June 2010

June 23, 2010

第1951回「間もなく日本帰国」

1951「間もなく日本帰国」

予てから撤退の噂があった伊勢丹デパートが4月3日から
店を閉めていたが今月の24日から再開することになった。
一時期は不況で売上げ低迷が続いていただけに気にはなっていた。

日本から来られる訪タイ客の定番の土産店は、いつも伊勢丹に
ご案内していただけに撤退されると非常に難儀する。
何とか踏ん張ってこの状況を乗り越えて欲しいのだが。

当日は再開を祝してオープニングセレモニーがあるらしい。
樽酒の鏡開きや営業再開を記念したオリジナルうちわの配布。
なぬ樽酒
と聞いて心が動いたが、その時間は成田の地に足を付けている。

その夜は千歳の親代わりでもある友人宅に仲間たちが集まり
銘酒を用意しての晩餐会を企画しているらしい。年に一度しか
会わない人たちなのに本当に有り難くも嬉しくも幸せな事である。感謝。

さて、1年ぶりの北海道。しばらく大自然に囲まれながら生まれ故郷で
美味いもんを食べて、至高の銘酒を堪能して、最高の仲間たちと再開。
でも、確定申告やら胃の定期検診やら歯の治療、父親の墓参り、母上様の上納金、
息子の大学費用納付など、実際帰国したらやることがいっぱいあるんだけどね。

それもまた自分が選んだ人生。今まで関わってきた全ての人に感謝し、
毎日無駄に過ごさず1分1秒を大切にして笑顔で生きませう。

はたして1ヶ月半後に戻ってくる頃には
タイは「元気」になっているのかしらん。
そうなっていることを心から願う。



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asia_jiyujin at 01:51|PermalinkComments(2) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

June 22, 2010

第1950回「縁の重みを感じる」

1950「間もなく日本帰国」



ふ〜、終わらんぞぉ」帰国に向けて連日取材に奔走している。
本来なら1週間前に全て終えて今頃は帰国の準備をしていたのだが、
いくら綿密に予定を組んでもやはりこの国の民は簡単に裏切ってくれる。

1950「ノア」

長年取材を重ねているとある程度予想はしておくのだが、やはり土壇場に
なってから「ゴメンなさい。急にダメになっちゃったの」と、いとも
簡単に肩すかしのように無駄に終わることが多い。

それでも、帰国前故に何度も足を運んで終わらせるしかない。
そんな理不尽で不条理な対応に翻弄されていたのだが、
昨日、とても懐かしくも有り難き嬉しい「」に恵まれた。

1950「蘭姫」

不況の煽りを受けて不景気の波に呑み込まれながらも必死に
頑張っている店を“救済&応援”するために自ら企画した
タニヤ・スクンビット地区売上げ向上作戦』。

昨年の1月から構想しながらも、実現間近の年末に某社の
社長の裏切りによって遅れていただが、ようやく2月頃から
実現にこぎ着けた。ところが予想だにしなかった赤服軍団の
騒乱が3月から5月の末まで続き、さらに進まずにいた。

取材が出来ない」「思うように事が進まない」「常に待機状態
こんな極限的なストレスが2ヶ月間も続けば笑いたくもなる。

それでも、近くで爆弾が被弾し銃弾が飛び交っている時期でも
地道に足を運びながら営業を続けていた「日本人クラブ」と「按摩店」。
なんとか80を超える店舗に協賛して頂き、9割方のスポンサーが決まった。

で、帰国前の最後の営業で、2ヶ月前に取材したトンローのJマッサージ店に
顔を出した。5,6年前にOPENした際に1,2度お会いしたIオーナーだったが、
生憎、店にはいなかったので直接電話で連絡をとると、「な〜んと」嬉しい事に
オイラのことを覚えていてくれたのだ。さらにオイラのブログも見てくれている
って言うじゃな〜い。(古っ)「いやぁ〜、至極恐縮」誠に嬉しことです。

で、結局トントン拍子に話が進んで「売り上げ向上作戦」に賛同して頂く。
」と「」が、かつてひょんな出逢いで「」が出来、その数年後に
多生の「」がやがて「」のように繋がっていくプロセスが嬉しい。

1950「JJ」

こういう「」ある人たちは、「信用・信頼」を得られなければ
袖振り合うだけで、多生の「」は生まれない。特にタイという
異国では、組織に属しない人間はあまり信用されない傾向がある。

だからこそ「」と「」が繋がっていくことに、けっしてお金では
買えない大きな「縁の重み」を感じてしまう。やはり人間はどんな職種に
就いても最終的に「」から認められれば素直に嬉しいもんです。感謝。

はたして1冊の本がどこまでタイの経済に貢献できるのか。
再びタイに観光客が増えることを願いながら次なる企画を考案中。


で、この数日間さすがに歩き回り過ぎたのか頭がボートしてきた。
足がフラフラする。「ヤバイなぁ〜」もしかして夏風邪かな。
熱はないけど鼻水が垂れてくる。おまけに喉も痛い。

こんな時期に体調を崩してなるものか。
くっそぉ〜」万難を排して帰国せねば。

取材は大旨終わっているのだが、未だに2軒の打ち合わせが
残っている。「ま、いっか」そう思わなければ身体がもたん。
完璧を望んでもこちらの思い通りにならないのがタイである。




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asia_jiyujin at 08:36|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

June 21, 2010

第1949回「タイ版・みちのく旅」

1949「仏教国タイの宗派」

昨日、タイ東北部を旅しているNくんから連絡があった。
魅惑的なリゾートから一変して刺激の少ない田舎町。
地平線まで草原が続き壮大な自然の中に水牛の影が立っている。

「いや〜、良いところですよ」
荒んだ心が徐々に浄化していくのが分かるような気がする。
早朝、赤い土埃が舞う道路を托鉢僧が歩く姿。タンブン(功徳)
の習慣を知らない彼にとっては、とても新鮮な光景だろう。

彼もまた、宗教とはかけ離れた生活の中で生きてきた1人だろう。
オイラも似たようなもんだった。我が家は生まれながらにして
宗教は仏教だった。だが、古の祖先様から受継いだ宗教ながらも
タイ人ほどの敬虔さは持ち得てない。

思えば冠婚や葬祭でしか宗教を感じることが少なかった日本だが、
長年タイで暮らしているうちに否応なしに生活の中に仏教が
密接している事を肌で感じる機会が多い。

さて、日本では日蓮宗や真言宗などお釈迦様を頂に置き
その枝葉に別れた宗派の数は未だに把握しきれず。
95%が仏教徒で占めるタイ王国の宗派の数に興味を持っていたら、
以前、ノンカーイの田舎町に滞在していた時に眼鏡を掛けた
理知的な子供に教えて貰う機会に恵まれた。

少年が言うには「マハニカイ」と「タマユット」の二大宗派があり
食事は午前中の一食のみ。もう片方が二食だという。袈裟の色も違う。
へぇ〜、そうなんだ」目から鱗だった。

さらに早朝から列を成して歩く托鉢僧の人数を数えていたら
1コン」でも「1プラ」でもなく正式には「1ループ」と
数えるのだと教えられた。

感謝の意を込めて托鉢僧に「コップンクラップ」と御礼したら
「違うよ。ナマサカイ」と訂正させられた。「なるほど
難解な宗教界には特別な仏教語がある事を知った瞬間だった。

果たして、みちのく(東北部)を旅しているNくんは、
毎朝早くに起きて托鉢僧にタンブンする機会はあんのかな。
それよりもタイに来た早々、屋台で食べたタイ料理でピーゴロ状態
だった彼だが、辛いイサーン料理を食べてお腹を壊さなければいいが。



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asia_jiyujin at 04:23|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

June 19, 2010

第1948回「タイの77番目の県」

1948「タイの77番目の県」

1都75県のタイ王国。先頃77番目になる県の発表があった。
施行は未だ先になるらしいが、少子化に伴い市町村が合併する
日本と比べれば県が増える事は喜ばしいことだろう。

場所は大河メコンに面するノンカーイ県にあるブンカン。かつて
タイ国内を周遊して55の県を旅したことがある。北部のチェンマイ
は元より西はカンチャナブリに東はカンボジア国境のトラートまで。
南部は国境を越えてマレーシアまで行ったこともある。

今考えてみれば何を求めてこんなに旅をしたんだろう。思えば
97年のタイバーツ下落で勤めていた会社の社長が給料も払わずに
金を持って逃げたことが切っ掛けで「」と言うことで
良い機会だから今まで行ったことがなかった町を旅したかったんだろうな。

N君がいま旅しているであろう東北は、ほぼ全県を制覇。
特にノンカーイはNGO活動で頻繁に行く思い出深い県。(写真)その県が
二つに別れる。予てより横長の県だっただけにいずれ分離する噂はあった。
人口増加に伴って学校区や行政の管理が行き届かなくなったと推測するが、
その割にはこの10年間の人口はさほど変わってないように思う。

さて、日本は47都道府県に分かれながら我が故郷の北海道は、
他県と比べて広大な面積を有する。実はその昔、明治の開拓時代
(15〜19年)には函館県・札幌県・根室県と3県に別れていた。

やがて時が流れて1つの行政に統合されるのだが、近年の少子化に伴い
過疎化も加速。人口よりも牛の頭数が多い町さえある。いずれ市町村
だけでなく他県が合併するような事態になればそれこそ日本は衰退する。

諸外国に比べて出生率が低下の一途を辿る日本。
ある調査機関によれば、このまま少子化が進めば
西暦3000年を超える頃には日本の人口が一桁台になるらしい。

果たして仕分けの達人でもある蓮大臣は少子化に歯止めをかけて
日本の出生率を上げることが出来るのかしらん。ま、オイラは
後期高齢者がもっと安心して暮らせる国にして欲しいけどね。

いずれオイラも高齢者の仲間入りだもんね。
「えっ、ずっとタイにいるんじゃなの?」と訊かれる人もいるが、
やはり人間、生まれ育った故郷の土に帰りたいものでしょ。



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asia_jiyujin at 09:20|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

June 18, 2010

第1947回「心旅を堪能するN君」

1947「心の旅を堪能する」

タイに心のリセットしに来たというNくん。
バンコク滞在中は、ほぼ毎日K店でグラスを傾けていた。
そんな彼がK店オーナーとパタヤに行ったのは先週の金曜日。

1947「パタヤの海」

初めてのタイの海を満喫して来た彼がバンコクに戻って来た。
「いやぁ〜、楽しかったですよ。パタヤ最高っす
仕事に行き詰まっていた彼の笑顔が真っ黒に日焼けしていた。

タイは人生に悩みを持っている人の心を瞬時に浄化する。
まるでシミュレーションゲームをリセットするかのように
アっと言う間に初心に戻れる要素を持っている。

日本では管理社会の枠に閉じ込められながら、ルールやノルマに
押しつぶされそうになる人の心を閉鎖的にしてしまう。
そう言う意味ではタイは良い意味で全てがアバウトでファジー。

時間、約束、規則、所詮1+1が2にならない国だから
必死に頑張って100点満点を取る必要がないのね。
もちろん、限りなく満点に近いに越したことはないけどね。。

ただ、日本人にとっては、背伸びする必要もないし
見栄も張る必要もないこの国のゆるさに救われるのだろう。
等身大で自分をさらけ出せる環境は日本人には心地良い。

袖振り合うも多生の縁」の格言の如く、タイに来た早々に、
ふと迷い込むように入ったK店で知り合った1つの「縁」。
1ヶ月の休暇を取って来た彼だが時間が過ぎるのは早い。

昨日からオーナーと一緒にイサーン(タイ東北部)の旅に出た。
きっとタイの素顔に出逢える田舎町で、さらに「生きる意味」を
知ることになるだろうね。ま、彼がバンコクに戻ってくる頃には
オイラは帰国して北海道でマッタリ温泉に浸っておりまする。

彼と再会出来るのは、今秋の東京の歌舞伎町かな。



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asia_jiyujin at 04:56|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

June 17, 2010

第1946回「タニヤ嬢お部屋訪問」

1946?ベッド


「ごめんなさい。受講が入って行けなくなったの」
先々週タイスキを一緒に食べたT嬢からの電話だった。
船に乗ってホタル鑑賞ツアー』一応、週末のスケジュールを
開けて待っていたのだが、当人の都合でツアーは中止になった。

ま、タイ人はこんなもんやで

と言うことで急遽予定を変更して雑誌の取材に行くことにした。
赤服軍団の騒乱が続いた為にしばらくスクンビットで働く子の
取材が続いていたが久しぶりにタニヤで働く子のお部屋を訪問。
場所は圧倒的に低所得者層が密集しているディンデーン地区のど真ん中。
昔はスラム街の1つとされていたエリアだけに多少は緊張する。

1946「タニヤ嬢お部屋訪問」

「フジさんですか、妹は上で待ってるわ」
モトサイ(バイクタクシー)に乗ってアパートに着くと何故か
当人ではなく姉が待っていた。言われるがままに部屋に直行。

「いらっしゃ〜い」
出迎えてくれたK嬢とT嬢。
なんやこの広さ
安い部屋代(4〜5,000B)の割には広くて明るいお部屋。ベランダからの
景色も綺麗で、レストラン、喫茶店、ビューティーサロン、スヌーカー、
ランドリー、屋上にはプールや野外パブまでも併設してかなり充実している。

例によって「引っ越しておいでよ」と誘われたが、何分にも交通のアクセスが
遠すぎる。2人とも性格も容姿も良く、店でも毎日指名される人気者らしい。
よっぽど稼いでいるのかギャラを渡したら「今日は店に行かない」と言う始末。
定番のタイスキに誘うも貰ったギャラを握りしめて外で買って来た食料を部屋で食べる。


1946?食事

K嬢は20歳のウボンラーチャタニ県出身。父親は3年前に事故で他界。母親は
1年前に再婚して田舎で農業 2人姉妹の次女。勤続1年3ヶ月。趣味はTVゲーム
高校卒業後にバンコクに上京してセントラルデパートのアイスクリーム店に勤める。
(給料は月に6〜7,000B)。1年後、友達の紹介で今の店に勤めるようになった。

1946?お祈り

大型液晶テレビが買えるほど月に3〜4万Bを稼ぐ彼女は田舎の母親に毎月1万Bを
仕送る孝行娘。大のドラえもん好きの彼女は部屋の彼方此方にドラえもんグッズがあり
専用コーナーまである。また部屋には大きな仏壇があり毎日お祈りを欠かさない敬虔な仏教徒。
将来はお金を貯めて田舎でコンビニを開業するのが夢。もちろん良縁があれば30〜45歳
くらいまでの責任感のある日本人と結婚したいそうだ。「貴方でもいいわよ」と言われたが
丁重にお断りをした。

1946?階段

背の高いT嬢は 24歳でラーチャブリ県出身。父親は地元で果物市場経営。母親も手伝う。
3人姉弟の長女。妹(21歳)は既婚 弟(15歳)は高校生。勤続1年7ヶ月で趣味はダンス 

高校卒業後はプーケットに近いカオラック地区のビューティーサロンに3年ほど勤務したが、
スマトラ沖地震による津波被災で勤めていた店が一瞬に流された。一旦は田舎に帰るも
お爺ちゃんが天に召されたのを機にバンコクに上京して今の店に勤める。

毎月4万Bを稼ぎ1万Bを田舎に送金。不遇な被災にもめげず将来はお金を貯めて得意な
ビューティーサロンを開業してみせると名言。でも、密かに30歳代後半から50歳までの
日本人との結婚も夢見ていたりする。

今回取材した子も含めて最近タニヤで働く子の性格が徐々に変わりつつある。
奥ゆかしさよりも、兎に角メイクアップにお金を掛けた子が増えている。
ひと昔は素顔にリップだけだったのにねぇ。確かに見栄えは良いのだが
性格は完全に現金主義の現代っ子。まるで渋谷系のギャルを見ているようだ。
これも時代なんですかねぇ。オイラは素顔で十分綺麗や思うんやけどね。

1946?店

メイドカフェ風の衣装で一躍タニヤの人気店に躍り出た勢いは今もとどまる
ところを知らず、連日連夜の超満席状態でとうとう2階フロアーも拡張。
ホステスの数も常時100人を超え今や名実共にタニヤのトップクラス店。
日本人オーナーのアイディアとタイ人スタッフのきめ細やかなサービスが
お客に支持されておりまする。

長らく騒乱が続きましたが、タニヤは日本からの観光客を待っております。



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asia_jiyujin at 05:09|PermalinkComments(2) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

June 15, 2010

第1945回「チェンマイから便り」

1945「チェンマイから便り」

先日、チェンマイから一通の手紙が届いた。
HIV感染者やAIDS患者の介護や支援活動を
続けているバーンサバイのHA女史からだった。

2002年7月7日にA牧師とHA女史の2人で
開設したバーンサバイも、その後ランプーンに
新施設を建てて移設してから今年で9年目になる。

手紙の内容は「8年間有り難う御座いました」だった。
今月の末で両名が退職する報告だった。毎年のように
中古衣料や少額の支援金を持って現地を訪れていた場所だ。

とうとう、日本人の手を離れてタイ人のS牧師に
今後の施設の運営を移行することになったらしい。確かに
タイ人が自らの手で自国民を支援することが一番の理想である。

いつまでも先進国の外国人が支援を続けていては自立の目積んでしまう。
そう言う意味では、自分が携わっているメコン基金も同じ事が言える。
タイ人がタイ人の手で恵まれない弱者を支援していくことが理想。

だが、助けを求めてくる感染者や患者はタイ人だけではなく、時には
ビルマや中国を越境してきた山岳少数民族もいる。彼らはタイ人では
ない故に一様にして病院の初診料30B制度が適応されない。

この国はお金がなければ例え目の前で死にそうになっても助けてくれない。
日本のように医は仁術ではなく算術なのだ。それは身をもって十分経験した。

かつて日本から来た数え切れないほどの学生や塾生をバーンサバイに
案内した。最初の切っ掛けは現在神奈川県に住むK嬢の紹介からだった。
当時はやたらとHIVに関するボランティア活動やAIDS撲滅の
啓蒙活動に参加する機会が多かった。

某雑誌にAIDS関係の記事を掲載したことで、一気に日本からのTVや
マスコミ関係からオファーが来るようになった。おかげでタイ国内だけでなく
日本も含めて全世界のAIDSに関する資料を紐解くウチに妙に詳しくなった。
日本に帰国したときも福祉系大学で講演を頼まれることも増えた。

そんな事もあり、チェンマイに行った時は必ずバーンサバイに
顔を出していた。今年の2月にも札幌から来た友人を伴って行った。
クリスチャンでもないオイラが、毎年顔を出していたのはA女史の
国境を越えた思い遣りと真のボランティア活動に共鳴したからだ。

退職するHA女史は、今後はチェンマイ市内に移り
HIV感染者やAIDS患者が社会に復帰できるように
裁縫などの職業訓練所を開設するらしい。

HA女史、長い間本当にご苦労様でした。
今後も彼女のご活躍を支援したいと思う。



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asia_jiyujin at 04:11|PermalinkComments(0) 気ままなアテンド日記 | 藤岡わこう

June 14, 2010

第1944回「セルビアからメール」

1944「セルビアからメール」

JICAに就職したYくんが初の海外でセルビアに赴任したのは
今から2年前。彼もまた大学在学中にタイでアテンドした学生の1人。
我が家に泊まり、長距離バスで9時間かけてチェンマイまで行った事もあった。

海外出張で彼がバンコクに来たときに一緒に飲んだこともあったが、
最後に飲んだのは2年前の新宿ゴールデン街の狭い屋根裏部屋だった。
あの時は話が盛り上がって終電ギリギリまで飲んだっけな。

セルビア赴任中に一度は彼を訊ねて行きたいと思っていたが、
ひょんな事からエジプト紀行が現実味を帯びてきたので、ふと彼が
赴任したセルビアのベオグラードの場所が知りたくてGoogl mapで調べた。

へぇ〜、案外カイロから近いじゃん」と勝手に思い込み、
この際だから「行ってみるべか」と思案する。
で、Yくんにメールを送ったら翌日に返信メールが届いた。


藤岡さん、その後ご無沙汰してしまい申し訳ないです。
タイの騒乱のこともニュースで見ながら、連絡もせずにすみませんでした。
藤岡さんは無事に過ごしていて、きっといつものように
客観的な視点で見ておられるのだろうと思って、
時々ブログを拝見していましたが、実際相当な被害だったと思います。
ご無事でよかったです。そして改めて無沙汰をお詫びします。

(中略)

実は私、8歳のころ祖父と一緒に観光でエジプトに行ったことがあります。
今思えば相当に恵まれていますよね。新潟の山奥の8歳がエジプトって。
よく覚えている光景があります。
ナイル川の川下りだっと思うのですが、そのときに川岸で同じくらいの歳の子達が、
私たちにお土産を売ろうとしていました。絶対届かないのですが。また、バスで
移動するときも、そういう子供がバスのガラスをドンドン叩いて、
何かを売ろうとしていました。みんな裸足でした。

なぜ、同じ年頃の彼らはそうやって暮らさなければならないのか。
自分は観光客、この差は何か。そしてそれを怖いと思った自分(その必要はなかったはず)。
そういう現実と自分の心の動きに対して、子供ながらにショックを受けたのを覚えています。
今思えば、ごく普通の途上国の風景かもしれませんが、あのときの気持ちが、
今の仕事をするきっかけのひとつだと思います。

さてセルビア、藤岡さんお一人ですよね?大歓待しますよ!
短期滞在は、日本のパスポートならばビザはいりません。
まだ11月の仕事の予定がわからないのですが、
恐らく問題なくお迎えできると思います。

寒くなってくる時期なので、コート等必要です。
大荷物になって申し訳ないですが準備いただければと。
なお、ざっと調べてみましたが残念ながら
カイロ・ベオグラード間の直行便はないようで、
イスタンブール経由、ウィーン経由というのがあります。

こちらは元気です。仕事は山盛りですが・・・・。
あ、昼休み終了、またひと頑張りします。
ではでは、藤岡さんも体には気をつけて下さいね。また何か旅行の
プランやセルビアでのご希望など聞かせていただければ嬉しいです。



嬉しいですねぇ。Yくんが現地で元気に活躍されているようで安心。
それにしても、まさか、昔Yくんとバンコクで再会したあの場所から
目と鼻の先で銃弾が飛び交うとは思ってもいなかった。それこそ規模は
かなり違えど今彼が活動している地域は、かつてボスニア・ヘルツェゴビナ
の内戦後の復興事業。兎に角、セルビアもタイもこのまま何もなく
平穏に日々が流れることを切望する。

それにしても8歳でエジプト。しかも祖父と。何だか凄いな。
8歳の孫を連れてエジプトに行こうと思った祖父に感動する。

ナイル川での物売り子供達は、それこそタイを初めアジア中どこでも
見かける光景だが、8歳にして見たその光景が心に残って今の仕事に
なっているとしたら、彼もまた神に選ばれた1人なのかもしれない。

もっともオレもタイで活動する切っ掛けになったのは田舎で出遭った子供たち。
35歳で垣間見たその鮮烈な光景は、まさに「目から鱗が落ちる」ほどの体験。
まさしく人生のターニングポイントになった旅だった。まさか、こんなに
長くタイで活動するとは夢にも思わなかったけどね。

さて、エジプトにセルビア。今年からはなんだか西に縁がありそうです。
そろそろ人生のターニングポイントがやってくるのかしらん。



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asia_jiyujin at 06:39|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

June 13, 2010

第1943回「急に結婚報告が続く」

1943「K嬢からの結婚報告」

喜び事というのは続くものでエジプトにオイラを連れて行く
と宣言していたK嬢から結婚のメールが届きました。


Jさんへ
お久しぶりです。お元気でお過ごしですか?
この度、社内でお付き合いをしていたYさんと結納を取り交わし、
8月7日に結婚式を挙げることになりました。日頃仕事で忙しくしている私ですが、
日本の森と農業にかかわるこの仕事にやりがいを感じ、そしてこの仕事に理解を
してくれている彼に支えられながら今ここにいること、本当に嬉しく思います。

Jさんが8月に日本に帰国しているのであれば、ぜひ私たちのお披露目会に
ご参加いただきたく、以下の通りご案内させていただきます。日頃お世話に
なっている皆様方に新しい門出を見守って頂きたく、どうぞご検討ください。
出欠については、7月7日の七夕の日までにご返信ください。



とうとう、良縁が結びつき理想の彼氏と結婚するに至ったK嬢。
昔、タイで連載していた雑誌の「アジアの闇を歩く」シリーズの
韓国企画で当時ソウルに留学していたK嬢に世話になったこともある。

おめでとう。良かったなぁK」心から喜びを申し上げます。
さて、8月7日は帰国して札幌に滞在している予定なのだが
おそらくバンコクに戻る前日故に、かなり微妙な状況。

パーティー会場は赤坂の某所.。札幌から東京入りすれば出席できない
こともないのだが、かつていろんな学生から披露宴に誘われたことが
あったのだが、さすがに長年タイに住んでいると格式ある日本の
流儀について行けない自分がいる。それに冠婚葬祭用の服もないしね。

そう言えば、4年前に千葉のY嬢が昔マレーシアに留学していた時に
付き合っていた彼氏と、その後帰国してからも付き合いを続けて結婚に至り、
その時「クアラルンプールで結婚式をするから来てね」と呼ばれた。

日本の格式ある流儀には難儀していたオレも、かつてペナン島で
マレーシアの格式張らない結婚式を体験していた事もあり、彼女もまた、
アジアの闇を歩く」シリーズのマレーシア企画で現地の取材時で
世話になったこともあり彼氏とも面識があったので出席を決めた。
ところが、その1ヶ月後に胃癌が見つかってなりあえなく断念。

結局、オレはかつてアテンドした学生たちの結婚式や披露宴には参加していない。
う〜む、さてどうしたものか・・・

因みに、このブログの拝読者でもある新潟のK先生は、かつてベトナム
から来た留学生の教え子の結婚式に呼ばれて現在ベトナムを旅している。
定年後は毎年冬期間をベトナムやタイやNZなどで海外ボランティアや
ロングスティを愉しまれている。御年輩のK先生の行動力には頭が下がります。

ところで、K嬢の実家って仙台だったよな。東北から北海道に掛けて
8月7日は七夕祭りである。なんて縁起の良き日であることか。

写真は、昨年帰国した時に山梨のA嬢宅に滞在していた時にサロマのK君から
送ってもらったプリプリの牡蠣をK嬢と甲州の白ワインで堪能していた様子。
因みに、この2人がオイラをエジプトに連れて行くそうなのだが。

そう言えば、今年の秋は勝沼の葡萄祭りに呼ばれていたっけな。
おぉ〜、甲州ワイン飲み放題やぁ

asia_jiyujin at 09:47|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

June 10, 2010

第1942回「心をリセットする旅」

1942「心をリセットする旅」

先週、タニヤで取材した後にオーナーと意気投合して朝まで飲んだ。
よりによって4月1日のエイプリルフールにOPENした新規店の
その後、タニヤのすぐ側で勃発した爆弾騒ぎで客足はパッタリ。
それでも何とか苦境を乗り越えながら今日に至っている。

OPENした翌日に、偶然にも店に顔を出したのだが、
「え、ウチを取材してくれんの。そりゃあ大歓迎だよ」
富山県出身のオーナーは偶然にもオイラが連載している雑誌の愛読者。

すっかり意気投合して、以来しょっちゅう一緒に飲むようになった。
同時に、店を軌道に乗せるまでのノウハウをアレコレ相談される。
ま、基本的には楽しくて気軽にリピートしたくなる店の雰囲気作り。

最近ではタニヤで取材があると必ず帰りに顔を出して飲んでいた。
その日も、閉店後まで飲んでいたら、いつのまにか隣に知らない若者が
座っていた。「誰や君?」「今さっきバンコクに着いたんです」

訊けば、タニヤを歩いていたら何処も夜遅くて閉まっていたので、
フラフラとしていたら吸い寄せられるように店に入っていたそうだ。
器のデカイオーナーも「おぉ、気にせんでいい。飲め、飲め」
と無料で大判振る舞い。結局この夜は午前3時過ぎまで・・・。

実は、前日もオーナーと飲んだのだが、ウィスキーをロックで
飲んでいたら、そこにファラン(白人)客が入って来て一緒に飲むハメ。

通常、タニヤの日本人専用のクラブに外国人の客を入れることは
タブーとされている。今の若者と違って年輩の日本人は、兎角
英語を話す外国人には弱い。だから、外国人を店に入れると
日本人客が嫌って売り上げが伸びない。

「どうするフジオカ氏?」
困惑するオーナーに相談される。
いいんじゃないの、タニヤも革命を起こさないとネ
常に日本の好不景気に翻弄されている業界なんだから
他国の客も相手にした方が売り上げは安定するでしょ。

現に国籍を選ばないゴーゴーバーやマッサージ店では
日本が不景気でも極端に売り上げが落ちることはない。
でも、まぁ、初めての試みだからネ。

で、このファランがテキーラをご馳走してくれたのだが、
実は、その前にタイのカオラオ(地酒)を飲んでいた為に
かなり酔っていた。そこにテキーラでしょ。しかも3杯も
一気飲みしたらしい。らしい、とういのはこの日の夜は
どうやって家に帰ったのかまったく覚えていなかったのだ

朝起きたら衣服を脱ぎ散らかして素っ裸でベッドに寝ていた。
おそらくシャワーを浴びようとしてそのまま爆睡したんだろう。
もし、隣に知らないおねぇちゃんでも寝ていたらそれこそ自己嫌悪。

その翌日に再び朝の3時迄である。いささか今夜は控えたい。
ところが、突然現れた日本からの旅行者Nくんのせいで
2日続けてベロ酔い・・・。う、二日酔いで頭痛ぇ

で、その翌日オーナーから自宅でタイスキをやるから
食べに来いと連絡、ついでに昨日の若者も連れて来いと。
酔っているウチに携帯電話の番号を交換していたので
早速連絡したら「はい、行きます」と快諾。

何でも彼は1ヶ月ほど休みを取ってタイに来たらしい。
30歳前のNくんは東京の歌舞伎町と上野の某店で働いている。
何だか訳ありそうなので詳しくは訊かなかったが、まぁ、そういう
職種の人なんだろう。以来、毎日のように彼から連絡がくる。

こちとら帰国前の取材に、連日奔走している身故に
あまり構っているヒマがない。でも、頼まれると「NO」と
言えないから取材に付き合って貰いながら彼方此方探索する。

タイに来た理由が「リセットしに来たんです」と意味深な応え。
リセットって、心か」まさか人生のリセットではないと思うが、
かなり仕事で行き詰まって精神的に参っているようだった。


カンボジアの世界遺産のアンコールワットを見たり、
パタヤでリゾート気分に浸りたいらしい。K店のオーナーにも話すと、
「じゃあ明日からパタヤに行って来週は東北でも旅するか」と誘ってくれた。

何だかオイラの性分に似たお節介焼き・・・いえ面倒見の良いオーナー。
きっとNくんも命の洗濯が出来るでしょう。
「おい、フジオカ氏、あんたも一緒に行かねぇか」
え、オレ、ダメダメ仕事っすから



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asia_jiyujin at 05:51|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう