしい。

事実、Kちゃんが今年の2月に社員旅行でタイに来たときも、
3,4体ほど買って行った。
いわゆる【大人買い】だ。
(Kちゃんは、子供っぽいけど)

この鉄のオブジェを最初に製作したのは中国系タイ人のコーさん。
元々、貧乏で自分の子供にまともなおもちゃが買えずに、
仕方なく、寄せ集めてきた鉄クズのガラクタをうまく溶接して
バイクやトゥクトゥクのおもちゃを製作したのが切欠である。

貧困は、時にはとてつもない創作意欲を駆り立たせるエネルギーになる。
以来、コーさんは見よう見真似で、数々の作品を作り上げていく。
そして今ではバンコクで有数の鉄のアーチストにまで上り詰めた。
つまり、趣味が高じて究極のクリエーターになったのだ。

それにしてもKちゃん、ほんまにこんなの買って行っていいのか?
と、このブログを書いてアップする寸前に、Kちゃんからメールが来た。

「レイちゃんの件ですが、申し訳ございませんがやめておきます。
(大き過ぎます・・・:)
フィギアは、現在、そのオタク領域と趣味の境目にいるのですが、
まだ、4次元の世界で頑張りたいので、大丈夫です。
色々、お手数お掛けしました。
このお礼は、宇都宮に来て頂いたときたっぷりと♪」

ま、賢明な判断だろう。
では、たっぷりと・・・何を?


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October 22, 2007

第722回「待望の赤ちゃん」

595a3ee7.JPG先日、Sに会った。赤ちゃんが生まれて田舎のノンカイの実家に
帰っていたらしい。中学3年で学校を卒業して、その後バンコクに
出て来てから俺が馴染みにしている居酒屋「寅次郎」で働いていた。

その1年後、Sは同じ職場で働くタイ調理人と17歳で結婚した。
以来、酒もタバコもやらない真面目な亭主と別れる事もなく、
先日、26歳でようやく待望の一児を出産した。

よっぽど嬉しかったのだろう。これ見よがしに携帯電話で撮った写真を
日本にいるK織にインターネットで送ってくれ、と頼まれた。

Sは結婚後、パン屋で働いていた。そこに、数年前にタイにボランティア留学に来た
K織を紹介して、そのまま1年ほど居候していた。だから2人は姉妹のように仲が良い。

3年ほど前に、K織が日本に帰国してしまってからも、未だに連絡しあっている。
国境を超えた深い絆で繋がっているのだ。そのK織に数枚の写真を送った。
未だに返事がなということは、未だにを確認してないんだろう。

さて、Sは中学1〜3年までM基金が奨学金を提供していた学生である。
スタディツアーの時には、彼女の家にホームスティさせてもらった事もある。
だから、一際覚えている子なのだ。それが17歳で結婚した時もビックリさせられたが、
今度は待望の赤ちゃん誕生なのだから、めでたい。ようやく母親になった。

「フジさん、赤ちゃん見に来る。触ってみる。子守させてあげるよ」
あのな、俺はお前の父親じゃねぇんだ
まるで、娘だな。


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October 21, 2007

第721回「縁と繋がりと縁」

b69ddb1c.jpg人間、この世に生かされている限りはいろんな人と関わっていく。
ひょんな「縁」から「人の繋がり」が出来てやがて「絆」になる。
「絆」は時には大きな「力」に発展していく可能性がある。

幸か不幸か、俺には多種多彩の人たちとの繋がりがある。
中には切っても切れないクサれ「縁」もあれば、強い「絆」で
繋がっている人たちもいる。

お互いが知らなくても、誰かの紹介だったり、たまたま座った電車の席が隣同士だったり、
何かの集まりやサークルに行ったら偶然郷里が一緒だったり、とにかく人間はそんな
偶然的に見える必然で「縁」が生まれる。

自分が今まで生きてきた経由を振り返れば、すべて誰かとの出逢いで大きく変わっっていった。
まさしく「袖振り合うも他生の縁」。でも、縁を活かせなければ何も変わらなかっただろう。

俺が今いるタイ。なんで極寒の北海道の片田舎から南国のタイにいるのか、
振り返ってみると、すべては人との出逢いと「縁」だったように思う。
だから、これからも「縁」は大事にしたい。

そんな「縁」で「繋がっている」T正大のHY教授から、
今年の8月に行ったチェンマイの障害者が製作する車椅子施設の支援を頼まれていた。
毎年お手伝いしている札幌のロータリークラブのD女史にこの施設の支援をお願いした。

数日後、快く承諾してくれた。つくづく人の「縁」に感謝した。
D女史を紹介してくれたのは、同じ札幌に住むロータリアンのW氏。
W氏と初めてで出逢ったのは、タイ東北部ノンカイの某ホテルの屋上。

そのW氏との出逢いは、ノンカイのロータリークラブがM基金の関係する
某中学校のR女教諭を介して通訳を頼まれたからである。
そのM基金を手伝うようになったのは、1994年に参加した
M基金のスタディーツアーが切欠である。

参加した切欠は、離婚して1人だったからである。
と言うことは離婚してなければ、M基金も、R女教諭も、ノンカイのロータリークラブも
W氏とも、D女史とも、チェンマイロータリークラブとも、
強いてはHY教授とも出逢ってなかったわけである。

人の「縁」は面白い。だから人にも「縁」を活かせるように助言する。
俺が中に入りコネクターになれば、1つの「縁」が生まれ、1つの「絆」が出来る。
アインシュタインの「地球回帰説」や「相対性理論」または「エントロピーの法則」と
まではいかないが、俺はこれを「縁と絆の相対性法則」だと考える。
論文でも書いて学会で発表しようかしら。

なにはともあれ、チェンマイの車椅子施設の支援が決まってよかった。
今度は、来年1月にアジア男塾で行くチェンライの山岳地帯にあるアカ族の小学校支援だ。

チェンライ市内から100キロ。そこからさらに険しい山を登るらしい。
どうします、Y団長


asia_jiyujin at 05:03|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 気ままなアテンド日記 | 藤岡わこう