May 2010

May 31, 2010

第1933回「未だ閑古鳥鳴く店有」

1933「未だ閑古鳥鳴く通り」

外務省はタイの治安情勢が回復に向かいつつあることを踏まえて、
バンコク都の「危険情報」を現在の『渡航の延期をお勧め』から
1レベル引き下げて『渡航の是非を検討』に変更。

夜間外出禁止令」もようやく29日の朝で解除になったが、
未だに「非常事態宣言」が解除されてないのが今の現状。

さすがに大型連休を過ぎてからは日本からの観光客も見込めず、
タニヤ通りは依然人通りも少なく閑古鳥が鳴いている店もある。
取材先ではオーナーから愚痴ばかりを聞く。黙って聞くのも仕事。
経営者の気持ちは痛いほど分かるが、今は明るい未来へ向かって
笑顔を絶やさず仕事するしかない。

写真のF店は4月19日にOPENしたばかりの新規店。
そのすぐ後に抗争が激化してタニヤを訪れるお客が激減。
そして1ヶ月後の5月19日に強制排除に夜間外出禁止令が発令。
店も開けられず経営者にとっては予想もしなかった大打撃。

タニヤ地区では、珍しく高級感溢れる1ランク上のクラブだけに
何とかこの試練を乗り越えて末永く営業を続けて欲しいと願う。
それにしても、通りに日本人が歩いてないのは何とも淋しい。

最近では日本人専用街にも関わらずファラン(白人)の観光客が
かなり目立つようになったのもおかしな時代の変化である。
よもや不景気の長期化でファランを対象にした店が増える事に
なれば、それこそ古き良きタニヤの歴史が大きく変わってしまう。

タイ情勢は未だ不安定ながら、しばらくは大丈夫でしょう。
日本からの観光客が増えてくれることを切望いたしまする。
みなさ〜ん、円を握りしめてタイに遊びに来て下さいまし



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asia_jiyujin at 20:26|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

May 29, 2010

第1932回「ヴィサカ ブーチャ」

1932「ヴィサカブーチャ」

陰暦6月の満月の日である5月28日は釈迦が誕生し、悟りを開き、
入滅した日とされる仏誕節(ヴィサカブーチャ)である。仏教上、最も
聖なる日とされている仏誕節。国民の94%が仏教徒といわれるタイでは
釈迦の徳に対して礼拝するための儀式(ロウソクを持って本堂を3度回る
行事、ウィアンティアンを行う)が全国各地の仏教寺院で行われた。

因みに、旧暦3月(新暦2月)の満月の日のマーカブチャー(万仏節)、
旧暦8月(新暦7月)の満月の日のアサーラハブーチャー(三宝節)も
仏誕節同様、在家者が近所の寺院に赴き、仏・法・僧に帰依するために、
ウィアンティアンを行う

さて、ご存知の通り24日まではまともに取材が出来なかった為に
今週は毎日のようにバンコク都内を奔走している。来月の末に
帰国する前に3ヶ月分を纏めて取材しなければならない。
だが、政情が一段落したとは言え、夜間外出禁止令が29日朝まで
延長された為に早閉の店が多くて思うように進まないでいる。

強制排除と夜間外出禁止令でタニヤは臨時休業を余儀なくされたが、
日本人居住区のスクンビット地区はタニヤほど悲惨ではなかったようだ。
むしろタニヤに飲みに行けない旅行者や駐在員が比較的安全な
スクンビット地区に足を運んだ人も多分にいたらしい。

それでも会社に勤める駐在員は上司から諸行動の中止命令が
出ていただけに夜のご商売の方にはかなり影響が出たらしい。
そんな中でもスクンビット33にあるVというお店は、午後3時から
オープンしているクラブだけあってか意外と盛況だったりする。(写真)

喧騒としたバンコクの騒乱もなんのその、この空間だけは
ちょっと異質なパラレルワールド。こんなやっかいな時期に
来てくれるお客様は、まさに神様であり仏様。

でも、この33通りは、雨季になるとかかとのくるぶしを超えるほどの
洪水が頻繁に起きる。昨年はクツを履いていて3回ほどえらい目に遭った。
これからの時期の取材はサンダルに素足が基本。もちろん傘も持参。

しばらく悲壮な写真ばかりだったので、たまには華やかな画像もえぇでしょ。



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asia_jiyujin at 00:52|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

May 28, 2010

第1931回「タニヤ通りの装甲車」

1931「タニヤ通りの装甲車」

相変わらずバケツをひっくり返したようなスコールが降る。
季節は完全に雨季。先日の取材では傘を差してもパンツもびしょ濡れ。
日中は蒸し暑いけど、せめて朝晩が涼しいのが救われる。

さて、先日19日にデモ隊の強制排除で使用された装甲車が、翌日に
タニヤ通りに6台も駐車されていた。テレビでは2台しか映ってなかった
けど6台も用意していたと言うことはかなりの激戦を想定していたのかね。

それにしても軍の装甲車が歓楽街のタニヤ通りにあるのは違和感がある。
因みに、この日は観光客風の親子連れや外国人カップルが、普段は見る
こともない装甲車をバックに記念撮影していた。

なんだかなぁ〜

このマッタリとした緊張感のないのどかな雰囲気。これで通りに露店でも
並んでいたら、まるでオイラの故郷の自衛隊のお祭りみたいじゃねぇですかい。
ま、平和的な雰囲気は漂いますが、早いとこ撤収してくれないかしらん。



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asia_jiyujin at 13:37|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

May 24, 2010

第1930回「季節の風が変わった」

1930「1CW前」

皮肉なもので、一連の事件が解決した翌日あたりから毎晩のように
雷を伴う大雨が降り始めた。もう少し早ければ案外集会活動の解散も
早まったかもしれないし、放火されてもすぐに鎮火したかもしれない。

まぁ、時期的にはすでに雨季に入る頃なのだが、どうやら終結と共に
ようやく季節の風が変わったようです。UDDの集会に参加していた人も
田舎に帰れば田植えの時期だろうし、新学期を迎えた学校はそれこそ
いろんな行事に備えて忙しくなる時期だ。

1930「2シーロム通り」

昨日はUDDのデモ隊が占拠していたラートプラソン交差点など、
都内の6カ所で都の清掃職員や都民総出の清掃作業が行われた。
作業に加わったのは軍人や10代の若者を含め約4000人。
落書きを消したり、ゴミを片づけたり、竹ぼうきで道路を掃除。

1930「3軍人も」

小さい子供から若いカップル。現地で働く外国人も多数参加。
ハイアット前では自らホテルの炊き出しを振る舞っていた。
自分たちの街を綺麗にするのは当たり前」と笑顔で清掃。


1930「4子供だって」

かつてスマトラ沖の大地震でプーケットやカオラックが
津波で被災したときにバンコクの彼方此方で救援活動をした。
ああいう光景を見るとやはり慈悲深い仏教信者でもある
タイ人の自主的な行動力に感動してしまう。

1930「6季節の風が変わった」


この拭え切れない悲惨な事件を繰り返さないために
タイを代表する著名なタレントや有名な歌手など数百名で
かつてマイケル・ジャクソンがアフリカの子供の救済を
呼びかけて作った「ウィーアーザワールド」のような
感動の歌をレコーディングしている。一連の回想
シーンを織り交ぜた壮絶な映像はまさしく映画をしのぐ感動作。
いずれ日本でも流れるかもしれませんね。

夜間外出禁止令が2日間延長されたおかげでタニヤの取材も
遅々として進まない。全てにおいて予定通りに進まないが、
元々予定通りに運ぶ国でもなく気長に待つしかない。

まぁ、よそ様の国とはいえ、これほど歴史的壮絶な大事件に遭遇
出来た人たちはある意味自分の価値観や人生観に大きく影響しただろう。
平和」で「普通」の生活が、いかに「幸せ」なことなのかを。
もちろん、オイラもですが。



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asia_jiyujin at 19:10|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

第1929回「記憶残る歴史的事件」

1929「記憶残る歴史的事件」

はたしてタニヤ嬢の願いが仏陀様に届いたのか、はたまた霊能者ヤダムの
予見が当たったのか、はたまた僧侶病院のタンブンが功を奏したのか、
兎に角2ヶ月以上に渡って続いた一連の闘いは悲惨な傷跡を残して幕を閉じた。

夜間外出禁止令が2日延長され、BTSや地下鉄は時間限定で営業を再開。
ATMは一部限定で利用可。街は徐々にいつもと変わらぬ顔で動き出した。

先週は朝から晩までかじりついて観ていたテレビも、今はドラマや歌番組や
バラエティ番組が流れている。それでも、番組によっては事件を振り返った
特集が流れる。改めて観ると終結した直後の悪夢のようなATMや電話
ボックスや停留場などの放火、破壊、略奪(300箇所以上)が映し出され、
まるで昔のニューヨークの裏町を彷彿させるような無法地帯の実態を見る。

あの穏やかでのんびりした国民が、時として瞬時に激変することを知る。
治安当局は、バンコク都内のラチャプラソン交差点周辺、ラマ4世通り
などに依然暴徒が潜んでいる可能性があるとして注意を呼びかけている。

鎮火して焼け落ちた無残な姿のセントラルワールドを観ると、まるで
911テロ事件のワールドトレードセンターかと思うほどの悲惨さだ。
消火後セントラルワールドから10遺体が発見された。どうやら1人は
携帯ショップに略奪目的で侵入した際に煙に巻かれて死亡したと
見られた。完全に営業できる迄には最低でも1年以上は掛かると
思われたが新聞記事では6ヶ月以内に復旧できる見通しらしい。

今回の事件で観光業界も含めてタイの経済的損失は計り知れない。
現首相がUDDを支持していた貧困層に対して早急の対策を発表したが、
特権階級層と低所得者層の溝ははたしてそう簡単に埋まるとも思えない。

今回の騒乱での累計は死者85人、負傷者1898人。これはタイの
悲惨な歴史として間違いなく人々の記憶に永遠と残るだろう。

だが、これで全てが終わったわけではない。赤服軍団が納得出来る
国の公正なる政策を早急に打ち出さないと、再びくすぶっている
分子同士に火が点いて、やがて核融合して爆発しかねない。



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asia_jiyujin at 01:06|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

May 23, 2010

第1928回「セブンイレブン早閉」

1928「セブンイレブン早閉」

今でこそ24時間営業が当たり前のセブンイレブンだが、その昔は、
朝7時に開店して夜11時に閉店していた。それが店名の由来。
やがて時代と共にお客のニーズに合わせて今の時間体系になった。

ところがこの数日間、バンコク都内のセブンイレブンが夜の7時に
閉まっている。かつて長いタイ生活で初めてのことである。
朝5時に開店して夜の7時に閉まる。これではファイブセブンだ。

UDDの反政府集会強制排除後、残党派の暴徒化から夜間外出禁止令
が発令されて3日が経つ。歓楽街は元よりレストランも居酒屋も
マッサージ店も街中のコンビニも7時には閉店する。デパートの中の
ATMは別として野外に設置されているATMもオーバーサービス。

徐々にバンコク都内も落ち着きを取り戻しつつあるようには見えるが
以前と都心部の道路封鎖や規制が続き、BTSや地下鉄は未だに運休。

放火され無残にも焼け落ちたセントラルワールドを経営するセントラル
グループは、ランシット店を除くバンコク首都圏の全店を休業。
他にもラチャダムリ通店のビッグCやラマ4世通りのロータス、
仏カルフールも放火で被害を受けたために臨時休業している。

おかげでオイラが住むスクンビット地区のスーパーマーケットが
それこそ年末の大晦日並みに大混乱している。ある店では野菜や
日配物が根刮ぎ売切状態。コンビニは略奪に備えて値段の高い
アルコール類の商品を撤去している。

24時間いつでも開いているはずの店が閉まるとやはり不便極まりない。
今や現代社会で24時間開いているコンビニは生活の一部になっている。

そう言えば、昔、取材で初めて中国の深センに行った時のことだ。
いつもの如く街中を探索しているうちに街角に「セブンイレブン」と
まったく同じ色合いの看板を見つけた。てっきり海外支店だと思った。
看板には中国文字で「二十四時間便利店」と書いてあった。
はぁ、なるほど」確かに漢字で書けばこうなる。

その後、オリンピックが開催される数年前に北京でセブンイレブンの
一号店がオープンするニュースを観て愕然とした。「あぁ、やはり
あの時の(深セン)便利店はパクリやったんやな
」と合点した。

それにしても、夜7時には街中の店の灯が消えるのは極めて淋しい。
まるでラオスの山岳地帯に滞在しているような錯覚になる。オイラの
実家がある北海道の美瑛町も夜8時になると人気のない淋しい町になる。
眠らない町だった不夜城のバンコクが薄暗く淋し〜い町になっちゃった。



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asia_jiyujin at 01:28|PermalinkComments(0) 気ままな呑んだくれ日記 | 藤岡わこう

May 22, 2010

第1927回「安否確認の国際電話」

1927「安否確認の国際電話」

事態収束の前日、名古屋のK御大から国際電話が入った。
「どうだい。そっちはえらいことになっとりゃあせんかいの」
う〜ん、まぁ、テレビで見ての通りですよ
心配して国際電話をくれたのはK御大で6人目になる。

「おうじょうこいてないかい」
はい、今のところ僕が住んでいるところは大丈夫ですよ
K御大とは昨年帰国したときに車を運転して伊勢神宮まで行って
外宮内宮の両方を参拝している。まさに神にも祈りたい気持ちだ。

その前は九州を2回ほど旅している。鹿児島の指宿温泉で初めて
砂湯に入ったのもK御大との2人旅だった。17歳で父親を胃癌で
亡くしているオレとしては擬似体験的な親父との旅を結構愉しんでいる。

「今年は、早よぉ帰って来た方がいいぜよ」
オイラの帰国に合わせて、今年は一緒に北海道の道北を旅する予定だ。
日本最北の離島に行って旨い銘酒と名産の紫ウニに舌鼓を打つのが目的。
ウニも最高だけんど、オイラはうみゃ〜エビふりゃ〜食いてぇだよ


さらに事態収束日に、同じ名古屋から市内でニューハーフパブを
経営しているN氏が慌てた様子で電話を掛けてきた。
「だ、だ、大丈夫なんですか?」
えぇ、もう収束に向かってますよ
電話はナタウット氏が警察に出頭した後だった。

「藤岡さんのことだから近くに行ってませんか?」
行きたくても、さすがに足がないですよ
オイラの仕事を知っているだけに心配になるらしい。

「もぉ〜、気をつけて下さいよ。まだまだウチの仕事を
手伝って貰わなくてはならないんだからぁ」
はい、ありがとう御座います
ある意味オレにとっては「オカマ」の仕事を手伝う方が緊張するんだけど。

そう言えば、名古屋の寿司職人のKさんも夜2時頃に電話が来たっけな。
どうやら名古屋人はメールより直接話すのが好きなようです。

今日までに国際電話が8本。メールは16通にも及んでいる。
連日のように心配してくれた日本各地の友人知人信者会員の方々様。
気に掛けて頂き本当に感謝しております。

タイは復興にかけてこれからしばらく時間は掛かると思いますが、
持ち前の底力で再び「微笑みの国」に蘇らせてくれることを懇願。
しかし、放火、破壊、略奪を繰り返す不満分子がいるのは確か。
この真っ二つに別れてしまった階級層の溝は、カリスマ性のある
救世主が現れて「どげんかせんと」埋まることは無いのだろうか。

異国に住まわせて頂いている我々外国人は、
現政権の判断をただ見守るしか出来ませんが。



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asia_jiyujin at 01:59|PermalinkComments(2) 藤岡わこう 

May 21, 2010

第1926回「さらに続く安否確認」

1926「さらに続く安否確認」

さらに親代わりの北海道千歳のN氏からのメールが届いた。

長い間の音信不通を、まず謝ります。
(中略)
このメールが届いたら、今の状況を知らせて下さい。
怪我をしていないか、無事かどうかだけでいいので、知らせて下さい。
バンコクの大変な状況を心配しています。少し甘く考えていたのですが、
今回はかなり深刻な状況になってしまったようで、連絡の遅れたことを悔やん
でいます。 取りあえず「無事でいるよ、大丈夫。」のメールを待っています。



毎年帰国する度に、千歳空港まで迎えに来てくれる親代わりのNさん。
17年前に地元のユネスコ協会が主催した「タイ・ボランティア視察
の旅行に一緒に参加した人。その時、タイの田舎の現実を垣間見でから
「目から鱗が落ちる」ほどの衝撃を受け自らタイで活動する事に賛成して
くれた。以来、今日まで親のようにオイラの生き方を理解して応援して
くれている有り難い1人でもある。


そして、元慶応大学病院の看護師Mからのメール。

わこうさん、
 Mです。お元気ですか?連日のタイの政情・治安悪化のニュースを見て、
わこうさんの安否を心配していました。あんなに美しい国タイの首都が
こんなことになろうとは、未だに信じられません。衝突してる場所は
わこうさんのアパートからそう遠い場所ではないように思いますが、
アパートの方は大丈夫でしょうか?
友人・知人で負傷された方はいませんか?本当にはやく解決にむかって
欲しいと思います。今年の夏は旦那とタイにタイ料理でも食べにいこうか、
なんてこないだまで話していたのに、今は無理そうですね。観光大国なのに
観光客の足が遠ざかってしまうのもタイにとっては痛手ですね。
(中略)
 またお時間ある時にメールをいただければ嬉しく思います。では。



かつて慶應義塾大学医療看護学部在学中に12人の女子大生を
束ねて現地に来た時にロッブリィ県のエイズホスピス・ナンプ寺や
バンコクの孤児院などでボランティアのサポートをしてからの縁だ。

その後も毎年のようにタイでボランティア活動を続けてくれている。
先日もMたちの後輩の現役学生たちがナンプ寺での活動が地元誌に
掲載になっていた。「まだ続けてんだ」と嬉しい気持ちになった。
数多くアテンドした学生の中でも特にリスペクトした1人でもある。

当時は、毎年のように日本から来るいろんな大学の学生のアテンドを
していた。彼女もその中の1グループに過ぎなかったが、彼女たちの
存在はその後自分が胃癌手術を受けたときにとても心の支えになった。

大学卒業後、現役の看護師になった彼女たちが教えてくれた医療情報は、
たった1人で胃癌と闘っていたオレにとっては本当に有り難い存在だった。
なんせ、看護士の1人はあの元ソフトバンクの王監督の担当だったのだから。
術後のダンピングシンドロームの症状や低血糖など、あれやこれやタイの
高級病院でも教えてくれなかった情報をいっぱい送ってくれたのだ。


さらに事態収束日に、オイラが業界の中でリスペクトする週刊誌記者からメール。
週刊○○のFです。
Mさんから電話をかけろと言われて、心配になりご連絡してみました。
報道で知る限り、大変なことになってますが、ご無事でしょうか?


実は、このメールを確認する前に彼から国際電話が来た。
「どうも、Fです。大丈夫ですか?」
うわぁ、お久しぶりです
昨年帰国したときに、一緒に日本橋の老舗で
なんまら旨い鰻御膳を食べて以来だった。

「Mさんが心配して藤岡さんに連絡しろっていうので」
Mさんとはオイラの胃癌を霊視した霊能者ヤダム並に、何でも
分かっちゃう日本の霊能者。詳しくは書けないが凄い女史。
その彼女が「オレに電話しろって・・・

げ、まさか僕の身に何か起きることが『上』から告げられたんですか
兎に角、距離に関係なく視えてしまう人だけに一瞬、かなり緊張した。
「いえいえ、単にテレビを観ていて心配になったようですよ」
あ、そう。よかった。てっきり流れ弾に当たる姿が視えたのかと
事実、その日強制排除を取材していたイタリアの記者が銃弾に倒れて
亡くなっている。

「とにかく藤岡さんが無事でよかったですよ」
えぇ、割と強運に恵まれているようですから
「ところで、○○さんからオファーありました」
いいえ、今回ばかりは支局の仕事でしょ
オファーがあれば「NO」と言えない性分だけに
二の腕にプレスの腕章を付けて最前線で取材になる。

周囲の反対で「」では拒否しているのだが、
何故か「身体」は最前線を望んでいる。悲しい性だ。


さらに事態収束日に、再び神奈川のK女史からメールが来た。

今日の報道ステーションのトップがタイだよ。
タイ騒乱。強制排除、市街地で銃撃戦。5人死亡。
シーロムからルンピニにかけて軍のすんごい乱射が写ってるの。
泊まる予定のルブアもあれじゃねぇ。

Jさん、お家で静かにしててね。 大好きな大好きなタイがこんな映像で。
みんなの中に残るタイのイメージはもうなかなか消えないだろうね。
なんだか、悲しくなっちゃいます。
早く穏やかな大好きなタイに戻ってほしいよ。
Jさん、気をつけてね


オイラも同感です。タイは長い歴史の中で『破壊』『変革』『創作』を
繰り返しながら自らに修練を与え、さらに自らそれを乗り越える事を
試練としているようにさえ見える。これから再び『創作』の時代に
入っていくのでしょうかね。

今日までに16通の安否確認のメールが届きました。
皆様、ありがとうね。



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asia_jiyujin at 12:37|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

第1925回「安否確認メール殺到」

1925「安否確認メール殺到」

事態の終わりが見えなかったUDDの反政府デモ活動は
最後は抵抗することなく呆気ないほど簡単に終結をむかえた。

政府は今週初めを公休日に決め、その後も今日まで公休日を延長。
それに併せて日本人学校も17日の新学期開始を24日に遅らせた。
都民の足でもあるBTSと地下鉄MRTは未だに全線運休状態。

この状態が続く限り今月分のタニヤ取材は遅々として進まない。
現在、彼の地のバリケードを撤去している最中だが、はたして
どうなっているのかとても気になる。だが、未だに主要道路の
復興作業が続けているだけにタクシーでも行けない。(写真)

日本のメディアでは、連日爆弾や銃撃戦が繰り広げられる
バンコク都心部の悲惨な戦場を映し出し、19日の首謀者拘束で
ようやく事態を収束したことを伝えているだろう。それに伴い
タイの情勢を案じている方々から多数のメールが届いている。


某出版社のW氏は東南アジア好きの元バックパッカー。今もタイを
含め近隣のラオスやビルマ(現ミャンマー)を旅行されている編集者。

おはようございます。 ほんと、たいへんなことになりましたね。
まさか、バンコクの中心部で市街戦が展開される日がくるとは、
思いもしませんでした〜!

UDDは国連に仲裁させろとか言いはじめてるらしいですね。
どうなることやら。
でも、藤岡さんが元気でいらっしゃるんで、よかったです。
(中略)
というわけで、引き続きお気をつけ下さい!!!


かつて執筆業に転職した駆け出しの時代に、タイ以外で最初に日本から
オファーを受けて一緒に仕事をさせて頂いた恩ある方。彼との縁が
その後のバンコクライフを大きく変える要因にもなった人でもある。
またいつかアジアの闇を探索しながら最低辺をルポしてみたい。


さらに、昨年帰国した際に大阪のA氏と一緒に晩餐した時に
わざわざ和歌山から駆けつけてくれたS女史からもメールが来た。

藤岡さんのブログで今のところ大丈夫そうですが、無茶はしないでくださいね。
一旦落ち着くような感じやったのに、また銃撃戦…。
ニュースで放送されてるのはホンマいったいどこの戦場!?
って思う映像ばかりですよ…。くれぐれも気をつけてください。
こんな時にバンコクにいれない自分が残念でならない…と言ったら不謹慎ですか…?


かつて10年以上もバンコクで仕事をしながら生活していた彼女としては
目を疑いたくなる光景。「ホンマいったいどこの戦場」と思ったことだろう。
この状況下に自分が「バンコクにいない事を残念」と思う気持ちは痛いほど分かる。

実はオレも4年前の9月19日の軍事クーデターが勃発したときに、
その5日前に帰国して実家で静養していたら友人から電話が来た。
「いや〜、よかった。日本に帰ってたんだね。心配したよ」
え、どうしたんですか
「今、テレビで軍事クーデターが勃発したって言ってたよ」
え、マジっすか・・・

内心オレは、歴史的な場面に自分が現地に居なかった事を悔いたが
敢えて心配してくれた友人のために口にはしなかった。
不謹慎ではなくタイ王国に対する尊厳の「想い」からだ。

おそらく彼女以外でも過去に微笑みの国に在住した人や
タイを旅した事がある人であれば想いは同じだと思う。
テレビのニュースが否応なしにタイへの関心度を高めているのは、
ブログのアクセス数が一気に増えていることでも頷ける。



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May 20, 2010

第1924回「事態終結後に悪夢が」

1924「事態終結後に悪夢が」

夜間外出禁止令」が明けた朝、テレビを点けるとバンコク最大級の
ショッピングセンターのセントラルワールドが激しく炎上して倒壊
している画像が目に飛び込んできた。(写真)

げっ最悪じゃん

セントラルワールドはかつて2つのアパレルブランドの店舗をデザイン
させて頂いたことがある想い出のビル。オレの好きなモスバーガーや
スタバも入っている大型商業私設だ。最上階には旧知の友人が多額の
投資をして開業させた日本料理店もあるだけにかなり心配になった。
それ以外にも伊勢丹や紀伊国屋、多数の日本食店が入居している
バンコクのランドマーク的存在だっただけにショックは大きい。

テレビを観る限りでは、鉄骨も焼け落ちているだけに完全な立て替え。
開業できるようになるまでには少なくても1年以上はかかるだろうね。

集会解散後にUDDの残党派が放火した建物は都内で30カ所以上にもなる。
セントラルワールドに隣接するセンタラグランドホテル
高級ブランドやブティックがあるサイアムパラゴン、
その前にあるサイアムスクエアの映画館
ラマ4世通りのテスコ・ロータス、
バンコク銀行支店、カシコン銀行支店、首都電力公社オフィス
戦勝記念塔のショッピングセンター、センターワン
ディンデン地区のバンコク銀行支店、セブンイレブン
バンコク銀行フアラムポーン支店
タイ証券取引所ビル、テレビ局チャンネル3、
ラマ4世通りのマリーノンタワー、
アソーク交差点の銀行支店、

いずれもオイラが住む日本人居住区以外だが、誰しもが気が気でない。
政府は夜21時から明朝5時までの夜間外出禁止令を23日まで延長した。案外、
外出禁止で人様が外に出ないだけにUDD残党が放火しやすく思えるのだが。

バンコク以外でも、タイ国内の彼方此方に火種が飛び火してウドンタニや
コンケーン、チェンマイなどの県庁舎や県の私設が赤服軍団によって放火されている。
彼らの闘いは例え首脳陣が捕まっても根底の灯は消えてない。

あぁ〜、タイはどうなっちゃうのだ



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