November 2008

November 30, 2008

第1285回「携帯電話紛失の意味」

eeefa996.JPG不測の事態を想定してもう一機持っていた携帯で無くした番号に連絡したが繋がらず。すでにSIMカードは捨てられて使用と推測。AISに連絡して電話番号のロックを依頼。

だが、K御大のノンカイとラオスの個人開発援助活動を、毎月連載している小冊子のコラムのネタにする予定だったのだが、写真が1枚もないことに気付く。「困った。さぁどうする

悩んだ挙げ句に考えたのは、御大が撮った写真をプリントアウトしてそれをデジカメでマクロ撮影する。それしか方法がない。以前、某雑誌でもやったことがあるがかなり粒子は粗くなるだが、小さいスペースであれば何とか画質は耐えられるだろう。

と言うことでこの数日間ブログにアップしている写真は
全てK御大のカメラで撮った写真をマクロ撮影したものです。
ね、そんなに違和感ないでしょ。

新しいSIMカードだが、再発行できるのは知っていた。
だが、ふと「なぜこの時期に無くしたのだろうと」と自問自答してみた。
考えた末に出た答え。きっと神様が「お前のしがらみをもう少し減らしんしゃい」
と諭してくれているように思えたので、結局そのまま解約することにした。

と言うことで以前までのオイラの携帯電話の番号は使用停止。
年内「完全休業宣言」しているオレとしては返っていいのかもしれない。
来年のことを考えると鬼が笑うので年が明けてから考えるとするべか。

19日の朝、バンコク行きに乗ったバスは215バーツのエアコン4席タイプ。
3時間半でバンコクのモチットバスターミナルに到着。
御大様方、一週間の旅お疲れ様でした

飛行機を使えば僅か1時間だが、今回はタイ最東北部ノンカイからローカルバスを乗り継いで
コンケーン→コラート(ピマイ)を一泊ずつしながらバンコクに戻って参りました。
久しぶりに素顔のタイ人たちと触れ合えてゆったりとしたゆる〜い旅が堪能できた。
病気も怪我もなく、犯罪にも巻も込まれることなく本当に良かったと安堵する。
御大たちもえらくご満悦。その日の夜は日本料理店で北海道産タラバ鍋を堪能。
それにしても元気な2人だ。

こうして「現代版・深夜特急」ならぬ「弥次喜多珍道中の旅」の幕は無事終焉した。
「藤岡さん、来年は南に行ってみるかいのぉ」
ら、来年っすかはい、まるっとお任せ下さいませ
NO」と言えないオイラは、次回は未だテロが多発する危険な南部へ突入することになった。


asia_jiyujin at 01:59|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

November 29, 2008

第1284回「オーマイゴット!!」

22dda215.JPG18日朝。バスターミナルまでテンちゃんに送ってもらい短い滞在だったコンケーンの町を出発。この日はVIPバス。昨日は4席のバスだったが、今日はゆったり出来る3席。

「いや〜、こりゃ座席が広くてゆったり出来るばい」御大超ご満悦。確かにファースト並みの広さだが、この快適空間が後になって飛んでもない失態に繋がることをこの時は想像だにしなかった。

「快適じゃのう」リクライニングもバッチリ。マイクロミニをはいたバスガイドがコーラ、昼食、くだもの、水ボトルと次から次にサービス。昨日のバスは115バーツで何も無し。今日は快適空間にいろんなサービスが付いて240バーツは頗る満足だ。

さて、今日は3時間ほど南下したところにあるナコーンラーチャシマ県。
一般的にはコラートと呼ばれる東北の玄関口である。この県には
1千年前に築造されたクメール文化のピマイ遺跡がある。

オレがこの遺跡を始めて見たのは13年前の事だ。当時、勤めていた会社の
上司と同僚のAちゃんの3人でノンカイにNGO活動に行ったついでに
「バンコクまで東北を回って帰ろうか」となり、3人で運転を交代しながら、
ノンカイ→サコンナコン→ムクダハン→ナコンパトム→マサハラカム→カラシン→
ロイエット→コラート→バンコクまで帰った。

実にタイ東北部の半分は回ったことになる。その時コラートに1泊したときに
市内から60卆茲砲△襯メール文化のピマイ遺跡を観たのである。
初めて訪れたときは、規模こそ違えまさしくその風体はあのカンボジアの
世界遺産にも認定されている「アンコールワット」そのものだった。

その時の感動を御大たちにも感じて欲しくてコラートへ向かった。
例によって快適なバスの空間で本や新聞を読み、飯を食いながら窓の外の田園風景を愛でる。
オレは更なるコラート情報を得るために友人のタイ人たち数名に電話をかける。

Iちゃ〜ん、オレオレ。今コラートに向かってんだけど名所とか知ってる?」
「知らな〜い」
あ、そ
気分を変えて違う子に連らくする。
Nちゃ〜ん、コラートの・・・・
「え、知らな〜い」

コラート出身の子でも意外と街中の情報は知らない。しかも、ピマイ遺跡すら
行ったこともないのが大半だ。考えてみれば彼女たちが生まれ育った場所は
市内から1時間以上も走った極貧農村地帯の集落だもんな。

ま、今回も何とかなるだろうとバスターミナルで降りて御大たちをベンチで休ませ、
その間オレは近くに止まっていたタクシーの運ちゃんと交渉。なんと驚いた事に
コラートにはバンコクと同じメータータクシーが存在した。

市内でホテルを探してそれからピマイ遺跡まで行ってさらにホテルまで
送ってもらう約6時間コースを1200バーツで話を纏める。早速、
御大たちを車に乗せ市内を観ながら数カ所のホテルをチェック。

3カ所目で適当なホテルを見つけ部屋にチャックイン。
では、いざピマイ遺跡へ」と思った瞬間だ。
あれ?携帯電話がない。んなバカな・・・
一瞬頭が真っ白になった。

常に気をつけているオレがまさか物を忘れたり置き引きやスリに遭うはずがない。
慌てて部屋に戻り荷物をチェックするも無い。「まさか!バスの中か・・・
フロントへ降りてレセプションの女性に今乗って来たバス会社に連絡して貰う。

さっきまで乗っていたバス運ちゃんと連絡が取れたのは、それから20分後。
だが、オレの携帯電話は無いとほざく。忘れ物を誰かがくすねたことは明白だが、
そう簡単に出てくるはずはないと思ったオレは見つけてくれたら謝礼金を払う約束をする。

後で出てきたら連絡すると言って電話を切る。出てくる確率は50%50%。
オーマイゴット!なんちゅうことだ
携帯電話は新しいのを買えば済む。だが、携帯のカメラで撮った写真は金で買えない。
あのラオの純朴な子供たちの写真が・・・
悔やんでも悔やみきれない。
あーーーーー!、なんちゅう失態をやらかしてしまったのだオレは
だが、オレが凹んでいても事態は改善されない。

取りあえず30分以上も待たせていた御大たちをタクシーに乗せて
ピマイ遺跡に向かう。だが、心中は穏やかではない。
まぁ、やっちまったことをいくら後悔しても始まらない。

約1時間後、13年ぶりにピマイ遺跡公園に到着。
当時と比べて、すっかり綺麗な公園になっていた。

園内に入り当時の記憶を辿って神殿に足を踏み入れる。入口に狛犬が。
おーーーーーっ」なんと神々しい仏々の姿。しばし言葉を失う。
この感動は到底言葉では言い表せない。

この旅の最初に、御大たちからカンボジアのアンコールワットの引率を頼まれたが、
バンコクから飛行機で行くには日本に行けるほどのかなり高額のツアーしかなかった。
陸路で行けば半額程度だがそれだとカンボジアのボーダーを通って片道8時間以上はかかる。

相談した結果、日本からのツアーで行った方が安いと言うことで今回は断念。
だが、アンコールワットとほぼ同じ年代に築造された同じクメール遺跡が
今忽然と目の前にある。東西南北どの方向からも神殿を観られる構造は
まさに当時のクメール文化の建築学や数学的検知が高かったことを物語る。

ポルポトがこういった学者や知識人を恐れて大量虐殺した意図が
少しだけ理解出来る。御大たちの反応は・・・。
あれいないじゃん。どこ行ったの?」

御大たちはサクサクっと観てから外の売店で土産を買っていた。
お〜い、折角来たのに・・・


asia_jiyujin at 05:55|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

November 28, 2008

第1283回「みちのく三人旅」

7eb9ae24.JPG翌朝6時。オレは一睡もしないでK御大と一緒に長距離バスターミナルにチケットを買いに行った。ガラヤニ王女の国葬で連休中に帰郷した出稼者で満席になると見込んでいたオレは朝一番でバスチケットを買っておいた方が無難だろうと考えた。

ところがまたしても取り越し苦労。チケットはいとも簡単に買えた。行先はバスで3時間のコンケーンという大学がある中都市。

さぁ、バンコクまで「イサーン(東北部)みちのく三人旅」の幕が落とされた。
腰痛持ちのオレでさえ身動きのとれない長距離のバスはかなりキツいのに。
まるで遠足のように楽しそうにエアコンバスに乗り込む御大二人。

「おっ〜、水牛が沼地で涼をとってるぞ」
「稲の収穫をやっているなぁ〜」
「あ、あれ見て、何だろう」
「ね、藤岡さん。あれは道端で何を売ってるんですか?」

一睡もしていないオレは、無性に眠たかった。
すでに脳の思考回路は停止している。
あぁ、お願い。寝かせて・・・・

寝たのか寝なかったのか、気が付けばバスはコンケーンに到着した。
バスを降りると無数のトゥクトゥクの運転手が周りを取り囲んできた。
中には勝手にカバンを持つヤツもいるが、タイを旅すればこれが一般的。

戸惑う御大を尻目に、オレはゆっくりとタバコに火をつけながら、
一人一人運ちゃんを吟味する。4,5人の中から
30歳代の若い運転手に目をつける。

交渉を始めると、それまでしつこかった運転手が潮が引くように去っていった。
ブンケンナコーンって知ってる?」
「ル−、パイダーイ(知ってるよ。任しておけ)」

「コンケーンに行ったら、ブンケンナコーンよ」と得意そうにのたまっていた女子従業員。
実は前日にコンケーンの情報をノンカイのホテルの従業員たちから訊いていたオレ。
だが、「ブンケンナコーン」が、なんのことなのかまったく想像も出来なかった。

ま、自然に関する何かだろう」と想像していたオレだが、
街中をトゥクトゥクで駆け巡りながら見た「ブンケンナコーン」に感激。
なんと周囲3,4劼呂△蹐自然豊かな大きな池。(写真)
地図を見ると町の五分の一を占めているほどデカイ。

さらに驚いた事がある。
なんと運転手が流暢な日本語で話しかけてきたのだ。
訊くと、横浜周辺で8年間不法就労していたそうだ。

6年前に入管の強制捜査であえなく御用となり、
強制送還で帰国してから今はしがないトゥクトゥクの運転手業。
「どうしてさっき日本語で話しかけなかったの」と訊いたら、テンと名乗るその運転手は、
周りのタイ人には日本で不法就労していたことは知られたくないと言う。
いかにもプライドを重んじるタイ人らしい発想だ。

すっかり御大たちとも気が合い、コンケーン市内をくまなく観光させてもらった。
その日の夜は久しぶりに日本食が食べたいだろうと思い(本当はオレがだけどね)
テンちゃんを伴って、唯一コンケーンに一軒だけある日本料理店の「日本丸」に行った。

御大たちは例によってシンハービール。オレは焼酎をロックで乾杯。
刺身や天麩羅、あさりの酒蒸しにエノキバターに餃子がテーブルの上に並ぶ。
「美味いね。久しぶりだよ。嫁や子供にも食べさせたい」
たまには家族で食べに来ないの?」
「こんな高い料理食べられるはずないよ」
おぉ、そうか
「なら遠慮するこたぁない。寿司でも何でも持ち帰りゃあえぇから」
「えっ、本当いいの

酒に酔って少々ご機嫌の御大たちは、大判振る舞い。
ほろ酔い気分の食後は、御大たちが好きな現地のナイトバザールに行く。
その間にテンちゃんは嫁や子供に巻寿司を持って行った。

御大たち2人は、夜はもっぱらマッサージか夜の市場で買い物三昧だ。
「これは絵本をくれた友人に。これはイギリスに住む甥っ子に。これは・・・」
ラオで殆どのお土産を渡したために、カバンの中にはかなりスペースが空いていた。

最初のうちはタイ語で通訳しながら値段を交渉していたが、
やがて御大たちが日本語で値切り始めるようになった。
さすがは昭和一桁生まれですわ。


asia_jiyujin at 03:37|PermalinkComments(2) 藤岡わこう 

November 27, 2008

第1282回「弥次喜多珍道中の旅」

7dc9b1ba.JPG「最近の動向をブログで拝見する限り、現代版の「深夜特急」みたいな作品を書き下ろせるのではないか?っていう感じの生活ですね。僕もその昔、沢木耕太郎に憧れ、一瞬でも目指した人間として、藤岡さんに現代版の、さらに藤岡和幸版の「深夜特急」を書いて頂きたいです。

沢木耕太郎に熱狂した若者たちは今、もうすでに中年になり願望と現実の狭間を、下を向いて生きているのではないでしょうか?この人たちに同年代、むしろ先輩年代の藤岡さんが書き語るアドベンチャー紀行文を僕は是非とも読んでみたいですね。これからも藤岡さんの作品、ブログを楽しみにしています。お身体には十分に気をつけて、また近いうちに会いましょう」

今年の帰国の時に10年ぶりに再会した大阪でめっちゃお世話になったA氏から
こんなメールが届いた。A氏には、すでに今回の黄門様お二人を
伴ったイサーン(東北)の旅の全貌をメールしてあった。

「深夜特急」とはかなりスケールこそ違え、確かにパックツアーではない
気分次第の成り行き任せ旅だが、ある意味こりゃあ介護付冒険スペクタルだな。

日本で言えば、東京からローカル電車に乗って青森まで行って、そこから北海道入りして
車で2時間半走ったのだから長万部辺りまで行ったのかな。そこで1泊してから翌日に
函館に戻り1泊して新鮮な磁場のイカを食う。さらに翌日は青森1泊して大間のマグロを堪能。

次の日はローカルバスで杜の都仙台まで行って牛タン食って1泊。
翌日はVIPバスに乗って宇都宮まで南下してたらふく餃子を食らう、
ついでに日光東照宮を観光して東京に戻ってきたような「道産子・みちのく旅」である。

これが果たして「現代版・深夜特急」と言えるのか。
オレとしては「弥次喜多珍道中の旅」の方がしっくりくるのだが。

何はともあれ、ビエンチャンからタイに入国してノンカイのホテルにチャックインした時のことだ。
例によって16日はガラヤニ王女の国葬の最終日。この日は午前中から妙に気温が高かった。

「暑いねぇ〜冷えたシンハービアが飲みたいのう」
例によって御大のお二人は、揃って難儀なリクエストを出してくる。
ホテルのボーイに言うと「ダメです」と一言。

やっぱりね」と思ったら、
御大二人は部屋の冷蔵庫を空けて、勝手に冷えたハイネケンを空けていた。
彼らには「喪に服す」義理はないかもしれないが、ここは人様の国だ。
外国人がその国の文化や風習を蔑ろにしてはいけないじゃんよ。

仕方なくオイラは、メコン川沿いにあるレストランに2人をご案内。
オレがコーラの容器にウイスキーを入れて隠れて飲ましてあげようと思ったら、
レストランではファラン(白人)の観光客が、シンハービアもリオも
チャーンビアもハイネケンも好き勝手に飲んでるではないか。

飲んでいいのか?」
店の従業員に訊くと、
「ボッペンニャンロ−(気にしないさ)
と一言。
あぁ、やっぱりタイだ

早速御大2人は、冷えたシンハービアを実に美味そうに喉に流し込んでいた。
どうも今回の旅は、電車のチケットと言い取り越し苦労が多い。
1人旅であれば自分のことだけ考えればいいが、複数になれば
どうしても相手の意向も汲まなければならない。しかも爺様2人の。

で、K御大曰く
「バンコクまで藤岡さんに全て任すから、楽しい旅行を考えてくれんかの」
楽しい・・・爺様二人を満悦させる旅ってどんなんや

かつて8年ほど前に、51歳で会社を辞めてタイに遊びに来た友人が、
今回の爺様とまったく同じ事をのたまったことがある。その時オレは
悩んだ挙げ句に2冊目に執筆した「アジア・アンダーストリート」の
タイ南部編とまったく同じルートを1週間掛けて旅をしたことがある。

今回はタイ東北編だが、東北は殆どの県を旅したことがあるが、
爺様2人が「楽しい」と思える処は限りなく少ない。
そもそも、何を持って「楽しい」のか判らない。

それでも、引き受けちゃうのがオレの悪い癖。
いいっすよ。まるっとお任せあれ
取りあえず、タイの最東北端部のメコン川沿いにあるターサデット(市場)の
バンファイパヤナーク像の前で記念撮影しておく。

asia_jiyujin at 07:26|PermalinkComments(2) 藤岡わこう 

November 26, 2008

第1281回「のどかな田舎風景」

0769438b.JPG2つの学校に絵本を寄贈した後に途中で昼食を取りに川辺のレストランに来た。ラオでは珍しく水が澄んでいる川に驚く。自然豊かな場所。川では周りを気にすることなく素っ裸の少女たちが「キャッキャ」言いながらボート遊びに夢中になっていた。

実にのどかな光景。喉を潤すビールが旨いと御大2人がご満悦。相変わらずビールが飲めないオレは持参のウイスキーをロック。

それにしても御大たちといると毎食ごとにアルコールが必要になる。それはそれで結構幸せなひと時なのだが、ここには肝心の酒の肴がない。日本から持参してくれた乾物を片手に川で無邪気に遊ぶ子供たちを見る。

のどかだ。時が止まっているようだね

この日の夜は首都ビエンチャンに宿泊し、市内の日本食レストランに行った。
嬉しいねぇ」焼酎も日本酒もあったが、産地国はヴェトナム。
でも、味はまずまずである。酒は百薬の長ともいうが、
今やオレにはこの雰囲気そのものが最高の百薬の長である。
はい、おつかれさ〜ん。かんぱ〜い

そう言えば、定年退職された新潟の中学教諭だったK氏が
3日ほど前からヴェトナムのハノイにロングスティされている。
昨年はニュージーランド、その前の年がタイのノンカイ県の中学校で
日本語教師のボランティアをされていた。実に精力的で魅力的な生き方をしている。

今年の帰国の時は、新潟の自宅で「越乃寒梅」を、翌日はご夫婦と
友人のE女史と晩餐の旨い温泉宿に一泊させて頂いて「久保田の万寿」を飲み明かした。
今思えば、実に爽快な気分で幸せなひとときを過ごさせて頂いたんだなぁ。
言葉では言い表せないほど感謝している縁あるご夫婦だ。

K氏のブログを読む限りでは、ヴェトナム産のワインが結構イケるとか。
初めての町で、食べられるものや美味しい酒に出逢えると妙に幸せな気持ちになれる。
「ハノイに来たら歓迎しますよ」とメールが来ていたが、
果たして来年はワインで再び朝まで飲み明かせるのかな。

さて、今宵ビエンチャンの町で出逢った酒はまさしく至福の時を過ごすには
最高のアイテムとなり申した。だって、3日間も日本食を食べてなかったしね。
ヴェトナム産焼酎に湯豆腐、冷や奴、あさりの酒蒸し・・・
うぅ、幸せですぅ〜


asia_jiyujin at 02:35|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

November 25, 2008

第1280回「素朴な山の子供たち」

3d5dca5d.JPG純朴」っていうのはこういう環境の子供たちを言うんだろうな。
牧歌的」という表現はまさしくこういう光景を指すんだろうな。
いやはや、汚れきった心が洗われるような空間である。ここは何度訪れても時間の流れが止まっているような場所だ。

2年前にK御大が支援したお金で保育所にはブランコやシーソー、
滑り台などの遊技が設置されていた。他にもコンクリートの土間。

小学校と併設している保育所には現地の郡長や村長を始め、多くの関係者が集まっていた。
バーシースクワンというラオ独特の白い糸を手首に巻く儀式が執り行われ、
その後はテキーラ並にめっちゃきついラオラオ(ラオの地酒)が振る舞われた。

日本から持ってきた大量の絵本を保育所の子供たちに寄贈する。
早速子供たちは目をキラキラ輝かせながら絵本に見入っている。
ラオ語に翻訳はしていないが、絵だけでも十分理解出来るらしい。

因みに一般的に日本で表記されるLAOSだが、現地やタイではLAOと呼ぶ。
以前、何かの古い文献を紐解いたときに3つの国が統治されて複数形となり
Sが付いたと書いてあったと記憶するのだが・・・・。(違うか?)

そう言えば、もう10年以上も前の事だが、
ラオスにボランティア活動していることを聞いた北海道の友人が、
「野生の熊やアザラシは出ないのか?」と訊いてきた。

ラオに熊はいないし、海がない国でアザラシ?
ピーン!と来た。
お前が言っているのは知床のラウスやろ

95年に世界自然遺産に認定された北海道道東の知床半島。
突然雑学クイズです。日本には世界自然遺産があと2つあります。
鹿児島の屋久島と、あと1つはどこでしょう?


asia_jiyujin at 04:35|PermalinkComments(2) 気ままなアテンド日記 | 藤岡わこう

第1279回「国境を越えてラオへ」

88a7233a.jpg14日の朝、我々はノンカイを旅立ってラオス入国のためイミグレーションに向かった。無事に出国してもう何十回も訪れているメコン川に掛かるミタパブ(友好の橋)をオンボロバスで渡る。(写真)

今日はK御大が個人的に2年前に支援した山岳地帯の小学校併設の保育所の子供たちに日本の絵本を持って行く。「何を持っていったら喜ばれますかな」と相談を受け「絵本」と即答した。

それほど本や絵本が少ないラオスの山岳地帯。
K御大とN御大が、それぞれの町の書店や古本屋、
友人や知人たちから集めた絵本が50冊。

これが結構な重量なんだな。

「子供たちの喜ぶ顔を想像したら苦にもならんぜよ」
偉大なる二人の御大・・・・と、明言しながらも
なぜか毎晩のようにマッサージを受けていた。


asia_jiyujin at 04:26|PermalinkComments(0) 気ままなボランティア活動 | 藤岡わこう

November 24, 2008

第1278回「米国金融危機の影響」

8c714040.JPG食事中にP女史から苦しい家庭事情を聞く。何でも米国に端を発した金融危機の影響で現在ラヨーン県のHITACHI工場で働く兄の残業が無くなり仕送りが減って家計が困窮しているらしい。

まさか金融危機がこんなタイの田舎まで影響するとはね
正直驚いたが、これはまだまだ序章に過ぎないのだろう。
来年年が明けたら一気にタイ国内で不景気が加速するだろう。

そうなれば職を失うタイ人が百万人規模に膨れあがる。
大学を卒業しても就職できない学生は意外と多いと聞く。

以前、それが元で自殺する若者のニュースを読んだこともある。
有名大学を卒業した若者は、両親や周囲の期待が大きな負担になった。
P女史には何としてでも卒業までには就職を内定して欲しいものだ。

現在彼女は、兄が勤めるラヨーン県のHITACHIの別部門工場で
研修中の身である。上手くいけばそのまま就職できそうだとか。
この日はK御大が来ると言うことでバスで12時間以上も掛けて
実家に帰ってきた。明日には再びラヨーン県にトンボ返りするそうな。

一通り食事を終えて記念撮影をする。(写真)
「いや〜、優しい両親で良かったよ」
白髪頭のK御大が嬉しそうにのたまう。

実は、弟も支援したかったのだが、彼は中学を卒業してすぐに職業訓練校に入った。
卒業後に就職したが、21歳になった今は徴兵制度のために陸軍に入隊した。
写真を見ればおわかりのように、両親も弟もP女史も性格の良い家庭だ。

因みにオイラや御大たちの服装だが、
この日の夜は気温が下がって結構寒かった。
タイは確実に乾季に入った証拠である。
う〜、さむっ


asia_jiyujin at 05:52|PermalinkComments(0) 気ままなボランティア活動 | 藤岡わこう

第1277回「これぞ本場東北料理」

fbc321a2.JPG朝8時半に乗った電車は18時20分にウドンタニ駅に到着した。
実際の最終駅はノンカイだがこの電車は一つ手前のここまで。
駅にはK中学校のC先生に迎えに来て貰っていた。

実はK御大は中高時代の里親になっていたP女史が大学進級を希望していたのでそのまま4年間毎年5万バーツの支援を続けていた。ところが御大がタイに来る2日前にP女史から手紙が届いた。

「来年の卒業までに1万バーツ不足になるので援助して欲しい」と。

偶然なのか必然なのかタイミング良くその手紙を読んだ御大が
「なら、彼女の実家に行って親にも会って来よう」と相成った。
本来の目的は支援しているラオスの子供達に絵本を渡すことだったが、
4年間援助を続けてきたのだから、せめて両親にも会っておこうかとK御大。

オレはP女史を担任していたC先生に連絡して、
13日の夜にP女史の実家に行きたい旨を伝えて貰った。
すっかり暗くなったノンカイの村を1時間ほど飛ばしてようやく到着。

家からは真っ先に父親が出てきて歓迎してくれた。
母親とP女史と軍隊に入隊している弟は夕食の準備。
イサーン(東北)地方独特の辛そうな料理が床に惹かれたゴザの上に並ぶ。
これぞ典型的な田舎の一般的食事スタイルである。

早速みんなで車座になって食事をする。(写真)
オッォー、やっぱり本場の料理は辛いでやんす
御大2名はカオニャオ(餅米)とガイヤーン(焼き鳥)を頬張りご満悦。

戦後の困窮した生活を体験してきている御大たちにとっては
何でも「ご馳走」なのである。でも、オレにとっては結構苦痛なのね。
だって、電車の中でもまったく同じイサーン料理を食べてきたのである。
ガイヤーンとカオニャオと、超激辛ソムタムをね・・・・。


asia_jiyujin at 05:28|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

November 23, 2008

第1276回「黄門様たちと電車旅」

4af04b1c.JPG「フジオカさんはタイに帰ったら忙しいだがや?」今年帰国した際、日本周遊最終地の名古屋滞在中に桑名の柿安で松坂牛のすき焼きに舌鼓をうっている最中にK御大からこんな質問を受けた。

今年はガイド業はあまり受けないようにしているから割と暇ですよ」「なら、一緒にノンカイとラオスに連れて行ってくれんかの」「いいですよ。まるっと全部お任せあれ」まさか、松阪牛をご馳走になりながら「嫌です」とは到底断れないでしょ。

でもまぁ、松阪牛をゴチにならなくとも早くして父親を亡くしているオレとしては、77歳になるK御大と旅することはまるで親孝行をしているようでけっこう嬉しいのだ。逆にこちらからお願いしたいほどだ。

先々週の12日。福岡在住の66歳になる従弟のN御大と2人して
久しぶりに南国タイの地に足を降ろした。大分出身のお二人は昔から仲がよい。
3年前にもスマトラ沖大地震で津波被害を受けたプーケットとカオラックの被災地に
行って直接現地の子供たちに会って衣服や御菓子を支援したことがある。

その時もオレは単なる通訳兼ガイドで同行を頼まれたが、
毎日3人して楽しい旅をさせて頂いた記憶が残っている。
でもねぇ、水戸黄門様のドラマであれば助さんと角さんがお伴するのが定説でしょ。
今回も後期高齢者の77歳と66歳の黄門様2人に助さん役のオレが1人の旅。
ましてや1+1が2にならない異国の地なのだから、珍道中にならない方が不思議ってもんです。

さてさて、今回の旅はタイ東北部とラオス共和国の山岳地帯である。
果たしてすべてが計画通りにはいかないだろうし、何が待ち受けているか楽しみである。
な〜んてことを覚悟しながらの初日の朝。さっそく最初の難関にぶち当たる。

電車の旅をしてみたい」という御大のリクエストを受けて、
数日前にバンコク中央駅のホアランポーン駅に行って
2等席(エアコン)のチケットを購入していたオレ。

実は14日から16日まで、今年の1月2日に死去された現国王のお姉様の
パピナンツーガラヤニワッタナー王女の国葬が開催される予定だった。
そのため皇室含めて国民全てが喪に服す期間のため歓楽街は全て閉店する。

だから3日間のお休みを頂いた子たちは、13日から一斉に帰郷すると読んで
オレは早めにチケットを買っておいたのだが、実際は・・・・車内はガラ〜ン。
なんてこったい・・・」当日購入で十分だったやんけ。

でだ、最初の難関であるが、通常ならタクシーで30分もかからない距離。
当日の朝はBTSと地下鉄を乗り継いで駅に行く予定だったのだが、
御大たちが「荷物が重いわい」とのたまわれるのでホテルからタクシーで
行くことにした。これが間違いの元だった。

途中で思いも寄らない道路封鎖。
なんで渋滞してんの?」
訊けば反政府の市民連合がバリケードを・・・・。
まったく、お前らいい加減にしろや
いつまでこんな幼稚な茶番劇をやっている国民なんじゃい。

迂回して駅へ向かったが渋滞にはまって結局駅に着いたら発車時刻が過ぎていた。
まぁ、普段は時間通りにけっして発車しないタイの電車なのだが・・・。
運ちゃん、このままドンムアン空港駅に向かってくれ
オレはとっさに機転を利かせて40分後に停車する途中の駅にタクシーを向かわせた。

1のパターンがダメならすぐに2のパターンを考えておかなければならないのがタイ。
でも、タイ人にはこういった機転がなかなか利かないのね。
結局ドンムアン空港駅には発車時刻の30分前に着いちゃった。

で、いざ乗車したらエアコン席はオレたち3人だけ。
タイ人たちは2等車の半額料金の窓が開けっ放しの3等車ばかりだった。
御大が「車窓からの景色が見たかったんだがや」と言われたが
生憎エアコン車はスモークガラスでしかも汚れて外が見えない。

「ちょっくら3等車に行ってくるわい」と御大2名。
やれやれ、これから腰が痛くなるような10時間の電車の旅。
新幹線なら僅か3時間でしょ。単線のタイ国鉄では仕方ありませんわ。


asia_jiyujin at 05:13|PermalinkComments(0) 藤岡わこう